ひさかたの春ののどけきうららかな昼下がりに、好き好んで死神船頭の職務に励むような輩は、人生の楽しみを知らぬ度し難い阿呆であるか、人間として一番大切な自由意思を産業構造に売り渡してしまった憐むべき精神奴隷であるかのどちらかである。
小野塚小町はそのような己の信念と矜持に従って、今日も今日とて昨日と同じように、いつもとなんら変わらぬ進歩の無さで、神聖にして不可侵なるこの世で最も尊重されるべき瀟洒な行為・すなわちサボタージュにいそしんでいた。
「死神船頭なんて楽なもんさ。船ぷかぷか水に浮かべてその上で寝そべってりゃ給金もらえんだからね。あとは適当にその辺の金持ってそうな魂つかまえてきて、櫂と舟貸し出して自分で漕がせて向こう岸に行かせときゃその日のノルマもクリアできるって寸法さ」
「へー」
「そーなのかー」
なぜか賽の川原に遊びに来ていたリグルとルーミアをつかまえて、小町は雑談トークに熱中している。小町がほとんど一人で喋り、やれあの客は金払いが悪かっただの、上司の小言がうるさいだのと甲高いテンションで愚痴をもらす。年少の二人はもっぱら聞き役に回ることしかできぬばかり。
川原は一変して喫煙所のような気だるいムードを醸し出していた。控えおろう、この方をどなたと心得る。この方こそはサボタージュの泰斗、サボタージュの北斗七星とまで称えら敬われられた小野塚小町その人である。さすがにそのサボりっぷりは様になっており、その姿は遠目に見ても輝いていた。三途の銀河にまたたく小町星は、仕事をさぼることによって一段と高い輝度を得る星なのである。
「私の上役っていうのが、これまた口うるさいやつでさ。ことあるごとにぐちぐち小言を並べたがる。ありゃサディストの説教フェチだね。説教して興奮と愉悦を得る性癖っていうか。きっと部屋にはアイドル男性グループのポスターとかべたべた貼ってたり、年とってきても未婚で独り者で、しまいには寂しさを紛らわせるために犬なんか飼っちゃって、それで昔付き合って振られた男の名前なんかを愛犬に付けちゃうタイプだよ。間違いないね。まるで見てきたみたいに語るけど実際見たわけじゃないんだけど、間違いない」
今日はいつもより舌が回るし、もう消え去って久しいお笑い芸人の物真似もなかなか上手くいったような気がする。サボタージュの花である無駄口トークは絶好調で最高にハイな気分ってやつかも! これも暖かい春の日差しのせいかもしれない。さんさんぽかぽか、あの子は太陽の小町天使エネルギーをもらって、喋ってることの因果関係なんてどうでもよくなるぐらいだった。そんな風に小町は調子に乗りまくっていたから、だからすぐ背後に迫っている小さな陰に気づかなかったのだ。
「ほう、こまち」
この天下のご意見番・死神こまち様を呼び捨てにするのはどこの有象無象塵芥だと一瞬思ったが、すぐに聞き覚えのある可愛らしい声、その実は絶望をもたらす死神の死神の呼び声であることに気づきはっとなり、そのすぐ直後に一瞬で小町の顔が蒼くなる。
真正面で見ていたリグルがその変化に驚いて思わずひっ、と小さな叫びをあげたほどの早変わりであった。
小町はたらーという擬音が聞こえてきそうなほど額に汗をにじませながら、恐る恐る首を曲げて自らの背後を細目でちらっとのぞく。にこにこ笑った上っ面の下に般若阿羅漢の趣きをたたえ、右手に持った棒で左手の手のひらをリズムよくぺしぺし叩いている、これまた見覚えのある幼稚園児の姿がうっすらと見えた気がした。
え、うそ幻覚でしょ。目をこすってもう一回よく見てみよう。つか今までの行為とか話題とかもしあのお方に聞かれていたら私軽く破滅っつつーかホロコーストつーか第三次世界大戦つーかハルマゲドンつーかギャラクシアン・エクスプロージョンじゃん、そう小町は考えまた背後を振り向く。
今度は細目ではなくしっかり目を開いて見る。
ウソと言ってくれ、性質の悪いアメリカンジョークさジョンと言ってくれ、人間五十年、下天のうちをくらぶれば、この世ははかなくも夢幻の如くなりと言ってくれ、と祈り願ったのに、アメリカンポリスっていうかフレディ・マーキュリーみたいな八角帽子、それにパンツを見せるために履いているとしか思えない短いスカートが見えちゃったのだ。ああ、やっぱりだ。神も仏もこの世にはいないのか、悪魔とか吸血鬼とか妖怪とか腋とかは無駄に一杯いる郷なのに。少し人口減らした方がいいんじゃないの? そう言えば閻魔って神だっけ?
「げえっ、映姫様!?」
「何がげえですか。何か、私の話で盛り上がっていたようですが。フェチがどうとかポスターがどうとか犬の名前がどうとか」
「いやこれはそのアレですよ。アレですよアレ」
「ドレよ」
「映姫様のことじゃないんです。そうそう、前の会社の上司の話です」
「小町は新卒で直に是非曲庁入社でしょうが。志望動機にも第一志望です、他の企業は受験していません、一生を是非曲庁と閻魔のパンツの為に捧ぐ所存ですとでかでかと書かれてありましたが」
「じゃあ、学生の時バイトしていたレンタルビデオ屋の店長の話です」
「幻想郷にレンタルビデオ屋なんてありません! またさぼってましたね、言い訳無用! まあまあまあ、あまりにも小町がさぼりまくるから川原に魂が産卵する始末! 玄爺が真夏の夜の浜辺で泣いて恩赦を願ったとしても、今日という今日は勘弁なりません!」
「字がちがうのかー」
勢いこんで四季映姫は手に持った棒をにぎにぎする。
さあさあさあ、この正の正なる曲直化身、閻魔様映姫様が説教してあげますよ、しばき倒してあげますよ、と。
八正道から阿弥陀如来から老荘諸子百家、弥勒菩薩の教えにイエスに仏陀にマホメット、九曜運行、五行陰陽、天道二十八星宿、太極両儀四象八卦まで、すべての有り難い教えを総動員して小町を説教し抜く、射抜く、天を穿つ! そう意気込んで鼻息を荒くした映姫様であったが。
「でも映姫さま」
小町が指差したのは映姫の持っていた悔悟の棒だ。
いや否? 否ってるみたい? 否中卓球部? その棒はどこかいつもと形が違っていたのだ。
「それ、しゃもじですよ」
「な、バカなっ!?」
「しゃもじでは、お説教はできませんねえ」
小町が先ほどまでのうろたえた態度を一変、弱みをみつけてそこにつけこもう、にくたらしい笑みを向けてそう言った。
こやつ、図に乗りおって。映姫は苦々しく唇を噛む。
とはいえ確かにしゃもじでは説教はできぬ。しゃもじでできることと言えば、ご飯をよそうことか広島カープの応援ぐらいである。残念ながら広島カープはまだ幻想入りしていなかったので、映姫は仕方なくご飯をよそうことにした。ちょうど賽の川原には電子ジャーが常設されていたので、その蓋を開けて映姫は御茶碗山盛りにご飯をよそった。
「いったいどこへ!?」
ほかほかのご飯をよそった御茶碗を片手に、映姫は叫んだ。電子ジャーの電源はいったいどこから取っているのか、未開の地である幻想郷においてそれは当然の疑問ではあるが、黄昏プロジェクトから発売されている東方緋想天~Scarlet Wether Rhapsody~を少なくともラスボス直前までプレイしてもらえばその疑問は氷解すると思う。だってほら、あれにコード付けりゃ核融合なんていらないじゃん。
ともあれ悔悟の棒はどこへ行ったのか。それが問題。その時だった。
「すりかえておいたのさ!」
賽の川原の土手に立つ一つのシルエット。手をおかしな形にひん曲げ、しゃがみこみ、威嚇するような格好良いのかどんくさいのかわからぬポーズ。我々はこの女を知っている、いや、まだ齢十代前半であろうというのに、このうわばみ濁ったアルコール中毒者に特有の、世をひねた眼差しと白黒いエプロンドレスの魔女姿を知っている。
「「お前はっ!?」」
死神も閻魔も先程までの遣り取りを忘れて影を凝視し一様に声を張り上げる。
「少年少女がちちくりあう姿によだれを垂らすアリスを陰から見て、喜びでむせび泣く女!!」
「変態だっ!?」
「スパイダー魔理沙!!」
「スパイダー魔理沙だと!? 生きていたのか……」
誰? という疑問はさておき
「スパイダーだかスッパマンだか知らんが、神聖な官舎に忍び込んだあげく、映姫様のイライラ棒を盗んでくるあたり、とんでもねえふてえ野郎だ。泣く子も黙る是非曲庁をなめた落とし前、つけさせていやさんせっ!」
鎌をちゃらんと構えて手のひらを前に出し、足を開き首をぐっと威嚇するように顎を立てて回した後、歌舞伎役者的なポーズを決める小町、だったが。
「アネゴ肌ってお肌の角質多そうだよなあ。巨乳は将来たれるぜ現在進行形」
「アア゛?! あんま調子こいてっとォ、三途の川ぁふえるワカメちゃん口ぁ突っ込んでぇ、耽溺溺死させてやんよ!?」
怒りに飛びかかる小町。跳躍し水鳥が舞うがごとくに伝家の宝刀ヒップアタックに態勢を移行する魔理沙。
「とうっ!」
「いやっ!」
うなる草刈り鎌、奏でる星屑のセレナーデ、大事な大事なアタックチャンス、楽しい楽しい弾幕ごっこの始まりだ!
……だけど二人のノリについていけない映姫の目はフジテレビのマークみたいになっていた。ぱちくりぱちくり。何でこいつらこんなにテンション高いの? そんな疑問が声になって聞こえそうな白けた顔をしていた。
「映姫様! ここはあたいに任せて、閻魔庁へこの事を伝えてください!」
「いや、私はこまちに説教を……」
すがる映姫を無視して、小町と魔理沙の二人はすでに緋想天ファイトの態勢に移行している。
ああ、これは、アレか。いきなりバトルものに移行して、これまでの流れを一転させて離れた読者を取り戻そうと言う編集部のテコ入れ的なアレか。
小町はどさくさに紛れて先ほどの罪を有耶無耶にしようとしているのだ。
……案の定小町にまんまと逃げられた。バトルに移行した後は、二人の世界に入っちまって、こちらのことなど完全無視。せっかく部下を説教してパワハラして、日頃の業務でたまったストレスを解消しようと思っていたのに。
閻魔ともあろうものが、脇で戦闘解説キャラを演じるといったプライドの無い真似をするわけにもいかないし、目的を見失い、自暴自棄になった映姫は三途の河の川岸で、膝を抱え込んで座り込んでしまった。
そこへ通りかかったのが唐傘お化けならぬ風見幽香である。
川べりにたたずみ、水面に石を投げ続ける映姫の小さな後ろ姿を見て、幽香はうっとりとした目つきになり、口元をにやけさせる。
彼女はショートヘアのちっちゃな可愛い子供に目が無いのである。それで緑髪だったりしたら最高だ。映姫の姿は幽香の好みど真ん中ジャイロボールだった。
また彼女はショタコンの属性もロリコンの属性も充分すぎるほど持ち合わせており、落ち込む少年少女を見つけては優しい猫撫で声で引き付け、懐いた後にはSМプレイを強要するという、つまりは生粋の変態であった。
「あら、どうしたの? 浮かない顔しちゃって」
すっと自然に、年上の余裕を見せつつ川原の土手にたたずむ映姫の隣にしゃがみこむ。
同じ高さの目線で覗き込み、フレンドリーさをアピールしつつ、さわやかで善意だらけのきらきらした笑顔を見せる。
ここまでは完璧だ。
さあ、このいかにも頼りになる年上の隣のお姉さん風のお姉さんに、そのちっちゃなハートをちくちく痛めているいけない悩みを打ち明けてごらんなさいな。優しく暖かく、緩やかに抱擁してあげるから。キャベツ畑のコウノトリのお話なんかしちゃったりして、そうやって心を開き、懐いた暁にはぐひひひひ。
「みんなが私のお説教を聞いてくれないんです。功徳あるのに、為になるのに」
はあ? この子、何言ってんのかしら。鬱陶しいお説教なんて好き好んで聞くバカがどこにいるっていうのよ、もしかしたら頭の中も可哀想な子供なのかしらと思ったことは声に出さずに、幽香は諭すような声でこう言った。
「そう……でも誰かにお説教しようなんて、そんな上から目線でみちゃだめなんじゃないかしら?」
「ハア? KY(空気読め)だろうがこの菜種油原料が」
空間が凍てつくようなドスの利いた声が響き、それを聞いて幽香は真顔になり、その拍子に彼女の脳裏に忘れていた遠い記憶がよみがえってきた。それは、苦く辛い、深層心理に刻まれたいつかの記憶である。
それは幽香が妖怪学校の幼年組に通っていた頃のこと。
子供時代の風見幽香は、自分の気持ちが素直に表現できない子だった。
親のぬくもり、家庭の温かさを知らない一人一妖怪にはそのように情緒不安定な者が多い。
だから幽香には普段から友達がいなかった。おまけに趣味嗜好もちょっとアレだった。
彼女は小動物をいじめるのが趣味というちょっとアレすぎる子供だったのだ。
いつも一人ではカエルをつかまえてきて爆竹を口の中につっこんだり、烏をつかまえてその翼から風切羽だけを抜いたり、トンボの羽根をむしったりすることで遊び、愉悦を感じると言う、どこかで聞いた話のようなブラック&ダークな子供だったのだ。
彼女は病んだ妖怪型ストレス社会が生んだ病巣の典型的な形と言えた。
時代が悪かった。彼女はある意味犠牲者と言えるだろう。本人に片時でも更生の意思があったのかといえば、これはまるきり無いのであるが。
そんな幽香でも一人きりで居ることは人並みに寂しかった。
彼女も内心では友達が欲しいと思い、人と人との暖かいふれあいを望んでいたのだ。
ある時、学校でこんな出来事があった。
幽香は幼年学校のクラスで好きな女の子がいた。
その子はマーガレットの妖怪で、自分と同じ花の妖怪だった。おそらくは向日葵の妖怪である幽香は、彼女と自分なら釣り合うのではないかと思った。それで友達になりたくて、幽香はその子に言い寄ったのだ。
ところが相手には幽香と仲良くする気なんてまったく無かった。それでも幽香はしつこくアプローチした。休み時間でも率先して話しかけたり、給食の時間には机を勝手にくっつけて嬉しそうに食事を共にする。
マーガレットの妖怪少女は、あまり物の強く言えない内気な性格をしていた。彼女の友達は、皆幽香にはっきりNOと断った方が良い、有体に言うとオマエきもい、ウザいとばっさり斬った方が良い、と助言してくれたが、気弱で可憐なその少女はそんな強い口調でNOと言えない子供だったのだ。
幽香の執拗なアプローチに悩み、しまいにはその子は登校拒否になってしまった。
それでも幽香はあきらめなかった。
お見舞いに何度も訪れる。その都度玄関に少女の母親が現れて、会いたくないと拒絶される。
それでも意地悪な母親が自分達の中を割こうとしているのだと勝手な自己解釈をし、庭の塀を越えて屋根にあがり、少女の部屋の窓をこんこんと叩くと、即座にカーテンを閉められた。
かなりストーカーだった。新法が施行されていた今であったら、間違いなく逮捕されていたであろう……その相手の子は幽香の熱烈なアタックにノイローゼになり、耐えきれなくなったらしく転校してしまった。
それを知って幽香は泣いた。
それから幽香はふさぎこみ、以前にまして態度も雰囲気も暗くなったのでなおさらクラスで孤立していった。
それだけでなく、マーガレット妖怪の一件はいつの間にかクラス中の噂になっており、ストーカー妖怪のレッテルまで張られてしまっていた。
休み時間になっても、幽香は一人だ。彼女に話しかけにくるものは一人もいない。仕方の無いことと言えば仕方の無いことである。
「幽香ってマジKYだよね」
「ほんと、イクイクにでも弟子入りすればよいのに」
くすくすと厭らしい笑い声が続く。
わざと聞こえるように陰口を叩かれた。無視されるのと、虐められるのとではどちらがつらいのだろうかと幽香は何も言い返せないまま、だまってうつむいて自分の机に彫られた落書きを眺める。
草くせーんだよ、アブラムシとでも○○してろ。心無い言葉である。ご丁寧に彫刻刀で彫られている。
もうイジメのターゲットとしてロックオンされてしまっているようだ。
どうしてこうなってしまったんだろう、何が悪かったんだろうと自分の行動を思い返す。全部悪かったかもしれない。
「せからしか!」
びたんという激しい音が教室の中に響いた。
先ほど幽香の悪口を言った子供が赤くなった頬を手で押さえ、呆気にとられた表情をしている。
平手でひっぱたいたのはクラス担任の魅魔先生である。丁度教室に入って来たところだった彼女の耳に入ったらしい。
「陰口言うぐらいなら本人の前に言って直に言いなさい! おまえ、空気嫁! ってはっきりと!」
それもどうかと思う。そんなこと目の前で大きな声で言われるのも屈辱だ。
魅魔先生はどこかずれた大人だった。
その日は魅魔先生に庇って(?)もらえたものの、幽香はやはり孤独だった。
ますます孤独だった。登下校の道も、幽香は基本的に一人で歩く。
ストーカーである彼女と一緒に帰りたがる同級生などいるはずもない。
その日はなんだか家に帰りたくなかった。
同級生に自分の欠点を指摘されて、過去の嫌な記憶を思い出してしまった。
帰り道の途中、夕暮れの川辺で一人膝を抱えて座り込む。川原にぽつんとたたずみながら、ころころ広がる小石を拾って水面に投げ込む。そうやって物思いに沈む。大好きだったあのマーガレットの少女のことを思い出す。やっぱりあの子も自分のことを嫌っていたんだろうか。自分はKYだから、このまま誰にも好かれないまま一生を終えるのだろうか。
「どうしたの? 黄昏ちゃって」
後ろから声をかけられて振り向いて見ると、魅魔先生が立っていた。
「先生……」
黄昏に彩られた、優しい声だった。思わず幽香の目が潤む。
魅魔先生は川原に一緒に腰掛けて、幽香の悩みを聞いてくれた。
「私、いつも言われるんです。おまえは空気が読めないって。私がいけないのかな。私が、周りの空気を読まないから」
「……。ねえ、幽香ちゃん。先生、クビになっちゃったんだ」
「え!? どうして?」
「体罰ふるう教師はいらないって、慧音校長に言われちゃった……」
「そんな!? 私のせいで……」
「ううん、違うのよ。ねえ幽香、聞いて。あなたは周りの空気なんて気にする必要はないの。先生は知ってる。あなたはひまわり! ひまわりはお花畑の中で誰よりも背が高いし、誰よりも派手に美しく咲く花なんだから。幽香、周りのことなんか気にせずに、堂々と咲き誇りなさい!」
「先生!」
「あなたにこれをあげるわ」
魅魔先生は懐から一枚のお札を取り出して幽香に渡した。
「これは?」
「先生も昔つらい思い出があったの。それはね……」
魅魔は幽香に昔の思い出を語り聞かせた。
それはやはり魅魔の学生時代に遡る。その頃彼女は悪霊高校の女子高生だった。
当時から魅魔は魔法使い風のコスプレ衣装を気に入っており、学校でもいつもその服を着ていた。彼女の服はピエロかチンドン屋風にも見えるのだが、この際魔法使い風ということにしておこう。
とにかく皆が普通のセーラー服を着ている中で、あの魔法服は目立つ。彼女も空気の読めない女だったのだ。
彼女は普段着もコスプレ衣装しか持っていなかったので、当然彼氏とのデートの時もその服を着てきた。
彼氏が直に指摘してきた。お前、その服やめた方がいいぜ、ちょっと場に合ってないだろ。もっと空気読めよな。そんな言葉だった。
彼氏としては特に悪気があったというわけでもないのだが、何時まで経っても服装を改めようとしない魅魔にいい加減苛立っていたために、口調が荒くきつくなった。
その言葉は魅魔の逆鱗に触れた。魔法服は彼女のアイデンティティーに等しかったのだ。
怒りにまかせて、魅魔はその場で持てる魔力の全てを放出し、暴言を吐いた男に向かって撃った。
男は炭化し、具体的に言うと身体を構成するタンパク質が燃焼反応により炭酸系と水に変化した。窒素化合物の生成割合は少なく、ノッキングも起こらず、かなり優秀な燃焼効率を得ることができた。
スカっとした。元々服装なんぞにああだこうだとこだわる軟弱な男なんぞに興味は薄かったのかもしれない。
そのときひらめいた必殺技が世に名高い、恋符・マスタースパークである。
「私はもう使わないから幽香にあげるわ」
「いいの?」
「いいのよ。これで空気読めないなんて言ってくるやつは丸焦げにしてあげるといいわ」
「うん! わかった! 私頑張って幻想郷の帝王になるよ! そして男の子も女の子も可愛い子はみんな私の下僕にするんだ!」
「その意気よ、幽香! 先生応援するわ!」
魅魔先生はちょっとずれた、おかしな大人だった。
と、いうようなことを風見幽香は0.5ミリセコンドの短時間の間に回想していた。
気が付くと目の前には頭の形がくしゃっと潰れた四季映姫の姿があった。
幽香は持っていた傘で、回想の間中映姫の頭を殴打していたのだ。0・5ミリセコンドに三十五回の頻度で。超高速の早業であった。
川原にはやってしまった感が蔓延していた。ついカッとなってやってしまった。犯罪者が使う言い訳の常套句である。
しかし、四季映姫は向日葵が菜種油の原料ではないことを知らなかった、もとい、「空気読め」が幽香にとってブレイクワードであることを知らなかったのだ。それだけで万死に値するじゃないか。幽香はそうやって自分の行為を正当化しようとさえした。無茶苦茶な理屈だが、口に出して自信満々で言ってみると、なんとなく正しく聞こえてくるような気がした。
丁度その時、幽香の背後でぐしゃっという卵を潰したみたいな音が響いた。
幽香は何事かと思い、音がした方角に振り向く。
女が一人、倒れた少女の前に立っている。
その背中には、やっちゃった感が漂っている。
小町だ。
倒れているのは魔理沙だった。彼女の頭には死神のものと思わしきへにょり鎌が突き刺さっていた。
全ての問題は一つの方向に集約していた。そう、問題は鎌の当たり判定だったのだ。まさかめくっても当たるなんて。
こまち自身、自分の鎌にそんなにインチキくさい当たり判定があるなんて思ってもみなかったのだ。
殺す気なんてなかった、事故だったんだ。それも常套句の一つである。
ともかくも二人はお互いの犯罪を目撃し合った仲となった。
双方とも殺人罪。いや、片方は殺神罪になるのかもしれないが。
二人してじろっと川原を見回してみる。見たところ、近くに目撃者はいない。
両者は互いに顔を見合すと、うなづき合った。
隠蔽するしかない。
二人がそう思うのは至極当然のことだった。
そこへ偶然川原で遊んでいた虫の妖怪リグル・ナイトバグが通りかかった。
というかさっきからルーミアと遊んでいた。彼女らみたいな小妖は目撃者のうちに入らないらしい。
幽香はちょいちょいとリグルを誘って呼び寄せる。
なんだろうと思って誘われてきたリグルの頭に、閻魔の死体から剥ぎ取ったポリス帽を乗せてみる。
……実に収まりがよかった。
「今日からあなたが二代目ヤマザナドゥよ!」
親指をぐっと立て、幽香が大声で宣言すると、リグルは黙ってこくりとうなずいた。
午後の三途の川には悲愴な空気が流れていた。
二艘の船が並べられ、その船上にはそれぞれ花束で飾られた二人の死者が葬られている。
参列者一同はこれから死者を悼み、彼女らの死体を船ごと川へ流すのだ。
川の下流には大瀑布が広がっているから、いわゆる水葬である。
証拠隠滅のために凶器の鎌と血の付着した日傘も一緒に添えてある。
「魔理沙。考えてみればあなたと私は姉妹弟子みたいなものだったわね。もっといろんなことを教えてあげたかったわ。具体的に言うと性的なこととか淫らなこととか」
「映姫さま、本当はあなたのことが好きでした。素直になれなかったんです。みんながみんなツンデレだったら面白くないじゃないかって言う意見にも一理あると思うんですが、私もツンデレだったみたいです。ごめんなさい」
小町は船のへさきを蹴った。二隻の船が、三途の河を音もなく流れてゆく。
見送る二人の目に涙はないが、心で泣いているのだ。背中で泣いているのだ。耐えがたい別れを嘆いている。
魂が慟哭していた。尊い犠牲。だが、我々は少女の死を悼んでいるばかりではいけない。
旅立った彼女らの魂の気高さに恥じぬよう、これからも精一杯生きていかなければならないのだ――
文々丸新聞朝刊
魂抜け落ち事件続発
連日、幻想郷の住人の魂が抜け落ちるという事件が発生して郷を騒がせている。
最初に犠牲にあったのは魔法の森に住む人形師のアリス・マーガトロイド氏。人形業者のY氏が取引のために某氏の邸宅を訪れた時、灯りが付いているのに返事がないので、窓から覗いてみると部屋の中でばったり倒れていたと言う。
二人目の犠牲者は魔法の森のはずれに立つ香霖堂の店主、森近霖之助氏。郷外れに住む巫女の博麗霊夢氏が無断侵入してこの店の食糧庫を漁っていた折、ドタリと何かが倒れる音がしたので駆けつけてみたところ、店内を清掃中だった森近氏が白目をむいて倒れていたと言う。
博麗氏が二人の容体を調べてみたところ、魂が抜けおちて一種の仮死状態になってしまっているとのこと。
魂が急に抜け落ちた原因については現在調査中であるが、たまたまその場に居合わせた八雲紫氏によれば、死神や閻魔と何らかの関わりがあるのではないかとのことである。
二人の共通の友人である霧雨魔理沙氏も数日前から消息を絶っており、神社は事件との関連性を調査している――
「いやほんとこちらの手違いであることは間違いないのですが、私も言われたとおりやっているだけでして。ともかく上役の方が直接お話があるそうなので、そちらで手続きができると思います。なので一回法廷の方へ行っていただけませんか?」
役人肌の事務的な態度にアリス・マーガトロイド、の魂はぷんすか怒っていた。
どうも自分がいきなり死んだのは、死神業界の手違いであったらしい。
案内された法廷の大きな扉を開ける。ぎいっと言う音がした。
広い法廷の真ん中、裁判長席に八角形の帽子をかぶった小さな姿がある。他には人はいない。
「あのー、ここへ来れば黄泉返りの手続きができるって聞いて……」
「そこに座りなさい」
「いえ、私は別に裁判を受けるわけでは……」
「いいからそこに座りなさい」
きつい口調で言われて、少し動揺しながらもアリスは言われたとおり法廷の席に着いた。
「あなたの罪状を述べます」
「へぇ?? 罪状?」
「ダンゴムシ3匹、セアカコケグモ1匹、ハエ13匹、ヤブ蚊125匹、ゴキブリ7匹。あなたはこれまでの人生でこれだけの尊い命を殺めてきました。その事実に相違ありませんか?」
「いやそんな害虫は殺したかもしれませんけど、なんで虫だけカウントしてるの?」
カンカン、と目の前の閻魔がハンマーを打ち鳴らした。
いきなり大きな音が響いたのでアリスはびくっと体を震わせる。
「アリス・マーガトロイド、あなたの罪は朝青龍よりいくらか重い。その罪の重さを鑑みて、あなたには幻想郷の花畑のナナホシテントウへの転生を命じます! 一寸の虫にもアリスの魂、虫の身になって今まで犯した罪を悔い改めるがよい!」
「なっ……」
一瞬呆気に取られたが、すぐに憤慨し、ばん、と机をたたいてアリスは席を立ち上がる。
「ちょっ、ナナホシテントウとか語感だけできめたでしょ!」
「蟻の方が良かったですか? 蟻とアリスでアリ×アリ。アリアリですね」
「うるせえよ!」
「問答無用、連れていきなさい!」
いつの間にかアリスの左右を抑えていた看守が、屈強な腕で彼女の両手をそれぞれ掴んだ。
身動きが取れない。アリスはそのまま無理矢理法廷の外に引きずられていく。
「誤審よ、図ったな!? シャアあああああ!!」
是非曲庁の長い廊下に罪人の最後の呻きが木霊した。だが、彼女の言い分を聞く者はもう誰もいない。いくら冤罪を叫んでみたところで、既に裁きは終わってしまったのだ。
バタン、と法廷の扉が閉められる。法廷の中に一人残った緑髪の閻魔は、またつまらぬ罪を裁いてしまったと一人呟いた。
その机の上に、写真のついたファイルが何枚も重ねられている。
一番上に置いてある書面にはアリスの顔写真、そして二枚目は、香霖堂の店主、三枚目は冥界の主西行寺幽々子。
これから忙しくなる、と閻魔はため息をついた。何しろ、幻想郷で虫を殺していない人妖など、あんまりいないのだから。
ある晴れた日、幻想郷、太陽の丘。
一面に咲いた向日葵の海。そのうちの一本、葉の上に一匹のナナホシテントウが乗っていた。
それを見て幽香は文字通り花のような笑みを浮かべ、こう言った。
「小さな虫を見ると、なぜだか意味もなくつぶしてみたくなるのよね」
三途の河に二艘の船が流れている。
そのうちの一隻の上で、魔理沙はむっくりと起き上がった。
帽子と金髪の間からだらだらと赤い汁が垂れて額を通ったが、これは血液ではない。
常日頃から、魔理沙は帽子の中に収穫したキノコを入れる癖があった。
今日入れていたそれは、魔法の森にしか生えないという珍しい1UPキノコであった。
このキノコの樹液は赤色をしているので、つぶして体に汁が着くと、まるで大怪我をしたように見える。
小町の鎌が頭に当たったとき、キノコが身代りになってくれたので魔理沙は生きていたのだ。
しかし強度に頭を打ち付けたショックはまだ残っているらしく、頭の周りにはひよこが回っていた。
映姫の方は神だったのでまあなんか自然に生き返った。
魔理沙に遅れて映姫も目を覚ます。
自分はいったい何をしていたんだろう。確か落ち込んで川原でしゃがんで石を投げていて、そこから記憶が飛んでいる。なぜ船の上に乗せられているんだ。それに何だか進行方向は霧が掛っていて、ざざあという音が聞こえるし。
……ざざあ?
その昔、天動説が信じられていて、世界は平らだと信じられていた時代があった。
平たい世界の終りには何があるのだろう。
ああ……来る……。
ナイアガラだ!
*
暗い暗黒の大地。空は暗雲で閉ざされている。
不毛の土地に、ハットを被り、首にストールを巻いた一人の少女が倒れている。
そこから少し離れて、また二人の少女が立って倒れた少女を眺めていた。
「強敵だったぜ。ラスボスの閻魔様がいなかったら私一人で勝てたかどうか……」
「幻想郷では見ない弾幕でしたね。滝に落ちたと思ったら、こんな場所で……それにいきなり襲ってきたこの方は一体……」
「そういえば見覚えのある顔だったかも……はっ! もしかして!」
「お知り合いですか?」
「いや、この場所について聞いたことがある!」
「有名な場所なんですか?」
「楽園エリュシオンから端を発する忘却の川レテの下流には、かつて黒歴史の闇に封印された異界があるという伝説を聞いたことはないか?」
「なんですって!? じゃあここがあの……どこだよ! 聞いたことねえよ!」
「その名も魔界ソサエティ…… ここがあの伝説の……」
「魔界ソサエティ!? 知っているのか、魔理沙ー!?」
「伝説のお約束の地……」
「約束の地? 旧約聖書に記された、唯一神ヤハヴェがユダヤの民の預言者モーゼに示したという」
「いや、お約束の地。ここに足を踏み入れた人間は、お約束しかできない体にされてしまうという……」
「どんな土地なんですかそれは」
「幻想郷には三途の川が流れる。幻想郷は東の果ての楽園と呼ばれた。ギリシアの理想郷エリュシオンにも死者が死後に渡るというレテ川が流れていた。つまり伝説に記されたエリュシオンと幻想郷は同じ場所を指していたんだよ!!」
「な、なんだってェー!! ……いや、そんな推理とか謎ときとかどうでもいいから!」
そこに影がいくつか。
「だ、誰だ!?」
「フッ、ルイズミリョーネを倒したか」
「奴は我ら魔界四天王の中でも最弱」
「私は四天王の一人、ユキバリシア」
「同じく四天王のユメコンテ」
「お約束だ……恐ろしい」
なにがだよ、というつっこみはもう面倒くさくなった。
「そして私がこの魔界の王、アホゲデスだ!」
また何か新しいのが現れた。影の後ろで雷がドシャンと炸裂したが、影自体がちっさいのであんまり迫力はない。
「ラスボスがいきなり出てくるんですか?」
「なっ……やつがあの伝説のアホゲデスだって!? なんてこったぁ、おしまいだ……」
「そうかなあ?」
映姫は真ん中で大玉避けてれば楽勝なんじゃねえの!? って思ったが旧作に出演したことはないので黙っておいた。
~ 完 ~
小野塚小町はそのような己の信念と矜持に従って、今日も今日とて昨日と同じように、いつもとなんら変わらぬ進歩の無さで、神聖にして不可侵なるこの世で最も尊重されるべき瀟洒な行為・すなわちサボタージュにいそしんでいた。
「死神船頭なんて楽なもんさ。船ぷかぷか水に浮かべてその上で寝そべってりゃ給金もらえんだからね。あとは適当にその辺の金持ってそうな魂つかまえてきて、櫂と舟貸し出して自分で漕がせて向こう岸に行かせときゃその日のノルマもクリアできるって寸法さ」
「へー」
「そーなのかー」
なぜか賽の川原に遊びに来ていたリグルとルーミアをつかまえて、小町は雑談トークに熱中している。小町がほとんど一人で喋り、やれあの客は金払いが悪かっただの、上司の小言がうるさいだのと甲高いテンションで愚痴をもらす。年少の二人はもっぱら聞き役に回ることしかできぬばかり。
川原は一変して喫煙所のような気だるいムードを醸し出していた。控えおろう、この方をどなたと心得る。この方こそはサボタージュの泰斗、サボタージュの北斗七星とまで称えら敬われられた小野塚小町その人である。さすがにそのサボりっぷりは様になっており、その姿は遠目に見ても輝いていた。三途の銀河にまたたく小町星は、仕事をさぼることによって一段と高い輝度を得る星なのである。
「私の上役っていうのが、これまた口うるさいやつでさ。ことあるごとにぐちぐち小言を並べたがる。ありゃサディストの説教フェチだね。説教して興奮と愉悦を得る性癖っていうか。きっと部屋にはアイドル男性グループのポスターとかべたべた貼ってたり、年とってきても未婚で独り者で、しまいには寂しさを紛らわせるために犬なんか飼っちゃって、それで昔付き合って振られた男の名前なんかを愛犬に付けちゃうタイプだよ。間違いないね。まるで見てきたみたいに語るけど実際見たわけじゃないんだけど、間違いない」
今日はいつもより舌が回るし、もう消え去って久しいお笑い芸人の物真似もなかなか上手くいったような気がする。サボタージュの花である無駄口トークは絶好調で最高にハイな気分ってやつかも! これも暖かい春の日差しのせいかもしれない。さんさんぽかぽか、あの子は太陽の小町天使エネルギーをもらって、喋ってることの因果関係なんてどうでもよくなるぐらいだった。そんな風に小町は調子に乗りまくっていたから、だからすぐ背後に迫っている小さな陰に気づかなかったのだ。
「ほう、こまち」
この天下のご意見番・死神こまち様を呼び捨てにするのはどこの有象無象塵芥だと一瞬思ったが、すぐに聞き覚えのある可愛らしい声、その実は絶望をもたらす死神の死神の呼び声であることに気づきはっとなり、そのすぐ直後に一瞬で小町の顔が蒼くなる。
真正面で見ていたリグルがその変化に驚いて思わずひっ、と小さな叫びをあげたほどの早変わりであった。
小町はたらーという擬音が聞こえてきそうなほど額に汗をにじませながら、恐る恐る首を曲げて自らの背後を細目でちらっとのぞく。にこにこ笑った上っ面の下に般若阿羅漢の趣きをたたえ、右手に持った棒で左手の手のひらをリズムよくぺしぺし叩いている、これまた見覚えのある幼稚園児の姿がうっすらと見えた気がした。
え、うそ幻覚でしょ。目をこすってもう一回よく見てみよう。つか今までの行為とか話題とかもしあのお方に聞かれていたら私軽く破滅っつつーかホロコーストつーか第三次世界大戦つーかハルマゲドンつーかギャラクシアン・エクスプロージョンじゃん、そう小町は考えまた背後を振り向く。
今度は細目ではなくしっかり目を開いて見る。
ウソと言ってくれ、性質の悪いアメリカンジョークさジョンと言ってくれ、人間五十年、下天のうちをくらぶれば、この世ははかなくも夢幻の如くなりと言ってくれ、と祈り願ったのに、アメリカンポリスっていうかフレディ・マーキュリーみたいな八角帽子、それにパンツを見せるために履いているとしか思えない短いスカートが見えちゃったのだ。ああ、やっぱりだ。神も仏もこの世にはいないのか、悪魔とか吸血鬼とか妖怪とか腋とかは無駄に一杯いる郷なのに。少し人口減らした方がいいんじゃないの? そう言えば閻魔って神だっけ?
「げえっ、映姫様!?」
「何がげえですか。何か、私の話で盛り上がっていたようですが。フェチがどうとかポスターがどうとか犬の名前がどうとか」
「いやこれはそのアレですよ。アレですよアレ」
「ドレよ」
「映姫様のことじゃないんです。そうそう、前の会社の上司の話です」
「小町は新卒で直に是非曲庁入社でしょうが。志望動機にも第一志望です、他の企業は受験していません、一生を是非曲庁と閻魔のパンツの為に捧ぐ所存ですとでかでかと書かれてありましたが」
「じゃあ、学生の時バイトしていたレンタルビデオ屋の店長の話です」
「幻想郷にレンタルビデオ屋なんてありません! またさぼってましたね、言い訳無用! まあまあまあ、あまりにも小町がさぼりまくるから川原に魂が産卵する始末! 玄爺が真夏の夜の浜辺で泣いて恩赦を願ったとしても、今日という今日は勘弁なりません!」
「字がちがうのかー」
勢いこんで四季映姫は手に持った棒をにぎにぎする。
さあさあさあ、この正の正なる曲直化身、閻魔様映姫様が説教してあげますよ、しばき倒してあげますよ、と。
八正道から阿弥陀如来から老荘諸子百家、弥勒菩薩の教えにイエスに仏陀にマホメット、九曜運行、五行陰陽、天道二十八星宿、太極両儀四象八卦まで、すべての有り難い教えを総動員して小町を説教し抜く、射抜く、天を穿つ! そう意気込んで鼻息を荒くした映姫様であったが。
「でも映姫さま」
小町が指差したのは映姫の持っていた悔悟の棒だ。
いや否? 否ってるみたい? 否中卓球部? その棒はどこかいつもと形が違っていたのだ。
「それ、しゃもじですよ」
「な、バカなっ!?」
「しゃもじでは、お説教はできませんねえ」
小町が先ほどまでのうろたえた態度を一変、弱みをみつけてそこにつけこもう、にくたらしい笑みを向けてそう言った。
こやつ、図に乗りおって。映姫は苦々しく唇を噛む。
とはいえ確かにしゃもじでは説教はできぬ。しゃもじでできることと言えば、ご飯をよそうことか広島カープの応援ぐらいである。残念ながら広島カープはまだ幻想入りしていなかったので、映姫は仕方なくご飯をよそうことにした。ちょうど賽の川原には電子ジャーが常設されていたので、その蓋を開けて映姫は御茶碗山盛りにご飯をよそった。
「いったいどこへ!?」
ほかほかのご飯をよそった御茶碗を片手に、映姫は叫んだ。電子ジャーの電源はいったいどこから取っているのか、未開の地である幻想郷においてそれは当然の疑問ではあるが、黄昏プロジェクトから発売されている東方緋想天~Scarlet Wether Rhapsody~を少なくともラスボス直前までプレイしてもらえばその疑問は氷解すると思う。だってほら、あれにコード付けりゃ核融合なんていらないじゃん。
ともあれ悔悟の棒はどこへ行ったのか。それが問題。その時だった。
「すりかえておいたのさ!」
賽の川原の土手に立つ一つのシルエット。手をおかしな形にひん曲げ、しゃがみこみ、威嚇するような格好良いのかどんくさいのかわからぬポーズ。我々はこの女を知っている、いや、まだ齢十代前半であろうというのに、このうわばみ濁ったアルコール中毒者に特有の、世をひねた眼差しと白黒いエプロンドレスの魔女姿を知っている。
「「お前はっ!?」」
死神も閻魔も先程までの遣り取りを忘れて影を凝視し一様に声を張り上げる。
「少年少女がちちくりあう姿によだれを垂らすアリスを陰から見て、喜びでむせび泣く女!!」
「変態だっ!?」
「スパイダー魔理沙!!」
「スパイダー魔理沙だと!? 生きていたのか……」
誰? という疑問はさておき
「スパイダーだかスッパマンだか知らんが、神聖な官舎に忍び込んだあげく、映姫様のイライラ棒を盗んでくるあたり、とんでもねえふてえ野郎だ。泣く子も黙る是非曲庁をなめた落とし前、つけさせていやさんせっ!」
鎌をちゃらんと構えて手のひらを前に出し、足を開き首をぐっと威嚇するように顎を立てて回した後、歌舞伎役者的なポーズを決める小町、だったが。
「アネゴ肌ってお肌の角質多そうだよなあ。巨乳は将来たれるぜ現在進行形」
「アア゛?! あんま調子こいてっとォ、三途の川ぁふえるワカメちゃん口ぁ突っ込んでぇ、耽溺溺死させてやんよ!?」
怒りに飛びかかる小町。跳躍し水鳥が舞うがごとくに伝家の宝刀ヒップアタックに態勢を移行する魔理沙。
「とうっ!」
「いやっ!」
うなる草刈り鎌、奏でる星屑のセレナーデ、大事な大事なアタックチャンス、楽しい楽しい弾幕ごっこの始まりだ!
……だけど二人のノリについていけない映姫の目はフジテレビのマークみたいになっていた。ぱちくりぱちくり。何でこいつらこんなにテンション高いの? そんな疑問が声になって聞こえそうな白けた顔をしていた。
「映姫様! ここはあたいに任せて、閻魔庁へこの事を伝えてください!」
「いや、私はこまちに説教を……」
すがる映姫を無視して、小町と魔理沙の二人はすでに緋想天ファイトの態勢に移行している。
ああ、これは、アレか。いきなりバトルものに移行して、これまでの流れを一転させて離れた読者を取り戻そうと言う編集部のテコ入れ的なアレか。
小町はどさくさに紛れて先ほどの罪を有耶無耶にしようとしているのだ。
……案の定小町にまんまと逃げられた。バトルに移行した後は、二人の世界に入っちまって、こちらのことなど完全無視。せっかく部下を説教してパワハラして、日頃の業務でたまったストレスを解消しようと思っていたのに。
閻魔ともあろうものが、脇で戦闘解説キャラを演じるといったプライドの無い真似をするわけにもいかないし、目的を見失い、自暴自棄になった映姫は三途の河の川岸で、膝を抱え込んで座り込んでしまった。
そこへ通りかかったのが唐傘お化けならぬ風見幽香である。
川べりにたたずみ、水面に石を投げ続ける映姫の小さな後ろ姿を見て、幽香はうっとりとした目つきになり、口元をにやけさせる。
彼女はショートヘアのちっちゃな可愛い子供に目が無いのである。それで緑髪だったりしたら最高だ。映姫の姿は幽香の好みど真ん中ジャイロボールだった。
また彼女はショタコンの属性もロリコンの属性も充分すぎるほど持ち合わせており、落ち込む少年少女を見つけては優しい猫撫で声で引き付け、懐いた後にはSМプレイを強要するという、つまりは生粋の変態であった。
「あら、どうしたの? 浮かない顔しちゃって」
すっと自然に、年上の余裕を見せつつ川原の土手にたたずむ映姫の隣にしゃがみこむ。
同じ高さの目線で覗き込み、フレンドリーさをアピールしつつ、さわやかで善意だらけのきらきらした笑顔を見せる。
ここまでは完璧だ。
さあ、このいかにも頼りになる年上の隣のお姉さん風のお姉さんに、そのちっちゃなハートをちくちく痛めているいけない悩みを打ち明けてごらんなさいな。優しく暖かく、緩やかに抱擁してあげるから。キャベツ畑のコウノトリのお話なんかしちゃったりして、そうやって心を開き、懐いた暁にはぐひひひひ。
「みんなが私のお説教を聞いてくれないんです。功徳あるのに、為になるのに」
はあ? この子、何言ってんのかしら。鬱陶しいお説教なんて好き好んで聞くバカがどこにいるっていうのよ、もしかしたら頭の中も可哀想な子供なのかしらと思ったことは声に出さずに、幽香は諭すような声でこう言った。
「そう……でも誰かにお説教しようなんて、そんな上から目線でみちゃだめなんじゃないかしら?」
「ハア? KY(空気読め)だろうがこの菜種油原料が」
空間が凍てつくようなドスの利いた声が響き、それを聞いて幽香は真顔になり、その拍子に彼女の脳裏に忘れていた遠い記憶がよみがえってきた。それは、苦く辛い、深層心理に刻まれたいつかの記憶である。
それは幽香が妖怪学校の幼年組に通っていた頃のこと。
子供時代の風見幽香は、自分の気持ちが素直に表現できない子だった。
親のぬくもり、家庭の温かさを知らない一人一妖怪にはそのように情緒不安定な者が多い。
だから幽香には普段から友達がいなかった。おまけに趣味嗜好もちょっとアレだった。
彼女は小動物をいじめるのが趣味というちょっとアレすぎる子供だったのだ。
いつも一人ではカエルをつかまえてきて爆竹を口の中につっこんだり、烏をつかまえてその翼から風切羽だけを抜いたり、トンボの羽根をむしったりすることで遊び、愉悦を感じると言う、どこかで聞いた話のようなブラック&ダークな子供だったのだ。
彼女は病んだ妖怪型ストレス社会が生んだ病巣の典型的な形と言えた。
時代が悪かった。彼女はある意味犠牲者と言えるだろう。本人に片時でも更生の意思があったのかといえば、これはまるきり無いのであるが。
そんな幽香でも一人きりで居ることは人並みに寂しかった。
彼女も内心では友達が欲しいと思い、人と人との暖かいふれあいを望んでいたのだ。
ある時、学校でこんな出来事があった。
幽香は幼年学校のクラスで好きな女の子がいた。
その子はマーガレットの妖怪で、自分と同じ花の妖怪だった。おそらくは向日葵の妖怪である幽香は、彼女と自分なら釣り合うのではないかと思った。それで友達になりたくて、幽香はその子に言い寄ったのだ。
ところが相手には幽香と仲良くする気なんてまったく無かった。それでも幽香はしつこくアプローチした。休み時間でも率先して話しかけたり、給食の時間には机を勝手にくっつけて嬉しそうに食事を共にする。
マーガレットの妖怪少女は、あまり物の強く言えない内気な性格をしていた。彼女の友達は、皆幽香にはっきりNOと断った方が良い、有体に言うとオマエきもい、ウザいとばっさり斬った方が良い、と助言してくれたが、気弱で可憐なその少女はそんな強い口調でNOと言えない子供だったのだ。
幽香の執拗なアプローチに悩み、しまいにはその子は登校拒否になってしまった。
それでも幽香はあきらめなかった。
お見舞いに何度も訪れる。その都度玄関に少女の母親が現れて、会いたくないと拒絶される。
それでも意地悪な母親が自分達の中を割こうとしているのだと勝手な自己解釈をし、庭の塀を越えて屋根にあがり、少女の部屋の窓をこんこんと叩くと、即座にカーテンを閉められた。
かなりストーカーだった。新法が施行されていた今であったら、間違いなく逮捕されていたであろう……その相手の子は幽香の熱烈なアタックにノイローゼになり、耐えきれなくなったらしく転校してしまった。
それを知って幽香は泣いた。
それから幽香はふさぎこみ、以前にまして態度も雰囲気も暗くなったのでなおさらクラスで孤立していった。
それだけでなく、マーガレット妖怪の一件はいつの間にかクラス中の噂になっており、ストーカー妖怪のレッテルまで張られてしまっていた。
休み時間になっても、幽香は一人だ。彼女に話しかけにくるものは一人もいない。仕方の無いことと言えば仕方の無いことである。
「幽香ってマジKYだよね」
「ほんと、イクイクにでも弟子入りすればよいのに」
くすくすと厭らしい笑い声が続く。
わざと聞こえるように陰口を叩かれた。無視されるのと、虐められるのとではどちらがつらいのだろうかと幽香は何も言い返せないまま、だまってうつむいて自分の机に彫られた落書きを眺める。
草くせーんだよ、アブラムシとでも○○してろ。心無い言葉である。ご丁寧に彫刻刀で彫られている。
もうイジメのターゲットとしてロックオンされてしまっているようだ。
どうしてこうなってしまったんだろう、何が悪かったんだろうと自分の行動を思い返す。全部悪かったかもしれない。
「せからしか!」
びたんという激しい音が教室の中に響いた。
先ほど幽香の悪口を言った子供が赤くなった頬を手で押さえ、呆気にとられた表情をしている。
平手でひっぱたいたのはクラス担任の魅魔先生である。丁度教室に入って来たところだった彼女の耳に入ったらしい。
「陰口言うぐらいなら本人の前に言って直に言いなさい! おまえ、空気嫁! ってはっきりと!」
それもどうかと思う。そんなこと目の前で大きな声で言われるのも屈辱だ。
魅魔先生はどこかずれた大人だった。
その日は魅魔先生に庇って(?)もらえたものの、幽香はやはり孤独だった。
ますます孤独だった。登下校の道も、幽香は基本的に一人で歩く。
ストーカーである彼女と一緒に帰りたがる同級生などいるはずもない。
その日はなんだか家に帰りたくなかった。
同級生に自分の欠点を指摘されて、過去の嫌な記憶を思い出してしまった。
帰り道の途中、夕暮れの川辺で一人膝を抱えて座り込む。川原にぽつんとたたずみながら、ころころ広がる小石を拾って水面に投げ込む。そうやって物思いに沈む。大好きだったあのマーガレットの少女のことを思い出す。やっぱりあの子も自分のことを嫌っていたんだろうか。自分はKYだから、このまま誰にも好かれないまま一生を終えるのだろうか。
「どうしたの? 黄昏ちゃって」
後ろから声をかけられて振り向いて見ると、魅魔先生が立っていた。
「先生……」
黄昏に彩られた、優しい声だった。思わず幽香の目が潤む。
魅魔先生は川原に一緒に腰掛けて、幽香の悩みを聞いてくれた。
「私、いつも言われるんです。おまえは空気が読めないって。私がいけないのかな。私が、周りの空気を読まないから」
「……。ねえ、幽香ちゃん。先生、クビになっちゃったんだ」
「え!? どうして?」
「体罰ふるう教師はいらないって、慧音校長に言われちゃった……」
「そんな!? 私のせいで……」
「ううん、違うのよ。ねえ幽香、聞いて。あなたは周りの空気なんて気にする必要はないの。先生は知ってる。あなたはひまわり! ひまわりはお花畑の中で誰よりも背が高いし、誰よりも派手に美しく咲く花なんだから。幽香、周りのことなんか気にせずに、堂々と咲き誇りなさい!」
「先生!」
「あなたにこれをあげるわ」
魅魔先生は懐から一枚のお札を取り出して幽香に渡した。
「これは?」
「先生も昔つらい思い出があったの。それはね……」
魅魔は幽香に昔の思い出を語り聞かせた。
それはやはり魅魔の学生時代に遡る。その頃彼女は悪霊高校の女子高生だった。
当時から魅魔は魔法使い風のコスプレ衣装を気に入っており、学校でもいつもその服を着ていた。彼女の服はピエロかチンドン屋風にも見えるのだが、この際魔法使い風ということにしておこう。
とにかく皆が普通のセーラー服を着ている中で、あの魔法服は目立つ。彼女も空気の読めない女だったのだ。
彼女は普段着もコスプレ衣装しか持っていなかったので、当然彼氏とのデートの時もその服を着てきた。
彼氏が直に指摘してきた。お前、その服やめた方がいいぜ、ちょっと場に合ってないだろ。もっと空気読めよな。そんな言葉だった。
彼氏としては特に悪気があったというわけでもないのだが、何時まで経っても服装を改めようとしない魅魔にいい加減苛立っていたために、口調が荒くきつくなった。
その言葉は魅魔の逆鱗に触れた。魔法服は彼女のアイデンティティーに等しかったのだ。
怒りにまかせて、魅魔はその場で持てる魔力の全てを放出し、暴言を吐いた男に向かって撃った。
男は炭化し、具体的に言うと身体を構成するタンパク質が燃焼反応により炭酸系と水に変化した。窒素化合物の生成割合は少なく、ノッキングも起こらず、かなり優秀な燃焼効率を得ることができた。
スカっとした。元々服装なんぞにああだこうだとこだわる軟弱な男なんぞに興味は薄かったのかもしれない。
そのときひらめいた必殺技が世に名高い、恋符・マスタースパークである。
「私はもう使わないから幽香にあげるわ」
「いいの?」
「いいのよ。これで空気読めないなんて言ってくるやつは丸焦げにしてあげるといいわ」
「うん! わかった! 私頑張って幻想郷の帝王になるよ! そして男の子も女の子も可愛い子はみんな私の下僕にするんだ!」
「その意気よ、幽香! 先生応援するわ!」
魅魔先生はちょっとずれた、おかしな大人だった。
と、いうようなことを風見幽香は0.5ミリセコンドの短時間の間に回想していた。
気が付くと目の前には頭の形がくしゃっと潰れた四季映姫の姿があった。
幽香は持っていた傘で、回想の間中映姫の頭を殴打していたのだ。0・5ミリセコンドに三十五回の頻度で。超高速の早業であった。
川原にはやってしまった感が蔓延していた。ついカッとなってやってしまった。犯罪者が使う言い訳の常套句である。
しかし、四季映姫は向日葵が菜種油の原料ではないことを知らなかった、もとい、「空気読め」が幽香にとってブレイクワードであることを知らなかったのだ。それだけで万死に値するじゃないか。幽香はそうやって自分の行為を正当化しようとさえした。無茶苦茶な理屈だが、口に出して自信満々で言ってみると、なんとなく正しく聞こえてくるような気がした。
丁度その時、幽香の背後でぐしゃっという卵を潰したみたいな音が響いた。
幽香は何事かと思い、音がした方角に振り向く。
女が一人、倒れた少女の前に立っている。
その背中には、やっちゃった感が漂っている。
小町だ。
倒れているのは魔理沙だった。彼女の頭には死神のものと思わしきへにょり鎌が突き刺さっていた。
全ての問題は一つの方向に集約していた。そう、問題は鎌の当たり判定だったのだ。まさかめくっても当たるなんて。
こまち自身、自分の鎌にそんなにインチキくさい当たり判定があるなんて思ってもみなかったのだ。
殺す気なんてなかった、事故だったんだ。それも常套句の一つである。
ともかくも二人はお互いの犯罪を目撃し合った仲となった。
双方とも殺人罪。いや、片方は殺神罪になるのかもしれないが。
二人してじろっと川原を見回してみる。見たところ、近くに目撃者はいない。
両者は互いに顔を見合すと、うなづき合った。
隠蔽するしかない。
二人がそう思うのは至極当然のことだった。
そこへ偶然川原で遊んでいた虫の妖怪リグル・ナイトバグが通りかかった。
というかさっきからルーミアと遊んでいた。彼女らみたいな小妖は目撃者のうちに入らないらしい。
幽香はちょいちょいとリグルを誘って呼び寄せる。
なんだろうと思って誘われてきたリグルの頭に、閻魔の死体から剥ぎ取ったポリス帽を乗せてみる。
……実に収まりがよかった。
「今日からあなたが二代目ヤマザナドゥよ!」
親指をぐっと立て、幽香が大声で宣言すると、リグルは黙ってこくりとうなずいた。
午後の三途の川には悲愴な空気が流れていた。
二艘の船が並べられ、その船上にはそれぞれ花束で飾られた二人の死者が葬られている。
参列者一同はこれから死者を悼み、彼女らの死体を船ごと川へ流すのだ。
川の下流には大瀑布が広がっているから、いわゆる水葬である。
証拠隠滅のために凶器の鎌と血の付着した日傘も一緒に添えてある。
「魔理沙。考えてみればあなたと私は姉妹弟子みたいなものだったわね。もっといろんなことを教えてあげたかったわ。具体的に言うと性的なこととか淫らなこととか」
「映姫さま、本当はあなたのことが好きでした。素直になれなかったんです。みんながみんなツンデレだったら面白くないじゃないかって言う意見にも一理あると思うんですが、私もツンデレだったみたいです。ごめんなさい」
小町は船のへさきを蹴った。二隻の船が、三途の河を音もなく流れてゆく。
見送る二人の目に涙はないが、心で泣いているのだ。背中で泣いているのだ。耐えがたい別れを嘆いている。
魂が慟哭していた。尊い犠牲。だが、我々は少女の死を悼んでいるばかりではいけない。
旅立った彼女らの魂の気高さに恥じぬよう、これからも精一杯生きていかなければならないのだ――
文々丸新聞朝刊
魂抜け落ち事件続発
連日、幻想郷の住人の魂が抜け落ちるという事件が発生して郷を騒がせている。
最初に犠牲にあったのは魔法の森に住む人形師のアリス・マーガトロイド氏。人形業者のY氏が取引のために某氏の邸宅を訪れた時、灯りが付いているのに返事がないので、窓から覗いてみると部屋の中でばったり倒れていたと言う。
二人目の犠牲者は魔法の森のはずれに立つ香霖堂の店主、森近霖之助氏。郷外れに住む巫女の博麗霊夢氏が無断侵入してこの店の食糧庫を漁っていた折、ドタリと何かが倒れる音がしたので駆けつけてみたところ、店内を清掃中だった森近氏が白目をむいて倒れていたと言う。
博麗氏が二人の容体を調べてみたところ、魂が抜けおちて一種の仮死状態になってしまっているとのこと。
魂が急に抜け落ちた原因については現在調査中であるが、たまたまその場に居合わせた八雲紫氏によれば、死神や閻魔と何らかの関わりがあるのではないかとのことである。
二人の共通の友人である霧雨魔理沙氏も数日前から消息を絶っており、神社は事件との関連性を調査している――
「いやほんとこちらの手違いであることは間違いないのですが、私も言われたとおりやっているだけでして。ともかく上役の方が直接お話があるそうなので、そちらで手続きができると思います。なので一回法廷の方へ行っていただけませんか?」
役人肌の事務的な態度にアリス・マーガトロイド、の魂はぷんすか怒っていた。
どうも自分がいきなり死んだのは、死神業界の手違いであったらしい。
案内された法廷の大きな扉を開ける。ぎいっと言う音がした。
広い法廷の真ん中、裁判長席に八角形の帽子をかぶった小さな姿がある。他には人はいない。
「あのー、ここへ来れば黄泉返りの手続きができるって聞いて……」
「そこに座りなさい」
「いえ、私は別に裁判を受けるわけでは……」
「いいからそこに座りなさい」
きつい口調で言われて、少し動揺しながらもアリスは言われたとおり法廷の席に着いた。
「あなたの罪状を述べます」
「へぇ?? 罪状?」
「ダンゴムシ3匹、セアカコケグモ1匹、ハエ13匹、ヤブ蚊125匹、ゴキブリ7匹。あなたはこれまでの人生でこれだけの尊い命を殺めてきました。その事実に相違ありませんか?」
「いやそんな害虫は殺したかもしれませんけど、なんで虫だけカウントしてるの?」
カンカン、と目の前の閻魔がハンマーを打ち鳴らした。
いきなり大きな音が響いたのでアリスはびくっと体を震わせる。
「アリス・マーガトロイド、あなたの罪は朝青龍よりいくらか重い。その罪の重さを鑑みて、あなたには幻想郷の花畑のナナホシテントウへの転生を命じます! 一寸の虫にもアリスの魂、虫の身になって今まで犯した罪を悔い改めるがよい!」
「なっ……」
一瞬呆気に取られたが、すぐに憤慨し、ばん、と机をたたいてアリスは席を立ち上がる。
「ちょっ、ナナホシテントウとか語感だけできめたでしょ!」
「蟻の方が良かったですか? 蟻とアリスでアリ×アリ。アリアリですね」
「うるせえよ!」
「問答無用、連れていきなさい!」
いつの間にかアリスの左右を抑えていた看守が、屈強な腕で彼女の両手をそれぞれ掴んだ。
身動きが取れない。アリスはそのまま無理矢理法廷の外に引きずられていく。
「誤審よ、図ったな!? シャアあああああ!!」
是非曲庁の長い廊下に罪人の最後の呻きが木霊した。だが、彼女の言い分を聞く者はもう誰もいない。いくら冤罪を叫んでみたところで、既に裁きは終わってしまったのだ。
バタン、と法廷の扉が閉められる。法廷の中に一人残った緑髪の閻魔は、またつまらぬ罪を裁いてしまったと一人呟いた。
その机の上に、写真のついたファイルが何枚も重ねられている。
一番上に置いてある書面にはアリスの顔写真、そして二枚目は、香霖堂の店主、三枚目は冥界の主西行寺幽々子。
これから忙しくなる、と閻魔はため息をついた。何しろ、幻想郷で虫を殺していない人妖など、あんまりいないのだから。
ある晴れた日、幻想郷、太陽の丘。
一面に咲いた向日葵の海。そのうちの一本、葉の上に一匹のナナホシテントウが乗っていた。
それを見て幽香は文字通り花のような笑みを浮かべ、こう言った。
「小さな虫を見ると、なぜだか意味もなくつぶしてみたくなるのよね」
三途の河に二艘の船が流れている。
そのうちの一隻の上で、魔理沙はむっくりと起き上がった。
帽子と金髪の間からだらだらと赤い汁が垂れて額を通ったが、これは血液ではない。
常日頃から、魔理沙は帽子の中に収穫したキノコを入れる癖があった。
今日入れていたそれは、魔法の森にしか生えないという珍しい1UPキノコであった。
このキノコの樹液は赤色をしているので、つぶして体に汁が着くと、まるで大怪我をしたように見える。
小町の鎌が頭に当たったとき、キノコが身代りになってくれたので魔理沙は生きていたのだ。
しかし強度に頭を打ち付けたショックはまだ残っているらしく、頭の周りにはひよこが回っていた。
映姫の方は神だったのでまあなんか自然に生き返った。
魔理沙に遅れて映姫も目を覚ます。
自分はいったい何をしていたんだろう。確か落ち込んで川原でしゃがんで石を投げていて、そこから記憶が飛んでいる。なぜ船の上に乗せられているんだ。それに何だか進行方向は霧が掛っていて、ざざあという音が聞こえるし。
……ざざあ?
その昔、天動説が信じられていて、世界は平らだと信じられていた時代があった。
平たい世界の終りには何があるのだろう。
ああ……来る……。
ナイアガラだ!
*
暗い暗黒の大地。空は暗雲で閉ざされている。
不毛の土地に、ハットを被り、首にストールを巻いた一人の少女が倒れている。
そこから少し離れて、また二人の少女が立って倒れた少女を眺めていた。
「強敵だったぜ。ラスボスの閻魔様がいなかったら私一人で勝てたかどうか……」
「幻想郷では見ない弾幕でしたね。滝に落ちたと思ったら、こんな場所で……それにいきなり襲ってきたこの方は一体……」
「そういえば見覚えのある顔だったかも……はっ! もしかして!」
「お知り合いですか?」
「いや、この場所について聞いたことがある!」
「有名な場所なんですか?」
「楽園エリュシオンから端を発する忘却の川レテの下流には、かつて黒歴史の闇に封印された異界があるという伝説を聞いたことはないか?」
「なんですって!? じゃあここがあの……どこだよ! 聞いたことねえよ!」
「その名も魔界ソサエティ…… ここがあの伝説の……」
「魔界ソサエティ!? 知っているのか、魔理沙ー!?」
「伝説のお約束の地……」
「約束の地? 旧約聖書に記された、唯一神ヤハヴェがユダヤの民の預言者モーゼに示したという」
「いや、お約束の地。ここに足を踏み入れた人間は、お約束しかできない体にされてしまうという……」
「どんな土地なんですかそれは」
「幻想郷には三途の川が流れる。幻想郷は東の果ての楽園と呼ばれた。ギリシアの理想郷エリュシオンにも死者が死後に渡るというレテ川が流れていた。つまり伝説に記されたエリュシオンと幻想郷は同じ場所を指していたんだよ!!」
「な、なんだってェー!! ……いや、そんな推理とか謎ときとかどうでもいいから!」
そこに影がいくつか。
「だ、誰だ!?」
「フッ、ルイズミリョーネを倒したか」
「奴は我ら魔界四天王の中でも最弱」
「私は四天王の一人、ユキバリシア」
「同じく四天王のユメコンテ」
「お約束だ……恐ろしい」
なにがだよ、というつっこみはもう面倒くさくなった。
「そして私がこの魔界の王、アホゲデスだ!」
また何か新しいのが現れた。影の後ろで雷がドシャンと炸裂したが、影自体がちっさいのであんまり迫力はない。
「ラスボスがいきなり出てくるんですか?」
「なっ……やつがあの伝説のアホゲデスだって!? なんてこったぁ、おしまいだ……」
「そうかなあ?」
映姫は真ん中で大玉避けてれば楽勝なんじゃねえの!? って思ったが旧作に出演したことはないので黙っておいた。
~ 完 ~
辺にネタを混ぜている分、余計にややこしい。
とりあえずあなたに緑髪のロリっ娘嗜好があることは理解できた
どんどん映姫、小町のSSを書くように
それがあなたの善g(ry
けど、中盤から眼に見えてパワーダウンしてて、残念というか。
ラストまで序盤の勢いを引っ張れたなら大したもんだと思いますが……。