幻想郷の地下深く。
忌み嫌われた妖怪達が、隔離されている世界。
尤も、隔離されていると言うのはもう過去の話。
私のペット達はしょっちゅう地上に行っているし、逆に地上の者たちがこっちに来るようにもなった。
かくいう私も、最も忌み嫌われた妖怪「さとり」と言う存在でありながら、最近ではたまに地上に顔を出す。
この無駄に広い地霊殿で一人静かに過ごすよりは、ずっと有意義だとも思う。
「…ふうっ…。」
私は自室でお茶を傾けて、一息つく。お茶請けが今は無いのが少し寂しい。
なんと言うか、最近私自身が少し変わったなぁ、と言う気がする。
今までの私ならば、地上に少しでも関わりを持とうとなどとは、考えなかったであろうに。
私は最も嫌われている妖怪。心を読む力を持っているのだから、そんなのは当たり前の話。
そんな事は最初から判っているし、今更その事にどうこう言おうとは思わない。
…と言うより、もうそんな事をいう必要も無いのかもしれない。
確かに私は嫌われ者の妖怪だ。だけど、この間紅白巫女や白黒魔法使いが来て以来、なんだかそれが如何でも良くなってしまった。
心を読む私、相手の考えが判る私。
だけど、そんな私でも、あの2人には敵わなかった。相手が何をするかが判っているのに、だ。
…負けた事は勿論、そう喜ばしい事ではないだろう。
だけど、私は負けた事によって少しだけ、自分が他の人との関わりを持てるのではないか、と思えるようになった。
だって、今の地上には私の力すらものともしない人間もいるのだから…。
「…あら?」
私はふと、廊下から足音のようなものを聞いて振り返る。
一人分の足音。それだけで、もうこの足音の主が誰であるかなどと考える必要はなくなる。
今は大体昼下がり。ペットのおくうとお燐は、一緒に地上に出かけている。お茶請けの饅頭も買ってくるように頼んであるし。
あの2人が遊びに行くと、夜になるまで帰ってこないので、どちらかが先に帰って来たということは考え難い。
そして紅白巫女や白黒魔法使いなら、多分足音はしない。
地下に行くのがめんどくさいと思っていた巫女の方は、歩くのがめんどくさいという理由で、飛んで移動するだろう。
地霊殿で色々物色しようと考えていた魔法使いの方は、足音を立てるわけには行かないから、飛んで移動するだろう。
となると、残りは1人だけ…。
…これだけ広い地霊殿で、足音を聞くだけで誰かが判るなんていうのも難儀な話だと思う。
それ以外に足音を立てる者がいないから。
…折角地上と地下がある程度繋がるようになってきたんだし、地霊殿の一部を宿泊施設にでも変えようかしら?
そんな事は如何でもいい。私は足音のするほうへと歩を進めた。
予想通り、暗い地霊殿の廊下を歩いていたのは、私の妹のこいしだった。
「こいし、帰ってたの?」
こいしはこの世で唯一、私が全く心を読む事の出来ない存在。
私と同じ「さとり」でありながら、第3の瞳を閉ざしてしまった存在。
放浪癖――と言えるのかはよく判らないけど――があるこいしは、ふらっと遊びに出かけて、ふらっと帰ってくる。
実際今回も、出かけたのは確か一昨日だったはず。
こいしは決まった時間に帰ってくるわけでもないし、この時間の帰宅も別に驚く事でもない。
…ただ…。
「………。」
私が声を掛けたにも拘らず、こいしは全く反応しようとしなかった。
…あれ?実は私って無視されるほどに嫌われていたのかしら?
いや、まるで反応しなかったところを見ると、無視したと言うよりは気付かなかったという感じだ。
…おかしい。今が無意識状態だとしても、私の声に反応しないと言う事は、今まで殆ど無かったのに…。
「こいし。」
「ひゃわあっ!!」
少しだけ大きな声で呼んでみると、ビクンと肩を震わせてすくみ上がるこいし。
…そのあまりの驚きっぷりに、こっちが逆に驚いた…。
「お、おおおお姉ちゃん!!びっくりさせないでよぉ!!」
顔を少し赤くして叫ぶこいし。
いや、そんなに驚かれるとは思わなかったわ。
「…こっちが吃驚したわよ…。」
私の心臓もまだ少し慌てている。こうも驚いた事ってどれくらいぶりかしらね…。
「おかえりなさい。それと、どうしたの?
何かボーっとしてたけど、疲れてるのかしら?」
私の声にも全く気付かなかった辺り、疲れてボーっとしてたと言うのが一番しっくり来る考えだと思う。
これが他の相手だったら、嫌でも心が見えるので、判りやすいのだが…。
ただまあ、疲れているなら骨休めの意味も併せて、お茶でも一緒に飲もうかと思ったのだが…。
…私の問に、こいしは一瞬だけ、とても悲しそうな表情を見せた…。
「あ、う、うん。ちょっと色々なところ行ってたから。
あはははは、無意識だからって、やっぱり疲れるときは疲れるんだねー。」
笑顔でそう言うが、私にはそれがただの作り笑顔である事は判っていた。
こいしの心だけは見えない以上、私はこいしの表情から心を察する事にだけは、ある程度長けている心算だ。
それにまあ、妹なのだし。
「…あら、そう。だったら一緒にお茶でも飲まない?その序に、その話をしてくれるかしら?」
何か隠している事は判っているが、隠そうとしている以上は、無理に訊こうとは思わない。
だから、お茶でも飲みながら話を聞いて、それで何があったのかを判断しようと思ったのだけど…。
「えっ、あ、その…。わ、私疲れてるから、お茶はまた今度にして?そ、それじゃね、お姉ちゃん。」
私が止める間もなく、こいしは慌てて立ち去ってしまう。
…こいしがこうして私の誘いを断ると言うのも、非常に珍しい事だった。
普段特に何もする事がないから、仮に疲れていても、お茶くらいなら一緒にしてくれるのだが…。
珍しいの域を通り越して、最早有り得ない。あのこいしが他人の、しかも私の誘いを断るだなんて…。
それに、あの慌てようは一体…。
「…私、そんなに嫌われてたの…?」
何か悩み事のようなものがあるのは判るのだけど、それも相談してくれないだなんて…。
こいし…、…お姉ちゃん、何か悪い事しちゃった?私はこいしの事は人一倍大事にしていた心算なんだけど…。
それとも私って、そんなに頼りない存在だったのかな…。悩み事すら相談されないほど…。
ああ、地上の者に嫌われて、妹にも嫌われたら、私はどうすれば…。
「…はぁ…。」
色々な負の感情を吐き出すようにため息をついて、私は残してきたお茶を飲みに、自室へと戻った…。
* * * * * *
「ただいま帰りましたー!」
「ただいまー!!」
あれから凡そ5時間ほど、そんな声と共に私の部屋の扉が開く。
何かと考えるまでも無い。お燐とおくうが帰って来たようだ。
この二人にしては結構早かったけれど、出来れば今日はもう少し遅いほうが嬉しかったなぁ…。
「…ああ、おかえりなさい…。」
昼間の件で、私の気分は最悪を通り越した最悪だった。
多分灼熱地獄最深部よりも今の私の心は沈んでいる。
ああ、こいし…。…お姉ちゃん、こんなに落ち込んでるのは久しぶりだわ…。
「さ、さとり様?どうされたんですか?」
―― さとり様が落ち込んでるなんて珍しい…。どうしたんだろ…。 ――
お燐の顔を見ると共に、お燐の心が目に浮かぶ。
ああ、ありがとう。あなたは私のことを本当に心配してくれてるみたいね…。
普段能天気なところがあるお燐だけど、こうしてちゃんと私の事を考えてくれるのは嬉しい。
「さとり様、落ち込んでると身体に毒ですよ。」
おくうも続けてそう言う。
ありがとう2人とも、私の事を心配…。
―― 発情期かな…? ――
…次の瞬間、私はおくうの顔を力の限りぶん殴っていた。
「いたぁっ!!きゅ、急になんですかぁさとり様!!」
―― な、殴ったね!?親父にもぶたれた事無いのに!! ――
何をぬかすかこの出歯地獄鴉。そして何を考えてるんですか。親父って誰ですか。
誰が発情期だ。誰がそんな事で落ち込むか。その言葉は妖獣のあなたの方が相応しいでしょうが。
「…おくう、あなたのお陰で憂鬱な気分が晴れましたよ。ありがとうございます。
お礼も兼ねてあなたにこの鉄拳をさしあげたいのですが、あと何発所望しますか?」
ぽきぽきと指を鳴らす。
私は見た目がこれだから、ひ弱と思われがちだが、何処までいこうと妖怪は妖怪である。
結局のところ、腕力は人並み以上に高いと言う事ですよ。
「じょ、冗談ですってば!!本当に発情期だ何て思ってるわけないじゃないですか!!」
「ほう、あなたはそれを口に出したわけではありませんよね?
あなたは心でそれを考えましたよね?そこのところを説明願いたいのですが?」
「あぁ~、いや、それは、その!!」
やっぱり頭はよろしくないですね、おくう。
物忘れの激しい鳥ゆえの宿命。その虚しさを今この場で噛み締めなさい。
ゴツンッ!!
と、いい音を立てた私の拳骨で、おくうは目を回して倒れた。
まあ、どうせその内復活するでしょう。頭の中は空っぽですし。
「あ、あのー。さ、さとり様?」
―― 何この展開…。…付いていけない…。 ――
マトモな感想を心の中に抱くお燐。
口調や性格だけで判断するなら、おくうの方がマトモそうなのだけどね。
猫と鴉と、どっちが頭が良いかと言われたら、ねぇ…。
…とは言っても、鴉自体はそこそこ頭のいい動物であるはずなのだけれど…。
「お燐、後でおくうを灼熱地獄に放り込んできて。」
「いやいやさとり様、私はその程度では死にませんよ。なんたって今は神様ですから。」
もう復活したよ。頭が空っぽなだけに、痛みだのなんだのを忘れるのも早いのかしら。
そう言えば、今のおくうは八咫鴉を取り込んで、究極の力を手に入れたんでしたね。
お燐がその事を隠そうと頑張っていたらしいけど、結局全部終わった後におくう自ら言ってきたのだから、やっぱりこの子は馬鹿だ。
まあ、別に勝手な事をやらかしたからって、怒る気は無いけれど。最初からあなた達は放し飼いにしていたのだし。
「そうですね、じゃあ後でおくうを好きにしていいです。責任は私が取りますから。」
炎で死なないのであれば、精神的にダメージを与えた方がいいでしょうね。
「うにゅ…?さ、さとり様?」
「おおっ!!さすがさとり様話が判ります!!さあおくう、後であたいと仲良くフュージョンしましょ?」
「ちょっ!!お燐!!あんたのフュージョンは半端ないから却下!!」
「ダメダメ、さとり様が許可してるんだから。あたいから逃げられると思わないでねっ!」
「嫌!!絶対嫌ッ!!さとり様助けてくださいぃ!!」
何故か私の方に救援要請が。
…二人の言うフュージョンが何を指すかは想像に…。
…何を考えてるんですか…。私は心が読めるのですよ?
と、そんな事は如何でもいい。折角なので、此処はこの状況を利用するとしよう。
「…そうですね、では私がこれから言う事に、納得いく答えが出せたなら今言った事は取り消しましょう。」
私のその言葉に、おくうは歓喜の表情を、お燐は納得いかないとの表情を浮かべる。
―― た、助かった…!!――
―― え~っ?さとり様空気読んでくださいよぉ~…。 ――
どっちがどっちの心の内かは語るまでもありませんね。
おくう、既に助かったと思っている時点であなたの負けは濃厚ですよ。
お燐、おくうが私の相談事にマトモに回答できると思っているのかしら
まあ、私としてはおくうとお燐が何しようが知った事ではない。
だったらある程度利用してから処罰を与えたほうが、色々と好都合である。
どうせじゃれあう程度なのだから、間違ってもおくうが死ぬ事はないだろうし。
「…で、結局どうしたんですかさとり様。さっきも言いましたけど、ああも落ち込んでる姿を見るのは初めてですよ?」
―― 早く何でもいいから言ってください。お燐の目が…!! ――
ジト目でおくうを眺めるお燐。放っておきなさい、全く…。
それにしても、私が落ち込んでる姿はそんなに珍しいのですかね。
…って、相手はおくうだった。本当に初めてだとしても、おくうにとっては何時でも初めてですね。
「…まあいいです。実は…。」
私は昼間の事をおくうとお燐に話す。
こいしの様子が変だった事、こいしが私を避けている事…。
「…私はこいしの事を考えて言った心算だったのだけど…。…私は、そんなにこいしに嫌われていたのでしょうか…。」
思い出している内に、また落ち込んできてしまった。
今まで人一倍こいしに気を使ってきた心算だったけれど、あの子にとってはお節介でしかなかったのかしら…。
「…えっと、さとり様、それ本気で言ってますか?」
―― まさかさとり様がこんな事言うなんて…。 ――
…と、私の話に対して、何処か呆れた様子でそう聞き返すお燐。
本気で話してるからこそ、こうしてネガティブな気分になっているのだけれど…判らないかしらね…。
「本気です。…今更になってこうしてこいしに嫌われてしまったら、私はどうすれば…。」
ああ、本当にそんな事になったら今すぐにでも首を吊りたい。
首吊った程度じゃ死なないとは思いますけどね…。
「…さとり様…?」
―― やっぱり発情期かな? ――
バキッ!!といい音を鳴らして、私の鉄拳はおくうの顔面へと再び。
「いったぁい!!ま、また殴りましたね!?」
殴りますよそりゃ。あなたもいい加減にしなさい。
…どうしてこの子はこうも学習しないのか。いやまあ、学習した傍から忘れるのでしょうけど。
「あなたはどうしてそんなにその単語に拘るのですか。
…まさか、今あなたがその時期なのでしょうか?」
瞬間、おくうの肩が跳ねる。
「えっ、あっ、そのっ…!!」
―― あー!!あー!!ど、どうしようどうしよう!!言い訳は!!何かいい言い訳は!! ――
図星だとは思いませんでした。鴉の発情期ってこの時期だったかしら?
まあいいです。その辺はお燐に任せるとしましょう。
「そんな事はどうでもいいです。とにかく、どうしてこいしが私を避けるのか、私の何がいけなかったのか…。
…それを考えて欲しいのです。このまま理由も判らずに、こいしに嫌われるのは嫌なので…。」
ペットにこんな事を聞くのだから、私も躍起になったものだと思う。
だけど、こんな事を相談出来るのもまた、この子達しかいないのだし…。
「…あの、さとり様。こう言うのも難ですけど…。
…こいし様がさとり様の事を嫌いになるなんて、どう考えても有り得ないと思いますよ?」
―― 全く、そんな事で悩んでるなんてさとり様らしくない…。 ――
「そうですね、お燐の言うとおりです。
さとり様とこいし様は姉妹じゃないですか。そんな事あるはずないですよ。」
―― 心を読むくせに心を理解するのは苦手なんだなぁ…。 ――
…と、矢次に私の言葉を否定するお燐とおくう。
「えっ?…で、でも、現にこいしは…。」
私の頭が少々混乱し始める。
だって、昼間確かにこいしは、私を避けているようだったし…。
私はこいしに、話もしたくないほどに嫌われているのかと…。
「あのですね、さとり様は普段地霊殿やペットの管理で忙しいから判らないかもしれませんが…。
年頃の女の子には、人に話したくない悩みの一つや二つ、あるのは当たり前ですよ。」
心の底から呆れた様子のお燐。
年頃って…、…あの子も結構な年よ?私よりは年取ってないとは言え…。…妹だから当たり前だけど。
「馬鹿ですねぇさとり様。実際の年なんて関係ないです。
こいし様みたいに純粋な方は、何時になってもそういう悩みというのを持ってしまうものですよ。」
なんだかおくうに心を読まれた…。…確かにあまり気分がいいものじゃないですね…。
…馬鹿って…、他の誰に言われても、あなたにだけは言われたくありません。
「で、でも、だったら何で私に…。」
「だぁ~かぁ~らぁ~。さとり様にだって話したくない悩みなんですよ。」
お燐の口調が強くなる。ううっ…、…私が気圧されてる…?
「そういう悩みを無理に聞くと、本当に嫌われますよ?さとり様にも知られたくないみたいですからね。」
トドメのおくうの一言。
結論。私は碌に少女らしい人(?)生を送って来なかったということですか…。
それはまあ、確かに地霊殿の管理やらで滅多に遊ぶ事もなく、少女らしい事をした記憶など、本当に僅かだが…。
「…そうですか…。…はぁ…。」
なんだか無性に虚しくなった。
自分の年齢やら性格やらを考えれば、とてもじゃないが私は少女とは言えない。姿はともかく。
私に比べて遥かに子供っぽい(?)こいしの事は、判らなくて当然と言うことですか…。少女さとりは何処…?
…ああ、今からでも青春取り戻したいです。無理ですね、はい。
「…あの、さとり様?」
―― さっきから落ち込んだりおくうを殴ったり忙しいなぁ。 ――
お燐が心配そうに私の顔を覗き込む。心の中は本当に心配してるのかは微妙だが。
「…自分が思うほど若くないという事はよーく判りました…。…ありがとうございます…。」
お礼を言うところなのか、それとも遠回しに(こいしに比べて)年配扱いされていたことに怒るべきなのか…。
…とりあえず、前者を取っておいた。なに言われるのも覚悟の内で、二人に相談したのですから。
「…で、さとり様。納得いったみたいですから、処罰はなしですよね…?」
…いや、おくう。人が落ち込んでる時にその発言はないでしょう。137行前の台詞を覚えている事には驚きですけど。
…覚えていた分、お燐の目つきが険しくなる…。
「…判りました。約束は約束です。」
私がそう言うと、おくうは飛び上がって喜び、お燐は膝を付いて落胆する。
…どうして此処まで反応に差があるのかしら?あなた達親友同士じゃなかったのかしら?
「二人とも、ありがとうございました。とりあえずは、こいしが自分から話してくれるのを待つ事にしますよ。」
二人に向けて頭を下げる。悩みが解決したのは事実ですからね。
「いえいえ、お役に立てて幸いです!それじゃ私は部屋に戻りますので!!」
「ああっ!!待ってよおくう~!!」
慌てて部屋を出ようとするおくうに、涙目で縋りつくお燐。なんなんだこの光景は。
本当にこの二人が仲が良いのかが判らなくなってきた…。
因みに今までは旧地獄跡で暮らしていた二人だが、あの一件以来は時々地下に戻らず、そのまま地霊殿で過ごすこともある。地上に行きやすいから、という事で。
別に部屋は幾らでも空いているし、お燐とおくうが少しでも身近にいれば、こいしもちょっとは安心するでしょう。
―― フュージョンしようよぉ~!! ――
―― 五月蠅い!!離せぇ!! ――
―― お~く~う~!! ――
―― しつこいぃ!!この変態猫ぉ!! ――
…あー、お互い口に出してないのに会話が成立してる…。やっぱり仲は良いんですね。
全く、じゃれあいなら別の部屋でやってくださいよ…。
とりあえず二人を追い出して、もう一度お茶でも飲みますか…。
…と、そんな事を考えているうちに、私はある事を思い出す。
「おくう、そう言えば頼んでおいた饅頭はどうしたのかしら?」
お茶請け用に頼んでおいた饅頭。ちゃんとメモに書いて渡したはずだし、それでも忘れるかもしれないから、お燐にも言っておくようにと…。
…お燐とおくうのじゃれあいが瞬間氷結。
そして見る見るうちに青ざめていくおくう。
「…あっ…。…いえ、その…。」
―― …お饅頭…。…メモ…。…そう言えば…。 ――
…この反応だけでもうどうなったのか判りますよ、ええ。
放心しているおくうのスカートのポケットに、お燐が手を突っ込む。
…そして、お燐はポケットからぴっしりと折られたメモを発見。綺麗に折れているので、一度も開かれていないというのが判る。
…ああ、私はおくうの記憶力の悪さを嘗めていましたね。
流石にメモを渡して、その後すぐに合流するお燐にも言っておくようにと伝える、そうすれば大丈夫だと思ったのですが…。
…まさか、私がその事を話してからお燐に合流するまでのほんの少しの間に、その事を忘れるとは…。
私に言われて思い出しただけ、立派でしたけどね。
「…お燐、やっぱりさっきの言葉は取り消します。好きなように調教してきなさい。」
「さとり様ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「さすがさとり様!!さあおくう!!もう逃げられないからね!!」
一気に気力を取り戻したお燐。そして反対に一気に脱力するおくう。
その一瞬の隙を突いて、お燐はおくうを引きずって廊下へと飛び出す。
…まあ、饅頭忘れた罰ですし、私の部屋で暴れられるよりはましですね。
尤も、忘れっぽいおくうにそんな事頼んだ私にも非がある気はしますが、まあそこは黙っておきましょう。
「いやぁ!!さとり様ぁ!!助けてええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
…ぱたん、と部屋の戸を閉めて、おくうの断末魔が耳に入らないようにする。
何で神の力を持つおくうがああもあっさりとお燐に引きずられていったのか、気になるかもしれませんが…。
おくうは地霊殿にいる間は、核の力を使う事はありません。
そんな力を使っては地霊殿が吹き飛ぶので、後で私から恐ろしい罰があると思っているのでしょう。
つまり、おくうは地霊殿にいる間は唯の地獄鴉なのです。あとはまあ、猫と鳥の宿命という感じで。
…勿論、おくうが本気を出せば、私だって勝てるとは思いませんが…。…そこに気付かないあたり、やはりおくうはおくうですね。
「…さて、お茶でも淹れてきますか…。」
お茶請けはないけどお茶は飲みましょう。
今後のこいしへの対応についても、ゆっくり考えたいことですし。
もうおくうの声が聞こえる事はないだろう、そのくらいの時間を待ってから、私はお茶を淹れるために部屋を出た…。
* * * * * *
「…さて、こんな物かな…。」
戌亥の刻、私は今日の仕事…と言っても、怨霊だのなんだのが溢れてないかチェックしただけだが…を終えて、自室に戻っていた。
あの後おくうとお燐がどうなったのかは知らない。別に知りたくもないけれど。
何されていても、どうせ明日の朝には元に戻っているでしょう。
「…それにしても…。」
今の私には、ペットのじゃれあいの中身よりも気になる事がある。
先ほどのおくう達との会話で、こいしに何か悩みがある事は判った。
…だけど、こいしは一体何を悩んでいるのだろうか…。
私にも知られたくない悩み、それは一体なんだろう…。
おくう達にはあまり考えない方が良いとは言われたが、それでも気になってしまうものは気になってしまう。
こいしはまあ、悪く言えば結構能天気だ。
無意識を司る能力を差し引いても、元々のこいしの性格もそうである。
別に私が何かする事を禁じてるわけでもない。自由に何でも出来るし、自由に何でもするだろう。
何かしたくて、或いは何かが欲しくて堪らないと言うような悩みなら、私に言えない道理はない。
悩みと言う言葉が、こいしほど似合わない者は、他におくうしか私は知らない。
…それに、今朝こいしが見せた、あの悲しそうな顔は…。
…あんな表情、今まで一度だって見せた事なかったと言うのに…。
そもそも、今のこいしには「悲しい」と思う心は持ち合わせていないはず…。
心の瞳を閉ざしたが故に、あの子は心そのものを閉ざしてしまったのだから…。
だからこそ、心が読めるはずの私が、こうしてああだこうだと考えてしまうのだから。
「…考えても、仕方がありませんか…。」
…私はそこで、スパッと思考をとぎる。
考えても仕方がない。こいしの心が読めない以上、心を閉ざしている以上、私に判る事は何一つない。
もしもあの子が、閉じた心を開いて、私に話してくれるか…。
…或いは、私の第3の目の力が、あの子の閉ざした心を超える力を発揮しない限りは…。
…私は何時も思っているんだけどなぁ…。
…私のこの目が、あの子の閉ざした心も開ければ…。
…私の心が、もっと強ければ…。
「…寝ますか。」
そう思って、私は布団に潜る。
夜は基本的に妖怪が活動する時間のはずだけれど、地下世界ではそんな事は関係ない。一日中夜なのだから。
好きな時間に寝れば良い。何時だって夜なのだから、何時だって睡眠開始時間。
私の場合、それがたまたま人間と同じこの時間なだけの話である。
…そう言えば、心を閉ざしたこいしは、夢を見る事はあるのだろうか…。
夢もまた、自分の心の象徴。心を閉ざしてしまったあの子に、夢を見る事は出来るのだろうか…。
「…こいし…。」
私は今一度、大切な妹の顔を思い出す。
…私に、あの子の悩みを、少しでも掬い取ってあげる事は出来るのかな…。
あの子が何時でも笑っていられるようにしてあげる事は…。
あの子の閉ざした心を、もう一度開かせる事は…。
…そんな事を考えているうちに、私は自分の意識を、次第に手放していった…。
* * * * * *
…何故だろう。身体に力が入らない…。
…此処は、何処…?…どうして私は、こんなところにいる…?
身体が小さく上下する。空を飛んでいる時…と言うより、水に浮いているような感じだ…。
―― ここは…?
…声に出した心算だったけど、私の耳に自分の声は届かなかった。
耳が利いていないのか、それとも喋れていなかったのか…。
…いや、前者ではないことはすぐに判った。なぜなら…。
「…うっ…く…。…どうして…。…どうして…。」
小さな泣き声と共に、そんな声が私の耳に届いたから…。
…今の声は…こいし?
声のする方に首だけ傾けてみると、そこには確かに、こいしの姿が…。
「ううっ…くぅ…。」
泣いている。
こいしが泣いている。
それを見ただけで、私は此処が何処なのか、何故自分が此処にいるのか、そんな疑問を何処かに放り出した。
―― こいし!!
私の叫びは、やはり声にはならなかった。
…声にならないなら、直接あの子の所に…。
そう思って、身体を動かしてみる。…よし、声は出ないみたいだけど、身体は動かせた。
…だが、そうしてこいしの元へ向かおうとすると、私の身体は何か見えない“壁”のようなものに阻まれた。
―― くっ…!!邪魔をするな!!
私が幾らそう意気込んでも、その見えない壁は、私とこいしを隔絶し続ける。
―― こいし!!こいしっ!!
壁をドンドンと叩きながら、私は声にならない声で妹の名前を叫び続ける。
しかし、こいしは私に気付くことはなく、ただただ蹲って泣き続けていた…。
「なんで…、…なんで…誰も…。」
こいしのその姿を見ているのが、たまらなく辛い。
こんな近くにいるのに、私は声を出せない。近づけない。その涙を拭ってあげられない。
嫌だ…!!こんなの、こんなの…地下に封じられるよりも…他の者に嫌われるよりも辛い…!!
ただただ、こいしが泣いてるのを、黙って見てるしか出来ないなんて…!!
「…誰も…誰も…気付いてくれない…。」
…えっ?
見えない壁を叩いていた私の手が、こいしのその言葉で止まってしまう。
気付いてくれない…?…こいし、あなたは何を…。
「おくうも…お燐も…お姉ちゃんも…。…誰も…誰も…。」
…私が…?それに、おくうもお燐も…?
何のこと…?私が気付いていないって、一体何に…。
「こんなに辛いのに…。…こんなに辛いなら…。」
「…閉じなければよかった…!!」
…ッ!!
閉じる…?
こいし、あなたはまさか…!!
「…もっと知りたいのに…。…もっと一緒にいたいのに…。」
大粒の涙を流し、天を仰ぐこいし。
…その口から、こいしの心の全てが零れ出た…。
「…誰か…私を見て…!!」
こいしのその小さな叫びで、私は確信する。
…間違いない…。
…こいし…それが、あなたの心なの…?
それがあなたの心なら、あなたが今抱えてる“悩み”って…。
…誰かに“気付いてもらう”事…?
…こいし…!
こいし!!こいし!!
「こいしっ!!!!」
…初めて出たその声と共に、私の視界は一転する。
私の目に映っていたのは、見慣れた私の部屋の天井だった。
「…あれっ…?」
一瞬、私の思考が停止した。
しかし、次の瞬間には状況を把握する。
此処は私の自室。私は今布団の中にいる。これを踏まえれば、答えは一つしか出てこない。
「…夢…?」
…今までのは、全部夢だった…?
いやまあ、確かに今のよく判らない世界に行く前は、自分の布団に潜ったのが記憶の最後だ。
多分、夢だったんだろう。いや、確実に夢だったんだろう。
…だけど、唯の夢だったんだろうか…?
夢は心の一つ。夢は心を映す鏡。
私はこいしの悩みがなんだったのか、昨日眠りに就くまで知らなかった。
知らなかったはずなのに、今の夢ではやけにリアルに、こいしは自分の心の内を晒していた。
さっきのこいしの言葉が、少しでも真実ならば…。
…何故私の夢に、その心が具現したのか…。
私は知らなかったはず。こいしの心を知る事は出来ないと、諦めていたはず…。
こいしは心を閉ざしている。その心は、さとりの目でも見る事は出来ない。
こいしが、心を閉ざして…。
「…えっ…?」
そこで私は、とある仮説が頭に思い浮かぶ…。
勿論それは、さっきの夢が真実だったらの話だけど…。
もし真実だったらと仮定して、何故それが夢に具現したのか。
夢に具現するには、私がその事を知っていなければならない。
だけど、私はその事を知らなかった。
…少なくとも“私自身”の意識の中では…。
私自身は気付いていなかったけど、別の私が気付いていたとしたら…?
私は左胸の第3の目を見下ろす。
今は私の前には誰もいない。誰の心も映る事はない。
誰かが私の目の前に立てば、私は“無意識”にその心を見る事が出来る…。
「…無意識…。」
…もし、今のこいしの心は、完全に閉ざされてはいなかったら…。
完全に閉ざしたはずの心が、ほんの少しでも開いていたとしたら…。
…私の第3の目は、こいしのその僅かに開いた心を、無意識に感じ取っていた…?
「………。」
確証があるわけじゃない。唯の憶測かもしれない。
だけど、何故か私は今、その推理が正しい気がしてならなかった。
だって、それなら納得がいくからだ。今の夢の理由も、こいしの言葉の理由も。
常日頃思っていた…。
私のこの第3の目がもっと強力なら…。
あの子の心を救ってあげられるかもしれないのに、と…。
…私の思いが、この心の目に届いてくれたのだろうか…。
「…よし。」
おくうとお燐には、無理に聞くべきではないと言われたけれど…。
…今、私はこいしと話さなくてはいけないと思った。
ひょっとしたら、あの子を余計に傷つけてしまうかもしれないけれど…。
…それでもいい。私はもう、嫌われても構わない。
あの子の心を、開くためにも…。
…あの子の願いを、叶えるためにも…。
* * * * * *
私はこいしの部屋へと急行する。
まだ朝早い(私の感覚的には)ので、ペット達もまだ寝静まっている。
しんと静まり返った地霊殿の廊下を、私はただただ急いで、こいしの元へと向かっている。
「こいし…。」
…私が今からしようとしている事は、ただのお節介だ。
あの子は無意識の能力に満足していた。私のように嫌われ者になる事を、望んでいなかったから。
あの子の心を開いてしまえば、また「さとり」としての能力を持ってしまうかもしれない。
そうすれば、こいしまで嫌われ者になってしまう…。
「…くっ…!」
頭を振って、私はその考えを無理やり外にはじき出す。
違う。確かに、また第3の目が開くようなことがあれば、こいしは嫌われ者になるかもしれない。
…だけど、それをさせないのが、私の役目じゃないのか?
こいしが心を開いて、尚且つ皆と共に在れる様にする。
それが、こいしの姉である私、古明地さとりの役目じゃないか?
あの子は嫌われる事を恐れて、第3の瞳を閉ざしてしまった。
それは私のせいでもあるんだ。あの子の恐れを消し去れるほどに、私が強くなかったから。
私が強い姉だったなら、こいしは瞳を閉じることはなかったかもしれない…。
…だから、今度こそ私は、こいしを守りたい。
妖怪である以前に、さとりである以前に、地霊殿の主である以前に…。
…私は、こいしの姉なんだ…!!
こいしを守る事が、こいしの願いを叶える事が、私の役目なんだ…!!
そんな事を考えているうちに、私はこいしの部屋の前に辿りつく。
…此処まで来たんだ。恐れちゃいけない。
こいしの心を開かせる。例え、こいしにまで嫌われる事になっても。
それ以上に、私はこいしに孤独になって欲しくはないから…。
「こいし、いるかしら?」
息を整え、心を落ち着かせてから、私はこいしの部屋の扉を軽くノックする。
しかし、中から返事は返ってこない。
ためしにもう一度ノックしてみるけど、2回目も反応は変わらなかった。
「………。」
…私の心を、一抹の不安が過ぎる。
ひょっとしてまだ寝てるか、既に出かけてる…?
…いやいや、それだと困る。此処まで意気込んで、当のこいしがいませんでしたなんて状況、恥ずかしくてたまらない。
仕方がないので、確認の意も込めて、私は部屋の扉を少しずつ開け、中を覗いてみる。
「…?」
部屋の中にこいしは…いた。
ついでに言うと、ちゃんと起きている。出かけるわけでもなさそうなのに、ご丁寧に何時もの黒い帽子まで被って。
…ただ、こいしの様子自体には、多少違和感を覚えた。
何故ならこいしは、ベッドの上に座りながら、ただボーっと宙を仰いでいるだけだったからだ。
「…こいし?」
聞こえるくらいの声で呼びかけてみても、やはり無反応。
無意識状態だと言うのは判るのだが…、…昨日と同じように、私の言葉すら耳に届いていないようだ…。
何故こんな無意識状態で座っているのかは判らないけれど、とりあえず今は…。
「こいし。」
「わひゃああぁぁぁ!!」
割と大声で呼びかけてみれば、昨日と同じく、また盛大に驚かれた。
予想していたとは言え、やっぱり少し驚く…。
「お、おおおお姉ちゃん!?い、何時からそこにいたの!?」
本当、其処まで盛大に驚かなくてもいいと思うんだけどなぁ…。
「つい今だから安心しなさい。…何でそんな誰もいないところで無意識になってたの?」
「えっ…?…う~ん、なんでだろ…。…意識して無意識になったわけじゃないんだけど…。」
意識して無意識に、と言うのも変な言葉だなぁ。
こいしにも、そうして能力が自由にならない時があるのだろうか…?
まあ、今はそれを考える時ではない。
「…まあいいわ。こいし、ちょっと話があるの。」
私はストレートに話を切り出す。
わざわざ遠回しに言うこともない。こう言うのは、直接言うのが一番だろう。
と、私が何時になく真剣な口調で言ったせいか、こいしは少し狼狽する。
恐らく、私に何を言われるのかが、何となく予想出来たからだろう…。
「え…。…あ、あははは…。む、難しい話ならあまり聞きたくないなぁ…。」
あくまで笑顔を作るこいし。
…心を閉ざしたあなたには、そうした作り笑いしか出来ない…。
心の底から、笑顔でいる事は出来ない…。…本当に「楽しい」と思えないから…。
「…難しい話だけど、聞いてくれなきゃ駄目よ。今回だけは、拒否する事は許さないわ。」
私も、多少厳しくいかないと。
これは私の、そしてこいしのこれからに、大きく関わるのだから…。
「…こいし、あなたは…。…今、その目を閉じた事を悔いている。」
こいしの肩がびくんと跳ねる。
やっぱり、私の考えに間違いはなかったみたいだ。
そうするとあの夢も、私の第3の目が、無意識のうちにこいしの心を捉えていたから…。
…初めて、この第3の目に本気で感謝した気がした…。
「無意識に行動する能力、あなたは第3の目の代わりにそれを手に入れ、最初はそれに満足していた。
だけど、今は違う。確かにあなたは、誰にも嫌われることはなくなった。」
こいしがだんだんと沈んでいくのが判る。
…嫌な姉だな、と自分でも思う。こうやって、こいしの心の傷を、さらに抉り返しているのだから。
…それでも、それがほんの少しの希望でもある。
…だって、こいしは悲しんでいるのだから。私にこう言われる事で。
悲しんでいると言うことは、こいしの心が、少しでも開いている確かな証拠だから。
「…誰からも嫌われる事はなくなった代わりに、誰にも存在を気付かれなくなった…。
…あなたは、誰からも好かれる事もなくなった。」
こいしの肩が今一度、大きく跳ねる。
…それが、こいしの最大の悩みだった。
「地上に出て、霊夢さんや魔理沙さんと関わって、あなたはそれを大きく感じたはず。
誰もあなたに気付かない。誰もあなたを嫌わないし、恐れないし、そして好きにもならない…。
…あなたは初めて後悔した。その第3の目を閉じた事を。」
この辺はただの憶測だった。
あの二人とこいしが、妖怪の山の神社で弾幕合戦をしたと言うのはそれとなく聞いている。
だけど、その内容まで知ってるわけじゃないし、霊夢さん達に聞いたわけでもない。
霊夢さん達がこいしの事をどう思ったかは知らないけれど…。
「好かれる事もなくなったから。誰にも自分を見てもらえなくて。
知る事も、知られる事もなくなったから。自分の心を閉ざしてしまったから。」
…その辺が、私の出した回答だった。
あの夢で、こいしは「閉じなければよかった」「私を見て」と言っていた。
閉じなければよかった、それは勿論、第3の目の事。それ以外にこいしが閉じた物はない。
こいしはそれを後悔していた。例え嫌われ者になっても、誰にも気付いてもらえないよりは、孤独になるよりは遥かにましだから。
誰にも気付かれない、誰にも知られない、誰にも好かれない…。
…それは、こいしのような純粋な心を持つ者には、耐え難い苦痛だ…。
だからこその、あの「私を見て」の言葉に繋がる。
こいしは誰かに、自分の事を見て欲しかった。
誰かに自分の存在を、気付いて欲しかった。
…誰かの事をもっとよく知りたいと思い、そして、もっと自分の事を知ってもらいたかった…。
「誰も気付いてくれない」…。
…それは、自分が悩んでいる事に誰も気付いてくれない、そんな意味ではなく…。
…こいし自身の、存在そのものに誰も気付いてくれない、そういう意味だった…。
「…お姉ちゃん、ひょっとして…。…私の心、見えたの…?」
今までずっと黙っていたこいしが、震える声でそう訊ねてきた。
…そう落ち込んでいるのに、若干その言葉に、ほんの少しの歓喜が含まれていた気がしたのは…。
…私が、心を読んだと思ったからか…。
じゃあ私は、もう一度こいしを崖の下に突き落とさなくてはならない…。
こいし、私に頼っては駄目…。
…あなたの心を開くのは、あなた自身なのだから…。
「…いいえ、見えてないわ。ただ推理しただけ。」
ここは正直にそう言う。
心が見えていないのは確かだし、今はこいしを甘やかしても駄目。
「…そっか…、…やっぱり…駄目なんだ…。」
…こいしのその時の表情は、まるでこの世の終わりを間近にした人間のようだった…。
こいしのこんな顔を見るのは、死ぬより辛いけれど…。
…今は耐えろ、。こんな辛さなど、こいしの傷に比べれば、大したことない…。
「…お姉ちゃんの言うとおり。私、今凄く後悔してる…。
どうしてこの目を閉じちゃったんだろう、どうして「さとり」である事をやめちゃったんだろう、って…。」
静かに、自分の胸の内を明かし始めるこいし。
…本当に頑張らなきゃいけないのは、此処からだ…。
こいしがまた笑ってくれるかどうかは、私がどれだけこいしを判ってあげられるかに掛かってる…。
「おくうに力を与えた神様の神社に行った時、判ったんだ…。
妖怪の山で、誰も私に気付いてくれなかった。
河童も、天狗も、あの神社の巫女も、私に気付いてくれなかった…。」
私はただ、黙ってこいしの言葉を聞き続ける。
「本当はそれで良かったはずだった。私は、今までずっとそうしてたんだから。
誰にも気付いてもらえなくても、それで別にいいと思ってた…。…だけど…。」
こいしは其処で一旦言葉を区切る。
そこで区切ると言うことは、次からが重要な事なんだろう。
…此処からは今まで以上に真剣に、こいしの心と向き合わないと…。
「…あの巫女と魔法使いに逢ってから、あの二人と戦ってから…。
…私、あの二人の事をもっとよく知りたい、って思ったの…。」
そうかもしれない。
あの二人は私が見ても、たいそう興味深い人間だった。
私たちは姉妹なのだし、私がそう思った人間をこいしも興味深く思うのは、無理ない事だと思う。
「あの二人のことをよく知りたいと思ったら、急に他のみんなの事もよく知りたい、って思うようになった…。
おくうの事やお燐の事、他のペット達の事も、それにお姉ちゃんの事も…。」
…そうね。そうでしょうね。
生き物は何かに興味を持てば、自然とその興味の範囲は拡大していく。
もっと知りたい、もっと学びたい、興味を持ったことに更なる好奇心を抱くのは、生物なら当然の事。
「…だけど、私にはそれが出来ない…。みんなの事を、知る事が出来ない…。
みんなの事をもっとよく知りたいのに、私はこの目を閉じちゃったから…。
…心が見えない。気持ちが見えない。何も…何も判らないの…。
…もっとみんなの事を知りたいのに、私の事を知って欲しいのに…。…私は…。」
…こいし、それは違う…。
あなたがそうやって孤独になるのは、第3の目を閉じたからじゃない。
第3の目を閉じ、心を閉ざしたから。自分の気持ちを、誰にも伝えなくなったから。
自分が話せない事を、他人が理解できるはずがない。私のように、心が読めない限り。
誰からも嫌われない、好かれない、理解されない、理解できない…。
…それは、あなたの心の弱さ。あなたが前を向いて生きる事を諦めてしまったから…。
…それを早く諭してあげたいけど、今はまだ駄目…。
こいし自身に、気付いてもらわなくてはいけないから…。
…こいしの目から、大粒の涙が溢れてきた…。
「…どうして、どうしてこの目を閉じちゃったんだろう…。
誰も気付いてくれない、誰も私を好きになってくれない…。
…それがこんなに辛いなら…。…嫌われ者になったって、この目を閉じなければよかった…!!」
…その姿は、まさに夢で見たこいしだった。
誰にも語らず、心を塞いだこいしが、1人で悩んでいた事…。
…きっとあの夢にあった、あの見えない壁は…。
こいしの心の壁だったんだろう。私すら拒絶する、自分を孤独にしてしまう心の檻…。
…その中で1人泣いていたって、誰も気付いてくれるはずがない…。
「私は、何処にもいない。此処にいるけど、此処にいないの…。
…戻りたい。この目を閉じる前の自分に戻りたい…。
…もう一度、この目を開きたい…。私は、私は、みんなにもっと私を知ってもらいたいの…!!」
…こいしは、自分の心を全て吐き出したようだった。
そう、それでいいのよ。そうやって、誰かに自分の心を話す事が重要なの。
誰かにそうやって心を開く事が、あなたの願いに繋がるはず…。
それが理解できたならもう充分よ。
後はあなたが、積極的に自分の事をアピールすればいい。
そうすれば、みんなもあなたを知ってくれるはずだし、あなたも自分の事を知ってもらう事が出来るはずだから。
さて、それじゃ私は、最後の仕事をするとしようか…。
こいし、あなたの心を開くために、私は賭けに出るわ。これがそのための最後の一押し。
もしこれが失敗すれば、今開きかけた心をまた閉ざしてしまうかもしれない。
それに、きっと私の事が大嫌いになるでしょうね。
…だけど、私はそれを覚悟でやるし、万が一でも失敗する気はない。
私は今、誰よりもあなたの事を理解出来てると思っているから…。
「…こいし、今から私が目を閉じるから、その間にこの部屋の何処かに移動して。
流石に外には出ないでね?探す範囲が広くなると、私も大変だから。」
俯き泣いていたこいしの顔が、はっと上がる。
「…えっ?…お姉ちゃん?何をする気なの…?」
…言わなくても、判ってるでしょ?
あなたが存在しないなんて、そんな事はないわ。
私が今からそれを証明してあげる。誰もあなたに気付いていないなんて、そんな事はないと判らせるために。
「いいから、言うとおりにしなさい。」
そう言って、私は両目を閉じて、ついでに第3の目にも、左手で蓋をする。
こいしは無意識。こうやって目を閉じるだけで、もう完全に何処にいるかが判らなくなる。
実際今、私はこいしが何をしているか全く判らない。
何処に移動したのかも、何時移動したのかも、移動し終わったのかも、全く判らない。
…この真っ暗な世界の中でこいしを見つけるなんて事は、幻想郷中で一つの“小石”を探すのに等しい。
…私以外の、他人にとってはね…。
「…ほら、やっぱり…。…えっ…?」
…私の余った右手は、確かにこいしの手を握っていた…。
「…ほら、出来たでしょ…?」
ゆっくりと目を開ければ、其処には私の背後に移動し、驚き目を見開いたこいしの姿が、確かにあった…。
「お姉ちゃん…?ど、どうして…?」
他のものよりも先に、どうして自分の居場所が判ったのかと言う疑問の方が先に出てきたみたいだ。
私は全ての目を閉じていた。両目だけじゃなく、この第3の目まで。
普通の者なら、これだけでもうこいしを見つける事は出来ない。
…だけど、私はこいしの姉。こいしが何処に移動するかなんて事はすぐに判る。
こいしも気付いていたと思う。私が「目を閉じた状態でこいしを探す」と言う事を。
だけど、こいしは自分を見つけられるはずがないと思っただろう。
だって、自分の事を「存在しない」なんて言っているくらいなのだから。
さて、そんなこいしだったら、この部屋の何処に隠れるだろうか。
否、隠れない。隠れる必要はないから。どこかに移動するだけで、こいしのいる場所は完全に判らなくなるから。
じゃあ何処に移動する?それも簡単だ。
壁際だのなんだの、そんな離れた場所に移動する必要はない。
こいしとしては、私に当てられたくなかったはずだ。私に当てられては、自分の考えを否定する事になるから。
だから、誰でも思いつくだろう「壁際への移動」は絶対に取らない。誰でも思う故に、1/4の確率で当てられるから。
だったら、残りはどこか…。…目を瞑った者に、一番気付かれにくいのは何処か…。
…一番単純にして、一番場所を掴みにくいのは…。…背後だろう。
私がもしこいしの立場だったら、以上の事から間違いなく背後に立つ。
そして、私とこいしは姉妹。私の考えなら、こいしも同じ事を考えるかもしれない。
…その可能性に、私は賭けていた。そして、私はその賭けに勝った…。
「…こいし、あなたは此処にいる。此処にいるのは、他の誰でもない、私の大切な妹、古明地こいし…。」
私は握った手を引いて、こいしの身体を、そっと抱きしめる…。
「…さっき言った事、一つだけ訂正するわ。「あなたは誰からも好かれない」なんて言ったけど…。」
「…私はあなたを愛してる。他のどんな存在よりも、私はあなたの事が大好きよ、こいし。」
私の腕の中のこいしが、そっと顔を上げる。
…こいし、あなたは1人じゃない。何時だって、どんな時だって、私はあなたの傍にいる。
だって、私達は姉妹でしょ…?他の何にも変えられない、たった2人だけの…。
「…ちゃん…。…お姉ちゃん…。」
こいしの目に、また涙が浮かんでくる。
だけど、この涙を見るのは辛くない。
だって、こいしが本当に嬉しそうな笑みを浮かべていたから。
もう何時以来なのかも判らない、こいしのほんとうの笑顔を見る事が出来たから…。
「…ごめんね。私がもっと強いお姉ちゃんだったら、あなたは目を閉じることはなかった…。
…私はあの時、あなたを守ってあげられなかった…。
…だから、今度こそ言わせて…。…こいし…。」
こいしが目を閉じて以来、私が言えなくなってしまった言葉。
どうしてこいしが目を閉じる前に言えなかったのか、ずっと後悔していた言葉。
だから、今度こそ言ってあげたい。
こいしを守れるように。ずっと共に在れるように。
…ずっと、一緒に生きていけるように…。
―― …私を信じて…。 ――
それが、私がずっと言いたかった言葉…。
もしもう一度心を開けたら、今度こそ私を信じて、その目を閉じないでほしい。
私が必ず守るから。あなたの事を…。
あなたが嫌われ者にならないように、頑張るから…。
…だから、私を信じて…。
「お姉ちゃん…!!お姉ちゃん…!!」
こいしが私の身体を強く抱きしめる。
そして…。
「ううっ…!!うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
大声で泣き始めたこいしの身体を、私はそっと抱きしめ続ける。
…ああ、これで私のやるべき事は、全て終わった。
こいしは判ってくれたはずだ。私の気持ちを、私の思いを。
それがこの子の願い。誰かの事を知り、そして誰かに知ってもらう事…。
…私はそれを、少しだけ叶えてあげられた気がする…。
こいしの第3の目は、まだ開いていない。
まだこいしの心は見えない。心自体は、まだ閉じたままみたいだけど…。
…だけど、こいし。あなたは変わってくれるわよね…。
もう一度、普通に笑ってくれるわよね…。
あなたが普通に笑って、普通にみんなと同じ時を過ごせれば、私はそれだけでいい。
そうすれば、きっと何時か、あなたの閉じた心は…。
―― お姉ちゃん…大好き…!! ――
「…えっ…?」
驚いてこいしの姿を見てみるけど、こいしはまだ私の腕の中で泣き続けている。
こいしの第3の目も閉じたままである。
もう一度こいしの心を覗いてみようとするけど、やっぱり何も見えない。
「…気のせい、よね…。」
自分にそう言い聞かせたが、私の心はなんだかとても満たされていた。
今聞こえた僅かな心の声、それがこいしの本当の心だった、そう思ってみたい。
ただの気のせいかもしれないのに、今の言葉を信じるなんて、ちょっと恥ずかしい事かもしれないけど…。
…きっと私があの夢を見たのも、この第3の目のせいだけじゃないんだろう。
無意識を操るこいしが、無意識のうちに、私のその「無意識」の部分を、伝えてくれていたのかもしれない。
だって、そう考えれば一つ、説明がいく事もある。
私がこの部屋に来た時に、こいしが無意識状態だったこと。
あれはきっと、それまで眠っていた私に、必死に自分の気持ちを伝えてくれていたんだと思う。
そうでなければ、突然あんな夢を見たりはしないと思うし…。
…それに、そういうのを信じてみるのも、悪くないと思う。
私とこいしにとっては、それが大きな光になるのだから…。
こいしが心を開いてくれた。
こいしの心が少しだけ見えた、そんな“奇跡”を、私は信じよう。
…それこそ、こいしがもう一度心を開けるという、確かな証拠なのだから…。
* * * * * *
…それから数分後、地霊殿に響き渡っていたこいしの泣き声が、ようやく落ち着いてきた…。
「…もう大丈夫?こいし…。」
「…うん、大丈夫。…ありがとう、お姉ちゃん。」
こいしにそう言われるだけで、こうして頑張った甲斐があった。
もし失敗したらどうしようと、心の片隅でずっと考えていたから…。
再度確認のため、こいしの心を見ようとしてみる。
だけど、やっぱり見えない。こいしの目も、閉じたままだ。
…でも、もうそんなのはどうでもいい。
例え見えなくても、私はこいしの傍にいる。こいしが此処にいる事を、ずっと証明し続ける。
こいしに私を信じてもらうために。こいしがずっと、笑っていられるように…。
「…さて、こいし。行きましょ?」
私はこいしを抱いていた手を解き、今度は手を取って歩き始める。
「えっ、ととっ、お姉ちゃん、何処に行くの?」
急な事にバランスを崩したこいしが、転びそうになりながらそう言う。
何処って、決まってるじゃない。
「もっとみんなに知ってもらいたいんでしょ?だから、これから地上にいくのよ。
こいし、これからはもっと自分の心を、みんなに話しなさい。
そうすれば、きっとみんなもあなたを知ってくれるし、あなたもみんなの事を知る事が出来るから。」
此処からは実地授業だ。
こいしがみんなに自分の事を知って欲しいと思うなら、私はその願いを叶えるために動こう。
私自身も、こいしの事をもっとよく知って欲しいと思う。この子が笑っていられるためにも…・
それに…。
「…それに、私もあなたの事をもっと知りたい。あなたが見てきた物を、もっと知りたいから…。」
私がそう言うと、こいしは再び、先ほどの嬉しそうな笑みを、私に見せてくれた…。
「…うんっ!!」
それを見て、後は黙って私はこいしの手を引く。
私の心にもう、何の迷いもない。
こいしの事をもっと知りたい。こいしの事をもっと判ってあげたい。
こいしの存在を、もっと強く感じたい…。
こいしは、たった一人の、私の大切な妹なのだから…。
…ずっと、ずっと一緒に、この世界にいたいから…。
―― ありがとう、お姉ちゃん。 ――
そんな声が、また私の頭の中に響いて、静かに消えていった…。
最初からこうしたいからこう書きました、みたいな感じで
展開が無理やりすぎるというか……不自然なのが惜しかったです。夢に出てくるのなんか特に。
次も期待しています。
>余った左手は、確かにこいしの手を握っていた
余ってるの右手じゃ……
とても妹想いなさとりが良かったです
次回も期待して待ってます
>15:46:18の名無しさん
>よかったよ
ありがとうございましたー。
>17:18:54の名無しさん
>最初からこうしたいからこう書きました、みたいな感じで展開が無理やりすぎる
うーん…、…確かにそうした節はあるかもしれません…。
なるたけ不自然にならないようにした心算でしたが…。…自然と不自然の境界って何処なんだろう…。
…やっぱり文章って難しいです…。
>18:12:11の名無しさん
>余ってるの右手じゃ……
仰るとおりです…。報告ありがとうございました。
で、フュージョンは?
で、フュージョンは?
それにしても地霊殿一家はさとりがカリスマ過ぎて困る!!
>01:25:51の名無しさん
>で、フュージョンは?
そいつについては詳しくは書けません。
ただ、どんなフュージョンでも皆様の想像の中ならば許されると思います。
>04:04:21の名無しさん
>中々良かったです
ありがとうございますー。
>で、フュージョンは?
そいつについては詳しく(ry
>10:13:10の名無しさん
>タイトルはこいしと恋しを掛けてるのか。
「心を閉ざした人」=「こいし」
「心を閉ざした」=「人恋し」
そんな感じです。
>で、フュージョンは?
そいつについては(ry
>14:08:25の名無しさん
>三点リーダーの使い過ぎでテンポが悪かったです。……しかも使い方間違ってるし。
あら、こっちでも…。…やっぱり難しいですね、文章は。
>地霊殿一家はさとりがカリスマ過ぎて困る!!
6ボスにカリスマが全くありませんからね。
>00:53:02の名無しさん
>で、フュー(ry
そいつに(ry
しかしお燐ちゃんはお空ちゃん大好きですね。二匹共可愛い。
つ『火焔鴉燐空』
某龍玉Z的Fusionした結果がこれだったり。
お空ちゃんにはおむつが似合u(地獄極楽メルトフェアリー
>謳魚さん
>さとりの姉貴はやっぱ格好良いぜ。
見た目はどう見てもお燐やくーさんより年下d(恐怖催眠術
>しかしお燐ちゃんはお空ちゃん大好きですね。二匹共可愛い。
地霊殿のHENTAI担当とも言いm(火焔の車輪
>お空ちゃんにはおむつが似合(ry
くーさんはぺったん、黒ニーソでOKでsy(サブタレイニアンサン