チルノちゃんが元気だ。
もう季節は秋を過ぎて、ほっぺに刺さりそうなぐらい冷たい風が吹き始めている。
この季節になると、そうでなくても元気なチルノちゃんに火が点いて、ガソリンがなくなるまで走り回っちゃう。
勢い余って温泉に飛び込んで、そのまま溶けそうになったときもあるけれど、一晩野外に放置したら背丈が伸びてた、凄い。
また、冬がやってきた。
風を操る私には、ちょっぴり辛い季節。
でもチルノちゃんが楽しそうに笑うから、そんなことはおくびにも出さない。
それに、今年は寒さなんかよりもずっと、暖かい気持ちになれそうだから。
◆
妖精は、名前を持っていない子が大半を占めている。
個人を認めてしまうと、集団で軋轢が起こるからという理由で、それは妖精たちにとってのルールにもなっていた。
けれど私は、一際力が強かったから、周りの妖精たちから敬意を込めて「大妖精」と呼ばれていた。
そのことを、私はちょっぴり誇りに思っていた。
そうして過ごしていたとある冬に、不思議な氷精の名前が噂で流れてきた。
なんでも、自分に名前を付けて、いつも一人で遊んでいるんだって。
それは妖精たちからしてみれば、同じ妖精とは認めたくないぐらいに不愉快な存在だった。
けれどその子は滅法強くって、束になっても敵わないんだって妖精たちが口々に言ってた。
私は、その氷精と会ってみたいとは思わなかった。
粗忽で乱暴者だと思っていたし、何より妖精たちのコミュニティは和を重んじるから、一匹狼気質の子はいらない。
それに氷を操る妖精は、元々歓迎されていなかったから。
氷精というのは厄介なもので、ほかの属性の子たちの精気を吸い取ってしまう。
ことさら、冬になればその傾向が顕著で、氷精たちは揃ってどこかへ消えてしまうのが常。
他の属性の子たちは、肩を寄せ合って長い冬を越えていく。
夏だけは氷精が重用されるけれど、暑さを凌ぐために呼ばれるだけであって、仲間として認めているわけじゃないっていうのが妖精たちの意見。
立場の弱い種族なのに、力だけが強いだなんてお笑いもの。
その一匹狼の氷精は、氷精たちのコミュニティからも追い出された可哀想な子なんだって、私は勝手に決め付けていた。
そんな、秋もとうに過ぎ去ってしまった、ある日のことだった。
私は数名の妖精を連れて、ピクニックに紅魔館へと来ていた。
以前青草の茂る頃に来たことがあったけれど、湖で猛スピードで飛んできた魔女に吹き飛ばされてしまい、館を拝むことができなかった。
湖のほとりにそびえる館は、噂どおりに真っ赤っ赤で、雪の中で炎上しているみたい。
そこには恐ろしい吸血鬼が住んでいて、近づいたら食べられてしまうなんてことが、まことしやかに語られていた。
怖いねー、だなんておっかなびっくり近づいていくあたり、誰も噂を信じてなんかいなかった。
だって、門の前にいる紅い髪の妖怪さんは、スコップで雪を放り投げているだけ。
それを遠巻きに見ていると、笑って手を振ってくれたもの、怖いことなんてないんだから。
門前は広場みたいになっていて、私たちは館を臨みながらかまくらを作って遊んでた。
かまくらの中って暖かくって、ピクニックに必須なおむすびを食べるには、その中でが一番だってことになったから。
妖怪さんが、手をぴんくに染め始めた私たちに小さなスコップを持ってきてくれた。
「手伝う?」って言ってきてくれたけど、それは丁重に断った。
かまくらを作るときには、私たちだけの力で作りたかったから。
かまくらがようやく形になりかけた頃、妖怪さんのところにメイドさんがやってきてお茶を渡していた。
「いつもすみません」って会釈をしている妖怪さんに、自分が巻いていたマフラーを渡して館へ帰っていくメイドさん。
妖怪さんはそのマフラーを巻いて、ぼけーっと流れていく雲を見ていた。
雪かきもひと段落したから、退屈になったんだろう。
空も、雲がちらほらあるだけでなんとも平和、雪が降ってくる気配もまったくなかった。
だからこそ、ピクニックをする気になったんだけど。
太陽の光が、絨毯みたいに敷かれたふわふわの雪に跳ね返って、キラキラ輝いていた。
綺麗だと思うけど、眩しくって目が痛い。
目をこすりつつも、ようやくかまくらが形になった、喜び勇んで入ってみると、どうやら全員入りきれそうにもなかった。
もう一つ作ろうか、いやいや代わりばんこにして入ればいいじゃないと話しているうちに、湖の方から見慣れない妖精がやってきた。
「あ、チルノだ」「嫌な奴がきたなぁ」一緒に来ていた妖精が、露骨に嫌な顔を見せた。
私はどうしていいかわからなくって、ついぷいっと目を逸らしてしまった。
チルノと呼ばれた妖精は、私たちには目もくれずに、紅魔館の方へと歩いていく。
そして大声で、門番に宣戦布告をした。
「今日こそは、あんたを倒してやるんだからっ!」
「ん、威勢がいいけど今日はどうかな」
そうして構える二人。
チルノはいきり立っていて余裕がなさそうだったけど、対する妖怪さんは余裕たっぷり。
軽くあしらうつもりだというのが、態度にあらわれていた。
それが気に入らなかったのか、チルノは氷柱を思いっきりに投げ飛ばしたのだけど、それは簡単に砕かれてしまった。
「門に当てないでくださいねー、怒られるのは私なんですから」
ひらりひらりと身をかわす門番に、躍起になって氷柱を飛ばすチルノ。
さっきから、止まりながら放っていれば当たるわけもない。
その光景があまりにおかしくって、思わず笑いそうになってしまったけれど、必死に戦っているのがわかるだけに笑えない。
というか、だんだん笑う笑わないという以前に、哀れみにすら覚えた。
「妖精なんだから、自分の立場を弁えればいいのに」
妖精は、大自然の歪みから自然に生まれた存在。
力も弱いし、そもそも妖怪や動物のように、何かを求めたりということもない。
私たちはただ陽気に歌い、花を囲んで踊っている程度でいい。
決して、表舞台に立つような真似はしてはならないのだ。
妖怪にケンカを売るような妖精は、到底理解できそうになかった。
「帰らない? 私なんだか冷めちゃった」
私の言葉に、一緒にいた妖精たちも同意してくれた。
今度は妖怪と取っ組み合いを始めたチルノを見ていると、なんだか腹が立ってくるんだもの。
◆
氷精たちが嫌いだ。
いつもヘラヘラ笑っていて、冬の間だけ我が物顔でのさばっている。
それ以外の季節では、ほかの妖精たちから馬鹿にされても言い返そうともしない!
何よりも腹立つのは、自分も同じ氷精であること。
幸か不幸か……。たぶん不幸なんだけど、私は力が強かった。
妖精同士でケンカをして、一度だって負けたことはなかったし、妖怪に痛い目をあわせたことだってある。
でも、それを繰り返すたびに、一人ぼっちになっていった。
寂しくなんか、ない。
私は、ほかの氷精みたいに諦めたりなんかしないから。
誰も隣にいなくたって、強くなればきっと、世界が変わっていく。
氷精たちは、私の事を迷惑だっていってどこかへ去っていった。
悔しくなんか、ない。
あんな弱虫どもは、ずっとそこでモタモタしてればいい。
私は一人でも、平気だから。
ついこないだのことだけど、湖の近くに不思議なお屋敷ができた。
ちょっと目を離した隙に立っていたお屋敷には、見慣れない連中が住んでいた。
様子を見に行ったら、ちっちゃいヒラヒラドレスの変な奴に、銀色の髪の毛の奴がヘコヘコしてた。
おっきい門の前には、紅い髪の毛の妖怪が鼻ちょうちんを作ってて、たった一度だけ、紫色の髪の毛の奴も見た。
一体どんな奴らなのか興味が沸いて、一番弱そうな門番に勝負を挑んだら、
一撃でのされた。
「この館で私、一番弱いんですけどねえ」
ポリポリと頬をかくそいつが憎らしくって、隠れ家に戻って泣いた。
次の日も、また次の日も決まった時間に、門番に挑んだ。
そのたびに追い返されて、泣かされて。
そのうちに、そいつの名前を教えてもらった。
「紅美鈴? へー、いい名前じゃん」
「そう? ありがとう。それじゃ、あなたはなんてお名前?」
「私? 私の名前はチルノ! 自分で付けたの!」
妖精は個々人の区別をつける必要がないって言う奴が大半だけど、名前を持ってる妖精も稀にだけど居た。
例えばそれは、互いに名前を付け合った三匹で居るうざったい連中だとか、人間から名前を付けられた、春告精のリリーホワイト。
でも私の名前は、そうじゃなくって、自分で考えて、自分に与えた勲章。
氷漬けにした蛙や、キラキラ光る小さなガラス玉、宝ものって呼べるものはたくさんあるけれど、その中でも名前が一番大事な宝物だった。
そのことを話すと、美鈴はニッコリ笑って、私の頭を撫でてくれた。
「いい名前ね。私の名前は人から貰ったものだけど、名前は命と同じぐらい大事なものよ。
途中で嫌になって、投げ出すようなことはしちゃ駄目よ? 」
「そんなこと、するわけないじゃん!」
初めて手に入れた、大切だと思えるもの。
むざむざそれを手放すだなんて、してたまるものか。
貰ったおむすびにかぶりついたら、塩のしょっぱい味がした。
◆
「また挑んでる」
今日も、お昼下がりの時間帯にチルノは紅魔館の門番へとケンカを売っていた。
ひとしきりおままごとみたいな戦いをすると、二人はお弁当を広げて、湖を眺めてる。
毎日同じことをしていて飽きないのかなとも思うけど、観察し始めて一週間、この習慣は変わらなかった。
私はというと、巨木の枝に腰掛けながら、そんな二人を遠巻きに眺めてた。
混ざりたいだとか、そんな気持ちは微塵も沸きやしなかった。
ただ単に、チルノが妖精にあるまじき行為をしているのが気に入らない、それだけ。
紅魔館の門番に勝負を挑んで、何かメリットがあるのだろうか。
妖怪と仲良くなることで、一体何が変わるというのだろうか。
本人を問い質せば済むことだったけど、きっとチルノの言い分を、私は少しも理解できないと思った。
だって私には、チルノの行動が何一つとして理解できないだんだもの。
妖精の不文律を守らずに、好き勝手に生きているわがまま娘。
なまじ力が強いから、余計に孤立してるだけでしょうに。
私だって、妖精の中では力が強いけれど、しっかりと妖精としての役割を果たしている。
力が強いから周囲から浮くどころか、私は他の妖精たちから慕われている。
それが慢心だとは思わなかった。
私が正しいのは十中八九間違いないもの。
チルノに一を残してあげているのは、私のせめてもの優しさ。
それにいつになったら気づくのかな?
もしかすると、それにずっと気づくことができないのかもしれない。
結局妖精にも妖怪にも、ましてや人間にも混ざることができなくって、一人ぼっちが続くだけなのに。
そう考えるとだんだん、チルノが哀れに思えてきた。
あの子を救えるのは、ひょっとしたらそれに気づいてる私だけなのかもしれない。
人の良さそうな妖怪だもの、ちゃんと事情を話せばわかってくれるに違いない。
自分の考えに半ば酔いつつも、私は門番の妖怪と話をすることに決めた。
チルノと入れ違いになるように……。
面と向かって会いたくなくって、鉢合わせにならないように行動していたからこれは慣れたものだった。
理由はわからないけれど、なんだかチルノのことを見ているだけで、胸がモヤモヤとしてくるから。
なぜか、後ろ髪を引かれるような感覚を味わいながら雪の上へと降り立って、ぼんやりとしている門番へと声をかける。
「こんにちは!」
「ん、ああこんにちは」
門番のくせに、全然気合が入っていない。この館の程度も、これだけで知れてしまう。
この妖怪も、チルノと仲良くしている時点でたかが知れているのだろうけど。
でも、からかいにくるのが主目的ではない、むしろ私は、妖精として有意義な関係を築くためにやってきたのだ。
「あの子、チルノっていう氷精が来ていると思うんですよ。
ハッキリいって、迷惑ですよね? あの子そういうのがわかっていないと思うので、ちゃんと言ってあげてくださいね」
完璧だ。
妖怪のプライドをくすぐりつつ、願望を引き出してあげる。
きっとこの妖怪は私の言葉に同意して、そう言ってくれるのを待っていたんだと感謝してくれるに違いない。
「あんたにチルノを馬鹿にする資格なんてないよ。帰りなさいな」
「へ?」
門番は、無表情で淡々と、犬や猫を追い払うような仕草をしていた。
なぜ? どうして? 私は間違っていないはずなのに。
チルノは妖精の役割を果たしていない悪者で、妖怪や人間は私たちを見下していて、それを甘受するのが妖精の役目。
私たちは、決して主人公にはなれない立場のはずだ。
「あの子をあの子なりに、私は友人として認めてるんだ。友人を馬鹿にされて喜ぶ奴がいると思ってるのか?
私の堪忍袋の尾は、今日はたまたま結び目が緩いんだ。怪我しないうちに帰りな」
そういって門番は、周りの空気が震えそうなぐらいに怒気を放ち始めた。
やだ、怖い、どうして? 私は間違っていないはずなのに。
そうだきっとチルノが悪いんだ。この妖怪も、変な妖精に引っ張られて、おかしいことを言ってるに違いないんだ。
ジリジリと一歩、また一歩と後ろに下がってから、私は一目散にその場を逃げ出した。
後ろの気配は、当然追ってくる様子はなかった。
◆
いつものようにお屋敷に行くと、なんだか美鈴の様子がおかしかった。
どうしたの? って聞く前に、その理由がわかった。
帽子が、どこかへなくなってしまったんだって。
「帽子を探しにこの場を離れるわけにもいかないし、そもそもいつも被ってるから、盗られて気づかないわけがないのに」
「うーん」
腕を組んで考える。
もしかしたら、あいつらかな?
「もしかしたら、妖精の仕業かも」
「妖精の仕業?」
「うん、たぶんだけど……。スターサファイアとサニーミルクとルナチャイルド、あの三匹の仕業かも」
あの三匹は力は全然強くないくせに、悪戯ごとに特化した能力を持った厄介もので、顔をあわせるとケンカをよく売ってくる嫌な連中。
どこかで噂を聞きつけて、私への嫌がらせに美鈴の帽子をどっかへ隠してしまったのかもしれない。
「もしそうだったら、どう謝っていいかわかんない……」
「なんであんたが謝る必要があるの、たまたま悪戯の矛先が私に向いただけじゃない。
私が間抜けだっただけで……。チルノはちっとも悪くなんかないよ」
「でも、私と仲良くしてたから美鈴が」
「チルノ!」
急に美鈴の顔が険しくなって、思わず腰を抜かしてしまった。
「チルノ、私はこんなことで嫌いになったりしないから。落ち込むのだけはやめてもらえないかな。
生意気なぐらい弾けてるほうが、あんたらしくって素敵だよ」
「うん……・でも」
「どうもこうもないよ、帽子はどうにかするから、今日のところはお帰り」
そういって美鈴は、私の髪の毛をくしゃくしゃしてくれた。
ほんとは今すぐにでも犯人を探し出して、けっちょんけっちょんにしたかったけど、たぶん美鈴はそんなことを望んではない。
「ねえ、明日も来ていい?」
「うん、またいつでもおいで」
不安が少しだけ和らいで、私はお屋敷を後にした。
私は、一体何をしてるんだろう。
三月精どもをけしかけて、あの憎たらしい門番の帽子を奪ってやったのはいいけれど……。
もうチルノのことなんて関係なくって、これは私の私怨なんじゃないのか。
腕の中で、すごく丁寧に扱われていただろう帽子を持て余していた。
年季が入っているように見えるのに、糸のほつれどころか、汚れもまったくない。
こんなに大事にされている帽子を、自分の意見が通らなかったからといって盗んでしまった。
取り返しがつかないことを、私はしてしまったんじゃないのか。
そこらへんで拾いましたって門番のところへ持って行ったって、きっと門番は私の顔を覚えている。
わざわざ私がやりましたと、名乗り出るようなものじゃないか。
嫌だ、怖い。
いっそのこと、帽子を捨ててしまおうか。
そうだ、それがいいかもしれない。
ここはまだ、紅魔館から離れてもいないのだし、本気で探そうとすればすぐに見つかるはず。
悪戯に飽きた妖精が、興味を失ってそこらへんに、そう、例えば湖に放り投げて行った。
とても自然な成り行きで、帽子がぷかぷかと浮かぶ。
「よし!」
私は、帽子を抱えて、それを持って湖の前へと立った。
手を離せば、帽子はポチャンと湖へと飛び込んでしまうはずだ。
それからのことは、私の知るところではない。
たまたま妖精の悪戯の矛先が、可哀想な門番へと向いただけなのだ。
私だって妖精だもの、妖怪や人間をからかって一体何が悪いというのか。
合理化を済ませ、いよいよ帽子を投げ捨てる決心を固めたとき。
「あれ、それって美鈴の帽子」
「ひっ!」
振り返ると、チルノがそこに呆然と立っていた。
いけない、何か言い訳を考えないと。
「あ、そっか! 美鈴の帽子を拾ってくれたんだ! ありがとう!」
「え……?」
「三月精の奴らが盗んでったと思ってたんだけど、あいつら飽きっぽいし、そこらへんに投げていったと思ってたんだー。
よかった、ちゃんと拾ってもらえてたんだ! ねね、一緒に美鈴のところに持っていこうよ!」
「わ、私は……」
そんなん、じゃない。
私が帽子を三月精に盗ませて、今まさに、湖へと投げ捨てようとしていた。
それを素直に言えたら、どんなに楽だったろう。
私はとんでもない卑怯者で、無理やり合理化して罪の意識から逃れようとしていた最低の妖精なのに。
「よかったぁ。帽子がなくなっちゃったら、どうしようかって思ってたから」
屈託なく笑うチルノに、いかに自分が醜かったかを知った。
氷精だから迷惑な奴だって決めつけて、自分たちと違う考えを持っているからって差別をして。
いますぐごめんなさいって謝れれば、どんなに気が楽かと思ったけれど、私はぐっとそれを堪えた。
謝って、自分だけ楽になろうだなんてことをするよりも、まずは自分のしたことをしっかりと償わなければいけないから。
「ね、美鈴のところに一緒に行こうよ! 私、ううん違う。あたいの名前は、チルノ!」
「あ、あたい……?」
「そ! ずっと考えてたんだ! あたいがあたいらしく居られるために、もっと何か変わっていけるんじゃないかって。
だから、今日から私はあたいって言うんだ! どんどん、前に進んでいけるように!」
やっと、胸のモヤモヤの正体がわかった。
私はただ、チルノのことが羨ましかったんだ。
自分なりの価値観を持って、前だけを必死で見据えて走っていく姿が。
それで結局、たくさんのものを失っていっても、チルノは前に進もうとするのをやめない。
やれルールだの、役割だのと勝手に決まった不文律にばかり拘って、変わることを諦めた私にはチルノが眩しすぎた。
いいや、きっと妖精たちの大半が、チルノのことが眩しすぎたんだと思う。
「さあ、行こう!」
ひんやりとした手に引かれて、でも、その掌は何よりも暖かかった。
◆
チルノちゃんとお友達になってから、初めての夏。
一緒に向日葵畑に行ったら、とっても怖い妖怪に追い掛け回された。
理由は、チルノちゃんが向日葵をいじめたからだって。
とっても怖かったけど、門番に謝ったときに振り絞った勇気に比べれば、隣にチルノちゃんがいる分いくらかマシだった。
あのときもチルノちゃんが横にいたけど、どうしていいかわからなくって、泣き出しそうだったもの。
本当のことはうやむやになってしまったけど、私は今でも、あの時のことを忘れていないし、きっといくら時間が経っても忘れない。
チルノちゃんと、初めてお友達になった日のことだから。
「どこに隠れたのかしら?」
日傘を差して、満面の笑みで妖怪さんが歩いてる。
陽気な妖精たちが、くるくると向日葵を回しているけれど、私たちは気が気でなかった。
もし見つかったら、それこそただじゃ済まないだろうから。
「大丈夫だって、あたいが守ってあげるから!」
そもそも追いかけられている原因がチルノちゃんなのに、チルノちゃんは何の根拠もなく笑って見せた。
その顔は、あの冬の日みたいに屈託のない笑顔で、怒る気もどこかへ消えうせてしまった。
「は、早く逃げよう?」
でも何よりも命が大事、息を潜めて一緒に向日葵畑を抜け出した。
あとから聞くところによると、あまり派手に暴れると向日葵たちが傷ついてしまうから、あの妖怪さんも強くは出れなかったんだって。
チルノちゃんはそれを聞いてがっかりしていたけれど、その様子を笑ってしまってケンカになってしまった。
本当に、態度ばっかり大きい子供なんだから。
◆
一番大切な宝物だったはずの「チルノ」っていう名前が、自分の手元からどこかへ飛び去っていってしまった。
それは例えば大ちゃんだとか、美鈴だとかに名前を呼ばれたときや、小憎たらしい魔法使いやおめでたい紅白巫女。
烏天狗のブン屋や、他のたっくさんの妖怪に、名前を呼ばれるときにヒシヒシと感じる。
あたいはあたいで、あたいはチルノ。
勲章だったものはいつのまにか名札に成り下がっていたけど、それはそれで悪い気はしなかった。
あたいをチルノだって思ってくれて、そう呼んでもらえる。
はじめは自分だけのものだったその名前が、みんなで共有してもらえる。
意固地に持っていた自分だけの宝物が、どこかへ分散していってしまった。
でもそれでよかったんだ。
いま一番大事なものは他にあるから。
大ちゃんは凄いと思う。
他の妖精からも大ちゃん大ちゃんって慕われていて、なのに遊びに誘うとついてきてくれる。
あたいが失敗しても、大ちゃんは困ったような顔をして笑っていて、ときには一緒に失敗してくれる。
きっかけは本当に偶然だった。
美鈴の帽子を探していたら、大ちゃんがその帽子を水辺で持ってた。
それで一緒に美鈴のところに行ったら、突然大ちゃんがごめんなさいって頭を下げるからびっくりした。
わけがわからなくって、詳しく聞こうと思ったら、美鈴が困ったように笑いながら、あたいたちを抱きしめてくれた。
今でもよくわからないけど、その日から大ちゃんはあたいと遊んでくれるようになった。
大ちゃんはあたいの知らないこともいっぱい知っていて、すごい。
でも大ちゃんは、いっつもあたいのことを褒めてくれる。
「チルノちゃんは、チルノちゃんにしかないいいところがいっぱいあるんだよ」って。
そのたびにあたいは、それはどこなの? って聞くんだけど、いっつも肝心なところではぐらかされちゃう。
嫌になっちゃうなぁ。
それに、あたいが最強になりたい! って言ったら、大ちゃんはいっつも笑い出しちゃう。
そのたびにケンカになっちゃうんだけど、勝ったり負けたりでいつも最後は仲直り。
どうしてかわからないけど、だんだんと世界は変わり始めた。
だって、あたいはいつのまにか一人ぼっちじゃなくなってたし、よく覚えてないけど、身長だってちょっぴり伸びた。
でも最強には正直、まだ遠いのかもしれない。
いまだに美鈴には勝てた試しがないし、たまに飛んでくる暴走魔法使いには相変わらず負けちゃう。
悔しいけど、でもきっと強くなれば、また新しい場所が見えてくると思う。
だから、あたいは最強になりたい。
大人が子供のことを純粋に思ってしまうのは、余計なことを考えずに一途に行動する姿をうらやましがるからだって思ってましたw
でも、子供だって、むしろ子供のほうが余計なことをいっぱい考えて悩んでるということに大人はは気付かないんですね^^;
和みました
心理的な合理化をはかってしまう。そんな大妖精のもやもやとした羨望と、それを乗り越えた成長にとても共感。
幼い二人を受け入れる寛大な美鈴と、まっすぐなチルノも良かったです。
深いなぁ。妖精の設定も説得力がある。
こういう『本当の子供』なチルノや大妖精を見てるとハッとさせられる感じですね。
あとがきにも考えさせられるところがありましたw
いいものを読ませてもらいましたよ。
大ちゃんのキャラが光ってました。
チルノもこういうのはいいですね!
底が深いSSっすね
>一番大切な宝物だったはずの「チルノ」っていう名前が、自分の手元からどこかへ飛び去っていってしまった。
このくだりから後が特に好きです。
チルノも大ちゃんも美鈴もみんな輝いておりました。素敵です。
そんな風に思えてたSSでした。面白かったです
心の深い部分をくすぐられるお話でした。
うまくその嫌われ者っぷりが描かれてると思います。
今の関係に至るまでのエピソードが綿密で読んでて楽しかったです。
めーりんもイキイキしてましたねー。 めーりんとチルノの友情関係描写も素敵でした。
ありがとうございました。
よわっちいけど、どこか強いんですよね、チルノは
読みやすく、素晴らしい作品でした。
あとがきの最初の二行に首をぶんぶんと縦に振りたい気分になりました。
なんかうまく言葉にできないので…とにかくこんな文章を書けるのは素晴らしいと思う。
羊さんはできた息子(or娘)さん(^-^)/
妖精の名前に関する考察、妖精のコミュニティに関する考え方だけでなく、様々な事を考えさせてくれる素敵な作品でした。
とても
とても良かったです