香霖堂では今現在不可解な異変が起きている。
この豪雪続きで憂鬱になってしまいそうな気候条件の中、
まるで通い妻か何かのように悪魔の妹、フランドール・スカーレットがやって来るのだ。
常連客は店に入り、フランドールの顔を見るなり背を向けて出て行ってしまうので、
この子が来る日は店を閉じるという苦肉の策をとらざるを得ない結果となってしまっている。
僕はコーヒーを啜り、コツコツと卓袱台を叩いた。
「それで、フランドール」
「んー?」
こてんと首を傾げる姿が可愛らしいがそれに免じてこの苦境に甘んじていては大人物になる日は遠いだろう。
吸血鬼に構っている暇など本来は無いのである。
この状況には若干の苛立ちすら覚えるほどだ。
「何故君はこう毎日毎日ここに来るんだい? 紅魔館で何か嫌なことでもあったのか」
「別に。ただ今日は晴れるかなあって思ってここに来てるだけだよ」
「そうかい」
晴れると何があるというのだろう。
雪玉遊びでもしたいのだろうか。
勘弁してもらいたいものである。
そんなアクティブで幼稚な遊技に付き合う義理も時間も無い。
もし晴れた時は何やかやと理由を付けて適当に追い払ってしまおう。
ただ、部屋の中でごろごろしているぶんには大人しい子である。
商売あがったりであるのはいつもの事なので気にすることはない。
それでも邪魔な事には代わりが無いので苦し紛れに言ってみる。
「フランドール。家の人の許可はもらってきたのかい?」
問うと、案の定フランドールは言葉に詰まったが、
「たぶん大丈夫」
とやけに自信ありげな表情で答えた。
僕はただそうかい、とだけ呟いて本に目を戻したのだが、フランドールは何故か視線をこちらに向けたままだ。
ごにょごにょと手混ぜをして何か言いたげである。
恐らく、ここに来ても大丈夫な理由とやらを教えたいのだろう。
別に興味は無いのだが放っておくのもなんなので尋ねておくことにした。
「それで……どうしてここに来ても大丈夫なんだ?」
うん、実はね、と案の定フランドールは満面の笑みになった。
扱いやすい子である。
これで香霖堂を訪れないのなら言うことなしの百点満点なのだが。
「咲夜とかはやっぱり駄目駄目って言ってなかなか一人で外に出してくれないんだけど、
誰も居ない時を見計らってあいつが来て連れ出してくれるようになったんだ」
あいつ。
一瞬魔理沙を思い浮かべたが、この子があいつというのはただ一人である。
「レミリアかい?」
「うん。もし私が大暴れした時は香霖堂を再建不可能なまでに叩き潰すだけだから存分に遊んで来いって」
レミリアの嫌らしい笑顔が脳裏に浮かんだ。
きっとあの子は腕を組んで少しだけ身体を宙に浮かせ、尊大な態度でそのような事を言ったのだろう。
「つまり、保護責任は香霖堂が負えと……そういう事か」
頭痛がしてきた。
ここは女子専用の溜まり場でもなければ託児所でもないというのに。
香霖堂は道具屋だ。誰かそれを理解してくれる者は居ないのだろうか。
フランドールは僕の不愉快な感情が伝わったのだろう、こちらを見上げてから言う。
「やっぱり迷惑かなあ」
少しだけ不安が滲んだ声の調子である。
ワガママの具現とでも言うべき吸血鬼にも遠慮という感情はあるのかと半ば感心しながらこちらも口を開く。
「まさか三日目にしてそれに気がつくとはね。
君が来るたびに溜息を吐いて意思表明をしていた僕の気持ちを少しは酌んでくれないかな」
「う……ごめん。今度からちょっと考える」
「ああ、存分に考えてくれ」
本を卓袱台に置き、ごろんと畳に転がって疲れを全てはき出すように大きく大きく溜息を吐いた。
このままでは過労死してしまいそうだ。
きっと今太陽が輝いていればそれは黄色に見えるに違いない。
永遠亭の門を叩けば、問答無用で面会謝絶の救急治療室送りにされてもおかしくないほどに疲労がたまっている。
フランドールはうむむ、と難しい顔をして唸っていたのだがやがてごろんとこちらに身体を倒してきた。
僕は横になったまま横転してそれを回避する。
「ねー、香霖堂」
「寄るな」
羽のために回転の遅いフランドールと違い、僕は畳での横転のプロフェッショナルである。
霊夢と魔理沙のごろごろ挟み撃ちを見事に退けたくらいだ。
たしかあのときは魔理沙を踏みつけにしてそのまま転がりつづけ、見事に奥の間から脱出したのだったか。
とにかく、フランドールの稚拙な追跡をまくことなど造作ないということだ。
「香霖堂、聞いてよ。すごい頭良いこと思いついたんだよ」
「君に今できる一番の知能行動はその横転を止めることだ」
「でも香霖堂逃げるし」
「君が追うからだろう! 何故追う!」
「むー……なんでだろ」
ごろん、と最終的に腹這いになってフランドールは首を傾げた。
どうやら追跡は止めたようなので一安心である。
僕も身体の向きをぐるりと変えて彼女に対面することにする。
まだ息が荒い。
こんなに動いたのは久方ぶりだ。
ふと視線を上げるとフランドールがくすくす笑っていた。
「変な顔」
「出口はあっちだよ」
「……ごめん」
目下最強の一撃である「出口はあちら」発言はなかなかの汎用性を誇り、
紫、幽香など一部を除く大抵の訪問客に効果がある(但しストーブの火が点っていなければ効果は激減だ)。
フランドールも例外ではなく生意気な口はつつしむことにしたようだ。
「さて、じゃあ僕は寝るからそれまで勝手にしておいてくれ」
「うん」
フランドールは素直に頷くと、ぼけー、とした顔で僕を見つめていた。
別に気にならないのでそのまま目をつむってここちよい暖かさに身を任せようと思う。
ぱちぱちという火の爆ぜる音、古くさい畳の匂い、時折寝返りによって生じる衣擦れの音。
そして気怠げな室内の薄暗さがゆっくりとゆっくりと睡眠欲を刺激してくる。
あまりの幸福に頬が緩みかけたその時。
「こ、香霖堂っ!」
顔を蹴られた。
常人には耐えられそうもない衝撃と共に僕の身体は爪先を軸に持ち上がり、九十度の弧を描いた。
つまり、腹這いに倒れていた幸せな状況から突如、直立不動のとても不幸せな状況に移行させられたということだ。
不愉快だ。非常に不愉快だ。痛む顔を押さえながらあちこち見渡す。だが目的の品は見つからない。
「炒り豆はどこだ……」
「ご、ごめん。強く蹴ったつもりじゃなかったんだけど」
「許さないよ。君もめでたく香霖堂のブラックリスト入りだ。良かったね」
ぱら、と手帖を開いてフランドールに見せてやる。
ぎっしりと名前が書き込まれたそれを見てこの子はさあっと青ざめる。
それが僕のシナリオだった。
しかし、それとは逆にこのおてんば吸血鬼はとても嬉しそうな顔になった。
「香霖堂の友達の名前がいっぱい書いてあるね!」
はっとして手帖を見直す。一番上の段に書いてある名は霧雨魔理沙、その次が博麗霊夢。
確かにこれではお友達手帖と思われても致し方ないのかも知れない。
だが僕としてはわざわざ朱を用いて記した八雲紫の名前に注目して欲しかったのだが。
わざわざ楕円で名前を囲い、その上で要注意、とまで追記した力作だ。
魔理沙と霊夢の二人にはそれこそ絶賛ものだったのだが……。
まあそれは置いておいて、だ。
思った以上の効果が得られなかった役立たずのブラックリスト(とは名ばかりの手帖)を放り投げ、
どかりと卓袱台の横に座りなおしてあぐらを組む。このままでは話が進まない。僕が折れるしかなさそうである。
「それで、フランドール」
「ん?」
フランドールは僕を蹴り上げておきながら、
罪悪感一つ感じていないのかふたたびごろりと横になるとストーブの前を陣取って僕を見上げてきた。
段々とこの奥の前での戦い方が分かってきたらしい。
ここではスペルカードルールにおける決闘と同等の厳しい戦いが繰り広げられるのだ。
そして今回は残念ながらこちらの負けのようである。
無論、先輩として勝ちを譲っただけであり、実力での彼我の優劣は語るまでもない。
「君がさきほど言っていた頭の良いことというのはなんだ」
ああそうそう、と急にフランドールは和んだ口調になった。
恐らくストーブの魔力にとりつかれたのだろう。
奴の射程範囲に入ると動く気力が根こそぎ奪われる。
こたつ程の威力は無いがちょっとしたつまみを焼いたり、酒を温めることができたりと、
物さえ用意しておけばその汎用性は抜群である。
無論、ストーブの上に何も無くとも吸血鬼一人捕らえることなど造作もない。
この僕にとっては妖怪の動きを封じ込めることなど朝飯前なのである。
あまりに容易いので自慢する気にもならない。
フランドールはこのまま喉でも鳴らすのではないかと思うほど間の抜けた表情で、
しかしとんでもない事を言い出した。
「先ずさあ……香霖堂でお月見したいから雲を吹っ飛ばすでしょ?」
「……はあ?」
でね、とフランドールの言葉は続く。
とんでもなく馬鹿な話になりそうなので僕はのそのそとストーブまで這っていき、
フランドールの羽を掴んで退かせ(その際吸血鬼は何とも言えない悲鳴を上げた)、
良い具合に焼けた豆餅をとって卓袱台に置く。そして一つとって口に含んだ。
なかなかの味だ。神々と親交を深めるのも悪くない。
フランドールの与太話は続く。
「次に星空を見たいけど月は邪魔だから月も壊すの。
そしたら一日で星も見れて月も見れるから香霖堂に迷惑かからないよ?」
「そこまでにしておくといいよ、お天気吸血鬼。
月に喧嘩を売るのは機が熟してからだ。
この僕にとっては月の住民など大した障害じゃあないが、
それでもやはりなめてかかっていい相手ではないのは確かだ」
フランドールはふうん、と感心したように息を吐いた。
「月の民って強いんだ。なんかうさぎがぺったんぺったん餅ついてるだけみたいな感じがするけど」
「超高速餅つき技術があるんだよ、あそこには。
ありとあらゆるものを餅にする程度の能力だってあるかもしれない。
フランドール、君は餅になりたいか?」
ふるふる、と彼女は首を横振った。
「私は餅よりおすもうさんになりたいなあ」
「……今度来る時は是非君の姉を随伴してくれ。話し合いたいことが山ほどある」
僕も手遅れにならないうちに魔理沙の将来の夢を聞いておいた方がいいかも知れない。
そんな事を思ってスルメをぱくついていたのだが、ふと気づいてみるとどうにもフランドールの様子がおかしい。
ぷく、と頬を膨らませたまま黙り込んでいるのだ。
ここに来る客には良くあることであるので決して慌てる事はない。
原因がよく分からなかったが、少し考えてみると思い当たる節はあまりないことに気がついた。
とりあえずその中で最も確率が高そうなものを拾い上げて尋ねてみる。
「……どうしても星空を見たいのかい?」
フランドールは黙ったままだ。黙ったままだけれどこくりと大きく頷いた。
「だけど月が邪魔だし」
永遠亭の連中にはフランドールに注意するよう魔理沙からよく言い聞かせておいた方がいいかも知れない。
もしものことがあったら双方ただでは済むまい。
いや、あちらには八意永琳が居ることであるし、紅魔館にはレミリア・スカーレットも居る。
案外穏便に済ませるかも知れない。
後者は少々頼りない気もするが。
……現実逃避をしている場合ではない。
とりあえず今はフランドールの事を考えてみよう。
彼女はどうしても星が見たいという。
だが外は豪雪であり、とてもではないが夜空を楽しむことなど出来はしないだろう。
雲を突き抜ければ話は別だろうがそんな事をする奴には風情がないと言わざるを得ない。
一応、フランドールが喜びそうな代用品を思いついてはいる。
だが、あれはとても面白い品なので他人に知られたくはない。
知られれば間違いなくあの調子の良い鴉天狗がやってきて記事にしてしまう。
あれは水煙草よりも遙かに女性向けであろうし、知られればあれやこれやとしている内に買い占められてしまうかもしれない。
無論僕とて死守するつもりだが八雲紫がストーブの燃料を交換条件に出してくれば抵抗手段は皆無だ。
やはり吹雪が過ぎ去るまではこの無情な鉄面皮を維持しておくのが良策だろう。
そう思い、ひょいとザボン漬けを手にとり口に含む。
……不味い。これは少々酸味が強すぎた。人に出すならもう少し酸味が抜けてからにしろという。
最近は貰い物ばかり食べている身が言うのも何であるが。
フランドールもあきらめがついたのかしゅんとした表情でこっちに這ってくるとざぼん漬けを手にとって口に含み、硬直し。
「……うぇえ」
泣きそうな顔になった。
失意の内に甘い物でも口に入れようと思ってこれである。
傷口に塩を塗るような仕打ちだ。フランドールは非難がましい表情でこちらを見上げてきた。
「なんでまずいって言ってくれないのさ……」
「君が食べるとは思わなかったからね。
それからフランドール。
分かっているとは思うし、僕もずいぶん時間を延ばしてやったけど――」
びく、と小さな肩が震えるのが分かった。
だけれどもここは心を鬼にするところである。
「実はそろそろ君は帰らないといけない時間だ。すっかり日が暮れてしまっているよ。
レミリアもきっとそういう事をきちっとすると思ったから外出を許したんだろうしね」
その言葉を聞いて、ますますフランドールはむくれたようだった。
「そんな事のついでみたいに言わなくても良いのにさ」
「いや、事のついでだったんだが。まさしく」
他に何があるという。
言ってから少々きつすぎたかと思ったがフランドールは幸いにも大したダメージを受けてはいないようだった。
むー、と拗ねた表情はしているが、あきらめはついているようである。
「香霖堂には事のついででも、私は結構楽しみにしてるんだよ」
「何故だか理由がさっぱり分からないのだが」
二日前、星を見に来たなどとご機嫌な様子でやってきたフランドールを見た時は、正直頭のねじが吹き飛んだかと思ったものである。
だがフランドールは僕の疑問など無視して、ほらっ、と何かを服の中からひっぱりだしてきた。
もこもことしたやけに大きな灰色の毛糸の塊が一つ、それよりやや小さな毛玉が二つ。
「香霖堂が寒いとか文句言いそうだからあいつに習って手袋もマフラーも用意してたんだよ?」
見れば、フランドールの手はちくちくと小さな傷がたくさんついている。
頑張ったんだな……、一瞬そういう温かな気持ちが流れたが、まてよ、とすぐに疑問が流れてくる。
「待て、ちょっと待ってくれフランドール」
「な、なに?」
やや真剣な調子に臆したのかもしれない、怒られると思ったのかも知れない。
フランドールは身体を縮めて上目遣いに僕を見上げてくる。
だが構わずに尋ねる。
「どうして、吸血鬼の君の手に、そんなに一杯傷が残っているんだ?」
それは、とフランドールが少し恥ずかしそうに答えた。
「妖怪がいっぱい来て迷惑だって香霖堂がよく言ってたし……。
あと、お守りの意味もこめて……銀の針とか妖怪が苦手そうなもの色々集めて縫ったから、刺してもなかなか治らなくて」
きっと、フランドールは必死だったのだろう。
弱い僕を見て、妖怪から身を守る道具を送れば喜ばれると思ったのだろう。
半人半妖というちょっと変わった特性には考えが及ばなかったに違いない。
それでも必死で頑張ったのだろう。
出来る限りの努力をしたのだろう。
ただひたむきに、だ。
僕は二つの毛玉と一つの大きな毛糸のからまった塊を持ち上げた。
塊の方は引っ張ってみても糸が解れることなく意外と強固に出来ていることが分かる。
不格好なことさえ気にせねば十分マフラーの役目を果たすだろう。
二つの毛玉はミトンのような形になってしまってはいるし、確かに少し小さすぎるきらいはあるが、
それでも使えないというほどのものではない。
理由は知らないがそれほどまでに、ここから星を見るのを楽しみにしていたのだろう。
全く、こういう無理難題をふっかけられるのが僕の常である。
不幸なのか、それともとんでもない果報者なのか、はてさて……。
僕はきょとんとするフランドールから無造作に毛玉三つを受け取って、顔を合わせないようにして彼女に背を向けた。
「ちょっと待っていてくれ。星ではないが……
もしかしたらもっと凄い、もっと綺麗なものを見せてあげられるかもしれない。
――魔理沙にすら見せたことがない、秘蔵の品だ」
商人根性がすわっていないのはいつものことだ。
そう自分に言い聞かせ、靴を引っかけて僕は薄ら寒い倉庫へと向かった。
わあっ、という歓声がただ一度だけ響いてあとは沈黙が降りた。
これのすばらしさを知っている筈の霖之助ですら改めて口をぽかんと開いたまま上を見上げる始末だった。
明かりを消し、すっかり暗くなった部屋に写し出されているのはあの憎たらしい雲の向こうに輝いているであろう星空だ。
それも、この日、この時に輝いているものと寸分違わぬ、である。
フランドールも随分驚いているようだ。霖之助が見ている事に気がつくと、ぼんやりと彼の方に視線を移してきた。
気取ったように小さく笑みを作って霖之助が言う。
「気に入ったかい?」
こくん、と惚けたようにフランドールは頷いた。そりゃ良かった、とだけ返事をして霖之助も「空」を見上げる。
今ここに射影されているのは確かに偽物の空には違いない。
どれだけ綺麗でも、どれだけ壮麗でも偽物には違いない。
それでも小さな吸血鬼にとっては、紛れもない本物だった。
沈黙がじわじわと香霖堂を覆っていく。
いつもの気の緩んでしまうような和やかな沈黙ではない。
もちろん、店主の偏屈さのせいでたまに生まれてしまうちょっときつい沈黙でもない。
そうだ、と霖之助は思い出した。
確か、あの子はあの時こんな表情をしていたんだ、と。
その頃を霖之助が思い出そうとした時、ぽつりと言葉が落ちた。
「魔理沙が……すっごく楽しそうに言うんだ」
思わず霖之助はフランドールの方を見やった。
自分が今まさに思い出そうとしていた少女の名前が出たからだ。
「あの時の流星祈願会は最高だった。
あれで私の魔法使いとしての方向が変わったんだぜ、って。
それで、私も香霖堂に星空を見せて貰えれば何か変われるのかなって思って……」
それでこんなに星空を見たかったのか、と霖之助は腑に落ちた気持ちだった。
この子にもいろいろと悩みはあるんだろう。
変わりたいという欲求は誰にでもあるものだ。
そんな時、魔理沙の誇張たっぷりの夢物語を聞いてしまえば、誰であれ期待してしまうに違いない。
だが一体この子はどうして変わりたいなどと思い、
そしてどんな風に変わりたいのだろうという個人的な好奇心を霖之助は抱いた。
しかし、それは口に出して訊いてみる事ではないと思い、代わりに絶対の自信と共に腕を組んで、フランドールに尋ねた。
「それで、君はこの星空を見て何か思うところはあったのかい?」
小さな首をフランドールがこくん、と縦に動かすのを見て、ならいいさ、と霖之助は満足そうに頷いた。
自分の持ち物、そして自分自身に絶対の自信が無ければ出来ない態度だった。
そんなところがなんとなくどこかの誰かを彷彿とさせて、
「魔理沙のオリジナルって、ここに居たんだね」
思わずそんな事を呟くフランドールに、ああ、と霖之助は頷いた。
「星空は、確かに魔理沙の原点だね」
そういう意味じゃないんだけど、と思い、間違いをただそうとした時、ようやくちょっとした異変にフランドールは気がついた。
もこもことした不格好なマフラーの出来損ないと、毛玉にしか見えない手袋を、霖之助は無理矢理に身につけていたのだ。
フランドールは、嬉しいやら恥ずかしいやらで、慌てて霖之助に近寄って、ぽん、と胸の辺りを軽く右の握り拳で叩いた。
「そんなの付けてても格好悪いし……部屋の中じゃあ意味無いよ?」
霖之助は多分、その言葉に同意しようとしたのだろう。
一度口を開こうして、そして何故か口を閉じて小さく首を横に振った。
何も言わないつもりだろうか。
そう思った矢先、ちょっとだけ乱暴な力で小さな頭がなでつけられた。
思わず視線が下がって霖之助の顔が見えなくなった時、
「そんな事はないさ」
という小さなつぶやきがぽつりと漏れたのを確かにフランドールは耳にした。
それだけで、すごく報われた気がした。
本当の星空を見ることが出来たわけじゃないのに、思っていたよりずっとずっと幸せになれた気がした。
霊夢の二番煎じじゃない。
魔理沙の二番煎じでもない。
この空は。
この不思議な道具で作られた、ひょっとしたら幻想よりも幻想的なこの空だけは、自分の空だ。
不思議な店の主がくれた、すごく素敵なプレゼントだ。
フランドールは、そっと顔を上げてみた。
そこにはもう、いつもの仏頂面の彼が居た。
それでも、その顔に少しだけ照れが見てとれるのが分かり、
なんとなく嬉しくて、またぽん、と彼の胸を叩いてみたりした。
全く、やれやれだ。
そんな聞き慣れた溜息が零れるのを聞くのが、何故だろう。とても嬉しかった。
雲の上で、ふふ、と小さな笑い声が空に溶けて消えた。
その声の主は少し禍々しいこうもりのような羽をばさり、と一度はためかせて笑った。
「妹に素敵な夢を見せてあげるのも、姉のつとめというものよねえ。
ま、苦労したかいがあったってところかしら。
全く……毎度毎度怒られる私の気もしらないで楽しそうに。ああめんどくさい。咲夜の説教はねちっこいのよねえ」
小さく風が吹いた。それに溶けるようにして、声も、姿も、暗い空に紛れて消えた。
雲の上では、変わりなく星が照っている。
だけれど今夜だけは、それを待ちこがれる少女はいないようだった。
この豪雪続きで憂鬱になってしまいそうな気候条件の中、
まるで通い妻か何かのように悪魔の妹、フランドール・スカーレットがやって来るのだ。
常連客は店に入り、フランドールの顔を見るなり背を向けて出て行ってしまうので、
この子が来る日は店を閉じるという苦肉の策をとらざるを得ない結果となってしまっている。
僕はコーヒーを啜り、コツコツと卓袱台を叩いた。
「それで、フランドール」
「んー?」
こてんと首を傾げる姿が可愛らしいがそれに免じてこの苦境に甘んじていては大人物になる日は遠いだろう。
吸血鬼に構っている暇など本来は無いのである。
この状況には若干の苛立ちすら覚えるほどだ。
「何故君はこう毎日毎日ここに来るんだい? 紅魔館で何か嫌なことでもあったのか」
「別に。ただ今日は晴れるかなあって思ってここに来てるだけだよ」
「そうかい」
晴れると何があるというのだろう。
雪玉遊びでもしたいのだろうか。
勘弁してもらいたいものである。
そんなアクティブで幼稚な遊技に付き合う義理も時間も無い。
もし晴れた時は何やかやと理由を付けて適当に追い払ってしまおう。
ただ、部屋の中でごろごろしているぶんには大人しい子である。
商売あがったりであるのはいつもの事なので気にすることはない。
それでも邪魔な事には代わりが無いので苦し紛れに言ってみる。
「フランドール。家の人の許可はもらってきたのかい?」
問うと、案の定フランドールは言葉に詰まったが、
「たぶん大丈夫」
とやけに自信ありげな表情で答えた。
僕はただそうかい、とだけ呟いて本に目を戻したのだが、フランドールは何故か視線をこちらに向けたままだ。
ごにょごにょと手混ぜをして何か言いたげである。
恐らく、ここに来ても大丈夫な理由とやらを教えたいのだろう。
別に興味は無いのだが放っておくのもなんなので尋ねておくことにした。
「それで……どうしてここに来ても大丈夫なんだ?」
うん、実はね、と案の定フランドールは満面の笑みになった。
扱いやすい子である。
これで香霖堂を訪れないのなら言うことなしの百点満点なのだが。
「咲夜とかはやっぱり駄目駄目って言ってなかなか一人で外に出してくれないんだけど、
誰も居ない時を見計らってあいつが来て連れ出してくれるようになったんだ」
あいつ。
一瞬魔理沙を思い浮かべたが、この子があいつというのはただ一人である。
「レミリアかい?」
「うん。もし私が大暴れした時は香霖堂を再建不可能なまでに叩き潰すだけだから存分に遊んで来いって」
レミリアの嫌らしい笑顔が脳裏に浮かんだ。
きっとあの子は腕を組んで少しだけ身体を宙に浮かせ、尊大な態度でそのような事を言ったのだろう。
「つまり、保護責任は香霖堂が負えと……そういう事か」
頭痛がしてきた。
ここは女子専用の溜まり場でもなければ託児所でもないというのに。
香霖堂は道具屋だ。誰かそれを理解してくれる者は居ないのだろうか。
フランドールは僕の不愉快な感情が伝わったのだろう、こちらを見上げてから言う。
「やっぱり迷惑かなあ」
少しだけ不安が滲んだ声の調子である。
ワガママの具現とでも言うべき吸血鬼にも遠慮という感情はあるのかと半ば感心しながらこちらも口を開く。
「まさか三日目にしてそれに気がつくとはね。
君が来るたびに溜息を吐いて意思表明をしていた僕の気持ちを少しは酌んでくれないかな」
「う……ごめん。今度からちょっと考える」
「ああ、存分に考えてくれ」
本を卓袱台に置き、ごろんと畳に転がって疲れを全てはき出すように大きく大きく溜息を吐いた。
このままでは過労死してしまいそうだ。
きっと今太陽が輝いていればそれは黄色に見えるに違いない。
永遠亭の門を叩けば、問答無用で面会謝絶の救急治療室送りにされてもおかしくないほどに疲労がたまっている。
フランドールはうむむ、と難しい顔をして唸っていたのだがやがてごろんとこちらに身体を倒してきた。
僕は横になったまま横転してそれを回避する。
「ねー、香霖堂」
「寄るな」
羽のために回転の遅いフランドールと違い、僕は畳での横転のプロフェッショナルである。
霊夢と魔理沙のごろごろ挟み撃ちを見事に退けたくらいだ。
たしかあのときは魔理沙を踏みつけにしてそのまま転がりつづけ、見事に奥の間から脱出したのだったか。
とにかく、フランドールの稚拙な追跡をまくことなど造作ないということだ。
「香霖堂、聞いてよ。すごい頭良いこと思いついたんだよ」
「君に今できる一番の知能行動はその横転を止めることだ」
「でも香霖堂逃げるし」
「君が追うからだろう! 何故追う!」
「むー……なんでだろ」
ごろん、と最終的に腹這いになってフランドールは首を傾げた。
どうやら追跡は止めたようなので一安心である。
僕も身体の向きをぐるりと変えて彼女に対面することにする。
まだ息が荒い。
こんなに動いたのは久方ぶりだ。
ふと視線を上げるとフランドールがくすくす笑っていた。
「変な顔」
「出口はあっちだよ」
「……ごめん」
目下最強の一撃である「出口はあちら」発言はなかなかの汎用性を誇り、
紫、幽香など一部を除く大抵の訪問客に効果がある(但しストーブの火が点っていなければ効果は激減だ)。
フランドールも例外ではなく生意気な口はつつしむことにしたようだ。
「さて、じゃあ僕は寝るからそれまで勝手にしておいてくれ」
「うん」
フランドールは素直に頷くと、ぼけー、とした顔で僕を見つめていた。
別に気にならないのでそのまま目をつむってここちよい暖かさに身を任せようと思う。
ぱちぱちという火の爆ぜる音、古くさい畳の匂い、時折寝返りによって生じる衣擦れの音。
そして気怠げな室内の薄暗さがゆっくりとゆっくりと睡眠欲を刺激してくる。
あまりの幸福に頬が緩みかけたその時。
「こ、香霖堂っ!」
顔を蹴られた。
常人には耐えられそうもない衝撃と共に僕の身体は爪先を軸に持ち上がり、九十度の弧を描いた。
つまり、腹這いに倒れていた幸せな状況から突如、直立不動のとても不幸せな状況に移行させられたということだ。
不愉快だ。非常に不愉快だ。痛む顔を押さえながらあちこち見渡す。だが目的の品は見つからない。
「炒り豆はどこだ……」
「ご、ごめん。強く蹴ったつもりじゃなかったんだけど」
「許さないよ。君もめでたく香霖堂のブラックリスト入りだ。良かったね」
ぱら、と手帖を開いてフランドールに見せてやる。
ぎっしりと名前が書き込まれたそれを見てこの子はさあっと青ざめる。
それが僕のシナリオだった。
しかし、それとは逆にこのおてんば吸血鬼はとても嬉しそうな顔になった。
「香霖堂の友達の名前がいっぱい書いてあるね!」
はっとして手帖を見直す。一番上の段に書いてある名は霧雨魔理沙、その次が博麗霊夢。
確かにこれではお友達手帖と思われても致し方ないのかも知れない。
だが僕としてはわざわざ朱を用いて記した八雲紫の名前に注目して欲しかったのだが。
わざわざ楕円で名前を囲い、その上で要注意、とまで追記した力作だ。
魔理沙と霊夢の二人にはそれこそ絶賛ものだったのだが……。
まあそれは置いておいて、だ。
思った以上の効果が得られなかった役立たずのブラックリスト(とは名ばかりの手帖)を放り投げ、
どかりと卓袱台の横に座りなおしてあぐらを組む。このままでは話が進まない。僕が折れるしかなさそうである。
「それで、フランドール」
「ん?」
フランドールは僕を蹴り上げておきながら、
罪悪感一つ感じていないのかふたたびごろりと横になるとストーブの前を陣取って僕を見上げてきた。
段々とこの奥の前での戦い方が分かってきたらしい。
ここではスペルカードルールにおける決闘と同等の厳しい戦いが繰り広げられるのだ。
そして今回は残念ながらこちらの負けのようである。
無論、先輩として勝ちを譲っただけであり、実力での彼我の優劣は語るまでもない。
「君がさきほど言っていた頭の良いことというのはなんだ」
ああそうそう、と急にフランドールは和んだ口調になった。
恐らくストーブの魔力にとりつかれたのだろう。
奴の射程範囲に入ると動く気力が根こそぎ奪われる。
こたつ程の威力は無いがちょっとしたつまみを焼いたり、酒を温めることができたりと、
物さえ用意しておけばその汎用性は抜群である。
無論、ストーブの上に何も無くとも吸血鬼一人捕らえることなど造作もない。
この僕にとっては妖怪の動きを封じ込めることなど朝飯前なのである。
あまりに容易いので自慢する気にもならない。
フランドールはこのまま喉でも鳴らすのではないかと思うほど間の抜けた表情で、
しかしとんでもない事を言い出した。
「先ずさあ……香霖堂でお月見したいから雲を吹っ飛ばすでしょ?」
「……はあ?」
でね、とフランドールの言葉は続く。
とんでもなく馬鹿な話になりそうなので僕はのそのそとストーブまで這っていき、
フランドールの羽を掴んで退かせ(その際吸血鬼は何とも言えない悲鳴を上げた)、
良い具合に焼けた豆餅をとって卓袱台に置く。そして一つとって口に含んだ。
なかなかの味だ。神々と親交を深めるのも悪くない。
フランドールの与太話は続く。
「次に星空を見たいけど月は邪魔だから月も壊すの。
そしたら一日で星も見れて月も見れるから香霖堂に迷惑かからないよ?」
「そこまでにしておくといいよ、お天気吸血鬼。
月に喧嘩を売るのは機が熟してからだ。
この僕にとっては月の住民など大した障害じゃあないが、
それでもやはりなめてかかっていい相手ではないのは確かだ」
フランドールはふうん、と感心したように息を吐いた。
「月の民って強いんだ。なんかうさぎがぺったんぺったん餅ついてるだけみたいな感じがするけど」
「超高速餅つき技術があるんだよ、あそこには。
ありとあらゆるものを餅にする程度の能力だってあるかもしれない。
フランドール、君は餅になりたいか?」
ふるふる、と彼女は首を横振った。
「私は餅よりおすもうさんになりたいなあ」
「……今度来る時は是非君の姉を随伴してくれ。話し合いたいことが山ほどある」
僕も手遅れにならないうちに魔理沙の将来の夢を聞いておいた方がいいかも知れない。
そんな事を思ってスルメをぱくついていたのだが、ふと気づいてみるとどうにもフランドールの様子がおかしい。
ぷく、と頬を膨らませたまま黙り込んでいるのだ。
ここに来る客には良くあることであるので決して慌てる事はない。
原因がよく分からなかったが、少し考えてみると思い当たる節はあまりないことに気がついた。
とりあえずその中で最も確率が高そうなものを拾い上げて尋ねてみる。
「……どうしても星空を見たいのかい?」
フランドールは黙ったままだ。黙ったままだけれどこくりと大きく頷いた。
「だけど月が邪魔だし」
永遠亭の連中にはフランドールに注意するよう魔理沙からよく言い聞かせておいた方がいいかも知れない。
もしものことがあったら双方ただでは済むまい。
いや、あちらには八意永琳が居ることであるし、紅魔館にはレミリア・スカーレットも居る。
案外穏便に済ませるかも知れない。
後者は少々頼りない気もするが。
……現実逃避をしている場合ではない。
とりあえず今はフランドールの事を考えてみよう。
彼女はどうしても星が見たいという。
だが外は豪雪であり、とてもではないが夜空を楽しむことなど出来はしないだろう。
雲を突き抜ければ話は別だろうがそんな事をする奴には風情がないと言わざるを得ない。
一応、フランドールが喜びそうな代用品を思いついてはいる。
だが、あれはとても面白い品なので他人に知られたくはない。
知られれば間違いなくあの調子の良い鴉天狗がやってきて記事にしてしまう。
あれは水煙草よりも遙かに女性向けであろうし、知られればあれやこれやとしている内に買い占められてしまうかもしれない。
無論僕とて死守するつもりだが八雲紫がストーブの燃料を交換条件に出してくれば抵抗手段は皆無だ。
やはり吹雪が過ぎ去るまではこの無情な鉄面皮を維持しておくのが良策だろう。
そう思い、ひょいとザボン漬けを手にとり口に含む。
……不味い。これは少々酸味が強すぎた。人に出すならもう少し酸味が抜けてからにしろという。
最近は貰い物ばかり食べている身が言うのも何であるが。
フランドールもあきらめがついたのかしゅんとした表情でこっちに這ってくるとざぼん漬けを手にとって口に含み、硬直し。
「……うぇえ」
泣きそうな顔になった。
失意の内に甘い物でも口に入れようと思ってこれである。
傷口に塩を塗るような仕打ちだ。フランドールは非難がましい表情でこちらを見上げてきた。
「なんでまずいって言ってくれないのさ……」
「君が食べるとは思わなかったからね。
それからフランドール。
分かっているとは思うし、僕もずいぶん時間を延ばしてやったけど――」
びく、と小さな肩が震えるのが分かった。
だけれどもここは心を鬼にするところである。
「実はそろそろ君は帰らないといけない時間だ。すっかり日が暮れてしまっているよ。
レミリアもきっとそういう事をきちっとすると思ったから外出を許したんだろうしね」
その言葉を聞いて、ますますフランドールはむくれたようだった。
「そんな事のついでみたいに言わなくても良いのにさ」
「いや、事のついでだったんだが。まさしく」
他に何があるという。
言ってから少々きつすぎたかと思ったがフランドールは幸いにも大したダメージを受けてはいないようだった。
むー、と拗ねた表情はしているが、あきらめはついているようである。
「香霖堂には事のついででも、私は結構楽しみにしてるんだよ」
「何故だか理由がさっぱり分からないのだが」
二日前、星を見に来たなどとご機嫌な様子でやってきたフランドールを見た時は、正直頭のねじが吹き飛んだかと思ったものである。
だがフランドールは僕の疑問など無視して、ほらっ、と何かを服の中からひっぱりだしてきた。
もこもことしたやけに大きな灰色の毛糸の塊が一つ、それよりやや小さな毛玉が二つ。
「香霖堂が寒いとか文句言いそうだからあいつに習って手袋もマフラーも用意してたんだよ?」
見れば、フランドールの手はちくちくと小さな傷がたくさんついている。
頑張ったんだな……、一瞬そういう温かな気持ちが流れたが、まてよ、とすぐに疑問が流れてくる。
「待て、ちょっと待ってくれフランドール」
「な、なに?」
やや真剣な調子に臆したのかもしれない、怒られると思ったのかも知れない。
フランドールは身体を縮めて上目遣いに僕を見上げてくる。
だが構わずに尋ねる。
「どうして、吸血鬼の君の手に、そんなに一杯傷が残っているんだ?」
それは、とフランドールが少し恥ずかしそうに答えた。
「妖怪がいっぱい来て迷惑だって香霖堂がよく言ってたし……。
あと、お守りの意味もこめて……銀の針とか妖怪が苦手そうなもの色々集めて縫ったから、刺してもなかなか治らなくて」
きっと、フランドールは必死だったのだろう。
弱い僕を見て、妖怪から身を守る道具を送れば喜ばれると思ったのだろう。
半人半妖というちょっと変わった特性には考えが及ばなかったに違いない。
それでも必死で頑張ったのだろう。
出来る限りの努力をしたのだろう。
ただひたむきに、だ。
僕は二つの毛玉と一つの大きな毛糸のからまった塊を持ち上げた。
塊の方は引っ張ってみても糸が解れることなく意外と強固に出来ていることが分かる。
不格好なことさえ気にせねば十分マフラーの役目を果たすだろう。
二つの毛玉はミトンのような形になってしまってはいるし、確かに少し小さすぎるきらいはあるが、
それでも使えないというほどのものではない。
理由は知らないがそれほどまでに、ここから星を見るのを楽しみにしていたのだろう。
全く、こういう無理難題をふっかけられるのが僕の常である。
不幸なのか、それともとんでもない果報者なのか、はてさて……。
僕はきょとんとするフランドールから無造作に毛玉三つを受け取って、顔を合わせないようにして彼女に背を向けた。
「ちょっと待っていてくれ。星ではないが……
もしかしたらもっと凄い、もっと綺麗なものを見せてあげられるかもしれない。
――魔理沙にすら見せたことがない、秘蔵の品だ」
商人根性がすわっていないのはいつものことだ。
そう自分に言い聞かせ、靴を引っかけて僕は薄ら寒い倉庫へと向かった。
わあっ、という歓声がただ一度だけ響いてあとは沈黙が降りた。
これのすばらしさを知っている筈の霖之助ですら改めて口をぽかんと開いたまま上を見上げる始末だった。
明かりを消し、すっかり暗くなった部屋に写し出されているのはあの憎たらしい雲の向こうに輝いているであろう星空だ。
それも、この日、この時に輝いているものと寸分違わぬ、である。
フランドールも随分驚いているようだ。霖之助が見ている事に気がつくと、ぼんやりと彼の方に視線を移してきた。
気取ったように小さく笑みを作って霖之助が言う。
「気に入ったかい?」
こくん、と惚けたようにフランドールは頷いた。そりゃ良かった、とだけ返事をして霖之助も「空」を見上げる。
今ここに射影されているのは確かに偽物の空には違いない。
どれだけ綺麗でも、どれだけ壮麗でも偽物には違いない。
それでも小さな吸血鬼にとっては、紛れもない本物だった。
沈黙がじわじわと香霖堂を覆っていく。
いつもの気の緩んでしまうような和やかな沈黙ではない。
もちろん、店主の偏屈さのせいでたまに生まれてしまうちょっときつい沈黙でもない。
そうだ、と霖之助は思い出した。
確か、あの子はあの時こんな表情をしていたんだ、と。
その頃を霖之助が思い出そうとした時、ぽつりと言葉が落ちた。
「魔理沙が……すっごく楽しそうに言うんだ」
思わず霖之助はフランドールの方を見やった。
自分が今まさに思い出そうとしていた少女の名前が出たからだ。
「あの時の流星祈願会は最高だった。
あれで私の魔法使いとしての方向が変わったんだぜ、って。
それで、私も香霖堂に星空を見せて貰えれば何か変われるのかなって思って……」
それでこんなに星空を見たかったのか、と霖之助は腑に落ちた気持ちだった。
この子にもいろいろと悩みはあるんだろう。
変わりたいという欲求は誰にでもあるものだ。
そんな時、魔理沙の誇張たっぷりの夢物語を聞いてしまえば、誰であれ期待してしまうに違いない。
だが一体この子はどうして変わりたいなどと思い、
そしてどんな風に変わりたいのだろうという個人的な好奇心を霖之助は抱いた。
しかし、それは口に出して訊いてみる事ではないと思い、代わりに絶対の自信と共に腕を組んで、フランドールに尋ねた。
「それで、君はこの星空を見て何か思うところはあったのかい?」
小さな首をフランドールがこくん、と縦に動かすのを見て、ならいいさ、と霖之助は満足そうに頷いた。
自分の持ち物、そして自分自身に絶対の自信が無ければ出来ない態度だった。
そんなところがなんとなくどこかの誰かを彷彿とさせて、
「魔理沙のオリジナルって、ここに居たんだね」
思わずそんな事を呟くフランドールに、ああ、と霖之助は頷いた。
「星空は、確かに魔理沙の原点だね」
そういう意味じゃないんだけど、と思い、間違いをただそうとした時、ようやくちょっとした異変にフランドールは気がついた。
もこもことした不格好なマフラーの出来損ないと、毛玉にしか見えない手袋を、霖之助は無理矢理に身につけていたのだ。
フランドールは、嬉しいやら恥ずかしいやらで、慌てて霖之助に近寄って、ぽん、と胸の辺りを軽く右の握り拳で叩いた。
「そんなの付けてても格好悪いし……部屋の中じゃあ意味無いよ?」
霖之助は多分、その言葉に同意しようとしたのだろう。
一度口を開こうして、そして何故か口を閉じて小さく首を横に振った。
何も言わないつもりだろうか。
そう思った矢先、ちょっとだけ乱暴な力で小さな頭がなでつけられた。
思わず視線が下がって霖之助の顔が見えなくなった時、
「そんな事はないさ」
という小さなつぶやきがぽつりと漏れたのを確かにフランドールは耳にした。
それだけで、すごく報われた気がした。
本当の星空を見ることが出来たわけじゃないのに、思っていたよりずっとずっと幸せになれた気がした。
霊夢の二番煎じじゃない。
魔理沙の二番煎じでもない。
この空は。
この不思議な道具で作られた、ひょっとしたら幻想よりも幻想的なこの空だけは、自分の空だ。
不思議な店の主がくれた、すごく素敵なプレゼントだ。
フランドールは、そっと顔を上げてみた。
そこにはもう、いつもの仏頂面の彼が居た。
それでも、その顔に少しだけ照れが見てとれるのが分かり、
なんとなく嬉しくて、またぽん、と彼の胸を叩いてみたりした。
全く、やれやれだ。
そんな聞き慣れた溜息が零れるのを聞くのが、何故だろう。とても嬉しかった。
雲の上で、ふふ、と小さな笑い声が空に溶けて消えた。
その声の主は少し禍々しいこうもりのような羽をばさり、と一度はためかせて笑った。
「妹に素敵な夢を見せてあげるのも、姉のつとめというものよねえ。
ま、苦労したかいがあったってところかしら。
全く……毎度毎度怒られる私の気もしらないで楽しそうに。ああめんどくさい。咲夜の説教はねちっこいのよねえ」
小さく風が吹いた。それに溶けるようにして、声も、姿も、暗い空に紛れて消えた。
雲の上では、変わりなく星が照っている。
だけれど今夜だけは、それを待ちこがれる少女はいないようだった。
フランドールもちょっとづつ成長していくんだろうなぁ
そして店主もその姿を見て色々と気づいていくといいよ
こんなニヤニヤさせてくれるとは…あなたは体を大切にしながら作品を作り続ける事を命じます。それがあなたの善k
>霊夢と魔理沙のごろごろ挟み撃ちを見事に退けたくらいだ。
くだらないけど、微笑ましすぎるw
いや、正直に言うと感動しました。キャラが生き過ぎていて、若干羨ましいぐらいです。
ホントにフランがかわいいです。
ここまでうまく書けると次の作品が楽しみです。
まぁこういうコメントがプレッシャーになったりするかもしれませんがあなたはあなたの思う世界を書いてください。
コメントに左右されて今の作品の色を失ってほしくないんで。
このほのぼのとしてて、またちょっと微笑ましい行動をする二人を
見てると自然と口元が緩む。
とても面白かったですよ。
だがそれでこそ霖之助、妬ましくも大好きなニクい奴ですw
それにしてもフランが可愛いすぎます、責任とってもっと続けてください。
確かに魔理沙は自分が素晴らしいと思ったことを思ったがままに聴かせてくれると思う
すると霖之助もそれに答えねばならないわけで…ああ苦労人。
描写の一つ一つにロマンチックを感じずにはいられない。
その全てがおりなすとっても心温かいお話でした
3秒後に「ぼんっ」でも悔いはない
読んでいて暖かい気持ちになりました。
やっぱりこう言う幻想郷らしい、東方香霖堂らしい話は大好きや~
フラン万歳、香霖万歳、カリスマ万歳
呼んでいて楽しいです。
これからも香霖堂でのいろんな話を読ませてほしいです。
畳での横転の場面は想像すると笑えた。
レミリアの気遣いにじーんとした。
ひどいっ、ずるいっ、もっと書けっ!
お姉さま公認なら、フランが霖乃助をご招待とかもありそうでwktkですw
のとこでグッときた
あなたの作品を読めてよかった。
なんとなく絶対で可憐な三人組の保護者を思い出すなーw
しかもレミリアもいいキャラにwww
次は神綺×霖でやってくれるとうれしいです
いいなあ、これはいいなあ・・・こんな作品書けたらいいなあ・・・と、思うんですけどね?。
・・・どーもギャグに走ってしまうなあ。
しぐさの一つ一つがかわゆすぎて死ぬ。
店主のひねくれ具合が萌えるw
どうしようもなくこの二人のいちゃいちゃがかわいいので死ぬ。
もう耐え切れない!
いいじゃないか香霖、嫁にしてしまいなよww
それにしても雰囲気が凄く良い。
フランも霖之助もレミリアも個性がよく出ている良い作品でした。
霖之助、お前ほどの幸せ者はいないだろう
良いお話をありがとうございます。
勝ちを譲ったとか月など取るに足らないとか意地っ張りな霖之助さんも、
一生懸命努力する子にはほとほと弱いようで。
2人のゆるい関係の今後が楽しみです♪