※このままではアリスさんの胃がストレスでマッハ。
※
※3kb弱ほど、うふふ空間が発生しそうですが
※パッチェさんが「そこまでよ!」するほどではなさげです。たぶん。
「これ、貸してもらえないかしら」
「別にかまわないけど……」
大図書館の主・パチュリーは手にした本から私に視線を向ける。
ちらりと私の差し出した本を確認し、了承してくれた。
「……でも、その書は」
「大丈夫よ。無関係の人間を巻き込むほどバカじゃないわ」
「……それも魔法使いとしてはどうかと思うけど。まあいいか」
遣り取りはそれだけで終わり、パチュリーの視線は手元の本に戻っていった。
それから一週間後の朝。
「これくらいの規模になると、魔法陣を作るのも結構な手間ね」
自宅の庭に人形を使ってがりがりと陣を刻む。
できれば儀式的な魔術の類は工房でしたいのだが、魔法陣のサイズからしてちょっと無理があった。
仕方ないので庭でやることにしたのだ。
朝にしたのも、できるだけ邪魔が入らないように。
魔法の森には妖怪もいるのだが、基本的に夜型が多いので多少はマシなはずだ。
完成した魔法陣へ足を踏み入れ、呪文の詠唱を始める。
中心部には人形が一体。
図書館で借りてきた本に書かれていたのは、簡単に言うと人間から魂を抽出する魔法だ。
外道の法ではあるが、この上なく魔法使いらしいものでもある。
魔術・呪術の類なら「魂」という物の需要はいくらでもあり、
こういった術が存在するのもまた必然と言えた。
しかし、この幻想郷でそんな真似をすれば、まず紫か霊夢を敵に回すことになる。
パチュリーが注意しようとしたのもそんなところだろう。
長々と語ったが、別に私はこの術を人間に対して使うつもりなど毛頭無い。
術の対象は私なのだから。
付喪神というものがある。
正しくは九十九神、と書くのだろうか。
長い時間を経て、物に魂が宿り妖怪となるという話である。
実際メディスンもこの類だと思う。
後天的に魂が宿った人形というのは、私の目指すものとはやや外れているが、
「自立人形」という物に対する答えの一つではあるのだろう。
しばらく前、一人で動く人形を見たと言う魔理沙とそんな話をしてみた。
「ふーん。できたときから魂を持ってる人形、か。
そんなの難しくないじゃないか」
「……専門でもないあんたが適当なこと言うもんじゃないわよ」
「要するにひとつの生命を創るってことだろ。
子供産んだらどうだ。何なら協力しても──」
ほっぺたを思いっきりつねって、しばらく口をきいてやらなかった。
閑話休題。
だが、外れているとは言え「自ら考え、動く人形」に興味はある。
メディスンが協力してくれればいいのだが、彼女は人形遣いに敵意を燃やしているらしく。
捕まえて無理矢理調べるという手段もありはするが、今後を考えるとあまり取りたくはない。
ならば。
自分の魂のほんの一欠片を人形に入れて様子を見てみよう。
などと思い立ち、図書館へ。
その手の本を借りてきて、術の解析とアレンジに費やすことおよそ一週間。
そして今に至るというわけだ。
呪文は朗々と歌うように。
難しい術式だが、大丈夫。
魔法の制御に関してはそれなりの自負はある。
詠唱に応えるように魔法陣が輝き、円の外周が光の壁を作っていく。
元は術にかかった対象を逃げられなくするための檻だが、今は邪魔の入らない壁にもなってくれる。
OK、完璧。何の問題ないわ──
「おーい、アリス。何やって──ぶぎゃ!」
OK、私には何の落ち度も無かったと思いたい。
天へと伸びていく壁に引っかかり、落っこちてくる声の主。
どかん、と。
お約束のように直撃され、そこで私は意識を手放した。
倒れる寸前、魔法陣の放った閃光は閉じた目蓋を灼くほどにまばゆかった──
「──ッ……」
気が付いた私は、ゆっくりと目を開ける。
気絶して倒れていたようだ。
最初に目に入ったのは、光を失った魔法陣と横たわる人形。
動く気配すらない人形の様子を見ると、どうやら術は失敗に終わったようだ。
まあ消費した魔力が回復してからやり直せば済むことなので、気に病むほどでもない。
頭がずきずきと痛む。
そういえばあいつはどこへ行ったんだ。
実験を失敗させた上に、倒れた私をほっぽって行ったのか。
今度会ったらめいっぱい叱ってやらないと。
痛む頭をさすりつつ、起き上がり──
目に入った服が見慣れない──いや、見慣れてはいるが着たことのない──ものだった。
黒い。
白い。
「──え゛?」
頭をよぎる悪寒を振り払ってばたばたと家の中へ。
慌てて転びそうになりながら洗面所の鏡へ向かう。
映ったのは長い金髪、片方だけ編んだお下げ、愛嬌のある顔立ち……。
紛れもなく、霧雨魔理沙だった。
「嘘でしょおおおおおっ!?」
非情にも、鏡の中の『魔理沙』は私とまったく同じ様に頭を抱えていた。
はっと我に返る。
ひとつ、私が魔理沙になっている。
ふたつ、あの場には私しかいなかった。
私の体の行方はもはや考えるまでもない。
本来なら術式を制御して私の魂を体から浮き上がらせ、一部分だけ切り離すつもりだった。
だが魔理沙が魔法陣の中に落ちてしまったために、一緒に術の対象にされてしまったのだ。
そして二人とも魂が体から離れかけた状態での物理的接触。
私が気を失ったことで術の制御は途切れ、
飛び出た魂がそのまま収まってしまったとかそんなところではないか。
総合して書くと「頭をぶつけて入れ替わっちゃった」と。
……笑えない。ぜんっぜん笑えないわ。
外に出て、空を見上げてみる。
太陽の位置はそれほど高くなく、長時間気絶していたわけでもないらしい。
とっとと魔理沙……と言うか私の体を見つけないと。
地面を蹴って飛び上がる。
「……あれ?」
……飛べない。
魔理沙の身体だから飛べないわけではない。
魔法使いたるもの、浮遊術くらいはできて当然だ。
でないと、うっかり箒から落ちようものなら大惨事である。
すぐに浮かんだ考えを確認すべく、集中してイメージを組み上げる。
かざした手から放たれたのは──いつもなら数えるのもバカらしいはずの──わずか数発の魔弾であった。
魔力が落ちている、と言った類ではない。
私が「魔理沙の魔力」の使い方を掴んでいないのだ。
ならば魔理沙も私の体で大した力を振るえないはず。
魔法陣の周囲を見渡すが、魔理沙の箒がない。
私も物置から庭掃除用の箒を引っ張り出して、それに跨り魔力を通す。
箒で空を飛ぶなんて久しぶりのことだが──
「……何とか行けそうね」
ふわりと私を乗せた箒が浮かび上がる。
熟知してない魔理沙の体に魔力をめぐらせて飛ぶよりも、
単純な物を浮遊させて乗る方が容易いと踏んだが、どうやら上手く行ったようだ。
森の木々よりも高くまで浮かび上がる。
さて、魔理沙を追うにしてもどこへ向かうべきか。
それには魔理沙の目的──つまる所、私の体で何をするだろうか、ということを考えなければ。
……いや、さすがにアレなことはしてないわよね。……しないわよね?
例えば大図書館。
私になりすまして本を借りるとか?
──たぶん無い。
相手がパチュリーともなれば見破られる恐れがあるし、何より魔法をまともに使えない状態だ。
魔理沙は分の悪い賭けはしても、勝ち目のない場所へ飛び込むような愚はそうそう犯さない。
となれば、まああそこしかないか。
「──いた」
予想は的中していたらしく、向かう先に箒に乗った『アリス』の姿。
だが見える姿は一つではない。
ちかちかと二人の周囲で輝く物が見える。
何者かと弾幕勝負に及んでいるようだ。
「もう、私の体に傷でも付いたら……ってちょっと!」
弾幕よりももっと深刻なものを見つけてしまった。
箒にめいっぱいの魔力を注ぎ、一気に加速。
「──っあああああああッ!」
ドッグファイトを演じる二人の間に割り込みを掛け、すれ違いざまに相手──氷精だった──を蹴っ飛ばす。
それを踏み台に方向転換を掛け、魔理沙をひっ掴んで地面へ向かって急降下。
激しい音を立てて、私と魔理沙はもつれるように着陸した。
「ってて……。熱烈なアタックだな」
私に組み敷かれたまま魔理沙がぼやく。
「あんた、人の体で何やってんのよ!」
「何って、見ての通りの弾幕ごっこだろ。
不慣れなままでもチルノ相手に負けやしないぜ」
「そっちじゃないわよ!」
こいつは私の体で箒に跨っていたのだ。
私がいつも着てる服は魔理沙と違ってスカートが細めで長い。
当然そのまま跨ろうとすれば引っかかる。
それを気にせずそのまま強引に跨っていたのである。
もはやスカートは太もも放り出すまで捲れ上がり、さらには──
「あんな格好じゃパンツ見えちゃうじゃないの!
私はあんたと違ってドロワーズじゃないんだから!」
もしもあんな姿を盗撮カラスに撮られようもんなら。
明日の朝刊は「人形遣いのご乱心。七色なのに下着は純白」とか頭の悪い見出しを付けられて、
新聞のくせに豪華フルカラーで幻想郷中にお届けされていたことだろう。
ばしん、と怒りのままに魔理沙の頭をひっぱたく。
叩いた後で自分の頭なのを思い出し、何やってんのよと自己ツッコミまでがワンセット。
「とにかく、捕まった以上はおとなしく従ってもらうわよ」
「へいへい。それにしてもよく見つけられたな」
「……アリスに捕まったら元に戻されちまう。
ならそうなる前に楽しまないと損だな。
とりあえず他の連中より先に、危険のない霊夢でバレるかどうか試しておくとするか。
そんなとこでしょ」
「……エスパーかお前」
「あんたの考えそうなことくらいすぐ読めるわよ」
実際、ここは私の家と博麗神社を結ぶ直線上だった。
魔理沙が弾幕勝負で時間を潰されてたから追いつけたというわけだ。
「で、どうするんだ?
アリスん家に戻ってもう一回同じ魔術を試すのか?」
「上手く飛べもしない現状じゃ、術式を支える魔力の制御ができるとも思えないわ」
そうなると誰かの力に頼るしかないわけだが。
「紫……は却下だな。
こんな滅多にない状況、あいつの退屈しのぎにされるだけだ」
「永琳は……専門外ね。
第一、魂が抜ける薬とかただの毒だろうし」
幻想郷の誇る二大便利屋は候補外。
「って事は……」
「餅は餅屋ってことなんだけど……」
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジ。
魔法のことなら真っ先に名前を挙げるべきではあるのだが。
「あんまり相談に乗ってくれなさそうな気もするな。
私が絡んでるし、いい気味だわって感じで」
「他に頼れるアテもないんだから。
会えばどうせバレるだろうし、正直に話して頼んでみるわ」
ここから紅魔館へは結構な距離があり、飛んで行かなければ日が暮れても着きはしない。
が、私が乗ってきた箒は急降下で地面に突き刺さり、半ばから真っ二つにへし折れていた。
「そうなると私の箒に二人乗りしかないわけだが」
「……当然、私が前ね。さっきみたいな格好で乗られちゃたまんないわ」
私が箒に跨り、その後ろに魔理沙が腰掛けるように座る。
外見だけなら普通に二人乗りするときの形ではある。中身は逆だけど。
ふわりと箒が浮かび上がる。
二人分を乗せても何とか飛べるようだ。
高度と重量と速度はお互い反比例するため、ずいぶんとスピード控えめなのは仕方ない。
「……ひとつ、言い忘れてたわ。
私のミスであんたまで巻き込んじゃって、本当にごめんね」
「あ、いや。私の方も、ごめんって言うか。
うかつに近づいた私も悪かったんだから、おあいこってことで、な」
ここで後ろを向けば、照れをごまかしている珍しい『私』が見えたのかも知れない。
落ちないように、魔理沙が腕を腰にまわして背中に体を預けてくる。
くっついているのは自分の体だというのに、やけにドキドキした。
紅魔館への道程は滞りなく。
魔理沙の名前は十分に知れ渡っており、妖精や力の弱い妖怪に絡まれたりすることもそうそう無い。
ついでに『アリス』も同乗しているとなればなおさらだ。
これでケンカを売ってくるのは、よほどのバカか、よほどの強者か──
「あやややや。二人乗りで遊覧飛行ですか」
さて、こいつはどっちに分類すべきなのか。
「デートですか? デートですよね?
デートでしかあり得ないですよね? おおあついあつい」
箒の進路を塞ぐように移動し、カメラを向けてくる文。
「最近大した異変も起きないせいで、新聞にも彩りが足りませんで。
ここはひとつネタの提供をお願いできませんかね」
しゅびんしゅびんと高速移動を繰り返し、残像が私の上下左右を取り囲む。
凄まじいうざったさである。
霊夢はこんなのにまとわりつかれてよく平気でいられるものだ。
「一発濃ッ厚なラブシーンとか……。
ああそう言えばこの先は図書館でしたね。もう一人加えてどろどろの三角関係を捏造し──」
「うるさいわよ……だぜ」
目の前に来た瞬間、わっしとカラスの頭を鷲掴み。
続いてばしん、と掴んだ掌から魔弾を発射。
目を回して湖へ真っ逆さまに落ちていき──ぱしゃんと文の姿は水柱になった。
「……お前ってわりと容赦ないよな」
「仕方ないでしょ。今の私たちじゃ二人がかりでも勝てるわけないんだから」
紅魔館。
図書館へ行くなら当然ここの門を通る必要がある。
そして門には門番がいるのも当然のこと。
「こら魔理沙! あんたを通すわけには──ってアリスさんも一緒ですか」
「あ、ああ。今日はパチュリーに用があって。
それでアリスも一緒なの……だぜ」
「む……。アリスさんはお客として通すよう言われてるんだけど、魔理沙は……」
しばし考え込む美鈴。
「うーん……アリスさんのおまけということで通しますけど。
あの、くれぐれも魔理沙が悪さしないように見張っててくださいね」
と、私の後ろに座る人物に向かって言う。
そっちが魔理沙だったりするんだけど。
当の魔理沙は顔を引きつらせて、攻撃衝動を何とか抑えているようだ。
とりあえず許可は頂いたので、そのまま門を通らせてもらう。
そのまま広い庭園を抜け、威圧するかのような仰々しい扉の前に着地する。
「よく我慢できたわね。えらいえらい」
「ふん。お前は顔パスなのかよ」
「誰かさんと違って私はちゃんとしたお客扱いなの。
入館料代わりにお茶菓子くらいは持参するし、本を借りるときも許可を取ってるわ」
大図書館は紅魔館地下。
そこへと繋がる廊下を二人して歩く。
妖精メイド程度ならどうとでもなるし、咲夜に会っても『アリス』がいるなら通してくれるだろう。
門を通ったならそう警戒することもないか。
「あー、魔理沙だー」
唐突に聞こえた幼い子供の声。
しかし、それは悪魔の声だ。
枯れ枝に宝石をぶら下げたような特異な翼をはためかせ、こちらにやってくるフランドール。
「一番まずい相手に会っちまったぜ。
フランは手加減なんて知らないからな」
私たちの前に立ち塞がり、無邪気に笑う吸血鬼。
何で朝っぱらから起きてんの。せめて昼過ぎまで寝てなさいよ!
「魔理沙、私と遊んでよ」
制御を放棄したかのような破壊力の塊。
よく魔理沙はこんなヤバい相手とやり合う気になるものだ。
今の私たちでは戦うどころか逃げる算段もおぼつかない。
さて、どう生き延びたものか。
「待ちなさい、フラン。二人は私の客よ」
助け船は思わぬ所から差し出された。
「いくらお姉様の言うことでも、私の邪魔は──」
「後で私が遊んであげるから、向こうで待ってなさい。
今日の魔理沙は調子が悪いわ」
「……むー、わかったわ。
じゃあ今度来たときは私の相手をしてね、魔理沙」
べーっとレミリアに向かって舌を出し、フランドールはもと来た方へと飛んでいく。
「助けられたわね。……お礼を言うべき?」
「必要ないわ。ただの気紛れ。
今回の件じゃ、私の力でできる手助けなんてこんなものだから」
ああ、そう言えばこいつの能力なら色々知っててもおかしくない。
だいたいご存じってわけだ。
「運命を操るなんて言ってるわりにゃ謙虚なことで。
役立ちそうなアドバイスのひとつでもしたらどうだ?」
「あら、運命論者とは知らなかったわ。
私に手を引かれて平坦な道を歩きたい?」
「そいつはぞっとしないな」
「私も遠慮しておくわ。どこに向かわされるかわかったもんじゃない」
「信用無いわね。まあそれでいいわ。
何が起きるかわからないから退屈しないで過ごせるってものよ」
「実感のこもったお言葉だぜ」
「そりゃお前の三十倍くらいは先輩だからね。
ありがたく聞いときなさい」
小さく肩をすくめたレミリアはフランドールの行った方へ歩き出す。
ふと、何かに気付いたように顔だけ振り返り
「まあ、ひとつ助言くらいはしてやるか。
落とし穴には気を付けなさい。……この場合はバナナの皮かも」
それだけ言うと、レミリアの姿は煙のようにかき消えた。
「バナナの皮……? 何のことだろな」
「さぁね……わかりやすい話を期待する方が間違ってるわ。
とりあえず、すべって転ぶなら注意力のないあんたの方だろうし。
せいぜい地面に気を付けといて」
大図書館。
薄暗い通路を進み、いつものように机へ向かう主の元へ。
その背中に声を掛ける前に、パチュリーはこちらへ振り向いた。
「……何かあったのね」
座ったまま、私たちに視線だけ向けてつぶやく。
「さすがにわかる?」
「ふん、魔理沙が静かに入ってきた時点で異常事態よ」
……そりゃ客扱いされるわけないわ。
「ドジね」
これまでの経緯を話した私を、パチュリーはにべもなく一言で切り捨てた。
ぐっと言葉に詰まる。
ねちねち言われるのはゴメンだが、バッサリやられるのも結構こたえるものだ。
今後魔理沙を叱るときも、バカバカ言わずにもう少し言葉を選んでやろう。
「まあ魔法の事故で私の所に来るのはうなずけるけど。
──私が素直にうなずくとでも思ったの?」
口の端を少しだけゆがめ、薄く笑う。
「今の魔理沙なら小悪魔でもあしらえる程度。
私はこれでネズミ退治に悩まされることも無くなるのよ?
ついでに言うなら、もう一人くらい頭の良い使い魔が欲しくなってきたわ」
そして獲物を捕らえる蛇のような目で私を見る魔女。
魔女の瞳は見つめるだけで魔法を掛け得る魔眼だ。
抵抗力が無ければあっさり術中に落ちるだろう。
「おい、パチュリー!」
掴みかかりそうなほどに語気を荒らげた魔理沙を手で制す。
「落ち着きなさい。
だいたい今の私を支配したけりゃ、一言唱えればいつだってできるのよ。
私たちに言う必要もないわ」
「……ッ! だけど」
「わざわざ口に出したのなら、何か条件でもあるんでしょう。
元の体に戻れたら私がその条件を飲むわ」
「あら、あなた一人で?」
「ええ。私のミスが招いたことだもの。
……もちろん条件の程度によるけれど」
何か言い出しそうな魔理沙の口を塞いで黙らせておく。
もがもがとやかましいが無視。
「ま、引き受けてもいいわ。
次に来るときは気合入れたケーキでも持ってきてちょうだい」
「……そんなことでいいの?」
「ただ魔法が使えない程度ならネズミには良いお灸かもしれないけど、
ここまでの事態だとそうも言ってられないわね。
これでも困っているところを助けるくらいには、友人のつもりよ」
「ありがとう、パチュリー」
「ふん、強いて言うなら『素直にお礼を言う魔理沙』なんて
夢見が悪くて仕方ないだけよ」
パチュリーはいつもの半眼で微笑んだ。
「で、貸した本は?」
「もちろん持ってきてるわ」
帽子から魔道書を取り出し、使った魔法のページを開いて見せる。
……何気なく使ったけど意外に便利ね、この帽子。
そして術式のうち、アレンジした部分や入れ替えた部分などを説明していく。
さすが無窮の知を誇るパチュリー、詳しい説明も必要なく理解してくれる。
伊達にむきゅーむきゅー言ってない。
「……しばらく時間をちょうだい。
お互い元の体へ魂を誘導しないといけないから、ちょっと手を加えるわ」
それきり、机に向かうとパチュリーは自分の世界に埋没した。
もう私たちが何を言っても聞こえてすらいないだろう。
「行くわよ、魔理沙。後は任せましょう」
「ん? ああ」
返事はちょっと離れた本棚から。
長話に退屈し、本を漁ってはスカートの中に突っ込んでいく魔理沙が目に入る。
美鈴との約束もあるので、とりあえず首根っこ掴んで引きずりながら私たちは紅魔館を後にした。
「……で、何でお前がここにいるんだ?」
「私の家だからに決まってるじゃない」
マーガトロイド邸。
改めて言わなくても私の家である。
紅魔館から戻ってくる頃にはすでに夕方近くになっていた。
ようやく落ち着けるかと思ったところに魔理沙の一言が飛んできたのだ。
「今の『アリス・マーガトロイド』は私だぜ?
『霧雨魔理沙』さんも自分の家に戻ったらどうだ」
「……私の家にあんたを一人にしておけるわけないでしょうが。
何が無くなるか知れたもんじゃないわ」
「何度も言わせるなよ。今の『アリス』は私だ。
従ってこの家の物をどうするかも私の自由ってわけだ」
ああそう。そういうこと言うんだ。
浅はかにもほどがある。
「じゃあそうさせてもらうわ。
せっかくだから魔理沙らしく魔法の実験でもしようかしら。
うっかり家ごと消し飛ぶかもしれないけど『魔法は火力』だから仕方ないわよね」
魔理沙はすかさず土下座して私を引き留めた。
かちかちと。時間だけが過ぎていく。
色々と疲れたが、紅茶を淹れてようやく一息付けた。
あとはパチュリーに任せて、私たちはなるべく外と関わらないよう過ごすだけだ。
「……どうしたの、魔理沙」
「いや、別に。何でもない」
せっかく淹れてあげた紅茶が一口も減らないまま冷めだしている。
そして何でもないと言いながら、妙にそわそわと落ち着かない様子の魔理沙。
そういえばお茶を飲むと近くなる。
それに私、今日は朝から──
「もしかして、トイレ?」
「言うなよ! 我慢してんだから!」
「私の体で我慢されても困るんだけど。
お願いだから行ってきて。
……その、絶対、下、見ないでよ」
言ってることの意味を理解して顔を赤らめる魔理沙……とついでに私。
ええい、言う方も恥ずかしいのよこんなこと。
もう限界が近かったらしく、魔理沙はぱたぱたと慌てて駆けていった。
そのまま、十分以上経ってようやく戻ってきた。
「……やけに長かったわね」
「いや、その……。いざ下着を下ろそうと思ったらすごい勇気が必要で……
でも、何とか吹っ切れたからもう大丈夫」
「ああ、そう……」
何かどっと疲れが増したような。
手で顔を覆ってため息を吐く。
……ちなみに私は五分かかった。私も精神修行が足りない。
こんこん、と。
手を洗って戻ってきたところにノックの音が。
普段は全然人なんか来ないってのに、こんな時に来客か。
「どうすんだ?」
「……出て。一応今の『アリス』はあんただから」
頷いて玄関へ向かう魔理沙。
きぃ、と扉が半分ほど押し開けられる。
「はいはい、どちら様?」
魔理沙の背中に隠れて顔は見えないが、扉の隙間から見えたのは真紅の服。
そして肩のあたりから見えているのは特徴的な髪。
まとめ上げられた一房がぴんと立った──
「こんばんは、アリスちゃ──」
ばんっ!
誰が現れたのかを瞬時に理解し、猛烈なダッシュ。
その声を遮るようにあらん限りの力で扉を閉め、
返す刀で魔理沙を抱えて飛び退くように玄関から距離を取る。
「今のって、神綺だよな……」
「忘れてた……。お母さん、今日は定例会でこっちに来てるんだったわ……」
扉の向こうに聞こえないように、なるべく声を殺して話し合う。
「アリスちゃ~ん……。開けてくれないとお母さん泣いちゃうわよぉ……」
扉の向こうからは情けない声が聞こえてきた。
「とりあえず、『魔理沙』は隠れてた方がいいんじゃないか?」
「あんた一人に任せられるわけないでしょ……!」
「任せとけ。ガラスの仮面を読破した私の演技力は、紫のツラの皮とタメ張るぜ。
いつも顔突き合わせてるアリスを演じるなんざ楽勝だ」
やたらと自信たっぷりに豪語する魔理沙。
ぺしぺしと筋肉をほぐすように頬を叩くと、再び玄関へ向かっていった。
そしてがちゃりと扉を開けると──
「ごめんなさい。今日お母さんがこっちに来てたこと忘れてたからびっくりしちゃって。
家の中が散らかってたから急いで片付けてたの」
と、にこやかに笑って見せた。
魔理沙、恐ろしい子……!
私よりも私らしいほどに、魔理沙は『私』になっていた。
でも魔理沙。中身があんただとわかって見ると、すごく気持ち悪いわ……!
魔理沙にうながされ、にこにこ顔で入ってくるお母さん。
そんな春真っ盛りみたいな顔が、私を見た瞬間一気に冬になった。
「どうしてあなたがアリスちゃんの家にいるの?」
底冷えするような声。
しまった。魔理沙がここまでできるなら、やはり私は隠れておくべきだったか。
「ねえ、アリスちゃん。
確かこの子に仕返しするために幻想郷に出てきたんじゃなかったかしら」
そう言えば最初はそんな気分がめらめら燃えてましたっけ。
一度宴会に誘われてから、もうそんなのどうでもよくなっちゃったけど。
「え、えっと……い、いつまでもいがみ合ってても仕方ないんで和解したんだよ。
一度こっぴどくやられちゃったしなー」
あはは、とできるだけ魔理沙っぽいしゃべりを心がけて答える私。
お母さんは目線で「そうなの?」と魔理沙に問う。
「ええ。最初は憎んでたんだけど、それがいつしか愛に変わっていったの」
「ぶっ!」
思わず吹き出す私。
ぴたりと、お母さんが硬直した。
うつろな視線があたりを漂う。
再び魔理沙をひっ掴み、お母さんに背中を向けて小声会議。
「あんた、何言い出してんのよ!」
「いや、ただ和解したってよりも自然かなと思ったんだが」
「いきなり愛が芽生える方がよっぽど不自然よ!
いいからもう余計なことしゃべんないで!」
「わかったよ」
はっとタイミング良くお母さんが我に返る。
「あはは。あり得ない単語を聞いたような気がして、お母さん現実逃避しちゃった」
「そ、そうだぜ。
アレだ。夕日をバックに殴り合って友情が生まれた的な──」
「あなたには聞いてないわ。
……どうなの、アリスちゃん。愛がどうとか、そんなことあり得ないわよね?」
私のフォローをずばっと切り捨て、魔理沙に再度問いかける。
そんなお母さんに対して、魔理沙は頬を赤く染め乙女のようにうつむいた。
何なのよそのリアクションは!
そりゃ確かに何一つしゃべってないけど!
きりきりと不快な音が響く。
私の胃かと思ったが違った。お母さんの歯ぎしりだ。
「私はこれまでずっとアリスちゃんの幸せを願ってきたわ。
アリスちゃんが見初めた相手なら素直に祝福してあげようと思ってた。
でも、私にも魔界を荒らされた遺恨ってものは残っているの……」
ごごごご……と家を震わせて魔界神の魔力が膨れ上がる。
「ならば! 弾幕勝負であなたという人物を見極めてあげるわ!
さあ、表に出なさい!」
お約束の展開キターーッ!
「ちょ、ちょっと落ち着いてお母さん!」
「あなたにお義母さんなんて呼ばれる筋合いはないわ!」
火に油。
殺気を振りまき、床を踏み抜かんばかりの足取りでお母さんは外へ出て行った。
魔理沙はがんばれー、とガッツポーズでノリの軽い応援をしてくれる。
「あんた何してくれてんのよ! 今の状態で弾幕しろっての!?」
「大丈夫だよ。アリスなら勝てるって」
「どうしてそんなにのん気なの! あんたの体なのよ!?」
「だってお前の強さは私が一番知ってるからな。
アリスを信じることに関しちゃ、私も神綺に負けちゃいないぜ」
「っ……!」
何か上手く丸め込まれたような気がする。
外に出た私を迎えるのは、沈む夕日をバックに六枚の翼を羽ばたかせた神の姿。
……どうしろってのよ。
「さあ……本気で来なさい!」
溢れる魔力が光線となり、私に向かって解き放たれた──
「はぁ……疲れた……」
気絶したお母さんをソファへ寝かせ、荒くなった息を整える。
「な、勝てただろ」
「まあ、ね……」
今の状態ではどうしようもないと思っていたが。
時間が経つに連れ馴染んできたのか、魔理沙の魔力の使い方を体が覚えてきた。
そうなれば私の身体は何度も戦った相手のもの。
身体能力も、牽制の仕方も、弾幕の構成パターンも、箒の旋回性能でさえ熟知している。
──私にとって『霧雨魔理沙』を演じることはとても容易かった。
「ううっ……。人間にまた負けるなんて……神なのに……」
ようやくお母さんが目を覚ます。
えぐえぐと泣きながら恨めしそうな眼で私を見る。
「何で一度戦っただけの相手にあそこまで見切られてるの……。
私ってそんなに弱いのかしら……」
絶望に打ちひしがれる魔界神。
いつもはぴんと立ってる髪がへにゃりとしおれてしまった。
そりゃ戦ったのは魔理沙じゃなくて、ずっとお母さんを見てた私だもの。
戦い方も頭に入ってるし。何よりお母さん、修行とか全然しないから……。
その場を重い空気が支配する。
それを打ち破ったのは魔理沙だった。
「ほら、お母さんもお腹減ったでしょ。
二人が勝負してる間に食事の準備をしておいたから。
仲直りにみんなで夕食にしましょ」
魔理沙にしては珍しく気が回るじゃない。
三人とも席に着き、めいめい箸を伸ばしていく。
美味しい。疲れた体に染み渡るようだ。
「ねえ、アリスちゃん。味付け変わった?」
……あ゛。
そうだった。
ここに並ぶ料理は『アリス』の手作りでありながら魔理沙が作ったものだ。
当然その味付けも魔理沙流。
「あ、えっと……!
そう! アリスが料理のレパートリーを増やしたいって言うから私が教えて──」
「うん。お嫁に行くなら相手の家の味を覚えるのは当然だもの。
お母さんにも食べてもらいたくて」
ぴしっと、一瞬で魔界神の石像ができあがった。
楽しい!? あんた私を追い詰めてそんなに楽しいの!?
「ぐぬぬ……!」
血の涙を流しながら、まさに鬼のような形相で私をにらむお母さん。
呪うような視線がびしびしと突き刺さる。
「……アリスちゃん、最後にもう一度だけ聞くから正直に答えて。
魔理沙とは、今どういう関係なの?」
私は口を挟めない。
お母さんの視線がレーザーのように私を牽制し、何かしゃべったら即座に撃ってきそうな気配だ。
そんな張りつめた空気の中、魔理沙はしばし考えるようなそぶりをし、はっきりと答えた。
「そう、一言で言うなら……。
私の体はあの子のもの、あの子の体は私のもの、よ」
──今度こそ、世界は凍り付いた。
そりゃ事実ですよ! 入れ替わってるもん!
けどそんな言い方したら全然ニュアンス違うじゃない!
「あ……」
お母さんの瞳からぶわっと滝のような涙が流れ出す。
かと思えば、もふもふと料理を口に詰め始める。
「アリスちゃんのばかぁぁぁぁぁ!」
そしてハムスターのように頬を膨らませたまま、お母さんは大泣きしながら外へ飛び出していった。
開きっぱなしの玄関から顔だけ出して見上げてみれば、
「子供ができたら見せに来るのよぉー」などと叫びながら、輝く六枚羽根は夜空の彼方へ消えていった。
「ふぅ、何とか追い返せたな。
今日は泊まってアリスちゃんと一緒に寝るの、とか言い出されてたらさすがにごまかしきれなかったぜ」
「……ゴクロウサマ。
それで、でまかせで塗り固められた私は今後お母さんとどう会えばいいの?」
一仕事終えた、という感じのエラそうな顔をする魔理沙。
対照的に私の方は心身共に疲れ切った姿だ。
「別にでまかせじゃなけりゃ、堂々と会えばいいんじゃないか?」
くいっと私の顎を持ち上げ、魔理沙が唇を近づけてくる。
「魔理沙……。
……あんたさ、自分の顔とキスするってのはどうなの?」
「……さすがに無いな。鏡に向かってするみたいだ」
その後、とりあえず何事もなかったかのように夕食を取り。
片付けも疲れ切った私に気を使ってくれたのか、魔理沙が引き受けてくれた。
「さて、最後の問題だ」
お皿洗いも終わって、エプロンを外しながら口を開く魔理沙。
「この上何があるってのよ……」
「風呂、どうする?」
あっちゃー。
ここに来て今までで一番厄介な問題だ。
「……少しくらい我慢よ」
「明日、確実に戻れるって保証でもあるんなら私だって我慢するけどさ。
いつになるかわからん以上、どこかで折り合い付けなきゃならんだろ」
「それは、そうだろうけど……」
「私は、アリスになら見られても良いよ……」
ええい、私の体でもじもじするな。
恥ずかしい台詞を言うな。
「あー、ごめん。悪いけど、私はまだそこまで割り切れないわ」
「まあそーだろな、別に謝るこっちゃない。
そうなると何か方法を考えんと」
魔法使いが二人、膝を突き合わせて思案する内容が風呂の入り方か。
何とも締まらない話し合いだわ。
「うーん、水着でも着るか?」
「いや……、着替えるときに脱ぐんだから同じでしょそれ。
ずっと目隠ししてるわけにもいかないし……」
「おお、それだ!」
ぽん、と手を叩く魔理沙。
どのへんがそれなのよ。ずっと目隠しなんて危なっかしくてしょうがないでしょうに。
「目隠しして二人で入って、お互いに洗いっこすりゃいいんだ。
それなら見るのも触るのも自分の体だけだろ」
「……あんた、さらっととんでもないこと言い出すわね」
「んじゃ、他に何か良い案でもあるか?」
──現実は非情である。良い案は出なかった。
二人揃って脱衣所へ。
面倒なので魔理沙のケープと、私のエプロンだけは先に外しておいた。
透けない程度に厚いハンカチを巻いて魔理沙の目を隠してやる。
腰のリボンも解いて、ばさりとワンピースを下ろす。
シャツを脱がせたところでもう『アリス』は下着姿だ。
何かものすごいことしてる気分になってきた。
目の前にいるのは自分とも魔理沙とも思うな。等身大の人形と思え。
……それはそれで変な趣味の人みたいだ。
半ばヤケになって一気に下着を脱がし、大きめのバスタオルを落ちないようにきつく巻く。
何とか作業完了だ。
次はこっちの番。
ハンカチを巻き、魔理沙の指示通りに体を動かしていく。
さっきは見られてもいいとか抜かしてたが、自分だけというのは不公平らしい。
「自分の服脱がすって変な気分だな」
「うるさいしゃべるな無心でやるのよ」
そんなこんなで、バスタオル巻いた私たちは浴槽の中。
何とか体が触れない程度には距離を取れた。
ゆったりできるよう広めに作っておいて良かった。
さて、ここからが本当に厄介な時間の始まりだ。
再度目隠しをし、お湯を吸って重くなったバスタオルを取り去り椅子に座る。
一糸まとわぬ姿になった『魔理沙』の体をわしわしと魔理沙の手にしたスポンジが洗い始めた。
手に、足に、背中に。
見えないから次にどこに来るかわからず、何かが触れるとぴくりと反応してしまう。
視覚を封じてるぶん、他の感覚が鋭敏になってるのだ。
「やっ……」
「おい、変な声出すなって」
「し、仕方ないでしょ! せめて次どこ洗うかくらい言いなさいよ!」
かなりマズい。体が他人の物とはいえ、感覚は自分の物なのだ。
つまりこれは魔理沙の──
そんな中、ふにっ、と。
「ぁんっ! ……って何してんのよいきなり!」
「うーん、やっぱ私の胸小さいなーと思って。
背はそこまで変わらないのに、こっちのタオルを押し上げる膨らみを見るとなおさらなー」
「あんた本気で黙らすわよ……!」
魔理沙の手は髪へ。
さすがにハンカチは邪魔になるので外して目を閉じる。
背中まである長い髪が泡に包まれていく。
が、手付きが少しだけ乱暴だ。
「いたっ!」
「あ、悪い。ごめんな」
「もう……もっと優しくしないと髪が傷むわよ。
せっかく綺麗な髪してるんだから丁寧に扱いなさいよね」
「うん。えへへ」
「……何?」
「いや、髪ほめられるとやっぱり嬉しいな」
「ふぅん。あんたでもそういう女の子っぽいとこあるんだ」
「そうだぞ。アリスはもっと私のかわいいとこを再発見するべきだ」
「はいはいかわいいかわいい。そういうの自分で言わなけりゃもっとかわいいわよ」
ざばっとお湯を掛けられ、全身の泡を流してバスタオルをきつく巻かれる。
そして交代。
目の前には目隠しした裸の自分。
白い肌が赤みを帯びて、自分の体ながら色気を感じてしまう。
……やはり倒錯的な絵だと言わざるを得ない。
一応「次は手よ」などと声を掛けながら、何も考えないように体を流していく。
「んっ。……あー、なあアリス、これって」
「お願いだから言わないで」
「……アリスの弱いとこ、丸わかりだな」
「言うなっつってんでしょ!?」
失敗だ。
やはりお風呂は我慢すべきだった。
「はぁ……。もうとっとと終わらせないと」
自分のではあるが、他人の髪。
気持ち優しめに、力加減はこんな感じでいいだろうか。
「やばい、アリスに髪洗ってもらうのめちゃくちゃ気持ち良い。
癖になりそうだな、これ。元に戻ったら私の髪も洗ってくれよ」
「バカ言わないでよ。自分で覚えなさい」
体を拭き、下着とパジャマを着せるのも脱がすときと同じくらいに大変だった。
お風呂に入って気疲れするのも本末転倒な気がするわ……。
今日一日、本当に疲れることばかりだった。
三日徹夜してもここまでの疲労はしないだろう。
もうベッドに入って泥のように眠りたいところだ。
──我が家のベッドは一つだった。
「……私、ソファーで寝るわ」
「主人をソファーに寝かせて、私はベッドで寝ろってか」
「今はあんたが『アリス』なんでしょ」
「今は私もお前も『魔理沙』であり『アリス』でもある。
ならベッドも半分ずつ使うのがスジってもんじゃないか?」
「とんだ屁理屈だけど、今日はもう反論する気力もないわ……。
……寝ぼけて抱きついたりしないでよ」
のそのそと二人してベッドに収まる。
布団がこんなに気持ちいいと感じたのは久しぶりだ。
「……ねえ、魔理沙」
明かりを消してしばらくした頃、ぽつりと魔理沙を呼んだ。
「……何だ?」
「パチュリーの手腕を疑うわけじゃないけど。
……もし、このまま戻れなかったらどうする?
どれだけ時間を掛けてでも、元の体に戻る方法を探す?」
「んー、どうするもこうするも。
そん時はこの体で『霧雨魔理沙』をやらせてもらうかな」
何の躊躇もなく、魔理沙はそう答えた。
「妖怪の体よ? いいの?」
「アリスの体だ。お前がいいなら私もかまわないよ。
私だって魔法使いになるのを考えないわけじゃないから」
「……なら私も気兼ねしないで済みそうね。
もしそうなったら、この体に一から人形操術を叩き込んで、捨虫の法も迷わず使わせてもらうわ」
杞憂ではあろうけど。
一応覚悟はしておいて困るものでもない。
「ああ、でもアレだな。
やっぱアリスの部分もあるわけだから、魔理沙・K・マーガトロイドとか名乗った方がいいのかな」
「何よそれ。
じゃあ私もアリス・M・霧雨とか名乗れっての?」
「私の部分は日本人だから霧雨アリスをお薦めするぜ」
「はぁ……バカ言ってないで寝るわよ。
どうなろうとあんたは『霧雨魔理沙』で、私は『アリス・マーガトロイド』、でしょ?」
「そだな。おやすみ、アリス」
「ええ。おやすみ、魔理沙」
とりあえず今考えることはもう無くなったようだ。
心地よい暖かさに身を任せ、私はあっという間に眠りの世界に落ちていった。
「……ん?」
ばたんばたんとドアを蹴り開けるような音が聞こえる。
寝室の入り口に目を向けると、ちょうど扉が蹴り開けられたところだった。
──起床符『ジンジャガスト』
捲れ上がったシーツに巻き取られ、二人してクレープの具になりベッドから転げ落ちる。
ベッドごと吹き飛びそうな暴風で起こされたのは初めてだ。
「……もう少しやさしく起こしても罰は当たらないでしょうに」
「こちとら徹夜明けだってのに、幸せそうにぬくぬく抱き合って寝てたからちょっとイラッと来ただけよ。
一発かまして気分は晴れたからもう問題ないわ」
何で攻撃した方が問題ないとか言ってるの。
やや遅れて、魔理沙ものそのそとシーツから這い出てきた。
「何だパチュリー、もうできたのか?」
「ええ、急がなきゃならない理由もあったから」
「急ぐって……どうして?」
「体が魂から影響を受けるように、魂も体から影響を受けるわ。
時間が経てば経つほど今の体に馴染んできて、元に戻っても自分の体なのに違和感を覚えるかもしれない」
確かに、魔理沙の魔力の使い方も時間が経つほどに体が理解していた。
魔理沙の情報を魂が記憶してしまったら、私の体との差異で感覚が変わってしまうかも。
「だから急いで仕上げてきたんだけど……。
正直、未完成も良いとこの強引な術式だから、体に対する負担は結構大きいの。
完成を望むならもう数日必要になるわ」
「いや、今すぐ頼むぜ」
「ちょっと魔理沙、負担が大きいのは人間の体のあんたの方よ?
そんな簡単に決めちゃって──」
「昨日の夜はああ言ったけど、やっぱり私は元の体が良い。
自分の顔とじゃキスするのも困るしな。
……まあ胸のサイズはちょっと惜しいが、これからの成長に期待するさ」
「ふっ……、成長の余地があればいいわね。儚い希望だろうけど。
アリス、あなたの意見は?」
「じゃあ私からもお願いするわ。
お母さんが創ってくれた大事な体だもの」
外では小悪魔がすでに魔法陣の準備を進めていた。
パチュリー自身も私たちが断ることは考慮外だったようだ。
「しかしこんなに朝早くに来るほどだったのか?」
まだ時刻は日が昇り始めた頃だ。
普通なら魔理沙どころか私も眠っているくらい。
「魂を扱う術なんて閻魔や死神に見つかったら面倒だから。
閻魔は昨日の定例会でレミィに頼んで酔い潰させておいたから二日酔いに苦しんでるし、
この時間なら死神は確実にまだ寝てるわ」
恐るべき手回しの良さだ。
説教を食らったレミリアも今頃うなされているだろうが、それは置いておく。
「そしてこの家の周囲にはすでに人払いの結界を敷いてある。
これで森にいるような妖怪は近づけもしないし、邪魔しそうな人間は術の対象だから除外。
……完璧ね。非の打ち所もない」
自信満々に言い切るパチュリー。
確かにかなり強力な結界が張ってあるようだし、これなら邪魔も入るまい。
「──始めるわ」
私たちが魔法陣の中に入り、パチュリーが呪文の詠唱を開始する。
それに応えて陣が輝き、魔力が満ちてゆく。
「やれやれ、これで今回の一件も終わりそうね」
「そーだな。良かった良かった」
私がやったときと違って光の壁はできないようだが、そもそも結界があるから邪魔も入りはしないだろう。
ふっ、と体から意識が浮き上がる感覚。
結界の中にいる私たちの体に術式が作用し始めたのだ。
「魔法の森に謎の光! その時特派員が見たものは──あやっ!?」
そして悲鳴は遥か上空から。
そうね、こいつくらいの力があったら霊夢並みの結界じゃないと意味ないわよね。
ああ、こういうのって何て言うんだっけ。
後悔先に立たず? 後の祭り?
──思い出した。マーフィーの法則だ。
失敗する余地があったら失敗する。
バナナの皮が落ちてたらすべって転ぶのだ。
「むきゅっ!?」
倒れる私の目には、気を失って落下してきた天狗に潰されるパチュリーの姿がスローモーションで映り。
そのまま二人が魔法陣の内側に倒れ込んだところで、私は意識を手放した。
目蓋が閉じられていても、魔法陣の放つ白光は焼き付きそうなほどに強烈だった。
「……ぅ」
目を開けて、最初に見えたのは。
──三脚立てたカメラの前でセクシーポーズを模索する『私』であった。
結局の所。
四人揃って閻魔に土下座し、天狗から巻き上げた霊夢ピンナップを
スキマ妖怪へ献上することにより、事態は何とか終結を迎えることとなった。
だが助力を頼んだことで今回の件は閻魔の知るところとなり、
四人──と相変わらずサボっていた死神──は揃って説教地獄の刑に処されることに。
中でも私は主犯ということで半日以上の追加メニューが組まれてしまい、
幻想郷の歴史から始まり、宗教、哲学、文学、法学、果ては心理学まで絡めて延々と続き。
最後は「魔理沙の手綱を締めること。これが今のあなたが積める善行よ」と締め括られた。
……私って普段から善行積んでるんじゃないの?
「しかし何つーか。私たち、これがホントのくさい仲ってヤツだな」
「……え? オチがそれ?」
※
※3kb弱ほど、うふふ空間が発生しそうですが
※パッチェさんが「そこまでよ!」するほどではなさげです。たぶん。
「これ、貸してもらえないかしら」
「別にかまわないけど……」
大図書館の主・パチュリーは手にした本から私に視線を向ける。
ちらりと私の差し出した本を確認し、了承してくれた。
「……でも、その書は」
「大丈夫よ。無関係の人間を巻き込むほどバカじゃないわ」
「……それも魔法使いとしてはどうかと思うけど。まあいいか」
遣り取りはそれだけで終わり、パチュリーの視線は手元の本に戻っていった。
それから一週間後の朝。
「これくらいの規模になると、魔法陣を作るのも結構な手間ね」
自宅の庭に人形を使ってがりがりと陣を刻む。
できれば儀式的な魔術の類は工房でしたいのだが、魔法陣のサイズからしてちょっと無理があった。
仕方ないので庭でやることにしたのだ。
朝にしたのも、できるだけ邪魔が入らないように。
魔法の森には妖怪もいるのだが、基本的に夜型が多いので多少はマシなはずだ。
完成した魔法陣へ足を踏み入れ、呪文の詠唱を始める。
中心部には人形が一体。
図書館で借りてきた本に書かれていたのは、簡単に言うと人間から魂を抽出する魔法だ。
外道の法ではあるが、この上なく魔法使いらしいものでもある。
魔術・呪術の類なら「魂」という物の需要はいくらでもあり、
こういった術が存在するのもまた必然と言えた。
しかし、この幻想郷でそんな真似をすれば、まず紫か霊夢を敵に回すことになる。
パチュリーが注意しようとしたのもそんなところだろう。
長々と語ったが、別に私はこの術を人間に対して使うつもりなど毛頭無い。
術の対象は私なのだから。
付喪神というものがある。
正しくは九十九神、と書くのだろうか。
長い時間を経て、物に魂が宿り妖怪となるという話である。
実際メディスンもこの類だと思う。
後天的に魂が宿った人形というのは、私の目指すものとはやや外れているが、
「自立人形」という物に対する答えの一つではあるのだろう。
しばらく前、一人で動く人形を見たと言う魔理沙とそんな話をしてみた。
「ふーん。できたときから魂を持ってる人形、か。
そんなの難しくないじゃないか」
「……専門でもないあんたが適当なこと言うもんじゃないわよ」
「要するにひとつの生命を創るってことだろ。
子供産んだらどうだ。何なら協力しても──」
ほっぺたを思いっきりつねって、しばらく口をきいてやらなかった。
閑話休題。
だが、外れているとは言え「自ら考え、動く人形」に興味はある。
メディスンが協力してくれればいいのだが、彼女は人形遣いに敵意を燃やしているらしく。
捕まえて無理矢理調べるという手段もありはするが、今後を考えるとあまり取りたくはない。
ならば。
自分の魂のほんの一欠片を人形に入れて様子を見てみよう。
などと思い立ち、図書館へ。
その手の本を借りてきて、術の解析とアレンジに費やすことおよそ一週間。
そして今に至るというわけだ。
呪文は朗々と歌うように。
難しい術式だが、大丈夫。
魔法の制御に関してはそれなりの自負はある。
詠唱に応えるように魔法陣が輝き、円の外周が光の壁を作っていく。
元は術にかかった対象を逃げられなくするための檻だが、今は邪魔の入らない壁にもなってくれる。
OK、完璧。何の問題ないわ──
「おーい、アリス。何やって──ぶぎゃ!」
OK、私には何の落ち度も無かったと思いたい。
天へと伸びていく壁に引っかかり、落っこちてくる声の主。
どかん、と。
お約束のように直撃され、そこで私は意識を手放した。
倒れる寸前、魔法陣の放った閃光は閉じた目蓋を灼くほどにまばゆかった──
「──ッ……」
気が付いた私は、ゆっくりと目を開ける。
気絶して倒れていたようだ。
最初に目に入ったのは、光を失った魔法陣と横たわる人形。
動く気配すらない人形の様子を見ると、どうやら術は失敗に終わったようだ。
まあ消費した魔力が回復してからやり直せば済むことなので、気に病むほどでもない。
頭がずきずきと痛む。
そういえばあいつはどこへ行ったんだ。
実験を失敗させた上に、倒れた私をほっぽって行ったのか。
今度会ったらめいっぱい叱ってやらないと。
痛む頭をさすりつつ、起き上がり──
目に入った服が見慣れない──いや、見慣れてはいるが着たことのない──ものだった。
黒い。
白い。
「──え゛?」
頭をよぎる悪寒を振り払ってばたばたと家の中へ。
慌てて転びそうになりながら洗面所の鏡へ向かう。
映ったのは長い金髪、片方だけ編んだお下げ、愛嬌のある顔立ち……。
紛れもなく、霧雨魔理沙だった。
「嘘でしょおおおおおっ!?」
非情にも、鏡の中の『魔理沙』は私とまったく同じ様に頭を抱えていた。
はっと我に返る。
ひとつ、私が魔理沙になっている。
ふたつ、あの場には私しかいなかった。
私の体の行方はもはや考えるまでもない。
本来なら術式を制御して私の魂を体から浮き上がらせ、一部分だけ切り離すつもりだった。
だが魔理沙が魔法陣の中に落ちてしまったために、一緒に術の対象にされてしまったのだ。
そして二人とも魂が体から離れかけた状態での物理的接触。
私が気を失ったことで術の制御は途切れ、
飛び出た魂がそのまま収まってしまったとかそんなところではないか。
総合して書くと「頭をぶつけて入れ替わっちゃった」と。
……笑えない。ぜんっぜん笑えないわ。
外に出て、空を見上げてみる。
太陽の位置はそれほど高くなく、長時間気絶していたわけでもないらしい。
とっとと魔理沙……と言うか私の体を見つけないと。
地面を蹴って飛び上がる。
「……あれ?」
……飛べない。
魔理沙の身体だから飛べないわけではない。
魔法使いたるもの、浮遊術くらいはできて当然だ。
でないと、うっかり箒から落ちようものなら大惨事である。
すぐに浮かんだ考えを確認すべく、集中してイメージを組み上げる。
かざした手から放たれたのは──いつもなら数えるのもバカらしいはずの──わずか数発の魔弾であった。
魔力が落ちている、と言った類ではない。
私が「魔理沙の魔力」の使い方を掴んでいないのだ。
ならば魔理沙も私の体で大した力を振るえないはず。
魔法陣の周囲を見渡すが、魔理沙の箒がない。
私も物置から庭掃除用の箒を引っ張り出して、それに跨り魔力を通す。
箒で空を飛ぶなんて久しぶりのことだが──
「……何とか行けそうね」
ふわりと私を乗せた箒が浮かび上がる。
熟知してない魔理沙の体に魔力をめぐらせて飛ぶよりも、
単純な物を浮遊させて乗る方が容易いと踏んだが、どうやら上手く行ったようだ。
森の木々よりも高くまで浮かび上がる。
さて、魔理沙を追うにしてもどこへ向かうべきか。
それには魔理沙の目的──つまる所、私の体で何をするだろうか、ということを考えなければ。
……いや、さすがにアレなことはしてないわよね。……しないわよね?
例えば大図書館。
私になりすまして本を借りるとか?
──たぶん無い。
相手がパチュリーともなれば見破られる恐れがあるし、何より魔法をまともに使えない状態だ。
魔理沙は分の悪い賭けはしても、勝ち目のない場所へ飛び込むような愚はそうそう犯さない。
となれば、まああそこしかないか。
「──いた」
予想は的中していたらしく、向かう先に箒に乗った『アリス』の姿。
だが見える姿は一つではない。
ちかちかと二人の周囲で輝く物が見える。
何者かと弾幕勝負に及んでいるようだ。
「もう、私の体に傷でも付いたら……ってちょっと!」
弾幕よりももっと深刻なものを見つけてしまった。
箒にめいっぱいの魔力を注ぎ、一気に加速。
「──っあああああああッ!」
ドッグファイトを演じる二人の間に割り込みを掛け、すれ違いざまに相手──氷精だった──を蹴っ飛ばす。
それを踏み台に方向転換を掛け、魔理沙をひっ掴んで地面へ向かって急降下。
激しい音を立てて、私と魔理沙はもつれるように着陸した。
「ってて……。熱烈なアタックだな」
私に組み敷かれたまま魔理沙がぼやく。
「あんた、人の体で何やってんのよ!」
「何って、見ての通りの弾幕ごっこだろ。
不慣れなままでもチルノ相手に負けやしないぜ」
「そっちじゃないわよ!」
こいつは私の体で箒に跨っていたのだ。
私がいつも着てる服は魔理沙と違ってスカートが細めで長い。
当然そのまま跨ろうとすれば引っかかる。
それを気にせずそのまま強引に跨っていたのである。
もはやスカートは太もも放り出すまで捲れ上がり、さらには──
「あんな格好じゃパンツ見えちゃうじゃないの!
私はあんたと違ってドロワーズじゃないんだから!」
もしもあんな姿を盗撮カラスに撮られようもんなら。
明日の朝刊は「人形遣いのご乱心。七色なのに下着は純白」とか頭の悪い見出しを付けられて、
新聞のくせに豪華フルカラーで幻想郷中にお届けされていたことだろう。
ばしん、と怒りのままに魔理沙の頭をひっぱたく。
叩いた後で自分の頭なのを思い出し、何やってんのよと自己ツッコミまでがワンセット。
「とにかく、捕まった以上はおとなしく従ってもらうわよ」
「へいへい。それにしてもよく見つけられたな」
「……アリスに捕まったら元に戻されちまう。
ならそうなる前に楽しまないと損だな。
とりあえず他の連中より先に、危険のない霊夢でバレるかどうか試しておくとするか。
そんなとこでしょ」
「……エスパーかお前」
「あんたの考えそうなことくらいすぐ読めるわよ」
実際、ここは私の家と博麗神社を結ぶ直線上だった。
魔理沙が弾幕勝負で時間を潰されてたから追いつけたというわけだ。
「で、どうするんだ?
アリスん家に戻ってもう一回同じ魔術を試すのか?」
「上手く飛べもしない現状じゃ、術式を支える魔力の制御ができるとも思えないわ」
そうなると誰かの力に頼るしかないわけだが。
「紫……は却下だな。
こんな滅多にない状況、あいつの退屈しのぎにされるだけだ」
「永琳は……専門外ね。
第一、魂が抜ける薬とかただの毒だろうし」
幻想郷の誇る二大便利屋は候補外。
「って事は……」
「餅は餅屋ってことなんだけど……」
動かない大図書館、パチュリー・ノーレッジ。
魔法のことなら真っ先に名前を挙げるべきではあるのだが。
「あんまり相談に乗ってくれなさそうな気もするな。
私が絡んでるし、いい気味だわって感じで」
「他に頼れるアテもないんだから。
会えばどうせバレるだろうし、正直に話して頼んでみるわ」
ここから紅魔館へは結構な距離があり、飛んで行かなければ日が暮れても着きはしない。
が、私が乗ってきた箒は急降下で地面に突き刺さり、半ばから真っ二つにへし折れていた。
「そうなると私の箒に二人乗りしかないわけだが」
「……当然、私が前ね。さっきみたいな格好で乗られちゃたまんないわ」
私が箒に跨り、その後ろに魔理沙が腰掛けるように座る。
外見だけなら普通に二人乗りするときの形ではある。中身は逆だけど。
ふわりと箒が浮かび上がる。
二人分を乗せても何とか飛べるようだ。
高度と重量と速度はお互い反比例するため、ずいぶんとスピード控えめなのは仕方ない。
「……ひとつ、言い忘れてたわ。
私のミスであんたまで巻き込んじゃって、本当にごめんね」
「あ、いや。私の方も、ごめんって言うか。
うかつに近づいた私も悪かったんだから、おあいこってことで、な」
ここで後ろを向けば、照れをごまかしている珍しい『私』が見えたのかも知れない。
落ちないように、魔理沙が腕を腰にまわして背中に体を預けてくる。
くっついているのは自分の体だというのに、やけにドキドキした。
紅魔館への道程は滞りなく。
魔理沙の名前は十分に知れ渡っており、妖精や力の弱い妖怪に絡まれたりすることもそうそう無い。
ついでに『アリス』も同乗しているとなればなおさらだ。
これでケンカを売ってくるのは、よほどのバカか、よほどの強者か──
「あやややや。二人乗りで遊覧飛行ですか」
さて、こいつはどっちに分類すべきなのか。
「デートですか? デートですよね?
デートでしかあり得ないですよね? おおあついあつい」
箒の進路を塞ぐように移動し、カメラを向けてくる文。
「最近大した異変も起きないせいで、新聞にも彩りが足りませんで。
ここはひとつネタの提供をお願いできませんかね」
しゅびんしゅびんと高速移動を繰り返し、残像が私の上下左右を取り囲む。
凄まじいうざったさである。
霊夢はこんなのにまとわりつかれてよく平気でいられるものだ。
「一発濃ッ厚なラブシーンとか……。
ああそう言えばこの先は図書館でしたね。もう一人加えてどろどろの三角関係を捏造し──」
「うるさいわよ……だぜ」
目の前に来た瞬間、わっしとカラスの頭を鷲掴み。
続いてばしん、と掴んだ掌から魔弾を発射。
目を回して湖へ真っ逆さまに落ちていき──ぱしゃんと文の姿は水柱になった。
「……お前ってわりと容赦ないよな」
「仕方ないでしょ。今の私たちじゃ二人がかりでも勝てるわけないんだから」
紅魔館。
図書館へ行くなら当然ここの門を通る必要がある。
そして門には門番がいるのも当然のこと。
「こら魔理沙! あんたを通すわけには──ってアリスさんも一緒ですか」
「あ、ああ。今日はパチュリーに用があって。
それでアリスも一緒なの……だぜ」
「む……。アリスさんはお客として通すよう言われてるんだけど、魔理沙は……」
しばし考え込む美鈴。
「うーん……アリスさんのおまけということで通しますけど。
あの、くれぐれも魔理沙が悪さしないように見張っててくださいね」
と、私の後ろに座る人物に向かって言う。
そっちが魔理沙だったりするんだけど。
当の魔理沙は顔を引きつらせて、攻撃衝動を何とか抑えているようだ。
とりあえず許可は頂いたので、そのまま門を通らせてもらう。
そのまま広い庭園を抜け、威圧するかのような仰々しい扉の前に着地する。
「よく我慢できたわね。えらいえらい」
「ふん。お前は顔パスなのかよ」
「誰かさんと違って私はちゃんとしたお客扱いなの。
入館料代わりにお茶菓子くらいは持参するし、本を借りるときも許可を取ってるわ」
大図書館は紅魔館地下。
そこへと繋がる廊下を二人して歩く。
妖精メイド程度ならどうとでもなるし、咲夜に会っても『アリス』がいるなら通してくれるだろう。
門を通ったならそう警戒することもないか。
「あー、魔理沙だー」
唐突に聞こえた幼い子供の声。
しかし、それは悪魔の声だ。
枯れ枝に宝石をぶら下げたような特異な翼をはためかせ、こちらにやってくるフランドール。
「一番まずい相手に会っちまったぜ。
フランは手加減なんて知らないからな」
私たちの前に立ち塞がり、無邪気に笑う吸血鬼。
何で朝っぱらから起きてんの。せめて昼過ぎまで寝てなさいよ!
「魔理沙、私と遊んでよ」
制御を放棄したかのような破壊力の塊。
よく魔理沙はこんなヤバい相手とやり合う気になるものだ。
今の私たちでは戦うどころか逃げる算段もおぼつかない。
さて、どう生き延びたものか。
「待ちなさい、フラン。二人は私の客よ」
助け船は思わぬ所から差し出された。
「いくらお姉様の言うことでも、私の邪魔は──」
「後で私が遊んであげるから、向こうで待ってなさい。
今日の魔理沙は調子が悪いわ」
「……むー、わかったわ。
じゃあ今度来たときは私の相手をしてね、魔理沙」
べーっとレミリアに向かって舌を出し、フランドールはもと来た方へと飛んでいく。
「助けられたわね。……お礼を言うべき?」
「必要ないわ。ただの気紛れ。
今回の件じゃ、私の力でできる手助けなんてこんなものだから」
ああ、そう言えばこいつの能力なら色々知っててもおかしくない。
だいたいご存じってわけだ。
「運命を操るなんて言ってるわりにゃ謙虚なことで。
役立ちそうなアドバイスのひとつでもしたらどうだ?」
「あら、運命論者とは知らなかったわ。
私に手を引かれて平坦な道を歩きたい?」
「そいつはぞっとしないな」
「私も遠慮しておくわ。どこに向かわされるかわかったもんじゃない」
「信用無いわね。まあそれでいいわ。
何が起きるかわからないから退屈しないで過ごせるってものよ」
「実感のこもったお言葉だぜ」
「そりゃお前の三十倍くらいは先輩だからね。
ありがたく聞いときなさい」
小さく肩をすくめたレミリアはフランドールの行った方へ歩き出す。
ふと、何かに気付いたように顔だけ振り返り
「まあ、ひとつ助言くらいはしてやるか。
落とし穴には気を付けなさい。……この場合はバナナの皮かも」
それだけ言うと、レミリアの姿は煙のようにかき消えた。
「バナナの皮……? 何のことだろな」
「さぁね……わかりやすい話を期待する方が間違ってるわ。
とりあえず、すべって転ぶなら注意力のないあんたの方だろうし。
せいぜい地面に気を付けといて」
大図書館。
薄暗い通路を進み、いつものように机へ向かう主の元へ。
その背中に声を掛ける前に、パチュリーはこちらへ振り向いた。
「……何かあったのね」
座ったまま、私たちに視線だけ向けてつぶやく。
「さすがにわかる?」
「ふん、魔理沙が静かに入ってきた時点で異常事態よ」
……そりゃ客扱いされるわけないわ。
「ドジね」
これまでの経緯を話した私を、パチュリーはにべもなく一言で切り捨てた。
ぐっと言葉に詰まる。
ねちねち言われるのはゴメンだが、バッサリやられるのも結構こたえるものだ。
今後魔理沙を叱るときも、バカバカ言わずにもう少し言葉を選んでやろう。
「まあ魔法の事故で私の所に来るのはうなずけるけど。
──私が素直にうなずくとでも思ったの?」
口の端を少しだけゆがめ、薄く笑う。
「今の魔理沙なら小悪魔でもあしらえる程度。
私はこれでネズミ退治に悩まされることも無くなるのよ?
ついでに言うなら、もう一人くらい頭の良い使い魔が欲しくなってきたわ」
そして獲物を捕らえる蛇のような目で私を見る魔女。
魔女の瞳は見つめるだけで魔法を掛け得る魔眼だ。
抵抗力が無ければあっさり術中に落ちるだろう。
「おい、パチュリー!」
掴みかかりそうなほどに語気を荒らげた魔理沙を手で制す。
「落ち着きなさい。
だいたい今の私を支配したけりゃ、一言唱えればいつだってできるのよ。
私たちに言う必要もないわ」
「……ッ! だけど」
「わざわざ口に出したのなら、何か条件でもあるんでしょう。
元の体に戻れたら私がその条件を飲むわ」
「あら、あなた一人で?」
「ええ。私のミスが招いたことだもの。
……もちろん条件の程度によるけれど」
何か言い出しそうな魔理沙の口を塞いで黙らせておく。
もがもがとやかましいが無視。
「ま、引き受けてもいいわ。
次に来るときは気合入れたケーキでも持ってきてちょうだい」
「……そんなことでいいの?」
「ただ魔法が使えない程度ならネズミには良いお灸かもしれないけど、
ここまでの事態だとそうも言ってられないわね。
これでも困っているところを助けるくらいには、友人のつもりよ」
「ありがとう、パチュリー」
「ふん、強いて言うなら『素直にお礼を言う魔理沙』なんて
夢見が悪くて仕方ないだけよ」
パチュリーはいつもの半眼で微笑んだ。
「で、貸した本は?」
「もちろん持ってきてるわ」
帽子から魔道書を取り出し、使った魔法のページを開いて見せる。
……何気なく使ったけど意外に便利ね、この帽子。
そして術式のうち、アレンジした部分や入れ替えた部分などを説明していく。
さすが無窮の知を誇るパチュリー、詳しい説明も必要なく理解してくれる。
伊達にむきゅーむきゅー言ってない。
「……しばらく時間をちょうだい。
お互い元の体へ魂を誘導しないといけないから、ちょっと手を加えるわ」
それきり、机に向かうとパチュリーは自分の世界に埋没した。
もう私たちが何を言っても聞こえてすらいないだろう。
「行くわよ、魔理沙。後は任せましょう」
「ん? ああ」
返事はちょっと離れた本棚から。
長話に退屈し、本を漁ってはスカートの中に突っ込んでいく魔理沙が目に入る。
美鈴との約束もあるので、とりあえず首根っこ掴んで引きずりながら私たちは紅魔館を後にした。
「……で、何でお前がここにいるんだ?」
「私の家だからに決まってるじゃない」
マーガトロイド邸。
改めて言わなくても私の家である。
紅魔館から戻ってくる頃にはすでに夕方近くになっていた。
ようやく落ち着けるかと思ったところに魔理沙の一言が飛んできたのだ。
「今の『アリス・マーガトロイド』は私だぜ?
『霧雨魔理沙』さんも自分の家に戻ったらどうだ」
「……私の家にあんたを一人にしておけるわけないでしょうが。
何が無くなるか知れたもんじゃないわ」
「何度も言わせるなよ。今の『アリス』は私だ。
従ってこの家の物をどうするかも私の自由ってわけだ」
ああそう。そういうこと言うんだ。
浅はかにもほどがある。
「じゃあそうさせてもらうわ。
せっかくだから魔理沙らしく魔法の実験でもしようかしら。
うっかり家ごと消し飛ぶかもしれないけど『魔法は火力』だから仕方ないわよね」
魔理沙はすかさず土下座して私を引き留めた。
かちかちと。時間だけが過ぎていく。
色々と疲れたが、紅茶を淹れてようやく一息付けた。
あとはパチュリーに任せて、私たちはなるべく外と関わらないよう過ごすだけだ。
「……どうしたの、魔理沙」
「いや、別に。何でもない」
せっかく淹れてあげた紅茶が一口も減らないまま冷めだしている。
そして何でもないと言いながら、妙にそわそわと落ち着かない様子の魔理沙。
そういえばお茶を飲むと近くなる。
それに私、今日は朝から──
「もしかして、トイレ?」
「言うなよ! 我慢してんだから!」
「私の体で我慢されても困るんだけど。
お願いだから行ってきて。
……その、絶対、下、見ないでよ」
言ってることの意味を理解して顔を赤らめる魔理沙……とついでに私。
ええい、言う方も恥ずかしいのよこんなこと。
もう限界が近かったらしく、魔理沙はぱたぱたと慌てて駆けていった。
そのまま、十分以上経ってようやく戻ってきた。
「……やけに長かったわね」
「いや、その……。いざ下着を下ろそうと思ったらすごい勇気が必要で……
でも、何とか吹っ切れたからもう大丈夫」
「ああ、そう……」
何かどっと疲れが増したような。
手で顔を覆ってため息を吐く。
……ちなみに私は五分かかった。私も精神修行が足りない。
こんこん、と。
手を洗って戻ってきたところにノックの音が。
普段は全然人なんか来ないってのに、こんな時に来客か。
「どうすんだ?」
「……出て。一応今の『アリス』はあんただから」
頷いて玄関へ向かう魔理沙。
きぃ、と扉が半分ほど押し開けられる。
「はいはい、どちら様?」
魔理沙の背中に隠れて顔は見えないが、扉の隙間から見えたのは真紅の服。
そして肩のあたりから見えているのは特徴的な髪。
まとめ上げられた一房がぴんと立った──
「こんばんは、アリスちゃ──」
ばんっ!
誰が現れたのかを瞬時に理解し、猛烈なダッシュ。
その声を遮るようにあらん限りの力で扉を閉め、
返す刀で魔理沙を抱えて飛び退くように玄関から距離を取る。
「今のって、神綺だよな……」
「忘れてた……。お母さん、今日は定例会でこっちに来てるんだったわ……」
扉の向こうに聞こえないように、なるべく声を殺して話し合う。
「アリスちゃ~ん……。開けてくれないとお母さん泣いちゃうわよぉ……」
扉の向こうからは情けない声が聞こえてきた。
「とりあえず、『魔理沙』は隠れてた方がいいんじゃないか?」
「あんた一人に任せられるわけないでしょ……!」
「任せとけ。ガラスの仮面を読破した私の演技力は、紫のツラの皮とタメ張るぜ。
いつも顔突き合わせてるアリスを演じるなんざ楽勝だ」
やたらと自信たっぷりに豪語する魔理沙。
ぺしぺしと筋肉をほぐすように頬を叩くと、再び玄関へ向かっていった。
そしてがちゃりと扉を開けると──
「ごめんなさい。今日お母さんがこっちに来てたこと忘れてたからびっくりしちゃって。
家の中が散らかってたから急いで片付けてたの」
と、にこやかに笑って見せた。
魔理沙、恐ろしい子……!
私よりも私らしいほどに、魔理沙は『私』になっていた。
でも魔理沙。中身があんただとわかって見ると、すごく気持ち悪いわ……!
魔理沙にうながされ、にこにこ顔で入ってくるお母さん。
そんな春真っ盛りみたいな顔が、私を見た瞬間一気に冬になった。
「どうしてあなたがアリスちゃんの家にいるの?」
底冷えするような声。
しまった。魔理沙がここまでできるなら、やはり私は隠れておくべきだったか。
「ねえ、アリスちゃん。
確かこの子に仕返しするために幻想郷に出てきたんじゃなかったかしら」
そう言えば最初はそんな気分がめらめら燃えてましたっけ。
一度宴会に誘われてから、もうそんなのどうでもよくなっちゃったけど。
「え、えっと……い、いつまでもいがみ合ってても仕方ないんで和解したんだよ。
一度こっぴどくやられちゃったしなー」
あはは、とできるだけ魔理沙っぽいしゃべりを心がけて答える私。
お母さんは目線で「そうなの?」と魔理沙に問う。
「ええ。最初は憎んでたんだけど、それがいつしか愛に変わっていったの」
「ぶっ!」
思わず吹き出す私。
ぴたりと、お母さんが硬直した。
うつろな視線があたりを漂う。
再び魔理沙をひっ掴み、お母さんに背中を向けて小声会議。
「あんた、何言い出してんのよ!」
「いや、ただ和解したってよりも自然かなと思ったんだが」
「いきなり愛が芽生える方がよっぽど不自然よ!
いいからもう余計なことしゃべんないで!」
「わかったよ」
はっとタイミング良くお母さんが我に返る。
「あはは。あり得ない単語を聞いたような気がして、お母さん現実逃避しちゃった」
「そ、そうだぜ。
アレだ。夕日をバックに殴り合って友情が生まれた的な──」
「あなたには聞いてないわ。
……どうなの、アリスちゃん。愛がどうとか、そんなことあり得ないわよね?」
私のフォローをずばっと切り捨て、魔理沙に再度問いかける。
そんなお母さんに対して、魔理沙は頬を赤く染め乙女のようにうつむいた。
何なのよそのリアクションは!
そりゃ確かに何一つしゃべってないけど!
きりきりと不快な音が響く。
私の胃かと思ったが違った。お母さんの歯ぎしりだ。
「私はこれまでずっとアリスちゃんの幸せを願ってきたわ。
アリスちゃんが見初めた相手なら素直に祝福してあげようと思ってた。
でも、私にも魔界を荒らされた遺恨ってものは残っているの……」
ごごごご……と家を震わせて魔界神の魔力が膨れ上がる。
「ならば! 弾幕勝負であなたという人物を見極めてあげるわ!
さあ、表に出なさい!」
お約束の展開キターーッ!
「ちょ、ちょっと落ち着いてお母さん!」
「あなたにお義母さんなんて呼ばれる筋合いはないわ!」
火に油。
殺気を振りまき、床を踏み抜かんばかりの足取りでお母さんは外へ出て行った。
魔理沙はがんばれー、とガッツポーズでノリの軽い応援をしてくれる。
「あんた何してくれてんのよ! 今の状態で弾幕しろっての!?」
「大丈夫だよ。アリスなら勝てるって」
「どうしてそんなにのん気なの! あんたの体なのよ!?」
「だってお前の強さは私が一番知ってるからな。
アリスを信じることに関しちゃ、私も神綺に負けちゃいないぜ」
「っ……!」
何か上手く丸め込まれたような気がする。
外に出た私を迎えるのは、沈む夕日をバックに六枚の翼を羽ばたかせた神の姿。
……どうしろってのよ。
「さあ……本気で来なさい!」
溢れる魔力が光線となり、私に向かって解き放たれた──
「はぁ……疲れた……」
気絶したお母さんをソファへ寝かせ、荒くなった息を整える。
「な、勝てただろ」
「まあ、ね……」
今の状態ではどうしようもないと思っていたが。
時間が経つに連れ馴染んできたのか、魔理沙の魔力の使い方を体が覚えてきた。
そうなれば私の身体は何度も戦った相手のもの。
身体能力も、牽制の仕方も、弾幕の構成パターンも、箒の旋回性能でさえ熟知している。
──私にとって『霧雨魔理沙』を演じることはとても容易かった。
「ううっ……。人間にまた負けるなんて……神なのに……」
ようやくお母さんが目を覚ます。
えぐえぐと泣きながら恨めしそうな眼で私を見る。
「何で一度戦っただけの相手にあそこまで見切られてるの……。
私ってそんなに弱いのかしら……」
絶望に打ちひしがれる魔界神。
いつもはぴんと立ってる髪がへにゃりとしおれてしまった。
そりゃ戦ったのは魔理沙じゃなくて、ずっとお母さんを見てた私だもの。
戦い方も頭に入ってるし。何よりお母さん、修行とか全然しないから……。
その場を重い空気が支配する。
それを打ち破ったのは魔理沙だった。
「ほら、お母さんもお腹減ったでしょ。
二人が勝負してる間に食事の準備をしておいたから。
仲直りにみんなで夕食にしましょ」
魔理沙にしては珍しく気が回るじゃない。
三人とも席に着き、めいめい箸を伸ばしていく。
美味しい。疲れた体に染み渡るようだ。
「ねえ、アリスちゃん。味付け変わった?」
……あ゛。
そうだった。
ここに並ぶ料理は『アリス』の手作りでありながら魔理沙が作ったものだ。
当然その味付けも魔理沙流。
「あ、えっと……!
そう! アリスが料理のレパートリーを増やしたいって言うから私が教えて──」
「うん。お嫁に行くなら相手の家の味を覚えるのは当然だもの。
お母さんにも食べてもらいたくて」
ぴしっと、一瞬で魔界神の石像ができあがった。
楽しい!? あんた私を追い詰めてそんなに楽しいの!?
「ぐぬぬ……!」
血の涙を流しながら、まさに鬼のような形相で私をにらむお母さん。
呪うような視線がびしびしと突き刺さる。
「……アリスちゃん、最後にもう一度だけ聞くから正直に答えて。
魔理沙とは、今どういう関係なの?」
私は口を挟めない。
お母さんの視線がレーザーのように私を牽制し、何かしゃべったら即座に撃ってきそうな気配だ。
そんな張りつめた空気の中、魔理沙はしばし考えるようなそぶりをし、はっきりと答えた。
「そう、一言で言うなら……。
私の体はあの子のもの、あの子の体は私のもの、よ」
──今度こそ、世界は凍り付いた。
そりゃ事実ですよ! 入れ替わってるもん!
けどそんな言い方したら全然ニュアンス違うじゃない!
「あ……」
お母さんの瞳からぶわっと滝のような涙が流れ出す。
かと思えば、もふもふと料理を口に詰め始める。
「アリスちゃんのばかぁぁぁぁぁ!」
そしてハムスターのように頬を膨らませたまま、お母さんは大泣きしながら外へ飛び出していった。
開きっぱなしの玄関から顔だけ出して見上げてみれば、
「子供ができたら見せに来るのよぉー」などと叫びながら、輝く六枚羽根は夜空の彼方へ消えていった。
「ふぅ、何とか追い返せたな。
今日は泊まってアリスちゃんと一緒に寝るの、とか言い出されてたらさすがにごまかしきれなかったぜ」
「……ゴクロウサマ。
それで、でまかせで塗り固められた私は今後お母さんとどう会えばいいの?」
一仕事終えた、という感じのエラそうな顔をする魔理沙。
対照的に私の方は心身共に疲れ切った姿だ。
「別にでまかせじゃなけりゃ、堂々と会えばいいんじゃないか?」
くいっと私の顎を持ち上げ、魔理沙が唇を近づけてくる。
「魔理沙……。
……あんたさ、自分の顔とキスするってのはどうなの?」
「……さすがに無いな。鏡に向かってするみたいだ」
その後、とりあえず何事もなかったかのように夕食を取り。
片付けも疲れ切った私に気を使ってくれたのか、魔理沙が引き受けてくれた。
「さて、最後の問題だ」
お皿洗いも終わって、エプロンを外しながら口を開く魔理沙。
「この上何があるってのよ……」
「風呂、どうする?」
あっちゃー。
ここに来て今までで一番厄介な問題だ。
「……少しくらい我慢よ」
「明日、確実に戻れるって保証でもあるんなら私だって我慢するけどさ。
いつになるかわからん以上、どこかで折り合い付けなきゃならんだろ」
「それは、そうだろうけど……」
「私は、アリスになら見られても良いよ……」
ええい、私の体でもじもじするな。
恥ずかしい台詞を言うな。
「あー、ごめん。悪いけど、私はまだそこまで割り切れないわ」
「まあそーだろな、別に謝るこっちゃない。
そうなると何か方法を考えんと」
魔法使いが二人、膝を突き合わせて思案する内容が風呂の入り方か。
何とも締まらない話し合いだわ。
「うーん、水着でも着るか?」
「いや……、着替えるときに脱ぐんだから同じでしょそれ。
ずっと目隠ししてるわけにもいかないし……」
「おお、それだ!」
ぽん、と手を叩く魔理沙。
どのへんがそれなのよ。ずっと目隠しなんて危なっかしくてしょうがないでしょうに。
「目隠しして二人で入って、お互いに洗いっこすりゃいいんだ。
それなら見るのも触るのも自分の体だけだろ」
「……あんた、さらっととんでもないこと言い出すわね」
「んじゃ、他に何か良い案でもあるか?」
──現実は非情である。良い案は出なかった。
二人揃って脱衣所へ。
面倒なので魔理沙のケープと、私のエプロンだけは先に外しておいた。
透けない程度に厚いハンカチを巻いて魔理沙の目を隠してやる。
腰のリボンも解いて、ばさりとワンピースを下ろす。
シャツを脱がせたところでもう『アリス』は下着姿だ。
何かものすごいことしてる気分になってきた。
目の前にいるのは自分とも魔理沙とも思うな。等身大の人形と思え。
……それはそれで変な趣味の人みたいだ。
半ばヤケになって一気に下着を脱がし、大きめのバスタオルを落ちないようにきつく巻く。
何とか作業完了だ。
次はこっちの番。
ハンカチを巻き、魔理沙の指示通りに体を動かしていく。
さっきは見られてもいいとか抜かしてたが、自分だけというのは不公平らしい。
「自分の服脱がすって変な気分だな」
「うるさいしゃべるな無心でやるのよ」
そんなこんなで、バスタオル巻いた私たちは浴槽の中。
何とか体が触れない程度には距離を取れた。
ゆったりできるよう広めに作っておいて良かった。
さて、ここからが本当に厄介な時間の始まりだ。
再度目隠しをし、お湯を吸って重くなったバスタオルを取り去り椅子に座る。
一糸まとわぬ姿になった『魔理沙』の体をわしわしと魔理沙の手にしたスポンジが洗い始めた。
手に、足に、背中に。
見えないから次にどこに来るかわからず、何かが触れるとぴくりと反応してしまう。
視覚を封じてるぶん、他の感覚が鋭敏になってるのだ。
「やっ……」
「おい、変な声出すなって」
「し、仕方ないでしょ! せめて次どこ洗うかくらい言いなさいよ!」
かなりマズい。体が他人の物とはいえ、感覚は自分の物なのだ。
つまりこれは魔理沙の──
そんな中、ふにっ、と。
「ぁんっ! ……って何してんのよいきなり!」
「うーん、やっぱ私の胸小さいなーと思って。
背はそこまで変わらないのに、こっちのタオルを押し上げる膨らみを見るとなおさらなー」
「あんた本気で黙らすわよ……!」
魔理沙の手は髪へ。
さすがにハンカチは邪魔になるので外して目を閉じる。
背中まである長い髪が泡に包まれていく。
が、手付きが少しだけ乱暴だ。
「いたっ!」
「あ、悪い。ごめんな」
「もう……もっと優しくしないと髪が傷むわよ。
せっかく綺麗な髪してるんだから丁寧に扱いなさいよね」
「うん。えへへ」
「……何?」
「いや、髪ほめられるとやっぱり嬉しいな」
「ふぅん。あんたでもそういう女の子っぽいとこあるんだ」
「そうだぞ。アリスはもっと私のかわいいとこを再発見するべきだ」
「はいはいかわいいかわいい。そういうの自分で言わなけりゃもっとかわいいわよ」
ざばっとお湯を掛けられ、全身の泡を流してバスタオルをきつく巻かれる。
そして交代。
目の前には目隠しした裸の自分。
白い肌が赤みを帯びて、自分の体ながら色気を感じてしまう。
……やはり倒錯的な絵だと言わざるを得ない。
一応「次は手よ」などと声を掛けながら、何も考えないように体を流していく。
「んっ。……あー、なあアリス、これって」
「お願いだから言わないで」
「……アリスの弱いとこ、丸わかりだな」
「言うなっつってんでしょ!?」
失敗だ。
やはりお風呂は我慢すべきだった。
「はぁ……。もうとっとと終わらせないと」
自分のではあるが、他人の髪。
気持ち優しめに、力加減はこんな感じでいいだろうか。
「やばい、アリスに髪洗ってもらうのめちゃくちゃ気持ち良い。
癖になりそうだな、これ。元に戻ったら私の髪も洗ってくれよ」
「バカ言わないでよ。自分で覚えなさい」
体を拭き、下着とパジャマを着せるのも脱がすときと同じくらいに大変だった。
お風呂に入って気疲れするのも本末転倒な気がするわ……。
今日一日、本当に疲れることばかりだった。
三日徹夜してもここまでの疲労はしないだろう。
もうベッドに入って泥のように眠りたいところだ。
──我が家のベッドは一つだった。
「……私、ソファーで寝るわ」
「主人をソファーに寝かせて、私はベッドで寝ろってか」
「今はあんたが『アリス』なんでしょ」
「今は私もお前も『魔理沙』であり『アリス』でもある。
ならベッドも半分ずつ使うのがスジってもんじゃないか?」
「とんだ屁理屈だけど、今日はもう反論する気力もないわ……。
……寝ぼけて抱きついたりしないでよ」
のそのそと二人してベッドに収まる。
布団がこんなに気持ちいいと感じたのは久しぶりだ。
「……ねえ、魔理沙」
明かりを消してしばらくした頃、ぽつりと魔理沙を呼んだ。
「……何だ?」
「パチュリーの手腕を疑うわけじゃないけど。
……もし、このまま戻れなかったらどうする?
どれだけ時間を掛けてでも、元の体に戻る方法を探す?」
「んー、どうするもこうするも。
そん時はこの体で『霧雨魔理沙』をやらせてもらうかな」
何の躊躇もなく、魔理沙はそう答えた。
「妖怪の体よ? いいの?」
「アリスの体だ。お前がいいなら私もかまわないよ。
私だって魔法使いになるのを考えないわけじゃないから」
「……なら私も気兼ねしないで済みそうね。
もしそうなったら、この体に一から人形操術を叩き込んで、捨虫の法も迷わず使わせてもらうわ」
杞憂ではあろうけど。
一応覚悟はしておいて困るものでもない。
「ああ、でもアレだな。
やっぱアリスの部分もあるわけだから、魔理沙・K・マーガトロイドとか名乗った方がいいのかな」
「何よそれ。
じゃあ私もアリス・M・霧雨とか名乗れっての?」
「私の部分は日本人だから霧雨アリスをお薦めするぜ」
「はぁ……バカ言ってないで寝るわよ。
どうなろうとあんたは『霧雨魔理沙』で、私は『アリス・マーガトロイド』、でしょ?」
「そだな。おやすみ、アリス」
「ええ。おやすみ、魔理沙」
とりあえず今考えることはもう無くなったようだ。
心地よい暖かさに身を任せ、私はあっという間に眠りの世界に落ちていった。
「……ん?」
ばたんばたんとドアを蹴り開けるような音が聞こえる。
寝室の入り口に目を向けると、ちょうど扉が蹴り開けられたところだった。
──起床符『ジンジャガスト』
捲れ上がったシーツに巻き取られ、二人してクレープの具になりベッドから転げ落ちる。
ベッドごと吹き飛びそうな暴風で起こされたのは初めてだ。
「……もう少しやさしく起こしても罰は当たらないでしょうに」
「こちとら徹夜明けだってのに、幸せそうにぬくぬく抱き合って寝てたからちょっとイラッと来ただけよ。
一発かまして気分は晴れたからもう問題ないわ」
何で攻撃した方が問題ないとか言ってるの。
やや遅れて、魔理沙ものそのそとシーツから這い出てきた。
「何だパチュリー、もうできたのか?」
「ええ、急がなきゃならない理由もあったから」
「急ぐって……どうして?」
「体が魂から影響を受けるように、魂も体から影響を受けるわ。
時間が経てば経つほど今の体に馴染んできて、元に戻っても自分の体なのに違和感を覚えるかもしれない」
確かに、魔理沙の魔力の使い方も時間が経つほどに体が理解していた。
魔理沙の情報を魂が記憶してしまったら、私の体との差異で感覚が変わってしまうかも。
「だから急いで仕上げてきたんだけど……。
正直、未完成も良いとこの強引な術式だから、体に対する負担は結構大きいの。
完成を望むならもう数日必要になるわ」
「いや、今すぐ頼むぜ」
「ちょっと魔理沙、負担が大きいのは人間の体のあんたの方よ?
そんな簡単に決めちゃって──」
「昨日の夜はああ言ったけど、やっぱり私は元の体が良い。
自分の顔とじゃキスするのも困るしな。
……まあ胸のサイズはちょっと惜しいが、これからの成長に期待するさ」
「ふっ……、成長の余地があればいいわね。儚い希望だろうけど。
アリス、あなたの意見は?」
「じゃあ私からもお願いするわ。
お母さんが創ってくれた大事な体だもの」
外では小悪魔がすでに魔法陣の準備を進めていた。
パチュリー自身も私たちが断ることは考慮外だったようだ。
「しかしこんなに朝早くに来るほどだったのか?」
まだ時刻は日が昇り始めた頃だ。
普通なら魔理沙どころか私も眠っているくらい。
「魂を扱う術なんて閻魔や死神に見つかったら面倒だから。
閻魔は昨日の定例会でレミィに頼んで酔い潰させておいたから二日酔いに苦しんでるし、
この時間なら死神は確実にまだ寝てるわ」
恐るべき手回しの良さだ。
説教を食らったレミリアも今頃うなされているだろうが、それは置いておく。
「そしてこの家の周囲にはすでに人払いの結界を敷いてある。
これで森にいるような妖怪は近づけもしないし、邪魔しそうな人間は術の対象だから除外。
……完璧ね。非の打ち所もない」
自信満々に言い切るパチュリー。
確かにかなり強力な結界が張ってあるようだし、これなら邪魔も入るまい。
「──始めるわ」
私たちが魔法陣の中に入り、パチュリーが呪文の詠唱を開始する。
それに応えて陣が輝き、魔力が満ちてゆく。
「やれやれ、これで今回の一件も終わりそうね」
「そーだな。良かった良かった」
私がやったときと違って光の壁はできないようだが、そもそも結界があるから邪魔も入りはしないだろう。
ふっ、と体から意識が浮き上がる感覚。
結界の中にいる私たちの体に術式が作用し始めたのだ。
「魔法の森に謎の光! その時特派員が見たものは──あやっ!?」
そして悲鳴は遥か上空から。
そうね、こいつくらいの力があったら霊夢並みの結界じゃないと意味ないわよね。
ああ、こういうのって何て言うんだっけ。
後悔先に立たず? 後の祭り?
──思い出した。マーフィーの法則だ。
失敗する余地があったら失敗する。
バナナの皮が落ちてたらすべって転ぶのだ。
「むきゅっ!?」
倒れる私の目には、気を失って落下してきた天狗に潰されるパチュリーの姿がスローモーションで映り。
そのまま二人が魔法陣の内側に倒れ込んだところで、私は意識を手放した。
目蓋が閉じられていても、魔法陣の放つ白光は焼き付きそうなほどに強烈だった。
「……ぅ」
目を開けて、最初に見えたのは。
──三脚立てたカメラの前でセクシーポーズを模索する『私』であった。
結局の所。
四人揃って閻魔に土下座し、天狗から巻き上げた霊夢ピンナップを
スキマ妖怪へ献上することにより、事態は何とか終結を迎えることとなった。
だが助力を頼んだことで今回の件は閻魔の知るところとなり、
四人──と相変わらずサボっていた死神──は揃って説教地獄の刑に処されることに。
中でも私は主犯ということで半日以上の追加メニューが組まれてしまい、
幻想郷の歴史から始まり、宗教、哲学、文学、法学、果ては心理学まで絡めて延々と続き。
最後は「魔理沙の手綱を締めること。これが今のあなたが積める善行よ」と締め括られた。
……私って普段から善行積んでるんじゃないの?
「しかし何つーか。私たち、これがホントのくさい仲ってヤツだな」
「……え? オチがそれ?」
アリスは神綺様の誤解をどうやって解いたんでしょうねw
振り回されて光るアリスかわいいよアリス!
ところで、
『天狗から巻き上げた霊夢ピンナップをスキマ妖怪へ献上することにより』
アリスさん何持ってはるんですか
って、思った俺は死ねばいい
リアルなのかどうかは当たり前ながら分からないんだけど。
あと天狗自重しろ。
神綺様になぜ正直に打ち明けないかってところに引っかかりました。
でもそれ以外はぐっじょぶ!
アリスかわいいよアリス
あとがきに全てもってかれたww
そしてGJ