日当たりの良い緩めの斜面を下り、だいたいの真ん中を陣取る。
そこから見渡せば、少女の周りは黄色を主とした一面の花だ。
少し前から天界に住み着いた鬼に言われて来てみたが、これなら多少は長い距離を通ってきた甲斐もあるだろう。
『私は、あんな人気の少ないところは好きじゃないけどね』
鬼はそんな風に言っていたが、そも人気の少ない土地で暮らしていた少女にとって、そんなことはどうでも良い。
基本的に一人で暇をつぶすことが主だったのだから、むしろ人気のないところで愉しむ方が慣れたことである。
「この辺りにしましょう」
呟いた少女の眼前。注連縄に飾られた巨大な石が、轟音を上げて突き立った。
青い髪の少女は驚いた風も無く、切り株のように地面から生えたそれに腰掛ける。
「昨日は踊りで今日は歌、明日は何で興じましょうか」
目を細め、口元を弛ませながら、比那名居天子は思う。
色々とあったが、最近はこの幻想郷の地にも自分のことを知る者が増えてきた。
――判り易く事を起こせば、今度はそれほど焦れることもなく楽しめるかもしれない。
ならば楽しさを十分に享受するための要点は、あの巫女が来るタイミングだろう。
早すぎては盛り上がりに欠け、遅すぎては焦れったさに興が削がれる。前座は二、三で十分なのだ。
「そこをどうするかだけれど……」
一呼吸の間、言葉に詰まり。
「とりあえず今日は歌の日、歌の日」
/
悲鳴が聞こえた。
「随分たくさんね。星でも降ってきたのかしら」
彼女の呟きは彼女にさえ届かない。
悲鳴が五月蝿すぎた。
「ええ。ええ。痛かったでしょう。でも大丈夫。あなたたちはとても強いわ」
彼女が手を上げる。ただ、それだけの動作。
同時に、千の命が欠片となって蒼空に舞う。
吹き飛んだ花弁は、十二色の虹を掛ける。
「こんな可愛いあなたたちに、強いものイジメをしているのは誰でしょう」
四季の花を操るフラワーマスター。
幻想郷において、恐らく全世界において、最も花とともに在る彼女。
風見幽香は片手を翳して、空を仰ぐ。
/
舞い上がった花弁と虹が舞い落ちる。
青が目立つその虹は他より一足早く、しかし軽い足取りで地に降りた。
「驚いた。危ないじゃない」
帽子や衣服に土埃や泥がついていないかをしきりに気にしながら、天子は言葉を続ける。
「あんまり土臭いから気付かなかったわ」
言葉を受ける背中は振り返らない。
「こら、こっちを向きなさい」
緋の双眸を僅かに細ませて、腰に手を当てて。
天子はその背に再度、声掛ける。
それは無論、物頼みではなく命令である。しかし振り返らない日傘の背中に、彼女の天井の低い癇癪はすぐに爆発した。
「こっちを向けって言ってるのよ、この土女! それとも花塗れのその間抜けな姿、花女のほうがお似合いかしらね! 」
まるで幼児の口喧嘩である。
だが。背中は動いた。同時に、天子はその背中を見失う。
「……ごめんなさい。気づかなかったわ。花と同じような色をしているものだから」
影が差す。
背後から、すぐ耳元で囁くように、まるで花弁が震えるような声。
背筋が凍り、それは全身を操る神経をも凍結させた。動けない天子の視界の端、白く形のいい鼻梁が、小さく上下に動く。
すんすん、と音を立ててそれは匂いを嗅いでいた。
再度、背筋に冷たさが走る。だが今度は身体が動いた。
天子は振り払うようにして背後の幽香を突き飛ばす。
それは格闘というよりは、唯の自衛本能からなる咄嗟の行動だった。
それでも幽香の身体はされるがままによろめき、……そのことで多少の冷静さを取り戻した天子は、一足跳び、間合いをとって身構える。
突き飛ばされた幽香は受身をとることもなく、そのまま、ふらふらとまるで風に舞うようにして、花畑を踏んだ。
「人間でもなければ妖怪でもなく、かといって幽霊や死神でもない匂い。桃の香りがしますね、山奥から来たのかしら。……でも、猫の臭いはしませんね」
幽香は踊るように花を踏みながら、あなたは何なのかしら? と、その花弁の声で問う。
不気味そのもの。天子は身構えながらも、しかし彼女はそのプライドから彼女の問いに答える。
「私は地を須く統べる、天人。比那名居天子。人の楽しみを邪魔して、あなたは何がしたいわけ? 」
「あなたの名前なんかは聞いてないのです。何、と問うたんだから、質問だけに答えてくれればいいの」
「下賤の癖に生意気な口を利くわね。あなたこそ質問に答えなさい」
ぴたりと。
幽香の動きが止まった。くく、と首が傾き、ヴェールのような前髪から、その黄金の瞳が覗く。
再三、天子に怖気が走った。
そして花弁の声が天子を撫でる。
「私は風見幽香、なんのことはない、土臭い花の妖怪です」
「あなたの名前なんか聞いてないわ。質問に答えなさい」
「……」
問いの返答に、幽香は持っていた日傘を閉じ、その先端で、直前まで天子の腰掛けていた石を指した。
「私が相手をするのは、花と、私の相手になるくらい強い奴だけ。だからもう、あなたに興味はありません」
「意味がわからないわね。土遊びのし過ぎでマトモな会話もできないのかし――」
言い切る直前。
鈍い粉砕音とともに巨大な石は砕け、無数の花の根に侵食される。
「意味はわかりましたか? 天人様。それでは、さようなら」
くるり。
スカートとベストを翻し、現れたときよりも、なお飄々と幽香は天子に背を向けた。
周囲を見渡す。
四方は一面の花畑で、首の撥ねられた花はおろか、踏み潰す足跡も見つからない。
/
「それで、おめおめ逃げ帰ったわけか」
「逃げてません」
「おめおめ逃げ帰られたわけだ」
「逃がしてやったの」
「おめおめ逃がしてやったんだな」
本と、ガラクタ――主曰く『お宝』――の山に埋め尽くされた部屋に天子はいた。
椅子に座り重たそうな本を読んでるのは家の主、霧雨魔理沙である。
声を除けば、部屋の中には時計の針の規則的な音と不規則にページを捲る音だけが聞こえる。
「しかしお前も妙なとこに目をつけたもんだ。あんなとこ乗っ取っても花粉症になるのが関の山だぜ?」
「別に場所はどうでもいいのよ。単純にあの花女のことが知りたいだけ」
「ははは。鼻持ちならない花女ってか」
「つまんないわよ」
飽きれ混じりの天子の声を気にした風もなく、つれないなあ、と呟く魔理沙の声は無視される。
天子は机の端に置いてあるガラクタを指先でつまみながら言葉をつづけた。
「にしても、汚い家ね」
「住人としては趣があると言ってもらいたいな」
「その本に、趣って言葉の意味は載ってないの?」
「残念ながらこいつは辞書じゃないぜ。あとそれ、落とすなよ」
「落とさないわよ」
どすん。
がらがら。がしゃん。
「・・・・・・おい」
「落ちやすいところにあったコレが悪いのよ」
「落ちやすいところにあったから、落とすなって言ったんだぜ……」
やれやれだぜ、と首を振る魔理沙。
天子は平然と、無造作に、落ちたそれを元の場所に戻す。
その拍子に更に他の物が落ちるが、天子は舞ったホコリを被らないよう一歩を引いて、落ちたそれは無視することにした。
一拍をおき、何事もなかったかのように腰に手を当て魔理沙に指を突きつける。意識的なのか、無意識的なのか、それが彼女の『命令するとき』のポーズであるらしい。
「とにかく、あの花女のことを教えなさい」
「お前は他人を指差さすことが無礼という行為に相当するんだって親に習わなかったのか?」
「習わなかったわよ」
「そりゃ羨ましいぜ」
ま、それはともかく、と魔理沙はページを捲りつつ、尋ねる。
「力を貸すって、お前、何するつもりだ?」
「リベンジよ。辱めを受けたら、辱めをもって反す。天人の常識です」
「それちゃんと集計とったか?」
「私がそう言うならそうなの」
「……ああ、そうかい。ていうかあれだ。そもそもの原因はお前じゃないか」
「私は服が汚れるのが嫌だから、石の上に腰かけてただけよ」
「石の上じゃなくて、石の下が原因なんだろ。いや、上か?」
「と、とにかく私に不敬な態度をとってたことに違いないわ!」
言って、天子はバツが悪そうに会わない視線を逸らした。
「まあ、おめおめ逃がしてやったのが気に食わないわけだ」
「だから、もう――」
つくづく強度の弱い堪忍袋であった。
天子の怒気の残響が、絶妙なバランスで積まれたそれらを揺らす。物々はそれに反抗するかのように静寂を囁きあった。
しばしの沈黙。
時計の音は続き、ページを捲る音が途切れる。
そして魔法使いが呟いた。
「酷いことをしてやればいい」
目深の帽子の陰、微かに見える口元には笑みが浮かんでいる。
「そもそも、私が教えることなんてないんだよ。聞いたんだろ? 幽香は花の妖怪だ」
「……だからなんだっていうのよ」
「花を荒らされるとやたら怒るんだ。特にあの場所はお気に入りみたいでな」
「はぁ」
「横揺れじゃダメだな。地割れ的な、そうだな。根っこから全部ひっくり返っちまうようなのがいい。できるだろ?」
「そりゃまあ」
大地を操る自分の能力ならば、十分可能なことだろう。
「これでまず一つ。で、確実に怒り狂った幽香が来るだろうから、それをけちょんけちょんにしてやって仕返し完了だ。不意打ちでなきゃ勝てるんだろ?」
「……」
「ああ、あと時間は昼がいいな。あいつ、妖怪のクセに春以外は昼間にばかり動くから。うん。昼が良い。で、なんだ? まだ疑問でもあるのか」
「その、……もしかして、あいつが襲いかかってきたのって、私が花とか踏みつぶしたから?」
言葉に、魔理沙が初めて顔を上げた。まじまじと天子の顔を眺め。
「お前ってバカだったんだなあ」
「なっ」
「わかってて自分の非を認めてないだけかと思ってたぜ」
「わかってたら、こんなカビ臭いところに来ません」
「ていうか、なんでお前ウチにきたんだよ」
「石段登ってたら巫女に蹴り落とされそうになったから」
「嫌われてるなあ、お前」
「疑われている方が面白いのです。色々と」
「ははは。疑われてるのと嫌われてるのは違うぜ」
愉快そうな笑い声に、天子は口の端を引きつらせる。
魔理沙はそれを気にする風もなく再び本へ目をやった。
「で、原因が自分だってわかったところで、お前は仕返しに行くのか?」
「当然」
「迷いないな」
「辱めを受けたら、辱めをもって反すのが天人の常識ですから」
「自分でこけたのを、人のせいにしてるようにしか見えんがね」
どう言われようが、止める意思がないのは天子の中で揺るがないことである。
実際のところ、不意を突かれて仕掛けられたことも、一瞬でも自分を臆させたことも一番の理由ではない。
比那名居天子を歯にもかけない素振り。有頂天である彼女にはそれが何よりの辱めであり、返上しなければいけない辱めなのだ。
「とりあえずコレであの花女に一泡吹かせられそうね」
「そりゃよかった。せいぜい頑張んな」
「ええ。明日はあなたも見学に来たらいいわ」
「気が向いたらな。用が済んだなら早よ帰れ、ああ、いやちょっと待て。そういや、お前は地震が来るのがわかるんだよな」
「それが?」
地震が来る時期がわかるというよりは、むしろ起こるとすれば高い確率で自分が起こすのだから、と心の中で肯定する。
「地震が来る前になったら教えてくれよ」
「家の片付けでもする気? それとも、火事場ドロボウでもする算段?」
「いいや、片付けをな。なるべく高くていらないものを上に積む」
それでは片付けになっていないどころか、被害が増えそうだが。
「そして壊れてしまった分をお前に請求だ。買い手が付かなくて困ってる物が多くてな。売る気もあまりないし」
「そんなの弁償するわけないじゃない」
「なら仕方ない、物々交換で勘弁してやろう。天界のなんか面白いもんと交換だ」
「やらないって」
「そんなことも言ってられないぜ。なにせこの中には、私のものじゃない本やら本やらもたくさんあるからな」
「しりませんー」
というか、火事場じゃなくてもドロボウしてるのかこいつは。
「私がここに近寄らなくなったら危ないと思いなさい。埃にまみれたくないですから」
「それだとどうあっても災難だぜ。お前が来てもモノが落ちる」
「言ってなさい」
軽い怒気と諦めの混じった言葉を吐き出し、天子は霧雨邸を後にした。
/
燦々耀く太陽を花弁が包み込む。
花を一輪、口元よりも少し高く、目元と太陽の狭間に掲げる幽香。
その花を蔑み見下すように、はたまた憧れ見上げるようにして、彼女は首を傾げた。
ちろり。
チューリップよりもなお赤いその舌が伸び、閉ざされた花弁をほぐし、奥へ奥へと滑り込む。
そうして花の蜜を啜る。
蜜を啜るのは本来、蟲のすることだけれど。こうして同属とも呼べる彼らの甘露を自身の身体へと取り込む作業は、一種、倒錯的で快楽的だった。
――そのうち、私を啜ってくれる花も現れるかしら。
そんなことを想って、彼女は、今や彼女の花畑を見下ろす。
水を吸い、光を受け、不要を摂取り込み、必要を吐き出し、蜜を蓄える。
心を和ませてくれることの他において、花とはそれだけの存在である。
それでも幽香は彼らが愛おしい。聖母のように。神の子のように。
彼らは、唯、其処にいてくれるから。
――さて。彼女は上手くやってくれるかしらね。
先刻の天人が落としていった巨石の、そして彼女自身が砕いたその欠片に座り、彼女は唯、訪れを待つ。
変わらぬ視線に、謝りの言葉をポツリと落として訪れを待つ。
まるで冬に咲いた、一輪のアネモネの花のように。
/
そうして翌日。
近頃は随分とその威力が弱まったが、それでも一日で今が一番、強い日の光を浴びる時間。
太陽の畑の上に浮かぶ影は二つ。青の髪を風に揺らす天人と、気だるげな様子の紅白の巫女だ。
「なんで、あなたが来てるんですか」
「巫女だから」
天子の問いに対し、巫女――博麗霊夢は簡潔に答える。
その左手は祓い棒を持ったまま腰に当てられており、逆の手ではゆるゆると頭を掻いている。
「意味がわかりません」
「わからなくてもいいわよ」
言葉の尻にアクビをつけるのは、これ以上詮索したところで知らぬ存ぜぬを通すという合図だろうか。
そう判断した天子は、ふと思い当たる。
「ああ、あの魔法使いに聞いたんですね。それで私を止めるために、ここへ」
「別に止めないわよ」
「え?」
「地震を起こして、幽香にケンカを売るんでしょう? 早いとこやっちゃいなさいよ。止めないから」
振り返り、霊夢の顔を見るが、相変わらず気だるげな表情のままである。
どころか、御祓い棒の尻で背中を掻いている。
……頭と背中を同時に掻くというのは色々と如何なんだろう。
ポーズなのか、自然体でやっていることなのか気にはなる。
「あなた、巫女なんでしょう? 異変を解決するのが仕事なんじゃないの」
「巫女よ。異変を解決するのが仕事の」
「なら」
「止めないわ。『地震がおこること』自体は、別に異変でもなんでもないもの」
霊夢は言い切る。何が起こるかはわかっているが、博麗の巫女はそれに手は出さないのだと。
「……異変じゃない?」
天子が呟く。
顔には現れていないが、声には僅かながらの険が含まれていた。
「例えば、ここだけでなく幻想郷全体を巻き込むような地震だったとしても?」
「異変じゃないわね」
一息を付き、霊夢は言葉を続ける。
「この間のアレは、幻想郷の天気がおかしくなっていたことが異変だったのよ。地震の部分は私怨と神様の怒り分」
「私怨って」
「地面が休まず延々揺れ続けるものなら、それは異変として扱うかもしれない。でも、いくら大きかろうが一度や二度こっきりの地震を、どうやって解決するっていうのよ」
「それは」
「だから、今ここであなたが幻想郷を揺らしたとしても、個人的な理由でお仕置きくらいはするかもしれないけど」
そして、もう一息。
「それは異変の解決じゃないわ。異変はね、起き続けていないと解決できないの」
言って、見下ろす霊夢の瞳には黄色の多い花畑が映っている。
「それに、今そんな大きい範囲で地震を起こしても、あんたの目的は達成できないんじゃないの? 別に花畑を荒らしたいから荒らすんじゃないでしょ」
「そ、それもそうね。で、一応もう一回確認しておくけど」
「止めないわよ。思いっきりやればいいわ。根っこから全部ひっくり返るくらい」
/
「そういえば、昨日なんでいきなり境内からとび蹴りなんて」
「神社は萃香が建て直したけど、また妙なものを仕込まれたら困るからね。神社にあんたを入れるなって紫が五月蝿いのよ」
「そうですか。まあ、疑われている方が面白いのです。色々と」
「疑われてるのと嫌われてるのは違うわよ……いいから、さっさと始めなさい」
/
そして、天子は眼下を睨む。
背の高いあの花に紛れて、風見幽香は果たして今もあそこにいるのだろうか。
花畑に降り立ち、辺りを眺めるが、そこに姿は見えない。
どちらにしろ、地面がひっくり返った程度でどうこうなる相手ではないだろう。
ならば姿が見つからなくて困るのは、その後だ。
「要石」
昨日、花畑の真ん中を穿ったものと同じそれを、花畑の外周を囲むように数個、付きたてる。
石柱が小さく地面を揺するのを足裏に感じ、天子は右手を一振りする。
その手に現れたのは、炎そのものを緩く固めたような、緋色の剣だ。
手首を返すことで刃先にあたる部分を地面に向け、両手をその柄尻に添えるようにし、
「――地符『不譲土壌の剣』」
突きたてる。
地面をえぐり進む緋想の剣。その進行が止まると同時。
天子を中心に地面が隆起し、一拍を於いて土花が空に爆ぜた。
空から花と、それ以上の土が振り落ちてくる。
そのどれもがしかし、最中に居る天子にかすることはない。
パタパタといった乾いた音の中、周囲を見渡すが、
「出てこない、か。ならもう一度」
振り構え、突きたてる。
一度崩れ、空気を含んだ地面は先ほどよりも勢いを増して空へ上がる。
そして天子の足元を残し、花畑は先ほどよりも一段高さを下げる。
「おかしいわね」
これで出てこなかったら、あの魔法使いをどうしてやろう。
そう考えながら、三度、緋想の剣を構えなおし、
穿つ動きの寸前に、影が差した。
「ごきげんよう、天人様」
「ごきげんよう、花女。私はご機嫌よろしくないですが」
「私が来るのが遅かったからかしら」
言葉は平坦である。ただ、その腕には力が込められており。
「ええ、土に塗れて死んでしまったのかと思ったわ」
振り下ろされる傘を、後ろに跳び避ける。
傘はしかし振り抜ききられず、その軌道の途中で止まると、動きを刺突へ変えた。
対し、天子は歩を飛び込む形での前進へと変え、幽香の懐を狙うが、
「カチっと」
軽いノリの言葉に、その擬音が表す音が続き、
「っ!」
風を遮る音とともに、勢いを持って傘が開く。
少量の土を撥ねさせながら迫るそれを、体の後ろで強引に剣を突きたて、肘を曲げ体を引き寄せることで後退し避ける。
慣性に滑り踏み留まろうとする足に、パキリ、と何かを手折った音が伝わった。
「これで、少しは機嫌がよくなったでしょうか」
問いかける声と日傘が閉じられ、その顔が晒される。
開けた視界には、昨日と同じ笑顔の風見幽香と、彼女を見つめるように佇む一面の花。
自分の足元を見れば、背の低い赤色の花が踏み潰されており、それは確かに地面に根を張っていた。
「わざわざ御足労いただいて、これくらいしかお持て成しはできませんが、天人様。――私の異変へ、ようこそ」
/
眼下の景色に、霊夢は少し前の春を思い出す。
幻想郷中に一斉に花が開いた春のことを。
「端から見てみると、案外いろんな花が咲くのね、ここ」
春の異変の時には、ここには向日葵しか咲いていなかったように思えたが。
端から見てみれば、なかなか綺麗なものなのねと、褒めの感想を霊夢は漏らした。
「始まったわね」
「もう終わったんじゃないの?」
「また始まったのよ」
「どっちでもいいけど」
かけられた唐突な声に驚きもせず、霊夢はしなだれかかる手を払いのける。
「あん、霊夢ったら冷たい」
「鬱陶しいのよ」
人為的に――或いは妖為的に――上空に顕現しているスキマから上半身だけをのぞかせ、八雲 紫はにっこりと笑った。邪険にされながらも。
もっともどこぞの天人とは違い、こちらは唯、邪険にされることに慣れているだけだ。
「用がないなら、さっさと帰ってくれない?」
「いつになく冷たいわね。お茶くらい淹れてあげるわよ」
「こんなところでお茶ってのもねえ」
「悪くはないものよ。ここは下より寒いし」
ふう、と少女ぶった溜息を大気に零して、紫は自身が創る別格の大気から、湯呑を一つ取り出した。
「あれ、なかなかいい湯呑じゃない」
霊夢は目を丸くする。陶芸に明るい訳ではないが、感覚で良い物とわかった。
薄く焼き上げられた灰褐色の湯呑。造形はやや前衛がかっているが軽やかで、描かれている文様は優雅、それでいて高貴である。
「なかなかいいでしょう。どこぞの天人から失敬したのを失敬したの」
「待てぃ」
「別に構わないじゃない。返すわよ。それに、あなたが損をしたわけじゃなし。……はい、どうぞ」
追及をするりとかわして、これもスキマから取り出した急須から注いだ茶を勧める。
「……ん、ありがとう」
馬鹿らしくなったのか、霊夢は大きな溜息をついて湯飲みを受け取り、それ以上は何も言わないこととした。
そう確かに、彼女には関係のないことなのだ。湯呑に限っては。
――ずん
眼下で響く振動に、神社は揺れていないだろうな、と考える。
流石に次に崩れたら、私怨も三倍増しだ。三乗増しかもしれない。
「やってるわね」
「みたいね」
「勢いで神社は壊れないかしら」
「大丈夫でしょ」
「でももし壊れたら、今度は、ねえ」
にこり、と、しかし今度は不気味なほど静かに、紫は笑った。
霊夢とてその表情からは何物をも読みとれない。
「そういえば、今回のこれは異変でいいのかしら」
「異変というよりは、その余震の範囲かしらねぇ」
「ああ、ならやっぱり自業自得だ」
「それでも一応、解決はするのね」
「巫女だもの」
「実際には手出ししてないくせに」
「足は出したわ」
そこで会話が途切れる。
霊夢は何事もなかったかのように飲み干した湯呑みを差出し、紫がそれに茶を注ぐ。
ぐい、と湯呑みを一度傾けてから、霊夢が呟いた。
「さて。あの子は上手くやってくれるかしらね」
また、静かに、大地が揺れた。
/
地はめまぐるしく姿を繰り返し変えいく。
剣が突き立てられる度に地面は盛り上がり、砂や石、とりどりの花が飛び散る。そして数瞬後には花は根を張り立ち上がっており、
「いい加減、つまらないわよ!」
力を込めた言葉とともに、幽香を押し潰さんと石柱が降り注ぎ、また弾幕が襲い掛かる。
さらに天子は詰めとばかりに手にした剣で切りかからんと飛び掛るが、
「お持て成しが足りないのかしら」
それに対し幽香は傘を振るうことで弾幕を防ぎ、弾幕と急激に成長する花とで以って石柱を砕き、
「では、もっとたくさん飾らないと」
目線をやることで生え立った向日葵で、踏み込む天子の足を浮かせる。
バランスが崩れ、一瞬とはいえ体が固まらざるを得ないそこに、弾幕をはじく傘を流れのまま叩きつけた。
そのまま行けば顔を打つ一撃。
行き先の表情は笑みであり、
「量でなく、質の問題だとわかりなさい」
天子を中心に旋回しながら出現した石塊に、今度は傘が弾かれた。
さらに石塊は旋回の軌道から外れ、立て続けに三発、幽香に向かい射出される。
ゆらり、ゆらり。
ゆっくりとした動きで幽香が揺れる。
それだけの動作で、石塊は全て幽香をすり抜け地を穿つ。
「本ッ当、勘に触るわね」
「ダンスは好きでしょう?」
「あなたが嫌いなのよ!」
声を張り、なおも動きは止まらない。
踏み込む足で間隙を詰め、横薙ぎに緋の剣を振り抜く。
その剣圧に今日何千本目かの花が散った。が、当然ながらその刀身も切っ先も標的を捉えることはない。
剣が掠める瞬間に、確信的な余裕をもって宙返りでかわした幽香。天子の緋の瞳が宙の彼女を睨む。幽香の黄金の瞳が目に入る。
その世界で一番美しい向日葵は、天子の姿は映さず、唯荒れ果てた大地だけを見ていた。
「獲った!」
未だ宙にあり体勢の安定しない幽香目掛けて、天子は要石を撃ち込む。
一撃。ただし最大限の回転と速度を加えた一撃。
石は最速最短を疾り、幽香を捉える。
直後、天子は石塊が獲物を抉る音を聞く。
連続した、早く重い濁音の連弾だ。
それは回転し、穿つ音。
だが。
「……無茶苦茶ね」
「いい具合に手が温まりました」
近頃は寒くなってきたから、と続く幽香の呟きが明瞭さを増していく。
回転が止まる。止められる。
幽香は掌に鷲掴みにしている要石を、いかにも興味無さ気に眺めた。
「確かに、いい加減つまらないわ。今度は私に遊ばせて?」
振りかぶり。
まるで子供の鞠遊びのように、幽香は手にあった要石を投げ返した。
回転も能力もない、純粋な力による投擲。にも関わらず、天子の足元に着弾したそれは、その地面を爆発させた。
土煙と共に泥と花とが舞い上がり、天子の視界は花弁に覆われる。
視界が披けるよりも先に、幽香が目の前に現れた。
それを視認するのと、腹部を蹴り上げられたのは同時だった。
「がぁ!」
嫌な吐息が漏れる。
咄嗟の判断で緋想の剣を用い直撃は防いだが、その剣も腹に押し付けられ衝撃に貫かれる。
自分の意思とは別に土煙の上空へと浮き上がる身体。
「くっ」
天子の後を追うようにして、ふわりと、優雅に幽香が跳ぶ。
その顔は、冷笑。
頭よりも先に、天子の身体が動く。
「あら。速い」
セリフとはうらはら。空中での唐突な制動を用いた大上段からの斬撃を、事も無げに回避する。
目が合い、なおも冷笑。そして。
天子は目が霞んだのか、と目をまばたく。
だが、それは確実なる現実であり幻実だった。
遊ぶようにクルクルと回る傘の花双つ。双りの幽香が、双つの声を重ねる。
重ねた声は何と言ったのか。音は、直後放たれた閃光に掻き消された。
破壊の閃光に呑まれ、天子は荒れた大地へと叩きつけられる。
幾許かの間を置いて、幽香はふわりと、スカートを押さえ、着地した。
傘をたたみ、覗き込んだ目を丸くする。
「割と丈夫なのね」
「・・・・・・けほっ」
咳き込みながら、天子は立ち上がった。
至近距離からの直撃であったにも関わらず、それほどダメージを受けているようにみえない。
小さく肩で息をしてはいるが、その程度のようだ。
朗らかに、幽香は笑んだ。
それが天子の癇癪に何度目かの爆発を起こさせる。
「今のがあんたの全力? は、全ッ然、大したことないわね! うん、全然大したことない!」
「その割には息があがってるみたいだけど?」
「大したことないって言ってるでしょ! ふん、あんた、本当は弱いんじゃないの? そりゃ、唯の妖怪だものね!」
天子は声を張り、剣を構え直す。
踏みしめる足元には、土に埋もれた、またそうでない幾重もの手折れた花があり、
「……?」
「ところで」
花の数に、天子は違和感を覚えた。
こいつは花を荒らされると怒るんじゃなかったのだろうか。
しかし、それに気付かない幽香は天子に問いかける。
「あなたが『お持て成し』を受けている理由がわかりますか? 天人様」
お持て成しとは比喩だ。つまり風見幽香の怒りに触れた原因。
「花を潰したから、でしたっけ。つまらない理由です」
「その通り。でもそれだけではないのですよ」
新たに生まれた花が舞う。
宙に現れた花が弾幕となり天子を襲い来る。
それを避け、また回転の動きを持った石で磨り潰しながら天子は考える。
それ以外に理由になるようなことなどあっただろうかと。それに、こいつはなぜ今こそ怒らないのかと。
「理由は三つ。一つは言った通り。あなたが花を潰したから。もう一つは、本当の理由。たぶん、あなたが知る由もないのでしょう。まだ解らなくても構いません」
そして、
「最後の一つは、あなたと同じなのですよ。天人様」
一瞬、空気が変わり、そこで天子は一度思考を止めた。
まるで、弾けるように花が咲く。
視界が花に包まれる。
先程と違うのは、それが一切の隙間なく、天子の全てが花で包まれているということ。
不意に、天上を見上げる。自身の居た場所。其処に在る筈の太陽でさえ、花が包み込んでいた。
「――花符『幻想郷の開花』」
地にも宙にも、溢れんばかりの色が舞い踊り、
「お持て成しが終わってしまうまでに、気がついて欲しいのですけれど」
その理由のため、花は激しさを増す。
/
鮮やかすぎる視界は、しかし目標を捕らえることが叶わない。
天子は、舞う赤や黄色、そして茎の緑の中に幽香の姿を見つけることができないでいた。
その赤が、黄色が、そして紛れた弾幕が、天子を目がけ舞う。
光景に、一瞬、状況を忘れ言葉が緩みそうになるが、
「所詮、さっきまでと同じ花じゃない!」
地に剣を突き立てる。
その日何度目だろうか、爆ぜた土が花を喰う。
そして開けた空間には、数瞬を待たず花が溢れた。
繰り返す。
しかし、何度やったところで花は現れを止めることはない。
まるでヒビの入った箱を水に沈めたかのようだ。
繰り返しの度、趣を変える花を見て毒づく。
「……鬱陶しさは、さっき以上みたいね」
「感想はそれだけ?」
残念さの混じった声。
またも後ろをとる位置に幽香がいた。
「ようやく打ち止めかしら」
「そういうわけではないんですけど、もう十分ですので」
言った幽香の右手の先、傘の先端に光が集まる。天子は先にみた閃光を思い出した。
こちらの背中に触れる構えの瞬間、回避として思い切り横へ跳ぶ。閃光が爆発する音を聞き――流れる視界の端。光を蓄えた傘を、突き刺す構えの幽香が見えた。
「ああ、そういえば二人いたわね」
姿を見せないから、やはり見間違いかと思っていた。
思う矢先、こちら目がけて光が放たれる。そのままならば直撃であるが、
「遅い!」
言うや、現れた石が天子を攫い、その体を上空に運ぶ。
地に見える幽香はやはり二人。
そのうち、先に攻撃を放った方がこちらを向き、その存在を確認すると、飛んだ。
そして今、閃光を放ち終えた二人目がゆらりと消える。
向き直り、視線を交わす。
「そっちが本物ってわけね」
「どちらが、というのはあまり関係ないことです」
言った姿がブれ、またも彼女は二人となる。
構える。収束する光を中心とするように、またも花が溢れだした。誰の視界も彩りに覆われる。
数秒後の攻撃を理解しながら、周囲と、眼下の光景に再び天子は思う。
思い、今度はそれを口に出して言った。
「綺麗ね」
そして、
「地に這う妖怪にしてはよくやったわ。これまでで今が一番綺麗よ」
突然の、これまでと方向性が違う言葉にあっけにとられたか、幽香の動きが止まった。
天子は緋想の剣を手放す。
しかし落下することなく宙に留まるそれに両手をかざせば、緋色の光が収束していき、
「でも、お陰で――有頂天は、ここにある」
今、ここには人がおらず、以前の時のように気質を集めてもいない。
そのため連発することは叶わないが、それでも一発だけならば撃つことは可能だろう。
緋色に染まる手元を見て、天子はそう判断する。
「十分に愉しめたわ。だから散りなさい」
相対する幽香の表情は笑顔だ。
その表情のまま、止めていた動きを再開する。腕を伸ばし、宙を掻き掴むように手のひらに力を込める。
間を開けず、双りの口が開いた。
それを確認し、天子も動きを始めた。構えは変えず、ただ宣言の口を開く。
「『全人類の緋想天』」
そして、花は緋色に包まれる。
/
放った閃光は、数秒ばかりの拮抗の末、緋色に飲み込まれた。
飲み込まれていく。空舞う花も、地に咲く花も、風見幽香すら例外なく。
「まあ、こんなところかしらね」
見やる眼下に幽香は呟く。
当初の目的を果たすことはできた。彼女が気付いたかは怪しいが、欲しかった言葉も得られた。
「このまま一緒に土に埋もれてしまうのもオツね」
どうしようかしら、と考える。
そうすれば、私は蜜になれるかしらと。
思考の間、緋色に包まれ、いよいよ花のひとつも見えなくなったので、目を閉じることにした。
落下する感覚に浸ろうと思った矢先、耳元から声がする。
「このまま花になるのかしら」
「蜜になるのよ。花はたくさん咲かせたから。今度は花から生まれるの」
「倒錯的ね。でも、あなた、苦い蜜になりそう」
「否定はしないわ」
「もう少し、甘くなるまで待ってみてもいいんじゃない?」
「なるかしらね。今更」
「さあ? 無理じゃないかしら」
そこで、声の気配が消える。同時に緋色も薄れ。
風見幽香は、地に打ち付けられるに留まることにした。
「まあ、後始末もありますし」
なにより。
「来年の花が楽しみですもの、ね」
誰にとも無く、自分に吐いた言葉の直後、空に輝く星がある。
星の色は白か黄色か。先ほど己が放ったものと同じ色の巨大な閃光が一本、上空から落ちてくる。
「……は?」
思わず間抜けな声を上げた直後、体は再び光に包まれた。
/
手ごたえはあった。
しかし、相手が相手だ。だからこそ与えられるダメージは与えておく。
未だ緋色の閃光を放つ天子は、幽香のいた宙を睨む。
と、そこに聞き覚えの有る声がした。
「おお、間に合ったみたいだな」
声に顔を上げれば、そこには箒の前後に、物の詰まった風呂敷包みを一つずつぶら下げた魔理沙がいた。
片方の包みから、見覚えのある柄の皿なんかが見えた気もするが、その事はあとで問いただそう。
「何してたのよ。来るのが遅いわ。もう、私の勝ちよ。すごい勝ち」
「いやなに、ちょいと仕入れをな。上に積むものの仕入れだ。それよりも、楽しそうな撃ち合いじゃないか。私も混ぜてくれ」
「はぁ?」
「やっぱり弾幕はパワーだよなー。燃えるよなー」
目には闘志、口元には満面の笑みでそう言い放ち、いそいそとポケットから八卦呂を取り出す魔理沙。
緋色の光はその威力を薄めつつあり、やはり次の一撃は撃てそうにも無い。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
「私だけ仲間はずれなんて、詰まらんことを言ってくれるなよ。じゃあ、行くぜ?」
「馬鹿、意味わかんないわよ!」
構えた手の平には、既に陣が形成され光も収束されている。あとは宣言の元、それを放つだけだ。
防ぎきれるものではないだろうと思うが、せめてもの対抗として天子は放出を終えた緋想の剣を構え、防御の姿勢をとる。
ここに来て、やっぱりやめた、などと彼女が言うはずもないだろう。あとは目をつぶり、良い結果を祈るのみだ。
「――恋符『マスタースパーク』」
果たして声は躊躇いなく放たれ、花畑は理不尽に撃ち抜かれた。
/
「いったぁ……」
「流石に丈夫だな」
「丈夫だな、じゃないわよ。いきなり何するのよ」
「弾幕ごっこだぜ?」
花の無くなった花畑に、抗議の声が響いた。
尻餅をついた姿勢のままの天子が浴びせる声は、どうにも相手に響いているようには見えない。
「いや、今のは結構ムチャだと思うんだけどなあ」
「何を言う。いつだって油断したら、それが命取りだ」
「意味わかんないって」
「あんた、誰と話して……ああ」
立ち上がる天子は、突然の声と、一人芝居の如く会話を始めた魔理沙に疑問を抱くが、会話の相手の声には聞き覚えがあった。そしてそれが正解ならば、その仕草も不思議ではない。
「またどこに隠れてるのよ」
「別に隠しちゃいないぜ」
ほれ、と頭を垂れた魔理沙の頭上、帽子のツバに掴まっているのは、手の平に収まるほどの大きさの少女だ。
長い角を持つ少女は、こちらを向いて親指を立てると、満面の笑みを浮かべた。
「よ、お疲れ!」
「……」
角に触れないよう、無言で少女をむんずと掴み、天子は思い切り手に力を込める。
「あ、ちょ、潰れる。潰れるって」
喚く声を気にせず力を強め続けると、とうとう我慢を諦めたか、角の少女の体は霧となって天子の手をすり抜ける。
うっすらと見える霧はゆらゆらと上へ登り、天子の帽子の上に落ち着いた。間もなく、天子は頭上に僅かながらの重量を感じる。
「まったく、乱暴だね」
「いきなり思い切り握らなかった分だけ感謝して欲しいわよ。ところで」
言葉を区切り、視線を上から魔理沙の方へと向けなおす。
「正直、詳しいことはわからないんだけど。……アンタたち、嵌めたわね」
返答は、頭上と目の前から聞こえてきた。曰く、
「大正解」
目の前には勢いよく立てられた親指がある。見えはしないが、おそらく頭上でも同じポーズがとられているのだろう。
ひきつるこめかみを無視しながら、天子が問う。
「怒らないから、答えなさい。何が目的だったのか」
「それは、アレだ。ほれ」
視線で指した先には、地に倒れたままの幽香がいた。つまり彼女が主謀者だといいたいのだろう。
目は伏せているが、胸の上下は見て取れる。
「……ていうか、放っておいていいの、あれ」
髪にも、服にも土が付着している姿を見かねた天子が言う。
「そのうち起きるだろ。どけようにも上等な敷物なんてないし、埋めたら芽が出そうで嫌だし」
「無茶苦茶な言ようね」
「魔理沙、敷物なら、その風呂敷を使えばいいんじゃないのか?」
頭上からの声が指すほうを見れば、箒に結わえられていた風呂敷包みがある。
「おー。そいつはいい案だ。ついでにちょいと早いが始めちまうか」
「ねえ、それ、もう一つあったような気がするんだけど」
魔理沙が広げている包みの中には、何が入っているかわからない箱や麻袋が見える。
落ちる直前に見たとき、たしか風呂敷包みは二つあったはずだ。そのうち一つには見覚えの有る柄が見えたから覚えている。
「ああ、あれか。あれは紫のやつに没収された。元の場所に戻ってるか、スキマに放り込まれてるか、自分の家で使ってるかだな。最後のならプレミアがつく」
魔理沙は、中身を出し終えて畳んだ風呂敷を、申し訳程度に幽香の頭に敷きながら、いやあそれにしても残念だと、たいして未練も感じさせない口調で告げる。
誰かさんがいないのが判ってたから、借りてくるのは楽だったんだけどなあ、とも。
予想の正解に、天子の怒気が膨れ上がった。
「あんたねえ……」
「おっと、怒るな。怒るなよ。これも含めてだ」
「いや、ドロボウに関しては魔理沙の単独行動じゃないか……」
「気にするなよ、吠えない番犬。それより天子、お前もちょっと手伝え」
積んだ中身から、茶色い箱を手に取った魔理沙は、それを天子に向かって投げやる。
土くれの付いたそれを反射的に受け取った天子は、中を覗き込もうとし、
「ひっ、いやぁあああああ!」
叫び、中身をぶちまけた。
それを見た魔理沙はあきれた顔をする。
「なんだお前、ミミズも知らないのか」
天子の足元では、大人の小指ほどの太さもあるミミズが何十匹も、のたうっていた。
飛びのき、ミミズから距離をとった天子は半分涙目だ。
「せっかく集めたんだぜ。もっと広くにばら撒いてれないと」
言って、しゃがみ込んだ魔理沙はミミズを鷲掴むと、腕を大仰に回転させて投擲する。
「ちょっと、こっちに投げるな、な、投げないで、お願いだから!」
「あははははは」
「うるさいわね」
「……お? 起きたみたいだな」
呟いた声に気付き、魔理沙が動きを止める。
続いて、天子が声の方向へ向かい口を開いた。表情には少しの険しさが戻っている。
「やっとお目覚め? 案外、丈夫じゃないのね」
「お前とは違うからな」
「元々の出来が違いますから。ていうかあんたは黙ってなさい」
「ははは、つれないこというなよ」
「ひぃっ」
「とりあえずミミズ放しなよ」
「うるさいって言ってるでしょう」
幽香が体を起こし、周りを見渡せばこちらを見る顔は3つ。
魔理沙と、天子、そして天子の帽子の上に乗っかった、手の平サイズの鬼だ。
差し伸べられた長袖の手に掴まり、幽香が腰を上げる。
引く手の主は、青髪の少女を解り易く流し目で指し、これからのことを快活に告げた。
「うん。じゃあ主謀者が起きたところで、種明かしといこうじゃないか。もしくは天人糾弾会」
/
どこからともなく集った霧が、十人前後の同じ容姿をした少女の姿に変わっていく。
少女達は花畑を走り回り、砕けた石を楕円を描くように並べたり、魔理沙の持ってきた道具の中身を畑に撒いたりしている。
その様子を眺めながら、円を組むように立つ三人は話を始める。
「花が枯れてしまったのよ。急にわけのわからない天気が続いたせいで」
切り出した幽香の言葉が、つまり今に至る最初の動機である。
いつ、とは言っていないが、間違いなく今年の夏のことだろうと天子は思った。
「頑張ったのだけど、夏が越えられなくて。まあ、それもある意味、仕方の無いことないことかと思ったのだけどね。最近になって、原因がわかりまして」
「それで復讐の不意打ちってわけ?」
「そこまでのものじゃないんだけど。ただ、ここも自然に咲くに任せきりで、そろそろ土地に元気がなくなってきたと思ってたところだったから」
「ちょいと地面を耕すのを手伝ってもらおうかな、なんて考えたわけだ」
続けられた言葉に、天子の疑問が一つ氷解する。
目の前の花の妖怪が、幾重にも手折られ重ねられて、なおも敢えて新しい花を生み続けた違和感の正体が。
「つまり、あんたの花は肥料ってわけ」
「なんだ、珍しく物分りがいいな」
「五月蝿いわよ」
「私の能力で作ったものとはいえ、本当はそんなことしたくなかったのだけどね」
そういって幽香は頬に手を当て、本当に残念そうな、許しを請うような瞳で嘆息を吐く。
「かといって、時期も時期だ。ちょっとした異変でも起きないと花もなし。花が咲いてくれないことにゃ、獲物を誘き出すこともできない」
「荒地見せて、アナタの所為よと教えて叩けばよかったんじゃないかしら」
まんざら冗談でもなさそうな幽香の言葉は無視することにした。
明かされる都合に、天子は自分の言い分を被せる。
「異変云々ってことは、巫女もグルだったわけね。ていうか地面耕すとか知らないわよ。勝手に種まいてりゃテキトーに花くらい咲くでしょ」
「ああ。どうせお前はそう言うだろう。だから、いちいち仕組んだわけだ」
「おびき出してもらえたら、あとは叩いて言うことを聞かすのが一番手っ取り早いと私は言ったのだけど」
「どうしてすぐ叩こうとするんだ……」
「手っ取り早いもの」
「まあ、なんだ。こいつは置いといてだ。叩いたところで、お前が下心無しに言うこと聞くかっていうと、怪しいところだからな」
それは、神社に要石を挿したことを言ってるのだろう。
予想はつくが、だからなんだ、という感想しか抱かない。
「そんな感じで、いい具合にお前を怒らせて、気付かれない内に目標達成するという、魔理沙様のシナリオの登場というわけだ」
「本当、昨日で終われば楽だったのに、ずるずると二日も演技させられて疲れたわ」
「要するに、ここを勧められた時点で嵌められてたってことね」
近くを通った鬼の少女の一人を掴み、ジト目で睨みつける。
「こんな人気のないところは好きじゃないんじゃなかったの?」
「嘘は吐かないよ。キレイに花が咲くと、色々集ってくるのさ。人より妖精とかのが多いけどね」
言って、さあ話しは済んだと手足をバタつかせる鬼を適当に放り投げる。
発端についてはわかったし、結果についても今更どうこうはできまいし、できたところでそれも面倒だ。
ならばそれはそれでいい。ただ、疑問を残すのはスッキリしないことだと、天子は問いかけを作る。
「ところで、聞きたいんだけど」
「なにかしら」
「ここに来たところで、私が要石に腰掛けなかったら、どうしたわけ?」
「それは」
幽香の言葉をさえぎり、それなら心配ないと、魔理沙が自信満々に告げる。
「その辺りは大丈夫だ。お前なら絶対にいらんことしてくれるはずだからな」
「どういう意味よ」
「そのまんまの意味だぜ」
こめかみの引きつりは、度を越しすぎてむしろ何も感じない。
しかし、新たに取り出した箱を右手に持ち続けている魔理沙に天子は二の句が繋げず、言葉の矛先を無理やり曲げた。
「じゃあ、最後。結局、残りの理由ってのは何だったのかしら」
戦いの最中、幽香の言った理由の数は三つ。
三つあるという、最後の一つが天子には検討がつかない。相手にされなかったことを怒る自分と同じだという、その理由が。
その問いに、ああ、やはり判っていなかったのかという目線が返された。
「なんのことはない理由よ。だけど、私としては一番、大きな理由。あなたは昨日、自分がここで何をいったか覚えてる?」
「何を言ったか?」
天子は昨日の己を思い出し、その言葉の中から、怒りに触れそうな部分を考える。
「花女とか、土女とか。あと、下賤とかも言ったような」
考えた答えに、魔理沙から「お前本当にえらそうだな」と茶々が入るが、気にしない。
「違うわね。それもそれで、結構腹は立ちましたけど」
「他には、何を言ったかしら」
考え込み、口をつむぐ。
しばらく静寂が続き、いい加減、悩む天子に飽きたのか、幽香が答えを告げた。
「昨日は踊りで今日は歌、明日は何で興じましょうか。……そう言ったのよ」
「ああ、そういえば」
そんなことも言った気がする。しかし、と。
「それの何が癪に障るのかしら。全然わからないわ」
「わからないのが癪に障ったのよ。失礼じゃない。なんであんなに咲いていたのに、花に興じようとは思わなかったのかしら」
言葉は続く。
「正直、本当はこんなに派手にやるつもりじゃなかったのだけど。あなたがあんまりにも花を褒めてくれないから」
「それで、おもてなし」
「ええ。まあ、あなたは気付いていなかったみたいだけど、最後には綺麗と言ってくれたし」
足元、土に混じって見える花に視線をやり、幽香はごめんなさいね、と謝罪の一言を落とした。
次に顔を上げれば、この二日で一番多くみた笑顔がある。
「この子たちも、またきっと綺麗に咲いてくれると思うわ」
そして、
「だから、またここにいらっしゃい。冬の間はわからないけれど、春には咲く花もあるでしょうし、夏に咲く向日葵は本当に綺麗だから」
そのときには、あなたが愉しめるよう、おもてなしさせて貰うわ、と。
言った幽香の表情は、天子がこの二日で初めて見る、むず痒さを堪えるような、期待に溢れた笑顔だ。
「ま、まあ。そんなに言うのなら、見てやってもいいけど。……その、ええと、ちょっと、魔理沙!」
「あ? なんだ、もう帰るのか?」
いつの間にか輪から外れ、鬼の少女に指示を出していた魔理沙が振り向く。
「違うわよ。何か手伝うことはないの? このまま終わりってわけじゃないんでしょ」
「やることはあるが、どういう了見だ? 私が見てないうちに叩かれたか」
「違うわよ。あんたの予想では、私が言うことを聞かないからケンカを吹っかけるようにしたわけね」
「まあ、大まかに言えばな」
「なら、私が敢えて自分から作業を手伝えば、つまりあんたの予想はハズレ。私は嵌められてないというわけよ」
「あ、あー。うん。わけわからんけど、都合がいいからそれでいいや」
「釈然としないわね」
「そんなことはないさ。お前の勝ちだ。勝ちだからちょいと、でかい石は砕くかどっかにやってくれ」
「まかせなさい。あ、そういえば巫女はどこいったのよ」
「とっくに帰ったぜ。幽香の花が消えた時点で、あいつ的には異変解決だし」
「薄情ね」
「まったくなあ」
「魔理沙は報酬もらってるじゃないか。なんかよくわからない草の根っこ」
「何か、あんたばっかり得してるような気がするわね」
「そうでもないぜ。よく動いてる」
眺める先、花もない花畑に声が響く。
「さて、私も頑張りましょうか。――あら、帰ったんじゃなかったの?」
振り向き見上げれば、直前の自分と同じ場所を眺める巫女がいた。
霊夢はその言葉には答えを返さず、その代わりに彼女自身の質問を返した。
「あの子は上手く出来たのかしら」
「さあ、どうかしら。少なくとも、私は満足したけど」
「ならよかったわ」
「むしろやりすぎかも知れないわね」
足元の土には、たくさんの褪せた色が混じっている。
「煽ってたのはアンタじゃない」
「どうだったかしら。ところでどう、あなたも手伝っていかない? どうせ暇なんでしょう」
「構わないわよ。異変も終わったみたいだし、暇だわ。巫女だもの」
浮いた体が高度を落とし、地に足が着く。着いた足を落ち着けることなく、そのまま前に歩を踏み出しながら霊夢が言った。
「さ、早いところ始めて早いところ終わらせましょう。あいつらだけに任せるとロクなことにならなさそうだから」
その後を追って歩きながら、幽香は思う。
自分は本来、花を追って移り行く存在だ。今回のように花が枯れてしまわなければ、わざわざ土を耕し、土地を肥やすなどということはなかっただろう、と。
ならば、もう自分の花畑ではなくなってしまったが。だからこそ出来る限りのことをしておこう。
そうすればきっと、次に自分がここを訪れる時には、これまで以上に素晴らしい風景がみられるはずなのだから。
そこから見渡せば、少女の周りは黄色を主とした一面の花だ。
少し前から天界に住み着いた鬼に言われて来てみたが、これなら多少は長い距離を通ってきた甲斐もあるだろう。
『私は、あんな人気の少ないところは好きじゃないけどね』
鬼はそんな風に言っていたが、そも人気の少ない土地で暮らしていた少女にとって、そんなことはどうでも良い。
基本的に一人で暇をつぶすことが主だったのだから、むしろ人気のないところで愉しむ方が慣れたことである。
「この辺りにしましょう」
呟いた少女の眼前。注連縄に飾られた巨大な石が、轟音を上げて突き立った。
青い髪の少女は驚いた風も無く、切り株のように地面から生えたそれに腰掛ける。
「昨日は踊りで今日は歌、明日は何で興じましょうか」
目を細め、口元を弛ませながら、比那名居天子は思う。
色々とあったが、最近はこの幻想郷の地にも自分のことを知る者が増えてきた。
――判り易く事を起こせば、今度はそれほど焦れることもなく楽しめるかもしれない。
ならば楽しさを十分に享受するための要点は、あの巫女が来るタイミングだろう。
早すぎては盛り上がりに欠け、遅すぎては焦れったさに興が削がれる。前座は二、三で十分なのだ。
「そこをどうするかだけれど……」
一呼吸の間、言葉に詰まり。
「とりあえず今日は歌の日、歌の日」
/
悲鳴が聞こえた。
「随分たくさんね。星でも降ってきたのかしら」
彼女の呟きは彼女にさえ届かない。
悲鳴が五月蝿すぎた。
「ええ。ええ。痛かったでしょう。でも大丈夫。あなたたちはとても強いわ」
彼女が手を上げる。ただ、それだけの動作。
同時に、千の命が欠片となって蒼空に舞う。
吹き飛んだ花弁は、十二色の虹を掛ける。
「こんな可愛いあなたたちに、強いものイジメをしているのは誰でしょう」
四季の花を操るフラワーマスター。
幻想郷において、恐らく全世界において、最も花とともに在る彼女。
風見幽香は片手を翳して、空を仰ぐ。
/
舞い上がった花弁と虹が舞い落ちる。
青が目立つその虹は他より一足早く、しかし軽い足取りで地に降りた。
「驚いた。危ないじゃない」
帽子や衣服に土埃や泥がついていないかをしきりに気にしながら、天子は言葉を続ける。
「あんまり土臭いから気付かなかったわ」
言葉を受ける背中は振り返らない。
「こら、こっちを向きなさい」
緋の双眸を僅かに細ませて、腰に手を当てて。
天子はその背に再度、声掛ける。
それは無論、物頼みではなく命令である。しかし振り返らない日傘の背中に、彼女の天井の低い癇癪はすぐに爆発した。
「こっちを向けって言ってるのよ、この土女! それとも花塗れのその間抜けな姿、花女のほうがお似合いかしらね! 」
まるで幼児の口喧嘩である。
だが。背中は動いた。同時に、天子はその背中を見失う。
「……ごめんなさい。気づかなかったわ。花と同じような色をしているものだから」
影が差す。
背後から、すぐ耳元で囁くように、まるで花弁が震えるような声。
背筋が凍り、それは全身を操る神経をも凍結させた。動けない天子の視界の端、白く形のいい鼻梁が、小さく上下に動く。
すんすん、と音を立ててそれは匂いを嗅いでいた。
再度、背筋に冷たさが走る。だが今度は身体が動いた。
天子は振り払うようにして背後の幽香を突き飛ばす。
それは格闘というよりは、唯の自衛本能からなる咄嗟の行動だった。
それでも幽香の身体はされるがままによろめき、……そのことで多少の冷静さを取り戻した天子は、一足跳び、間合いをとって身構える。
突き飛ばされた幽香は受身をとることもなく、そのまま、ふらふらとまるで風に舞うようにして、花畑を踏んだ。
「人間でもなければ妖怪でもなく、かといって幽霊や死神でもない匂い。桃の香りがしますね、山奥から来たのかしら。……でも、猫の臭いはしませんね」
幽香は踊るように花を踏みながら、あなたは何なのかしら? と、その花弁の声で問う。
不気味そのもの。天子は身構えながらも、しかし彼女はそのプライドから彼女の問いに答える。
「私は地を須く統べる、天人。比那名居天子。人の楽しみを邪魔して、あなたは何がしたいわけ? 」
「あなたの名前なんかは聞いてないのです。何、と問うたんだから、質問だけに答えてくれればいいの」
「下賤の癖に生意気な口を利くわね。あなたこそ質問に答えなさい」
ぴたりと。
幽香の動きが止まった。くく、と首が傾き、ヴェールのような前髪から、その黄金の瞳が覗く。
再三、天子に怖気が走った。
そして花弁の声が天子を撫でる。
「私は風見幽香、なんのことはない、土臭い花の妖怪です」
「あなたの名前なんか聞いてないわ。質問に答えなさい」
「……」
問いの返答に、幽香は持っていた日傘を閉じ、その先端で、直前まで天子の腰掛けていた石を指した。
「私が相手をするのは、花と、私の相手になるくらい強い奴だけ。だからもう、あなたに興味はありません」
「意味がわからないわね。土遊びのし過ぎでマトモな会話もできないのかし――」
言い切る直前。
鈍い粉砕音とともに巨大な石は砕け、無数の花の根に侵食される。
「意味はわかりましたか? 天人様。それでは、さようなら」
くるり。
スカートとベストを翻し、現れたときよりも、なお飄々と幽香は天子に背を向けた。
周囲を見渡す。
四方は一面の花畑で、首の撥ねられた花はおろか、踏み潰す足跡も見つからない。
/
「それで、おめおめ逃げ帰ったわけか」
「逃げてません」
「おめおめ逃げ帰られたわけだ」
「逃がしてやったの」
「おめおめ逃がしてやったんだな」
本と、ガラクタ――主曰く『お宝』――の山に埋め尽くされた部屋に天子はいた。
椅子に座り重たそうな本を読んでるのは家の主、霧雨魔理沙である。
声を除けば、部屋の中には時計の針の規則的な音と不規則にページを捲る音だけが聞こえる。
「しかしお前も妙なとこに目をつけたもんだ。あんなとこ乗っ取っても花粉症になるのが関の山だぜ?」
「別に場所はどうでもいいのよ。単純にあの花女のことが知りたいだけ」
「ははは。鼻持ちならない花女ってか」
「つまんないわよ」
飽きれ混じりの天子の声を気にした風もなく、つれないなあ、と呟く魔理沙の声は無視される。
天子は机の端に置いてあるガラクタを指先でつまみながら言葉をつづけた。
「にしても、汚い家ね」
「住人としては趣があると言ってもらいたいな」
「その本に、趣って言葉の意味は載ってないの?」
「残念ながらこいつは辞書じゃないぜ。あとそれ、落とすなよ」
「落とさないわよ」
どすん。
がらがら。がしゃん。
「・・・・・・おい」
「落ちやすいところにあったコレが悪いのよ」
「落ちやすいところにあったから、落とすなって言ったんだぜ……」
やれやれだぜ、と首を振る魔理沙。
天子は平然と、無造作に、落ちたそれを元の場所に戻す。
その拍子に更に他の物が落ちるが、天子は舞ったホコリを被らないよう一歩を引いて、落ちたそれは無視することにした。
一拍をおき、何事もなかったかのように腰に手を当て魔理沙に指を突きつける。意識的なのか、無意識的なのか、それが彼女の『命令するとき』のポーズであるらしい。
「とにかく、あの花女のことを教えなさい」
「お前は他人を指差さすことが無礼という行為に相当するんだって親に習わなかったのか?」
「習わなかったわよ」
「そりゃ羨ましいぜ」
ま、それはともかく、と魔理沙はページを捲りつつ、尋ねる。
「力を貸すって、お前、何するつもりだ?」
「リベンジよ。辱めを受けたら、辱めをもって反す。天人の常識です」
「それちゃんと集計とったか?」
「私がそう言うならそうなの」
「……ああ、そうかい。ていうかあれだ。そもそもの原因はお前じゃないか」
「私は服が汚れるのが嫌だから、石の上に腰かけてただけよ」
「石の上じゃなくて、石の下が原因なんだろ。いや、上か?」
「と、とにかく私に不敬な態度をとってたことに違いないわ!」
言って、天子はバツが悪そうに会わない視線を逸らした。
「まあ、おめおめ逃がしてやったのが気に食わないわけだ」
「だから、もう――」
つくづく強度の弱い堪忍袋であった。
天子の怒気の残響が、絶妙なバランスで積まれたそれらを揺らす。物々はそれに反抗するかのように静寂を囁きあった。
しばしの沈黙。
時計の音は続き、ページを捲る音が途切れる。
そして魔法使いが呟いた。
「酷いことをしてやればいい」
目深の帽子の陰、微かに見える口元には笑みが浮かんでいる。
「そもそも、私が教えることなんてないんだよ。聞いたんだろ? 幽香は花の妖怪だ」
「……だからなんだっていうのよ」
「花を荒らされるとやたら怒るんだ。特にあの場所はお気に入りみたいでな」
「はぁ」
「横揺れじゃダメだな。地割れ的な、そうだな。根っこから全部ひっくり返っちまうようなのがいい。できるだろ?」
「そりゃまあ」
大地を操る自分の能力ならば、十分可能なことだろう。
「これでまず一つ。で、確実に怒り狂った幽香が来るだろうから、それをけちょんけちょんにしてやって仕返し完了だ。不意打ちでなきゃ勝てるんだろ?」
「……」
「ああ、あと時間は昼がいいな。あいつ、妖怪のクセに春以外は昼間にばかり動くから。うん。昼が良い。で、なんだ? まだ疑問でもあるのか」
「その、……もしかして、あいつが襲いかかってきたのって、私が花とか踏みつぶしたから?」
言葉に、魔理沙が初めて顔を上げた。まじまじと天子の顔を眺め。
「お前ってバカだったんだなあ」
「なっ」
「わかってて自分の非を認めてないだけかと思ってたぜ」
「わかってたら、こんなカビ臭いところに来ません」
「ていうか、なんでお前ウチにきたんだよ」
「石段登ってたら巫女に蹴り落とされそうになったから」
「嫌われてるなあ、お前」
「疑われている方が面白いのです。色々と」
「ははは。疑われてるのと嫌われてるのは違うぜ」
愉快そうな笑い声に、天子は口の端を引きつらせる。
魔理沙はそれを気にする風もなく再び本へ目をやった。
「で、原因が自分だってわかったところで、お前は仕返しに行くのか?」
「当然」
「迷いないな」
「辱めを受けたら、辱めをもって反すのが天人の常識ですから」
「自分でこけたのを、人のせいにしてるようにしか見えんがね」
どう言われようが、止める意思がないのは天子の中で揺るがないことである。
実際のところ、不意を突かれて仕掛けられたことも、一瞬でも自分を臆させたことも一番の理由ではない。
比那名居天子を歯にもかけない素振り。有頂天である彼女にはそれが何よりの辱めであり、返上しなければいけない辱めなのだ。
「とりあえずコレであの花女に一泡吹かせられそうね」
「そりゃよかった。せいぜい頑張んな」
「ええ。明日はあなたも見学に来たらいいわ」
「気が向いたらな。用が済んだなら早よ帰れ、ああ、いやちょっと待て。そういや、お前は地震が来るのがわかるんだよな」
「それが?」
地震が来る時期がわかるというよりは、むしろ起こるとすれば高い確率で自分が起こすのだから、と心の中で肯定する。
「地震が来る前になったら教えてくれよ」
「家の片付けでもする気? それとも、火事場ドロボウでもする算段?」
「いいや、片付けをな。なるべく高くていらないものを上に積む」
それでは片付けになっていないどころか、被害が増えそうだが。
「そして壊れてしまった分をお前に請求だ。買い手が付かなくて困ってる物が多くてな。売る気もあまりないし」
「そんなの弁償するわけないじゃない」
「なら仕方ない、物々交換で勘弁してやろう。天界のなんか面白いもんと交換だ」
「やらないって」
「そんなことも言ってられないぜ。なにせこの中には、私のものじゃない本やら本やらもたくさんあるからな」
「しりませんー」
というか、火事場じゃなくてもドロボウしてるのかこいつは。
「私がここに近寄らなくなったら危ないと思いなさい。埃にまみれたくないですから」
「それだとどうあっても災難だぜ。お前が来てもモノが落ちる」
「言ってなさい」
軽い怒気と諦めの混じった言葉を吐き出し、天子は霧雨邸を後にした。
/
燦々耀く太陽を花弁が包み込む。
花を一輪、口元よりも少し高く、目元と太陽の狭間に掲げる幽香。
その花を蔑み見下すように、はたまた憧れ見上げるようにして、彼女は首を傾げた。
ちろり。
チューリップよりもなお赤いその舌が伸び、閉ざされた花弁をほぐし、奥へ奥へと滑り込む。
そうして花の蜜を啜る。
蜜を啜るのは本来、蟲のすることだけれど。こうして同属とも呼べる彼らの甘露を自身の身体へと取り込む作業は、一種、倒錯的で快楽的だった。
――そのうち、私を啜ってくれる花も現れるかしら。
そんなことを想って、彼女は、今や彼女の花畑を見下ろす。
水を吸い、光を受け、不要を摂取り込み、必要を吐き出し、蜜を蓄える。
心を和ませてくれることの他において、花とはそれだけの存在である。
それでも幽香は彼らが愛おしい。聖母のように。神の子のように。
彼らは、唯、其処にいてくれるから。
――さて。彼女は上手くやってくれるかしらね。
先刻の天人が落としていった巨石の、そして彼女自身が砕いたその欠片に座り、彼女は唯、訪れを待つ。
変わらぬ視線に、謝りの言葉をポツリと落として訪れを待つ。
まるで冬に咲いた、一輪のアネモネの花のように。
/
そうして翌日。
近頃は随分とその威力が弱まったが、それでも一日で今が一番、強い日の光を浴びる時間。
太陽の畑の上に浮かぶ影は二つ。青の髪を風に揺らす天人と、気だるげな様子の紅白の巫女だ。
「なんで、あなたが来てるんですか」
「巫女だから」
天子の問いに対し、巫女――博麗霊夢は簡潔に答える。
その左手は祓い棒を持ったまま腰に当てられており、逆の手ではゆるゆると頭を掻いている。
「意味がわかりません」
「わからなくてもいいわよ」
言葉の尻にアクビをつけるのは、これ以上詮索したところで知らぬ存ぜぬを通すという合図だろうか。
そう判断した天子は、ふと思い当たる。
「ああ、あの魔法使いに聞いたんですね。それで私を止めるために、ここへ」
「別に止めないわよ」
「え?」
「地震を起こして、幽香にケンカを売るんでしょう? 早いとこやっちゃいなさいよ。止めないから」
振り返り、霊夢の顔を見るが、相変わらず気だるげな表情のままである。
どころか、御祓い棒の尻で背中を掻いている。
……頭と背中を同時に掻くというのは色々と如何なんだろう。
ポーズなのか、自然体でやっていることなのか気にはなる。
「あなた、巫女なんでしょう? 異変を解決するのが仕事なんじゃないの」
「巫女よ。異変を解決するのが仕事の」
「なら」
「止めないわ。『地震がおこること』自体は、別に異変でもなんでもないもの」
霊夢は言い切る。何が起こるかはわかっているが、博麗の巫女はそれに手は出さないのだと。
「……異変じゃない?」
天子が呟く。
顔には現れていないが、声には僅かながらの険が含まれていた。
「例えば、ここだけでなく幻想郷全体を巻き込むような地震だったとしても?」
「異変じゃないわね」
一息を付き、霊夢は言葉を続ける。
「この間のアレは、幻想郷の天気がおかしくなっていたことが異変だったのよ。地震の部分は私怨と神様の怒り分」
「私怨って」
「地面が休まず延々揺れ続けるものなら、それは異変として扱うかもしれない。でも、いくら大きかろうが一度や二度こっきりの地震を、どうやって解決するっていうのよ」
「それは」
「だから、今ここであなたが幻想郷を揺らしたとしても、個人的な理由でお仕置きくらいはするかもしれないけど」
そして、もう一息。
「それは異変の解決じゃないわ。異変はね、起き続けていないと解決できないの」
言って、見下ろす霊夢の瞳には黄色の多い花畑が映っている。
「それに、今そんな大きい範囲で地震を起こしても、あんたの目的は達成できないんじゃないの? 別に花畑を荒らしたいから荒らすんじゃないでしょ」
「そ、それもそうね。で、一応もう一回確認しておくけど」
「止めないわよ。思いっきりやればいいわ。根っこから全部ひっくり返るくらい」
/
「そういえば、昨日なんでいきなり境内からとび蹴りなんて」
「神社は萃香が建て直したけど、また妙なものを仕込まれたら困るからね。神社にあんたを入れるなって紫が五月蝿いのよ」
「そうですか。まあ、疑われている方が面白いのです。色々と」
「疑われてるのと嫌われてるのは違うわよ……いいから、さっさと始めなさい」
/
そして、天子は眼下を睨む。
背の高いあの花に紛れて、風見幽香は果たして今もあそこにいるのだろうか。
花畑に降り立ち、辺りを眺めるが、そこに姿は見えない。
どちらにしろ、地面がひっくり返った程度でどうこうなる相手ではないだろう。
ならば姿が見つからなくて困るのは、その後だ。
「要石」
昨日、花畑の真ん中を穿ったものと同じそれを、花畑の外周を囲むように数個、付きたてる。
石柱が小さく地面を揺するのを足裏に感じ、天子は右手を一振りする。
その手に現れたのは、炎そのものを緩く固めたような、緋色の剣だ。
手首を返すことで刃先にあたる部分を地面に向け、両手をその柄尻に添えるようにし、
「――地符『不譲土壌の剣』」
突きたてる。
地面をえぐり進む緋想の剣。その進行が止まると同時。
天子を中心に地面が隆起し、一拍を於いて土花が空に爆ぜた。
空から花と、それ以上の土が振り落ちてくる。
そのどれもがしかし、最中に居る天子にかすることはない。
パタパタといった乾いた音の中、周囲を見渡すが、
「出てこない、か。ならもう一度」
振り構え、突きたてる。
一度崩れ、空気を含んだ地面は先ほどよりも勢いを増して空へ上がる。
そして天子の足元を残し、花畑は先ほどよりも一段高さを下げる。
「おかしいわね」
これで出てこなかったら、あの魔法使いをどうしてやろう。
そう考えながら、三度、緋想の剣を構えなおし、
穿つ動きの寸前に、影が差した。
「ごきげんよう、天人様」
「ごきげんよう、花女。私はご機嫌よろしくないですが」
「私が来るのが遅かったからかしら」
言葉は平坦である。ただ、その腕には力が込められており。
「ええ、土に塗れて死んでしまったのかと思ったわ」
振り下ろされる傘を、後ろに跳び避ける。
傘はしかし振り抜ききられず、その軌道の途中で止まると、動きを刺突へ変えた。
対し、天子は歩を飛び込む形での前進へと変え、幽香の懐を狙うが、
「カチっと」
軽いノリの言葉に、その擬音が表す音が続き、
「っ!」
風を遮る音とともに、勢いを持って傘が開く。
少量の土を撥ねさせながら迫るそれを、体の後ろで強引に剣を突きたて、肘を曲げ体を引き寄せることで後退し避ける。
慣性に滑り踏み留まろうとする足に、パキリ、と何かを手折った音が伝わった。
「これで、少しは機嫌がよくなったでしょうか」
問いかける声と日傘が閉じられ、その顔が晒される。
開けた視界には、昨日と同じ笑顔の風見幽香と、彼女を見つめるように佇む一面の花。
自分の足元を見れば、背の低い赤色の花が踏み潰されており、それは確かに地面に根を張っていた。
「わざわざ御足労いただいて、これくらいしかお持て成しはできませんが、天人様。――私の異変へ、ようこそ」
/
眼下の景色に、霊夢は少し前の春を思い出す。
幻想郷中に一斉に花が開いた春のことを。
「端から見てみると、案外いろんな花が咲くのね、ここ」
春の異変の時には、ここには向日葵しか咲いていなかったように思えたが。
端から見てみれば、なかなか綺麗なものなのねと、褒めの感想を霊夢は漏らした。
「始まったわね」
「もう終わったんじゃないの?」
「また始まったのよ」
「どっちでもいいけど」
かけられた唐突な声に驚きもせず、霊夢はしなだれかかる手を払いのける。
「あん、霊夢ったら冷たい」
「鬱陶しいのよ」
人為的に――或いは妖為的に――上空に顕現しているスキマから上半身だけをのぞかせ、八雲 紫はにっこりと笑った。邪険にされながらも。
もっともどこぞの天人とは違い、こちらは唯、邪険にされることに慣れているだけだ。
「用がないなら、さっさと帰ってくれない?」
「いつになく冷たいわね。お茶くらい淹れてあげるわよ」
「こんなところでお茶ってのもねえ」
「悪くはないものよ。ここは下より寒いし」
ふう、と少女ぶった溜息を大気に零して、紫は自身が創る別格の大気から、湯呑を一つ取り出した。
「あれ、なかなかいい湯呑じゃない」
霊夢は目を丸くする。陶芸に明るい訳ではないが、感覚で良い物とわかった。
薄く焼き上げられた灰褐色の湯呑。造形はやや前衛がかっているが軽やかで、描かれている文様は優雅、それでいて高貴である。
「なかなかいいでしょう。どこぞの天人から失敬したのを失敬したの」
「待てぃ」
「別に構わないじゃない。返すわよ。それに、あなたが損をしたわけじゃなし。……はい、どうぞ」
追及をするりとかわして、これもスキマから取り出した急須から注いだ茶を勧める。
「……ん、ありがとう」
馬鹿らしくなったのか、霊夢は大きな溜息をついて湯飲みを受け取り、それ以上は何も言わないこととした。
そう確かに、彼女には関係のないことなのだ。湯呑に限っては。
――ずん
眼下で響く振動に、神社は揺れていないだろうな、と考える。
流石に次に崩れたら、私怨も三倍増しだ。三乗増しかもしれない。
「やってるわね」
「みたいね」
「勢いで神社は壊れないかしら」
「大丈夫でしょ」
「でももし壊れたら、今度は、ねえ」
にこり、と、しかし今度は不気味なほど静かに、紫は笑った。
霊夢とてその表情からは何物をも読みとれない。
「そういえば、今回のこれは異変でいいのかしら」
「異変というよりは、その余震の範囲かしらねぇ」
「ああ、ならやっぱり自業自得だ」
「それでも一応、解決はするのね」
「巫女だもの」
「実際には手出ししてないくせに」
「足は出したわ」
そこで会話が途切れる。
霊夢は何事もなかったかのように飲み干した湯呑みを差出し、紫がそれに茶を注ぐ。
ぐい、と湯呑みを一度傾けてから、霊夢が呟いた。
「さて。あの子は上手くやってくれるかしらね」
また、静かに、大地が揺れた。
/
地はめまぐるしく姿を繰り返し変えいく。
剣が突き立てられる度に地面は盛り上がり、砂や石、とりどりの花が飛び散る。そして数瞬後には花は根を張り立ち上がっており、
「いい加減、つまらないわよ!」
力を込めた言葉とともに、幽香を押し潰さんと石柱が降り注ぎ、また弾幕が襲い掛かる。
さらに天子は詰めとばかりに手にした剣で切りかからんと飛び掛るが、
「お持て成しが足りないのかしら」
それに対し幽香は傘を振るうことで弾幕を防ぎ、弾幕と急激に成長する花とで以って石柱を砕き、
「では、もっとたくさん飾らないと」
目線をやることで生え立った向日葵で、踏み込む天子の足を浮かせる。
バランスが崩れ、一瞬とはいえ体が固まらざるを得ないそこに、弾幕をはじく傘を流れのまま叩きつけた。
そのまま行けば顔を打つ一撃。
行き先の表情は笑みであり、
「量でなく、質の問題だとわかりなさい」
天子を中心に旋回しながら出現した石塊に、今度は傘が弾かれた。
さらに石塊は旋回の軌道から外れ、立て続けに三発、幽香に向かい射出される。
ゆらり、ゆらり。
ゆっくりとした動きで幽香が揺れる。
それだけの動作で、石塊は全て幽香をすり抜け地を穿つ。
「本ッ当、勘に触るわね」
「ダンスは好きでしょう?」
「あなたが嫌いなのよ!」
声を張り、なおも動きは止まらない。
踏み込む足で間隙を詰め、横薙ぎに緋の剣を振り抜く。
その剣圧に今日何千本目かの花が散った。が、当然ながらその刀身も切っ先も標的を捉えることはない。
剣が掠める瞬間に、確信的な余裕をもって宙返りでかわした幽香。天子の緋の瞳が宙の彼女を睨む。幽香の黄金の瞳が目に入る。
その世界で一番美しい向日葵は、天子の姿は映さず、唯荒れ果てた大地だけを見ていた。
「獲った!」
未だ宙にあり体勢の安定しない幽香目掛けて、天子は要石を撃ち込む。
一撃。ただし最大限の回転と速度を加えた一撃。
石は最速最短を疾り、幽香を捉える。
直後、天子は石塊が獲物を抉る音を聞く。
連続した、早く重い濁音の連弾だ。
それは回転し、穿つ音。
だが。
「……無茶苦茶ね」
「いい具合に手が温まりました」
近頃は寒くなってきたから、と続く幽香の呟きが明瞭さを増していく。
回転が止まる。止められる。
幽香は掌に鷲掴みにしている要石を、いかにも興味無さ気に眺めた。
「確かに、いい加減つまらないわ。今度は私に遊ばせて?」
振りかぶり。
まるで子供の鞠遊びのように、幽香は手にあった要石を投げ返した。
回転も能力もない、純粋な力による投擲。にも関わらず、天子の足元に着弾したそれは、その地面を爆発させた。
土煙と共に泥と花とが舞い上がり、天子の視界は花弁に覆われる。
視界が披けるよりも先に、幽香が目の前に現れた。
それを視認するのと、腹部を蹴り上げられたのは同時だった。
「がぁ!」
嫌な吐息が漏れる。
咄嗟の判断で緋想の剣を用い直撃は防いだが、その剣も腹に押し付けられ衝撃に貫かれる。
自分の意思とは別に土煙の上空へと浮き上がる身体。
「くっ」
天子の後を追うようにして、ふわりと、優雅に幽香が跳ぶ。
その顔は、冷笑。
頭よりも先に、天子の身体が動く。
「あら。速い」
セリフとはうらはら。空中での唐突な制動を用いた大上段からの斬撃を、事も無げに回避する。
目が合い、なおも冷笑。そして。
天子は目が霞んだのか、と目をまばたく。
だが、それは確実なる現実であり幻実だった。
遊ぶようにクルクルと回る傘の花双つ。双りの幽香が、双つの声を重ねる。
重ねた声は何と言ったのか。音は、直後放たれた閃光に掻き消された。
破壊の閃光に呑まれ、天子は荒れた大地へと叩きつけられる。
幾許かの間を置いて、幽香はふわりと、スカートを押さえ、着地した。
傘をたたみ、覗き込んだ目を丸くする。
「割と丈夫なのね」
「・・・・・・けほっ」
咳き込みながら、天子は立ち上がった。
至近距離からの直撃であったにも関わらず、それほどダメージを受けているようにみえない。
小さく肩で息をしてはいるが、その程度のようだ。
朗らかに、幽香は笑んだ。
それが天子の癇癪に何度目かの爆発を起こさせる。
「今のがあんたの全力? は、全ッ然、大したことないわね! うん、全然大したことない!」
「その割には息があがってるみたいだけど?」
「大したことないって言ってるでしょ! ふん、あんた、本当は弱いんじゃないの? そりゃ、唯の妖怪だものね!」
天子は声を張り、剣を構え直す。
踏みしめる足元には、土に埋もれた、またそうでない幾重もの手折れた花があり、
「……?」
「ところで」
花の数に、天子は違和感を覚えた。
こいつは花を荒らされると怒るんじゃなかったのだろうか。
しかし、それに気付かない幽香は天子に問いかける。
「あなたが『お持て成し』を受けている理由がわかりますか? 天人様」
お持て成しとは比喩だ。つまり風見幽香の怒りに触れた原因。
「花を潰したから、でしたっけ。つまらない理由です」
「その通り。でもそれだけではないのですよ」
新たに生まれた花が舞う。
宙に現れた花が弾幕となり天子を襲い来る。
それを避け、また回転の動きを持った石で磨り潰しながら天子は考える。
それ以外に理由になるようなことなどあっただろうかと。それに、こいつはなぜ今こそ怒らないのかと。
「理由は三つ。一つは言った通り。あなたが花を潰したから。もう一つは、本当の理由。たぶん、あなたが知る由もないのでしょう。まだ解らなくても構いません」
そして、
「最後の一つは、あなたと同じなのですよ。天人様」
一瞬、空気が変わり、そこで天子は一度思考を止めた。
まるで、弾けるように花が咲く。
視界が花に包まれる。
先程と違うのは、それが一切の隙間なく、天子の全てが花で包まれているということ。
不意に、天上を見上げる。自身の居た場所。其処に在る筈の太陽でさえ、花が包み込んでいた。
「――花符『幻想郷の開花』」
地にも宙にも、溢れんばかりの色が舞い踊り、
「お持て成しが終わってしまうまでに、気がついて欲しいのですけれど」
その理由のため、花は激しさを増す。
/
鮮やかすぎる視界は、しかし目標を捕らえることが叶わない。
天子は、舞う赤や黄色、そして茎の緑の中に幽香の姿を見つけることができないでいた。
その赤が、黄色が、そして紛れた弾幕が、天子を目がけ舞う。
光景に、一瞬、状況を忘れ言葉が緩みそうになるが、
「所詮、さっきまでと同じ花じゃない!」
地に剣を突き立てる。
その日何度目だろうか、爆ぜた土が花を喰う。
そして開けた空間には、数瞬を待たず花が溢れた。
繰り返す。
しかし、何度やったところで花は現れを止めることはない。
まるでヒビの入った箱を水に沈めたかのようだ。
繰り返しの度、趣を変える花を見て毒づく。
「……鬱陶しさは、さっき以上みたいね」
「感想はそれだけ?」
残念さの混じった声。
またも後ろをとる位置に幽香がいた。
「ようやく打ち止めかしら」
「そういうわけではないんですけど、もう十分ですので」
言った幽香の右手の先、傘の先端に光が集まる。天子は先にみた閃光を思い出した。
こちらの背中に触れる構えの瞬間、回避として思い切り横へ跳ぶ。閃光が爆発する音を聞き――流れる視界の端。光を蓄えた傘を、突き刺す構えの幽香が見えた。
「ああ、そういえば二人いたわね」
姿を見せないから、やはり見間違いかと思っていた。
思う矢先、こちら目がけて光が放たれる。そのままならば直撃であるが、
「遅い!」
言うや、現れた石が天子を攫い、その体を上空に運ぶ。
地に見える幽香はやはり二人。
そのうち、先に攻撃を放った方がこちらを向き、その存在を確認すると、飛んだ。
そして今、閃光を放ち終えた二人目がゆらりと消える。
向き直り、視線を交わす。
「そっちが本物ってわけね」
「どちらが、というのはあまり関係ないことです」
言った姿がブれ、またも彼女は二人となる。
構える。収束する光を中心とするように、またも花が溢れだした。誰の視界も彩りに覆われる。
数秒後の攻撃を理解しながら、周囲と、眼下の光景に再び天子は思う。
思い、今度はそれを口に出して言った。
「綺麗ね」
そして、
「地に這う妖怪にしてはよくやったわ。これまでで今が一番綺麗よ」
突然の、これまでと方向性が違う言葉にあっけにとられたか、幽香の動きが止まった。
天子は緋想の剣を手放す。
しかし落下することなく宙に留まるそれに両手をかざせば、緋色の光が収束していき、
「でも、お陰で――有頂天は、ここにある」
今、ここには人がおらず、以前の時のように気質を集めてもいない。
そのため連発することは叶わないが、それでも一発だけならば撃つことは可能だろう。
緋色に染まる手元を見て、天子はそう判断する。
「十分に愉しめたわ。だから散りなさい」
相対する幽香の表情は笑顔だ。
その表情のまま、止めていた動きを再開する。腕を伸ばし、宙を掻き掴むように手のひらに力を込める。
間を開けず、双りの口が開いた。
それを確認し、天子も動きを始めた。構えは変えず、ただ宣言の口を開く。
「『全人類の緋想天』」
そして、花は緋色に包まれる。
/
放った閃光は、数秒ばかりの拮抗の末、緋色に飲み込まれた。
飲み込まれていく。空舞う花も、地に咲く花も、風見幽香すら例外なく。
「まあ、こんなところかしらね」
見やる眼下に幽香は呟く。
当初の目的を果たすことはできた。彼女が気付いたかは怪しいが、欲しかった言葉も得られた。
「このまま一緒に土に埋もれてしまうのもオツね」
どうしようかしら、と考える。
そうすれば、私は蜜になれるかしらと。
思考の間、緋色に包まれ、いよいよ花のひとつも見えなくなったので、目を閉じることにした。
落下する感覚に浸ろうと思った矢先、耳元から声がする。
「このまま花になるのかしら」
「蜜になるのよ。花はたくさん咲かせたから。今度は花から生まれるの」
「倒錯的ね。でも、あなた、苦い蜜になりそう」
「否定はしないわ」
「もう少し、甘くなるまで待ってみてもいいんじゃない?」
「なるかしらね。今更」
「さあ? 無理じゃないかしら」
そこで、声の気配が消える。同時に緋色も薄れ。
風見幽香は、地に打ち付けられるに留まることにした。
「まあ、後始末もありますし」
なにより。
「来年の花が楽しみですもの、ね」
誰にとも無く、自分に吐いた言葉の直後、空に輝く星がある。
星の色は白か黄色か。先ほど己が放ったものと同じ色の巨大な閃光が一本、上空から落ちてくる。
「……は?」
思わず間抜けな声を上げた直後、体は再び光に包まれた。
/
手ごたえはあった。
しかし、相手が相手だ。だからこそ与えられるダメージは与えておく。
未だ緋色の閃光を放つ天子は、幽香のいた宙を睨む。
と、そこに聞き覚えの有る声がした。
「おお、間に合ったみたいだな」
声に顔を上げれば、そこには箒の前後に、物の詰まった風呂敷包みを一つずつぶら下げた魔理沙がいた。
片方の包みから、見覚えのある柄の皿なんかが見えた気もするが、その事はあとで問いただそう。
「何してたのよ。来るのが遅いわ。もう、私の勝ちよ。すごい勝ち」
「いやなに、ちょいと仕入れをな。上に積むものの仕入れだ。それよりも、楽しそうな撃ち合いじゃないか。私も混ぜてくれ」
「はぁ?」
「やっぱり弾幕はパワーだよなー。燃えるよなー」
目には闘志、口元には満面の笑みでそう言い放ち、いそいそとポケットから八卦呂を取り出す魔理沙。
緋色の光はその威力を薄めつつあり、やはり次の一撃は撃てそうにも無い。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
「私だけ仲間はずれなんて、詰まらんことを言ってくれるなよ。じゃあ、行くぜ?」
「馬鹿、意味わかんないわよ!」
構えた手の平には、既に陣が形成され光も収束されている。あとは宣言の元、それを放つだけだ。
防ぎきれるものではないだろうと思うが、せめてもの対抗として天子は放出を終えた緋想の剣を構え、防御の姿勢をとる。
ここに来て、やっぱりやめた、などと彼女が言うはずもないだろう。あとは目をつぶり、良い結果を祈るのみだ。
「――恋符『マスタースパーク』」
果たして声は躊躇いなく放たれ、花畑は理不尽に撃ち抜かれた。
/
「いったぁ……」
「流石に丈夫だな」
「丈夫だな、じゃないわよ。いきなり何するのよ」
「弾幕ごっこだぜ?」
花の無くなった花畑に、抗議の声が響いた。
尻餅をついた姿勢のままの天子が浴びせる声は、どうにも相手に響いているようには見えない。
「いや、今のは結構ムチャだと思うんだけどなあ」
「何を言う。いつだって油断したら、それが命取りだ」
「意味わかんないって」
「あんた、誰と話して……ああ」
立ち上がる天子は、突然の声と、一人芝居の如く会話を始めた魔理沙に疑問を抱くが、会話の相手の声には聞き覚えがあった。そしてそれが正解ならば、その仕草も不思議ではない。
「またどこに隠れてるのよ」
「別に隠しちゃいないぜ」
ほれ、と頭を垂れた魔理沙の頭上、帽子のツバに掴まっているのは、手の平に収まるほどの大きさの少女だ。
長い角を持つ少女は、こちらを向いて親指を立てると、満面の笑みを浮かべた。
「よ、お疲れ!」
「……」
角に触れないよう、無言で少女をむんずと掴み、天子は思い切り手に力を込める。
「あ、ちょ、潰れる。潰れるって」
喚く声を気にせず力を強め続けると、とうとう我慢を諦めたか、角の少女の体は霧となって天子の手をすり抜ける。
うっすらと見える霧はゆらゆらと上へ登り、天子の帽子の上に落ち着いた。間もなく、天子は頭上に僅かながらの重量を感じる。
「まったく、乱暴だね」
「いきなり思い切り握らなかった分だけ感謝して欲しいわよ。ところで」
言葉を区切り、視線を上から魔理沙の方へと向けなおす。
「正直、詳しいことはわからないんだけど。……アンタたち、嵌めたわね」
返答は、頭上と目の前から聞こえてきた。曰く、
「大正解」
目の前には勢いよく立てられた親指がある。見えはしないが、おそらく頭上でも同じポーズがとられているのだろう。
ひきつるこめかみを無視しながら、天子が問う。
「怒らないから、答えなさい。何が目的だったのか」
「それは、アレだ。ほれ」
視線で指した先には、地に倒れたままの幽香がいた。つまり彼女が主謀者だといいたいのだろう。
目は伏せているが、胸の上下は見て取れる。
「……ていうか、放っておいていいの、あれ」
髪にも、服にも土が付着している姿を見かねた天子が言う。
「そのうち起きるだろ。どけようにも上等な敷物なんてないし、埋めたら芽が出そうで嫌だし」
「無茶苦茶な言ようね」
「魔理沙、敷物なら、その風呂敷を使えばいいんじゃないのか?」
頭上からの声が指すほうを見れば、箒に結わえられていた風呂敷包みがある。
「おー。そいつはいい案だ。ついでにちょいと早いが始めちまうか」
「ねえ、それ、もう一つあったような気がするんだけど」
魔理沙が広げている包みの中には、何が入っているかわからない箱や麻袋が見える。
落ちる直前に見たとき、たしか風呂敷包みは二つあったはずだ。そのうち一つには見覚えの有る柄が見えたから覚えている。
「ああ、あれか。あれは紫のやつに没収された。元の場所に戻ってるか、スキマに放り込まれてるか、自分の家で使ってるかだな。最後のならプレミアがつく」
魔理沙は、中身を出し終えて畳んだ風呂敷を、申し訳程度に幽香の頭に敷きながら、いやあそれにしても残念だと、たいして未練も感じさせない口調で告げる。
誰かさんがいないのが判ってたから、借りてくるのは楽だったんだけどなあ、とも。
予想の正解に、天子の怒気が膨れ上がった。
「あんたねえ……」
「おっと、怒るな。怒るなよ。これも含めてだ」
「いや、ドロボウに関しては魔理沙の単独行動じゃないか……」
「気にするなよ、吠えない番犬。それより天子、お前もちょっと手伝え」
積んだ中身から、茶色い箱を手に取った魔理沙は、それを天子に向かって投げやる。
土くれの付いたそれを反射的に受け取った天子は、中を覗き込もうとし、
「ひっ、いやぁあああああ!」
叫び、中身をぶちまけた。
それを見た魔理沙はあきれた顔をする。
「なんだお前、ミミズも知らないのか」
天子の足元では、大人の小指ほどの太さもあるミミズが何十匹も、のたうっていた。
飛びのき、ミミズから距離をとった天子は半分涙目だ。
「せっかく集めたんだぜ。もっと広くにばら撒いてれないと」
言って、しゃがみ込んだ魔理沙はミミズを鷲掴むと、腕を大仰に回転させて投擲する。
「ちょっと、こっちに投げるな、な、投げないで、お願いだから!」
「あははははは」
「うるさいわね」
「……お? 起きたみたいだな」
呟いた声に気付き、魔理沙が動きを止める。
続いて、天子が声の方向へ向かい口を開いた。表情には少しの険しさが戻っている。
「やっとお目覚め? 案外、丈夫じゃないのね」
「お前とは違うからな」
「元々の出来が違いますから。ていうかあんたは黙ってなさい」
「ははは、つれないこというなよ」
「ひぃっ」
「とりあえずミミズ放しなよ」
「うるさいって言ってるでしょう」
幽香が体を起こし、周りを見渡せばこちらを見る顔は3つ。
魔理沙と、天子、そして天子の帽子の上に乗っかった、手の平サイズの鬼だ。
差し伸べられた長袖の手に掴まり、幽香が腰を上げる。
引く手の主は、青髪の少女を解り易く流し目で指し、これからのことを快活に告げた。
「うん。じゃあ主謀者が起きたところで、種明かしといこうじゃないか。もしくは天人糾弾会」
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どこからともなく集った霧が、十人前後の同じ容姿をした少女の姿に変わっていく。
少女達は花畑を走り回り、砕けた石を楕円を描くように並べたり、魔理沙の持ってきた道具の中身を畑に撒いたりしている。
その様子を眺めながら、円を組むように立つ三人は話を始める。
「花が枯れてしまったのよ。急にわけのわからない天気が続いたせいで」
切り出した幽香の言葉が、つまり今に至る最初の動機である。
いつ、とは言っていないが、間違いなく今年の夏のことだろうと天子は思った。
「頑張ったのだけど、夏が越えられなくて。まあ、それもある意味、仕方の無いことないことかと思ったのだけどね。最近になって、原因がわかりまして」
「それで復讐の不意打ちってわけ?」
「そこまでのものじゃないんだけど。ただ、ここも自然に咲くに任せきりで、そろそろ土地に元気がなくなってきたと思ってたところだったから」
「ちょいと地面を耕すのを手伝ってもらおうかな、なんて考えたわけだ」
続けられた言葉に、天子の疑問が一つ氷解する。
目の前の花の妖怪が、幾重にも手折られ重ねられて、なおも敢えて新しい花を生み続けた違和感の正体が。
「つまり、あんたの花は肥料ってわけ」
「なんだ、珍しく物分りがいいな」
「五月蝿いわよ」
「私の能力で作ったものとはいえ、本当はそんなことしたくなかったのだけどね」
そういって幽香は頬に手を当て、本当に残念そうな、許しを請うような瞳で嘆息を吐く。
「かといって、時期も時期だ。ちょっとした異変でも起きないと花もなし。花が咲いてくれないことにゃ、獲物を誘き出すこともできない」
「荒地見せて、アナタの所為よと教えて叩けばよかったんじゃないかしら」
まんざら冗談でもなさそうな幽香の言葉は無視することにした。
明かされる都合に、天子は自分の言い分を被せる。
「異変云々ってことは、巫女もグルだったわけね。ていうか地面耕すとか知らないわよ。勝手に種まいてりゃテキトーに花くらい咲くでしょ」
「ああ。どうせお前はそう言うだろう。だから、いちいち仕組んだわけだ」
「おびき出してもらえたら、あとは叩いて言うことを聞かすのが一番手っ取り早いと私は言ったのだけど」
「どうしてすぐ叩こうとするんだ……」
「手っ取り早いもの」
「まあ、なんだ。こいつは置いといてだ。叩いたところで、お前が下心無しに言うこと聞くかっていうと、怪しいところだからな」
それは、神社に要石を挿したことを言ってるのだろう。
予想はつくが、だからなんだ、という感想しか抱かない。
「そんな感じで、いい具合にお前を怒らせて、気付かれない内に目標達成するという、魔理沙様のシナリオの登場というわけだ」
「本当、昨日で終われば楽だったのに、ずるずると二日も演技させられて疲れたわ」
「要するに、ここを勧められた時点で嵌められてたってことね」
近くを通った鬼の少女の一人を掴み、ジト目で睨みつける。
「こんな人気のないところは好きじゃないんじゃなかったの?」
「嘘は吐かないよ。キレイに花が咲くと、色々集ってくるのさ。人より妖精とかのが多いけどね」
言って、さあ話しは済んだと手足をバタつかせる鬼を適当に放り投げる。
発端についてはわかったし、結果についても今更どうこうはできまいし、できたところでそれも面倒だ。
ならばそれはそれでいい。ただ、疑問を残すのはスッキリしないことだと、天子は問いかけを作る。
「ところで、聞きたいんだけど」
「なにかしら」
「ここに来たところで、私が要石に腰掛けなかったら、どうしたわけ?」
「それは」
幽香の言葉をさえぎり、それなら心配ないと、魔理沙が自信満々に告げる。
「その辺りは大丈夫だ。お前なら絶対にいらんことしてくれるはずだからな」
「どういう意味よ」
「そのまんまの意味だぜ」
こめかみの引きつりは、度を越しすぎてむしろ何も感じない。
しかし、新たに取り出した箱を右手に持ち続けている魔理沙に天子は二の句が繋げず、言葉の矛先を無理やり曲げた。
「じゃあ、最後。結局、残りの理由ってのは何だったのかしら」
戦いの最中、幽香の言った理由の数は三つ。
三つあるという、最後の一つが天子には検討がつかない。相手にされなかったことを怒る自分と同じだという、その理由が。
その問いに、ああ、やはり判っていなかったのかという目線が返された。
「なんのことはない理由よ。だけど、私としては一番、大きな理由。あなたは昨日、自分がここで何をいったか覚えてる?」
「何を言ったか?」
天子は昨日の己を思い出し、その言葉の中から、怒りに触れそうな部分を考える。
「花女とか、土女とか。あと、下賤とかも言ったような」
考えた答えに、魔理沙から「お前本当にえらそうだな」と茶々が入るが、気にしない。
「違うわね。それもそれで、結構腹は立ちましたけど」
「他には、何を言ったかしら」
考え込み、口をつむぐ。
しばらく静寂が続き、いい加減、悩む天子に飽きたのか、幽香が答えを告げた。
「昨日は踊りで今日は歌、明日は何で興じましょうか。……そう言ったのよ」
「ああ、そういえば」
そんなことも言った気がする。しかし、と。
「それの何が癪に障るのかしら。全然わからないわ」
「わからないのが癪に障ったのよ。失礼じゃない。なんであんなに咲いていたのに、花に興じようとは思わなかったのかしら」
言葉は続く。
「正直、本当はこんなに派手にやるつもりじゃなかったのだけど。あなたがあんまりにも花を褒めてくれないから」
「それで、おもてなし」
「ええ。まあ、あなたは気付いていなかったみたいだけど、最後には綺麗と言ってくれたし」
足元、土に混じって見える花に視線をやり、幽香はごめんなさいね、と謝罪の一言を落とした。
次に顔を上げれば、この二日で一番多くみた笑顔がある。
「この子たちも、またきっと綺麗に咲いてくれると思うわ」
そして、
「だから、またここにいらっしゃい。冬の間はわからないけれど、春には咲く花もあるでしょうし、夏に咲く向日葵は本当に綺麗だから」
そのときには、あなたが愉しめるよう、おもてなしさせて貰うわ、と。
言った幽香の表情は、天子がこの二日で初めて見る、むず痒さを堪えるような、期待に溢れた笑顔だ。
「ま、まあ。そんなに言うのなら、見てやってもいいけど。……その、ええと、ちょっと、魔理沙!」
「あ? なんだ、もう帰るのか?」
いつの間にか輪から外れ、鬼の少女に指示を出していた魔理沙が振り向く。
「違うわよ。何か手伝うことはないの? このまま終わりってわけじゃないんでしょ」
「やることはあるが、どういう了見だ? 私が見てないうちに叩かれたか」
「違うわよ。あんたの予想では、私が言うことを聞かないからケンカを吹っかけるようにしたわけね」
「まあ、大まかに言えばな」
「なら、私が敢えて自分から作業を手伝えば、つまりあんたの予想はハズレ。私は嵌められてないというわけよ」
「あ、あー。うん。わけわからんけど、都合がいいからそれでいいや」
「釈然としないわね」
「そんなことはないさ。お前の勝ちだ。勝ちだからちょいと、でかい石は砕くかどっかにやってくれ」
「まかせなさい。あ、そういえば巫女はどこいったのよ」
「とっくに帰ったぜ。幽香の花が消えた時点で、あいつ的には異変解決だし」
「薄情ね」
「まったくなあ」
「魔理沙は報酬もらってるじゃないか。なんかよくわからない草の根っこ」
「何か、あんたばっかり得してるような気がするわね」
「そうでもないぜ。よく動いてる」
眺める先、花もない花畑に声が響く。
「さて、私も頑張りましょうか。――あら、帰ったんじゃなかったの?」
振り向き見上げれば、直前の自分と同じ場所を眺める巫女がいた。
霊夢はその言葉には答えを返さず、その代わりに彼女自身の質問を返した。
「あの子は上手く出来たのかしら」
「さあ、どうかしら。少なくとも、私は満足したけど」
「ならよかったわ」
「むしろやりすぎかも知れないわね」
足元の土には、たくさんの褪せた色が混じっている。
「煽ってたのはアンタじゃない」
「どうだったかしら。ところでどう、あなたも手伝っていかない? どうせ暇なんでしょう」
「構わないわよ。異変も終わったみたいだし、暇だわ。巫女だもの」
浮いた体が高度を落とし、地に足が着く。着いた足を落ち着けることなく、そのまま前に歩を踏み出しながら霊夢が言った。
「さ、早いところ始めて早いところ終わらせましょう。あいつらだけに任せるとロクなことにならなさそうだから」
その後を追って歩きながら、幽香は思う。
自分は本来、花を追って移り行く存在だ。今回のように花が枯れてしまわなければ、わざわざ土を耕し、土地を肥やすなどということはなかっただろう、と。
ならば、もう自分の花畑ではなくなってしまったが。だからこそ出来る限りのことをしておこう。
そうすればきっと、次に自分がここを訪れる時には、これまで以上に素晴らしい風景がみられるはずなのだから。
これからもがんばってください。たのしみにしてます。
戦闘はしっかりしてるのに、会話が御座なりな感じになっちゃてる気分。
面白かったけどね。