幸せの青い妖精(後編)
「うかない顔してるわね。今日はどうしたの?」
パチェは機嫌がよさそうで、いつもより柔らかな表情を見せながら、あたいより少し離れたところに座って本を読んでいた。小悪魔のいれてくれた紅茶を飲みながら。
ケサランパサランが二匹に増えてから、七日後の夕方。大ちゃんが帰ってしまった後で、あたいは砂糖がもうなくなっていることに気付いた。ちょっと自分でなめすぎたかな。大ちゃんを呼びに行くのも面倒だったので、一人で紅魔館へ行くことにした。大ちゃんがいないのに忍び込んで図書館にたどり着けるか微妙だったので、正直に美鈴に相談したら、「あ、いいですよ」とあっさり通してもらえたのだ。しかも小悪魔の案内付き。どうしてなのかはよくわからないけど。ケサランのおかげかも。
「ケサランパサランって、増えるんだね……」あたいは膝の上でじっと動かないケサランを見ながら、ゆっくりと言葉を探した。少し、頭の中がぐちゃぐちゃしていて、どうにもまとまりがつかない。
「ええ、増えるわね」パチェは相変わらず穏やかな声。
「どうして増えるの?」自分でも妙な質問だな、と思いながら、あたいは尋ねてみることにした。
「さあ、どうしてかしら? 少なくとも、方法は別として、繁殖をするのは生物として当たり前のことだと思うけど。ケサランパサランの場合は、増殖と言ったほうがいいかもしれないけどね」
「なんであたいたちみたいに、こう……なんていうのかなあ……増えたりなんかしないで、ずっと同じ格好を何回も繰り返さないの?」駄目だ。自分でもうまく説明できない。
それでもパチェはなんとなく察してくれたみたいで、カップを置いてこちらに向き直った。
「そういえば、あなたは氷の妖精だったわね……忘れていたわ。あなたが言ってるのは、妖精はある一つ、あるいはそれ以上の自然物の象徴的存在であり、たとえ死んでもまた同じ象徴的な姿を象って転生する。そういうことね?」
「うーん、よくわからないけど、なんかそんな感じ」
「そして、ケサランパサランはなぜ一匹だけで存続していくのではなく、増殖をしたりするのか……そう、私も昔、それについて考えたことがあるわ」
パチェの口調がだんだん芝居っぽくなってきたような気がする。こういう時だけ無駄に生き生きとしてるんだよなあ。
「私は前に、あなたに『ケサランパサランは幸福の象徴だ』って言ったわね。でも、あなたたち妖精とは程遠い。妖精は自然物の象徴だけれど、ケサランパサランは、幸福、つまり人間によって生み出されたものの象徴。人間の欲望が尽きることを知らないように、ケサランパサランもまた、留まるところを知らずに増殖を続けるの」
興が乗ってきたのか、パチェは立ち上がると、そこら辺をうろうろと歩きはじめた。座ればいいのに。
「これは、前に飼っていた経験から言うのだけれど、ケサランパサランは、ある特定の個体に目を向けると、一回きりしか増殖しない」
「ん? どういうこと?」
「つまり、あなたのそのケサランパサランは、もうこれ以上増えたりはしないってことよ」パチェは近くまで来て、あたいの膝の上のケサランをじっと見つめた。「一匹しかいないようね。増えた方の一匹はどうしたの?」
「大ちゃんにあげた」
「そう……ならば、彼女のケサランパサランは、餌を与え続ければ、きっと増殖するでしょうね。彼女にあげたのはいつ?」
「七日前だよ」
「ならば、もう結構増殖してるわね、きっと。私の時は、普通に育てて大体二日くらいで増えたから。しかも何故か、オリジナルから離れるにつれて増殖のスピードは速くなる……あなたがうかない顔をしてるのは、もしかして、そのあたりの事情に起因してるんじゃないのかしら?」
キイン、って言葉はよくわからないけれど、なんだかもやもやした気分になってるのは、今日ここに来るまでに見た光景のせいだった。
あたりはもうオレンジ色に暮れかけていて、あたいはなるべく暗くなる前に紅魔館へ行こうと思ってたんだけど、その途中で、気になるものがちらりと目に入った。
七日前、ケサランパサランが二匹に増えたあの日に、あたいと大ちゃんを遠巻きに見ていた妖精連中が、湖の岩場のところに集まって何かを見せ合っていた。それぞれが持つ丸い瓶の中に入っていたのは、まぎれもなくケサランパサランだった。遠目に数えてみたところ、ざっと二十匹くらいに増えていたと思う。
あたいのケサランは、パチェの言った通りそれ以上増えたりはしなかった。でも大ちゃんのパサランは、やはり増えたのだろう。あたいと大ちゃんだって四六時中一緒にいるわけじゃない。七日前あたりまでは、大ちゃんがケサランのことを気にかけていたこともあって、毎日遊んでいたけれど、それからはあまり会わなかった。たぶん、自分のパサランの世話に夢中になってるんだろうな、と思って、あたいも特に気にしていなかったのだけれど。今日大ちゃんと会ったのは、実は五日ぶりだったのだ。
そして、今日見たケサランパサランの数。あたいの以外にケサランパサランのオリジナルがないのだとしたら、たぶん、あの妖精たちが持っていたのは、大ちゃんのパサランが増えたものだろう。
「前も思ったけれど、ケサランパサランというのは、つくづく暗示的な存在だわ。オリジナルを手にした者が、誰かと幸福を分かち合おうとして、増殖したケサランパサランをあげてしまうと、他人の手にどんどんそれが渡っていくのを眺める羽目になる。しかも、自分のケサランパサランは二度と増殖しない。友人と分かち合おうとした幸福が、知らない第三者たちに広まってしまうケースも多いわ」
パチェは一人で喋り続けている。そして、こちらをじっと見て、
「あなたはなにを思って、彼女にケサランパサランを渡したのかしら?」
と、ゆっくりと、深みのある声で尋ねた。
ああ、なんというか。
やっぱり芝居くさい。
「んー、なんで渡したのっていうかさぁ、まだあたいには幸せってなんなのかわかんないよ。大ちゃんは暖かいものって言ってたけど、どう考えたってあたいには冷たいものの方が気持ちいいんだし。まあ、もしケサランがあたいを幸せにしてくれるっていうんなら、そりゃあたいだって幸せになってみたいし、うーん、でもわっかんないなあ。楽しいのが幸せなのかな? だったら、ケサランと一緒に遊んだのはすっごく楽しかったから、もうあたいは幸せってことなんだよね? ピンと来ないけどさ。あたいはただ、パサランをあげたら大ちゃんが喜ぶだろうなって思っただけ」
あたいは出来るだけ早口に、パチェに口を挟ませないように喋った。妙に真面目くさい空気は苦手なんだよね。パチェって面白い人なんだけど、そのあたりにはちょっと引いてしまう。
パチェは少し戸惑った顔をして、数秒間黙り込んだ。顔を少し伏せて、口に手をあてて必死に考え込んでいる。あ、ちょっと可愛いかも。
「じゃあ……あなたは一体なにに悩んでいるわけ?」
不思議そうな声。
あたいだって、それがわかれば苦労はしない。
あれを見てから、ずっともやもやしたままだ。
なんでだろう?
「よくわかんない。でも前にパチェが言ってた通り、ケサランはちゃんと可愛がってるつもりだよ」
あたいがそう言うと、パチェはなぜか驚いた顔をした。それから、ゆっくりと、前に見せたような寂しそうな表情に変わっていった。
「そう……それなら、いいわ」
長い溜息の後で、パチェは言った。
外はとっくの昔に日が暮れていた。あたいは、新しく満杯になった砂糖の箱の上で、ケサランをころころと転がしながら、湖の淵をゆっくりと歩いた。
もやもやした気分は晴れないままだった。いっそのこと、そのもやもやとしたものを、片っぱしから氷の中に閉じ込めて、叩き割ってしまいたいと思う。そうすれば残るのは、きらきらと綺麗な氷の破片ばっかりだから。本当にできたら、気持ちいいだろうな。
なんでかわからないけど、あたいの頭の中には、氷で出来たビー玉みたいなもののイメージがあって、その丸い表面に、大ちゃんの笑顔が映っているのだった。
ころころ。
ケサランがちょっと目を回したみたいで、あたいは箱の上で転がすのをやめて、左手の上にケサランを乗せる。
「ねえ、試しにさ、あたいの気分を晴らしてみてよ」
と言ったけれど、もちろんケサランは反応しない。まだ目を回しているのか、焦点の合わない視線をどこかへ向けるばかり。
ま、わかってたけどね。
さっきパチェの言っていたことを思い返してみる。
半分は当たっていたかもしれない。
つまり、あたいは大ちゃんだけにケサランパサランを分けてあげたかったのであって。
決して、他の奴らなんかに渡してほしくなかった、ということ。
大ちゃんは、優しいから。
きっと、他の人にも、ケサランパサランを分けてあげようと思ったのだ。
そんなの、十分予想できたことじゃない?
なにをいまさら、もやもやしてるんだか。
後ろめたい、とは違う。
あげなければよかった、とは思ってない。
でも、やっぱり。
大ちゃんだけに、持っていてほしかったのか。
今日の大ちゃんは、いつもとなにも変わらなかった。きっと、他の妖精にもケサランパサランを分けてあげたのを、当たり前のことと思っているはず。なにも悪いことなんてない。そうだ、悪いことなんてないんだ。でも……
わからない。
あたいは、ふと湖の端っこに近寄って、膝をつき、静かな水面に手をのばして、ゆっくりと、鏡を撫でるように、掌を滑らせる。
なぞるはしから、パキパキと音を立てて、水は綺麗な氷になる。
意識を集中させ、氷の厚みを少しずつ増していく。
畳の一畳分ほど凍らせたあたりで、あたいは凍らすのをやめ、立ち上がった。
そしてまた、手を伸ばす。
アイシクルフォール。
バリンと音を立てて、綺麗な氷に氷柱が突き刺さった。
ケサランは、いつの間にかあたいの頭の上にいた。はねもせずに。
次の日も気分は晴れなかった。
昼で、あたりにはいつものように霧が立ち込めている。
湖の水をバシャバシャと両足で叩きながら、あたいは両手を後ろについて、ぼやけてよく見えない空を仰いだ。
少し大きめの毛玉が何匹か、空中を切り裂くようにしてどこかへ飛んでいくのが見えた。ケサランとは似ても似つかない。
そのケサランは、あたいの頭の上を転げまわっている。リボンに引っ掛かっては、ポヨンとはじき返されて、なんだか楽しそう。
「チルノちゃん」後ろから、大ちゃんがやってきた。
「毛玉」あたいは右手を伸ばして、飛んでいる毛玉を指差した。
「あ、本当だ」大ちゃんもそちらを見上げる。「あっちはあまり可愛くないね」
大ちゃんは、あたいの隣に腰かけて、裸足で、同じように水をバシャバシャやり始めた。
パサランは、大ちゃんの肩をころころ左右に揺れていた。
パサラン、か。
「なんでパサランって名前にしたの?」あたいは尋ねた。
「え? ああ、チルノちゃんのがケサランだから、この子をパサランにすれば、名前がね、おそろいになると思ったの」大ちゃんはにこにこと言う。
おそろい。
「じゃあ、なんで」
「うん?」
「なんで、他の奴らに渡したりしたの?」
大ちゃんはあたいを見たようだったけれど、あたいは大ちゃんの方を見れなかった。
「あたいたちだけのおそろいじゃ、なくなっちゃうのにさ」
言っていて、それはなんだか変だと、自分でも思った。
大ちゃんは、あたいだけのものじゃない。わかってるのに。
他の妖精に、ケサランパサランを渡すのだって、それは大ちゃんの自由だって、わかってるのに。
あたいが、当然のように大ちゃんにケサランパサランを渡したように、大ちゃんも当然のように、他の妖精にケサランパサランを渡した。
あたいにだって、大ちゃんの知らない友人がいる。大ちゃんにだって、あたしの知らない友人がいる。
それがなんでいけない?
なんで、わかってるのに、もやもやしてるのか。
やめよう。きっとわかりっこない。あたいにも、大ちゃんにも。
「ごめん、やっぱり、なんでもない」
「え?」
「なんでもないから。忘れて」
「なんでもなくないでしょ? ねえ、どうしたの?」
「どうもしないったら」
「おそろいじゃなくなっちゃうって……そんなことないよ。だって、ケサランはチルノちゃんので、パサランはわたしので、他の子たちが持ってたって、なにも」
「もういい!」
あたいは怒鳴って、立ち上がった。
自分でも、なにがなんだかわからない。
頭の中が熱い。全身が火照って、気持ち悪い。
とにかくここにはいたくない。
「チルノちゃん!」
あたいは、近くの森へ走った。
大ちゃんから逃げるように。
自分の足音と、呼吸の音以外、なにも聞こえない。耳がふさがってしまったみたいに。
視界が狭い。それになんだかぼやけている。喉が痛い。頭が熱い。
変だ、おかしい。どうかしてしまったみたいだ。
後ろから、大ちゃんが追いかけてくるのがわかったけど、森の入口の、なんだかよくわからない茂みに入った瞬間、あたいは上に飛んで、枝と枝の間に素早く隠れてしまったので、大ちゃんには見つけられなかった。
大ちゃんは、あたいの名前を呼びながら、森の奥へ行ってしまった。
あたいは、溜息をついて、太い枝に腰かけたまま、自分の青いワンピースを見下ろした。
いつの間にか、頬が濡れている。
もしかしたら、目の中の氷がとけて、流れ出てしまったのかもしれない。
だとしたら、最悪だ。
身体はまだ熱気を持っている。
目を固くつむる。
うざったい。
熱いのなんていらない。
暖かさなんていらない。
冷やせ。凍れ。凍ってしまえ。
みんな氷になってしまえ。
いらないものは全部、氷にして、叩き割ってやる。
わけのわからないものも、全部。
ぜんぶ。
あたいは目を開いて、あたりを見回した。
座っていた木が、その枝から葉、太い幹にいたるまで、氷漬けになっていた。透き通った分厚い氷の向こうに、おそらくは茶色かった幹が、色を失って、死んでいた。
ちっとも、綺麗なんかじゃない。寂しいだけじゃないか。何をやってるんだ、あたいは。
溜息をついて、身を起こそうとする。
なにかが、あたいのお腹のあたりで転がった。
それは小さな氷の玉だった。おまんじゅうくらいの。中には、白くて、ふさふさしてて、そよとも動かない、毛玉――
まさか。
あたいはそれをとろうとしたけれど、手が滑って、中にケサランの入った氷の玉は、樹上から下に落ち、地面にぶつかって、粉々に砕け散ってしまった。
「嘘」
そんな、という言葉が、頭の中を反響する。
殺してしまった?
あたいが?
どこかで、鳥が飛び立つバサバサという音がした。
涙も、熱さも、すべて引っこんで。
代わりに、背筋が震えた。
冷たいのが怖い。こんな風に感じるのは初めてだった。
地面に降りて、元はケサランだった氷の欠片を見る。葉と葉の隙間からこぼれてくる太陽の光に反射して、きらきらと光っていた。でも、そのうち、とけてなくなってしまうだろう。
もうなにも考えられなくなっていた。
残滓をかき集めて、元の形に戻すのをイメージする。
でも、割れたビー玉の光景しか、頭に思い描けない。
悲しい、寂しい、空しい、色んなものがごちゃまぜで。
後ろで、足音がした。
振り向くと、大ちゃんが立っていた。緑の髪に隠れて、表情はよく見えない。
「あ」
あたいは思わず声をあげた。大ちゃんの肩に、パサランが乗っていたからだ。そうだ、こんな形だったのだ。
壊してしまった。あんなに可愛かったのに。
「大ちゃん」
意味のない言葉が口をついて出る。
大ちゃんが顔を上げた。
ぼろぼろと、大粒の涙を流している。口を歪ませて、下の唇を噛んで。なぜ、そんなに泣いているの? わけがわからない。
大ちゃんはこちらに近寄ると、あたいの左腕を右手でつかんで、むこうを向き、思いっきり引っ張った。どこかへ連れて帰ろうとするみたいに。
体が持っていかれそうになるけれど、あたいは左足を踏み出して、こらえた。
「大ちゃん?」
大ちゃんの手は温かかった。
もう一度引っ張られる。あたいはもう一度踏ん張って、堪える。
バッと大ちゃんはこっちに向き直り、今度は両腕で、あたいの左腕をつかんで、引っ張り始める。
「放せ!」あたいは叫ぶ。
「嫌!」大ちゃんも叫び返す。
「放せってば!」あたいも思い切り引っ張る。
「嫌だ!」大ちゃんはしゃがみ込んで、意地でも負けまいとする。
「はーなーせーっ!!」
「いーやーっ!!」
本当に、なにをやっているんだろう。
ああ、もう、ぐちゃぐちゃだ。大ちゃんも、あたいも。
大ちゃんがぶるぶる震え始める。
大ちゃんの両手が、みるみるあかぎれていく。
凍傷になってしまう。
「ねえ、放してよ! じゃないと」
大ちゃんはいやいやと首を振って、今度は頬まであたいの腕になすりつけた。
「お願いだから! ねえ!」
駄目だ。なにを言っても届かない。
誰か——
ぽよん。
大ちゃんの肩のパサランが、柔らかにとび跳ねた。
ひらりひらりと、光に舞って。
あたいの腕と、大ちゃんの両手のところに、ふわりと着地する。
ぽふっ。
聞き覚えのある、間の抜けた音。
それと同時に、パサランの毛が一瞬で拡散する。
手がなにかに包まれるような感触。
柔毛が、雨みたいに降り注ぐ。
あたいには、心地よい冷たさが感じられた。
大ちゃんの手のあかぎれが、少しずつ引いて、元の肌色に戻った。そして放心したように、 ゆっくりと手を放し、ぺたりと座りこむ。
あたいも、手足の力が抜けて、大ちゃんの前に膝をついた。
パサランはもう、どこにもいなかった。
なんだか不思議な気持ちになった。なにかがあふれ出そうになるのを、頬っぺたのあたりで、必死に押しとどめているような。そのなにかって、温かくもあり、冷たくもあるなにかだ。
大ちゃんの方が、先に我慢できなくなったらしい。
さっきまで泣いていたのに、また大声で泣きはじめる。
つられて、あたいも。
まるでバカみたいに、二人そろって、大声で泣き喚いたのだった。
なんだなんだと、近くにいた妖精や幽霊が集まってきたけれど、あたいは泣きながらとびきりキツい一睨みを効かして、追い払ってやった。かっこ悪かっただろうなあ。でも、邪魔はされたくない。
泣き疲れて、二人して黙り込んでいると、しばらくして、大ちゃんがぽつりと呟いた。
「……暖かかったね」
たぶん、パサランのことだろう。
「冷たくて、気持ち良かったよ」
あたいは答える。
もちろん、大ちゃんと感じていることは一緒だと思う。言葉は違うけれど。
「わたしね」と大ちゃん。
「ん?」
「パチュリーさんの話聞いてね、幸せってなんだろうって考えたの」
「うん」
「そしたら、パッと思い浮かんだのが、なんとなく暖かい、ってイメージだった」
「前にも言ってたね」
「そう。そこからね、ケサランパサランって春のお日様みたいなものなんだって思ったの」
「どういうこと?」
「つまりね、春だと、夏みたいにお日様もそんなとげとげしてないし、冬みたいに弱々しいわけでもなくて、みんなに平等に、優しく日を分けてくれるでしょう? 動物にも、植物にも、誰も取りこぼしがないように、幸せをいっぱいわけてくれるの」
「……だから、みんなにも分けてあげようって?」
「そう」
大ちゃんは、言葉を切って、あたいの目を見てきた。
「あたいは……大ちゃんだけに持っててほしかったの。なんでかわかんないけど。それで、大ちゃんが、あたいに黙ってみんなに分けてて、それ知った時、なんでかわかんないけど、悔しいなって思った」
悔しい。そうだ。
きっと悔しかったのだ。
うまく整理できないけど、やっぱり、一番最初に思い浮かぶのは、その言葉だ。
「悔しい?」
「うん」
恥ずかしい言葉が思い浮かぶ。
大ちゃんが、あたいだけのものじゃないから。
なんて自分勝手なんだろう。とても言えない。
大ちゃんは、唇に手をあてて、目をつむって、なにかを考えている。それから、目をあけて、笑った。
「あのね、これは嘘なんだけどね、チルノちゃんがケサランと一緒に遊んでるのを見て、わたしもなんだか悔しいって思ったの」
「へ?」
嘘、なんだけど?
なんだその前置きは。
「それからね、これも嘘なんだけどね、ケサランがわたしの手の上にいる時ははねないのに、チルノちゃんの手の上にいる時だけはねるのも、悔しいって思った」
「…………」
「あとね、チルノちゃんの氷の力、夏になると涼しそうで、いつも悔しいって思ってたんだ」大ちゃんが嬉々として続ける。「もちろんこれも嘘。それからそれから、チルノちゃんがわたしよりもかわいいのもね、いつも悔しいって思ってたよ。言うまでもなくこれも嘘」
あ、カチンときた。氷のぶつかる音じゃなくて。
「じゃあ、あたいは、大ちゃんのほうが妖精の友達が多いから、悔しいと思ってた。嘘だよ? それから、大ちゃんはあたいよりも弱いから、怖い妖怪に相手にされなくていいなー、なんて。これも嘘。あとね、パチェが大ちゃんだけに挨拶するのも悔しいって思ってた。嘘だけど」
「そうそう。むしろわたしは、チルノちゃん挨拶しなくていいの楽でいいなー、なんて。嘘なんだけどね」
「あとあと、大ちゃんが紅魔館の道順全部覚えてるのも悔しい。嘘」
「なんて言ったっけなあこういうの」大ちゃんがわざとらしく目をつむって腕組をする。「チルノちゃんにはちょっと難しい言葉を使うと、妬ましいっていうのかなあ。あ、チルノちゃんには難しいってところだけ、嘘だよ?」
「ねたましい?」
「そう、妬ましい」
「ねたましい」
「妬ましい」
「ねたましいねたましいねたましい!」
「なんども言ってると、かっこわるいよ。あ、これは本当」
あたいと大ちゃんは、大きな声で笑った。
ねたましい?なんのこと?
まったく馬鹿らしい。
マジな顔になって損したよ、まったく。
ぷに。
「ふえ?」
あたいの頬を、大ちゃんが軽くつねった。
「さっき泣いた鳥がもう笑った」大ちゃんは、にやりと笑う。
「大ちゃんも泣いてたでしょ。あーあ、かっこわるいなあ」
「わたしたち二人ともね」
「うん、まったくバカだよね」
「その通りだね」大ちゃんが手を離す。指が少し赤くなっていたけど、気にしてなそうだ。
座ったまま、なんとなく空を見上げると、変にわたわたした雲が二つ、ぽっかりと青の中に浮かんでいて、それがケサランとパサランに見えた、なんてね。
可愛かったなあ、ケサランパサラン。
遊んでて、楽しかったよ。
もちろん、嘘!
「ねえ」あたいはふと思いついて言う。
「なに?」
「図書館に行こうよ。そんで、パチェに幸福のなんたるかを教えてやるんだ」
「なんて言うの?」
「わっかるわけないでしょそんなもん! って」
「うわあ、ばっさり言うね。挨拶してもらえないよ?」
「いいもんね。そんで、紅茶に砂糖をたっぷり入れて、全部あたいが飲んでやる。バカのなんたるかも教えてやるんだ」
「意味わからないって」
「どうでもいいの! それより、紅魔館まで競争しよう! 美鈴にタッチしたほうが勝ち!」
「負けないよ?」
「もちろん嘘でしょ? よーい、ドン!」
それから、湖まで競争をした。途中まであたいが勝っていたけど、大ちゃんがうまく風を捕まえたので、結局あたいは抜かされてしまった。ねたましいかというと、そうでもない。
「おや、お二人さん。こんにちは」美鈴がにこにこと挨拶をする。
あたいと大ちゃんは視線を交わして、にやりと笑った。
「せーのっ!!」
「へ?」
「タッチ!」
(The Happiness In Blue End.)
チルノと大妖精の関係やパチュリーなども良かった。
ただ、チルノの一人称は「あたし」ではなく「あたい」だったと記憶しています。
それとパチェとはパチュリーのことをパチェって呼んでいたのがちょっと疑問です。
チルノがパチュリーのことをパチェって呼んでいるのが疑問。
と訂正。 珍しくもないのかな?
チルノのパチュリーに対する呼び方は、私の「チルノはパチュリーに親しみを持っている」→「じゃあ親しみをこめてニックネームで」→「どこかで、誰かがパチュリーのことをパチェと呼んでいるのを聞いた」という安易な想像のよるもので、率直に言えば……あまり考えずに呼ばせていました。
ただ、チルノにそう呼ばせていることで、読者の方に(チルノのパチュリーに対する)親しみを感じ取っていただけるのではないか、と考え、このまま変えずに投稿することにしました。
混乱させて申し訳ありません。ご指摘の通り、一人称の方は「あたい」に変更しました。
ご感想、ありがとうございます。
ありがとうございます!
今回は時期が春なので、レティは出せませんでしたが、
そのうち彼女が絡んだ大妖精とチルノのお話も書いて
みたいと思います。妄想が続けば、ですが……
チルノの一人称は あたい と あたし どっちでも良いよう