わたし、魂魄妖夢は白玉楼の庭師をさせていただいている。
庭師と一口にいっても、庭の見回り、木の枝の伐採といった当然の仕事だけでなく、幽々子様のお食事、その他身の回りのお世話とその仕事範囲はけっこう広い。
ぶっちゃけ、わたしのことを妖夢ではなくて用務と勘違いしているんじゃなかろうかと思うこともある次第である。
そんなこんなで今。
わたしは幽々子様のお食事を作っているところだ。
今日のメインは大根である。
包丁を使ってもいいのだが、持ち前の刀で切り刻むほうが剣の修行になるかもしれないと思い、そうしている。
断っておくが、いつもそうしているわけではない。
そこらへんの刃物が大好きな危ない娘とは一線を画す。
ただ残念なことに――。
いつだったか大根がとても切れにくいときがあって、思わず壁ごと切り刻んでしまったこともあった。
当然あとになってものすごくしかられた。
剣の道は長く険しい。
例えば、うすっぺらく大根を桂剥きにする場合。
桂剥きとは最初に大根の横側面をぐるりと皮をはぐように薄くスライスしていく切り方をいう。当然ひとつ皮を剥くごとにだんだん小さくなる。
そして最後。
わたしは最後にいつも負ける。
どんなに精密な動きをしても、これ以上ぐるりと一周することができなくなるのだ。
手ごと桂剥いたことも何回もあった。
大根ごときに負けたとなると師匠の名前にも傷がつくだろう。
師匠はわたしの剣の先生である。当然、大きな恩がある。だから師匠に恥をかかせることだけは絶対にやってはいけない。
これはわたしの格律である。
わたしは剣の道を究めて、立派になった姿を師匠に誇りたい。
少し褒められて、それからまだまだ甘いなと叱られたいのだ。
ようやく大根を切り終わった。やはり芯のようになると切りきれていない。思ったよりも難しい。
でも味はけっこうおいしいと評判で自信もある。
半霊に味見させてみたら、うにょにょんとおいしそうな動き。
よし、今日も大丈夫だろう。
「幽々子様。できましたー」
「おそーい」
暢気さの混じる声をあげながら、幽々子様の姿がお見えになる。
「すいません。なかなかうまく斬れなくて」
「包丁使いなさいよ」
「ごもっとも。ですが剣の道を究めるためにはこの程度の修行量では足りないのです。剣がからだの一部のように扱えなければとてもとても……」
「ふうん。まあいいわ。とりあえずごはん食べさせてちょうだい」
幽々子様のお食事量は半端ではない。
胃の中にブラックホールでも飼ってらっしゃるのではないかと邪推してしまうほどの量をお召し上がりになる。
当然、料理を作るこちらがわとしても多量に作らなければならず、時間を取られてしまうのである。
わたしとしてはもう少し剣の修行に時間を割きたかった。
甘い、と怒られてしまうだろうか。
幽々子様のお側でいっしょに食事を取らせていただいていると、
「どうして妖夢は強くなりたいの?」
と尋ねてこられた。
「特に強くなろうとしているわけではないのです。ただ剣の道を究めたいだけなのです」
「じゃあどうして剣の道を究めたいの?」
「切れないものがなくなるためです」
「どうして切れないものがあったらだめなの?」
「完璧な剣はすべてを断ち切れてしかるべきだからです」
「ふうん。よくわからないけど大変ね」
「いえそれほどでも」
「そうじゃなくてね……」と幽々子様はなにか言いたげな表情だった。
「どうしたのですか?」
わたしはすぐに聞いた。わからないことをわからないままにしてはおけない。それがわたしの本分である。
「あなたがその究極の剣とやらを身につけたとして、本当に切れないものがなくなるのかしら」
「そのように信じております」
「おもしろい。じゃあ、あなたの腕が今現在どの程度か見極めてみましょう」
幽々子様のお言葉は荒唐無稽だった。
わたしにとって理解の範疇の外だった。
「わたしを殺してみなさい」とおっしゃったのだ。
もちろん字義通りの意味であろうはずがない。
そもそも幽々子様は亡くなってらっしゃるので、殺しようがないのである。考えるまでもないことだ。
「どういうことでしょう」
わたしはここでも持ち前の粘性を発揮して、尋ねることにした。
「素直な子……」と幽々子様。
「え?」
「ずいぶんと素直に育ったものね。でもそれが瑕瑾となりそう」
「……」
「だいたい桂剥きにしたって最後は虚空へと漸近していくのだから、それはもう不可能でしょう」
「わたしの剣が未熟だからです。時が経過したあかつきには虚空さえも微分してみせましょう」
「もうわかったわよ」
幽々子様は嘆息をつき、それから庭先に出られた。
わたしもすぐ後に従った。
季節は春。
散り行く桜に彩られ、風景は薄紅色に染まっている。
「ああ……綺麗ね」
「先ほどのお言葉についてうかがいたいのです」
「妖夢は焦りすぎね。まあそこもかわいいところかな」
「茶化さないでください」
「べつに茶化しているつもりはないわよ。そういう妖夢の在り方もあっていいと思っているから」
「よくわかりません。わたしはわたしの剣を極めたいのです」
「問題は逃げていかないわよ」
幽々子様はわたしのほうを振り返り、女神のように柔らかく笑った。
【桜花密室】
ここ白玉楼は大きなお屋敷だからいろいろな用途の部屋があるところだけど、あまりにも巨大すぎるのが考え物ね。
なにしろ住んでいる者も下手するとすべてを把握していないかもしれないんだから。
ところで今日は面白いところを見つけたの。
笑えるでしょう。
見つけたのよ。自分の家なのに。
そこは小さな離れだったわ。ちょうど中庭の東寄りに立っているのだけどね。当然離れは母屋から離れているものだけど、かなり遠かったわ。
だいたい百間(今でいうところの180メートル程度)ほどはあったんじゃないかしら。
中に入ってみると、そこは小さな茶室だった。
品の良い調度品で整えられていて、落ち着いた雰囲気があって、まるで小さな宇宙のようだった。
茶室というのはひとつの孤独な空間なのね。
ひとりきりの時間になって、じっとしていると、どれだけ自分が矮小かを思い知ることになる。
そして空腹にもなる。
だからお茶をしたあとにはもちろんその部屋にあった茶菓子は全部制覇したわ。
なに驚いた顔しているの。
当然でしょう。そのくらい。
ともかく、あなたに対するお題はひとつ。
その離れから母屋までは桜の花びらで満たされていて、わたしが踏みしだくまでは誰の足跡もなかったわ。まあ雪と同じような原理。だれかが歩けばそこだけくぼんでしまうし、桜の花びらに過重がくわわると、絶対にそこだけ薄紅色に侵食されてしまう。
つまり、穢れる。
清浄な場所ではなくなってしまうの。
妖夢。あなたに求めるのはたったひとつのこと。
桜花で覆われた密室のなかにいるわたしを殺すことができるのかという問題よ。
桜の花びらを侵せるのは、主人であるわたしだけの特権。
だから、わたし以外の誰も穢すことは許さない。
あなたはそんな状況下でわたしを殺すの。
百間の空間を飛び越えて、あなたが肩からさげた獲物を使ってね。
この桜花結界を破壊することができたのなら、すこしはあなたの腕前というものを認めてあげましょう。
跳躍力には自信があるほうだが、さすがに百間の空間を渡るのは無理だった。
しかも幽々子様は刀を使ってというご注文もおつけになっている。
やることは決まっていた。
わたしの力量ではいまだ及ばないかもしれないが。
「しばらくお時間をください」
「桜が散る前じゃないと意味がないわよ。あと一週間持つかどうかってところね。準備ができたら言いなさい」
「わかりました」
わたしはまず、離れを実際に見聞してみようと思った。
なにごとも明確な想像のかたちがなければ、斬ることはできないだろう。
師匠はよく言った。
刀で斬ろうとするのではなく心で斬るのだと。
恥ずかしいことに、その言葉の意味するところをいまだによく理解できていない。
推測としては斬ろうとする対象をよく見極めて、自分の魂を極限まで集中させて斬ろうとする意志を持てということではないかと思っている。
しかし、斬ろうとするときに程度の差はあれ、集中していないことなどなく、いわば当たり前のことを言ったにすぎないのなら、その言葉の重みもそれほどたいしたことはないことになってしまう。そんな言葉を師匠がわざわざ繰り返すだろうか。
やはり、わかっていない。
そういう疑念がぬぐいきれない。
「ここか……」
石庭の玉砂利がまったく見えず本当に桜色に染まっていた。
昨日からまた桜吹雪が巻き起こったのか、幽々子様の足跡もなかった。
あ、もしかすると幽霊だけにおみ足がないということも……。
いや考えすぎだろう。
ともかく桜の花びらは再び清浄の領域を取り戻している。
これはこれで風情があってよいものであるが、あとで掃除するときはものすごく大変そうだと思うとうんざりした。
離れはどの建物からも独立していた。
百間の空間は確かにありそうだ。
その間には障害物となりそうなものはなにひとつなく、山に見立てた岩も木も立っていない。桜の木はちょうど母屋と離れを結んだ線の側面上に生えている状態にある。これでは木の枝を飛び移っても、最後には結局百間の空間を飛び越える必要があり、わたしの跳躍力ではどうがんばっても無理である。
木の枝からむささびのように滑空してもおそらく届かない。他にも足場にするようなものはない。空を飛べるだれかにもっと高々度まで運んでもらうということも一瞬考えたが、それでは他人の手を借りたことになるし、今回の趣意に沿わないだろう。そもそもそれが許されるのなら、そのまま離れまで運んでもらえばいいことになってしまう。
どうしたものだろう。
結局――。
そう、結局のところはわたしの剣風で、一瞬のうちにすべての桜花を舞い上がらせ、そのきわめて短い時間の間に離れにいる幽々子様に会い、目的を達するしかないのではないか。
わたしはそう考えた。
わたしの刀で切れないものはあんまりない。
ふわり……と。
にわかに魂を集中させ、わたしは抜刀のかまえをとる。
これがもっとも剣速をだせる構えのはずだ。
ぎりぎりまで膂力をしぼり、裂帛の気合をもって振り切る。
風がゴウとうなり、一面の桜が空中へと舞い上がる。しかし、その量は微々たるもので、敷き詰められた桜花をすべて舞い上がらせることはできそうになかった。
いや、違う!
そうじゃない。
そんな弱気な考えではダメだ。もとからダメだと決めつけていては、心で斬っていることにはならない。
わたしは神のごとき集中力でもってして、桜花結界を斬ってみせる。
それから、庭の見回りの時間と幽々子様のお世話をする時間以外は寝る間も惜しんで剣を振るった。
もっと速く。
風よりも速く。
三日目、わたしはいまだに桜花を舞い上がらせることはできずにいた。
なんという未熟さだろう。
これでは師匠から見捨てられてもしかたがない。師匠がどこぞへといなくなってしまったのは、もしかしてわたしの未熟さゆえなのではないだろうか。
期待を裏切ったせいで、
見込みが欠片も感じられなくて、
それで、師匠はここ白玉楼を出て行ってしまわれたのではないか。
「なーに辛気くさい顔してるんだ。おまえ」
ふと、みあげると霧雨魔理沙がニカっと笑っていた。傍らには博麗霊夢もいる。たまに見かける二人ではあるが、わざわざ白玉楼まで来るのは珍しい。
侵入者排除という一念がすぐに心を支配した。
だが、霊夢が待ったをかけてわたしの行動を制した。
「あなたのご主人様に誘われたのよ。桜が満開になったから見に来ないかって」
「幽々子様が!?」
気まぐれにしても唐突すぎる。
しかし幽々子様が招かれたのなら、二人は客人だ。わたしがどうこうできる立場ではない。
「それにしても、おまえさっきからなにやってたんだ」
魔理沙がなれなれしく私の肩に腕を乗せてくる。
重いのでやめてほしい。そのままだとどいてくれそうにないのでわたしは渋々ながら説明することにした。
「なるほどねえ……。って、それでおまえバカ正直にここにある桜の花びらを全部空中に舞わせようとしているのか。あはは、ははははは、冗談きついぜ。はは」
魔理沙は腹を抱えて笑っていた。
真剣なわたしを(別に冗談ではない)コケにされた気がして、師匠のことも同時に笑われた気がして、おなかのあたりでぐつぐつと何かが煮えたぎる音がするのを聞いた。
正直、斬りたい。斬り捨てごめんしたい。
しかし客人なので我慢我慢。
「わたしは本気です」
「本気、ぷ、ぷははは」
また笑われる。
「ちょ、ちょっと魔理沙笑いすぎよ」と霊夢。
さすがわたしのことを一度は負かしたことがあるだけあって、彼女は一歩下がった見方をしてくれているようだ。
「悪い悪い。てゆーかさ。おまえちょっとは頭働かせようぜ。要するにあいつが提示した条件は桜の花びらを踏まないこととおまえの刀を使うってだけだろ。そこから導かれる結論はひとつだけだぜ」
「へえ、どうするの」
「ん。なんだ。霊夢もわからないのか。簡単なことだぜ。真実はいつもひとつだぜ。じっちゃんの名にかけてだぜ。勘当されたけどな」
このときばかりは、少し魔理沙のことを見直した。
ただし次の言葉を聞くまでは。
「遠投大会の始まり始まりーっ!」
とりあえず、もしものときのことを考えて桜花結界がはりめぐらされている場所から離れることにした。
刀を取りにいくときに、事故が発生することを恐れたのだ。
でも、そもそも、それ以前の問題じゃないだろうか。
わたしの持っている刀ははっきりいってものすごく重い。
それを弾幕張れたり、空を飛べたり、魔法が使えたりするものの、単純な身体能力は普通の人間とそれほど変わらない二人が百間も遠投できるはずがない。
考えるまでもない。
しかし二人はなぜか嬉々としていた。
考えてない。
ぜんぜんまったくなにも考えていないです、この人たち。
お願いだからやめて!
お願いだからお願いだからぁ!
わたしの冷静で理知的な啓蒙も無知蒙昧な人間にはまったく効力がなかった。
「とりあえず殺しちまえばミッションコンプリートなんだろ。で、まあこの場合の殺すって表現は一太刀浴びせるとかそんな意味だろうな。幽霊は殺せないんだし。だったら刀の一本や二本いいじゃねーか」
魔理沙は大変なものを奪っていきました……。
「わたしのかーたーなー!」
「しかたねーな。だったら、紐でもなんでもつけてりゃいいだろ。要は百間の空間を飛び越えればいいんだから、さっくり投げてさっくり殺してしまえばそれで話はおしまいだ」
「ずいぶんと物騒な話ね」
とかなんとかいいながら、霊夢もなんか力こぶしつくってるし。
腕まくりあげてるし!
意味もなく脇見せてるし……ってこれはいつものことか。
わたしは動揺していた。
商品的な価値がいくばくかはわからないが、ともかく家宝であることはまちがいないわたしの刀をなんで遠投の道具にしなくてはならないのだろう。
しかも他人が。
はじめてのオモチャで遊ぶ幼児みたいな顔しているし。
「よーし。一番、霧雨魔理沙。いくぜーっ!」
完全に槍扱い。
槍投げの選手がよくやるように、左手を若干前にだしながら、助走し、右手で逆手にもった刀を……ああ、わたしの刀が空中を舞ってる。
放物線を描いたわたしの愛刀は思ったよりも飛ばず、十間ほど空中にとどまったあと、ブスリと地面に突き刺さった。
絶対、刃がこぼれてる。
死にたい……。
「なんだけっこう重いなこれ。おまえいつもこんなもん振り回してたのか。こっちはどうかな」
ニヤニヤと笑いながら、今度は残ったほうの刀を手に持つ魔理沙。
もうどうにでもしてください。
言うまでもなく魔理沙は非情だった。
わたしのことなんて微塵も考えずに、刀の特性やら美しさやら伝統やらなにも考慮することなく、空中に放り投げて楽しそうにしている。
今度も考えるまでもなく予測もできたことで、ミジンコ並の知力があればもしかすると理解可能なことだったかもしれないが、当然のことながら刀は百間どころかその半分すらも届かなかった。
考えようよ。試そうとしないでよ。悔しそうに舌打ちする前に気づこうよ。
「くっそー。こんなに重いんじゃ絶対無理だぜ。無理無理」
「自分で提案しといて速攻で無理宣言ですかっ!」
「あ、わりぃ。無理っぽいな」
ああ、憎たらしいほどに無邪気な笑顔。
客人客人と念仏のように唱えながら、わたしは自分の刀を回収した。
戻ってくると、今度は霊夢が子犬のような瞳でわたしのことを見ていた。
あ、やばい。
これはいやな予感しかしない。
「ねえ、わたしもちょっぴり刀を投げてみたいかなー、なんて……だめかな?」
「いやです。いやです。お願いします。どうかご容赦ください。ごめんなさい。ごめんなさぁぁい」
わたしは懇願した。
恥も誇りもかなぐり捨て、霊夢の服のすそにすがりつき、みっともなく泣き喚いた。
「うわ。マジ泣きじゃねーか。霊夢、おまえひどいやつだなぁ」
「おまえが言うな!」
落ち着くまで二十分はかかった。
今は縁側でぼんやりと桜が散るのを見ていた。霊夢は隣に座っている。さっきからお茶をすすってぼんやりと眠そうな顔をしていた。
霊夢とは反対側に魔理沙がよっこらせと乙女らしからぬかけ声をだしながら座った。
はさみ将棋だったらわたし死んでる。
魔理沙はしばらく桜を見ていたが、不意に口を開いた。
「おまえさぁ……、なんつーか硬いんだよな」
いつものわたしならここで剣呑な言葉がでそうなところだ。
しかし、大泣きしてしまった手前、反論もろくにできなかった。
「わたしが硬い?」
「思考に柔軟性がないというかさぁ……。おまえがなぜ霊夢に負けたのかわかるか?」
「いや……、わからない、けど」
単純に速さが足りなかったのか。
それとも腕の力が足りなかったのか。
あるいは、見切りが足りなかったのか。
「うまく説明できるか自信ないけどな。おまえは考えすぎなんだよ。目的とか目標とか使命とかな。だから負ける。『考えてなさ加減』が足りないから負けるんだよ」
「ちょ、それだとわたしがまるでぽかーんとしながら戦ってるみたいじゃない」
「悟りの境地だよ。悟りの境地」
「意味不明すぎる」
霊夢は自分のことなのにまったくわからないといった感じだった。
「まあおまえの場合は勘がいいからな。センスがあるってことなんだろ」
「じゃあ、わたしにはセンスがないと?」
わたしは鋭く聞いた。自分にセンスがないとしても、これまで以上に修行するだけだ。
「覚悟してるって表情だな……。安心していいぜ。おまえだってセンスはある。ただな、忘れてるだけだ」
「は?」
「要するにな、おまえがなにかに集中するだろ。こいつを斬ってやろうって気持ちで心の中は満たされる。そうするとな。おまえ自身は集中しているからいいかもしれないけど、実は驚くほど周りに対しては集中力が散漫になってる」
「……」
「おまえが例えば、ここにある桜の花びらのなかの特定の一枚を斬ってみせろとか言われたら、そりゃ斬ることもできるだろうけどな。そのときにおまえの頭に石ころでも投げつければ、簡単にあたっちまうって道理だ」
「そうかもしれない」
「だからさ。おまえ、そのなんつーか、がんばれよ」
心で斬るというのは、もう少し視野を広げるという意味でよかったのかもしれない。
虚空を斬って捨てようとするのではなく、虚空と一体化しようとする心こそが必要だった。
わたしは、自我が強すぎたのかもしれない。
なにかをなすときに心の動きばかり追っていた。
それは要するに自分が認識できる世界しか見ていなかったということだ。
事物の絶対的な属性に目を向けず、わたしの精神が必ず勝つと信じていた。
妄信といってもいい。
こんなにも世界は広がっているというのに。
こんなにも世界に許されているというのに。
わたしはただ隣に座っているひとの優しさにさえいままで気づかないほど愚かだったのだ。
「ありがとう」
自分でも驚くほど自然に言葉がでた。
無意識に大粒の涙がでた。
「いいいいいやだぜ。そんなに真面目に言われると照れるぜ」
言葉にできないことは多い。
ありがとうという言葉ではまだ足りない気がした。
小さくて未熟で弱い自分は、どうしてこの世界に在れるのか。
生かされているからだ。
万物を生ずるとされる虚空によって、生かされているからだ。
それだけのことだった。
ただそれだけのことを認識しただけで不思議なことに心が軽くなる。
なーんだそんなに簡単なことだったんだと思えるようになる。
わたしはひとつ思いついた。
この密室を解く鍵を。
つまりは――色即是空。
「幽々子様、茶室の準備ができました」
「そう? あの娘たちを呼んだのも無駄じゃなかったようね」
幽々子様はすべてわかってらっしゃるようだった。
「じゃあ、いますぐ行くわ」
「では、お茶とお茶菓子の準備をいたします」
わたしは用意していたそれらを、小さな包みの中に入れて、幽々子様に手渡した。
「茶室に置かれてあったものはたぶん一年前のものですよ。お身体に悪いものはあまり口にしないでくださいね」
「そうねー。確かにちょっと苦い味がしたわー。でもおいしかったけど」
それと、と幽々子様はつけくわえる。
「今日の試練をもしちゃんと突破したならね。離れの茶室にあなたも迎え入れてあげる」
わたしは深くこうべを垂れた。
茶室では人は上下関係もなく、一対一の個我として相対する。
つまりはそういう意味だった。
わたしは途中まで幽々子様に付き従った。幽々子様は桜の花びらが宙に舞う様子を楽しそうに眺めながら、ゆるりと縁側を歩かれていた。
とても楽しそうなお顔だった。
どうしてそんなに楽しそうなのか聞いてみたい気分になった。
でもやめておいた。
それはおそらく言葉にしたとたんに水泡のように消えてしまう類のものなのだろう。
「実直って素敵な言葉よね」
黙っていると幽々子様の言葉が周りに響いた。
空間が鳴っているかのようなお声だった。
わたしはなにもせずなにも言わず、ただ空気のように聞いていた。
すると声は続いた。
「あなたは実直そのものって感じね。曲がったところがなくて、素直で、まっすぐ」
「いえ、そんなことは……」
「それにいまでは、こんなにも強くなった」
「わたしは弱いままです。ひとりきりになって泣き喚いていたあの頃となにも変わりません。わたしは……」
「でも――、それでもひとりじゃない」
「はい」
「ひとりではないということがわかった」
「教えていただきました」
幽々子様が。はじめてとも思える友人たちが。
あるいは散り行く花びらが。
教えてくださった。
「それが強さよ」
幽々子様は母屋から離れへと向かい、わたしはその様子を呆然と見つめていた。
散り行く桜花はあまりにも美しく、この世のものとは思えないほどに色鮮やかだ。
この空間を穢すことが誰にできようか。
物体として葬ろうとするのではなく――、ひとりの個我を持つものとして招いてもらわなければ不可能に違いない。
結界を破壊する必要などどこにもなかったのだ。
ただ、関係性の中に委ねていれば、それでもう許されている。
二分後。離れにある茶室から幽々子様の「からーいっ!!!!!」と絶叫なさる声が木霊した。
茶菓子の饅頭にしこんでおいた練り唐辛子が効いたのだろう。
もちろん饅頭に切りこみをいれるときには自前の刀を使った。
それにしても本当に召し上がりになる必要はないような気もするのだけど、それもまたわたしという存在を受け入れてくださる幽々子様の優しさに違いない。
「妖夢ぅ。なにが入っているかなーと思ってはいたけど、さすがに辛いのはダメダメー」
百間ほど離れた離れから幽々子様のお顔が見えた。
「わたしに毒が必要だと教えてくださったのは幽々子様ですよー」
わたしは大声をあげて返答する。
「確かに、そうだけど辛すぎー。あなたもこっち来て食べてみればわかるわ!」
お許しがでた。
わたしはすぐに駆け出そうかと思った。
しかし、実直なばかりでは能がないだろう。ふと遊び心が生じて、わたしは刀に手をかける。
斬ろうとしないでもいい。
清浄な空間だ。
そこにはすべてが在れる。
在ることを許されている。
だから、わたしの意識が強いて在ろうとする必要はない。
ひとつこんなときにどういう言葉が使われているのか思い出した。
「お邪魔しますっ!」
その日、白玉楼のすべての桜の花びらが、四十五秒ほど重力に打ち勝った。
ただ気になった事が一つ、「持ち前の刀(今日は白いほうを使った)」。
…刀の名前くらい調べて欲しかった……。
剣の修行のために包丁代わりに料理に使うというのは分かります。でも白いほう……?
長短ならまだしも、これでは妖夢がどちらの刀を使っているのか分かりませんね。
あと、魂魄家に伝わるのは一本だけですよ?
まあ確かに18の読者殿が言うとおり、『近く』という言葉にも曖昧さがあるから、あなたがおっしゃることは正しい。
テストの点数で100点どころか50点もとれなかったよと聞かされたときに、じゃあ50点近くはとったんだなという推論が強く働くことも否定しない。
ただいずれにしろ言葉の曖昧性のなかに溶かされてゆく程度の瑣末な『傍論』であろう。
そんなふうに断じてしまうことこそが、『暴論』だろうか。
あと、感想ありがとう。うれしいです。
ふとそんな疑問が湧き上がりましたが、そういう無粋なツッコミは不要と思えるくらい心地よい文章でした。
全体に流れる雰囲気がすごくいいです。ああ、今から春が待ち遠しいなあ。
上の文章ですけど、暴論だろうかっていうのは自分の言葉にかかっています。
どんな意見にしろ、他者の意見とぶつかるときは他者を傷つけてしまう可能性を秘めており、そういう言葉を極力控えたいというのが作者の矜持です。
なんというか、ぶってみたい年頃でした。
わかりやすく言えば、
あなたは正しく、そして俺は俺の書いたものに全責任を負っている、そして読んでくれたことに感謝。
それだけが言いたいことです。
空を飛べるという指摘には、びっくりした。びっくりしていってね。
だけど何か色々と惜しいなー。キャラの設定が二次設定に頼りすぎ。それがなかったらすごい綺麗な作品としてまとまってるのに。ギャグ寄りな二次設定と根幹に流れるシリアスなテーマがちぐはぐに感じました。二本ほど読んでその違和感は更に大きくなりました。
文章や知識量の厚みは非常に感じるので、一度二次設定を取っ払ってキャラの設定を再構築してみて欲しいなーと思ったりします(別の作品を読んで、それが出来る方だと確信しております)。二次設定全否定ではないんですが、作風にそぐわないと思いました。
毒にも薬にもなりそうです。
しかし、二次設定を入れれば入れるほど東方という大きな作品群にコミットメントしている気分が湧いてくるのです。
いわば、参加している気分。
いずれは、自身の観念連合を体現したいとは思っていますが、いまは戯れのなかで遊んでいたい。そんな気分です。
ご指摘感謝。