まどろみから覚めると、私はどうやら不自然な体勢で、しかも椅子に座りながら寝ていたようだった。
机の上には、読みかけの本が開かれたまま置かれていた。
ぼんやりと薄い月明かりが窓から入ってきているのだ、そう長くは寝ていないはず。
「んぁー・・・・・・」
ぐいっと伸びをしてみて、バキバキに固まった体をほぐす。
満月ではないとはいえ、月の光を浴びるのは心地よい。
また気を抜けば、すぐにでも寝入ってしまいそうだった。
吸血鬼にとっては、月の淡い光は人間で言う陽光のようなものだった。
ポッカポカと暖かくって、眠りに誘う、甘く温い――
「くぁぁ・・・・・・・。ねむい」
あくびが出てしまった、みっともない。
誰も見てはいないので恥ずかしくはないけれど、淑女たるものはしたない真似はなるべく避けたかった。
「んぁれ、咲夜は・・・・・・?」
辺りには豪奢な調度品があるばかりで、瀟洒の体現たるメイドの姿は見えなかった。
当然だけれども。
「んぁ」
そこでようやく、自分の体へとタオルケットがかけられていたことに気づいた。
お気に入りだったタオルケットをぎゅっと握り締めてから、頭の中をクリアにしていく。
今日は何か、すべきことはあっただろうか?
そう思って頭の中を(脳はないけれど)検索してみても、これといったことが引っかからない。
つまりは、
「暇なわけだ!」
ピョンっと椅子から飛び降りて、タオルケットを椅子へと放り投げる。
椅子も風邪を引いたらいけないからねと呟いてから、もう一度大きく伸び。
ようやく、眠気のほうも飛んでいってくれた。
「咲夜ー!」
「お呼びですか?」
「え、あれ?」
いつの間にか、傍らには咲夜が微笑みながら控えていた。
時間を止めれるのだから、その間にきたのだろう。
いつまで経っても、相変わらず、変なメイドだ。
「ねぇ咲夜、退屈なんだけど何か面白いことはないかしら」
「そうですねぇ」
手を頬に当てて、考える仕草をする咲夜。
その周りをくるくる周って、ねぇ何かない? と何度も問いかける。
咲夜は困った表情で、うーんと唸るばかりだったのだが、不意に手をポンと叩いた。
「そうですわお嬢様、紅魔館の探検なんていかがでしょう?」
「えー? 紅魔館のことなんて、知り尽くしてるに決まっているじゃないの」
「そうでしょうか? 例えばほら、パチュリー様だとか妹様が何をしているかとか」
「ふぅん・・・・・・。咲夜は知ってるの?」
「知っていますわ」
「じゃあいい、咲夜はついてこなくて」
「かしこまりました。はじめからそのつもりでしたし」
「でも、ヒントだけよこしなさい」
ビシッ! と指を突きつけると、咲夜は悪戯っぽい表情をした。
「シェイクスピアです」
「何それ、それがヒントなの?」
「ええ、そうですわ」
咲夜が微笑んだ。少女特有の、隠し事をしているいじらしい表情だった。
「ま、退屈しのぎにはなるんでしょうね?」
「それに関しては保証しますわ」
「そ! ならいい!」
自室の扉を大きく開け放って、そのまま廊下へと転げ出る。
駆け出さずにはいられない。
楽しいことは全力で当たる、これがレミリア・スカーレットとしての流儀だった。
メイドたちが恭しく礼をするのを全力で無視していって、図書館へと駆ける。
階段を二足飛びで駆け下りて、若干湿っぽい地下道を風のように駆け抜けた。
もう一人の主役、妹のフランドールはここよりもさらに下層の自室にいるはずだ。
たまに館内をフラフラしているけれど、お互い必要以上に干渉しあうこともない。
その点パチュリーならば、誘えばテラスに出てくる程度の出不精。
こちらから訪ねていっても何も不思議ではないどころか、私の来訪を心から喜んでくれるはずだ。
そう思っている間に、地下図書館の前へと辿り着いた。
見た目以上に軽い扉をそっと開けると、高い本棚と暗い空間が私を迎えてくれた。
この場でパチュリーを呼んでもよかったのだが、以前それをしたときこっぴどく叱られた。
「気が散る」「図書館で大声を出すな」「ここは私の領域だ」
あまりにも無礼だったので軽く四の字固めを決めたが、何度も同じ失敗を繰り返すのもスマートではない。
そのため、図書館の埃が舞わないように配慮しながら、ゆっくりと歩いていく。
どこをどう行けばパチェのところへ辿り着けるかは覚えていなかったが、犬も歩けば棒に当たる。
じゃあレミリアが歩けばパチュリーに当たると信じ、会える運命を信じて目を瞑った。
しかし、ほんの数秒で本棚へとキスをかまし、鼻が赤くなった。
引き返したくなった。
「もう、パチェのくせに生意気よ」
八つ当たりだけど、どうせ本人が聞いていないのだから好き放題言える。
本棚を蹴っ飛ばしてやろうかと思ったけど、もしも本棚がひっくり返ったら元に戻すのが大変だ。
鬼の形相をしたパチェが、本を拾い集めるのを睨みつけてきているのを想像しただけで、全身の身の毛がよだつ思いだった。
わざわざ自分の寿命を縮めるような真似はしたくはないので、ここはグッと思いとどまる。
「困ったわねぇ・・・・・・」
走れば埃が舞う。羽をはためかせれば当然舞ってしまう。
結局この薄暗い図書館で取れる選択肢は、ゆっくりと歩いていくしかないのだ。
それにしても、広い図書館だと思う。
図書館は空間を弄って広げているため、元はただの大広間だった場所が、いまでは地平線まで見えそうなぐらいに広い。
一度館全体をそれぐらいに広げさせたけれど、不便なばかりで何もいいことはなかった。
大きな館は領主の力の証。
しかし、手入れがなされていなければそれは逆に、主の品位を貶めることにもなる。
館の掃除はメイドたちがするものだが、咲夜を除いたメイドたちはたいして使えない。
掃除どころか、余計に館を汚すことも珍しくはなかった。
無理難題を言っても咲夜は瀟洒にやってのけるけれど、酷使するばかりが主でもない。
部下のことにきちんと心を配ってこそ、優れた主人と言えるのだ。
さて、図書館の主はどうやら、その心配りが上手く出来ていないようだ。
パチェが子飼いにしている小悪魔が、本を抱えてうとうとと船を漕いでいた。
「こら、そんなところで寝てないの」
「はひっ! す、すみませんパチュリーさま! 寝てなんて・・・・・・ってあれ」
「何ハトが豆鉄砲くらったような顔してるのよ。さっさとパチェのところに連れて行きなさい」
「え、あ、はい。珍しいですね、レミリア様がパチュリー様に会いにくるだなんて」
「気が向いたのよ」
「そうですか、私に付いてきてくださいね、勝手に歩くと迷ってしまいますよ」
そういって小悪魔が、ゆったりとした歩調で歩き出した。
やっぱりこの図書館では、なるべく静かに歩くのが義務付けられているようだ。
「本は抱えたままでいいの?」
「あ、本棚に戻すの忘れてました。でも、このまま置いていくわけにもいかないし、案内してから戻しますよ」
神経質そうなパチェが、のんびり屋の使い魔を使役する理由がさっぱり見えない。
いわゆる凸凹コンビなのだろうと邪推しながら、鼻歌を歌い始めた小悪魔の後をゆっくり着いて行く。
いつでも追い抜ける速度だったけれど、抜いてしまっては道がわからなくなってしまう。
「そういえばレミリア様、幻想地霊伝は読みましたか?」
「パチェが書いた最新の? 読んだわよ、もちろん」
パチェは、この幻想郷で起きた異変を小説のように仕立て上げて本に纏めている。
深い造詣と細やかな心情描写、人間独特の理に適わない行動描写が特に妖怪に受けている。
人間たちの間では、人間が妖怪たちをやっつける冒険活劇として受け止められていて、これまた好評。
河童から間借りした印刷機械が、常にフル稼働だとかなんとか。
人気が出ていることに関してパチェは興味がなかったようだけど、周りは放っておかなかった。
よく書いてもらおうと売り込みに来る者が後を絶たず、しばらくは人払いが大変だった。
本人は誰一人とも会おうとはせずに、淡々と異変を再構成していた。
その本の一冊「幻想紅魔卿」には私とモチーフにしたと思われるキャラクターも登場しており、赤面するような台詞を吐いていた。
また、物語の中の「私」はその「妹」を敬愛しており、「私」はしきりに「妹」を褒めていた。
主人公に負けたときは「妹を頼むわ」とか言いながら死んじゃうしね。
読み物としては面白かったので文句は言わなかったのだけど、さすがにこれは、少しやりすぎなような気がした。
フランドールらしき人物が、虫一匹殺したこともない可憐な少女として描かれているのは、さすがに現実から剥離しすぎている。
若干の私怨が含まれていることは否定できないけれど、これも一読者の意見だと伝えよう。
うんうんと一人腕を組んで頷いていると、小悪魔がくるりとこちらに向きかえって、指を口元に持っていった。
「きっとパチュリー様は今、作業の真っ最中だと思うので、少しここで待っててください。
パチュリー様って、集中を乱されるとものすごぉく機嫌悪くするので!」
バタバタ身振り手振りを交えて説明されなくてもそれぐらいわかる。
いちいち面白い娘だと思っていると、小悪魔はとてとてと小走りで走っていき、堪えきれなくなったあくびをし終わる前に帰ってきた。
ちょっと恥ずかしかったが、何よりも頬を染めて嬉しそうにしている小悪魔に腹が立った。
パチェに対して、この使い魔の首切りも提案しよう。
「というわけで、私はお茶を淹れてきますので、先に行ってくださいませ。
紅茶でいいですよね? パチュリー様は珈琲を愛飲なされているのですが」
「珈琲は好かないわ。よろしく」
「はいっ」
あれほど静かにしろと言っておきながら、また小悪魔は、とてとてと小走りで去っていった。
本当に忙しないなと呆れつつ、案内された方向へと歩を進める。
図書館の一角の薄暗がり、見慣れた後ろ姿がランプの光に浮き上がっていた。
どうせパチェのことだ、本を開いているか書いているかのどちらか。
図書館で会うとき、パチェがその二つ以外の行動をしていたことはなかったように思う。
一度だけ、そうでなかったときがあったような気がするけれど、きっと気がしただけだ。
「ぱーっちぇ」
後ろから腕を回してのしかかると、むきゅーんとパチェが机につっぷした、思った以上に貧弱だった。
「もうちょっと筋肉つけなきゃダメよパチェ。このままじゃ重力に負けてお饅頭になっちゃう」
「少なくとも体重が二十キログラムほど増える事態にはならないから・・・・・。さっさとどきなさい」
「ちぇ、パチェのケチ」
転がり落ちてから改めて向き合うと、パチェは心底迷惑そうに机の上に散らばっていた紙たちを整え始めた。
「ねえパチェ、それって新作の原稿なの?」
「そうだけど、まだ見せないわよ?」
「いいじゃないのケチ、ストーリーぐらい教えなさいよ」
「えっと、とあるお屋敷に住んでいる世間知らずのお嬢様が犬と雉と猿をお供にして、おむすびが転がっていくのを追いかけていくの。
するとそこはいつのまにか、海の底にある竜宮城という絵にも書けない美しさの場所でね。
そこに住んでいたお姫さまをたまたま持っていた藁と交換して、姫を打ち出の小槌にして山姥を小さくして踏み潰すの」
「なにそれ、ごちゃ混ぜになってるだけじゃないの」
「それで我慢しなさいってことよ。さ、私は忙しいから用事がないなら帰ってちょうだい」
犬か猫でも追い払うぐらいにあしらってくるパチェ。
しかし、はいそうですかと素直に帰る吸血鬼がいると思うか魔法使い。
そのガードの甘いわき腹は、既に私のテリトリー。
文字通り、目にも留まらぬスピードでパチェのわき腹を繊細にして大胆にくすぐり上げる。
その瞬間、細い気管がヒグゥと物凄い悲鳴を上げ、珍しく赤みの差していた顔が、一瞬で真っ青に変わる。
あれ、もしかしてやりすぎた?
「パチュリー様ああああああ!」
少女救命中......
「もう死んだらいいのに。太陽に焼かれてそのまま煙になればいいのに。なんなら私がこの場で焼いてあげるけど」
「私の生命力に妬いたって何もならないわよ? 体を鍛えなさい」
「そこになおりなさいレミィ。中までしっかり火を通してあげるから」
どうやら今のパチェには、ジョークを受け入れるだけの心の余裕もないようだ。
せっかく親友の立場からアドバイスをしているのに、聞き入れないどころか余計に不機嫌になるのもどうかと思う。
物憂げにため息を吐いてみせると、パチェもため息を吐いた。ナイスシンクロ。
「レミィ、あなたの頭がクルクルパーなのは前から知っていたけど、本当に邪魔をするだけなら帰ってちょうだい。
今日は特別、忙しい日なのよ。もうすぐここに、お客さんというか依頼主が来ると思うから。あ、小悪魔、本を戻してきて」
「はい、パチュリーさま」
「依頼主って?」
自分で聞いておいてなんだが、大体見当はついた。
大方天狗辺りがマネージャーを務めていて、原稿を上げろと催促してくるに違いない。
すみません、まだできていないんですと頭を下げるのが見られたくないパチェは、私を帰そうとしているのだ。
我ながら名推理、伊達に安楽椅子探偵を名乗っているわけじゃない、開店休業中だけどね。
「まぁ関係ないわね、それにしても何の風の吹き回し? レミィから訪ねてくるだなんて、たまには本でも読む気になった?」
「うーん、退屈しのぎに館の謎を解いて来いって。ヒントがしぇいくすぴあだけよ? まったく、見当もつかないわ」
そういうと、パチェの目元が少しだけ鋭くなった。
「レミィ、あなたはシェイクスピアが誰か知ってる?」
「もちろん知らないわ」
「やっぱり。外の世界の劇作家よ。オペラだとかには興味がなかったのかしら?」
「あいにくね。大体吸血鬼は著作される側なの、なんでわざわざ虚飾のショーを見に行かなければならないのかしら」
「無学は神の呪いであり、知識は天にいたる翼である。レミィが裸の王様なのも、神の呪いかもしれないわね」
「ふん」
パチェには口喧嘩で勝った試しがない。いつも本を読んでいるだけあって、屁理屈をこねさせれば一級品。
八雲紫と口論していい勝負になるのは、うちのパチェぐらいのもんじゃないかしらと密かに思っているほどだ。
まぁでも、知らないんだからしょうがない。
無知は罪なんでしょうけど、無知な者を嘲笑うことほど醜いこともないと思うの。
残念ながらパチェはそういった気質を持っていないらしく、柔らかな頬に手を当ててなにやら考え出した。
持っていたら、友人をやっていないけれどね。
「なるほどわかったわ、その問題の意図と、何を狙っているかも」
「なんなのよ、早く教えてよパチェ」
「じきにわかるから、そこに座ってなさい」
パチェはそう言うと、クッションを放り投げてくれた。
変な顔をした、猫のクッションだった。
クッションに座って、バランスを取る練習をしていると、小悪魔とは違った足音が聞こえてきた。
ぱたぱたとやかましく、図書館ではよく響いた。
「ぱーちゅりー」
くいっと、パチェの目じりが上がる。
この愛らしい声は、我が愚妹フランドールの声。
きっと部屋にいるのが退屈で、図書館に本を借りにきたのね。
「原稿持って来たよー、ぱちぇー添削お願いー」
「な!?」
「あれ、お姉さまだ」
「これが正解よ」
パチェは呆れてため息を吐いて、フランは首を傾げている。
私はというと、いまだに頭の整理が追いつかない。
幻想シリーズの作者はパチュリーで、パチュリーのところにはマネージャーの天狗が来るはず。
その推論は十中八九外れてはいないと思っていた。
しかしフランは分厚い紙の束を抱えていて、確かに添削を頼むと言っていた。
「お姉さま? どうしたの変な顔して、いつも変な顔だけど」
「あんたとあまり変わらないわよ! ・・・・・・ねぇフラン、お姉さまに何か、隠し事してない?」
「ううんしてないよ? いま、パチェに幻想シリーズの新作の添削を頼みにきたんだよ。
パチェったら、私の知らない言葉をたくさん知ってるし誤字脱字もきちんと指摘してくれるから」
ギギギ、とパチェのほうへと顔を向けると、そ知らぬ顔で頭を掻いていた。
「フランが、この幻想シリーズの作者だったの?」
「うん、そうだよ?」
頭が真っ白になった。
「大丈夫よレミィ、このことを知ってるのは私と小悪魔だけだったから・・・・・・。
元々妹様が日記帳に書き留めていたことを、私が本にしてみないかって誘ったのが発端だし、別に隠していたわけじゃなくて」
「私、ずーっと地下室に居たから、魔理沙や霊夢が訪ねてきたときはすごく楽しくって・・・・・・。
それからパチェから色んなお話を聞いて、勝手に想像を膨らませてたの。
もしあの場に私がいて、お姉さまがいたら、どういう風に異変に立ち向かったのかなとか」
てへへと、照れて頭を掻くフラン。
正直、妹のことは部屋に引きこもって遊んでいるだけの上流階級だと思っていた。
雑務に追われず好き勝手にやっている永遠亭の姫――いやけれど、向こうの姫も花や短歌などはものすごいと聞いている。
うちのフランドールも、退屈な時間に特別なスキルを開眼させているのは喜ばしいことだ。
うん、きっとそうだ。
姉たるもの、妹の変化に全く気づかなかったのは自分でもどうかと思う。
というか、お姉ちゃんに教えてくれたっていいじゃないのよ、フラン。
ああダメダメ、フランに興味を持とうとしなかったのは私のほうじゃない。
ダメよレミリア、誰かに責任を擦り付けるだけじゃ何もはじまりやしないの。
「そうなの、いい子ねフラン。まさか、フランがこの幻想郷の一流作家なんだって気づかなかったわ」
「興味がなかっただけ?」
「そんなことないわフラン。今までの作品は全部読んでるわ?」
「ドウセ、パチェが書いてるんダッテ、ソウオモッテタクセニ」
「フラン・・・・・・」
瞳が一瞬、ギラりと刺すようなものへと変わって、思わず一歩後ずさりをしてしまった。
「ううんいいの、別に誰かに認められようって思って、書いてるわけじゃないから。
私はただ、思い出を文字に残しておきたいって思っただけ」
「ふむ・・・・・・」
毒のある言葉も、その後に続いた言葉も、フランの中にある真実なのだろう。
紅い瞳の内で、炎のようなものが揺らめいた。
単に視線を泳がせただけなのだけど、心の内まで見通すことが、運命を視る瞳ですら叶わなかった。
「弱き者よ、汝の名は女なり、ね。レミィ、あなたが折れればいい話じゃないの。
正直に、妹様は何もできない子だって思ってたって言えばいいのよ。
そう思われてたことぐらい、この娘だって気づいているのよ?」
「・・・・・・」
恐る恐る、フランの顔に目線を向ける。
フランは何も言わずに、けれどどこか誇らしげにしていた。
妹のことを、ただ壊すことしか知らない子だと決め付けてきて、私の手で閉じ込めてきた。
でも本当に閉じ篭っていたのは、私の心のほうではなかったのだろうか。
何も出来ない子だと翼をもぎ取り、目を背け続けてきたツケが、今まさにやってきていた。
「いいのよお姉さま、昔のことなんて」
「フラン・・・・・・」
「大事なのはこれからじゃない」
フランの言葉が、愚かな私を憐れんでるように思えてしまった。
きっと、気遣いからきた言葉なのだろうけど、それが余計に私の心に刺さる。
自分の愚かしさに、吐き気すら催してきた。
「ごめんなさいフラン、私をあなたの、一ファンとして扱ってくれないかしら」
「お姉さまが私のファンに? やった!」
フランが、無邪気に笑った。
笑顔の下で、何を考えているかはわからない。
もしかすると、私の事を軽蔑しているのかもしれない、負けを自ら認めた間抜けな奴だって。
嘲われるのが辛くて、私は顔を俯いた。
「やっと、お姉さまに認められることができた」
その言葉に、ふっと顔を上げる。
フランの目の中からは、机の上で揺れ続けるランプの灯にも似ていた炎が、姿を消していた。
ああ・・・・・・。なんて馬鹿だったんだろう。
姉妹でありながら、心のうちも素直に晒せずに、どちらが優位な立場で居られるかだけを考えていたなんて。
フランは私を認めてくれていて、私に受け入れられることだけを望んでいただけだったのに。
それを怖がって拒絶していたのは、私のほう。
「全く、世話が焼ける友人を持ったわ」
パチェが開いていた本を閉じて、ため息を吐いた。
「何百年越しの仲直りをしてるのよ。時間が経つごとに曖昧になっていって、そのチャンスを失っていたのかしら?
まったく、レミィのその瞳は節穴ね。こんな単純なことにすら曇ってしまうだなんて」
「・・・・・・返す言葉もないわよ」
「あら素直ね、いつもだったらすぐに減らず口を叩いて来るくせに。
さ、私はこれから添削をしなきゃいけないから、わかったら帰りなさいよ。
丁度今夜は月が照っているんだから、二人で散歩でもしてきたらいいじゃない」
「わぁ、ねぇお姉さま一緒に行こうよ。一緒にどこかに出かけるだなんてこと、いままでなかったじゃない」
「・・・・・・そうね、たまには妹に付き合ってあげるのもいいわ。それが、姉としての務めよね」
最初から気づいていたけれど、あえて口に出す必要もなかった。
いずれにせよ、あの一言で運命は変わったのだから。
「パチェ、今度私にも色んなことを教えてよ、それが友人としての務めってものよ」
「はいはい、友人ってのも大変なものね」
パチェの苦笑いが本心から出たものじゃないことは、この曇った瞳も見抜いてくれた。
「行こう、お姉さま」
フランに引っ張られて、私は長く暗い地下道を抜けていく。
出口の見えない洞窟を抜けた先は、優しく暖かい、月の光が照らす夜。
「咲夜」
パチュリーは虚空へと、銀の従者の名を呼びかけた。
当然、その言葉に答える者はいない。
「レミィに入れ知恵したのは、あなたなんでしょう十六夜咲夜。まったく、貴女らしいわ。」
相変わらず目の前には、吸い込まれるような暗い闇しかなかった。
しかしそこには、完全で瀟洒なあのメイドが、涼しい顔で立っているように思えたのだった。
ふっとため息を吐いて、パチュリーは本へと目を落とす。
「こう言いたいんでしょう。運命とは、最もふさわしい場所へと魂を運ぶのですわ、パチュリーさまって」
静寂の後、また図書館には、ページをめくる音だけが響いた。
fin
ほかの幻想郷の住人たちにも意外な一面っていうのがあるんでしょうかw
運命と不明の作家、短い最中に広がったほのぼのとしたお話でした。
しかしなんという自分びいき。でもフランならば許せる!
ところで紅魔卿っていうのは誤字ですかね?
紅魔郷と紅魔卿(領主)っていう分け方。
この作品のちょいとよくわからない点。
レミリアはパチュリーが本をだしていることを知っている。しかしフランが実際の作者だった。ということは本の名義はパチュリー?
どうしてそんなことをするのかがわからない。
考えうるのはおそらくパチュリーがなんらかの本を発行している(実際は共著だった)なのは知っているが、あまりよくわからなかったという感じでしょうかね。
さすがにパチュリーが幼いフランを使役して金と名誉は独り占めという暗黒な真実が隠されているわけではあるまい。
などと考える次第です。
それはともかく。
この作品は久方ぶりに文学的な香りを残しており、良い作品だと思いました。
もう少しテーマが明確であればさらによくなる可能性は秘めてますね。シェイクスピアの引用と物語とのリンクをもう少し強くしてほしかったかな。
ところでフラン先生の次回作はまだですか?
>レミィのその瞳は節穴ね。こんな単純なことにすら雲ってしまうだなんて→曇って
冒頭のレミリアがかわいすぎる。パチュリーもかわいすぎる。柔らかい雰囲気ににやけっぱなし。
とてもいいSSでした。
楽しませていただきました。