「男は黙ってリリカ・リバー」
年の頃は十五六。少年はその一言で、並みいるライバル達から『リリカファン倶楽部会員No1』の栄光をつかみ取った。
机の上に仁王立ちをし、拳を握って熱く滾る宣言をした彼の姿は、まさしくその座に相応しい。
争い合った者達は、誰からともなく拍手を送り、彼を称えた。
――その大きすぎる音の所為だろう、誰も、入口の扉ががらりと開く音に気がつかない。
「慧音先生は今日、用事があって来れないそうだから……って、何やってんの……?」
入ってきたのは、今まさに勝鬨をあげている少年と同世代の少女。
背丈はそう大きくなく、年齢にしては低い方か。
首までかかる黒髪が幼さく見えるのを更に助長しているのが、目下、彼女の悩み所。
扉の傍にいた、つまり少年に拍手を送っていた一人が、感が極まりすぎているのだろう、涙ぐみながら応える。
「うぅ、あのね、彼がね、我らがリリカ・プリズムリバーちゃんのファン倶楽部会員の栄えある第一号になったの」
「……ふーん。で、馬鹿みたいに机に乗って叫んでいる、と」
「ウチも頑張ったんだけど、彼の愛には勝てなかったわ……って、うわ、何時の間に!? に、にげ――」
その声が少年に届くよりも早く。
少女は鴉天狗もかくやと言う俊敏な動きを見せ。
今なお机の上で雄叫びをあげる少年へと近づき――渾身の一撃を放った!
「教室で何やってんのよ! 花符‘幻想郷の開花‘ぁぁぁっ!」
「ちのはなさくやっ!?」
少女の修羅の如き左腕は、跳躍しているにも関わらず的確に人体の急所の一つ、鳩尾を捉える。
どむっ、と妙に鈍い音が教室に響き、直後、どさ……と重いモノが倒れる音が耳を打つ。
静まり返る教室。何人たりとも少女に水を差す事は出来なかった。
崩れ落ちた少年以外は。
「お、まえに、その、技は無理……乳が圧倒的に足りな――ガスッ――げふぅ!」
突っ込む所そこなんだ……――誰しもがそう考えたが、無論の事、口には出せない。
打ちつけた事により赤い額にかかる前髪をかき分け、少女はにこりと笑いながら一同に伝える。
「慧音先生は来れないから、今日は自習よ」
「さ、サーっ!」
大衆をまとめるのに必要なものは何か。絶対的な力だ。そう言わんばかりの少女であった。
少年と少女は、所謂幼馴染であり腐れ縁と呼ばれる間柄である。
広くない里なのだから、周り近所みなそうだと言えばその通りなのだが、彼らは家が隣と言う事もあり、殊更関係が深かった。
それはつまり、幼少期に斯様なやり取りを行ったと同義。
『わたしね、おっきくなったらお嫁さんになるのっ』
『お嫁さん? 誰の?』
『えへへぇ、おにーちゃんのっ』
『そっかぁ、じゃあ、僕、頑張って、幸せにするよ』
『んぅ、おにーちゃん、大好き』
春告精が訪れて二人を祝福しようとしたが、余りにも早過ぎると影の様に寄り添う黒い妖精が必死に押し留める。
因みに、時期的に冬だった為、春告精の二匹はパジャマ姿であり大層可愛らしく、眼福眼福と拝められた。
尤も、二人の世界を形成している当時の少年と少女には関心なき事であったが。
――それも、今は昔。
「リリカちゃんと結婚した! 俺はリリカちゃんと結婚したぞぉ!」
「わ、いきなり奇声をあげないでよっ」
「おふぅ……言葉とは裏腹に、体は反応している……ぜふぁ!?」
左肘で一発、体を反転させての右拳でもう一発。
フラワーマスター仕込みのインファイトは同年代の少年を黙らせるのに、十二分の威力があった。
恐るべきは短期間で此処まで仕上げた風見幽香か。
「なぁ、なんでそんなにカリカリしてんだよ。あ、もしかしてアノ」
「幻想‘花鳥風――」
「冗談です。捻りを加えないでください。まじでヤバイデス」
道端にも関わらず、膝を曲げ土に額を付け平伏する少年に、少女は小さな溜息を零す。
(昔はもう少し格好良かったのにな……)
少女とて、幼少期の児戯に何時までもこだわっている訳ではない。
けれど、少年と積み上げた年月の内に幾つかは胸をときめかせる事柄があったのも事実。
春――ひらりと舞い落ちる桜の花を頭に飾ってくれた。
夏――道に咲く百合を手折り贈ってくれた。
秋――秋桜をプリズムリバー楽団に……(あぁ、あの頃からこんなんになっちゃったんだっけ)。
騒霊と自他共に認める彼女達にその花はどうなんだろう、と少女は首を捻ったが、口に出さなかったのは幼い嫉妬心からか。
もう一度、溜息をつく――と。
「……え?」
髪に乱暴な、けれど温かい手の感触。
「溜息ばっかりついていると、すぐ老けこんじまうぞ」
誰の所為だとっ――少女の口から乱暴な言葉が出る寸前、髪に何かが結えられる。
少年の土下座をしていた地点から、少女にはそれが何か目算がついた。
彼女の視界に入っているのは、青紫の花。
「もう枯れかけだけど。確か、好きだったろ? 桔梗」
そして、はにかむような少年の笑顔。
「……いつも、そうだよね」
「んぁ、何がだ?」
「うぅん」
少女は俯き、頭を小さく左右に振る。
少年からは髪に隠れて見えないが、彼女の頬は、周りを彩る紅葉と同じ色。
二人の雰囲気を感じ取ったのか、何処からかお休み直前の秋神様が飛んできて両手をバタバタと動かしている。
が、妹神様に「実るのは早いって! まずはAから!」と訳のわからない事で怒られ、しょんぼりして帰って行った。
「あのね、今日ね、その、お母さんは山に芝刈りに、お父さんは湖に洗濯に行っててねっ」
「妖怪の山と霧の湖か。相変わらず凄ぇな、お前の両親。あー、うん、その、なんだ」
「えと、だから、本日本晩本番にばっちりで、やだ、私、家に一人なのっ」
「わかってるさ。お前の魂を、騒がせてやる」
「おにーちゃん……」
秋神様が神速の速さで戻ってきて、二人の頭上に紅葉を振りまく。
「こんな事もあろうかと、ちゃんと二枚取っておいて良かったな」
朗らかに笑う少年に、少女は顔を真っ赤にしながら呟く。
「そんな、もう、夜は長いけど、いきなり二回な……『取って』?」
「今夜の楽団のチケット。や、ほら、布教も大事だし?」
「あ、それで『魂を騒がせる』ね。なるほど」
ぽんと手を打つ少女。頷き笑う少年。そして、少女の負のオーラに身を寄せ合って怯える秋姉妹。
「幻想‘花鳥風月、嘯風弄月‘ぅぅぅっ!!」
「おまえのたましいをおれにくれー!?」
――ピチューン。
「もう、ほんっと愛想尽きた! あんなの知らない! ねぇ、ちょっと聞いてるの、阿求ちゃん!?」
「聞いてる、聞いてるから、揺らさないでくださいぃぃぃ」
少女に襟元を掴まれ揺さぶられるのは、稗田家の九代目当主・稗田阿求。
少年からダウンを奪ってすぐ後、少女は唇を噛みしめながら稗田家の門をくぐり、友人の阿求に縋りついた。
道端から此処まで耐えに耐えたのだろう、少女は阿求に抱きつくと同時に涙を流し幼子の様にわんわんと泣く。
普段は気丈な少女のその様に、隠しているつもりの加虐心がきゅんきゅんと唸りをあげていた阿求であったが、なりふり構わぬ
声と揺らしに、流石の彼女も堪らず降参の意を示した。
未だ嘆きをあげる少女の両手を肩から外し、着衣を簡単に直してから、阿求。
「えぇと。貴女と彼のごたごたは慣れっこだし、見てる方としてはおもし――」
「うぅ……阿求ちゃん?」
「――ヤキモキする思いだけど。今日に関して言えば、彼は悪くないんじゃないかな」
「……え?」
「どうして、という顔をしているけれど」
口を閉じる阿求。
覗き込んだ少女の瞳には、濃い戸惑いの色。
阿求が言葉をぶつ切りにした理由など、今の少女にわかる訳もない。
ふむぅと一つ唸りをあげ、阿求は再び口を開いた。
「彼の奇行にスキンシップで返すのが日常茶飯事になってるみたいだからわからないでもないけど。
少なくとも、此処に来る前の一撃は、貴女の思い込みが原因よね?」
紡ぎだされる言葉は、まるで弾幕の様に少女を襲う。
「貴女が何を期待したかは知らないけれど、彼は単に貴女をライブに誘っただけでしょう?」
自らの脆い心を守る様に、少女は両手を胸の前で組んだ。
「夜に貴女が一人で寂しくない様に、ね。それを突っぱねたのは、貴女よ」
けれど――。
「愛想を尽かされるのは、どちらでしょうね」
――手と手、指と指の隙間を突くように、言葉は針となり、少女の心を刺した。
「ぅ、ぁ、ぅく、あぁ……ぁ……」
「……とりあえず、胸は貸してあげるけど」
「ひぅ、うぁ、だって、だってぇ……」
「『だって』じゃない。――貴女だって、わかっているんでしょう?」
「うぇ、ぅう、ぐぅ、……ごめん、なさい、ごめんなさい、おにぃちゃん……」
――少女の柔らかな髪と小さな背を軽く撫でながら、阿求は彼女に気付かれぬよう、苦笑する。
(途中からちょぉっと愉しくなって、やり過ぎちゃいましたかね)
しかし、後悔は一瞬。
髪を撫でていた手は結えられた桔梗に触れ。
背を撫でていた手はするりと袖から一枚の紙切れを取り出す。
「もしも、だけど」
「……ふぇ?」
「ぁん、きゅんきゅんと虐めたく……いえいえ」
こほんと咳払いを一つして、阿求は少女に笑いかける。
「『変わらぬ心』が枯れていないのならば、彼の向かったライブに謝りに行かない? ほら」
「え……? あ……! あ……きゅう、ちゃん、ありが、とう、ありがとう……」
「はいはい、早く行った行った」
少女を自室から送り出して、すぐ後に。
「……いるんでしょう、青? 出かける用事はなくなりましたから、お茶を入れてくださいな」
阿求は部屋の外、襖の傍にいた使用人へと声をかける。
「ふむぅ……要らぬ節介でしたかねぇ」
独り言とも意見を求める言とも取れる呟きを零す。
青と呼ばれた妙齢の女性は、進み出て、口元を袖で隠しながら応えた。
己がこの儚き主は、この様な場で不必要な言葉を出す筈がない、と確信して。
「邪魔をするならともかく、助勢をしたのですから、宜しかったのではないですか」
女性の肯定を受け、阿求は首を掻いた――おしつけがましい質問でしたかね。
「ま、ともかく、ですよ。青、賭けませんか?」
「何をです?」
「ヤるかヤらないか」
間。
「いやだってライブ終わるのって真夜中ですよ!? しかも騒霊ライブ! テンションも上がるってもんじゃないですか!」
「そう言う問題ではありません。阿求様、失礼ですが、もう少し言葉を選んだ方が……」
「嫌ですねぇ、青、どれだけ言葉を変えようがやる事は結局同じじゃないですかー」
「嬉しそうに……。それと、その指の形も下品ですよ」
「分かり易いですよね、この形」
片手をぱたぱたと振りながらけらけらと笑う儚い気がした主に、女性はそれでも表情を崩さず、近づく。
「ところで、阿求様」
「何です、青?」
「私は本日のご用事、『幻想郷縁起』の編纂に必要な事、と伺い、チケットも用意したんですが」
「野暮な事を言わないでくださいな。それにプリズムリバーさん達の頁は報告例以外書けていますから」
「ほうほう。つまり、ライブは唯の息抜きであった、とそう仰るのですね」
静寂。
「いや、違、加筆修正をですねふぎぎっ」
「いい加減仕事しろ阿求ー!」
「ふぎぎぃぃぃ!?」
夜を駆け、息を弾ませて、少女は人里の少し外れ、騒霊ライブの本日の開催地へと走りこんだ。
――が、其処で、高垣とも思える人妖の多さに固まる。
少女とて、プリズムリバー楽団の人気のほどは聞いていた。
しかし、これ程までに様々な種族が集まるとは露とも想像していない。
(折角、阿求ちゃんが譲ってくれたんだから……!)
勇気を奮い起し、少女は五歩十歩と進み出る。
が、即座に元いた位置に押し戻された。
阻む壁は、高く強い。
届かない……――少女の心が折れそうになる。
「驚いた。本当にお前が来るとは」
耳に入る聞きなれた声。
振り向いた先にいたのは、薄青色の髪の美しい女性。
「慧音先生!? え、先生こそ、どうして?」
「スタッフだからな。当然であろう」
「すた……って、なんでまた?」
「人里の近くでやるんだ、警備も兼ねて頼まれた」
「あ、それで、今日は寺子屋の方に来れなかったんですね」
うむ、と先生こと上白沢慧音は小さく頷いた。
知人の、しかも尊敬する慧音に出会い、少女の心は軽くなる。
けれども、状況はさして好転していない。
警備をしている慧音に、少年の元へと連れて行って欲しいなどとも言えず、ただ俯く事しかできなかった。
「……どうした? 前に行かないのか?」
「え、ぁ、……でも……」
「あぁ、そうか、チケットを持っていないんだな。お前は、昔からどこか抜けているし」
少女と慧音との付き合いも長い。
慧音が寺子屋を開いてから、少女はずっと彼女の右腕とも言える学級委員を務めていた。
本当は別の委員につきたい事を慧音は知っていたが、幼い子供達からも好かれている少女に無理を言っているのだ。
「あ、いえ、チケットなら――」
そんな慧音だから。
そんな少女だったから。
『誰から』が抜けていても、意味は通じた。
「お前が来たら、通すように言われている。チケットなら、もう受け取っているしな」
慧音の手にあるのは、端に青紫色が薄らとついているチケット。
「あ……。――先生、ありがとうございます! 私、行きますっ」
折れかけた心はより強靭となる。
少女は尋常ならざる身の捌きをもって前へと進み行く。
走って飛んで避けて、駆けて跳ねてかわして、前へ前へと進み出る。
その様を一言で表せば。
「あ、咲夜さん、見てください。お嬢様の様な動きの子が」
「はぁ? 何言っているのよ、美鈴。普通の子が……わぉっ」
吸血鬼もかくや、という動き。
(何処にいるの!?)
とは言え、少女も所詮は人間であり、感覚は通常であった。
これだけの人妖の多さで、探し人一人を見つけるのは困難を極める。
是ならばまだ、迷いの竹林で兎と出会う確率の方が高いのではなかろうか。
爆発的に使った体力は当然の如く消耗している。
少女を支えているのは、もはや気力のみ。
何時までもつだろうか。
しかし、天は彼女を見放さなかった。
声が聞こえる。
誰よりも聞きたい、声が。
少女は、残る気力を振り絞り、おぼろげに聞こえる声の元へと跳ねた。
「おに――」
「うぉぉぉぉぉ、リリカちゃんとチュッチュしたいよぉ!」
「――沈めぇぇぇぇ!」
「ごめすっ!?」
月夜に輝く少女のニー。その気迫は少し離れた場所にいる酒好き鬼を震え上がらせるほど。
最前席で雄叫びをあげていた少年の額を捉え、反動で見事に着地を果たす。
よろめく少年、しかし彼も、ただ喰らっていた訳ではない。
「お前、何時の間に……」
「今来たばっかり! 人前で変な事言わないでよ!」
「じゃなくて。ドロワーズ、卒業していたんだな。俺は嬉し」
左足を軸にして。
少女の体が反転する。
繰り出されるのは七色を思わせる右足。
「アリスさん、技を借りるわ! でゃぁぁぁぁぁっ!」
「それ技じゃなへぶんずそーどっ!?」
胸部を薙ぎ払うように振り向かれ、少年は木端の様に飛んでった。
どんっと少年がぶつかったのは、眼鏡をかけた長身の男性。
「いてて……あれ、霖之助さん?」
「あぁ。相変わらずだな、君達は。と言うか、あの威力がその程度で済むのか」
「はぁまぁ、慣れているんで。……珍しいですね、霖之助さんがこう言う所に来るのって」
「自分からは来やしないよ。誘われたんでね。まぁ、保護者代わりさ」
「あ、後ろの。保護……いるんですかね。えぇと、それじゃ」
青年と彼の後ろにいる少女達にぺこりと頭を下げ、少年は元いた場所――少女のいる場所へと戻って行った。
霖之助は一瞬の騒動に頭を掻き、首を捻って背後にいた少女ヨニンに質問を向ける。
「あぁ言うのを、腐れ縁とでも言うのかね」
「『相変わらず』は、霖之助さんもでしょ。朴念仁。幼馴染って言うのよ」
「私も解らんがなぁ。――にしても、おぃ、アリス、お前、何時の間にあんなの仕込んでたんだよ」
「あら、淑女の嗜みよ。魔理沙、貴女も改めて味わってみる? 勿論、威力は跳ね上がるけど」
「ひっく、弟子よりも師匠の方が強いのは世の理だねぇ」
ご遠慮するぜ、とおどけて白黒魔法使いは返し、店主と紅白巫女、七色人形遣い、酒好き鬼が笑った。
(謝らないといけないのに……)
割と平然な態度で戻ってきた少年に、少女は未だ、夕暮れ時の謝罪をできないでいた。
口を開こうとすれば、折悪く周りの歓声に押し留められる。
袖を引こうとすれば、万歳三唱する少年の脇腹に拳が吸い込まれる。
見上げようとすれば、多すぎる人妖の波に足を取られ、簡単に流されそうになる。
(私は何時もそうだ……)
少女はまた、顔を俯かせる。
(何時も、ちゃんと謝れない)
(何時も、大事な事ばかりが言えない)
(何時も……思いがぐちゃぐちゃになって、何もできない)
ぎゅ、と先程友人に責められた時の様に、両手を胸の前で組む。
――違ったのは。
「なんで、お前はこんな所で泣きそうになってるんだよ?」
――手と手、指と指の隙間を突くように。
「なっ! わ、私は別にっ、それに、あんたからは見えないでしょう!?」
――入ってきた言葉の、温かさ。
「昔からの癖じゃないか。泣きそうな時に、そうやって手を組むの」
どくんっ、と少女の心臓が大きく高鳴る。
思考は、よりぐちゃぐちゃになり、形になりえない。
脆い心が、張りつめた糸が、切れそうになる――寸前。
両肩に腕を置かれ、少年の前へと体を動かされる。
「メインイベントの前だってのに。ほら――」
――レディース、アーンド、ジェントルメーンっっ。
聞きなれぬ拡声器を使った音に気圧され、少女の体が後ろへと揺られる。
とん、とぶつかったのは、当然のように、少年の胸部。
囁かれる声と拡げられた声。
どちらが先に少女の耳を覆ったのだろうか。
「始まるぞ」
――名器と謳われるストラディヴァリウスも裸足で逃げ出すヴァイオリンを操るのは!
――プリズムリバー楽団のリーダー、そして、長女、ルナサ・プリズムリバー!
少女の頭に、声として認識されたのは其処までだった。
その後に続くのは、大気をも揺るがさんばかりの大声援。
団員たる次女、三女が姿を現し、紹介されている度に、脳さえも揺らす大歓声。
流れ込んでくる余りの音に耳を塞ぐ少女。けれど、すぐさま少年の手により優しく剥がされた。
同時に、静寂。そして、騒霊三姉妹の前にふわりと何処からともなく現れ、浮かび上がる各々の楽器。
――音が佇む。
――音がはしゃぐ。
――音が生み出される。
演奏が開始され、数分もしない頃。
少女は、自然と目を閉じた。
耳をより敏感にする為に。
その音は、少女にとって、初めての音だった。
下がったと思ったら高くなる。高くなったと思ったらぐちゃぐちゃになる。
ぐちゃぐちゃになった音は、けれど、不思議な事に一つの音として認識できた。
それはさも、自らの心と重なるようで――少女のぐちゃぐちゃになっていた心も、演奏が終わる頃には纏められていた。
耳に残る余韻を味わった後。
少女は、まず礼を告げようと少年を見上げる。
見上げた少年は、――何時からだろうか――少女を見ていた。
驚く少女。
面食らう少年。
一拍の後、どちらからともなく、笑みが零れた――。
(まず、お礼を言って……)
五回目のアンコールを演奏しきった後。
騒霊三姉妹は礼をし、その場にいた全員の拍手を身に受け、今宵のライブはお開きの運び。
勿論の事、少女も少年も彼女達の姿が見えなくなるまで、手があげる悲鳴など気にせず、その音の一員となっていた。
(その後、謝って……)
少年はその後、少女を明かりのある比較的安全な場所まで案内し、一旦人波の方へと戻った。
何処か真剣な面持ちで、少年は戻る前に言った――やる事が出来た。待っててくれ。
少女はその言い回しを何処か妙だと感じたが、恐らく騒霊の三女にプレゼントでも贈るのだろう、と予想する。
(それで、……うん。頑張ろう、伝えよう)
髪に結えられた、枯れかけの桔梗にそっと触れる。
花言葉は、『変わらぬ愛、変わらぬ心』。
少女はくすりと笑んだ。
(枯れない前に、ね)
「悪ぃ、待たせたな」
聞きなれた声に、まずはと顔をあげ、礼を告げる。
「うぅん。えと、今日、誘ってくれてありが……へ?」
見上げた少年は、絵で描いたようなぼろぼろさだった。
「ち、ちょっと、どうしたのよ、その怪我! 大丈夫なの!?」
「普段、是の数倍痛めつけてる奴がよく言うよ」
「冗談じゃなくて!」
真剣なんだがなぁ、と呟き、少年は問題ないとばかりに体を曲げ、関節を鳴らす。
そうまでされては彼の無事を少女も認めない訳にもいかず、口を噤んだ。
少年にはそんな少女が不貞腐れているように見えて、小さく苦笑を浮かべる。
彼も、先ほどぶつかった店主の様に、朴念仁であり、少女の機微などわかる筈もなかった。
「どうだった、ライブ?」
「え、えと、素敵だったわ。あんたが……ファンのリリカちゃんも可愛かったし。あ、でも、私は長――」
「ファン、か。そう、そうだったんだよなぁ」
ごぅっと一陣の風が吹きつけ、二人は身を震わせる。
「随分と冷えてきたな。とりあえず、帰ろうか」
「あ、うん……え、えとねっ」
「――怪我だけどな」
少女が礼を告げるよりも先に、くるりと彼女に背を向け歩き出した少年は、ぽつりと言った。
「リリカファン倶楽部会員の一番を、返上したんだ」
「……え?」
「まぁ、どつかれてもしょうがない。俺が逆の立場だったらどつくし」
「それって……あの、どうして……?」
「んー、いや、ほれ、自分に嘘は付けないと言うか」
冷える筈だ。雪まで降ってきやがった――少年は空を睨んだ。
睨んだ遥か先にはふよふよと浮く冬の妖怪がいて驚いた。
サービスよぉ。何のサービスだ、こんちくしょう。
下がる体温は、けれど、言葉を吐き出した事により、上がる。
「さっき、他の子を見てて、さ。気持ち、移っちまったからな」
また上がる。
原因は背後から抱きしめてくる、少女の体温。
「ぁ……ぅ、お、にいちゃん……」
ダウンジャケットを傍らの存在に無理やり着せられた春告精が寝ぼけ眼で春を告げ。
バスタイムを過ごしていた為、タオル一枚の秋姉妹が実りを約束し。
少女の熱気に中てられた冬の妖怪が一枚二枚と脱いでいく。
二人は勿論、気付かない。
「おいおい、ガキじゃないんだから、くっつくなって」
「やだ。寒いって言ったもん。くっつけば、暖かいでしょう」
「そりゃそうだけどな。……で、さっき思ったんだけど。お前さ――」
言葉を切り、振り向く少年。
突然の事に少女はバランスを崩し、吸い込まれるように少年の胸に頭をぶつける。
両肩を掴まれ――顔を上気させ、見上げる。
ゆっくりと閉じる瞳に映ったのは、昔と変わらぬ笑顔で微笑む少年。窄められる口。
(……あれ? こう言う時って、口の形は普通なんじゃ?)
(ん? …………ル?)
「ルナ姉ぇに似て、美人なんだなぁ。やぁ、ぜんっぜん気付かなかったよ」
「……………………あ?」
「それに、ほら、髪の長さも似てるし? 胸もこん位って、それはルナ姉ぇに悪いか、あっはっは」
「………………他の子って、もしかしなくても、ルナサ、さん?」
「のんのん、ルナ姉ぇ。我々ファン倶楽部会員はそう呼ぶ」
「…………あー、うん。美人だもんね。私もそう思う」
「おぉ、今なら六番目が空いてる筈だぞ。俺、五番」
「……うん。だから、さっき、私の事見てたんだ」
「おうよっ」
なるほどぉと手を打つ少女。うんうんと笑う少年。そして、少女の昏いオーラに身を寄せ合う妖精と神と妖怪。
少女は、肩にかかる少年の両手を弾きあげ。
右足に履いていた下駄を眼前に浮かし。
振りかざした右手で鼻緒を掴み。
短い前髪に隠された額に。
――貴女の思い込みが原因よね?
――お前が来たら、通すように言われている。
――ルナ姉ぇに似て、美人なんだなぁ。
「無理だよ阿求ちゃん、すいません慧音先生――ルナ姉ぇが余計よぉ、馬鹿ぁぁぁ!」
閃光の様な一撃を、叩きこむ!
「フラワァァァスパァァァァァクっっ!!」
「ぼさつのみぎぃぃぃ!?」
……少女の右腕は今、七色人形遣いの右足を超えた。
豪快に吹っ飛んだ少年の元に、少女はゆらりと赴く。
頭と目を回す少年は、今しばらく朦朧としているだろう。今しばらく。
少女としては全力で拳を入れたのだが、どうやら本当に少年は馴れてしまったらしい。
今はもう降ってきていない雪の残滓が、少年の額に点々と白く、その存在を主張する。
(ありがとう)
(ごめんなさい)
「……ばぁか」
――思いとは裏腹の呟きを零す少女は。
「明日から、花言葉仕込んでいくからね」
――少年がもう少しだけ起きないのを願いながら。
「そんなんじゃ、花屋を継いで貰えないもの」
――小さな舌で、雪を柔らかく舐めとった。
稗田家の主の自室にて。
阿求は少女二人と少年一人を前に、彼女達には見慣れない筆をくるくると回しながら、話を聞いていた。
話題は無論の事、所謂妖怪の事であり、その報告例を増やそうと、阿求は彼女達を頼ったのだ。
「ウチから? あ、ねぇ、お姉さんのソロライブは聞いた事あるけど、リリカちゃんのはないん?」
「貴女は何で西方面の言葉遣いなんですか。んー、そういう話は知りませんねぇ」
「次、俺か。なぁ、プリズムリバー楽団を呼ぶにはどうすりゃいいんだ? 俺だけの為に。なんならルナ姉ぇのソロぐぁぁぁ!?」
「……懲りませんねぇ、貴方も。霧の湖の近く、廃洋館に行けばお願いできるかもしれません」
「あーもぅ! 阿求ちゃんも教えないで! こいつ、やるから!」
「ふふ、その時は、何時もの如く、貴女が止めればいい」
「む……ぐぅ。そ、そーいえば! 阿求ちゃんは寺子屋に来ないのっ?」
「誤魔化したねぇ。まぁ、私が授業をした方が面白いと思うけど。あ、なんなら一席設けて」
「面白いだけじゃ意味がないんじゃない? それに、私が言ったのは、受ける側としてよ」
「……その通りだ。これは一本取られた」
――格好悪いから、製本の時にゃ書き変えましょうかね、と。
<了>
良いですねぇ、心がほんわか致しましたよ
残念だったな!ファン倶楽部一番はこのおr(ry
妖怪と渡り合うには、少年少女にもこの位の力が求められるんですね。
あっきゅんナイスドS。
春が和やかほわほわで、秋がちょっぴりセクシィで、冬がとっても『そこまでよ!』で凄く嬉しい。
でも幽香さんのスペカとアリス直伝マガトロキックってこんなに血腥(ちなまぐさ)かったっけ……。
っつか少年は殴打される度にどれだけ面白い言の葉を紡ぐのかと。
それに少女は何をライブ会場でスタイリッシュクレイジーアクションかましてんですかそんなの大好物だぜ。
気のせいかこの少年少女カッポウは「半熟忍法帳」の「雷太」と「深雪」に酷似している気がひしひしとします。(分かり辛いネタですいません)
あと前回の元ネタの「スワティ」さん自体は実は知ってたの思い出しました。(エクストラとかはよく分からないのです)
本体ごと借りたセガサターンのきゃんきゃん兎でプルな2が情報源でござんした。
むしろキャライラストだけなら14、5年前に購入して貰えた『〇ぁ〇通』の広告ページで御対面済です。(その時にエクストラの広告ページにも御対面した様な)
最後に。
皆…………甘いぜ!
メルのファン倶楽部1番はアリスさんに決まってるじゃまいか!(メルアリって良いよね!)
長くなりました、お気に障りましたら消して下され。では失礼。
それにしても、この阿求ませ過ぎであるww
既存キャラに焦点を合わせずとも、幻想郷らしいほのぼのな雰囲気が滲み出ていたと思います。
いや、お見事でござる。可愛らしい二人の行く末に幸あれ、です。
こういう恋をしてみたい、されてみたいもんです。
>少女ヨンニン
四人、かな?
実は嗜虐はMのほうを指す意味だったりします
花屋の娘さんが多分1,2面ボス程度となら戦えるような…いや、弾幕が出せ無いから難しいか。
少女の将来が絶望的に心配である(超失礼
甘酸っぱい青春をありがとうございました!!
この右……幻想郷(せかい)を奪れる……っ!
どこかで見た稗田家だと思ったら氏の作品だったのですね。
青さん再び。GJ!
冴月さんの事かー!
しかしたくましいな幻想郷、流石強者の子孫だけの事はあるぜ。
でも、妖怪が食い逃げとかする可能性がある
人里の軽食屋のウェイトレスはもっと凄いんだろうな。
思わず騒霊3姉妹の項を確認してしまった……
歴史の表舞台にでない多くの人間も、その中の一員だと。彼らの息遣いを少しでも伝えられたら嬉しいです。
なんて事はいっさい考えていませんでした。作中で一番気に入っている表現は「月夜に輝く少女のニー」です。
以下、コメントレスー。
>>漢様
『求聞史記』が出てからそろそろ二年。たぶん、同じようなやり取りが何百回と繰り返されたんでしょうね(笑。
>>16様
美鈴に挑む者もいるそうですから、ある程度逞しいんじゃないかなぁなんて。慧音の頭突きにも耐えられるようですし。
>>18様
何故!? 今回、駄目駄目なのは阿求さんだけです!(力説すんな
>>謳魚様
叫び声に関しては二つを除いて意味があります。あんだけ不自然なんだからないわけないですね(笑。
二人の関係は典型的なラブコメのソレなので特に意識したものはありません。懐かしいなぁ、ギャグ王。
>>26様
転生を繰り返している阿求さんですから、これ位は余裕なんじゃないかと。耳だけ年増。
>>発泡酒様
一人一人に幻想郷像はあるもんだと思います。私の中の幻想郷はこんな感じという見本になりました。あれ、弾幕は何処いった。
>>リペヤー様
書いておいてなんですが、私はノーサンキューだったり。だって絶対耐えられない(笑。
誤字報告、ありがとうございます。ただ、あとがきに追加させて頂いたとおり、漢字表記はわざと避けています。絶賛後悔中。
>>33様
誤字報告、ありがとうございます。
「嗜めて虐げる」だからSだろうと調べもせずに書いてしまいました。
>>白徒様
懐に飛び込めさえすれば……いや、でも、飛べないし……萃夢想なら、それでも萃夢想なら……!(やかましい
>>36様
ゆうかりん、きっと素質を見抜いて教えたんだと思います。教えんな。
>>38様
です。以前の作品+オリキャラのコンボでどうしようかと思いましたが、本筋には関係ないので出してしまいました。
>>40様
正直、顎が外れる思いでした。ちくしょう……なんてオチを考えやがる……この記憶だけを携えて三日前に戻りたい……!
>>42様
いいなぁ、それ。でもきっと、私が書くと成敗されるのは大妖怪とか月の頭脳になっちゃうと思います。なんてメアリ・スー。
>>53様
騒霊三姉妹+幽香+慧音の項を見て思いつきました。種族や性別の表記がなくて助かった(笑。
一般人の女子にそんなの仕込んだら、ただでさえ片方に偏りまくってる男女の力関係が……
いや、男の方の防御力も自然と上がるだろうから、どっこいどっこいか。
いや「嗜虐」はSですって。Mは「被虐」