八雲紫の抱く幻想。
気が付くと、辺りはもうすでに薄暗く、太陽は山の端に沈もうとしている。
八雲紫は、この昼と夜との境目、世界全体の存在すら曖昧に感じるこの時間が大好きだった。
紅魔館のそばの湖から見える夕日は、それはそれは幻想的で。
この湖上での読書は紫の日課になりつつあった。
一面が夕暮れ色に染まる中にページを捲る微かな音が規則的に響く。
そして、その色がだんだんと深みを増し、闇へと近き始める頃に。
(……そろそろかしら)
紫は読んでいる本を閉じ、スキマへと放り込んだ。
湖のほとりから、何者がこちらへ上昇してくるのが見えたからだ。
「こらーっ、わたしの湖で遊ぶなっ!」
やってきたのは湖の妖精『チルノ』。
冷気を操る程度の能力を有し、妖精の癖にスペルカードを使える。
が、頭がちょっと足りない可哀想な子。
「別に遊んでたわけじゃないわよ」
「そう……ならわたしと遊ばないっ?」
二人で遊ぶのは良いらしい。
「私は暇じゃないのよ……ミスティアやリグルと遊んでいなさいな」
「あの二人は今日は忙しいんだってー。ねぇ、わたしと遊ばないなんて損よ? 」
それは果たして誰の基準での話なのだ。
「貴方の価値観で勝手に物事を判断するのはあまり関心しないわよ。……今日は誰も湖に来なかったのかしら?」
「なにか紅魔館に渡すものがあるって河童のにとりが来たけど、わたしが遊ぼうっていったのに⑨を食べるから又今度、だってさ」
「……それは多分もろきゅうよ」
「そうとも言うかもしれないけど、まぁさいきょーのわたしには関係ないことね!」
一般教養くらいは例え最強であったとしても身に付けて欲しいものだ。
もう何度目かになるツッコミを心の中でチルノに放つ。
「私もこれから食事なの。悪いけど先に帰るわ」
「仏の顔も三度、二度目は無いわよ! わたしと弾幕ごっこで遊ぶことね!」
「仕方がないわねぇ……」
ことわざの使い方についても指摘しない方が良いだろう。
指摘しても「関係ないことね!」と一蹴されているのが眼に見えている。
毎日のように繰り返される言葉の応酬。
それは二人にとって、かけがえのない時間。
紫はため息をつくと、ゆっくりと傘の先をチルノに向ける。
ただ、その口元には隠しきれぬ微笑み。楽しいからだ。
対するチルノの手には数枚のスペルカード。そして花のような笑顔。
「準備はいい?」
「わたしはいつでもOKよ!」
チルノは腰に手を当てて、胸を張る。
紫の口元には笑みが残るが、その眼光はどこまでも鋭い。
(今日は、二……いや三割で行きましょうか)
「それにしても博麗大境界の管理者たる私に毎日のように挑むなんていい度胸ね……馬鹿と勇者は紙一重といったところかしら」
「馬鹿っていうなあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
チルノが雄たけびを上げながら紫に突っ込み、二人だけの戦闘が幕を上げる。
放たれた弾幕が宙を駆ける。さながら、それは一枚の美麗な絵画のようで。
向かいくる弾に身を捧げ、二人は夕闇と共に舞い、踊る――。
◇ ◇ ◇
(素敵な時間よね)
無数の弾を境界を操り、結界を張り、傘で弾き飛ばしながら防ぎつつ、紫は考えていた。
多くの妖怪が、紫を畏怖し、その姿を見ただけで屈服する。
まして戦おうなどと考えるものは、ほんの一握りである。
その一握りは皆強い妖怪で、その妖怪達さえ、紫に戦いを挑むときの目は揺らいでいる。
心のどこかで勝てないと悟り、心のどこかで諦めているのだ。
それもそのはず。紫がその気になれば万物の存在は非常に曖昧――いや、胡散臭いものとなってしまうのだから。
確かに、以前までの紫は他者にとって、自分がそういう存在でありたいと望んでいた。いや、望まざるをえなかった。
幻想郷――妖怪達と人間が織りなす『楽園』を作るためには、自分が『槍』になる必要があった。
外の世界でで消えつつあった妖怪達。だが彼らには「誇り」があった。
今までこの世界で生きてきたという誇り。
人間に畏怖されていたという誇り。
崇められていたという誇り。
共に歩み、助け合い、生きてきたという誇り。
それは存在すら否定された彼らに、最後に残る、生きるための糧だった。
そして、彼らを幻想郷へと招き、楽園を完成させるための最後の壁だ。
だから、紫は戦った。
説き伏せ、叩きのめし、屈服させた。それが、彼らの幸せに繋がるのだと信じて。
そして、博麗大結界を張った。
だが、現実はそんなに甘くなかった。
幻想郷に入った妖怪達は荒れ、人里を襲うようになった。
無理もない。彼らは理不尽にも故郷を失ったのだ。
困惑した人々は紫を頼り、紫は再度彼らと戦い、そして勝利した。
そうして、幻想郷はようやく今の平穏を手に入れたのである。
紫は駆け続けた。理想に向かって、ただひたすらに。
そしてそれを実現し、立ち止まって気づいた。
寂しい、と。自分はいつも一人だったのだ、と。
全身から放っていた針のような殺気を解き、口調も穏やかなものに変えた。
人里を多く訪れ、妖怪とも出来るだけ多く接するようにした。
困っている人や妖怪がいればさりげなく手助けしたし、人間を襲おうとしている妖怪、妖怪を退治しようとしれいる人間を説き伏せたりもした。
だが、彼らの多くは紫を認めなかった。
そしてこう評した――『胡散臭い』、『何を企んでいるか分からない』と。
だが、友人は少ないながらも出来た。
鬼の伊吹萃香、冥界の亡霊姫、西行寺幽々子。
だが、その彼女達に己の全てをさらけ出すことは出来なかった。
彼女達もまた、紫に全てを預けようとはしなかった。
つまりは、そういう関係だったのだ。
式も打った。
九尾の狐、八雲藍。
『八雲』の名も与えた。
紫は彼女を愛し、藍は自分を敬愛してくれた。
彼女は全てを自らに預けてくれた。だが、紫には出来ない。
最愛の式として扱うことしかできない。
つまりは、主人と、式の関係だったのだ。
けれど、紫の心は安らいだ。
少なくとも、もう一人っきりではないのだ。
友人も、家族もいるのだ。これ以上何を求める必要があろう。
だが、同時に心の何処かで強く願っているのだ。
『誰か、私の全てを受け入れて―――』
分かっていた。
境界を操る最強の妖怪たる私を恐れないものなどない、と。
私を異質だとみなさないものなどない、と。
私を尊敬しないものなどない、と。
それゆえ、皆、紫とは一定の距離をおかざるえないのだ、と。
そして、紫はチルノに出会った――。
◇ ◇ ◇
湖で、綺麗な夕日を見つけた。
そこに、彼女がやって来た。
「その夕日はわたしのものよ!」彼女は言った。
紫は諭した。夕日は誰の物でもないのだ、と。
そして、まだ紫の事を知らず、怯えず、敬わないこの妖精に確かな喜びを感じた。
「でも、ここから見える夕日は一味違うのよ! わたしだけの秘密の夕日よ」彼女は胸を張った。
その笑顔は吸い込まれそうなほど美しく。
紫は自分もここの夕日が好きだ、と述べた。
「じゃあ、見ていいわ! ――ただし」彼女は続けた。
「わたしと夕日と一緒に遊ぶことね!」
紫は分かった。それが弾幕ごっこを意味することを。
そして、寂しく、悲しくなった。
この勝負が終わった後、彼女――チルノが、二度と自分を今と同じ目で見てくれないであろうことに。
紫は『最強』であることを課されたの妖怪である。
弾幕ごっこを断ることなどできない。まして負けることなどできるはずがない。
それをすれば、幻想郷の秩序は乱れる。
多くの者が暴れ、多くの者が傷つく。
だから、戦った。そして、勝利した。
打ちのめした。圧倒的なこの――この、時に忌まわしいとすら思える力で。
達成感などない。あるのはただ虚しさのみ。
敗れた彼女の表情を見るのを恐れて――その瞳に映るであろう畏怖の念を恐れて、紫はマヨヒガへと逃げ帰った。そこに確かにある、式の愛情を求めて。
だが、次の日。
紫の足は自らの意に反し、湖へと向かっていた。
最高の夕日を眺めるために。
そして、それとは別の何かを心の奥で期待して。
そして、
そこで。
紫は不覚にも、涙を零しそうになる。
昨日と全く変わらない姿で。
昨日と全く変わらない瞳で。
昨日と全く変わらない笑顔で。
そこに、彼女は立っていた。
胸の奥が震える。
口元がほころぶ。
この子は――チルノは、私を恐れてはいない。私を敬ってなどいない。
私を、私として見ている――!
そして、同時に彼女の思いを悟った。覚悟を悟った。
声に出せない喜びと共に紫は、チルノは、共に叫んだ。
「「さぁ、遊びましょう――!」」
◇ ◇ ◇
多くの妖怪は、紫には勝てないと信じ込んでいる。
けれど、チルノは違う。
己の勝利を疑わず、ただ真っ向から愚直にも突っ込んでくる。
紫に対し、恐れはない。怯えもない。達観もない。
自らの全てを預けられる相手として認めてくれているのだ。
それは幻想郷の管理者としての「八雲紫」ではない。
恐れ、敬われる「八雲紫」ではない。
ただ、そこに或る「八雲紫」を。
それを口に出しはしない。表情にも、仕草にも出しはしない。
だが、紫には分かる。彼女は――チルノは、自分の弾幕でそれを示すのだ。
彼女なりの悩み、喜び、悲しみ、怒り、その全てを紫にぶつけるのだ。
そのことは紫にとってこの上なく嬉しいことで。
そして、同時に期待してしまうのだ。
いつか―― いつの日か、彼女なら、全てをさらけ出した紫を受け止めてくれるのではないか、と。
それは淡い、儚い幻想。
おそらく叶うはずもない、途方もない幻想。
けれど、それでいいのだ。
自分がそんな幻想を抱けること自体を、紫はとても素敵で幸せなことだと思えたのだから。
◇ ◇ ◇
チルノは考えていた。
紫は強い。おそらく、幻想郷の中で誰よりも。
そして、確信していた。
紫は自分の全てを込めた弾幕を平然と受け止め、そして超越してくれると。
そして、優しく抱きしめてくれるのだと。
決して敗北を悟っているわけではない。漠然と感じているのだ。
初めて紫と出会った日。
チルノは完敗した。
そして思い知った。八雲紫――彼女こそ真の「最強」であるのだと。
そのあまりに莫大な力に圧倒され、恐れた。
しかし、それと同時に気がついた。
紫が戦いながら、心で泣いているということに。
理由は分からなかった。
だから考えた。
自分は賢くない。
よく一緒に遊ぶミスティアやリグルにも、馬鹿馬鹿からかわれる。
考えいている内に、だんだん頭が割れるように痛み出す。
普段あまり深く考えることなど、今までなかったからだ。
でも、思考を放棄することなど、出来なかった。
自分と戦っている時の紫の顔が、あまりに――あまりにも、哀しそうだったから。
そして、突如気づいた。
紫は、自分の力のせいで他人が離れていくのが哀しいのだ、と。
境界を操る能力。それはあまりに桁外れで規格外な力。
けれど、決して紫自身は規格外などではない。
感情のある、ごくごく普通の妖怪なのだ。
会う全ての人間や妖怪に畏怖され。
会う全ての人間や妖怪に忌み嫌われ。
会う全ての人間や妖怪に敬われ。
そして、距離を取られる。
それは、どんなに苦しく、切ないことなのだろう。
気づくと、チルノの心の中の紫に対する恐怖心は消え去っていた。
だから、次の日も紫の前に立った。
恐れも、敬いもせず、前に立った。
紫は驚きながらも、自らの全てを受け止めてくれた。
それはとても悔しく――とても心地よかった。
そして、何度かの戦闘を経て。
チルノは初めて紫の心の声を聞いた。
それは、切実な願い。そして、限りなく実現不可能に近い願い。
『誰か、私の全てを受け入れて―――』
だから、チルノは自分に言い聞かせる。
自分は、自分こそは最強なのだ、と。
最強なのだから、紫を超えられるはずなのだと。
そして心の奥から願い、誓い、信じるのだ。
いつか――、いつか自分は紫の全てを受け入れる、受け入れられる、と。
チルノは思う。
だから、いつかくるその日まで。
紫への「ありがとう」はもう少しだけとっておこう、と。
◇ ◇ ◇
Spell Break――!
紫はチルノの弾幕全てを優雅に乗り越え。
手足をだらしなく下げ、氷精は湖へと落ちていく。
けれど、疲れ果て、傷ついたたチルノの顔に浮かぶのは――笑み。
そして、その身がスキマより伸ばされた腕に抱き留められる。
(強くなったわね、チルノ。)
それが誰のための変化なのかは、紫自身が一番理解していた。
だから、胸の中のチルノを強く抱きしめて、囁いた。
「ありがとう、チルノ」――と。
昇りはじめた紅い月が、二人で一つの影を優しく湖へと照らし出していた。
了.
なるほど、確かに彼女も一妖怪ですからねこういう気持ちもあると考えられますね
めずらしい組み合わせでしたが、これもありだなぁと納得しました。
それにしてもこのチルノ賢いでアル
最強クラスかもしれないけれど、場合によってはその「最強」というのも揺らぐかと。
そんな彼女にも感情があり、こういう想いもあるんでしょうね……。
彼女の思いはいずれ成就するのでしょうか?
ともあれ、チルノと紫様のお話、面白かったです。
そしてすばらしいゆかチルノ!
紫とはチルノという珍しい組み合わせですがこういうのもアリだと思いました
最強の妖怪の苦悩と最強の妖精の思いやりが
何とも言えない良い雰囲気を醸し出していました
誤字だと思いますが
>だから、次の日も紫のの前に立った。
「の」が重複しとりますよ
胡散臭い妖怪と馬鹿な妖怪、並べてみると対極的なんだなぁ
次回作も期待しております。というか初投稿なのにこれってすごいですね……
トップにいるものの苦悩や葛藤が良く表現されていると思いました。
それはそうと、儚月抄で月や月人には敵わない旨の表現がありませんでしたっけ・・・。
ただ、チルノの独白部分が個人的には無くてよかったかなと、もっといえばそこは読み手に任せてほしかった。
チルノの独白部分で急に嘘っぽくというか、納得できなくなってしまったのが残念です。
チルノの優しさ、紫の優しさが伝わってくる。
次作に期待。
上手い、と実感させてくれる小説。
確かに、紫はかなり万能的に描かれることが多いですからねぇ。
勉強になりました。
感想の所にありました「妖精」≠「妖怪」の使い分けについて。
「妖怪」という大きな括りの中に「妖精」というものがいる、という意味で使っております。
求聞史紀の中の「妖怪図鑑」の中に「妖精」という項目がありましたので…大丈夫でしょうか。
文章的な誤りということでしたらご連絡ください。
こういう話を書きたいが為に紫とチルノを”作っている”なと感じてしまう。
人間からみれば「似たような物」でしかないですから。
でも⑨はここまで深く考えて無いような気もするけどw
本当に目からウロコの意見ばかりです。
感想が入っていると飛び跳ねたくなります。(←事実です
チルノの独白は抜いたほうが・・・という意見が多いようです。
2ch等を眺めてみても、同様の意見が多いですね。
確かに、そこは個人的にとても迷ったところで。
でもちょっとだけチルノのカッコよさというか、考えている所とか書きたくて・・・。
言われて見ればないほうが・・・。紫:チルノの視点比率もおかしいですしね。
あとは、八雲紫『最強』についての指摘でしょうか。
すみません。紫贔屓なもので m(_ _)m
客観的に見ると、やはりくどかったり、浅慮だったかなと思う文章ばかりです。
「クセ」のある小説として読んでいただければ幸いです。
次の作品ではもっと精進したいと思います。
感想、指摘など、どしどしお待ちしております。
文章力向上、やる気向上にご協力いただければ幸いです。
それでは、これからもよろしくお願いいたします。 m(_ _)m
哀しくも温かいストーリーと特有の文章表現が好きです。
これからも頑張ってください!
詩的な文章が若干目につきすぎましたが、全体的に綺麗に纏まっています。
良い小説ではないかと。
もっと評価されるべき・・・?
確かに、後半のチルノ視点は余分かも。
61集の最後に読めてよかった。
次作も期待しております。
こっちもいい話でした。
こっちも、なかなか面白かったです。
紫は最強ではないと思うのですが・・・?
文体も読みやすいし、いいんじゃないかな。
あまりそういうの取り扱ったssってない(?)。
馬鹿=チルノ 強者=紫 的なアンバランスさが面白かった。
これからも紫の救いであってほしいものです。
これはいい幻想郷w
どうしてチルノだったのか。霊夢引いては博麗の巫女以外にこれ以上の適任がいるのだろうか。
チルノを出したい気持ちも分かる。が、博麗を差し置いてまで、その役目をチルノに任す意味が本当にあったのだろうか。創作は自由であるべきですが、なにか、チルノでなければならなかった必然性みたいなものが俺は欲しかった。