「『今日は楽しいたのしーお茶会よー』」
「『わーい』」
「『むきゅー』」
「『お嬢様、今日は、じゃなくってお茶会なら毎日やってるじゃないですか~』」
「『わたしたち、毎日を全力で生きてるのよ! 細かいことをいうメイドはこうしてやるんだからっ! じょばー』」
「『きゃあ、熱いあついー』」
「『わあ、大丈夫ですか咲夜さん!?』」
「『むきゅー』」
「『あはははー、お茶会とはお茶を飲むだけとは限らないのよ? 使用人にお茶をぶっかけて楽しむのも、これまた一興。ねぇ、パチェ?』」
「『むきゅ。そういう説もある』」
「『しくしく……』」
「『あははっ、御覧なさい! 瀟洒なメイドが紅茶まみれよ! こりゃ傑作や! 咲夜だけにッ!!』」
「『――もう、我慢なりません……!』」
「『あら、なぁに、その反抗的な態度は?』」
「『むきゅー?』」
「『――よしんば折角淹れた紅茶を頭から被せられたことを許したとしても、その駄洒落だけは許容できません……!! ワタクシ、紅魔館のメイドを辞めさせていただきます!! つーか美鈴、笑ってんじゃねぇぞ?』」
「『ぷぷぷ……【さくや】だけに【けっさくや】……っ! ヤベ、ツボった……っ!!』」
「『ちょっと待ちなさいよ。勝手に辞めるなんて許さないんだから!いぢめる相手がいなくなるじゃないの!』」
「『ならばわたくしめが!』」
「『嫌がる相手をいぢめなきゃつまんないの! 美鈴は引っ込んでなさい! バシーッ』」
「『あヒんっ、ごっつぁんです!!』」
「『むっきゅー! バシーッ』」
「『ごっつぁんです!!』」
「『もうやだこの紅魔館。一刻も早く脱出しなくては!』」
「『待て、逃がさないわ。喰らえ! ビビビビビーッ』」
「『ならば、こっちも反撃します! バババババーッ』」
「『むきゅー。勝ったほうをあたしが全身全霊をかけて愛してやるよーっ! バシーッ』」
「『ヒィ!? あ、あざーっす!!』」
「――なにこれ……?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは、目の前のカオスな光景にたじろいだ。
地下室からなにやら騒がしい声が聞こえてくるので、何事かと様子を見にきてみると、四体に分身した妹のフランドールが殺伐とした人形劇を繰り広げていたからだ。
「えっと……なにをしているのかしら、フラン?」
レミリアが、人形遊びに没頭しているフランドールに声をかけると、四人ともが一斉にレミリアのほうを向いた。
「「「「あっ、お姉さまっ!」」」」
「一斉に返事をしないで。眩暈がするわ。――ときに、その、変な遊びはなにかしら?」
「きゃははっ、お姉さまが話し掛けてるのは偽物よ? 当たり判定があるのは魔方陣を背負ってる、このわたし!」
「あ、いや、そういう攻略情報みたいなのはいらないから。とにかく、この分身たちを消してちょうだい」
レミリアがそう言うと、偽物のフランドールたちが姿を消した。
すると、ぽとぽと、とその手に持っていた人形たちが床に落下し、残ったのはレミリア人形を抱えている本物のフランドールだけになった。
「で、あなた、いったい何をしていたの?」
レミリアが尋ねると、フランドールは笑顔で、
「おともだちごっこ」
と答えた。
「おともだちごっこ?」
「うん、せっかくたくさん人形があるのだから、ひとりで遊んでもつまんないと思って、分身してみんなで遊んでたのよ」
レミリア人形を弄びながら、フランドールはそう答えた。
この紅魔館の住人たちを模した人形たちは、先日、人形遣いのアリス・マーガトロイドが作ってくれたものだった。それを、いつも暇を持て余している妹のためにレミリアが与えたものだが、早くもボロボロにしてしまっている。美鈴人形にいたっては、頭部が取れそうなほどに傷んでいて、首の皮一枚で繋がっているといった状態だった。
「あーあ、こんなにしちゃって。遊ぶなら遊ぶで、もっと大切に扱いなさいな」
レミリアが咲夜人形を拾い上げてみると、これまた腕が外れそうになっていた。
「バトルおままごとに損傷は付き物よ、お姉さま?」
「おままごとにバトル要素はいらないの!」
「フーンだ。この人形たちはわたしが貰ったものなんだから、どう遊ぼうとわたしの勝手でしょ。お姉さまには関係ないもん!」
そういって、フランドールはレミリアが持っていた人形を乱暴に取り上げてしまった。
「――まあ、いいわ。でも、おままごとの内容はもっと穏便なものにしてちょうだい。知らない人が見たら、紅魔館はまるで変態の巣窟じゃないの」
「もう、わかったわかった! わかったから、お姉さまはあっちいっちゃえ!」
小言を言われて癇癪をおこしたフランドールは、注意されたそばから人形をレミリアに投げつけて、自分の部屋から小うるさい姉を追っ払おうとした。
「……」
自分の姿をした人形を、無言で受け止めるレミリア。
ふと、見ると、フランドールの姿を模した人形が、部屋の隅に独りぼっちで転がっていた。
◆
神妙な表情をしたレミリアのまえに、カップが置かれ、メイドの十六夜咲夜が紅茶を注いだ。
「ありがとう」
レミリアがにっこりと笑いながら礼を言うと、咲夜が心配そうな表情をしていた。
「あら、どうかしたの、咲夜?」
「お嬢様が心配そうな顔をしていたので、その心配をしておりました」
「わたし、そんな顔してた?」
レミリアが問うと、咲夜が「はい」と頷いた。
「妹様のことで、また、なにかありましたか?」
「よくわかったわね」
「お嬢様がそういう顔をするときは、決まって妹様絡みのことですから」
そう指摘されたレミリアは、無言で紅茶に口をつけた。
咲夜は特に話を促すこともせず、レミリアの次の言葉を待って、すまし顔で立ち控えている。
パチュリー・ノーレッジは、そんなふたりの会話には感心なさげに本を黙々と読んでいた。
「今日のはね、」
レミリアはティーカップを受け皿のうえに静かに置くと、ゆっくりと語りはじめた。
「今日のは、べつになにかを壊したとか、メイドを殺したとか、そんなんじゃないの。フランの部屋が珍しく騒がしかったから、様子を見にいったら、あの子、スペルカードを使って分身して、一人遊びをしていたのよ」
「それはそれは」
レミリアの話を聞いた咲夜が、その光景を想像してクスクスと笑ってしまった。
「ね、笑っちゃうでしょ? フランったら、その遊びを『おともだちごっこ』なんて言ってるの」
レミリアも、先程の馬鹿馬鹿しい光景を思い出して、すこし笑った。
しかし、すぐに表情を曇らせると、「でも、」と話を続けた。
「全然、楽しそうじゃなかったわ」
そう、フランドールの様子は、一人遊びを楽しんでいるというよりも、むしろそれに夢中になることで気を紛らわしているように思えた。すくなくとも、レミリアの目にはそう映った。
では、何から気を紛らわしているのか?
「――あの子、寂しいのかも」
もしかすると、フランドールはそういう気持ちをどうにかして忘れたいのかもしれない。
でも、半ば地下室に軟禁状態だった以前と比べると、扱いは随分とよくなったはずだ。いまは地下室は開け放してあるから、フランドールがその気になりさえすれば、屋敷のなかを自由に歩き回ることだってできる。
それに、レミリアだって、積極的にコミュニケーションを取るように心がけるようになった。
もっとも、我が儘で情緒不安定な妹との会話は、いつだって長続きするものではなかったけれど。
「もしかすると、妹様は、『おともだち』がほしいのかもしれませんね」
咲夜がそう言うと、しかしレミリアは、より一層表情を曇らせた。
「でも、あの子には友だちを作るなんて無理だって、あなただってわかってるでしょう?」
フランドールは『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持っている。それは、姉のレミリアの手におえないばかりでなく、フランドール本人でさえ制御できずに持て余しているものだった。
もし、友だちなんてものができたとしても、感情の起伏が激しいフランドールは、いつ爆発するかわからない。
そして万一、せっかく仲の良くなった友だちを自ら『破壊』してしまったとしたら、フランドールの幼い心は、その痛みに耐えられないだろう。
「友だちなんて作ったって、どうせ悲しい思いをするんだから……」
レミリアが気にしているのは、その一点のみ。
そこには『おともだち』を気遣う気持ちなど微塵もなく、心配はすべてフランドールに向けられていた。
歪んでいて、おまけに不器用ではあるが、レミリアも妹のフランドールのことを愛しているのだ。
「しかし、本当に無理でしょうか?」
「えっ?」
「最近の妹様は、昔と比べるとずっと落ち着いたように思えますし、むしろ友だちとの交流を通して精神の安定を計れるのでは?」
「そんなの、危険よ!」
とんでもない提案にレミリアが反論すると、咲夜はすました表情でこう言った。
「かつて、わたしにも精神的に不安定だった時期がありました。しかし、お嬢様と出会ってからようやく心の平穏を手に入れることができました。最初は、痛みを伴うかもしれませんけれど、ね?」
「……」
レミリアは、咲夜と出会ったときのことを思い出していた。
出会ったばかりのころの『十六夜咲夜』という名前をレミリアが与える以前の咲夜は、『殺人ドール』の異名が示すとおり、人間のくせに人間味の少ない少女だった。
しかも、咲夜とレミリアのファーストコンタクトは、最悪のカタチで行われたものだった。けれど、
――なんの因果か、現在はお互いに、掛け替えのない存在になっている。
レミリアは、運命の数奇さを想い、クスリと笑った。
「でも、あなたと友だちになった覚えはないのだけどね?」
「ふふっ、心得ています」
咲夜も笑いながら、わざとらしく恭しいお辞儀をしてみせた。
そして、しばし考えたあと「わかったわ」と、レミリアは言った。
「それじゃあ、フランドールの『おともだち』、あなたにお願いできるかしら?」
「はい、お任せください」
ふたりの会話が一段落すると、パチュリーが本に目を向けたままティーカップを差し出し、おかわりの催促をした。
「はい、かしこまりました」
咲夜が、パチュリーのカップに紅茶を注ぐ。
「むきゅー(サンキュー)」
「ところでパチェ、その口癖やめてくれない?」
◆
その翌日のことだ。
フランドールが独り人形劇『紅魔館炎上編』をして遊んでいると、おもむろに扉が開かれて、レミリアが姿を現した。
「相変わらず変なことやってるのね、フラン」
「なによ、今日のは昨日のと違って超大作なんだから!」
「いや、そういう問題じゃなくって……」
妹の奇行に頭を抱えるレミリア。ここにきて、また不安が高まってきた。
しかし、フランのことを、というよりも咲夜の言葉を信じて、レミリアは次の言葉をついた。
「ときに、今日はあなたに会いたいっていう子たちが来てるんだけど」
フランドールが、硬直した。
「……えっ?」
どうやら、レミリアの言っていることの意味が、一瞬、理解できなかったらしい。だが、ぽかんとしていたフランドールの表情に、花のつぼみがゆっくりと咲くように、じわじわと笑顔が広がっていった。
「えっ! ええっ!? それって、本当!? ホントに、わたしに会いたいって言ってるの?」
フランドールにとって、それは信じられない思いだった。
紅魔館に訪れる者はわりと少なくはないけれど、自分に用があって訪れる者なんて、いままで一人としていなかったからだ。
「ええ、そうよ」
レミリアは嬉しそうな妹を見て、何事かを決心したかのように頷くと、「出てらっしゃい」と、扉の陰に隠れていた者たちを呼び出した。
「こんばんはー」
「おじゃましますー」
「おおー、地下室って聞いてたけど、思ったより広いわね!」
「さっすがお嬢様だー」
ぞろぞろと部屋に入ってきたのは、四人の妖怪の子どもたちだった。
「えっ、あっ? あなたたち、わたしになんの用?」
まさか、四人もいっぺんに来るとは思っていなかったフランドールは、緊張気味に言った。半ば混乱していたので、思わずつっけんどんな言い方になってしまった。
「なんの用って、遊びに来たに決まってるじゃない!」
「わたしたち、吸血鬼の女の子がこの館にいるって聞いて、遊びに来たのよ」
「そうそうー」
「フランドールだっけ? じゃあ、フランって呼んでいいよね?」
口々にしゃべくる妖怪の子どもたちに、フランドールは圧倒されてしまう。
「うん、いいけど……それより、あなたたちのお名前を教えてよ」
「ああー、ごめんね。じゃあ自己紹介からはじめましょうか」
そう言うと、四人は順番に名乗りはじめた。
まず先陣を切って飛び出したのは、とりわけ元気そうな妖精だった。
「あたい、チルノ! はじめに言っとくけど、ここだけの話、あたいってば最強だから、口の利き方には気をつけたほうがいいわよ。真冬のつららみたいに尖ってるって、幻想郷中の妖怪に恐れられてるんだから!」
イキナリ不躾な自己紹介、というか挑戦状を叩きつけられた。さすがのフランドールも、呆気に取られてしまう。
そんなチルノを押しのけるようにして、鳥の妖怪がフランのまえに躍り出た。
「えっと、バカはほっといて、と。――わたしはミスティア。ミスティア・ローレライ。趣味と特技は歌うこと。あと、この軍団のリーダー的存在よ」
「こらーっ、誰がバカだってー!? それにリーダーはあたいだぞー!」
「チルノはこないだ隊長だって言ってたじゃない」
「隊長もリーダーもボスも親分もティラノサウルスも、偉そうで強そうなのは全部あたいの仕事なのよ!」
「ね、やっぱりバカでしょ、この子?」
「まだ言うかーっ!」
なにやら喧嘩をはじめたチルノとミスティアを放置して、男の子みたいな格好をした妖怪が進み出た。頭に触覚が生えていることから、虫の妖怪なのだろう。
「わたしはリグル・ナイトバグよ。なんか世間では虫の王って呼ばれてるみたいだけど、こう見えてもれっきとした女の子なんだから。そこんところ、よろしくね」
「うん、よろしく」
フランドールは、ちょっぴり照れながら頷いた。
「ほら、ルーミアも挨拶して」
リグルは、ぼーっとしている金髪の女の子をそう言って急かした。
「わたしはルーミアだよー」
その子は、それだけ言うとまたぽんやりしてしまった。
「……えっ、それだけなの?」
「ごめんね、ルーミアってこんな子なのよ。友だちだけど、わたしたちにとっても謎の多い妖怪なの」
「謎めいてるって素敵だものー」
なにはともあれ、全員が自己紹介を済ませたことになる。
「あっ、でもわたし、すぐには覚えられないかもしれないわ。四人もいっぺんに名前を覚えるなんて、はじめてなんだもん」
フランドールがそう言うと、ミスティアが「心配いらないわ」と言った。
「名前なんて遊んでるうちに自然と覚えるわよ。さっ、ところでなにして遊ぼっか?」
「おおー、フランったらたくさんおもちゃ持ってるのね! じゃあ、これで遊びたい!」
チルノが、部屋を勝手に物色しながら喚声をあげた。おもちゃなら、レミリアから貰ったものがたくさんあった。
「でも、どれも壊れちゃってるわね」
床に転がっていた人形を拾い上げて、リグルが呟いた。
「うん、お姉さまがくれるおもちゃって、すぐに壊れちゃうんだもの」
「最近のおもちゃは軟弱だからねー」
普段は蛙をおもちゃにして遊んでいるチルノが、うんうん、と頷いた。
「そうだ。直せるものだったら、わたしが修理してあげる!」
リグルはそう言うと、懐から携帯の裁縫セットを取り出して、おもむろに人形を修繕しはじめた。どんな糸より丈夫な蚕の絹糸と、鋭い蜂の針を器用に扱って壊れた人形の身体をくっつけていく。
「ほえ~、あんたってば、まるで女の子みたいね!」
「チルノったら、わたしは乙女だってあれほど言ってるのに、まだ男の子だと思ってるの?」
「そーだったのかー」
「ええっ? ルーミアまで!?」
そんなリグルたちを見て、フランドールは思わず笑ってしまった。そして、みんなで笑った。
「……」
フランドールたちの様子を静観していたレミリアは、その光景を見ると、口元をすこしほころばせて、静かに退室した。
◆
夜明け前に騒がしい四人組が帰ったあと、ディナー(時間的には朝食だけど)のときに、フランドールは珍しく饒舌だった。
「……それでね、チルノって本当にバカなのよ。ちょっとからかうと、すぐにムキになって面白いんだから! あとね、リグルはね、男の子みたいだけど女の子で、もしかするとあの子たちのなかで一番おしとやかなのかもしれないの。ねっ、面白いでしょう」
「そうね。じゃあフランも、もうちょっとおしとやかに振舞ってくれないかしら?」
レミリアは、興奮して食事を食べ散らかすフランドールを嗜めた。
しかし、ご機嫌なフランドールはへそを曲げることなく「ごめんなさい」と素直に謝った。
そんなフランドールの汚れた口元を、無言の咲夜がナプキンで拭ってやる。そんな咲夜も、どこか嬉しそうな様子だ。
「ねえ、お姉さま。明日はお姉さまもいっしょに遊ぶといいわ。あの子たち、最高よ! きっとお姉さまも楽しいはずよ!」
「わたしは遠慮しとくわ。いろいろと忙しいもの」
妹の誘いを、レミリアはやんわりと断った。正直なところ、あの連中はレベルが低すぎて苦手だった。もちろん、そんなことは口には出さないけれど。
「そーなのかー」
あっ、これルーミアの口癖なのよ、と嬉しそうにしゃべるフランドールに、レミリアは改まった様子で言った。
「ときに、フラン? せっかくできた友だち、大切にしなさい」
「わかってるわよ。絶対に壊したりしないわ」
レミリアはそういうつもりで言ったわけではなかったけれど、ひとまず、フランドールが一番基本的なところを解ってくれたみたいで、安心した。
◆
「ありがとう、咲夜。あの子が嬉しそうだと、わたしも嬉しいわ」
「ええ。お嬢様が嬉しいと、わたしも嬉しいですからね」
レミリアと咲夜は、日光を遮るパラソルをさしたバルコニーのテーブルで、フランドールのおともだち計画の首尾について語り合った。当のフランドールは、遊び疲れてしまったのか、いつもより早めに眠ってしまった。
「でも、あの人選はどうかしら。この館に招くにしては、ちょっとばかり品がないと思うのだけど?」
「わたしは、妹様と精神的に釣り合いが取れる者を、と思って連れてきたのですが。類は友になりやすい、と思いまして」
「あら、わたしの妹に対して随分なこと言ってくれるわね」
「これは失礼しました」
とは言っても、無邪気なフランドールにはぴったりの相手たちだとは思っていた。咲夜もそんなレミリアの考えはわかってのことだ。
しかし、咲夜がフランドールのおともだちを選ぶにあたって、もうひとつ考慮したことがあった。
それは『万が一のことがあったとき、問題にならない人選』である。
あの四人の妖怪たちは、基本的に後ろ楯のない根無し草のような連中だった。
もちろん、そんなことは口には出さない。
「ところで、咲夜? 寝る前に一杯、血のワインが飲みたいわ」
「それならばすでに」
咲夜が、奇術のようにテーブル上にワインボトルを冷やしたバケツとグラスを出現させる。
「あら、流石じゃない」
今日は、レミリアの機嫌も良いみたいだ。妹に友だちができて、本当に嬉しいのだろう。
時を操る瀟洒なメイドは、スカーレット姉妹が本当の意味で和解するのも時間の問題だと考えた。
◆
もともと明るい性格のフランドールは、すぐにチルノやミスティアたちと打ち解けることができた。
今日もフランドールの考案したバトルおままごとをして、みんなで遊んでいる。
「『あたいの』……じゃなかった。『わたしのナイフで貴様ら全員ナマスにしてやるーっ!』」
チルノが、咲夜人形を操りながら紅魔館の住人に迫る。
「『ひゃー、助けてー』」
「『むきゅー』」
美鈴役のリグルと、パチュリー役のルーミアが、狂気とバカを兼ね揃えた思いつく限り最悪のメイドから逃げ回った。
「『待ちなさい、これ以上わたしの屋敷での狼藉は許さないわよ』」
レミリア人形を携えたミスティアが、ふたりを護るように立ち塞がった。
「『ふっふっふ。お嬢様も、案外お甘いようで』」
「『なん……だと……?』」
チルノが不敵に笑ったときには、すでに遅し。背後から忍び寄ってきたフランドール役のフランドールが、レミリア人形の首を掻っ切った。
「『さよならお姉さま。嫌いではなかった……』」
「『グッフォォォイ!? あなたたち、結託してやがったのか!』」
「『結託ってどーゆー意味? 難しい言葉使うのはやめてよね!』」
「『結託なんてしていないわ、お姉さま。咲夜とは目的が一致しただけよ。紅魔館を乗っ取るという目的がね!』」
そして、チルノとフランドールが向き合う。
「『それじゃあ、どちらが主に相応しいか、決着をつけるわよ!』」
「『望むところよ!』」
と、そのときだった。
「『むっきゅー! ザシュッ、ザシュッ』」
「『ぎゃぁぁぁぁっ!?』」
「『あ、あんたも紅魔館を狙っていたとは……無念』」
不意を突いたルーミアが、咲夜人形とフラン人形の首を掻っ切ってしまった。ちなみにリグルの美鈴人形もとっくに殺られていた。
「あ~、またルーミアの勝ちか~」
「むきゅー」
「途中まではいい調子だったのにね」
「っていうか、協力して襲ってくるなんて卑怯よ。戦場はいつも孤独な場所なのよ」
五人の子どもたちは、人形の首を拾いながらわいわいと騒ぎあった。
念のためにこの遊びのルールを解説すると、相手の人形の首を切り落としたものが勝ちという、シンプルかつ物騒なものである。ただしその行動は、役に乗っ取ったものでなくてはならない、という得体の知れないルールに則っている。
「ねー、もうこんな野蛮な遊びやめましょうよー。っていうか、誰が壊した人形を修理すると思ってんのよー」
「やだね。こんなエキサイティングな遊び、弾幕ごっこ以外に知らないわ!」
嘆くリグルにミスティアがそう言ったのを聞いて、チルノはなにかを思いついたように手を打った。
「そうだ! リグルが人形を直してるあいだ、今度は弾幕ごっこをして遊ぼう! あたい、フランのスペルカード見てみたい!」
チルノの提案に、フランドールは途端に表情を暗くした。
「無理よ。わたし、館の外には出られないもの」
吸血鬼は、その強大な能力に比例するように、弱点も多い。レミリアに野外の危険と恐ろしさを何度も聞かされてきたフランドールにとって、館から足を踏み出すことは最大のタブーなのである。
「じゃあ、館の中でやればいいじゃないの!」
「でも、以前、遊びにきた巫女や魔理沙と弾幕ごっこをしたとき、家を壊しかけちゃって、お姉さまにひどく叱られたし……」
「ああ、確かにあたいのスペルはまじハンパないから、その危険性はあるなー」
「まあ、実際に弾幕ごっこをすれば、わたしのほうが強いのは確かなんだけどね」
「おっ、フランったら命知らずの恥知らずね!」
そんなふたりを見て、どうにかできないものかと考えていたミスティアとリグルが、顔を見合わせて頷き合った。
◆
それから何日か経ったある日のこと。いつものように地下室で遊んでいると、みんなの様子がおかしいことにフランドールは気付いた。
なんだか面白いことを知っているような、隠し事をしているような、そんな感じだった。
「ねえ、あなたたち、さっきからなにニヤニヤしてるのよ? 楽しいことだったら教えてよ」
そういうと、ミスティアが待ってましたとばかりに、
「実は、フランドール・スカーレットさんに耳寄りなお知らせがありまーす!」
と歌うような調子で言った。他の連中も、どこか嬉しそうだ。
「えっ、なになに!?」
「今日は、太陽が苦手なフランのために、こんなものを用意しました。ほら、リグル!」
「ええ!」
そして、リグルが取り出したるは――、
「――カッパ?」
一見、なんの変哲もない青いレインコートだった。
「惜しい! 限りなく惜しいわよー!」
「正解は、河童の光学迷彩スーツでしたー」
その、光学迷彩スーツとやらを、訳のわからないまま受け取るフラン。これが、いったいどうして太陽に関係あるのだろうか。
「この光学迷彩スーツっていうのはね、光を遮ることでその姿を消せるらしいのよ。よくわかんないけど」
「でね、光を遮るのなら、フランがおそとに出られない原因の太陽も、へっちゃらになると思うの!」
「それって、本当!?」
それを聞いたフランの顔が、ぱあっと明るくなる。
すると、自分が手にしているなんの変哲もないレインコートが、とても素晴らしい宝物のように思えるようになった。
「フランが館の外に出られるように、みんなで考えたんだからっ!」
「チルノのアイデアはロクなもんがなかったけどね。フランとルーミアがこっそり入れ替わる、とか」
「でも、河童に頼んでもなかなか貸してくれなくて。最終的にはわたしたちが囮になってるあいだに、ルーミアがちょろまかしてくれたのよ」
「礼には及ばないわよー」
四人の言葉を嬉しそうに聞いていたフランドールだったが、心配事項がひとつだけあった。
「でも、お姉さまは許してくれるかしら」
それは、姉のレミリアの存在だった。
「あんたが持ってるそれ、光学迷彩スーツよ?」
「だから……どうしたっていうのよ」
「フランったら、本当にバカよねー」
「むっ、チルノに言われたくないわ」
やれやれといった様子のチルノにとりあえず腹はたったが、なんで馬鹿にされたのかはわからなかった。
「姿を隠して、こっそり外に出るにはうってつけじゃないのよ!」
「えっ……? その発想はなかったわ!!」
まるで天啓を得たように、フランドールは驚いた。
姉の目を盗んで外に出ようなんて、考えたことはなかったからだ。だって、外は恐ろしい世界だと思っていたから。
でもいまは、外の世界には楽しいことがたくさんあるように思えた。
「きゃはっ、なんだかワクワクしてきちゃった!」
嬉しそうにはしゃぐフランドールに、ミスティアたちはフラン脱走作戦の説明をした。
吸血鬼は、基本的に太陽の昇っている日中は眠っている。それはレミリアにとっても例外ではない。その隙を突いて、光学迷彩スーツで姿を消したフランドールが紅魔館を脱出。近くで他の仲間と合流して、幻想郷中を面白おかしく遊びまわるのだ。以上。
「そうと決まれば、体力を温存しておきましょう。せっかくおそとで遊ぶもの、ね? というわけで今日のバトルおままごとは中止~」
リグルのその言葉により、そのあとは普通の人形遊びで暇を潰した。
いままで独りぼっちだった人形のフランドールも、みんなと遊べて、どこか楽しそうに見えた。
◆
フランドールは光学迷彩スーツを頭からすっぽり被り、屋敷の廊下を抜き足差し足で移動していた。
メイドの妖精たちは、そんなフランの姿にはまったく気付かずに、黙々と掃除をしている。妖精の花のような体臭を感じられるくらい、近くにいるというのに。
(いま、イキナリわたしがコートを脱いで姿を現したら、この妖精、きっとびっくりして腰を抜かすわね!)
つい、悪戯心をくすぐられる。
しかし、もっと楽しいことが待っているので、フランドールはその気持ちをぐっと押し殺した。いまは、笑い声ひとつあげてはいけないときなのだ。
ようやく、二階に到着する。
フランドールはバルコニーへの扉を、音をたてないように気をつけながらゆっくりと開いた。
外は、眩しいほどの、快晴。忌々しいほどに日差しが照り付けていた。
(よし、行くわよ……!)
恐る恐る、外へ踏み出した。
一瞬、踏み出した足が日光に焼かれる錯覚をしたけれど、スーツに包まれた足には何の痛みも感じない。成功だった。
「やった……!」
思わず小声で喚声をあげたフランドールは、ゆっくりと全身を外気にさらした。
「……」
やはり、なんの異常もない。
すると、フランドールの胸に、どきどきするほどの喜びが込み上げてきた。
――信じられない。自分が一人で外に出られるなんて!
ところが、バルコニーの柵に片足を乗せ、みんなとの待ち合わせポイントに飛び立とうとしたときだ。
それは起こった。
「――えっ、ウソっ!?」
突然、身体中が焼け付くような痛みに襲われた。
フランドールは、混乱した。いったいなにが起こったのか。計画は順調だったはずなのに。どうして? どうして? どうして?
無数の「?」が、真っ白になったフランの頭のなかを埋め尽くしていく。
そう、事故の原因は、フランドール自身にあった。
あまりにも大きな喜びで興奮状態にあったフランは、自らの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を制御できなくなっていた。そして、意外と精密機器であった光学迷彩スーツが壊れてしまい……太陽光を遮るものが、一瞬にして奪われたのだ。
卵を落とせば瞬時に目玉焼きを作れるほど熱した鉄板、それを全身に押し付けられるような高熱と激痛。
正気の飛んだフランドールは、紅魔館全体の窓ガラスが砕け散るほどの叫び声をあげた。
◆
フランドールがふたたび目を開けたとき、そこは青空でもなければ、夜空でもない。見慣れた、自分の部屋の天井だった。
「フラン!!」
姉のレミリアが、意識を取り戻したフランドールに飛びつくようにして抱きついてきた。
「痛いっ……!」
服を脱がされて全裸だったところに直接触れられて、身体中がヒリつくように、痛んだ。
「ダメよ、レミィ! まだ……」
魔導書を開いて、治癒の魔法を施していたパチュリーが、慌ててレミリアを制した。
「ああ、ごめんなさいフラン。わたしったら、つい……」
レミリアは身を離しながら、しかし、心底ほっとしたような表情をした。
周囲を見渡してみる。
すると、自分の寝かされているベッドの周りには、レミリア、咲夜、パチュリー、そしてミスティアたちの姿があった。
「あっ……」
「ごめんね、フラン……」
「わたしたちがそそのかしたばっかりに……」
みんな、悲しそうな顔をしていた。あのチルノでさえ、涙目で不貞腐れたような顔をしている。
「フラン、詳しい話はこの子たちから聞かせてもらったわ」
静かに語るレミリアだったが、その表情は怒りを顕わにしていた。
「わたしは――、コイツらを殺してやりたい!」
「……ッ!? お姉さま、そういうこと言うの、やめてよっ!!」
フランドールは身体を起こすと、友だちを庇うように手を広げ、姉を睨みつけた。
緊迫した空気に、暢気なルーミアも完全に硬直している。
「――ええ、わかってるわ」
レミリアは落ち着いた口調に返り、そう呟くように言った。
「この子たちはフランの大切なおともだち。手をかけるようなことはしないわ、絶対に」
フランドールも、ほっと安堵の息をついた。
「さあ、今日のところは、あなたたちはもう帰りなさい」
咲夜が、ミスティアたちにそう告げると、しぶしぶといった様子で四人は頷いた。
「じゃあ、また来るからね。おとなしくしてなきゃダメよ?」
「明日、わたしの屋台自慢の八目鰻持ってきてあげる。美味しくって健康にいいのよ、たぶん」
「お元気になってねー」
「あたい、知ってる! フランがこんなことで諦めるようなタマじゃないって。今度はもっとパーフェクトな計画を持って、くるか、ら……」
レミリアが鋭い目つきで睨みつけているのに気付いて、チルノは「ひゃっ!」と身を縮こまらせた。
そしてフランドールは、咲夜に連れられて四人が出ていった扉を、いつまでも無言で眺めていた。
そんな妹を見つめていたレミリアは、ちょっと考えて口を開いた。
「ねえ、フラン? あなた、叫び声を聞いた咲夜が咄嗟に時間を止めて助けてくれなかったら、本当に危ないところだったんだからね。お願いだから、もう心配かけないでちょうだい」
「わかってるってば」
フランドールは姉の言葉もそこそこといった様子で、パチュリーに声を掛けた。
「ねえねえ、ちょっとみんなをお見送りしてきてもいいかしら」
「ええ、構わないわ」
「ちょ、まだ話したいことが……」
レミリアが抑止するも、途端に笑顔になったフランドールはシーツをケープのように素肌に羽織り、とてててーっ、と部屋を出ていってしまった。
残されたレミリアが、寂しそうな顔をする。
「――あの子にとって、わたしって、いったいなんなのかしら?」
「お姉さん」と、パチュリーが答えた。
「当たり前じゃない」
「目の上のタンコブ」
「うっ、随分と手厳しいわね……」
しかし、自分の愛情がうまく妹に伝わっておらず、かえって疎ましく思われているのは事実だ。
先程の、憤慨した様子でこちらを睨みつけるフランドールの顔を思い出す。
いったい、どうしたら良いというのだろう、とレミリアは思った。
◆
随分と意識を失っていたようで、窓の外はもう真っ暗だった。
途中で咲夜とすれ違い、みんなはどうしたかと尋ねると、ついさっき帰ったばかりだという。
それを聞いたフランドールは羽織ったシーツが乱れるのも気にせず、大急ぎで二階まで駆け上がった。たったいまミスティアたちが帰ったばかりなら、まだ目の届くところにいると思ったからだ。
そして、大声で叫ぶのだ。
「また明日も遊ぼう」と。
泣き出しそうなほど落ち込んでいたみんなも、フランドールの元気な姿を見れば、きっと元気になってくれるに違いない。
二階の窓から外を覗く。
すると、紅魔館から伸びる真紅の道を、みんな揃って帰っているところだった。
「みんな……!」
ぱっと笑顔になって、窓を開く。
ところが、その笑顔は一瞬にして曇った。
さっきまでしょんぼりとしていたはずのみんなが、一変して楽しそうに、笑顔でわいわい騒ぎながら帰っていたからだ。
みんなの手には、咲夜に持たされたと思しき、お菓子の小包が握られていた。
フランドールは、ひどく悲しい気持ちになった。
悲しい気持ちになることはよくあるけれど、こんなに悲しいのは初めてだった。
◆
フランドールの火傷は、次の日には完全に回復していた。
「さっすが、吸血鬼よね~。昨日のことが嘘だったみたいに、すっかり元通りだもん。これじゃあせっかく持ってきた八目鰻をフランに独り占めさせるのも癪ね、みんなで食べちゃおっか?」
ミスティアが笑いながらそう言ったが、当のフランドールはなにやら元気がない様子だった。
「まだ、どこか痛いの?」
「そーなのかー?」
「そういうわけじゃないけど……」
いつもとはちがうフランドールの態度に、リグルとルーミアは訳がわからないといった様子で顔を見合わせた。
「ま、しょぼくれたあんたも、これを見ればちったぁ元気になるでしょうよ!」
そういって、チルノが取り出したのは、氷漬けになった彼岸花だった。彼岸花の毒々しい紅色が、硝子細工のように透き通った氷に複雑に反射して、幻想的な輝きを放っている。
「キレイ……」
フランも、思わず、すべてを忘れて見入ってしまうほど美しいものだった。
「これ、あたいの大切な宝物なんだ! ずっとまえに幻想郷が花だらけになったときがあって、そのときの冒険でゲットしたのよ!」
そしてチルノは、そのときの経緯を身振り手振りを交えて語った。それは本当か嘘か疑わしい部分もいくつかあったけれど、聞いているだけで胸が高鳴るような冒険譚だった。
「わたしも宝物持ってきたのよー」
次にルーミアが取り出したのは、見たこともないような奇妙な筒だった。ルーミアがなにやらいじると、先端にはめ込まれた硝子から、キラキラと七色の光が溢れ出した。
ルーミアはそれを拾ったときの話や、この素敵装置の正体について幻想郷中を調べ回ったときのことを、いつもの暢気な口調で、だけどどこか興奮気味に語った。ちなみに、古道具屋に聞いたところによると、外の世界から迷い込んできたペンライトというものらしい。
「それじゃあ、わたしの番みたいね」
リグルの宝物は、黄金虫の形をしたブローチだった。そして、リグルが、これを手に入れたときのことを語り始めた。そのときのことだった。
――フランドールは、突然、リグルのブローチを『破壊』した。
「きゃっ!?」
リグルが飛び散るブローチの破片から身を庇う。
フランドールはそんなの気にせずに、次々とチルノとルーミアの宝物の目を握りつぶして『破壊』し、ミスティアの持ってきた八目鰻も床にぶちまけて、ぐちゃぐちゃに踏み潰した。
「ちょっと、なんてヒドイことするのよ!」
大切な八目鰻を台無しにされたミスティアが、怒りの表情で抗議した。材料の調達、仕込み、調理までのすべてに丹精込めた八目鰻の蒲焼は、食べ物とはいえ、ミスティアにとっては宝物同然だったからだ。
「ヒドイのはそっちじゃない!!」
フランドールの叫び声が、地震のように部屋を揺さぶった。
「わたしが外に出られないって知ってるくせに、外の楽しかったり面白かったり嬉しいことの話をして! わたしが持ってないような宝物を見せびらかして! 酷い!! 酷い!! 酷い!!」
フランドールは、涙をぼろぼろと零しながら、金切り声をあげて喚いた。
そう、チルノたちの話は、聞いていて、とても楽しいものだった。
だからこそ、自分が一層惨めに思えた。だって館の外に自由に出られない自分には、たぶん一生体験できないような話ばかりだったから。
「ちがうのよ、フラン」
ミスティアが何事かを言いかけたが、フランドールが腕を払い除けるようにすると、見えない衝撃に殴りつけられたミスティアが壁に叩きつけられた。
「黙れ黙れ黙れ! わたし、見たもん! あなたたちが昨日あの後、お菓子をもらって嬉しそうにしてたこと!!」
昨日の光景を思い出すと、また悔しさが込み上げてくる。
「わたし全部知ってるんだから! みんながわたしに優しくしてくれるのだって、ぜんぶお姉さまに頼まれてやってるんでしょ!? 全部ぜーんぶ、『おともだちごっこ』だったのよ!!」
そのとき、フランドールのまえに、険しい顔つきをしたチルノが躍り出た。
「あたい、お菓子は大好きだけど、そのためにフランと遊んだんじゃないわよ! 楽しかったから遊んだだけだっ!」
叫びながら、チルノがフランに掴みかかった。
「宝物だって、フランが喜ぶと思って持ってきたのにーっ!」
「チルノ、そういうこと言わなくてもいいから!」
リグルが叫んだ。しかし、チルノの怒りは止まらない。
「あたいたちの宝物、せっかくフランのお見舞いにあげようと思ってたのに! それを全部壊しやがってー!!」
「……えっ?」
興奮していたフランドールが、チルノの言葉に、息をつまらせた。
「えっ、だって、それ、あなたたちの大切な宝物だって言ってたじゃない……」
床に飛び散った、無数の宝物の破片を見下ろした。
これは、チルノたちにとって、とても大切なものであるということは、その品物に纏わるエピソードを聞いただけでも、十分に伝わってきた。
そんな大切なものを、人にあげてしまうなんて。
フランドールにしてみれば、とても信じられないことだった。
「いったい、何事!?」
そのとき、騒ぎを聞きつけて、レミリアと咲夜が地下室に飛び込んできた。
そして室内をざっと見渡すと、おおむねのことを一瞬で理解する。
「あなたたち、ここは危険だから早く逃げなさい!」
「だってフランが……」
「いいから!」
咲夜に怒鳴られて、リグルたちが慌てて逃げ出す。フランの髪の毛を引っ張っていたチルノも、ミスティアに引き剥がされてムリヤリ連れて行かれた。そのとき、ミスティアは「ごめん。傷付けるつもりはなかったの」と悲しそうな顔で呟いて退室した。
そして、広い地下室に、スカーレット姉妹だけが残された。
「……」
レミリアは、目の前で泣きじゃくるフランドールのために、なにか言葉をかけてあげたかった。けれども、姉として妹を慰める言葉が思いつかなかった。
だから、無言でフランドールを抱きしめてあげた。
圧倒的な力を持った幼い吸血鬼・フランドールは、レミリアの腕のなかで、か弱い動物のように泣き震えていた。
◆
それからしばらくして、地下からレミリアが上がってきた。
「妹様のご様子は?」
階段のところでレミリアを待っていた咲夜に尋ねられ、いまはだいぶ落ち着いていること。独りにしてほしいと言われたことを告げた。
「はぁ……」
レミリアが溜め息をつく。
「情けないわね、わたし。フランが泣いているのに、結局一言も慰めてあげることができなかった。長年フランを遠ざけていた自分の愚かさを憎むわ」
「いいえ、きっとそれで良かったのですよ」
咲夜が柔らかく微笑んで言った。
「悲しいときに、傍にお嬢様がいただけで、妹様はきっと嬉しかったはずです」
「そうかしら」
「ええ」
レミリアは納得のいかない表情で、もう一度、溜め息をついた。
「そうそう、さっき帰したあの子たち、また明日も来てくれるそうですよ」
「そう、あのバカどもも酷い目に遭わされたくせに、懲りない連中ね」
しかし、酷い目というものが、思いのほかたいしたことなくて本当に良かった。フランドールの力を持ってすれば、あの妖怪たちの命を、一瞬でまとめて消し飛ばすこともあり得たのだ。
「きっと妹様の胸には、お嬢様の『友だちを大切にしなさい』という言葉が生きていたのでしょう。だから感情的になって手をあげたときも、無意識のうちに力を抑えたのだと思います」
「フランも、成長しているということね」
「ええ。あと、お嬢様も」
「咲夜、殺すわよ?」
このメイドは、たまにこうやって主人をおちょくることがあるから始末に終えない。
とはいえ、レミリアは事態が徐々に良くなっていることに、ほっと一安心した。
◆
ところが、フランドールの胸のなかは、不安でいっぱいになっていた。息がつまりそうなほど、苦しかった。
昨日、みんなに裏切られたと勘違いしたときよりも、自分が友だちを傷付けてしまったということのほうが、ずっと辛かった。
部屋の床には、まださっきの破片が散乱している。
みんなの宝物、それを自分が壊したという証拠だ。
フランドールがすべてを『破壊』したとき、ミスティアもチルノも怒っていたし、リグルは悲しそうな顔をしていた。ルーミアのしょんぼりとした表情も頭から離れない。
昨日目撃したみんなの笑顔は、フランを喜ばせる計画を話し合っていたときのものに違いない。
その笑顔を、この手で、すべて裏返してしまったのだ。
我が儘な自分のために、自分の大切な宝物をくれようとした友だちに、暴力を振るってしまった。
もう、赦してくれないかもしれない。
そう考えると、ふたたび叫び出したくなるほどの不安に駆られた。
「そうだ。わたし、まだみんなに謝ってない……!」
謝っても、赦してもらえないかもしれないけれど。
「みんなに謝らなきゃ!」
フランドールは、ベッドから立ち上がった。
◆
フランドールがエントランスホールにあがると、そこにはレミリアと咲夜がいた。
「フラン、もう大丈夫なの?」
しかし、フランドールは姉の言葉を無視して、玄関を目指した。
「ちょっと待ちなさい! どこへ行こうというの?」
「わたし、みんなに会いに行くわ。会って、謝ってくるの」
玄関の戸に手をかけたフランドールのもとに、レミリアたちが駆けつけてきた。
「ダメよ! もう、夜明けが近いわ。昨日のこと忘れたの?」
「うるさいなー! お姉さまは邪魔しないでよっ!!」
そういって、力任せに払い除けると、力に殴打されたレミリアの身体が大きく吹き飛んだ。
「お嬢様!?」
壁が崩れるほど強かに打ちつけられたレミリアのもとに、咲夜が駆け寄った。
「わ……わたしのことはいいから、あの子を止めなさい! 多少強引でも構わないから!」
「はい!」
薄闇の外に飛び出したフランドールのまえに、咲夜が躍り出るようにして立ち塞がった。
「妹様、お戻りください。お嬢様が悲しみます」
煩わしい、と思った。
そして、咲夜の目を握ろうとした。
フランドールには、あらゆるものに存在する『目』が見える。それを握りつぶすことで、さっき壊してしまった宝物のように、跡形もなく粉砕することができるのだ。それは、例え生物であっても例外ではない。
だが、フランは咲夜を握るのはやめた。
――大切な友だち。
フランドールにとってチルノたちがそうであるように、咲夜もまたレミリアにとって大切な存在なのだ。そして、レミリアも咲夜の大切な存在である。
だから手加減をして、咲夜を攻撃した。
「きゃあ!?」
しかしフランドールの一撃は、咲夜をその弾幕ごと吹き飛ばすには十分すぎるほど強力だった。
咲夜は、紅魔館の時計台に磔にされて、ぐったりと沈黙した。
「早く! 早くみんなに会いたい!」
フランドールは、夜明けが迫る空に飛び立っていった。
◆
東方から、日が昇る。
それは、昨日の瞬間的な熱さとは違い、じわじわと照り焼きにされるような熱さがあった。
比較的脆いフランドールの翼は、紅魔館を囲む霧の湖を飛び越えたあたりで焼け崩れてしまい、限界を向かえた。
フランドールは森を駆けた。
勢いで飛び出したものの、館の外の世界をまったく知らないフランドールに行く当てがあるはずもなく。ただひたすら、友だちの名前を叫びながら、がむしゃらに森を駆けた。
日が高くなるにつれて、フランドールを襲う熱が凶暴化していく。
やがて、外気に触れていた顔や手足の皮膚がふつふつと沸騰しているような感覚に襲われた。身体の一部が徐々に崩れて、砂になっているのだ。
さらに、日光が灼熱のナイフとなって身体中に突き刺さり、骨さえも焦がすような痛みもあった。
だが、フランドールは足を止めることなく、声をあげながら探し続けた。
チルノ。
ミスティア。
リグル。
ルーミア。
大切な友だちに、ただ一言、謝るためだけに。
それだけのために、フランドールは地獄の責め苦のような痛みを耐えながら走った。
外に出ればこうなることは、昨日の一件でイヤというほど思い知らされていたというのに。
もしかすると、フランドールは気がふれていたのかもしれない。
そして――、
「フラン!?」
みんなに会えた。
◆
霧の湖の近くの森に、チルノの家はある。大木の根元の空洞に作った、寝食をするためだけのシンプルな空間だ。
そこにみんなで集まって、先程の件の反省をしていた。
「やっぱり、わたしたちもフランの気持ち全然わかってなかったと思うの。館の外の話をしてあげたら外に出られないフランも喜ぶと思ってたけど、そうじゃなかった。もっと寂しくさせただけだったみたい……」
「あたいはフランをゆるさないけどね! せっかく見所のある奴だと思ってたのに、あんなに自分勝手で我が儘な子だったなんて!」
「チルノが言うなー」
「とにかく、わたしたちが良かれと思ってやったことが、フランを傷付けたことは確かよね。明日また謝ろう。そして、またいっしょに遊びたいよ」
「あたいは悪くない! だから絶対に謝らない!」
そのときだった。
ルーミアの耳に、かすかな呼び声が飛び込んできた。
「フランの声よー!」
「えっ、フランの声が聞こえるわけないじゃない。紅魔館からどれだけあると思ってるのよ」
「ミスティアは黙って!」
とにかく、みんな黙って、耳を澄ましてみた。
「――!?」
「いま、聞こえたよね!?」
「フランが近くにいるってこと!?」
そのとき、真っ先に飛び出したのはチルノだった。他のみんなも、慌てて後を追う。
外に出れば、フランドールの声はよりはっきりと聞こえた。
しかし、その声には苦痛の色が濃く混じっている。
フランが日光に焼かれ苦しんでいる姿が、ありありと目に浮かぶ。
チルノたちも、呼び声を頼りに、必死で森を探し回った。
そして――、
「フラン!?」
フランドールがいた。
精神の限界まで追い込まれた虚ろな表情。陶磁器のように白く美しかった肌もボロボロで、翼にいたっては完全に崩れ去ってしまっている。
そんな状態になっても、フランドールはなお、自分たちの名前を掠れきった声で呼びつづけていた。
「フラン!!」
もう一度名前を呼びながら駆け寄ると、こちらに気付いたフランドールは、心から嬉しそうな表情で弱弱しく微笑むと――、
糸が切れたかのように、ふっつりと倒れた。
◆
ミスティアたちは、すこしでも日光を遮るため、フランドールを木陰に運び込んだ。しかし、木洩れ日の光が、ゆっくりとフランドールの体力を奪っていく。
「いけない、このままだとジリ貧だわ!」
「永遠亭に凄腕のお医者さんがいるって聞いたことあるわ!」
「ダメだ。ここからじゃ遠すぎる! それに紅魔館の魔女を頼るにしても、この日差しのなかフランを連れて帰ることはできないわよ!」
「どうしようどうしようー」
「やだよぉーフランが死んじゃうよぉー」
わたわたと慌てふためく声に、意識を取り戻したフランドールが静かに口を開いた。
「みんな……」
騒いでいたミスティアたちが、一斉にフランドールのほうを向く。
「みんな、さっきは、ごめん、ね。みんなの、宝物、と、気持ちを、わたし、ぜんぶこわしちゃった。ごめん、なさい」
「しゃべっちゃダメよ、フラン!」
しかしフランドールは、息も絶え絶えに、口を動かし続けた。
「わたし、わからなかった、の。はじめて、だったから。ともだち、できたのも。ともだち、に、やさしく、してもらうのも。でも、嬉しかった、楽しかった、よ。みんな、ありがとう。これからも、ずっと、ともだちで、いてね」
そこまで言うと、フランドールは、静かに目を閉じた。
「やだぁーっ!」
チルノが絶叫した。
「フラン死んじゃイヤだよぉーっ!!」
そういって身体を揺さぶるが、フランはもう返事もしなかった。
愕然の表情で凍りつくリグルとルーミア。
そのとき、神妙な顔をしていたミスティアが、鳴いた。
「ちんちーん!」
あまりにも場違いな一声に、みんなの冷ややかな視線を一斉に集める。
「あなた、こんなときに何ふざけてるのよ!」
「脳みそ腐ってるのかー?」
「ちょ、ルーミア酷い! ちがうわよ、いい考えが、ちん、と思い浮かんだのよっ!」
ミスティアが慌てて弁解、そしてその『いい考え』を説明した。
「ルーミア、あなた、闇の妖怪よね。その力を使って、フランを日光から守るの! そしてわたしが、フランを背負って紅魔館まで運んでいく!」
「わかったー!」
「リグル、あなたは虫たちを使って、森中に散らばったフランの体の破片を集めさせて!」
「ええ!」
「あたたたたたたたたたいはっ!?」
「チルノはとりあえず落ち着け」
ミスティアが、仲間たちに次々と指示を与えていく。
そして、みんなで力を合わせて、フランドールを紅魔館まで運んでいった。
◆
フランドールがふたたび目を開けたとき、そこは青空でもなければ、夜空でもない。しかし、見慣れない天井だった。
「あ、れ……?」
ベットに横になったフランドールが口を開くと、視界に四人の友だちの顔が飛び込んできた。
「フラン!!」
「みんな、どうしたの……?」
「どーしたもこーしたもないわよっ!」
チルノが、泣いているような笑っているような怒っているような、複雑な表情で喚いた。
「あんたのバカっぷりに、みんなで呆れてたところよっ!」
いつもの憎まれ口を叩く。
フランドールが身体を起こそうとすると、激痛で動かすことができなかった。
「あっ、ダメよ」
リグルが慌てて制する。
「そうそう、あなた、もうすこしで死ぬところだったんだからね!」
ミスティアにそう言われて見遣ると、ベッドの傍らに、またもや魔道書を開いてうんざりとした表情のパチュリーが座っていた。連日の大仕事に、げっそりとした様子だった。
そして、さらに横を見ると、
「あっ……」
並んだベッドに、姉のレミリア。そしてその奥に咲夜が横たわっていた。
どうやら、ここはレミリアの部屋らしい。
「まったく、あなたのおかげで紅魔館は満身創痍だわ」
フランドールに怪我をさせられたレミリアが、口をとがらせた。
「お友だちに謝るのもいいけど、わたしたちにも謝ってもらいたいところね!」
「ごめんなさい、お姉さま」
フランドールは素直に謝ったが、レミリアの機嫌は治まらない様子だった。
「まあまあ、お嬢様。ここは一番手酷くやられたわたしの顔に免じて、赦してあげてください」
「うう~」
「あっ、咲夜も、さっきはごめんなさい!」
慌てて、包帯まみれの咲夜にも謝った。
「それにしても、この状態なら紅魔館も簡単に侵略できるかもしれないわね、リアルで!」
チルノがレミリアとフランドール人形を弄びながらそう言うと、レミリアに鋭い目つきで睨まれてしまい「ぴぃ!」と身を縮こまらせた。
「でも、今回の一件で、ルーミアの力を使えばフランも外で遊べるってことがわかったわね」
ミスティアが言った。
もっとも、ルーミアの作れる暗闇はほんのちっぽけだから、ずっと傍にいないといけないだろうけど。
「っていうか、光学迷彩スーツを使って脱走しようとしたときも、最初からそうしとけば良かったんじゃ……」
「盲点だったわー」
「もう、ルーミアは盲点だらけなのよ。いつも木にぶつかってばかりじゃない!」
リグルがルーミアにそう言うと、どっと笑いがおこった。
その光景を見て、フランドールは、また楽しい時間が帰ってきたことに嬉しくなった。
「というわけで、フランが元気になったら、この軍団に新しい仲間をスカウトしにいこうと思うの」
「橙っていう化け猫の女の子がいるんだけどね、ちょっと遊んだ感じ、とっても楽しい子みたいなのよ~」
そう言われて、フランドールがレミリアの顔を窺うようにして覗き込んだ。
「まあ、いいわ。勝手になさい」
「ありがとう、お姉さま!」
フランの表情に、笑顔の花が咲く。
「あっ、そうだ! お姉さまもいっしょに行きましょうよ! きっと楽しいわよ!」
「でもいまから仲間になるならフランより下っ端ね!」
チルノがそう言うと、レミリアがむっとした表情をする。
「わたしは誇り高き吸血鬼よ? リーダー以外にはありえないわ。そもそも、あなたたちみたいなガキどもと戯れるなんて、まっぴら御免だわ」
「むかーっ、そんな性格じゃ友だちできないぞー!」
「できなくて結構。わたしには咲夜がいればそれでいいの」
「あらあら」
「むっきゅー!」
「あっ、ごめんごめん。もちろんパチェも大切な友だちよ?」
パチュリーがぷいっとすねてしまったのを見て、みんなは笑った。
ふと、レミリアとフランドールが顔を見合わせた。
そして、ふたりはくすくすと笑い合った。
(了)
「『わーい』」
「『むきゅー』」
「『お嬢様、今日は、じゃなくってお茶会なら毎日やってるじゃないですか~』」
「『わたしたち、毎日を全力で生きてるのよ! 細かいことをいうメイドはこうしてやるんだからっ! じょばー』」
「『きゃあ、熱いあついー』」
「『わあ、大丈夫ですか咲夜さん!?』」
「『むきゅー』」
「『あはははー、お茶会とはお茶を飲むだけとは限らないのよ? 使用人にお茶をぶっかけて楽しむのも、これまた一興。ねぇ、パチェ?』」
「『むきゅ。そういう説もある』」
「『しくしく……』」
「『あははっ、御覧なさい! 瀟洒なメイドが紅茶まみれよ! こりゃ傑作や! 咲夜だけにッ!!』」
「『――もう、我慢なりません……!』」
「『あら、なぁに、その反抗的な態度は?』」
「『むきゅー?』」
「『――よしんば折角淹れた紅茶を頭から被せられたことを許したとしても、その駄洒落だけは許容できません……!! ワタクシ、紅魔館のメイドを辞めさせていただきます!! つーか美鈴、笑ってんじゃねぇぞ?』」
「『ぷぷぷ……【さくや】だけに【けっさくや】……っ! ヤベ、ツボった……っ!!』」
「『ちょっと待ちなさいよ。勝手に辞めるなんて許さないんだから!いぢめる相手がいなくなるじゃないの!』」
「『ならばわたくしめが!』」
「『嫌がる相手をいぢめなきゃつまんないの! 美鈴は引っ込んでなさい! バシーッ』」
「『あヒんっ、ごっつぁんです!!』」
「『むっきゅー! バシーッ』」
「『ごっつぁんです!!』」
「『もうやだこの紅魔館。一刻も早く脱出しなくては!』」
「『待て、逃がさないわ。喰らえ! ビビビビビーッ』」
「『ならば、こっちも反撃します! バババババーッ』」
「『むきゅー。勝ったほうをあたしが全身全霊をかけて愛してやるよーっ! バシーッ』」
「『ヒィ!? あ、あざーっす!!』」
「――なにこれ……?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは、目の前のカオスな光景にたじろいだ。
地下室からなにやら騒がしい声が聞こえてくるので、何事かと様子を見にきてみると、四体に分身した妹のフランドールが殺伐とした人形劇を繰り広げていたからだ。
「えっと……なにをしているのかしら、フラン?」
レミリアが、人形遊びに没頭しているフランドールに声をかけると、四人ともが一斉にレミリアのほうを向いた。
「「「「あっ、お姉さまっ!」」」」
「一斉に返事をしないで。眩暈がするわ。――ときに、その、変な遊びはなにかしら?」
「きゃははっ、お姉さまが話し掛けてるのは偽物よ? 当たり判定があるのは魔方陣を背負ってる、このわたし!」
「あ、いや、そういう攻略情報みたいなのはいらないから。とにかく、この分身たちを消してちょうだい」
レミリアがそう言うと、偽物のフランドールたちが姿を消した。
すると、ぽとぽと、とその手に持っていた人形たちが床に落下し、残ったのはレミリア人形を抱えている本物のフランドールだけになった。
「で、あなた、いったい何をしていたの?」
レミリアが尋ねると、フランドールは笑顔で、
「おともだちごっこ」
と答えた。
「おともだちごっこ?」
「うん、せっかくたくさん人形があるのだから、ひとりで遊んでもつまんないと思って、分身してみんなで遊んでたのよ」
レミリア人形を弄びながら、フランドールはそう答えた。
この紅魔館の住人たちを模した人形たちは、先日、人形遣いのアリス・マーガトロイドが作ってくれたものだった。それを、いつも暇を持て余している妹のためにレミリアが与えたものだが、早くもボロボロにしてしまっている。美鈴人形にいたっては、頭部が取れそうなほどに傷んでいて、首の皮一枚で繋がっているといった状態だった。
「あーあ、こんなにしちゃって。遊ぶなら遊ぶで、もっと大切に扱いなさいな」
レミリアが咲夜人形を拾い上げてみると、これまた腕が外れそうになっていた。
「バトルおままごとに損傷は付き物よ、お姉さま?」
「おままごとにバトル要素はいらないの!」
「フーンだ。この人形たちはわたしが貰ったものなんだから、どう遊ぼうとわたしの勝手でしょ。お姉さまには関係ないもん!」
そういって、フランドールはレミリアが持っていた人形を乱暴に取り上げてしまった。
「――まあ、いいわ。でも、おままごとの内容はもっと穏便なものにしてちょうだい。知らない人が見たら、紅魔館はまるで変態の巣窟じゃないの」
「もう、わかったわかった! わかったから、お姉さまはあっちいっちゃえ!」
小言を言われて癇癪をおこしたフランドールは、注意されたそばから人形をレミリアに投げつけて、自分の部屋から小うるさい姉を追っ払おうとした。
「……」
自分の姿をした人形を、無言で受け止めるレミリア。
ふと、見ると、フランドールの姿を模した人形が、部屋の隅に独りぼっちで転がっていた。
◆
神妙な表情をしたレミリアのまえに、カップが置かれ、メイドの十六夜咲夜が紅茶を注いだ。
「ありがとう」
レミリアがにっこりと笑いながら礼を言うと、咲夜が心配そうな表情をしていた。
「あら、どうかしたの、咲夜?」
「お嬢様が心配そうな顔をしていたので、その心配をしておりました」
「わたし、そんな顔してた?」
レミリアが問うと、咲夜が「はい」と頷いた。
「妹様のことで、また、なにかありましたか?」
「よくわかったわね」
「お嬢様がそういう顔をするときは、決まって妹様絡みのことですから」
そう指摘されたレミリアは、無言で紅茶に口をつけた。
咲夜は特に話を促すこともせず、レミリアの次の言葉を待って、すまし顔で立ち控えている。
パチュリー・ノーレッジは、そんなふたりの会話には感心なさげに本を黙々と読んでいた。
「今日のはね、」
レミリアはティーカップを受け皿のうえに静かに置くと、ゆっくりと語りはじめた。
「今日のは、べつになにかを壊したとか、メイドを殺したとか、そんなんじゃないの。フランの部屋が珍しく騒がしかったから、様子を見にいったら、あの子、スペルカードを使って分身して、一人遊びをしていたのよ」
「それはそれは」
レミリアの話を聞いた咲夜が、その光景を想像してクスクスと笑ってしまった。
「ね、笑っちゃうでしょ? フランったら、その遊びを『おともだちごっこ』なんて言ってるの」
レミリアも、先程の馬鹿馬鹿しい光景を思い出して、すこし笑った。
しかし、すぐに表情を曇らせると、「でも、」と話を続けた。
「全然、楽しそうじゃなかったわ」
そう、フランドールの様子は、一人遊びを楽しんでいるというよりも、むしろそれに夢中になることで気を紛らわしているように思えた。すくなくとも、レミリアの目にはそう映った。
では、何から気を紛らわしているのか?
「――あの子、寂しいのかも」
もしかすると、フランドールはそういう気持ちをどうにかして忘れたいのかもしれない。
でも、半ば地下室に軟禁状態だった以前と比べると、扱いは随分とよくなったはずだ。いまは地下室は開け放してあるから、フランドールがその気になりさえすれば、屋敷のなかを自由に歩き回ることだってできる。
それに、レミリアだって、積極的にコミュニケーションを取るように心がけるようになった。
もっとも、我が儘で情緒不安定な妹との会話は、いつだって長続きするものではなかったけれど。
「もしかすると、妹様は、『おともだち』がほしいのかもしれませんね」
咲夜がそう言うと、しかしレミリアは、より一層表情を曇らせた。
「でも、あの子には友だちを作るなんて無理だって、あなただってわかってるでしょう?」
フランドールは『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持っている。それは、姉のレミリアの手におえないばかりでなく、フランドール本人でさえ制御できずに持て余しているものだった。
もし、友だちなんてものができたとしても、感情の起伏が激しいフランドールは、いつ爆発するかわからない。
そして万一、せっかく仲の良くなった友だちを自ら『破壊』してしまったとしたら、フランドールの幼い心は、その痛みに耐えられないだろう。
「友だちなんて作ったって、どうせ悲しい思いをするんだから……」
レミリアが気にしているのは、その一点のみ。
そこには『おともだち』を気遣う気持ちなど微塵もなく、心配はすべてフランドールに向けられていた。
歪んでいて、おまけに不器用ではあるが、レミリアも妹のフランドールのことを愛しているのだ。
「しかし、本当に無理でしょうか?」
「えっ?」
「最近の妹様は、昔と比べるとずっと落ち着いたように思えますし、むしろ友だちとの交流を通して精神の安定を計れるのでは?」
「そんなの、危険よ!」
とんでもない提案にレミリアが反論すると、咲夜はすました表情でこう言った。
「かつて、わたしにも精神的に不安定だった時期がありました。しかし、お嬢様と出会ってからようやく心の平穏を手に入れることができました。最初は、痛みを伴うかもしれませんけれど、ね?」
「……」
レミリアは、咲夜と出会ったときのことを思い出していた。
出会ったばかりのころの『十六夜咲夜』という名前をレミリアが与える以前の咲夜は、『殺人ドール』の異名が示すとおり、人間のくせに人間味の少ない少女だった。
しかも、咲夜とレミリアのファーストコンタクトは、最悪のカタチで行われたものだった。けれど、
――なんの因果か、現在はお互いに、掛け替えのない存在になっている。
レミリアは、運命の数奇さを想い、クスリと笑った。
「でも、あなたと友だちになった覚えはないのだけどね?」
「ふふっ、心得ています」
咲夜も笑いながら、わざとらしく恭しいお辞儀をしてみせた。
そして、しばし考えたあと「わかったわ」と、レミリアは言った。
「それじゃあ、フランドールの『おともだち』、あなたにお願いできるかしら?」
「はい、お任せください」
ふたりの会話が一段落すると、パチュリーが本に目を向けたままティーカップを差し出し、おかわりの催促をした。
「はい、かしこまりました」
咲夜が、パチュリーのカップに紅茶を注ぐ。
「むきゅー(サンキュー)」
「ところでパチェ、その口癖やめてくれない?」
◆
その翌日のことだ。
フランドールが独り人形劇『紅魔館炎上編』をして遊んでいると、おもむろに扉が開かれて、レミリアが姿を現した。
「相変わらず変なことやってるのね、フラン」
「なによ、今日のは昨日のと違って超大作なんだから!」
「いや、そういう問題じゃなくって……」
妹の奇行に頭を抱えるレミリア。ここにきて、また不安が高まってきた。
しかし、フランのことを、というよりも咲夜の言葉を信じて、レミリアは次の言葉をついた。
「ときに、今日はあなたに会いたいっていう子たちが来てるんだけど」
フランドールが、硬直した。
「……えっ?」
どうやら、レミリアの言っていることの意味が、一瞬、理解できなかったらしい。だが、ぽかんとしていたフランドールの表情に、花のつぼみがゆっくりと咲くように、じわじわと笑顔が広がっていった。
「えっ! ええっ!? それって、本当!? ホントに、わたしに会いたいって言ってるの?」
フランドールにとって、それは信じられない思いだった。
紅魔館に訪れる者はわりと少なくはないけれど、自分に用があって訪れる者なんて、いままで一人としていなかったからだ。
「ええ、そうよ」
レミリアは嬉しそうな妹を見て、何事かを決心したかのように頷くと、「出てらっしゃい」と、扉の陰に隠れていた者たちを呼び出した。
「こんばんはー」
「おじゃましますー」
「おおー、地下室って聞いてたけど、思ったより広いわね!」
「さっすがお嬢様だー」
ぞろぞろと部屋に入ってきたのは、四人の妖怪の子どもたちだった。
「えっ、あっ? あなたたち、わたしになんの用?」
まさか、四人もいっぺんに来るとは思っていなかったフランドールは、緊張気味に言った。半ば混乱していたので、思わずつっけんどんな言い方になってしまった。
「なんの用って、遊びに来たに決まってるじゃない!」
「わたしたち、吸血鬼の女の子がこの館にいるって聞いて、遊びに来たのよ」
「そうそうー」
「フランドールだっけ? じゃあ、フランって呼んでいいよね?」
口々にしゃべくる妖怪の子どもたちに、フランドールは圧倒されてしまう。
「うん、いいけど……それより、あなたたちのお名前を教えてよ」
「ああー、ごめんね。じゃあ自己紹介からはじめましょうか」
そう言うと、四人は順番に名乗りはじめた。
まず先陣を切って飛び出したのは、とりわけ元気そうな妖精だった。
「あたい、チルノ! はじめに言っとくけど、ここだけの話、あたいってば最強だから、口の利き方には気をつけたほうがいいわよ。真冬のつららみたいに尖ってるって、幻想郷中の妖怪に恐れられてるんだから!」
イキナリ不躾な自己紹介、というか挑戦状を叩きつけられた。さすがのフランドールも、呆気に取られてしまう。
そんなチルノを押しのけるようにして、鳥の妖怪がフランのまえに躍り出た。
「えっと、バカはほっといて、と。――わたしはミスティア。ミスティア・ローレライ。趣味と特技は歌うこと。あと、この軍団のリーダー的存在よ」
「こらーっ、誰がバカだってー!? それにリーダーはあたいだぞー!」
「チルノはこないだ隊長だって言ってたじゃない」
「隊長もリーダーもボスも親分もティラノサウルスも、偉そうで強そうなのは全部あたいの仕事なのよ!」
「ね、やっぱりバカでしょ、この子?」
「まだ言うかーっ!」
なにやら喧嘩をはじめたチルノとミスティアを放置して、男の子みたいな格好をした妖怪が進み出た。頭に触覚が生えていることから、虫の妖怪なのだろう。
「わたしはリグル・ナイトバグよ。なんか世間では虫の王って呼ばれてるみたいだけど、こう見えてもれっきとした女の子なんだから。そこんところ、よろしくね」
「うん、よろしく」
フランドールは、ちょっぴり照れながら頷いた。
「ほら、ルーミアも挨拶して」
リグルは、ぼーっとしている金髪の女の子をそう言って急かした。
「わたしはルーミアだよー」
その子は、それだけ言うとまたぽんやりしてしまった。
「……えっ、それだけなの?」
「ごめんね、ルーミアってこんな子なのよ。友だちだけど、わたしたちにとっても謎の多い妖怪なの」
「謎めいてるって素敵だものー」
なにはともあれ、全員が自己紹介を済ませたことになる。
「あっ、でもわたし、すぐには覚えられないかもしれないわ。四人もいっぺんに名前を覚えるなんて、はじめてなんだもん」
フランドールがそう言うと、ミスティアが「心配いらないわ」と言った。
「名前なんて遊んでるうちに自然と覚えるわよ。さっ、ところでなにして遊ぼっか?」
「おおー、フランったらたくさんおもちゃ持ってるのね! じゃあ、これで遊びたい!」
チルノが、部屋を勝手に物色しながら喚声をあげた。おもちゃなら、レミリアから貰ったものがたくさんあった。
「でも、どれも壊れちゃってるわね」
床に転がっていた人形を拾い上げて、リグルが呟いた。
「うん、お姉さまがくれるおもちゃって、すぐに壊れちゃうんだもの」
「最近のおもちゃは軟弱だからねー」
普段は蛙をおもちゃにして遊んでいるチルノが、うんうん、と頷いた。
「そうだ。直せるものだったら、わたしが修理してあげる!」
リグルはそう言うと、懐から携帯の裁縫セットを取り出して、おもむろに人形を修繕しはじめた。どんな糸より丈夫な蚕の絹糸と、鋭い蜂の針を器用に扱って壊れた人形の身体をくっつけていく。
「ほえ~、あんたってば、まるで女の子みたいね!」
「チルノったら、わたしは乙女だってあれほど言ってるのに、まだ男の子だと思ってるの?」
「そーだったのかー」
「ええっ? ルーミアまで!?」
そんなリグルたちを見て、フランドールは思わず笑ってしまった。そして、みんなで笑った。
「……」
フランドールたちの様子を静観していたレミリアは、その光景を見ると、口元をすこしほころばせて、静かに退室した。
◆
夜明け前に騒がしい四人組が帰ったあと、ディナー(時間的には朝食だけど)のときに、フランドールは珍しく饒舌だった。
「……それでね、チルノって本当にバカなのよ。ちょっとからかうと、すぐにムキになって面白いんだから! あとね、リグルはね、男の子みたいだけど女の子で、もしかするとあの子たちのなかで一番おしとやかなのかもしれないの。ねっ、面白いでしょう」
「そうね。じゃあフランも、もうちょっとおしとやかに振舞ってくれないかしら?」
レミリアは、興奮して食事を食べ散らかすフランドールを嗜めた。
しかし、ご機嫌なフランドールはへそを曲げることなく「ごめんなさい」と素直に謝った。
そんなフランドールの汚れた口元を、無言の咲夜がナプキンで拭ってやる。そんな咲夜も、どこか嬉しそうな様子だ。
「ねえ、お姉さま。明日はお姉さまもいっしょに遊ぶといいわ。あの子たち、最高よ! きっとお姉さまも楽しいはずよ!」
「わたしは遠慮しとくわ。いろいろと忙しいもの」
妹の誘いを、レミリアはやんわりと断った。正直なところ、あの連中はレベルが低すぎて苦手だった。もちろん、そんなことは口には出さないけれど。
「そーなのかー」
あっ、これルーミアの口癖なのよ、と嬉しそうにしゃべるフランドールに、レミリアは改まった様子で言った。
「ときに、フラン? せっかくできた友だち、大切にしなさい」
「わかってるわよ。絶対に壊したりしないわ」
レミリアはそういうつもりで言ったわけではなかったけれど、ひとまず、フランドールが一番基本的なところを解ってくれたみたいで、安心した。
◆
「ありがとう、咲夜。あの子が嬉しそうだと、わたしも嬉しいわ」
「ええ。お嬢様が嬉しいと、わたしも嬉しいですからね」
レミリアと咲夜は、日光を遮るパラソルをさしたバルコニーのテーブルで、フランドールのおともだち計画の首尾について語り合った。当のフランドールは、遊び疲れてしまったのか、いつもより早めに眠ってしまった。
「でも、あの人選はどうかしら。この館に招くにしては、ちょっとばかり品がないと思うのだけど?」
「わたしは、妹様と精神的に釣り合いが取れる者を、と思って連れてきたのですが。類は友になりやすい、と思いまして」
「あら、わたしの妹に対して随分なこと言ってくれるわね」
「これは失礼しました」
とは言っても、無邪気なフランドールにはぴったりの相手たちだとは思っていた。咲夜もそんなレミリアの考えはわかってのことだ。
しかし、咲夜がフランドールのおともだちを選ぶにあたって、もうひとつ考慮したことがあった。
それは『万が一のことがあったとき、問題にならない人選』である。
あの四人の妖怪たちは、基本的に後ろ楯のない根無し草のような連中だった。
もちろん、そんなことは口には出さない。
「ところで、咲夜? 寝る前に一杯、血のワインが飲みたいわ」
「それならばすでに」
咲夜が、奇術のようにテーブル上にワインボトルを冷やしたバケツとグラスを出現させる。
「あら、流石じゃない」
今日は、レミリアの機嫌も良いみたいだ。妹に友だちができて、本当に嬉しいのだろう。
時を操る瀟洒なメイドは、スカーレット姉妹が本当の意味で和解するのも時間の問題だと考えた。
◆
もともと明るい性格のフランドールは、すぐにチルノやミスティアたちと打ち解けることができた。
今日もフランドールの考案したバトルおままごとをして、みんなで遊んでいる。
「『あたいの』……じゃなかった。『わたしのナイフで貴様ら全員ナマスにしてやるーっ!』」
チルノが、咲夜人形を操りながら紅魔館の住人に迫る。
「『ひゃー、助けてー』」
「『むきゅー』」
美鈴役のリグルと、パチュリー役のルーミアが、狂気とバカを兼ね揃えた思いつく限り最悪のメイドから逃げ回った。
「『待ちなさい、これ以上わたしの屋敷での狼藉は許さないわよ』」
レミリア人形を携えたミスティアが、ふたりを護るように立ち塞がった。
「『ふっふっふ。お嬢様も、案外お甘いようで』」
「『なん……だと……?』」
チルノが不敵に笑ったときには、すでに遅し。背後から忍び寄ってきたフランドール役のフランドールが、レミリア人形の首を掻っ切った。
「『さよならお姉さま。嫌いではなかった……』」
「『グッフォォォイ!? あなたたち、結託してやがったのか!』」
「『結託ってどーゆー意味? 難しい言葉使うのはやめてよね!』」
「『結託なんてしていないわ、お姉さま。咲夜とは目的が一致しただけよ。紅魔館を乗っ取るという目的がね!』」
そして、チルノとフランドールが向き合う。
「『それじゃあ、どちらが主に相応しいか、決着をつけるわよ!』」
「『望むところよ!』」
と、そのときだった。
「『むっきゅー! ザシュッ、ザシュッ』」
「『ぎゃぁぁぁぁっ!?』」
「『あ、あんたも紅魔館を狙っていたとは……無念』」
不意を突いたルーミアが、咲夜人形とフラン人形の首を掻っ切ってしまった。ちなみにリグルの美鈴人形もとっくに殺られていた。
「あ~、またルーミアの勝ちか~」
「むきゅー」
「途中まではいい調子だったのにね」
「っていうか、協力して襲ってくるなんて卑怯よ。戦場はいつも孤独な場所なのよ」
五人の子どもたちは、人形の首を拾いながらわいわいと騒ぎあった。
念のためにこの遊びのルールを解説すると、相手の人形の首を切り落としたものが勝ちという、シンプルかつ物騒なものである。ただしその行動は、役に乗っ取ったものでなくてはならない、という得体の知れないルールに則っている。
「ねー、もうこんな野蛮な遊びやめましょうよー。っていうか、誰が壊した人形を修理すると思ってんのよー」
「やだね。こんなエキサイティングな遊び、弾幕ごっこ以外に知らないわ!」
嘆くリグルにミスティアがそう言ったのを聞いて、チルノはなにかを思いついたように手を打った。
「そうだ! リグルが人形を直してるあいだ、今度は弾幕ごっこをして遊ぼう! あたい、フランのスペルカード見てみたい!」
チルノの提案に、フランドールは途端に表情を暗くした。
「無理よ。わたし、館の外には出られないもの」
吸血鬼は、その強大な能力に比例するように、弱点も多い。レミリアに野外の危険と恐ろしさを何度も聞かされてきたフランドールにとって、館から足を踏み出すことは最大のタブーなのである。
「じゃあ、館の中でやればいいじゃないの!」
「でも、以前、遊びにきた巫女や魔理沙と弾幕ごっこをしたとき、家を壊しかけちゃって、お姉さまにひどく叱られたし……」
「ああ、確かにあたいのスペルはまじハンパないから、その危険性はあるなー」
「まあ、実際に弾幕ごっこをすれば、わたしのほうが強いのは確かなんだけどね」
「おっ、フランったら命知らずの恥知らずね!」
そんなふたりを見て、どうにかできないものかと考えていたミスティアとリグルが、顔を見合わせて頷き合った。
◆
それから何日か経ったある日のこと。いつものように地下室で遊んでいると、みんなの様子がおかしいことにフランドールは気付いた。
なんだか面白いことを知っているような、隠し事をしているような、そんな感じだった。
「ねえ、あなたたち、さっきからなにニヤニヤしてるのよ? 楽しいことだったら教えてよ」
そういうと、ミスティアが待ってましたとばかりに、
「実は、フランドール・スカーレットさんに耳寄りなお知らせがありまーす!」
と歌うような調子で言った。他の連中も、どこか嬉しそうだ。
「えっ、なになに!?」
「今日は、太陽が苦手なフランのために、こんなものを用意しました。ほら、リグル!」
「ええ!」
そして、リグルが取り出したるは――、
「――カッパ?」
一見、なんの変哲もない青いレインコートだった。
「惜しい! 限りなく惜しいわよー!」
「正解は、河童の光学迷彩スーツでしたー」
その、光学迷彩スーツとやらを、訳のわからないまま受け取るフラン。これが、いったいどうして太陽に関係あるのだろうか。
「この光学迷彩スーツっていうのはね、光を遮ることでその姿を消せるらしいのよ。よくわかんないけど」
「でね、光を遮るのなら、フランがおそとに出られない原因の太陽も、へっちゃらになると思うの!」
「それって、本当!?」
それを聞いたフランの顔が、ぱあっと明るくなる。
すると、自分が手にしているなんの変哲もないレインコートが、とても素晴らしい宝物のように思えるようになった。
「フランが館の外に出られるように、みんなで考えたんだからっ!」
「チルノのアイデアはロクなもんがなかったけどね。フランとルーミアがこっそり入れ替わる、とか」
「でも、河童に頼んでもなかなか貸してくれなくて。最終的にはわたしたちが囮になってるあいだに、ルーミアがちょろまかしてくれたのよ」
「礼には及ばないわよー」
四人の言葉を嬉しそうに聞いていたフランドールだったが、心配事項がひとつだけあった。
「でも、お姉さまは許してくれるかしら」
それは、姉のレミリアの存在だった。
「あんたが持ってるそれ、光学迷彩スーツよ?」
「だから……どうしたっていうのよ」
「フランったら、本当にバカよねー」
「むっ、チルノに言われたくないわ」
やれやれといった様子のチルノにとりあえず腹はたったが、なんで馬鹿にされたのかはわからなかった。
「姿を隠して、こっそり外に出るにはうってつけじゃないのよ!」
「えっ……? その発想はなかったわ!!」
まるで天啓を得たように、フランドールは驚いた。
姉の目を盗んで外に出ようなんて、考えたことはなかったからだ。だって、外は恐ろしい世界だと思っていたから。
でもいまは、外の世界には楽しいことがたくさんあるように思えた。
「きゃはっ、なんだかワクワクしてきちゃった!」
嬉しそうにはしゃぐフランドールに、ミスティアたちはフラン脱走作戦の説明をした。
吸血鬼は、基本的に太陽の昇っている日中は眠っている。それはレミリアにとっても例外ではない。その隙を突いて、光学迷彩スーツで姿を消したフランドールが紅魔館を脱出。近くで他の仲間と合流して、幻想郷中を面白おかしく遊びまわるのだ。以上。
「そうと決まれば、体力を温存しておきましょう。せっかくおそとで遊ぶもの、ね? というわけで今日のバトルおままごとは中止~」
リグルのその言葉により、そのあとは普通の人形遊びで暇を潰した。
いままで独りぼっちだった人形のフランドールも、みんなと遊べて、どこか楽しそうに見えた。
◆
フランドールは光学迷彩スーツを頭からすっぽり被り、屋敷の廊下を抜き足差し足で移動していた。
メイドの妖精たちは、そんなフランの姿にはまったく気付かずに、黙々と掃除をしている。妖精の花のような体臭を感じられるくらい、近くにいるというのに。
(いま、イキナリわたしがコートを脱いで姿を現したら、この妖精、きっとびっくりして腰を抜かすわね!)
つい、悪戯心をくすぐられる。
しかし、もっと楽しいことが待っているので、フランドールはその気持ちをぐっと押し殺した。いまは、笑い声ひとつあげてはいけないときなのだ。
ようやく、二階に到着する。
フランドールはバルコニーへの扉を、音をたてないように気をつけながらゆっくりと開いた。
外は、眩しいほどの、快晴。忌々しいほどに日差しが照り付けていた。
(よし、行くわよ……!)
恐る恐る、外へ踏み出した。
一瞬、踏み出した足が日光に焼かれる錯覚をしたけれど、スーツに包まれた足には何の痛みも感じない。成功だった。
「やった……!」
思わず小声で喚声をあげたフランドールは、ゆっくりと全身を外気にさらした。
「……」
やはり、なんの異常もない。
すると、フランドールの胸に、どきどきするほどの喜びが込み上げてきた。
――信じられない。自分が一人で外に出られるなんて!
ところが、バルコニーの柵に片足を乗せ、みんなとの待ち合わせポイントに飛び立とうとしたときだ。
それは起こった。
「――えっ、ウソっ!?」
突然、身体中が焼け付くような痛みに襲われた。
フランドールは、混乱した。いったいなにが起こったのか。計画は順調だったはずなのに。どうして? どうして? どうして?
無数の「?」が、真っ白になったフランの頭のなかを埋め尽くしていく。
そう、事故の原因は、フランドール自身にあった。
あまりにも大きな喜びで興奮状態にあったフランは、自らの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を制御できなくなっていた。そして、意外と精密機器であった光学迷彩スーツが壊れてしまい……太陽光を遮るものが、一瞬にして奪われたのだ。
卵を落とせば瞬時に目玉焼きを作れるほど熱した鉄板、それを全身に押し付けられるような高熱と激痛。
正気の飛んだフランドールは、紅魔館全体の窓ガラスが砕け散るほどの叫び声をあげた。
◆
フランドールがふたたび目を開けたとき、そこは青空でもなければ、夜空でもない。見慣れた、自分の部屋の天井だった。
「フラン!!」
姉のレミリアが、意識を取り戻したフランドールに飛びつくようにして抱きついてきた。
「痛いっ……!」
服を脱がされて全裸だったところに直接触れられて、身体中がヒリつくように、痛んだ。
「ダメよ、レミィ! まだ……」
魔導書を開いて、治癒の魔法を施していたパチュリーが、慌ててレミリアを制した。
「ああ、ごめんなさいフラン。わたしったら、つい……」
レミリアは身を離しながら、しかし、心底ほっとしたような表情をした。
周囲を見渡してみる。
すると、自分の寝かされているベッドの周りには、レミリア、咲夜、パチュリー、そしてミスティアたちの姿があった。
「あっ……」
「ごめんね、フラン……」
「わたしたちがそそのかしたばっかりに……」
みんな、悲しそうな顔をしていた。あのチルノでさえ、涙目で不貞腐れたような顔をしている。
「フラン、詳しい話はこの子たちから聞かせてもらったわ」
静かに語るレミリアだったが、その表情は怒りを顕わにしていた。
「わたしは――、コイツらを殺してやりたい!」
「……ッ!? お姉さま、そういうこと言うの、やめてよっ!!」
フランドールは身体を起こすと、友だちを庇うように手を広げ、姉を睨みつけた。
緊迫した空気に、暢気なルーミアも完全に硬直している。
「――ええ、わかってるわ」
レミリアは落ち着いた口調に返り、そう呟くように言った。
「この子たちはフランの大切なおともだち。手をかけるようなことはしないわ、絶対に」
フランドールも、ほっと安堵の息をついた。
「さあ、今日のところは、あなたたちはもう帰りなさい」
咲夜が、ミスティアたちにそう告げると、しぶしぶといった様子で四人は頷いた。
「じゃあ、また来るからね。おとなしくしてなきゃダメよ?」
「明日、わたしの屋台自慢の八目鰻持ってきてあげる。美味しくって健康にいいのよ、たぶん」
「お元気になってねー」
「あたい、知ってる! フランがこんなことで諦めるようなタマじゃないって。今度はもっとパーフェクトな計画を持って、くるか、ら……」
レミリアが鋭い目つきで睨みつけているのに気付いて、チルノは「ひゃっ!」と身を縮こまらせた。
そしてフランドールは、咲夜に連れられて四人が出ていった扉を、いつまでも無言で眺めていた。
そんな妹を見つめていたレミリアは、ちょっと考えて口を開いた。
「ねえ、フラン? あなた、叫び声を聞いた咲夜が咄嗟に時間を止めて助けてくれなかったら、本当に危ないところだったんだからね。お願いだから、もう心配かけないでちょうだい」
「わかってるってば」
フランドールは姉の言葉もそこそこといった様子で、パチュリーに声を掛けた。
「ねえねえ、ちょっとみんなをお見送りしてきてもいいかしら」
「ええ、構わないわ」
「ちょ、まだ話したいことが……」
レミリアが抑止するも、途端に笑顔になったフランドールはシーツをケープのように素肌に羽織り、とてててーっ、と部屋を出ていってしまった。
残されたレミリアが、寂しそうな顔をする。
「――あの子にとって、わたしって、いったいなんなのかしら?」
「お姉さん」と、パチュリーが答えた。
「当たり前じゃない」
「目の上のタンコブ」
「うっ、随分と手厳しいわね……」
しかし、自分の愛情がうまく妹に伝わっておらず、かえって疎ましく思われているのは事実だ。
先程の、憤慨した様子でこちらを睨みつけるフランドールの顔を思い出す。
いったい、どうしたら良いというのだろう、とレミリアは思った。
◆
随分と意識を失っていたようで、窓の外はもう真っ暗だった。
途中で咲夜とすれ違い、みんなはどうしたかと尋ねると、ついさっき帰ったばかりだという。
それを聞いたフランドールは羽織ったシーツが乱れるのも気にせず、大急ぎで二階まで駆け上がった。たったいまミスティアたちが帰ったばかりなら、まだ目の届くところにいると思ったからだ。
そして、大声で叫ぶのだ。
「また明日も遊ぼう」と。
泣き出しそうなほど落ち込んでいたみんなも、フランドールの元気な姿を見れば、きっと元気になってくれるに違いない。
二階の窓から外を覗く。
すると、紅魔館から伸びる真紅の道を、みんな揃って帰っているところだった。
「みんな……!」
ぱっと笑顔になって、窓を開く。
ところが、その笑顔は一瞬にして曇った。
さっきまでしょんぼりとしていたはずのみんなが、一変して楽しそうに、笑顔でわいわい騒ぎながら帰っていたからだ。
みんなの手には、咲夜に持たされたと思しき、お菓子の小包が握られていた。
フランドールは、ひどく悲しい気持ちになった。
悲しい気持ちになることはよくあるけれど、こんなに悲しいのは初めてだった。
◆
フランドールの火傷は、次の日には完全に回復していた。
「さっすが、吸血鬼よね~。昨日のことが嘘だったみたいに、すっかり元通りだもん。これじゃあせっかく持ってきた八目鰻をフランに独り占めさせるのも癪ね、みんなで食べちゃおっか?」
ミスティアが笑いながらそう言ったが、当のフランドールはなにやら元気がない様子だった。
「まだ、どこか痛いの?」
「そーなのかー?」
「そういうわけじゃないけど……」
いつもとはちがうフランドールの態度に、リグルとルーミアは訳がわからないといった様子で顔を見合わせた。
「ま、しょぼくれたあんたも、これを見ればちったぁ元気になるでしょうよ!」
そういって、チルノが取り出したのは、氷漬けになった彼岸花だった。彼岸花の毒々しい紅色が、硝子細工のように透き通った氷に複雑に反射して、幻想的な輝きを放っている。
「キレイ……」
フランも、思わず、すべてを忘れて見入ってしまうほど美しいものだった。
「これ、あたいの大切な宝物なんだ! ずっとまえに幻想郷が花だらけになったときがあって、そのときの冒険でゲットしたのよ!」
そしてチルノは、そのときの経緯を身振り手振りを交えて語った。それは本当か嘘か疑わしい部分もいくつかあったけれど、聞いているだけで胸が高鳴るような冒険譚だった。
「わたしも宝物持ってきたのよー」
次にルーミアが取り出したのは、見たこともないような奇妙な筒だった。ルーミアがなにやらいじると、先端にはめ込まれた硝子から、キラキラと七色の光が溢れ出した。
ルーミアはそれを拾ったときの話や、この素敵装置の正体について幻想郷中を調べ回ったときのことを、いつもの暢気な口調で、だけどどこか興奮気味に語った。ちなみに、古道具屋に聞いたところによると、外の世界から迷い込んできたペンライトというものらしい。
「それじゃあ、わたしの番みたいね」
リグルの宝物は、黄金虫の形をしたブローチだった。そして、リグルが、これを手に入れたときのことを語り始めた。そのときのことだった。
――フランドールは、突然、リグルのブローチを『破壊』した。
「きゃっ!?」
リグルが飛び散るブローチの破片から身を庇う。
フランドールはそんなの気にせずに、次々とチルノとルーミアの宝物の目を握りつぶして『破壊』し、ミスティアの持ってきた八目鰻も床にぶちまけて、ぐちゃぐちゃに踏み潰した。
「ちょっと、なんてヒドイことするのよ!」
大切な八目鰻を台無しにされたミスティアが、怒りの表情で抗議した。材料の調達、仕込み、調理までのすべてに丹精込めた八目鰻の蒲焼は、食べ物とはいえ、ミスティアにとっては宝物同然だったからだ。
「ヒドイのはそっちじゃない!!」
フランドールの叫び声が、地震のように部屋を揺さぶった。
「わたしが外に出られないって知ってるくせに、外の楽しかったり面白かったり嬉しいことの話をして! わたしが持ってないような宝物を見せびらかして! 酷い!! 酷い!! 酷い!!」
フランドールは、涙をぼろぼろと零しながら、金切り声をあげて喚いた。
そう、チルノたちの話は、聞いていて、とても楽しいものだった。
だからこそ、自分が一層惨めに思えた。だって館の外に自由に出られない自分には、たぶん一生体験できないような話ばかりだったから。
「ちがうのよ、フラン」
ミスティアが何事かを言いかけたが、フランドールが腕を払い除けるようにすると、見えない衝撃に殴りつけられたミスティアが壁に叩きつけられた。
「黙れ黙れ黙れ! わたし、見たもん! あなたたちが昨日あの後、お菓子をもらって嬉しそうにしてたこと!!」
昨日の光景を思い出すと、また悔しさが込み上げてくる。
「わたし全部知ってるんだから! みんながわたしに優しくしてくれるのだって、ぜんぶお姉さまに頼まれてやってるんでしょ!? 全部ぜーんぶ、『おともだちごっこ』だったのよ!!」
そのとき、フランドールのまえに、険しい顔つきをしたチルノが躍り出た。
「あたい、お菓子は大好きだけど、そのためにフランと遊んだんじゃないわよ! 楽しかったから遊んだだけだっ!」
叫びながら、チルノがフランに掴みかかった。
「宝物だって、フランが喜ぶと思って持ってきたのにーっ!」
「チルノ、そういうこと言わなくてもいいから!」
リグルが叫んだ。しかし、チルノの怒りは止まらない。
「あたいたちの宝物、せっかくフランのお見舞いにあげようと思ってたのに! それを全部壊しやがってー!!」
「……えっ?」
興奮していたフランドールが、チルノの言葉に、息をつまらせた。
「えっ、だって、それ、あなたたちの大切な宝物だって言ってたじゃない……」
床に飛び散った、無数の宝物の破片を見下ろした。
これは、チルノたちにとって、とても大切なものであるということは、その品物に纏わるエピソードを聞いただけでも、十分に伝わってきた。
そんな大切なものを、人にあげてしまうなんて。
フランドールにしてみれば、とても信じられないことだった。
「いったい、何事!?」
そのとき、騒ぎを聞きつけて、レミリアと咲夜が地下室に飛び込んできた。
そして室内をざっと見渡すと、おおむねのことを一瞬で理解する。
「あなたたち、ここは危険だから早く逃げなさい!」
「だってフランが……」
「いいから!」
咲夜に怒鳴られて、リグルたちが慌てて逃げ出す。フランの髪の毛を引っ張っていたチルノも、ミスティアに引き剥がされてムリヤリ連れて行かれた。そのとき、ミスティアは「ごめん。傷付けるつもりはなかったの」と悲しそうな顔で呟いて退室した。
そして、広い地下室に、スカーレット姉妹だけが残された。
「……」
レミリアは、目の前で泣きじゃくるフランドールのために、なにか言葉をかけてあげたかった。けれども、姉として妹を慰める言葉が思いつかなかった。
だから、無言でフランドールを抱きしめてあげた。
圧倒的な力を持った幼い吸血鬼・フランドールは、レミリアの腕のなかで、か弱い動物のように泣き震えていた。
◆
それからしばらくして、地下からレミリアが上がってきた。
「妹様のご様子は?」
階段のところでレミリアを待っていた咲夜に尋ねられ、いまはだいぶ落ち着いていること。独りにしてほしいと言われたことを告げた。
「はぁ……」
レミリアが溜め息をつく。
「情けないわね、わたし。フランが泣いているのに、結局一言も慰めてあげることができなかった。長年フランを遠ざけていた自分の愚かさを憎むわ」
「いいえ、きっとそれで良かったのですよ」
咲夜が柔らかく微笑んで言った。
「悲しいときに、傍にお嬢様がいただけで、妹様はきっと嬉しかったはずです」
「そうかしら」
「ええ」
レミリアは納得のいかない表情で、もう一度、溜め息をついた。
「そうそう、さっき帰したあの子たち、また明日も来てくれるそうですよ」
「そう、あのバカどもも酷い目に遭わされたくせに、懲りない連中ね」
しかし、酷い目というものが、思いのほかたいしたことなくて本当に良かった。フランドールの力を持ってすれば、あの妖怪たちの命を、一瞬でまとめて消し飛ばすこともあり得たのだ。
「きっと妹様の胸には、お嬢様の『友だちを大切にしなさい』という言葉が生きていたのでしょう。だから感情的になって手をあげたときも、無意識のうちに力を抑えたのだと思います」
「フランも、成長しているということね」
「ええ。あと、お嬢様も」
「咲夜、殺すわよ?」
このメイドは、たまにこうやって主人をおちょくることがあるから始末に終えない。
とはいえ、レミリアは事態が徐々に良くなっていることに、ほっと一安心した。
◆
ところが、フランドールの胸のなかは、不安でいっぱいになっていた。息がつまりそうなほど、苦しかった。
昨日、みんなに裏切られたと勘違いしたときよりも、自分が友だちを傷付けてしまったということのほうが、ずっと辛かった。
部屋の床には、まださっきの破片が散乱している。
みんなの宝物、それを自分が壊したという証拠だ。
フランドールがすべてを『破壊』したとき、ミスティアもチルノも怒っていたし、リグルは悲しそうな顔をしていた。ルーミアのしょんぼりとした表情も頭から離れない。
昨日目撃したみんなの笑顔は、フランを喜ばせる計画を話し合っていたときのものに違いない。
その笑顔を、この手で、すべて裏返してしまったのだ。
我が儘な自分のために、自分の大切な宝物をくれようとした友だちに、暴力を振るってしまった。
もう、赦してくれないかもしれない。
そう考えると、ふたたび叫び出したくなるほどの不安に駆られた。
「そうだ。わたし、まだみんなに謝ってない……!」
謝っても、赦してもらえないかもしれないけれど。
「みんなに謝らなきゃ!」
フランドールは、ベッドから立ち上がった。
◆
フランドールがエントランスホールにあがると、そこにはレミリアと咲夜がいた。
「フラン、もう大丈夫なの?」
しかし、フランドールは姉の言葉を無視して、玄関を目指した。
「ちょっと待ちなさい! どこへ行こうというの?」
「わたし、みんなに会いに行くわ。会って、謝ってくるの」
玄関の戸に手をかけたフランドールのもとに、レミリアたちが駆けつけてきた。
「ダメよ! もう、夜明けが近いわ。昨日のこと忘れたの?」
「うるさいなー! お姉さまは邪魔しないでよっ!!」
そういって、力任せに払い除けると、力に殴打されたレミリアの身体が大きく吹き飛んだ。
「お嬢様!?」
壁が崩れるほど強かに打ちつけられたレミリアのもとに、咲夜が駆け寄った。
「わ……わたしのことはいいから、あの子を止めなさい! 多少強引でも構わないから!」
「はい!」
薄闇の外に飛び出したフランドールのまえに、咲夜が躍り出るようにして立ち塞がった。
「妹様、お戻りください。お嬢様が悲しみます」
煩わしい、と思った。
そして、咲夜の目を握ろうとした。
フランドールには、あらゆるものに存在する『目』が見える。それを握りつぶすことで、さっき壊してしまった宝物のように、跡形もなく粉砕することができるのだ。それは、例え生物であっても例外ではない。
だが、フランは咲夜を握るのはやめた。
――大切な友だち。
フランドールにとってチルノたちがそうであるように、咲夜もまたレミリアにとって大切な存在なのだ。そして、レミリアも咲夜の大切な存在である。
だから手加減をして、咲夜を攻撃した。
「きゃあ!?」
しかしフランドールの一撃は、咲夜をその弾幕ごと吹き飛ばすには十分すぎるほど強力だった。
咲夜は、紅魔館の時計台に磔にされて、ぐったりと沈黙した。
「早く! 早くみんなに会いたい!」
フランドールは、夜明けが迫る空に飛び立っていった。
◆
東方から、日が昇る。
それは、昨日の瞬間的な熱さとは違い、じわじわと照り焼きにされるような熱さがあった。
比較的脆いフランドールの翼は、紅魔館を囲む霧の湖を飛び越えたあたりで焼け崩れてしまい、限界を向かえた。
フランドールは森を駆けた。
勢いで飛び出したものの、館の外の世界をまったく知らないフランドールに行く当てがあるはずもなく。ただひたすら、友だちの名前を叫びながら、がむしゃらに森を駆けた。
日が高くなるにつれて、フランドールを襲う熱が凶暴化していく。
やがて、外気に触れていた顔や手足の皮膚がふつふつと沸騰しているような感覚に襲われた。身体の一部が徐々に崩れて、砂になっているのだ。
さらに、日光が灼熱のナイフとなって身体中に突き刺さり、骨さえも焦がすような痛みもあった。
だが、フランドールは足を止めることなく、声をあげながら探し続けた。
チルノ。
ミスティア。
リグル。
ルーミア。
大切な友だちに、ただ一言、謝るためだけに。
それだけのために、フランドールは地獄の責め苦のような痛みを耐えながら走った。
外に出ればこうなることは、昨日の一件でイヤというほど思い知らされていたというのに。
もしかすると、フランドールは気がふれていたのかもしれない。
そして――、
「フラン!?」
みんなに会えた。
◆
霧の湖の近くの森に、チルノの家はある。大木の根元の空洞に作った、寝食をするためだけのシンプルな空間だ。
そこにみんなで集まって、先程の件の反省をしていた。
「やっぱり、わたしたちもフランの気持ち全然わかってなかったと思うの。館の外の話をしてあげたら外に出られないフランも喜ぶと思ってたけど、そうじゃなかった。もっと寂しくさせただけだったみたい……」
「あたいはフランをゆるさないけどね! せっかく見所のある奴だと思ってたのに、あんなに自分勝手で我が儘な子だったなんて!」
「チルノが言うなー」
「とにかく、わたしたちが良かれと思ってやったことが、フランを傷付けたことは確かよね。明日また謝ろう。そして、またいっしょに遊びたいよ」
「あたいは悪くない! だから絶対に謝らない!」
そのときだった。
ルーミアの耳に、かすかな呼び声が飛び込んできた。
「フランの声よー!」
「えっ、フランの声が聞こえるわけないじゃない。紅魔館からどれだけあると思ってるのよ」
「ミスティアは黙って!」
とにかく、みんな黙って、耳を澄ましてみた。
「――!?」
「いま、聞こえたよね!?」
「フランが近くにいるってこと!?」
そのとき、真っ先に飛び出したのはチルノだった。他のみんなも、慌てて後を追う。
外に出れば、フランドールの声はよりはっきりと聞こえた。
しかし、その声には苦痛の色が濃く混じっている。
フランが日光に焼かれ苦しんでいる姿が、ありありと目に浮かぶ。
チルノたちも、呼び声を頼りに、必死で森を探し回った。
そして――、
「フラン!?」
フランドールがいた。
精神の限界まで追い込まれた虚ろな表情。陶磁器のように白く美しかった肌もボロボロで、翼にいたっては完全に崩れ去ってしまっている。
そんな状態になっても、フランドールはなお、自分たちの名前を掠れきった声で呼びつづけていた。
「フラン!!」
もう一度名前を呼びながら駆け寄ると、こちらに気付いたフランドールは、心から嬉しそうな表情で弱弱しく微笑むと――、
糸が切れたかのように、ふっつりと倒れた。
◆
ミスティアたちは、すこしでも日光を遮るため、フランドールを木陰に運び込んだ。しかし、木洩れ日の光が、ゆっくりとフランドールの体力を奪っていく。
「いけない、このままだとジリ貧だわ!」
「永遠亭に凄腕のお医者さんがいるって聞いたことあるわ!」
「ダメだ。ここからじゃ遠すぎる! それに紅魔館の魔女を頼るにしても、この日差しのなかフランを連れて帰ることはできないわよ!」
「どうしようどうしようー」
「やだよぉーフランが死んじゃうよぉー」
わたわたと慌てふためく声に、意識を取り戻したフランドールが静かに口を開いた。
「みんな……」
騒いでいたミスティアたちが、一斉にフランドールのほうを向く。
「みんな、さっきは、ごめん、ね。みんなの、宝物、と、気持ちを、わたし、ぜんぶこわしちゃった。ごめん、なさい」
「しゃべっちゃダメよ、フラン!」
しかしフランドールは、息も絶え絶えに、口を動かし続けた。
「わたし、わからなかった、の。はじめて、だったから。ともだち、できたのも。ともだち、に、やさしく、してもらうのも。でも、嬉しかった、楽しかった、よ。みんな、ありがとう。これからも、ずっと、ともだちで、いてね」
そこまで言うと、フランドールは、静かに目を閉じた。
「やだぁーっ!」
チルノが絶叫した。
「フラン死んじゃイヤだよぉーっ!!」
そういって身体を揺さぶるが、フランはもう返事もしなかった。
愕然の表情で凍りつくリグルとルーミア。
そのとき、神妙な顔をしていたミスティアが、鳴いた。
「ちんちーん!」
あまりにも場違いな一声に、みんなの冷ややかな視線を一斉に集める。
「あなた、こんなときに何ふざけてるのよ!」
「脳みそ腐ってるのかー?」
「ちょ、ルーミア酷い! ちがうわよ、いい考えが、ちん、と思い浮かんだのよっ!」
ミスティアが慌てて弁解、そしてその『いい考え』を説明した。
「ルーミア、あなた、闇の妖怪よね。その力を使って、フランを日光から守るの! そしてわたしが、フランを背負って紅魔館まで運んでいく!」
「わかったー!」
「リグル、あなたは虫たちを使って、森中に散らばったフランの体の破片を集めさせて!」
「ええ!」
「あたたたたたたたたたいはっ!?」
「チルノはとりあえず落ち着け」
ミスティアが、仲間たちに次々と指示を与えていく。
そして、みんなで力を合わせて、フランドールを紅魔館まで運んでいった。
◆
フランドールがふたたび目を開けたとき、そこは青空でもなければ、夜空でもない。しかし、見慣れない天井だった。
「あ、れ……?」
ベットに横になったフランドールが口を開くと、視界に四人の友だちの顔が飛び込んできた。
「フラン!!」
「みんな、どうしたの……?」
「どーしたもこーしたもないわよっ!」
チルノが、泣いているような笑っているような怒っているような、複雑な表情で喚いた。
「あんたのバカっぷりに、みんなで呆れてたところよっ!」
いつもの憎まれ口を叩く。
フランドールが身体を起こそうとすると、激痛で動かすことができなかった。
「あっ、ダメよ」
リグルが慌てて制する。
「そうそう、あなた、もうすこしで死ぬところだったんだからね!」
ミスティアにそう言われて見遣ると、ベッドの傍らに、またもや魔道書を開いてうんざりとした表情のパチュリーが座っていた。連日の大仕事に、げっそりとした様子だった。
そして、さらに横を見ると、
「あっ……」
並んだベッドに、姉のレミリア。そしてその奥に咲夜が横たわっていた。
どうやら、ここはレミリアの部屋らしい。
「まったく、あなたのおかげで紅魔館は満身創痍だわ」
フランドールに怪我をさせられたレミリアが、口をとがらせた。
「お友だちに謝るのもいいけど、わたしたちにも謝ってもらいたいところね!」
「ごめんなさい、お姉さま」
フランドールは素直に謝ったが、レミリアの機嫌は治まらない様子だった。
「まあまあ、お嬢様。ここは一番手酷くやられたわたしの顔に免じて、赦してあげてください」
「うう~」
「あっ、咲夜も、さっきはごめんなさい!」
慌てて、包帯まみれの咲夜にも謝った。
「それにしても、この状態なら紅魔館も簡単に侵略できるかもしれないわね、リアルで!」
チルノがレミリアとフランドール人形を弄びながらそう言うと、レミリアに鋭い目つきで睨まれてしまい「ぴぃ!」と身を縮こまらせた。
「でも、今回の一件で、ルーミアの力を使えばフランも外で遊べるってことがわかったわね」
ミスティアが言った。
もっとも、ルーミアの作れる暗闇はほんのちっぽけだから、ずっと傍にいないといけないだろうけど。
「っていうか、光学迷彩スーツを使って脱走しようとしたときも、最初からそうしとけば良かったんじゃ……」
「盲点だったわー」
「もう、ルーミアは盲点だらけなのよ。いつも木にぶつかってばかりじゃない!」
リグルがルーミアにそう言うと、どっと笑いがおこった。
その光景を見て、フランドールは、また楽しい時間が帰ってきたことに嬉しくなった。
「というわけで、フランが元気になったら、この軍団に新しい仲間をスカウトしにいこうと思うの」
「橙っていう化け猫の女の子がいるんだけどね、ちょっと遊んだ感じ、とっても楽しい子みたいなのよ~」
そう言われて、フランドールがレミリアの顔を窺うようにして覗き込んだ。
「まあ、いいわ。勝手になさい」
「ありがとう、お姉さま!」
フランの表情に、笑顔の花が咲く。
「あっ、そうだ! お姉さまもいっしょに行きましょうよ! きっと楽しいわよ!」
「でもいまから仲間になるならフランより下っ端ね!」
チルノがそう言うと、レミリアがむっとした表情をする。
「わたしは誇り高き吸血鬼よ? リーダー以外にはありえないわ。そもそも、あなたたちみたいなガキどもと戯れるなんて、まっぴら御免だわ」
「むかーっ、そんな性格じゃ友だちできないぞー!」
「できなくて結構。わたしには咲夜がいればそれでいいの」
「あらあら」
「むっきゅー!」
「あっ、ごめんごめん。もちろんパチェも大切な友だちよ?」
パチュリーがぷいっとすねてしまったのを見て、みんなは笑った。
ふと、レミリアとフランドールが顔を見合わせた。
そして、ふたりはくすくすと笑い合った。
(了)
でも、ちょっと「むきゅー」を言わせすぎな感じが・・・。
フランと四人組みがとっても愛らしかった。
いいなぁ、この四人組みとフランの絡み。
面白かったです。
面白かったですw
レミリアもレミリアで馬鹿たちを見下しつつも完全に駒扱いはしていない辺りに好感が持てます。
いい感じに丸く収まってよかったですw
来週の木曜日も楽しみに待っていますw
来週の木曜か……ビデオの予約しないと……
しかし来週の木曜が楽しみだZE!
あれ…目から味噌汁が…
みんないいキャラしてます、素晴らしい。
『フランドー』期待しております。
うかつにも生茶吹いた
今度は大ちゃんも一緒に遊ばせてあげてください。