(登場人物の体格設定は作者独自のものです。)
暗がり、巨大な本棚が所狭しと並ぶ通路。
パチュリーの持つ灯りに照らされて美鈴の顔が浮かび上がる。
「美鈴」
「何ですか」
至極、迷惑そうな調子で美鈴は答えた。
「分かってるわね。もう隠せないわよ」
美鈴は黙りこくる。
「何とか言いなさい」
パチュリーは大きな声を出してむせた。
「とにかく、この事はレミィに報告するわよ」
「知りません、私は何も知りません」
美鈴はパチュリーに背を向けて、走り出した。
パチュリーは追いかけようとしたが、5歩程進んで咳き込む。
「駄目よ、もう逃げられないわ」
美鈴の足音が次第に遠ざかり、消えた。
紅魔館は未だ、その当主にとって平和な場所であった。
少なくともこの時、彼女は探偵ではなかった。
冬も近づいた今日レミリアはいつもの如く咲夜の声で目を覚ました。
吸血鬼である彼女が目覚めるのは決まってこの時間、7時付近である。
太陽は沈んでいるらしく薄暗い室内には一筋の光も入ってこない。
「今、夕食をお持ちします」
咲夜が廊下に出ようとしたが、レミリアは呼び止めた。
「ちょっと寒い」
レミリアの部屋に暖房はなく、布団に暖められていた肌が外気にさらされた。
すぐさま、咲夜はクローゼットを開き赤、白、黒、紺、緑のカーディガンを見せる。
レミリアが近くのテーブルに移り赤いカーディガンを指すと、咲夜はそれを肩に羽織らせる。
「どうですか」
「大丈夫」
部屋には暖炉もあるが、まだ点けるような時期ではないと思われるためビタ一用意がされていない。
レミリアは冷えた拳を開け閉めした。
レミリアは起き上がろうとして、枕元に置かれた三折りの紙に気付く。
「あなたここに手紙置いた?」
「いえ、知りませんよ」
咲夜は半ば機械的に皿を運んでくる。
「誰が置いたか知ってる?」
「いいえ。私は今来た所なので」
レミリアの頭にふと、パチュリーが浮かぶ。
何しろ、自らの寝室の鍵を持っているのは咲夜と彼女だけだ。
いずれにしろ、睡眠中の枕元に手紙を置いて行かれるのは気分のいいものではない。
レミリアは、ベッド横のテーブルの前に腰掛けると手紙を開く。
ぼんやりとした意識は、まず最終行に書かれた名前を認めた。
差出人は予想通りの人物であった。
以下、手紙引用。
「私は紅魔館の不正を暴いてしまったらしい。私は今、確信を持っている。
この手紙を見たら、必ず一人で図書館へ。証拠品がある。パチュリー・ノーレッジ」
レミリアの頭が急激に覚醒し、手紙の内容を反芻する。
文量こそ少ないが、レミリアに何とも言えない不気味さを感じさせる。
好奇心と不安感がない交ぜになって心臓が高鳴る。
外の風の音が室内に響く。
そうこうしている間に小さいテーブルの上に所狭しと肉やらサラダやらワイングラスやらが用意され、咲夜は一礼して部屋から出て行った。
一人、夕食の前に取り残されたレミリアは所在なく手足をばたつかせた。
とても食事が喉を通りそうにない。
レミリアはワイングラスの中身を半分ほど喉奥に流し込んで、手紙をカーディガンのポケットに押し込み席を立った。
カーテンの隙間から、葉を失ったケヤキが一本絶え間なく揺れている。
図書館の入り口に座る小悪魔がレミリアを見るなり、駆け寄って来た。
「レミリア様」
逸るレミリアは、足止めを食らって苛立つ。
「何?」
「お手紙読んでいただけましたか」
小悪魔の口から、意外なワードが飛び出した。
レミリアは小悪魔の怯えた目を見る。
「読んだ? お手紙って、私の枕元にあった?」
「はい、そうです。パチュリー様は喘息の発作が酷かったようなので、代わって届けました。すぐに知らせろと言われたのですが、お休みになっていたようなので」
小悪魔の頭にくっついた羽が、慌ただしく空気をかき混ぜる。
「鍵を借りて?」
「はい。あ、もちろん中身は読んでいませんよ。はい」
何だ、弁明か。
小悪魔の心中を鼻で笑ったレミリアは聞く。
「パチュリーは? 何か聞いてない?」
「図書館の奥です。私は特に何も伺っておりません。よろしければ、案内しましょうか。奥は暗いですから」
「結構」
レミリアはランタンを一つ受け取り、背を向けて歩き出した。
地下図書館の奥、パチュリーはそこへ入られることを酷く嫌ったため一週間かそこらに一度、掃除のメイドが入るのみで小悪魔も立ち入ろうとしない。
「パチェ、来たわ」
呼びかけると、いつもならアンバランスな歩き方で本を片手に歩いてくる彼女であるが、今日に限ってどうしたことかその姿を見せない。
喘息がそこまで酷いとも思えないが。
レミリアは先ほど部屋で読んだパチュリーの手紙が気に掛かって、通常パチュリーが読書に勤しんでいる区画に足を早める。
久しく掃除がなされていないのか、足を付けるたびに微かな埃が舞い上がった。
「パチェ、いるの?」
目星を付けた区画にもパチュリーの姿は見当たらない。
いつも座っている椅子は空っぽで、灯りも点いていない。
レミリアは訝しげに辺りを見回す。
何度か名前を呼んで辺りを捜していると、角を曲がった途端、妙な物が目に入った。本棚の中腹、自分の頭の上に靴が浮かんでいるのだ。
レミリアは小さく眉根を動かし、本棚の上方を見上げて絶句した。
ドロワーズ一枚にひん剥かれ、胸にサラシを巻き付けたパチュリーが十字形にして本棚へ磔にされていた。
普段に増して青白い顔と華奢な肋骨、そして力無く垂れる足が頭上に浮かび上がる。
「わああっ」
レミリアは持っていたランタンを落とし、薄暗い室内で更に視認性を失った。
途端、パチュリーを下ろすことも忘れパニックに陥る。
吸血鬼の目がいくら優れてると言えど、本人がパニックに陥ってはガラス玉である。
足は割れたランタンのガラスを踏んで滑り、余計に焦る。
明かりを点けようとしても、どこに明かりがあるものか見当も付かない。
これはいかん、と羽ばたいたところ、吊されたパチュリーの靴に鼻面をぶつけて本棚に衝突しカーペットの上に這いつくばる。
親友がこんな目にあっているのに。悔しい。レミリアの背中に本棚からこぼれ落ちた本が降り注ぐ。
「誰か来て、早く来て」
叫びに気付いた小悪魔と咲夜と4,5人のメイド達が駆けつけ図書館奥部は騒然となった。
パチュリーを吊していたロープが切られて、彼女の体が小悪魔らによってテーブルの上に置かれるとレミリアは何食わぬ顔で駆け寄る。
「酷い、こんな」
サラシはパチュリーの胸に深く食い込んでおり、酸素が行き届いていないのかいつもに増して真っ青な顔で横たわっている。
普段は服の上からでも分かるほどに大きく膨らんだ彼女の胸は、幾重にも窮屈に巻かれたサラシの中に隠れている。
内部がどのようになっているか、喘息持ちの彼女が胸を締め付けられる苦しみはどれほどであったか、考えるだけでもおぞましいものがあった。
集まっていた群衆、皆一様に胸を押さえて青い顔をする。
もちろん言うまでもなくパチュリーはブラジャー派であり、サラシなど持ってはいない。
「早くパチェを楽にしてあげないと」
サラシの他には帽子とドロワーズ一丁で机に横たわるパチュリーの胸にレミリアが手をかけると、咲夜が甲高い声で抑止した。
「いけません。美鈴が永遠亭の助けを呼びに行きました。私達、素人が今、下手なことをすると危険です」
ごもっともだ。自分が下手な真似をすれば、パチュリーの繊細な体に差し障る。
レミリアは悔しさのあまり、パチュリーの胸に顔を擦り付けた。
「何てむごい。パチェ、目を覚ましてっ」
胸の柔らかさは感じられず、これでもかという程きつく巻かれたサラシの感触だけがレミリアの頬に触れた。
喘息患者にこれほどの仕打ちが出来る者は人間ではない。
「早く楽にしてあげないと」
一同、顔を曇らせる。
「ああ。早く、パチェを楽にしてあげて」
レミリアは気付いていないが、この発言は周囲に不謹慎きわまりない印象を与える。
一同はうな垂れてひたすらに薬師の到着を待った。
永遠亭が到着する頃には、既に発見から一時間が経過していた。
救急箱をぶら下げたウドンゲが美鈴を伴って地下図書館に駆け込んでくる。
完全に血の気を失い惨たらしくサラシを食い込ませたパチュリーに寄り添い、泣き疲れてうな垂れているレミリア、周りを取り囲むように座っている咲夜、フランドール、小悪魔、そして立っているメイド達約5名、一同が走って来た自分を見るなり失望の念を抱いたのをウドンゲは感じ取った。
自分が永琳でないからだ。
「患者さんは、どのような具合ですか」
ウドンゲはパチュリーの顔色を見るなり、ひっと悲鳴を上げた。
「ど、どうしてこんな風になるまで放っておいたんですか」
「すみません、指示したのは私です」
言うが早いか、ウドンゲは脈があることを確認し、強固に巻かれたサラシを掴み引っぺがそうとする。
が、サラシはパチュリーの胴の周囲にぐるぐると巻かれているわけで、コマの要領でパチュリーは机の上をごろごろと転がった。
「くっ」
耐え切れずフランドールとメイドの一人が噴き出した。
「しゃきっとしろ」と、言いかけた咲夜も「しゃ」と言ったきり言葉に詰まって噴き出し、先に噴き出したメイドの頭を引っぱたく。
「ああ」
しかし、サラシを全部取り去った瞬間、全員が息を呑む。
ウドンゲも口に手を当てる。
パチュリーの柔らかな胸は押しつぶされ真っ平らにされていた。
長時間締め付けられていた胸は、子供還りしたかのようにその膨らみを失っていたのである。
薄明かりの中、彼女の体はある種の芸術性さえ感じさせた。
パチュリーは幾分楽になったのか、小さく息をする。
「まるで幼稚園児みたいにぺったんこ」
フランドールが声を上げた。
「ああ、パチェ。私がもっと早く取ってあげていれば」
「こんな症例、見たことがありません」
レミリアは恐ろしい怪物を思い浮かべた。
自分やフランドールが全力で胸を締め付けたとしても、これほどの芸当が出来るかどうか分かったものではない。
一体どれほどの力、あるいは憎しみをもってすればふくよかな胸部をここまで平坦に出来るのか全く見当が付かない。
「パチュリーさんは生きています。しかし、今すぐ集中治療が必要です。永遠亭へ連れて行くので誰か手伝ってください」
背の高いメイドが名乗りを上げ、パチュリーの体を持ち上げた時、一枚の紙がパチュリーのドロワーズの隙間から舞い落ちた。
「あれ」
視線が集中し、誰も紙を拾い上げようとせずに戸惑っている中レミリアが歩み寄り紙を広げた。
************************************
紅魔館××××年度、新人メイド採用試験結果{極秘}
*記載順に、番号|名前|記述試験結果(100点満点)|スリーサイズ|備考|合否
0001|×××××|92点|72・57・77|金髪、近視、両耳ピアス跡あり|○
0002|×××|54点|88・61・82|万引きの前科あり、黒髪、礼儀が成っていない|×
0003|×××××|12点|69・55・71|赤髪、近視|○
0004|××××××|26点|65・54・68|窃盗の前科あり、長身、緑髪|○
0005|×××××|82点|90・60・86|金髪、口調が大変荒い|×
0006|××××|53点|80・59・82|メイドの経験あり|○
0007|××××××|60点|95・59・89|礼儀が成っていない|×
0008|×××××|14点|70・54・78|黒髪、長身|○
0009|×××××××|73点|67・54・70|多少口調に難あり|○
募集定員6名、応募人数9名、採用6名。
総責任者:紅 美鈴
***********************************
「パチェ」
パチュリーの言葉が思い出される。
レミリアが紙を自分の顔に押し当てると、パチュリーの微かなぬくもりが感じられた。
「お姉様、それは」
パチュリーが支えられ、担ぎ出されていく。
もはや疑う余地は無かった。パチュリーは紅魔館の不正を暴き、それが公になることを肯んじない人物に襲われたのだ。
そして彼女は証拠を守り通した。レミリアに伝えるためにである。
レミリアは頷いた。
「パチェは立派だったわ。私が必ず犯人を捕まえる」
「お嬢様」
「お姉様、私、恐い」
私が必ず犯人を突き止める。
そして、紅魔館の不正を暴く。
パチュリーの努力は無駄にしない。
「犯人は、この中にいる」
レミリアは独り言を呟くと、微かににやけた。
直ちに箝口令が敷かれ、警備が強化される。
警備強化は侵入者を防ぐ意味合いもあるが、何より犯人に対する包囲網のアピールでもあった。
明けて一夜、紅魔館内部は沈鬱な雰囲気に包まれていた。
事件の直後レミリアは「犯人は必ず捕まえる」と明言し、メイド達はぎこちなく普段通りの生活を続けている。
パチュリーがいくら喘息持ちといえど、実力者である。
そこで、彼女をあのような目に遭わせられる人物はそれなりに目星が付く。咲夜もその例外ではなかった。
レミリアは犯人を暴くべく一枚の紙と向き合ったが、どこからも不正の証拠が読み取れない。
ともすれば、この紙切れは犯人の情報攪乱の手段ではないのか。
果たしてこの小さな紙に不正は隠されているのだろうか。
午前8時半。
レミリアが空のティーカップ片手に鬱々と椅子を揺らしていると、部屋の扉がノックされ咲夜が入ってきた。
「お嬢様。ただ今、永遠亭から連絡が」
レミリアの瞳が輝く。
「それで、何ですって?」
「命に別状はないそうですが、その、胸は回復するかどうか分からないそうです」
「そう」
レミリアは力無く呟いた。
「相当お疲れのようですが、少しお休みになってはいかがですか」
「ごめんなさい。今、とてもそんな気分にはなれないの。体が疲れるのに頭は冴えてしまって」
本来ならば、レミリアがとうに床に着いている時間だ。
レミリアは文章を一字一句睨み付ける。が、結果は変わらず紙面からは特に何も読み取れない。
どこからどう見ても、平凡な採用試験の結果であった。
「パチュリー様が落としていったものですか?」
咲夜はレミリアの手の中の紙を指さす。
レミリアは、やれやれと首を振ってそれを咲夜に放って渡した。
「そう。パチェは私に不正の証拠を掴んだと言ったわ。だけど、私にはここに文面以上の意味が読み取れないの。どう思う?」
咲夜は紙を片手に首を傾げた。
「分かりません。何か重要な意味があるとはとても。この試験自体が半年前になりますからね」
レミリアは溜息を吐く。
とにかく、この文章はひとまず保留するしかなさそうだ。
警備が万全な以上、犯人捜索の時間はたっぷりと残されている。
犯人もそれを自覚して焦っているだろうという確信がレミリアにはあった。
「こうなった以上は聞き込みしかないわね。日傘を取って」
「はい」
咲夜は日傘を取ると同時に、不安げな表情をした。
「お嬢様」
「何?」
「まさかとは思うのですが、楽しんでませんか?」
レミリアは金の懐中時計片手に探偵帽を被り、黒縁のメガネをかけて、厚手の茶色いコートを羽織り、胸にキセルを挿していた。
「まさか。どうしてそう思うの?」
「いえ、別に」
まずは文章の最後に名前を記されていた美鈴の所だ。
レミリアはメガネを人差し指で吊り上げると、日傘を受け取りコートを翻した。
暗がり、巨大な本棚が所狭しと並ぶ通路。
パチュリーの持つ灯りに照らされて美鈴の顔が浮かび上がる。
「美鈴」
「何ですか」
至極、迷惑そうな調子で美鈴は答えた。
「分かってるわね。もう隠せないわよ」
美鈴は黙りこくる。
「何とか言いなさい」
パチュリーは大きな声を出してむせた。
「とにかく、この事はレミィに報告するわよ」
「知りません、私は何も知りません」
美鈴はパチュリーに背を向けて、走り出した。
パチュリーは追いかけようとしたが、5歩程進んで咳き込む。
「駄目よ、もう逃げられないわ」
美鈴の足音が次第に遠ざかり、消えた。
紅魔館は未だ、その当主にとって平和な場所であった。
少なくともこの時、彼女は探偵ではなかった。
冬も近づいた今日レミリアはいつもの如く咲夜の声で目を覚ました。
吸血鬼である彼女が目覚めるのは決まってこの時間、7時付近である。
太陽は沈んでいるらしく薄暗い室内には一筋の光も入ってこない。
「今、夕食をお持ちします」
咲夜が廊下に出ようとしたが、レミリアは呼び止めた。
「ちょっと寒い」
レミリアの部屋に暖房はなく、布団に暖められていた肌が外気にさらされた。
すぐさま、咲夜はクローゼットを開き赤、白、黒、紺、緑のカーディガンを見せる。
レミリアが近くのテーブルに移り赤いカーディガンを指すと、咲夜はそれを肩に羽織らせる。
「どうですか」
「大丈夫」
部屋には暖炉もあるが、まだ点けるような時期ではないと思われるためビタ一用意がされていない。
レミリアは冷えた拳を開け閉めした。
レミリアは起き上がろうとして、枕元に置かれた三折りの紙に気付く。
「あなたここに手紙置いた?」
「いえ、知りませんよ」
咲夜は半ば機械的に皿を運んでくる。
「誰が置いたか知ってる?」
「いいえ。私は今来た所なので」
レミリアの頭にふと、パチュリーが浮かぶ。
何しろ、自らの寝室の鍵を持っているのは咲夜と彼女だけだ。
いずれにしろ、睡眠中の枕元に手紙を置いて行かれるのは気分のいいものではない。
レミリアは、ベッド横のテーブルの前に腰掛けると手紙を開く。
ぼんやりとした意識は、まず最終行に書かれた名前を認めた。
差出人は予想通りの人物であった。
以下、手紙引用。
「私は紅魔館の不正を暴いてしまったらしい。私は今、確信を持っている。
この手紙を見たら、必ず一人で図書館へ。証拠品がある。パチュリー・ノーレッジ」
レミリアの頭が急激に覚醒し、手紙の内容を反芻する。
文量こそ少ないが、レミリアに何とも言えない不気味さを感じさせる。
好奇心と不安感がない交ぜになって心臓が高鳴る。
外の風の音が室内に響く。
そうこうしている間に小さいテーブルの上に所狭しと肉やらサラダやらワイングラスやらが用意され、咲夜は一礼して部屋から出て行った。
一人、夕食の前に取り残されたレミリアは所在なく手足をばたつかせた。
とても食事が喉を通りそうにない。
レミリアはワイングラスの中身を半分ほど喉奥に流し込んで、手紙をカーディガンのポケットに押し込み席を立った。
カーテンの隙間から、葉を失ったケヤキが一本絶え間なく揺れている。
図書館の入り口に座る小悪魔がレミリアを見るなり、駆け寄って来た。
「レミリア様」
逸るレミリアは、足止めを食らって苛立つ。
「何?」
「お手紙読んでいただけましたか」
小悪魔の口から、意外なワードが飛び出した。
レミリアは小悪魔の怯えた目を見る。
「読んだ? お手紙って、私の枕元にあった?」
「はい、そうです。パチュリー様は喘息の発作が酷かったようなので、代わって届けました。すぐに知らせろと言われたのですが、お休みになっていたようなので」
小悪魔の頭にくっついた羽が、慌ただしく空気をかき混ぜる。
「鍵を借りて?」
「はい。あ、もちろん中身は読んでいませんよ。はい」
何だ、弁明か。
小悪魔の心中を鼻で笑ったレミリアは聞く。
「パチュリーは? 何か聞いてない?」
「図書館の奥です。私は特に何も伺っておりません。よろしければ、案内しましょうか。奥は暗いですから」
「結構」
レミリアはランタンを一つ受け取り、背を向けて歩き出した。
地下図書館の奥、パチュリーはそこへ入られることを酷く嫌ったため一週間かそこらに一度、掃除のメイドが入るのみで小悪魔も立ち入ろうとしない。
「パチェ、来たわ」
呼びかけると、いつもならアンバランスな歩き方で本を片手に歩いてくる彼女であるが、今日に限ってどうしたことかその姿を見せない。
喘息がそこまで酷いとも思えないが。
レミリアは先ほど部屋で読んだパチュリーの手紙が気に掛かって、通常パチュリーが読書に勤しんでいる区画に足を早める。
久しく掃除がなされていないのか、足を付けるたびに微かな埃が舞い上がった。
「パチェ、いるの?」
目星を付けた区画にもパチュリーの姿は見当たらない。
いつも座っている椅子は空っぽで、灯りも点いていない。
レミリアは訝しげに辺りを見回す。
何度か名前を呼んで辺りを捜していると、角を曲がった途端、妙な物が目に入った。本棚の中腹、自分の頭の上に靴が浮かんでいるのだ。
レミリアは小さく眉根を動かし、本棚の上方を見上げて絶句した。
ドロワーズ一枚にひん剥かれ、胸にサラシを巻き付けたパチュリーが十字形にして本棚へ磔にされていた。
普段に増して青白い顔と華奢な肋骨、そして力無く垂れる足が頭上に浮かび上がる。
「わああっ」
レミリアは持っていたランタンを落とし、薄暗い室内で更に視認性を失った。
途端、パチュリーを下ろすことも忘れパニックに陥る。
吸血鬼の目がいくら優れてると言えど、本人がパニックに陥ってはガラス玉である。
足は割れたランタンのガラスを踏んで滑り、余計に焦る。
明かりを点けようとしても、どこに明かりがあるものか見当も付かない。
これはいかん、と羽ばたいたところ、吊されたパチュリーの靴に鼻面をぶつけて本棚に衝突しカーペットの上に這いつくばる。
親友がこんな目にあっているのに。悔しい。レミリアの背中に本棚からこぼれ落ちた本が降り注ぐ。
「誰か来て、早く来て」
叫びに気付いた小悪魔と咲夜と4,5人のメイド達が駆けつけ図書館奥部は騒然となった。
パチュリーを吊していたロープが切られて、彼女の体が小悪魔らによってテーブルの上に置かれるとレミリアは何食わぬ顔で駆け寄る。
「酷い、こんな」
サラシはパチュリーの胸に深く食い込んでおり、酸素が行き届いていないのかいつもに増して真っ青な顔で横たわっている。
普段は服の上からでも分かるほどに大きく膨らんだ彼女の胸は、幾重にも窮屈に巻かれたサラシの中に隠れている。
内部がどのようになっているか、喘息持ちの彼女が胸を締め付けられる苦しみはどれほどであったか、考えるだけでもおぞましいものがあった。
集まっていた群衆、皆一様に胸を押さえて青い顔をする。
もちろん言うまでもなくパチュリーはブラジャー派であり、サラシなど持ってはいない。
「早くパチェを楽にしてあげないと」
サラシの他には帽子とドロワーズ一丁で机に横たわるパチュリーの胸にレミリアが手をかけると、咲夜が甲高い声で抑止した。
「いけません。美鈴が永遠亭の助けを呼びに行きました。私達、素人が今、下手なことをすると危険です」
ごもっともだ。自分が下手な真似をすれば、パチュリーの繊細な体に差し障る。
レミリアは悔しさのあまり、パチュリーの胸に顔を擦り付けた。
「何てむごい。パチェ、目を覚ましてっ」
胸の柔らかさは感じられず、これでもかという程きつく巻かれたサラシの感触だけがレミリアの頬に触れた。
喘息患者にこれほどの仕打ちが出来る者は人間ではない。
「早く楽にしてあげないと」
一同、顔を曇らせる。
「ああ。早く、パチェを楽にしてあげて」
レミリアは気付いていないが、この発言は周囲に不謹慎きわまりない印象を与える。
一同はうな垂れてひたすらに薬師の到着を待った。
永遠亭が到着する頃には、既に発見から一時間が経過していた。
救急箱をぶら下げたウドンゲが美鈴を伴って地下図書館に駆け込んでくる。
完全に血の気を失い惨たらしくサラシを食い込ませたパチュリーに寄り添い、泣き疲れてうな垂れているレミリア、周りを取り囲むように座っている咲夜、フランドール、小悪魔、そして立っているメイド達約5名、一同が走って来た自分を見るなり失望の念を抱いたのをウドンゲは感じ取った。
自分が永琳でないからだ。
「患者さんは、どのような具合ですか」
ウドンゲはパチュリーの顔色を見るなり、ひっと悲鳴を上げた。
「ど、どうしてこんな風になるまで放っておいたんですか」
「すみません、指示したのは私です」
言うが早いか、ウドンゲは脈があることを確認し、強固に巻かれたサラシを掴み引っぺがそうとする。
が、サラシはパチュリーの胴の周囲にぐるぐると巻かれているわけで、コマの要領でパチュリーは机の上をごろごろと転がった。
「くっ」
耐え切れずフランドールとメイドの一人が噴き出した。
「しゃきっとしろ」と、言いかけた咲夜も「しゃ」と言ったきり言葉に詰まって噴き出し、先に噴き出したメイドの頭を引っぱたく。
「ああ」
しかし、サラシを全部取り去った瞬間、全員が息を呑む。
ウドンゲも口に手を当てる。
パチュリーの柔らかな胸は押しつぶされ真っ平らにされていた。
長時間締め付けられていた胸は、子供還りしたかのようにその膨らみを失っていたのである。
薄明かりの中、彼女の体はある種の芸術性さえ感じさせた。
パチュリーは幾分楽になったのか、小さく息をする。
「まるで幼稚園児みたいにぺったんこ」
フランドールが声を上げた。
「ああ、パチェ。私がもっと早く取ってあげていれば」
「こんな症例、見たことがありません」
レミリアは恐ろしい怪物を思い浮かべた。
自分やフランドールが全力で胸を締め付けたとしても、これほどの芸当が出来るかどうか分かったものではない。
一体どれほどの力、あるいは憎しみをもってすればふくよかな胸部をここまで平坦に出来るのか全く見当が付かない。
「パチュリーさんは生きています。しかし、今すぐ集中治療が必要です。永遠亭へ連れて行くので誰か手伝ってください」
背の高いメイドが名乗りを上げ、パチュリーの体を持ち上げた時、一枚の紙がパチュリーのドロワーズの隙間から舞い落ちた。
「あれ」
視線が集中し、誰も紙を拾い上げようとせずに戸惑っている中レミリアが歩み寄り紙を広げた。
************************************
紅魔館××××年度、新人メイド採用試験結果{極秘}
*記載順に、番号|名前|記述試験結果(100点満点)|スリーサイズ|備考|合否
0001|×××××|92点|72・57・77|金髪、近視、両耳ピアス跡あり|○
0002|×××|54点|88・61・82|万引きの前科あり、黒髪、礼儀が成っていない|×
0003|×××××|12点|69・55・71|赤髪、近視|○
0004|××××××|26点|65・54・68|窃盗の前科あり、長身、緑髪|○
0005|×××××|82点|90・60・86|金髪、口調が大変荒い|×
0006|××××|53点|80・59・82|メイドの経験あり|○
0007|××××××|60点|95・59・89|礼儀が成っていない|×
0008|×××××|14点|70・54・78|黒髪、長身|○
0009|×××××××|73点|67・54・70|多少口調に難あり|○
募集定員6名、応募人数9名、採用6名。
総責任者:紅 美鈴
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「パチェ」
パチュリーの言葉が思い出される。
レミリアが紙を自分の顔に押し当てると、パチュリーの微かなぬくもりが感じられた。
「お姉様、それは」
パチュリーが支えられ、担ぎ出されていく。
もはや疑う余地は無かった。パチュリーは紅魔館の不正を暴き、それが公になることを肯んじない人物に襲われたのだ。
そして彼女は証拠を守り通した。レミリアに伝えるためにである。
レミリアは頷いた。
「パチェは立派だったわ。私が必ず犯人を捕まえる」
「お嬢様」
「お姉様、私、恐い」
私が必ず犯人を突き止める。
そして、紅魔館の不正を暴く。
パチュリーの努力は無駄にしない。
「犯人は、この中にいる」
レミリアは独り言を呟くと、微かににやけた。
直ちに箝口令が敷かれ、警備が強化される。
警備強化は侵入者を防ぐ意味合いもあるが、何より犯人に対する包囲網のアピールでもあった。
明けて一夜、紅魔館内部は沈鬱な雰囲気に包まれていた。
事件の直後レミリアは「犯人は必ず捕まえる」と明言し、メイド達はぎこちなく普段通りの生活を続けている。
パチュリーがいくら喘息持ちといえど、実力者である。
そこで、彼女をあのような目に遭わせられる人物はそれなりに目星が付く。咲夜もその例外ではなかった。
レミリアは犯人を暴くべく一枚の紙と向き合ったが、どこからも不正の証拠が読み取れない。
ともすれば、この紙切れは犯人の情報攪乱の手段ではないのか。
果たしてこの小さな紙に不正は隠されているのだろうか。
午前8時半。
レミリアが空のティーカップ片手に鬱々と椅子を揺らしていると、部屋の扉がノックされ咲夜が入ってきた。
「お嬢様。ただ今、永遠亭から連絡が」
レミリアの瞳が輝く。
「それで、何ですって?」
「命に別状はないそうですが、その、胸は回復するかどうか分からないそうです」
「そう」
レミリアは力無く呟いた。
「相当お疲れのようですが、少しお休みになってはいかがですか」
「ごめんなさい。今、とてもそんな気分にはなれないの。体が疲れるのに頭は冴えてしまって」
本来ならば、レミリアがとうに床に着いている時間だ。
レミリアは文章を一字一句睨み付ける。が、結果は変わらず紙面からは特に何も読み取れない。
どこからどう見ても、平凡な採用試験の結果であった。
「パチュリー様が落としていったものですか?」
咲夜はレミリアの手の中の紙を指さす。
レミリアは、やれやれと首を振ってそれを咲夜に放って渡した。
「そう。パチェは私に不正の証拠を掴んだと言ったわ。だけど、私にはここに文面以上の意味が読み取れないの。どう思う?」
咲夜は紙を片手に首を傾げた。
「分かりません。何か重要な意味があるとはとても。この試験自体が半年前になりますからね」
レミリアは溜息を吐く。
とにかく、この文章はひとまず保留するしかなさそうだ。
警備が万全な以上、犯人捜索の時間はたっぷりと残されている。
犯人もそれを自覚して焦っているだろうという確信がレミリアにはあった。
「こうなった以上は聞き込みしかないわね。日傘を取って」
「はい」
咲夜は日傘を取ると同時に、不安げな表情をした。
「お嬢様」
「何?」
「まさかとは思うのですが、楽しんでませんか?」
レミリアは金の懐中時計片手に探偵帽を被り、黒縁のメガネをかけて、厚手の茶色いコートを羽織り、胸にキセルを挿していた。
「まさか。どうしてそう思うの?」
「いえ、別に」
まずは文章の最後に名前を記されていた美鈴の所だ。
レミリアはメガネを人差し指で吊り上げると、日傘を受け取りコートを翻した。
一刻を争う時なのに、サラシを素人が取るのは危険だから取るなというのはちょっと
このままだと犯人はパチュリー以外の全員が共犯にとしか思えませんが?
それと
>コマの要領でパチュリーは机の上をごろごろと転がった
の後に皆笑っていますが、本当に相手が重体で自分達が心配してたら笑えません
まあ、紅魔館の住人は感性が違うのかもしれませんが
なんか劇みたいです
内容的にはかなり面白いのに、面白みを感じない。
台本を読み上げている感覚にしかなりません。
あれだけ重症なら、なんで先に永遠亭に連れて行かずウドンゲを呼んだのでしょうか。
少し「あれ?」と思うところが多かったです。
ギャグ作品にマジツッコミする空気読めない人もいますが頑張って下さい。
八つ当たりに近くてすみません、が、時間を置いてもどうにもその気が出ないんです
>パチェを楽にしてあげて
おぜうさまw
15よ、そんなマジレスするくらいなら引き返せばいいじゃん
文章スタイルが大好きです。
劇みたいとも書かれてますが、ギャグの淡々とした感じが出てて私は好きです。
独特の雰囲気がなかなか面白かったです。
あと15さん、その考え方でいくと貶められたというそのコメントも作品自体を貶めていることになるのでは?別に感想必須じゃないんですしわざわざコメントするべき内容にも見えませんが。
かなり今更な感ありますが少々目についたので。
お嬢様もいい退屈しのぎが出来たようで重畳重畳。