心を読めるから自分達は周りから嫌われる。ならば話は簡単。心の眼を閉じてしまえば良い。他者の内側を覗き見る事など出来なくなってしまえば良い。そうすればもう周りから怖れ疎んじられる事も無くなるだろう。
そう言って第三の目を閉ざしてしまった妹。そんな妹を古明地さとりは、何て弱い子なのだろう、何て可哀想な子なのだろう、そう哀れんだ。どの様な理屈を付けるにせよ、妹のした事は結局単なる逃避。他者との関わりの手段を捨て己の内に閉じこもったに過ぎない。
結果、妹は誰からも嫌われない代わりに誰からも好かれもしない、その存在を認識すらされない、正に道端に落ちている小石の如きものになってしまった。姉であるさとりにすらその心の内を読む事は出来なくなってしまった。
あらゆる者の内側を知る事の出来るさとりが唯一読む事の出来ない存在。さとりにはそれがとても怖く思えた。同時に実の妹に対してそんな思いを抱いてしまう己がどうしようもなく嫌だった。
だからさとりは、何とかしてまた妹に第三の目を開いてほしい、そう願っていた。ペットを与え、妹に他者との触れ合いの意味を体感させようとした。効果はあった。少しずつではあるが妹に変化の様子が見えてきた。そうして先の異変、地上の山に在る神社で出会った面白い人間、妹はそれに大きな興味を持った様で、暫くの間は姉妹の会話はこの不思議でちょっと凶暴で、でもとても素敵な人間の話題で持ち切りだった。そうしてさとりは思った。妹は確実に他者への興味を持ち始めている。他者との関わりを求め始めている。
あと少し。妹が再び第三の目を開くのも、もうあと少し。
そうして今、古明地こいしの胸にある第三の目、その目蓋は未だ閉じられたままだった。
◆
「あら、お久しぶりね」
思わぬ来訪者の顔を見て四季映姫は一瞬その顔に驚きの色を見せ、けれどもすぐに柔和な笑顔に戻って言った。
「どれ位ぶりかしら。もしかしたら、そう、貴方に火焔地獄跡の管理を委託して以来かも」
「そうですね。どうもご無沙汰を」
そう言って頭を下げる来訪者。旧地獄の中心に建てられた地霊殿、その主であり火焔地獄跡の管理を任されている妖怪、古明地さとり。
「本来なら先の異変、その直後にでもご報告に上がるべきところを」
「ああ。その件なら別に」
申し訳なさそうな顔で再び頭を垂れるさとりを前に映姫は笑って手を振る。
妖怪の山の神様が地獄の鴉に八咫烏の力を与えた。その件については既に是非曲直庁にも報告は届いていた。そうして担当である映姫が下した結論は、特に問題なし、そんな事であった。事態が大きくなったのは神様の連絡不徹底によるものだが、それにより何かしらの具体的な被害が出た訳でもなく、増長し地上侵出を目論んだ地獄鴉も人間と地上の妖怪達に懲らしめられ反省。実害が発生せず事後の不始末も無し。なら何も問題は無い。この程度の事で一々驚き慌てふためいていては幻想郷担当の閻魔なぞやってはいられない。ヤマザナドゥの名は伊達ではないのだ。
「そもそもこちらは旧地獄の管理一切をそちらにお願いしてる、そう言う立場なのだから。余程の事でも無い限りは口を挟む心算も有りません」
「そう言っていただけるとこちらも気が楽になります」
有難う御座います。そう言って三度頭を下げるさとりを見て、相変わらず丁寧な物腰、と、それから映姫は訊ねた。滅多な事では地霊殿を離れぬ彼女がわざわざにやって来た理由。
「少し頼み事を」
そこ迄を言って、いいやそれも違うか、そんな事を呟いてさとりは言葉を組み直す。
「少し、そう、確認をしたい事が有りまして」
「あら、何かしら」
さとりが小さく口を開く。
けれどそこから、暫くは何の音も漏れてはこなかった。視線を虚ろに泳がせながら声も出さずに不確かな口の動きを見せる。
これは一体どうした事だろう。不思議に思った映姫のその心を読み取ったか、大きく鼻から息を吸い、そうして口からゆっくりと吐き出して、それからようやっとさとりは話し始めた。
「閻魔様や鬼の方々と違い神格には縁遠い一介の妖怪である我が身。当然その身には限りと言うものがあります。その事に関して少し、閻魔様に、是非曲直庁に聞いておきたい事が」
また回りくどい、こちらは心は読めないのだからもう少し判り易く言ってくれれば。映姫は心の中で呟く。
「これは申し訳有りません。配慮が足らず」
「あ。ううん、違うの。いえ、違くはないけど。でもまあ、別に気にしないで」
少し困った風で手を振る映姫に、では簡潔に、と、さとりは続ける。
「私の身にもしもの事があった場合、後継の者に地霊殿を任せる、それを許可していただけるか否か」
思ってもいなかった質問に、小さく開いた口へ手に持った悔悟の棒を当てて隠す映姫。もしも、などと。何かこれからもしもの事でもある予定なのか。
そんな閻魔様を見て、そう言う訳では、言ってさとりは首を振る。
「こういった話は事が起きる前に予めしておくべき。本来、そう言うものでしょう。
先の異変で、世の中いつ何が起こるか判らない、そう思い知りまして。これも良い機会かと」
そう言う事なら。顔半分を隠していた悔悟の棒を下ろす映姫。
「先程も言った通り旧地獄についての一切はそちらに任せています。ですから貴方が後継として認めた人物ならば、その資質に相当の問題でもない限りはこちらが拒否するという事はありません。
勿論、是非曲直庁としてその人物へのバックアップも惜しみません」
「そう、ですか。それを聞いて安心しました」
有難うございます。腰を折って深く深くに頭を下げ、そうしてさとりは映姫の元を後にした。
◆
「おうこりゃまた、珍しい顔が」
旧都の一角、常に暗闇の地下に在って昼夜の別なく大勢の妖怪達で賑わう酒場。その表に出ている屋台で銅鑼の様に大きな杯を傾けていた勇儀が、嬉しそうな顔で笑いながら声を掛けてきた。
「ありゃま、古明地の。これは確かに珍しい」
勇儀の隣で呑んでいた萃香も驚きの声を上げる。地上に出て行った筈の彼女、とは言え何も深い理由と一大の決心を伴って地底を捨てたと言う訳でもなし、先の異変で地上と地下の交流が僅かながらに復活したと言う事情もあり、こうして平気な顔で上下を行き来しては友人と酒を楽しんでいた。
「良い事だ。うん、良い事だ。
あんなでっかいお屋敷で、ででーんと座ったままで表にも出やしない。だからあんたはほら、そんな日陰のもやしみたいな手足になっちゃうんだ。だから、うん、こうして偶には外を出歩く位はしなきゃ」
腕を組みながら何度も大きく頷く勇儀。そんな彼女を見て、本当に鬼は裏表の無い、そうさとりは笑った。
「それにしても」
言って彼女は勇儀と萃香、二つの赤ら顔を交互に見比べる。
「お二人は一体、何色になるのでしょう」
「赤色ね、今は。て言うか萃香は常日頃からだけど」
伊吹瓢から酒を注ぎながら白い歯を見せる勇儀。彼女の言葉に、いえそうではなくて、さとりは首を振る。
「赤鬼とか青鬼とか、そういった意味で、なのですが」
はてそう言われれば。鬼二人の手が止まり、そうしてお互いの顔を見ながら暫く頭を回してうんうん唸る。
「萃香はさあ、紫鬼じゃないの。服からして」
「んじゃあ勇儀は金鬼かしら。髪の毛」
「それだと別の奴とかぶりそうな気が」
暫くはあれだこれだと言い合っていたがどうにも確とした答えが出てこない。頭を掻き少し困った顔を萃香はさとりに向けて見せた。
「うちらの世代はそう言う、色で区別とかはあんまりしてなかったしねえ」
「若い衆だったらもしかしたら」
赤鬼と青鬼を呼べば良いんだっけ。そう言って席を立とうとした勇儀。そうではなくて。慌ててさとりは手を振り彼女を留める。
「良いんです。今のは只の、そう、ちょっとした興味本位で聞いてみただけですので。
今日こちらに顔を出したのは」
さとりの視線が萃香に向けられた。
「一つ、お願いしたい事が有りまして」
“名探偵サトリ”
「こんにちは、お姉さん」
「温泉卵ある? 温泉卵」
(こら、おくう。他所様の家にお邪魔して最初にそれは失礼でしょう)
また来たか。人懐こい笑顔でぶんぶんと手を振り現れた二匹の顔を見て、縁側に座り掃除合間のお茶を飲んでいた霊夢は、もうそろそろ色々と諦める頃合なのかなあ、そんな事を思わずにはいられなかった。
毎度お馴染み火の車、参拝客の一人も見えはしない博麗神社。それも当然。招き猫として世話をしてやっているのが人里から死体を盗む地獄の猫。その友人が地上を灼熱地獄にして支配しよう等と考えていた地獄の鴉。こんな文字通りの地獄の使者が平気な顔でちょくちょくと遊びに来る様な神社、そりゃ普通の人間が寄り付きもしない訳だ。参拝ついでに地獄へご案内されては堪ったものではない。
(神社に人が来ない理由は別にこの子達のせいだけでもないと思うんだけど)
「五月蝿いわねえ。動物の癖してなに偉そうな、人の心を見透かした様な口を」
ちょっと待て。今の声、目の前の二匹、いずれの声とも違う。湯飲みを置き、じいと目を細める霊夢。
(ここですよ、ここ)
声が聞こえたのは二匹の合間。思わず顔をしかめる霊夢。何これ気味の悪い。
(あら失礼ね)
小さな目玉が一つ宙にふわふわと漂っていた。目玉といっても眼球そのままが剥き出しと言う訳でもなく、濃く重い赤色した球体、その真正面がぱくりと開いてそこから目が覗く形。霊夢には見覚えがあった。それに声の方にも聞き覚え。
(ええそうです。こんにちは)
そうして人の心を覗いたかの様なこの喋り方。間違い無い。
「何の用よ、さとり」
て言うかまた随分と小さくなって。湯呑みを再び手に取り、ずずいと音立て啜りながら心の中で霊夢は言う。
(別に小さくなった訳ではありませんよ。この間の貴方達と同じ。鬼にお願いをして地上の賢者に作ってもらったの)
ああ成る程。霊夢は理解した。以前の地底探索の折、紫が作って持たせたあの陰陽玉。あれと同じ様な物か。
(私にも立場が有りますからね。そうそう簡単に地霊殿を離れ地上に出る訳にもいかないの)
それは大変ね。にしても紫め、こないだは人を唆してまで地底に行くのを嫌がった癖に。心中で愚痴りながら今度はお煎餅に手を伸ばす。
(ああいえ、そうではなくて。彼女自身は地底には来ていません。私が依頼をしたのは鬼に、ですし、これを届けに来てくれたのはペットの狐さん。地上の妖怪がそう簡単に顔も出せないからこっそりと、って。どうもやはり、向こうにも向こうの立場が有るみたい)
ああそう、んで結局何の用。ばりぼりと豪快にお煎餅を齧る霊夢。鴉が涎を垂らした非常に判り易い顔を向けてきているがそれは気にせず放置する。
(まあ、ちょっとした用事を。て言うか貴方、もしかして一言も口を聞かない心算なのかしら)
ご名答。心を読むというさとりの能力、確かに鬱陶しいと言えば鬱陶しくもあるが、こうした口を別の用途に使っている場面では有難いものでもあった。今霊夢の口は堅いお煎餅を小さく砕き喉の奥へと送る作業で忙しいのだ。
(面白い人間ね。本当、うちのペットになってくれないものかしら。三食おやつと昼寝は保障するんだけど)
それが用だと言うのなら。未だ口中で物を咀嚼しながら懐に手を入れる霊夢。
(落ち着いて。今のは冗談。それにしても全然揺るがないのね。神社は火の車だって聞いていたからもしかしたら、とは思ったのだけど)
確かに博麗神社は火の車。それは間違い無いのだが、それが即ち霊夢が食にも事欠く貧困の渦中で喘いでいると、そう言う訳でもない。神社が火の車と言うのは参拝客が少ないと、そう言う事。食料や日常で必要とされる品についてはある程度は自給自足、足りない物は知人を頼れば何とでもなる。なので神社での生活は、人として見ればむしろ幻想郷内ではかなり裕福と言える程のものであった。
(それもそうね。そうでなければこんな、真昼間から仕事もせずにのんびりだらだらとはしていられないか)
仕事ならしてるわよ、見ての通り境内お掃除の真っ最中。心で反論しながら今度は羊羹に手を伸ばす。鴉がはあはあと五月蝿いが全く気にしない。そうして三度訊ねる。何の用。
(用と言うのはね。ちょっと神社を)
「神社を乗っ取りにきぴゃお!?」
さとりの言葉を遮った鴉の言葉。それを更に遮る針一本。すこん、と良い音を立て脳天に突き刺さったそのか細い一本の痛みに転げ回るおくう。以前にやり合った時のお札とは段違いの威力。
「本当、この鳥頭は。定期的に痛い目見せないと駄目なのかしら」
「ちょっとタンマお姉さん。冗談なのよ、おくうの今のは冗談だからっ」
暢気を殺気に切り替えて立ち上がる巫女を慌てて押し留め、それから友人の額に刺さった針を抜くお燐。馬鹿な事を言うから、そう言って涙目の友人の頭を擦る。
「だってえ」
顔と声と、その両方に不満の色を全く隠しもせず巫女を睨むおくう。
(やめなさい、おくう。彼女、今の針以外にもまだ色々、この間は出さずにおいていたものが有るみたい。火焔地獄跡なら兎も角、今この場じゃちょっと勝ち目は薄いわよ)
それにそもそも今回は荒事を起こしに来た訳ではない。ペットが失礼を。さとりは詫びの言葉を入れ、随分と本題に入るのが遅くなったけれど、そう話し始めた。
(神社を少し、貸して欲しいのよ。探偵事務所としてね)
探偵って、何を一体。心の中に大きな疑問符を浮かべる霊夢に向けてさとりは言う。先の異変によって現在の地下の様子が地上の妖怪達に知られ、忌まわしき力を持った奴等、何を企んでるとも知れない、そんなであった印象も随分と改善されてきた。こうしてお燐やおくうといった地底の妖怪が普通に地上へ出る事も可能になっている。なればこの機会、活用して更に地底妖怪の株を上げられぬものか。
(そこで私のこの能力を活用して、探偵業でも始めてみようかと思って)
心を読むさとりの力。探偵をするのにこれほど有効で無慈悲ですらある能力も無い。とは言え旧地獄の管理を任されているさとり本人が地霊殿を離れ地上に出向く訳にもいかず、こうしてペット達に通信用の目玉を持たせて代わりに足を動かしてもらう。
「所謂アームレスリングのディフェンディングチャンピオンってやつね、さとり様は」
まるで我が事の様に誇らしげに鼻を鳴らすおくう。て言うか何だそれは。首を傾げる霊夢。日陰のもやしに髪の毛を生やした様なあの妖怪、それが何をどうやれば腕相撲なんかで勝てるものか。読心なぞまるで意味も成さぬ筈。それとも何か、袖に隠れてよくは見えなかったあの中身、まさかむくつけき益荒男の如き。
(そこまで。それ以上はやめてちょうだい。貴方の心象、私にも流れてくるんだから。
正確にはアームチェア・ディテクティブ、安楽椅子探偵。おくうの言う事を余り真に受けないで)
それもそうかと頷く霊夢。所詮は鳥頭。
(まあそう言う訳で、神社を地上での活動拠点とさせてもらいたいのよ。勿論、地上の賢者から許可は得ているわ。この目玉を作ってもらったのがその証拠)
「ああそう。ううん、でも。あんたら火焔地獄跡の管理が仕事なんでしょ。それなのに」
(それについては、この間の件で温度が異常に上がってしまってね。暫くは冷ます為に燃料は入れず天窓も開けっ放しで置いておくしかないの。それを見ておく位の仕事なら他のペット達でも充分だし)
「そう。でも、ううむ」
ただでさえ里では妖怪に乗っ取られたと言う失礼な噂まである神社。それが本当に地底妖怪の出張所みたいな事になってしまうのは流石に巫女として不味い気もする。とは言え悪さをする心算は無い用で。いやいやそもそもそれ以前、本当にこいつらに探偵なんかが出来るものなのか。
(そう。それなら一つ、今この場で事件を解決して見せようかしら。何か無い? 未解決になっているままの異変とか)
「何かって言われても」
大なり小なりの異変の数々は幻想郷ではちょくちょくと起きるものだし、そうしてその殆どは自分のこの手で既に解決してしまっている。未解決の、と言われても。顎に手を当て唸る霊夢であったが、そう言えば、と、彼女の脳裏に浮かんだちょっとした、事件とも異変とも言えない様な本当にちょっとした、けれども奇妙な出来事。
「もう結構前の話なんだけど。台風のあったその翌日、台所の甕に入れてあった食用の鯉が何故か居間で跳ねてたって、そんな事があったわねえ」
強風のせいでどうたらこうたら。その時一緒に居た魔理沙はそんな事を言っていた気もするが、しっかりと戸締りをしていた家の中、しかも甕それ自体は無傷だったのだ。どう考えても風のせいではない。
そう言えばそれ以前にも。霊夢は更に思い出す。境内で拾った大きな卵。割って食べようとしていた所が魔理沙と話をしてちょっと目を離した隙、忽然と消え失せる、そんな事もあった。あれもまたおかしな出来事だった。
(それ、どちらも同一犯よ)
「そうなんだあ。
って、もう犯人が判ったの」
(ええ。お燐、おくう、ちょっと耳を貸して)
流石に驚きの顔を見せる巫女を他所に、二匹と目玉が小声で何やらこそこそ話し始める。
(それじゃおくうお願い。呉々も当てない様にね)
「了解です、さとり様」
元気よく答え左手の内に小さな黄色の弾を一つ、作り上げて浮かべるおくう。そうしてそれを境内に在る一本の林檎の木を目掛けて投げつけた。
「ちょっとあんた、人の家で何を」
弾は木をかすめる様にして空に呑まれていく。当たりはしなかったとは言え人の家で物を壊す様な真似、霊夢も黙っては見過ごせない。
(別に、端から木を折ろうなんて心算もないわ。それより下、見てごらんなさい)
言われて視線を下ろしてみる。木の根元、そこに。
「ちょっとサニー、見つかっちゃったじゃないっ」
「私のせい? ルナがサボってちゃんと音を消してなかったんじゃないのっ」
「二人とも、喧嘩なんか後にして早く音と姿を」
一体いつの間に何処から湧き出たか、三匹の妖精がぎゃあぎゃあと何かを言い争っていた。
(姿を、音を消す。地上の妖精は随分と面白い能力を持っているのね。まあ、私の前では無意味だけど)
例え目に見えずとも耳に聞こえずとも、心を隠せなければさとりの第三の目からは逃れられない。
(成るほど貴方達、この巫女に悪戯しようとちょくちょく神社に来ていたみたいね。今日もそう言う事で隠れて様子を窺って。まあ、お蔭でこちらは助かったけど。犯人を捜しに歩く手間が省けた)
奇妙な目玉から流れ出る言葉を聴いて、騒いでいた妖精達が押し黙る。
「一体何者よ。まるで心の中を読んでるみたいな」
日の光に明るく輝く金の髪、それを左右に小さく束ねた妖精。彼女の言葉を受けて。
「あたい達かい?」
一足飛びで妖精達の前、妖しげな笑みを浮かべてお燐が立つ。
「あたい達はこういう者さあ」
途端お燐の周りを囲む様にして姿を現す無数の妖精達。そのどれも青白く透けた身体、そうして頭の上には丸い輪っか。
「お前達も、いっぺん死んでみるかい」
にいっと三日月の形に開く口、そうしてそこから覗く牙。細めた目から向けられる捕食者の眼差し。
「いやー!」
「殺されるー!」
「ちょ、待ってー!」
先ずは真っ先に黒い髪。次にツインテール。少し送れて縦ロール。あっと言う間に三匹の姿は空の向こうへと消えて行った。
「いやだねえ。あたいは死体を盗むのは好きでも、わざわざ死体を作ったりはしないって」
獲物を狩る獣の顔から一転、ころころと愛らしい少女の顔で笑って手を振るお燐。
「の割りに、こないだ私達が地底に行った時は結構本気で殺しにきてなかったかしら」
「あ、いやそれは。その、ほら、お姉さんの実力を確かめる為のお芝居と言うか」
(お姉さんがあんまりにも強くて素敵だったからつい本気で欲しくなっちゃった、だそうよ)
それはまたどうも。危険の芽は早い内に。そう言ってまた懐から札と針を取り出してきた霊夢の前、急にお燐の姿が消えて失せる。そうしてその下、小さな猫一匹。霊夢の足元まで寄って来て頭を擦り付けてくる。
(敵意は無いから勘弁して欲しい、だって)
「卑怯ね。この姿じゃ下手に手を出せばむしろ私が悪者じゃない。動物虐待」
言いながら霊夢はしゃがみ込み、猫の喉の下を指で弄る。ごろごろと喉を鳴らす猫。
(さっきの妖精、ちょっと脅かしておいたから暫くは悪さもしないと思うわ)
「そうね。でも、まあ」
所詮は妖精。どうせその暫くが過ぎれば、怖かった思いもすっかり忘れてまた悪戯を仕掛けに来るのだろう。溜息をつく霊夢だったが、兎も角これでさとり達の探偵としての実力は確かなものと判った。
(どうかしら。事件解決で謝礼を貰ったら、その半分はこの神社に納めても良いわ。それに神社を事務所とすれば、依頼に来た者がついでで参拝もしてくれるかも知れない。お互い、悪い話ではないと思うんだけど)
「お互い、ねえ」
今の話、これではむしろ神社の方にばかり利が行き過ぎて逆に気味が悪い。
(私の目的はあくまで地上に於ける地底妖怪の認識を改める、そういう事だから)
「ふうん。そう」
まあ、もし何かしらの問題が起きればその時に対処すれば良いか。立ち上がり、ううんっ、と身体を伸ばす霊夢。
「良いわよ。神社をあんたらの事務所代わりに使っても。但し、悪さをしたらその時は叩き出すから」
こうして博麗神社の中、地底妖怪古明地さとり探偵事務所の出張所が置かれる事となった。
◆
「そう言えば、さっきの」
準備の為と地底に戻ったさとり達。また巫女一人だけになった博麗神社。縁側に座り湯呑みを手に、霊夢はふと思い出した。
さとりは言った。今この場で、事件を解決して見せようと。実際事はその通りになり、そうして霊夢は彼女達の探偵としての能力を信頼する事になったのだが。
事件がその場ですぐに解決したのは、犯人である妖精達が近くに潜んでいて霊夢の様子を窺っていたからだ。さとりは第三の目でその妖精達に気が付いたようだった。と、言う事は。
「私が事件の話をするその前には既に、あいつらに気付いてその心を読んでいた可能性もあるって事よね」
だとすれば彼女は予め絶対解決可能な事件の存在を知った上で、霊夢に何か解決して欲しい異変は無いか、そう話を向けてきた事になる。
それ自体は別に不自然でも何でもない。妖精達が事件を起こしたのは事実でそこにさとりの不正は何も無い。場所を貸してもらう為にその所有者の前で成るたけ良い所を見せたかった。そういう事なのだろうから。
そう、不自然は無いのだが。
「地底妖怪の株を上げる、か。そこまでしてやりたい様なものなのかしら」
霊夢はさとりと違って心は読めない。ただ、何となく気になっただけ。
「ま、良いか」
湯呑みと皿とを空にして、そうして霊夢は立ち上がる。今の言葉にも根拠は無い。ただ、気になる事はあるけれど多分悪い事には繋がらないだろう。霊夢にはそう思えた。だからこれで良い。
そうして彼女は天狗に探偵事務所の宣伝を依頼する為、妖怪の山へ向けて飛び立った。
壱の案件、家政婦は見た! 紅魔館図書室魔本強奪事件
「まあぶっちゃけ、犯人は判ってるんだけど」
容疑者ではなく犯人。紅魔館の門前まで探偵を迎えに出た依頼人はそう断言した。そうしてその右手で摘むのは。
「痛いって。ちょっと、ほんと、耳は冗談抜きで地味に痛いっ」
犯人とされるその当人の耳たぶ。涙目で離してくれる様に頼む犯人、霧雨魔理沙と、痛いと判ってるからやってるの、そう言ってより強く引っ張る依頼人、パチュリー・ノーレッジ。
「このっ、鬼、悪魔」
「お前は人間だ。貴方はそう言われて何か特別な感情を抱いたりするものなのかしら。尤も私は魔女だけど」
「そもそもな、図書館から本を借りて行って、それの一体何処に問題があるって言うんだ」
「図書館本来の役割は知識の収集と保存であって提供は二の次。しかもうちは公共施設ではなくて個人宅の書庫。百歩譲って貸し出しを認めたとして、せめて一月内には返しなさい」
「いいじゃないか。どうせ私の寿命なんかあと数十年なんだ。それ迄は貸してくれてたって」
「そう言って百年後回収しに行ったら、私人間をやめたんだぜーって、貴方の場合平気でそれ位やりそうで怖い」
「やらないよぅ」
どうもこれ、事件は既に解決している様に見える。それなのに一体何の用で呼ばれたのか。困惑するお燐とおくう。
(盗まれた本を探す。それをお願いしたいって事かしら)
「そう。その通り」
話が早くて助かる。犯人の耳たぶを未だ離さずに掴みっぱなしのままパチュリーは依頼内容の詳しい説明を始めた。
「盗まれた本は魔理沙の家に在る。そこ迄は判ってるんだけど」
問題はそこからだった。本に限らず、がらくた貴重品の区別無くの蒐集癖を持つ魔理沙。彼女の家は他人が見れば倉庫とも言えぬ正にごみの山。その中から盗まれた本を探すとして、どれだけの手間が掛かるか知れたものでもない。
「うちの猫を連れて行くって手もあるんだけど」
96点満点中26点の猫度を誇る紅魔館のメイド長。彼女を連れて行けばそれこそ半刻も経たぬ内に、霧雨邸を綺麗に掃除して本を探し出してくれるだろう。ただそれはそれでパチュリーとしては気に食わない。犯人に少しでも良い思いはさせたくない。何故に魔理沙の家をわざわざ綺麗にしてやらねばならないのか。
「と言う訳で」
(成る程。確かに、そうね、第三者からはいくら汚く乱雑に見える部屋でも、住んでる当人は意外と何処に何が在るのか、はっきりと把握しているものだし)
「そう言う事。本当、話が早くて助かるわ」
依頼内容は把握した。早速さとりはペット二匹に魔法の森に在る霧雨邸へ向かうよう指示を出す。
「了解ですっ」
お燐とおくう、ぴたりと揃って元気の良い声を返すその様子を見て、意外ね、パチュリーは漏らした。
「この間みたいな事件があった位だし、もっと躾のなってないペット達かと思ってたんだけど」
(この間は、まあ、色々特殊な事情がありましたし。基本的にはとても賢くて良い子達よ)
「ふうん」
言って意の読み難いじっとりとした視線を猫と鴉に向けるパチュリー。その顔から主と同じ種類の空気を感じ、つい引きつった愛想笑いを返してしまうお燐とおくう。
「まあ確かに」
視線がお燐に固定される。
「猫はうちでもそれなりに優秀だからね」
「そりゃどうも、魔女のお姉さん」
「ただ髪の毛の色がどうも。うちの紅毛はまるで役に立たない」
唐突に話を振られ、今の今まで会話から完全に目を逸らして素知らぬ顔を決め込んでいた紅魔館の紅毛、彼女の肩がびくりと跳ねた。
「門を守るのが門番よね。それが何でこう、毎度毎度鼠の侵入を許すのかしら」
「いやまあその。最大限の努力はしているのですが、やっぱり世の中にはこう、如何ともし難いあれやこれやが」
「果敢に立ち向かうもマスタースパークで吹き飛ばされましたー。それなら私もまだ認められるんだけど。
居眠りしてる間に素通り。毎回そうよね」
「いやほら魔法使いだけにラリホーとかスリプルーとかドルミナーとか」
「このパワー馬鹿がそんな小難しい手を使う訳が無いでしょ」
「ああいや、ほらシエスタ、シエスタですよ。労働者のシエスタは立派な権利の一つで」
「貴方、その格好と名前でシエスタとか言う?」
「やだなあ、こう見えて私、実はシエスタの国の出身でして」
「じゃあ喋ってみて。シエスタの国の言葉」
「ええと、ボラーレ・ヴィーアとか、アリーヴェデルチとか」
「……ツッコむべきかツッコまぬべきか、ちょっと判断に困るわね」
て言うか今の言葉をそのまま返してやりたい。頭に手を遣り帽子で目元を隠して溜息をつくパチュリー。
「ええと、それってどう言う意味で」
(もう何処かに吹き飛ばしてさよならしてやりたい。要はクビにしてやりたいって事だそうよ、紅い門番さん)
言われて大慌てで何度も大きく頭を下げる門番。彼女を見て、そう言えば閻魔様の所に居る赤毛の死神もよくシエスタだとかサボタージュだとか言ったり言われてたりしてた気もする、そんな事を思い出すさとり。それに比べて真面目で努力家なうちの赤毛。地霊殿は結構恵まれているのかも知れない。
◆
「先ずアル・アジフ」
「さあて、何処にしまったか」
(お燐、机の下に積んである本の山の右から二つ目、その真ん中やや下)
「次に九鬼文書」
「さっ、さて、一体何が何やら」
(そこに在る一番高い薬棚の上、青色の箱の下。おくう、お願い)
「それからゲーメス――」
「ちょっと待ってくれパチュリー、それだけは!」
昼を過ぎてから始められた本の捜索は、日が沈む前には滞りなく完了された。霧雨邸の前で膝を地に付き完全敗北に打ちひしがれる魔理沙と、それを満足げに見下ろすパチュリー。隣では数十冊の本を抱えて今にも倒れそうな門番。
「あの、何で門番の私がこんな所まで」
「居ても居なくても大した差は無いんだから少しは役に立ちなさい。私に力仕事をさせる心算? 喘息持ちなのよ」
「そー言えばそんな設定もありましたっけー」
「……今日は随分と強気ね」
パチュリーが門番の脛を蹴り飛ばす。本が落ちたらどうするんですか。痛みに少し崩れた顔で文句を垂れる門番と、クビ、二文字だけを返す魔女。それから、さて、と、軽く息を吐いて今回の功労者達に顔を向けた。
「正直ここまで役に立ってくれるとは思ってなかったわ。有難う」
お礼としてこれから館に戻ってお茶とお菓子でも。パチュリーのそんな提案に耳立て顔を輝かせるペット二匹だったが、折角なのですが、主はそう言って申し出を辞退する。
(今日はこれからもう一件依頼が入っているので)
礼の品なら博麗神社に。そう言い残し、不満の色をまるで隠せていないペット達に連れられて目玉の探偵は竹林を目指して飛び去って行った。
弐の案件、闇に光る赤い目! 永遠亭連続怪異事件
「と言う訳で以上、これがこの一年間に私めが起こした悪戯と現時点で具体的な計画が固まっているものの全てで御座います」
屋敷の中に案内されたさとり達が最初に目にしたのは、八意永琳と蓬莱山輝夜、二人の前で膝を床に付き頭を低くし、そうして頭上に分厚い紙の束を掲げる素兎の姿だった。
「何で一年分なのかしら」
「そりゃだってお師匠様。昔っから今迄の全部なんて書いてたら、それこそ厠の紙まで全部空にしたってとてもじゃあないけど足らないと言うか」
(嘘じゃないわね。多すぎて私でも読みきれない位)
被害者の言葉に素直に答える犯人と、それを肯定する探偵。家で小さな異変が続発するので犯人を見つけて欲しい。そんな依頼は誰が何をするという間も無くあっさりと完全解決してしまった。
「まあ良いわ。てゐの始末、後はお願いね」
「判りました、師匠」
永琳の言葉を受けた月のイナバが地上の因幡の腕を掴む。
「ちくしょー私あいつ嫌いだー」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ素兎の声が次第に小さくなっていく。二羽の姿は暗い廊下の向こうへ消えていった。
(意外と優しいのね)
ぽつりとさとりが呟いた。
(あの玉兎ならどうせ大した仕置きも出来ないだろうからと。
って、あれ)
さとりの言葉が途切れた。それと同時、お燐とおくう、二匹の全身の毛が逆立つ。何が何か、頭が理解するその前に本能が警告を出してきた。生から死へと落ちた者を焼き責める地獄の灼熱とはまるで別物、初めから生命の存在そのものを一切許さない、そんな闇と冷気の荒野を思わせる異常な圧迫感。二匹が二匹とも、大きく口を開いていると言うのにまるで空気を吸えている心地がしない。
(凄いわね。一瞬で八つ、しかも超々高速の並列思考展開。そして最も驚くべきは、それぞれに強弱の差が一切無い)
両目を見開き牙を見せ威嚇の構えを取る地獄の妖獣、それを何も言わずに無言で見つめる永琳。そんな中でさとりの声だけがやけに暢気に響く。
(流石にこれじゃあ、どれが本音か読み様も無いわね)
「あの、ねえ」
額に手を当て目蓋を閉じ、そうして永琳は小さな溜息をついた。
「心を読むのは勝手だけど、それを一々口にしないでもらえないかしら」
誰にも知られずになされた盗撮は罪にはならない。と言うよりしようがない。けれどもそれを公開してしまえば捕まって罰を受けるのは道理。
再び開かれた永琳の瞳は人々に慕われる優しい医者のものへと戻っていた。
(ああ、ご免なさい。判ってはいるんだけど、どうも癖と言うか)
「ま、覚(さとり)って妖怪は昔からそうだったわね」
そんな者を呼んでおきながら無防備を見せた自分にも非があったか。永琳は警戒の構えを解いていない二匹に向かって手を合わせ、驚かせてしまってご免なさい、そう言って軽く片目を閉じて見せた。
「ねえ永琳」
それまで一言も発さずただ呆と立っていた様に見えた輝夜が、不意に永琳の袖を摘んで引っ張る。
「何ですか、姫」
「もう終わりなの? 詰まらないわ」
博麗神社に地獄から凄腕の探偵がやって来た。そんな話を聞いた輝夜は、これは面白そうだ、そう思って今回の依頼をしたのだ。当然犯人がてゐであろう等という事は端から承知の上。だが彼女の狡賢さをよく知っている輝夜は、てゐがどの様に面白い話を創って言い逃れを図るか、それを探偵がどの様にして追求していくのか、最終的に勝利を手にするのは一体どちらか、そんな推理劇を楽しみにしていた。ところが当の犯人は探偵の到着前からさっさと最終幕を開始してしまったのだ。
「仕方が無いですよ」
永琳は困った笑い顔で言う。他者の心を読むさとり、そんな者が探偵をやってしまえば話が面白くなり様も無い。
いや、無い訳でもないのだが。
「他者の心を読む、そんな者が探偵役をする場合、話を面白くする為にはちょっと工夫が要るんですよ」
「工夫って、例えば」
「よく使われるのは探偵の能力に何がしかの制限を設ける、そんな方法でしょうか」
心を読む能力を持ってはいるが、それで見えるのは断片的な映像や単語のみ。例えばそういった事。この場合、そうして読み取ったものをヒントとして推理を進めていく事になる。
「他には犯人も超能力者で探偵の能力を妨害するとか。これだと超能力の有無を見極める方法を考え出す事がそのまま犯人探しに繋がる場合が多いですね。
あと、犯人当人や誰が犯人か知っている人物、そうした者が最初の時点では場に出て来ない、こうした展開でも得られる情報に制限が掛かるので手懸りを集めて推理という通常のパターンが楽しめます。
ですが、まあ」
言いながらまた永琳は困った笑いを見せる。さとりの能力はイメージかテキストか、それは判らぬもののどうもその覗ける対象に基本的な制約は無い模様。鈴仙の能力を使えば妨害も出来たかも知れない、てゐを隠すという手もあったかも知れない。けれどもそんな事は今更言っても後の祭り。そもそもクローズド・サークルと迄はいかなくても屋敷内での異変解決なんて事件では場所と人物の限定がなされ過ぎている。鈴仙が術を使えば何故妨害をするのか、そう疑われて当然術を解除する様に探偵は言うだろう。例え犯人の存在を隠していたとして、誰でも良いから屋敷の者の心を覗かれればそれで誰が怪しいのかが判る。そこでてゐを呼び出せという流れになって以上、話は終わり。
「他には。他には何か話を面白くする方法は無いの」
永琳の話に納得の様子は見せず執拗に袖を引っ張る輝夜。
「他、ですか。他には、まあ」
これだと前提条件が崩れる気もするけど。永琳の視線がさとり達の方へ向けられた。その視線に敵意は無くお燐もおくうも既に警戒の態勢は解いているものの、先程の圧力が思い出されてどうにも気が据わらない。
「能力者を探偵役にはさせない。そんな感じでしょうか」
「どういう意味」
「被害者にするんですよ。心を読むなんて能力、犯人からすればこれほど鬱陶しいものはありませんからね。話の早い時点で能力者を拉致、或いは殺害。そうして一般人の探偵役が遺された手がかりを基に推理する」
拉致。殺害。
突然に物騒な単語が飛び出してきた。依頼人二人はただ和やかに会話をしているだけなのだし敵意も見せてはいない。けれどもやはり、どうにも落ち着けないその単語。
(いつまでここに居て良いものなのかしら)
小さく、それこそ目玉を手にしているお燐とおくうの耳にやっと届く位の小さな声で、ぽつりとさとりが洩らした。
「あの、さとり様、それってどういう」
自身も声をひそめてお燐が問う。
(さっき垣間見せたあのお医者様の力。しかもここは相手のホームグラウンド。何か起こった時、貴方達で何とか出来ると思う?)
そう言われてお燐とおくうは思い出す。先程薬師が見せたあの異常な圧力。しかも彼女が今話している長い黒髪の女性、彼女は薬師が敬語を使っている位なのだからより上の存在と言う事になるのだろう。姿を消した兎二羽も中々に強そうであったし、それ以外にも一つ一つは大した事もないとは言え十や二十では済まない無数の妖気が屋敷のあちらこちらから感じられる。
「あと他にも、これもちょっと反則気味だけど」
「ではあたい達はこれでっ」
「失礼しましたあっ」
何かを言いかけた永琳の前、大きな音を立てて玄関の戸を開き竹林の中へ飛び去って行く探偵達。
「あら、逃げたのかしら」
お礼に夕食でもご馳走しようと思っていたのに。そう残念そうに呟く永琳に向かって、怖い事を言うからよ、輝夜が笑う。
「そう、かしらねえ」
「拉致とか殺害とか。それに永琳の事だからまた、あの二匹を解剖したり改造したりしてみたいなあとか何とか、そんな風に考えていたんじゃないの? きっとそれを目玉に読まれたのよ」
「まあ、確かに」
猫はともかく鴉の方。噂では一介の妖獣の身でありながら神霊である八咫烏と融合しその能力を手に入れたのだと言う。一体どの様な仕組みになっているのか、精神構造にも融合による影響は出ているのか、その出力限界は、等々興味深い事はそれこそ山ほどもあった。ちょっとした身体検査くらいはしてみたかったし、もし本人の同意が得られればそれ以上。確かにそうは考えていた。だから夕食もなるべく豪勢な物を用意していた。けれども。
探偵達が逃げ出した理由、それはまた別のものだと永琳には思えた。探偵が、あの目玉が読み取り、嫌ったのは。
「ねえ永琳」
くいと袖を引っ張られる感覚に永琳の思考が途切れる。
「何かしら、輝夜」
部外者の手前、被っていた姫と従者という仮面。それを脱ぎ捨て教育係と教え子、そんな関係に戻る二人。
「さっきの続き。まだあるんでしょ、心を読む能力者が出てくる推理話を面白くする方法」
「ああ。そうね」
さっきは途中で切れてしまったし。そう言って永琳は輝夜との会話に戻る。目玉の逃げた訳、嫌ったもの、そんなものはもう放っておく。彼女達には何の関係も無い事なのだから。
「これは別に普通の人間しか登場しない話にも当て嵌まる事だし、それにちょっと反則気味なんだけど」
とは言えこれから話す内容、先程慌しく出て行った探偵達のせいで途切れた話、これこそが恐らく。
「探偵役が」
◆
◆
地底妖怪さとり探偵事務所。博麗神社内に設けられたそれは巫女の想像していた以上の賑わいを見せていた。面白いもの好きな妖怪達は勿論の事、噂を聞いた里の人間までもが上白沢慧音を挟んで依頼を寄越してきた。
元々大して広くもない幻想郷。さとりの読心に加えペット達の機動力。どんな事件でも解決はすぐだった。
そうして見付かった犯人が逃げ出したとして、空を飛んでいる限りはおくうの速さからは逃れられないし、それを嫌って建物や洞窟といった暗く狭い所に逃げ込んだところで今度は身体が小さく身軽なお燐の追跡。追い詰められて抵抗しようにも、元々地獄の妖獣として単体でも高い実力を持つ上に親友であるが故コンビネーションも抜群な二匹、そこにさとりの読心まで加わるものだから並の相手ではそもそも勝負にならない。あっと言う間すら与えられず取り押さえられて終わり。
平和な幻想郷、在るのは精々妖精が起こした悪戯だのなんだのとそうした軽微な事件ばかりではあったが、それでも安価で即行確実に事件を解決するさとり探偵事務所。その評判は地上の者達の間でも上々のものであった。
そうして増えていく依頼人達。彼らはついでと言う事で神社に参拝をし、置いて行く報酬の半分は賽銭として納められる。巫女の機嫌も上々であった。
終いの案件、泣いた……
「ただいま帰りましたあっ」
綺麗に揃った二つの声が夜遅くの地霊殿にこだまする。
満足げにお腹を擦りながら主人に帰宅の挨拶をするお燐とおくう。二匹は今日、神社で上機嫌の巫女に夕食をご馳走になって帰って来た。彼女は大量の温泉卵もお土産に持たせてくれた。
「そう、お土産まで。それは良かったわね」
何を言われずともペットの心を読み、そうしてさとりは優しい笑みを見せる。
「尤もおくうは帰って来る途中で全部食べちゃったけどね」
「いいじゃない。今日もいっぱいあちこち飛び回ってすっごく疲れたんだし。お腹だって減るわよ」
「そりゃ確かに、あたいだって今日は疲れたけどさあ。それにしたって」
「それにこんなのいつまでも置いてたって悪くなっちゃうだけよ。お燐のだって」
そう言って猫車に乗せられた卵の山に手を伸ばす。
「こらっ」
お燐に手を軽く叩かれ、ぶうっと不満の音を鳴らすおくう。
「けちぃ」
「お姉さんに貰った数はどっちも同じだったんだから。あたいは我慢したの。これはまた明日の朝ご飯でゆっくり楽しむのさ」
「ほら、喧嘩は駄目よ。お風呂は沸かしてあるから、今日はもう遅いし入ったら早く寝なさい」
主人の言葉に言い合いをぴたりと止め、はーい、と揃って返事を返すお燐とおくう。さとりの手足となって地上で働いている現在、二匹は地霊殿に在る客用の部屋を一つ与えられそこで寝泊りをしていた。広くて綺麗な部屋、ふかふかのベッド。お風呂でのんびりと身体の疲れを癒し、そうしてぐっすりと眠る事が出来る。そんな贅沢な環境。
「あっ、その前に」
ぴんと耳を立てお燐は通信機として持ち歩いていた目玉を取り出す。
「これ、返しておきますね」
文字通りさとりの目として機能するその目玉。しかしその能力を充分に発揮するには、可能な限りはさとりの傍に置いてその妖気に触れさせておかねばならない。それが賢者の使いとしてやって来た狐から言われた注意事項だった。なのでさとりは、ペット達が家に居る間は入浴の時も寝る時も用を足す時も、常に肌身離さず二つの目玉を付けて過ごす事となっていた。
忘れない内にと主に目玉を渡し、それからお燐とおくうは浴場に向かう。
「お燐ってば猫の癖にお風呂好きよね。変なの」
「おくうこそ。鴉の行水って言うのに長風呂じゃない」
また言い合いながら廊下を歩いて行く二つの背中。さとりには判る。勿論こんなものは本当の、いがみ合っての喧嘩じゃあない。いつも仲の良い者同士のちょっとしたじゃれ合い。
「良いなあ、お燐もおくうも」
背後から突然に声がした。少し眉をひそめた顔で振り向くさとり。
「探偵って面白そう」
そう言って楽しそうに笑う妹、こいしの姿。
「いつ帰って来たの」
「おくう達が帰って来るちょっと前」
「帰ってきたらただいま位は言いなさい」
「はあい」
素直な返事をするこいしだったが、こんな姉妹の遣り取りは何も今日に始まった事ではなかった。いつもいつも何も言わずに家を出て、そうしてまた何も言わずにふらっと帰って来る妹。何処に行くのかいつ帰るのか、それ位は伝える様に。家を出る前と帰って来た後くらいは声を掛ける様に。何度も言うさとりだったが妹の放浪癖は少しも変わらない。妹は本当に自分の言っている事を理解しているのか。さとりには判らなかった。
だが、それももう。
「ねえ、こいし」
三つの瞳が妹を真っ直ぐに見詰める。
「貴方、お燐とおくうの事、好き?」
何をいきなり。突然の問いに不思議そうな顔で固まったこいしだったが、すぐに無邪気な笑顔を見せて応えた。
「大好きよ。お姉ちゃんのペットだけど、お燐もおくうも強いし面白いし可愛いし。大好き」
「本当に、心から?」
「本当よ」
「そう。なら」
小さくそう言って、それからさとりはこいしから視線を外した。そのまま暫くの間、何を言おうともせずに下を向いて動かない。
「どうしたの、お姉ちゃん」
心配そうな妹の声。それに応えてさとりは顔を上げ、そうして再びこいしの顔を真っ直ぐに見ながら言った。
「いい、こいし。明日は出かけないで地霊殿に居る様になさい」
「え。何で」
「いいから。これは姉として、いいえ、地霊殿当主としての命令よ」
いつになく強い口調。そんな姉の言葉を前に何も判らぬまま、けれどもこいしは、うん、と頷くしかなかった。
◆
「卵、卵、あたいの卵ーっ!」
地の底に在って真暗なままに夜明けを迎えた地霊殿。当然朝を告げる鶏の鳴き声なんてものが聞こえる筈も無いその中で、代わりに館中に鳴り響いたのは猫の上げる大声だった。一体何事か。そう言って部屋に飛び込んできた姉妹の目に写ったのは、空になった猫車を前にして震えているお燐と寝惚け眼でベッドから身を起こすおくうの姿。
「うにゅう。五月蝿いよぉ、朝から」
「だってほら! 無いのよ、あんなに在ったのが。一個もっ」
ああ成る程。状況を理解して頷くこいし。
「これはお姉ちゃんの出番じゃない?」
姉に話を振ってみる。お燐の大切な温泉卵が一夜にして煙の様に消え失せた。これは立派な事件だ。
「そう、ね」
言われてさとりは一歩前に踏み出す。
「ねえ、お燐。今私達が入って来た時、部屋の鍵はかかってなかったみたいだけど」
「それはいつもの事ですよ。地霊殿の中に居るのにわざわざ部屋で鍵をするなんて」
「それもそうね。それじゃあ昨晩、誰かが部屋に入ってきた気配を感じたとかそういうのは」
「情けない話ですけど、昨日は疲れてぐっすり寝ちゃってて。殺気のある様な奴だったら流石に気付いたでしょうけど、こっそりと入られたのだとしたらちょっと、気付かなかった、かも。
ねえ、おくうはどうだった」
友人から向けられた問いに、お腹が空いた、そんな頓珍漢な答えを返して大きな欠伸をするおくう。こりゃ駄目だ。お燐は頭に手を当てる。
「ふむう」
顎に手を当て唸って見せるさとり。面白い、今の遣り取りにお姉ちゃんの思案顔、まるで本物の推理劇みたい。こいしはわくわくした顔で手を叩く。
「何と言うか、うん、今の質問には余り意味が無かったわね。ご免なさい、お燐」
何も判っていない顔のペットを前に、一人納得の表情で何度もさとりは首を縦に振る。
「それって、さとり様」
「ええ、事件はもう解決したわ。犯人は」
ゆっくりと上げられていくさとりの腕、その指差す先。
「うにゅ!?」
大きく伸びをした体勢のままで声を出し、寝惚けていた眼をはっきりと見開く。
「おくうよ」
何の感情も感じられぬ極めて平静で冷淡な声で、さとりはそう断言した。
「昨日の夜中にお腹が空いて目を覚まし、つい目に付いたお燐の卵を食べてしまった。そういう事だそうよ」
「え。え、え、え、えっ。違います、さとり様、私はそんな」
ベッドの上で立ち上がって両腕を上下し首を左右に大きく振り、おくうは全身で否定の意思を見せる。
「あの、私もその、さとり様、それは違うんじゃあないかなって」
必死な友人の姿を見て、遠慮がちながらも主の言葉に疑問を呈するお燐。おくうは確かに清く正しく真面目と、そんな性格ではないかも知れない。ついこの間も調子に乗って暴走を起こしたばかり。でも、だからと言って、こうして嘘をつきしかもそれを指摘されてなお誤魔化す、そんな子だとも思えなかった。昨日の遣り取りを思い出せば、確かに卵を勝手に食べる可能性は在ると思える。それでも今のこの状況、ここ迄の事になったら素直に自分の非を認めて謝る筈。
「おくうは鳥頭だから。夜中で寝惚けていたせいもあって、自分が食べたってこと自体を忘れちゃってるんじゃないかしら」
「あ、成る程それは確かに」
「ちょ!? さとり様もお燐も酷いっ」
意の読み難い平らな表情。そんないつもの顔でさとりは淡々と言葉を吐く。それを前にしてつい頷いてしまい、けれどもやはり、そう頭を振ってはまた思考の迷路に陥るお燐。目に涙を浮かべて必死に自分の身の潔白を主張するおくう。
「何だろう、これ」
楽しくない。こいしの中に、何だか黒くもやもやとした、とても重くて苦いものが広がっていく。お姉ちゃんの探偵ごっこを間近で見られる。そう思って楽しみにしていた筈。それなのに。これは全然、楽しくない。
主の言葉に迷って友を疑いの目で見てしまっているお燐、主と友人から疑念をかけられ泣くおくう。こんなもの、こいしの見たいものではなかった。
「あ、れ」
こいしの頭の中で奇妙な違和感が頭をもたげた。
今の会話、おかしい。そう、明らかにおかしな点がある。
でも、何故あんな事を言ったんだろう。
今この場であんな事を言う。嘘をつく。それは、つまり。
でも、何故、一体どんな理由でそんな。
違和感の正体は判った。その意味する所も半分は判った気がする。けれども残りの半分は判らない。
それでもこいしは、今のこの状況を黙っては見ていられなかった。
「ねえ、お姉ちゃん」
自分の言う事は、もしかしたら何か怖いものに繋がってしまうのかも知れない。そんな不安はあった。それでもこいしは、苦しんでいるお燐とおくうを前に黙ってはいられなかった。
姉の目を真っ直ぐに見詰め、そうしてこいしは言った。
「卵を食べたこと自体を忘れちゃってる。お姉ちゃん、そう言ったけど、だったら何でおくうが犯人だって判ったの」
さとりの能力は心を覗く。それ以上の事はない。心から既に抜け落ちてしまったもの、それを読む事は出来ない。実際、以前の異変で事の大元である山の神様を調べ様としたところ、すっかり忘れてしまっていたおくうの頭からは情報を得られないでいた。
「心を読んだのではなく状況を見て普通に推理をした。そうは考えないのかしら」
「でもお姉ちゃん、言ったよね。そういう事だそうよ、って。おくうの心を読んだんでなきゃそんな言い方にはならないよ」
「そんな、言葉の端っこを一々気にされてもねえ」
表情声色、どちらにも微塵の揺れも見せずにさとりは溜息をつく。
「そうね。確かに私はおくうの心を読んだ。でも、おくうが忘れちゃってるって、そう言ったのは言葉のあや。単なる冗談。実際はちゃんと、今でもおくうの頭には残ってるわ。自分が犯人だって」
「そんな言い訳」
「そもそもね、こいし」
妹の言葉に自分の言葉を被せて遮り、そうしてゆっくりと歩み寄り三つの眼でこいしの二つの瞳を覗き込む。
「他者の心を読み数々の事件を解決してきた私と、心も読めずただ毎日をふらふら過ごすだけの貴方。どちらの言う事が正しいかなんて、そんなの一々言わなくても誰にだって判る事よね」
「それ、は」
「私の言う事が間違っていると言うのなら、その証拠を見せなさい。言葉尻のあれこれだなんてケチなものではなく、誰にも否定できない確たる証拠を」
心を読む事の出来るさとり。彼女の言う事は常に真実なのである。何故なら彼女の言葉は誰にも否定できないからだ。いくら否定をしたところで、そいつは嘘を言っている、そう彼女に断言されてしまえばどんな反論をしても最早何の意味も無い。さとりは心を読めるのだから。
例えそのさとりの言葉こそが嘘であったとして、それを知る事は誰にも出来ない。心を読む事が出来ないから。
心を読める。心を読めない。そのたった一つの差が、さとりとそれ以外の者、その両者の言葉の間に決して超える事の出来ない絶対的な壁を作り出す。
そんなさとりの言葉に、それでも唯一対抗できるとすれば。
「おねえ、ちゃん」
それは小さな声だった。とても小さな、けれどもそれでいてその声は、確かな強さを持ってその存在を立たせる。
言葉の芯を成すのは、こいしの心。一歩を踏み出そうとするこいしの意志。
その一歩を恐れ、戸惑う気持ちはあった。けれどもその恐怖心より、大好きなペット達の苦しみ悲しむ顔はもう見たくない、そんな心の方が勝る。だからこいしは。
「本当に、本当におくうが犯人なの」
「ええ、そうよ」
こいしは強い意志を持ってその一歩を踏み出した。
「嘘っ!」
大きく張りのある声。僅かの揺らぎも無い、真っ直ぐで強い心を乗せて。
「犯人はお姉ちゃんよ!」
こいしの胸にある第三の目、その目蓋は今、はっきりと開かれていた。
「……そう」
さとりが笑った。とても小さな、それこそ誰もが気付かず見逃してしまいそうな位に儚いその笑み。
「そうね。そう。お燐の卵を盗んだのは私」
こいしの両目は見逃さなかった。無表情の中に僅かに見えた姉の微笑み。そして。
「えっ」
小さな声が漏れる。第三の目は見逃さなかった。姉の心の奥にある真実の気持ち。
「さとり様があたい達を騙すなんて」
「そん、なあ」
友の疑いが晴れた。自身の潔白が証明された。だからと言ってお燐もおくうも、良かったと喜ぶ気になぞとてもなれなかった。困惑と悲しみの混じった表情で力の無い声をこぼす。
「そう。私は貴方達の心を弄び踏みにじった。その罪、いくら謝罪したところで決して許されるものではない。だから、私は」
「待って、お姉ちゃん。お姉ちゃんは」
さとりの言葉を遮ってこいしが飛び出してくる。そんな妹を片手を差し出して制し、そうしてさとりは続けた。
「私は地霊殿を出て行きます」
本当にご免なさい。さとりは深く頭を下げた。
「そんな! あたい達は、別に」
「そ、そうですよっ。出てくなんて、そんな、さとり様っ」
慌てて縋って来るペット達に、有難う、そう言ってけれどもさとりは首を振る。
「お燐を騙し、信頼する友を疑わせるという残酷な仕打ちをした。おくうの言う事を否定し、心に酷い傷を付けてしまった。
心を読む力を持つ者として、それは決して許されない事。責任は取らなければいけません」
今まで有難う。本当にご免なさい。
そう言い残し、さとりは妹とペット達に背を向けて。
「あっちゃあ、あの卵、その猫の物だったんだー」
背を向けたその瞬間、どうにも場違いな位に間の抜けた大声が部屋の中に響き渡った。
「こいつぁ知らなかったとは言え悪い事しちゃったわーご免ねー」
客間の窓から聞こえてきたその声。部屋に居た四人が驚いて揃って目を向ける。開け放たれた窓から入り込んでくるのは伊吹萃香と。
「そ、そうだねえ」
どこかぎこちない声で相槌を打つ星熊勇儀。
「いやさあ昨日の夜は一晩中飲み明かしててさー。ほら私お酒は無限に用意出来るんだけどツマミの方はそうもいかなくってー。腹空かせて何か無いもんかなーってふらふらしてたら地霊殿から良い匂いがしてさー。見たら倉庫みたいな部屋の中に温泉卵が大量に積んで在ってー。こんな暑い所じゃすぐ悪くなるだろうしって事で勝手に全部食べちゃったんだけどー。そっかーその猫の物だったのかー。こいつぁうっかりだ、ねえ勇儀」
「そ、そうだねえ」
やけに大きな声でべらべらと喋る萃香と、いやに落ち着かない様子であちらこちらに視線を泳がせている勇儀。二人が見せる奇妙な言動、それにそもそも鬼が地霊殿に顔を出す事もそうは無いと言うのに、こんな朝早くに突然。訳の判らない事態に固まってしまった面々の中、いち早く正気に戻ったさとりが鬼達に向かって駆け出した。
「あのちょっと、その」
「話は聞かせてもらいましたーっ!」
これまた突然に大きな声。同時に吹き飛びそうな位に勢い良く開かれる部屋の扉。顔を出したのは鬼よりも更に珍しい顔。
「え、え、ええ」
「閻魔様ぁ!?」
お燐とおくうが素っ頓狂な声を上げて目を白黒させる。旧都が地獄でなくなった時以来、本当に久々に見たその顔。ヤマザナドゥこと四季映姫。
「天知る地知る我知る人知る、罪在る所に閻魔ありっ。
四季映姫・ヤマザナドゥの名に於いて今これよりこの場で地霊殿特別臨時法廷を開廷しますっ」
「ちょ、あのそのええと」
「お黙りなさい古明地さとり! 被告人からの異議申し立ては一切許可しませんっ」
権力者の一喝がさとりの言葉を一蹴する。そうして地霊殿の面々が何を言う間もする間もないまま、唐突かつ一方的に裁判が開始された。
「先ずは伊吹萃香、星熊勇儀両名っ。
そなたら二人は無断で地霊殿に侵入した上、誰の物とも判らぬままに火焔猫燐の所有していた温泉卵を全て食べてしまった。以上、間違いは無いですねっ」
「そ、そうだねえ」
「て言うかさあ、今さっき被告の異議は認めないって言ったばっかりだよね」
普段の豪胆さからは想像も付かない程の曖昧な返事で言葉を濁す勇儀と、被告の身でありながら手にした瓢箪から酒を呑む萃香。そんな二人に閻魔の裁きが下る。
「そなたらの罪甚だ重し! よって消費した量に倍する温泉卵を即刻用意し被害者への補償となさいっ」
「あいたたたー、こりゃ手痛い出費だねえ。でも悪いのは勝手に食べた私等だし、まっ仕方ないかー。ねえ勇儀」
「そ、そうだねえ」
被告からの反論は一切無くあっと言う間に一つ目の案件は終了した。
「次っ、古明地さとり」
映姫の手にした悔悟の棒がさとりを指す。
「そなたは不要な嘘をつき、火焔猫燐、霊烏路空、古明地こいし、この三名に甚だしい心理的苦痛を与えた。よってっ」
「待って下さい閻魔様。あたいはそんな」
「わ、私も別にっ」
嘘をつかれ騙されたのは確かに事実。けれど、それでも主を護りたい。そんなペット達の願いも空しく、閻魔の裁きは無慈悲にさとりへと降りかかった。
「よって地霊殿当主として火焔地獄跡管理の役(えき)に服する事を命じます。期限は無期、執行猶予は無し!」
閻魔の判決にさとりも、こいしも、お燐も、おくうも、誰もが何も言えずに固まってしまった。特にさとり、彼女に至っては普段の無表情がまるで嘘の様、目と口とを大きく開いた間の抜けた表情を見せてしまっていた。
「火焔猫燐、霊烏路空、古明地こいし。貴方達、何か異議は有りますか」
「いっ、いえ。無いですあたいは。異議なんて全っ然」
「私もっ。私もそれでいいです。それがいいですっ」
唐突に話を振られ、慌てた様子で、それでも迷わずに閻魔の言葉を受け入れるお燐とおくう。
そうして。
「はい。異議は有りません」
こいしもまた、静かに頷いて見せた。そうして映姫に向けて、深くゆっくりと頭を垂れる。
「それでは以上をもって、地霊殿特別臨時法廷を閉廷します」
四季映姫の凛とした声が響き渡る。こうしてこの日の朝地霊殿で起きた一つの小さな事件は終わりを告げたのだった。
◆
「粗茶、ですが」
中庭を見渡せる応接間。客人三人の待つそこへ湯呑み四つと茶菓子の入った器、それらの載せられた盆を持って屋敷の主が入って来る。
「あら良い香り」
優しい笑顔で湯呑みに口をつける閻魔様。鬼の二人は、酒以外を呑むのも久しぶり、そんな事を言っている。
全員の手に茶が行き渡り、そうしてさとりは一つ空いた椅子に腰を下ろす。部屋から見える地霊殿の中庭。そこでは妹とペット達が遊んでいる。火焔地獄跡から吹き上げる熱風、それに巧く乗って飛び上がり、誰が一番高くまで行けたかを競う遊び。おくうは羽が有るからずるい。こいしはそう言って、ぷうと頬を膨らませる。
彼女の胸にある第三の目、その目蓋は再び閉じられていた。
「良かったのかしら、あれで」
映姫がさとりに声をかけた。
「ええ」
視線を妹に固定したままさとりは声を返した。
他者の心を覗く第三の目。嫌われ者が嫌われ者となるその原因。妹の疎んじた物。
けれども彼女はそれを開いた。その力が誰かを助ける事が出来る、それを知り、勇気を持って確かに一歩を踏み出した。その一歩で充分だった。もしまた今後、どうしても心を読む力が必要になる、そんな時が来たとしたならば、きっとこいしは躊躇う事なくその眼を開くだろう。
さとりにはそれで充分だった。妹を、ペット達を巻き込み欺いた彼女の計画は、確かにその目的を果たしたのだった。
「今日は本当に、有難う御座いました」
そう言ってさとりは頭を下げた。地霊殿に乱入し事を丸く治めた三人に対して。
けれども言われた三人、何故か奇妙ににやにやとした笑い顔を以ってさとりの礼に返してくる。
「何だか随分と、ご不満そうな顔だねえ」
元々そういう顔です。萃香の言葉に目を細め口を少々に歪ませたいつもの無表情で応えようとするさとり。
「眉の間、思いっ切り皺が寄ってるわよ。あと声もきつい感じだなあ」
今度は勇儀がそう笑う。いつもの無表情を作っているつもりだが、どうも巧くいってないらしい。目前の三人、心が読める訳でもないのに、何でこうあっさりと判ってしまうか。観念の息をさとりは吐いた。
「不満、と言いますか。すっきりしないものは有りますね。確かに」
そう言いつつ表情にも明らかな不満の色を見せるさとり。
けれどそれは三人に対してでなく、自分自身に向けられる不満だった。罪を犯したのにそれを償う機会を失い、こうしてのうのうと元の鞘に納まってしまっている自分に対しての。
「私はあの子達を騙したわ。それなのに」
その目的がどうであれ、さとりは確かに妹達を欺いた。おくうに酷い言葉を浴びせてその心を傷つけ、お燐に信頼する友人を疑う様に仕向けた。飼い主として、心を読む能力を持つ者としてそれは許されない事。さとりはそう思っていた。もう二度と自分は妹達と一緒の時間を過ごす事も出来なくなるだろう。そう覚悟を決めていた。
それなのに。
突然に現れた乱入者三人。彼女達三人のお蔭で事は見事に有耶無耶にされてしまった。そう、見事だった。余りにも、これ以上は無いと言う位に見事に過ぎるタイミングだった。
「まさか、こんな物を仕込まれていたとは」
さとりは一つの目玉を手に乗せる。地上の賢者に依頼し、ペット達との通信用として作ってもらったあの目玉。その中心、黒目の部分を指で強く押してみる。
途端、目玉はぐるりと回転、覆っていた目蓋の様なものも球体の中に吸い込まれる様にして消えていき、代わりに見えてきたのは陰陽の模様。
「紫にものを頼んだんだ。何か仕込まれてそりゃ当然」
まだまだ甘いねえ。半分まで空にした湯呑みに瓢箪の中身をつぎ足しながら萃香が笑う。
「仕込みを依頼した当人がそれを言いますか」
地霊殿に現れた三人。その見計らったかの様な動き、彼女らがさとりの言動を監視していたのは明らかだった。
だが、さとりには不思議だった。三人のうち萃香はその能力で身体を極限まで疎にし、霧の様になってどんな所にでも入り込む事が出来る。姿も隠せる。けれども例えそうなったとして、さとりならば霧となった萃香の心を読んでその存在を知る事が出来る。少なくともこちらを監視できる程の近くにいられて気付かないなんて、そんな訳がある筈も無い。そう思っていた。
それなのに萃香達が乱入してくるその瞬間まで、自分の行動が筒抜けになっている事に気付きもしなかった。
「監視カメラ仕込みの通信機ですか。本当、手の込んだ物を」
とても簡単な話だった。さとりの能力は近くにいる者の心を読める。けれども遠くの者にはその力も及ばない。ただそれだけの話だった。
よくよく考えてみれば一番最初、賢者のペットである狐が目玉を届けに来た、そこからおかしかったのだ。
地上妖怪が簡単に顔も出せない。それは判る。けれども使いとして来た狐、彼女も地上の者である事に何ら変わりはない。そんな者にこっそりと使いを頼むより、端から地底の者である鬼に渡して寄越せば良い。それが自然で素直な動きだ。そもそも、さとりが仲介として依頼を託したのが鬼なのだから。
今なら目の前、萃香の心を読む事でさとりにもよく判る。彼女に事を知られないよう、何も聞かされていない狐を間に挟んだのだ。なるたけ肌身離さぬ様に。そうした注意事項も、実際にはさとりの妖気をどうのこうのというものではなく、その行動を確実に拾える様にするのが目的。
「鬼の、することですかねえ。しかし」
さとりはじっとりとした視線を萃香に向ける。
「ほんとね。こいつは昔っからそうだ」
さとりの言葉に勇儀は腕を組んで大きく頷き。
「良いじゃないですか。それで事は丸く治まった訳ですし」
映姫はけれども萃香の行動を肯定する。
「閻魔様まで、そんな」
「嘘をつく、それ自体は罪ではないの。重要なのはそこから繋がる結果」
手にした棒で口元を隠しながら少し悪戯っぽい笑みを浮かべる映姫。
もうこれ以上、この事で文句を立てても仕方ない。心を読めるさとりにはそれが判った。そうして疲れた息をつき、それにしても、と言葉を押し出すようにして口を動かす。
「そもそも何で、私が今回、こうした行動に出る事が判ったんですか」
萃香が監視カメラを仕込んだ。それは単なる悪戯心からなされたものではない。
さとりが妹の目を開かせる為に一芝居をうち、その結果として汚れを背負って地霊殿から去る。その計画の少なくとも端緒を感じたからこそ、萃香達はさとりの懐に監視カメラを仕込んできたのだ。
これは身内の話、全ての責は自分一人が背負う。周囲に余計な迷惑はかけない。さとりはそう思って慎重に事を進めていた心算だった。それなのに、何故。
「うーん」
「て言うか」
「まあ」
映姫、萃香、勇儀、三人が三人とも似た様に少し困った顔で言葉を濁す。尤も口を閉じたところでさとりの前では別に意味も無い。
「ああ、そうですか」
頬を僅かに赤らめてさとりは視線を下にずらす。
あれでばれてない心算だったなんて。
三人の心はぴたりと一致していた。
「だって、ねえ」
さとりが事を読み理解した。それを感じたのだろう、映姫が口を開く。
「いきなり是非曲直庁に顔を出して来て、もしもの事がどうだとか後継がこうだとか。そうして直後、今度は地上に出て探偵なんか始めだして。
誰だって絶対、何かあると思うと言うか、むしろ、これから面倒を起こすので巧くフォローを頼みますって、そう暗に依頼してきたのかと思ったくらい」
「こっちだってそうよ」
映姫の言葉を受けて今度は勇儀が豪快に笑う。
「あんな日陰のもやしが病気にかかって今にも干からびそうって、そんな顔を見せておいてさあ。赤鬼だ青鬼だ変な事も言い出すし」
「んで、だ。
依頼を紫のとこ持ってって、そこで赤鬼青鬼の話をしたら、もしかしてってあいつの持ち出してきたのがあんな話だ。そりゃ放っておく訳にもいかなくなるって」
地上の賢者が持ち出してきたという話。萃香の心を読んださとりの頭に入ってきたのは、正しく彼女が思っていたものと同じ題名。
泣いた赤鬼。
ある所に赤鬼と青鬼が居た。二人は親友同士。
赤鬼は人間と仲良くしたい、そう思っていた。しかし人間は、鬼は乱暴者だ、そう思い込み怖れて近づこうとしない。そこで青鬼は一計をうった。自身が悪者を演じて人々を襲い、それを赤鬼によって退治させる。そうして人間達に赤鬼に対する信頼感を芽生えさせる。
計画は巧くいき、赤鬼は人間と仲良くなる事が出来た。
それを見届けて後、青鬼は、自分なんかと一緒に居る所を見られればまた赤鬼が人々から嫌われてしまうだろう、そう考えて一人姿を消した。残された赤鬼は親友の真意を知り、泣いた。
「ま、このお話は人間の作った説話なのだそうですが、それは置いておくとして。
細かな部分はかなり違いますが、他者の為に事を成そうと、あえて悪者を演じてその責は全て自分で負って消える、そうした大筋に於いては今回の件と一致しますね。
さて」
そう言って映姫は、少し真面目な顔をしてさとりの顔を覗き込む。
「この青鬼の行動、私なら是とするか否か」
そこから先を映姫は口にしない。けれども勿論、さとりにはその先が判る。
閻魔の判決は、否。
青鬼の行動は、全て親友の事を想ってのものだった。その心を閻魔は否とはしない。だがその行動、そこから最終的に生み出された結果を閻魔は否定する。
「何で赤鬼は、泣いたのかしら」
赤鬼の願いは叶った。けれどもその代償として親友を失った。これで、果たして彼は幸せになれたと言えるのだろうか。自身の願いが親友の居場所を奪ってしまった。その事実を許す事が出来るのだろうか。
「人々の心を動かす。その為に悪者を用意するというのは、これとても簡単で且つ劇的に効果のある方法です。
そうしてその悪者には、他の誰も傷つけたくない、だから自分がなるんだ。
青鬼も、そうして古明地さとり、貴方も、そう思って事を起こしたのでしょうけれど」
どんな者にも、それを慕う者は必ず居る。それが他者の為に自分を犠牲にしようとする、そんな心根の優しい者ならば尚更だ。
人間の友達を作りたい。そんな願いの為に消えた青鬼を想って赤鬼は泣いた。
妹を成長させる為、自ら汚れをかって地霊殿を離れる。心を読む力を取り戻し、姉の真意を知った妹はどう思うのだろうか。新たな一歩を踏み出せた自分を素直に祝福できるのだろうか。
「少しずつ、少しずつで良いのです。自分を含めた誰をも犠牲にせず事を成す。その方法を見つける事こそが一番重要。
そう私は考えます」
以上。言って映姫は悔悟の棒で軽く机を叩いて見せた。それ見てさとりは一言。
「くっさい科白を言いますね」
そっぽを向いて小さくこぼす。それが仕事だから。少しも嫌な顔を見せずにそう言ってのける閻魔様。
「おお、ツンドレだツンドレ」
さとりの態度を見て何か嬉しそうに手を叩く萃香。湯呑みの中身はもう完全に酒に変わっていた。
「へえ、これがツンドレかい。初めて見た。流石は萃香、地上に出てるだけあってナウい言葉を知ってるねえ」
「違います」
萃香の言葉に感心して首を振る勇儀。席立ち机を叩いてそれに否定の意を見せるさとり。
「違うって言ってるけど」
「勇儀は判っちゃないわねえ。ここで素直になれないからこそツンドレ。嫌よ嫌よも好きの内」
「判らないねえ。もっと素直になりゃ良いのに」
嘘はいけない、嘘は。何処から取り出したか大杯を手にする勇儀。そんな彼女の言葉に思わずさとりは大声を上げた。
「ついてましたよねっ、嘘。さっき乱入した時」
「え、いやまあ、その」
「しかもこれがまた、すうっごい下手な演技で」
「いや、だってその、ああいうのはどうも苦手で」
何て酷い言いがかり。それはさとり自身にも判っている。そもそも自分が感情をあらわに大声を出している、そのこと自体が自分でも信じられない位。
でも、どうにも黙っていられないのだ。ツンドレという言葉の意味は知らない。だが萃香の心にあるその言葉のイメージ、それなら判るし、それを自分に向けられるのは黙っていられない。
「良いじゃないのー。って言うか嘘はついてないわよ。昨晩呑み明かしたのもツマミ切らしたのも卵食ったのも全部本当。
ま、少々の誇張と言わなかった事とはあったかもだけど。そんな怒らないでよ。ほんとツンドレねえ」
人の心を読める訳でもないのに、何でこうも的確に。
顔を真っ赤にし、声を張り上げてさとりは、今度は矛先を萃香に向ける。
「鬼って言うのはもっと、誠実な者と思っていましたが」
「ああ、確かに」
さとりの言葉に勇儀は首肯する。
「どうも萃香は、昔っから鬼の癖に少々誠実さに欠けるのよねえ。
地上との約束があったのにこっそりと地底を抜け出したり、姿を隠したまんまで能力を使って騒ぎを起こしたり。
こないだの異変だってさ、自分で顔出せばいいものを人間を騙して寄越す様な真似して」
「失礼ね。私は騙してなんかないわよ。騙したのは紫。私はそれに便乗しただけ」
言い訳するのが尚悪い。そう言って勇儀は拳を友人の頭の真上に押し付け、ぐりぐりと力を込めて回す。
痛い痛い。そんな言葉とは裏腹に楽しそうな顔の萃香。
「ま、そもそも。
嘘がどうとかそういう事、今の貴方に言えるものかしら」
これまた楽しそうな映姫の声。それを前にしてさとりは黙り込んでしまう。判っている。判ってはいるのだが。
「まあ、妹の成長の為に芝居をうつ、それ自体は良いとして。
だったらペット達にも予め事情を話して協力してもらえば、ここまで話もこじれなかったんじゃあないのかしら」
そんな映姫の言葉に、それは駄目です、そうさとりは首を横に振る。
「お燐ならまだしも、おくうにそんな難しい事が出来る訳もありませんから」
「あらあら。またそんな」
憮然とした表情から出たその言葉。それを受けて映姫は、また悔悟の棒で口を隠しながら笑う。
「それは嘘。事情はどうあれペット達に妹を騙させたりしたくない。変なしこりを作らせたくない。そう思ったんでしょ。流石ツンドレねー」
萃香がまた何かを言ってきているが、さとりは顔を背け口を結び応えない。応えられない。
「確かに。あの子達、良い子達だから」
中庭に優しい視線を送りながら映姫が言う。確かに。口には出さずさとりも心の中で頷く。
主に嘘をつかれた、騙された。その事が判明して尚、お燐もおくうも、その心の内からさとりへの信頼を少しも失ってはいなかった。きっと、きっと何か仕方の無い事情があるに違いない。そんな心をずっとさとりへと向け続けてきた。
だからこそ鬼の乱入で責任の所在が曖昧になり、その上で権力者である閻魔が主に寛大な判決を言い渡した時、迷いもせずにそれに乗ったのだ。
「ま、何にせよ嘘は良くないって事ね。今回だってもっと、他のやり方だってあったろうにさ。
しかもだ」
茶菓子の入った器に手を伸ばす勇儀。掴んだのは白くて丸い。
「騒動のネタに選んだのが温泉卵って」
閻魔から下された判決の通り、萃香と勇儀が旧都中から萃めてきた卵。流石に全部は食べられないから。そう言ってお燐は、その殆どを皆で分ける様にさとりに頼んでいた。
「確かにねえ。もしこの計画が巧くいっちゃってたらさ、こいしちゃんこれから先、周りから代替わりの理由を聞かれる度に、先代がペットから卵を盗んでって、そう答えなきゃならなくなっちゃってた訳だ」
こりゃ酷いトラウマだ。そう笑いながら自分も卵を手にする萃香。さとりは応えない。
「まあ大方、事を起こしたは良いもののペット達を仲違いさせる為のネタが思い付かなくて、それで昨晩温泉卵を目にした時に咄嗟に決めたんでしょうけど。
でも本当、何と言うか、まあ」
口元を隠したまま、目を細め肩を震わせ必死で笑いを堪える映姫。さとりは応えない。いつの間にやら顔は真っ赤で小刻みに肩を震わせている。何で、本当にもう、何でこんな。
「何でこんな、心を読める訳でもないのに的確に言い当ててくるのか」
「なっ」
思わず声が漏れた。閻魔の言葉があまりにも見事に自分の心を言い表していたから。
驚きの顔で視線を返してくるさとりに向かって、そんな不思議な事でもない、そう言って映姫は続ける。
「誰だってそうよ。相手の心を読めない、だからこそ、相手が何を考えているのか、何を望んでいるのか、それを一生懸命考える。そうしてそれこそが、他者を理解する、そういう事なの。
覚(さとり)は心を読めるから、逆にその辺りは判りづらいのかも知れないけど。何せどんなテストの答も予め知っている様なものなのだから。そこに至る思考の大切さには気づきにくいのでしょうね」
またくさい科白を言ってしまったかしら。そうおどけて見せる映姫だったが、けれどもさとりは思う。確かに、もしかしたら、そうなのかも知れないなあ、と。
常に他者の心を読みそれを当然の事として生きてきた自分。その自分が唯一読む事の出来ない存在。それが自分の妹であると言う事実。それがさとりには悲しかったのだし、哀れだったのだし、怖かったのだし。それで。
「身内事で考え過ぎて暴走。こんなのは今も昔も、それこそ妖怪人間神様問わずそこら中に転がってる話だからねえ。しかもその身内の心が読めないときてる。今回の騒ぎ、こう考えればまあ、仕方なくも思えてくるか」
まただ。もう顔を真っ赤にして頭をふらふら揺らす小さな酔っ払い。彼女の言葉がまた的確にさとりの心を言い表す。
「ま、もしまた今度何か悩みが出来たら、一人でうじうじしてないで相談に来なって。でないとさあ、こっちも寂しいじゃないか」
あんまり馬鹿するもんじゃないよ。そんな、少々きつくも思える勇儀の言葉。けれどもさとりは、確かにそこから大きな優しさを感じた気がした。それは心を読んだから、ではなく。勇儀の表情、声の色、そうしたものがはっきりとその温かさをさとりに見せている様に思えたのだ。
「さて、そんなお馬鹿な貴方に出来る善行は」
言いかけた映姫の言葉を、しかしさとりの左手が遮った。そうして残った右の手、それは。
「その先は少し、私に考えさせてもらえませんか」
さとりの右手は、その胸に在る第三の目を覆い隠していた。
正解を知るのではない。自ら考え、そこに至ろうと努力する。例え回り道になっても、その過程こそが真に大事なもの。
さとりには判らない。ずっと覚(さとり)として生きてきた自分、そう簡単に考えを変える事など出来よう筈もない。
けれども、それでも。今この場だけは自分で答を出してみたかった。それが正解かは判らない。けれども自分の思う最善、それを見つけてみたい。
今、自分の出来る事、しなくてはならない事、したい事。
「あの子達に今回の全てを話し、その上でちゃんと謝ってきます」
映姫は何も言わなかった。萃香も、勇儀も。
けれども三人は一様に、優しく暖かな笑みを顔に浮かべていた。さとりにはそれで充分だった。
今日は本当に、本当に有難う御座いました。深く頭を下げてからさとりは、妹達の遊ぶ中庭へと駆けて行った。
上手くは言えないのですが、自分の持つ地霊殿一家のイメージと絶妙にマッチいたしました
前作の空天と良い、もう大好きです
さとりの妹に対する想いとその行動とか良かったです。
パチュリーからの依頼とかも魔理沙の愕然とした様子が想像できました。(苦笑)
実際、物を盗んだりとか隠し事をしてもさとりの前では無意味ですよねぇ・・・。
そして顔を真っ赤にして震えてるさとりが可愛い・・・。
さとりのこいしを想う気持ちがすごくよく分かりました。そして鬼と閻魔さん、実に粋ですね!
次回作も楽しみにしてますーw
『幻想郷一ィ!』とか言っちゃうとルナサ姉上とか静葉姉さんとかレミリアお姉様とかが黙って無い様な気がしますので。
シスコン未満一般的姉妹以上な姉貴は良いですねぇ。心が癒されて癒されて。
あと演技が出来ないのに妖情に篤いが故に一芝居打つゆーぎ姐さんがかわゆーて堪りません。
このゆーぎ姐さんは間違いなく萃香の嫁。
SSがやたら少なくてさびしいと思っていたところに良いお話をありがとうございます。
>用を足す時も
うん、すばらしい携帯っぷりだwww
> 彼女をを見て、そう言えば
> そりゃ放ってく訳にもいかなくなるって
放っとく、でしょうか?
いや、これは素晴らしい!
よく練られたシナリオ、自然な独自解釈、立ちまくりなキャラたち。
とても気持ちの良い物語でした。
魔理沙の件も含めてw
A.探偵が犯人。又は探偵と共犯。
紫はストーカーみたいだな。俺も欲し(ry
ココロを逆に読まれてツンドレちゃうサトリさま激愛らしすぎるw
和気藹々としてる地底の面々がいい感じです。
お姉さんぶってる割に迂闊すぎるサトリが可愛すぎるw
地霊もさることながら彼岸や鬼が大好きな俺の心にクリーンヒット
特に四季様のお説教が原作風、なおかつ物語に合うように良くアレンジされていてグッド
あれ再現するの難しいんだよなあ。全く同じこと言わせるのも駄目だし
原作でちらっと出てた「賢者の嘘はNOT悪」を取り入れたのもいい
萃香の風格も原作を思わせて良かったし永遠亭の描写もらしくて、読んでいて
「東方が本当に好きなんだな」と思わせられるお話でした。
タイトルからギャグだと思いつつ読み始めたのですが、
マジメなコメディチックな話でとても良かったです。
温泉卵云々で出て行こうとするさとりに『なんだかなぁ』って思ったところもあったけど、
そこらへんの話も最後に素敵な鬼二人と素敵な閻魔様の話ですっきりしたので
とてもいい纏まりで仕上がっているかと思います。
地霊殿が舞台になっているSSが少ない中でのとても素敵な地霊殿一家の
SSを読ませていただき、ありがとうございました。
針を刺されるシーンや猫になって甘えるシーン、二人で協力して犯人をひっ捕まえるシーンや
やってない!ってあたふたするおくうとおずおずと口を出すお燐のシーン。
どれもこれもが映像として目の前に浮かんでくる程に心地よい文でした、二人の株が二ケタ位上がった。
あまりの素晴らしさに私悶えるしかございません、ナイスデース。
古明地一家も八雲家とはまた違った良さがあっていいですね。
不器用さ丸出しのさとりんが、とても可愛いものでした。
しかしあえて言いましょう。本当に可愛かったのはお空だということを!
輝夜、名探偵はいつもすぐ側にいるじゃないか。
アルアジフで反応してしまった…
昔にサトラレ(近くにいる人に自分の考えていることが勝手に伝わってしまう)という映画がありましたけどそれを見たときから、そんなことをたまに考えたりします
それはそうと、映姫様の言うことには考えさせられました
相手のことを想って自分を犠牲にすることは本当に相手のためにはならないのですよね
自己犠牲は美しくも思えるけれど、結局は自己満足になってしまう
本当に相手を想っているならその人にとって自分はどういった存在なのか
それを踏まえて自分になにができるのか考えるべきなのではないでしょうか
きっと、何かを犠牲にした先に本当の笑顔はないのですから
お空かわいいよお空!おりんりんお利口お利口!
二匹に囲まれて耳のところをナゼナゼする妄想でヨダレ1リットル出た。
卵で出て行こうとするさとりんに強引さを感じずにはいられませんでしたが、それでも素敵なお話には変わりなく。
伏線の張り方がとても上手くて感服致しました。
ごちそうさまです。
咲夜さんの猫度はたしか24点のはず。