一日中雪が降り続けた結果、よもぎ餅のようだった妖怪の山にはすっかり、粉砂糖が降りかかっていた。
夕刻にもなれば山はおいしそうな狐色になり、終いには黒焦げになるのだ。
それを頃合と見たミスティア・ローレライは、今日も赤提灯に灯を点けた。
冷え込んだ夜にはむしろ、普段より多くの客が屋台へと駆けつける。
寒いからこそ皆で集まって、酒を飲んで温まろうというのだろう。
屋台の主、ミスティアは注文の多さに目を回しながらも、はりきって仕事をこなしていた。
「はい、芋の熱燗ねー」
「どうも。なあ店主やい、うちの娘がな、とうとうな……」
「知ってるかの、女将さんや。わしの女房ときたら……」
「あの神社の巫女ときたらあの服で、あんな山に……」
「おいお嬢ちゃん、八目の串焼きもう二つ!」
幾人も同時に話しかけられるが、どうでもよさそうな事は全て聞き流し、注文だけを聞いてメモを取る。
世間話を一生懸命聞いたところで、翌日には自分も話したほうも、ころりと忘れてしまうのだ。
さて、今しがた入った注文は当店人気メニューで、網の上に居ない時はないほどである。
これも丁度良いあんばいに焼けているはず。
客の話に適当に頷きつつ、串に手を伸ばす。
「うおあっちゃ!」
「嬢ちゃーん、焼き鳥は頼んでないぞー」
どっと巻き起こる笑い声。手も焼けたけれど、恥ずかしさに耳まで燃えそうだ。
けれどおかしい、伸ばした先にあった串が、一つ残らず消え去っている。
まさか足が生えて歩いていったわけでもあるまい。
「お、お客さん? もしかして八目、勝手に食べたー?」
「いや、女将さんが食べたんじゃないの?」
「ああ、その後三歩ほど歩いたものなあ」
そしてまた笑いの渦。酔っ払いの笑いのセンスはよく分からない。
疑っても仕方がない、串を新しく焼かねばならない、と思ったときに。
「店主やい! 焼酎が少ないぞ、もう無くなった!」
いくらなんでもおかしい。あの徳利はつい二、三分前に出したものだ。それがもう飲み干されるとは。
いやいやミスティア、ここは酒が切れたふりをしてネタを振ってきたのだろう。
ここで私が本当のお笑いというものを見せてやる!
「焼酎ならさっきウルトラ魂! って歌に反応して爆発したよ」
「……お、おう」
唐突に、沈黙の艦隊ポチョムキンの如き空気が、シベリア高気圧に乗って屋台全域を覆った。
焼き鳥だの三歩歩けば忘れるだの言われるより、よっぽど辛いのはどうしてかしら。
屋台をするうえでの悩み、それは客とうまくコミュニケーションができないこと。
話を聞くのも苦手、しゃべりもしっかりできない。結局、歌と料理で勝負するしかないのが現状なのだ。
客同士でわいわいと勝手にやってくれなければ、間を持たすことができない。
八目に串を通しながら、ミスティアは消えた串焼きと熱燗の行方が気になっていた。
気のせいだ、きっと疲れているのだろうと思って、普段より早めに屋台を閉めることにした。
目が覚めると、そこは雪国であった。
山のよもぎ餅は大福餅へ、ここはクリームがたっぷり塗られたスポンジケーキの上といったところか。
どれくらい寝ていたのかさっぱり分からない。空が分厚い雲で覆われていて、太陽が見えないのだ。
上は雪雲、下は積雪、真ん中は未だはらはらと降り注ぐ粉雪。私はつまり、サンドイッチの具か。
それは銀色というより、とかく白かった。視線の隅々まで白かったので、ふと寂しく、空虚に感じられた。
どこか白い壁で囲まれているような、そんな景色だった。
「寒い……」
鳥は寒さに弱いのに。後は岩とか雷あたり。
そう思いつつぼんやりと視線を下ろすと、そこは板張りのカウンターだった。
どうやら、屋台で座ったまま眠っていたらしい。
毛布一枚で全身を守っても、凍える風が霊力を減らしてガードブレイク。
もはや霊力ゲージもおてても真っ赤。
「あら、お目覚めのようですね」
冷や水を顔にかけられた心地だった。
しかし顔を上げてキョロキョロ見回しても、辺りには誰も見当たらない。
やっぱり疲れてるのかと思い、眠気まなこを閉じようとする。
「ほら、こっちだって、こっち」
はっきりと、甲高い声が耳元で聞こえた。
けれども目の前は、真っ白いキャンバスが構え立っているのみ。
やはり誰もいないと目を背けかけたとき、キャンバス上にもやのような物が見えてきた。
そのもやは、カメラのピントを合わせるようにはっきりと浮かび上がってくる。
「だ、誰!?」
雪をたっぷり引っ掛けた傘が見える。傘の一面には、ハートの中に目玉という模様が施されていた。
その悪趣味な傘を掲げるは、ふわふわ雪のような銀髪が印象的な少女。
「古明地、古明地こいし、よ」
「ええと、お客さん? まだ開店してないんだけど」
「む、一夜を共にしたというのに冷たいのね」
何を言ってるんだこの紐ぐるんぐるん妖怪め。
唐突の爆弾発言に私の頭もぐるんぐるん。
「ちょ、ちょっと待って! 何を勝手なことを!」
「あなたの持ってるその毛布、私がかけたものよ」
もしやと思って毛布を広げてみると、そこには悪趣味な模様がこんにちは。
まさか、疲れて寝てしまった私に、毛布をかけてくれたとでもいうのだろうか。
直立不動の女の子を見ているうちに、ようやく頭が回り始める。
ひょっとして、昨晩八目鰻が消えたのは、この不思議な少女の仕業なのではないだろうか。
「あんた、ひょっとして昨晩何かした?」
そう問いかけると、こいしという少女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「やっと分かってくれたのね。ごめんなさい、勝手に飲み食いして」
「いや、でも分かんない。あなたが何で、何がしたいのか分かんない」
「よく、言われる」
古明地こいしという少女は、頭は良くないと自負している自分にとっては難解すぎた。
まず第一に、この少女が何の目的で、この屋台へとやってきたのか。
そして、何故盗み食いをした張本人が、こうして堂々としていられるのか。
そして何よりも、この寒い中でミニスカートを穿いていられるのが全く理解できない。
「あなたは何が目的で、いったいこの私に何の用事があって来たの?」
「今日から一緒に住むことになりました古明地こいしです」
「……は?」
「……見て、分からない?」
彼女の口元がむにむにと動く。だがそれは、笑うにしてはあまりにも不自然な動きだった。
傍若無人に見える彼女は、その印象とは裏腹に、とてもか弱い存在にも感じられた。
「少しの間でいいから、泊めてほしいの」
昨晩のつまみ食いも、雪の中で、宿を求める行為も、そしてこんな寒い日にミニスカートであるのも。
それもすべて、貧乏なのがそうさせているに違いないのだ。
そもそも屋台は、泊まるような場所ではない。
本当に長く留まりたいのであれば、もっとそれらしい場所はいくらでもあるはずだ。
それなのに彼女が屋台に救いの手を求めたのは、きっと借金取りにでも追われているのだ。
そうだ、そうに違いない。
「分かった。うん、何も言わない、泊まってくといいよ!」
「あら、意外と聞き分けいいのね」
「でもね、あなた。ただ飯の件もあるし、お店の手伝いはしっかりやってもらうよ!?」
「それだけのことで泊めてくれるのね? ありがとう、地上の妖怪は親切さんね」
何やら不穏な言葉が聞こえたが、彼女は借金取りに追われる身なのだから、根掘り葉掘り聞き出すのも可哀想だ。
私は、追われる美少女にすっと手を差し伸べる白鳥の王子様。
よだれが垂れてくるのをふき取りつつ、こいしを連れて材料調達へと向かうのであった。
今夜の冷え込みは、寒いと客が来るという法則さえも打ち破るほど強烈だった。
乾ききった風が私をグレイズしていくため、体感温度はマイナス120%まで下がっていた。
串を焼くはずだった炭火で、手の平手の甲をひっくり返しひっくり返して暖をとる。
「ねえ、あなたは何で歌っているの?」
「うん? 簡単よ、鳥目にさせて戸惑ってるところを、おびき寄せてるのよー」
「客寄せというより狩りみたいね」
「夜は人狩りサービスタイムー」
客が大勢来ることを見越して手伝いを頼んだのだが、予想に反して客はゼロ。
慣れない手つきで小骨を取っていることを確認し、私は闇夜に向かって歌いはじめる。
すると、どこからともなく足音が聞こえてきた。
「何なの? 急に何も見えなく……」
不安げな声が聞こえる。
どうやら念願のカモが、ネギをしょってやってきたようだ。盛大におもてなししてやろう。
「いらっしゃい! 鳥目になったんでしょ? 八目食べてく?」
……のれんをくぐるその妖怪は、どこかで見たような格好であった。
「こ、こいし……こいし! やっと見つけた! こんなところにいるなんてもう、探したんだから!」
「お姉ちゃん、どうしてわざわざ……」
水曜ロマンス劇場 ~あの人は今~ とでも言うべき状況が、唐突に展開されてしまった。
どうやら私には、厄が取り付いているようだ。
一人匿うのでも精一杯なのに、その姉までもがやってくるなんて。
「こいし……どうして? こんな地上の妖怪と……」
「実は私、ずっと捕まってて……。今、まさに料理されるところだったの!」
「な、なんですってー! そこの鳥妖怪、覚悟しなさい! 想起 イルスタードダイブ!」
「ちょっと、何で嘘を! ああ待って、お客さん待って! もう、イルスタードダイブ!」
店先でスペル合戦は避けたいが、戦う姿勢を見せている相手に対して、ぼーっと突っ立っているわけにはいかない。
流れ弾が入らないように、店から飛び出しながらスペル宣言を行った。
なぜ姉が、私と全く同じ技を使ってくるのかは分からなかったが、互いに鳥目にしておけば互角以上にはなるだろう。
「あ、あれ……心が読めな……」
ふと、何かが近づいて来たような気がする。
しかし、私は警戒を緩めずに、じっと待つ。弾幕ごっこの基本は、動かずに弾の軌道を読むこと!
突然! 姉の驚いた顔が暗闇に浮かんだ。
間に合わない! こんな時はボムで回避よミスティア! しかし生憎、私は敵機。ボムストックなぞ始めからゼロ。
そのままふらふらと歩いてくる彼女に、私はどうすることもできず……。
おでことおでこがごっつんこ。
「ふっ、地上の妖怪がここまでやるとは思わなかったわ」
「第三の眼も鳥目になるのね」
「そんなことはどうでもいいから、一体何の用で二人ともやってきたの……?」
思ったよりも姉のほうは常識人に見えたので、ここらで情報を整理しておきたかった。
私は借金で生き別れた姉妹の再会だと確信していたのだが、残念なことに不正解だった。
ピンク色の髪の妖怪が、姉の古明地さとり。
彼女らは地下の妖怪で、妹がしばしば家出をしては戻ってこないとか。
普段はペットがこいしを連れ戻しているそうなのだが、今回は地上へ遠出してしまったと聞いて、姉自らが出動したらしい。
「で、あなたはこいしを泊める気でいるのね」
「心なんて読まれたら私、言うこと無くなっちゃうんだけど……」
「あなたはいいとして。ねえこいし、正直に話してほしいの。地上に出た理由と、帰りたくない理由」
さとりはそう言ったきり、うつむいてしまった。
そういえばこいしは、いまだ理由を話そうとはしてくれなかった。
いよいよ、核心に迫ろうとしているのだろうか。
重い空気も気にせずに、こいしは全く表情を変えることなく、言ってみせた。
「好きな人が、できちゃった」
広範囲焼酎吐き出しショットを盛大に撒き散らすさとり。それを、近接張り付き状態で受けるミスティア。
お酒の効果でお肉が柔らかくならないうちに、タオルで丁重に拭いておく。
「いや変な意味じゃないのよ? 私、好きかどうかってのもよく分かんないし」
「あんた本当に、言動が予測できない」
「それも、よく言われる」
曰く、ぺットの力を増した山の神様に唐突に会いたくなり、地上を目指したことからこの旅路は始まった。
地上に出てきたところで、休憩と腹ごしらえということで屋台に泊まる。
明くる早朝、ミスティアに毛布をかけた後に登山開始。
山で、こいしと同じく神様を探している巫女に出会い、スペル合戦を引っ掛ける。
しかし、彼女の予想以上の強さに敗れ、地上のことをもっと知りたくなった。
それと同時に強い巫女のことを知りたくなった、ということであった。
「神様のことはもういいの。でも、その子が気になってて。ね、もうちょっとだけ、いいでしょ?」
彼女の気持ちはちょっと、好きというのとは540°違うような気がする。
どちらかというと、それは好奇心の延長なのではないのだろうか。
さとりへと同意を求めようと、アイコンタクトを飛ばす。
しかしさとりは、うつむいて小刻みに震えていた。
「こいし……成長したわね……」
「ん、確かにこういうのは初めてかも」
全く状況を飲み込めずにいると、さとりが手招きして、手でメガホンの形を作った。
どうやらひそひそ話らしい。このまま置いてけぼりにされてしまうと、退場せざるをえなくなる。
部外者は、大人しく鰻を焼いていればいいのだ。
「心は読めるから返事はしなくていいわ」
「どうかこいしをお願い」
「あの子は昔、皆から嫌われたくなくて心を閉ざしてしまったの。そうしたら感情が乏しくなっちゃって」
「でも、地上に出て、あの子はちょっと、変わったみたいなの。だって、目の色が輝いてるもの」
「きっとこいしは、地上に合っているのよ」
「だから、こいしが地上にいる時は、あなたがお姉ちゃんになってあげて」
「こいしはお煎餅とかおかきとかが好きだから、おやつの時間はぜひ……」
「できれば箸の持ち方もマスターさせてほしいんだけど……」
「ついでに、第三の眼についてる紐を持っておけば、散歩する時でも見失わずにすむから便利よ」
「何でこれが退屈な話なの? そんなんじゃあこいしを任せられないわ。じゃあ、もう一度最初から言うわよ?」
その夜、さとりが寂しそうに、しかしどこか嬉しそうに帰っていくのを見届けるまで、延々とこいし談義は続いた。
しかし、初対面だというのにここまで信頼するのはどうしてなのだろうか。
私の心を読んだだけで、彼女の大事な妹を預けられるものなのだろうか。
ひょっとすると私は、こいしの面倒を見る素質があるのかもしれない。
何処で役立つスキルなのか全く分からないが、何となくいい気になってしまった。
翌日、日が高く昇るのを見届けてから、博麗神社へと向かうことにした。
ただミスティアは、こいしが霊夢と会えるのを楽しみにしているのか、さっぱりわからなかった。
わかったことは、その旨を伝えると口をむにむに動かし、笑顔を作ろうとしたということだけだった。
「で、霊夢に会いたいってのは本当なの?」
「それは本当。地上のこと、いっぱい聞きたい」
「あの人、野蛮で怖いだけだと思うんだけど、あんたがいうなら仕方ないわねー」
重なり合った雲の隙間から、太陽がその存在を主張する、
その僅かな明かりに、積もった雪はここぞとばかりに乱反射する。
曇りにしては、眩しすぎる冬の空をゆっくりと飛ぶ。
吐く息は、積もった雪よりもよっぽど白い。
ここ最近は、寒い思いばかりをしている気がする。
気が滅入りそうな寒さだというのに、こいしはあちこちをきょろきょろ見回している。
きっと、眼に映るもの全てが新鮮なのだろう。
「ほら、あれ。あれが博麗神社よ。私はあんまり近づきたくないんだけれど……」
「どうして? 霊夢が強いから?」
「ん、まあそうだけど……話せば分かると思う。きっと」
何だかんだで、妖怪は人間に倒されるべきというポリシーを、霊夢は持っている。
ミスティアは、その事を身をもって知らされていた。
太刀打ちのできない天敵の巣に向かうことは、ミスティアにとって喜ばしいことではなかった。
「あー、寒い、寒いわあ」
ならば炬燵に入るがいい、そして腋を隠せ。
こんな寒い日に縁側で、腋出しルックスはあり得ない。
自分は長袖ニーソックス完備にも関わらず、歯が小刻みに震えて16分音符を刻んでいるというのに。
こいしにしても霊夢にしても、寒さというのを知らなさ過ぎる。私の寒さ耐性が極端に低いだけなのだろうか。
霊夢は私たちに気づくと同時に、顔をしかめた。
ミスティアはおっかなびっくりと着地をし、こいしのほうはもう待てないとばかりに、休憩中の巫女へと駆け寄った。
「霊夢、霊夢! 来たよー。わざわざこちらからお出ましだよ!」
「変な組み合わせね……。ああ、何か面倒ごとでもあるの?」
「この子が、地上だのあんたの事だのを聞きたいらしいのよー。構ってやって?」
「そんなつまらないことで、私の大事なティータイムを奪うのね。まあ、いいわ。入って」
霊夢は面倒臭そうに立ち上がると、襖を開けて、入るようにと促した。
こいしは間を開けずに勢いよく転がりこみ、ミスティアは躊躇いつつも、それに続いた。
「……へえ、やっぱりヒバゴンもそれなりに強いのね!」
「まあ、ね。あー、で、どこまで話したんだっけ?」
「鍋パーティの具のことでしょ? それで霊夢はどうしたの?」
何を食っているんだと心の中で突っ込んでおく。
かじかみきった手は、ぽかぽかの室内でようやくほぐれてきた。
しかし、ぽかぽかの暖気でも、心のほうが全く溶け出す気配がない。
こいしのことでなく、私のことである。
「で、霊夢はそこでエンドランをかけたの?」
「ん、まあストレートに合わせて、無難に夢想天生したんだけど……」
「やっぱり地上って一味違うわねー」
どういうルールなんだ。聞いたこともございません。
私は二人の会話に入れず、成り行きを何と無しに見つめることしかできなかった。
心底楽しそうなこいしと、鬱陶しげにしながらも相手をする霊夢を見ながら、ようやく喉に引っかかった小骨の正体に思い当たった。
私は地上の姉としての務めを果たそうとしているのに、当のこいしは私に目もくれず、霊夢と話しているばかり。
それを見ていると、なんだか胸がモヤモヤとしてくる。
そのせいか少しばかり、ちょっかいをかけたくなった。
「あと、あの山の池には大蝦蟇蛙がいるのよね」
「何それ何それ、その蛙ってどれくらい大きいの?」
いまだ、このタイミングだ。
「私よりちょっと背のちっちゃい妖精がいるんだけどね、その子を丸呑みしちゃうくらいおっきいよ」
二人が、同時に顔を向けた。そうして向けたかと思うと、またすぐに定位置へと戻る。
途切れなかった会話が不自然に止まり、息苦しいほどに静かな空白を作ってしまった。
また、やってしまった。
こたつに入れている手から、生暖かい汗が浮き出てくる。
泳がせていた視線が、霊夢とエンカウント。彼女はひとつ、大きなため息をついてから、会話を再開させた。
「その子、チルノっていうんだけどね。ミスティアがよく絡んでるわよ」
「そうなんだ。ねえ霊夢、チルノってどういう子?」
せっかく霊夢が水を向けているのに、こいしはその返答すらも霊夢へと求めた。
このまま流れを変えることができなければ、掴みかけたきっかけは手からすり抜けて、のけ者にされたままになる。
それを思うと、もうやり切れなかった。
「あのね、こいし!」
自分の思っていた以上に乱暴な声が出て、驚いてしまった。
けれど、気持ちの奔流とは裏腹に、続く言葉が出てこない。
どうして苛立っていたのかが、言葉に表せなかった。
こいしと霊夢に無視されていると思ったからだろうか。
それとも、積極的に話を振れない自分に腹が立ったからだろうか。
飛んでくる視線が、どろどろに溶けた胸を焦がした。
顔を上げているのが辛くって、畳と向き合う。
「あの、ね……」
もう一度、落ち着いて話そうとしても、言葉は喉に詰まったきり。
今や、自分は駄々をこねている子どもとなんら変わらないのではないだろうかと、自己嫌悪に陥っていた。
いまだ荒れ模様の私の心に、こいしの言葉が容赦なく掻き回す。
「私はね、いま霊夢と話してるの」
息が、止まった。
時間もそのまま止まってしまえばいいのに、やけに大きく聞こえる心臓の音が、そうはさせてくれなかった。
結局、私がワガママだったのだ。
私の役割は、霊夢と会うきっかけのそれ以上でも、それ以下でもない。
ただそれだけで良かったのに、私は何を期待していたのだろう。
「こいし、私はあなたが嫌い」
凍った空間が、ハンマーのような言葉で打ち砕かれる。
衝撃的な霊夢の言葉に顔をあげると、こいしの表情が少しだけ歪んでいた。
口元が、またむにむにと動いている。
そんなにこいしへと、霊夢は情け容赦なく言葉を継いだ。
「だから、あなたの話を聞きたくないの」
一瞬、霊夢がアイコンタクトを飛ばしてきた。
その目元は言葉とは反対に柔らかく、私の気持ちを汲んでくれていることに、ようやく気付いた。
こいしは呆然とした表情で、私と霊夢の顔を交互に見比べ、そのままうつむいてしまった。
その様子が、妹の心配ばかりしている姉の姿とダブって見えた。
「えと、えと、ど、どうしよう……?」
とうとう私に向かって、小声で救いの手を求めてきた。
表情はあまり変わっていないくせに、うろたえているのがひどく滑稽だった。
呆れた。
さっきまでの自分が馬鹿馬鹿しい、まるで悪気のなかったこいしに、なぜあそこまで思い詰めてしまったのだろう。
いまはしおらしくしょげている姿に、可愛げさえも覚える。
「どうしようって言われても……」
こいしは私に助けを求めて、私は霊夢に助けを求めました。
すると霊夢は炬燵からうんとこしょ、どっこいしょと立ち上がって、肩を気だるそうに持ち上げました。
こうして、霊夢はニッカリと太陽みたいな笑顔になったとさ。
「こいしが嫌いになったところで、晩御飯も作りたいし、そろそろあんた達仲良く帰ったら?」
「……」
「ん、霊夢、今日はありがとうね」
名残惜しそうなこいしの腕を引っ張りながら、私は霊夢へと頭を下げた。
そしてそのまま、夕空へと飛び立つ。
どうやらようやく、姉としての務めが果たせそうで、モヤモヤした胸も次第に晴れてきた。
ほっぺを染めたお日様からの、暖かい光に包まれる。
もうそろそろ、恥ずかしがり屋の太陽は、どこかへ逃げて行ってしまうだろう。
積もった雪が、神社の炬燵の上に鎮座していた、蜜柑みたいな色で輝いている。
こんな中を、みんなで飛べると楽しいだろうなあと思っていたところに、こいしがほんの少しだけ、申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんなさい、なのかな」
「いいの。私だって変にいらいらしてたし、ごめんね」
「私、どうしてもそういう気持ちが分からなくて、ね」
彼女の横顔が、夕日に照らされた。
表情は相変わらず無いはずなのに、どこか哀愁を帯びているように見えた。
「あ、でも今はちょっと悲しい! 嬉しいなあ」
「どっちなのよ、それは」
「霊夢と同じようなこと、あなたに言ったでしょ。それであなた、悲しかったのかなって。そう思ったら、嬉しいの」
「確かにあの時、多分私、悲しかったのかな」
「私と一緒か、ふふ」
悲しい、悲しいと言っているのに、こいしは左右にゆらゆらと揺れて、楽しそうに飛んでいる。
そんなこいしを見ていると、自分の気持ちまで昂ぶってきて、自然と歌が溢れ出す。
「あーあ、嫌われちゃったな。久しぶりだよ、こんなの」
「普通なら、私に嫌われてると思うんだけどねー」
「うん、どうしようって聞いて、嫌いって言われたらどうしようって思ってたよ」
嫌われるのが怖いなら、はじめから関心なんて持たなければいい。
ただぼんやりとそこにいる、そうしておけば、痛みなんて知らなくて済む。
そうして、こいしは第三の眼を閉じた。
傍若無人にふるまっても、こいしは全く意に介さない。
はじめから、相手の気持ちなど考えはいなかったから。
けれど、そこに霊夢が現れた。
親しくなりたいと、自らを縛った鎖を、外し始めたのだ。
私は、霊夢のことが羨ましくなってしまった。
「でも大丈夫。多分、霊夢は本気で嫌ってはないから」
「本当? あんなにはっきり言ってたよ?」
「あなたよりは心が読めるもん、それくらい分かるわよー」
こいしが私をどう思っているのか分からないけれど、ほんの少しだけ、さとりの言っていた姉に近づけたように思った。
ちょっぴり得意気な気分になっていると、ぽつりとこいしがつぶやいた。
「明日の朝、帰ることにするね」
「……そっか」
「お姉ちゃん、多分待ってると思うし」
準備はしていなかったのに、不思議といなくなることを受け入れることができた。
今はむしろ、こいしが自分の言葉に、姉を連想してくれたのが嬉しかった。
今晩は、好きなだけ腕を振るおう。
大事な大事な妹分に、もっと姉らしいところを見せたかったから。
翌朝は、粉雪が手を振るかのように、揺れながら降っていた。
積もる雪は一層高くなり、ふかふかの白い高級絨毯と化している。
ミスティアは、お土産を風呂敷に包み終えた。
「お腹が空いたら、少しずつ食べてね。ちゃんと残さず食べるのよ。あと、割り箸をちゃんと正しく持つのよ」
「なんだか本格的にお姉ちゃんみたいよ」
あの過保護な姉に近づいてきたことがおかしくて、ついつい笑ってしまった。
こいしも私につられて、口をにかにかさせた。
左手にお土産、右手に傘を持たせて、準備完了。
心残りは多分、ないはずだ。
それじゃあ、と言おうとしたところで、こいしが先手を打たれた。
「私、あなたのこと、もっと知りたかったな」
「どうしたのよ、突然」
「あなたの名前だけでも、教えて?」
一瞬戸惑ったけれど、今まで一度もミスティアと呼ばれていないことに、今になって気づいた。
「あなた」で通用しているあまり、名乗るのをすっかり忘れていたらしい。
良かった。私の名前すら知らないうちに、帰らせるところだった。
「ミスティア、ローレライ。みすちーでいいよ」
「そっか。みすちーっていうのね」
こいしはあの可愛らしい傘を開いて、目を細めて笑った。
「みすちー姉ちゃん、行ってきます」
しばらく大人しくしていた心臓が、どきりと存在を主張した。
言いたい事たちが、頭の中をぐるぐると回り始める。
一旦、大きく息を吸って落ち着くと、一番言いたかったことが自然と口から出ていた。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
こいしは私の言葉に頷いて、お土産を持った手をひらひらと振った。
それと同時に、こいしの足がぼやけ出した。
ピントがどんどんズレていくように、足が、手が、雪に滲んで溶けていく。
溶ける前に、その手をつかみに行きたいという衝動に駆られる。
しかし、ここは姉として、駆け寄ろうとする足を踏みとどめて、見送りに徹した。
重い手を振り返すと、今度は傘を左右に揺らしてくれた。
最後は、その柔らかく雪解けした顔と傘だけが残って、とうとうそれもぼやけて、見えなくなった。
私は妹を見送ってから、ごろんと雪の上で寝転がってみた。
顔の上に、ふわふわの粉雪が積もっていく。
「私も鳥目、だったのかな」
私は、自分の気持ちに気づくことができなかった。
私は自分に言い訳を重ねてと、他人の話を話半分聞き流していた。
その逃げの姿勢を、今ツケを払わせられていた。
自分はあの、訳の分からないこいしのことを、もっと知りたかったのである。
友人でも、血の繋がった姉妹でもないけれど、いなくなった今、心のどこかに隙間ができてしまった。
「いつか、帰ってくるかな」
きっと、「ただいま」と言って、戻ってくる時が来るだろう。
あるいは、姉と漫才しながら、客としてやって来るかもしれない。
彼女らがいつ来てもいいように、楽しい屋台を作り上げていかなければ。
そう結論付けて、私は勢いよく跳ね起きた。
柄にもなく、センチメンタルになってしまった。
自分は自分らしく、朗らかに屋台の準備をしなければ。
そうじゃなきゃ、古明地こいしの姉を名乗れない。
「いらっしゃい! 今日はお一人?」
「うん、座って座って。注文は決まった?」
「了解ー。そういえばお客さん、あんまり見ないけれど、どこから来たの?」
「へえ、私、そこ知らないなあ。遠くから来てくれたのかな」
「そうなんだ。そこではどう、うまくやってる?」
「そっか。なるほどねー」
「うん? 私はどうかって?」
「そうだねー。じゃあ、最近会った地底の妖怪の話でもしてあげよっか」
「妖怪こいしの、始まり始まりー」
良いですね、こう・・・ほのぼのとしていてちょっと切なくて。
面白かったです。
心の動き、流れっていうのがもうちょっと読者サイドにも伝わる文章が欲しかったです。
この話はみすちー主体じゃないと書けない話なだけに、もうちょっと煮詰めることをしてから披露してもらいたかったかなーって感じました。
にしてもみすちーは可愛いなぁ。ポチョムキンwwwww