***
それは、雪にならないのが不思議なくらい、冷たい雨の降る日でした。
こつ、こつ、こつ。夕方を過ぎて夜になろうという人里の、そのさらに外れの道を、小さな杖の音が響きます。誰もいない荒れた道。そこをよたよたと不安な足取りで歩くのは、ある一人の老婆でした。体が濡れないのか分からないような小さな傘を差して、暗い中を一人歩いています。
いいえ、ただ老婆というのも間違いかもしれません。なぜならその老婆はボロボロの木切れともつかない杖をつき、ハギレを縫い固めたようなボロを体に巻きつけているだけだったのですから。まともな持ちものといえば、大事そうに胸に抱えた巾着と、その傘くらいのものでした。
一人道を歩く老婆は、ふるふると体を震えさせて言いました。
「おお、寒い寒い。これは早く家に帰らなければ風邪を引いてしまう」
そういう老婆の顔は、寒さで赤くなっていました。ただ皺の多いその赤い顔は、寒さを気にしないように嬉しげに笑っています。
その理由は、老婆の抱えた巾着にありました。その中には、たくさんの綿がはいっていたのです。老婆が苦しい生活できりつめきりつめ、どうにか貯めたお金で買ったものでした。家まで帰れば、これまでのボロでなくあったかい服が作れる。そう思うと老婆は、なんとなく心が温かくなるような気がするのでした。
ゆっくりとした足取りで、老婆は自分の家まで歩きます。しとしとと降る雨は、降り止む気配を見せません。ちょっと里に長居をしすぎたかもしれないねぇ、そう後悔するのも遅く、老婆が家にたどり着く前にもうすっかり日は落ちてしまいました。妖怪の出る時間です。
老婆は少し足を速めて、家路を急ぎました。家まではもうすぐです。急げばそれほどの時間は掛からないだろう。そう考えた老婆は、ふと自分の家の方を見ました。明かりのついていない古びた家の手前には、老婆が持っている大きな畑があります。しかし、老婆の今の体には余りにも大きな畑で、老婆は手入れするのを諦めていました。
そして老婆はその畑を前に、足をとめました。畑の中になにやら動くものが見えたのです。
老婆は始め、誰かが盗みを働いているのだと思いました。そしてたとえそうだとしても、老婆にそれをとがめる気はありませんでした。確かに昔植えたものがいくらか実をつけてはいるでしょうが、そこは荒れ果てた畑です。そこから盗むとなれば食べ物にもなるかどうか怪しいものばかりでしょう。雨の中わざわざそんなものを盗むほど困っているなら、幾らでも持って行けばいい。老婆はそう考えました。
しかし、しばらくして老婆は気付きました。
その畑の中でうごいているものはどう見ても、手になにかを抱えたり袋に何かをつめたりはしていないようでした。その影はせっせと地面を掘り返しては、また再び地面を埋めていきます。そしてそのたびに、なにやらきらきらと光るものを土の中に入れているようでした。それを一つ入れ終えては、影は疲れたように頭を拭う仕草をします。
おもわず老婆は呟きました。
「……なんだかよくわからないけど、変な人もいたものだねぇ」
もしかしたら妖怪かもしれない、とは思いませんでした。妖怪ならわざわざ人里で畑に何かしようとするとは思えません。でもそういった悪戯が大好きな妖精でも、わざわざこんな寒い雨の日にこんなところを悪戯するとは思えませんでした。夫に先立たれて七年、その畑は手入れの一つも満足にされていません。悪戯をして誰が気付くでしょう。妖精たちならもっと目立つ悪戯をするはずです。
ただ、夫の残した畑が荒れていくのを悲しいと思いながら眺めていた老婆にとって、これはものすごく気になることでした。
仕方ない。そう思って老婆は畑を囲う柵を乗り越えて、畑の中に入っていきました。静かになるべく杖を鳴らさないように注意しながら、その影に近づいていきます。
近づいていくと、その侵入者は意外と小さな体であることが分かりました。見た目からして女の子でしょう。近づいてようやく見えたのはその赤い衣服と、頭につけた葡萄を模した髪飾りでした。長い間そうしていたのでしょう、髪からはぽたぽたと雫が垂れています。
真後ろまで近づいてもまだ老婆に気付かず、びしょぬれになって必死で地面を触る女の子に、老婆は思わず声をかけました。
「……一体、何をしているんだい?」
声にびくりと体を震わせて、その少女は立ち上がると老婆のほうへ向き直ります。にらむような少女の眼に、老婆は柔和な表情を崩しません。しばらくそんなにらみ合いともつかない時間が過ぎ、少女は老婆に背を向けて走り出そうとしました。
しかし、人間の思わぬ登場に驚いていたのでしょう。少女はゆるんだ土に足をすべらせて転んでしまいました。体を覆う赤い服も泥で汚れてしまい、少女はすぐに泥だらけの酷い格好になってしまいます。 老婆は近寄って少女を助けようとしますが、少女は手を振ってそれを阻みます。自分ひとりで大丈夫、そう言いたいのでしょう。
けれども老婆の眼には一人で大丈夫には見えません。泥まみれの体を頑張って起こそうとしている少女は余りにも幼く、しばらくこの雨をうければ風邪でも引いてしまいそうでした。
仕方ないねぇ。老婆は呟くと、自分を雨から守っている傘をそっと少女の上に掲げました。ボロの上から冷たい雨が染み込んできますが、老婆は気にもしません。少女は雨が自分の体に当たらないのに気がついて、立ち上がるのも忘れて老婆のほうを見ました。老婆は優しく微笑みます。
「ほら、お立ち。そのままでは風邪を引いてしまうよ」
老婆に言われたからではないのでしょうが、少女は黙ったまま、ゆっくりと立ち上がりました。
どろどろに服の汚れた少女は、先ほどからの雨で全身濡れています。どこから来たのか分からないが、このまま帰すのも忍びない。老婆はそう考えて、何も言わず少女の手を取りました。
不思議そうに見上げる少女に、老婆は再び微笑むと、こう切り出します。
「そのまま帰るのも寒かろう。悪いことは言わんから、うちでお風呂でも入っていきな」
少女は無言で首を振り、手を離そうとしました。勝手に忍び込んだのにそこまでしてもらうのも恥ずかしい、と考えたのでしょうか。しかし老婆はかたくなにその手を離しませんでした。
老婆はふと思い立ったように悪戯めいた笑みを浮かべると、少し怖い顔で少女に一言言います。
「勝手に人の畑に入っておいて、黙って帰ろうって言うのかい? 虫のいい話だねぇ」
「……ごめんなさい」
そう言われると少女も立つ瀬がありません。幼い顔を歪ませて半ば泣き声で謝ります。老婆が聴いた初めての少女の声でした。
老婆の思っていたよりもしっかりとした声で、少女は謝りました。老婆はそこで再び笑みに戻ると、こう切り出しました。
「謝ってくれるなら、あたしの言うことを聞いてくれてもいいんじゃないのかねぇ」
そう言われてしまうと少女も何もいえません。老婆は黙ったままの少女の手を引いて、しとしとと雨の降る中を小さな傘を傾けて歩いていったのでした。
少女がお風呂から出てくると、そこには布団が敷いてありました。
しかし布団と言っても冬に使うような分厚い暖かいものではありません。夏でも風邪を引いてしまいそうなくらい薄っぺらく、使い古された布団でした。しかも老婆の家は古びていて、そこら中から隙間風が忍び込むのです。少女は暖まった体が少し冷めるような感じがして、思わず体を震わせました。
老婆は布団の横で、風呂上りで頭から湯気を立てる少女に向かって、手招きをします。
「はやく布団へお入り。折角暖まったのに風邪を引いてしまう」
少女がおとなしく布団の中に入ると、老婆は自分の身に纏っていたボロを布団の上から少女に被せてあげました。風邪を引かすまいと家にあげたのに、布団が薄かったから風邪を引かれたなどと言われればたまりません。少女はぬくぬくとした布団から小さく顔を出すと、白い息を吐く老婆に尋ねました。
「おばあちゃんはお風呂に入らないの?」
おばあちゃん、と言われたことが嬉しかったのか、老婆は微笑みながら少女に答えます。
「おばばはね、もう年だからお風呂に入ると眠ってしまって風邪を引くんだよ」
それが嘘だと少女にも分かりました。おそらくもう老婆の家には、風呂を焚くだけの薪もないのでしょう。少女がただでさえ小さい体をさらに小さく縮こませますが、老婆はまるで気にもしていないように笑いました。
「さぁ、もうお休み。明日になったらちゃんとおうちに帰るんだよ」
「……おばあちゃんはどこで寝るの?」
「おばあちゃんは、嬢ちゃんがしっかり寝てから、寝るとするよ」
少女は縮こまるばかりでした。自分のために敷かれたこの布団が、この家にある唯一のものだと気付いたのでしょう。聡い子だねぇ、と老婆は思いながら、少女の頭を撫でてあげました。どことなく秋の果実の匂いがします。
少女は何か別の話を探すように、慌てて老婆に問いかけました。
「おばあちゃんは、家族はいないの?」
「……嬢ちゃんには、家族はいるのかい?」
「お姉ちゃんが一人」
「仲はいいかい?」
「……まあそれなりかなぁ」
少女は自分の姉を思い浮かべているのか天井を見上げてそう言いました。少女の頭に浮かんでいるのはどんな想像でしょうか。老婆はその姿に微笑ましさを感じながら、しかし寂しげな表情で語りました。
「あたしにはね、夫と子どもが三人いたんだよ。男の子が三人ね。
そりゃもう大層仲のいい家族だった。家もお金は無かったけど生活には困らなかった。年食って自分らもいい加減腰も曲がろうかってのに世話焼きな子どもたちでね。よくじいさん……いんや、夫とあたしを助けてくれたもんさ。それこそ畑を耕してくれたりね」
「……」
少女は老婆の顔を見ました。空を見る老婆の仕草は少女と同じようでしたが、想像しているのは全く違うもののようでした。ひゅるり、と隙間風がなでるように老婆の体に届き、衰えた体をすこし震わせます。
老婆は少女の眼に気付かないまま続けます。
「でも夫は、七年前に先に逝っちゃってね。それからが悪かった……子どもらは病気やら怪我やらでだんだんこれなくなって、しまいにゃ誰も来なくなった。そうなるとあたしの方からもなんとなくいきにくくなってね。
……でこの有様さ。まあ誰が悪いってわけでもない。間が悪かったってことなんだろうねぇ」
そこまで話して、少女が黙ってこちらを見ているのに老婆が気付きます。ああ、子どもにするような話じゃなかったね、と少女の幼い顔に少しばかり後悔します。
老婆は今までの暗い雰囲気を飛ばすように笑って、再び少女の頭を撫でました。
「あぁ、しめっぽくなっちゃったねぇ。
さ、早く寝ないと体に悪いよ。はいはい寝た寝た。……そうだそうだ、ちょっと待ってな。嬢ちゃんにいいものを着さしてやろう」
そういうと老婆は不思議そうにする少女を残して、別の部屋に入っていきました。少女が一人残され首を傾げているうちに、老婆はすぐに戻ってきます。その手には、なにやら布のようなものが握られていました。これも老婆が先ほどまで着ていたものと同じく、つぎはぎだらけのボロボロのものです。
老婆は楽しそうに少女の横に腰掛けると、畑で少女と出会ったとき持っていた巾着を取り出しました。中に一杯に詰まった綿をすこしづつ繰り出すと、その服の切れ目から差し入れていきます。そのうち巾着の中から綿がなくなると、老婆の持っていた布は、暖かな半纏に姿を変えていました。
少女にその半纏を着せて上げます。綿のたっぷり入った半纏はとても暖かく、少女は喜びました。老婆は笑いました。
「はい、じゃあ寝ようね。明日も寒いだろうからこれを来て帰るといい。ちょっと格好悪くて、嬢ちゃんは気に入らないかもしれないけどね」
「……ううん。そんなことないよ」
「そうかい? ……だったら嬉しいねぇ」
おやすみ、と少女を寝かしつけようとする老婆に、少女は声をかけました。
「おばあちゃん、一緒に寝たほうがあったかいよ」
「……だめだよ。その布団は二人で入るにゃ小さすぎる。嬢ちゃんが使ってくれたほうがお布団も嬉しいさ」
「私は体が小さいから大丈夫だよ。おばあちゃんが一緒に布団に入ってくれないと、私も気になって寝られない」
「そうかい? ……じゃあ仕方が無いねぇ」
少女がどうしても、と言うので、仕方なく老婆は布団の中に入りました。少女が中に入っていたせいか布団の中は暖かく、老婆は今更になって自分の体が随分と冷えていたのに気付きました。暖かくなってすこし安心したようにゆるんだ老婆の顔を見て、少女は微笑みました。
小さな布団の中で隣り合って横になる老婆と少女。それはまるで本当のおばあちゃんと孫のようでした。少女が囁くように言います。
「おばあちゃんは優しいね。見ず知らずの私にここまでしてくれて」
「そんなことないよ。当たり前さ」
「……ううん。やっぱり優しいよ」
そうかねぇ、ととぼけるようにいう老婆に少女は笑い声を上げました。つられて老婆も笑います。
ひとしきり笑った後、少女はふと優しげな笑顔を老婆に向けて言いました。
「優しくて頑張り屋のおばあちゃんには、ごほうびをあげる」
「ごほうび? ……そうかい。そいつは嬉しいねぇ」
「次の夏になったら、おばあちゃんの子どもたちを呼んで畑を耕すの。そうしたら秋になれば絶対嬉しいことがあるから。絶対だから。約束する」
「そうなのかい? それは楽しみだね」
「あ、おばあちゃん信じてないでしょう。本当なんだか……」
最後まで言い切る前に、少女は大きく口を開けてあくびをしてしまいました。それを見て老婆は、少女の体の上で寝かしつけるようにとんとんと体をたたきながら言います。
「分かったよ、約束だね。……ほら、もう眠ろうね。おやすみ」
「むー」
少女は少し不服そうな顔をしましたが、やっぱり眠たかったのか、おとなしく老婆の言うことに従いました。
「うん、もう寝るよ。おばあちゃんもね。じゃあおやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
少女は目を瞑ってしばらくもしないうちに寝息を立てていました。その寝顔を見ながら、ああ疲れていたんだろうなぁ、と老婆は思いました。そしてしばらくして、老婆にも睡魔が襲ってきました。色々と今日は珍しいこともあったから、自分も疲れていたようです。
老婆は眠る直前に少しだけ惜しむように、少女の頭を撫でました。そしてゆっくりと皺の多い目を瞑ると、すぐに深い眠りの中に落ちていきました。
***
朝老婆が目を覚ますと、自分の隣に少女はいませんでした。辺りを見回しても誰もいません。ただいつもと同じボロボロの自分の家があるだけでした。
夢だったのかねぇ。そう思いながら老婆が布団から身を起こすと、そこには昨晩確かに少女に着せた半纏が、丁寧に折りたたまれて布団の横においてありました。そしてその上には、なにやら折りたたまれた紙切れが乗せてありました。
着て帰れば良かったものを、寒かろうにと思いながら老婆はその紙切れを取りました。そこには一晩泊めてくれたお礼、勝手に畑に入ったことを謝る言葉、加えて昨日の晩少女の言った約束が書いてありました。そして最後のほうには何度も何度もありがとうと書き連ねてあります。
とても上手とはいえない文字でしたが、少女が早起きして必死で書いたのかと思うと、なんとなく老婆は胸が温かい気持ちになりました。
なんだかよく分からないけど、忘れないようにしておこうかね。そう思うと老婆は、その手紙を大事にしまっておくのでした。
***
それからしばらく寒い冬が続き、その次は春が来て、そして夏になりました。老婆はいつも通りボロボロの家で暮らし、たまに人の多い人里に行ったりはしましたが、それから老婆が少女に会うことはありませんでした。
しかし、老婆は少女との約束を忘れてはいませんでした。夏が盛りを迎える前の日に、老婆は自分の息子たちの家を訪ねて歩きます。
尋ねていくまで、老婆は息子たちが自分をどう思うか心配でなりませんでした。もし邪魔だ、帰れなどといわれれば立つ瀬もありません。向かっていく老婆の足取りは自然重いものになりました。
ただ老婆にとっては意外にも、息子たちは決して老婆を邪険にしたりせず、むしろ喜んで迎え入れてくれました。それどころか、出来れば一緒に暮らしたいとさえいってくれます。
老婆は涙を流して喜びました。もし少女が後押ししてくれなければ、会いに行きもしなかったと思うと、少女に感謝せずにはおれませんでした。そして、老婆は少女とのもう一つの約束を守らなければならない。そう思いました。
老婆はひとしきりうれし涙を流した後、息子達にお願いしました。一緒に住まわせてもらうのは申し訳ない。ただもしよかったら、お前たちでじいさんの畑を耕してくれないか。息子たちは戸惑うことなく二つ返事で応じてくれました。老婆は再び涙を流さずにはいれません。再び家族で過ごす時間が出来るのだ。そう思うと涙が止まりませんでした。
そうして残りの夏の間、老婆とその息子たちは荒れた畑を必死で耕しました。すると驚くことに、長い間手入れもされていなかったはずの畑であるのに土は柔らかく、雑草は今植えられたばかりかのように軽く抜き取ることが出来ました。老婆はひどく驚き、そして気付きます。少女があの日言っていたのはこのことだったのだろうか、と。
そして新しく耕された畑に植えられた様々な野菜や果実は、一年で取れるものを初め、本当なら実が取れるようになるまで何年も掛かるはずのものさえすくすくと成長し、秋になるころには売り物になるくらい立派な姿になっていました。
ためしに老婆と息子たちはその野菜や果物を食べてみました。余りにも早く大きくなったものですから、もしかしたら食べられるような味ではないのかもしれない。けれども、そんな心配は杞憂で終わりました。なぜなら老婆達が食べた野菜は、今まで食べたことのないくらいおいしいものだったのです。
老婆たちの作った野菜や果物のうわさは瞬く間に人里に伝わり、人や時には妖怪までそれを買っていくようになりました。そして誰もがそのおいしさに驚き、他の野菜や果物よりはるかに高い値段で喜んで買っていきました。そして全てを売り終えた後には、息子たちと分け合っても生活に困らないくらいのお金が残ったのです。
老婆は息子たちと共に、秋の終わりの人里の収穫祭に行きました。今はもう、ボロボロの服ではありません。隙間風の吹きこんでいた家も、きちんと手直しをされました。今年の冬は、今までのように寒い思いはしなくて済む。そう思うとそんな機会を与えてくれた秋の神様と、そしてあの誰とも知らない少女に感謝せざるを得ませんでした。
人ごみのなか太鼓の音を聞きながら、老婆は息子に手伝ってもらいつつ人を掻き分け掻き分け、前へと歩いていきます。神様に感謝しとかないと罰が当たる。収穫祭の中心には、いつも秋の神様が呼ばれていると聞きました。これまではあまり関係もなく訪れたことはありませんでしたが、今年は特別です。
老婆は必死で中心のほうまで人の波を抜けていくと、人里の上役や人里を守っている守護者などと一緒に、小さく椅子に座って足をぶらぶら、周りを眺めて笑っている一人の少女がおりました。
それはあの時畑に忍び込んでいた、そして一晩ともに過ごしたあの少女でした。紅い服も、頭につけた葡萄の髪飾りもあの時と変わりありません。思わず息子の一人に問いかけます。あのお嬢ちゃんはなにものだい。
すると息子はそんなことも知らなかったのかい、と驚きながら教えてくれました。あれはね、小さくは見えるけれども、姉の静葉様と共に秋を司っていらっしゃる神様、秋穣子様だよ。今日はあの方に感謝するための祭りなのさ。
そこで老婆は初めて、あの時の少女が神様であったことを知ったのです。老婆は思わず少女のほうを見上げます。少女は老婆の視線にどうしてか気がついて、にっこりと笑いました。
そこでようやく老婆は、あの時少女が――神様がなにをしていたのか気がつきました。
あれは畑に忍び込んでいたのではなく、畑がちゃんと収穫できるようにしていてくれていたのだと。そしてきっとあの後また畑に来て、『ごほうび』のために何かしてくれたのだろうと。これまでそんなことを全然考えてもいなかった老婆は心底驚きます。
目を見開いて自分のほうを見る老婆に、秋の神様はその手を小さく振って、声に出さずに老婆に向けて口を開きました。神様の口は小さく遠く、でも老婆には確かになんと言っているのか見えました。神様はあの時のように優しく微笑んで、そして老婆は思わずこみ上げた涙がこぼれるのを抑えられませんでした。
息子達が、突然泣き出した老婆を心配するように、慌てて体を支えます。支えられながらも、老婆は何度も何度も、幾度となく神様に向かって頭を下げました。息子達が何を言っても、老婆の涙は収まりませんでした。むしろ息子達が自分を心配して声をかけ体に触れるたび、感謝してもしたりない気持ちが抑えきれませんでした。
なぜなら老婆の耳には、確かにあの時少女の口にしていたかわいらしい声で、さっきの音の無い言葉が繰り返し、響いていたからです。
よかったね。
それは、雪にならないのが不思議なくらい、冷たい雨の降る日でした。
こつ、こつ、こつ。夕方を過ぎて夜になろうという人里の、そのさらに外れの道を、小さな杖の音が響きます。誰もいない荒れた道。そこをよたよたと不安な足取りで歩くのは、ある一人の老婆でした。体が濡れないのか分からないような小さな傘を差して、暗い中を一人歩いています。
いいえ、ただ老婆というのも間違いかもしれません。なぜならその老婆はボロボロの木切れともつかない杖をつき、ハギレを縫い固めたようなボロを体に巻きつけているだけだったのですから。まともな持ちものといえば、大事そうに胸に抱えた巾着と、その傘くらいのものでした。
一人道を歩く老婆は、ふるふると体を震えさせて言いました。
「おお、寒い寒い。これは早く家に帰らなければ風邪を引いてしまう」
そういう老婆の顔は、寒さで赤くなっていました。ただ皺の多いその赤い顔は、寒さを気にしないように嬉しげに笑っています。
その理由は、老婆の抱えた巾着にありました。その中には、たくさんの綿がはいっていたのです。老婆が苦しい生活できりつめきりつめ、どうにか貯めたお金で買ったものでした。家まで帰れば、これまでのボロでなくあったかい服が作れる。そう思うと老婆は、なんとなく心が温かくなるような気がするのでした。
ゆっくりとした足取りで、老婆は自分の家まで歩きます。しとしとと降る雨は、降り止む気配を見せません。ちょっと里に長居をしすぎたかもしれないねぇ、そう後悔するのも遅く、老婆が家にたどり着く前にもうすっかり日は落ちてしまいました。妖怪の出る時間です。
老婆は少し足を速めて、家路を急ぎました。家まではもうすぐです。急げばそれほどの時間は掛からないだろう。そう考えた老婆は、ふと自分の家の方を見ました。明かりのついていない古びた家の手前には、老婆が持っている大きな畑があります。しかし、老婆の今の体には余りにも大きな畑で、老婆は手入れするのを諦めていました。
そして老婆はその畑を前に、足をとめました。畑の中になにやら動くものが見えたのです。
老婆は始め、誰かが盗みを働いているのだと思いました。そしてたとえそうだとしても、老婆にそれをとがめる気はありませんでした。確かに昔植えたものがいくらか実をつけてはいるでしょうが、そこは荒れ果てた畑です。そこから盗むとなれば食べ物にもなるかどうか怪しいものばかりでしょう。雨の中わざわざそんなものを盗むほど困っているなら、幾らでも持って行けばいい。老婆はそう考えました。
しかし、しばらくして老婆は気付きました。
その畑の中でうごいているものはどう見ても、手になにかを抱えたり袋に何かをつめたりはしていないようでした。その影はせっせと地面を掘り返しては、また再び地面を埋めていきます。そしてそのたびに、なにやらきらきらと光るものを土の中に入れているようでした。それを一つ入れ終えては、影は疲れたように頭を拭う仕草をします。
おもわず老婆は呟きました。
「……なんだかよくわからないけど、変な人もいたものだねぇ」
もしかしたら妖怪かもしれない、とは思いませんでした。妖怪ならわざわざ人里で畑に何かしようとするとは思えません。でもそういった悪戯が大好きな妖精でも、わざわざこんな寒い雨の日にこんなところを悪戯するとは思えませんでした。夫に先立たれて七年、その畑は手入れの一つも満足にされていません。悪戯をして誰が気付くでしょう。妖精たちならもっと目立つ悪戯をするはずです。
ただ、夫の残した畑が荒れていくのを悲しいと思いながら眺めていた老婆にとって、これはものすごく気になることでした。
仕方ない。そう思って老婆は畑を囲う柵を乗り越えて、畑の中に入っていきました。静かになるべく杖を鳴らさないように注意しながら、その影に近づいていきます。
近づいていくと、その侵入者は意外と小さな体であることが分かりました。見た目からして女の子でしょう。近づいてようやく見えたのはその赤い衣服と、頭につけた葡萄を模した髪飾りでした。長い間そうしていたのでしょう、髪からはぽたぽたと雫が垂れています。
真後ろまで近づいてもまだ老婆に気付かず、びしょぬれになって必死で地面を触る女の子に、老婆は思わず声をかけました。
「……一体、何をしているんだい?」
声にびくりと体を震わせて、その少女は立ち上がると老婆のほうへ向き直ります。にらむような少女の眼に、老婆は柔和な表情を崩しません。しばらくそんなにらみ合いともつかない時間が過ぎ、少女は老婆に背を向けて走り出そうとしました。
しかし、人間の思わぬ登場に驚いていたのでしょう。少女はゆるんだ土に足をすべらせて転んでしまいました。体を覆う赤い服も泥で汚れてしまい、少女はすぐに泥だらけの酷い格好になってしまいます。 老婆は近寄って少女を助けようとしますが、少女は手を振ってそれを阻みます。自分ひとりで大丈夫、そう言いたいのでしょう。
けれども老婆の眼には一人で大丈夫には見えません。泥まみれの体を頑張って起こそうとしている少女は余りにも幼く、しばらくこの雨をうければ風邪でも引いてしまいそうでした。
仕方ないねぇ。老婆は呟くと、自分を雨から守っている傘をそっと少女の上に掲げました。ボロの上から冷たい雨が染み込んできますが、老婆は気にもしません。少女は雨が自分の体に当たらないのに気がついて、立ち上がるのも忘れて老婆のほうを見ました。老婆は優しく微笑みます。
「ほら、お立ち。そのままでは風邪を引いてしまうよ」
老婆に言われたからではないのでしょうが、少女は黙ったまま、ゆっくりと立ち上がりました。
どろどろに服の汚れた少女は、先ほどからの雨で全身濡れています。どこから来たのか分からないが、このまま帰すのも忍びない。老婆はそう考えて、何も言わず少女の手を取りました。
不思議そうに見上げる少女に、老婆は再び微笑むと、こう切り出します。
「そのまま帰るのも寒かろう。悪いことは言わんから、うちでお風呂でも入っていきな」
少女は無言で首を振り、手を離そうとしました。勝手に忍び込んだのにそこまでしてもらうのも恥ずかしい、と考えたのでしょうか。しかし老婆はかたくなにその手を離しませんでした。
老婆はふと思い立ったように悪戯めいた笑みを浮かべると、少し怖い顔で少女に一言言います。
「勝手に人の畑に入っておいて、黙って帰ろうって言うのかい? 虫のいい話だねぇ」
「……ごめんなさい」
そう言われると少女も立つ瀬がありません。幼い顔を歪ませて半ば泣き声で謝ります。老婆が聴いた初めての少女の声でした。
老婆の思っていたよりもしっかりとした声で、少女は謝りました。老婆はそこで再び笑みに戻ると、こう切り出しました。
「謝ってくれるなら、あたしの言うことを聞いてくれてもいいんじゃないのかねぇ」
そう言われてしまうと少女も何もいえません。老婆は黙ったままの少女の手を引いて、しとしとと雨の降る中を小さな傘を傾けて歩いていったのでした。
少女がお風呂から出てくると、そこには布団が敷いてありました。
しかし布団と言っても冬に使うような分厚い暖かいものではありません。夏でも風邪を引いてしまいそうなくらい薄っぺらく、使い古された布団でした。しかも老婆の家は古びていて、そこら中から隙間風が忍び込むのです。少女は暖まった体が少し冷めるような感じがして、思わず体を震わせました。
老婆は布団の横で、風呂上りで頭から湯気を立てる少女に向かって、手招きをします。
「はやく布団へお入り。折角暖まったのに風邪を引いてしまう」
少女がおとなしく布団の中に入ると、老婆は自分の身に纏っていたボロを布団の上から少女に被せてあげました。風邪を引かすまいと家にあげたのに、布団が薄かったから風邪を引かれたなどと言われればたまりません。少女はぬくぬくとした布団から小さく顔を出すと、白い息を吐く老婆に尋ねました。
「おばあちゃんはお風呂に入らないの?」
おばあちゃん、と言われたことが嬉しかったのか、老婆は微笑みながら少女に答えます。
「おばばはね、もう年だからお風呂に入ると眠ってしまって風邪を引くんだよ」
それが嘘だと少女にも分かりました。おそらくもう老婆の家には、風呂を焚くだけの薪もないのでしょう。少女がただでさえ小さい体をさらに小さく縮こませますが、老婆はまるで気にもしていないように笑いました。
「さぁ、もうお休み。明日になったらちゃんとおうちに帰るんだよ」
「……おばあちゃんはどこで寝るの?」
「おばあちゃんは、嬢ちゃんがしっかり寝てから、寝るとするよ」
少女は縮こまるばかりでした。自分のために敷かれたこの布団が、この家にある唯一のものだと気付いたのでしょう。聡い子だねぇ、と老婆は思いながら、少女の頭を撫でてあげました。どことなく秋の果実の匂いがします。
少女は何か別の話を探すように、慌てて老婆に問いかけました。
「おばあちゃんは、家族はいないの?」
「……嬢ちゃんには、家族はいるのかい?」
「お姉ちゃんが一人」
「仲はいいかい?」
「……まあそれなりかなぁ」
少女は自分の姉を思い浮かべているのか天井を見上げてそう言いました。少女の頭に浮かんでいるのはどんな想像でしょうか。老婆はその姿に微笑ましさを感じながら、しかし寂しげな表情で語りました。
「あたしにはね、夫と子どもが三人いたんだよ。男の子が三人ね。
そりゃもう大層仲のいい家族だった。家もお金は無かったけど生活には困らなかった。年食って自分らもいい加減腰も曲がろうかってのに世話焼きな子どもたちでね。よくじいさん……いんや、夫とあたしを助けてくれたもんさ。それこそ畑を耕してくれたりね」
「……」
少女は老婆の顔を見ました。空を見る老婆の仕草は少女と同じようでしたが、想像しているのは全く違うもののようでした。ひゅるり、と隙間風がなでるように老婆の体に届き、衰えた体をすこし震わせます。
老婆は少女の眼に気付かないまま続けます。
「でも夫は、七年前に先に逝っちゃってね。それからが悪かった……子どもらは病気やら怪我やらでだんだんこれなくなって、しまいにゃ誰も来なくなった。そうなるとあたしの方からもなんとなくいきにくくなってね。
……でこの有様さ。まあ誰が悪いってわけでもない。間が悪かったってことなんだろうねぇ」
そこまで話して、少女が黙ってこちらを見ているのに老婆が気付きます。ああ、子どもにするような話じゃなかったね、と少女の幼い顔に少しばかり後悔します。
老婆は今までの暗い雰囲気を飛ばすように笑って、再び少女の頭を撫でました。
「あぁ、しめっぽくなっちゃったねぇ。
さ、早く寝ないと体に悪いよ。はいはい寝た寝た。……そうだそうだ、ちょっと待ってな。嬢ちゃんにいいものを着さしてやろう」
そういうと老婆は不思議そうにする少女を残して、別の部屋に入っていきました。少女が一人残され首を傾げているうちに、老婆はすぐに戻ってきます。その手には、なにやら布のようなものが握られていました。これも老婆が先ほどまで着ていたものと同じく、つぎはぎだらけのボロボロのものです。
老婆は楽しそうに少女の横に腰掛けると、畑で少女と出会ったとき持っていた巾着を取り出しました。中に一杯に詰まった綿をすこしづつ繰り出すと、その服の切れ目から差し入れていきます。そのうち巾着の中から綿がなくなると、老婆の持っていた布は、暖かな半纏に姿を変えていました。
少女にその半纏を着せて上げます。綿のたっぷり入った半纏はとても暖かく、少女は喜びました。老婆は笑いました。
「はい、じゃあ寝ようね。明日も寒いだろうからこれを来て帰るといい。ちょっと格好悪くて、嬢ちゃんは気に入らないかもしれないけどね」
「……ううん。そんなことないよ」
「そうかい? ……だったら嬉しいねぇ」
おやすみ、と少女を寝かしつけようとする老婆に、少女は声をかけました。
「おばあちゃん、一緒に寝たほうがあったかいよ」
「……だめだよ。その布団は二人で入るにゃ小さすぎる。嬢ちゃんが使ってくれたほうがお布団も嬉しいさ」
「私は体が小さいから大丈夫だよ。おばあちゃんが一緒に布団に入ってくれないと、私も気になって寝られない」
「そうかい? ……じゃあ仕方が無いねぇ」
少女がどうしても、と言うので、仕方なく老婆は布団の中に入りました。少女が中に入っていたせいか布団の中は暖かく、老婆は今更になって自分の体が随分と冷えていたのに気付きました。暖かくなってすこし安心したようにゆるんだ老婆の顔を見て、少女は微笑みました。
小さな布団の中で隣り合って横になる老婆と少女。それはまるで本当のおばあちゃんと孫のようでした。少女が囁くように言います。
「おばあちゃんは優しいね。見ず知らずの私にここまでしてくれて」
「そんなことないよ。当たり前さ」
「……ううん。やっぱり優しいよ」
そうかねぇ、ととぼけるようにいう老婆に少女は笑い声を上げました。つられて老婆も笑います。
ひとしきり笑った後、少女はふと優しげな笑顔を老婆に向けて言いました。
「優しくて頑張り屋のおばあちゃんには、ごほうびをあげる」
「ごほうび? ……そうかい。そいつは嬉しいねぇ」
「次の夏になったら、おばあちゃんの子どもたちを呼んで畑を耕すの。そうしたら秋になれば絶対嬉しいことがあるから。絶対だから。約束する」
「そうなのかい? それは楽しみだね」
「あ、おばあちゃん信じてないでしょう。本当なんだか……」
最後まで言い切る前に、少女は大きく口を開けてあくびをしてしまいました。それを見て老婆は、少女の体の上で寝かしつけるようにとんとんと体をたたきながら言います。
「分かったよ、約束だね。……ほら、もう眠ろうね。おやすみ」
「むー」
少女は少し不服そうな顔をしましたが、やっぱり眠たかったのか、おとなしく老婆の言うことに従いました。
「うん、もう寝るよ。おばあちゃんもね。じゃあおやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
少女は目を瞑ってしばらくもしないうちに寝息を立てていました。その寝顔を見ながら、ああ疲れていたんだろうなぁ、と老婆は思いました。そしてしばらくして、老婆にも睡魔が襲ってきました。色々と今日は珍しいこともあったから、自分も疲れていたようです。
老婆は眠る直前に少しだけ惜しむように、少女の頭を撫でました。そしてゆっくりと皺の多い目を瞑ると、すぐに深い眠りの中に落ちていきました。
***
朝老婆が目を覚ますと、自分の隣に少女はいませんでした。辺りを見回しても誰もいません。ただいつもと同じボロボロの自分の家があるだけでした。
夢だったのかねぇ。そう思いながら老婆が布団から身を起こすと、そこには昨晩確かに少女に着せた半纏が、丁寧に折りたたまれて布団の横においてありました。そしてその上には、なにやら折りたたまれた紙切れが乗せてありました。
着て帰れば良かったものを、寒かろうにと思いながら老婆はその紙切れを取りました。そこには一晩泊めてくれたお礼、勝手に畑に入ったことを謝る言葉、加えて昨日の晩少女の言った約束が書いてありました。そして最後のほうには何度も何度もありがとうと書き連ねてあります。
とても上手とはいえない文字でしたが、少女が早起きして必死で書いたのかと思うと、なんとなく老婆は胸が温かい気持ちになりました。
なんだかよく分からないけど、忘れないようにしておこうかね。そう思うと老婆は、その手紙を大事にしまっておくのでした。
***
それからしばらく寒い冬が続き、その次は春が来て、そして夏になりました。老婆はいつも通りボロボロの家で暮らし、たまに人の多い人里に行ったりはしましたが、それから老婆が少女に会うことはありませんでした。
しかし、老婆は少女との約束を忘れてはいませんでした。夏が盛りを迎える前の日に、老婆は自分の息子たちの家を訪ねて歩きます。
尋ねていくまで、老婆は息子たちが自分をどう思うか心配でなりませんでした。もし邪魔だ、帰れなどといわれれば立つ瀬もありません。向かっていく老婆の足取りは自然重いものになりました。
ただ老婆にとっては意外にも、息子たちは決して老婆を邪険にしたりせず、むしろ喜んで迎え入れてくれました。それどころか、出来れば一緒に暮らしたいとさえいってくれます。
老婆は涙を流して喜びました。もし少女が後押ししてくれなければ、会いに行きもしなかったと思うと、少女に感謝せずにはおれませんでした。そして、老婆は少女とのもう一つの約束を守らなければならない。そう思いました。
老婆はひとしきりうれし涙を流した後、息子達にお願いしました。一緒に住まわせてもらうのは申し訳ない。ただもしよかったら、お前たちでじいさんの畑を耕してくれないか。息子たちは戸惑うことなく二つ返事で応じてくれました。老婆は再び涙を流さずにはいれません。再び家族で過ごす時間が出来るのだ。そう思うと涙が止まりませんでした。
そうして残りの夏の間、老婆とその息子たちは荒れた畑を必死で耕しました。すると驚くことに、長い間手入れもされていなかったはずの畑であるのに土は柔らかく、雑草は今植えられたばかりかのように軽く抜き取ることが出来ました。老婆はひどく驚き、そして気付きます。少女があの日言っていたのはこのことだったのだろうか、と。
そして新しく耕された畑に植えられた様々な野菜や果実は、一年で取れるものを初め、本当なら実が取れるようになるまで何年も掛かるはずのものさえすくすくと成長し、秋になるころには売り物になるくらい立派な姿になっていました。
ためしに老婆と息子たちはその野菜や果物を食べてみました。余りにも早く大きくなったものですから、もしかしたら食べられるような味ではないのかもしれない。けれども、そんな心配は杞憂で終わりました。なぜなら老婆達が食べた野菜は、今まで食べたことのないくらいおいしいものだったのです。
老婆たちの作った野菜や果物のうわさは瞬く間に人里に伝わり、人や時には妖怪までそれを買っていくようになりました。そして誰もがそのおいしさに驚き、他の野菜や果物よりはるかに高い値段で喜んで買っていきました。そして全てを売り終えた後には、息子たちと分け合っても生活に困らないくらいのお金が残ったのです。
老婆は息子たちと共に、秋の終わりの人里の収穫祭に行きました。今はもう、ボロボロの服ではありません。隙間風の吹きこんでいた家も、きちんと手直しをされました。今年の冬は、今までのように寒い思いはしなくて済む。そう思うとそんな機会を与えてくれた秋の神様と、そしてあの誰とも知らない少女に感謝せざるを得ませんでした。
人ごみのなか太鼓の音を聞きながら、老婆は息子に手伝ってもらいつつ人を掻き分け掻き分け、前へと歩いていきます。神様に感謝しとかないと罰が当たる。収穫祭の中心には、いつも秋の神様が呼ばれていると聞きました。これまではあまり関係もなく訪れたことはありませんでしたが、今年は特別です。
老婆は必死で中心のほうまで人の波を抜けていくと、人里の上役や人里を守っている守護者などと一緒に、小さく椅子に座って足をぶらぶら、周りを眺めて笑っている一人の少女がおりました。
それはあの時畑に忍び込んでいた、そして一晩ともに過ごしたあの少女でした。紅い服も、頭につけた葡萄の髪飾りもあの時と変わりありません。思わず息子の一人に問いかけます。あのお嬢ちゃんはなにものだい。
すると息子はそんなことも知らなかったのかい、と驚きながら教えてくれました。あれはね、小さくは見えるけれども、姉の静葉様と共に秋を司っていらっしゃる神様、秋穣子様だよ。今日はあの方に感謝するための祭りなのさ。
そこで老婆は初めて、あの時の少女が神様であったことを知ったのです。老婆は思わず少女のほうを見上げます。少女は老婆の視線にどうしてか気がついて、にっこりと笑いました。
そこでようやく老婆は、あの時少女が――神様がなにをしていたのか気がつきました。
あれは畑に忍び込んでいたのではなく、畑がちゃんと収穫できるようにしていてくれていたのだと。そしてきっとあの後また畑に来て、『ごほうび』のために何かしてくれたのだろうと。これまでそんなことを全然考えてもいなかった老婆は心底驚きます。
目を見開いて自分のほうを見る老婆に、秋の神様はその手を小さく振って、声に出さずに老婆に向けて口を開きました。神様の口は小さく遠く、でも老婆には確かになんと言っているのか見えました。神様はあの時のように優しく微笑んで、そして老婆は思わずこみ上げた涙がこぼれるのを抑えられませんでした。
息子達が、突然泣き出した老婆を心配するように、慌てて体を支えます。支えられながらも、老婆は何度も何度も、幾度となく神様に向かって頭を下げました。息子達が何を言っても、老婆の涙は収まりませんでした。むしろ息子達が自分を心配して声をかけ体に触れるたび、感謝してもしたりない気持ちが抑えきれませんでした。
なぜなら老婆の耳には、確かにあの時少女の口にしていたかわいらしい声で、さっきの音の無い言葉が繰り返し、響いていたからです。
よかったね。
心が温かくなるようです。
早苗が何を言いたいかというのは
二人とも、そんなに酒を飲んでないで何かしろ・・・・と
いうことでしょうか……。
こんな穣子様がもっと増えたらいいなあ。
どこかしら童話チックな雰囲気がたまらない。
後書きのシメもツボにはまりました。
書き付けて→巻き付けて、でしょうか?
これは良い秋神様のお話。
一生懸命な穣子と、彼女の言葉を信じて行動することで幸せになっていくおばあちゃんの姿に、
心が暖かくなりました。
ただ、後書きの前半分は不要かなぁ、と。
「この物語はフィクションです」ということではないのでしょうが、良作の余韻に浸っているところに
茶々を入れられたみたいで、微妙な気分でした。
いや、穣子と守矢の二柱の対比は面白いんですけどねw
後書きは照れ隠しの一種なのかな・・・ない方が良い気もするけれど、まあとにかく良かったです。
これなら稲田姫様にも怒られないですね~
良い話すぎる
心温まる話をありがとう
描写が豊かで暖かなところも魅力です。うん、いいなあ。
感動して泣いてる私が、きもいきもい。
感動しました。とても心温まる良い話でした。
童話のような雰囲気がとても心地よかったです。
冬になっても頑張る穣子は健気だ、としか言いようがありません。
……ところで、静葉の出番はまだですか?
神よ、お許しを。
昼間っから顔ぐしゃぐしゃにしてる俺きもいきもい。
年末は早く家に帰って親孝行しようと思った。
あなたの文が人の心を動かしたんですよ。
それってすごいことです。
これぞ日本の神様! 冬でも頑張ってね穣子さん!!
ぬくいようぬくいよう
おばあちゃん幸せにな