※ 咲夜さんが変態です。ピュアなキャラがお好きな方、咲夜さんが好き過ぎる人はご注意下さい。
唐突に紅魔館を訪れた氷精は、やる気に満ちていた。
『ケーキの作り方、教えて!』
手を小さなガッツポーズのようにして、その氷精は叫んだ。
「アポイントメント」
そっと呟くと、氷精は心底不思議そうな顔をした。恐らく、分かってないのだろう。少し溜め息が出た。
「約束は誰かにとったの?」
排除を想定し、軽くナイフを構える。
しかし、氷精は軽く首をかしげて問い返した。
『吸血鬼にはとったよ?』
その言葉に耳を疑った。
御嬢様がみすみす氷精に、そんな許可を出すだろうか。
氷精が嘘を吐いたのか?いや、じっとこちらを見つめている。嘘を吐いたとも思えない。
御嬢様が、ただただ洋菓子が食べたかっただけとも思えた。
只でさえ我侭な御嬢様だ、その線は捨てきれない。
そうして少し考え、ナイフを下げた私に怒りの声が飛ぶ。
『兎も角、早く教えて頂戴さ。』
おあずけをくわされた犬のように不満そうな顔をしていた。
少し。ほんの少しだけクラっときた。
長きに渡る吸血鬼の給仕の中で、身につけたことが多くある。
一つは主の意図を汲み取る事。ツーと言えばカーで無ければならない。
一つはお茶目を加える事。毒茶はお茶目の一つだ。
もう一つは感情を顔に出さない事。
メイド秘技とも言えるその感情を出さない事で、かろうじて出血は免れた。
結果として鉄分の低下、服などにつく血液の処理、相手に与える真理的圧迫などを免れる事が出来たのだ。
心理的影響は兎も角、処理と鉄分の低下は結構骨が折れる。
免れる事が出来るに越したことはない。
とはいえ、この動揺を察されてはならない。そう思いごく自然に会話をする。
「どうして作りたいのかしら。」
嘘らしい笑顔を作って問いかける。無表情よりはマシだろう。
眉を吊り上げ、やる気に満ちていた氷精が見る見る顔を赤くする。
『ええっとさ…友達の誕生日が近いんだ。』
徐々に顔をうつむかせて、指をもじもじとさせている。
『それでさ、プレゼントは何がいいかな…って。』
言い終わり、顔を上げて此方を見た氷精は、もう表現する事が憚られるほどだった。
そうして、メイド秘技がいとも容易く破られる事になった。
紅魔館が一層紅く染まる。
氷精が少し引いている様子が薄れ行く景色の中でわずかに見えた。
尤も、気を失うまでにはならなかった。これも日頃の奉公の賜物だろう。
床についてしまった膝を軽く払い、妖精メイド達に掃除の指示を出す。
メイドの中から僅かに職権濫用という声が聞こえたが、軽くナイフを投げつけるだけで気にしないことにする。
ふと見ると、いじらしくしていた氷精は一歩、また一歩と後ずさりをしていた。
どうやら逃げるタイミングを計っていたようである。
むしろ、既に逃げていないで好都合だった。
たまに自分の能力は、自分の欲求を満たすためにあるのではないかと疑う事がある。
まさにこの時のような時にだ。
時を止め、優しく胴と引いていた足を持ち、ロッカールームへと急ぐ。
時が流れ始めた時に少し氷精が暴れたが、逃げ出す事は叶わなかった。
料理は清潔かつ安全にという名目で、ロッカールームで無理矢理服を剥ぐ。
そうして、下着を除けば生まれたままの肢体を舐めるように眺める。勿論時を止めて。
そうしないと血がまた飛び散る事となる。
個人的におたのしみか、紅魔館の面目を保とうか。
大量の紙を消費する中で、そんな本能と理性がせめぎあっていた。
しかし、使用済みの紙の処理は怠らない。これが私が瀟洒なメイドと呼ばれる所以かもと思う。
時止めが終わると、そ知らぬ顔で妖精メイド用の給仕服を着せる。
自分でも驚くが、どうやら理性に分があったようだ。
若しかしたら大量出血で頭が冷えたのかもしれない。
氷精は不信そうに此方を見るが、気付かないフリをする。
ロッカールームから出た二人は、一路料理室へと向かう。
手持ち無沙汰なので、ここで作るケーキのことを氷精に教える。
「今回作るのは、誕生日のケーキとして一般的なショートケーキ。
厳密に言うと様々な物がこれに当てはまるけど、苺が上に乗っていて白いクリームで包まれる物を今回は指すことにするわ。
工程としては『スポンジ』と呼ばれる土台の部分と、それを囲う『クリーム』の部分を今回作ることにする。
何か質問は?」
ジェスチャーを用いて出来るだけ分かりやすく伝える。あのメイドを扱うのだ、妖精使いならお手の物だ。
『作り方がわかんない。』
目を丸くして素直に氷精は答えた。嗚呼、可愛いな畜生。
「ええ、知っているわ。最初に言ってたじゃない。」
軽く溜息を吐く様に返す。先程の一軒を払拭して、完全らしさを保とうとするのも楽じゃない。
「作り方は向こうで順を追って説明するわ。」
質問がなくなったのだろうか、氷精は黙り込む。かつ、かつという音だけが廊下を支配していた。
料理室は紅魔館の端にある。
利便性だけ取れば御嬢様の部屋に近い方が望ましいのだが、パチュリー様が強く懇願したことだった。
いくら耐火、防水、退魔、除霊の能力を誇る本といえども本棚や、図書館自体の焼失は避けたいんだそうだ。
その理論なら何もあそこで戦わなければ良いのにとも思ってしまう。
また、御嬢様達に見せては失礼に当たる着替え室も紅魔館の端にあるため、結構な量を歩かなければならない。
それ故結構な時間、2人を静寂が包んだ。
料理室に着くと、氷精に手を洗うよう言いつけて、窓を開けて早速準備を始める。
最近は幻想郷内でも生クリームや小麦粉、砂糖が手に入りやすくなってきた。恐らく氷精がケーキを作りたいと言ったのもこれが原因だろう。
机に並べたのは、上の3つに加え瓶詰めの大きな牛乳、生卵を数個、苺を十数個。それに、少しのバター。
本来ならば香り付けに洋酒を足したいのだが、誕生日にそれは控えるべきだろう。相手がアルコールに弱いならば失礼にもなりかねない。
それに加え、調理に必要となる銀製のボウル。同じく型や泡立て器。パン包丁と果物ナイフを並べ、氷精を呼びに行く。
氷精は料理室の近くの手洗い場で手に大きな泡の山を作って遊んでいた。妹様もたまにそれをやるが面白いのだろうか。
楽しいかどうかは後で試してみようと思った。
その隣に並んで手を軽く洗う。此方を見た氷精はばつが悪そうに手を洗い流していた。
少し感情が揺らぐのを感じる。もうあんな失態はしないと心に誓ったはずなのに。
そうして混乱する中料理室に2人で戻り、早速ケーキ作りを開始した。
そうして、メイドと氷精の洋菓子作りが始まった。
大きな不安をはらみながら。
ケーキの基本はスポンジ作りに有ると言っても過言ではない。
勿論ケーキ自体の大半がスポンジである以上、当たり前と言えば当たり前なのだが、重要な事は変わりない。
何よりスポンジが美味しくないケーキは友人が作ってくれたとはいえ、食べたくないだろう。
美味しいスポンジを作るためには時間が重要である。手早くしなければ美味しくしにくいのは本当だ。
自分の能力は私的な利用の他にもこういったところでも役に立つ。正に時の力様様だ。
時の力の事を考えた途端、頭の隅に氷精の半裸体が浮かんできた。
これは危ない。もしこのスポンジ作り中に鼻血を噴出す事があれば様々な意味で台無しだ。
そんなケーキでも御嬢様達はむしろ喜んで食べるだろうが…。
そんな事を考えながらスポンジ作りの指示を出す。
簡単に工程を纏めると、下記のようになる。ちなみに材料は既に全て計ってあった。
砂糖と卵を混ぜる
↓
小麦粉を少しずつ加えながら混ぜる
↓
型に入れて竈へ
こうして見ると簡単そうに思えるかもしれないが、非常に長くの時間混ぜる事が必須である。
それは1つ目の工程と2つ目の工程を合わせて約半刻くらい。さらにクリーム作りでさらに多くの時間を混ぜる事に費やす事になる。
それ故にかなりの重労働である。この事を知ってか知らずか氷精はケーキ作りをプレゼントに選んだのだ、泣けるじゃないか。
感情の高ぶりに、思わず赤い血潮が呼応しそうになるが我慢する。
さて、氷精は台に置いたボウルで必死に砂糖と卵を混ぜ合わせていた。少し飛び散って顔や服に混合液がついていた。色々と眼福だ。
しかし、むやみやたらに料理室を汚されても困る。氷精の手から泡立て器を借りて、軽くアドバイスをすることにする。
「こうしてボウルを傾けて、細かく混ぜると良いわよ。」
そう言ってかしゃかしゃと混合液を混ぜる。先程までとは違い飛び散らないのに、色が徐々に変わっていっていた。
氷精は大きく頷いて私の手から泡立て器を奪い取り、私の言う通りにしながら再び混ぜ始めた。
先程よりも少ないとはいえ液が飛び散っていたが、気にしない事とする。初めてなのだから、やり方を知って美味しく出来れば構わない。
暫くかき混ぜた後に、ボウルを持って氷精が尋ねてきた。
『ねぇ、これで良いの?』
見ると微かに気泡で白色に染まり出した混合液があった。時計を取り出して時間を見る。まだ5分も経ってない。
嬉々として尋ねる彼女には伝え辛いのだが、真実を言う。
「あと15分くらい混ぜたい所ね。」
単純なのが妖精というが、誰が見ても分かるほどの落胆をしていた。口を閉じ、がっくりと肩を落としうつむいてとぼとぼと台に戻った。
少し悪い事をしたかな、という罪悪感が出てくる。しかし、真実を言ったはずだから大丈夫だと自分を励ます。
そんなやり取りを3度程繰り返した。
私はその間ずっと立って彼女を見ていたのだが、その中で気付いた事が一つあった。彼女は台に足らない身長を背伸びで賄っていたのだ。
この料理室は元々自分にあわせて作られている。妖精メイドも大抵が使えるのだが、彼女自身は妖精の中でもそう背が高くない方なのだ。
仕方ない結果と言えども見慣れない光景に少し違和感を感じる。御嬢様や妹様はどうなのだろうか。
こんな可愛らしい光景なら、お2人方の姿も是非見てみたいものだ。
予告の時間に近付くとじっと懐中時計を読み出した。一秒、一秒と秒針はちっちと音をたてて刻んでいる。
氷精はいつしか私に聞く事をやめ、無我夢中にボウルの中身を混ぜていた。
その必死な背中に声をかける。もう既に氷精の足は震えていた。
「そろそろね。小麦粉を準備するわ。」
それを聞いた氷精は安堵の表情をうかべ、ふぅと溜め息をついて近くの椅子にもたれかかった。
どうやら先程の疑問は後者の方だったようだ。微かに顔を紅潮させていた。
「まだ安堵しては駄目よ。これからは早く混ぜないといけないわ。」
それを聞いた氷精は顔を赤から青に変え、もたれかかった椅子にさらに強くもたれかかるようにして船漕ぎをした。
妖精メイドでもこんな露骨な行動を取るだろうか。若しかしたらこれは妖精の特徴ではなく、彼女の素直さの表れなのかもしれない。
小麦粉をとんとんとふるいにかけていく。こうして細かさを均等に、出来るだけ細かくする事がケーキの口当たりを変えていく。
この工程を怠ると混ぜた時にダマになりやすく、時間を消費しやすい事もある。
あの素直な氷精が出来るだけ成功しやすいように、多めにふるいにかけていく。
3,4回ほどふるいにかけるといつの間にか氷精が横に居て、楽しそうに小麦粉が落ちるのを見ていた。
きらきらという瞳が彼女の性格を現していた。顔をさらに近づけてぱらぱらと落ちる小麦粉を見つめる。
その時開いた窓から唐突に風が吹きこんだ。咄嗟に目を閉じた氷精だが顔に小麦粉がつく。
少し待っているようにと告げ、一端ふるいを置いて布巾を取り、手洗い場へ向かう。
水で濡らした布巾を持って料理室へと戻る。氷精は少しぽかんとしていたが、恐らく何も見ていなかったせいだろう。
胸ポケットに入れていた手鏡で現状を確認させ、目を閉じるように言う。
私は身長差を埋めるように両膝をついて、布巾を彼女の顔に軽く乗せる。ゆっくりと痛くしないように顔を拭いて行く。
途中幾度か微かに氷精が声を漏らす。徐々にいけない事をしているような気がして、顔が紅潮し拭く手が早く動き、もう片方の手で鼻を軽く押さえた。
そうして、顔の粉を落とし終えた。布巾を片付けた私は残っていたふるいにかけた小麦粉に、新しい小麦粉を足してもう数度ふるいにかけた。
氷精は顔こそ近づけなかったが、先程座っていた椅子にもう一度もたれかかり、足を振りながら楽しそうに此方を見ていた。
どうやら結構休めたようだ。妖精は不尽の自然の力の化身だから、疲れを取り除きやすいのかもしれない。
その次の工程のために竈に薪をくべて、台に二人が見えるように懐中時計を置き、万全の体制で次の工程が始まった。
小麦粉を私が頃合を見て加えながら、氷精が混ぜていく。面白そうにしゃかしゃかという音が料理室に響く。
ここから先はスピードが勝負だ。私が時の力を使っても構わないが、それは氷精のためにならないだろう。
まるで永遠亭の兎達が餅をつくように、息を合わせて混ぜていく。
ふと外の竈を見やるとぱちぱちと薪が燃えている姿が目に入った。竈も大丈夫だ。
これならきっとケーキは上手く焼けるだろう。
徐々に混ぜ続ける彼女の混ぜる力は弱くなっていたが、手が止まろうか止まらまいかという直前に10分の経過を時計が知らせた。
ボウルの中も綺麗に混ざっていた。型に軽くバターを塗り、生地を流し込む。
その間に彼女椅子に倒れ掛かり、うつむいていた。もうこの椅子がケーキ作りで彼女の定位置の一つになるかもしれないな、と微笑んだ。
しかし笑っていては時間が危ない。急いで竈へ駆けつけ、型を奥へと押し入れ、減ってきた薪を足した。
竈はもう大丈夫だろう。焼成時間だけを見失わないように、台の懐中時計を回収する。
胸ポケットに懐中時計を入れ、定位置を見ると部屋を出たときと同じ格好をしていた。
まるで燃え尽きたようだ、と笑いそうになる。しかし、見つめているだけではいけない。
焼成時間はおよそ25分程度の予定だ。その後に冷ましはするが、それまでに飾り付けの準備をしたい。
その旨を彼女に伝えると、彼女は飛び上がるようにして台についた。現金なのか元気になったのか、あるいは両方なのか分かりかねる。
この工程では次の2つの事を目標とする。
①
砂糖と生クリームを泡立てる
↓
その内の一部を絞り口をつけた布に入れる(飾り付け用のクリーム)
②
苺の蔕をとる
地味な作業だが、こういったことも怠らない事が美味しいケーキへと昇華させる重要な作業だ。
特にクリーム作りの方は、ケーキを最終的に覆っていく為、手が抜けない。それに蔕の方もちゃんと取らないと、ケーキを楽しめない。
ここで初めて刃物を使う事になるので、②の方を先にしていく事にする。刃物は彼女に持たせると少し不安だ。
なんとなくではあったのだが、その予想は的中していた。
綺麗に洗った苺と、小さな果物ナイフを渡して、手洗い場で苺の蔕を取っていく。
不安なので、1個だけ苺を渡したのだが…、危なっかしい手付きと表現する事が憚られるほど、危ない刃物使いをしていた。
1個の蔕をとるだけのはずなのに、これは手に刺さっても可笑しくない、という場面が幾度と無くあり肝が冷える。
流石に、見かねて忠告を入れる。簡単なナイフの使い方や切り方などを一通り教える。勿論実演付きで。
「こうやって手を傷付けないようにする。わかった?」
ことりとナイフを置いて、彼女に尋ねる。
『うん!』
笑顔で大きく頷いた。返事は大変元気でいいのだが、一度聞いただけで分かるような者は居ない。
満面の笑顔の横で肝を冷やしながら徐々に蔕が取れていくのを見守った。その後、苺の一部を後のある作業のために輪切りにした。
簡単なはずの作業だけで20分近くかかってしまっていた。肝はすっかり冷え切っていた。
随分精神力を消費してしまった気がするが、気を取り直して、クリーム作りに移行する。
クリーム作りは中身が変わった以外は今まで散々していた混ぜる作業だ。もう1人でも大丈夫だろう。
そう思って工程を説明し、材料を入れるのを見届けてから竈の前に移動した。
時間的にそろそろ焼成が完了する。手に小さな竹串を持ちながら時計を見つめる。
そうして、懐中時計が25分を指した瞬間、ぱちんと勢い良く懐中時計を閉めて胸ポケットに入れ、竈から型を取り出した。
スポンジはミルクを入れた珈琲のように淡い茶色に包まれ、芳しい甘い香りを放っている。
念のために竹串を刺したが、生地がつくようなことは無かった。味わわない限りなんとも言えないが、見る限り上手に焼けていた。
スポンジの出来に満足していると、かしゃんという小さな音が料理室から聞こえた。
先程の蔕とりのせいか、嫌な予感がする。スポンジを持って料理室へと入った。
ある意味予想通りと言って良いのだろうか。銀のボウルを落とした音だったのだろう。
台の前にはへたりこんでいる彼女の後姿が見えた。ボウルの方は逆さにはなっていなかったが、辺りに少しクリームが飛んでいた。
ドアの開いた音で気付いたのだろう。此方を恐る恐る、あの半人半妖の寺子屋で叱られるのを待つ生徒のように見た。
その顔にもクリームが飛び散りあたかも…
もう限界です。本当に有難う御座いました。
感情が止め処もなく流れ出ようとしていたが、時止めが間一髪間に合った。
急いで彼女の顔を拭き、飛び散ったクリームを拭き取り、溢れようとしていた鼻を拭き取ってボウルを台の上に置いた。
1人にした事を反省する一方、1人にした事を感謝している自分が居た。
そして時が流れ出す。最初は落としたはずのボウルが元に戻っているのに戸惑っていたが、此方のスポンジを見て諸手を上げて喜んでいた。
クリーム自体は良く混ぜられており、十分な量も残っていた為、搾る準備をしてそのまま次の工程へ進むことにした。
もうケーキ作りはほぼ終えてしまったと言って差し支えないだろう。
ここからは飾り付け。所謂デコレーションだ。
スポンジを横に2つに切り分け、下の方のスポンジの上に、クリームと苺の輪切りを乗せていく。これは味を単調に完結させないための工夫だ。
これがある物とない物とでは、大きな差が現れてしまう上に、なんだかショートケーキらしく見えない。
流石にこのスポンジを切り分ける作業は私がやってしまっていたが。沢山の工程を彼女にやらせたかったが、あの刃物使いを見ては仕方がない。
彼女は楽しそうにクリームと苺を乗せていき、上の方のスポンジをのせた。
薄茶色のスポンジにどんどんクリームの化粧をしていく。本来はそれ専用の道具が有るのだが、ヘラで代用した。
彼女はナイフの時が嘘のように、クリームを綺麗に塗っていく。若しかしたら私より上手いかもしれない。
そうして、裸の白いケーキが出来上がった。終にデコレーションも最終工程に入ることを表していた。
苺を上に散りばめ、彼女は搾り口のついた布を構える。
一つ、一つクリームで小さな山のような飾り付けを、苺と苺の間にしていく。
それが終わると、自分もした事がないような、ケーキの側面への飾り付けを始めた。
綺麗で緩やかな曲線を描いていく。まるでウエディングケーキのような装飾だった。
彼女の顔は真剣そのものであった。尤も、顔に少しクリームがついていたが。
ふぅ、と彼女は小さな溜め息をついた。そこには私が少し手伝ったとはいえ、初めて作ったというべきではないようなケーキが佇んでいた。
彼女は定位置で少し休んだ後、大きな皿ごと右手でケーキを持ち、料理室のドアを蹴飛ばして外に出た。
『ありがと! じゃあ渡しにいくね!』
氷精は笑いながらそう言った。
「もうすぐなんじゃなかったの?」
少しは予想は出来ていたとはいえ、本当にやるとは。少し溜め息が出る。
『だから、今日じゃん。』
悪びれる様子もなく氷精は言いのけた。くすりと笑いがこみ上げてくる。
「確かにもうすぐね。」
もうお手上げだ。御嬢様には悪いが、何か別の物で気を紛らわせて貰おう。
後ろを向いて飛び立とうとした氷精が、踵を返して此方をみる。
『ねぇ。』
彼女の顔はにやりと不敵に歪んでいた。
『ちょっとだけ、顔を拭いてくれたときみたいにしてくれない?』
悪巧みが分かりやすすぎる。しかし、紅魔館のメイドたるもの茶目っ気を持つことは必要だ。
言われたがままにする。
そんな私に彼女はケーキを持ったまま駆けつけ
頬に口付けをした。
その日の紅魔館には不満を訴える主と、恍惚に震えるメイドが居たという。
おしまい。
唐突に紅魔館を訪れた氷精は、やる気に満ちていた。
『ケーキの作り方、教えて!』
手を小さなガッツポーズのようにして、その氷精は叫んだ。
「アポイントメント」
そっと呟くと、氷精は心底不思議そうな顔をした。恐らく、分かってないのだろう。少し溜め息が出た。
「約束は誰かにとったの?」
排除を想定し、軽くナイフを構える。
しかし、氷精は軽く首をかしげて問い返した。
『吸血鬼にはとったよ?』
その言葉に耳を疑った。
御嬢様がみすみす氷精に、そんな許可を出すだろうか。
氷精が嘘を吐いたのか?いや、じっとこちらを見つめている。嘘を吐いたとも思えない。
御嬢様が、ただただ洋菓子が食べたかっただけとも思えた。
只でさえ我侭な御嬢様だ、その線は捨てきれない。
そうして少し考え、ナイフを下げた私に怒りの声が飛ぶ。
『兎も角、早く教えて頂戴さ。』
おあずけをくわされた犬のように不満そうな顔をしていた。
少し。ほんの少しだけクラっときた。
長きに渡る吸血鬼の給仕の中で、身につけたことが多くある。
一つは主の意図を汲み取る事。ツーと言えばカーで無ければならない。
一つはお茶目を加える事。毒茶はお茶目の一つだ。
もう一つは感情を顔に出さない事。
メイド秘技とも言えるその感情を出さない事で、かろうじて出血は免れた。
結果として鉄分の低下、服などにつく血液の処理、相手に与える真理的圧迫などを免れる事が出来たのだ。
心理的影響は兎も角、処理と鉄分の低下は結構骨が折れる。
免れる事が出来るに越したことはない。
とはいえ、この動揺を察されてはならない。そう思いごく自然に会話をする。
「どうして作りたいのかしら。」
嘘らしい笑顔を作って問いかける。無表情よりはマシだろう。
眉を吊り上げ、やる気に満ちていた氷精が見る見る顔を赤くする。
『ええっとさ…友達の誕生日が近いんだ。』
徐々に顔をうつむかせて、指をもじもじとさせている。
『それでさ、プレゼントは何がいいかな…って。』
言い終わり、顔を上げて此方を見た氷精は、もう表現する事が憚られるほどだった。
そうして、メイド秘技がいとも容易く破られる事になった。
紅魔館が一層紅く染まる。
氷精が少し引いている様子が薄れ行く景色の中でわずかに見えた。
尤も、気を失うまでにはならなかった。これも日頃の奉公の賜物だろう。
床についてしまった膝を軽く払い、妖精メイド達に掃除の指示を出す。
メイドの中から僅かに職権濫用という声が聞こえたが、軽くナイフを投げつけるだけで気にしないことにする。
ふと見ると、いじらしくしていた氷精は一歩、また一歩と後ずさりをしていた。
どうやら逃げるタイミングを計っていたようである。
むしろ、既に逃げていないで好都合だった。
たまに自分の能力は、自分の欲求を満たすためにあるのではないかと疑う事がある。
まさにこの時のような時にだ。
時を止め、優しく胴と引いていた足を持ち、ロッカールームへと急ぐ。
時が流れ始めた時に少し氷精が暴れたが、逃げ出す事は叶わなかった。
料理は清潔かつ安全にという名目で、ロッカールームで無理矢理服を剥ぐ。
そうして、下着を除けば生まれたままの肢体を舐めるように眺める。勿論時を止めて。
そうしないと血がまた飛び散る事となる。
個人的におたのしみか、紅魔館の面目を保とうか。
大量の紙を消費する中で、そんな本能と理性がせめぎあっていた。
しかし、使用済みの紙の処理は怠らない。これが私が瀟洒なメイドと呼ばれる所以かもと思う。
時止めが終わると、そ知らぬ顔で妖精メイド用の給仕服を着せる。
自分でも驚くが、どうやら理性に分があったようだ。
若しかしたら大量出血で頭が冷えたのかもしれない。
氷精は不信そうに此方を見るが、気付かないフリをする。
ロッカールームから出た二人は、一路料理室へと向かう。
手持ち無沙汰なので、ここで作るケーキのことを氷精に教える。
「今回作るのは、誕生日のケーキとして一般的なショートケーキ。
厳密に言うと様々な物がこれに当てはまるけど、苺が上に乗っていて白いクリームで包まれる物を今回は指すことにするわ。
工程としては『スポンジ』と呼ばれる土台の部分と、それを囲う『クリーム』の部分を今回作ることにする。
何か質問は?」
ジェスチャーを用いて出来るだけ分かりやすく伝える。あのメイドを扱うのだ、妖精使いならお手の物だ。
『作り方がわかんない。』
目を丸くして素直に氷精は答えた。嗚呼、可愛いな畜生。
「ええ、知っているわ。最初に言ってたじゃない。」
軽く溜息を吐く様に返す。先程の一軒を払拭して、完全らしさを保とうとするのも楽じゃない。
「作り方は向こうで順を追って説明するわ。」
質問がなくなったのだろうか、氷精は黙り込む。かつ、かつという音だけが廊下を支配していた。
料理室は紅魔館の端にある。
利便性だけ取れば御嬢様の部屋に近い方が望ましいのだが、パチュリー様が強く懇願したことだった。
いくら耐火、防水、退魔、除霊の能力を誇る本といえども本棚や、図書館自体の焼失は避けたいんだそうだ。
その理論なら何もあそこで戦わなければ良いのにとも思ってしまう。
また、御嬢様達に見せては失礼に当たる着替え室も紅魔館の端にあるため、結構な量を歩かなければならない。
それ故結構な時間、2人を静寂が包んだ。
料理室に着くと、氷精に手を洗うよう言いつけて、窓を開けて早速準備を始める。
最近は幻想郷内でも生クリームや小麦粉、砂糖が手に入りやすくなってきた。恐らく氷精がケーキを作りたいと言ったのもこれが原因だろう。
机に並べたのは、上の3つに加え瓶詰めの大きな牛乳、生卵を数個、苺を十数個。それに、少しのバター。
本来ならば香り付けに洋酒を足したいのだが、誕生日にそれは控えるべきだろう。相手がアルコールに弱いならば失礼にもなりかねない。
それに加え、調理に必要となる銀製のボウル。同じく型や泡立て器。パン包丁と果物ナイフを並べ、氷精を呼びに行く。
氷精は料理室の近くの手洗い場で手に大きな泡の山を作って遊んでいた。妹様もたまにそれをやるが面白いのだろうか。
楽しいかどうかは後で試してみようと思った。
その隣に並んで手を軽く洗う。此方を見た氷精はばつが悪そうに手を洗い流していた。
少し感情が揺らぐのを感じる。もうあんな失態はしないと心に誓ったはずなのに。
そうして混乱する中料理室に2人で戻り、早速ケーキ作りを開始した。
そうして、メイドと氷精の洋菓子作りが始まった。
大きな不安をはらみながら。
ケーキの基本はスポンジ作りに有ると言っても過言ではない。
勿論ケーキ自体の大半がスポンジである以上、当たり前と言えば当たり前なのだが、重要な事は変わりない。
何よりスポンジが美味しくないケーキは友人が作ってくれたとはいえ、食べたくないだろう。
美味しいスポンジを作るためには時間が重要である。手早くしなければ美味しくしにくいのは本当だ。
自分の能力は私的な利用の他にもこういったところでも役に立つ。正に時の力様様だ。
時の力の事を考えた途端、頭の隅に氷精の半裸体が浮かんできた。
これは危ない。もしこのスポンジ作り中に鼻血を噴出す事があれば様々な意味で台無しだ。
そんなケーキでも御嬢様達はむしろ喜んで食べるだろうが…。
そんな事を考えながらスポンジ作りの指示を出す。
簡単に工程を纏めると、下記のようになる。ちなみに材料は既に全て計ってあった。
砂糖と卵を混ぜる
↓
小麦粉を少しずつ加えながら混ぜる
↓
型に入れて竈へ
こうして見ると簡単そうに思えるかもしれないが、非常に長くの時間混ぜる事が必須である。
それは1つ目の工程と2つ目の工程を合わせて約半刻くらい。さらにクリーム作りでさらに多くの時間を混ぜる事に費やす事になる。
それ故にかなりの重労働である。この事を知ってか知らずか氷精はケーキ作りをプレゼントに選んだのだ、泣けるじゃないか。
感情の高ぶりに、思わず赤い血潮が呼応しそうになるが我慢する。
さて、氷精は台に置いたボウルで必死に砂糖と卵を混ぜ合わせていた。少し飛び散って顔や服に混合液がついていた。色々と眼福だ。
しかし、むやみやたらに料理室を汚されても困る。氷精の手から泡立て器を借りて、軽くアドバイスをすることにする。
「こうしてボウルを傾けて、細かく混ぜると良いわよ。」
そう言ってかしゃかしゃと混合液を混ぜる。先程までとは違い飛び散らないのに、色が徐々に変わっていっていた。
氷精は大きく頷いて私の手から泡立て器を奪い取り、私の言う通りにしながら再び混ぜ始めた。
先程よりも少ないとはいえ液が飛び散っていたが、気にしない事とする。初めてなのだから、やり方を知って美味しく出来れば構わない。
暫くかき混ぜた後に、ボウルを持って氷精が尋ねてきた。
『ねぇ、これで良いの?』
見ると微かに気泡で白色に染まり出した混合液があった。時計を取り出して時間を見る。まだ5分も経ってない。
嬉々として尋ねる彼女には伝え辛いのだが、真実を言う。
「あと15分くらい混ぜたい所ね。」
単純なのが妖精というが、誰が見ても分かるほどの落胆をしていた。口を閉じ、がっくりと肩を落としうつむいてとぼとぼと台に戻った。
少し悪い事をしたかな、という罪悪感が出てくる。しかし、真実を言ったはずだから大丈夫だと自分を励ます。
そんなやり取りを3度程繰り返した。
私はその間ずっと立って彼女を見ていたのだが、その中で気付いた事が一つあった。彼女は台に足らない身長を背伸びで賄っていたのだ。
この料理室は元々自分にあわせて作られている。妖精メイドも大抵が使えるのだが、彼女自身は妖精の中でもそう背が高くない方なのだ。
仕方ない結果と言えども見慣れない光景に少し違和感を感じる。御嬢様や妹様はどうなのだろうか。
こんな可愛らしい光景なら、お2人方の姿も是非見てみたいものだ。
予告の時間に近付くとじっと懐中時計を読み出した。一秒、一秒と秒針はちっちと音をたてて刻んでいる。
氷精はいつしか私に聞く事をやめ、無我夢中にボウルの中身を混ぜていた。
その必死な背中に声をかける。もう既に氷精の足は震えていた。
「そろそろね。小麦粉を準備するわ。」
それを聞いた氷精は安堵の表情をうかべ、ふぅと溜め息をついて近くの椅子にもたれかかった。
どうやら先程の疑問は後者の方だったようだ。微かに顔を紅潮させていた。
「まだ安堵しては駄目よ。これからは早く混ぜないといけないわ。」
それを聞いた氷精は顔を赤から青に変え、もたれかかった椅子にさらに強くもたれかかるようにして船漕ぎをした。
妖精メイドでもこんな露骨な行動を取るだろうか。若しかしたらこれは妖精の特徴ではなく、彼女の素直さの表れなのかもしれない。
小麦粉をとんとんとふるいにかけていく。こうして細かさを均等に、出来るだけ細かくする事がケーキの口当たりを変えていく。
この工程を怠ると混ぜた時にダマになりやすく、時間を消費しやすい事もある。
あの素直な氷精が出来るだけ成功しやすいように、多めにふるいにかけていく。
3,4回ほどふるいにかけるといつの間にか氷精が横に居て、楽しそうに小麦粉が落ちるのを見ていた。
きらきらという瞳が彼女の性格を現していた。顔をさらに近づけてぱらぱらと落ちる小麦粉を見つめる。
その時開いた窓から唐突に風が吹きこんだ。咄嗟に目を閉じた氷精だが顔に小麦粉がつく。
少し待っているようにと告げ、一端ふるいを置いて布巾を取り、手洗い場へ向かう。
水で濡らした布巾を持って料理室へと戻る。氷精は少しぽかんとしていたが、恐らく何も見ていなかったせいだろう。
胸ポケットに入れていた手鏡で現状を確認させ、目を閉じるように言う。
私は身長差を埋めるように両膝をついて、布巾を彼女の顔に軽く乗せる。ゆっくりと痛くしないように顔を拭いて行く。
途中幾度か微かに氷精が声を漏らす。徐々にいけない事をしているような気がして、顔が紅潮し拭く手が早く動き、もう片方の手で鼻を軽く押さえた。
そうして、顔の粉を落とし終えた。布巾を片付けた私は残っていたふるいにかけた小麦粉に、新しい小麦粉を足してもう数度ふるいにかけた。
氷精は顔こそ近づけなかったが、先程座っていた椅子にもう一度もたれかかり、足を振りながら楽しそうに此方を見ていた。
どうやら結構休めたようだ。妖精は不尽の自然の力の化身だから、疲れを取り除きやすいのかもしれない。
その次の工程のために竈に薪をくべて、台に二人が見えるように懐中時計を置き、万全の体制で次の工程が始まった。
小麦粉を私が頃合を見て加えながら、氷精が混ぜていく。面白そうにしゃかしゃかという音が料理室に響く。
ここから先はスピードが勝負だ。私が時の力を使っても構わないが、それは氷精のためにならないだろう。
まるで永遠亭の兎達が餅をつくように、息を合わせて混ぜていく。
ふと外の竈を見やるとぱちぱちと薪が燃えている姿が目に入った。竈も大丈夫だ。
これならきっとケーキは上手く焼けるだろう。
徐々に混ぜ続ける彼女の混ぜる力は弱くなっていたが、手が止まろうか止まらまいかという直前に10分の経過を時計が知らせた。
ボウルの中も綺麗に混ざっていた。型に軽くバターを塗り、生地を流し込む。
その間に彼女椅子に倒れ掛かり、うつむいていた。もうこの椅子がケーキ作りで彼女の定位置の一つになるかもしれないな、と微笑んだ。
しかし笑っていては時間が危ない。急いで竈へ駆けつけ、型を奥へと押し入れ、減ってきた薪を足した。
竈はもう大丈夫だろう。焼成時間だけを見失わないように、台の懐中時計を回収する。
胸ポケットに懐中時計を入れ、定位置を見ると部屋を出たときと同じ格好をしていた。
まるで燃え尽きたようだ、と笑いそうになる。しかし、見つめているだけではいけない。
焼成時間はおよそ25分程度の予定だ。その後に冷ましはするが、それまでに飾り付けの準備をしたい。
その旨を彼女に伝えると、彼女は飛び上がるようにして台についた。現金なのか元気になったのか、あるいは両方なのか分かりかねる。
この工程では次の2つの事を目標とする。
①
砂糖と生クリームを泡立てる
↓
その内の一部を絞り口をつけた布に入れる(飾り付け用のクリーム)
②
苺の蔕をとる
地味な作業だが、こういったことも怠らない事が美味しいケーキへと昇華させる重要な作業だ。
特にクリーム作りの方は、ケーキを最終的に覆っていく為、手が抜けない。それに蔕の方もちゃんと取らないと、ケーキを楽しめない。
ここで初めて刃物を使う事になるので、②の方を先にしていく事にする。刃物は彼女に持たせると少し不安だ。
なんとなくではあったのだが、その予想は的中していた。
綺麗に洗った苺と、小さな果物ナイフを渡して、手洗い場で苺の蔕を取っていく。
不安なので、1個だけ苺を渡したのだが…、危なっかしい手付きと表現する事が憚られるほど、危ない刃物使いをしていた。
1個の蔕をとるだけのはずなのに、これは手に刺さっても可笑しくない、という場面が幾度と無くあり肝が冷える。
流石に、見かねて忠告を入れる。簡単なナイフの使い方や切り方などを一通り教える。勿論実演付きで。
「こうやって手を傷付けないようにする。わかった?」
ことりとナイフを置いて、彼女に尋ねる。
『うん!』
笑顔で大きく頷いた。返事は大変元気でいいのだが、一度聞いただけで分かるような者は居ない。
満面の笑顔の横で肝を冷やしながら徐々に蔕が取れていくのを見守った。その後、苺の一部を後のある作業のために輪切りにした。
簡単なはずの作業だけで20分近くかかってしまっていた。肝はすっかり冷え切っていた。
随分精神力を消費してしまった気がするが、気を取り直して、クリーム作りに移行する。
クリーム作りは中身が変わった以外は今まで散々していた混ぜる作業だ。もう1人でも大丈夫だろう。
そう思って工程を説明し、材料を入れるのを見届けてから竈の前に移動した。
時間的にそろそろ焼成が完了する。手に小さな竹串を持ちながら時計を見つめる。
そうして、懐中時計が25分を指した瞬間、ぱちんと勢い良く懐中時計を閉めて胸ポケットに入れ、竈から型を取り出した。
スポンジはミルクを入れた珈琲のように淡い茶色に包まれ、芳しい甘い香りを放っている。
念のために竹串を刺したが、生地がつくようなことは無かった。味わわない限りなんとも言えないが、見る限り上手に焼けていた。
スポンジの出来に満足していると、かしゃんという小さな音が料理室から聞こえた。
先程の蔕とりのせいか、嫌な予感がする。スポンジを持って料理室へと入った。
ある意味予想通りと言って良いのだろうか。銀のボウルを落とした音だったのだろう。
台の前にはへたりこんでいる彼女の後姿が見えた。ボウルの方は逆さにはなっていなかったが、辺りに少しクリームが飛んでいた。
ドアの開いた音で気付いたのだろう。此方を恐る恐る、あの半人半妖の寺子屋で叱られるのを待つ生徒のように見た。
その顔にもクリームが飛び散りあたかも…
もう限界です。本当に有難う御座いました。
感情が止め処もなく流れ出ようとしていたが、時止めが間一髪間に合った。
急いで彼女の顔を拭き、飛び散ったクリームを拭き取り、溢れようとしていた鼻を拭き取ってボウルを台の上に置いた。
1人にした事を反省する一方、1人にした事を感謝している自分が居た。
そして時が流れ出す。最初は落としたはずのボウルが元に戻っているのに戸惑っていたが、此方のスポンジを見て諸手を上げて喜んでいた。
クリーム自体は良く混ぜられており、十分な量も残っていた為、搾る準備をしてそのまま次の工程へ進むことにした。
もうケーキ作りはほぼ終えてしまったと言って差し支えないだろう。
ここからは飾り付け。所謂デコレーションだ。
スポンジを横に2つに切り分け、下の方のスポンジの上に、クリームと苺の輪切りを乗せていく。これは味を単調に完結させないための工夫だ。
これがある物とない物とでは、大きな差が現れてしまう上に、なんだかショートケーキらしく見えない。
流石にこのスポンジを切り分ける作業は私がやってしまっていたが。沢山の工程を彼女にやらせたかったが、あの刃物使いを見ては仕方がない。
彼女は楽しそうにクリームと苺を乗せていき、上の方のスポンジをのせた。
薄茶色のスポンジにどんどんクリームの化粧をしていく。本来はそれ専用の道具が有るのだが、ヘラで代用した。
彼女はナイフの時が嘘のように、クリームを綺麗に塗っていく。若しかしたら私より上手いかもしれない。
そうして、裸の白いケーキが出来上がった。終にデコレーションも最終工程に入ることを表していた。
苺を上に散りばめ、彼女は搾り口のついた布を構える。
一つ、一つクリームで小さな山のような飾り付けを、苺と苺の間にしていく。
それが終わると、自分もした事がないような、ケーキの側面への飾り付けを始めた。
綺麗で緩やかな曲線を描いていく。まるでウエディングケーキのような装飾だった。
彼女の顔は真剣そのものであった。尤も、顔に少しクリームがついていたが。
ふぅ、と彼女は小さな溜め息をついた。そこには私が少し手伝ったとはいえ、初めて作ったというべきではないようなケーキが佇んでいた。
彼女は定位置で少し休んだ後、大きな皿ごと右手でケーキを持ち、料理室のドアを蹴飛ばして外に出た。
『ありがと! じゃあ渡しにいくね!』
氷精は笑いながらそう言った。
「もうすぐなんじゃなかったの?」
少しは予想は出来ていたとはいえ、本当にやるとは。少し溜め息が出る。
『だから、今日じゃん。』
悪びれる様子もなく氷精は言いのけた。くすりと笑いがこみ上げてくる。
「確かにもうすぐね。」
もうお手上げだ。御嬢様には悪いが、何か別の物で気を紛らわせて貰おう。
後ろを向いて飛び立とうとした氷精が、踵を返して此方をみる。
『ねぇ。』
彼女の顔はにやりと不敵に歪んでいた。
『ちょっとだけ、顔を拭いてくれたときみたいにしてくれない?』
悪巧みが分かりやすすぎる。しかし、紅魔館のメイドたるもの茶目っ気を持つことは必要だ。
言われたがままにする。
そんな私に彼女はケーキを持ったまま駆けつけ
頬に口付けをした。
その日の紅魔館には不満を訴える主と、恍惚に震えるメイドが居たという。
おしまい。
チルノが可愛らしいよ・・・お持ち帰りしたい。
誤字の報告
>味わわない限りなんともいえないが~
正確には「味あわない」ですよね。
以上、報告でした。
>早く教えて頂戴さ。
読み方が分かりません
そして友達思いで素直なチルノかわいいよチルノ。
>味わわない
日常会話の中では「味あわない」と発音する人がほとんどですから
結構間違って覚えている人も多いんですが、「味わう」の活用なので
この場合は「味わわない」が正解で、作者氏の方が合っています。
第三者のコメ返しは御法度ではありますが、どうかご容赦を。
ちょっと説明っぽい地の文が大半ってのが寂しいかな、と。
その分、咲夜さんのクール(に見えて実は全然そうでもない)変態ぶりが味わえるのは宜しいものの、やや単調さを感じたのも確かです。
あと「料理室」より「調理室」あるいは「厨房」
「着替え室」よりは「更衣室」の方がしっくりする気がします。
おお!? そうだったのですか!
紙細工様、私の勘違いですみませんでした。
そしてコマさん、勘違いを教えてくださりありがとうございます。
私もコメ返しをしてしまっていますがお許しください。