なんだろう、視界がぼやける。頭がフラフラする。
「それでは、行ってきます!」
八坂様と諏訪子様に挨拶をし、境内から一歩踏み出した。
その瞬間に、世界が逆転していく様がスローモーションで視界に入り、最後に曇天が見えて、私の意識は途切れた。
◇◇◇
「早苗! 良かった……」
私が目を開けた時、そこは自室の布団の上だった。
視界には心配そうに私を見つめる八坂様と諏訪子様が映っていた。
「私……一体どうしたんですか?」
「倒れたんだよ。熱とかも無いから疲労だね」
「早苗最近頑張りすぎだよ?」
どうやら私は倒れたらしい。しかも疲労でなんて、情けない。
「すみません。もう大丈夫ですから」
「ダーメ!」
起き上がろうとしたのを、諏訪子様に手で制された。
「今日くらいゆっくり休みなよ」
「いえ、しかし今日は霊夢さんの所へ行って分社について話す予定が……」
「それでもダーメ!」
再び起き上がろうとしたのを、今度は八坂様に制された。
「いいから大人しくしてなさい早苗。私はとりあえず栄養のつく物買ってくるから」
「でも休んでしまったら信仰集めが」
「それなら今日は私が行くから、大人しくしてるんだよ?」
そう言って、八坂様は買い物に、諏訪子様は人里へ信仰集めをしに行ってしまった。
神様自身に信仰集めをさせるなんて、本当に駄目なやつだ私は。それに買い物までさせてしまっている。情けなさに涙が出そうだ。
一人で神社に居るのは不思議な気分だった。それも、ただ横になっている状態。
「少しだけでも体力回復しないと……」
一人ぽつりと呟く。
誰にも迷惑をかけてはいけない。でも、今の私じゃ誰にでも迷惑をかけてしまう。
だから今は、とりあえず少し眠ろう。起きたら回復してるだろう。
◇◇◇
今、夢を見ている。
確信が持てたのは目の前に幼い私がいるから。
この夢の中では私は所謂神の視点だ。
しばらく見ていると、どうやら昔の記憶のようだ。
幼い私が、友達と遊んだり、両親と夕食を食べていたりと、平凡なもの。
しかし、私は知っている。両親も友達も、私を見ていないことを。
幼い頃から大抵のことをそつ無くこなしていた私は、周りから『優秀』というレッテルを貼られていた。
『優秀』だけだったらまだ良かった。
私は神様を見ることが出来た。それは既に『優秀』の枠を越えてしまっていた。
『優秀』というレッテルはいつの間にか、『神』というものに変わっていた。
周囲の人間は、私を見ようとせず、私を通して『神』を見ようとしていた。
私がテストで満点を取っても、凄いことをしても、何ができようが周囲の人間は、「出来て当たり前」という感じだった。
巫女としては認められていただろう。でも私自身を、東風谷早苗の存在を認めた者は誰もいなかった。
だから、怖くなった。
もし、今まで出来ていたことが出来なかったらどうなるのだろう。
神様を見聞き出来なくなったら、テストで満点を取れなくなったら、凄いことが出来なくなったら、一体私はどうなるのだろう。
周りから捨てられるのだろうか。両親も友達も、私をけなすのだろうか。
そう考えだしたら、もう止まらなかった。
私は必死になった。
毎日の信仰心も欠かさず、満点を取れるように勉強し、力を使いこなせるよう、努力した。
そうして、現在の私が出来上がった。
周りの人が望む、完璧な東風谷早苗が出来上がったのだ。
そして――
◇◇◇
「……あ」
目が覚めた。
夢の内容はハッキリと覚えていた。
身体はまだ怠かったが、それ以上に心が重かった。
「そして……私は霊夢さんに敗れたんだ」
先程の夢を思い出し、呟く。
完璧になっていた筈の自分。なのにそれを、私の積み重ねてきた全てを否定された。もう、どうすればいいのか分からない。
ふと外を見ると、空は雲で覆われていて、今にも泣き出しそうな天気だった。
そうだ、分社の件を話しに行かなければ。
八坂様と諏訪子様には悪いけど、私はやっぱりじっとしていられない。
起き上がり、博麗神社へ向う。早く行かないと、雨が降ってしまわないうちに。
◇◇◇
「あら、早苗」
「こんにちは霊夢さん」
なんとか雨が降る前に到着出来た。霊夢さんは縁側でいつもと同じ様にお茶を飲んでいた。
「ん? 早苗、あんた大丈夫?」
「え?」
「顔色、悪いわよ」
自分では気付かなかった。顔に出ていたのか。
「大丈夫です。それより分社の様子や現状についてを……」
霊夢さんに歩み寄ろうと、一歩近付く。その度に足がふらつく。
たった数歩、それだけで崩れ落ちそうになる。
「ちょ、ちょっと早苗」
霊夢さんが私を支えに来る。
ああ、迷惑をかけてしまっている。自分が本当に嫌になる。
「大丈夫ですから……離して下さい」
「何言ってんのよ! 駄目でしょうが!」
放っておいて欲しい。苛々する。
「ほら、肩貸すから」
「いいから離して下さい!」
支えていてくれた霊夢さんを無理矢理払う。
私の突然の行動に霊夢さんは目を大きく見開き驚いていた。
「いいから、分社について話しましょう」
霊夢さんには悪いけど、私はもっと頑張らなくちゃいけない。皆が望む私にならなきゃいけないんだ。
「早苗」
優しい声で霊夢さんが私の名前を呼ぶ。
「何をそんなに頑張っているの?」
一瞬何を言われたか分からなかった。周りが望むから頑張っているんだ。
何故そんなことを訊くのか。
「本当の早苗は、何処に居るの?」
「私ならここに居るじゃないですか」
「私が訊いてるのは東風谷早苗という人間のこと」
何を言ってるのか。私には分からなかった。
「私の勘も入ってるけど、何か無理してるわよね」
霊夢さんの言葉が重くのしかかる。
「無理なんて……してません」
「じゃあ、何でそんな顔してるのよ?」
何のことだ。私は今普段通り出来ている筈。
「何で、今にも泣きそうなのよ?」
「え?」
頬に何かが伝う。それが私の涙だと分かるのに時間は要さなかった。
あぁ、何やってんだろう私。上手くしてきた筈なのに。今までそうやって、生きてきたのに。
八坂様にも諏訪子様にも悟られないようにしてきたのに、目の前の巫女には見抜かれた。
空からポツポツと降り注ぐ水。
雨が、降ってきた。
濡れていく身体、だけど悪くない。頬を伝うものが、雨か涙か分からなくなってくれるから。
「早苗」
また優しい声で名前を呼ばれる。
「そんな優しい声で、呼ばないで下さい……」
私の中の感情が自分でも分からない。
見抜かれている恐怖、今後の不安が入り交じる感情。
私が作りあげてきた完璧な東風谷早苗がどうなってしまうのか、私自身にも分からなくなってしまった。
「私は完璧な、皆が望んでいるものにならなくちゃならないんです!」
何故今こんなにも、声を張り上げて言っているのか。
「なのに霊夢さんの言葉や行動は、完璧を崩します!」
完全な八つ当たりだ。自分で何を言ってるのか分からない。意味が分からない。
「これ以上! ……これ以上私を惑わせないで下さい……」
こんなにも感情的になっているのに、頭の隅では冷静に考えていた。
ああ、そうか。私は今までの私が崩れることに、怯えているのだ。
皆が望む、認めている私じゃなければ、見放されるんじゃないかという恐怖が、今でも根付いていて。
「早苗、ここは何処?」
本当の自分が心の部屋に鍵をかけている。
「ここは幻想郷よ」
でも、私はどこかで助けて欲しいと思っていた。
「幻想郷は、全てを受け入れてくれる」
臆病な心の部屋は、きっかけという鍵が無いと開かなかった。
「だから早苗」
もし、これが私の待っていたきっかけなら。
「自分に正直になりなさい」
私は、このきっかけで変われるのだろうか。まだ怖い。臆病な私は、このきっかけという鍵に手は伸ばしていても、まだ掴んでいない。
「でないと、本当の自分を見失うわよ」
霊夢さんにギュッと抱き締められた。
霊夢さんは、縁側に居てあまり濡れて無かった為、濡れた私の身体には温かい。
「私は、臆病なんです。認められてない私は、見放されるんじゃないかって……だから、私には無理です」
「何勘違いしてんのよ」
「え?」
霊夢さんは私の頭にポンと手を乗せる。
「私はあんたを認めてるわよ」
胸が高鳴る。今まで私自身が望んでいた言葉。
認めて欲しかった。私自身という存在を。
そして、私は今やっと認められた。
きっかけという鍵を、私が掴まなくても、霊夢さんから使ってくれた。
嬉しかった。涙が溢れ出そうになるのを堪える。
私のそんな様子を見て、霊夢さんは柔らかい笑みを浮かべる。
「早苗、泣きたい時に泣かないと、笑えなくなっちゃうわよ。だから今は泣いときなさい」
私の全てを壊していく。完璧だった私を壊し、今も我慢してるのに泣けという言葉だけで我慢が崩れた。
「う、うぇぇぇぇぇ」
情けないけれど、声を上げて泣いた。
今だけは、今まで我慢していた分を泣いてやろうと思った。
私が泣いている間、何も言わずに霊夢さんは抱き締めてくれていた。
◇◇◇
「すみません。服汚してしまって」
「あぁ、別にいいわよ」
泣いていた私を抱き締めていたから、霊夢さんの巫女服は濡れていた。
「どうせ雨に濡れていたじゃない」
そう、だから私の巫女服も濡れていた。
「早苗ー!」
「やっぱりここか!」
八坂様と諏訪子様が走って私の所まで来た。
「寝てなさいって言ったでしょうに」
「そうだよ早苗」
「ごめんなさい八坂様、諏訪子様」
謝罪をする私の顔を、八坂様と諏訪子様はじっと見つめる。
「な、何ですか?」
「早苗、何か重荷が降りたような顔だね」
「うん。良かった……」
嬉しそうに言う八坂様と諏訪子様。もしかして、気付かれていたのだろうか。
「気付いてらっしゃったんですか?」
「当たり前でしょ?」
「そうだよ。だって私たちは巫女とか神様の関係以前に家族じゃない。分からない訳が無いよ」
あぁ、本当に私は愚かだった。
最初からお二人は知っていたのか。
それに、お二人はとっくに私を認めていてくれた。私自身を『家族』と。
ただ私が気付かなかっただけだった。
「あんたたち、知ってたならどうして何もしなかったのよ?」
霊夢さんが言う。八坂様がムッとした顔になる。
「仕方無いだろう。何を言っても早苗は大丈夫です、としか言わないんだから」
「本人に大丈夫だって言われると、それ以上踏み込めないからね」
八坂様と諏訪子様は言った。
なら、私は今まで救ってくれようとした手を自分で払っていたのか。
それで上手く悟られて無いと思ってたなんて、私は実に滑稽だった。
「そうだ早苗、体調は大丈夫なのかい?」
「あ、はい。もう大丈夫です」
もう身も心も軽くなっていた。笑顔で八坂様にそれを伝える。
「あ、早苗の笑顔久し振りに見た気がする」
嬉しそうな笑みを浮かべる諏訪子様。
その笑顔でさらに私も笑顔になる。
「あんたたち、お茶くらい飲んでく? まだ分社の話しをしてないしね」
「あ、はい」
「じゃあ私たちも」
「そうだね。一緒に」
霊夢さんが中に入るのに続き、八坂様と諏訪子様も靴を脱いで入る。
私もそれに続いて、入ろうとする。
入る前に、ふと空を見上げると――
「ほら早苗、早くいらっしゃい」
「あ、はい」
もう泣き出す様子は見られない、快晴だった。
>>「私はあんたを認めてるわよ」
こいつは霊夢じゃない、霊夢の皮を被った天使だッ!!
二人の構図は面白かったです。
ありがとうございます。
>>18様
霊夢は本気で悩んだりしてる人には誠心誠意真心愛情いっぱいで相談乗ってくれる気がします。読んで下さりありがとうございます。
>>20様
短くコンパクトにまとめるのに慣れてしまったせいか、今回は気をつけてみましたがまだ描写足りませんでしたか。貴重な意見ありがとうございます。
少しでも楽しんで下さり嬉しいです。
>>21様
少し優しすぎましたかねぇ。でも霊夢は本当は優しい良い子なのだと信じてます。
読んで下さった方、全てに感謝を捧げます!