※ 少しグロテスク表現があります。
ねぇ、と日陰の少女は語りかける。
私は貴方が羨ましかっただけ。
自由奔放に金髪を揺らし、全てを受け入れる貴方が。人一倍の努力をして表面には億尾も出さなかった貴方が。
人々に魔法使いと公言していた貴方が。大した力を持たないはずの人間である貴方が。
すやすやと眠る彼女に魔女は語り始める。それは魔女が魔女になった所以。
魔女が人間らしく生きていた頃のお話。
魔女狩り。人間の私が居た時代にはそんな言葉があった。
人々は怪しげな人間を摘発し合い、その人間を次々に捕まえ、裁判官へ引き渡されていく。
彼らの行方は言うまでもないだろう。
子供の頃、昔話の魔女に憧れた。
人を魅了し、人を操り。人を導き、人を笑う。人に恐れられ、人を恐れる。
そんな魔女に惹かれていた。
しかし、いつしか人々の意識は変わって行った。魔女は恐怖の対象として認識されていったのだ。
その一つに『Black death』の流行があった。
Black deathは感染すると高熱を発し、確実に数日内に死亡する。原因不明の病。
大部分は皮膚が黒ずんでいるというものだったが、中には血を吐いて死ぬ者、皮膚に膿を含む斑点が出来る者も居た。
その異常性と流行性故に、Black deathに関する様々な噂が流れた。
その中に、魔女を忌み嫌った人々が住む街の噂が有った。
その街では魔女は勿論、古来から魔女の使いとされている猫なども殺していたという。
その街で史上空前のBlack deathの大流行が起こったのだ。街に残ったのは天敵が居なくなって栄えた鼠達と多くの屍と廃墟だけ。
勿論そこに居た人々はこう考えた。今まで迫害していた魔女達が終に怒り出したのだ、と。
そして、人々はBlack deathは魔女の呪いであると断定づけた。
裕福だった私の家の地下の書室には様々な本が並んでいた。
政府の力の及ばない、家庭の一般的な本棚故に怪しげな本や、今に崩れ落ちそうな本。ひたすら厚い本に、何も書かれていないような本。
勿論魔術書、錬金術の解説書などもあり、私はそれらを読むことに日々の多くを費やした。
後で聞いた話だが、魔術書は大抵熟練が無ければ文字の判別すら出来ないらしい。
私は有る程度の本を読むことが出来たが、父母は魔術書を読む私を不思議そうに、温かく見守っていた。
その当時は不思議に思っていたが、今となっては彼らには文字に見えなかったのだろうと思うようになった。
そうして育った為に私の思想には、いつしか本を基にした思想が横たわるようになっていた。
その一方で、魔術書を始めとした怪しげな本に対する感情には冗談交じりでもあった。
私にとっては本気で魔術を扱うというより、魔術を様々な形で書き記そうとした昔の人々の思想に触れるのが楽しかったのだ。
故に魔術書の正解を読み上げる事はせず、ただただ単に本を読み進める。そして、私はさらに本に引き込まれていった。
幸せな日々というものはすべからく続かない物、と本で読んだことがある。
私を暖かく見守っていた両親は不公平な裁判で亡くなった。
今も昔も裕福な家庭が妬みの対象となることは変わらない。
そして、私には失意と両親の持っていた膨大な財産と、広大な家だけが残った。
そんなある日のこと、書室の本棚で小さな本を見つけた。ボロボロで今にも崩れそうな小さな本。
表紙には題らしき文字も並ばず、中身の文字の殆どもインクが滲んで読めなくなっていた。
また、雨風に晒されていたのか紙が黄ばんでいたが、その状況でも辛うじて飛び飛びに一部の文字が残っていた。
このような点が私の好奇心を誘ったのだと思う。私はそのいかにも怪しげな本に惹かれていた。
そして、私の軽率な行動が始まった。本を床に置き、冗談半分にその文字を一文字ずつ読み上げていったのだ。
失意を紛らわすような、無理に嬉々とした小さな声が書室に響いた。
どうして、この時単なる1文字1文字を繋いだ言葉が文章になっていると気付かなかったのだろうか。
そして、それがこの魔術書の鍵であったと気付かなかったのだろうか。鍵故に残っていたと気付かなかったのだろうか。
その事に気付いた時には、既に手遅れだった。
・・・エー、エヌ、オー、エヌ。
最後のページを読み終えた瞬間。本当にその瞬間に、本がひとりでに本がパラパラと捲れ始めた。
最後のページから最初のページへ向かって、本は微かな光に包まれ、まるで風が吹いたように高速で捲れていった。
そしてそのまま本は捲れ続け、終には本が閉じて表紙が現れた。
何も書かれていなかったはずの表紙には、鮮血のような赤色で『no name devil』と書かれていた。
そして、広大な書室は靄に包まれた。
うっすらとかかる白い靄。その靄の中に1人の人影が現れた。跪き、恭しく頭を下げた影から書室に声が響く。
「御呼びですか。」
その日から私の館には一人住民が増えた。
それは、名前の無い黒衣と白い手袋に身を包んだ赤髪の少女。
悪魔が私の生活に浸透していくにつれ、どんどん家の魔術書は私の中に入っていった。
それは悪魔が薦めたことでもあり、遊戯の対象であった魔術書に本当に力が宿っていた事を知ったからでもあった。
同時に、家の魔術書は全て読めるようになっていたことに気付いた。
それから、悪魔から色々な話を聞いた。魔術書がどのような意図で書かれたのか。
魔術書が読める条件とは。といった魔術に関わる事から自分が何故本に居たのかという事まで。
以前本で知っていた悪魔は契約に基づいた略取と暴力の象徴だったのだが、彼女はその悪魔らしくない。
暴力も振るわなければ、契約もせず。ずっと私に付いてくれていた。
悪魔らしいのは、精々振る舞いくらい。私の前では非常に気まぐれに態度を変え、私を飽きさせなかった。
また、此方が教わると同時に様々な事も教えていった。
その頃流行始めた紅茶の入れ方や、今は亡き母に教わった家事全般の知識。
殆どの知識を本で得ていた私が、唯一と言って良いほどの身につけていた技術を彼女に教えた。
荒れていた生活の方も両親が亡くなる前に近くなっていた。
悪魔が様々な経験を私にさせてくれたお陰だろう。私は失意に呑まれる前以上に明るく、活発になっていた。
また、金銭面で恵まれていたお陰で欲しい物は何でも手に入った。
絶対量が少なかった魔術書は兎も角、日用品などで困る事無く、両親の束縛も無い為非常に気ままに日を過ごせた。
思えば、この時がまさに私が人間らしく、人間として人生を謳歌していた瞬間であった。
しかし、また平穏な日々は長く続いてはくれなかった。魔女を信じなかった街の噂が館の麓の街に届いたのだ。
そして、人々はまた、裕福な人間を標的とした。
必死に追っ手から逃げてきた。盗み出した魔術書はまだ手の内にある。
しかしもう既に息は上がってる。世間は世知辛い物だと思う。
大の大人が必死になって子供1人を追い回している。異端として、という名目だが果たしてそれは真実なのだろうか。
私には人々が何か得体の知れないものから必死に逃げているようにも見えていた。
そうして逃げ続けている間にも追っ手は次々に増えてくる。その中で怒号が飛び交う。
「魔女を殺してしまえ!」「魔女を捕まえるんだ!」「死んでしまえ、魔女!」
その人々の手には思い思いの武器があった。農具や調理用の刃物を手にしている者だって居る。それがこの行為の狂気を表していた。
そして、魔女というのは勿論私に向けられた言葉。
いつからこうやって追われて生きていただろうか。
永劫の営みのようにも思えるが実際はそうではないのだろう。内容が詰まった日々は人の時間間隔を狂わせる。
それは丁度、難しい文字ばかりが並ぶ学術書のよう。詰め込まれた内容とページ数は比例しない。
次の路地を右へ、その次を左へ。
家に篭っていた時間が長かったとはいえ、この街は私が育った街でもある。どうすれば逃げられるかくらいは頭に入っていた。
置かれた荷物や木箱、洗濯物などが小道には多くある。身軽で小さな子供は飛び越えたりで逃げやすい道だが、大人にはそうではない。
さらに狭い道ならば大勢に追われることも無く、道に気をつければ囲まれる事もない。
時間稼ぎにはもってこいだ。
私は彼女の準備が終わる事を待っていた。打ち合わせ通りなら、彼女が左の路地の行き止まりで待っている筈だ。
しかし、時間がかかるらしい。まだ逃げ続けるべきなのだろうか。いや、逃げる頃には終えていると言っていた、彼女を信じるべきだろう。
直ぐ傍まで近寄っていた怒号から避けるように、私は行き止まりの路地へ駆け込んだ。
後ろからは歓声が上がっていた。『魔女を追い詰めた』という喜びが彼らを包んでいた。
行き止まりには何も無かった。まだ早すぎたか、という焦りを私が包んでいた。
膝に手を当て、肩で呼吸をする。疲れで少し涙がこみ上げていた。逃げる方法を疲れた頭で必死に考える。
そうして、本を抱え途方に暮れていた私を靄が覆った。そして、小さな悪魔が私を誘う。
「どうぞ此方へ。」
跪き、靄の中に現れた扉を手袋で包んだ掌で指した。
「有難う。」
呆然としていた私が、漸く搾り出せた切れ切れの声で軽く礼を言ってその扉を開ける。
次の瞬間悪魔と靄、そして私はその場から掻き消えていた。
全員足並みをそろえて、行き止まりへ辿り着いた追っ手達は、天を仰いで悔しそうに地団駄を踏んでいた。
またやられた、と口に出す者も居た。その場に座り込む者も居た。今に泣き出しそうにしている者も居た。
逃げられた悔しさよりも魔女を生かしてしまった恐怖が、Black deathの恐怖が彼らを包んでいた。
ふぅ、と扉を閉じて溜め息を吐く。扉の先には既に私の館が広がっていた。
赤い蝋燭が周りを照らす魔女の館。あの街からも遠く離れているので、此処は安全だろう。
少なくとも、魔女の住処へと踏み込んでくるような奴は居ない。
小さな体には大きすぎる階段を一段一段降りていく。戦利品を眺めながらだったので、幾度となく躓きそうになる。
この本の鍵は裏表紙の大きな魔方陣の中に隠された文字。本文の中のその文字の前後だけを切り抜いていくと2つの文章が生まれた。
1文字ずつメモしていった自分の手帳を見る。
『蝙蝠は悪魔の化身であり、血の伯爵である。』
『王の光と伯爵が力を寄せる時、惨劇は終わりを告げる。』
どうやら、これがこの本の存在意義の全てであるらしい。どうやらまた外れだったみたいだ。
少しの心残りと疲労を胸に、手帳を羽ペンと共に閉じた。
地下の書室に辿り着くと、悪魔が既にそこに居た。
私と同時に街へ行っていた筈なのに、そして私と合流する為に転移術を設定していたはずなのに、彼女の前には山高く本が積まれていた。
「お帰りなさいませ。」
暇そうに書室の中央の机に備え付けられた椅子を舟漕ぎしていた。その隣の椅子を引き、そっと腰掛ける。
「大漁だったのね。」
積まれた本を一冊手に取り、鍵を読み解く作業を開始する。
「人を引いて下さったお陰で上手くいきました。」
手に持っていた一冊をそっと閉じて私に語りかける。
「面白い物ですね。私の居た時代は口述が多かったのですが、これが今は主流のようで。」
どうやら既に一冊は読み解いていたらしい。悪魔は椅子から立ち上がり、本棚にことりと本を入れた。
この館の書室は広大な広さを有する割りに、殆どの本棚に本が入っていない。
しかし、と目の前に乱雑に積まれた魔術書の山を見る。この本棚が満ちるのも時間の問題だろう。
早速読み解いた一冊を彼女の置いた本の上に置く。その時、既に悪魔は忽然と姿を消していた。
次に現れた時には手にポットと2客のティーカップを乗せた盆を持っていた。
きっと日用品の補充も済ませていたのだろう。見慣れない真新しいティーカップに紅茶と粉砂糖が注がれる。
「有難う。」
少し口をつける。随分冷えた紅茶だった。どうやら作り置きのものだったらしい、少し香りが飛んでいた。
「…相変わらずお早いですね。」
すっかり移動してしまった本の山を見た悪魔は耳元で囁いた。仕草が本当に悪魔らしい。
「ええ、これで最後よ。残念な事に全部読めちゃったわ。」
悪魔によると只の人間が魔術書を読める事は稀らしい。この日もしきりに人間であるかどうかを聞かれた。
父も母も普通の人間だったのだ。間違いなく私は人間だ。
それを立証する為にも読めない本を早く見つけたい。彼女の協力があるのだから直ぐに見つかるとは思うのだが・・・。
これ以前にも様々な魔術書を2人で集め、様々な鍵を見つけ、本を解読していった。
しかし、魔法を発動する事は無かった。それは悪魔自身も私自身も、それを唱えたときに何が起こるか分からなかったから。
その代わり悪魔は簡単な魔法を教えてくれた。転移魔法は高度らしく教えてくれなかったが、属性魔法の簡単な物を教えてくれた。
この事が現在の魔女としての私自身の礎になったのだと思う。
月が紅く輝くあの日も2人で魔術書集めをしていた。
何時ものように人々は執拗に私を追いかけた。その裏で悪魔が何時も通り本をかき集め、転移させてから合流する予定。
この日も何時ものように大量に魔術書を集められるはずだった。
不思議な事にこの日は何時もより疲れるのが早かった。呼吸の度に何時もと違う雑音が混ざる。ゼェゼェと音が鳴る。
少し追っ手と間が開いた所で壁にもたれかかった。発作はどんどん強くなっていく。胸が痛み、血の混ざった痰が出る。
呼吸は止まっていても早くなり続け、意識が遠のいていった。
そして、ゴッという鈍い音が路地に響いた。
漸く意識が戻ってきたときには、私は後ろ手に縛られていた。
同じようにして、悪魔も縛られていた。手には転移魔法の触媒となるフラスコが握られていた。
恐らく私が来ないことに痺れを切らして、巻き添えをくらったのだろう。
以前彼女が話してくれていた。悪魔は契約が有って初めて全力が出せるんだと。
契約を結ぼうとしなかった私が悪いと思うと、少し涙がこみ上げてきた。
それはエゴも含んだ涙だったのだろうと思う。死んだ姿は多く見ていたが、私自身はまだまだ生きたかった。
悪魔は空を仰いでいた。
そのまま2人は街の広場に連れてこられた。小さな噴水もあり、普段なら憩いの場であるそこの中央には木造のステージと絞首台が有った。
そしてステージの周りには私を追っていた様々な人が満面の笑みで此方を見ていた。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
人々は此方へ聞くに堪えない罵声を投げつけ続ける。
単純な物から、親類がBlack deathの犠牲になったという悲痛な叫び、渦巻く狂気と、嬉々とした人々の満ちた広場。
私達が台に上らされると罵声はより一層強くなった。
ステージに人々のリーダーらしき人物が登ってくる。私達に向けられた罵声から歓声へと声は変わっていた。
その人は手元の紙を見て語り出した。歓声は一旦止む。
「魔女とその使い魔の悪魔。汝らは度重なる略奪と、我々への疫病を齎した。よって此処に死罪を宣告する!」
再び歓声と罵声が上がる。先程の、2倍にも3倍にも聞こえた。
大きな力によって動かされた水は止め処も無く流れ続ける。彼らの感情は川の小石である私と悪魔に流れ込んでいた。
乱雑に絞首台の前へと蹴り飛ばされる。連れてきた彼らも感情が高ぶっていたのだろう。
待機していた数人が近寄り、私を立たせ、首を緩く綱で包んでいく。
こみ上げていた涙が終に右目から零れ落ちた。それを見た人々はさらに声を荒げた。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
流れは誰にも止められそうになかった。
「夜の散歩はしてみるものね。」
「言った通りでしょ? 御姉様。」
不意に頭上からの声が広場に響いた。
可笑しい。開けた広場の中央なのだ。頭上から声がかかるはずも無い。
この声によって広場の人々が水を打ったように静まった。
私の首に縄をかけていた人物も、周りの観衆も上を見上げていた。同じようにして涙目で上を見る。
そこには蝙蝠の羽を持った青髪の少女と、何かの鉱石の寄せ集めのような羽を持った金髪の少女が飛んでいた。
飛んでいたのだ。目の前の怪しげな少女達など目じゃない、一目で分かる異常がそこに居た。
2人を見上げ静まり返った広場に、先程宣言をあげた男の声が響く。
「魔、魔女だ…。」
魔女というのは本当に便利な言葉だと思う。超常現象一つですらこれで片付けてしまえる。
とはいえ、自分にもそれ以外の形容が見つからなかった。上を仰いでいた悪魔は溜め息をついていた。
また咳が出始めた。
魔女という言葉に先程は歓喜していた人々も尻込みをしている。当たり前だ、状況が異常すぎる。
私の体も先程から拒否反応を表している。鳥肌が立ち、頭に血が巡る。鼓動が早くなる。
「ところで、」
再び、姉と呼ばれていた方の魔女が発言をした。それだけで人々の間に動揺が広がる。
「私達の仲間に手を出そうとしたのは誰かしら。」
「さっきから偉そうにしていたあいつじゃない?」
金髪の魔女がステージの上の人物を指す。先程の宣言をしていた男だ。その言葉を聞いて、男はさっと青ざめた。
ステージから飛び降りるようにして逃げ出す。しかし青髪の魔女はそれを遥かに上回る速さで飛び、男を6つに切り裂いた。
周りに紅色が飛び散る、切り裂かれた臓器が飛び出す。様々な組織と脳漿が漏れ、四肢は無残に飛び散る。
「あはは、御姉様スゴーい。」
先程の比ではないどよめきが観衆に起こった。ここに居ては危ない、と本能が告げていた。
恐らく仲間というのは、この悪魔の事だろう。
悪魔が喋れば私の存在は保証されるのかもしれないが、それまでに事情の知らない魔女に巻き添えにされる可能性だってある。
少なくとも、これ以上の惨劇は避けたかった。幸い、猿轡をされているわけではない。声はあげる事ができた。
「そこな魔女!」
痰で少し声が枯れているように聞こえる。その声で出任せを言う。
「私はこの悪魔の主人だ! 用があるなら私に告げろ!」
無邪気に笑っていた妹も、血の付いた自らの爪を舐めていた姉も、此方を見た。
姉は言う。
「私達は小者に用はないわ。」
妹は言う。
「用があるのは貴方の方。」
魔女に魅入られる、とはこの事を言うのだろう。
惨禍を免れたい人々は、魔女の注意が私に行った瞬間に、蜘蛛の子を散らすように広場を去っていった。
先程の男の死体を踏んで逃げている人も居る。私と悪魔の拘束は同様に惨禍を免れようとする人によって取り去られていたようだ。
再び自由になった手に感謝をする。手には少し縄の跡がついていた。
「私に?」
少し止まった血を再び無理に流させるように、軽く振りながら尋ねる。之には姉が答えた。
「ええ。生まれながらの魔女である貴方に。」
「血の味を知っているかしら。苦い血、甘い血、酸っぱい血、辛い血。これらは親の組み合わせである程度推移するわ。」
私の前に降り立つや否や、急にこんな事を語りだした。
「でも、極稀に生まれないはずの味が生まれる事がある。百人、あるいは二百人に一人くらい。」
痺れを切らした悪魔は尋ねた。
「何が言いたい?」
姉は眉を吊り上げ、私から悪魔に向き直した。
「貴方の主人は特別製。人と人から生まれた魔女。」
姉は続ける。一緒に降り立っていた妹は暇そうに欠伸をしていた。解説は苦手のようだ。
「普通の魔女の力は親の力に左右される。親が強大なら強大に、その逆ならその逆に。ただ、それでは限りがある。」
「つまり、人間製の魔女にはそれがない、と。」
妹が急に割り込んできた。先程の欠伸は機会を狙っていただけのようだった。妹は姉の隣に腰掛けたが、姉は構わず続ける。
「その代わり、制限も有る。魔女の種族は身体能力が低めとはいえ、人並み以上にはあるが人間製にはそれがない。」
「他にも強大な力が近くに居ると、人間らしく体が悲鳴をあげたりするね。今みたいに。」
妹は咳込む私の喉を指差して言った。姉妹はにたにたと不気味な笑いをしていた。
「お節介はこれくらい。さて、本題に入るわ。」
姉は私に耳元で囁きかけてきた。
「今すぐ私達の手下になりなさい。」
思考回路は見た目相応なのか、幼稚で単純に告げてきた。
「嫌、と言ったら?」
「勿論、力づく。」
予想通りの残念な回答が帰ってきた。そう出られては、此方に対処する術はない。
無力な魔女と、小さな悪魔には何一つ。
「それからというもの、私達2人は姉妹の庇護の元、様々な魔法の実験を始めたわ。
そして、館はあの紅魔館になり、姉妹は吸血鬼を名乗った。小さな悪魔は私の傍から離れなかった。
でも、私は思うわ。もし、姉妹や悪魔が居なかったら私はどうなっていただろうかと。
だから、私は貴方が羨ましかった。親と縁を切り、森で1人自分の研究に没頭出来た貴方が。
誰の庇護をも受けずに1人で生き続ける貴方が。魔女を名乗っても殺される事のない貴方が。
魔女という種族に縛られなかった貴方が。」
魔女は長い長い昔話と独白を終え、彼女の頬にキスをした。
思われた人々の数の鮮やかな花々に囲まれ、冷たくなった彼女の頬にキスをした。
あの時啜った紅茶の味がしたような気がした。
ねぇ、と日陰の少女は語りかける。
私は貴方が羨ましかっただけ。
自由奔放に金髪を揺らし、全てを受け入れる貴方が。人一倍の努力をして表面には億尾も出さなかった貴方が。
人々に魔法使いと公言していた貴方が。大した力を持たないはずの人間である貴方が。
すやすやと眠る彼女に魔女は語り始める。それは魔女が魔女になった所以。
魔女が人間らしく生きていた頃のお話。
魔女狩り。人間の私が居た時代にはそんな言葉があった。
人々は怪しげな人間を摘発し合い、その人間を次々に捕まえ、裁判官へ引き渡されていく。
彼らの行方は言うまでもないだろう。
子供の頃、昔話の魔女に憧れた。
人を魅了し、人を操り。人を導き、人を笑う。人に恐れられ、人を恐れる。
そんな魔女に惹かれていた。
しかし、いつしか人々の意識は変わって行った。魔女は恐怖の対象として認識されていったのだ。
その一つに『Black death』の流行があった。
Black deathは感染すると高熱を発し、確実に数日内に死亡する。原因不明の病。
大部分は皮膚が黒ずんでいるというものだったが、中には血を吐いて死ぬ者、皮膚に膿を含む斑点が出来る者も居た。
その異常性と流行性故に、Black deathに関する様々な噂が流れた。
その中に、魔女を忌み嫌った人々が住む街の噂が有った。
その街では魔女は勿論、古来から魔女の使いとされている猫なども殺していたという。
その街で史上空前のBlack deathの大流行が起こったのだ。街に残ったのは天敵が居なくなって栄えた鼠達と多くの屍と廃墟だけ。
勿論そこに居た人々はこう考えた。今まで迫害していた魔女達が終に怒り出したのだ、と。
そして、人々はBlack deathは魔女の呪いであると断定づけた。
裕福だった私の家の地下の書室には様々な本が並んでいた。
政府の力の及ばない、家庭の一般的な本棚故に怪しげな本や、今に崩れ落ちそうな本。ひたすら厚い本に、何も書かれていないような本。
勿論魔術書、錬金術の解説書などもあり、私はそれらを読むことに日々の多くを費やした。
後で聞いた話だが、魔術書は大抵熟練が無ければ文字の判別すら出来ないらしい。
私は有る程度の本を読むことが出来たが、父母は魔術書を読む私を不思議そうに、温かく見守っていた。
その当時は不思議に思っていたが、今となっては彼らには文字に見えなかったのだろうと思うようになった。
そうして育った為に私の思想には、いつしか本を基にした思想が横たわるようになっていた。
その一方で、魔術書を始めとした怪しげな本に対する感情には冗談交じりでもあった。
私にとっては本気で魔術を扱うというより、魔術を様々な形で書き記そうとした昔の人々の思想に触れるのが楽しかったのだ。
故に魔術書の正解を読み上げる事はせず、ただただ単に本を読み進める。そして、私はさらに本に引き込まれていった。
幸せな日々というものはすべからく続かない物、と本で読んだことがある。
私を暖かく見守っていた両親は不公平な裁判で亡くなった。
今も昔も裕福な家庭が妬みの対象となることは変わらない。
そして、私には失意と両親の持っていた膨大な財産と、広大な家だけが残った。
そんなある日のこと、書室の本棚で小さな本を見つけた。ボロボロで今にも崩れそうな小さな本。
表紙には題らしき文字も並ばず、中身の文字の殆どもインクが滲んで読めなくなっていた。
また、雨風に晒されていたのか紙が黄ばんでいたが、その状況でも辛うじて飛び飛びに一部の文字が残っていた。
このような点が私の好奇心を誘ったのだと思う。私はそのいかにも怪しげな本に惹かれていた。
そして、私の軽率な行動が始まった。本を床に置き、冗談半分にその文字を一文字ずつ読み上げていったのだ。
失意を紛らわすような、無理に嬉々とした小さな声が書室に響いた。
どうして、この時単なる1文字1文字を繋いだ言葉が文章になっていると気付かなかったのだろうか。
そして、それがこの魔術書の鍵であったと気付かなかったのだろうか。鍵故に残っていたと気付かなかったのだろうか。
その事に気付いた時には、既に手遅れだった。
・・・エー、エヌ、オー、エヌ。
最後のページを読み終えた瞬間。本当にその瞬間に、本がひとりでに本がパラパラと捲れ始めた。
最後のページから最初のページへ向かって、本は微かな光に包まれ、まるで風が吹いたように高速で捲れていった。
そしてそのまま本は捲れ続け、終には本が閉じて表紙が現れた。
何も書かれていなかったはずの表紙には、鮮血のような赤色で『no name devil』と書かれていた。
そして、広大な書室は靄に包まれた。
うっすらとかかる白い靄。その靄の中に1人の人影が現れた。跪き、恭しく頭を下げた影から書室に声が響く。
「御呼びですか。」
その日から私の館には一人住民が増えた。
それは、名前の無い黒衣と白い手袋に身を包んだ赤髪の少女。
悪魔が私の生活に浸透していくにつれ、どんどん家の魔術書は私の中に入っていった。
それは悪魔が薦めたことでもあり、遊戯の対象であった魔術書に本当に力が宿っていた事を知ったからでもあった。
同時に、家の魔術書は全て読めるようになっていたことに気付いた。
それから、悪魔から色々な話を聞いた。魔術書がどのような意図で書かれたのか。
魔術書が読める条件とは。といった魔術に関わる事から自分が何故本に居たのかという事まで。
以前本で知っていた悪魔は契約に基づいた略取と暴力の象徴だったのだが、彼女はその悪魔らしくない。
暴力も振るわなければ、契約もせず。ずっと私に付いてくれていた。
悪魔らしいのは、精々振る舞いくらい。私の前では非常に気まぐれに態度を変え、私を飽きさせなかった。
また、此方が教わると同時に様々な事も教えていった。
その頃流行始めた紅茶の入れ方や、今は亡き母に教わった家事全般の知識。
殆どの知識を本で得ていた私が、唯一と言って良いほどの身につけていた技術を彼女に教えた。
荒れていた生活の方も両親が亡くなる前に近くなっていた。
悪魔が様々な経験を私にさせてくれたお陰だろう。私は失意に呑まれる前以上に明るく、活発になっていた。
また、金銭面で恵まれていたお陰で欲しい物は何でも手に入った。
絶対量が少なかった魔術書は兎も角、日用品などで困る事無く、両親の束縛も無い為非常に気ままに日を過ごせた。
思えば、この時がまさに私が人間らしく、人間として人生を謳歌していた瞬間であった。
しかし、また平穏な日々は長く続いてはくれなかった。魔女を信じなかった街の噂が館の麓の街に届いたのだ。
そして、人々はまた、裕福な人間を標的とした。
必死に追っ手から逃げてきた。盗み出した魔術書はまだ手の内にある。
しかしもう既に息は上がってる。世間は世知辛い物だと思う。
大の大人が必死になって子供1人を追い回している。異端として、という名目だが果たしてそれは真実なのだろうか。
私には人々が何か得体の知れないものから必死に逃げているようにも見えていた。
そうして逃げ続けている間にも追っ手は次々に増えてくる。その中で怒号が飛び交う。
「魔女を殺してしまえ!」「魔女を捕まえるんだ!」「死んでしまえ、魔女!」
その人々の手には思い思いの武器があった。農具や調理用の刃物を手にしている者だって居る。それがこの行為の狂気を表していた。
そして、魔女というのは勿論私に向けられた言葉。
いつからこうやって追われて生きていただろうか。
永劫の営みのようにも思えるが実際はそうではないのだろう。内容が詰まった日々は人の時間間隔を狂わせる。
それは丁度、難しい文字ばかりが並ぶ学術書のよう。詰め込まれた内容とページ数は比例しない。
次の路地を右へ、その次を左へ。
家に篭っていた時間が長かったとはいえ、この街は私が育った街でもある。どうすれば逃げられるかくらいは頭に入っていた。
置かれた荷物や木箱、洗濯物などが小道には多くある。身軽で小さな子供は飛び越えたりで逃げやすい道だが、大人にはそうではない。
さらに狭い道ならば大勢に追われることも無く、道に気をつければ囲まれる事もない。
時間稼ぎにはもってこいだ。
私は彼女の準備が終わる事を待っていた。打ち合わせ通りなら、彼女が左の路地の行き止まりで待っている筈だ。
しかし、時間がかかるらしい。まだ逃げ続けるべきなのだろうか。いや、逃げる頃には終えていると言っていた、彼女を信じるべきだろう。
直ぐ傍まで近寄っていた怒号から避けるように、私は行き止まりの路地へ駆け込んだ。
後ろからは歓声が上がっていた。『魔女を追い詰めた』という喜びが彼らを包んでいた。
行き止まりには何も無かった。まだ早すぎたか、という焦りを私が包んでいた。
膝に手を当て、肩で呼吸をする。疲れで少し涙がこみ上げていた。逃げる方法を疲れた頭で必死に考える。
そうして、本を抱え途方に暮れていた私を靄が覆った。そして、小さな悪魔が私を誘う。
「どうぞ此方へ。」
跪き、靄の中に現れた扉を手袋で包んだ掌で指した。
「有難う。」
呆然としていた私が、漸く搾り出せた切れ切れの声で軽く礼を言ってその扉を開ける。
次の瞬間悪魔と靄、そして私はその場から掻き消えていた。
全員足並みをそろえて、行き止まりへ辿り着いた追っ手達は、天を仰いで悔しそうに地団駄を踏んでいた。
またやられた、と口に出す者も居た。その場に座り込む者も居た。今に泣き出しそうにしている者も居た。
逃げられた悔しさよりも魔女を生かしてしまった恐怖が、Black deathの恐怖が彼らを包んでいた。
ふぅ、と扉を閉じて溜め息を吐く。扉の先には既に私の館が広がっていた。
赤い蝋燭が周りを照らす魔女の館。あの街からも遠く離れているので、此処は安全だろう。
少なくとも、魔女の住処へと踏み込んでくるような奴は居ない。
小さな体には大きすぎる階段を一段一段降りていく。戦利品を眺めながらだったので、幾度となく躓きそうになる。
この本の鍵は裏表紙の大きな魔方陣の中に隠された文字。本文の中のその文字の前後だけを切り抜いていくと2つの文章が生まれた。
1文字ずつメモしていった自分の手帳を見る。
『蝙蝠は悪魔の化身であり、血の伯爵である。』
『王の光と伯爵が力を寄せる時、惨劇は終わりを告げる。』
どうやら、これがこの本の存在意義の全てであるらしい。どうやらまた外れだったみたいだ。
少しの心残りと疲労を胸に、手帳を羽ペンと共に閉じた。
地下の書室に辿り着くと、悪魔が既にそこに居た。
私と同時に街へ行っていた筈なのに、そして私と合流する為に転移術を設定していたはずなのに、彼女の前には山高く本が積まれていた。
「お帰りなさいませ。」
暇そうに書室の中央の机に備え付けられた椅子を舟漕ぎしていた。その隣の椅子を引き、そっと腰掛ける。
「大漁だったのね。」
積まれた本を一冊手に取り、鍵を読み解く作業を開始する。
「人を引いて下さったお陰で上手くいきました。」
手に持っていた一冊をそっと閉じて私に語りかける。
「面白い物ですね。私の居た時代は口述が多かったのですが、これが今は主流のようで。」
どうやら既に一冊は読み解いていたらしい。悪魔は椅子から立ち上がり、本棚にことりと本を入れた。
この館の書室は広大な広さを有する割りに、殆どの本棚に本が入っていない。
しかし、と目の前に乱雑に積まれた魔術書の山を見る。この本棚が満ちるのも時間の問題だろう。
早速読み解いた一冊を彼女の置いた本の上に置く。その時、既に悪魔は忽然と姿を消していた。
次に現れた時には手にポットと2客のティーカップを乗せた盆を持っていた。
きっと日用品の補充も済ませていたのだろう。見慣れない真新しいティーカップに紅茶と粉砂糖が注がれる。
「有難う。」
少し口をつける。随分冷えた紅茶だった。どうやら作り置きのものだったらしい、少し香りが飛んでいた。
「…相変わらずお早いですね。」
すっかり移動してしまった本の山を見た悪魔は耳元で囁いた。仕草が本当に悪魔らしい。
「ええ、これで最後よ。残念な事に全部読めちゃったわ。」
悪魔によると只の人間が魔術書を読める事は稀らしい。この日もしきりに人間であるかどうかを聞かれた。
父も母も普通の人間だったのだ。間違いなく私は人間だ。
それを立証する為にも読めない本を早く見つけたい。彼女の協力があるのだから直ぐに見つかるとは思うのだが・・・。
これ以前にも様々な魔術書を2人で集め、様々な鍵を見つけ、本を解読していった。
しかし、魔法を発動する事は無かった。それは悪魔自身も私自身も、それを唱えたときに何が起こるか分からなかったから。
その代わり悪魔は簡単な魔法を教えてくれた。転移魔法は高度らしく教えてくれなかったが、属性魔法の簡単な物を教えてくれた。
この事が現在の魔女としての私自身の礎になったのだと思う。
月が紅く輝くあの日も2人で魔術書集めをしていた。
何時ものように人々は執拗に私を追いかけた。その裏で悪魔が何時も通り本をかき集め、転移させてから合流する予定。
この日も何時ものように大量に魔術書を集められるはずだった。
不思議な事にこの日は何時もより疲れるのが早かった。呼吸の度に何時もと違う雑音が混ざる。ゼェゼェと音が鳴る。
少し追っ手と間が開いた所で壁にもたれかかった。発作はどんどん強くなっていく。胸が痛み、血の混ざった痰が出る。
呼吸は止まっていても早くなり続け、意識が遠のいていった。
そして、ゴッという鈍い音が路地に響いた。
漸く意識が戻ってきたときには、私は後ろ手に縛られていた。
同じようにして、悪魔も縛られていた。手には転移魔法の触媒となるフラスコが握られていた。
恐らく私が来ないことに痺れを切らして、巻き添えをくらったのだろう。
以前彼女が話してくれていた。悪魔は契約が有って初めて全力が出せるんだと。
契約を結ぼうとしなかった私が悪いと思うと、少し涙がこみ上げてきた。
それはエゴも含んだ涙だったのだろうと思う。死んだ姿は多く見ていたが、私自身はまだまだ生きたかった。
悪魔は空を仰いでいた。
そのまま2人は街の広場に連れてこられた。小さな噴水もあり、普段なら憩いの場であるそこの中央には木造のステージと絞首台が有った。
そしてステージの周りには私を追っていた様々な人が満面の笑みで此方を見ていた。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
人々は此方へ聞くに堪えない罵声を投げつけ続ける。
単純な物から、親類がBlack deathの犠牲になったという悲痛な叫び、渦巻く狂気と、嬉々とした人々の満ちた広場。
私達が台に上らされると罵声はより一層強くなった。
ステージに人々のリーダーらしき人物が登ってくる。私達に向けられた罵声から歓声へと声は変わっていた。
その人は手元の紙を見て語り出した。歓声は一旦止む。
「魔女とその使い魔の悪魔。汝らは度重なる略奪と、我々への疫病を齎した。よって此処に死罪を宣告する!」
再び歓声と罵声が上がる。先程の、2倍にも3倍にも聞こえた。
大きな力によって動かされた水は止め処も無く流れ続ける。彼らの感情は川の小石である私と悪魔に流れ込んでいた。
乱雑に絞首台の前へと蹴り飛ばされる。連れてきた彼らも感情が高ぶっていたのだろう。
待機していた数人が近寄り、私を立たせ、首を緩く綱で包んでいく。
こみ上げていた涙が終に右目から零れ落ちた。それを見た人々はさらに声を荒げた。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
流れは誰にも止められそうになかった。
「夜の散歩はしてみるものね。」
「言った通りでしょ? 御姉様。」
不意に頭上からの声が広場に響いた。
可笑しい。開けた広場の中央なのだ。頭上から声がかかるはずも無い。
この声によって広場の人々が水を打ったように静まった。
私の首に縄をかけていた人物も、周りの観衆も上を見上げていた。同じようにして涙目で上を見る。
そこには蝙蝠の羽を持った青髪の少女と、何かの鉱石の寄せ集めのような羽を持った金髪の少女が飛んでいた。
飛んでいたのだ。目の前の怪しげな少女達など目じゃない、一目で分かる異常がそこに居た。
2人を見上げ静まり返った広場に、先程宣言をあげた男の声が響く。
「魔、魔女だ…。」
魔女というのは本当に便利な言葉だと思う。超常現象一つですらこれで片付けてしまえる。
とはいえ、自分にもそれ以外の形容が見つからなかった。上を仰いでいた悪魔は溜め息をついていた。
また咳が出始めた。
魔女という言葉に先程は歓喜していた人々も尻込みをしている。当たり前だ、状況が異常すぎる。
私の体も先程から拒否反応を表している。鳥肌が立ち、頭に血が巡る。鼓動が早くなる。
「ところで、」
再び、姉と呼ばれていた方の魔女が発言をした。それだけで人々の間に動揺が広がる。
「私達の仲間に手を出そうとしたのは誰かしら。」
「さっきから偉そうにしていたあいつじゃない?」
金髪の魔女がステージの上の人物を指す。先程の宣言をしていた男だ。その言葉を聞いて、男はさっと青ざめた。
ステージから飛び降りるようにして逃げ出す。しかし青髪の魔女はそれを遥かに上回る速さで飛び、男を6つに切り裂いた。
周りに紅色が飛び散る、切り裂かれた臓器が飛び出す。様々な組織と脳漿が漏れ、四肢は無残に飛び散る。
「あはは、御姉様スゴーい。」
先程の比ではないどよめきが観衆に起こった。ここに居ては危ない、と本能が告げていた。
恐らく仲間というのは、この悪魔の事だろう。
悪魔が喋れば私の存在は保証されるのかもしれないが、それまでに事情の知らない魔女に巻き添えにされる可能性だってある。
少なくとも、これ以上の惨劇は避けたかった。幸い、猿轡をされているわけではない。声はあげる事ができた。
「そこな魔女!」
痰で少し声が枯れているように聞こえる。その声で出任せを言う。
「私はこの悪魔の主人だ! 用があるなら私に告げろ!」
無邪気に笑っていた妹も、血の付いた自らの爪を舐めていた姉も、此方を見た。
姉は言う。
「私達は小者に用はないわ。」
妹は言う。
「用があるのは貴方の方。」
魔女に魅入られる、とはこの事を言うのだろう。
惨禍を免れたい人々は、魔女の注意が私に行った瞬間に、蜘蛛の子を散らすように広場を去っていった。
先程の男の死体を踏んで逃げている人も居る。私と悪魔の拘束は同様に惨禍を免れようとする人によって取り去られていたようだ。
再び自由になった手に感謝をする。手には少し縄の跡がついていた。
「私に?」
少し止まった血を再び無理に流させるように、軽く振りながら尋ねる。之には姉が答えた。
「ええ。生まれながらの魔女である貴方に。」
「血の味を知っているかしら。苦い血、甘い血、酸っぱい血、辛い血。これらは親の組み合わせである程度推移するわ。」
私の前に降り立つや否や、急にこんな事を語りだした。
「でも、極稀に生まれないはずの味が生まれる事がある。百人、あるいは二百人に一人くらい。」
痺れを切らした悪魔は尋ねた。
「何が言いたい?」
姉は眉を吊り上げ、私から悪魔に向き直した。
「貴方の主人は特別製。人と人から生まれた魔女。」
姉は続ける。一緒に降り立っていた妹は暇そうに欠伸をしていた。解説は苦手のようだ。
「普通の魔女の力は親の力に左右される。親が強大なら強大に、その逆ならその逆に。ただ、それでは限りがある。」
「つまり、人間製の魔女にはそれがない、と。」
妹が急に割り込んできた。先程の欠伸は機会を狙っていただけのようだった。妹は姉の隣に腰掛けたが、姉は構わず続ける。
「その代わり、制限も有る。魔女の種族は身体能力が低めとはいえ、人並み以上にはあるが人間製にはそれがない。」
「他にも強大な力が近くに居ると、人間らしく体が悲鳴をあげたりするね。今みたいに。」
妹は咳込む私の喉を指差して言った。姉妹はにたにたと不気味な笑いをしていた。
「お節介はこれくらい。さて、本題に入るわ。」
姉は私に耳元で囁きかけてきた。
「今すぐ私達の手下になりなさい。」
思考回路は見た目相応なのか、幼稚で単純に告げてきた。
「嫌、と言ったら?」
「勿論、力づく。」
予想通りの残念な回答が帰ってきた。そう出られては、此方に対処する術はない。
無力な魔女と、小さな悪魔には何一つ。
「それからというもの、私達2人は姉妹の庇護の元、様々な魔法の実験を始めたわ。
そして、館はあの紅魔館になり、姉妹は吸血鬼を名乗った。小さな悪魔は私の傍から離れなかった。
でも、私は思うわ。もし、姉妹や悪魔が居なかったら私はどうなっていただろうかと。
だから、私は貴方が羨ましかった。親と縁を切り、森で1人自分の研究に没頭出来た貴方が。
誰の庇護をも受けずに1人で生き続ける貴方が。魔女を名乗っても殺される事のない貴方が。
魔女という種族に縛られなかった貴方が。」
魔女は長い長い昔話と独白を終え、彼女の頬にキスをした。
思われた人々の数の鮮やかな花々に囲まれ、冷たくなった彼女の頬にキスをした。
あの時啜った紅茶の味がしたような気がした。
黒死病の流行は14世紀(西暦1300年代)ですので、21世紀初頭の時点で500歳のレミリアはまだ誕生していませんが…
僕のホンノリカンドーを返してよぉ~
1665年にはロンドンで流行し、7万人近い人が亡くなったといいます。
その事実を基にした、魔女狩りとペストの関連性をといた説を元にこの文章を書きました。
実際はこれが唯一の真実とは言い切れないそうですが、様々な想像(例えばBlack deathはこの話の中の架空の病気で、本当に魔女の呪いだったとか、レミィが勝手に創作したとか。あるいは魔女狩り流行の前の話だとか、ヨーロッパじゃなかったとか。)をして頂く意図でした。
どうやら混乱を招いてしまったようで申し訳ないです。
くそぅ、騙された(誉め言葉)