「子供たちがいなくなった」
ちゃぶ台を前に。
藤原妹紅は目をぱちくりとさせた。動いていた箸の手も止まり。
台を挟んで向かいに少女が座っている。深い青を基調とした服装で、頭には屋根にも似
た帽子を乗せている。
屋内なのに外さないのだろうか。そんなことを考えながら妹紅は、彼女を――上白沢慧
音を見つめる。
姿勢良く正座している彼女の表情は、今にも溜め息が聞こえてきそうなほどに重い。
とりあえずは口の中にあったものを呑み込んでから、妹紅は改めて口を開いた。
「いなくなったって……里の子供が? だったら、こんなところで悠長に食事なんてして
る場合じゃないような」
「こんな場所?」
「あ、ええと。慧音の家が粗末とか、そういう意味じゃなくて。子供たちを探しに行かな
いと」
慌てて取り繕う。
慧音は、そもそも咎めるつもりなんてなかったらしく、重々しく吐息する。
「いなくなった後、夕暮れ時にはすぐ戻ってきたんだが」
「じゃあ良かったじゃないか」
それを相談したくて呼んだのか、と妹紅は気づく。
誘いがあったのは慧音の方からであった。『うちで一緒に食事しないか』と久しぶりに夕
飯に呼ばれたので、こうして慧音の住んでいる小屋までやってきて、こうして食事をして
いるわけだが。
「良くはない。その翌日も、寺子屋には誰も来なかった。誰一人もだぞ」
「風邪じゃないの? ほら、今、季節の変わり目だから人里で風邪が流行ってるみたいだ
し」
秋刀魚(サンマ)に箸を向ける。魚が際立って好物というわけでもなかったが、やはり
秋の風味というだけあって、今の季節と相まって味わいがある。
呑み込み、再び秋刀魚に箸を伸ばそうとしたときだ。
――秋刀魚が動いた。
妹紅の箸から逃げるように遠のいていく。
たんに慧音が皿を取り上げただけであった。
名残惜しそうな目で秋刀魚を追う妹紅に、慧音は言った。
「その次の日も、その更に次の日も、子供たちは寺子屋に来ない」
「風邪で、家で休んでるんだよ」
「寺子屋の授業時間が終わった後に家を訪ねてみたけれど、親たちは皆、『うちの子はちゃ
んと寺子屋に行った』と言うんだ」
「ちなみに、誰も来ないのに寺子屋で授業終わる時間まで待ってた理由は?」
「もしも遅れてやってくる子供がいたら、どうするんだ」
変なところで生真面目である。慧音らしいと言えば慧音らしい。
「でも、その日のうちに帰っては来るんだよね」
「そうなんだ。不思議なことに」
「だったら子供たちに直接訊いてみればいいじゃないか。当事者たちがいるなら不思議も
すぐに解決して」
「……教えてくれないんだ」
「そ、そっか。……不思議のまま残ってしまうことも、あったりなかったりで」
かなり深刻な面持ちで告げてくる慧音に、妹紅の言葉が尻すぼみになっていく。
気まずい沈黙を取り繕うように、妹紅は急いで声をあげた。
「そ、それは、いつの話?」
「子供たちが寺子屋に来なくなったのが十日前。最後にいなくなったのは昨日」
「子供たちの親に相談して――」
「その日のうちに戻ってくるから、どこか遊びに行っているんだろうとあまり真剣に相手
にされない」
すでに準備していた回答を述べるように即答してくる彼女に、妹紅はついに押し黙る。
これだけ淀みもなく、即座に答えたということは。
彼女が彼女なりに、常に思い悩み、考え込んでいるということなのだろう。
会話にいつもの気遣いや余裕がないのを妹紅は感じ取っていた。かなり切羽詰ってるの
かもしれない。
だとしたら。
こんなところで頭を煮詰まらせていても埒が明かないと思う。
「子供たちが消えていった場所に心当たりがあったりしないのか」
「ひとつあるが……」
「だったら明日、そこに行けばいいんだ」
考え得ることは慧音が考え尽くしているのだ。
それならば。あとは実際に行動して調べてみればいい。
「慧音は寺子屋にいて。私が子供たちのあとを尾行するから……ええと、それでさ。そろ
そろ皿を戻してもらえるとうれしいんだけど……」
***
幻想郷の秋が、と限定するわけでもないのだが。
冬が近づく季節だけあって、早朝のうちは寒い。
民家の陰。
藤原妹紅は、震える唇でかじかむ指先に白い吐息をかけながら時間を過ごす。
もんぺのポケットで両手を温めながら、民家の壁に背中を預けて待っていると、小屋の
引き戸の開く音がする。次いで、元気そうな子供のかけ声が耳に届いた。
――さて、と。
ゆっくりと壁から背中を剥がすと、妹紅は民家の陰に身を隠したまま、この家の子供が
出かけていくのを確認する。
――訊いても教えてくれないなら、連れていってもくれないだろうからな。
ということは、気づかれないように、か。なかなか難しいなぁ。
それほど村人の多い村でもない。ほとんど身を隠すもののない通りで、誰の目にも留ま
らず、というのは難しい。
とはいえ、子供にさえ気づかれなければよい、という条件だけなら、さほど難しいこと
ではないだろう。
妹紅は子供の後ろ姿を見失うことのないよう一定の距離を保ちつつ、また同時にいつで
も身を隠すことのできる位置取りを意識しながら、何食わぬ顔で村の通りを歩いていき。
「あれ? あなたは――」
声をかけられた。
誰だろう。
息を荒くした見知らぬオッサンがこちらに気づき、近づいてきて――
***
「つまり、見失ったんだな」
勉学を学ぶ空間には厳正な雰囲気がある。必ずしもそうだと断定はできないが、少なく
とも、余計なものが持ち込まれていないこの寺子屋には、教師の姿を体現するかのような
厳粛さがあり。
整然と並んだ一つの机の前で。妹紅は、ちょこんと正座していた。
誰かにそうしろと命令されたわけではない。目の前にいる彼女――上白沢慧音の視線に
晒されながら、妹紅は冷や汗を垂らしながら気まずそうに目線を伏せる。
こつっ、こつっ、と。
指先が机を叩く音が、静まり返った室内を不気味なほどに響き渡る。
慧音は基本的にそういった、音を立てる癖のような仕草はあまりやらない。
その慧音が今、指で机を小突いている。
だから、その、たぶん……
だいぶ怒ってる。
無言が怖かった。
しかめっ面でひたすら机の表面を叩く慧音に耐え切れなくなり、妹紅はついに逃げ出す
ような心地で声をあげた。
「わ、わざとじゃないんだよ。だって、ほら、『家内が熱出して寝込んでね。私も風邪をひ
いちゃって。買い出しも大変なんです。あの、迷惑だとは思うんですが永遠亭から薬をも
らってきてはもらえないでしょうか。お願いします』なんて、息も絶え絶えに、村人に頼
まれたら、無碍にできないよ。ね? ね?」
笑顔で同意を求める声に。
ぴたり、と机を叩く音が止む。
手ごたえあり。もう一息だ。畳み掛けるつもりで、妹紅は言葉を被せる。
「慧音だって、村人が病気で困ってるのを見捨てられないし、あっち行けなんて言えない
だろ。だからこれは仕方なかった、りして」
「…………」
慧音は無言だった。
頬杖をつき、斜め下に視線を投げている。
再び、こつっ、こつっと机を叩く音が戻ってくる。
……あうう。
「なあ、慧音。どうしたら許してくれるかな。慧音との約束があったのに、村人の話を優
先したのは謝るから」
「許す?」
慧音が素っ頓狂な声を漏らす。
「はじめから、私は怒ってないぞ」
「だって、さっきからずっと口利いてくれないで黙ったままだったし」
「ああ……考え事をしていたんだ」
「考え事?」
慧音は「うん」と小さくうなずいてみせ、
「二日ほど前に竹林で、消えたはずの子供たちを見かけたことがあるんだ」
「それで」
妹紅は先を促す。
「それで、その子供はどうしたの?」
不意だった。慧音は表情を険しくして、
「私を見かけるや否や、逃げた」
「…………」
「その竹林にこれから行ってみようと思う」
***
迷いの竹林。
風が吹き抜けた後を、さわさわと囁きにも似た葉の擦れる声が流れていく。密生した竹
のせいで日光もほとんど届かないこの辺りは、妖怪も出没する。視界が悪い上に、竹の並
んだどこも似たような景色が続くために、このあたりの地理に精通した者でも迷うことが
ある。
わずかばかりに差し込んでくる陽光を頼りに、二人は竹林の奥まで来ていた。
「どうして着替える必要があったんだ、妹紅」
歩きながら。慧音は自身の来ている服の裾を摘み上げた。
いつもの青を基調とした服ではない。上が白、下が赤という妹紅と同じ服装である。
困ったように自身の着ている服を見下ろしている慧音に、妹紅は説明する。
「慧音を見たら子供が逃げるんだろ。どこに子供の目があるか分からないし、慧音の服装
を見て、すぐ逃げられたら困るだろ」
「だからって、マフラーまで巻かなくても」
「そうやって口許まで隠しておけば、顔が分かりにくいし」
髪も人を判断するときの重要な特徴になってしまうため、慧音の後ろ髪は襟の中に仕舞
ってある。もっとも、こちらが指示したものである。
当然、服装なんて気休め程度のものでしかなかった。
それでも、こちらが気づく前に子供たちがこちらを発見し遠ざけられてしまっては、ど
うしようもない。この竹林では子供がどこからこちらを見ているか、分かったものじゃな
いのだ。
「それより」
妹紅は軽く咳払いをする。声音を神妙なものに変えて、
「ねえ、慧音……子供たちが消える要因に心当たりがあったりしない?」
「どういう意味だ?」
「ええと……」
言いにくいそうに妹紅は一度視線を逸らして、
「子供たちは寺子屋に通う時間になると消えて、日が暮れる頃に帰ってくる。ということ
は、少なくとも家出目的というわけじゃない」
「うん」
「ここで問題なのは、どういうわけか、『寺子屋の始まる時間』になると姿を眩ませている
わけなんだけど」
「うん」
「……寺子屋の時間になるといなくなる」
「…………」
まったく気づく様子のない彼女に、妹紅は心を決めて告げた。
「慧音。子供たちがイヤがること、やってない?」
「なにっ!?」
心外だと言わんばかりに、慧音は声を跳ね上げさせた。驚きと怒りが綯い交ぜになった
表情を慧音はうかべる。
「私は、里の子供たちのためにならないことはやってない」
「『ため』とかじゃなくてさ」
具体的に訊いてみた方が早そうだ。
「寺子屋の授業って、どんなことやってるの?」
「歴史の講義と読み書きだ」
……もしかして、授業が退屈で逃げ出したんじゃなるまいか。
堅物な慧音のことだ。授業は子供の『ため』になっても、さぞや退屈なことだろう。
「それだけ? 他には」
「宿題を出している」
「宿題かぁ……たしか慧音の家で全部目を通してるんだよね」
妹紅は何度か、慧音が自宅の小屋で頭を抱え込むようにしながら宿題を確認している場
面を見かけたことがある。
教える側も、教えられる側も大変である
慧音は肩をすくめると、うなずく。
「ああ。たまに宿題をやってこない子もいるんだ。まあ……きちんと頭突きをしておくが」
「――は?」
何か聞き違えただろうか。
明らかに前後の文脈を無視した単語が出現したように思う。
聞き返す妹紅に、慧音はもう一度言い直してくれた。
「宿題をやってこない子がいて――」
「いや、その次」
「きちんと頭突きをしておくんだ」
「えっ……と」
言葉を探す。喉から出掛かっている言葉はある程度形になっているはずである。なのに、
どうも明確にならず。ようやく吐き出したセリフは、じつに短いものだった。
「なんで?」
「なにがだ?」
「あの、なんで頭突きするのかな――と」
「そうしないと次も宿題を忘れてくるんだ。忘れても何もお咎めがないと認識すると、次
からも忘れてくるようになって、課題をやらなくなっていく。その子のためにならない」
言いたいことは、分かるのだが。
悪びれた様子もなく言ってくる彼女に。
妹紅は目眩にも似た錯覚を起こした。眉間をこすり、
唐突に慧音が立ち止まる。妹紅もつられて足を止める。
「この辺りだったはずだ。この前、子供たちを見かけたのは」
「……へぇ」
「どうした、妹紅。疲れた顔をしているけれど」
言いたいことはあったのだが。
それを無視して、妹紅はきょろきょろと周囲を見回す。
子供がいたということは、この付近に特別何かあるのかと探ってみたが、際立って目を
惹くものはなさそうである。
「そういえば、慧音がここで子供たちを見つけた後、子供たちは逃げたんだよね。その後、
慧音はどうしたの?」
「追いかけたよ。でも、見失ってしまった」
「…………」
逃げられたのだろうか、やっぱり。
「どうしたんだ、妹紅? なんで目を逸らすんだ?」
「えっ!? うん、もうちょっとこの辺りを探してみようかなぁ、と思って」
心配そうにのぞきこんでくる慧音の瞳から逃げるように、妹紅は竹林の奥に視線を移す。
そんな妹紅の反応を。慧音は不思議そうに小首を傾げてから、妹紅と同じように竹林の
奥を見つめて賛同した。
「そうだな。もう少し調べて――妹紅、あれっ!」
「うん?」
声を大きくする慧音の指差す方向に目をやる。
子供の後ろ姿だった。
次の瞬間には、まるで幽鬼に誘われるように、その姿はふわりと竹林の暗闇に吸い込ま
れていった。
「あ、慧音っ」
走りだした慧音の後を、急いで追いかける。追いかけながら。
――しかし。
妙だ。
この迷いの竹林に、いつも子供たちが訪れているとして。どうしていつも、『迷うことな
く』、無事に帰ってくることができるのか。
この付近は、人里からはかなり離れている。子供たちがいつもこの竹林に来ているのだ
としたら、目印もないこの竹林で彼らは、毎回毎回無事に戻ってきていることになる。
頭の片隅に浮かんだ疑問に、なんとなく考えを巡らせながら。妹紅はとりあえず目の前
で消えていった子供のあとを追いかけることにした。
***
気づけば、すっかり日が暮れている。竹の葉の隙間から、空には夕闇が押し寄せている
のが見える。まばらではあるが、星も出始めている。
「……どこに行ったんだ」
結局、あれから見失ってしまったのだが。慧音はまだ諦めきることができないらしい、
未だに狩人さながら鋭い視線を竹林に巡らせている。
視界が悪くなってきたな、と妹紅は竹林の様子をうかがいなから思う。
そして。
「慧音?」
異変に気がついた。
「慧音っ、慧音っ!」
「どうしたんだ、妹紅。そんなに慌て……はっ! もしかして子供たちを見つけたのか
っ!」
どこだどこだ、と周囲を見回している彼女に妹紅はかぶりを振り、
「ちがう。頭、頭っ!」
「あたま?」
言われて。慧音は自身の頭に触れ。
「……?」
訝しげに眉をひそめる。
頭に何か生えている。
ぺたぺたと、頭から生えている立派な<角>を何度も確かめるように触れてみて、
「なんだろう、これは」
「どう考えても角だと思うけど……」
「角!?」
慧音は驚愕するように声を張り上げ、角をつかんだ両手を震わせる。
顔をあげる。竹たちの隙間からは、満月の片鱗がのぞく。
「し、しまった! 今夜は満月の夜だったのか」
愕然とその場に身をかがめる。
「今日は一ヶ月溜まった仕事をやらないといけない日じゃないかっ!」
「……私は子供たちにバレるのを心配したんだけど」
言われてようやく気がついた様子で、彼女は表情をはっとさせて、
「そ、そうだ、子供たちも……どうしよう」
……も?
若干釈然としないところもあったが。
慧音の顔に失意の色が滲みはじめる。
「このままだと仕事も子供たちも」
生じた不安は毛穴程度の大きさだったのかもしれない。
だが小さな穴が、徐々に亀裂を大きくさせていく。
亀裂が亀裂を呼ぶように。不安がイヤな想像をかきたてる。
もしかしたら。
ほんのかすかな、可能性ではある。自分は楽観的に考えていたが。
子供たちは今日を最後に帰ってこないこともあるのではないか。
そもそも、子供たちが『今日も帰ってくる』という根拠はどこにもなく。
がらん、とした寺子屋の風景。立っているのは自分一人。
妄想の泥沼は、片足を突っ込んでしまえば、どこまでも沈んでいく。
「……どうしよう、どうしたら」
血の気が引いていく。
歴史という責務もこなせず、子供たちも守れず。
「なあ、妹紅、私はどうしたら」
妹紅は無言だった。考え深げな面持ちのまま、自身のあごを撫でて。
名案でも思いついた表情をうかべ、ぽん、と手を打った。
「折っちゃおうか」
「ええっ!?」
悲鳴じみた声を慧音があげる。妹紅はかなり真顔で、
「元々は角なんて生えてないんだし。ハクタクになったら生えてくるなら、また生えてく
るって」
「い、イヤだぞ私は――あ、こら、角をつかむな、だから――痛い痛い痛い!」
はたかれるようにして振り払われる。
そのまま。
慧音は何も言ってこなかった。
自身の角を庇うように両手で握ったまま、地面に視線を落としている。
「……慧音」
声に反応して。
屈んだ姿勢のまま、すがる眼差しで見上げてくる慧音の顔に妹紅は音もなく両手を伸ば
した。
そしてそのまま、頬の上に指先を滑らせていく。寒いのだろう、震える慧音の唇をなぞ
り、そっとマフラーを手に取った。
ほどいたマフラーを、できるだけ優しく、慧音の頭に、角が隠れるように巻いていく。
「ほら」
妹紅は笑いかける。
「暗いから、もう顔も見えないだろうし。角さえ隠せば遠めには分からないよ」
「……妹紅」
つられるように彼女もまた微かな笑顔をうかべる。頭に巻いてあるマフラーに手を置い
て、
「おかしくないかな」
「おかしくないよ」
こちらをまっすぐに見上げてくる慧音の瞳を、妹紅は見つめ返す。
おかしいはずがない。
角を包んでいるマフラーは丸い塊になっていて、まるでサナギの繭みたいな帽子をかぶ
っているみたいだ。長い角全体を覆っているため、ものすごく頭の細長い人が包帯を巻い
ているみたいになった慧音の顔がじつに珍妙
「――プっ」
吹き出していた。
「……妹紅?」
「おかしくない、どこも――」
戸惑った声をあげる慧音に。
どうにか最後まで言い切ろう。腹筋に力を入れて、
「あはははははははは!」
ダメだった。
笑いのツボに入ってしまった。何が可笑しかったのか分からないが、自制が利かなかっ
た。
「……くっくっ……おかしくない、おかしく……くくく、あははははは!」
失礼だとは気づきつつも、どうしようもない。
ごめん、慧音。
腹を抱えてうずくまる。しばし笑い悶え――
ぽん、と肩を叩かれた。
振り向くのと同時。爆竹の爆ぜる音を聞いたとも思う。
真っ暗なはずの竹林に、火花が散った。
***
額をさすってみる。
腫れはすっかり引いていた。こういう余計なところでリザレクションは便利である。
額は、火掻き棒の先端を押し付けられているみたいに、まだ痛む。
「この頭突きは確かに逃げ出したくなるのかもなぁ……」
「え?」
「あ」
しまった。口に出してしまった。
慧音は――マフラーは首に巻きなおしてしまったが――気になるものでも見つけた子供
みたいに、こちらを凝視して目を瞬かせている。
ふう、と吐息が聞こえた。疲れたような、慧音の面持ちがあった、
「妹紅。私は真剣に悩んでいるんだ。軽い冗談はよしてくれ」
……割と本気だったのだが。
はたしてそのことを本人に伝えるべきだろうか。
妹紅は考えれば考えるほど、子供たちに慧音は避けられているのではないかという結論
に至る。
真剣に話せば、今はこんな反応をしている慧音も耳を傾けてくれるだろう。
――でも。
息苦しさを覚える。
でもそれは、本当にいいことなのだろうか。
誰だって痛いのはイヤだ。やりすぎだと逃げ出したくなる子供たちの気持ちも分かる。
でも子供たちのことを真剣に考える慧音の気持ちも分かるのだ。他人は興味のない他人
に口出しなどしない。彼女が人間のことをどれだけ大事に想い、守ってきているのか、妹
紅はすぐ近くでそれを見てきている。自分も慧音に助けてもらったことは幾度とある。
どうしてだろう。
くやしさに似た感情があった。
慧音も、子供たちも正しいのに、どちらかが我慢しなければならない。どちらかが、悲
しまなければならない。
楽しそうにしている子供たちと一緒に並ぶ、慧音の笑顔がうかぶ。
どちらも優しいことを妹紅は知っている。
世の中が理不尽に満ちていることも、途方もなく長い時間を生き続けている自分は知っ
ている。
なのに。
どちらかが泣かなければならない。
泣いている子供たちと一緒にいて、笑顔でいる慧音。
泣き顔の慧音がいて、子供たちは楽しそうにしている。
そんなの。
それはあまりにも悲しい構図ではないか。
「妹紅?」
迂闊だった。
慧音がこちらをのぞきこんでくる。妹は顔を背ける。
「妹紅……もしかして泣いて」
「ああ。ちょっと目に砂が」
苦しい言い訳だなぁ、と思いつつ、手の甲で目をこする。
が、かえってせき止めていたものを決壊させる結果になる。
目頭が熱い。
寒いはずなのに、頬を何か暖かい感触が伝っていく。
「あ、あれ?」
おかしい。
自分はこんな涙もろい人間ではなかったはずだ。
「どうしたんだ、妹紅……あ、もしかしてさっきの頭突きが痛かったのか!? ごめんな、
ハクタクのときは加減ができなくて」
あたふたと妹紅の前で慧音が慌てている。
そんなはずはない。<あいつ>に殺されたときだって。死ぬほど痛くても、自分は泣か
ない。
涙を流しているにしては、気持ちにざらつきを感じない。
「変だ」
泣いているはずなのに、妙に落ち着いた口調でつぶやく妹紅に。慧音も様子が違うこと
を感じ取ったのだろう。忙しそうにしていた動きをぴたりと止め、きょとんとしている。
「私は――」
妹紅は何かを言おうとした。しゃべろうとして――やけに肺が窮屈に感じられ、口から
大きく息を吸い込む。
「慧音も子供たちもどちらも悪くないのに」
「…………」
「どちらかが泣かないといけない。そんな理不尽、いくらでも目の当たりにしてきたのに
……。他の誰かが代わりに」
適うならば、その役は自分が。不死である自分が担えばいい。不死は、死ぬことがない
のだから。
どれだけ傷ついても。そう思って、
――自分は何を口走っているのだろう。
普段の自分なら、こんなおしゃべりはしない。やはり、錯乱しているのだろう。慧音も、
こちらが何のことを話しているのか、さっぱり理解できていないだろうに。
手で涙を拭う。そして、その手の平を眺めた。
濡れた手の平を見つめる。最後に涙を流したのはいつだったか。
幼いときの、自分の姿が。手の平を濡らす涙と重なっていた。
……そうだ。自分にも子供のときがあったのだ。
あのときの涙はどんなものだったか。きっと何十年、何百年経っても変わっていない。
この涙は流す意味が変わってしまっても、その暖かみだけは変わっていない。
脳裏に人影がうかぶ。
誰の人影だろう。思いだせない。顔も分からない誰かは、自分に優しい言葉をかけてく
れていた。
自分にも……何かを教えてくれる人はいたはずなのだ。
憑りつかれたようにしゃべり、そのまま押し黙ってしまった妹紅に。
慧音は何も言わなかった。
無言のまま。身じろぎすらできず。
永遠を生きる不死人を見守っていた。
風が吹き抜ける音。息吹にも似た風の音に、草の葉が舞い上がる。
竹林の風景の中で静かに。ただ一人少女がたたずむ。
無心で、自身の涙を見つめる不死人の横顔を。
彼女は素直に、綺麗だと感じた。
しばし、互いに会話はなかった。
「永遠亭に薬を取りに行かないと」
という妹紅のつぶやきともに幻想は終わった。
同時にそれから会話は途絶えてしまっている。
妹紅が先を行き、その後を慧音がついてくる。
下草を踏み分ける軽い足音だけが、ひたすらに耳をくすぐる。
***
「なあ、妹紅」
切り出したのは、慧音だった。
「うん?」
後ろから聞こえてくる声に、振り返らず妹紅は返事をする。
「里に戻ったら、子供たちの話をよく聞いてみようと思う」
「うん」
「また逃げられてしまうかもしれないけどな」
気配で。彼女が薄く微笑んだのが分かった。どこか自嘲気味な匂いもあったが。
「うん」
妹紅は相槌を打つことだけに留めた。必要以上に自分が口を挟むことではない。当事者
たちで納得できる解決が一番だ。だから、
「大丈夫だって」
「大丈夫かな」
「うん」
これくらいの言葉でいいだろう。
「あ、先生だ」
そのときだった。
どこからか声が飛んできた。妹紅には聞き覚えはなかったが、慧音は一発で分かったら
しい、過敏に反応を示す。
声のした方向――正面を見据え、
子供たちが立っていた。
「……!? おまえたち」
慧音は駆け出していた。今度は、そして――ふと気づいたのだろう、また逃げられてし
まうのではないか。
一歩一歩を、まるで確かめるように踏み出していき。
今度は、逃げることはなかった。
十数人ばかりの子供の団体である。そのうち、前にいた二人を抱き寄せるようにして、
慧音は膝をついた。腕からすり抜けることのない感触に、何かを感じていたのかもしれな
い。
おそらく。
本来は感動でもすべき場面であったはずなのだが。
妹紅が考えているのは別のことだった。
日の沈んだ夜。迷いの竹林。集団となって現れる子供たち。
単品ではさほどのこともない要素も、すべてが同時に並べばひとつの異様さを醸し出す。
子供たちを抱きしめている慧音を尻目に。妹紅は集団に一人、妙なものが紛れ込んでい
るのを目ざとく見つける。
「慧音」
妹紅は慧音の後ろまで歩み寄り、ちょいちょい、と指先でその肩をつつく。「うん?」と
彼女は子供たちを両腕に抱いたまま、肩越しに振り返る。あくまで、子供を手放すつもり
はないらしい。
「この団体を見てさ、気づくことない?」
言われて、慧音は改めて子供たちを見渡す。誰かがいないことをないはずだった。一瞬
不安に駆られ、一人一人顔を照らし合わせていき、やはり全員いたのか安堵の吐息を漏ら
し、
一人多い。
慧音は視線を細め、訝しみながらその一人を観察した。
フニャフニャした黒髪の少女である。少女の頭には長く白い耳が生えていて。ちょうど
兎の耳のような。
状況が呑み込めず、慧音は首を傾げた。束の間、黙考すること時間を挟み。ようやくひ
とつの答えに至り、「おお」と感銘を受けた声をあげ、手を打った。
「いつもどこに行ってたのかと思っていたが。みんなで兎狩りをしていたんだな。みんな、たくましく育」
「ちがうよー」
非難の声をあげたのは、子供たちの一人だった。
「ウサギさんの家に行ってたんだ。ね?」
「うん」
うなずき合う子供たちとは別に、妹紅は、子供たち集団の陰に隠れて、姿を完全には晒
そうとしない兎に目をとめる。妹紅は、
「兎……ということは永遠亭かな。でもなんでまた永遠亭なんかに」
「病気の人が多くて、人手が足りないんだって。ウサギさんが教えてくれたんだ」
独り言にも近い妹紅のつぶやきに答えをくれたのは少年だった。妹紅は少しだけ考える
仕草をして、
「……人手? ……ああ。今、風邪が流行ってるから」
「はい、これ」
妹紅の話を遮るように、子供たちの一人が慧音に何かを差し出す。
「これは?」
慧音は受け取っていいものかと一瞬迷ったのだろう、出しかけた手を一度止めてから―
―それを手に取った。
小さな青い巾着であった。
「先生に贈り物」
「贈り物?」
「うん。お手伝いをしたら、なにか好きなものをひとつあげるって、ウサギさんが約束し
てくれたんだ。それで、みんなで先生のよろこぶものを考えたの」
その様子を眺めながら。
ぽりぽりと。
妹紅は頬をかいていた。
子供たちの無垢な言葉と、屈託のないまっすぐな瞳がむず痒い。
自分が大人になってしまった、ということなのかもしれない。
「……みんな」
慧音の声に、微かな揺らぎがあった。しばし肩を小刻みに震わせてから、唐突に背後を
振り返り、
「妹紅!」
鼻血を出しそうなほど満面の笑顔だった。
「な、なに?」
言い知れぬ迫力に、妹紅は若干身を退く。
「子供たちはやっぱり、みんないい子たちだったぞっ」
「そ、そうだね……それより、そんな興奮して力を入れると、巾着が潰れて……」
「あっ……うん? あれ。何か入ってるな。なんだろう」
外からの手触りで巾着の中身を確かめる。
「先生にあげるおくりものー」
「袋の中に入ってるんだよ」
「そうだったのか。てっきり私は巾着がそうなのかと。なにが入って――」
と。
巾着の中から取り出した代物を見て。慧音はぴたりと動きを止めた。
慧音の手には、ちょうど手に平に納まるくらいの大きさをした金属の輪っかが乗ってい
た。
輪っかには、何かをはめるように欠けている部分があって。
慧音が、視線だけで妹紅に問いかけてくる。
気まずい心持ちになりながら、妹紅は他の可能性を一応は模索してみて。やはり一番最
初の回答に戻ってきてしまい、明確に告げた。
「鼻輪だね」
「鼻……輪?」
自失気味につぶやく慧音をよそに、妹紅は想像する。なんとなく子供たちの発想は理解
できる。二本の角と尻尾。たぶん、牛を
危なかった。吹き出してしまいそうになったのを、寸前で口を押さえてどうにか堪える。
慧音が、じと目でこちらを見ている。
それを妹紅は笑顔で誤魔化す。
「……これは、なんだ」
笑顔を繕うくらいには努力したらしい。引きつった笑みで尋ねる慧音に、子供たちは何
も疑うことのない面持ちで次々と答えた。
「わたしたち、考えたの。なにをあげたら、先生がよろこぶかなって」
「そしたらウサギさんが教えてくれたんだ。それをあげたら、きっと先生がよろこぶって」
「……ほう」
表情のない眼差しが、一点を突き刺す。
ぴくり、と。
竹林の暗闇に、身を隠そうと背を向けていた兎の肩が揺れた。足音がしなかったことか
ら、忍び足だったのだろう。片足を上げた姿勢のまま、文字通り射貫かれたように停止し
ている。
「先生?」
子供たちの声に、慧音の表情は再び笑顔に戻っていた。慧音は、よしよしと子供たちの
頭を撫でながら、
「なるほど。それで、ウサギさんの家でみんなは、どんなお手伝いをしたんだろう」
「かんたんだったよ。へんなお菓子を食べるだけだったの。あと、へんなのみもの。お茶
みたいに苦いの」
「変なお菓子と飲み物?」
疑問の声をあげたのは妹紅だった。子供たちはうなずいて、
「うん。色もへんなの。お菓子は白い粉とか飴みたいなのとか。のみものは、青いのもあ
ってきれいだった」
「緑もあった」
「すごく苦かったよね」
「ねー」
「たしかねー、『じっけん』っていうのをお手伝い――」
そこまで子供が話したとき。
妹紅は、慧音の髪がぞわりと逆立つのを見た気がした。怒気が気流を動かすといった話
は聞いたことがなかったが。
瞬きをした次の瞬間には、いつもどおりの慧音の後ろ姿がある。
子供たちの前にいる彼女から伝わってきたのは、確かに――
「……先生?」
頭をやさしく撫でる手に、子供は不思議そうに教師の名前を呼ぶ。
慧音は――恐ろしいほどに笑顔だった。
兎がものすごい勢いでイヤな汗を滴らせている。
笑顔には、二通りがある。
親しさから出る友好的な笑み。そしてもうひとつは。
敵意を向ける牽制の笑み。
その晩。
永遠亭には竹のなぎ倒される音が夜通し聞こえ、その中には悲鳴のようなものも混じっ
ていたという。
備考→尾行
幻想卿→幻想郷
彼女の逆鱗に触れてしまったがために・・・・某詐欺兎なども残らず自慢の角で刺されたり
頭突きされたりと…………痛そうだ。
ちょっと動機付けが薄いというか、永遠亭が子供を実験に使う必然性がないような。
んなことして何かあれば腋巫女始め皆さん黙ってないでしょうし、
ギャグだしね、と済ませるには話がまともだとも思いました(まともってのは悪い意味じゃないです)
何かオチにもう一ひねりあると、かなりの良作になったんじゃないかな、ということで
次回への期待も込めてこの点数で。
まとまりがない、うん、確かにそれは気になりました。
んん?
うーん、確かにとっちらかってる感じはしました。
でも、結構面白かったですよ。