今日も幻想郷は平和だった。
「……むしろ平和ボケ?」
呆れたように霧雨 魔理沙は呟くが、そんな声は寝言に水、馬の耳に念仏だとばかりに霊夢は大きな欠伸で返した。歯並びどころか喉の奥まで見えるような大欠伸だった。恥ずかしがる様子は皆無であり、恥ずかしがるような相手もいない。
長々と続くような欠伸が消えると、霊夢はその場で丸くなる。
猫のようだった。
「お前の猫度は61点」
「赤点は免れてそうね」
ふぁあ、ともう一度欠伸まじりの声で応え、霊夢はもそもそと姿勢を整える。座布団を半分に折りたたんでまくら代わりにし、縁側に身を横たえ、秋の温かな陽射しをむさぼっている姿はどこからどうみても猫以外の何ものでもなかった。
冬がきたら間違いなくコタツで丸くなるのだろう。
「仮にも巫女が自堕落じゃしまらない気が……」
「いいじゃない、平和なんだから」霊夢は笑みすら浮かべ、「こんなにいい陽気なんだから、妖怪だって昼寝してるわよ」
「妖怪は昼寝て夜動くもんだぜ」
「じゃあ私も妖怪。魔理沙、なんかようかいー」
「…………」
ダメだ脳まで秋ボケしてる――自分で言って自分でくすくす笑う霊夢に対し、魔理沙は諦めるように天を仰いだ。
確かに、良い日だった。
天頂へと昇った太陽は、夏と冬の間をふらつく幻想郷を温かく照らしている。朝晩はだいぶ寒くなってきたが、今日のような陽気もちらほらとあって、こんな日には何もせずに日向ぼっこをしたくなる気持ちもわからなくはないのだ。
東の空には雲がまばらに浮いていて、ゆるやかな風に流されてゆるやかに形を変えている。
神社から見渡せる木々は紅葉に染まりつつあるところだった。実りの秋。果てにある人里では収穫もはじまり、豊穣の神は喜び、冬の妖怪は虎視眈眈と出番を狙っていることだろう。
幻想郷の、秋だった。
「はぁ……」
その秋空の下、神社の境内に立ち、箒に体重をかけて魔理沙は深々と溜息を吐いた。
「遊びにきたんだけど――」
「寝る?」
「あー……」
幸せそうに笑う霊夢ごしに、魔理沙はちらりとその奥を見る。
霊夢の言葉を実践するように、畳の上では萃香が寝こけていた。酒瓶をまき散らし瓢箪を抱き抱え、大の字になってすぴーと高らかなに寝息をたてて眠っている。
この世の苦悩を一切忘れたような寝顔はやっぱり笑っていて、境内に立つ魔理沙のところにまで酒の匂いは漂ってきた。
今アレが疎になったら幻想郷中が酔っ払うな――そんなことを魔理沙は茫洋と考え、子鬼は夢でも見ているのかけたけたと笑った。実は起きているのかもしれない。
「やめとく。川の字になって寝るのは卒業したしな」
「ふーん。へー」
あからさまにやる気と正気の足りていない返事を受け、魔理沙は肩をすくめた。これ以上ここでこうしていてもらちがあかないだろう。
いっそ本当に一緒に寝てしまおうかとも思ったが、その場合ずるずるとだらだらとぐでぐでとしてしまうのが目に見えたのでぐっと我慢する。努力家に堕落は敵なのだ。
「じゃ、また夜に」
「んー」
もう聞いているのかどうかすらわからない返事を聞いてから、魔理沙は箒に跨り直す。軽く地を蹴ると、ふわりと身がうき、地面を惜しむようにスカートが広がり、帽子を片手で押えて空へと跳びあがる。
瞬く間に神社が小さく遠ざかり、地上とは違う風の流れに身体が流されていくのを感じた。
遠く、高くから秋の幻想郷の全景を見渡して、魔理沙は誰にともなく呟いた。
「さぁ――どこへいこうかな」
言葉とは裏腹に、視線はすでに一点を見据えていた。
今日も幻想郷は平和だった。
「……すごく似合わない」
挨拶の代わりにそんな言葉が口からこぼれた。
自分でもそのことはわかっていたのだろう。香霖堂の店主、森近 霖之助は苦々しい顔つきで、来客モドキである魔理沙を見た。
モドキ、というのは、まかり間違っても客を見る目つきではなかったからだ――もっとも魔理沙の側からしても、客だという自覚はほとんどないが。
自宅と神社についで、もっとも過ごす時間の多い場所がこの古道具屋、香霖堂である。勝手知ったる我が家というたとえの通りに、店主の返事もまたずにあがりこみ、了承も得ずに座布団に座り、ついでに止める暇もなく戸棚へと手を伸ばして物色する。店主が隠していたと思しき饅頭を見つけ、ほくほくと笑みながら振り返って一言、
「お茶は?」
「……今さら何を言っても無駄だから言わないけど。それくらいは自分でいれてくれないかい」
「私は客だぜ」
「僕は店主だよ。それに、」
ほら、と霖之助は両の手を魔理沙へと向ける。重労働に向かない白い手は、今は炭で真っ黒に汚れていた。手だけではない。魔理沙が似合わないと指摘した作業着も、所々が汚れている。いつもの和装ではなくそういった姿をしているのは、初めから汚れるとわかっていたからなのだろう。
「汚れ作業」
「人聞きの悪い」
「汚れ」
「人の悪いことを」
霖之助は苦笑し、それで手打ちだとばかりに作業へと戻った。もてなす気はないらしい――わざわざ茶をいれるのも面倒で、魔理沙は座ったまま茫洋と霖之助を見遣る。
ストーブと格闘していた。
暖炉でも薪でもなく、ストーブの整備をしていた。円筒形の外側を開き、内の黒芯を整備している。ずいぶんと古ぼけたものだが、それでも幻想郷にとっては新しい、『外から流れ着いてきたもの』のひとつだ。そういった技術を、香霖堂では扱っている。
ここ最近は、その限りでもないが。
その限りではないため――魔理沙は疑問に思い、思ったままに言葉を吐いた。
「にとりに改造してもらったんじゃないの?」
「そうだよ」
あっさりと応える。そうだよなあ、と魔理沙は呟き、もう一度霖之助が格闘する石油ストーブ――かつては石油ストーブだったもの――を見た。石油給油口のところには、今では黄色地に黒の模様が描かれている。特殊な燃料を使っていることを示す特殊なマークだ。
石油に頼らない半永久的に使えるストーブだと、にとりが自慢していたのを思い出す。
面倒な手間もかからずにいつまでも使える、とにとりが胸を張っていたのを思い出す。
そしてもう一度、ストーブと悪戦苦闘し、手先を黒くする店主を見て、魔理沙は言う。
「壊した?」
「まさか」
「……壊れてた?」
「河童の技術はそこまで酷いものじゃないよ――石油部分だけしか改造しなかったらしくて、面倒な手間がかからないのはそこだけらしい」
「それじゃあ八卦炉の方がマシだぜ」
そうだね、と霖之助は頷き、整備していた黒芯を元の位置に戻した。円筒形を被せ、止め具をはめる。よっこらしょ、と年寄りじみた言葉とともに立ちあがり、黒くなった手をひらひらと振って、
「待っていてもお茶はいれないよ」
「……自分でいれるから遠慮無用」
少しは遠慮してくれ、と霖之助がぼやくのを尻目に、勝手に台所をあさって急須に茶葉をいれる。戸棚に二つあるうちの上等なほうだ。隠された三つ目が一番上等であることは知っているが、さすがにそれを開けるほど無遠慮ではなかった――何かの祝いの席があれば遠慮なく強奪していこうと考えているが。
「祝いといえば」
「ん?」
がちゃがちゃとストーブを動かす音に混じって聞こえる声に、魔理沙は少しだけ声を大きくして答える。
「今夜は神社で宴会だそうだ」
「だそうだって……発案者、誰?」
「私」
「だと思った」
ため息が聞こえたので、笑いを返した。
ヤカンに水を注ぎ、軽く迷った末、八卦炉に火をともす。炎がともった八卦路の上にヤカンをおけば、たちまちに水は湯へと変わる。ああ便利だ有難う八卦炉、と作った本人がすぐそばにいるにもかかわらず物に感謝の言葉を告げる。奥からため息の二つ目が聞こえたが、やはり無理した。
湯を急須に注ぎ、急須から湯のみへと茶を注ぎ、八卦炉を懐にしまいながら座布団へと戻る。霖之助も修理を終えたようで、ストーブは部屋の片隅へと追いやられていた。実際に使うのは冬になってからということなのだろう。汚れた手を雑巾でぬぐいながら、
「里で収穫が終わったからね。そろそろ例年通り供え物で宴会をする頃だと思っていたよ」
「そういうこと。例年通り、各自一品持参だぜ。酒か肴か芸のどれかか全部」
「わかってるよ――日が暮れるころには向かうとするよ。先にはじめていてもかまわないよ」
「言われるまでもないよ」
魔理沙は笑い、湯のみに注いだ茶を一気に飲み干す。熱い。熱いが、少し肌寒くなりつつある季節には心地よい熱さだ。喉を熱いものが嚥下しきるのを待って、どんと机の上に湯飲みを置き、
「片付けよろしく」
「…………かける言葉もない、とはこのことだね」
「そこにあるある。――じゃ、私は村も回ってくるから、」
「うん。じゃあ、またね魔理沙」
拭ってもなお汚れた手をひらひらと振る霖之助に、魔理沙は満面の笑みを返して立ち上がる。箒を手に、さっきくぐったばかりの扉を外へと飛び出す。振り返りはしない。秋の午後は早く、気を抜けばあっというまに夜が来てしまうのだから。
そして、早く夜がこないかなと、魔理沙は思うのだ。
今日も幻想郷は平和だった。
「わかった、今日でいいんだな?」
と一言のうちに頷いたのは慧音だった。あまりにもあっさりとした肯定に、問いかけたほうの魔理沙が面食らって目を丸くしてしまう。方々への連絡のうち、もっとも問題がおきそうなのがここだと思っていたからだ。
そもそも――毎年秋に行われる村から神社への供え物というのは、自発的な年貢のようなものに近い。同じように山にも人里は供え物を送るが、それはむしろ収穫に対するお礼、神への供え物であって、神社へのソレとは質が違う。
妖怪が人里を襲わないように。
幻想郷のバランスが保たれるように。
今日も平和であることを感謝して、博麗神社へと収穫物を送るのだ。こうして巫女は秋は贅沢をする。贅沢をして、冬が来る前に冬眠でもする気かと増えた質量を魔理沙に揶揄されて怒るのが幻想郷の秋の恒例行事である。
そして、今年もそうなると、心の底から信じていたといえば嘘になる。
人里を守る半人半妖、慧音から収穫が終わったから今度供え物をもっていくと連絡を受けたときも、当の巫女はともかく、魔理沙は半身半疑だった。だからこそ、その疑問を確かめるために人里まで来たのだから。
巫女によって、平和は保たれる。
それを感謝し、人は供え物を送る。
それが、常だった――そしてそれは決して磐石のものではないことを魔理沙は知っていた。今の人里は、半身半妖である慧音だけでなく、不死となった人間である妹紅も寄り付くようになっている。神社に頼らずとも、村は村だけでやっていけるはずなのだ。
それに加えて。
「河童から――もらったんじゃなかったのか?」
「うん? 〝小さくても必殺の武器〟のことか?」
「いや、二つ名はどうでもいいんだけどさ……うん、それ。妖怪に対抗できるようにって」
「たしかに貰いはしたが……」
口を濁すように眉をしかめ、慧音は懐に手を伸ばす。ごそごそとあさり、再びあらわになった手には小さな金属製の代物が握られていた。それを見て、魔理沙は思わず息を呑む。
噂には聞いていたのだ。
香霖堂に使ってもなくならない燃料が渡されたように、人里には人間でも妖怪に対抗できるべく河童が開発した武器が送られたのだと。小型ながら、魔力のない人間でも〝弾〟を打ち出すことのできる武器。
小さくても必殺の武器。
少しばかり間の抜けた二つ名ではあるが――とどのつまりは河童製の拳銃である。黒光りするそれを慧音はなんのことなしに取り出し、銃口を魔理沙に向け、
「え、」
何のことなしに引き金を引いた。
「う――おおおぅ!?」
よける暇もなかった。至近距離でスペルカードを宣言なしに放たれるよりもたちが悪かった。ポン、という圧縮した何かが破裂する間抜けな音と共に、銃口から飛び出た弾丸は魔理沙を直撃した。人間でも使うことのできる対妖怪用の武器――そんな知識が一瞬脳裏に浮かび、浮かんだそれが消える暇すらなく衝撃が、
衝撃が、こなかった。
「………………あ?」
「こういうことだ」
困惑する魔理沙を言葉を投げ、慧音はかがんで地面へと手を伸ばす。さっきまで何もなかったそこには、小さな鉄の弾が転がっていた。ひょいとそれを拾い、拳銃ともども懐に戻す。
わけがわからなかった。
いや――なんとなくわかるような気がして、魔理沙は腹へと手を伸ばす。つい一瞬前に拳銃の弾丸があたったはずのそこには、穴ひとつあいていなかった。服が破けてすらいない。衝撃すらなかったため、あたったというのが信じられない――撃たれたということすら夢のようだった。
夢であるはずがなく、幻であるはずもなかった。
その証拠に慧音は苦笑を浮かべ、
「科学の力で人でも弾を撃ち出せる、というのは良いがな……ただの鉄屑では当たってもはじかれるらしい」
私やモコウで試しても駄目だった、と言い、慧音は笑みを深くする。わかっていても撃たれるのは吃驚するからやめてほしいと思うが、いちいち説明されるよりわかりやすかったのは確かだ。
ただの鉄屑。
魔法もこめられていない、魔術もかけられていない、呪いもなければ奇跡もない、意味すら含まれていないただの物では、妖怪を打破することはできないと――慧音は言っているのだ。妖怪とは怪異であり、異常であり、常ならざるものなのだから。常のものでは傷ひとつつけることができない。
「まだ五寸釘のほうがマシなのか。意味ないなあ河童」
「そうでもない。獣狩りには重用しているし……それに、」
「それに?」
魔理沙の問いに、慧音はふいに視線をずらした。何のことなしに視線を追うと、その先には山がある。神様の山ではなく、遠くの果て、博麗神社がある山。そこに住まう巫女を見やるように、慧音は遠くを見つめ、
「鉄屑に祝詞を刻むなり祓ってもらうなりで、妖怪に通じる弾が生まれるかもしれないしな。使うとしてもまだまだこれからだ」
「――結局神社頼みか」
「そっちのほうが高く尽きそうだから、多分しないけれど」
遠くから、近くへと。神社から前に立つ魔理沙へと視線を戻し、慧音は笑った。その笑みは、もう苦笑ではなかった。遠い未来と、近い明日を見据えて、一歩ずつ前へと進んでいく――人間のような、笑い方だった。
どこかくすぐったくなるような気持ちを隠しながら、魔理沙は「違いない」と笑う。弾丸一発一発に南無阿弥陀仏と刻むような面倒な真似を、あの霊夢がするとは思えなかった。自分が同じように魔方陣を弾丸に刻めといわれたらその場で魔法をぶっ放すことだろう。
つまりは、何も変わらない。
「実現すれば変わりはするんだろうが……」
表情から何を考えていたのか読んだのだろうか。慧音ははかったようにそう言って、それから懐に一度手を置いた。その下にある拳銃の重みを確かめるように触れ、それからその手を離すことなく、魔理沙に向かって言葉をつむぐ。
それは人としてのものなのか、
妖としての言葉なのか、わからない言葉を。
「ルールの一部に組み込まれて、それすらも日常の一部になるのだろうな。河童の行為をあの大怪がとめないのはそういうことだろう」
「ああ……」
あの大妖、という言葉に魔理沙は顔をしかめる。神出鬼没で正体不明、うさんくさいことこの上なく――自称幻想郷をもっとも愛する妖怪の顔を、たやすく思い浮かべることができたからだ。確かに彼女なら、それが害となることならば容赦なくとめにくるのだろう。彼女が動いていないというのは、そういうことなのだ。
単純にすでに冬眠してるだけかもしれないけど――そう心の中に浮かんだ思いを、魔理沙はすぐさまに否定する。冬眠するとすれば、冬のたくわえをしなければならない。今日の宴会にはまず間違いなく顔を出すだろう。呼ぼうが呼ぶまいがくるような連中ばかりだ。
溜息ひとつ。
ただし口から漏れた吐息は、どこか笑みの混ざったものだった。
それを感じたのだろう。正面に立つ慧音もまた、懐から手を離し、魔理沙と同じような笑みを浮かべた。その視線は魔理沙を、そしてその背後にある山を――幻想郷を見渡すような優しい目つきだった。
「里もまた、緩やかに変わっていくのだろう。季節のように」
「そしてまためぐる?」
「そういうことだ。さて、私はまだやることがあるから……夕時にはそちらに向かうとしよう。供え物はそのときで構わないな?」
「あーあー先に勝手にやってるから問題ナシ」
いつも通りやりたい放題だな、と慧音は肩をすくめるが、やはりその顔は笑っていた。彼女もまた、宴会を嫌っているわけではない。そして、人と妖がどのような形であれ共存していけることは、人にして妖である慧音にとっては喜ばしいことなのだろう。
人にして魔法使いである魔理沙は、そんな彼女のことを、少しだけほほえましく思って。
けれどその思いを一切顔に出すことなく、いつもの笑みを残して里を去ったのだった。
今日も幻想郷は平和だった。
乾杯、と誰かが言った。
それが何度目の乾杯だったか、すでに魔理沙は数えることができなかった。目の前にはいくつもの空いた瓶や皿がある。宴会をはじめたばかりの頃は西の果てに夕日の紅が見えていたが、今では空は紫を通り越して黒く染まっていた。まばらに見える星と、その中でもはっきりと見える月だけが夜の明かりのはずで――けれど地上の灯火の前には、どこか遠く感じられた。
灯火。
境内の真ん中で盛大にキャンプファイヤーをやっているバカがいたが、そのバカが誰だったか酒の回った頭では思い出せない。落ち葉を集めて火をつけた記憶があるが、きっとそれは自分以外の誰かの記憶だろうと魔理沙は一人納得する。境内の真ん中で炊かれた火は、落ち葉や材木や芋や魚を周辺で焼きながら、ゆっくりとけぶる煙を月へとたなびかせている。
空は暗く、
地は黒く、
けれど地はどこまでもにぎやかだった。
「あははははははは!」
よっぱらった誰かの笑い声が聞こえる。脳に響く声だったが、どこか心地よくもある。炎に揺らぐ向こうで誰かが刀を振り回して踊っている。秋風は寒くなってきたが、境内の炎がおだやかなぬくもりを伝えてくる。冷えはじめる体に、暖めた酒が何よりみ美味しく感じる。
宴会だった。
秋を祝い、
冬へと挑む、
博麗神社の――宴会。人も妖も関係なく集まる、今日を楽しみ、明日を祝う、飲めや食えや歌えや騒げやの大宴会。人よりも妖の方が圧倒的に多いのは何か問題がある気もするが、当の巫女である霊夢が問題視していないからいいやとあっさりと割り切る。
事実、何も問題はなかった。
縁側に座りちびちびと酒を飲む魔理沙は人間である。
酔っ払って木に上り月に向かって電波で吼えるレイセンは妖怪である。
供え物の山を物色して好みの食べ物を熊のようにあさっている霊夢は人間で、石塔をきざ斬って見せましょうと刀に日本酒を吹きかけた妖夢は半人半霊で、一人優雅に火の管理をしている十六夜咲夜も一応は人間だ。その隣で火なんて怖くないよと吼えながらもへたれ腰なチルノは妖精で、それを後ろから蹴り飛ばそうと構えているレミリアは吸血鬼であり、必死にそれを留めている美鈴はなんだかよくわからない妖怪だった。
人がいる。
妖怪がいる。
妖精がいる。
悪魔がいて、悪霊がいて、幽霊がいて、それ以外の何かがいて。
その誰もが、楽しそうに笑いながら、酒を飲んで、騒いでいる。
その宴会の図を、縁側に座り、すべて見渡して――酒に酔った頭で、魔理沙はほろりと、本音をこぼすように。
「ああ――平和だぜ」
それがとても良いことだと信じるような口調で、笑みと共に言うのだった。
今日も幻想郷は平和だった。
明日も、楽園は平和だろう。
† † †
――さて、どうしよう。
「……どうしようもないんじゃないかしら?」
そうよねー、と私はメリーに相づちを打つ。秘封倶楽部のパートナー、マエリベリー・ハーンのことメリーの声には覇気がなくて、それはいつもの通りぽややんとしていた。いたっていつも通り、何も問題がない。
問題があるのはそれ以外で、メリー以外のすべてが問題だらけで、民主的多数決によればおかしいのはメリーの方なのだった。異常がないメリーの頭がとてもおかしい。どっとはらい。
そんな結論を当人に伝えると、メリーはふっくらと頬を膨らませて、
「おかしいのは蓮子もじゃない」
「おかしくてたまらないわね。ちゃんちゃらをかし?」
「そういう意味じゃなくて……まあいいわよ、それでも」
そう言って、メリーはわざとらしい溜息を吐く。深々とした、このまっさらな地にどこまでも広がっていきそうな溜息。
が、それを吐きたいのはこっちも同じだった。むしろ吐きすぎてもうでないくらいだ。
それでも――目の前の光景を見ていると、どこからともなく産まれた溜息が口から洩れた。たぶん、101回目くらいのため息。
そして言う。たっぷりの感慨と清清しいまでの呆れを声に乗せて。
「見っ事に何もないわね――」
「さっぱりしているわね」
「……いいことメリー? 〝何もない〟と〝さっぱりしてる〟の間には深くて浅い断絶があるのよ」
「それ、どっち?」
「間違えた。広くて狭い断絶ね」
「…………」
「ともかく、よ。さっぱりなんて言葉をこの風景に使ったら、さっぱりさんが怒るわよ」
「あぁ、知ってるわ。前時代に一世を風靡した芸人さんね?」
はぁーさっぱりさっぱり、と不思議なポーズをとりながら言うメリーを完全に無視して、私はもう一度眼前の光景を見渡した。
何もない。
見事なくらいに何もない。
素敵なくらいに何もない。
無敵なくらいに何もない。
どんな言葉を使ったところで、見ているものが変わるわけもなかった。結局は一言で説明できてしまう。何もない、というただの一言で十分だった。
そりゃ、大地くらいはある――逆に言えばそれくらいしかないのだ。足元には草木の一本も生えやしない土の大地があって、はるか彼方には丸みを帯びた地平線があって、その間には何もない。土の地面がどこまでも続いているだけだ。
地平線のむこうまで。
地球の反対側まで。
ぐるっと一周してすぐ背後まで。
そして、それ以外には何もない。土に生える草も、草を食べる動物も、動物を食べる人間も、人間の住む家も、家の集まった町も、町をまとめる国も、何ひとつないのだった。
驚くべきことに、交通標語の看板さえないのだ――横断歩道で止まる必要さえない。そもそも横断歩道自体がないけど。
「やっぱり、きれいさっぱり、だわ」
「なーんにも残らなかったわね。残さなかった、の方が近いかな?」
「使っちゃったものね」
正しくその通り、と私は頷く。
ようするに、難しい言葉を使わずに簡潔に言ってしまえばそういうことになる。使ったから、なくなった。それだけのことだ。きれいさっぱり何も残らなかった。もったいない根性ここに極まれり。海さえも全てエネルギー変換してしまったので、もう雨がふることすらないのだった。
――もちろん、細かく原因をつきとめることもできる。というか、一足先に逃げだしたお偉い学者さんたちはいっぱい本を出している。それは三度目の大きな戦争だったり、物質変換技術の台頭だったり消費主義だったり人口変化だったり国家形態の改変だったり対霊技術だったり――色々あったのだが、やっぱり〝あるものをあるだけ使ったら何もなくなった〟という子供でも自明の理がぴったりくる。
ゼロから何かを産むことはできない。そこにあるものを使うしかないのが――その結果が、ハゲ山ならぬハゲ星と化した地球だった。どこまでも荒野が続いている終末以下の光景。ノアの大洪水の方が、水があるだけましだった。
もっとも――
水はないが、〝海〟はある。渡る船も。
「はぁ……なんか間抜けねー」
溜息一つ。
そして私は顔をあげる。彼方に浮かぶ星々を見て時間を知ることができた。ただし月がないため、現在地点を知ることはできない。地球上にはもう何もないから、〝場所〟なんてものにもう意味はないけれど。
星の海があるだけだった。
「使っちゃったものね、月」
「使っちゃったわね、月」
月の浮いていない空は私たちのように間抜けだった。大きな丸が一つないだけで、空はここまでしまらないものなのか。私の能力も半減だ――それも地球上では、の話だ。
それも、そろそろ終わりだ。
私は意を決して、メリーへと視線を下ろして話しかける。彼女は私を見て、いつものように穏やかに微笑んでいた。
「……メリー、どうする?」
「どうするって――別れは充分に惜しんだの?」
「名残惜しむつもりだったけど、こうまでどこを見ても同じだと……」
「だと?」
「飽きたわ」
すっぱりと言ってやった。
メリーが呆れたような顔をするが、神様だって退屈で死ぬのだ。知的好奇心を満たすものがなければ、人なんて生まれることすらできないだろう。
だから――生きにいくのだ。
好奇心を満たしながら。
何かを求めて、果てへ。
この空の向こうへ。
空の果てにある、星の海を越えて、どこかへ。
「じゃ、いきますか」
「いきましょうか、銀河航海士さん?」
からかうように言うメリーに、「その呼び方はやめて」と釘をさす。無駄な釘だけどささずにはいられない。もっとこう、センスのいい呼び方はなかったのだろうか。宇宙船地球号の発明者であるバッキー先生が草葉の陰で泣いてそうなあだ名だった。
地球捨てるんだけど。
月はとっくに推進資材と母船に化けたから、もう戻ってくることもないだろう。
「人間、どこで何が役に立つかわからないものね」
「こんな目だもの、できる限りやってみるわよ――その前に役職名変えるけどね。絶対変える」
地球に残った最後の二人である私たちは、そしてもうじき最後の旅人となる。最後のロケットが空へと昇れば、私たちが去れば、本当に何も残らない。〝地球〟という名の資源を使いきった人類は、ありとあらゆるものを推進剤と船に使って、既に外宇宙を目指している。長い長い旅になるだろう。たどりつくこともなく果てるかもしれない。それでも、いかずにはいられないのだ。
あらたな資源をもとめて。
あらたな故郷をさがして。
あらたな楽園をめざして。
私たちは、旅立つのだ。
「さらば地球よ――ってとこね」
「版権にひっかかるわよ」
「じゃあ、地球は青かった」
「もう青くないわよ?」
「〝私を月に連れてって〟?」
「それならあってるわ」
「じゃ、それで!」
ふらいみーとぅざーむーん、と口ずさみながら、私は歩きだす。メリーは自然に隣に並んで、どちらからともなく手をつないだ。温度すら失われてゆく星の中で、メリーの手だけが温かかった。
温かい。
この温もりがあれば、どこまでもいけると、そう思った。
「いつか――」
最後に(そう、それは多分、この地球で人類が放った、正真正銘〝最後〟の問いなのだろう)問いかけるように、メリーは口ずさんだ。
「――帰って来るのかしら、私たちは?」
「何もないのに?」
「わからないわよ」そう言って、メリーは微笑んでみせた。それはなんというか、地球最後の人間が浮かべるには相応しい、とても素敵な微笑み方だった。「何百年後か、何千年後か。何万年後か何億年後か、遠い遠い未来に帰ってきたときには――何かがあるかもしれないわ。新しい何かが生まれ、育ち、死に、生まれて、栄えているかもしれない。今の私たちよりもずっと素敵な形で、今度こそ間違えないで。いえ、今だって。物質によらない、何かが失われずに残っているかもしれないわよ」
「それはなんとも――」
微笑むメリーを見て、それから私は最後に、ぐるりとあたりを見渡した。三百六十度何もない荒野が続いている。地球上どこを見ても同じ光景のはずで、何ひとつとして残っていない。
目に見えるものは。
だから、残っているとすれば、それはメリーのいうように物質によらない何かなのだろう。
だから――
微笑むメリーに、私はたぶん似たような微笑みを返して、地球最後の答えを返したのだった。
「――夢のある話だわ」
そして少女たちは地球を離れる。
あとには、楽園だけが残された。
(了)
「……むしろ平和ボケ?」
呆れたように霧雨 魔理沙は呟くが、そんな声は寝言に水、馬の耳に念仏だとばかりに霊夢は大きな欠伸で返した。歯並びどころか喉の奥まで見えるような大欠伸だった。恥ずかしがる様子は皆無であり、恥ずかしがるような相手もいない。
長々と続くような欠伸が消えると、霊夢はその場で丸くなる。
猫のようだった。
「お前の猫度は61点」
「赤点は免れてそうね」
ふぁあ、ともう一度欠伸まじりの声で応え、霊夢はもそもそと姿勢を整える。座布団を半分に折りたたんでまくら代わりにし、縁側に身を横たえ、秋の温かな陽射しをむさぼっている姿はどこからどうみても猫以外の何ものでもなかった。
冬がきたら間違いなくコタツで丸くなるのだろう。
「仮にも巫女が自堕落じゃしまらない気が……」
「いいじゃない、平和なんだから」霊夢は笑みすら浮かべ、「こんなにいい陽気なんだから、妖怪だって昼寝してるわよ」
「妖怪は昼寝て夜動くもんだぜ」
「じゃあ私も妖怪。魔理沙、なんかようかいー」
「…………」
ダメだ脳まで秋ボケしてる――自分で言って自分でくすくす笑う霊夢に対し、魔理沙は諦めるように天を仰いだ。
確かに、良い日だった。
天頂へと昇った太陽は、夏と冬の間をふらつく幻想郷を温かく照らしている。朝晩はだいぶ寒くなってきたが、今日のような陽気もちらほらとあって、こんな日には何もせずに日向ぼっこをしたくなる気持ちもわからなくはないのだ。
東の空には雲がまばらに浮いていて、ゆるやかな風に流されてゆるやかに形を変えている。
神社から見渡せる木々は紅葉に染まりつつあるところだった。実りの秋。果てにある人里では収穫もはじまり、豊穣の神は喜び、冬の妖怪は虎視眈眈と出番を狙っていることだろう。
幻想郷の、秋だった。
「はぁ……」
その秋空の下、神社の境内に立ち、箒に体重をかけて魔理沙は深々と溜息を吐いた。
「遊びにきたんだけど――」
「寝る?」
「あー……」
幸せそうに笑う霊夢ごしに、魔理沙はちらりとその奥を見る。
霊夢の言葉を実践するように、畳の上では萃香が寝こけていた。酒瓶をまき散らし瓢箪を抱き抱え、大の字になってすぴーと高らかなに寝息をたてて眠っている。
この世の苦悩を一切忘れたような寝顔はやっぱり笑っていて、境内に立つ魔理沙のところにまで酒の匂いは漂ってきた。
今アレが疎になったら幻想郷中が酔っ払うな――そんなことを魔理沙は茫洋と考え、子鬼は夢でも見ているのかけたけたと笑った。実は起きているのかもしれない。
「やめとく。川の字になって寝るのは卒業したしな」
「ふーん。へー」
あからさまにやる気と正気の足りていない返事を受け、魔理沙は肩をすくめた。これ以上ここでこうしていてもらちがあかないだろう。
いっそ本当に一緒に寝てしまおうかとも思ったが、その場合ずるずるとだらだらとぐでぐでとしてしまうのが目に見えたのでぐっと我慢する。努力家に堕落は敵なのだ。
「じゃ、また夜に」
「んー」
もう聞いているのかどうかすらわからない返事を聞いてから、魔理沙は箒に跨り直す。軽く地を蹴ると、ふわりと身がうき、地面を惜しむようにスカートが広がり、帽子を片手で押えて空へと跳びあがる。
瞬く間に神社が小さく遠ざかり、地上とは違う風の流れに身体が流されていくのを感じた。
遠く、高くから秋の幻想郷の全景を見渡して、魔理沙は誰にともなく呟いた。
「さぁ――どこへいこうかな」
言葉とは裏腹に、視線はすでに一点を見据えていた。
今日も幻想郷は平和だった。
「……すごく似合わない」
挨拶の代わりにそんな言葉が口からこぼれた。
自分でもそのことはわかっていたのだろう。香霖堂の店主、森近 霖之助は苦々しい顔つきで、来客モドキである魔理沙を見た。
モドキ、というのは、まかり間違っても客を見る目つきではなかったからだ――もっとも魔理沙の側からしても、客だという自覚はほとんどないが。
自宅と神社についで、もっとも過ごす時間の多い場所がこの古道具屋、香霖堂である。勝手知ったる我が家というたとえの通りに、店主の返事もまたずにあがりこみ、了承も得ずに座布団に座り、ついでに止める暇もなく戸棚へと手を伸ばして物色する。店主が隠していたと思しき饅頭を見つけ、ほくほくと笑みながら振り返って一言、
「お茶は?」
「……今さら何を言っても無駄だから言わないけど。それくらいは自分でいれてくれないかい」
「私は客だぜ」
「僕は店主だよ。それに、」
ほら、と霖之助は両の手を魔理沙へと向ける。重労働に向かない白い手は、今は炭で真っ黒に汚れていた。手だけではない。魔理沙が似合わないと指摘した作業着も、所々が汚れている。いつもの和装ではなくそういった姿をしているのは、初めから汚れるとわかっていたからなのだろう。
「汚れ作業」
「人聞きの悪い」
「汚れ」
「人の悪いことを」
霖之助は苦笑し、それで手打ちだとばかりに作業へと戻った。もてなす気はないらしい――わざわざ茶をいれるのも面倒で、魔理沙は座ったまま茫洋と霖之助を見遣る。
ストーブと格闘していた。
暖炉でも薪でもなく、ストーブの整備をしていた。円筒形の外側を開き、内の黒芯を整備している。ずいぶんと古ぼけたものだが、それでも幻想郷にとっては新しい、『外から流れ着いてきたもの』のひとつだ。そういった技術を、香霖堂では扱っている。
ここ最近は、その限りでもないが。
その限りではないため――魔理沙は疑問に思い、思ったままに言葉を吐いた。
「にとりに改造してもらったんじゃないの?」
「そうだよ」
あっさりと応える。そうだよなあ、と魔理沙は呟き、もう一度霖之助が格闘する石油ストーブ――かつては石油ストーブだったもの――を見た。石油給油口のところには、今では黄色地に黒の模様が描かれている。特殊な燃料を使っていることを示す特殊なマークだ。
石油に頼らない半永久的に使えるストーブだと、にとりが自慢していたのを思い出す。
面倒な手間もかからずにいつまでも使える、とにとりが胸を張っていたのを思い出す。
そしてもう一度、ストーブと悪戦苦闘し、手先を黒くする店主を見て、魔理沙は言う。
「壊した?」
「まさか」
「……壊れてた?」
「河童の技術はそこまで酷いものじゃないよ――石油部分だけしか改造しなかったらしくて、面倒な手間がかからないのはそこだけらしい」
「それじゃあ八卦炉の方がマシだぜ」
そうだね、と霖之助は頷き、整備していた黒芯を元の位置に戻した。円筒形を被せ、止め具をはめる。よっこらしょ、と年寄りじみた言葉とともに立ちあがり、黒くなった手をひらひらと振って、
「待っていてもお茶はいれないよ」
「……自分でいれるから遠慮無用」
少しは遠慮してくれ、と霖之助がぼやくのを尻目に、勝手に台所をあさって急須に茶葉をいれる。戸棚に二つあるうちの上等なほうだ。隠された三つ目が一番上等であることは知っているが、さすがにそれを開けるほど無遠慮ではなかった――何かの祝いの席があれば遠慮なく強奪していこうと考えているが。
「祝いといえば」
「ん?」
がちゃがちゃとストーブを動かす音に混じって聞こえる声に、魔理沙は少しだけ声を大きくして答える。
「今夜は神社で宴会だそうだ」
「だそうだって……発案者、誰?」
「私」
「だと思った」
ため息が聞こえたので、笑いを返した。
ヤカンに水を注ぎ、軽く迷った末、八卦炉に火をともす。炎がともった八卦路の上にヤカンをおけば、たちまちに水は湯へと変わる。ああ便利だ有難う八卦炉、と作った本人がすぐそばにいるにもかかわらず物に感謝の言葉を告げる。奥からため息の二つ目が聞こえたが、やはり無理した。
湯を急須に注ぎ、急須から湯のみへと茶を注ぎ、八卦炉を懐にしまいながら座布団へと戻る。霖之助も修理を終えたようで、ストーブは部屋の片隅へと追いやられていた。実際に使うのは冬になってからということなのだろう。汚れた手を雑巾でぬぐいながら、
「里で収穫が終わったからね。そろそろ例年通り供え物で宴会をする頃だと思っていたよ」
「そういうこと。例年通り、各自一品持参だぜ。酒か肴か芸のどれかか全部」
「わかってるよ――日が暮れるころには向かうとするよ。先にはじめていてもかまわないよ」
「言われるまでもないよ」
魔理沙は笑い、湯のみに注いだ茶を一気に飲み干す。熱い。熱いが、少し肌寒くなりつつある季節には心地よい熱さだ。喉を熱いものが嚥下しきるのを待って、どんと机の上に湯飲みを置き、
「片付けよろしく」
「…………かける言葉もない、とはこのことだね」
「そこにあるある。――じゃ、私は村も回ってくるから、」
「うん。じゃあ、またね魔理沙」
拭ってもなお汚れた手をひらひらと振る霖之助に、魔理沙は満面の笑みを返して立ち上がる。箒を手に、さっきくぐったばかりの扉を外へと飛び出す。振り返りはしない。秋の午後は早く、気を抜けばあっというまに夜が来てしまうのだから。
そして、早く夜がこないかなと、魔理沙は思うのだ。
今日も幻想郷は平和だった。
「わかった、今日でいいんだな?」
と一言のうちに頷いたのは慧音だった。あまりにもあっさりとした肯定に、問いかけたほうの魔理沙が面食らって目を丸くしてしまう。方々への連絡のうち、もっとも問題がおきそうなのがここだと思っていたからだ。
そもそも――毎年秋に行われる村から神社への供え物というのは、自発的な年貢のようなものに近い。同じように山にも人里は供え物を送るが、それはむしろ収穫に対するお礼、神への供え物であって、神社へのソレとは質が違う。
妖怪が人里を襲わないように。
幻想郷のバランスが保たれるように。
今日も平和であることを感謝して、博麗神社へと収穫物を送るのだ。こうして巫女は秋は贅沢をする。贅沢をして、冬が来る前に冬眠でもする気かと増えた質量を魔理沙に揶揄されて怒るのが幻想郷の秋の恒例行事である。
そして、今年もそうなると、心の底から信じていたといえば嘘になる。
人里を守る半人半妖、慧音から収穫が終わったから今度供え物をもっていくと連絡を受けたときも、当の巫女はともかく、魔理沙は半身半疑だった。だからこそ、その疑問を確かめるために人里まで来たのだから。
巫女によって、平和は保たれる。
それを感謝し、人は供え物を送る。
それが、常だった――そしてそれは決して磐石のものではないことを魔理沙は知っていた。今の人里は、半身半妖である慧音だけでなく、不死となった人間である妹紅も寄り付くようになっている。神社に頼らずとも、村は村だけでやっていけるはずなのだ。
それに加えて。
「河童から――もらったんじゃなかったのか?」
「うん? 〝小さくても必殺の武器〟のことか?」
「いや、二つ名はどうでもいいんだけどさ……うん、それ。妖怪に対抗できるようにって」
「たしかに貰いはしたが……」
口を濁すように眉をしかめ、慧音は懐に手を伸ばす。ごそごそとあさり、再びあらわになった手には小さな金属製の代物が握られていた。それを見て、魔理沙は思わず息を呑む。
噂には聞いていたのだ。
香霖堂に使ってもなくならない燃料が渡されたように、人里には人間でも妖怪に対抗できるべく河童が開発した武器が送られたのだと。小型ながら、魔力のない人間でも〝弾〟を打ち出すことのできる武器。
小さくても必殺の武器。
少しばかり間の抜けた二つ名ではあるが――とどのつまりは河童製の拳銃である。黒光りするそれを慧音はなんのことなしに取り出し、銃口を魔理沙に向け、
「え、」
何のことなしに引き金を引いた。
「う――おおおぅ!?」
よける暇もなかった。至近距離でスペルカードを宣言なしに放たれるよりもたちが悪かった。ポン、という圧縮した何かが破裂する間抜けな音と共に、銃口から飛び出た弾丸は魔理沙を直撃した。人間でも使うことのできる対妖怪用の武器――そんな知識が一瞬脳裏に浮かび、浮かんだそれが消える暇すらなく衝撃が、
衝撃が、こなかった。
「………………あ?」
「こういうことだ」
困惑する魔理沙を言葉を投げ、慧音はかがんで地面へと手を伸ばす。さっきまで何もなかったそこには、小さな鉄の弾が転がっていた。ひょいとそれを拾い、拳銃ともども懐に戻す。
わけがわからなかった。
いや――なんとなくわかるような気がして、魔理沙は腹へと手を伸ばす。つい一瞬前に拳銃の弾丸があたったはずのそこには、穴ひとつあいていなかった。服が破けてすらいない。衝撃すらなかったため、あたったというのが信じられない――撃たれたということすら夢のようだった。
夢であるはずがなく、幻であるはずもなかった。
その証拠に慧音は苦笑を浮かべ、
「科学の力で人でも弾を撃ち出せる、というのは良いがな……ただの鉄屑では当たってもはじかれるらしい」
私やモコウで試しても駄目だった、と言い、慧音は笑みを深くする。わかっていても撃たれるのは吃驚するからやめてほしいと思うが、いちいち説明されるよりわかりやすかったのは確かだ。
ただの鉄屑。
魔法もこめられていない、魔術もかけられていない、呪いもなければ奇跡もない、意味すら含まれていないただの物では、妖怪を打破することはできないと――慧音は言っているのだ。妖怪とは怪異であり、異常であり、常ならざるものなのだから。常のものでは傷ひとつつけることができない。
「まだ五寸釘のほうがマシなのか。意味ないなあ河童」
「そうでもない。獣狩りには重用しているし……それに、」
「それに?」
魔理沙の問いに、慧音はふいに視線をずらした。何のことなしに視線を追うと、その先には山がある。神様の山ではなく、遠くの果て、博麗神社がある山。そこに住まう巫女を見やるように、慧音は遠くを見つめ、
「鉄屑に祝詞を刻むなり祓ってもらうなりで、妖怪に通じる弾が生まれるかもしれないしな。使うとしてもまだまだこれからだ」
「――結局神社頼みか」
「そっちのほうが高く尽きそうだから、多分しないけれど」
遠くから、近くへと。神社から前に立つ魔理沙へと視線を戻し、慧音は笑った。その笑みは、もう苦笑ではなかった。遠い未来と、近い明日を見据えて、一歩ずつ前へと進んでいく――人間のような、笑い方だった。
どこかくすぐったくなるような気持ちを隠しながら、魔理沙は「違いない」と笑う。弾丸一発一発に南無阿弥陀仏と刻むような面倒な真似を、あの霊夢がするとは思えなかった。自分が同じように魔方陣を弾丸に刻めといわれたらその場で魔法をぶっ放すことだろう。
つまりは、何も変わらない。
「実現すれば変わりはするんだろうが……」
表情から何を考えていたのか読んだのだろうか。慧音ははかったようにそう言って、それから懐に一度手を置いた。その下にある拳銃の重みを確かめるように触れ、それからその手を離すことなく、魔理沙に向かって言葉をつむぐ。
それは人としてのものなのか、
妖としての言葉なのか、わからない言葉を。
「ルールの一部に組み込まれて、それすらも日常の一部になるのだろうな。河童の行為をあの大怪がとめないのはそういうことだろう」
「ああ……」
あの大妖、という言葉に魔理沙は顔をしかめる。神出鬼没で正体不明、うさんくさいことこの上なく――自称幻想郷をもっとも愛する妖怪の顔を、たやすく思い浮かべることができたからだ。確かに彼女なら、それが害となることならば容赦なくとめにくるのだろう。彼女が動いていないというのは、そういうことなのだ。
単純にすでに冬眠してるだけかもしれないけど――そう心の中に浮かんだ思いを、魔理沙はすぐさまに否定する。冬眠するとすれば、冬のたくわえをしなければならない。今日の宴会にはまず間違いなく顔を出すだろう。呼ぼうが呼ぶまいがくるような連中ばかりだ。
溜息ひとつ。
ただし口から漏れた吐息は、どこか笑みの混ざったものだった。
それを感じたのだろう。正面に立つ慧音もまた、懐から手を離し、魔理沙と同じような笑みを浮かべた。その視線は魔理沙を、そしてその背後にある山を――幻想郷を見渡すような優しい目つきだった。
「里もまた、緩やかに変わっていくのだろう。季節のように」
「そしてまためぐる?」
「そういうことだ。さて、私はまだやることがあるから……夕時にはそちらに向かうとしよう。供え物はそのときで構わないな?」
「あーあー先に勝手にやってるから問題ナシ」
いつも通りやりたい放題だな、と慧音は肩をすくめるが、やはりその顔は笑っていた。彼女もまた、宴会を嫌っているわけではない。そして、人と妖がどのような形であれ共存していけることは、人にして妖である慧音にとっては喜ばしいことなのだろう。
人にして魔法使いである魔理沙は、そんな彼女のことを、少しだけほほえましく思って。
けれどその思いを一切顔に出すことなく、いつもの笑みを残して里を去ったのだった。
今日も幻想郷は平和だった。
乾杯、と誰かが言った。
それが何度目の乾杯だったか、すでに魔理沙は数えることができなかった。目の前にはいくつもの空いた瓶や皿がある。宴会をはじめたばかりの頃は西の果てに夕日の紅が見えていたが、今では空は紫を通り越して黒く染まっていた。まばらに見える星と、その中でもはっきりと見える月だけが夜の明かりのはずで――けれど地上の灯火の前には、どこか遠く感じられた。
灯火。
境内の真ん中で盛大にキャンプファイヤーをやっているバカがいたが、そのバカが誰だったか酒の回った頭では思い出せない。落ち葉を集めて火をつけた記憶があるが、きっとそれは自分以外の誰かの記憶だろうと魔理沙は一人納得する。境内の真ん中で炊かれた火は、落ち葉や材木や芋や魚を周辺で焼きながら、ゆっくりとけぶる煙を月へとたなびかせている。
空は暗く、
地は黒く、
けれど地はどこまでもにぎやかだった。
「あははははははは!」
よっぱらった誰かの笑い声が聞こえる。脳に響く声だったが、どこか心地よくもある。炎に揺らぐ向こうで誰かが刀を振り回して踊っている。秋風は寒くなってきたが、境内の炎がおだやかなぬくもりを伝えてくる。冷えはじめる体に、暖めた酒が何よりみ美味しく感じる。
宴会だった。
秋を祝い、
冬へと挑む、
博麗神社の――宴会。人も妖も関係なく集まる、今日を楽しみ、明日を祝う、飲めや食えや歌えや騒げやの大宴会。人よりも妖の方が圧倒的に多いのは何か問題がある気もするが、当の巫女である霊夢が問題視していないからいいやとあっさりと割り切る。
事実、何も問題はなかった。
縁側に座りちびちびと酒を飲む魔理沙は人間である。
酔っ払って木に上り月に向かって電波で吼えるレイセンは妖怪である。
供え物の山を物色して好みの食べ物を熊のようにあさっている霊夢は人間で、石塔をきざ斬って見せましょうと刀に日本酒を吹きかけた妖夢は半人半霊で、一人優雅に火の管理をしている十六夜咲夜も一応は人間だ。その隣で火なんて怖くないよと吼えながらもへたれ腰なチルノは妖精で、それを後ろから蹴り飛ばそうと構えているレミリアは吸血鬼であり、必死にそれを留めている美鈴はなんだかよくわからない妖怪だった。
人がいる。
妖怪がいる。
妖精がいる。
悪魔がいて、悪霊がいて、幽霊がいて、それ以外の何かがいて。
その誰もが、楽しそうに笑いながら、酒を飲んで、騒いでいる。
その宴会の図を、縁側に座り、すべて見渡して――酒に酔った頭で、魔理沙はほろりと、本音をこぼすように。
「ああ――平和だぜ」
それがとても良いことだと信じるような口調で、笑みと共に言うのだった。
今日も幻想郷は平和だった。
明日も、楽園は平和だろう。
† † †
――さて、どうしよう。
「……どうしようもないんじゃないかしら?」
そうよねー、と私はメリーに相づちを打つ。秘封倶楽部のパートナー、マエリベリー・ハーンのことメリーの声には覇気がなくて、それはいつもの通りぽややんとしていた。いたっていつも通り、何も問題がない。
問題があるのはそれ以外で、メリー以外のすべてが問題だらけで、民主的多数決によればおかしいのはメリーの方なのだった。異常がないメリーの頭がとてもおかしい。どっとはらい。
そんな結論を当人に伝えると、メリーはふっくらと頬を膨らませて、
「おかしいのは蓮子もじゃない」
「おかしくてたまらないわね。ちゃんちゃらをかし?」
「そういう意味じゃなくて……まあいいわよ、それでも」
そう言って、メリーはわざとらしい溜息を吐く。深々とした、このまっさらな地にどこまでも広がっていきそうな溜息。
が、それを吐きたいのはこっちも同じだった。むしろ吐きすぎてもうでないくらいだ。
それでも――目の前の光景を見ていると、どこからともなく産まれた溜息が口から洩れた。たぶん、101回目くらいのため息。
そして言う。たっぷりの感慨と清清しいまでの呆れを声に乗せて。
「見っ事に何もないわね――」
「さっぱりしているわね」
「……いいことメリー? 〝何もない〟と〝さっぱりしてる〟の間には深くて浅い断絶があるのよ」
「それ、どっち?」
「間違えた。広くて狭い断絶ね」
「…………」
「ともかく、よ。さっぱりなんて言葉をこの風景に使ったら、さっぱりさんが怒るわよ」
「あぁ、知ってるわ。前時代に一世を風靡した芸人さんね?」
はぁーさっぱりさっぱり、と不思議なポーズをとりながら言うメリーを完全に無視して、私はもう一度眼前の光景を見渡した。
何もない。
見事なくらいに何もない。
素敵なくらいに何もない。
無敵なくらいに何もない。
どんな言葉を使ったところで、見ているものが変わるわけもなかった。結局は一言で説明できてしまう。何もない、というただの一言で十分だった。
そりゃ、大地くらいはある――逆に言えばそれくらいしかないのだ。足元には草木の一本も生えやしない土の大地があって、はるか彼方には丸みを帯びた地平線があって、その間には何もない。土の地面がどこまでも続いているだけだ。
地平線のむこうまで。
地球の反対側まで。
ぐるっと一周してすぐ背後まで。
そして、それ以外には何もない。土に生える草も、草を食べる動物も、動物を食べる人間も、人間の住む家も、家の集まった町も、町をまとめる国も、何ひとつないのだった。
驚くべきことに、交通標語の看板さえないのだ――横断歩道で止まる必要さえない。そもそも横断歩道自体がないけど。
「やっぱり、きれいさっぱり、だわ」
「なーんにも残らなかったわね。残さなかった、の方が近いかな?」
「使っちゃったものね」
正しくその通り、と私は頷く。
ようするに、難しい言葉を使わずに簡潔に言ってしまえばそういうことになる。使ったから、なくなった。それだけのことだ。きれいさっぱり何も残らなかった。もったいない根性ここに極まれり。海さえも全てエネルギー変換してしまったので、もう雨がふることすらないのだった。
――もちろん、細かく原因をつきとめることもできる。というか、一足先に逃げだしたお偉い学者さんたちはいっぱい本を出している。それは三度目の大きな戦争だったり、物質変換技術の台頭だったり消費主義だったり人口変化だったり国家形態の改変だったり対霊技術だったり――色々あったのだが、やっぱり〝あるものをあるだけ使ったら何もなくなった〟という子供でも自明の理がぴったりくる。
ゼロから何かを産むことはできない。そこにあるものを使うしかないのが――その結果が、ハゲ山ならぬハゲ星と化した地球だった。どこまでも荒野が続いている終末以下の光景。ノアの大洪水の方が、水があるだけましだった。
もっとも――
水はないが、〝海〟はある。渡る船も。
「はぁ……なんか間抜けねー」
溜息一つ。
そして私は顔をあげる。彼方に浮かぶ星々を見て時間を知ることができた。ただし月がないため、現在地点を知ることはできない。地球上にはもう何もないから、〝場所〟なんてものにもう意味はないけれど。
星の海があるだけだった。
「使っちゃったものね、月」
「使っちゃったわね、月」
月の浮いていない空は私たちのように間抜けだった。大きな丸が一つないだけで、空はここまでしまらないものなのか。私の能力も半減だ――それも地球上では、の話だ。
それも、そろそろ終わりだ。
私は意を決して、メリーへと視線を下ろして話しかける。彼女は私を見て、いつものように穏やかに微笑んでいた。
「……メリー、どうする?」
「どうするって――別れは充分に惜しんだの?」
「名残惜しむつもりだったけど、こうまでどこを見ても同じだと……」
「だと?」
「飽きたわ」
すっぱりと言ってやった。
メリーが呆れたような顔をするが、神様だって退屈で死ぬのだ。知的好奇心を満たすものがなければ、人なんて生まれることすらできないだろう。
だから――生きにいくのだ。
好奇心を満たしながら。
何かを求めて、果てへ。
この空の向こうへ。
空の果てにある、星の海を越えて、どこかへ。
「じゃ、いきますか」
「いきましょうか、銀河航海士さん?」
からかうように言うメリーに、「その呼び方はやめて」と釘をさす。無駄な釘だけどささずにはいられない。もっとこう、センスのいい呼び方はなかったのだろうか。宇宙船地球号の発明者であるバッキー先生が草葉の陰で泣いてそうなあだ名だった。
地球捨てるんだけど。
月はとっくに推進資材と母船に化けたから、もう戻ってくることもないだろう。
「人間、どこで何が役に立つかわからないものね」
「こんな目だもの、できる限りやってみるわよ――その前に役職名変えるけどね。絶対変える」
地球に残った最後の二人である私たちは、そしてもうじき最後の旅人となる。最後のロケットが空へと昇れば、私たちが去れば、本当に何も残らない。〝地球〟という名の資源を使いきった人類は、ありとあらゆるものを推進剤と船に使って、既に外宇宙を目指している。長い長い旅になるだろう。たどりつくこともなく果てるかもしれない。それでも、いかずにはいられないのだ。
あらたな資源をもとめて。
あらたな故郷をさがして。
あらたな楽園をめざして。
私たちは、旅立つのだ。
「さらば地球よ――ってとこね」
「版権にひっかかるわよ」
「じゃあ、地球は青かった」
「もう青くないわよ?」
「〝私を月に連れてって〟?」
「それならあってるわ」
「じゃ、それで!」
ふらいみーとぅざーむーん、と口ずさみながら、私は歩きだす。メリーは自然に隣に並んで、どちらからともなく手をつないだ。温度すら失われてゆく星の中で、メリーの手だけが温かかった。
温かい。
この温もりがあれば、どこまでもいけると、そう思った。
「いつか――」
最後に(そう、それは多分、この地球で人類が放った、正真正銘〝最後〟の問いなのだろう)問いかけるように、メリーは口ずさんだ。
「――帰って来るのかしら、私たちは?」
「何もないのに?」
「わからないわよ」そう言って、メリーは微笑んでみせた。それはなんというか、地球最後の人間が浮かべるには相応しい、とても素敵な微笑み方だった。「何百年後か、何千年後か。何万年後か何億年後か、遠い遠い未来に帰ってきたときには――何かがあるかもしれないわ。新しい何かが生まれ、育ち、死に、生まれて、栄えているかもしれない。今の私たちよりもずっと素敵な形で、今度こそ間違えないで。いえ、今だって。物質によらない、何かが失われずに残っているかもしれないわよ」
「それはなんとも――」
微笑むメリーを見て、それから私は最後に、ぐるりとあたりを見渡した。三百六十度何もない荒野が続いている。地球上どこを見ても同じ光景のはずで、何ひとつとして残っていない。
目に見えるものは。
だから、残っているとすれば、それはメリーのいうように物質によらない何かなのだろう。
だから――
微笑むメリーに、私はたぶん似たような微笑みを返して、地球最後の答えを返したのだった。
「――夢のある話だわ」
そして少女たちは地球を離れる。
あとには、楽園だけが残された。
(了)
すげぇ
タイトルで「何かあの話っぽいな」的な予感はしてたんですが。いやはや背筋が寒くなる。
真の意味で何にもない地球に残された幻想郷は、どうなってくんでしょうかねぇ?
月が無くなってるのに銀河航海士って…なにをするんでしょうか?
そこまでやるか人類。落ちを見たときの驚きが点数です。
>直接的に関係はありませんが、二編を先にお読みすることを推奨します。
前書きで書いといてくれww今から読みに行きます。
地球の月以外の月にって事?
穢れすらも殆ど無くなった地球なら、移住できそうではあるが。