「あんたを作った人に会いたいかい?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日は平和だ。いんや、間違えた。今日も平和だ。
吹き抜けるような空を見て、そんな平和な幻想郷を体で感じる。
もう秋もそろそろ終わりだな。
紅葉もとっくに終わって、地面に落ちている葉っぱは枯れ始めている。
これから寒い冬がやってくるのか。
ふう、と息が白くなるような溜息をつく。
まだ白くならないな、これからもっと寒くなるのか。
あたいは嫌だな。寒いのは嫌いなんだ。
さてと、今日はどこへ行こうか。
今日も魂を運ぶ仕事をちょっと休憩して、幻想郷をぶらぶらしている。
昼寝をする気分にはならないね。
それに、昨日、昼寝の現場を四季様に見つかったしな。
そうだな、今まで行っていなかったところに行ってみようか。
面白いものがあったらもうけもんだ。
枯れた木々の間を抜けていくと、やっぱりもう秋は終わるという実感がする。
サボるっていうのはいいな。いつもと違う何かが見つかりそうだ。
大丈夫、バレても何とかなるさ、 四季様に見つかっても、あたいは大丈夫。
鎌をぶんぶん振りまわして、林を抜けていった。
思えば遠くへ来たものだ。幻想郷を横断しているんじゃないかな。
まあ、あたいの能力を使えばすぐに戻れるさ。
さて、と。ここはどこだろう。
なんだか、瘴気が漂っているような気がする。やばいんじゃないか。
でも、ここで引き返しても仕事に戻るしかないし。
ううん、面白そうだから、行ってみようか。
うわあ、なんだこれ。
目の前には白い、小さな花が咲き乱れていた。
鈴蘭ばかりじゃないか。瘴気の正体はこれか。
これはやばいな、毒が辺りに充満してる。
鈴蘭が畑になるほど集まるなんて、あたいも初めて見たよ。
ここに入ろうか、どうしよう。
あまりの事態に、あたいは立ち止った。
毒が充満しているところにわざわざ入るなんて、無謀だ。
毒だけじゃない。ここには入っちゃいけない、そんな雰囲気もするし。
でも、せっかくだから、あたいは入ることを選ぶな。
誰かが怒ったら、すみませんでした、でいいんだ。
そう決めて、畑に足を踏み入れていった。
普通の人間なら入っちゃいけない場所なんだろう。
それはあたいでもあんまり変わらない。
でも、なんでだろう。
奥に進むほど、すごく、ほっとするような、そんな気持ちもするんだ。
遠くに何かの影を見た。生き物、人間、妖怪?
どれをとっても、この毒の充満する場所にはいられないだろうな。
ひょっとしたら、毒を操る妖怪とか。
それしかないな。
「おーい」
声をかけてみた。お、影が動いた。
少し待ってみたけど、返事が無い。でも、影がさらに動く雰囲気もない。
こりゃ、あたいが行かなきゃダメみたいだね。
近くに寄ってみたら、それが小さな人間だと気付いた。
人間は私のことをじっと見ていた。
ふうん、まさか人間がこんなところにいるとはねえ。
白い顔をしているけど、元々みたいだし。
それに、着ている服もずいぶんいい服みたいじゃないか。
決めた。この子は嬢ちゃんと呼ぼう。
それが一番ふさわしい呼び方だ、そう思う。顔つきもお嬢様だ。
「嬢ちゃん、こんなところにいて大丈夫かい?」
ちょっと遠くからもう一度、話しかけてみた。
すると、嬢ちゃんは少し間を置いてから頷いた。
「うん、私は鈴蘭の毒も平気よ」
へえ、これが毒だって知っているんだな。
結構長いこと、ここにいるのかもしれないな。
「あの、お姉ちゃん、だれ?」
「うん?あたいかい?」
嬢ちゃんはおずおずと私に尋ねてきた。不安、なのかね。
そういや、あたいとの身長差はかなりある。
ちょっと威圧しているかもしれない。
自分の職業を簡単に名乗ってもいいものなのかね。ふと考えてみる。
子供にゃ、ちょっとあたいの仕事が怖いと思うのかもしれない。
まあ、いっか。子供だし、案外面白がってくれるかも。
思考破棄。
「あたいは小野塚小町。死神さ」
「死神?」
「ほら、鎌持ってるだろ?」
「あ、本当だ」
お、本当に怖がらない。意外だ。
嬢ちゃんは初めて笑った。やっぱり不思議な譲ちゃんだ。
「嬢ちゃんはなんていうんだい?」
「私はね、メディスン・メランコリー。人形よ」
ああ、人形。その線は考えてなかったね。
なるほど、人形なら毒も効かない。
あたい達は鈴蘭畑の少し外れのほうに腰をおろした。
鈴蘭の毒は絶えないけど、それでも少しはマシだと思う。
「お姉ちゃん、どうしてここに来たの?」
「うん?」
これは予想外の質問。この質問には答えるべきだね。
あ、サボりとは言えないな。
頭をかきながら質問に答える。
「今日は仕事がたまたま休みでね、散歩してたら面白そうだな、と思って来たのさ」
9割9分本当の話だから、後ろめたくない。後ろめたくないね。
嬢ちゃんはあたいに興味を持ったようだ。目をきらきら輝かせる。
「死神ってどんな仕事してるの?人の命をとるの?」
「まさか」
ちょっと吹き出してしまったじゃないか。
「あたいは死んだ人の魂を、閻魔様にところに送るんだ。三途の川を舟で渡してあげるのさ」
「舟ってどんな舟?」
「そんなに大きくないよ。あたいが一人で漕ぐんだから」
「うわあ、結構大変そう」
「まあ、死神の仕事も楽じゃないさ。閻魔様には結構叱られるし」
「閻魔様のために働いているの?」
「そう言えばそうなるかね」
嬢ちゃんはにこにこしながらあたいの話を聞いてくれている。
ううん、こうしてみるとますますお嬢様っぽいね。
それに、なんだかウブさが残っているみたいだし。
ふと、初めて四季様と出会った時のことを思い出した。
あの頃のあたいも、まだウブだったんだな。
「は、初めまして!小野塚小町と言います!
死神としての仕事を、精一杯やっていきます!
これから、よろしくお願いします!」
「私は四季映姫です。二人で一緒に頑張っていきましょう」
「は、はい!」
四季様はクスッ、と少し笑った。
「そんなに固くならずに。あなたらしくやっていけばいいんですよ、小町さん」
今は、きっと四季様の言葉通りにやっているんだ。
あたいらしく、マイペースに、ね。
さて、そろそろあたいからも質問するかな。
「嬢ちゃん、嬢ちゃんは人形だよな?」
「うん、そうよ」
「あたい、勝手に動いたりしゃべったりする人形を初めて見たんだ。
どうしてそうなったか、自分で知っているのかい?」
結構きつい質問だと思う。
だけど、嬢ちゃんは笑顔を絶やさないままに答えた。
「うん、ここのスーさん達がね、私に力をくれたの」
「スーさん?ああ、鈴蘭のことか」
「そう。気が付いたら、スーさん達の中で寝転がっていたのよ」
ふうん。そんなことがあるもんなのかね。
まあ、ここは幻想郷だし、深いことは気にしないでおこう。
さて、そろそろ帰ろうか。
いつの間にか太陽が地平線に落ち始めている。
さすがに帰らないと四季様にばれるだろうな。
「よっ」、と鎌を持って立ち上がると、嬢ちゃんがふいに訊いてきた。
「帰るの?」
嬢ちゃんが少し寂しそうに私を見つめる。
ううん、ますます子供っぽい。
「そうだね。暗くなる前に帰らないと、道に迷うかもしれないし」
「そっか、そうだよね」
嬢ちゃんはちょっと俯いてしまった。
そんな寂しそうにしないでくれよ。困るじゃないか。
仕方ないね。
「大丈夫さ。また来るよ」
それを聞いた嬢ちゃんの顔が、ぱあっと輝く。
ううん、純粋っていうか、わかりやすいっていうか。
本当にお嬢様だね。
嬢ちゃんはあたいの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
そこまでは、なんとなく、能力を使いたくなかった。
幸い、四季様にはバレていないらしいな。
さて、ちょっとだけ仕事して、今日は寝るとしよう。
そのうち、また鈴蘭畑に行こうか。
それからあたいは時々嬢ちゃんの所へ行くようになった。
話すのは他愛もないこと。天気の話だとか、あたいの仕事のこととか。
時々愚痴をこぼしたりしているけど、嬢ちゃんはいつもにこにこして聞いてくれる。
秋が終わっていくけど、あたいは寂しくなかった。
鈴蘭はずっと、そこに咲いているから。
今日はひどく冷える日だ。
あたいにとっちゃあ、寒い日なんてどれも変わらないけどね。
でも今日はなんだか一段と冷える。
だけど、どうしてだろうね。
この鈴蘭畑に来るとなんだか、あったかい場所にいる気になるんだ。
毒のせいじゃないと思うけど、なんかあるんだろう。
「だから今日もお仕事が休みなの?」
「そうさ。寒いから閻魔様も働きたくないんだ、きっと」
嬢ちゃんは、ふふふ、と笑った。
さすがにあたいがサボっていることはわかってきたみたいだ。
こうやって嬢ちゃんと隣り合って座っていると、この嬢ちゃんはやっぱり子供だと思うね。
喜怒哀楽の表現がわかりやすい。
この前もちょっと背が小さいことをからかったら、頬を膨らませて怒ってた。
「いくら寒いからって、五日に二日休んだりする?」
「それはさすがにないね」
いい加減、サボりだと認めようか。
「閻魔様はねえ、まじめな性格だから、結構頑張っちゃうんだね。
まあ、それはいいんだけど、困るのは部下のあたいなんだよ。
上司に振り回される部下っていうのも楽じゃないもんさ」
「お姉ちゃんがマイペースすぎるんじゃない?」
「嬢ちゃん、あたいもやるときはやるよ」
「いつもやってくれてると、閻魔様も助かると思うわ」
「いいのさ。閻魔様もあんまりたくさんの魂が来ると困るからな」
「そうやって言い訳するー」
嬢ちゃんは軽く私の腕を叩いた。
うわあ、と大げさに言って、仰向けに倒れこむ。
空が見える。
ふいに嬢ちゃんが呟いた。
「お姉ちゃん、嬉しそうね」
「そりゃそうさ。こういう時間だって大切なんだ」
「ううん、そうじゃなくて」
嬢ちゃんの顔が見えない。
それでも起き上がる気にはならないね、不思議と。
「いつも、閻魔様の愚痴をこぼしてるけど、その時のお姉ちゃんの顔、笑ってるよ」
「そうかい、そりゃ全然気づかなかったな」
そんな嬉しそうにしてたっけな、あたい。
「お姉ちゃん、その閻魔様が好きなのよ、きっと」
「そう見えるかい?」
「うん、絶対そう思う」
やれやれ、嬢ちゃんに見抜かれるようじゃあ、あたいもまだまだだね。
「そうさ。あたいの上司の閻魔様はね、最高の閻魔様だとあたいは思ってる。
他の人がなんと言おうとね」
「そうなんだ」
嬢ちゃんがあたいの顔を覗き込む。あたいの目と合う。
嬢ちゃん、あたいは嘘なんかついちゃいない。
確かに四季様は真面目すぎると思う。
だけど、そこがあたいは大好きなんだ。
嬢ちゃんはあたいの顔を覗き込むのをやめた。
「閻魔様が、好きなのね」
何となく、違和感を覚える独り言だな。
「私、雪の日にここに捨てられたのよ」
初めて聞く話だ。
「私を作った人が、ここに捨てて、それでいなくなったの。
すごく昔の話だって、スーさんたちが言ってた」
ふうん、なんだかありそうで、ありそうな話だね。
ちょっと、雪の中に捨てられた一体の人形を想像してみる。
すごく、悲しい絵が浮かんできて、急いでそれを打ち消した。
何考えてるんだ。嬢ちゃんは今、こうして楽しく暮らしてるじゃないか。
むう、と、頭を振ってみる。
「どうしたのお姉ちゃん」
「ん、なんでもないさ」
仰向けに寝てるから、嬢ちゃんの後姿は見えても顔は見えない。
見えなくてもいいか。
ふう、と息を吐いてみる。真っ白に染まって、流れていった。
これを訊くべきかどうか、迷う。
でも、いつかは訊かなきゃいけないんじゃないか、とも思う。
それが今でも先でも、あんまり変わらないんじゃないかな。
だったら、今訊いてしまってもいいね。
決めた。
「嬢ちゃん」
嬢ちゃんは振り向かない。
そっちのほうがやりやすいか。
「あんたを作った人に会いたいかい?」
少し間があいた。鈴蘭の花の匂いが鼻をつく。
それからちょっとして、嬢ちゃんは答えた。
「・・・わからないや」
そう言って、嬢ちゃんは振り返る。
いつもの可愛い笑顔じゃなくて、ちょっと寂しい微笑み、だと思う。
あたいはそれ以上訊くことができなくなった。
その代わり、嬢ちゃんの顔に背を向けてごろんと寝がえりをうった。
とうとう幻想郷にも雪が降り始めた。
寒いのは嫌だけど、雪は好きだ。
なんていうのかね、こう、ゆっくりと優しく降りてきて、柔らかく積もっていく。
それを見てるだけで、体は冷たいけど、心は温かくなるじゃないか。
あたいの船に乗る魂たちと雪の話はよくするんだ。
今年初めての雪の日は、一日中仕事だった。
なんだかんだ言って、あたい、結構やるんだよ、死神なんだから。
だけど、疲れた。明日は鈴蘭畑へ行こう。
今日も雪が降っている。
ううん、雪が降るのはいいんだけど、この寒さは何とかできないかね。
まあ、寒くなきゃ雪は降らないからな。
林の木の葉っぱも完全に落ちてしまった。なんだか、寂しい光景だな。
やっぱり、鈴蘭畑のほうも雪が積もってるみたいだね。
鈴蘭は多年草みたいだけど、さすがに毒が少し薄くなってる。
鈴蘭がほとんど見えなくて、あたり一面雪だらけ。
白銀の世界ってこういうことを言うんだな。
あたいは鈴蘭畑に足を踏み入れようとして、遠くに見える影に気がついた。
嬢ちゃん、だよな?
駆け寄ろうと思ったその時、信じられないものを聞いた。
赤ん坊の泣き声。
違う。赤ん坊の泣き声なんかじゃない。
嬢ちゃんが泣いてるんだ。
少しだけ、近くに行ってみると、
雪が降る中で譲ちゃんが一人佇んで、泣き声をあげていた。
ずっと、ずっと。
あたいはそれ以上近寄れない。
近づいちゃいけない気がするんだ。
あたいと嬢ちゃんの距離はすごく、遠く感じる。
あたいは距離を操れるのにな。おかしな話だね。
情けない。
そこで泣いてる嬢ちゃんがいて、ただ見ているあたいがいる。
だけど、あたいには何もできないんだろうな。
あたいは嬢ちゃんに気付かれないように、そっと鈴蘭畑を離れた。
早く雪が止めばいいんだ。初めてそう思ったな。
やっぱり四季様にはサボっているのがばれた。
早く戻りすぎたみたいだな。
今、四季様の大好きなお説教をありがたく聞いているところさ。
「大体、あなたは休みすぎです。
あなたらしく、とは言いましたけれど、それでも五日中二日は多すぎます。
もうちょっと真面目にやってほしいものです。
魂を長い時間待たせるのは、失礼というものでしょう」
ううん、長い。
聞いているうちにこっくりこっくりしていたら、あの棒で叩かれた。
「きゃん!」
「ちゃんと話を聞いていなさい。全く、小町は優秀な死神なのに、もったいない」
「すみませんー」
四季様は諦めたらしい。
「もういいわ、早く仕事に戻りなさい。サボった分まできっちりと働くのよ」
「へいへいー」
四季様は自分の仕事に戻っていった。
自分の仕事を中断してまであたいにお説教するのが、いかにも四季様らしいね。
あたいも適当な返事をしているけど、まあ、やってやろうじゃないの。
雪は止まない。魂を舟に乗せていく。これがあたいの仕事。
だけど、どうしてだろうな。今日は鎌が重く感じられる。
いつも持っているのにね。あたいも、もう歳かな?それに、三途の川も広くなったかな?
なんて余計なことを考えている場合じゃない。
あたいは舟を漕ぎだした。
今日の仕事は終わり。あたいも結構頑張ったね。
冬だから日が暮れるのも早い。もう夜だ。
現世側に魂がいないことを確認して、四季様のところに戻る。
四季様も、三途の川の岸で嬉しそうな顔であたいを迎えてくれた。
その笑顔は反則ですよ、四季様。
「今日もよく頑張ってくれましたね、小町」
「まあ、お説教の効果ですかねー」
「それが毎日続けばいいのだけど」
また小言ですか。
舟から降りて、四季様と一緒に戻る。
歩いていたら、四季様の帽子に雪の粒が降りてきた。
結局、今日は一日中雪が止むことはなかったな。
それで思い出した。
「四季様、頑張った代わりに一つ、訊いてもいいですか?」
「・・・?ええ、いいわ」
四季様は不思議そうな顔であたいを見る。
頑張った代わり、と言ったのはちゃんと理由があるんだ。
雪の中で一人、泣き続ける嬢ちゃんの姿が目に浮かぶ。
「自分がどうして生を受けたか、わからないまま死んだ人がいたとしたら、
四季様はどういう判断をします?」
「それは、私の仕事として、ということ?」
「そうです」
答えを聞くのが少し、怖い。
「・・・もちろん、黒です」
四季様はもうあたいの顔を見ていなかった。
やっぱりそうなんだな。
だけど。
この時だけは、四季様の能力の高さを少し、恨んだ。
また今日も雪が降っている。今日は真面目に仕事をやろうか。
あたいは雪が降らない日に嬢ちゃんのところに行った。
幻想郷では雪が降らない日のほうが少ない。
そうだな、五日中三日は雪が降る。
初めて雪が降ってから、もう大体1ヶ月くらい経つかな。
今日は少し曇っているけど、雪が降るほどじゃないかね。
嬢ちゃんのところに行こうか。
鈴蘭畑に足を踏み入れる。雪が解けないで残っている。
最近、温かいけど、ずっとここにいちゃいけない、そんな気もする。
それは毒のせいだけじゃない、きっと。
嬢ちゃんはいつものように畑の少し外れのほうに座っていた。
あたいが来るときは、いっつも嬉しそうに笑っているんだ。
そう言えば、嬢ちゃんの服も、全然変わっていない。
「もう一月ね」
「そうだな、本格的な冬ってやつだ」
「でも、あとふた月我慢すれば春よ」
「そうだな、春が早くやってくれば暖かくて、あたいも助かるんだけどね」
「外の春ってどんな感じなのかしら?」
「うん?嬢ちゃん、外に行ったことがないのかい?」
「あまりないわ。私、ほとんどこの鈴蘭畑にいるから」
わかるような気がするね。いや、同情じゃない。
「そうだな、外の春はきれいだね。
桜が咲き乱れて、暖かい風が吹いて、桜が散って。
それで夏草が生え始めて、段々と暑い夏になっていくんだ」
何度も見た光景だから、嫌でも思い出せる。
「嬢ちゃん、外に行きたいと思うかい?」
「ちょっとはね」
ううん、曖昧な答えだな。
「なんか夢でもあるのかい?」
そう訊くと、嬢ちゃんは恥ずかしそうに、ふふ、と笑った。
手を口に当てる仕草も、子供っぽくてお嬢ちゃんっぽいな。
「私、ほら、人形でしょ?」
ああ、そうだった。嬢ちゃんは人形なんだっけ。
頭をかく。
「でも、私は捨てられた。
もう、そんな悲しい人形がないようにね、人形解放することが夢、かしら」
どうしようもない、な。
その時、あたいはそう感じた。
どうしようもなく、嬢ちゃんとあたいの距離は遠い。
そういう気がする、じゃない。遠い。
だからあの雪の日、嬢ちゃんに話しかけられなかったんだ。
「ほら、舟に乗りな。
ん?お金がそんなに無いって?
いいって。どうせあたいは今日、これで終わりなんだ。
運が良かったじゃないか、ちゃんと向こうまで連れてくよ。
あんた、昔は何してたんだい?
へえ、雑貨屋か。それも自分で作ってたのかい。
器用な人なんだな、羨ましいよ。
ん、どうしたんだい、黙っちゃって。
いいって、あたいが聞くよ、遠慮しなくていいって。
ふうん、後悔していることがあるのか。
女の子の人形を作ってたんだ。本当に器用だねえ。
捨てたのかい。
鈴蘭畑に。
雪の日・・・?
え、ううん、いや、なんでもない。あたいは大丈夫さ。
そうか、それは赤ん坊の代わりだったんだね。
それから、本当の赤ん坊が生まれたのかい?
うん、それは良かった。本当に良かったなあ。
でも、その赤ん坊が人形を嫌がったのか。
だから、捨てるしかなかったのかい。
そりゃ・・・仕方ないね・・・」
もう三月だ。今日は雪が降ってないけど、空は曇っている。まだまだ寒い。
「小町、今日は休みよ」
「そうでしたっけ」
舟を漕ぎだそうとするあたいに四季様があわてて駆け寄ってきた。
そうか、今日は休みだっけな。
あたいは舟を岸につけてから降りた。
四季様がいつもより小さく見えるね。
「こんなに寒くなかったら、あなたとどこかに出かけられたのに」
「はは、そうですね。春になったらピクニックでも行きましょうか」
「そうね、暖かくなったら一緒に行こうかしら」
ううん、仕事の時じゃない四季様は可愛いね。
「そうですね。じゃ、今日はあたい、ゆっくり寝るとします」
「わかったわ。じゃあ、また明日」
四季様は手を振りながら帰っていく。
あたいも、四季様の姿が見えなくなるまで手を振る。
すみません、四季様。あたい、今日はゆっくり寝ないんです。
鈴蘭畑に向かう。
少しずつ、枯れた木に緑色の小さなふくらみが見える。
そのうち、葉っぱが生えてくるんだろう。
こうして木だって、生まれているのに、な。
ふう、なんでこんなに感傷的なんだろう。
ちらほらと雪が降ってきた。だけど、今更帰れない。
なんだか、お天道様が今日は意地悪だね。
鈴蘭畑に雪は積もっていなかった。
向こうに影が見える。あたいは腰をおろした。
ここで座ったら嬢ちゃんからも見えないだろうな。
あたいも嬢ちゃんに背を向けている。
泣き声が聞こえてきた。
嬢ちゃんの泣き声だ。あの日と同じで。
たった一人の泣き声。
傷つきやすい、赤ん坊の泣き声だ。
本当は、最初から知っていたんだ。
あたいと嬢ちゃんが出会った日から、ずっと知っていた。
嬢ちゃんの寿命が見えないから。
人間でも妖怪でも、あたいにはその寿命が見えるんだ。
嬢ちゃん。
もともと、嬢ちゃんは生まれるはずのなかった子供なんだ。
でも、あんたは自分のことを人形だと思ってる。
違う。
嬢ちゃんは赤ん坊さ。
雪の粒があたいの目の前を通り過ぎていった。
あたいは、それを掌で受け止める。
知ってるかい?
小さな、白い粒。
あたいも、嬢ちゃんも、この小さい粒なんだ。
ゆっくりと、雪が溶けていく。
溶けて、どこかへ消えてしまった。
ずっと、いままで、嬢ちゃんは雪が降る日、一人で泣いていたんだろうな。
そして、これからも、一人で泣くんだろうな。
あたいはただ、ここで聞くだけさ。
それは音無き雪の日。
儚い雪の粒を掴むは白い手。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日は平和だ。いんや、間違えた。今日も平和だ。
吹き抜けるような空を見て、そんな平和な幻想郷を体で感じる。
もう秋もそろそろ終わりだな。
紅葉もとっくに終わって、地面に落ちている葉っぱは枯れ始めている。
これから寒い冬がやってくるのか。
ふう、と息が白くなるような溜息をつく。
まだ白くならないな、これからもっと寒くなるのか。
あたいは嫌だな。寒いのは嫌いなんだ。
さてと、今日はどこへ行こうか。
今日も魂を運ぶ仕事をちょっと休憩して、幻想郷をぶらぶらしている。
昼寝をする気分にはならないね。
それに、昨日、昼寝の現場を四季様に見つかったしな。
そうだな、今まで行っていなかったところに行ってみようか。
面白いものがあったらもうけもんだ。
枯れた木々の間を抜けていくと、やっぱりもう秋は終わるという実感がする。
サボるっていうのはいいな。いつもと違う何かが見つかりそうだ。
大丈夫、バレても何とかなるさ、 四季様に見つかっても、あたいは大丈夫。
鎌をぶんぶん振りまわして、林を抜けていった。
思えば遠くへ来たものだ。幻想郷を横断しているんじゃないかな。
まあ、あたいの能力を使えばすぐに戻れるさ。
さて、と。ここはどこだろう。
なんだか、瘴気が漂っているような気がする。やばいんじゃないか。
でも、ここで引き返しても仕事に戻るしかないし。
ううん、面白そうだから、行ってみようか。
うわあ、なんだこれ。
目の前には白い、小さな花が咲き乱れていた。
鈴蘭ばかりじゃないか。瘴気の正体はこれか。
これはやばいな、毒が辺りに充満してる。
鈴蘭が畑になるほど集まるなんて、あたいも初めて見たよ。
ここに入ろうか、どうしよう。
あまりの事態に、あたいは立ち止った。
毒が充満しているところにわざわざ入るなんて、無謀だ。
毒だけじゃない。ここには入っちゃいけない、そんな雰囲気もするし。
でも、せっかくだから、あたいは入ることを選ぶな。
誰かが怒ったら、すみませんでした、でいいんだ。
そう決めて、畑に足を踏み入れていった。
普通の人間なら入っちゃいけない場所なんだろう。
それはあたいでもあんまり変わらない。
でも、なんでだろう。
奥に進むほど、すごく、ほっとするような、そんな気持ちもするんだ。
遠くに何かの影を見た。生き物、人間、妖怪?
どれをとっても、この毒の充満する場所にはいられないだろうな。
ひょっとしたら、毒を操る妖怪とか。
それしかないな。
「おーい」
声をかけてみた。お、影が動いた。
少し待ってみたけど、返事が無い。でも、影がさらに動く雰囲気もない。
こりゃ、あたいが行かなきゃダメみたいだね。
近くに寄ってみたら、それが小さな人間だと気付いた。
人間は私のことをじっと見ていた。
ふうん、まさか人間がこんなところにいるとはねえ。
白い顔をしているけど、元々みたいだし。
それに、着ている服もずいぶんいい服みたいじゃないか。
決めた。この子は嬢ちゃんと呼ぼう。
それが一番ふさわしい呼び方だ、そう思う。顔つきもお嬢様だ。
「嬢ちゃん、こんなところにいて大丈夫かい?」
ちょっと遠くからもう一度、話しかけてみた。
すると、嬢ちゃんは少し間を置いてから頷いた。
「うん、私は鈴蘭の毒も平気よ」
へえ、これが毒だって知っているんだな。
結構長いこと、ここにいるのかもしれないな。
「あの、お姉ちゃん、だれ?」
「うん?あたいかい?」
嬢ちゃんはおずおずと私に尋ねてきた。不安、なのかね。
そういや、あたいとの身長差はかなりある。
ちょっと威圧しているかもしれない。
自分の職業を簡単に名乗ってもいいものなのかね。ふと考えてみる。
子供にゃ、ちょっとあたいの仕事が怖いと思うのかもしれない。
まあ、いっか。子供だし、案外面白がってくれるかも。
思考破棄。
「あたいは小野塚小町。死神さ」
「死神?」
「ほら、鎌持ってるだろ?」
「あ、本当だ」
お、本当に怖がらない。意外だ。
嬢ちゃんは初めて笑った。やっぱり不思議な譲ちゃんだ。
「嬢ちゃんはなんていうんだい?」
「私はね、メディスン・メランコリー。人形よ」
ああ、人形。その線は考えてなかったね。
なるほど、人形なら毒も効かない。
あたい達は鈴蘭畑の少し外れのほうに腰をおろした。
鈴蘭の毒は絶えないけど、それでも少しはマシだと思う。
「お姉ちゃん、どうしてここに来たの?」
「うん?」
これは予想外の質問。この質問には答えるべきだね。
あ、サボりとは言えないな。
頭をかきながら質問に答える。
「今日は仕事がたまたま休みでね、散歩してたら面白そうだな、と思って来たのさ」
9割9分本当の話だから、後ろめたくない。後ろめたくないね。
嬢ちゃんはあたいに興味を持ったようだ。目をきらきら輝かせる。
「死神ってどんな仕事してるの?人の命をとるの?」
「まさか」
ちょっと吹き出してしまったじゃないか。
「あたいは死んだ人の魂を、閻魔様にところに送るんだ。三途の川を舟で渡してあげるのさ」
「舟ってどんな舟?」
「そんなに大きくないよ。あたいが一人で漕ぐんだから」
「うわあ、結構大変そう」
「まあ、死神の仕事も楽じゃないさ。閻魔様には結構叱られるし」
「閻魔様のために働いているの?」
「そう言えばそうなるかね」
嬢ちゃんはにこにこしながらあたいの話を聞いてくれている。
ううん、こうしてみるとますますお嬢様っぽいね。
それに、なんだかウブさが残っているみたいだし。
ふと、初めて四季様と出会った時のことを思い出した。
あの頃のあたいも、まだウブだったんだな。
「は、初めまして!小野塚小町と言います!
死神としての仕事を、精一杯やっていきます!
これから、よろしくお願いします!」
「私は四季映姫です。二人で一緒に頑張っていきましょう」
「は、はい!」
四季様はクスッ、と少し笑った。
「そんなに固くならずに。あなたらしくやっていけばいいんですよ、小町さん」
今は、きっと四季様の言葉通りにやっているんだ。
あたいらしく、マイペースに、ね。
さて、そろそろあたいからも質問するかな。
「嬢ちゃん、嬢ちゃんは人形だよな?」
「うん、そうよ」
「あたい、勝手に動いたりしゃべったりする人形を初めて見たんだ。
どうしてそうなったか、自分で知っているのかい?」
結構きつい質問だと思う。
だけど、嬢ちゃんは笑顔を絶やさないままに答えた。
「うん、ここのスーさん達がね、私に力をくれたの」
「スーさん?ああ、鈴蘭のことか」
「そう。気が付いたら、スーさん達の中で寝転がっていたのよ」
ふうん。そんなことがあるもんなのかね。
まあ、ここは幻想郷だし、深いことは気にしないでおこう。
さて、そろそろ帰ろうか。
いつの間にか太陽が地平線に落ち始めている。
さすがに帰らないと四季様にばれるだろうな。
「よっ」、と鎌を持って立ち上がると、嬢ちゃんがふいに訊いてきた。
「帰るの?」
嬢ちゃんが少し寂しそうに私を見つめる。
ううん、ますます子供っぽい。
「そうだね。暗くなる前に帰らないと、道に迷うかもしれないし」
「そっか、そうだよね」
嬢ちゃんはちょっと俯いてしまった。
そんな寂しそうにしないでくれよ。困るじゃないか。
仕方ないね。
「大丈夫さ。また来るよ」
それを聞いた嬢ちゃんの顔が、ぱあっと輝く。
ううん、純粋っていうか、わかりやすいっていうか。
本当にお嬢様だね。
嬢ちゃんはあたいの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
そこまでは、なんとなく、能力を使いたくなかった。
幸い、四季様にはバレていないらしいな。
さて、ちょっとだけ仕事して、今日は寝るとしよう。
そのうち、また鈴蘭畑に行こうか。
それからあたいは時々嬢ちゃんの所へ行くようになった。
話すのは他愛もないこと。天気の話だとか、あたいの仕事のこととか。
時々愚痴をこぼしたりしているけど、嬢ちゃんはいつもにこにこして聞いてくれる。
秋が終わっていくけど、あたいは寂しくなかった。
鈴蘭はずっと、そこに咲いているから。
今日はひどく冷える日だ。
あたいにとっちゃあ、寒い日なんてどれも変わらないけどね。
でも今日はなんだか一段と冷える。
だけど、どうしてだろうね。
この鈴蘭畑に来るとなんだか、あったかい場所にいる気になるんだ。
毒のせいじゃないと思うけど、なんかあるんだろう。
「だから今日もお仕事が休みなの?」
「そうさ。寒いから閻魔様も働きたくないんだ、きっと」
嬢ちゃんは、ふふふ、と笑った。
さすがにあたいがサボっていることはわかってきたみたいだ。
こうやって嬢ちゃんと隣り合って座っていると、この嬢ちゃんはやっぱり子供だと思うね。
喜怒哀楽の表現がわかりやすい。
この前もちょっと背が小さいことをからかったら、頬を膨らませて怒ってた。
「いくら寒いからって、五日に二日休んだりする?」
「それはさすがにないね」
いい加減、サボりだと認めようか。
「閻魔様はねえ、まじめな性格だから、結構頑張っちゃうんだね。
まあ、それはいいんだけど、困るのは部下のあたいなんだよ。
上司に振り回される部下っていうのも楽じゃないもんさ」
「お姉ちゃんがマイペースすぎるんじゃない?」
「嬢ちゃん、あたいもやるときはやるよ」
「いつもやってくれてると、閻魔様も助かると思うわ」
「いいのさ。閻魔様もあんまりたくさんの魂が来ると困るからな」
「そうやって言い訳するー」
嬢ちゃんは軽く私の腕を叩いた。
うわあ、と大げさに言って、仰向けに倒れこむ。
空が見える。
ふいに嬢ちゃんが呟いた。
「お姉ちゃん、嬉しそうね」
「そりゃそうさ。こういう時間だって大切なんだ」
「ううん、そうじゃなくて」
嬢ちゃんの顔が見えない。
それでも起き上がる気にはならないね、不思議と。
「いつも、閻魔様の愚痴をこぼしてるけど、その時のお姉ちゃんの顔、笑ってるよ」
「そうかい、そりゃ全然気づかなかったな」
そんな嬉しそうにしてたっけな、あたい。
「お姉ちゃん、その閻魔様が好きなのよ、きっと」
「そう見えるかい?」
「うん、絶対そう思う」
やれやれ、嬢ちゃんに見抜かれるようじゃあ、あたいもまだまだだね。
「そうさ。あたいの上司の閻魔様はね、最高の閻魔様だとあたいは思ってる。
他の人がなんと言おうとね」
「そうなんだ」
嬢ちゃんがあたいの顔を覗き込む。あたいの目と合う。
嬢ちゃん、あたいは嘘なんかついちゃいない。
確かに四季様は真面目すぎると思う。
だけど、そこがあたいは大好きなんだ。
嬢ちゃんはあたいの顔を覗き込むのをやめた。
「閻魔様が、好きなのね」
何となく、違和感を覚える独り言だな。
「私、雪の日にここに捨てられたのよ」
初めて聞く話だ。
「私を作った人が、ここに捨てて、それでいなくなったの。
すごく昔の話だって、スーさんたちが言ってた」
ふうん、なんだかありそうで、ありそうな話だね。
ちょっと、雪の中に捨てられた一体の人形を想像してみる。
すごく、悲しい絵が浮かんできて、急いでそれを打ち消した。
何考えてるんだ。嬢ちゃんは今、こうして楽しく暮らしてるじゃないか。
むう、と、頭を振ってみる。
「どうしたのお姉ちゃん」
「ん、なんでもないさ」
仰向けに寝てるから、嬢ちゃんの後姿は見えても顔は見えない。
見えなくてもいいか。
ふう、と息を吐いてみる。真っ白に染まって、流れていった。
これを訊くべきかどうか、迷う。
でも、いつかは訊かなきゃいけないんじゃないか、とも思う。
それが今でも先でも、あんまり変わらないんじゃないかな。
だったら、今訊いてしまってもいいね。
決めた。
「嬢ちゃん」
嬢ちゃんは振り向かない。
そっちのほうがやりやすいか。
「あんたを作った人に会いたいかい?」
少し間があいた。鈴蘭の花の匂いが鼻をつく。
それからちょっとして、嬢ちゃんは答えた。
「・・・わからないや」
そう言って、嬢ちゃんは振り返る。
いつもの可愛い笑顔じゃなくて、ちょっと寂しい微笑み、だと思う。
あたいはそれ以上訊くことができなくなった。
その代わり、嬢ちゃんの顔に背を向けてごろんと寝がえりをうった。
とうとう幻想郷にも雪が降り始めた。
寒いのは嫌だけど、雪は好きだ。
なんていうのかね、こう、ゆっくりと優しく降りてきて、柔らかく積もっていく。
それを見てるだけで、体は冷たいけど、心は温かくなるじゃないか。
あたいの船に乗る魂たちと雪の話はよくするんだ。
今年初めての雪の日は、一日中仕事だった。
なんだかんだ言って、あたい、結構やるんだよ、死神なんだから。
だけど、疲れた。明日は鈴蘭畑へ行こう。
今日も雪が降っている。
ううん、雪が降るのはいいんだけど、この寒さは何とかできないかね。
まあ、寒くなきゃ雪は降らないからな。
林の木の葉っぱも完全に落ちてしまった。なんだか、寂しい光景だな。
やっぱり、鈴蘭畑のほうも雪が積もってるみたいだね。
鈴蘭は多年草みたいだけど、さすがに毒が少し薄くなってる。
鈴蘭がほとんど見えなくて、あたり一面雪だらけ。
白銀の世界ってこういうことを言うんだな。
あたいは鈴蘭畑に足を踏み入れようとして、遠くに見える影に気がついた。
嬢ちゃん、だよな?
駆け寄ろうと思ったその時、信じられないものを聞いた。
赤ん坊の泣き声。
違う。赤ん坊の泣き声なんかじゃない。
嬢ちゃんが泣いてるんだ。
少しだけ、近くに行ってみると、
雪が降る中で譲ちゃんが一人佇んで、泣き声をあげていた。
ずっと、ずっと。
あたいはそれ以上近寄れない。
近づいちゃいけない気がするんだ。
あたいと嬢ちゃんの距離はすごく、遠く感じる。
あたいは距離を操れるのにな。おかしな話だね。
情けない。
そこで泣いてる嬢ちゃんがいて、ただ見ているあたいがいる。
だけど、あたいには何もできないんだろうな。
あたいは嬢ちゃんに気付かれないように、そっと鈴蘭畑を離れた。
早く雪が止めばいいんだ。初めてそう思ったな。
やっぱり四季様にはサボっているのがばれた。
早く戻りすぎたみたいだな。
今、四季様の大好きなお説教をありがたく聞いているところさ。
「大体、あなたは休みすぎです。
あなたらしく、とは言いましたけれど、それでも五日中二日は多すぎます。
もうちょっと真面目にやってほしいものです。
魂を長い時間待たせるのは、失礼というものでしょう」
ううん、長い。
聞いているうちにこっくりこっくりしていたら、あの棒で叩かれた。
「きゃん!」
「ちゃんと話を聞いていなさい。全く、小町は優秀な死神なのに、もったいない」
「すみませんー」
四季様は諦めたらしい。
「もういいわ、早く仕事に戻りなさい。サボった分まできっちりと働くのよ」
「へいへいー」
四季様は自分の仕事に戻っていった。
自分の仕事を中断してまであたいにお説教するのが、いかにも四季様らしいね。
あたいも適当な返事をしているけど、まあ、やってやろうじゃないの。
雪は止まない。魂を舟に乗せていく。これがあたいの仕事。
だけど、どうしてだろうな。今日は鎌が重く感じられる。
いつも持っているのにね。あたいも、もう歳かな?それに、三途の川も広くなったかな?
なんて余計なことを考えている場合じゃない。
あたいは舟を漕ぎだした。
今日の仕事は終わり。あたいも結構頑張ったね。
冬だから日が暮れるのも早い。もう夜だ。
現世側に魂がいないことを確認して、四季様のところに戻る。
四季様も、三途の川の岸で嬉しそうな顔であたいを迎えてくれた。
その笑顔は反則ですよ、四季様。
「今日もよく頑張ってくれましたね、小町」
「まあ、お説教の効果ですかねー」
「それが毎日続けばいいのだけど」
また小言ですか。
舟から降りて、四季様と一緒に戻る。
歩いていたら、四季様の帽子に雪の粒が降りてきた。
結局、今日は一日中雪が止むことはなかったな。
それで思い出した。
「四季様、頑張った代わりに一つ、訊いてもいいですか?」
「・・・?ええ、いいわ」
四季様は不思議そうな顔であたいを見る。
頑張った代わり、と言ったのはちゃんと理由があるんだ。
雪の中で一人、泣き続ける嬢ちゃんの姿が目に浮かぶ。
「自分がどうして生を受けたか、わからないまま死んだ人がいたとしたら、
四季様はどういう判断をします?」
「それは、私の仕事として、ということ?」
「そうです」
答えを聞くのが少し、怖い。
「・・・もちろん、黒です」
四季様はもうあたいの顔を見ていなかった。
やっぱりそうなんだな。
だけど。
この時だけは、四季様の能力の高さを少し、恨んだ。
また今日も雪が降っている。今日は真面目に仕事をやろうか。
あたいは雪が降らない日に嬢ちゃんのところに行った。
幻想郷では雪が降らない日のほうが少ない。
そうだな、五日中三日は雪が降る。
初めて雪が降ってから、もう大体1ヶ月くらい経つかな。
今日は少し曇っているけど、雪が降るほどじゃないかね。
嬢ちゃんのところに行こうか。
鈴蘭畑に足を踏み入れる。雪が解けないで残っている。
最近、温かいけど、ずっとここにいちゃいけない、そんな気もする。
それは毒のせいだけじゃない、きっと。
嬢ちゃんはいつものように畑の少し外れのほうに座っていた。
あたいが来るときは、いっつも嬉しそうに笑っているんだ。
そう言えば、嬢ちゃんの服も、全然変わっていない。
「もう一月ね」
「そうだな、本格的な冬ってやつだ」
「でも、あとふた月我慢すれば春よ」
「そうだな、春が早くやってくれば暖かくて、あたいも助かるんだけどね」
「外の春ってどんな感じなのかしら?」
「うん?嬢ちゃん、外に行ったことがないのかい?」
「あまりないわ。私、ほとんどこの鈴蘭畑にいるから」
わかるような気がするね。いや、同情じゃない。
「そうだな、外の春はきれいだね。
桜が咲き乱れて、暖かい風が吹いて、桜が散って。
それで夏草が生え始めて、段々と暑い夏になっていくんだ」
何度も見た光景だから、嫌でも思い出せる。
「嬢ちゃん、外に行きたいと思うかい?」
「ちょっとはね」
ううん、曖昧な答えだな。
「なんか夢でもあるのかい?」
そう訊くと、嬢ちゃんは恥ずかしそうに、ふふ、と笑った。
手を口に当てる仕草も、子供っぽくてお嬢ちゃんっぽいな。
「私、ほら、人形でしょ?」
ああ、そうだった。嬢ちゃんは人形なんだっけ。
頭をかく。
「でも、私は捨てられた。
もう、そんな悲しい人形がないようにね、人形解放することが夢、かしら」
どうしようもない、な。
その時、あたいはそう感じた。
どうしようもなく、嬢ちゃんとあたいの距離は遠い。
そういう気がする、じゃない。遠い。
だからあの雪の日、嬢ちゃんに話しかけられなかったんだ。
「ほら、舟に乗りな。
ん?お金がそんなに無いって?
いいって。どうせあたいは今日、これで終わりなんだ。
運が良かったじゃないか、ちゃんと向こうまで連れてくよ。
あんた、昔は何してたんだい?
へえ、雑貨屋か。それも自分で作ってたのかい。
器用な人なんだな、羨ましいよ。
ん、どうしたんだい、黙っちゃって。
いいって、あたいが聞くよ、遠慮しなくていいって。
ふうん、後悔していることがあるのか。
女の子の人形を作ってたんだ。本当に器用だねえ。
捨てたのかい。
鈴蘭畑に。
雪の日・・・?
え、ううん、いや、なんでもない。あたいは大丈夫さ。
そうか、それは赤ん坊の代わりだったんだね。
それから、本当の赤ん坊が生まれたのかい?
うん、それは良かった。本当に良かったなあ。
でも、その赤ん坊が人形を嫌がったのか。
だから、捨てるしかなかったのかい。
そりゃ・・・仕方ないね・・・」
もう三月だ。今日は雪が降ってないけど、空は曇っている。まだまだ寒い。
「小町、今日は休みよ」
「そうでしたっけ」
舟を漕ぎだそうとするあたいに四季様があわてて駆け寄ってきた。
そうか、今日は休みだっけな。
あたいは舟を岸につけてから降りた。
四季様がいつもより小さく見えるね。
「こんなに寒くなかったら、あなたとどこかに出かけられたのに」
「はは、そうですね。春になったらピクニックでも行きましょうか」
「そうね、暖かくなったら一緒に行こうかしら」
ううん、仕事の時じゃない四季様は可愛いね。
「そうですね。じゃ、今日はあたい、ゆっくり寝るとします」
「わかったわ。じゃあ、また明日」
四季様は手を振りながら帰っていく。
あたいも、四季様の姿が見えなくなるまで手を振る。
すみません、四季様。あたい、今日はゆっくり寝ないんです。
鈴蘭畑に向かう。
少しずつ、枯れた木に緑色の小さなふくらみが見える。
そのうち、葉っぱが生えてくるんだろう。
こうして木だって、生まれているのに、な。
ふう、なんでこんなに感傷的なんだろう。
ちらほらと雪が降ってきた。だけど、今更帰れない。
なんだか、お天道様が今日は意地悪だね。
鈴蘭畑に雪は積もっていなかった。
向こうに影が見える。あたいは腰をおろした。
ここで座ったら嬢ちゃんからも見えないだろうな。
あたいも嬢ちゃんに背を向けている。
泣き声が聞こえてきた。
嬢ちゃんの泣き声だ。あの日と同じで。
たった一人の泣き声。
傷つきやすい、赤ん坊の泣き声だ。
本当は、最初から知っていたんだ。
あたいと嬢ちゃんが出会った日から、ずっと知っていた。
嬢ちゃんの寿命が見えないから。
人間でも妖怪でも、あたいにはその寿命が見えるんだ。
嬢ちゃん。
もともと、嬢ちゃんは生まれるはずのなかった子供なんだ。
でも、あんたは自分のことを人形だと思ってる。
違う。
嬢ちゃんは赤ん坊さ。
雪の粒があたいの目の前を通り過ぎていった。
あたいは、それを掌で受け止める。
知ってるかい?
小さな、白い粒。
あたいも、嬢ちゃんも、この小さい粒なんだ。
ゆっくりと、雪が溶けていく。
溶けて、どこかへ消えてしまった。
ずっと、いままで、嬢ちゃんは雪が降る日、一人で泣いていたんだろうな。
そして、これからも、一人で泣くんだろうな。
あたいはただ、ここで聞くだけさ。
それは音無き雪の日。
儚い雪の粒を掴むは白い手。
後々になるとちょっと悲しくなるような話でしたね。
良い話だったと思います。
誤字?の報告
>譲ちゃん
と、ありますが……正確には嬢ちゃんではないのでしょうか?
はい、嬢ちゃんでした。ほぼすべて間違ってました。
申し訳ありません。
自分でも書こうと思ってたんですが、どうにもイメージが湧かなくて・・・
でも、これはかなりしっくりきました
考えてみると、メディはなんだかかなり物悲しいイメージを持ってますね