「霊夢さーん、まだですかー?」
「ごめーん、もうちょっと待ってー」
約束の時間は既に過ぎているけれど、霊夢さんの身支度はまだ終わっていなかった。
集合場所が自分の家だからと、ゆっくりし過ぎたのだろう。
「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。別にお祭りは逃げたりしないぜ」
「それはそうですけど……」
早く行けばそれだけ長く楽しめるじゃないですか、と言おうとして、やめた。それは余りに子供じみている。
出かかった言葉を飲み込んだ不自然さを誤魔化すように、私は二歩三歩と足を動かしてみる。久し振りに履いた下駄は、思いのほかすんなりと足に馴染んでくれた。
「落ち着けよ、子供みたいだぜ」
「うっ……」
言われてしまった。魔理沙さんは相変わらず口が悪い。
けれど実際、今の私はきっと、遠足を翌日に控えて胸を躍らせている子供と同じような心境なんだろうなと思う。
それを指摘されるのは、やっぱり恥ずかしいことだった。
でも、と思う。
これから私たちが出掛けるのは、人里にて催される夏祭り。
それは、幻想郷の住民となって一年足らずの私にとって、もちろん初めてで。
それこそ子供のように、里のお祭りを心から楽しみにしているのだった。
今度、里でお祭りがあるんだけど、一緒に行かない? ――霊夢さんからそう誘われたのは、数日前。ここ博麗神社の縁側で、お茶を頂いている時だった。
彼女の話によると、特別大きなイベントという訳ではなく、神輿が出たり出店が並んだりするごく普通のお祭りらしかった。
日々のほとんどを山の上で過ごす私にとって、その誘いは魅力的なもので、私は迷わずそれを受けることにした。
幸いなことに、神奈子様と諏訪子様からもすぐに了解を頂くことが出来た。おまけに、たまには麓で楽しんでおいで、とまで言って下さったのだ。きっと、霊夢さんたちや里とより多く交流を持つことで、私が幻想郷に馴染んでいくことを望んでいるのだろうと思う。
普段は何かと喧嘩が絶えないお二方だけれども、こうやって私のことを大切にして下さるという点では一致していた。
ただまあ、私のことを想ってくれるがゆえに、それがまた喧嘩の原因になったりもするのだけれど……。
今回のお祭りに際して、霊夢さんから「せっかくだからみんなで浴衣を着て行きましょ」と提案を受けていた。
それに賛成したは良いものの、私はどんな柄のものを着て行くかをなかなか決められずにいた。
そうして、それは昨晩に起こった。
私が、幾枚かの浴衣を部屋に並べて悩んでいた時である。諏訪子様が嬉々として部屋に入って来て、「可愛いのがあるよ」という言葉とともに一枚の浴衣を嬉しそうに私に差し出して来た。
その時の諏訪子様の表情は、はっきりと思い出せる。天真爛漫な子供のように愛嬌に満ちていて、私がその浴衣に袖を通すことを確信しているかのようだった。
まだ真実を知らないその時の私にとっては、諏訪子様のお心遣いがとても嬉しくて、笑顔でその浴衣を受け取っていた。
だからこそ、その浴衣の柄が目に入った時は、期待との余りに大きなギャップに数瞬の間凍りついたように固まってしまった。
用意して下さった浴衣には、諏訪子様のお召し物にあるものと同じようなカエルが数多く描かれていた。それが写実派の絵画のように無駄にリアルで、表皮の模様から粘膜の色つやまで忠実に表現されている上に、両手を上げて盆踊りともパラパラともつかぬ奇妙な踊りを踊っているような格好をしていたのだ。
例えば、私がいつも着けている髪飾りみたいにデフォルメされたカエルさんなら良かったのだけれども、手の平サイズもあるリアルなカエルたちが群れを成して生々しい様態で踊り狂っているとなれば話は全く別である。写実的に描かれたカエルが集団で盆踊りを踊るという異様な見た目に、生理的な嫌悪感すら立つ始末。脳内から記憶を抹消しようとすればするほど、カエルたちが粘膜をてらてらと光らせながら瑞々しく躍動する光景が脳裏に浮かぶのである。
正直、よく嫌悪感が顔に出なかったものだと思う。
その浴衣をいくら見回しても、諏訪子様の言うところの可愛いという言葉を拾い出せそうになかった。
カエル的視点からすれば可愛いのかも知れないけれど、人間的視点からすれば気色悪い。あけすけに言えば、キモいの一言だった。
もちろん、そんなことを口に出せる訳もない。だから、自分で用意するからと言って、やんわりと断ろうとした時に。
今度は神奈子様が、浴衣を持って現れたのだ。
その時点で、私は2つの意味で嫌な予感がしていた。
神奈子様は室内にいる諏訪子様を一瞥するも、その存在をあからさまに無視した。そして私の傍に立つと「素敵な浴衣があるんだけど、明日着て行かない?」と、包み込むような優しい笑顔を見せながら、それを差し出して来た。神奈子様はそのままその浴衣を私の前に広げると、その柄が露わとなる。
そう、嫌な予感はやはり当たってしまうもの。諏訪子様がアレなら、神奈子様はコレだろう、と。
神奈子様の浴衣には、何匹ものヘビが描かれていた。こちらもカエルに負けず劣らずリアルで、それらはとぐろを巻いていたり、大きく口を開けて牙を剥いていたり、見る者を威嚇するかのように眼光鋭い視線を向けていたりと、不必要に物騒な雰囲気をかもし出していた。
警戒していたからカエル浴衣の時ほど衝撃は受けなかったが、こちらのヘビ浴衣も強烈なインパクトがあった。
確かに世の中にはヘビの表皮の模様をした衣服はあるけれど、文字通りヘビそのものを描いた柄など私は知らない。
やはり、どこをどう好意的に解釈したところで素敵という言葉を捻り出すことは出来なかった。素敵と言うか不敵なデザインである。
ヘビをトレードマークにする神奈子様からすれば素敵なのかも知れないけれど、普通の人間からすれば、ただただ禍々しいだけ。ストレートに言えば、悪趣味の一言に尽きる代物なのだった。
この後はいつものように、神奈子様と諏訪子様との口論タイムである。嫌な予感は2つ目も見事的中。ちっとも嬉しくない。
詳細は省くが、早苗にそんな両生類の浴衣なんて着せられないだとか、うるさい爬虫類だとか、当人の意向を完全に無視した言い争いが私の部屋で展開されていた。私は一体何をしにお祭りに行くのだろうかと思わずにはいられなかった。
そんなこんなで、第何次だかもはや分からない諏訪大戦が私の部屋で勃発しそうになったところで、私はようやく待ったをかけた。
それでとりあえず口論は止むものの、場が治まるわけではなく、今度は冷戦のような睨み合いが続く。こうなってしまった時、ちょっとやそっとのことではどちらも引き下がってはくれないことは、私もよく分かっていた。
ただ、ヘビに睨まれたカエル、という言葉があるように、睨み合いとなると大抵は神奈子様に分がある。
そのことを諏訪子様も分かっているのだろう。だから、あのような提案をしたのだ。
――じゃあ早苗に決めてもらおうよ。どっちの浴衣を着て行くかを。
この時の私としては、諏訪子様に思いっきり地雷を踏まれた気分だった。おまけに神奈子様もその提案に同意してしまったのだから、余計に逃げ道がなくなってしまう。
おかげで私は、キモいカエル浴衣と悪趣味なヘビ浴衣を手にした2柱に究極の選択を迫られる羽目となった。神奈子様も諏訪子様も、ご自身が正しいと確信しているあたり、非常に始末が悪い。
嫌々ながら、あらためてそれぞれの浴衣を見比べてみるも、やっぱり甲乙付け難かった。もちろん悪い意味で。
第一、どちらかに決めたとしても、それで全てが丸く収まるとも思えない。禍根が残らないはずがないだろう。
だから、私はその方法を選択するしかなかったのだ。
2柱のいがみ合いを丸く収め、かつ、私がその罰ゲームのような浴衣を着なくて済む、唯一の方法を。
それは2柱の私への想いを利用するものだから、胸が痛むのも事実だった。けれど私には、心を鬼にしてそれを実行するしか道が残されていなかったのだ。何より、私はそんな浴衣を着てお祭りに行きたくはないのです。
この時の私は、月9ドラマで主役を張れるくらいの演技力だっただろう。
私は、いかにも苦痛に耐えているような面持ちで2柱の名を口にする。そうしてまず名前を呼ぶことに、より強く相手に訴えかける効果があることを私は知っていた。
そこでいったん間を入れて、双方が息を呑んだことを確認すると、私はあえて伏し目がちになって、その言葉を紡ぎ出した。
――私にとっては、神奈子様も諏訪子様もとても大切なお方。どちらかだけを選んで着て行くことなんて、私には出来ません。だから、お二方のそのお気持ちだけを、ありがたく頂いておきたいと思います。
もちろん、時折言葉を詰まらせることも忘れてはいけない。そして、語尾は消え入るようにか細く、やや涙声気味に。これで畳の上に落涙する姿まで演出出来れば最高だったのだが、そこまでの技術はまだ会得していなかった。
けれど実際には、嘘泣きするほどまでの素振りは必要がなかった。
私がゆっくりと顔を上げると、そこには既に滂沱の涙を流す2柱の顔があったのだから。
お二方は、「早苗の気持ちをちっとも考えずに……」などと、ただひたすらに謝罪の言葉を繰り返していた。
そうして私たち3人は、肩を寄せ合って泣いた。
ただ私だけは、違う意味で涙していたのだった。
……と、昨晩はそんな面倒なことがあったのだけれども、とりあえず収拾がついたので良かったということにする。
結局私は、はじめに候補に挙がっていた幾枚かの中から着て行く浴衣を決めた。
それは、薄いブルーの地に、青や赤紫色の朝顔をあしらった柄。全体的に控えめな色彩をしていて、落ち着いた雰囲気を感じさせてくれるところが私の目を引いた。また、涼しげな色合いが、夏の夜には丁度良いと思ったからだった。
帯は、青と対照的な赤色。
私は普段、暖色系の衣類はあまり身に着けないからちょっと気にはなったけど、これはこれで悪くはなかった。
浴衣に合わせて髪もアップにしようかとも思ったけれど、結局はいつも通りのままにした。アップにするといつも着けている蛙と蛇の髪飾りがどうしても合わせられなくて、あの2枚の浴衣を断った手前、これらの髪飾りまで外してしまうのは気が引けたからだった。
着付けは、神奈子様と諏訪子様が手伝ってくれた。着付けを終えた私に、綺麗だとか似合ってるだとか言ってくれたけれど、どちらもが微妙に名残惜しいような表情をしていたことには気付かないふりをするしかなかった。
とは言え、綺麗と言われて悪い気がするはずもなく。
私はこうして、弾むような気持ちで今ここにいるのだった。
何だか私ばかりが浮かれているようだけど、魔理沙さんだってお祭りが楽しみなことには変わりがないと思う。
先程から縁側に腰掛けながら、手持ち無沙汰に両足をぶらぶらと揺り動かしている。何だかんだ彼女も早く出掛けたくてうずうずしているのだろう。見ていて微笑ましいので、突っ込まないでおいてあげた。
魔理沙さんももちろん、浴衣を身に着けて来ている。
紺色の地に、白や黄色の沢山の粒模様。それは帯状を成し、一部は霧が掛かったような色合いをしている。
最初は何だろうと思ったけれど、よく見ればすぐに分かった。その浴衣は天の川を、もっと言えば濃紺の夜空に瞬く星々を模しているのだった。
天の川は単調な光の帯では決してなく、本当に綺麗な星空のもとではむしろ明るい部分と暗い部分との濃淡が映える。彼女の浴衣はそこまできちんと再現されていた。
ただ、それだけでは物足りないからか、ところどころに星型、いわゆるマンガ星が配されているのが、活発な性格の彼女らしい。
満天の星空をバックに、魔理沙さんがとっておきのスペルカードを放つ――そんなコンセプトなのかも知れなかった。
「お待たせー」
と、そうして魔理沙さんの浴衣をあれこれ分析している時、ようやく霊夢さんから声が掛かった。
「待ちくたびれたぜー」
「ごめーん、巾着がなかなか見つからなくてー」
明るい声が母屋の方から聞こえる。私がその方を向くと、
「……え?」
――そこには、浴衣を纏った1人の少女が立っていた。
淡い桃色の地に、白や、ピンクや、薄紅色の小さな桜の花をそこここに咲かせた、可愛らしい絵柄の浴衣。帯はよく映える赤色で、これにも浴衣と同じ桜模様が描かれている。全体的に華やかな柄だけれども、決して派手さはなく、淡い色合いのおかげで柔らかな印象を受ける。
肩口にさらりと流れ落ちる黒髪は艶やかで、それは浴衣という格好にとてもよく似合っている。
巾着を両手で持つ仕草はさながら良家のお嬢様みたいで、指の先にまで清楚さが行き届いていた。
その姿は、はっと目の覚めるような美しさとはまた異なり、それこそ桜の花のような、しっとりとした美しさなのだった。
ただ、唯一の違和感は。
そんな姿を見せているのが、私の良く知る少女であるということだった。
「ええっと、霊夢さんのお面をかぶったどなた様ですか?」
「失礼ね!」
怒られた。
いやまあ、確かにかなり失礼なことを言ったと思う。それだけ彼女の変貌っぷりが意外だったのだけれども。
とは言え、こんな女の子した格好をしていても、中身はちゃんといつもの霊夢さんみたいなので何だかほっとした。
「こいつなぁ、浴衣とかそういう格好が、反則的に似合うんだよなぁ」
「当たり前じゃない」
「何で当たり前なんだ?」
「巫女だからに決まってるでしょ」
説明になっていない。
が、有無を言わせぬ説得力みたいなものがあるのは何故だろう。確かに彼女は、こういう浴衣をはじめとした和装はよく似合うと思う。
こうして、いつもの巫女服でない霊夢さんを見るのはとても新鮮だった。
そう言えば、リボンを外して髪をすっきり下ろしているところも初めて見た気がする。あの大きくて真っ赤なリボンは彼女を可愛く見せてくれるけれど、こうして髪を下ろすと、今度は1つか2つ、大人びて見えるのだった。
「ほらほら、早く行きましょうよ」
「散々待たせておいてそれかい」
「だから早く行くんじゃないの」
「へいへい」
結局のところ、霊夢さんも早く行きたいのだ。
ならば、それに逆らう理由はどこにもない。
「じゃあ、行きましょう」
「何だかんだ、早苗が一番ノリノリだな」
「でも、里に着いたら一番はしゃぐのはきっと魔理沙ね」
「魔理沙さん、お祭り騒ぎとか好きそうですもんねぇ」
「ちえっ、お前たちの中じゃあ私はそういう位置付けか」
魔理沙さんが不満そうに唇を尖らせる。
こんな風に、いつも以上に軽い口を利けるのも、お祭りという非日常の出来事によって気分が高揚しているからなのだろう。
魔理沙さんの言う通り、何だかんだ私が一番わくわくしているのかも知れなかった。
祭囃子が聞こえる。
遠くからはまばらな音のかけらに過ぎなかったものが、里に近付くにつれて、確かなメロディラインとなって耳に届いて来る。
それは祭囃子に定番の、笛や、鉦や、太鼓の音色である。
人々の賑わう声も、歩みを進めるたびに身近に感じられるようになり。
夕刻を迎え、黄昏に染まりつつある幻想郷の中にあっても、里はあたたかな灯かりで満たされているのだった。
「わぁ……」
私は思わず感嘆の声を上げた。
里に到着すると、祭りの会場となっている大通りは、既に活気溢れる賑わいを見せていた。
食べ物屋をはじめ、様々な出店が道の両側に並び、威勢の良い呼び声が飛び交っている。
通りは、そんな声さえも掻き消してしまうくらいに沢山の人で賑わっていた。
老若男女を問わず、皆思い思いの浴衣を身に纏い。
家族と、友人と、恋人と。
誰もが思い思いの相手と思い思いのやり方でお祭りを楽しんでいる。
通りのずっと向こうまで続く提灯の列が、賑わう祭りの場を柔らかく照らし出し。
その中を、祭囃子が絶えることなく鳴り渡っていた。
こうしたお祭りの雰囲気は、外の世界と何ら変わるところがない。おかげで、どこか懐かしささえ感じられるのだった。
「さぁて、まずは何をやろうか」
魔理沙さんが、何故か指を鳴らしながら得意げな笑顔を見せる。よく分からないがやる気満々なご様子だ。
「やる、って何ですか?」
「色々あるだろ。射的に輪投げに型抜きに、くじにヨーヨー釣りに金魚すくい」
よくもまあ、そんなにすらすらと出て来るものだ。どれも、お祭りには付きものの屋台ではあるけれど。
「私はそれよりも、たこ焼きとかとうもろこしとか、まず何かしら食べたいわね。早苗は?」
「私はとりあえず、色んなお店を見て回りたいのですが」
見事に意見が分かれた。
私としてはまずお祭りの雰囲気を味わいたいところだったのだけれども、2人は花より団子らしい。
「とりあえず早苗の案は却下」
「何でですか?」
「見て回る“だけ”なんてもったいないじゃない。楽しみながら回らないと。
だから、何か食べながら適当な遊戯系のお店を探す感じでいいわね」
なるほど、さすがは霊夢さん。楽しみ方も貪欲だ。
「でもそれだと、歩きながら食べることになりません?」
「こういう場なんだから、まあいいでしょ。それもまたお祭りってものよ」
周りを見渡せば、確かに食べ歩きをしている人も散見される。彼らとて、普段はそのようなことはしないと思う。
ちょっとくらい大目にみられるのも、祭りという特別な日のおかげなのだろう。
「そうですね、じゃあ、そうしますか」
「決まりね。という訳で、まずはあそこのたこ焼き屋に行くわよ!」
そう言うと霊夢さんは颯爽と、近場にあるたこ焼き屋さんへと向かう。
何だかんだ、彼女は今すぐに何か食べたかっただけなんじゃないかと思う。
とは言え、時間的には小腹の空いて来る頃合い。強引過ぎるものの、その後に続かない理由もどこにもないのだった。
「……ん、今のたこ焼き、タコが入ってなかったな」
「こっちは、タコが2つ入ってたわ」
「返せ」
そんな訳で、私たちはたこ焼きをつつきながら通りを進んでいく。
横では、多かったタコを霊夢さんが魔理沙さんに口移しで返す濃厚なシーンが展開されている……なんてことはなく、タコの大きさについての議論が繰り広げられていた。曰く、このお店のタコは細かく切られ過ぎ、だとか。
個人的には、たこ焼きはタコの大きさよりも中身のとろみ具合とかの方が重要だと思うのだけどどうだろう。
いやしかし、たこ焼きと名がついている以上はタコをメインに据えるべきか。
などと考えながら、私は次のたこ焼きを口に放り込んだ。
「……あ、何かこれ、タコが3つ入ってました」
「それはさすがに奇跡だな」
「そんなところで奇跡の力を使うなんてさすがは早苗ね」
「いやそれどれだけみみっちい奇跡ですか」
「いかにもお祭りに合わせた奇跡って感じでいいんじゃないの?」
いやいや、タコが食べたいからって大事な奇跡の力を安易に使っては神奈子様に申し訳がない。せっかくお祭りに合わせるのなら、もっと良い奇跡があるはずだ。
例えば――そう、金魚すくいで紙がなかなか破けない奇跡とか、型抜きを手で折ったら型通りに割れる奇跡とか。
……どのみちしょぼかった。
何より、遊びに対してそんな奇跡を使ったってつまらないだけである。
と、そんな下らない会話を交わしつつ、たこ焼きを食べ終えた時だった。
「あら、あんたたちも来てたの?」
霊夢さんがそう声を掛ける。
その先には、親子ほども背の離れた2人組が立っていた。
「あら霊夢じゃない。こんなところで会うなんてね」
「偶然ですわね」
それは、レミリアさんと咲夜さんだった。
博麗神社の宴会では何度か同席したことがあるけれど、こうして里で鉢合わせするのは初めてだった。
2人とも、お祭りに合わせてきちんと浴衣を着ている。
レミリアさんは霊夢さんと同じ桃色の地だけれども、血のように真っ赤な色の花模様のおかげでより派手な印象を受ける。
咲夜さんの浴衣には、薄紫色の地に、淡い紅色や紫色の蝶々が舞っている。かなり控えめな色合いだなと思ったけれど、主従を一緒に見ればその理由が分かった。2人が並べば、主であるレミリアさんの衣装がより引き立って見えるのだ。
従者として、あくまで主を立てることを忘れないその在り方は、メイド服でも浴衣でも変わらないのだった。
「それにしても、咲夜はともかくレミリアがちゃんと浴衣を着て来るってのは意外だなあ」
「郷に入りては郷に従え、って言うでしょ」
「お前なら郷に従わせそうなものだがな」
ペアで見ればよく似合ってるお二方なのに、魔理沙さんはやけに不穏当なことを言ってくれる。茶化しているだけにしても、もうちょっと口の悪さを直して欲しい。
正直に言えば、レミリアさんがお祭りの場に現れたことに、私は一抹の不安を隠せずにいた。
別に人間以外を差別するつもりはないけれど、ここは人里であり、しかも楽しいお祭りのさなか。その中を彼女のような強大な力を持つ妖怪が歩いているのはやっぱり怖いと思う。だから、変なことを言って彼女に不必要な刺激を与えて欲しくはなかった。
けれどそんな私の心配をよそに、レミリアさんは誇らしげな様子で袖を広げ、くるりと舞って見せる。
「それより、どうかしら。私の浴衣姿」
彼女は、口許に袖を寄せて微笑みながらそう言った。
外見は本当に小学生くらいの子供なのに、その表情と仕草が妙に艶っぽい。確かに500歳にもなるという実際の年齢を考慮すれば、さもありなんと思われる。そんな、幼い外見と妖しげな表情とのアンバランスさが、ある種の魅力なのかも知れない。
けれど、そんな妖艶さを感じ取れたのはほんの数瞬のことで。
何かをアピールしているのか、羽のように袖をひらひらと揺らして浴衣を見せびらかす様子はどう見ても、
「いかにも子供っぽくていいんじゃないか?」
「そうね、子供らしく可愛く見えるわよ」
「可愛いと思います」
3人して同じような感想だった。わたあめとか持たせたら凄く似合いそう。
「ちょっと、もっとましな感想ないの?」
レミリアさんが腰に手を当てて憤慨する。どうやら子供とか言われることが我慢ならないご様子だが、そうやって怒るあたりがやっぱり子供っぽい。我がままな振る舞いをすればするほど子供っぽさが際立つというのに。
でもそれを指摘したら私が無事では済まなくなるので何も言わないでおく。
「咲夜も何か言ってやってよ」
「お嬢様は、何をお召しになっていてもとても愛らしく素敵です。そのことは、私がよく分かっていますわ」
「そういうこと言ってるんじゃないんだけど。……まあいいわ、もう」
そう言うとレミリアさんは、諦めたようにため息を吐く。
どうやらこのお嬢様は、可愛いとかそういう言葉だけでは物足りないみたいだった。
「元気を出して下さいお嬢様。あ、ほらほら、お探しだったお面屋があちらにありますよ」
「ホント? ねえ咲夜、モケーレムベンベのお面はある?」
「……どうやらないようです」
も、もけ……? って何だろうそれは。特撮物に出て来る怪獣か何かだろうか。幻想郷に怪獣なんて概念が存在するのか知らないけれど。
「じゃあ、次のお面屋に行くわよ!」
「はいはい」
何だかよく分からないが、突如はつらつとした表情を見せるレミリアさん。察するに、彼女はそのモケメケなんたらとかいうお面が欲しいらしい。どんなお面なのか想像もつかないのだけど。
元気を取り戻した彼女は、私たちのことなど忘れたかのようにずんずんと人波の中を突き進んでいく。
咲夜さんは、やれやれといった表情を作りながら私たちへ一声掛け、主の方へ付き従っていった。
私はそんな主従を、人込みにまぎれて消えていくまで見送っていた。
「心配しなくても大丈夫よ。レミリアはここでは変なことをしたりはしないわ」
「えっ?」
霊夢さんが、私の心の中を見透かしたかのように言う。
「さっき、不安そうにしてたのが顔に出てたわよ」
「そうですか……」
「あいつらに限らず、ああいう強い連中の方が、却って無粋なまねはしないものよ」
「だな。あいつらなりに祭りを楽しんでるみたいだし」
2人はそう言うと、また通りを歩き出す。私は慌ててそれについて行った。
確かに、2人の言う通りだった。何より、わざわざ浴衣に着替えまでして祭りに来ているのだ。ならば、余計な考えを差し挟む余地などないはずである。
最も無粋なのは、レミリアさんに対して失礼なことを考えていた私なのかも知れなかった。
「意外と難しいなぁ」
「そうですねぇ」
「うーん……」
銃を手に、首をかしげる私たち。
もちろん本物の銃ではなく、おもちゃのコルク銃である。
「はっはっは、そう簡単に当てられちゃあ、こっちも商売上がったりだもんなぁ」
気の良さそうなお店のおじさんが豪快に笑う。店屋の親父、なんて言葉がぴったりの風体だった。
射的屋を見つけた私たちは、先頭切って駆けていく魔理沙さんに続いて、屋台の中へ入っていった。
正面の棚には、色々な人形やカラフルなおもちゃの箱などが並べられている。弾を当ててそれらを倒せたら景品として貰える、一般的な射的屋である。
しかしながら、これがなかなか当たらない。そのうえ当たっても、物が動くだけで倒れないこともしばしば。
私はカエルさんのぬいぐるみを一つ取れたけれど、喜び勇んで始めた魔理沙さんはまだ一つも景品を貰えていなかった。わざわざ難しいものを狙っているからだろう。
「私の魔砲なら全部なぎ払えるんだがなぁ」
「いやそれ詐欺です」
「景品どころか店ごと吹っ飛ぶわね」
店のおじさんがちょっと訝しげな顔をするが、気付かないふりをするしかない。
「私も、退魔針なら百発百中させる自信があるんだけどねぇ」
「刺さるだけで倒れないぜ」
銃より手投げ針の方が精確というのも怖いと思う。ちなみに、霊夢さんもまだ何も貰えていなかった。
それぞれ1ゲーム分の弾を使い切って、貰えた景品は結局私のカエルさんだけという有様。弾幕ごっこを生業とする少女たちも、一発で的を狙い撃ちするのは不得意らしい。
そうして、2ゲーム目を前に、もう少し上手く狙いをつけるやり方はないものかと話し合ってる時だった。
「ふっふっふ、どうやら私の出番のようね」
何だかやけに自信満々な声が背後から聞こえ、私たちは振り向く。
斜めに構えて腕を組み、得意げな表情でそれらしくかっこつけているのは。
「あら、今日は兎鍋にもありつけるのね」
「鍋言うな!」
霊夢さんの酷い一言により、そのポーズは短い寿命を終えた。
そこに立っていたのは、薬屋の鈴仙さんだった。その後ろには、永琳さんやてゐさんもいる。
「冗談よ。あんたたちも遊びに来たの?」
「まあね。今日がお祭りだって知ってたから、薬売りのついでに来たのよ」
確かに、鈴仙さんの手には薬入れの鞄がある。幻想郷は外の世界と比べて薬が少なく、私も彼女たちの薬にはお世話になっていた。
そして、お祭りに合わせたのだろう。お三方ともしっかりと浴衣を纏っていた。
鈴仙さんは紫色の、てゐさんは桃色の地をしていて、どちらもが、花模様の中に白いうさぎがそこここに跳ねている可愛らしい柄をしていた。お揃いの服を着た姉妹みたいで何だか微笑ましい。
こういう風に可愛くデザインされた生き物なら良いのに、ウチの神様ときたら……、と心の中で嘆かずにはいられない。
永琳さんの浴衣は、白と黒の市松模様の地に、萩が枝を伸ばして花と葉っぱを付けた柄をしている。その雅やかな色合いは、落ち着いた本人の雰囲気とも相まって、魅力的な大人らしさを引き出していた。
「で、射的の成果はどうなの?」
「見ての通り、すっからかんだぜ」
魔理沙さんがため息混じりに両手を広げると、鈴仙さんはまた得意げな笑みを作る。よくは知らないけれど、どうやら射撃は彼女の得意とするところらしい。
鞄をてゐさんに預けた彼女は、屋台に置かれた銃を手に取る。射的屋と言えば銃身の長いライフル型かなと思っていたけれど、このお店の銃は、弾を6発装填出来るいわゆるリボルバー型だった。
彼女はその銃を手にとって、外見や握りのフィット感を確認している。時折何かに得心したように、ふぅん、などと呟いていた。
「まあ、魔理沙は数撃ちゃ当たる系の性格だから、すっからかんなのも無理はないわね」
「言ってくれるな。なら、あれを倒してくれないか?」
魔理沙さんが指差した先には、「当たり」と書かれた四角い的が置かれている。それを倒せば、好きな景品を貰えるらしい。彼女はそればかりを狙っていたのだ。
「さっき1発当てたんだが、重たいのかびくともしなかったんだ」
「それは当てる場所が悪かったんじゃないの? 的の真ん中よりも上側に当てた方が倒れやすいわよ」
確かにその通りなのだが、そもそも狙ったモノに当てるのさえ苦労している私たちにとって、それは無理難題というものだった。
「けっこう上の方に当たったと思ったんだけどなぁ」
「ふぅん……」
鈴仙さんは、真っ直ぐにその的を見据える。私は彼女の横顔を盗み見るが、その瞳を直視することは出来なかった。
彼女は一旦まぶたを下ろし、全身の力を抜くようにして両腕を下ろす。そしてもう一度目を見開くと、
――ニヤリ、と笑った。
「そういう時はね、――こうやって倒すのよ!」
言い切るが早いか、鈴仙さんはもう一丁の銃を左手に取る。すわ二丁拳銃? と思った時には既に両方の銃が迷いなく的に狙いを定めていて、次の瞬間には引き金が引かれていた。
それは、一瞬の早業だった。
私は確かに見たのだ。放たれた弾が真っ直ぐの軌道を描いて、2発同時に的の頂点にヒットするのを。そして、弾けるような音を響かせながら、的が倒れ伏すのを。
その一連の光景は、あたかもスロー再生であるかのように引き延ばされて、私の瞳に映ったのだった。
店のおじさんは、あんぐりと口が開いたままふさがらない。それは私も同じだった。
「……ま、こんなもんね」
鈴仙さんは勝ち誇ったように、銃口にふっと息を吹きかける。煙は出ていないけれど、そのポーズは決まっている。ひたすらにクールな姿である。
浴衣姿のスナイパー。――そう言葉にすると何だかとてもカッコいい、気がする。
「おじさん、今のはノーカウントね。まだお金払ってなかったし」
「あ、ああ……」
話し掛けられて、おじさんはようやく正気を取り戻す。
そう言えば、確かに彼女はお金を払わぬまま射撃を始めていた。そう考えれば今の行為は店側に咎められても仕方がないのだが、おじさんの頭はそんな冷静な思考さえ出来ていないようだった。
「このお店、銃は何丁あるの?」
「……5丁あるが」
店側としてはこんな商品泥棒みたいな相手はごめんだろうけれど、客商売である以上、邪険にも出来ない。
「6発が5丁で30発。で、的はさっきのを除いて30個。丁度いいわね」
そう言うと鈴仙さんは、おじさんに銃を5丁揃えてもらい、弾30発分のお金を支払った。
彼女が何をしようとしているのかは、よく分かる。分かるけれど、
「鈴仙さん、それはつまり……」
「うん? まあ、見てのお楽しみに、ってやつよ」
彼女は弾の込められた銃を手に、楽しそうな笑顔を見せる。
「お師匠様も見てて下さいね!」
「はいはい」
「鈴仙がんばれー」
永琳さんは苦笑しながらの返事。てゐさんは無邪気だ。
やっぱり、師である永琳さんにいいところを見せたいのだろう。その気持ちは私にもよく分かるのだった。
「何だか私たち、空気になってるぜ」
「ま、見てて面白いからいいんじゃない?」
霊夢さんはすっかり観客モードに移行していた。
確かにあれだけのものを見せられて、さあ自分もやってみようという気にはなれない。私も霊夢さんに倣って、観客に徹することにした。
鈴仙さんは私たちの注目を受けても緊張などする様子もなく、的の並んだ棚と相対している。
銃は彼女の両手に1丁ずつ。残りは手前の台に置かれていた。
大きく息を吸い、そして吐き出す。
そして、ゆらりと右手を上げ、その腕が真っ直ぐ的へと伸びたかと思うと、
「え?」
次の瞬間には、既に的が倒れていた。まるで、射撃の瞬間がまるまる切り落とされたかのように。
まず狙いを定めるために、腕を的に向けていったん固定するだろう、と私は思っていた。しかし彼女の動きには、一切の遅滞が存在していなかった。目線だけで照準を合わせ、そのライン上に確実に銃身を乗せているのだろうか。
彼女は、1発目の成果に満足したように小さく微笑むと。
――目の色が変わった。
彼女は狙いを隣りにスライドさせると、やはり動きを止めることなく次の的を撃ち落とす。弾が当たるのはもちろん、的の正中線の上端だった。そんな正確な射撃が流れるように淀みなく続く。
弾がなくなれば、次は逆の手に握られた銃が滞りなく射撃を続ける。その間に、弾を撃ち尽くした銃は持ち替えられていた。
その動きは、命令に忠実なロボットのように躊躇なく、精密で、そして――冷徹だった。
その姿は、先ほど師である永琳さんに向けた元気な笑顔からは想像もつかないもので、私は彼女に対して薄ら寒いものを感じてしまう。
そんな私の思いとは無関係に彼女は弾を撃ち続け、ほとんどの的はその正確無比な射撃によって倒されていた。
やがて、残りの的が、3つ、2つ、1つとなり。
最後の的を狙って、彼女が引き金を引こうとした時だった。
「ッ!」
それまで機械のように一定のリズムで響いていた射撃音が、躊躇うように途絶えた。代わりに、息を呑むような、声にならない声が聞こえた。
鈴仙さんを見る。銃口が僅かに震えていた。
銃声は、それから一拍遅れて鳴った。
あ、と声を上げたのは、私だったか、それとも彼女だったか。
放たれた最後の1発は的に当たることはなく、その上をかすめただけだった。
銃を構えたままの姿勢で、茫然自失とする鈴仙さん。私が先程感じたような冷徹さはすっかり鳴りを潜めていて、その瞳には自らへの失望感が色濃く映し出されていた。
あらためて棚の方へと向き直るとそこには、鈴仙さんの手によって倒された人形やおもちゃの箱などが死屍累々と転がっていた。
そんな中、彼女が唯一射撃に失敗して、棚の右端に残されたのは。
小さくて可愛らしい、うさぎの置き物なのだった。
「ああ、私としたことが……」
鈴仙さんは大きく肩を落とす。耳の先っぽまでしゅんとうなだれていた。
「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないですか。これでも十分凄いんですから」
「私にとっては、このくらい朝飯前じゃないといけないのよ」
私程度の慰めの言葉は通じないようだった。
とりあえず私は、彼女が射的を始める前のように正気を取り戻していたことに安心していた。
「ウドンゲ……」
と、それまで傍観者に徹していた永琳さんが、いつの間にか鈴仙さんのそばに歩み寄っていた。
その声は落ち着いていて、感情が読み取れない。
「す、すみませんお師匠様、偉そうなことを言っておいて、こんな……」
怒られるとでも思ったのか、彼女はさらに小さくしぼんでしまう。
そもそも鈴仙さんは、全てを倒すと宣言した訳でもない。だから謝るほどのことでもないと思うけれど、それでは自分のプライドが許さないらしい。
「ウドンゲ」
「は、はい」
「今、私たちのいるここ幻想郷は、とても平和なところよね」
「はい」
「だから、こうして貴方の腕が鈍ってしまうのも、仕方がないのかも知れないわ」
「お師匠様……」
鈴仙さんを慰めるその言葉は、あくまで優しい。
彼女たちの過去に何があったのかは知るよしもないけれど、少なくとも部外者である私が立ち入れるものでないことは確かだった。
「だから、ね、ウドンゲ」
「はい……」
永琳さんはそこでいったん言葉を切った。彼女はそっと鈴仙さんの背中に手を回すと、慰めるように撫でてやる。
いつしか、鈴仙さんの表情にも明るさが差し始めていた。その瞳には涙さえ浮かんでいる。
今私はきっと、理想の主従像というものを目の当たりにしているのだろう。その様子は眩しくさえあった。
ちょっとだけ、羨ましく思う。
永琳さんは、うっすらと微笑むような表情を浮かべてから、一度区切った言葉を継いだ。
「帰ったら――貴方を鍛え直さないといけないわね」
え、と声を上げたのは、今度こそ、私と鈴仙さんの両方だった。
2人して同じ反応をしたのなら、それは聞き間違いではないのだろう。
永琳さんの微笑みの意味が一瞬で反転した。
「ちょ、師匠! それどういう意味ですか!」
「うふふ、帰ったら、楽しみにしていなさい。じゃあ、ここではお祭りを楽しみましょう」
「楽しめませんよ! って待って下さい師匠ー!」
背中に当てていた手をするりと外し、すたすたと去ってゆく永琳さん。鈴仙さんは、泣きすがるようにそれを追っていく。
その2人を追うてゐさんは、いつまでも傍観者という立場を楽しんでいた。
そして後には、何事もなかったかのように、私たち3人が残されたのだった。
「……じゃあ、次の店にでも行くか」
「……そうね、そうしましょうか」
2人も、何事もなかったかのように通りへと戻る。もちろん、私も。
ちなみに店のおじさんも、何事もなかったかのように、倒された景品をいそいそと元に戻していた。
これで、全てが丸く収まったということにしておこう、うん。
次の薬売りの際に、鈴仙さんが元気な姿を見せてくれることを、せめて私だけは祈ってあげることにした。
「お、輪投げ屋があるぜ」
「今度は何か取れるといいわねぇ」
「さっきは色んな意味で鈴仙さんに持っていかれましたからねぇ」
輪投げであればまあ、誰かの独壇場となることもないだろう。
射的屋と同じく、その輪投げ屋にも様々な人形やおもちゃの類が置かれているのが見える。
お店には少女と思しき先客がいて、輪投げ遊びに興じていた。上手くいったのか、ぴょんぴょんと跳ねて全身で喜びを表現している。その様子が可愛らしい。
その少女は私と同じくらいの背格好をしており、身に纏う浴衣には、どこかで見たようなカエルの――
「って諏訪子様じゃないですか!」
明らかにそれは、昨日私が諏訪子様から薦められたカエル浴衣だった。
「あら早苗じゃない。どう、楽しんでるー?」
諏訪子様は、喋りながら残りの輪っかをぽいぽいと投げていく。そう聞いて来る本人が一番楽しそうである。
楽しんでますよ、と答えたが、出来ることならもうその浴衣を見たくはありませんでした。何かこう、誰かがそれを着ているのを見るだけで、背筋にぬめぬめとした感触が勝手に再生されてしまうんですよ。
「はい、これがお嬢ちゃんの景品だよ」
「ありがとー」
店のおじさんから、カエルっぽい置き物をはじめ、いくつかの景品を受け取る。
諏訪子様は輪投げが得意なのだろうかと、ふと思う。確かにそれは分からなくもない。洩矢の鉄の輪的な意味で。
「ねえ早苗、聞いた聞いた? 今、お嬢ちゃんって呼ばれちゃった」
人間にお嬢ちゃんなんて呼ばれて喜ぶ神様ってどうなんだろう。
「神奈子だったら絶対に、お」
「何か言ったかしら?」
「ぐえっ」
諏訪子様の首に見慣れた縄が掛かり、きゅっと絞まる。いつの間にか、諏訪子様のすぐ後ろに神奈子様がいた。
神奈子様、それは注連縄であって絞め縄ではありません。
何という罰当たりな注連縄の使い方なのだろうと思うけれど、そもそも神奈子様は神様であり罰を当てる側だからいいのかというよく分からない結論に至る。
とりあえず、こんなところでいつものようなケンカをされるのは恥ずかしいのでやめて欲しい。
「あらあら、いい声で啼くじゃない」
カエルがつぶされたような声に満足したのか、神奈子様は割とあっさりと諏訪子様を解放した。
「一体、何しにここに来てるんだこいつら……」
「さあ、どつき漫才でも披露しに来たんじゃないの?」
この2人を呆れさせるとは、さすがはわが神様。ちっとも誇らしくないけど。
「別にいいじゃないのよー、神様だってお祭りで遊びたいのよ!」
「そうそう、こうして神と人間が関わりを持って、親交を深めることが大事なのよ」
その気持ちは良く分かる。分かるけれど、あんまり人里で神様だとか口にしないで欲しい。威厳とか神秘性とかが薄れてしまいそう。
そう言えば、と思って、私は神奈子様の浴衣を見てみる。やっぱりそれは昨日目にしたものと同じ、ヘビがうねうね躍動している柄の浴衣だった。何かもう、見ても驚かなくなってしまった。
これは神奈子様サイズの浴衣だろうから、昨日のものは私のためにあつらえた一品なのだろう。
ごめんなさい神奈子様。それは永遠にお蔵入りです。
「それにしても、2人とも……」
魔理沙さんはそう言うと、諏訪子様と神奈子様の浴衣を遠慮なく見回す。やっぱり気になりますよねぇ、これ。
「随分と斬新な柄の浴衣を着てるなぁ」
斬新、ときました。
この柄を見て斬新とは、なかなかオブラートに包んだ表現をして下さる。もしくは、これは皮肉というやつだろうか。
個人的に斬新さで言えば、魔理沙さんの天の川な浴衣がそれに該当すると思う。
「うふふ、お目が高いねお客さん」
「いや照れるなぁ」
「どう、可愛くてイケてるでしょ? この浴衣」
斬新という言葉を褒め言葉と受け取ったのか、諏訪子様は嬉しそうに袖をひらひらと揺り動かす。おまけにくるりと1回転。ひらりと裾がひるがえる。
はい、私も可愛いと思います。ただし浴衣ではなく、その仕草がですが。
と言うかその問いは地雷です、諏訪子様。
「まあ一言で言うと、キモいな」
「率直に言うと、キモいわね」
ああ、私が決して口に出せなかった言葉をこうもあっさりと。
「ちょっと、何て失礼なこと言うのよ!」
訊かなければそんなこと言われずに済んだのに。
何だかさっきのレミリアさんの時と同じような展開になっている。こういう風に訊ねて来る人は、自分の求める返事が得られると確信でもしているのだろうか。
……してるんだろうなぁ。
「ダメよ諏訪子。イケてる浴衣っていうのはこういうのを言うんだから」
今度は神奈子様が、自身の浴衣を見せびらかすようにずいっと前へ出る。
そのヘビ柄の浴衣は、神奈子様が身に着けることでまた特別なオーラを放っている。ただし、神々しいと言うよりかはむしろ、禍々しいといった類の。
「こっちは悪趣味ね」
「ラスボスっぽい禍々しさを感じるぜ」
このお二方は清々しいくらいにはっきりと言って下さる。
「つくづく失礼ね。まあ、このヘビ柄の素晴らしさを理解するには、あんたたちじゃあ信仰が足りないわね。早苗くらいでないと」
「そうね、このカエル柄の可愛さを理解出来るのは早苗くらいなものね」
いや私をそっち側に入れないで下さい。
しかも、お互いに相手の柄については絶対に理解していない。
「まあいいわ。諏訪子、そろそろ行きましょう」
「そうね。……あっ、神奈子神奈子、次はあっちの射的屋ね」
「はいはい」
「じゃあねー早苗」
さっきまで私たちがいた射的屋に、ぱたぱたと駆けていく諏訪子様。その姿を後ろから見ると、いい年頃の娘さんのように可愛く見えた。
先程の輪投げの様子といい、諏訪子様は心からお祭りを楽しんでいるのがよく分かる。
あの浴衣だって、本人が気に入っているのであれば横から余計な口を挟む必要もないのだろう。
薦めて来なければ、だけど。
「早苗も、お祭りを楽しんでるみたいで何よりだわ」
その時、私の耳元でそうささやいたのは、確かに神奈子様のはずだった。
え、と口に出した時にはしかし、神奈子様は既に私から離れていて、諏訪子様の後を歩いているのだった。
もしかしたらお二方は、お祭りを楽しむだけでなく、私の様子も気にしてくれているのかも知れない。
そんなに過保護にならなくても、と思わなくもなかった。
なぜなら私は言うまでもなく、お祭りを楽しんでいるのだから。
――そうやって、頭の中で綺麗にまとめようとしたのに、
「それにしても、何とも個性的な浴衣だったな」
魔理沙さんが余計なことを言うものだから、浴衣の柄が脳内に鮮明に蘇ってしまう。
「あいつららしいんじゃない? カエルとヘビだし」
「神様のセンスっていうのも難解なものだな」
「少なくとも私は着たくはないわね、あれ」
「私もごめんだぜ」
それはそうでしょうね。全くもって同感ですよ、全くもって、ね……。
「ん、どうした早苗、元気ないじゃないか」
「……実は昨日、私はあの浴衣を着せられそうになりまして……」
「そ、そうだったのか……」
「た、大変ねぇ……」
昨日の出来事を思い出すたびに、苦笑いが漏れてしまう。もちろん、苦味が9割以上を占める。
「まあ、元気出せよ」
「そうそう。ここではお祭りを楽しみましょうよ」
何か、思いっきり同情されている。
これはこれで、むなしかった。
いくつかのお店を冷やかしている内に、私たちは随分と通りを進んだ。
このあたりは祭りの中心に近いのだろうか。人の流れは途絶えることがなく、辺りはよりいっそう盛況さを増している。
祭囃子も、より身近で演奏されているように感じられた。
「何かこのへん、かき氷屋が多くない?」
「確かに、多いですね」
霊夢さんの言葉を受けて見回してみると、右にも左にも、その向こうの屋台にも、「氷」と書かれた幟が掲げられていた。
ふと思ったのだが、製氷機なんてものがあるはずもない幻想郷において、どうやって氷を用意するのだろうか。冬場の氷を氷室で保存するにしても、これだけの量をお手ごろ価格で提供するのは難しいと思うのだけど。
と、そんな疑問を頭に浮かべていた時だった。
「かきごおりー! あたい印のつめたいかきごおりー! そこのあんたも買ってきなさーい!」
その声は周囲の喧騒をものともせず、人波で賑わう通りの中を一際大きく響き渡っていた。
「……かき氷屋が多いのはあいつのせいか」
「相変わらず、いつ見ても元気ねぇ」
とある一軒のかき氷屋の前に、彼女はいた。
チルノさんである。
以前、博麗神社でお茶していた時に霊夢さんにちょっかいを出しに来たことが幾度かあったので、彼女のことは知っている。
ただし、向こうが私のことを認識しているのかは分からなかった。
「チルノちゃん、また氷を頼むよー」
「次はウチの店の分も頼むよチルノちゃん」
「あいよー」
かき氷屋のおじさんからチルノさんのもとに、何やら水が持ち込まれている。彼女は慣れた返事でそれを受け取っていた。
持ち込まれた水に向けて彼女が両手をかざすと、パキパキと音を立ててそれが凍ってゆく。そして、ものの数秒で氷の塊が完成した。
なるほど、これならば大量の氷を簡単に用意出来る。非常に合理的な方法だった。
「ありがとうチルノちゃん」
「なくなったらまた頼むよチルノちゃん」
「おう、またいつでも来なさーい」
彼女は得意げな様子で腰に手を当て、胸を張っている。チルノちゃんなどと呼ばれてもてはやされ、すこぶるご機嫌な様子だった。
ともすれば偉そうだと取られかねない態度だけれども、彼女にあってはそういう振る舞いさえも微笑ましく感じられる。子供はやっぱり元気が一番である。
それに、と思う。
あたりを歩く人は皆一様にかき氷を手にし、誰もが美味しそうに頬を綻ばせてそれを口にしていた。
そんな、たくさんの笑顔を咲かせたのは、他でもないチルノさん特製のかき氷なのだ。
当人は恐らく無自覚なのだろうけれど、彼女がこのお祭りの賑わいに大きく貢献していることは確かなのだった。
「ようチルノ、元気でやってるな」
仕事が一段落ついた彼女に、魔理沙さんが声を掛ける。チルノさん自身はかき氷を売っていないのだろうか。
「あっ、黒白と紅白! それと、えーと何か緑っぽいの!」
私の扱い酷くないですか?
それともここは、私の存在がスルーされなかったことを喜ぶべきでしょうか。
「今日は黒白の格好じゃないぜ。それより、随分と繁盛してるみたいじゃないか」
「ふふん、連中がどーしてもって言うから、このあたいが氷を分けてやってるのよ」
今度は腕組みをしながら胸を張る。可愛いものである。
チルノさんも例に漏れず、浴衣を身に着けていた。
それは清涼感のあるブルーの地に、大小さまざまな白い雪の結晶がちりばめらたシンプルな柄だった。
夏の季節には何とも不釣合いな柄だけれども、チルノさんらしさがありのままに表れた良い浴衣だと思う。
「で、何か用なの?」
「用って、私らはかき氷を買いに来たんだよ。『あたい印』とやらのな」
「ふふん、分かってるじゃないの。おいしさのあまり、あたいにひれふすことになっても知らないよ!」
「能書きはいらないぜ。それよりお前は店をやってないのか?」
「あたいもやってるよ、ここで」
チルノさんはそう言って後ろの屋台を指差す。ちょうど、2人の親子連れがかき氷を受け取っているところだった。
「大ちゃーん、お客さんだよー」
「もおー、チルノちゃんもこっち手伝ってよ」
屋台の中から聞こえたのは、思いのほか幼い声だった。しかも微妙に泣きが入っている。
「って、店をやってるのはお前か」
「ここはチルノちゃんのお店なんですけど、チルノちゃん、ちっとも手伝ってくれないんですよ……」
屋台から小さな身体をひょっこりのぞかせているのは、私の知らない、緑髪の女の子だった。
こっそりと、彼女のことを霊夢さんに尋ねる。彼女は大妖精といい、チルノさんのお友達であるらしい。
ただし霊夢さんは、「友達と言うか、お守り役かも」と付け加えた。それは何となく分かる気がする。
その大妖精さんは、泣き言を口にしつつも私たちのためにせっせとかき氷を作ってくれていた。
見ると、彼女もやはり浴衣を身に着けている。
白色の地に、水色の雪の結晶がそこここに施されている柄。それはチルノさんのものとお揃いの模様で、ちょうど配色を反転させたかたちになる。
ただ地色のせいか、チルノさんのものよりかなり大人しく見えてしまう。それは言わば、静寂に包まれた雪原のようなうら寂しさなのだった。
おまけに、袖にはシロップのものと思われる汚れが付着していた。苦労の後がしのばれる。
「シロップはどうしますか?」
「ああ、忙しそうだから、自分でかけるよ」
「すみません……」
声からして、申し訳なさそうだった。
霊夢さんと魔理沙さんは、何種類もあるシロップの品定めに夢中になっている。そのカラフルな色合いに、2人とも右に左に目移りしていた。
その間に、私はチルノさんとお話することにした。
「チルノさんは、お店を手伝わないんですか?」
「うーん、でも、お金の計算とか、あたいはよく分からないし……」
ちょっと迷いを見せているあたり、引け目を感じてはいるらしい。
「じゃあせめて、一緒にお店の中にいてあげたらどうですか? その方が、2人とも楽しいと思いますよ」
「……うん、そうする」
素直に頷いて、店の中へと入るチルノさん。
何かと腕白な面ばかりが表に出る彼女だけれども、友達のことを思う一面もちゃんと見られるのだった。
その間に、霊夢さんもかき氷を手にしており、後は私の分だけになっていた。
「ありがとうございます」
私がかき氷を受け取る時に、大妖精さんは先程までより幾分か元気な声でそう言った。
その言葉は恐らく、かき氷を買ったことではなく、チルノさんをそばに呼び寄せてくれたことに対してなのだろう。私とチルノさんが話しているのに気付いていたらしく、よく見ると、私のかき氷だけやや大盛りにされていた。
店の中に入ったチルノさんも、次の容器を用意したり、何だかんだきちんと手伝いをしていた。
全然違う性格をしていても、この2人は大の仲良しなのだろう。
かき氷を買い終えた私たちがここに居残る理由は、もう何もなかった。
「お揃いの浴衣、可愛いですよ」
別れ際に私がそう言うと、大妖精さんはえへへ、とはにかんで、小さな花がほころぶような笑顔を見せるのだった。
長椅子に3人並んで座り、かき氷を食す。
口いっぱいに広がる冷たさとシロップの甘さが嬉しくて、ついつい手がサクサクと進んでしまう。
「いてててて……」
「どうしました? 魔理沙さん」
「いや、頭が急にキーンってなってな」
魔理沙さんが顔をしかめて頭をとんとんと叩いている。
「ああ、よくあるアレね。そんなにがっついて食べるからよ」
「がっついたつもりはないんだが……。それにしても、冷たいもの食べるとどうして頭が痛くなるんだろうな」
確かこれは、アイスクリーム頭痛って言ったっけ。冷たいという強い刺激が神経に届くことで起こるらしいけど、詳しいところは覚えていない。
まあ、そんな科学的な説明をここでしたところで理解は得られないだろう。
「やっぱりあれじゃない? そんなにがっついて食べるとお腹を壊しますよ、っていうお告げ」
「なんだそれ、私が子供みたいじゃないか」
「子供じゃないの?」
「……遠慮なく言うなよ」
頭痛のためか、否定のトーンが弱い。
「早苗だって、私と同じくらいの早さで食べてるじゃないか。“お告げ”はないのか?」
「私は、大丈夫ですよ。オトナなので」
私はあえて、ケロッとした表情で言ってやった。出掛ける前に言われたことに対する意趣返しである。
「ちえっ、歳はほとんど変わらないくせに」
魔理沙さんは不貞腐れるように、かき氷をシャクシャク口へ運ぶ。そしてまた頭痛に悩まされていた。
そんな彼女が微笑ましく、私と霊夢さんはしばらく2人で魔理沙さんをからかっていた。
そんなことをしてしまった手前、途中から私自身もアイスクリーム頭痛に苛まれていたことは何が何でも隠し通さねばならないのだった。
「向こうに人だかりが出来てますね」
「ここは広場だものね。祭囃子が演奏されてるんだと思うわ」
かき氷を食した私たちは、通りをさらに進んでいく。
するとやがて、左右に並んでいた出店が途切れ、代わりに大勢の人出で賑わう広場へとたどり着いた。
霊夢さんの言う通り、祭囃子が演奏されているのだろう。人々が賑わう中にあっても、はっきりとそのメロディを感じることが出来た。
「少し、聞いていきませんか?」
「私は構わないぜ」
「ここで少しゆっくりしていくのも悪くないわね」
私の希望に、2人とも付き合ってくれた。
私はしばし目を閉じて、祭囃子の音色に耳を傾ける。
笛の音は、踊りを誘うかのように軽やかに。
太鼓や鉦の音も、主旋律の笛に合わせ、跳ねるように鳴り響いていた。
始まりも終わりも感じさせないその旋律に聞き入っていると、ともすれば時の流れさえも忘れてしまいそうになる。
その曲調は、私が外の世界にいた頃に聞いたそれとはまた異なるけれど、自然と身体に馴染むようなメロディであることに変わりはない。
どちらも同じ“祭囃子”であることは、確かだった。
「何だか、聞いてるだけで楽しくなってきますね」
私は、目を閉じたままそう言った。
2人の返事はなく、私の言葉を聞いていたのかさえも分からない。
それでも、構わなかった。
今のこの時、この場所で、私たちは一緒に祭囃子を楽しんでいる。
そんな、ちょっとした一体感を得られるだけで十分なのだった。
「ちょっと、前のほうに行きません?」
やがて私は目を開けると、2人にそう提案した。
ふと、この祭囃子はどんな人たちによって演奏されているのかが気になったからだった。
祭りと言えばやはり若い男衆か、それとも今日の日のために練習を重ねた子供たちか。
人だかりの向こうは一段高い舞台になっているらしく、そこで祭囃子が演奏されているようだった。
しかしあいにくと、今の場所からはその姿が確認出来ないでいた。
「そうねぇ、やっぱり生で見たいわね」
「だな」
2人とも同意してくれた。
混雑はしているが、幸いながら移動に不自由するほどではなかった。
私たちは人波の合間を縫うようにして、舞台の方へと向かう。しかし、肝心の奏者の姿が舞台上に1人しか見当たらない。近付いたことで、それが女性であることが見て取れた。男性が演奏していると思っていたので、少し意外に思う。
そしてさらに近くへ寄っていくと、その正体が明らかとなる。
「あれは……アリスさん?」
「あー、アリスだな」
舞台の中央に立っていたのは他でもない、森の魔法使いのアリスさんだった。
ということは、と思い、私は背伸びをして舞台を見てみる。すると彼女の周囲に、何体もの人形の姿が見て取れた。
そう、祭囃子を演奏していたのはこの人形たちだったのだ。
彼女が人形遣いであることは知っていたけれど、こうして大量の人形を一度に操るのは初めて見る。人形たちは小さな身体をめいっぱい動かして、笛を奏で、鉦を鳴らし、太鼓を響かせていた。それはまさに、生きているかのような、という言葉がぴったりの、生き生きとした姿だった。
その人形たちも浴衣を着せられている。それぞれ赤や、黄色や、青色などの、まさに七色と言うにふさわしい色とりどりの浴衣で飾り立てられていた。
「あいつが里で人形芸をやってるのは知ってたが、こうやって生で見るのは初めてだな……」
珍しいことに、あの魔理沙さんが感心したようにつぶやく。それだけ、アリスさんの技芸を素晴らしく思ったのだろう。
そのアリスさん自身も横笛を手にし、人形たちを導くように主旋律を奏でている。繊細な指遣いが美しい。
人形を操りながら、自身も演奏を行う。それがどれほど難しいことなのか、私には想像もつかない。けれど彼女はそれを、涼しい顔をしてやってのけていた。
そしてもちろん、アリスさんも浴衣を身に付けている。
すっきりとしたライトブルーの地に、淡い赤色や紫色をした百合のような花を咲かせている。そんなパステルカラーで彩られたその浴衣は、西洋風の雰囲気を纏う彼女によく似合っていた。
端整な顔立ちや白魚のような指、そして静やかに演奏する佇まいとも相まって、それこそ人形のような、という形容がしっくり来る姿だった。
やがて、締めくくりにアリスさんの笛が一際長く吹かれて、フェードアウトするように祭囃子の演奏が終わりを告げた。
音楽が止んだその時、ざわめき声も同時に収まり、あたりは一瞬、水を打ったように静まり返る。
ほどなくして、どこからともなく拍手が始まり、その音はやがて大波のようなうねりを持って舞台へと押し寄せていった。
私たちももちろん、惜しみない拍手を送った。
アリスさんはベテランの演者のように、その拍手に笑顔で応える。そして誇らしげに一礼をすると、人形たちもそれに合わせて頭を下げる。それは、思わず笑みがこぼれるような光景だった。芸達者たる者、舞台からいなくなるまでが演技でなければならないのだろう。
舞台の袖へと向かう去り際、彼女は私たちの姿を認めると、少し意外に思ったような顔をする。でもそれも一瞬のことで、彼女はすぐにクールな表情を取り戻した。やはり舞台上に立つ者、ちょっとのことで動じることはないようだった。
拍手の波は、彼女の姿が舞台から完全に消えるまで続くのだった。
「凄かったですね……」
拍手がようやく鳴り止んだ頃、私は興奮が覚めやらぬままそう言った。
「普段、私たちの前だとこういう人形の使い方をしないから、意外よね」
「そうだなぁ」
私もこれまでは、人形がアリスさんの身の回りの世話をしたり、弾幕ごっこをしたりしているところしか見たことがなかった。
こんな素敵なわざを持っているのなら、普段から見せてくれてもいいのにと思う。もったいないではないか。
今度会ったら、そう伝えてみよう。それだけでなく、彼女には今日の芸について聞いてみたいことがたくさんある。
私は、アリスさんの舞台を一度目の当たりにしただけで、ファンになってしまいそうだった。
「霊夢お姉ちゃん?」
そんな声が聞こえたのは、私たちが広場から屋台の列へ戻ろうとしている時だった。
霊夢お姉ちゃん? はて、何だろうそれは。霊夢さんを呼ぶ声だろうというのは分かるけれど、何故そこにお姉ちゃんなどという人なつっこい言葉が接続されるのだろう。
「あら、あなたたちも来てたの」
そう返事をしたのはもちろん霊夢さん。しかしその声は、いつにも増して柔らかくて優しげだった。
振り向くと、そこには何人かの女の子が立っていた。年のころは10歳くらいだろうか、皆浴衣に身を包んでいる。
もちろん私の知らない子たちであるけれど、霊夢さんなら里に知り合いがいても不思議ではなかった。
「霊夢お姉ちゃんも来てたんだー」
「ええ。お友達と一緒にね」
一応、私たちは友達と認識されているようだった。
ただ、霊夢さんの口からそんな言葉が出て来るのを初めて聞いたので、どこか照れくさく感じてしまう。
「お姉ちゃんたちも今のお人形の演奏、見てた?」
「もちろん、見てたわよ」
「凄かったよねー」
女の子たちは、そろって賞賛の言葉を口にする。霊夢さんもそれに合わせて頷いていた。
そうやって親しげに話しかけられる様子で、霊夢さんが彼女たちに好かれていることがよく分かる。
一番前にいる女の子などはさかんに霊夢さんに話し掛け、よく懐いていた。黒髪のおかっぱ頭に浴衣という格好がよく似合ってて、どこか座敷童子を思わせる姿だった。
霊夢さんもきちんとかがんで、女の子たちと同じ目線で喋っている。
そんな様子が正直意外ではあるけれど、もしかしたらこれが、本来の霊夢さんの姿なのかも知れない。
普段彼女が付き合っている相手は、誰も彼もが偏った連中ばかりなのだから。
「またね、霊夢お姉ちゃん」
「うん、またね」
しばらく喋った後、女の子たちはお祭りの賑わいの中へ戻っていく。私たちはばいばいをしてそれを見送った。
「……して霊夢さん、今の子たちは?」
「前に、うちの神社に参拝に来た子たち」
「へぇ……」
「ちょっと一緒に遊んだりもしたんだけど、全然違う格好をしてるのに気付いてくれるとはね」
霊夢さんは遠い目をして、女の子たちの後ろ姿を見守っていた。
何だかんだ、あの神社にも参拝客はいるらしい。
それにしても、
「霊夢お姉ちゃん、ですか……」
「霊夢お姉ちゃん、ねぇ……」
「何よ、何か文句でもあるの?」
「文句はないけどさぁ……」
「文句はないんですけどねぇ……」
何というか、ニヤニヤが止まらない。
霊夢さんが、異変時は妖怪だろうが神様だろうが問答無用でしばき倒すあの霊夢さんが、霊夢お姉ちゃんなどと呼ばれて目尻を下げているのだ。
そんな一面を見せられて、黙っていられるはずがなかった。
「なあなあ霊夢お姉ちゃん、あそこのりんご飴買ってー」
「んなっ!?」
それはきっと、魔理沙さんも同じだったのだろう。彼女は突如、甘えるような声を上げながら霊夢さんに抱き付いたのだ。さすがの霊夢さんもこれには面食らっている。
霊夢さんの腕に取りすがるその姿はちょうど、猫がじゃれ付いているかのようで、さらには上目遣いで瞳を輝かせるという強力なオマケ付きである。
「霊夢お姉ちゃあん」
「くっ……!」
魔理沙さんはなおも、霊夢さんの腕にゴロゴロと頬をすり寄せて離れない。猫なで声も妙に板についている。
そんな風にじゃれ合う2人が、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまった自分がいる。
「なあなあ~」
「ああもううるさい黙れ離れろこのおバカ」
「うぐっ」
ドスッと鈍い音がしたかと思えば、魔理沙さんがうめき声を上げてよろめく。霊夢さんの手が入ったようだ。
「ぼ、暴力は反対だぜ、霊夢お姉ちゃん……」
「まだ言うか」
強烈な一撃を受けても、魔理沙さんは懲りていないらしい。第二撃が入らなかったのは僥倖だろう。
ただ、少なからず動揺している霊夢さんは大変貴重なので、私もからかいたくなってしまう。
「霊夢さん霊夢さん」
「何よ」
「今の、あっちでさっきの子たちが見てましたよ」
「っ!」
私の指差した方に物凄い勢いで振り返るが、そっちにはただの人ごみがあるだけである。
「まさかこんなにあっさり引っかかるとは思いませんでした……って痛い痛い痛いですって!」
無言のまま、両手で頭をぐりぐりされた。それもかなりの力で。
「あんたもみぞおち入れられたいのかしら」
「嘘です嘘です、あの子たちは飴玉の屋台にいてこっちは見てませんでしたって!」
「あら、そうなの」
真相を口にすると、霊夢さんはあっさりと私を解放してくれた。
しかし彼女はそのまま私の腕を掴み、賑わいからやや離れた通りの隅っこへと引っ張る。
そして、誰も聞いていないだろうに、わざわざ顔を近づけて、
「……で、見てなかったっていうのは本当でしょうね」
念を押すようにして聞いて来る。
大いに今更な感じがするけれど、あの子たちが見ていなかったというのは本当だった。
また、このお祭り騒ぎの中であれば、ちょっとくらいハメを外す人がいても大して気に留める人もいないだろう。
「はい。多分飴玉を買って、通りの向こうに行っちゃいましたから」
「そう。ならいいわ」
傍若無人というか、普段は他人のことなど意に介さない彼女が、人目を気にするのは珍しいことだった。
少なくともあの子たちの前では、優しい霊夢お姉ちゃんでいなければと思っているのだろう。
そんな霊夢さんを可愛く思う。
だから私は、これ以上そのことで彼女をからかうのはやめることにした。
「そうだよなー、優しい“霊夢お姉ちゃん”はそんな暴力なんて振るっちゃいけないもんなー」
容赦ない第二撃が魔理沙さんに炸裂した。
「はぁ、お祭りの醍醐味はやっぱり食べ歩きよねぇ」
霊夢さんがりんご飴を頬張りながら言った。初めは食べ歩きを渋っていた私も、今では普通にそれに付き合っている。
今回買ったりんご飴は、まるまる1個のりんごではなく、食べやすいように4等分してあるものだった。
なので1つでは足りないと思い、私と霊夢さんはそれぞれ2つずつ買った。
4分の1の大きさだから量が多いわけではないけれど、両手に持っているだけで、どこか贅沢をしている気分になれる。
「2人とも、そんなに食べると太るぞ」
食べ過ぎを気にしてか、魔理沙さんだけは1つしか買っていなかった。
「だーいじょうぶよ。お祭りの日だけの贅沢ってやつよ」
「そうですよ、魔理沙さん気にし過ぎですよ」
「そうかねぇ……。それともアレか。早苗は奇跡の力でどうにかなるのか。『食べ過ぎても太らない奇跡!』って」
「そんな奇跡があったらいいんですけどねぇ」
魔理沙さんの中では、奇跡の力は万能であるらしい。
「魔理沙さんこそ、食べ過ぎても太らない魔法とかってないんですか?」
「そうよねぇ。マスタースパークみたいのばっかりじゃなくて、もっと生活に役立つ魔法とか使えばいいのに」
「お前ら、魔法を何だと思ってるんだよ……」
「生活向上に便利な道具とか?」
「いつでも奇跡を起こせる力ですか?」
「……お前らが魔法に多大なる幻想を抱いてることはよく分かった」
魔理沙さんは呆れた表情でため息を吐き出すと、そもそも魔法というものはだな……と、何やら語り始める。
私は、口いっぱいに広がるりんご飴の甘酸っぱさを味わいながらその話に耳を傾けていた。
食べ歩きももちろん良いけれど、お祭りの醍醐味はやっぱり、こうやって友達と言える誰かと何でもないお喋りに興じていられるところにこそ、あると思う。
お祭りという非日常の雰囲気に酔いしれて、お喋りがいつも以上に弾み、そして楽しく感じられるのだ。
お酒を口にした訳でもないけれど、どこかふわふわと浮つくような、そんな感覚に、私はとらわれていた。
「だから魔法って言うのは――」
――と、その時だった。
魔理沙さんの言葉が突然、半ばでふつりと切られたかのように途絶えた。
いや、彼女の声だけではない。それまであったはずの周囲のざわめきまでもが掻き消えている。
聞こえたのは、自らの口から飛び出した、え、という短い驚きの声だけだった。
浮つき過ぎて五感がおかしくなったのか。
けれど、辺りの景色はそれまでと何ら変わるところがない。それなのに、音という音だけが綺麗に切り取られているのだ。その不自然な感覚はめまいを引き起こしそうなほど不可解で、そして不快だった。
「――という訳なんだよ」
しかし次の瞬間に、魔理沙さんの声がまた聞き取れるようになる。ざわめきも元通りに聞こえる。
何があったかは分からないけれど、耳がおかしくなった訳ではないみたいなので、私は胸を撫で下ろす。きっと、気のせいだろう。
お祭りだからとはしゃぎ過ぎて疲れているのかも知れない、などと思う。
おかげで、魔理沙さんの話の結論部分がすっかり抜け落ちてしまった。
「すみません、もう一度言ってもらえますか?」
「ごめん、私も何か聞き取れなかった」
霊夢さんも同じく聞き返している。
もしかしたらこれは、私の気のせいなどではなかったのかも知れない。
「何だお前ら、せっかく人が熱く語ってやってるというのに、聞いてなかったのか」
「いえ、何か一瞬、魔理沙さんの声が遠くなって……って、あれ?」
気が付くと、左手に持っていた、まだ口をつけていないりんご飴がいつの間にかなくなっている。
落としたかと思って振り返るも、それらしいものは見当たらない。
「あら、私のりんご飴がない」
「霊夢さんもですか?」
「早苗も?」
「はい。さっきまでは確かに持ってたはずなんですが」
自分の両手を見てみるも、食べかけのりんご飴しかない。それは霊夢さんも同じだった。
「何してるんだ2人とも。落としたんじゃないのか?」
「さすがに落としたら気付くわよ。……多分」
「でも、なくしてるじゃないか」
「うーん」
さすがの霊夢さんも言葉が続かない。
けれど、2人同時に持ち物をなくして、しかもそれが見つからないのだ。単に落としただけとして片付けるのは躊躇われる。
「さっき、魔理沙さんの話を聞いていた時、何秒かの間、何故か何も聞こえなくなったんですよ」
「早苗もそうだったの? 私もなんだけど」
やっぱり、霊夢さんの身にも同じことが起きていたようだ。
「なくしたのがその直後ですから、その時に何かあったのかも知れません」
「うーん……」
みんなで考え込むが、そもそも考えたところで答えが出るものでもなかった。
それから私たちは、意外な事実に直面した。
手にしていた食べ物をいつの間にかなくしてしまった人が、他に何人もいたのだ。
やはり共通しているのは、落としたという自覚も物証もないこと。そして、耳が何も聞こえなくなった直後に、それに気付いたということだった。
被害者の中には、先ほどの女の子たちもいた。
霊夢さんによく懐いていた、あのおかっぱ頭の女の子が泣いていた。彼女は、さっき買っていた飴玉の袋をなくしてしまったらしい。
そして彼女だけが、他の人とはまた異なった証言を行なった。
彼女は、自分の持っていた飴玉が不意に手から離れ、宙に浮いているのを見たと言うのだ。あ、と思った時にはもう見えなくなっていたらしい。
それは、にわかには信じがたい話だった。
けれど彼女にとってみれば、飴玉を失ってしまったことよりも、自分の言葉を信じてもらえないことの方が辛いのかも知れない。
霊夢さんが代わりの飴を買って来てくれたけれど、それで楽しいお祭りの時間が取り戻せる訳でもなかった。
「これはやっぱり……アレだな」
それまで黙って話を聞いていただけの魔理沙さんが、1人頷いている。
「魔理沙は何か分かったの?」
「多分、な」
この中で何かを掴んでいるらしいのは、魔理沙さんだけのようだった。
「私らが解決してやるから、もう泣くな」
魔理沙さんはそう言って、女の子の頭をぽんぽんと撫でてやった。
慰められて、彼女は泣き腫らした目で魔理沙さんを見上げる。
もう泣いてはいなかったけれど、気落ちしているのは誰の目にも明らかだった。
「解決って、一体何をするんですか?」
「釣りだよ」
それで、何故こんなことになっているのかよく分からない。
私は今、賑わいからちょっと離れた場所に置かれた、休憩用の長椅子に腰掛けている。
傍らには、たこ焼きやかき氷などといった食べ物。そして隣りには、何故かアリスさんが座っていた。
魔理沙さん曰く、私たちはおとり役で、食べ物は言わば釣りのエサであるらしい。
不自然にならないように、少しずつ食べ物を口にする。それが減って来ると、屋台の中を練り歩いていた魔理沙さんが適当に食べ物を見繕ってここに持って来る。そうやって、釣るらしかった。
そんな“釣り”をするからには、呼び寄せて引っ掛けるべき何かがいるということになる。その「何か」が、今回の出来事の犯人なのだろうか。
ただ私は「普通通りにしていろ」という指示しか受けておらず、仮に犯人が釣れたとしても何も出来ない。全てはアリスさんに任せてあるらしい。
協力出来ないのが残念ではあるけれど、状況をほとんど理解出来ていない以上は仕方のないことだった。
「そう言えば、貴方」
「あっ、はい」
不意にアリスさんから話し掛けられて、ちょっと驚いてしまう。
何も出来ないからと、ぼんやりしていてはいけなかった。
「さっき、私たちの演奏見てたわよね」
「はい」
私“たち”という言葉に一瞬違和感を覚えるが、それが人形たちを差していることにすぐ気付く。
彼女にとっては、人形は単なる道具ではなく、共に演じるパートナーみたいな存在なのだろう。
「どうだったかしら?」
どうやら彼女は私に、感想を求めているようだった。
あれだけの拍手を受ければ、大盛況だったことは本人にも分かると思うのだけど、やっぱり生の声としてそれを聞きたいのだろう。
そう言えば、彼女の演奏が終わってからもずっと祭囃子が聞こえている。これも彼女の人形による演奏なのだろうか。
「正直、聞き入ってしまってました。
それで、どういう人が演奏してるんだろうって気になって見てみたら、アリスさんとお人形さんだったので驚いちゃいました。
アリスさんは人形を使ってこんなことも出来るんだ、って思いました」
「ふふ、ありがとう」
柔らかく微笑むアリスさん。その表情は、舞台上にいた時のようなクールなものではなく、少女らしい情感のこもった可愛い笑顔だった。
かつて、彼女と初めて会った時の私の感想は、その整った顔立ちとも相まって「綺麗な人だけど、どこか冷たそう」だった。
けれどこうして話してみれば、それが全くの偏見だったことに気付かされる。
むしろ、クセのある方々ばかりの幻想郷の中にあって、普通の会話が出来るある意味貴重な存在なのだった。
「ところで、さっきからずっと祭囃子が聞こえてるんですが、これもひょっとしてアリスさんのお人形が?」
「そうよ」
「自動で演奏もするんですか?」
「ええ」
何でもないように答える。
「そんなことも出来るんですね……」
「ゼンマイで動くおもちゃがあるでしょう。それと同じよ。あらかじめ魔力を供給しておけば、しばらくは自動で動かせるの」
そうは言うけれど、ゼンマイのおもちゃでは完璧に歩調を揃えることは不可能だろう。
しかし今流れているメロディは、一糸乱れず見事に足並みが揃っているのだ。
個々の人形がリズムをずらさずに演奏しているのだから、それぞれの動きを完全に同期させているのだろう。
これは神業か、と、神に仕える身でありながらそんなことを思ってしまう。
「まあ、一度にそんな沢山は動かせないから、この演奏はちょっと賑やかさが足りないかもね」
これは、照れ隠しから来る謙遜だろうか。
賑やかに演奏される祭囃子ももちろん良いけれど、こうして背景音楽のように穏やかに聞こえるのもまた素敵だった。
願わくば、無心のままいつまでもこの祭囃子に耳を傾けていたい。私は心からそう思う。
けれど今、私たちはおとりとしてこの場にいる。
女の子たちに悲しい思いをさせた原因を、突き止めなければならないのだ。
出来ることならこんな形でなく、もっとゆったりとした雰囲気の時にアリスさんと話をしたかった。
「そう言えば、女の子たちもアリスさんの舞台を見てましたよ」
「あら、そうなの?」
「はい。演奏も、人形も、凄かったって言ってました」
それは打算も何もない、女の子たちの素直な感想だった。
しかし、彼女たちのそんな楽しいひとときは、何者かによって文字通り奪われてしまったのだ。
その罪は、ただ単に物を盗んだことよりもずっと重い。もし捕まえられたならば、何が何でも彼女たちへ謝罪をさせるつもりでいる。
私自身がりんご飴を取られたことなど、もはや瑣末事に過ぎなかった。
「やっぱり、そう言ってもらえると嬉しいわね……」
遠い目をして、アリスさんは言う。
「私が里で人形劇を始めたのはもともと、誰かを喜ばせるためと言うよりはむしろ、人形を操る練習の一環に過ぎなかったのよね」
「そうだったんですか……」
「ええ。だけど、回数を重ねてるうちに、喜んでもらえるのが嬉しくなっちゃって。今では、毎回のように顔を見せてくれる子もいるのよ。
でも今日みたいに大人数になっちゃうと、見に来た子たちと話すこともなかなか出来ない。だから、後からそういう感想をもらえるのが凄く嬉しいのよね」
人気者ゆえの悩み、なのだろうか。
「だから人形芸をやる時は、本当は舞台の上なんかじゃなくて――」
不意に。
滔々と語るアリスさんの声が、切り落とされるように途絶えた。祭囃子の音色も同時に掻き消えている。
それは、音だけが不自然に失われた世界。間違いなく、先程と同じ状態に陥っている。だが今は2回目。もう動じてなどいられない。
それとなくアリスさんに視線を投げると、同じように視線を返される。
もう、彼女も分かっている。
私は視界の端で、傍らに置かれた食べ物に注意を向ける。――すると、それがわずかに持ち上がるのが見えた。本当に、動いたのだ。
女の子の言葉は、やはり正しかった。
そして、「何者か」が今そこにいる。
後は、アリスさんに任せるしかない。
今度ははっきりと、彼女の方に顔を向ける。
彼女は、冷静な表情のまま手を振り上げると、
――突如として、周囲に多数の人形が出現した。
人形たちはそれぞれ剣や槍などで武装し、私たち2人を取り囲むように展開している。
逃げ場はどこにもない、完全な包囲状態が成立した。
その時だった。
音のないはずだった空間に、ヒッ、という息を呑むような声が響く。
そして同時に、まるで手品のように、目の前に突然それが出現したのだ。
現れたのは、子供くらいの背格好をした、3人組の少女だった。共に背中に透明な羽のようなものが生えており、妖精だと分かる。
3人とも、突然の人形の出現に驚いているのだろう。そろって目を剥いていた。
私としても、まさか相手が3人もいたとは思わず、呆然としたままその姿を見つめていた。
「ちょっとサニー! 見られてるわよ! 能力解かないでよ!」
「ルナだって! 声も駄々漏れじゃない!」
「無理言わないでよ! いきなりこんな――」
「あらあら、本当に貴方たちが出て来たわ。魔理沙の言ってた通りね」
何やら勝手に現れて勝手に騒ぎ立てている3人を、アリスさんの言葉が遮る。その声には、どこか呆れのようなものが混じっていた。
出て来た相手はどうやら、魔理沙さんの予想通りだったらしい。
「もう、うかつに姿を隠さない方がいいわよ。見えないと、寸止めが利かないから」
アリスさんはそう言うと、薄笑いを浮かべながら妖しく指を動かす。
すると人形たちは亡霊のようにゆらりと蠢き、緩慢な動作で標的に刃を差し向ける。生気の全く感じられないその動きは、ホラー映画のゾンビを髣髴とさせるものだった。
それは真綿で首を絞めるかのように、じわりじわりと相手を恐怖の淵に陥れるのだ。
その様子は、狙いでないはずの私の背筋さえも凍り付かせるほどだった。
芸達者のアリスさんにとっては、人形を使うことで、見る者を喜ばせるだけでなく、こうして震え上がらせることまでもお手の物なのか。
「だから、アリスさんはやめようって言ったのよぉ……」
恐怖に当てられ、彼女たちはそのまま地面にへたり込んでしまう。
これ以上、抵抗する気力はないようだった。
「ごめんなさい……」
盗みを働いた相手に対し、3人の妖精は力なく謝罪の言葉を口にする。
誠意ある謝罪とまではいかないが、それなりに反省の色は見て取ることが出来た。
魔理沙さんによれば、彼女たちは名をサニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアと言い、悪戯好きの三妖精であるらしい。
彼女たちは光を屈折させたり音を消したりする能力を持っていて、それを利用して盗みをはじめとする悪戯に精を出しているという話である。
その能力のことを魔理沙さんは知っていたために、犯人の予想が付いたとのことだった。
アリスさんの協力を仰いだのにも、彼女たちの能力が関係していた。
スターサファイアさんは、生き物の存在を感知することが出来るらしい。そのため、隠れて待ち伏せするなどの作戦が通用しない。
しかし、生き物でないアリスさんの人形は感知されないので、魔理沙さんはそれを利用したのだ。
ちなみに、アリスさんは既に祭囃子の演奏に戻っている。彼女は三妖精の処遇よりも、人形芸の方を優先したいようだった。
食べ物をなくした人たちは、それが妖精の仕業であると分かると、やれやれといった表情を作ってため息を吐く。
里の人たちにとって、妖精の悪戯はある意味で慣れっこであるらしい。
彼らの多くは3人の妖精に軽く注意を行なうだけで、あっさりとお祭りへと戻っていく。謝りさえすれば、お咎めはないようだった。
「皆さん、意外と怒らないんですね」
「まあ、子供の悪戯と同じようなものだからな。怒っても仕方がないって思ってるんだろう」
「甘いと言えば、甘いんだけどねぇ」
振り返ってみれば、確かにこれは子供の悪戯と同レベルだろう。
そして実際に捕まえたら本当に子供のような相手だったので、私としても、正直拍子抜けしてしまったふしがある。霊夢さんと魔理沙さんもやはり、怒ると言うより呆れている。
私もりんご飴を盗まれた身だけれども、もはや叱り付ける気にもなれなかった。
どこか煮え切らないものがあるけれど、この3人はこれでもう釈放かな、と。そんなことを思っていた時だった。
「ねぇ……」
その時口を開いたのは、飴玉を盗まれていた、あのおかっぱ頭の女の子だった。
「飴玉が、欲しかったの?」
「え……?」
彼女は、3人の妖精に問いかける。
妖精たちは、盗んだ飴玉はそのまま持ち帰るつもりだったらしく、幸いにも1つも食べられていなかった。そのため、それは手つかずのまま無事に彼女に返されていた。
投げかけられたのが非難の言葉でなかったからか、3人は小さく驚く。
俯いたまましばらく返事に窮していたが、やがてサニーミルクさんが口を開いた。
「飴は甘くて美味しいのを知ってたから、欲しかったのよ。お家でゆっくり食べたかったから……」
ぽつぽつと、力なく答える。恐らくこれは本音だろう。
「じゃあ、これはあげる」
「えっ?」
驚いたことに彼女は、先程取り戻した飴玉の袋をそのまま3人に差し出したのだ。
「でもこれは貴方の……」
「私の分は、さっき霊夢お姉ちゃんが買ってくれたからいいの」
そう言えばそうだった。今、彼女の手には飴玉の袋が2つある。
確かに、2袋分の飴は彼女にとって手に余るものなのかも知れない。しかし、だからと言ってそれをそのまま譲るなんてことは私には出来ない。ましてや、相手はいったんそれを盗んでいたのだ。
「……でも、本当にいいの?」
「うん」
女の子のその返事はあくまで平易で、そうして飴玉をあげることを当たり前に思っているかのようだった。
それを欲しい誰かがいて、自分の手元にはそれが余っているから、あげる。彼女にとってはただそれだけのことみたいだった。
差し出された飴玉の袋を、サニーミルクさんが恐る恐る受け取る。その瞳には、まだ戸惑いの色が残っていた。
「あ、ありがとう……」
「飴って、美味しいものね。私も大好き」
女の子がにっこりと笑うと、三妖精も少しだけ緊張が緩んだのか、ほっとしたような表情を浮かべた。
彼女としては、飴好きの同士がいて嬉しかったのかも知れない。
後で私も飴玉を買ってこようかなと、そう思わせてくれるような笑顔なのだった。
「でももう、変なことはしないでね」
「あ、うん……」
有無を言わさず頷かされた感がある。
ある意味これは、叱り付けるよりもよっぽど効果的かも知れなかった。
「許してもらえて良かったな。もし私のを盗んでたら、今頃消し炭だぜ」
「うぅ……」
魔理沙さんが消し炭とか言うと、実際に出来なくもないだけに、冗談でもちょっと怖い。
まあ、そんな冗談を口にするくらいなのだから、魔理沙さんとしてもこれ以上彼女らを責めるつもりはないのだろう。
当の女の子が許しているのなら、それで十分だった。
「ま、せっかくのお祭り時なのに罰を与えるなんて、それこそ無粋だろうしな」
「そうねぇ。せっかくのお祭りなんだから、あんたたちも悪戯なんかしてないで楽しんで来なさいよ」
「……でも、私たちがいていいのかなぁ」
さっきまで悪戯に興じていた割には、随分と大人しい。女の子に許された上に飴玉までもらってしまったことが、意外と負い目になっているのかも知れない。
むしろ、反省の気持ちがそれくらいあるのなら全く問題はないと思う。
「もう許してもらってるんだから、誰も気にしたりはしないぜ」
「そうそう。それにここの人たちは、相手が人間だろうが妖精だろうが、普通にしてれば誰も文句つけたりはしないわ」
「そう……かな?」
2人の言葉に、三妖精の表情にもようやく明るさが差し込んで来た。
そうである。たとえ、吸血鬼が屋台の間を駆け回っていても、妖精が店を出していても、はたまた神様が遊びに夢中になっていても、それに殊更注意を向ける者は誰一人としていなかった。
それを楽しんでいる限りにおいて、お祭りという場はあらゆる者を平等に受け入れてくれるのだ。
もし彼女たちが素直にお祭りを楽しむのであれば、誰もが喜んで迎え入れてくれるだろう。
それこそが、幻想郷のお祭りなのだった。
「後は、その格好だな」
「あ……」
そう言えば、私たちの誰もが浴衣を纏っているのに対して、彼女たち3人だけはフリルの沢山付いた洋服を身に着けていた。
恐らくそれが普段着なのだろうが、その格好はやはり、周囲からは浮いてしまう。
「やっぱり、ダメかぁ」
目に見えてがっかりとする3人。意外にも、お祭りへの参加にかなり前向きのようだった。
私としては、お祭りを楽しみたい気持ちさえあれば格好は二の次だと思うのだけど。
「まあ待て。ここはこの霧雨魔理沙さんが特別に取り計らってやろう」
「……どういうこと?」
取り計らうとは、どこからか浴衣を借りて来るとかだろうか。
浴衣があるのなら、もちろんそれに越したことはない。
「お前たちなら……、とりあえずこんな柄でいいか」
うんうんと、1人頷く魔理沙さん。こんな柄、とはどんな柄を差しているのだろうか。
彼女の頭の中ではそれがイメージされているみたいだけど、イメージした通りの浴衣などどうやって用意するのか。
魔理沙さんはおもむろに三妖精のそばまで歩み寄る。そして、何かを念じながら右手をかざすと、
――ぽわん、と。
どこか間の抜けたような音がして、三妖精がピンク色の煙に包まれる。恐らくそれは、魔法的な効果なのだろう。土煙などと違ってむせることはなかった。
その煙はものの数秒で取り払われ、晴れてその中から姿を現したのは。
「……え?」
――そこには、浴衣を纏った3人の少女の姿があった。
初めは3人とも呆けた顔をしていたが、いつの間にか自身が浴衣を着せられていることに気付く。
サニーミルクさんは白地にお日様マークの、ルナチャイルドさんは黒地に星型マークの、そしてスターサファイアさんは青地に三日月マークの柄だった。
「そのまんまな柄だが、まあいいだろう」
これは、魔理沙さん特製の着せ替え魔法といったところか。
彼女がこんな魔法らしい魔法を使うのは初めて見る。それも着せ替えなどという、いかにも女の子が好みそうな乙女チックな魔法を。
魔理沙さんはこうして着せ替えをしてみたり、アリスさんは沢山の人形を思いのままに操ってみたり。
魔法の力を使えば、本当に色んなことが出来るようになるらしい。
その力はそれこそ、奇跡と言っても過言ではないのかも知れなかった。
少なくとも外の世界からすれば、これは奇跡そのものだろう。
「ま、それで楽しんで来な」
「う、うん」
着ていた洋服が突然浴衣に変わってしまったのだから、戸惑うのも当然だった。
けれど、違和感を感じていたのは少しの間だけだったようで、自身の格好を確認しているうちに浴衣の着心地に慣れたみたいだった。
3人は魔理沙さんに一応の感謝の言葉を述べて、お祭りの賑わいの中へ消えていった。
浴衣を纏ったその後ろ姿はそれこそ、お祭りを楽しんでいる子供みたいな様子で。
少なくとも今日はもう、変な悪戯をすることはないだろう。そう信じても良さそうなのだった。
「じゃあ、私らも祭りに戻るとするか」
「そうね」
「……あ、ちょっと待って」
全てが丸く収まって、祭りに戻ろうとする私たちを、おかっぱ頭の女の子があらためて呼び止める。
「どうした?」
「その……、ありがとう、魔理沙お姉ちゃん」
「おお? どうしてだ?」
「私のために、色々してくれて」
確かに、今回の件で最も活躍したのは魔理沙さんだった。
彼女がいなければ、いつまでも犯人は分からずじまいだっただろう。
「魔理沙お姉ちゃん、だってさ」
「魔理沙お姉ちゃん、ですって」
「ははは、照れるなぁ」
そう言って魔理沙さんはおどけるが、頬がちょっと引きつっているあたり、何割かは本当に照れているみたいだ。
「早苗お姉ちゃんも、ありがとう」
「え? わ、私はそれこそ何もしてませんよ……」
正直不意打ちだった。私は本当に何もしていないから、感謝なんてされるとは思っていなかったのだ。
「早苗お姉ちゃん、かぁ」
「早苗お姉ちゃんも悪くないわねぇ」
「や、やめて下さいよ」
いや、確かにそれはそれで悪くはない。悪くないけれど、物凄くこそばゆい。
私だって、お姉ちゃんなんて言われたことなど今までなかったのだ。
「霊夢お姉ちゃんも、ありがとう」
「どういたしまして」
霊夢さんはもう慣れているからか、私のように動じることはなかった。女の子の頭を撫でてさえいる。
「やっぱり、霊夢お姉ちゃんが一番しっくり来るなぁ」
「そうですね、霊夢お姉ちゃんには敵いません」
「あんたらね……」
けれど私たちに突っ込まれると、霊夢さんは困ったように眉根を寄せる。女の子の目の前では、さっきのように力ずくで黙らせることも出来ない。
結局のところ、私たちはそれぞれの気恥ずかしさを笑って誤魔化すしかなくて。
そんな私たちを見て、女の子は楽しそうにころころと笑っていた。
その表情に、涙の影はもうどこにもなかった。
ひゅーっ……どぉん。
そんなお馴染みの音を響かせながら、夜空に大輪の花が次々に咲く。そのたびに、周囲から歓喜の声が上がっていた。
赤や、青や、黄色をはじめ、色とりどりに咲き乱れる花火に魅せられて、誰もが陶然として空を見上げている。
何重にもなるカラフルな色彩や独特の模様は、まさに花火職人の腕の見せどころで。
時にテンポ良く連続的に打ち上げられる花火は、広い夜空を彩り鮮やかに染め抜いてゆき。
私は高鳴る胸を抑えることなく、その光景に見入っていた。
「ほんと、見ているだけでドキドキしますね……」
「スペルカードでも、ここまで魅せるのはなかなか出来ないんだよな」
「まさに職人芸、ってやつね」
2人とも、花火が見せる光の芸術作品に素直に感動していた。
こうして一緒に並んでいると、霊夢さんも魔理沙さんも、割と普通に女の子していることに今更ながらに気付く。
花火が開くたびに、一瞬だけその横顔が照らし出される。綺麗な花火に見入るその表情は、どこにでもいる普通の女の子と変わりないのだった。
「こういう花火みたいな模様を見てるとさぁ、ついつい隙間を避けたくなっちゃうのよね」
「あー、あるある」
しかしちょっと普通ではなかったコメントに、微妙にずっこける。
いや、まあ、そういう感想だってアリだろう。否定はするまい。
「にしてもやっぱり、祭りの締めくくりは花火に限るな」
魔理沙さんは、いつもと同じ明るい口調でそう言った。
締めくくり。
彼女のその言葉に、他意はないのだろう。けれど私は、その言葉を受けて胸を締め付けられずにはいられなかった。
この花火大会は、お祭りの最後を飾る催し。それは、分かっていたことだ。考えないようにしていたに過ぎない。
祭囃子のメロディに終わりはなくとも、今日という日に開かれたお祭りは、間もなく閉幕を迎えるのだ。
「もうすぐ終わっちゃうん、ですね……」
夜空に咲いては萎んでゆく花火を眺めながら、私はついそんなことを口にしてしまった。
ある意味で花火には、お祭りそのものが凝縮されているのかも知れない、などと思う。
綺麗に開いた花火はやがて、音もなく静かに落ちて消え去ってしまう。見惚れるほどの美しさと――そして刹那に消えゆく儚さが、楽しかったお祭りと、その幕引きを想起させてしまうのだった。
いや、それでも、と私は思い直す。
瞳に焼き付いた光の花弁も、軒を連ねる屋台の中を3人でお喋りしながら巡ったことも、決して消えることはない。
会話の中身は意味のないものばかりで、やがて記憶から色あせてしまうのだとしても。
これが一晩だけの、ひとときの夢のような出来事だったとしても。
こうして、同じ楽しい時間を共有出来たことは、何物にも代え難い思い出になると私は確信している。
ただ、そんな夢のように楽しい時間が覚めない内に、せめて一つだけ、約束をしておきたかった。
「霊夢さん、魔理沙さん」
私は穏やかに、友人である2人の名を口にする。
その間にも次々に花火が上がり、夜空を鮮やかな光で満たしていく。
そうしてリズミカルに爆音を響かせる花火の、その合間を縫って、私は言葉を継ごうとする。
「私たち、来年も一緒に――」
「さーなえっ」
「わきゃっ!」
――しかし、大切なことを伝える前に、私の言葉は途切れてしまう。
前触れなく私の背中に飛びついて来たのは、諏訪子様だった。もちろん、神奈子様も一緒にいる。
あれだけはしゃいでいたのに、諏訪子様は疲れを見せる様子が全くなかった。
「もう、どうしたんですか諏訪子様」
「いやあ、もうすぐお祭りも終わりだから、花火が終わったら一緒に帰ろうかと思って」
はい、その気持ちはとてもありがたいです。けれど、もう少しタイミングを図って欲しかったと思います。
おかげで私は、大事なことを言うタイミングを逸してしまった。
そう。私は、来年も彼女たちと一緒にお祭りに来ることを約束したかったのだった。
「そうだ、いいこと思いついたぜ」
私と諏訪子様のそんなやり取りを見ていた魔理沙さんが、手をぽんと叩く。
正直、彼女の言う「いいこと」が本当にいいことであるとはとても思えず、私は反射的に身構える。
「早苗は来年、このカエル浴衣で登場な」
「ちょ、何でですか!」
よりにもよってそれですか。
魔理沙さんは、面白い悪戯を思いついた子供のようにニカッと笑っている。
「いや、お前さんのその“信仰”とやらを確認してやろうかと思ってな」
「それは面白そうねぇ」
「この浴衣ならいつでも貸すよ早苗ー」
霊夢さんも諏訪子様も、乗らないで下さい。
私が諏訪子様の前でこのカエル浴衣を拒絶できないことを、魔理沙さんは分かって言っている。なかなかに意地悪だ。
しかし、魔理沙さんがそれ以上に大事なことを口にしたのを、私は確かに聞いた。
彼女は間違いなく、来年という言葉を使っていた。
その口ぶりからして、私たちが来年も一緒に祭りに出ることが、彼女の中では既に決定しているみたいだった。
何だか、告白でもするみたいに思い切って言おうとしていた自分が間抜けに見えて来る。
今からそんな約束などしなくても、私たちは来年になれば、それが当たり前であるかのように一緒にお祭りに出掛けるのだろう。
それは、友達同士であるならば当然のことなのかも知れなかった。
ならば、私はもう気をもむ必要も何もない。
後は、弾むような会話を気軽なノリで楽しめばいいだけのことだった。
「じゃあ魔理沙さんたちは来年、こちらのヘビ浴衣でご登場お願いします」
私は神奈子様の浴衣を示してそう言ってやった。
ダシにしてしまってごめんなさい神奈子様、と心の中で謝っておく。
「それ着たら絞め殺されそうだからごめんだぜ」
「でも魔理沙って、ツチノコを可愛いとか言って飼うようなセンス持ちだから、これもいいんじゃないの?」
「生のツチノコがイケるなら、このヘビ浴衣くらい余裕じゃないですか」
「それとこれとは話が別だぜ」
「まあまあ、話は分かった」
とそこで、神奈子様の合いの手が入る。
「話をまとめると、来年のお祭り用に、このヘビ柄浴衣を3人分用意すればいい訳だね」
『それは違う』
2人同時に突っ込む。
「そうそう、そんなヘビ柄のじゃなくて、こっちのかわいいカエル柄の浴衣を3人分だよね」
『それも違う』
2人同時に突っ込む。
2柱は共に、自身の浴衣の素晴らしさを広く知らしめたいようだった。
しかし残念ながら、その野望はどうやっても叶いそうにない。
「あー、みんな可笑しい……」
正直さっきから、かなり下らないやり取りをみんなでしていると思う。
けれど、花火の光で一瞬だけはっきりと照らされる顔は、誰もが笑っていて。
そんなみんなの笑顔は、フラッシュ撮影でもしたみたいに、私の心に強く焼き付くのだった。
「ごめーん、もうちょっと待ってー」
約束の時間は既に過ぎているけれど、霊夢さんの身支度はまだ終わっていなかった。
集合場所が自分の家だからと、ゆっくりし過ぎたのだろう。
「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。別にお祭りは逃げたりしないぜ」
「それはそうですけど……」
早く行けばそれだけ長く楽しめるじゃないですか、と言おうとして、やめた。それは余りに子供じみている。
出かかった言葉を飲み込んだ不自然さを誤魔化すように、私は二歩三歩と足を動かしてみる。久し振りに履いた下駄は、思いのほかすんなりと足に馴染んでくれた。
「落ち着けよ、子供みたいだぜ」
「うっ……」
言われてしまった。魔理沙さんは相変わらず口が悪い。
けれど実際、今の私はきっと、遠足を翌日に控えて胸を躍らせている子供と同じような心境なんだろうなと思う。
それを指摘されるのは、やっぱり恥ずかしいことだった。
でも、と思う。
これから私たちが出掛けるのは、人里にて催される夏祭り。
それは、幻想郷の住民となって一年足らずの私にとって、もちろん初めてで。
それこそ子供のように、里のお祭りを心から楽しみにしているのだった。
今度、里でお祭りがあるんだけど、一緒に行かない? ――霊夢さんからそう誘われたのは、数日前。ここ博麗神社の縁側で、お茶を頂いている時だった。
彼女の話によると、特別大きなイベントという訳ではなく、神輿が出たり出店が並んだりするごく普通のお祭りらしかった。
日々のほとんどを山の上で過ごす私にとって、その誘いは魅力的なもので、私は迷わずそれを受けることにした。
幸いなことに、神奈子様と諏訪子様からもすぐに了解を頂くことが出来た。おまけに、たまには麓で楽しんでおいで、とまで言って下さったのだ。きっと、霊夢さんたちや里とより多く交流を持つことで、私が幻想郷に馴染んでいくことを望んでいるのだろうと思う。
普段は何かと喧嘩が絶えないお二方だけれども、こうやって私のことを大切にして下さるという点では一致していた。
ただまあ、私のことを想ってくれるがゆえに、それがまた喧嘩の原因になったりもするのだけれど……。
今回のお祭りに際して、霊夢さんから「せっかくだからみんなで浴衣を着て行きましょ」と提案を受けていた。
それに賛成したは良いものの、私はどんな柄のものを着て行くかをなかなか決められずにいた。
そうして、それは昨晩に起こった。
私が、幾枚かの浴衣を部屋に並べて悩んでいた時である。諏訪子様が嬉々として部屋に入って来て、「可愛いのがあるよ」という言葉とともに一枚の浴衣を嬉しそうに私に差し出して来た。
その時の諏訪子様の表情は、はっきりと思い出せる。天真爛漫な子供のように愛嬌に満ちていて、私がその浴衣に袖を通すことを確信しているかのようだった。
まだ真実を知らないその時の私にとっては、諏訪子様のお心遣いがとても嬉しくて、笑顔でその浴衣を受け取っていた。
だからこそ、その浴衣の柄が目に入った時は、期待との余りに大きなギャップに数瞬の間凍りついたように固まってしまった。
用意して下さった浴衣には、諏訪子様のお召し物にあるものと同じようなカエルが数多く描かれていた。それが写実派の絵画のように無駄にリアルで、表皮の模様から粘膜の色つやまで忠実に表現されている上に、両手を上げて盆踊りともパラパラともつかぬ奇妙な踊りを踊っているような格好をしていたのだ。
例えば、私がいつも着けている髪飾りみたいにデフォルメされたカエルさんなら良かったのだけれども、手の平サイズもあるリアルなカエルたちが群れを成して生々しい様態で踊り狂っているとなれば話は全く別である。写実的に描かれたカエルが集団で盆踊りを踊るという異様な見た目に、生理的な嫌悪感すら立つ始末。脳内から記憶を抹消しようとすればするほど、カエルたちが粘膜をてらてらと光らせながら瑞々しく躍動する光景が脳裏に浮かぶのである。
正直、よく嫌悪感が顔に出なかったものだと思う。
その浴衣をいくら見回しても、諏訪子様の言うところの可愛いという言葉を拾い出せそうになかった。
カエル的視点からすれば可愛いのかも知れないけれど、人間的視点からすれば気色悪い。あけすけに言えば、キモいの一言だった。
もちろん、そんなことを口に出せる訳もない。だから、自分で用意するからと言って、やんわりと断ろうとした時に。
今度は神奈子様が、浴衣を持って現れたのだ。
その時点で、私は2つの意味で嫌な予感がしていた。
神奈子様は室内にいる諏訪子様を一瞥するも、その存在をあからさまに無視した。そして私の傍に立つと「素敵な浴衣があるんだけど、明日着て行かない?」と、包み込むような優しい笑顔を見せながら、それを差し出して来た。神奈子様はそのままその浴衣を私の前に広げると、その柄が露わとなる。
そう、嫌な予感はやはり当たってしまうもの。諏訪子様がアレなら、神奈子様はコレだろう、と。
神奈子様の浴衣には、何匹ものヘビが描かれていた。こちらもカエルに負けず劣らずリアルで、それらはとぐろを巻いていたり、大きく口を開けて牙を剥いていたり、見る者を威嚇するかのように眼光鋭い視線を向けていたりと、不必要に物騒な雰囲気をかもし出していた。
警戒していたからカエル浴衣の時ほど衝撃は受けなかったが、こちらのヘビ浴衣も強烈なインパクトがあった。
確かに世の中にはヘビの表皮の模様をした衣服はあるけれど、文字通りヘビそのものを描いた柄など私は知らない。
やはり、どこをどう好意的に解釈したところで素敵という言葉を捻り出すことは出来なかった。素敵と言うか不敵なデザインである。
ヘビをトレードマークにする神奈子様からすれば素敵なのかも知れないけれど、普通の人間からすれば、ただただ禍々しいだけ。ストレートに言えば、悪趣味の一言に尽きる代物なのだった。
この後はいつものように、神奈子様と諏訪子様との口論タイムである。嫌な予感は2つ目も見事的中。ちっとも嬉しくない。
詳細は省くが、早苗にそんな両生類の浴衣なんて着せられないだとか、うるさい爬虫類だとか、当人の意向を完全に無視した言い争いが私の部屋で展開されていた。私は一体何をしにお祭りに行くのだろうかと思わずにはいられなかった。
そんなこんなで、第何次だかもはや分からない諏訪大戦が私の部屋で勃発しそうになったところで、私はようやく待ったをかけた。
それでとりあえず口論は止むものの、場が治まるわけではなく、今度は冷戦のような睨み合いが続く。こうなってしまった時、ちょっとやそっとのことではどちらも引き下がってはくれないことは、私もよく分かっていた。
ただ、ヘビに睨まれたカエル、という言葉があるように、睨み合いとなると大抵は神奈子様に分がある。
そのことを諏訪子様も分かっているのだろう。だから、あのような提案をしたのだ。
――じゃあ早苗に決めてもらおうよ。どっちの浴衣を着て行くかを。
この時の私としては、諏訪子様に思いっきり地雷を踏まれた気分だった。おまけに神奈子様もその提案に同意してしまったのだから、余計に逃げ道がなくなってしまう。
おかげで私は、キモいカエル浴衣と悪趣味なヘビ浴衣を手にした2柱に究極の選択を迫られる羽目となった。神奈子様も諏訪子様も、ご自身が正しいと確信しているあたり、非常に始末が悪い。
嫌々ながら、あらためてそれぞれの浴衣を見比べてみるも、やっぱり甲乙付け難かった。もちろん悪い意味で。
第一、どちらかに決めたとしても、それで全てが丸く収まるとも思えない。禍根が残らないはずがないだろう。
だから、私はその方法を選択するしかなかったのだ。
2柱のいがみ合いを丸く収め、かつ、私がその罰ゲームのような浴衣を着なくて済む、唯一の方法を。
それは2柱の私への想いを利用するものだから、胸が痛むのも事実だった。けれど私には、心を鬼にしてそれを実行するしか道が残されていなかったのだ。何より、私はそんな浴衣を着てお祭りに行きたくはないのです。
この時の私は、月9ドラマで主役を張れるくらいの演技力だっただろう。
私は、いかにも苦痛に耐えているような面持ちで2柱の名を口にする。そうしてまず名前を呼ぶことに、より強く相手に訴えかける効果があることを私は知っていた。
そこでいったん間を入れて、双方が息を呑んだことを確認すると、私はあえて伏し目がちになって、その言葉を紡ぎ出した。
――私にとっては、神奈子様も諏訪子様もとても大切なお方。どちらかだけを選んで着て行くことなんて、私には出来ません。だから、お二方のそのお気持ちだけを、ありがたく頂いておきたいと思います。
もちろん、時折言葉を詰まらせることも忘れてはいけない。そして、語尾は消え入るようにか細く、やや涙声気味に。これで畳の上に落涙する姿まで演出出来れば最高だったのだが、そこまでの技術はまだ会得していなかった。
けれど実際には、嘘泣きするほどまでの素振りは必要がなかった。
私がゆっくりと顔を上げると、そこには既に滂沱の涙を流す2柱の顔があったのだから。
お二方は、「早苗の気持ちをちっとも考えずに……」などと、ただひたすらに謝罪の言葉を繰り返していた。
そうして私たち3人は、肩を寄せ合って泣いた。
ただ私だけは、違う意味で涙していたのだった。
……と、昨晩はそんな面倒なことがあったのだけれども、とりあえず収拾がついたので良かったということにする。
結局私は、はじめに候補に挙がっていた幾枚かの中から着て行く浴衣を決めた。
それは、薄いブルーの地に、青や赤紫色の朝顔をあしらった柄。全体的に控えめな色彩をしていて、落ち着いた雰囲気を感じさせてくれるところが私の目を引いた。また、涼しげな色合いが、夏の夜には丁度良いと思ったからだった。
帯は、青と対照的な赤色。
私は普段、暖色系の衣類はあまり身に着けないからちょっと気にはなったけど、これはこれで悪くはなかった。
浴衣に合わせて髪もアップにしようかとも思ったけれど、結局はいつも通りのままにした。アップにするといつも着けている蛙と蛇の髪飾りがどうしても合わせられなくて、あの2枚の浴衣を断った手前、これらの髪飾りまで外してしまうのは気が引けたからだった。
着付けは、神奈子様と諏訪子様が手伝ってくれた。着付けを終えた私に、綺麗だとか似合ってるだとか言ってくれたけれど、どちらもが微妙に名残惜しいような表情をしていたことには気付かないふりをするしかなかった。
とは言え、綺麗と言われて悪い気がするはずもなく。
私はこうして、弾むような気持ちで今ここにいるのだった。
何だか私ばかりが浮かれているようだけど、魔理沙さんだってお祭りが楽しみなことには変わりがないと思う。
先程から縁側に腰掛けながら、手持ち無沙汰に両足をぶらぶらと揺り動かしている。何だかんだ彼女も早く出掛けたくてうずうずしているのだろう。見ていて微笑ましいので、突っ込まないでおいてあげた。
魔理沙さんももちろん、浴衣を身に着けて来ている。
紺色の地に、白や黄色の沢山の粒模様。それは帯状を成し、一部は霧が掛かったような色合いをしている。
最初は何だろうと思ったけれど、よく見ればすぐに分かった。その浴衣は天の川を、もっと言えば濃紺の夜空に瞬く星々を模しているのだった。
天の川は単調な光の帯では決してなく、本当に綺麗な星空のもとではむしろ明るい部分と暗い部分との濃淡が映える。彼女の浴衣はそこまできちんと再現されていた。
ただ、それだけでは物足りないからか、ところどころに星型、いわゆるマンガ星が配されているのが、活発な性格の彼女らしい。
満天の星空をバックに、魔理沙さんがとっておきのスペルカードを放つ――そんなコンセプトなのかも知れなかった。
「お待たせー」
と、そうして魔理沙さんの浴衣をあれこれ分析している時、ようやく霊夢さんから声が掛かった。
「待ちくたびれたぜー」
「ごめーん、巾着がなかなか見つからなくてー」
明るい声が母屋の方から聞こえる。私がその方を向くと、
「……え?」
――そこには、浴衣を纏った1人の少女が立っていた。
淡い桃色の地に、白や、ピンクや、薄紅色の小さな桜の花をそこここに咲かせた、可愛らしい絵柄の浴衣。帯はよく映える赤色で、これにも浴衣と同じ桜模様が描かれている。全体的に華やかな柄だけれども、決して派手さはなく、淡い色合いのおかげで柔らかな印象を受ける。
肩口にさらりと流れ落ちる黒髪は艶やかで、それは浴衣という格好にとてもよく似合っている。
巾着を両手で持つ仕草はさながら良家のお嬢様みたいで、指の先にまで清楚さが行き届いていた。
その姿は、はっと目の覚めるような美しさとはまた異なり、それこそ桜の花のような、しっとりとした美しさなのだった。
ただ、唯一の違和感は。
そんな姿を見せているのが、私の良く知る少女であるということだった。
「ええっと、霊夢さんのお面をかぶったどなた様ですか?」
「失礼ね!」
怒られた。
いやまあ、確かにかなり失礼なことを言ったと思う。それだけ彼女の変貌っぷりが意外だったのだけれども。
とは言え、こんな女の子した格好をしていても、中身はちゃんといつもの霊夢さんみたいなので何だかほっとした。
「こいつなぁ、浴衣とかそういう格好が、反則的に似合うんだよなぁ」
「当たり前じゃない」
「何で当たり前なんだ?」
「巫女だからに決まってるでしょ」
説明になっていない。
が、有無を言わせぬ説得力みたいなものがあるのは何故だろう。確かに彼女は、こういう浴衣をはじめとした和装はよく似合うと思う。
こうして、いつもの巫女服でない霊夢さんを見るのはとても新鮮だった。
そう言えば、リボンを外して髪をすっきり下ろしているところも初めて見た気がする。あの大きくて真っ赤なリボンは彼女を可愛く見せてくれるけれど、こうして髪を下ろすと、今度は1つか2つ、大人びて見えるのだった。
「ほらほら、早く行きましょうよ」
「散々待たせておいてそれかい」
「だから早く行くんじゃないの」
「へいへい」
結局のところ、霊夢さんも早く行きたいのだ。
ならば、それに逆らう理由はどこにもない。
「じゃあ、行きましょう」
「何だかんだ、早苗が一番ノリノリだな」
「でも、里に着いたら一番はしゃぐのはきっと魔理沙ね」
「魔理沙さん、お祭り騒ぎとか好きそうですもんねぇ」
「ちえっ、お前たちの中じゃあ私はそういう位置付けか」
魔理沙さんが不満そうに唇を尖らせる。
こんな風に、いつも以上に軽い口を利けるのも、お祭りという非日常の出来事によって気分が高揚しているからなのだろう。
魔理沙さんの言う通り、何だかんだ私が一番わくわくしているのかも知れなかった。
祭囃子が聞こえる。
遠くからはまばらな音のかけらに過ぎなかったものが、里に近付くにつれて、確かなメロディラインとなって耳に届いて来る。
それは祭囃子に定番の、笛や、鉦や、太鼓の音色である。
人々の賑わう声も、歩みを進めるたびに身近に感じられるようになり。
夕刻を迎え、黄昏に染まりつつある幻想郷の中にあっても、里はあたたかな灯かりで満たされているのだった。
「わぁ……」
私は思わず感嘆の声を上げた。
里に到着すると、祭りの会場となっている大通りは、既に活気溢れる賑わいを見せていた。
食べ物屋をはじめ、様々な出店が道の両側に並び、威勢の良い呼び声が飛び交っている。
通りは、そんな声さえも掻き消してしまうくらいに沢山の人で賑わっていた。
老若男女を問わず、皆思い思いの浴衣を身に纏い。
家族と、友人と、恋人と。
誰もが思い思いの相手と思い思いのやり方でお祭りを楽しんでいる。
通りのずっと向こうまで続く提灯の列が、賑わう祭りの場を柔らかく照らし出し。
その中を、祭囃子が絶えることなく鳴り渡っていた。
こうしたお祭りの雰囲気は、外の世界と何ら変わるところがない。おかげで、どこか懐かしささえ感じられるのだった。
「さぁて、まずは何をやろうか」
魔理沙さんが、何故か指を鳴らしながら得意げな笑顔を見せる。よく分からないがやる気満々なご様子だ。
「やる、って何ですか?」
「色々あるだろ。射的に輪投げに型抜きに、くじにヨーヨー釣りに金魚すくい」
よくもまあ、そんなにすらすらと出て来るものだ。どれも、お祭りには付きものの屋台ではあるけれど。
「私はそれよりも、たこ焼きとかとうもろこしとか、まず何かしら食べたいわね。早苗は?」
「私はとりあえず、色んなお店を見て回りたいのですが」
見事に意見が分かれた。
私としてはまずお祭りの雰囲気を味わいたいところだったのだけれども、2人は花より団子らしい。
「とりあえず早苗の案は却下」
「何でですか?」
「見て回る“だけ”なんてもったいないじゃない。楽しみながら回らないと。
だから、何か食べながら適当な遊戯系のお店を探す感じでいいわね」
なるほど、さすがは霊夢さん。楽しみ方も貪欲だ。
「でもそれだと、歩きながら食べることになりません?」
「こういう場なんだから、まあいいでしょ。それもまたお祭りってものよ」
周りを見渡せば、確かに食べ歩きをしている人も散見される。彼らとて、普段はそのようなことはしないと思う。
ちょっとくらい大目にみられるのも、祭りという特別な日のおかげなのだろう。
「そうですね、じゃあ、そうしますか」
「決まりね。という訳で、まずはあそこのたこ焼き屋に行くわよ!」
そう言うと霊夢さんは颯爽と、近場にあるたこ焼き屋さんへと向かう。
何だかんだ、彼女は今すぐに何か食べたかっただけなんじゃないかと思う。
とは言え、時間的には小腹の空いて来る頃合い。強引過ぎるものの、その後に続かない理由もどこにもないのだった。
「……ん、今のたこ焼き、タコが入ってなかったな」
「こっちは、タコが2つ入ってたわ」
「返せ」
そんな訳で、私たちはたこ焼きをつつきながら通りを進んでいく。
横では、多かったタコを霊夢さんが魔理沙さんに口移しで返す濃厚なシーンが展開されている……なんてことはなく、タコの大きさについての議論が繰り広げられていた。曰く、このお店のタコは細かく切られ過ぎ、だとか。
個人的には、たこ焼きはタコの大きさよりも中身のとろみ具合とかの方が重要だと思うのだけどどうだろう。
いやしかし、たこ焼きと名がついている以上はタコをメインに据えるべきか。
などと考えながら、私は次のたこ焼きを口に放り込んだ。
「……あ、何かこれ、タコが3つ入ってました」
「それはさすがに奇跡だな」
「そんなところで奇跡の力を使うなんてさすがは早苗ね」
「いやそれどれだけみみっちい奇跡ですか」
「いかにもお祭りに合わせた奇跡って感じでいいんじゃないの?」
いやいや、タコが食べたいからって大事な奇跡の力を安易に使っては神奈子様に申し訳がない。せっかくお祭りに合わせるのなら、もっと良い奇跡があるはずだ。
例えば――そう、金魚すくいで紙がなかなか破けない奇跡とか、型抜きを手で折ったら型通りに割れる奇跡とか。
……どのみちしょぼかった。
何より、遊びに対してそんな奇跡を使ったってつまらないだけである。
と、そんな下らない会話を交わしつつ、たこ焼きを食べ終えた時だった。
「あら、あんたたちも来てたの?」
霊夢さんがそう声を掛ける。
その先には、親子ほども背の離れた2人組が立っていた。
「あら霊夢じゃない。こんなところで会うなんてね」
「偶然ですわね」
それは、レミリアさんと咲夜さんだった。
博麗神社の宴会では何度か同席したことがあるけれど、こうして里で鉢合わせするのは初めてだった。
2人とも、お祭りに合わせてきちんと浴衣を着ている。
レミリアさんは霊夢さんと同じ桃色の地だけれども、血のように真っ赤な色の花模様のおかげでより派手な印象を受ける。
咲夜さんの浴衣には、薄紫色の地に、淡い紅色や紫色の蝶々が舞っている。かなり控えめな色合いだなと思ったけれど、主従を一緒に見ればその理由が分かった。2人が並べば、主であるレミリアさんの衣装がより引き立って見えるのだ。
従者として、あくまで主を立てることを忘れないその在り方は、メイド服でも浴衣でも変わらないのだった。
「それにしても、咲夜はともかくレミリアがちゃんと浴衣を着て来るってのは意外だなあ」
「郷に入りては郷に従え、って言うでしょ」
「お前なら郷に従わせそうなものだがな」
ペアで見ればよく似合ってるお二方なのに、魔理沙さんはやけに不穏当なことを言ってくれる。茶化しているだけにしても、もうちょっと口の悪さを直して欲しい。
正直に言えば、レミリアさんがお祭りの場に現れたことに、私は一抹の不安を隠せずにいた。
別に人間以外を差別するつもりはないけれど、ここは人里であり、しかも楽しいお祭りのさなか。その中を彼女のような強大な力を持つ妖怪が歩いているのはやっぱり怖いと思う。だから、変なことを言って彼女に不必要な刺激を与えて欲しくはなかった。
けれどそんな私の心配をよそに、レミリアさんは誇らしげな様子で袖を広げ、くるりと舞って見せる。
「それより、どうかしら。私の浴衣姿」
彼女は、口許に袖を寄せて微笑みながらそう言った。
外見は本当に小学生くらいの子供なのに、その表情と仕草が妙に艶っぽい。確かに500歳にもなるという実際の年齢を考慮すれば、さもありなんと思われる。そんな、幼い外見と妖しげな表情とのアンバランスさが、ある種の魅力なのかも知れない。
けれど、そんな妖艶さを感じ取れたのはほんの数瞬のことで。
何かをアピールしているのか、羽のように袖をひらひらと揺らして浴衣を見せびらかす様子はどう見ても、
「いかにも子供っぽくていいんじゃないか?」
「そうね、子供らしく可愛く見えるわよ」
「可愛いと思います」
3人して同じような感想だった。わたあめとか持たせたら凄く似合いそう。
「ちょっと、もっとましな感想ないの?」
レミリアさんが腰に手を当てて憤慨する。どうやら子供とか言われることが我慢ならないご様子だが、そうやって怒るあたりがやっぱり子供っぽい。我がままな振る舞いをすればするほど子供っぽさが際立つというのに。
でもそれを指摘したら私が無事では済まなくなるので何も言わないでおく。
「咲夜も何か言ってやってよ」
「お嬢様は、何をお召しになっていてもとても愛らしく素敵です。そのことは、私がよく分かっていますわ」
「そういうこと言ってるんじゃないんだけど。……まあいいわ、もう」
そう言うとレミリアさんは、諦めたようにため息を吐く。
どうやらこのお嬢様は、可愛いとかそういう言葉だけでは物足りないみたいだった。
「元気を出して下さいお嬢様。あ、ほらほら、お探しだったお面屋があちらにありますよ」
「ホント? ねえ咲夜、モケーレムベンベのお面はある?」
「……どうやらないようです」
も、もけ……? って何だろうそれは。特撮物に出て来る怪獣か何かだろうか。幻想郷に怪獣なんて概念が存在するのか知らないけれど。
「じゃあ、次のお面屋に行くわよ!」
「はいはい」
何だかよく分からないが、突如はつらつとした表情を見せるレミリアさん。察するに、彼女はそのモケメケなんたらとかいうお面が欲しいらしい。どんなお面なのか想像もつかないのだけど。
元気を取り戻した彼女は、私たちのことなど忘れたかのようにずんずんと人波の中を突き進んでいく。
咲夜さんは、やれやれといった表情を作りながら私たちへ一声掛け、主の方へ付き従っていった。
私はそんな主従を、人込みにまぎれて消えていくまで見送っていた。
「心配しなくても大丈夫よ。レミリアはここでは変なことをしたりはしないわ」
「えっ?」
霊夢さんが、私の心の中を見透かしたかのように言う。
「さっき、不安そうにしてたのが顔に出てたわよ」
「そうですか……」
「あいつらに限らず、ああいう強い連中の方が、却って無粋なまねはしないものよ」
「だな。あいつらなりに祭りを楽しんでるみたいだし」
2人はそう言うと、また通りを歩き出す。私は慌ててそれについて行った。
確かに、2人の言う通りだった。何より、わざわざ浴衣に着替えまでして祭りに来ているのだ。ならば、余計な考えを差し挟む余地などないはずである。
最も無粋なのは、レミリアさんに対して失礼なことを考えていた私なのかも知れなかった。
「意外と難しいなぁ」
「そうですねぇ」
「うーん……」
銃を手に、首をかしげる私たち。
もちろん本物の銃ではなく、おもちゃのコルク銃である。
「はっはっは、そう簡単に当てられちゃあ、こっちも商売上がったりだもんなぁ」
気の良さそうなお店のおじさんが豪快に笑う。店屋の親父、なんて言葉がぴったりの風体だった。
射的屋を見つけた私たちは、先頭切って駆けていく魔理沙さんに続いて、屋台の中へ入っていった。
正面の棚には、色々な人形やカラフルなおもちゃの箱などが並べられている。弾を当ててそれらを倒せたら景品として貰える、一般的な射的屋である。
しかしながら、これがなかなか当たらない。そのうえ当たっても、物が動くだけで倒れないこともしばしば。
私はカエルさんのぬいぐるみを一つ取れたけれど、喜び勇んで始めた魔理沙さんはまだ一つも景品を貰えていなかった。わざわざ難しいものを狙っているからだろう。
「私の魔砲なら全部なぎ払えるんだがなぁ」
「いやそれ詐欺です」
「景品どころか店ごと吹っ飛ぶわね」
店のおじさんがちょっと訝しげな顔をするが、気付かないふりをするしかない。
「私も、退魔針なら百発百中させる自信があるんだけどねぇ」
「刺さるだけで倒れないぜ」
銃より手投げ針の方が精確というのも怖いと思う。ちなみに、霊夢さんもまだ何も貰えていなかった。
それぞれ1ゲーム分の弾を使い切って、貰えた景品は結局私のカエルさんだけという有様。弾幕ごっこを生業とする少女たちも、一発で的を狙い撃ちするのは不得意らしい。
そうして、2ゲーム目を前に、もう少し上手く狙いをつけるやり方はないものかと話し合ってる時だった。
「ふっふっふ、どうやら私の出番のようね」
何だかやけに自信満々な声が背後から聞こえ、私たちは振り向く。
斜めに構えて腕を組み、得意げな表情でそれらしくかっこつけているのは。
「あら、今日は兎鍋にもありつけるのね」
「鍋言うな!」
霊夢さんの酷い一言により、そのポーズは短い寿命を終えた。
そこに立っていたのは、薬屋の鈴仙さんだった。その後ろには、永琳さんやてゐさんもいる。
「冗談よ。あんたたちも遊びに来たの?」
「まあね。今日がお祭りだって知ってたから、薬売りのついでに来たのよ」
確かに、鈴仙さんの手には薬入れの鞄がある。幻想郷は外の世界と比べて薬が少なく、私も彼女たちの薬にはお世話になっていた。
そして、お祭りに合わせたのだろう。お三方ともしっかりと浴衣を纏っていた。
鈴仙さんは紫色の、てゐさんは桃色の地をしていて、どちらもが、花模様の中に白いうさぎがそこここに跳ねている可愛らしい柄をしていた。お揃いの服を着た姉妹みたいで何だか微笑ましい。
こういう風に可愛くデザインされた生き物なら良いのに、ウチの神様ときたら……、と心の中で嘆かずにはいられない。
永琳さんの浴衣は、白と黒の市松模様の地に、萩が枝を伸ばして花と葉っぱを付けた柄をしている。その雅やかな色合いは、落ち着いた本人の雰囲気とも相まって、魅力的な大人らしさを引き出していた。
「で、射的の成果はどうなの?」
「見ての通り、すっからかんだぜ」
魔理沙さんがため息混じりに両手を広げると、鈴仙さんはまた得意げな笑みを作る。よくは知らないけれど、どうやら射撃は彼女の得意とするところらしい。
鞄をてゐさんに預けた彼女は、屋台に置かれた銃を手に取る。射的屋と言えば銃身の長いライフル型かなと思っていたけれど、このお店の銃は、弾を6発装填出来るいわゆるリボルバー型だった。
彼女はその銃を手にとって、外見や握りのフィット感を確認している。時折何かに得心したように、ふぅん、などと呟いていた。
「まあ、魔理沙は数撃ちゃ当たる系の性格だから、すっからかんなのも無理はないわね」
「言ってくれるな。なら、あれを倒してくれないか?」
魔理沙さんが指差した先には、「当たり」と書かれた四角い的が置かれている。それを倒せば、好きな景品を貰えるらしい。彼女はそればかりを狙っていたのだ。
「さっき1発当てたんだが、重たいのかびくともしなかったんだ」
「それは当てる場所が悪かったんじゃないの? 的の真ん中よりも上側に当てた方が倒れやすいわよ」
確かにその通りなのだが、そもそも狙ったモノに当てるのさえ苦労している私たちにとって、それは無理難題というものだった。
「けっこう上の方に当たったと思ったんだけどなぁ」
「ふぅん……」
鈴仙さんは、真っ直ぐにその的を見据える。私は彼女の横顔を盗み見るが、その瞳を直視することは出来なかった。
彼女は一旦まぶたを下ろし、全身の力を抜くようにして両腕を下ろす。そしてもう一度目を見開くと、
――ニヤリ、と笑った。
「そういう時はね、――こうやって倒すのよ!」
言い切るが早いか、鈴仙さんはもう一丁の銃を左手に取る。すわ二丁拳銃? と思った時には既に両方の銃が迷いなく的に狙いを定めていて、次の瞬間には引き金が引かれていた。
それは、一瞬の早業だった。
私は確かに見たのだ。放たれた弾が真っ直ぐの軌道を描いて、2発同時に的の頂点にヒットするのを。そして、弾けるような音を響かせながら、的が倒れ伏すのを。
その一連の光景は、あたかもスロー再生であるかのように引き延ばされて、私の瞳に映ったのだった。
店のおじさんは、あんぐりと口が開いたままふさがらない。それは私も同じだった。
「……ま、こんなもんね」
鈴仙さんは勝ち誇ったように、銃口にふっと息を吹きかける。煙は出ていないけれど、そのポーズは決まっている。ひたすらにクールな姿である。
浴衣姿のスナイパー。――そう言葉にすると何だかとてもカッコいい、気がする。
「おじさん、今のはノーカウントね。まだお金払ってなかったし」
「あ、ああ……」
話し掛けられて、おじさんはようやく正気を取り戻す。
そう言えば、確かに彼女はお金を払わぬまま射撃を始めていた。そう考えれば今の行為は店側に咎められても仕方がないのだが、おじさんの頭はそんな冷静な思考さえ出来ていないようだった。
「このお店、銃は何丁あるの?」
「……5丁あるが」
店側としてはこんな商品泥棒みたいな相手はごめんだろうけれど、客商売である以上、邪険にも出来ない。
「6発が5丁で30発。で、的はさっきのを除いて30個。丁度いいわね」
そう言うと鈴仙さんは、おじさんに銃を5丁揃えてもらい、弾30発分のお金を支払った。
彼女が何をしようとしているのかは、よく分かる。分かるけれど、
「鈴仙さん、それはつまり……」
「うん? まあ、見てのお楽しみに、ってやつよ」
彼女は弾の込められた銃を手に、楽しそうな笑顔を見せる。
「お師匠様も見てて下さいね!」
「はいはい」
「鈴仙がんばれー」
永琳さんは苦笑しながらの返事。てゐさんは無邪気だ。
やっぱり、師である永琳さんにいいところを見せたいのだろう。その気持ちは私にもよく分かるのだった。
「何だか私たち、空気になってるぜ」
「ま、見てて面白いからいいんじゃない?」
霊夢さんはすっかり観客モードに移行していた。
確かにあれだけのものを見せられて、さあ自分もやってみようという気にはなれない。私も霊夢さんに倣って、観客に徹することにした。
鈴仙さんは私たちの注目を受けても緊張などする様子もなく、的の並んだ棚と相対している。
銃は彼女の両手に1丁ずつ。残りは手前の台に置かれていた。
大きく息を吸い、そして吐き出す。
そして、ゆらりと右手を上げ、その腕が真っ直ぐ的へと伸びたかと思うと、
「え?」
次の瞬間には、既に的が倒れていた。まるで、射撃の瞬間がまるまる切り落とされたかのように。
まず狙いを定めるために、腕を的に向けていったん固定するだろう、と私は思っていた。しかし彼女の動きには、一切の遅滞が存在していなかった。目線だけで照準を合わせ、そのライン上に確実に銃身を乗せているのだろうか。
彼女は、1発目の成果に満足したように小さく微笑むと。
――目の色が変わった。
彼女は狙いを隣りにスライドさせると、やはり動きを止めることなく次の的を撃ち落とす。弾が当たるのはもちろん、的の正中線の上端だった。そんな正確な射撃が流れるように淀みなく続く。
弾がなくなれば、次は逆の手に握られた銃が滞りなく射撃を続ける。その間に、弾を撃ち尽くした銃は持ち替えられていた。
その動きは、命令に忠実なロボットのように躊躇なく、精密で、そして――冷徹だった。
その姿は、先ほど師である永琳さんに向けた元気な笑顔からは想像もつかないもので、私は彼女に対して薄ら寒いものを感じてしまう。
そんな私の思いとは無関係に彼女は弾を撃ち続け、ほとんどの的はその正確無比な射撃によって倒されていた。
やがて、残りの的が、3つ、2つ、1つとなり。
最後の的を狙って、彼女が引き金を引こうとした時だった。
「ッ!」
それまで機械のように一定のリズムで響いていた射撃音が、躊躇うように途絶えた。代わりに、息を呑むような、声にならない声が聞こえた。
鈴仙さんを見る。銃口が僅かに震えていた。
銃声は、それから一拍遅れて鳴った。
あ、と声を上げたのは、私だったか、それとも彼女だったか。
放たれた最後の1発は的に当たることはなく、その上をかすめただけだった。
銃を構えたままの姿勢で、茫然自失とする鈴仙さん。私が先程感じたような冷徹さはすっかり鳴りを潜めていて、その瞳には自らへの失望感が色濃く映し出されていた。
あらためて棚の方へと向き直るとそこには、鈴仙さんの手によって倒された人形やおもちゃの箱などが死屍累々と転がっていた。
そんな中、彼女が唯一射撃に失敗して、棚の右端に残されたのは。
小さくて可愛らしい、うさぎの置き物なのだった。
「ああ、私としたことが……」
鈴仙さんは大きく肩を落とす。耳の先っぽまでしゅんとうなだれていた。
「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないですか。これでも十分凄いんですから」
「私にとっては、このくらい朝飯前じゃないといけないのよ」
私程度の慰めの言葉は通じないようだった。
とりあえず私は、彼女が射的を始める前のように正気を取り戻していたことに安心していた。
「ウドンゲ……」
と、それまで傍観者に徹していた永琳さんが、いつの間にか鈴仙さんのそばに歩み寄っていた。
その声は落ち着いていて、感情が読み取れない。
「す、すみませんお師匠様、偉そうなことを言っておいて、こんな……」
怒られるとでも思ったのか、彼女はさらに小さくしぼんでしまう。
そもそも鈴仙さんは、全てを倒すと宣言した訳でもない。だから謝るほどのことでもないと思うけれど、それでは自分のプライドが許さないらしい。
「ウドンゲ」
「は、はい」
「今、私たちのいるここ幻想郷は、とても平和なところよね」
「はい」
「だから、こうして貴方の腕が鈍ってしまうのも、仕方がないのかも知れないわ」
「お師匠様……」
鈴仙さんを慰めるその言葉は、あくまで優しい。
彼女たちの過去に何があったのかは知るよしもないけれど、少なくとも部外者である私が立ち入れるものでないことは確かだった。
「だから、ね、ウドンゲ」
「はい……」
永琳さんはそこでいったん言葉を切った。彼女はそっと鈴仙さんの背中に手を回すと、慰めるように撫でてやる。
いつしか、鈴仙さんの表情にも明るさが差し始めていた。その瞳には涙さえ浮かんでいる。
今私はきっと、理想の主従像というものを目の当たりにしているのだろう。その様子は眩しくさえあった。
ちょっとだけ、羨ましく思う。
永琳さんは、うっすらと微笑むような表情を浮かべてから、一度区切った言葉を継いだ。
「帰ったら――貴方を鍛え直さないといけないわね」
え、と声を上げたのは、今度こそ、私と鈴仙さんの両方だった。
2人して同じ反応をしたのなら、それは聞き間違いではないのだろう。
永琳さんの微笑みの意味が一瞬で反転した。
「ちょ、師匠! それどういう意味ですか!」
「うふふ、帰ったら、楽しみにしていなさい。じゃあ、ここではお祭りを楽しみましょう」
「楽しめませんよ! って待って下さい師匠ー!」
背中に当てていた手をするりと外し、すたすたと去ってゆく永琳さん。鈴仙さんは、泣きすがるようにそれを追っていく。
その2人を追うてゐさんは、いつまでも傍観者という立場を楽しんでいた。
そして後には、何事もなかったかのように、私たち3人が残されたのだった。
「……じゃあ、次の店にでも行くか」
「……そうね、そうしましょうか」
2人も、何事もなかったかのように通りへと戻る。もちろん、私も。
ちなみに店のおじさんも、何事もなかったかのように、倒された景品をいそいそと元に戻していた。
これで、全てが丸く収まったということにしておこう、うん。
次の薬売りの際に、鈴仙さんが元気な姿を見せてくれることを、せめて私だけは祈ってあげることにした。
「お、輪投げ屋があるぜ」
「今度は何か取れるといいわねぇ」
「さっきは色んな意味で鈴仙さんに持っていかれましたからねぇ」
輪投げであればまあ、誰かの独壇場となることもないだろう。
射的屋と同じく、その輪投げ屋にも様々な人形やおもちゃの類が置かれているのが見える。
お店には少女と思しき先客がいて、輪投げ遊びに興じていた。上手くいったのか、ぴょんぴょんと跳ねて全身で喜びを表現している。その様子が可愛らしい。
その少女は私と同じくらいの背格好をしており、身に纏う浴衣には、どこかで見たようなカエルの――
「って諏訪子様じゃないですか!」
明らかにそれは、昨日私が諏訪子様から薦められたカエル浴衣だった。
「あら早苗じゃない。どう、楽しんでるー?」
諏訪子様は、喋りながら残りの輪っかをぽいぽいと投げていく。そう聞いて来る本人が一番楽しそうである。
楽しんでますよ、と答えたが、出来ることならもうその浴衣を見たくはありませんでした。何かこう、誰かがそれを着ているのを見るだけで、背筋にぬめぬめとした感触が勝手に再生されてしまうんですよ。
「はい、これがお嬢ちゃんの景品だよ」
「ありがとー」
店のおじさんから、カエルっぽい置き物をはじめ、いくつかの景品を受け取る。
諏訪子様は輪投げが得意なのだろうかと、ふと思う。確かにそれは分からなくもない。洩矢の鉄の輪的な意味で。
「ねえ早苗、聞いた聞いた? 今、お嬢ちゃんって呼ばれちゃった」
人間にお嬢ちゃんなんて呼ばれて喜ぶ神様ってどうなんだろう。
「神奈子だったら絶対に、お」
「何か言ったかしら?」
「ぐえっ」
諏訪子様の首に見慣れた縄が掛かり、きゅっと絞まる。いつの間にか、諏訪子様のすぐ後ろに神奈子様がいた。
神奈子様、それは注連縄であって絞め縄ではありません。
何という罰当たりな注連縄の使い方なのだろうと思うけれど、そもそも神奈子様は神様であり罰を当てる側だからいいのかというよく分からない結論に至る。
とりあえず、こんなところでいつものようなケンカをされるのは恥ずかしいのでやめて欲しい。
「あらあら、いい声で啼くじゃない」
カエルがつぶされたような声に満足したのか、神奈子様は割とあっさりと諏訪子様を解放した。
「一体、何しにここに来てるんだこいつら……」
「さあ、どつき漫才でも披露しに来たんじゃないの?」
この2人を呆れさせるとは、さすがはわが神様。ちっとも誇らしくないけど。
「別にいいじゃないのよー、神様だってお祭りで遊びたいのよ!」
「そうそう、こうして神と人間が関わりを持って、親交を深めることが大事なのよ」
その気持ちは良く分かる。分かるけれど、あんまり人里で神様だとか口にしないで欲しい。威厳とか神秘性とかが薄れてしまいそう。
そう言えば、と思って、私は神奈子様の浴衣を見てみる。やっぱりそれは昨日目にしたものと同じ、ヘビがうねうね躍動している柄の浴衣だった。何かもう、見ても驚かなくなってしまった。
これは神奈子様サイズの浴衣だろうから、昨日のものは私のためにあつらえた一品なのだろう。
ごめんなさい神奈子様。それは永遠にお蔵入りです。
「それにしても、2人とも……」
魔理沙さんはそう言うと、諏訪子様と神奈子様の浴衣を遠慮なく見回す。やっぱり気になりますよねぇ、これ。
「随分と斬新な柄の浴衣を着てるなぁ」
斬新、ときました。
この柄を見て斬新とは、なかなかオブラートに包んだ表現をして下さる。もしくは、これは皮肉というやつだろうか。
個人的に斬新さで言えば、魔理沙さんの天の川な浴衣がそれに該当すると思う。
「うふふ、お目が高いねお客さん」
「いや照れるなぁ」
「どう、可愛くてイケてるでしょ? この浴衣」
斬新という言葉を褒め言葉と受け取ったのか、諏訪子様は嬉しそうに袖をひらひらと揺り動かす。おまけにくるりと1回転。ひらりと裾がひるがえる。
はい、私も可愛いと思います。ただし浴衣ではなく、その仕草がですが。
と言うかその問いは地雷です、諏訪子様。
「まあ一言で言うと、キモいな」
「率直に言うと、キモいわね」
ああ、私が決して口に出せなかった言葉をこうもあっさりと。
「ちょっと、何て失礼なこと言うのよ!」
訊かなければそんなこと言われずに済んだのに。
何だかさっきのレミリアさんの時と同じような展開になっている。こういう風に訊ねて来る人は、自分の求める返事が得られると確信でもしているのだろうか。
……してるんだろうなぁ。
「ダメよ諏訪子。イケてる浴衣っていうのはこういうのを言うんだから」
今度は神奈子様が、自身の浴衣を見せびらかすようにずいっと前へ出る。
そのヘビ柄の浴衣は、神奈子様が身に着けることでまた特別なオーラを放っている。ただし、神々しいと言うよりかはむしろ、禍々しいといった類の。
「こっちは悪趣味ね」
「ラスボスっぽい禍々しさを感じるぜ」
このお二方は清々しいくらいにはっきりと言って下さる。
「つくづく失礼ね。まあ、このヘビ柄の素晴らしさを理解するには、あんたたちじゃあ信仰が足りないわね。早苗くらいでないと」
「そうね、このカエル柄の可愛さを理解出来るのは早苗くらいなものね」
いや私をそっち側に入れないで下さい。
しかも、お互いに相手の柄については絶対に理解していない。
「まあいいわ。諏訪子、そろそろ行きましょう」
「そうね。……あっ、神奈子神奈子、次はあっちの射的屋ね」
「はいはい」
「じゃあねー早苗」
さっきまで私たちがいた射的屋に、ぱたぱたと駆けていく諏訪子様。その姿を後ろから見ると、いい年頃の娘さんのように可愛く見えた。
先程の輪投げの様子といい、諏訪子様は心からお祭りを楽しんでいるのがよく分かる。
あの浴衣だって、本人が気に入っているのであれば横から余計な口を挟む必要もないのだろう。
薦めて来なければ、だけど。
「早苗も、お祭りを楽しんでるみたいで何よりだわ」
その時、私の耳元でそうささやいたのは、確かに神奈子様のはずだった。
え、と口に出した時にはしかし、神奈子様は既に私から離れていて、諏訪子様の後を歩いているのだった。
もしかしたらお二方は、お祭りを楽しむだけでなく、私の様子も気にしてくれているのかも知れない。
そんなに過保護にならなくても、と思わなくもなかった。
なぜなら私は言うまでもなく、お祭りを楽しんでいるのだから。
――そうやって、頭の中で綺麗にまとめようとしたのに、
「それにしても、何とも個性的な浴衣だったな」
魔理沙さんが余計なことを言うものだから、浴衣の柄が脳内に鮮明に蘇ってしまう。
「あいつららしいんじゃない? カエルとヘビだし」
「神様のセンスっていうのも難解なものだな」
「少なくとも私は着たくはないわね、あれ」
「私もごめんだぜ」
それはそうでしょうね。全くもって同感ですよ、全くもって、ね……。
「ん、どうした早苗、元気ないじゃないか」
「……実は昨日、私はあの浴衣を着せられそうになりまして……」
「そ、そうだったのか……」
「た、大変ねぇ……」
昨日の出来事を思い出すたびに、苦笑いが漏れてしまう。もちろん、苦味が9割以上を占める。
「まあ、元気出せよ」
「そうそう。ここではお祭りを楽しみましょうよ」
何か、思いっきり同情されている。
これはこれで、むなしかった。
いくつかのお店を冷やかしている内に、私たちは随分と通りを進んだ。
このあたりは祭りの中心に近いのだろうか。人の流れは途絶えることがなく、辺りはよりいっそう盛況さを増している。
祭囃子も、より身近で演奏されているように感じられた。
「何かこのへん、かき氷屋が多くない?」
「確かに、多いですね」
霊夢さんの言葉を受けて見回してみると、右にも左にも、その向こうの屋台にも、「氷」と書かれた幟が掲げられていた。
ふと思ったのだが、製氷機なんてものがあるはずもない幻想郷において、どうやって氷を用意するのだろうか。冬場の氷を氷室で保存するにしても、これだけの量をお手ごろ価格で提供するのは難しいと思うのだけど。
と、そんな疑問を頭に浮かべていた時だった。
「かきごおりー! あたい印のつめたいかきごおりー! そこのあんたも買ってきなさーい!」
その声は周囲の喧騒をものともせず、人波で賑わう通りの中を一際大きく響き渡っていた。
「……かき氷屋が多いのはあいつのせいか」
「相変わらず、いつ見ても元気ねぇ」
とある一軒のかき氷屋の前に、彼女はいた。
チルノさんである。
以前、博麗神社でお茶していた時に霊夢さんにちょっかいを出しに来たことが幾度かあったので、彼女のことは知っている。
ただし、向こうが私のことを認識しているのかは分からなかった。
「チルノちゃん、また氷を頼むよー」
「次はウチの店の分も頼むよチルノちゃん」
「あいよー」
かき氷屋のおじさんからチルノさんのもとに、何やら水が持ち込まれている。彼女は慣れた返事でそれを受け取っていた。
持ち込まれた水に向けて彼女が両手をかざすと、パキパキと音を立ててそれが凍ってゆく。そして、ものの数秒で氷の塊が完成した。
なるほど、これならば大量の氷を簡単に用意出来る。非常に合理的な方法だった。
「ありがとうチルノちゃん」
「なくなったらまた頼むよチルノちゃん」
「おう、またいつでも来なさーい」
彼女は得意げな様子で腰に手を当て、胸を張っている。チルノちゃんなどと呼ばれてもてはやされ、すこぶるご機嫌な様子だった。
ともすれば偉そうだと取られかねない態度だけれども、彼女にあってはそういう振る舞いさえも微笑ましく感じられる。子供はやっぱり元気が一番である。
それに、と思う。
あたりを歩く人は皆一様にかき氷を手にし、誰もが美味しそうに頬を綻ばせてそれを口にしていた。
そんな、たくさんの笑顔を咲かせたのは、他でもないチルノさん特製のかき氷なのだ。
当人は恐らく無自覚なのだろうけれど、彼女がこのお祭りの賑わいに大きく貢献していることは確かなのだった。
「ようチルノ、元気でやってるな」
仕事が一段落ついた彼女に、魔理沙さんが声を掛ける。チルノさん自身はかき氷を売っていないのだろうか。
「あっ、黒白と紅白! それと、えーと何か緑っぽいの!」
私の扱い酷くないですか?
それともここは、私の存在がスルーされなかったことを喜ぶべきでしょうか。
「今日は黒白の格好じゃないぜ。それより、随分と繁盛してるみたいじゃないか」
「ふふん、連中がどーしてもって言うから、このあたいが氷を分けてやってるのよ」
今度は腕組みをしながら胸を張る。可愛いものである。
チルノさんも例に漏れず、浴衣を身に着けていた。
それは清涼感のあるブルーの地に、大小さまざまな白い雪の結晶がちりばめらたシンプルな柄だった。
夏の季節には何とも不釣合いな柄だけれども、チルノさんらしさがありのままに表れた良い浴衣だと思う。
「で、何か用なの?」
「用って、私らはかき氷を買いに来たんだよ。『あたい印』とやらのな」
「ふふん、分かってるじゃないの。おいしさのあまり、あたいにひれふすことになっても知らないよ!」
「能書きはいらないぜ。それよりお前は店をやってないのか?」
「あたいもやってるよ、ここで」
チルノさんはそう言って後ろの屋台を指差す。ちょうど、2人の親子連れがかき氷を受け取っているところだった。
「大ちゃーん、お客さんだよー」
「もおー、チルノちゃんもこっち手伝ってよ」
屋台の中から聞こえたのは、思いのほか幼い声だった。しかも微妙に泣きが入っている。
「って、店をやってるのはお前か」
「ここはチルノちゃんのお店なんですけど、チルノちゃん、ちっとも手伝ってくれないんですよ……」
屋台から小さな身体をひょっこりのぞかせているのは、私の知らない、緑髪の女の子だった。
こっそりと、彼女のことを霊夢さんに尋ねる。彼女は大妖精といい、チルノさんのお友達であるらしい。
ただし霊夢さんは、「友達と言うか、お守り役かも」と付け加えた。それは何となく分かる気がする。
その大妖精さんは、泣き言を口にしつつも私たちのためにせっせとかき氷を作ってくれていた。
見ると、彼女もやはり浴衣を身に着けている。
白色の地に、水色の雪の結晶がそこここに施されている柄。それはチルノさんのものとお揃いの模様で、ちょうど配色を反転させたかたちになる。
ただ地色のせいか、チルノさんのものよりかなり大人しく見えてしまう。それは言わば、静寂に包まれた雪原のようなうら寂しさなのだった。
おまけに、袖にはシロップのものと思われる汚れが付着していた。苦労の後がしのばれる。
「シロップはどうしますか?」
「ああ、忙しそうだから、自分でかけるよ」
「すみません……」
声からして、申し訳なさそうだった。
霊夢さんと魔理沙さんは、何種類もあるシロップの品定めに夢中になっている。そのカラフルな色合いに、2人とも右に左に目移りしていた。
その間に、私はチルノさんとお話することにした。
「チルノさんは、お店を手伝わないんですか?」
「うーん、でも、お金の計算とか、あたいはよく分からないし……」
ちょっと迷いを見せているあたり、引け目を感じてはいるらしい。
「じゃあせめて、一緒にお店の中にいてあげたらどうですか? その方が、2人とも楽しいと思いますよ」
「……うん、そうする」
素直に頷いて、店の中へと入るチルノさん。
何かと腕白な面ばかりが表に出る彼女だけれども、友達のことを思う一面もちゃんと見られるのだった。
その間に、霊夢さんもかき氷を手にしており、後は私の分だけになっていた。
「ありがとうございます」
私がかき氷を受け取る時に、大妖精さんは先程までより幾分か元気な声でそう言った。
その言葉は恐らく、かき氷を買ったことではなく、チルノさんをそばに呼び寄せてくれたことに対してなのだろう。私とチルノさんが話しているのに気付いていたらしく、よく見ると、私のかき氷だけやや大盛りにされていた。
店の中に入ったチルノさんも、次の容器を用意したり、何だかんだきちんと手伝いをしていた。
全然違う性格をしていても、この2人は大の仲良しなのだろう。
かき氷を買い終えた私たちがここに居残る理由は、もう何もなかった。
「お揃いの浴衣、可愛いですよ」
別れ際に私がそう言うと、大妖精さんはえへへ、とはにかんで、小さな花がほころぶような笑顔を見せるのだった。
長椅子に3人並んで座り、かき氷を食す。
口いっぱいに広がる冷たさとシロップの甘さが嬉しくて、ついつい手がサクサクと進んでしまう。
「いてててて……」
「どうしました? 魔理沙さん」
「いや、頭が急にキーンってなってな」
魔理沙さんが顔をしかめて頭をとんとんと叩いている。
「ああ、よくあるアレね。そんなにがっついて食べるからよ」
「がっついたつもりはないんだが……。それにしても、冷たいもの食べるとどうして頭が痛くなるんだろうな」
確かこれは、アイスクリーム頭痛って言ったっけ。冷たいという強い刺激が神経に届くことで起こるらしいけど、詳しいところは覚えていない。
まあ、そんな科学的な説明をここでしたところで理解は得られないだろう。
「やっぱりあれじゃない? そんなにがっついて食べるとお腹を壊しますよ、っていうお告げ」
「なんだそれ、私が子供みたいじゃないか」
「子供じゃないの?」
「……遠慮なく言うなよ」
頭痛のためか、否定のトーンが弱い。
「早苗だって、私と同じくらいの早さで食べてるじゃないか。“お告げ”はないのか?」
「私は、大丈夫ですよ。オトナなので」
私はあえて、ケロッとした表情で言ってやった。出掛ける前に言われたことに対する意趣返しである。
「ちえっ、歳はほとんど変わらないくせに」
魔理沙さんは不貞腐れるように、かき氷をシャクシャク口へ運ぶ。そしてまた頭痛に悩まされていた。
そんな彼女が微笑ましく、私と霊夢さんはしばらく2人で魔理沙さんをからかっていた。
そんなことをしてしまった手前、途中から私自身もアイスクリーム頭痛に苛まれていたことは何が何でも隠し通さねばならないのだった。
「向こうに人だかりが出来てますね」
「ここは広場だものね。祭囃子が演奏されてるんだと思うわ」
かき氷を食した私たちは、通りをさらに進んでいく。
するとやがて、左右に並んでいた出店が途切れ、代わりに大勢の人出で賑わう広場へとたどり着いた。
霊夢さんの言う通り、祭囃子が演奏されているのだろう。人々が賑わう中にあっても、はっきりとそのメロディを感じることが出来た。
「少し、聞いていきませんか?」
「私は構わないぜ」
「ここで少しゆっくりしていくのも悪くないわね」
私の希望に、2人とも付き合ってくれた。
私はしばし目を閉じて、祭囃子の音色に耳を傾ける。
笛の音は、踊りを誘うかのように軽やかに。
太鼓や鉦の音も、主旋律の笛に合わせ、跳ねるように鳴り響いていた。
始まりも終わりも感じさせないその旋律に聞き入っていると、ともすれば時の流れさえも忘れてしまいそうになる。
その曲調は、私が外の世界にいた頃に聞いたそれとはまた異なるけれど、自然と身体に馴染むようなメロディであることに変わりはない。
どちらも同じ“祭囃子”であることは、確かだった。
「何だか、聞いてるだけで楽しくなってきますね」
私は、目を閉じたままそう言った。
2人の返事はなく、私の言葉を聞いていたのかさえも分からない。
それでも、構わなかった。
今のこの時、この場所で、私たちは一緒に祭囃子を楽しんでいる。
そんな、ちょっとした一体感を得られるだけで十分なのだった。
「ちょっと、前のほうに行きません?」
やがて私は目を開けると、2人にそう提案した。
ふと、この祭囃子はどんな人たちによって演奏されているのかが気になったからだった。
祭りと言えばやはり若い男衆か、それとも今日の日のために練習を重ねた子供たちか。
人だかりの向こうは一段高い舞台になっているらしく、そこで祭囃子が演奏されているようだった。
しかしあいにくと、今の場所からはその姿が確認出来ないでいた。
「そうねぇ、やっぱり生で見たいわね」
「だな」
2人とも同意してくれた。
混雑はしているが、幸いながら移動に不自由するほどではなかった。
私たちは人波の合間を縫うようにして、舞台の方へと向かう。しかし、肝心の奏者の姿が舞台上に1人しか見当たらない。近付いたことで、それが女性であることが見て取れた。男性が演奏していると思っていたので、少し意外に思う。
そしてさらに近くへ寄っていくと、その正体が明らかとなる。
「あれは……アリスさん?」
「あー、アリスだな」
舞台の中央に立っていたのは他でもない、森の魔法使いのアリスさんだった。
ということは、と思い、私は背伸びをして舞台を見てみる。すると彼女の周囲に、何体もの人形の姿が見て取れた。
そう、祭囃子を演奏していたのはこの人形たちだったのだ。
彼女が人形遣いであることは知っていたけれど、こうして大量の人形を一度に操るのは初めて見る。人形たちは小さな身体をめいっぱい動かして、笛を奏で、鉦を鳴らし、太鼓を響かせていた。それはまさに、生きているかのような、という言葉がぴったりの、生き生きとした姿だった。
その人形たちも浴衣を着せられている。それぞれ赤や、黄色や、青色などの、まさに七色と言うにふさわしい色とりどりの浴衣で飾り立てられていた。
「あいつが里で人形芸をやってるのは知ってたが、こうやって生で見るのは初めてだな……」
珍しいことに、あの魔理沙さんが感心したようにつぶやく。それだけ、アリスさんの技芸を素晴らしく思ったのだろう。
そのアリスさん自身も横笛を手にし、人形たちを導くように主旋律を奏でている。繊細な指遣いが美しい。
人形を操りながら、自身も演奏を行う。それがどれほど難しいことなのか、私には想像もつかない。けれど彼女はそれを、涼しい顔をしてやってのけていた。
そしてもちろん、アリスさんも浴衣を身に付けている。
すっきりとしたライトブルーの地に、淡い赤色や紫色をした百合のような花を咲かせている。そんなパステルカラーで彩られたその浴衣は、西洋風の雰囲気を纏う彼女によく似合っていた。
端整な顔立ちや白魚のような指、そして静やかに演奏する佇まいとも相まって、それこそ人形のような、という形容がしっくり来る姿だった。
やがて、締めくくりにアリスさんの笛が一際長く吹かれて、フェードアウトするように祭囃子の演奏が終わりを告げた。
音楽が止んだその時、ざわめき声も同時に収まり、あたりは一瞬、水を打ったように静まり返る。
ほどなくして、どこからともなく拍手が始まり、その音はやがて大波のようなうねりを持って舞台へと押し寄せていった。
私たちももちろん、惜しみない拍手を送った。
アリスさんはベテランの演者のように、その拍手に笑顔で応える。そして誇らしげに一礼をすると、人形たちもそれに合わせて頭を下げる。それは、思わず笑みがこぼれるような光景だった。芸達者たる者、舞台からいなくなるまでが演技でなければならないのだろう。
舞台の袖へと向かう去り際、彼女は私たちの姿を認めると、少し意外に思ったような顔をする。でもそれも一瞬のことで、彼女はすぐにクールな表情を取り戻した。やはり舞台上に立つ者、ちょっとのことで動じることはないようだった。
拍手の波は、彼女の姿が舞台から完全に消えるまで続くのだった。
「凄かったですね……」
拍手がようやく鳴り止んだ頃、私は興奮が覚めやらぬままそう言った。
「普段、私たちの前だとこういう人形の使い方をしないから、意外よね」
「そうだなぁ」
私もこれまでは、人形がアリスさんの身の回りの世話をしたり、弾幕ごっこをしたりしているところしか見たことがなかった。
こんな素敵なわざを持っているのなら、普段から見せてくれてもいいのにと思う。もったいないではないか。
今度会ったら、そう伝えてみよう。それだけでなく、彼女には今日の芸について聞いてみたいことがたくさんある。
私は、アリスさんの舞台を一度目の当たりにしただけで、ファンになってしまいそうだった。
「霊夢お姉ちゃん?」
そんな声が聞こえたのは、私たちが広場から屋台の列へ戻ろうとしている時だった。
霊夢お姉ちゃん? はて、何だろうそれは。霊夢さんを呼ぶ声だろうというのは分かるけれど、何故そこにお姉ちゃんなどという人なつっこい言葉が接続されるのだろう。
「あら、あなたたちも来てたの」
そう返事をしたのはもちろん霊夢さん。しかしその声は、いつにも増して柔らかくて優しげだった。
振り向くと、そこには何人かの女の子が立っていた。年のころは10歳くらいだろうか、皆浴衣に身を包んでいる。
もちろん私の知らない子たちであるけれど、霊夢さんなら里に知り合いがいても不思議ではなかった。
「霊夢お姉ちゃんも来てたんだー」
「ええ。お友達と一緒にね」
一応、私たちは友達と認識されているようだった。
ただ、霊夢さんの口からそんな言葉が出て来るのを初めて聞いたので、どこか照れくさく感じてしまう。
「お姉ちゃんたちも今のお人形の演奏、見てた?」
「もちろん、見てたわよ」
「凄かったよねー」
女の子たちは、そろって賞賛の言葉を口にする。霊夢さんもそれに合わせて頷いていた。
そうやって親しげに話しかけられる様子で、霊夢さんが彼女たちに好かれていることがよく分かる。
一番前にいる女の子などはさかんに霊夢さんに話し掛け、よく懐いていた。黒髪のおかっぱ頭に浴衣という格好がよく似合ってて、どこか座敷童子を思わせる姿だった。
霊夢さんもきちんとかがんで、女の子たちと同じ目線で喋っている。
そんな様子が正直意外ではあるけれど、もしかしたらこれが、本来の霊夢さんの姿なのかも知れない。
普段彼女が付き合っている相手は、誰も彼もが偏った連中ばかりなのだから。
「またね、霊夢お姉ちゃん」
「うん、またね」
しばらく喋った後、女の子たちはお祭りの賑わいの中へ戻っていく。私たちはばいばいをしてそれを見送った。
「……して霊夢さん、今の子たちは?」
「前に、うちの神社に参拝に来た子たち」
「へぇ……」
「ちょっと一緒に遊んだりもしたんだけど、全然違う格好をしてるのに気付いてくれるとはね」
霊夢さんは遠い目をして、女の子たちの後ろ姿を見守っていた。
何だかんだ、あの神社にも参拝客はいるらしい。
それにしても、
「霊夢お姉ちゃん、ですか……」
「霊夢お姉ちゃん、ねぇ……」
「何よ、何か文句でもあるの?」
「文句はないけどさぁ……」
「文句はないんですけどねぇ……」
何というか、ニヤニヤが止まらない。
霊夢さんが、異変時は妖怪だろうが神様だろうが問答無用でしばき倒すあの霊夢さんが、霊夢お姉ちゃんなどと呼ばれて目尻を下げているのだ。
そんな一面を見せられて、黙っていられるはずがなかった。
「なあなあ霊夢お姉ちゃん、あそこのりんご飴買ってー」
「んなっ!?」
それはきっと、魔理沙さんも同じだったのだろう。彼女は突如、甘えるような声を上げながら霊夢さんに抱き付いたのだ。さすがの霊夢さんもこれには面食らっている。
霊夢さんの腕に取りすがるその姿はちょうど、猫がじゃれ付いているかのようで、さらには上目遣いで瞳を輝かせるという強力なオマケ付きである。
「霊夢お姉ちゃあん」
「くっ……!」
魔理沙さんはなおも、霊夢さんの腕にゴロゴロと頬をすり寄せて離れない。猫なで声も妙に板についている。
そんな風にじゃれ合う2人が、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまった自分がいる。
「なあなあ~」
「ああもううるさい黙れ離れろこのおバカ」
「うぐっ」
ドスッと鈍い音がしたかと思えば、魔理沙さんがうめき声を上げてよろめく。霊夢さんの手が入ったようだ。
「ぼ、暴力は反対だぜ、霊夢お姉ちゃん……」
「まだ言うか」
強烈な一撃を受けても、魔理沙さんは懲りていないらしい。第二撃が入らなかったのは僥倖だろう。
ただ、少なからず動揺している霊夢さんは大変貴重なので、私もからかいたくなってしまう。
「霊夢さん霊夢さん」
「何よ」
「今の、あっちでさっきの子たちが見てましたよ」
「っ!」
私の指差した方に物凄い勢いで振り返るが、そっちにはただの人ごみがあるだけである。
「まさかこんなにあっさり引っかかるとは思いませんでした……って痛い痛い痛いですって!」
無言のまま、両手で頭をぐりぐりされた。それもかなりの力で。
「あんたもみぞおち入れられたいのかしら」
「嘘です嘘です、あの子たちは飴玉の屋台にいてこっちは見てませんでしたって!」
「あら、そうなの」
真相を口にすると、霊夢さんはあっさりと私を解放してくれた。
しかし彼女はそのまま私の腕を掴み、賑わいからやや離れた通りの隅っこへと引っ張る。
そして、誰も聞いていないだろうに、わざわざ顔を近づけて、
「……で、見てなかったっていうのは本当でしょうね」
念を押すようにして聞いて来る。
大いに今更な感じがするけれど、あの子たちが見ていなかったというのは本当だった。
また、このお祭り騒ぎの中であれば、ちょっとくらいハメを外す人がいても大して気に留める人もいないだろう。
「はい。多分飴玉を買って、通りの向こうに行っちゃいましたから」
「そう。ならいいわ」
傍若無人というか、普段は他人のことなど意に介さない彼女が、人目を気にするのは珍しいことだった。
少なくともあの子たちの前では、優しい霊夢お姉ちゃんでいなければと思っているのだろう。
そんな霊夢さんを可愛く思う。
だから私は、これ以上そのことで彼女をからかうのはやめることにした。
「そうだよなー、優しい“霊夢お姉ちゃん”はそんな暴力なんて振るっちゃいけないもんなー」
容赦ない第二撃が魔理沙さんに炸裂した。
「はぁ、お祭りの醍醐味はやっぱり食べ歩きよねぇ」
霊夢さんがりんご飴を頬張りながら言った。初めは食べ歩きを渋っていた私も、今では普通にそれに付き合っている。
今回買ったりんご飴は、まるまる1個のりんごではなく、食べやすいように4等分してあるものだった。
なので1つでは足りないと思い、私と霊夢さんはそれぞれ2つずつ買った。
4分の1の大きさだから量が多いわけではないけれど、両手に持っているだけで、どこか贅沢をしている気分になれる。
「2人とも、そんなに食べると太るぞ」
食べ過ぎを気にしてか、魔理沙さんだけは1つしか買っていなかった。
「だーいじょうぶよ。お祭りの日だけの贅沢ってやつよ」
「そうですよ、魔理沙さん気にし過ぎですよ」
「そうかねぇ……。それともアレか。早苗は奇跡の力でどうにかなるのか。『食べ過ぎても太らない奇跡!』って」
「そんな奇跡があったらいいんですけどねぇ」
魔理沙さんの中では、奇跡の力は万能であるらしい。
「魔理沙さんこそ、食べ過ぎても太らない魔法とかってないんですか?」
「そうよねぇ。マスタースパークみたいのばっかりじゃなくて、もっと生活に役立つ魔法とか使えばいいのに」
「お前ら、魔法を何だと思ってるんだよ……」
「生活向上に便利な道具とか?」
「いつでも奇跡を起こせる力ですか?」
「……お前らが魔法に多大なる幻想を抱いてることはよく分かった」
魔理沙さんは呆れた表情でため息を吐き出すと、そもそも魔法というものはだな……と、何やら語り始める。
私は、口いっぱいに広がるりんご飴の甘酸っぱさを味わいながらその話に耳を傾けていた。
食べ歩きももちろん良いけれど、お祭りの醍醐味はやっぱり、こうやって友達と言える誰かと何でもないお喋りに興じていられるところにこそ、あると思う。
お祭りという非日常の雰囲気に酔いしれて、お喋りがいつも以上に弾み、そして楽しく感じられるのだ。
お酒を口にした訳でもないけれど、どこかふわふわと浮つくような、そんな感覚に、私はとらわれていた。
「だから魔法って言うのは――」
――と、その時だった。
魔理沙さんの言葉が突然、半ばでふつりと切られたかのように途絶えた。
いや、彼女の声だけではない。それまであったはずの周囲のざわめきまでもが掻き消えている。
聞こえたのは、自らの口から飛び出した、え、という短い驚きの声だけだった。
浮つき過ぎて五感がおかしくなったのか。
けれど、辺りの景色はそれまでと何ら変わるところがない。それなのに、音という音だけが綺麗に切り取られているのだ。その不自然な感覚はめまいを引き起こしそうなほど不可解で、そして不快だった。
「――という訳なんだよ」
しかし次の瞬間に、魔理沙さんの声がまた聞き取れるようになる。ざわめきも元通りに聞こえる。
何があったかは分からないけれど、耳がおかしくなった訳ではないみたいなので、私は胸を撫で下ろす。きっと、気のせいだろう。
お祭りだからとはしゃぎ過ぎて疲れているのかも知れない、などと思う。
おかげで、魔理沙さんの話の結論部分がすっかり抜け落ちてしまった。
「すみません、もう一度言ってもらえますか?」
「ごめん、私も何か聞き取れなかった」
霊夢さんも同じく聞き返している。
もしかしたらこれは、私の気のせいなどではなかったのかも知れない。
「何だお前ら、せっかく人が熱く語ってやってるというのに、聞いてなかったのか」
「いえ、何か一瞬、魔理沙さんの声が遠くなって……って、あれ?」
気が付くと、左手に持っていた、まだ口をつけていないりんご飴がいつの間にかなくなっている。
落としたかと思って振り返るも、それらしいものは見当たらない。
「あら、私のりんご飴がない」
「霊夢さんもですか?」
「早苗も?」
「はい。さっきまでは確かに持ってたはずなんですが」
自分の両手を見てみるも、食べかけのりんご飴しかない。それは霊夢さんも同じだった。
「何してるんだ2人とも。落としたんじゃないのか?」
「さすがに落としたら気付くわよ。……多分」
「でも、なくしてるじゃないか」
「うーん」
さすがの霊夢さんも言葉が続かない。
けれど、2人同時に持ち物をなくして、しかもそれが見つからないのだ。単に落としただけとして片付けるのは躊躇われる。
「さっき、魔理沙さんの話を聞いていた時、何秒かの間、何故か何も聞こえなくなったんですよ」
「早苗もそうだったの? 私もなんだけど」
やっぱり、霊夢さんの身にも同じことが起きていたようだ。
「なくしたのがその直後ですから、その時に何かあったのかも知れません」
「うーん……」
みんなで考え込むが、そもそも考えたところで答えが出るものでもなかった。
それから私たちは、意外な事実に直面した。
手にしていた食べ物をいつの間にかなくしてしまった人が、他に何人もいたのだ。
やはり共通しているのは、落としたという自覚も物証もないこと。そして、耳が何も聞こえなくなった直後に、それに気付いたということだった。
被害者の中には、先ほどの女の子たちもいた。
霊夢さんによく懐いていた、あのおかっぱ頭の女の子が泣いていた。彼女は、さっき買っていた飴玉の袋をなくしてしまったらしい。
そして彼女だけが、他の人とはまた異なった証言を行なった。
彼女は、自分の持っていた飴玉が不意に手から離れ、宙に浮いているのを見たと言うのだ。あ、と思った時にはもう見えなくなっていたらしい。
それは、にわかには信じがたい話だった。
けれど彼女にとってみれば、飴玉を失ってしまったことよりも、自分の言葉を信じてもらえないことの方が辛いのかも知れない。
霊夢さんが代わりの飴を買って来てくれたけれど、それで楽しいお祭りの時間が取り戻せる訳でもなかった。
「これはやっぱり……アレだな」
それまで黙って話を聞いていただけの魔理沙さんが、1人頷いている。
「魔理沙は何か分かったの?」
「多分、な」
この中で何かを掴んでいるらしいのは、魔理沙さんだけのようだった。
「私らが解決してやるから、もう泣くな」
魔理沙さんはそう言って、女の子の頭をぽんぽんと撫でてやった。
慰められて、彼女は泣き腫らした目で魔理沙さんを見上げる。
もう泣いてはいなかったけれど、気落ちしているのは誰の目にも明らかだった。
「解決って、一体何をするんですか?」
「釣りだよ」
それで、何故こんなことになっているのかよく分からない。
私は今、賑わいからちょっと離れた場所に置かれた、休憩用の長椅子に腰掛けている。
傍らには、たこ焼きやかき氷などといった食べ物。そして隣りには、何故かアリスさんが座っていた。
魔理沙さん曰く、私たちはおとり役で、食べ物は言わば釣りのエサであるらしい。
不自然にならないように、少しずつ食べ物を口にする。それが減って来ると、屋台の中を練り歩いていた魔理沙さんが適当に食べ物を見繕ってここに持って来る。そうやって、釣るらしかった。
そんな“釣り”をするからには、呼び寄せて引っ掛けるべき何かがいるということになる。その「何か」が、今回の出来事の犯人なのだろうか。
ただ私は「普通通りにしていろ」という指示しか受けておらず、仮に犯人が釣れたとしても何も出来ない。全てはアリスさんに任せてあるらしい。
協力出来ないのが残念ではあるけれど、状況をほとんど理解出来ていない以上は仕方のないことだった。
「そう言えば、貴方」
「あっ、はい」
不意にアリスさんから話し掛けられて、ちょっと驚いてしまう。
何も出来ないからと、ぼんやりしていてはいけなかった。
「さっき、私たちの演奏見てたわよね」
「はい」
私“たち”という言葉に一瞬違和感を覚えるが、それが人形たちを差していることにすぐ気付く。
彼女にとっては、人形は単なる道具ではなく、共に演じるパートナーみたいな存在なのだろう。
「どうだったかしら?」
どうやら彼女は私に、感想を求めているようだった。
あれだけの拍手を受ければ、大盛況だったことは本人にも分かると思うのだけど、やっぱり生の声としてそれを聞きたいのだろう。
そう言えば、彼女の演奏が終わってからもずっと祭囃子が聞こえている。これも彼女の人形による演奏なのだろうか。
「正直、聞き入ってしまってました。
それで、どういう人が演奏してるんだろうって気になって見てみたら、アリスさんとお人形さんだったので驚いちゃいました。
アリスさんは人形を使ってこんなことも出来るんだ、って思いました」
「ふふ、ありがとう」
柔らかく微笑むアリスさん。その表情は、舞台上にいた時のようなクールなものではなく、少女らしい情感のこもった可愛い笑顔だった。
かつて、彼女と初めて会った時の私の感想は、その整った顔立ちとも相まって「綺麗な人だけど、どこか冷たそう」だった。
けれどこうして話してみれば、それが全くの偏見だったことに気付かされる。
むしろ、クセのある方々ばかりの幻想郷の中にあって、普通の会話が出来るある意味貴重な存在なのだった。
「ところで、さっきからずっと祭囃子が聞こえてるんですが、これもひょっとしてアリスさんのお人形が?」
「そうよ」
「自動で演奏もするんですか?」
「ええ」
何でもないように答える。
「そんなことも出来るんですね……」
「ゼンマイで動くおもちゃがあるでしょう。それと同じよ。あらかじめ魔力を供給しておけば、しばらくは自動で動かせるの」
そうは言うけれど、ゼンマイのおもちゃでは完璧に歩調を揃えることは不可能だろう。
しかし今流れているメロディは、一糸乱れず見事に足並みが揃っているのだ。
個々の人形がリズムをずらさずに演奏しているのだから、それぞれの動きを完全に同期させているのだろう。
これは神業か、と、神に仕える身でありながらそんなことを思ってしまう。
「まあ、一度にそんな沢山は動かせないから、この演奏はちょっと賑やかさが足りないかもね」
これは、照れ隠しから来る謙遜だろうか。
賑やかに演奏される祭囃子ももちろん良いけれど、こうして背景音楽のように穏やかに聞こえるのもまた素敵だった。
願わくば、無心のままいつまでもこの祭囃子に耳を傾けていたい。私は心からそう思う。
けれど今、私たちはおとりとしてこの場にいる。
女の子たちに悲しい思いをさせた原因を、突き止めなければならないのだ。
出来ることならこんな形でなく、もっとゆったりとした雰囲気の時にアリスさんと話をしたかった。
「そう言えば、女の子たちもアリスさんの舞台を見てましたよ」
「あら、そうなの?」
「はい。演奏も、人形も、凄かったって言ってました」
それは打算も何もない、女の子たちの素直な感想だった。
しかし、彼女たちのそんな楽しいひとときは、何者かによって文字通り奪われてしまったのだ。
その罪は、ただ単に物を盗んだことよりもずっと重い。もし捕まえられたならば、何が何でも彼女たちへ謝罪をさせるつもりでいる。
私自身がりんご飴を取られたことなど、もはや瑣末事に過ぎなかった。
「やっぱり、そう言ってもらえると嬉しいわね……」
遠い目をして、アリスさんは言う。
「私が里で人形劇を始めたのはもともと、誰かを喜ばせるためと言うよりはむしろ、人形を操る練習の一環に過ぎなかったのよね」
「そうだったんですか……」
「ええ。だけど、回数を重ねてるうちに、喜んでもらえるのが嬉しくなっちゃって。今では、毎回のように顔を見せてくれる子もいるのよ。
でも今日みたいに大人数になっちゃうと、見に来た子たちと話すこともなかなか出来ない。だから、後からそういう感想をもらえるのが凄く嬉しいのよね」
人気者ゆえの悩み、なのだろうか。
「だから人形芸をやる時は、本当は舞台の上なんかじゃなくて――」
不意に。
滔々と語るアリスさんの声が、切り落とされるように途絶えた。祭囃子の音色も同時に掻き消えている。
それは、音だけが不自然に失われた世界。間違いなく、先程と同じ状態に陥っている。だが今は2回目。もう動じてなどいられない。
それとなくアリスさんに視線を投げると、同じように視線を返される。
もう、彼女も分かっている。
私は視界の端で、傍らに置かれた食べ物に注意を向ける。――すると、それがわずかに持ち上がるのが見えた。本当に、動いたのだ。
女の子の言葉は、やはり正しかった。
そして、「何者か」が今そこにいる。
後は、アリスさんに任せるしかない。
今度ははっきりと、彼女の方に顔を向ける。
彼女は、冷静な表情のまま手を振り上げると、
――突如として、周囲に多数の人形が出現した。
人形たちはそれぞれ剣や槍などで武装し、私たち2人を取り囲むように展開している。
逃げ場はどこにもない、完全な包囲状態が成立した。
その時だった。
音のないはずだった空間に、ヒッ、という息を呑むような声が響く。
そして同時に、まるで手品のように、目の前に突然それが出現したのだ。
現れたのは、子供くらいの背格好をした、3人組の少女だった。共に背中に透明な羽のようなものが生えており、妖精だと分かる。
3人とも、突然の人形の出現に驚いているのだろう。そろって目を剥いていた。
私としても、まさか相手が3人もいたとは思わず、呆然としたままその姿を見つめていた。
「ちょっとサニー! 見られてるわよ! 能力解かないでよ!」
「ルナだって! 声も駄々漏れじゃない!」
「無理言わないでよ! いきなりこんな――」
「あらあら、本当に貴方たちが出て来たわ。魔理沙の言ってた通りね」
何やら勝手に現れて勝手に騒ぎ立てている3人を、アリスさんの言葉が遮る。その声には、どこか呆れのようなものが混じっていた。
出て来た相手はどうやら、魔理沙さんの予想通りだったらしい。
「もう、うかつに姿を隠さない方がいいわよ。見えないと、寸止めが利かないから」
アリスさんはそう言うと、薄笑いを浮かべながら妖しく指を動かす。
すると人形たちは亡霊のようにゆらりと蠢き、緩慢な動作で標的に刃を差し向ける。生気の全く感じられないその動きは、ホラー映画のゾンビを髣髴とさせるものだった。
それは真綿で首を絞めるかのように、じわりじわりと相手を恐怖の淵に陥れるのだ。
その様子は、狙いでないはずの私の背筋さえも凍り付かせるほどだった。
芸達者のアリスさんにとっては、人形を使うことで、見る者を喜ばせるだけでなく、こうして震え上がらせることまでもお手の物なのか。
「だから、アリスさんはやめようって言ったのよぉ……」
恐怖に当てられ、彼女たちはそのまま地面にへたり込んでしまう。
これ以上、抵抗する気力はないようだった。
「ごめんなさい……」
盗みを働いた相手に対し、3人の妖精は力なく謝罪の言葉を口にする。
誠意ある謝罪とまではいかないが、それなりに反省の色は見て取ることが出来た。
魔理沙さんによれば、彼女たちは名をサニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアと言い、悪戯好きの三妖精であるらしい。
彼女たちは光を屈折させたり音を消したりする能力を持っていて、それを利用して盗みをはじめとする悪戯に精を出しているという話である。
その能力のことを魔理沙さんは知っていたために、犯人の予想が付いたとのことだった。
アリスさんの協力を仰いだのにも、彼女たちの能力が関係していた。
スターサファイアさんは、生き物の存在を感知することが出来るらしい。そのため、隠れて待ち伏せするなどの作戦が通用しない。
しかし、生き物でないアリスさんの人形は感知されないので、魔理沙さんはそれを利用したのだ。
ちなみに、アリスさんは既に祭囃子の演奏に戻っている。彼女は三妖精の処遇よりも、人形芸の方を優先したいようだった。
食べ物をなくした人たちは、それが妖精の仕業であると分かると、やれやれといった表情を作ってため息を吐く。
里の人たちにとって、妖精の悪戯はある意味で慣れっこであるらしい。
彼らの多くは3人の妖精に軽く注意を行なうだけで、あっさりとお祭りへと戻っていく。謝りさえすれば、お咎めはないようだった。
「皆さん、意外と怒らないんですね」
「まあ、子供の悪戯と同じようなものだからな。怒っても仕方がないって思ってるんだろう」
「甘いと言えば、甘いんだけどねぇ」
振り返ってみれば、確かにこれは子供の悪戯と同レベルだろう。
そして実際に捕まえたら本当に子供のような相手だったので、私としても、正直拍子抜けしてしまったふしがある。霊夢さんと魔理沙さんもやはり、怒ると言うより呆れている。
私もりんご飴を盗まれた身だけれども、もはや叱り付ける気にもなれなかった。
どこか煮え切らないものがあるけれど、この3人はこれでもう釈放かな、と。そんなことを思っていた時だった。
「ねぇ……」
その時口を開いたのは、飴玉を盗まれていた、あのおかっぱ頭の女の子だった。
「飴玉が、欲しかったの?」
「え……?」
彼女は、3人の妖精に問いかける。
妖精たちは、盗んだ飴玉はそのまま持ち帰るつもりだったらしく、幸いにも1つも食べられていなかった。そのため、それは手つかずのまま無事に彼女に返されていた。
投げかけられたのが非難の言葉でなかったからか、3人は小さく驚く。
俯いたまましばらく返事に窮していたが、やがてサニーミルクさんが口を開いた。
「飴は甘くて美味しいのを知ってたから、欲しかったのよ。お家でゆっくり食べたかったから……」
ぽつぽつと、力なく答える。恐らくこれは本音だろう。
「じゃあ、これはあげる」
「えっ?」
驚いたことに彼女は、先程取り戻した飴玉の袋をそのまま3人に差し出したのだ。
「でもこれは貴方の……」
「私の分は、さっき霊夢お姉ちゃんが買ってくれたからいいの」
そう言えばそうだった。今、彼女の手には飴玉の袋が2つある。
確かに、2袋分の飴は彼女にとって手に余るものなのかも知れない。しかし、だからと言ってそれをそのまま譲るなんてことは私には出来ない。ましてや、相手はいったんそれを盗んでいたのだ。
「……でも、本当にいいの?」
「うん」
女の子のその返事はあくまで平易で、そうして飴玉をあげることを当たり前に思っているかのようだった。
それを欲しい誰かがいて、自分の手元にはそれが余っているから、あげる。彼女にとってはただそれだけのことみたいだった。
差し出された飴玉の袋を、サニーミルクさんが恐る恐る受け取る。その瞳には、まだ戸惑いの色が残っていた。
「あ、ありがとう……」
「飴って、美味しいものね。私も大好き」
女の子がにっこりと笑うと、三妖精も少しだけ緊張が緩んだのか、ほっとしたような表情を浮かべた。
彼女としては、飴好きの同士がいて嬉しかったのかも知れない。
後で私も飴玉を買ってこようかなと、そう思わせてくれるような笑顔なのだった。
「でももう、変なことはしないでね」
「あ、うん……」
有無を言わさず頷かされた感がある。
ある意味これは、叱り付けるよりもよっぽど効果的かも知れなかった。
「許してもらえて良かったな。もし私のを盗んでたら、今頃消し炭だぜ」
「うぅ……」
魔理沙さんが消し炭とか言うと、実際に出来なくもないだけに、冗談でもちょっと怖い。
まあ、そんな冗談を口にするくらいなのだから、魔理沙さんとしてもこれ以上彼女らを責めるつもりはないのだろう。
当の女の子が許しているのなら、それで十分だった。
「ま、せっかくのお祭り時なのに罰を与えるなんて、それこそ無粋だろうしな」
「そうねぇ。せっかくのお祭りなんだから、あんたたちも悪戯なんかしてないで楽しんで来なさいよ」
「……でも、私たちがいていいのかなぁ」
さっきまで悪戯に興じていた割には、随分と大人しい。女の子に許された上に飴玉までもらってしまったことが、意外と負い目になっているのかも知れない。
むしろ、反省の気持ちがそれくらいあるのなら全く問題はないと思う。
「もう許してもらってるんだから、誰も気にしたりはしないぜ」
「そうそう。それにここの人たちは、相手が人間だろうが妖精だろうが、普通にしてれば誰も文句つけたりはしないわ」
「そう……かな?」
2人の言葉に、三妖精の表情にもようやく明るさが差し込んで来た。
そうである。たとえ、吸血鬼が屋台の間を駆け回っていても、妖精が店を出していても、はたまた神様が遊びに夢中になっていても、それに殊更注意を向ける者は誰一人としていなかった。
それを楽しんでいる限りにおいて、お祭りという場はあらゆる者を平等に受け入れてくれるのだ。
もし彼女たちが素直にお祭りを楽しむのであれば、誰もが喜んで迎え入れてくれるだろう。
それこそが、幻想郷のお祭りなのだった。
「後は、その格好だな」
「あ……」
そう言えば、私たちの誰もが浴衣を纏っているのに対して、彼女たち3人だけはフリルの沢山付いた洋服を身に着けていた。
恐らくそれが普段着なのだろうが、その格好はやはり、周囲からは浮いてしまう。
「やっぱり、ダメかぁ」
目に見えてがっかりとする3人。意外にも、お祭りへの参加にかなり前向きのようだった。
私としては、お祭りを楽しみたい気持ちさえあれば格好は二の次だと思うのだけど。
「まあ待て。ここはこの霧雨魔理沙さんが特別に取り計らってやろう」
「……どういうこと?」
取り計らうとは、どこからか浴衣を借りて来るとかだろうか。
浴衣があるのなら、もちろんそれに越したことはない。
「お前たちなら……、とりあえずこんな柄でいいか」
うんうんと、1人頷く魔理沙さん。こんな柄、とはどんな柄を差しているのだろうか。
彼女の頭の中ではそれがイメージされているみたいだけど、イメージした通りの浴衣などどうやって用意するのか。
魔理沙さんはおもむろに三妖精のそばまで歩み寄る。そして、何かを念じながら右手をかざすと、
――ぽわん、と。
どこか間の抜けたような音がして、三妖精がピンク色の煙に包まれる。恐らくそれは、魔法的な効果なのだろう。土煙などと違ってむせることはなかった。
その煙はものの数秒で取り払われ、晴れてその中から姿を現したのは。
「……え?」
――そこには、浴衣を纏った3人の少女の姿があった。
初めは3人とも呆けた顔をしていたが、いつの間にか自身が浴衣を着せられていることに気付く。
サニーミルクさんは白地にお日様マークの、ルナチャイルドさんは黒地に星型マークの、そしてスターサファイアさんは青地に三日月マークの柄だった。
「そのまんまな柄だが、まあいいだろう」
これは、魔理沙さん特製の着せ替え魔法といったところか。
彼女がこんな魔法らしい魔法を使うのは初めて見る。それも着せ替えなどという、いかにも女の子が好みそうな乙女チックな魔法を。
魔理沙さんはこうして着せ替えをしてみたり、アリスさんは沢山の人形を思いのままに操ってみたり。
魔法の力を使えば、本当に色んなことが出来るようになるらしい。
その力はそれこそ、奇跡と言っても過言ではないのかも知れなかった。
少なくとも外の世界からすれば、これは奇跡そのものだろう。
「ま、それで楽しんで来な」
「う、うん」
着ていた洋服が突然浴衣に変わってしまったのだから、戸惑うのも当然だった。
けれど、違和感を感じていたのは少しの間だけだったようで、自身の格好を確認しているうちに浴衣の着心地に慣れたみたいだった。
3人は魔理沙さんに一応の感謝の言葉を述べて、お祭りの賑わいの中へ消えていった。
浴衣を纏ったその後ろ姿はそれこそ、お祭りを楽しんでいる子供みたいな様子で。
少なくとも今日はもう、変な悪戯をすることはないだろう。そう信じても良さそうなのだった。
「じゃあ、私らも祭りに戻るとするか」
「そうね」
「……あ、ちょっと待って」
全てが丸く収まって、祭りに戻ろうとする私たちを、おかっぱ頭の女の子があらためて呼び止める。
「どうした?」
「その……、ありがとう、魔理沙お姉ちゃん」
「おお? どうしてだ?」
「私のために、色々してくれて」
確かに、今回の件で最も活躍したのは魔理沙さんだった。
彼女がいなければ、いつまでも犯人は分からずじまいだっただろう。
「魔理沙お姉ちゃん、だってさ」
「魔理沙お姉ちゃん、ですって」
「ははは、照れるなぁ」
そう言って魔理沙さんはおどけるが、頬がちょっと引きつっているあたり、何割かは本当に照れているみたいだ。
「早苗お姉ちゃんも、ありがとう」
「え? わ、私はそれこそ何もしてませんよ……」
正直不意打ちだった。私は本当に何もしていないから、感謝なんてされるとは思っていなかったのだ。
「早苗お姉ちゃん、かぁ」
「早苗お姉ちゃんも悪くないわねぇ」
「や、やめて下さいよ」
いや、確かにそれはそれで悪くはない。悪くないけれど、物凄くこそばゆい。
私だって、お姉ちゃんなんて言われたことなど今までなかったのだ。
「霊夢お姉ちゃんも、ありがとう」
「どういたしまして」
霊夢さんはもう慣れているからか、私のように動じることはなかった。女の子の頭を撫でてさえいる。
「やっぱり、霊夢お姉ちゃんが一番しっくり来るなぁ」
「そうですね、霊夢お姉ちゃんには敵いません」
「あんたらね……」
けれど私たちに突っ込まれると、霊夢さんは困ったように眉根を寄せる。女の子の目の前では、さっきのように力ずくで黙らせることも出来ない。
結局のところ、私たちはそれぞれの気恥ずかしさを笑って誤魔化すしかなくて。
そんな私たちを見て、女の子は楽しそうにころころと笑っていた。
その表情に、涙の影はもうどこにもなかった。
ひゅーっ……どぉん。
そんなお馴染みの音を響かせながら、夜空に大輪の花が次々に咲く。そのたびに、周囲から歓喜の声が上がっていた。
赤や、青や、黄色をはじめ、色とりどりに咲き乱れる花火に魅せられて、誰もが陶然として空を見上げている。
何重にもなるカラフルな色彩や独特の模様は、まさに花火職人の腕の見せどころで。
時にテンポ良く連続的に打ち上げられる花火は、広い夜空を彩り鮮やかに染め抜いてゆき。
私は高鳴る胸を抑えることなく、その光景に見入っていた。
「ほんと、見ているだけでドキドキしますね……」
「スペルカードでも、ここまで魅せるのはなかなか出来ないんだよな」
「まさに職人芸、ってやつね」
2人とも、花火が見せる光の芸術作品に素直に感動していた。
こうして一緒に並んでいると、霊夢さんも魔理沙さんも、割と普通に女の子していることに今更ながらに気付く。
花火が開くたびに、一瞬だけその横顔が照らし出される。綺麗な花火に見入るその表情は、どこにでもいる普通の女の子と変わりないのだった。
「こういう花火みたいな模様を見てるとさぁ、ついつい隙間を避けたくなっちゃうのよね」
「あー、あるある」
しかしちょっと普通ではなかったコメントに、微妙にずっこける。
いや、まあ、そういう感想だってアリだろう。否定はするまい。
「にしてもやっぱり、祭りの締めくくりは花火に限るな」
魔理沙さんは、いつもと同じ明るい口調でそう言った。
締めくくり。
彼女のその言葉に、他意はないのだろう。けれど私は、その言葉を受けて胸を締め付けられずにはいられなかった。
この花火大会は、お祭りの最後を飾る催し。それは、分かっていたことだ。考えないようにしていたに過ぎない。
祭囃子のメロディに終わりはなくとも、今日という日に開かれたお祭りは、間もなく閉幕を迎えるのだ。
「もうすぐ終わっちゃうん、ですね……」
夜空に咲いては萎んでゆく花火を眺めながら、私はついそんなことを口にしてしまった。
ある意味で花火には、お祭りそのものが凝縮されているのかも知れない、などと思う。
綺麗に開いた花火はやがて、音もなく静かに落ちて消え去ってしまう。見惚れるほどの美しさと――そして刹那に消えゆく儚さが、楽しかったお祭りと、その幕引きを想起させてしまうのだった。
いや、それでも、と私は思い直す。
瞳に焼き付いた光の花弁も、軒を連ねる屋台の中を3人でお喋りしながら巡ったことも、決して消えることはない。
会話の中身は意味のないものばかりで、やがて記憶から色あせてしまうのだとしても。
これが一晩だけの、ひとときの夢のような出来事だったとしても。
こうして、同じ楽しい時間を共有出来たことは、何物にも代え難い思い出になると私は確信している。
ただ、そんな夢のように楽しい時間が覚めない内に、せめて一つだけ、約束をしておきたかった。
「霊夢さん、魔理沙さん」
私は穏やかに、友人である2人の名を口にする。
その間にも次々に花火が上がり、夜空を鮮やかな光で満たしていく。
そうしてリズミカルに爆音を響かせる花火の、その合間を縫って、私は言葉を継ごうとする。
「私たち、来年も一緒に――」
「さーなえっ」
「わきゃっ!」
――しかし、大切なことを伝える前に、私の言葉は途切れてしまう。
前触れなく私の背中に飛びついて来たのは、諏訪子様だった。もちろん、神奈子様も一緒にいる。
あれだけはしゃいでいたのに、諏訪子様は疲れを見せる様子が全くなかった。
「もう、どうしたんですか諏訪子様」
「いやあ、もうすぐお祭りも終わりだから、花火が終わったら一緒に帰ろうかと思って」
はい、その気持ちはとてもありがたいです。けれど、もう少しタイミングを図って欲しかったと思います。
おかげで私は、大事なことを言うタイミングを逸してしまった。
そう。私は、来年も彼女たちと一緒にお祭りに来ることを約束したかったのだった。
「そうだ、いいこと思いついたぜ」
私と諏訪子様のそんなやり取りを見ていた魔理沙さんが、手をぽんと叩く。
正直、彼女の言う「いいこと」が本当にいいことであるとはとても思えず、私は反射的に身構える。
「早苗は来年、このカエル浴衣で登場な」
「ちょ、何でですか!」
よりにもよってそれですか。
魔理沙さんは、面白い悪戯を思いついた子供のようにニカッと笑っている。
「いや、お前さんのその“信仰”とやらを確認してやろうかと思ってな」
「それは面白そうねぇ」
「この浴衣ならいつでも貸すよ早苗ー」
霊夢さんも諏訪子様も、乗らないで下さい。
私が諏訪子様の前でこのカエル浴衣を拒絶できないことを、魔理沙さんは分かって言っている。なかなかに意地悪だ。
しかし、魔理沙さんがそれ以上に大事なことを口にしたのを、私は確かに聞いた。
彼女は間違いなく、来年という言葉を使っていた。
その口ぶりからして、私たちが来年も一緒に祭りに出ることが、彼女の中では既に決定しているみたいだった。
何だか、告白でもするみたいに思い切って言おうとしていた自分が間抜けに見えて来る。
今からそんな約束などしなくても、私たちは来年になれば、それが当たり前であるかのように一緒にお祭りに出掛けるのだろう。
それは、友達同士であるならば当然のことなのかも知れなかった。
ならば、私はもう気をもむ必要も何もない。
後は、弾むような会話を気軽なノリで楽しめばいいだけのことだった。
「じゃあ魔理沙さんたちは来年、こちらのヘビ浴衣でご登場お願いします」
私は神奈子様の浴衣を示してそう言ってやった。
ダシにしてしまってごめんなさい神奈子様、と心の中で謝っておく。
「それ着たら絞め殺されそうだからごめんだぜ」
「でも魔理沙って、ツチノコを可愛いとか言って飼うようなセンス持ちだから、これもいいんじゃないの?」
「生のツチノコがイケるなら、このヘビ浴衣くらい余裕じゃないですか」
「それとこれとは話が別だぜ」
「まあまあ、話は分かった」
とそこで、神奈子様の合いの手が入る。
「話をまとめると、来年のお祭り用に、このヘビ柄浴衣を3人分用意すればいい訳だね」
『それは違う』
2人同時に突っ込む。
「そうそう、そんなヘビ柄のじゃなくて、こっちのかわいいカエル柄の浴衣を3人分だよね」
『それも違う』
2人同時に突っ込む。
2柱は共に、自身の浴衣の素晴らしさを広く知らしめたいようだった。
しかし残念ながら、その野望はどうやっても叶いそうにない。
「あー、みんな可笑しい……」
正直さっきから、かなり下らないやり取りをみんなでしていると思う。
けれど、花火の光で一瞬だけはっきりと照らされる顔は、誰もが笑っていて。
そんなみんなの笑顔は、フラッシュ撮影でもしたみたいに、私の心に強く焼き付くのだった。
リアル蛙柄とヘビ柄の浴衣を想像して吹きましたw
どこでそんなの調達したんだよww
魔理沙の着せ替え魔法とか、ちょっと唐突かな、とも思いましたが、そんな些細なことは
どうでも良かったのであった、ってくらい、いいお話でした。
ほのぼのとした良いSSですね、俺もいずれこんな物語を書いてみたい物です
実際にありそうで実はなかなか経験できない、
これが幻想郷なんだなってのは今さらかもしれませんが、
やっぱりそう思わせてくれる作品って素敵です。
このほのぼのとした感じ、そしてちょっとした三月精の悪戯も許せるお祭りの神聖さ、
女の子やアリスの舞台などとても自然に笑みが零れました。
ゆるりとした時間の流れとそれを締めくくる花火。
そしてお祭りの中心だった三人の雰囲気や会話、仕草など
どれをとっても素敵でした。
この誰もが楽しめるお祭りは幻想郷ならではなのでしょうね・・・。
それがまた素晴らしく思います。
とても魅力的な作品でした!
すごく和みました。さんくす
文句無しで100点です!!
ほのぼのとした夏の感じがよかったです
霊夢お姉ちゃんかわいいなぁ
アリスのステージすごいだろうなぁ
夏に読めなかったのが惜しい。でも100点
余談に魔理沙の魔法で着替えた元の服はどうなるんだろう。時間で戻るのかな
浴衣も良いよね
幻視してしまったじゃないかどうしてくれる(マリ霊派
それはそうと、お祭りが素敵すぎてもうたまらんのですよ!
ほかの妖怪たちがカメラの外で祭の中で楽しんでいてほしいな、と願わずにいられません(もちろん浴衣
このSSに反応して、絵板のほうに浴衣祭こないかなぁ
チルノも今まで見た中で一番好印象でした
⑨=我侭な馬鹿みたいな解釈が嫌だったのですごくよかったです
欲を言えば夏に読みたかったですね
でもお疲れ様です
登場人物も魅力的で素敵でした
良いSSをありがとうございました。
そんなことできたのかい、と驚いた記憶があります。
ほのぼのとしたよいSSでした。
やっぱこういうのは二次創作の醍醐味だなあ。
>「こういう花火みたいな模様を見てるとさぁ、ついつい隙間を避けたくなっちゃうのよね」
弾幕病ww
まさかそんな! と思って見てみたら本当に逆になってましたorz
ご指摘ありがとうございます。
私は作品投稿後は修正をしないことにしているので、ミスはそのままにしておきます。どうかご了承を。
なごんだー
そして素直に面白かった、GJ