冬は面倒くさいと、博麗霊夢は大きく溜息を吐いた。
特にこの雪というやつがまたなんとも煩わしい。
降っている間は綺麗だと思わないこともないが、とけてしまえばそれまでである。
残るのはべちゃべちゃとしてやけに汚くなった参道だ。
秋は秋で落ち葉が面倒くさいし春は春で桜が散って面倒だ。
色々面倒だけれど、それでも冬は良い。
ぽふ、とゆっくりとした調子で縁側に腰掛けて空を見上げる。
ついこの間まで突き抜けるような、どこまでもどこまでも広がっていそうな澄んだ色彩を放っていた秋空は、
いまではもうすっかりくすんでしまっている。
それでもなんとなく雪の降った後の空は綺麗に見えるものだ。
雪が汚い物を包み込んで地上に落としてくれるような気がするから。
「そしてまた、参道が汚れていくのよねえ」
はああ、と大きく溜息を吐いて、それからずずず、と茶を啜る。
魔理沙達と騒ぎながら呑む酒も悪くはないのだが、やはり一人で茶柱が立ったのを見て小さな幸福に浸るのも悪くない。
熱い茶なら尚更だ。湯気の立つ薄い緑色の液体を見ているだけで体から余計な力が抜けていくような気がする。
力が抜けた結果として掃除は最低限のものとなり、翌日にはまた盛大な溜息を吐くことになってしまう。
それでもここ最近は大きな異変も特になく、掃除に割く時間も大きいので境内周りは随分とこざっぱりしていた。
春には他では見られないほど綺麗な花をつける桜も今では閑散と細い枝を揺らすばかりだ。
来年になればまた花を付けるのだろうがとてもそうとは思えないほどに無生物めいた黒い色彩の幹である。
ごつごつとして節くれ立ったそれはとてもあの綺麗な花を咲かせる木であるとは思えない。
ひゅうう、と北風が髪を弄んで通り過ぎていった。
それと共に最後まで残っていた葉の一枚が千切れ、こちらまで飛んでくる。
ひらりひらりと横揺れし、とんぼ返りし、それはやがて膝の上にぽとんと落ちた。
拾い上げてつまんで見ると、当然ながらそれは水気などまったく含んではおらず、
少し強く捻るとぱきん、という音を立てて二つに分かれた。
ほんの僅かに秋の残り香をかいだような気がして、いやいやそんな事があるわけないか、と霊夢は軽く首を横に振る。
落ち葉一枚にどれほどの匂いが残っているというのだ。
でも、そういうのが残っていてもいいかも知れないな、とは思う。
ばりばりと、今度は少し風流心の足りない音を立ててせんべいをかじった。
こっちはちゃんと美味しそうな醤油の匂いが食欲を誘った。
やはり花より団子である。
顔を上げるところころと、鳥居の方に小石が転がっていくのが見えた。
本当に閑散とした神社だとしみじみと思い、だがそれも悪くないとも感じる。
よっこらせ、と少し婆臭い気合の声と共にまた立ち上がると、茶を手放したためか寒さが余計に身に堪えた。
一歩足を踏み出すと、からん、と空虚な音が響く。
不思議なものだ。
同じ音だというのに夏と冬では、一人の時と大勢の時では、こんなにも音が違う。
別に孤独を嫌っている訳ではない。むしろある点では好んですらいる。
こんな微妙な変化は、うるさい連中と一緒では絶対に気づく事は出来ない。
なにげなく立ち上がった時にだけ、それは聞こえる事があるのだ。
何か思い出せない風景が心に描き出されるような、無性に泣きたくなるような、そんな音がするのだ。
夏の風鈴もまた、そんな役割を担っているような気がする。
からん、ころん。
からん、ころん。
寂しげな音を転がしながら、とぼとぼと歩く。
風流な妖怪達はこういう心情を三十一文字に込めたりするのだろうか。
そんな事を思い、霊夢も何か考えてみようとしたのだが、
「駄目ね。なーんにも思い浮かばないわ」
今見てきた風景を、今まで感じてきたことを、
どうやってそんな短い歌のなかに封じ込める事が出来るのだろう。
不思議で仕方がない。
それにしてもおかしなものだ。
幼い頃はあまり好きではなかったこの音も、風景も、今は乙なものだと思える自分が居る。
それどころか、歌に詠んでみようとすら思えてしまう。
きっと成長したのだろう。そんな些細な変化ですら寂しく思えてしまう。
人間は、すぐに変わる。
どんどん変わって、弾けて消える。
たった十年ちょっとの人生の中で、こんなにも人は変わる。
幻想郷ではそれが当たり前。
どんなに妖怪と仲良くなっても、どんなに沢山の経験を積んでも。
どんなに自分が感動しても、どんなに自分が変わっても。
妖怪は何一つ変化することはない。
同じ経験もする、怒ったり笑ったり、感動したりもする。
だけれど妖怪は何も変わらない。
それが嫌な事だとは思わない。
むしろ自然な事だし、気にした事もなかった。
ただこういう雰囲気の中では、ふと寂しいと思ってしまうのだ。
もしかしたら妖怪達も、自分を置いてけぼりにして目まぐるしく変わる世界に寂しさを抱いているのかもしれない。
そんな風に考えれば妖怪にもなんだか親近感がわいてくるから不思議だ。
からん、ころん。
からん、ころん。
ああ、やっぱり靴を履いてくるべきだったかな、と思う。
たまに気分で下駄を履いてみたりするからこういう事になる。
ちっとばかし寂しすぎるのだ。
かといってこの音から逃れる事は出来ない。
この寒さのせいでじんじんと痛みを訴えてくる手足の指先の痛みから逃れられないのと同じように。
何となしに歩くと桜の目の前に行き着いた。あの西行妖とかいうお化け桜とは違ってただ古いだけの桜だ。
古いだけでなく、とてもとても綺麗な花をつける桜でもあるが。
その花のせいでぞろぞろと神社に妖怪がやって来るのは喜んで良いものか悪いものか。
ついに足を止めることが出来ず、結局桜の目と鼻の先の所まで来てしまう。
そして、苔と雨の湿ったような匂いにああ、と納得する。
さっき落ち葉を千切った時にかいだと思ったそれはこの匂いだったのだと。
だったらそれは秋の残り香などではない。ただの桜の木の匂いだ。
とはいえそんな匂いなんて今まで気にした事も無かった。
神社の木の匂いに少し似ているけれど、こっちの方がずっと黴っぽいし湿っぽい。
本当、あの清廉な花びらを付ける木なのかと思ってしまうほど、じとじとした匂いだった。
事のついでとばかりに木に掌を付けてみる。
昨日の雪のせいで水気を含んでいるのか、皮がぶわぶわとしていた。
だけれどそこら辺の石畳やら何やらに比べてずっと暖かい。
この木も生きているということだろう。
一体何年くらい、この木は生き続けているのだろうか。
きっとここが大結界に包まれる前の、外の世界も知っているに違いない。
外は天国みたいな所だ、信じられない魔法に充ち満ちている。
そんな話を色んな妖怪達から聞く。
だけど一番外の事をよく知っている紫は、そういう事をあまり言わない。
むしろ紫は幻想郷の方をこそ好んでいるようにすら見える。
案外外の世界も桃源郷ではないのかもしれないと霊夢はそんな事を思った。
茶とせんべいを置いた盆をそのままにしていたことに気がついて振り返ると、
小さな鳥がつんつんと興味深そうにそれを突いているのが見えた。
「あ……こらっ!」
慌てて追い払おうと駆け寄るが、それが逆効果だったらしく、小鳥はあわてふためき逃げ出す際に、
翼で思い切り湯飲みを倒して行ってしまった。
じわじわと、半透明の液体がお盆から溢れ出し、縁側を汚していく。ゆらゆらと蒸気が立ち上がっていた。
あーあ、と霊夢は片手で額を覆って盛大に溜息を吐くとせめて応急処置だけでもしておこうと縁側に戻る。
お茶はせんべいにもかかってしまっていたらしく、もう保存は利きそうになかった。
さっさと食べなければふやけてしまうだろう。幸い残っているのは一枚だけだ。
はむ、と典型的な海苔巻きせんべいを口に挟むと、忌々しげに逃げていった鳥を睨み付ける。
自分がしたとんでもない悪行が分かっていないのか、鳥はきょとんと首を傾げて二、三度鳴いた。
なんだかまたやる気が失せた。ここの拭き掃除は後でも良いか、とそんな事を思う。
見れば太陽は西に向かってゆっくりと沈んでいくところだった。
鈍色の空を段々と紅色が支配していく。そして、雲は赤とも紫ともつかない曖昧な色に染まっていく。
遠く、もっと遠くに目をやれば黒とは少し違う、宵の闇がやってきているのが分かる。
幸いにしてここ博麗神社は幻想郷を一望できる場所にある。
だから、ではないが霊夢はとんっ、と小さく地面を蹴った。
体を引っ張る感触が消えて、空に放り出される。
ばさり、と服が大げさな音を立てた。
そのままふわふわと鳥居の上まで行くと、片足で軽く触れるようにそこに着地した。
ころころと、折角乗っていた石ころが落ちたのはご愛敬だ。
そして、霊夢は地上を見下ろした。
山も、森も、里も。
ここから全てが見える。
今はもう、空のほとんど全てが朱に染まっていた。
しかしそれもすぐに夜の暗さに取って代わられる事だろう。
空の色よりも、湖に反射した光や、雲の穏やかな淡い色彩の方が繊細な色合いを持っているように感じられた。
特に雲の色は心を奪われるほどだった。
東の方の雲はまだ白く、西に行くに従って、段々と紫がかっていき、最後には燃えるような黄色を含んだ赤になる。
そして、それさえも残らないぼんやりとした宵闇が訪れるのだ。
霊夢は遠くを見やった。きらきらと、揺らめき輝くものが夕空に映える。
きっとあれが今日の一番星なんだろう。魔理沙に言わせれば、この頃の一番星なんてみんな金星、なのだそうだが。
それもなんだか味気ない話だ。今日はあの星、明日はあの星、という方がロマンがあってずっといい。
――さて、今日も何事もなく一日が終わった。
起きて、のんびりして、そして寝るだけだ。
それでも無意味だなんて言わせないくらいに穏やかで満ち足りた時間があった。
少しだけ湿ったせんべいを飲み込み、はあ、と長い息を吐いた。
ふわふわと白い吐息が風に乗って飛んでいき、最後には霧散して、あかね色の空に溶けて消えた。
霊夢はゆっくりと鳥居に腰掛けて、暮れていく幻想郷の全てを、ずっと眺めていた。
ssも良いのですが、何よりも作者あとがきに惚れました。
これからも期待しております。
全く、世もすe(殴
閑話休題
今回は霊夢や魔理沙と言ったキャラクターの話では無く
幻想郷の話なんですね、不思議な感じで良かったです
その雰囲気が感じられるか
って物書きとして大事だと思います。
良い幻想郷を見させてもらいました。
次の作品もお待ちしています。
自分の中の幻想郷のイメージと合っているのでしょうか
しかしなんというハイペース
しかし今回の話はやはり読み物としては物足りないか、というところです。
次回作も楽しみにしております
なーんにも思い浮かばないわ→紫がいきなり霊夢の耳元に出てきて一句つぶやく→紫×霊
を連想してしまいました。不謹慎にもスイマセン。
そして魔理沙にも一番星のロマンを感じる心が在ると信じて止まない私でした。
こういう作品大好きです。
単に私が霊夢好きなだけかもしれませんが。
こう、空に飛びあがった時のシーンとか、あぁんもぅって感じ、なんか悶えるもだえる。
久々の純粋霊夢分補給ありがとうございました、今までもこれからも応援してます。
貴方の書く幻想郷の雰囲気が大好きです。
次回作も楽しみにしています。
霊夢が送っているかもしれない、ある日の過ごし方。
なんかゆっくりとした時間が流れているような感じがして良かったです。
……でもこれはこの作品が「点を与えるに値しないから」ではなく、「点をつけてはいけないものだから」です。
大切なものをありがとうございました。
時間にしてみればほんの少しの間のことなのに、五感を持って感じた全てを隈なく言葉にできる貴方が素敵です。
ヨコハマ買出し・・・みたいな、ゆったりした時間です。
そういえば霊夢たちにとって、外の世界は桃源郷か・・・・・なんかじーん、ときた。
見事に引き込まれました。お見事。
こんな作品もアリですね