※注意:このお話は前話である「スキマとキュウビ/零」及び「スキマとキュウビ/前夜」の続きです。
もし未読でしたら、お手数ですがそちらをご覧になって頂いてからの方がよりお楽しみ頂けます。
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───富士
日本の代名詞とも言える霊峰がそびえ立ち、今も昔も変わらず神聖な山として崇められている。
そして太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートの4つがこの地で隣接しており、現在の静岡県で地震が多発するのも、この4枚のプレートが絶えず鬩ぎ合っているためであることがわかっている。
名居の一族はこの宝永の時代にあって既にこれらの事を知識として確立しており、大地の地震の起きやすい場所、その起点、範囲や影響を理解していた。
それ故に彼らは要石を用いる事で、地震の制御を行うことが出来た。
かつて、平安の時代にて八雲紫他が封じた九尾の妖狐の殺生石はその大きさ、直径約17メートルに及び、その重さは5000トン近い重量を誇る巨大な大岩であった。
またこの殺生石は毒気を含む妖狐の妖気を絶えず放出していた。
そこへある名居の一族の男がこの殺生石の存在を知り、八雲紫の元に現れ、彼女にその殺生石を富士の要石として納める話を持ちかけた。
規格外の大きさで妖気を放出するその殺生石は下手に放置しておけば、その妖気に当てられた人間が必ず何かしら八雲紫にとって良くない行動をするだろうと、扱いに手を焼いていた八雲紫はこの名居の者の話を承諾。
それから八雲紫は名居の者の協力を得て、封印を通し九尾の妖気を要石として機能させる霊力に転化させ、富士を跨ぐ巨大なプレートのズレから生じる地震を制御することに成功。
以来地震の頻度は激減はしたが、ここに一つの誤算が生まれる───
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「地震が起きるための力は、要石によって抑制こそされ、消滅するものではない──か。 全く知らなかったとはいえ、私らしかぬ軽率な行動だったわね」
富士の麓、そこは人の進入を拒むかのように深い樹林に覆われ、真夏の日差しを持ってしても照らすことが出来ない不可侵の陸の海。
その樹海の中枢とも言える夜の闇よりもなお昏い聖域にて、妖狐を封じた巨大な要石──殺生石──を前に、八雲紫は誰ともなく呟いた。
紫を基調とした西洋風のドレス、長く美しい金色の髪を頭の後ろで大きな紅白のリボンを用いて一つに束ね、ドレスと同じく西洋風の日傘を携えた彼女の姿はこの暗黒の森の海にはあまりに不釣り合いである。
しかし、そんな闇の中を全く気にすることなく八雲紫は自問自答を続けた。
「──とはいえ、私に話を持ちかけてきた名居の者は既に天界より暇乞いをし、枯れ落ちた。 しかも、妖怪である私との密議を、誰に託すこともなく。 その後、知られざる要石の存在は、抑圧された大地の力が名居の者達の手に負えなくなるまで気づかれることはなかった。 当然、殺生石を作った私がその責任を負うことになり、私の立場は危うくなる……か。 全く、出来すぎね」
誰かが彼女を陥れようと企てた奸計。 そう考えるとあの名居の者が紫に要石の話を持ちかけてきた所から、名居の一族の手に負えなくなるまで富士の地に負荷が溜まってしまったことへの筋が通る。
本来であれば、富士の4プレート隣接点というこの島国に於いて重要な地点の異変を、名居の一族が気づかない筈がない。
しかし結局この地の異変は手遅れになるまで看過されてきた。 それはなぜか。 そうなるよう仕向けた者がいたのではないか。
「まぁ……誰がこの筋を描いたかなど、もうどうでも良いことね。 結果としてこの地には、未曾有の大災害を引き起こすだけの力が溜め込まれてしまった。 そして、私はその大災害を起こす引き金を引かなくてはならない。 ……ふふ、高くついたわね」
この上なく嗜虐的なな笑みを浮かべて八雲紫は暗闇の中に傲然と立つ殺生石を見上げる。
殺生石からは今もなお、妖狐の放つ気が漏れ出ており、要石として富士の麓の地震を抑制する力に転化させられていてもなお、邪悪な雰囲気を醸し出していた。
様々な疑惑の念をひとしきり思い巡らせた後、紫は目の前にある殺生石に向かって静かに、そして穏やかな口調で声をかける。
「600年振りくらいかしら、九尾の。 ご機嫌はよろしくて」
すると、殺生石が怪しくざわめき、周囲の草木も石を避けるようにざわりと揺れた。
『今更、この我に何用だと言うのだ。 すきま妖怪』
音は、無い。 聞こえる音は木々のざわめき、周囲の空間が歪む幽かなの音。
しかし、確実に一言一句はっきりと八雲紫の耳には妖狐の声が届いていた。
「貴女と出会ってからもう既に3000年近い時を経たわ。 少なくとも、私が知っている中では私と最も付き合いの長いのが貴女よ」
『……よもや、わざわざ昔話をしに来た、というのではあるまいな』
紫の耳に届く妖狐の声は男性とも女性とも判別付かない声である。
「そうね。 こんな昔話なんてどうでも良いわね。 では、本題よ───貴女、私の手駒になる気はない?」
彼女のその言葉が殺生石に届くと同時に、それまで殺生石を覆っていた気が急に膨れあがる。
そしてその気に当てられた周囲で幽かにざわついていた木々は、張り裂けんばかりの悲鳴を上げるかのごとく、震え、騒ぎはじめた。
『どこまでこの我を愚弄すれば気が済むというのだ。 かつて、商に在った頃より数えて三度、貴様のせいでこの我がどれだけの汚辱を受けたか、わかっているのか』
「あれらは貴女が勝手に私の縄張りを荒らし回ったからでしょう。 自業自得よ」
『…………化生(けしょう)は、奪い、喰らうのが道理であろう』
「そうよ、この世は弱肉強食。 私達妖怪に限ったことではないけれど。 強者は常に自由。 弱者をどうしようが強者の胸先三寸よ。 生かそうが殺そうが、手駒にしようが打ち棄てようが」
押し黙る妖狐。 紫の言うことも自分が言っていることも何のことはない、自分がそれまで行ってきた道理そのものである。 自分が今こうして消えずに封印され、島国の地震を抑制する道具として扱われるような恥辱を受けているのも、自分が目の前に
佇む金髪金目の妖怪に敗れたからである。
「とはいえ、強者の権限にて貴女をただ従わせるだけでは、貴女の心を完全には掌握出来ない。 それならば、契約しましょう」
『契約……?』
右手に持っていた日傘を紫はおもむろに開き、傘の中からのぞき込むように殺生石を睨め付ける。
「そう。 貴女と私、ここで最後の勝負を臨み、勝者に敗者が従う。 貴女が勝ったのならば、私を従わせるも良し、そのまま喰らうも良し、よ。 勿論、貴女の封印は今から解いてあげるわ」
妖狐の放つ怒気を孕んだ気を涼しげに受けながら、妖狐の問いに答える。
そして紫の返答を受けると、殺生石から漏れ出る怒気を孕んだ気が薄らいだように感じられた。
『つまり、四度目の戦いを、これから、この場で始める、と。 さらに、我のこの封印をも解く……。 貴様、自分の言っていることを理解しているのか。 この封印を解いたらよもやどうなるか、知らぬ主ではなかろう』
「ええ、知っているわ。 大地震が起きる。 それに何か問題があって?」
九尾の妖狐は返答に窮した。 なぜなら妖狐の知るこのすきま妖怪というのは、常に自分を討ち滅ぼす際、人に与していたからだ。
そんな人の味方であろう妖怪が、あろうことか未曾有の災害が起き、多くの人間が死ぬような状況をまるで「これから雨が降る」と言うのと変わらぬような答えをしたことに妖狐は困惑せざるを得なかった。
そして妖狐は、目の前にいるすきま妖怪にこう聞かざるを得なかった。
『貴様は人の味方ではないのか』──と。
すると、八雲紫は心底意外そうな顔をし、一度顔を伏せた後くすりと僅かに笑い、意志を読み取らせないような薄い表情を浮かべた。
「私がいつ、人間の味方をしたかしら? 商の時代、妲己という名の貴女を倒すために周の軍勢を率いて王都へ攻め入るまでにも多くの兵士が死んだわ。 貴女が玉藻前という名であった時にも私は陰陽師や時の軍を使い、貴女を追いつめるまでに多くの死者が出した。 大地震が起きて多くの人が死ぬことがそれらとどう違うのかしら。 確かに、貴女を追いつめるまでに多くの人間を使ったわ。 けれどそれを人間の味方をした、と取ったのなら、悪いけれど勘違いも良い所だわ」
抑揚のない声で言を続ける。
眉目秀麗な金髪金目のすきま妖怪の表情はほぼ無い状態であるがために、妖狐は彼女の真意を測れずにいた。
「私とて、貴女と同じ。 人を喰らう妖怪よ。 ただ食事の方法が少し違うだけ。 ただ己が在り方が少し違うだけ。 ただ快楽の求め方が少し違うだけ。 これだけで貴女から全てを奪う理由に全く事欠かないわ」
一転、無表情であった八雲紫の顔は、突如簒奪者としてこの上ない嗜虐的な笑みを憚り無く浮かべ、さらに妖狐に言葉を浴びせる。
「私は貴女から全てを奪う。 美しく、激しく、一片の塵も残さずに奪い尽くすわ。 貴女も、自らの汚辱を雪ぐというのであらば、私から奪ってみせなさい」
激しく沸き立つ紫からの殺気に当てられた殺生石はびりびりと音を立て震え、その中にあるであろう妖狐はこの一言で自らの内に秘めていたモノの堰を切った。
『……はッ!! 良いだろう。 ならば契約の条件を速やかに履行するとしよう。 お互いの全てをもって、お互いが滅するまで喰らい尽くそうではないか!』
細かくあれやこれやと詮議したところで、所詮は妖怪同士。 最後には己が力を持って相手を叩き潰すのが道理だ。
なれば、昔年の恨みを今ここで晴らす機会が得られるのならば、妖狐にしてみればこの上ない好機。
過去数度負けてきたとはいえ、妖狐は自分が負けるとは微塵も思っていなかった。
振り返れば、八雲紫と戦ったのは三度。 しかもその内、五体満足で戦うことが出来たのは最初の戦いのみ。 それ以降の戦いは妖狐が三つに分けた内のひとつでしかない。
すきま妖怪は非常に特殊な能力を使用する。 それ故に初戦では不覚を取った。 だが、今なら彼女の能力も知っている。
九尾は己が内側から沸き上がる殺意に興奮を覚えながら、その逆に非常に静かに、冷静に自分と目の前にいる九尾との力量の差を計っていた。
「さぁ、封印を解くわ。 準備はよろしくて」
『問うまでも無かろう 我はこの刻をどれほど待ちわびたことか』
「いい返答だわ」
八雲紫は開いた日傘を殺生石の前にかざし、ゆっくりとその先端を近づけていく。
殺生石と傘の先端が触れるまでのそのわずかな瞬間が闇に溶け、まるで永遠とも思える長い時間を感じさせた。
コツン、と静かな音を立て、先端と殺生石が触れると、突如殺生石が内側から風船のように膨れあがった。
妖狐の妖気や八雲紫の殺気によって歪んでいた周囲の空気がさらに輪をかけて、視覚的にも歪むという表現以上の例えが無いほど怪しく歪み、闇を飲み込む。
そして、光の及ばぬこの闇の中から、黄色い幾条もの閃光が樹海の聖域を照らす。
大地は震え、石は光に飲み込まれ、やがてまばらに放射されていた閃光ははるか上空に向かって一本の線となる。
大空に向けて放たれた閃光は、雲と大地の境界にてひとつの塊となり、巨大な九本の尾を持った狐を象(かたど)る。
その様を見て、八雲紫も光を追うように空に飛び上がった。
「本当に久しいわね、その姿」
旧友を懐かしむかのように半目で九尾を睨め付ける八雲紫。
光の中から顕現した九尾はその体長数百間に及ぶ、まさにバケモノと呼ぶに相応しい強大さ、禍々しさを誇っていた。
九尾の身体から沸き立つ蒸気とも妖気ともわからぬ気体が巻き上がり、今度は確実に音として声を響かせた。
『始めようではないか。 3000年に及び繰り広げられた───』
「私と貴女との美しく、残酷な闘争の歴史の幕引き───」
妖狐に呼応するかの様に、八雲紫の気も大きく膨れあがり、静かに声を響かせる。
『この大地と──』
「幻想の境界にて──」
『「最後の宴を!!」』
咆哮が響き渡り、ここに、大陸から渡ってきた二大妖怪の決戦の火蓋が切って、落とされた。
そして、遅れること数秒。
大地が、鳴動を、始めた────
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──彼岸
死者の魂が三途の川を渡り、この場所に、閻魔の元に運ばれる。
八雲紫が九尾の妖狐と相対する少し前、冥界以上の寂寥感が漂うこの地に、白玉楼の主・西行寺幽々子とその庭師・魂魄妖忌の二人が何食わぬ顔で歩いていた。
彼女達の歩く脇には、閻魔の裁きを待つ幽霊達の行列が並んでいる。
妖忌は思う。
以前自分の主、西行寺幽々子は八雲紫の九尾の妖狐との決戦に際して、顕世に行くのではなく、別の用事がある、と言っていた。
今からそれを成しに行くのであろう、と。
しかし、彼岸に何を成しに行くのかは全く見当が付かなかった。
「幽々子様、一体彼岸くんだりまで来て、何をされようと?」
聞くつもりではなかったが、何をするのか全く想像出来ない庭師は主に問いを投げかけた。
「彼岸に来て、閻魔に会う以外の用事があるかしら」
「あ……はい」
それはわかる。 妖忌が問いたいのはその後、閻魔と会って何をするかなのだが──おそらく聞いても答えは出てこないのだろう。
予想していたとはいえ、あまりに予想通りの返答に、彼は思わず間抜けな返事をする以外になかった。
途中で出会った死神にも全く同じ応答をし、有無を言わさずこの彼岸まで案内させたのだ。
閻魔と話をするまで真意を語るつもりが無いのか、彼女としては全てを語ったつもりなのかは定かではない。
おそらく、後者である可能性は強いのだが。
「あら、貴女からこちらにお越しになるとは、珍しいこともあるのですね。 てっきり私は避けられているとばかり思っていましたよ」
気づけば彼岸の中枢、紫色の桜が咲き乱れる閻魔のおわす地まで辿り着いており、幽霊達の列の先頭まで来ていた。
そして、その地には顕界の幻想郷を担当する楽園の閻魔・四季映姫が在った。
「避けているつもりはないのだけれどね。 誰しも苦手なものくらいあるわ」
「それで、白玉楼の主がわざわざ彼岸までお越し頂き、何用でしょうか。 生憎、仕事中でして満足なおもてなしを致しかねる事はご容赦頂きたいですが」
慇懃無礼な態度にも感じられるが、彼女は元々立場的には幽々子を管理する側である。
しかし、年功序列的には幽々子が上ではあるため、丁寧な口調で対応しており、そのため慇懃無礼な態度に見えてしまうのであろう。
彼女は幽々子達を一瞥し、声をかけてきた後も、幽霊達の裁きの手を休めない。
「茶菓子くらいは欲しいわね」
主の上司に対する図々しい態度に多少諫めたい気持ちを覚えながらも、彼女の後ろで静かに佇む妖忌。
始まってもいない話の出鼻を折っては、始まるものも始まらない。 特に自分の主に関しては。
「……誰かに用意させましょう。 それで、ご用件というのは」
閻魔も幽々子の性格を知っている。 若干辟易したような顔色を覗かせた。
そうして、映姫が近くに居た死神の一人に茶菓子の用意を命じると、幽々子は満足そうな顔を浮かべおもむろに口を開いた。
「大地震が起きるわ」
主のあまりにも少なすぎる言葉に、閻魔は考える時間を少々要した。
少なくとも、多少の事前知識があった妖忌ですら、全く主の真意を測りかねる言葉である。
「え、と……。 地震が起きるということは……どういうことでしょうか」
結局、幽々子の言わんとしていることを理解出来なかったのか、考えがまとまらなかったのか、閻魔は詳細を聞く以外になかった。
「大地震が起きれば、人がたくさん亡くなるわ。 でも、震源地は富士の地。 あまりこちら側には関係ないかもしれないわ」
「…………」
大地震、富士、これらの言葉から導き出される解答を熟慮しながら、四季映姫は慎重に言葉を紡ぐ。
「つまり……すきま妖怪が富士の地にて、九尾の封印を解く。 それに伴って大地震が起き、多くの人間が亡くなる、と言うのでしょうか」
「正解よ」
「それは、わざわざ私に報告をする程のことでしょうか。 私は死者を裁き幻想郷を治める閻魔。 その件に関してはすきま妖怪自身と名居の一族の問題ではないのでしょうか」
そこまでは妖忌にもある程度想像はついた。
八雲紫と九尾の決戦に関しては、名居の一族と付けるべき問題であって、閻魔の関与する部分は無い。
あるとすれば、決戦に際し出た幽霊を裁く程度のものだと思われる。
しかし、西行寺幽々子は、名居の一族の元ではなく、彼岸の、閻魔の元に現れたのだ。
妖怪が人を喰らう、殺める事は別段罪深い事ではない。 人間が畜生を食すのと同じ程度の事である。
閻魔にとって、そこは八雲紫を咎めるべき箇所でもない。 そもそも、幽々子はそんなことを告発するような人物でもない。
ではなぜ閻魔に。
「貴女は紫と名居との関係についてどれくらい知っているかしら」
やっと幽々子の口から本題と思われる部分が出てきた。
「彼女と名居の一族の関係については、妖怪狐の殺生石を要石にし、その監視を怠ったすきま妖怪に溜まった大地の負荷の責任を負わせる、という程度には聞いておりますが」
「そうよ。 でも、それは本来要石の話を持ちかけてきた名居の者が負うべき責任。 名居の一族ではない紫に大地の負荷の状況を調べる術等無いわ。 そもそも、話を持ちかけてきた件の名居の者が早々に死神の手によって枯れ落ちたとはいえ、あの富士という地にあってその異変が自分たちの手に負えなくなるまで気づかないなんて、名居の一族にあり得ると思うかしら」
「確かに、言われてみれば」
「そんなお門違いの責任は紫にしてみれば、負わされる謂われはない。 けれど紫はね、あれで結構生真面目な性格よ。 普段からは想像もつかないでしょうが、彼女は常に他者と自分との立ち位置を明確にする。 人間の領域は人間に。 妖怪の成すべき事柄は妖怪で解決させようとするわ。 数百年前にひょっこりと大陸より訪れた異邦者である自分と、数百万年前よりこの地を治めてきた名居の一族。 立場の差は語るべくもないわ。 従って一方的に押しつけられる無茶な責任を、紫は受け入れざるを得なかったわ」
映姫の問いからはずれている気もするが、順を追って説明しているようにも思えるので、妖忌や映姫は口を挟まずに聞き手に徹した。
「名居の一族が彼女に負わせた責任というのはね。 要石を早急に除き、そこに溜まった負荷を解放すること。 そしてそれによって起きた地震で出た死者は彼女が殺害したことにする。 さらに、それら要石に関する一件に名居を含む天人は一切関わりが無いものとする、ということよ」
「な……それはあまりに一方的過ぎではないですか。 確かにすきま妖怪が人を殺したとしてもそれ自体に大きな罪はありませんが、とはいえあれだけ大きな負荷によって起きる地震は人のみならず多くの生物の命を奪います。 その罪自体は……裁かねばならないことです」
聞きに徹するつもりであった映姫は思わず口を挟んでしまったが、幽々子にしてみれば、この閻魔の反応は思惑の内なのだろう。
いつの間にか取り出した扇子で幽々子は口元を覆っていた。
こういう時の彼女は何かしらの企みがある、と妖忌は直感的に知っていた。
そして涼しい顔の中に僅かな笑みを浮かべてさらに言葉を続ける。
「おそらく、異邦者である紫を快く思わない名居及び天人達の罠。 そう考えるのが自然だわ。 かつて大陸に在った頃のあの子の様子を知った天人達は、自らの立場を危ぶめるおそれのある紫を、除こうと画策したのかしらね。 幻想郷という妖怪にとっての別天地を作ったのも、力を蓄え天人達の領域を侵そうと目論んでいる……そう邪推したのかもしれないわ」
紫と名居の一族との関係性については妖忌も知っており、紫が名居や天人達を煩わしく思っていたのも知っていた。
だが、妖忌の知る八雲紫は、天人達が考えるような、他者の領域を侵す妖怪ではない。 先に幽々子が言ったように、自らの領分を、秩序を重んじる妖怪である。
良くも悪くも縄張り意識の非常に強い妖怪だ。 自らの領分を侵されれば激昂する、妖怪狐との今日までの闘争が最も良い例だろう。
幻想郷という地も、自分のこの島国での縄張りだ。 それ以上の意味は、ない。
そして、幽々子はさらに続ける。
「紫は名居に押しつけられた責任をどうにか穏便に済まそうと、策を練っていたわ。 しかし、彼女の力でももはや要石を取り除いて力を解放させる以外の手が無かった。 そこで紫は古来より聞いていた月の都噂に一縷の望みをかけて、月へ向かったわ」
「月の都の噂?」
「ええ。 月の都にはこの地上の人類を遙かに凌駕する技術がある、と。 紫はその技術の中に地震を緩和させる方法が無いか、それを確かめに行ったのよ。 まぁ、結果としては妖怪らしく奪うという名目を立てて戦争を仕掛けて惨敗。 技術を得ることもなく敗退してしまい、振り出しに戻ってしまったのだけれど」
映姫は押し黙る。 いつの間にか幽霊達を裁く手も止まっていた。
それもそうであろう。 紫や幽々子と長く接していた妖忌ですら、彼女達のやり取りからそこまで想像出来ただろうか。
改めて主の洞察力には恐れ入り、聞き入ってしまう。
「八方塞がりになった紫にはもう、責任を果たす以外手が無かった。 でも、あの子はただじゃ転ばないわ。 有能な側近得ることと月面へのお礼参りへの布石、そして、天人達を見返すだけの材料が残っていた」
まだ繋がらない。 いや、もう本題へと繋がっているのだろうか。
妖忌は静かに主の次の言葉を待った。
ふと後ろを見てみると、幽霊達の列は自分達が通り過ぎてきた時よりさらに長い列を成していた。
「今回、私達がここへ赴いたのは、一つ許可を頂きに参上したのですわ」
「許可……? 私に、何を許可してもらいたい、と」
唐突に飛び出た主の陳情に戸惑う閻魔。
妖忌はここへ来た以上、なにがしかの陳情をするのだろうと踏んではいた。
ただ、その内容は全く知らされていなかった。 そう、妖忌が知りたかったのはここからなのだろう。
「先にも言ったように紫は、この地では、この地に在る天人や神々に気を遣って派手な行動は避けてきたわ。 あくまでいち妖怪の範疇でしか行動してこなかった。 大地震によって起きる被害の責任はあの子自身が背負うとして、私が今回お願いに来たのは、紫を縛るモノの解放を許可してもらおうと伺ったのよ」
「すきま妖怪を縛るモノからの解放? すみません、話がまだ完全に理解しきれないのですが」
「うふふ。 では、言い換えましょう。 “紫が全ての力をもって戦う事の許可をください”。 これならばおわかり頂けるかしら」
ここで映姫は理解した。
天人や八百万の神々に気を遣い、力を抑えていたすきま妖怪が全力で戦うことの意味するところ。
幻想郷を治めているのは実質あのすきま妖怪と、死者を統べるこの四季映姫。
しかし、四季映姫はこの島国に古来から居る十王が作った組織「是非曲直庁」直轄の者であり、八雲紫にしてみれば立場的には上にあたる。
つまり上からの許可をもらえば全力で戦える名目が出来るわけだ。
四季映姫は返答に窮する。
許可を願い出るということは、それだけの意味がある。
つまり、神々との間で是非曲直庁の立場を危ぶめるおそれすらある。
そこまで理解した上でその許可を軽々しく出すなど、いくら四季映姫とはいえ出来る筈もない。
「……お話はわかりました。 今すぐ答えを出すことは出来ません。 しかる後に使いの者を冥界に派遣致します」
この場ではこう言う他無かった。
しかし、幽々子は非常に満足げな表情で扇子を閉じた。
「素敵なお返事、期待していますわ」
そう言って踵を返し、ふわふわと三途の川へと引き返し始めた。
妖忌も閻魔に会釈をし、慌てて先行する主を追った。
帰り際、返答を延ばされたことに対し、魂魄妖忌は主に自分の思惑を投げかけた。
「幽々子様、先ほどのお話。 閻魔は許可を出してくれるでしょうか」
主は少し意外そうな顔をしながらくすくすと笑って庭師の疑問に答える。
「出すわよ。 閻魔の腹はおそらく決まっているのよ。 だけど建前として返答を伸ばしたに過ぎないわ」
「決まっている、のですか」
「確信に至る根拠はふたつあるわ。 あの閻魔は自らの中に絶対の正義を持っていることと、あの閻魔は幻想郷を愛しているということ」
ある程度語り尽くしたからなのか、主の口から出る言葉は非常に理解しやすいものとなっている。
やはり、妖忌にはここまでの事は閻魔との対話まで黙っていた、と見るべきだろうか。
「天人達の方に非があり、紫の正当性を訴えることで閻魔の正義感としての秤は、紫に傾くわ。 それに、彼女の直接の指示ではないとはいえ、死神が要石の件の後、早々に例の名居の者を討ってしまった。 そのことで、閻魔側への責任を問うべき所もあるしね。 また、幻想郷で生まれ地蔵として過ごし、あの地を見守ってきた閻魔にしてみれば、幻想郷を治める紫が不利な立場になるのは、好ましいことと思わないでしょう」
「言われれば……確かにそうですな」
「それでも、建前を弄し返事を延ばしたのは、紫の力を解放することに許可を願い出る、という所に意味をちゃんと見たからよ」
それ程までに影響力を及ぼすもの……なのか。
妖忌は数百年紫の側に仕えていたが、ついには彼女の底を見ることは叶わなかった。
表面上に見える所より遙かに深い場所に紫の底があるのだろう、という予感は常々あったが、それを計ることは部下として主への不敬になるだろう、と彼は敬遠していた。
「閻魔はああやって緩衝する時間を置くことによって、自分たちに降りかかるであろう天人や神々の火の粉を少なくするための時間を設けた。 生真面目で常々問いに即答してくるあの閻魔にしては上出来な判断よ」
「おおむねは理解致しました。 しかし、ひとつ……疑問が残ります。 幽々子様はいつ紫様とこのような段取りを取られたのですか」
妖忌の問いが可笑しかったのか、再度幽々子は口に袖を当てくすくすと笑みを浮かべる。
「将棋や碁で勝つコツはね、相手が何をしたいのか、どこを取られたら嫌なのか、相手側の立場で盤をひっくり返して眺め、先読みし手を打つのよ。 紫のここまでの経緯、起こしてきた行動、それらの材料からこれから何がしたいのか、私に何をして欲しいのか。 その辺りを推察すれば、自ずと見えてくるものよ」
言われれば何のことはない、筋の通った道理ではあるものだが、そこに至るまでの過程と結果をほとんど言葉を交わさず、ここまで組み立てられることなど容易ではない。
改めて自分の主と、それを見越していた元主の洞察力に恐れ入り、敬服する妖忌であった。
「あ」
すると突然主人が何かを思い出したように声をあげる。
「どうしました、幽々子様」
「お茶菓子、もらい損ねちゃった」
頬に手を当て心底がっかりする主を見て、敬服した気持ちが一瞬にして瓦解しそうになったが、こんな暢気さもまた幽々子たる所以だろう。
そして、数日後。
想像以上にしっかりした書面で八雲紫の力を解放を許可する旨の書類が白玉楼に届けられた。
冥界から一匹の質量を持たない蝶が争いの激化する富士の地へ飛び立った。
真面目ではあるけど、生真面目ではないし。
それ以外はいいと思う。
続きが楽しみです。
それはそうと、変な具合に人の台詞などに行間があいていたり
するのですが・・・。
映姫様の立場がなんとなく弱く見えた気がしたのですが、幽々子様のカリスマのせいですねわかります
さあ、早く続きを書く作業に(ry
生まれて経験をつまないと成長出来ない人間とは違って、存在したその瞬間から理想の結晶であり完成した存在だから。(神奈子諏訪子とかも)
だから妖怪も人間も、例えば昨日誕生したばかりの神様にも頭が上がらないと思う。
そのあたり気になるところだけど、とりあえず続きは楽しみにしてます。
久しぶりに熱いSSを見ました。続き期待してます。
(態度は下手でも懲りてないところがらしいけど)
矛盾は気づくと気になっちゃうね。
と言うわけで、評価は完結まで保留です。