※魔理沙は外弁慶の内へたれ
がしゃん、とやかましい音を立てて窓ガラスが砕け散る。
「んあ……?
くわっ、寒ッ……!」
びゅう、と開いた穴から入り込んできた寒気で強制的に叩き起こされた。
見る間に失われていく布団の暖かさ。
このまま寝てもいられないので仕方なく身を起こす。
まだ朝の七時。昨日は本を読んでて夜遅かったというのにこの仕打ちか。
割れた窓ガラスの破片を適当に集めてゴミ箱へ。
原因は何だ。
誰か石でも投げ込みやがったかと思えば転がっていたのは朝刊だ。
はいはい天狗の仕業天狗の仕業。
「あンのカラス、いい加減にしやがれってんだ」
投げ込むために小さく畳まれた新聞を開いてみる。
一面の見出しに踊っていたのは「さようなら秋」
目を凝らしてみたら見出しの「秋」の後に小さく「姉妹」と添えられてある。
当の記事は、冬到来に先駆けて憔悴していく芋神二人へのインタビューが載っていた。
──今のお気持ちはどうですか?
『紅葉が恋しい冬帰れ』
『豊穣の季節は半年くらいあってもいいですよね冬死ね』
語尾がいちいち恨みがましい。
白黒の写真なのに服も顔色も枯葉色に落ち込んでいるのが容易に見て取れる。
「むぅ、何か呪詛の類でもこもってそうだな」
一枚めくると三面がうどんげのパンチラショットだった。
社会面の記事がこれとは平和なものである。
これがヤツの師匠のものならベルリンの壁が崩壊したくらいの衝撃なのだが。
今さらうどんげのでは、カミナリ爺さん家の窓ガラスが割れた程度の茶飯事だ。
とかく幻想郷に住まう女性にはパンチラひとつ取っても明確なレアリティの差がある。
うどんげ等そろそろパンチラ要員として扱われそうな者もいれば、
永琳やアリスのようにロングスカートでしっかりガードしている者もいる。
この記事を書いたカラスなんぞは、膝上まで行くミニスカートのくせに鉄壁という摂理に逆らった理不尽な存在だ。
そしてどいつもこいつも軒並み容姿のレベルは高いため、里に現れるような人妖はみな人気がある。
この前など、人形劇をするアリスの後ろから近づいてスカートをめくったりするガキんちょもいたりした。
……まあそういった躾のなってないヤツは私がとっ捕まえて「もうやらない」と誓うまで吊すのだが。
閑話休題。
新聞屋としても客を釣るのに、このテの物はいい餌ではあるのだろう。
あのカラスはそろそろ一度痛い目にあった方が良いなと思う。
びゅう、と再び入ってきた冷たい風に体を震わせる。
あとの記事も知れたものなので、テープで貼って割れた窓を塞ぐことにした。
「アリスに倣ってウチもポスト作っておくかな……」
アリスの家には、投げ込まれる新聞対策も兼ねてちゃんとポストがある。
おかげで被害はポストのみに留まり、寒い思いはしなくて済むそうだ。
ばさりとパジャマを脱ぎ捨てる。
見下ろせば、すとんと足下まで苦もなく見える己の体。
キャミソールに包まれたそれは、少女というか幼児体型と言ってもいいくらいで悲しくなってくる。
永琳とかサボ死神みたいになどと贅沢は言わん。
アリスと……いや、せめて霊夢と同レベルくらいまでにはなってくれないものか。
いっそ禁断の手段を講じるか。
古来より豊胸薬と毛生え薬は需要はあっても供給に至らない幻想だ。
だが幻想の存在を是とする幻想郷ならば何とかなるのではないのか。
しかし、魔法の力をもってしても一時的な変化に留まるだろう。
無理をすれば永続的な効果をもたらすことも不可能ではないかもしれないが、反作用も計り知れない。
「……はぁ」
あまりのむなしさに、ため息を吐きながらいつもの服に袖を通す。
──もし捨虫の法を使うことがあるなら、せめて背はアリスより大きくなってからにしよう。
キノコ職人の朝は早い。
工芸品とか作ってるわけじゃなくてただの栽培だけど。
私の魔法は実用・研究ともに魔法のキノコの需要が極めて高い。
だが質の高い物がいつでも取れるわけでもないので、ある程度は自家製でまかなうのだ。
「今日も順調、と……」
栽培記録を付けつつ、育った物をいくつか選んで摘み取る。
ついでにシイタケ、シメジ等も収穫しておく。
温かい御飯にキノコの味噌汁、焼き魚。これぞ日本の食卓だ。
味噌汁をひとすすり。うむ、美味い。
これがわからんとはアリスも不憫なヤツだ。
郷に入っては郷に従え。魔法の森にいるなら私に従えと。
いつかキノコの美味さというものをその身に叩き込んでやらねばならん。
あの柔らかい唇に、こうぐいっとキノコをねじ込んでだな……。
何か目的がずれそうだが、まあその時はその時である。
妙な使命感に燃えつつ、私は御飯をかっ込んだ。
魔法使いたる者、一生勉強である。
特に人間である私はパチュリーのような魔力もなく、またアリスのような技術も持ち合わせていない。
他の連中に比べて劣る部分が多いのだから、日々の努力は欠かせない。
午前九時。
そういったわけで、いつものように大図書館へ来ているのである。
「怪盗魔理沙、華麗に参上っと……」
音を殺して静かに着地する。
窓か壁を破ってけたたましく突入し、司書の小悪魔を蹴散らして。
目的の本を見つけたらパチュリーの弾幕をかいくぐりつつ、踊るように脱出する。
これが美学とも言うべきいつものスタイルではあるのだが。
今日ばかりはちと違う。
「とりあえず、これとこれ……」
私の扱う魔法は分類するなら魔法薬、生薬などを作るウィッチクラフトの類だ。
本棚から錬金学、ウィッチクラフトに関する書物を選び出す。
これを借りるだけなら別にいつも通りの突入でかまわない。
本命はこの後だ。
「……あった」
いつもなら素通りするような一角。
その棚の片隅に今日の目的はあった。
『魔法少女マリあ! 第二巻』
本棚から引き出したそれを確認し、私は勝利を確信した。
昨日、図書館から借りてきた本の中にあった一冊。
文庫本サイズ。小説だろうか。
手当たり次第に掻き込んだわけでもないし、こんな物持ってきた覚えはないのだが。
本の間にでも紛れていたのだろうか。
だが少しは目を通さないと、せっかく借りてきたのにもったいないというもの。
そう思い、ぱらりと本をめくり──真夜中まで読みふけってしまった。
快活だが、どこか抜けたところのある見習い魔法使い麻里亜。
その麻里亜を中心に、妙に個性的な友人達とで繰り広げる日常と冒険がコメディタッチで書かれていた。
そして最後の方で登場した有栖川なるクールだが優しさに満ちた女性。
彼女に一目惚れした麻里亜の揺れる恋心や空回りぶりが、何というかとても共感を覚えた。
読み終わってから表紙を確認すれば、これが第一巻と。
翌日、第二巻を求めて図書館へ足を運んだのも無理からぬことだった。
静かに侵入したのもこのため。
派手に入って恋愛小説を求めている現場を押さえられたらたまったものではない。
念のため、分厚い二冊の書物で文庫本を挟んでカモフラージュ。
これならば一見してバレることもないだろう。
後はこのまま音もなく脱出を──
「挨拶くらいはするものよ」
かかった声にびくぅ、と体が固くなる。
「あ、ああ、そそそそうだな。
よ、よぅパチュリー、元気か?」
「ええ。ネズミを焼き払えるくらいには調子が良いわ」
「そ、そりゃ結構で。じゃあ私はこれで」
「まあ待ちなさい」
箒に跨る私の足下に、小さい火球が着弾する。
「っと、弾幕か?
ちょっと待て、準備くらい……」
うっかり落としでもしたら大変だ。
早いとこ隠さなければ。
あわてて本のセットをスカートの中へ突っ込もうとする私をパチュリーが制止した。
「今日は見逃してあげるわ。これ、持ってって」
パチュリーが差し出した本を受け取る。
一見してわかるほどの魔道書のようだ。
「どうせ七色の家にも行くんでしょ。
あの子に頼まれた本だから、渡してあげて」
「何だよ、私とずいぶん待遇が違うんだな。
アリスにゃ本の注文まで承ってんのか」
「少なくともアリスとは知の交換ができるもの。
同じ待遇をして欲しいなら、まずは正門を通る礼儀から覚えることね」
ぱらぱらと中を確認する。
私の専門ってわけではないが、十分興味を引くものでもある。
蒐集家を名乗る身としても見過ごせないほどには。
「いいのかよ、私に渡して。
これ幸いと着服するかもしれないぜ」
「別にかまわないわよ。
その本はアリスにあげるつもりの物だから、誰が手にしようと私の元から無くなるのは同じだし。
あなたがアリスの不利益を働こうと、私の知ったことではないから」
「ちっ、ヤな言い方しやがるぜ。
わぁったよ、きっちりお届けしてやるさ」
「ええ、おねがいね。
配達料代わりに、今あなたが持ってる本は貸してあげるわ」
穏便に済みそうだし、せっかくだからとっととお暇させてもらおうか。
アリスへ渡す本とまとめてスカートの中へ収納する。
「それと、間抜けなごまかし方してた文庫本の方だけど」
「ぶっ!」
気付かれてたのか。
もしかして、わくわくしながら本棚を探ってた所まで見られてたのだろうか。
もしそうならここでパチュリーを消さねばならない。
最大威力をもって記憶を消し飛ばすほどの一撃をお見舞いせねば。
閃光魔術と恐れられた私の膝がうなりを上げる瞬間を待つ。
魔理沙よ、虎だ。虎になるのだ。
「最新第三刊ができあがったから、貸してもいいわよ」
なんだと。
「告白したくとも一歩を踏み込めない麻里亜。
そして有栖川を狙うもう一人の少女の登場。
三角関係の渦中にいながらそれに気付かない有栖川と、恋の鞘当てを始める二人──」
なん……だと……。
にやにやしながら立て板に水を流すようにつらつらと概要を述べるパチュリー。
読みたい。
激しく読みたい。
「……ん?」
最新刊が『できあがった』……?
『手に入った』ではなく?
「まさか!?」
手元の第二巻の奥付を確認する。
著:パチュリー・ノーレッジ
「お前かよ!?」
「と言うか、一巻読んで気付かない方がどうかしてるわ。
本を読んだら著者くらいは確認しておきなさいよ」
「……あ? ちょっと待て。
ってことは、この『麻里亜』のモデルって……」
「もちろんあなただけど」
そりゃ共感を覚えて当然だよ!
「十代少女の意見を聞くために昨日の本の中に忍ばせておいたんだけど……
どうやら、先が気になる程度には受けてるようね。
これなら行けそうだわ」
「行けるって……何のことだよ」
「魔法書の執筆の息抜きに書いた物だけれど、受けそうなら里の書店に並べようかなと。
魔法使いは何かと物入りだから、副収入にちょうど良いわ」
「並べられてたまるかッ!」
「大丈夫よ。
奥付に『この物語はまあ半分くらいはフィクションです』って書いておいたから」
「この『似たような人物が実在しますが詮索してはいけません』ってのは!?」
「詮索するなって書いてあるじゃない。するやつが悪いから著者の知ったことじゃないわ」
「うがー!」
紅魔館を出た私の手元に残ったのは第二巻のみ。
怒りのマスタースパークはパチュリーもろとも第三巻を灰燼に帰してしまった。
だが一度吹っ飛ばしたところで、動かない大図書館が動き出したらもはや止める術はない。
もしも書店に並ぶようなことがあれば、光の速さで急襲し、すべて買い占めるのだ。
──香霖のツケで。
さすがに紅魔館じゃ里の人間はツケを許可してくれないだろうし。
紅魔館から引き返し、魔法の森上空。
現在午前十一時頃。昼飯にはちと早いか。
ちょうど眼下に見えたので、香霖堂でも冷やかすことに。
「いらっしゃ──何だ、魔理沙か」
中に入った私の方をちらりと見て、お決まりの言葉を投げる香霖。
それきり視線は別の方へ向いてしまう。
「せめて最後まで言い切れよ」
「ちゃんとした客になってくれるなら、いくらでも礼を尽くすよ」
ぴしり、と香霖の手が動く。
「お。いつも通りの閑古鳥かと思いきや、珍しいツラがいるぜ」
「よぅ、朋友」
こっちを向いて手を振りながら人懐っこい笑みを浮かべる河城にとり。
その手が下り、またぴしりと音を立てる。
「河童が出歩くにしちゃ河から離れすぎじゃないか?」
「外の物があると聞けばどこだって行くさ。
他の人にゃがらくたでも私にとっちゃお宝だからね」
「がらくた」と口にされた瞬間、香霖の顔が不満げに変わる。
まあ私からしても、ほとんどはがらくたにしか見えんから仕方ない。
私が拾ってきて押しつけた物も多々あるのだが。
霊夢あたりからすればゴミの山でしかないだろう。
座る場所がにとりに占領されてるので、手近な壺に腰掛ける。
「……んで、何で将棋なんだ?」
この二人、さっきから将棋盤を挟んで熱戦を繰り広げている。
ざっと戦況を見た限り、勝負は中盤。
まだ五分五分と言ったところだが、にとりの穴熊に攻めあぐねている様子。
やや臆病な性格を反映してか、戦術は手堅い。
「『あいぽっど』とかいうのを譲ってもらおうと思ったんだけどね。
これがまたえらい値段吹っ掛けるんだ、この店主」
「当然だろう、外の世界の貴重品だ。
僕だってあまり譲る気はないくらいだから」
「それは店としてどうなんだい。
……とまあ折り合いが付かないもんでね」
「聞けば彼女もかなりの将棋名人だとか。
僕が勝てば言い値で、彼女が勝てば割引きだ。負けられないね」
ばちばちと二人の間で飛び散る火花。
何か居場所無いな私。
所在なく、珍しい物がないか見回したり盤上の様子を眺めてみたり。
「ああ、そういえば」
ふと、にとりが口を開いた。
立てた小指をこれ見よがしに振ってみせる。
「あんたのコレの……アリスだっけ?」
「下衆な河童だぜ」
「さっきここに来たんだけど。
何て言うか、魔理沙に似てるよね」
「似てる? 私が? アリスとか?」
そんなに似てるか?
せいぜい金髪の魔法使いで蒐集家、とかそんなとこだろ。
「結構似てるよ。鰈と鮃くらいには」
「何で河童が海魚に例えるんだよ」
「ふむ。キメが細かく上品な味の鮃と、身が締まってあっさりした鰈か。
……案外と悪くない例えかもしれないね」
ふむふむと得心顔をする香霖。
「……ちょいと霧雨の、何かいやらしく聞こえるのは私の気のせいかね」
「いやいや河城の。男ってのはたいていそういうことばっか考えてる生きもんだろ。
お前も気を付けた方がいいぞ」
「……人を何だと思ってるんだい。
だいたい、そういう台詞はもう少し育ってから言うべきだろう」
「うっわ! 人が気にしてることを!」
足下に転がってたダルマを掴んで思いっきりぶん投げる。
一直線に飛んだ球体は綺麗に香霖の顔面にぶち当たり、ダルマの顔に鮮やかな赤い目が入った。
「ふん、いい気味だぜ。
で、私とアリスが似てるってのはどこから出てきた話なんだ」
む、と香霖の顔が不機嫌に染まる。
「彼女もそこらの物を見ている内に
外の品に興味を持って、ひとつ買っていくと言い出したんだが……」
「口車で半額に値切って行ったんだよ。
店主も上客相手だから無碍に断れなくてね。
おかげで私が値切りづらくなっちゃった」
「はっ、そりゃ私に似てるんじゃなくてアリスの地だぜ」
私なら値段も聞かずに持って行くし。
駆け引きを楽しみながら自分の意見を通すのはアリスの好むやり口だ。
「まあ、それはそれとして。
僕としては、君とアリスがあまり親しくなるといささか困るんだがね」
「……どういう意味だよ」
意識せず、語気が荒くなる。
私がアリスと仲良くしちゃ困る?
だがこればっかりは他人にどうこう言われる筋合いはない。
私はともかくアリスを悪く言われようもんなら、例え香霖相手でもちょっと黙っていられない。
気が付けば拳を固く握っていた。
「彼女はウチの数少ない上客なんだ。
君の流儀に染まられると、それこそまともな客がいなくなってしまう」
胸の内で小さく安堵する。
まあ他人を悪く言うヤツでもないか。
「無駄だよ店主、七色あろうと黒にかき混ぜられたら真っ黒さ。
アリスはもう体の隅々まで魔理沙色に染まっちゃってるよ」
「言い方がいちいちやらしいんだよ、このエロ河童」
握った拳のやり場に困ったので、とりあえず手近な所に振り下ろす。
ぱかん、と河童の頭は小気味良い音がした。
だいぶ時間も潰れたし、そろそろ行くか。
ざっと見回して目に留まった酒瓶を手に取る。ワインだ。
ふむ、これでいいか。
「与太話に付き合わされた代金だ。
これ、もらってくぜ」
かぶっている帽子を脱いでひっくり返す。
魔法を掛けた代物なので、こいつの収納力はそこらの鞄よりもだいぶ大きいのだ。
その帽子の中にワイン瓶を突っ込み立ち上がる。
「こら、勝手に……って君は日本酒派じゃなかったかい?」
「ほんとヤボだね、この店主は。だから独り身なんだよ。
酒なんて一人で飲むもんじゃないだろうに」
「む……。でもそれは結構な貴重品なんだ。タダでやれるほど安い物じゃないんだが」
「まあまあ店主。与太話に付き合ってもらったお礼にそいつのお代は私が持つよ。
しっかりやんなよ、朋友ー」
「ったく、本当に下世話な河童だぜ。んじゃな」
帽子をかぶり直し、ひらひらと手を振って店の外に出る。
閉まる戸の向こうで「王手」を告げる河童の声。
乙女のコンプレックスをつついて私を傷付けた報いだ。
たっぷり値切られるがいいぜ。
香霖の消沈する様を思い浮かべながら、私は箒を走らせた。
「そろそろ昼飯とシャレ込むかな」
時刻はそろそろ正午にさしかかる頃だ。
箒を飛ばす先に見慣れた赤い鳥居が現れる。
封 夢
印 想
「っていきなりかよ!?」
誰もいない縁側から飛来する色鮮やかな光球の群れ。
回避行動に合わせてホーミングする光弾に、隙間を埋めるような札と針の十字砲火。
しかし、いつもより狙いが甘い。
縁側に霊夢の姿が見えないところからして、勘で適当に撃っているだけだろう。
私は螺旋を描きながら急降下し、ギリギリの所で回避する。
しつこく追跡してくる光弾にマジックミサイルをバラ撒いて相殺。
そして開いてる縁側から一気に室内へ向けて箒を走らせる。
「よっしゃ、ゴール──べっ!」
ばいん、と障子の代わりに張ってあった警醒陣にぶつかった。
「食事時を狙って来るんじゃないっての」
ぱたぱたと奥から顔を出す霊夢。
いつもの巫女服にエプロン。
割烹着だとアイデンティティが失われるので極力避ける方向で、とのこと。
和洋折衷ではあるが妙な色気を醸し出している。
「まあ今日はちょうど良かったわ。
あんたにも振る舞ってあげるから待ってなさい」
と、奥へ引っ込んでいく。
しばらくの後、戻ってきた霊夢のお盆には丼が二つ載っていた。
「萃香のやつが退屈だの力が有り余ってしょうがないだのうるさいから、
うどんでもこねてろっつって放っといたらバカみたいに作っちゃって。
私一人じゃ食べきれないから手伝って」
「鬼のうどんか。腰が入りすぎて抜けなくなりそうだな」
湯気の立つ丼からずるりとひとすすり。
噛む歯を受け止めながらも、ぷつりと切れる弾力が心地良い。
「へぇ、さすがに美味いな。
それで、当の萃香はどこ行ったんだ?」
「自分で作っといて食べ飽きたとかほざいて天界に行ったわよ。
帰ってきたら炒り豆ぶつけてやるんだから。
こっちは三日ほど三食うどんだってのに」
ぷんぷんと怒りながら、逆流する滝のようにうどんを流し込んでいく。
あっという間に丼が空になり、お代わりを作りに台所へ消える霊夢。
大量にゆでていたのだろうか、すぐに戻ってくる。
「つーか、メシ食わせるつもりだったのに何で攻撃してきたんだ?」
「『第一条 飯時ヲ狙ッテ来ル者、コレ敵ト断ズベシ』
博麗に伝わるしきたりよ」
「第一条からメシのことかよ。いつから伝わってんだ」
「ん~、先週くらい? これから代々伝えていく予定」
どこからか大量のお布施をする氏子が現れることを願って止まない。
「ふぅ、食った食った」
乙女の小さいお腹では二杯がせいぜい。
目の前のヤツは四杯ほど平らげていたが、こいつは乙女ではないので別の話だ。
「ちっ、こんなことなら保存が利くように餅ついてろって言うべきだったわ」
ふくれたお腹をさすりながらぼやく霊夢。
しかし三食うどんとか大丈夫か。
カロリーが取れれば何でもいいのかこいつは。
「あー……、何で人間って食い溜めできないのかしら」
そりゃどこぞの巫女が冬眠しないようにするためじゃないのか。
食ったそばからごろりと横になる霊夢。
「怠」の字を人の形にするとこうなるんだろう。
ちなみに「惰」を人の形にしたら妖怪スキマババァになる。
二人合わせて良いコンビだ。
やれやれと肩をすくめる。
と、さらりと前髪が目にかかったので軽く払いのける。
「そういやあんた、髪伸びたわね」
「そうか? あまり気にしてなかったが」
基本的に背中まであるロングヘアなので、少々伸びてもそう変わらんし。
「エロいと髪伸びるのが早いって言うわよね」
「うるさい。そう思うなら切ってくれよ」
「嫌よ、めんどくさい。
丸坊主でいいならやってあげてもいいけど。
何のために床屋って商売があると思ってんの」
「……お前はちゃんと床屋行ってんのか?」
「何でたかが髪切るだけで里に出向いて金まで払わなきゃなんないのよ。
自分でやってるわ」
さっきと言ってることが全然違うぞ。
一見ダブルスタンダードのように思えるが、その根底にあるのは「めんどくさい」
それに一貫しているので博麗霊夢はダブスタではないのだ。
「とにかく、私は知ったこっちゃないから。床屋行ってこい」
ぷい、と顔を背ける霊夢。
「里はちょっと、な……。
知ってるだろ、私のこと」
「む、そうだったか」
里には私の実家があり、これでも一応勘当の身。
うっかり会ってしまったら嫌なのだ。
「……なら咲夜にでも頼めばー?
あいつ万能属性のメイドでしょ」
「あー、咲夜は……。この前頼んだんだけどな……」
しばらく前のことを思い出す。
図書館で髪伸びたわね話が出た折りに、メイド長もその場にいたので頼んでみた。
快諾した咲夜は私を椅子に座らせ、目を閉じて動くな、と念を押す。
ちょっと待てと言うが早いか、後ろに立った咲夜は「そうるすかるぷちゅあー」と。
あの時、身じろぎの一つもしていたら髪どころか首から上がさっぱりしていたに違いない。
メイドに冥土送りとかシャレにもならん。閻魔も間違いなく黒判定を出してくる。
「何か相当な目に遭ったみたいね……」
「うん……。もう聞かないでくれると助かる」
当時の恐怖を思い返し、かたかたと震える私に霊夢が哀れみの目を向ける。
「じゃあやっぱ、いつも通りアリスに甘やかしてもらってこい。
あいつならたいていのことはできるでしょ」
「お前な……。私ってそんなに甘えてるように見えるのか?」
霊夢の目が、何やら不可解な物体を目の当たりにしたかのような驚愕に見開かれた。
「……え? 冗談よね?
あれで甘えてないつもりだったの?
甘え度合いであんたと同レベルにいるのって、紫のとこの化け猫くらいのもんよ……?」
驚愕の目は次第に末期患者へ向ける眼差しへと変わる。
よりによって橙と同レベルとまで言うか。
「ちぇっ、もういいや。適当に何とかするぜ」
帽子をかぶり、縁側に出て箒に跨る。
「昼飯ありがとな。ごちそーさん」
「ええ、夕飯時にもまた来てくれると助かるわ」
「そいつは遠慮しとくぜ。
あいにく普通の人間なんで炭水化物ばっかりってのもな。
人はうどんのみで生きるにあらず、だ」
エネルギー補給も完了し、勢い増した箒は一瞬で神社を見下ろすほどに高々と舞い上がる。
温まった体に涼しい秋風が心地良かった。
「さて、どうするかな……」
箒の向かう先は魔法の森。
アリスの家もあるが、私の家もある。
いっそ自分で切るか。
だが以前に自分でやったときは思いっきり失敗してしまった。
切りすぎた部分が元に戻るまでの間、研究で忙しいとごまかして家にこもるハメに。
さすがに同じ失敗をやらかすのはゴメンである。
やはりアリスに頼もう。
霊夢の言うとおりにするのはシャクではあるが。
あいつは人形の髪とかも自分で整えてるだろうし、お手の物のはず。
うむ、何事も餅は餅屋だ。
決して甘えに行くのではないのだ。
それにパチュリーから預かった届け物もある。
理由付けは十分だ。
と言うわけで、箒の向きを微修正。私の家方向からアリスの家の方へ。
「パチュリーから……届け物……?」
図書館では小説のことで頭がいっぱいで気が回らなかったが。
あのビブリオマニア改めブックジャンキーが本を「貸す」どころか「あげる」だと?
それも一見してわかるほどの魔道書を。
プレゼントか? プレゼントなのか?
ふと、図書館での会話が頭をよぎる。
──『そして有栖川を狙うもう一人の少女の登場』
「いやいや……、ただの小説だろ」
──『この物語はまあ半分くらいはフィクションです』
──『似たような人物が実在しますが詮索してはいけません』
「どれだ!? どこまでがフィクションで実在なんだ!?」
第三巻はパチュリーとともに消し飛ばしたため、その少女が何者なのかの確認もできない。
一度考え出すともう止まらないのが霧雨・ノンストップ超特急・魔理沙。
パルパルと──いや、ふつふつと胸の内からもやもやした何だかよくわからん感情が広がっていく。
パチュリーからの贈り物を届ける私。
私自身は手ぶらだ。
酒はあるが一緒に飲もうと思ってる以上、プレゼントとかそういった物には含まないと思う。
感謝の度合いが大きいのはどっちかなど考えるまでもない。
と言うか、アリスも常連なんだから図書館に来たときに渡せばいいだろ。
何でわざわざ私に届けさせるんだ? 余裕か? 余裕なのか?
あれこれ考える内に、私は箒の進路を別方向へと取っていた。
「はて、ここいらって確か……」
午後一時頃。何も良い案が思い付かず、ふらふらと飛ぶ私の行く先がにわかに色付いていく。
少し高度を下げてみると、辺りが色とりどりの花で埋め尽くされていた。
確かあいつの花壇の内の一つだ。
花か。たまにはそういうのも良いかもしれない。
箒を下降させ、花畑の近くに着地する。
どれにするかと見回してみれば、近くの木陰に二つほど知った顔を発見した。
赤のチェック服を身に付けた緑の髪。
少女趣味な白い服を纏った金の髪。
どちらも幻想郷ヒエラルキーで最上部あたりをうろうろしてる妖怪だ。
その二人がやたら近い位置で顔を突き合わせている。
「妙な組み合わせだな。何してんだ?」
「知らないわよ。いきなり因縁付けてきたのはこいつの方だもの」
悪態を付きながら、怒気のこもった視線で相手を指す幽香。
「藍がうるさいから、たまにはやる気を出して結界の見回りをしようかと思った矢先にこれだもの。
あなただって毒蛾が視界に入ったら気分悪いでしょ?」
それをどこ吹く風で受け流す紫。
私に同意を求められても困るがな。
「もしかして喧嘩売ってるの? この風見幽香に?」
「あら、喧嘩だなんて野蛮ねぇ。
それにしても……ぷっ……、今時ステゴロで最強とか……ぷふっ……。
レディにはとても真似できませんわ」
おお、こわいこわいと扇子で口元を隠してくつくつと笑う紫。
いや、ステゴロとか言ってる時点でお前もたいがいだと思うけどな。
ちなみにステゴロとはステ=素手、ゴロ=喧嘩。
要するに素手の殴り合いのことである。
「……ああ、そうよねぇ。そりゃド突き合いなんてできないわよねぇ。
派手に動いたらお顔にヒビ入っちゃうから」
ぶふっ、と幽香が大きく吹き出す。
その瞬間、笑顔を崩さない紫のこめかみにびきっと青筋が浮かんだ。
「いい歳して未だにファンシーなパジャマ着てるような身の程知らずに
レディのあり方を説いても無駄なようね」
「はン、ぶった服程度じゃごまかしきれないババァは哀れなものだわ。
香水でもプレゼントしてあげようかしら。
ラフレシアあたりならあんたのドギツい加齢臭も隠せるんじゃないの?」
お互いの襟首を掴んで笑顔のままごつごつと額をぶつけあう二人。
嵐の予兆を感じ取り、周囲からばさばさと鳥や虫が一斉に飛び立っていく。
あたりに禍々しい妖気が立ちこめ──逃げ遅れたリグルが殺気に当てられてぼてっと落ちた。
至近距離から悪辣な言葉を投げ合う二人をよそに、もう一度辺りを見回す。
咲き乱れる秋の花々。
適当にまとめただけでも鮮やかな色彩を放つだろう。
アリスも喜んでくれそうな気がする。
「なあ幽香。この辺の花、少しもらっていいか?」
ごばっと西瓜を割ったような音。
二人の方に顔を向けると、叩き付けられた紫の頭が半分ほど立木にめり込んでいた。
「は? あんたが花?
何に使うのよ。魔法の実験とか言ったらぶち抜くわよ」
「んー、たまには手土産でもと思ってな」
ごきごきと骨の軋む音。
鉄球をも砕きそうな紫のアイアンクローが幽香の頭を締め上げる。
「あらあら、甘酸っぱい感じねぇ。
誰か私にもお花贈ってくれないものかしら」
霊夢にそういうのを期待するのは酷というものだ。
そして残念ながら紫が花を贈ってもらえそうな日は二ヶ月ほど前に通り過ぎている。
十一月下旬にも感謝の日はあるが、寝太郎は感謝される対象とは縁遠い。
現在進行形で顔面を握り潰されている幽香が指を鳴らすと、
私の目の前にしゅるしゅると芽が生え、見る間に伸びていく。
幽香の花を操る能力だ。
一斉に花が咲いた所でぷつりと摘まれ、空中で一束にまとめられる。
おまけにどこからか飛んできた包装紙とリボンで綺麗にラッピング。
「あげるわ」
「お、さんきゅ」
「便利ねぇ。私にも一束見繕ってもらえませんこと?」
凶悪な右手はそのままに、ころころと笑う紫。
肘から先だけ別の生き物のようだ。
「菊の花で良けりゃ供えてやるわよ。
その前に今すぐ紅いのを咲かせてやるけどね!」
紫の脇腹に貫手が手首まで突き刺さる。
体をくの字に折り、苦悶の表情で血の咳を吐き出す紫。
幽香は顔面から紫の手を引き剥がし、お返しとばかりに握り潰す。
にやりとサディスティックな笑みを浮かべる幽香の鳩尾へ、鉄槌のような紫の膝がめり込んだ。
内臓を粉砕された幽香が膝をつく間に紫の右手は修復を完了する。
「……結局、お前ら何でいがみ合ってるんだ?」
私の投げかけた素朴な疑問に、すっくと立った二人は思いっきり右腕を振りかぶり
「日傘と」
「『りん』が」
「かぶってんのよォッ!!」
大地を割るほどの鉄拳がクロスカウンターで互いの顔面に突き刺さった。
踏み込んだ足が絡むようなクロスレンジでノーガードの殴り合いを繰り広げる。
そうかと思えば背負い投げからマウントポジションに移り、拳の弾幕を浴びせる幽香。
対する紫はそれをガードしながら足だけスキマを通して三角締めに移行する。
「痛っ! さすがに目潰しは反則じゃないの!?」
「あんたこそこのくっさい足引っ込めなさいよ!
靴にドリアンでも詰まってんの!?」
ララパルーザからバーリ・トゥードの様相を呈してきた。
こいつらも似たもの同士だ。
「仲良いな、お前ら」
「あ゙あ゙っ!?」
血の混じった返答の声は綺麗にシンクロした。
午後三時頃。
森の中、開けた空間にマーガトロイド邸が見えてきた。
手札は十分。頭の中で軽く作戦プランを思い描く。
とりあえずパチュリーからの預かり物を渡す。
アリスは機嫌が良くなるだろう。
すかさず花束を渡し、酒が手に入ったから一緒に飲もうと誘う。
断りづらい雰囲気を作りつつ、巧みな話術で「あなたの髪、私に切らせて」的な感じに誘導するのだ。
「……ふふん、完璧だな」
あまりにも完璧なプランに自ら賞賛を贈り、自分へのご褒美をあげたくなる。
恋も流星も落ちるもの。それが霧雨・シューティングスター・魔理沙。
前へ前へと押しまくれ。退かぬ、媚びぬ、省みぬ。
帝王たるもの制圧前進あるのみなのだ。いややっぱ媚びるのはありにしよう。
高笑いしたくなるのを我慢しつつ、私は自信たっぷりに玄関前に降り立った。
ドアの前でノッカーを三度鳴らす。
以前は窓から入ったりしていたのだが、最近はそうもいかなくなった。
窓の内側に雷撃の魔法を付与した見えない糸が張り巡らされていて、触れたらアウト。
突っ込んできたところを、ガツンだ。
軽く一時間は麻痺したまま動けなくなる。
弾幕ごっこなら見えない攻撃は御法度だが、それ以外ならこれ以上ないほどの効果的なトラップになる。
一度そうなって庭先に一時間ほど放置された時はさすがに怖かった。
そして玄関から入ろうとも、ノック無しだったらアリスは応対してくれない。
槍を持った人形が帰れ帰れとつついてきて、当の本人は徹底的にガン無視を決め込んでくれるのだ。
これでは来た意味がない。
「はーい、どちら様?」
がちゃりとドアが開き、アリスが顔を覗かせる。
「魔女の宅急便だぜ。黒猫は連れてないけどな」
「あんた自身、黒いし猫っぽいから要素は満たしてんじゃないの?」
いつものように、中へ通される。
テーブルの上を見ると、これまたいつものように針仕事の最中だったようだ。
「で? 宅急便ってのは何のことよ」
「ん、パチュリーからの預かり物だ。頼んでた本が見つかったとよ」
帽子から魔道書を取り出し、アリスに手渡してやる。
表紙のタイトルを確認した瞬間、ぱあっとアリスの顔が輝いた。
「わぁっ、パチュリーに頼んで良かったわぁ♪
今度ケーキでも持ってお礼に行かなきゃ」
本を掲げてくるくると回りながら喜ぶアリス。
アリスのこれほど喜んだ姿を見ることはそうそう無い。
喜色満面のままソファーに腰を下ろし、手がページをめくり始める。
アリスはすでに本に没頭して、他には目もくれていない。
途中だった針仕事もそのままだ。
……あれ? それだけ?
届けた私にはご苦労様の一言すら無し?
ちょっと泣きそうになったが、私は強い子だ。
まだ頑張るのだ。
帽子から花束を引っ張り出す。
声を掛けて聞こえてなかったら悲しいので、アリスと本の間に割り込むように花束を差し出した。
さすがに気付いたアリスは、花束と私を交互に見て
「……私に?」
「うん」
「……どうも」
事態が飲み込めない、といった風な釈然としない顔で受け取った。
「赤、白、ピンクの秋桜……。
……これ、魔理沙が?」
「……花束自体は幽香に作ってもらったんだけど」
「ま、そうでしょうね……。
魔理沙じゃ花言葉がどうとか考えもしないだろうし」
「何のことだよ」
「別に。上海、これ生けておいて」
アリスの声に応えて、上海が花瓶に水を汲みに台所へ飛んで行く。
そして包装を取り払った花束を生けてテーブルへ。
「にしても、あんたもよくあんな危険生物と話そうって気になるわね」
「悪いヤツじゃないぜ。少なくとも紫みたいに胡散臭くはないし」
「比較対象がそれな時点でお察しじゃない」
はぁ、とため息を吐いてアリスの目は本へと戻っていく。
……あれ? 何で?
「の、喉が渇いたなー。一緒──」
「レモンとか思い浮かべると唾液が出るわよ」
にべもない。
「……じゃあ、レモン味のキスでアリスの唾液を口移──」
アリスの前に回ろうとする私へ、上海が槍を構えて突撃してきた。
「……ぐすっ」
鼻をすする。本気で涙ぐんできた。
いくら強い子だろうと、これは心が折れちゃっても仕方ない。
無理矢理アリスの隣に腰掛けて、帽子からワインを引っ張り出す。
「ちょっと、狭いんだけど。
……ってまだ明るい内からお酒?」
「ふんだ、お前はパチュリーからのプレゼントでも読んでろよ」
「やれやれ、すぐすねるんだから」
本を閉じて脇に置くと、立ち上がって台所の方へ。
戻ってきたアリスがテーブルにグラスを置く。二つ。
「何だよ。明るい内から酒かよ」
「いやって言った覚えはないわ。
それに、一人で飲んでもつまらないでしょ」
本はいつでも読めるしね、と私に向かって微笑んだ。
これだけで「ありがとう」には十分だなぁなどと。
さっきまでの陰鬱な気分が吹き飛んで、小さい幸せに浸れる自分は安上がりだなと思う。
「……ん、美味し。結構良いワインね、これ」
グラスでくゆらせた赤紫色の液体を口に含んで満足そうな吐息を漏らす。
アリスは日本酒も飲むが、結構なワイン党なので口に合って何よりだ。
「ああ、香霖のお墨付きだぜ」
「また勝手に持ってきたの?」
「お前だって思いっきり値切ったりしてるそうじゃないか。
あまり人のこと言える立場じゃないな」
当初の予定とは大幅に違ったが、何とかアリスと一緒に飲む所まで軌道修正できた。
あとは話術でもって髪を切ってあげようか、という展開に誘導しなければ。
「……そういやアリス、お前って髪伸びるのか?」
「いきなり何? 髪伸びたから切ってほしいとか?」
あれ? エスパー?
それともアリスだと思ったが実はさとりだったりするのか?
逆転の発想で私がさとられだったりするのか?
「い、いやいやいや!
何でそうなるんだ。話が飛躍しすぎだろ」
「じゃあ何よ」
「あー、えっと、アレだ。
お前って捨虫の法で成長止まってるけど、そのへんはどうなのかなって。
私だって魔法使いになるのを考えないわけじゃないから、気になったりしただけでだな」
しどろもどろになりながら何とかフォローする。
「別に老化を止めてるだけで、代謝やら何やらをしなくなるわけでもないし。
髪だって伸びるわよ。人間に比べれば緩やかだけど」
「そ、そーなのかー」
「で、それが何?」
「あー、うん、その、それは、だな。
……髪が伸びたんで切ってほしい、です」
プランも何もあったものではない。
……我ながら情けない。帝王の夢は潰えたか……。
「床屋行けば」
私は専門職じゃないもの、とグラスを傾ける。
返ってきた言葉はやはりそれか。
霊夢もそうだったが、まあ誰だってそんな反応を返すだろう。
「……私が勘当の身なのはお前も知ってるだろ。
うっかり会ったら私も向こうもイヤじゃないか」
正直、あまり繰り返したくない台詞だ。
だが他に切れるカードがないから仕方がない。
「あんた、里の和菓子屋の常連じゃない。
床屋よりずっと会う確率高いでしょうに」
「ぐっ」
しまった。
物事を深く考えない霊夢と同じ手はさすがに通じてくれない。
いや、理由はあるんだが。
あまりに恥ずかしいというか、笑われそうで。
「それで、床屋に行きたくない『本当の』理由は何なのよ」
これではちゃんとした答えを聞くまで追及を止めてくれそうにない。
ええい、言えばいいんだろ言えば。
「……あまり親しくもない人に髪触られるのがいやなんだよ。
だから床屋は行きたくないんだ」
ぼそりと蚊の鳴くような声でつぶやく。
言ってしまった。笑いたきゃ笑え。
そん時ゃ思いっきりひっぱたいてやる。
「ふーん、それなら仕方ないわね。やってあげるわ」
だが、返ってきたのは肯定の答えだった。
「……笑わないのか?」
「どこか笑うところがあったの?
私だって知らない人間に髪を触られたくないもの」
じゃあ早速始めましょうかと微笑み、アリスはグラスの残りをあおって立ち上がった。
大きい鏡がある場所、ということで洗面台のある脱衣所へ。
鏡の前にダイニングから持ってきた椅子を置く。
切って落ちた髪を片付けやすいように、椅子の下に何か敷いてある。
今日の朝刊だ。実に有効利用である。
シーツを巻いて首から下を隠し、髪が服の中に入らないように。
椅子に座って私の方の準備は完了だ。
ほどなくアリスが散髪用の長い鋏を持ってやってくる。
「さて、お客様。どういった感じにしましょうか?」
「アリスが惚れそうな美少女に仕立ててくれ」
「何だか急に丸坊主が好きになりそうな気がしてきたわね」
「……全体的に少し落とすだけでお願いしますわ」
編んだお下げを解き、髪全体に櫛を通して毛先を揃える。
しゃきんしゃきんと軽快な鋏の音。
櫛を通す手付きも鋏さばきも迷い無くスムーズだ。
それ以上に何だか気持ちいい。
人に髪を切ってもらってこんな気分になったのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
「……どうしたの?」
「え? どうもしないけど、何だ?」
「妙に顔がにやけてたから、くすぐったかったかなって」
──ああ、思い出した。
「いや、何だか気持ち良くてな。
小さい頃に母さんに切ってもらった時と同じような感じだ」
咲夜に切ってもらったときは恐怖しか感じなかったし、
嫌々ながら床屋へ行ったときも、正直不快がつのるばかりだった。
だが今は安心感というか、月並みな表現だが優しさに包まれているような感じがする。
「あー、あんたの甘えぐせってマザコンから来てるのね。
はーい、前髪切るからちょっと目つぶって」
ミもフタもないこと言われた。
目を閉じると、指で揃えられた前髪に鋏が入っていく。
「マザコンってお前……、もう少し言い方ってもんがあるだろ」
親思い……、親父は嫌いだから母思いとかで。
それにアリスまで私が甘えてるとか言うし。心外だ。
「いいじゃない、マザコンで。
魔理沙の笑顔が暖かいのも、何だかんだ言って優しいのも、
お母さんに優しくされた思い出があるからでしょ。
自分が知らないことは人にしてあげられないんだから。幸せ者よ、あなたは」
「んじゃ、お前は相当甘やかされてたんだな。
お前くらい甘いやつはそういないぜ」
アリスはたまにすごく恥ずかしいことを臆面もなく口にする。
そういったときの私は、たいてい照れが入って上手く切り返せない。
こんなのでも精一杯の皮肉のつもりだ。
間抜けにもほどがある。
目を開いたら、しゃがんでいたアリスとばっちり目が合った。
「そうねぇ。私は箱入り娘のお嬢様で、何よりお母さんがあれだもの。
そりゃもぉ溺愛されて育ったから、私もついついあんたを甘やかしちゃうのかもね」
突然アリスに抱き寄せられた。
ぎゅっと頭を胸に押しつけられる。
柔らかい物に包まれるふわふわの感触と甘い匂いでどうにかなりそうだ。
「とまあ、いつもこんな感じにされてたかしら」
「……結構なことで」
鼻血が出なかったのは奇跡に近い。
その後もアリスは手際良く私の髪を整えていく。
今日は色々と飛び回ったせいか、疲れと安心感から眠気が襲ってきた。
船を漕ぎそうになって、はっと気が付くのを何度か繰り返す。
「寝てていいわよ。あとは仕上げだけだから」
「ふぁ……、そうさせてもらうぜ……」
重くなっていくまぶたへの抵抗を止めると、あっさりと眠りの世界に落ちていった。
「ん……」
夢の中から帰ってくると、リビングのソファーに座っていた。
散髪が終わった後で運ばれたのだろう。
時計に目をやれば、そろそろ六時といった頃か。
「お目覚めのようね」
すぐ隣から声がかかる。
どうやら本を読んでるアリスにもたれかかって寝ていたようだ。
「ああ。髪、ありがとな」
座ったまま、んっと伸びをして体をほぐす。
何か妙な物が見えた。
私の腕──と言うか袖がいつもと違う。
よく見たら見慣れない物に包まれているのは体全体だった。
慌てて脱衣所へ行き、己の姿を鏡に映す。
少しだけ額を露出させるように流してピンで留め、リボンで飾られた髪。
これでもかと言わんばかりに随所がフリルった、紫でも手を出すのを躊躇いそうな純白の服。
可憐とか清純とか乙女とか、その手の少女趣味な言葉をブチ込んでこね上げたような姿だ。
「な、何じゃこりゃぁぁっ!?」
私か? これ私なのか?
実は数千年前の紫が映ってるとかじゃないのか?
「ああああアリスぅっ! これやったのお前か!?」
わたわたとリビングに戻って、犯人と思しき人物を問い詰める。
と言うか他に誰もいないのだから間違いなくアリスの仕業だ。
当然、アリスもしれっと自供した。
「ええ。終わっても全然起きないから、ちょっと楽しませてもらっちゃった。
私が惚れそうな美少女に仕立ててくれって言ったじゃない。
すっごく可愛いわよ、魔理沙」
満面の笑みを浮かべるアリス。
怒りか羞恥か、かぁっと顔が赤くなるのがわかる。
そして見せびらかすように示してみせる、アリスの手にあるのは──
「お前、それ!」
「いいでしょ。今日、香霖堂さんで見つけたから買っちゃった」
パパラッチ天狗も御用達のアイテム。
見たままを写し取るという魔法のような道具──カメラだ。
てことは、この姿のままの寝顔を保存されたのか。
こんなもん公表されでもしたら霧雨魔理沙の終焉である。
「それ、誰にも見せるなよ!
もし見せたらアリスでも絶対許さないからなっ!」
「あら、捨てろとか言わないんだ。じゃあ大事に取っておこうかな」
「あっ……! ぐぐっ……。
はぁ……もういいや。ほんとに誰にも見せないでくれよ……」
懇願する。もはや完全にお手玉だ。
髪は切ってもらったし、これ以上墓穴を掘らないうちに今日は引き上げよう。
玄関に向かいかけたところで、服がフリルの権化であることを思い出す。
「……そうだ、私の服は?」
「ほこりっぽかったから洗ったわ。
ちゃんと家の中を掃除しないと、洗濯しても意味ないわよ」
「……んじゃせめてもう少し普通の服貸してくれ。
これじゃ動くに動けないぜ」
フリルの塊を脱いでブラウスとワンピースを貸してもらう。
これならまあ誰かに見られても問題ないだろう。
がちゃりとドアを開けると、外はバケツをひっくり返したような豪雨だった。
「さっきまで晴れてたのに、秋の空は魔理沙の顔ね。はい、傘あるよ」
水色の大きめな傘を差し出すアリス。
何だその中国人みたいな言い回しは。
それに何だ私の顔って。笑ったり泣いたり忙しいとでも言いたいのか。
外を見る。
45度で吹き付ける雨の中を飛んで、傘がどんだけ意味あるものやら。
この雨で外に出てるようなバカはまずいないだろう。
これで風邪でも引いた日には間抜けの見本市に並べられること請け合いだ。
無理して強行しても良いこと無さそうだし、泊めてもらおうか。
「……なあ、アリス。今日は冷え込みそうだし、抱き枕の需要とかないか?
あいにく裏返しても下着姿にゃならないけど」
「素直に泊めてって言いなさいよ。まあお好きにどうぞ」
「んじゃ、泊めてもらう代わりに夕食の支度くらいは私がやるぜ」
「それはいいけど……。
魔理沙が泊まる予定が無かったから買い出しに行ってないのよね。
私一人なら簡単に済ませようかなって思ってたし」
台所にある魔法のかかった保冷庫の中をのぞいてみる。
じゃがいも、人参、玉葱……ほとんど野菜ばかりだ。
「ふむ、十分だろ」
「何作るの?」
椅子に掛けてあった帽子の中を探り、目当ての物を取り出す。
ミックススパイスとも言うアレである。
「魔理沙さんの愛情カレー」
「……変なキノコは入れないでね」
変でないキノコなら良いのかと。
裏ごししたマッシュルームを加えて煮込んだカレーを出したら、「美味しい」と笑ってくれた。
料理の得意なアリスのことだから、たぶん気付いていただろうけど。
とにかく一歩前進である。
このままキノコ無しでは生きられない体に……っとそこまで行ったらマズいな。
食事の後は私が後片付けしている間に、アリスが風呂に湯を張り入浴の準備。
入ってる間に寝間着を用意しとくから、と言うので先に頂かせてもらうことにする。
上がってみればパジャマと下着一式が丁寧に置かれていた。
アリスの下着を穿いて良いもんかとも思ったが、こうして出されてるからには向こうは了承済みなのだろう。
身に付けてみると、服はともかく人の下着というのは何だか座りが悪い。
いつも穿かないようなショーツだからなおさらだ。
さて、アリスが風呂に入っている今がちょうど良いし、日課に移るとするか。
リビングのソファーにもたれかかり、帽子からハードカバーの本を一冊取り出す。
ペンを右手に、それを開いて書き込んでいく。
「……っと、今日の分はこんなところかな」
ぱたん、と本を閉じる。
表紙に書かれたタイトルは「霧雨魔理沙の華麗なる日々」
ただの日記だ。
私は魔法の研究日誌とは別に、日々の日記も付けている。
魔法の研究も大事だが、みんなと遊んだり騒いだりバカやったりというのもそれ以上に大切なことだ。
人間の記憶は例えれば木のようなもの。
大事な幹や枝は無くならずとも、葉っぱは生え替わり続ける。
そのままじゃ忘れてしまいそうな些細なことでも、こうして記録に残しておくのだ。
ほとんどはどうでもいいことだろうけど、それでも私を形作る一部なんだから。
もし偉大な魔法使いにでもなったら、これを元に自伝でも書くさ。
「魔理沙ー、あんた今日は抱き枕なんでしょ。
油売ってちゃダメじゃない」
ふぁ、と小さいあくびを手で隠すパジャマ姿のアリス。
……本気にしてたのかよ。
「へいへい、今行くぜ」
日記を帽子に突っ込んで、寝室へ向かうアリスの後ろを付いていく。
「……さっきの、何書いてたの?」
「魔理沙さんの秘密の魔道書だ。
誰にも見せない……と言うところだが、まあ私が死んだら譲ってやるよ」
「いらないわ。
……おねがいだから、死ぬなんて気軽に言わないで」
「……ん、ごめん」
振り返らずにアリスが言う。
いつもの小言ではなく本当に怒っているのだと感じ、私は素直に謝った。
先を歩く背中の冷たい印象がふっと和らぐ。
「それにあんた、昼間は捨虫の法がどうとか言ってたじゃない」
「そうだっけか。じゃあやっぱり秘密のままにしとくかな。
秘密のある女は美しいって言うし」
二人だとちょっと狭いベッドに押し込められる。
でも今の私は抱き枕なので文句は言わないのだ。
抱き枕じゃなくても言わないけど。
抱き枕らしく抱き寄せられ、太ももで挟むように足を絡められる。
「……魔理沙、寒くない? 私、人間より体温低いから」
「んにゃ、大して変わらんだろ。私にはあったかいよ」
実際は暖かいと言うか暑いくらいだけど。
アリスに触れられた部分から無駄に熱くなってくるのだ。
「いい匂いがするな、アリスは……。安眠できそうだ」
「……何か言い方がやらしくない?」
「抱き枕だからそんなつもりはあまり無いんだぜ。
そういやエロいと髪の伸びが早いそうだ。伸びたらまた切ってくれよ」
「はぁ……、何だかここ最近ため息ばかり吐いてるような気がするわ。
ため息吐くと幸せが出て行くって言うけど、本当かしら」
「ああ、そりゃあふれて出てんだよ。幸せもんだなー、アリスは」
「……そうならいいわね」
また大きなため息を吐いたので、口から補給してやったらいきなりやるなとぶん殴られた。
──今日のページにもう少し書くことができたようだ。
とか思ったらなにこの綺麗な後書き。
唯一気になったのはもうひとりの少女がどうなったのか。
たまらん。ニヤつきが止まらん。
だがそれも良しっ!!
現実に疲れ切ったやつらにはいい目の保養になるぞこれは!!!!
だが素晴らしい内容だったので不問としよう
なのでこの点数です。
デレないアリスもいいものですね
パッチェさんの動向が気になるんで今すぐ続編を!
おやつに食べたショートケーキより甘めぇやwww
>本を読んだら著者くらいは確認しておきなさいよ
あんまり気にしない私は異端でしょうか?
だがしかし後書きが大惨事www
砂糖の山ができました
…いいよ
いいよ!
これはいい精神への栄養分
いいぞもっとやれ
魔理沙可愛いよ魔理沙。
お姉さんアリス大好物です
あと著者はらっきょ厨とみたw
ごちそうさまでしたww
ごちそうさまです
危うく部屋が砂糖で埋まるとこでしたよ
GJ!
そしてどえらいステゴロかましつつ、割といい人してるゆうかりんも良かったですww
しかしラフレシアのにおいは・・・・
乙女の純真や乙女の真心といった純潔系の花言葉
ゆうかりんったら。
まぁ何はともあれGJ
悪くない……いや、いい!
マリアリもゆかゆうかもツボだったw