その日は、夕方から大雨だった。
いつもどおり人間の里で信仰を集めるべく一人奮起していた早苗も、急すぎる雨にすっかり降られてしまい、里の外れにある民家の軒先に避難していた。
「もう、今日はいい天気だからって、神奈子様も言ってたのに」
民家の家主は、雨が止むまでゆっくりしていくといい、と気を使ってくれるのだが、早苗にはそうゆっくりしていられない事情があった。朝干した洗濯物である。
山の上まで雨かどうかはわからない。
だが仮に降っていたとしても、あの二人のことだ、自分たちのことに夢中で取り込んではくれないだろう。
むしろ、洗濯物を干していること自体、気付いていないかもしれない。
いつまでも自分の身を案じてくれる家主に頭を下げ、慌てて軒先から飛び出した。
一気に上昇し、神社を目指す。
しかし、急いで戻らなければと焦りからか、腰巾着の紐がゆるくなっていることに早苗は気付いていなかった。
「あっ!」
慌てて手を伸ばす。だが時既に遅く、巾着は雨粒の中に消えた。
落としたことにすぐ気付いたのは幸いだっただろう。
この大雨では、落とした瞬間に気付けなければ再び探し出すのは不可能だったに違いない。
だが里の近くとはいえ、きちんとした道路が整備されているわけではない。
すでに地面はぐちゃぐちゃにぬかるんでいた。
高度を落とし、巾着が消えたあたりを探してみる。明るい色だったため、幸いにもすぐに見つかった。
しかし、ちょっと落としただけなのに、巾着はすでに泥まみれになっている。早苗は急いで中身を確認した。
お金、お札、お守り……濡れてしまってはいるが、乾かせばどうということはないはずだ。
だが巾着の一番奥底にあったそれだけは、そういうわけには行かなかった。
すぐに取り出し、あれこれいじってみる。しかし、何の反応もない。
早苗は焦った。まさか壊れてしまったのか。
ともかく、ここにいたら更に濡れてしまうだけだ。それを握り、早苗は神社に向けて全速力で空を駆けた。
神社に着いたときには髪はほどけて雫が落ち、服は、絞ればいくらでも水が出てきそうなほどにびしょびしょになっていた。
玄関に入ると人影、神奈子だった。
「大丈夫だったかい? すぐお風呂にはいって着替えてきなよ」
用意してくれていたタオルを渡しながら、心配そうに声をかけてくれる神奈子。普段ぶっきらぼうでも、実は人のことを自分のことのように心配してくれる、そんなところが早苗は大好きだった。
だからこそ、あの時なぜ手に持ったままのそれに気付かなかったのか、早苗には悔やまれて仕方がない。
「あら、それはたしか……」
神奈子が自分の持っているものを見ている。そしてそれは神奈子に決して見られてはいけないもの。
ようやく気付いた早苗は、とっさにそれを後ろ手に隠し、タオルのお礼もそこそこに急いで部屋にむかった。
部屋に向かう途中も、早苗は背中にずっと神奈子の視線を感じていた。
翌日、昨日の雨は嘘だったかのようなすがすがしい朝。
守矢神社では、朝からゴウンゴウンと洗濯機のまわる音が鳴り響いている。
もしかしたら役立つかもしれないと、幻想郷に来る際に早苗は神奈子と話し合って、いくつかの家電製品を一緒に持ってくることにした。
こちらに来た当初はコンセントがないというシンプルな理由で、粗大ゴミ同然の扱いを受けていたこれらの文明の利器。
だが幸いにも、幻想郷の技術職人である河童たちと早くから親交を持つことができた。というよりはむしろ、向こうが珍しいものの匂いを嗅ぎつけてやってきたというほうが正しいかもしれない。
そのおかげで現在では河童たちが、外の世界の話と引き換えに電力を供給してくれている。
命を吹き返した家電製品のおかげで、守矢神社は幻想郷のものとは思えないほどの電化住宅へと、変貌を遂げていた。
「さなえ~、昨日はごめんね」
朝食の席、そう切り出したのは諏訪子だった。
「山でぼやがでたみたいでさ、私が雨を降らせたんだ。たぶん河童がまた何かやらかしたんだと思う。まったく、そろそろ一度きつ~いお灸を……」
諏訪子はふと早苗を見やる。
早苗は、ただじっと茶碗に盛られたご飯のほうを向いていた。
ご飯を見ているというより、心ここにあらず、といった感じだ。
「早苗、聞いてる?」
早苗の視線に割り込むように、諏訪子がにゅ~っと顔を出す。
「わ、す、すいません、なんでしたっけ?」
「どうしたの早苗、具合悪いんじゃない?」
諏訪子は心配そうに眉をひそめた。神奈子は何も言わず味噌汁を啜っている。
いつものパターンなら、ここで神奈子が諏訪子をからかい、諏訪子が怒り、早苗がたしなめるという段取りなのだが、今日動いている役者は諏訪子だけのようだ。
「身体のほうはおかげさまで大丈夫ですよ」
「ふ~ん、それならいいんだけど」
確かに、顔色が格別悪いというわけではなさそうだ。
とりあえず、元気だということがわかって、諏訪子はほっとした。
自分の降らせた雨で大好きな早苗を病気にさせたとあっては、悔やんでも悔やみきれるものではない。
「あ、昨日は洗濯物、取り込んでくださってありがとうございました。急な雨だったんですけど、おかげで洗い直しが少なくて済みました」
「え? いや、その洗濯物を濡らしちゃったのは……」
「はい?」
「あ、えっと、なんでもないよ、うん」
やっぱり早苗は上の空だった。諏訪子にとってはなんだか肩透かしである。
雨を降らせてから洗濯物があるのに気付いて、慌てて取り込んだことを咎められるのも嫌だったが、こうも反応が返ってこないと、なんだか張り合いがないと諏訪子は思う。
本当に大丈夫なのだろうか。
まだご飯が半分ほど残っているというのに、早苗は席を立った。
「あ、こら! 私の目の前でお残しはだめだよ!」
「大丈夫ですよ、これはお昼のためにおにぎりにして持っていきますから」
そういうと、早苗はにこっと笑って台所へと消えていった。
食事が終わり、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
神奈子は本殿に鎮座しているだろうし、早苗はおそらく洗濯物を干しているだろう。
諏訪子はお気に入りの場所である鳥居の上で、澄み切った青空を眺めていた。
あまりの気持ちよさに諏訪子がうとうとし始めた頃、玄関に件のおにぎりが入っていると思われる風呂敷をもった早苗がいるのを見つけた。
「あれ、もう出かけるの?」
鳥居からジャンプ、早苗のいる玄関の近くに着地する。
「はい、ちょっと用事がありまして。今日はもしかすると帰りが遅くなるかもしれないので、おなかが空いたら、いつものようにおにぎりを作り置きしておいたので、食べてくださいね」
矢継ぎ早にそういうと諏訪子に背を向け、早苗は空に向かって飛び立とうとした。
「早苗」
突然横から声がして、諏訪子は死ぬほど驚いた。心なしか、早苗も少し動揺していた気がする。
横を見上げると、そこには神妙な顔をした神奈子がいつの間にやら立っていた。
「気をつけてね」
「……いってきます」
短い挨拶だった。
早苗は一瞬諏訪子に向けて笑顔を見せた後、空へ飛び出していった。
その腰には、まだ少し泥をかぶった巾着袋がついているのが見えた。
「ねえ神奈子、なんだか今日の早苗、変じゃなかった? ……神奈子?」
神奈子は相変わらず真剣そうな顔で、早苗が飛び立った先を見ている。
諏訪子とて、神奈子との付き合いの長さは伊達ではない。
何があったかはさっぱりわからなかったが、神奈子の表情を見て、神奈子が早苗を心配しているのだということは察した。
「……よくわかんないけど、きっと大丈夫だよ」
「……そうね」
そのまま二人は、しばらく早苗が飛び去っていった空を見上げていた。
「ふむ、こんなものでいいか」
そういって、にとりは工具を置いた。
その目の前には握りこぶしより半分薄いぐらいの大きさの、四角い奇妙な機械が転がっている。
角は丸くピンク色をしたそれは、真ん中でくの字型に折り曲がっており、その両側がぴったりとくっついているという、おおよそ奇妙な形をしていた。
その横には小さな出っ張りがあり、それを引っ張ると細い棒が伸び出てくるが、なんに使うのかさっぱりわからない。
折れ曲がった機械を開くとたちまち光りだし、重なっていた片方の面には、人間が2人写った写真が映し出される。
もう片方の面には20個ほどのボタンがついていた。大きさが似通ったものが15ほど、あとは丸や四角など様々な形をしていて大きさもまちまちである。
使い方もよく分からないこの奇妙な機械に、にとりは丸3日間かかりっきりであった。
ぐーっと背を伸ばし固まった身体をほぐすと、にとりは窓の外を眺めた。
作業を始めたときは昇ってすらいなかった太陽が、今は向こうの山の稜線に沈む頃。
その赤い光に照らされ、木々の葉はまだ秋でもないのに薄紅色をしていた。
「あ、もうこんな時間か。そろそろとりに来る頃かな」
にとりは例の機械を開いた。
途端、20数個のボタンに灯がともり、もう半分の板に写真が浮かび上がる。
この中に写る一人の少女、にとりも知るこの少女がこの機械の持ち主。
写真の中の少女は満面の笑みだった。
そして、にとりの知るその少女もまた、いつも笑顔を絶やさなかった。
動かなくなってしまったので見て欲しい。ある日、暇をもてあましていたにとりの元にやってきた少女は、そういって泥のついた巾着袋からこの機械を取り出した。
機械を開いても、ボタンを押してもウンともスンとも言わない。
一体これは何をする機械なのか、その問いに対し、
「遠くの人と会話が出来るんですよ」
少女はそう答えた。
その答えだけで、にとりの好奇心を爆発させるには十分であった。
――こんな面白そうなもの、ほおっておく手はないっ!
この機械好きの困った河童にとって「見て欲しい」とは「こんな魅力的な機械を好きなだけいじっていい」と言っているのと変わらない。
完全に研究者モードに突入したにとりの、怒涛の質問が少女を襲う。だがそれに対し少女はいやな顔一つせず、いつもと変わらぬ笑顔で丁寧に説明した。
電波を使って会話を飛ばしているようだということ、つながったかどうかは音で判断できるということ、会話だけでなく文章も送ることができるということ、おかげで様々な事がわかった。
しかし、どういう仕組みでそんなことができるのか、という問いにはきまってバツの悪そうな顔で、
「わかりません」
と答えるのだった。
以前、稗田家の書物に『外から来た人間は、自分たちが持っている道具の仕組みを全く知らない』と書いていたが、どうやら本当のことだったらしい。
この機械を簡単に見たかぎり、たいした問題はなさそうだが、しばらく時間がほしいということにして3日後の夕方に引き渡すと約束した。少女が帰ったのを確認してから、にとりはしめしめとこの奇妙な機械の研究を始めたのであった。
動作確認も兼ねて、ボタンを適当に押してみる。正常に動作しているのがどういう状態か分らないのだから、押して何かしら反応があれば動作は成功。
変化があるのは写真が映っていた部分で、押したものによって違った意味不明な言葉や数字が表れる。
電話帳、赤外線、GPS、などなど。
文字は幻想郷のものと同じだったので、ある程度読むことは出来るが、意味がわからない。電話帳とは電波で話をしたものを記録するためのものなのか、赤外線とは光の波長のことだろうか、GPSとは文字なのか記号なのか、あらゆる妄想がにとりの頭で展開されていった。
好奇心に任せてあれやこれやと押してみる。押すボタンによって時には絵が出てきたり、音楽が鳴ったりすることもあった。そのたびににとりはあっ驚き、ほうほうと感心する。
「これだから人間が使うものは面白い」
そう思うともう顔がニヤけてくるのを抑えられない。
すべてのボタンを押し終わっても、まだ何かあるんじゃないかと試行錯誤を繰り返す。その甲斐あって、中央のボタンの縁だと思っていた部分も、実は押せるということに気付き、再びにとりは狂喜した。
何が起こるのか期待に胸を躍らせながら縁を押し込む。すると三人の写真は消え、黒い背景に白で書かれた文字や数字が浮かび上がった。
『発信履歴』……にとりにはそう読めた。
普段は川のせせらぐ音と天狗の噂話位しか聞こえない、静かな妖怪の山。
その日、約束の時間より少し遅く河童の庵を訪れた早苗は、ただ驚くしかなかった。
ごおおん、とか、バチバチッ、というおおよそ山奥には似つかわしくない轟音。まるで植物の触手のようにうねうねと動き回る無数のアーム。
そこはまさしく、かつて見たSF映画の秘密工場そのものであった。
その中心、火花が飛び散るその只中に河童、にとりはいた。そしてその目の前で火花の直撃を受けているのは、紛れもなく早苗の携帯電話だった。
早苗は思い返す。3日前、早苗は自分の携帯電話を河童に預けた。その時早苗は確かに「見てほしい」と頼んだ。水に濡れてしまったのだ、それなりのダメージはあるだろう。しっかりした修理が必要になるかもしれない、と覚悟もしていた。
だが、そもそもどんなに想像力を働かせても、ここまで大掛かりなことをしなければならない症状は、携帯電話の修理という範疇では思い浮かばない。
……いや、ただ見るだけといえど、ここでは大変なことなのだろう。幻想郷は外の世界のようにカスタマーセンターや修理工場があるわけではない。にとりが必死に思案してくれた結果がこれなのだ、やさしい早苗はそう考えた。
やがて音が止み、にとりが顔を上げる。
「おや、もう来てたのか風祝の。悪いね待たせてしまって」
その顔はすすがついているのか、少し黒くなっていた。
「いえ、こちらこそ遅れてしまって、申し訳ありません」
「気にしないでいいよ、どうぞ上がって」
にとりに招かれ、早苗は秘密工場へと足を踏み入れた。
とはいっても、作業場となっている玄関先は、もはや足の踏み場もないほどに機械や工具が散乱しているため、フワフワと飛んで越えたのだが。
「早苗も含めて外から来た人間は、どういうわけか自分たちの使っているものが、どういう原理で動いているかを知らない。だから良く分からないところは私なりにアレンジさせてもらったよ」
言葉の端々になんとなくいや~な予感じる早苗。そんなことはお構いなしに、にとりは作業台の上にあった携帯電話を持ち上げた。
それは幻想郷に来る少し前に買ったもので、ピンク色でかわいらしいそのフォルムを早苗は気に入ってこちらまで持ってきたのだ。買った当時ピンク色の携帯が最新機種の中にはなく、少し前の機種を買ったため、未だにアンテナがついているのがちょっと気がかりなところだった。
そしてそのアンテナが早苗に向かっておいでおいでをしているのを見て、早苗は山奥の庵にある大げさな設備の意味をすべて理解した。
「特にこのアーム! あのでっぱりを何とかして活かせないか考えて考えて、これにするしかないってひらめいたんだ。自信作だよ」
目をきらきらさせ、どうだすごいだろうといわんばかりに胸を張るにとり。元々はアンテナだった部分から伸びるアームが早苗を招き続ける。早苗はただ、ため息をつくしかなかった。
「あの、元に戻してもらってもいいですか」
早苗は囲炉裏のそばに座って、にとりの作業が終わるのを待つ。
まだ溶接してしまったわけではなかったようで、携帯電話についていたアームは、にとりがちょっといじればすぐにはずれるようだった。だが取り外しに不満なにとりが、それがあることの便利さを必死に説き始め、しまいには「アームつけてないとや~だ~!」と駄々をこねはじめてしまった。駄々っ子をなだめすかすのには思ったより時間がかかってしまい、気付いたときには既に夜の帳が降り始めていた。
「いいと思ったのになぁ。絶対いろいろ使えて便利だと思うんだけどなぁ」
未だ納得がいっていないにとりのぼやきは止まらない。携帯電話を早苗に渡した後も、取り外したアームをもの惜しげに見つめる姿には、さすがの早苗も飽きれるほどである。
だがそんな姿をずっと見ていると、だんだんと「あれぐらいなら別につけたままでもよかったんじゃ」と思えてくる不思議。便利な孫の手だと思えば……
――っと、だめだだめだ、ここでそんなことを言ってしまったら、おそらく更に過激な改造を勧めてくるに違いない。ここは心を鬼にして、この場を切り上げなければ。
「ともあれ、ちゃんと修理していただいてありがとうございました。これで安心です」
明かりをつけるために白熱電球のようなものをいじっているにとりに、早苗は声をかけた。
囲炉裏、白熱電球、その向こうには夕闇に包まれつつあるSF映画の秘密工場。
この庵のなかの時代はめちゃくちゃである。
やがて灯が点き、周囲が明るくなったのを確認してから、にとりは囲炉裏をはさんで早苗の反対側によいしょっと腰を下ろした。
「見るぐらい別にいいよ。いろいろつけた機能を試してみるためにも必要だったしね」
「え、もしかして他にも何かつけたんですか?」
まさか、もう既に? 嫌な予感をひしひしと感じながらも尋ねた早苗に、よくぞ聞いてくれました! とでも言わんばかりに笑顔をむけるにとり。
もはや、ただでは済まないのは決定的かと思われた。
「まずはレーザー! 弾幕ごっこをするならこれぐらいはほしいよね」
「え、まさかそんな物騒なものを!」
慌てて携帯電話を落としそうになる。何かの弾みで発射されたらたまったものではない。両手でしっかり押さえておくことにした。
「試作段階だから、たまに暴発するけどね」
「ええっ!」
思わず両手を離してしまいそうになる。そんな物騒なことを涼しい顔でさらっと言わないでほしい。
手の中で暴発されたらもう一巻の終わりだ。
おっかなびっくりにつかんで、身体から離すように思いっきり手を伸ばした。
「それから携帯型光学迷彩スーツ機能!」
「それってもしかして、これを使ってにとりさんのように姿を消したり出来ると……」
これは使えるかもしれない。日ごろから同居している二人が私に隠れて何をしているのか、気になっていたところだ。
感心している早苗を見たにとりは、さらに得意げになって続けた。
「その通り! まあ消えるのはその機械であって持ち主が消えられるわけじゃないけどね」
やっぱりそういうオチですか。ちょっと期待していただけにがっくりの早苗。そのおかげでまたも携帯を落としそうになって冷や汗をかく羽目に。
それじゃあ携帯電話が探しにくくなるだけじゃないですか……と突っ込みたいのだが、あまりに自信たっぷりのにとりの姿を見て必死でかみ殺す。
「まだあるよ、実はこれは秘密だったんだけど……そのカラクリはリモコンになっているのだ!」
「それって、一体何を動かすリモコンなんですか?」
「それは今考え中」
「……」
なんとなく、早苗には事が読めてきた。
「最後に取って置きの機能が!」
「……爆発でもするんじゃないんですか」
「な、なぜそのことをっ!」
心底驚いているにとりを見て、早苗は苦笑するしかなかった。
「ほんとに、そんな夢みたいな携帯電話ができたらすごいですね」
「むむ、河童の技術力を疑っているな風祝の。河童は作るといったら絶対に作るぞ」
「楽しみにしておきます」
そういうと早苗は屈託のない笑顔をみせた。いつもにとりが見ている笑顔である。
もう嘘は見破られている、そう観念したようににとりは照れ隠しに頭をかいて見せた。
そう、これはイタズラ河童のジョークで、実際はそんな機能はついていなかったのだ。
さすがのにとりにも小さなボディにあれだけの機能をつけるのは難しい。せいぜい爆発ぐらいが関の山。それにまず仕組みを理解するところからはじめたため、大掛かりな改造をするには時間が少なすぎたのである。
だから嘘も中途半端だったのだ。
けれども、時間と理論がしっかり整えば本人が言うように本当に作ってしまうだろう。河童の技術力と執念は早苗も認めるところである。
「まったく、かなわないなぁ」
そういうとにとりは声を上げて笑い始めた。山奥の庵に、二人分の笑い声が響く。
「けれど、本気でつけようと思っていた機能だってあるんだぞ、風祝の」
「へえ、いったいどんな機能だったんですか」
「例えば……」
にとりはあごに手をあて、上を見上げて考えるようなポーズをとる。何を言おうか考えてるというよりは、言うか言うまいか悩んでいる、早苗にはそんな感じに見てとれた。
一瞬の後、不意ににとりは視線をおろし、早苗をまっすぐに見つめた。
にらまれている、早苗にはそう感じられた。
一呼吸おいてから、にとりはゆっくりと話し出す。
「例えば、外の世界と会話が出来る機能、とか」
―――えっ……?
その瞬間の早苗の驚きと戸惑いの混じった表情を、にとりは見逃さなかった。
「実は、その機械のいろいろなボタンをいじってみたんだ。悪いかなとは思ったけどね、動くかどうかを確認するために一応」
にとりはそこで、早苗の反応を待ってみた。
もしかしたら怒り出すかもしれない、そうも思っていたが、早苗は何も言わなかった。だがむしろその姿が、逆鱗に触れてしまったのではないかと思わせるほどに異様だった。
これ以上あれこれ言わないほうがいいか、そうも思ったが、今更なかったことには出来ない空気が流れている。
ちょっとした後悔の念を感じつつ、にとりは続けた。
「出てくる文字は読めるんだけどね、意味がさっぱりで、電話帳とか赤に外に線とか、あと文字なのか記号なのかもわからないものも出てきたし。それで、まあ、ちょっとおもしろくなってさ、アレコレいじってたら、ちょっと気になるものを見つけてね。発するという字に信号の信、そして履歴って書いてた」
「はっしんりれき、です」
その声は落ち着いていて、笑っているのか怒っているのか、にとりには読み取れなかった。
早苗の顔を盗み見る。少しだけうつむき加減の顔はちょうど影になっていて、どんな顔をしているのかわからない。中途半端な明るさの電球が歯がゆかった。
けれども合いの手が入ったことで、にとりし気持ちは少し楽になった。
にとりはポンッと手を打ち、必要以上に明るい声で答える。
「そうか! やっぱりそれでよかったんだ。多分そうじゃないかな、とは思ってたんだけどね。なんだか自信がなくて」
そーかそーかとひとしきり納得して見せた後、本題に入る。
「意味は勝手に推測したから間違ってるかもしれないけど、これは多分遠くの人間と通信を試みたことの履歴を表していると思ったんだ。そして、相手の名前と思うもののうえには暦と思われる数字があった。外の世界の暦だろうから幻想郷のものとは違うけど、一番最初の、写真が写ってるところの暦の4日前だった」
一度言葉を切る。
「風祝の、外の世界と会話が出来るかどうか、試していたんじゃないのかい?」
沈黙。
「ま、まあその……」
「ふふっ」
堪えかねたにとりがお茶を濁そうとした時、沈黙は意外にもその沈黙を作りだしていたはずの張本人によって打ち破られた。
「いえ、すみません。あまりににとりさんが真剣だったのでずっと黙っていたんですが、堪えきれなくって」
そこには笑顔の早苗がいた。
「確かに一度だけ試してみたんです、通話できるかどうか。実は霖之助さんが興味をもたれて、あ、ご存知ですか?香霖堂というところの店主の方なんですが」
「あ、ああ、知ってるよ。あそこには面白いものがいっぱいあるからね。そこの明かりをつける機械もそこからもらってきたものだよ」
「そうだったんですか」
白熱電球はときおりジジッ、ジジッと鳴りながら、頼りない光を発していた。
再び始まる沈黙。
にとりが聞きたいことは、そういうことではない。
早苗が言わなければならないことは、こういうことではない。
それは二人ともがわかっていた。
「それに!」
明るい声でそういうと、早苗はすっと立ち上がった。
「それに……私は神奈子様と諏訪子様についていくと決めましたから。お二人がいれば、それで十分です」
そういって、早苗はにとりに最高の笑顔を作って見せた。
そこまで言われてしまっては、それ以上詮索することは出来ない。
「そうか、それならいいんだ」
にとりもまた、笑顔を作った。
すっかり暗くなってしまった空に飛び立つ白と緑の巫女を見送りながら、にとりは一人思う。
発信履歴の記録は1日や2日残っているだけではなかった。暦を逆算してみると、彼女が幻想郷に来たころからずっと続いていた。
ほぼ同じ時間に、同じ相手に、毎日一回ずつ。
そして暦の横にはその結果を表しているのだろう「不在」の文字。
この事実が示すことはなんなのか、想像するのはたやすいことであった。
そしてそれを確かめようと、あんな問答を行った。
その結果、彼女は「たった一度だけ」通信を試みたのだという。
正直にいうと、他人の興味程度で踏み込んでしまったことには激しく後悔している。
だが、河童の盟友である人間、その中でもとりわけ親しい者の思いを垣間見てしまった以上、何もしないというのは出来ない相談だった。
だからにとりは頭を働かせ、ある一つの方法を取ったのだ。
「二人がいれば、か。もしその言葉が本当だったなら、蛇足になるねぇ」
庵の戸を開けながら、にとりはひとりごちた。
「でももし、少しでも嘘があるなら……」
振り返る。もう巫女の姿の見えなくなっていた。
しばらく星の光しかない夜空を見上げる。いろいろ考えて、にとりは自分の発言に結論を出した。
「やっぱり、蛇足になるねぇ」
はぁ、とため息を一つ。
もういいや、あの子ならうまくやっていくだろう。
そう割り切って、今日は早めに床につくことにした。
早苗はひどく混乱していた。自分が今神社に向かって飛んでいないということに気付かないほどに。
おそらくにとりはすべてを看破した上で、あんなことを言ってきたのだろう。
早苗が毎晩、外の世界に向けて電話をかけていること。当然ながらそのすべてがつながらなかったこと。
「外の世界と通話が出来る」
そう聞いたとき、早苗の心は大きく揺れた。
慌てて取り繕っては見たが、おそらく無意味だっただろう。
霖之助とともに実験を行ったことは嘘ではない。だがそれよりもはるか前からにとりに携帯電話を預けるに至るまで、早苗はその実験を毎晩繰り返していた。
いや、実験ですらない。なぜなら成功しないのはわかりきっていたからだ。
ふと気付くと、早苗は神社からは遠く離れた所に来ていた。足元には木々が開け、ちょうど広場のようになっているところがある。
日が落ちてからそれなりの時間が経っている。けれどもこの不安定な気持ちのまま、神社に帰ることもできなかった。
早苗は広場へと降り、ちょうどよさげな倒木に腰を下ろした。見上げると満天の星空である。
幻想郷に来たばかりの頃は、この星空をみんなもどこかで見ているのだろうか、そんなことを考えたこともあった。
だから電話をかけるときも、もしかしたら、そう思っていた。
だが、何度試してもつながることはなかった。それでも電話をかけることをやめることは出来なかった。
早苗は携帯電話を取り出した。
発信履歴の欄には、毎晩の通話の試みが見事に記録されている。
――もう、割り切らなきゃ。
そう思っているからこそ電話をかけることをやめなられない自分に、早苗は腹が立っていた。
これのどこが割り切れているというのか、未練がましいままじゃないか。
自分の周囲の住人ではなく、二人の神様を選んでここにきた。二人についていこうと決めたのだ。
だから未練がましいことは言っていられない、外の世界のことはすっぱりと忘れてしまわなければいけない、そう早苗は考えている。
――そうしないと、きっとあの心優しい神様たちは私を幻想郷に連れてきたとこを後悔するから。
今までに何度も何度も自分に言い聞かせた。
携帯電話を滝の上から投げ捨ててしまおうとしたこともあった。
だけど、最後の最後に待ち受けにしてあった写メールを見てしまった途端、まるで手のひらにすいついてしまったかのように離れなくなった。
何故?
考えれば答えはすぐに出る。
でもそれを認めてしまったら、二人を信じて幻想郷に来たことすべてが嘘になってしまう。
早苗は携帯電話を操作する。
発信履歴の一番上に残る記録、この携帯電話で一番最後に話した人物。早苗はボタンを押す。
音声発信、発信しますか?
これで、最後にしよう。
早苗は「はい」の選択肢を選んだ。
ププププププププ
携帯電話が通話相手を探している。だがそれは無駄なことなのだ。
この後いつもの虚しい音が流れて、それで終わり。
いつもどおり、そしてこれが最後。直してくれたにとりには悪いが、もうこの携帯電話を使うことはなくなる。
そう思うと、やっぱりすこし淋しかった。けれど、これでやっと迷いを絶てるかもしれない。
外の世界のことは忘れて、あの二人と生きていこう。
そう思っていた。
だが……
トゥルルルルルルル
呼び出し音。
断ち切ろうとした迷いから最後に伸ばされた手。早苗は驚き、戸惑い、頭の中が真っ白になった。
「つながっ……た? 嘘、そんな……」
全身の力が抜ける。そんな、そんなはずないのに。
この電話は永久につながってはいけないのに。
トゥルルルルルルル
携帯電話は相手の電話を呼び続けていることをアピールし続ける。
この電話の向こうに、もう喋れないと思っていた人がいるかもしれない。
もう喋らないと決めた人がいるかもしれない。
トゥルルルルルルル
もし向こうが受話器を取ってしまったら、何を話せばいいのだろう。
違う、つながってしまってはいけないのだ。
つながってしまったら、きっと一生未練が残る。外の世界が忘れられなくなる。
今すぐ切らなければならない。
早苗の親指が通話を終了させるボタンに触る。
これを押して断ち切らなければならない。割り切らなければならない。
けれども、これが外の世界とコンタクトが出来る最後のチャンス。そう思ってしまうと、早苗はもはや親指を微動だにさせることが出来なかった。
トゥルルルルルルル
なぜ切れない! 二人についていく、そういったのは嘘だったのか。
二人さえいればいい、そうにとりに言ったのは嘘だったのか。
幻想郷にくる覚悟とは、その程度だったのか。
トゥルルルルルルル
切らないと、切らないと
トゥルルルルルルル
切れ、切れ
トゥルルルルルルル
「切らないと……」
トゥルルルルルルル
「切らないと……いけないのに」
トゥルルルルルルル
気付いたら、一人つぶやいていた。
それでも、ボタンを押すことが出来なかった。
神奈子と諏訪子に申し訳ない、その思いは涙になって流れ出した。
だが、その涙とは裏腹に、早苗は携帯電話から流れる呼び出し音に耳を傾け続けた。
すぐに切ってしまわなければという気持ちを持ちながらも、頭の中ではもしもつながったときの会話の内容がシュミレートされて止まらない。
二つの意志にはさまれて早苗はもう何も考えられず、ただ慌て、ただ泣くしかなかった。
そんなときに現れた人物は、今一番出会いたくない相手であった。
「早苗、そこにいるの?」
早苗は空を見上げる。
満天の星空の中に、一つの影。
「神奈子……さま」
神奈子は上空から、心配そうに早苗のことを見つめていた。
そして早苗が泣いていることがわかると、風のような速さで早苗の元へ舞い降りた。
「神奈子様、どうしてここに」
「早苗がいつまでも帰ってこないからよ。それより、いったいどうしたの……」
神奈子の言葉が止まる。早苗はそこで初めて、まだ自分が携帯電話を耳にあてたままにしていることに気付いた。
慌てて後ろ手に隠し、笑顔を取り繕う。
「あ、その、これは違うんです。にとりさんに修理してもらったので、その……」
あはは、と笑う早苗。だがおそらく今の顔を鏡で見たら、涙でぐしょぐしょに濡れたひどい顔をしているだろう。
それでも、今は笑うしかない。
神奈子だけには、知られてはいけない。
「ふーん。それは携帯電話ね、外の世界にいるときに見たことがあるわ」
「ええ、そうです。その、充電が切れていたので……だからなんでも」
「早苗」
早苗の言い訳は神奈子の言葉にさえぎられた。その目はまっすぐ早苗のほうを向いている。まるですべてを見透かすかのように。
「早苗、無理をしないで。すべてを話して頂戴」
その口調は、残酷なほどに優しかった。
この一言で我慢の限界を超えてしまった早苗はもう、あふれる涙をこらえることはできなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
泣きじゃくる早苗を、神奈子はただ何も言わずに抱きしめた。
「落ち着いた?」
倒木に腰を下ろした神奈子が尋ねる。その隣には、目を真っ赤にした早苗がいた。だが、その顔はもう泣いてはいない。
「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「話してもらえるわね、何があったのか」
早苗は今日起こった出来事について、言葉を慎重に選びながら話した。今までの通話実験、にとりの庵でのやりとり、そして予期しなかった着信。
「どうして? あなたの友人や知人と話せるわけでしょう、何故悲しむ必要があるの」
「私は神奈子様に一生ついていくつもりで、私のいた世界を離れました。なのに外の世界に未練を持ったままでは、神奈子様に失礼だしその決意がどこまで本当なのかわからなくなります。それに、神奈子様がそれを知ったら、私を連れてきたことを後悔するんじゃないかって」
「それは違うわ」
「え……?」
神奈子の声はとても鋭かった。先ほどのやさしい声とは違う、咎める声。
早苗にはなんとなく悲しい声に感じられた。
「違うよ、早苗。私たちがあなたを連れてきたことを後悔するのは、外の世界に未練があることを知ったときなんかじゃない。早苗が独りで悩んでいるってことが分かった時なんだ」
「あ……」
「早苗の苦しみをわかってあげられない。その力不足に気付かされたとき、この程度のことすらできないで早苗をこちらの世界に引き込んでしまったことの愚かさを痛感するの」
「違います! 神奈子様も諏訪子様も何も悪くありません! 私が、私が……」
せっかく落ち着いた涙がまた込みあがってくる。
そんな涙を神奈子はハンカチで丁寧にぬぐった。
「やさしいね、早苗は」
ヒックヒックと、しゃっくりのような嗚咽が止まらない早苗。
そんな早苗を、神奈子は優しい笑顔で見つめていた。
「ほんとに早苗と一緒に生活できてることが幸せだよ。でもね、外の世界への未練なんてあって当然だし、あったほうがいいんだ」
神奈子は立ち上がり、鼻をすすっている早苗に向き合って、言い聞かせるように話した。
「私がなぜ向こうの世界で早苗に会えたかわかる? それはもちろん早苗が私のことを信じてくれたというのが大きい。だけど早苗だけじゃなくて、他にも私のことを信じてくれる人が少しでもいたから、私は早苗と話せるだけの力を残せていたんだ」
神奈子は腰に手を当て胸を張り、いばるような格好になった。
「そして、私は私のことを信じてくれたその人たちを忘れたことは、こっちにきてからも一っ度もない」
どうだ、参ったか! とでもいいたげな神奈子の格好に、早苗は思わずふき出してしまった。ちょっと笑ったら、いつの間にか嗚咽も止まっていた。
いつもぶっきらぼうでいるのに、内ではしっかりと相手のことを思っている。この人のこういうところが本当に好きだ。
消え行く自分のことを記憶に残していてくれた人のことを、神奈子はその気になれば全員、顔も名前も思い出せるに違いない。
深い深い感謝の念と共に。
「つながりというのは、新しい世界に行ったからって切らなきゃいけないなんてことはないんだ。その点においては私が私を信じてくれた人を忘れないのも、早苗が外の世界の人たちに未練があるのも同じ。だがらもし、その携帯電話で外の人とつながりが再認識できるなら、それに越したことはないはずなんだよ。私たちとどっちを取るかで涙を流すぐらい大切なつながりなんでしょう?」
「……そうですね」
「だったら私たちに遠慮なんてする必要ないさ。いつだって私たちは早苗のことを思ってる。たとえ早苗がどんな道を選ぼうが、その気持ちが変わったりはしないよ」
一呼吸。
神奈子は早苗の肩をポンッと叩いた。細いけれど、大きな手だと感じた。
「もっと信じなさいな、あなたが築きあげてきたつながりを」
「……はい!」
そういって、早苗は笑った。今度こそいつもの笑顔だった。
「さあ、湿っぽい話は終わり! 早く帰らないと諏訪子のやつがまた文句を言い始めるよ」
「そうですね、急いで帰りましょう」
神奈子は返事を聞くと、空に飛び上がった。
早苗がそれに続こうとした、が、なんだか違和感。
その正体は携帯電話だった。気付かなかったが、今までずっと鳴り続けていたらしい。
トゥルルルルルルル
携帯電話を開いてみる。その画面を見て、早苗は河童が仕掛けたカラクリを理解した。
発信履歴には、今日の日付で既に「不在」の文字がついていたのだ。
どのボタンを押しても、画面の表示は変わるものの、呼び出し音がとまることはなかった。
まったく、早とちりもいいところである。
でも、ちゃんと「つながった」のだから、にとりの目論見は成功したことになるだろう。
「おーい早苗、行くよー」
「あ、はい、すぐに行きます」
そういうと早苗は風をまとい、空に舞い上がった。
大好きな人と寄り添うようにして神社を目指す。
「携帯電話、それが使えたら便利だろうねぇ。今日みたいに誰かの行方がわからないときなんか、大助かりだろうね」
「ほんとに、そうですね」
「そうだ、どうせなら河童にそのまま作らせようじゃないか。あいつら機械オタクだから、やってくれるだろうしさ」
「でも、いろいろ迷惑かけた後ですから……」
「大丈夫、いい案がある。ちょっと耳を貸して」
ごにょごにょと耳打ち。
「あの、こういうことはあんまり神様のすることじゃ無いと思うんですけど……」
「心配しなさんな、言うこと聞かなきゃ、私のところに連れてくればいい」
「神奈子様、なんだか笑みが怖いです……」
川のせせらぎと虫の鳴き声しか聞こえない妖怪の山。
だがこの日は、二人の神様の声がずっと聞こえていた。
その声を聞いたものは口をそろえてこう言う。
それはそれは楽しそうだった、と。
あくる日の朝、にとりは守矢神社の参道にいた。
目の下には大きなくまができている。
ああは言ったものの、結局気になって夜も眠れなかったのだ。
早苗はどうなったのか、そして、自分の仕組んだ仕掛けはうまく作動したのか。
「あら、にとりさん、おはようございます」
参道を登りきった先には、こんな朝早くから境内の掃除に精を出す早苗の姿があった。
「おお、風祝の。どうだった、あれから外の世界の人間とは話せたかい?」
言い切った後に、しまった! と後悔してしまう。
仕掛けの具合が気になりすぎてあまりにも直球に聞いてしまった。
もしまだ乗り切れていなかったら、気まずい。
にとりは恐る恐る顔色を伺ってみる。
「残念ながら」
言葉とは裏腹に、早苗の顔はいつもの笑顔だった。
そうか、やっぱりうまくやったんだな。やっぱり私の目に狂いはなかった。
そう確信したにとりも笑顔を返す。
「そうか、残念だったね」
乗り切ってくれたようで良かった、たまのおせっかいもいいものだ。なんてことを思っていたのはほんの一瞬。
次の瞬間には『改善点はどこだ? あの機械のもっと詳しい話を聞く必要があるかな』なんてことを考えていた。
こと発明に関してにとりに諦めの二文字はない。
じゃあ、あの機械についてちょっと話を……
「でも、大変だったんですよ? 試した後、夜通し音が鳴り止まなくて。おかげさまで昨日は一睡も出来ませんでしたし、充電も切れちゃいましたし……」
しまった、音が止まらなくなっていたなんて。
小さい音とはいえ一晩中トゥルルル鳴っていては、さぞうっとおしかったに違いない。
横目にじーっとにとりを見つめてくる早苗の視線に、にとりは目を合わせられなくなっていた。
「おかげで今朝は朝食の準備が遅くなっちゃって、諏訪子様は駄々をこね始めるし」
「そ、そうか、それは悪いことをしたね、はは……」
ははは、と頭をさすりながら苦笑いを浮かべるも、早苗は責めの手を緩めない。
「なんだか今日は頭も少し痛いですし」
「いや、ほんとに申し訳ない……」
怒ってる、間違いなく怒っている。
まさか早苗が怒るとここまでネチネチ責めてくる子だとはにとりも思っていなかった。
「そういえば神奈子様も相当お怒りだったような……」
「降参、降参だよ、もう何でもするから許して~!」
――あれ、今目が……目が光ったよね?
「なんでも、とおっしゃいましたね?」
笑顔、満面の笑み。この状況においてこれほど怖いものもない。
このあどけない顔で笑う少女は、にとりを策にはめたのだ。
一体何をさせられるというのか。神奈子も関わっている以上、このたった一回の失敗を盾に何をされる事やら。想像しただけで身震いがする。
かと言ってたかが一日寝不足なだけで! と喰ってかかれば間違いなく奥に控えているであろう破壊神の餌食。
この絶望的な状況下でにとりに許されたことは、わが身を呪うことだけ。
――やっぱり、余計なおせっかいなんてするんじゃなかった……
死して屍拾うものなし、後は野となれ山となれ。
がっくりとうなだれるにとり。だが早苗が口にした言葉は、にとりの想像を超えて意外なものだった。
「じゃあ、携帯電話の事に関してお願いしたいことがあるんですが」
「……え?」
時が止まる、静止約五秒。
「実は、神奈子様と携帯電話みたいな機械があれば便利だなっていう話をしていて、その、もし良かったらにとりさんにお願いしてみようかと思ったんですけど……だめですか?」
ようやく、にとりも状況を理解できた。
つまり、この目の前の悪魔かとも思えた少女は自分にあの機械の研究をさせると言っているのだと。
にとりは首がもげるかと思うほどに全力でかぶりをふって見せた。
「ぜひ、ぜひやらせてほしい!」
「そうですか、よかったぁ、断られなくて」
まさに地獄から天国。
こんな大チャンス、誰が断るものか、とにとり。
そもそもにとりが神社に来た理由の一つは、あの夢のような機械のさらなる研究のために、もうちょっと協力をしてもらえるように頼んでみよう、というこうとだったわけで。
―― 一度でも悪魔だなんて思って申し訳ない! あんた、本当に神様だよ。
「でも、そもそもその機械に関しては資料が少ないから……その、お前さんにたびたび話を聞かなきゃならんけど、協力してくれるかい?」
「ええ、喜んで」
それを聞いたにとりは、完全にスイッチが入ってしまったようだ。
「ふふふ、遂に私の時代だ。この機械を解明して、通信技術のパイオニアになってやる。発明王はこのにとり様だぁぁぁぁ!」
雄たけびを上げ、にとりはそのまま土煙を上げながら、天狗もびっくりの猛スピードで山を降りていった。
あっという間に小さく消えていく背中に、笑顔で手を振る早苗。
「うまくいったみたいだね」
そういいながら鳥居の上から降りてきたのは諏訪子だった。
どうやら鳥居の上から一部始終を見ていたようだ。
「ええ、ちょっと悪いことをした気もしますけれど」
実は、携帯電話が鳴りっぱなしという問題は、バッテリーを抜くことで解決済みであった。
だが、今でも入れなおしたらまた発信音が鳴り始めるので、抜きっぱなしにしておかなければならない現状ではあるのだが。
「そう? まあ、あの河童最初からその気だったみたいだし、いいんじゃないかな」
そう言ったかと思うと、諏訪子は急にクスクスと笑い始めた。
「それにしても、相手を追いつめる時の早苗の楽しそうな顔といったらもう」
諏訪子は、笑いが止まらん、とばかりに肩を震わせる。
大あわてなのは早苗の方である。
「ち、違います! あれはその、神奈子のご指示で・・・・・・」
言い訳に必死の早苗の姿がまた諏訪子の笑いを誘う。
不意に笑うのを止めたかと思うと、横目で早苗を見ながら、
「なんでも、とおっしゃいましたね?」
そして腹を抱えてまた笑い出す。
恥ずかしいやら怒りたいやらで、早苗の顔はもはや湯気が出そうなほどに真っ赤である。
「諏訪子様っ!」
「あはは、まあなんにせよ、あの河童が神奈子の餌食にならなくてよかったよ」
なんだかはぐらかされたようで心地悪いが、それには早苗も同意である。
本当に、あの河童が機械狂でよかった。
無理だよ~なんて駄々をこねていたら、間違いなく神奈子のオンバシラの墓標にまた名前が増えていただろう。
神奈子はやるといったらやる。
言うこと聞かなかったら私のところに連れて来いとは、そういう意味だ。
「ほんとに、神奈子様も、なにもそこまでしなくても……」
「そりゃあね、早苗のためになることだったら、神奈子も私も何でもやるさ」
そういって諏訪子は笑う。
その言葉の端々に思いがこめられているのが、今の早苗にはよく分かる。
昨日早苗が家に帰ったとき、諏訪子は大泣きしながら飛びついてきた。
「悪い奴にさらわれたのかと思ったよ~」と、本当なのか冗談なのかわからないことをひとしきり心配した後、急に「おなかすいた~」なんて言い出したときは、早苗と神奈子二人して笑った。
作り置きのおにぎりを食べればよかったのに、そう聞くと、
「早苗がいないのに食べても、おいしくないじゃないか」
そうさらっと言ってのけ、せっかく収まった早苗の目頭をまた熱くさせていたというエピソードが残っている。
「まあ、神奈子の計画自体はどうなろうが別にいいんだけどねー」
そう言って、笑いながら諏訪子はぴょこぴょこと神社にはいっていった。
遠く離れた相手とでも話をすることができる機械。
もし実現できれば迷子を捜すのにも便利になるし、夕飯の希望を買い物の最中に伝えることができる。
私の言葉を直接伝えれば、信仰ももっと稼げるかもしれない、なんて神奈子は言っていた。
携帯電話の仕掛けは大掛かりだ。いかににとりが機械狂だとは言っても、実現するかどうかは正直わからない。
だけど、仮に実現できなかったとしても、それはそれでいいかな、と早苗は思う。
この世界では、外の世界のように四六時中メールや電話で意思を確認しあう必要なんて、ないのだ。
「さなえ~、ご飯まだ~?」
早苗を呼ぶ、のったりした声が聞こえる。
そう、これで十分。
「はいはい、今行きますね」
空を見上げれば絶好の洗濯日和。
さて、今日も忙しくなりそうだ。
後日、博麗神社。
「ふっふっふ、地底での一件で通信機の有用性は実証された。この幻想郷初の通信技術を完成させた暁には……この天才科学者にとりの名は伝説のエンジニアとして歴史に名を刻ざまれることに!」
「……あれ、そういえば私が地底に潜ったとき、紫もそんな感じのものを使ってた気がするけど」
「あー、そういえばアリスの人形もなんか会話ができたっけ、あれも紫がどうのって言ってたな」
「な……なんだってぇぇぇぇぇぇぇ!!」
-完-
守矢神社の家族愛と、深く関わってはいない機械狂のにとり。
メインストーリーをしっかりと固めるサイドストーリーがきちんと作られているのが魅力的で、ボリュームも満足できました。
お代ついでに、早苗さんとの電話代も一緒に置いていきますね。
いい話でしたw
これからもがんばってください
早苗さんの葛藤シーン、その後の神様のやりとりにウルッときました。
守矢神社の絆の深さを感じさせてもらいました。
こんな感じの包容力のある神様が僕も欲しい。
次回にも期待してますね。
ところで、 早苗が独りで悩んでいるってことが分った時なんだ」 のわかったの部分は
誤字かな?と思ったので報告させてもらいます。
神奈子の早苗を想う気持ちと早苗の外にたいする葛藤に
惹きつけられました。
にとりに頼んだのは地霊殿へのフラグだったんですねぇ。
彼女も良い味を出してて面白かったです。
早苗と神奈子の話はちょっと泣きそうになりました。
……そういえばさっき携帯が鳴ってたな。確認しておかないと。
「キカイ」をうまく使っていてとても面白かったです。
早苗さん、がんばれ!
それとナイスオチw
文章も読みやすく「つながった」時はにとりの仕掛けに見事に釣られましたよ。
それはそうと早苗さんからの着信があるかを見t(オンバシラ)
守矢一家好きには国宝級の物語ですね。
作者様の、東方世界及びキャラたちへの愛情と理解が感じられました。
携帯電話の呼び出し音で、幻想郷(二柱)と、かつて早苗がいた世界の大切な人との2者択一を表現されている所など、感情移入しすぎて読んでいてドキドキしてしまいました。
その後に、包み込むように早苗が一人で抱えていたその矛盾を解決する神奈子様はカッコいいなあ。
大好きな神奈子様への信仰度がさらに上がってしまいました。
にとりや諏訪子も活き活きしていて、最後まで楽しく拝見させていただきました。
作者さまもどうか良い東方ライフを。
実社会バリににとりと紫で通信技術のシェア獲得戦繰り広げられてそうですね
つまり繋がる!!!
所で「でももし、少ししでも嘘があるなら……」は多分「し」が1個多いと思われられましょうございます。
早苗さんはこういうもろいところと意地をはってつっぱってるところが同居してるってのがすごい魅力。
にとりにも開発をがんばってほしい。
なんだか暗号みたいな文章になっちゃってました^^;
引き込む力がありました。
早苗が現代から幻想郷に来た時の話は結構あるけど面白いの多いねー
とても気持ちのいい作品でした。「ご馳走様です」
読んでみて、ほのぼのした気分になりました。