永遠亭には、一つの儀式がある。
布団の上で、へにょった耳の持ち主が眼を覚ました。可愛い兎柄のパジャマに身を包んだ彼女は、跳ねるように上体を起こして辺りを見回す。
そして、小さく呟いた。
「・・・・・・夢、か」
いつものようにいつもと違う寝起きを味わった鈴仙・優曇華院・イナバは、開き切ってない目をこすった。これ以上赤くなったらどうなるのだと、彼女の師匠はよくからかっている。
それでも眠いのはどうしようもない。
「うぅ・・・・・・顔でも洗ってこよ」
どうしようもないとはいえ、こすりすぎは目に悪い。
滅多にないが、侵入者を撃退する時には彼女の“狂気の眼”が重宝される。そんな時に「眼が痛くて開けられません」なんてことになれば、良くて荒事担当から外されるだろう。
永遠亭主要メンバー三人が彼女のことを『荒事担当』と認識していないのは本人だけが知らない事実。
「はぁ・・・・・・」
今日は珍しく因幡てゐの罠が仕掛けられていないことに、安堵と普段の気苦労から来る溜め息を彼女は吐く。
襖を開けて一歩縁側に出た彼女は、眩しい太陽の洗礼を受けた。
「――晴れか」
赤い眼をかばうようにして右腕をかざした鈴仙は、どこか切なそうにそう呟いた。
冷水で顔を洗って覚醒しきった鈴仙にはすぐに仕事がやってくる。
元軍人ということもあり(最近は衰えてきたが)彼女の朝は早い。どれぐらい早いかというと、健康に気を使うてゐより早く徹夜してるんじゃないかと言いたくなる八意永琳よりは遅い、といった感じである。
「は~い、みんな起きて~」
そんな彼女の朝の仕事は因幡達を起こすこと。
名目的に因幡達を束ねる立場としての仕事だが、常々てゐにやらせた方がいいんじゃないかと鈴仙は思っている。でも仕事は仕事なのでしっかりとやる。
「あ、あと三分・・・・・・」
「一秒だって待たないわよ」
人型の因幡の言葉には厳しい口調で返しておく。そこはやはり元軍人。
「・・・・・・むにゃむにゃ」
「・・・・・・・・・・・・」
人型になれない因幡の寝言とも鼾とも取れる言葉には、言葉でなく行動で。
布団を引っぺがして脇にどけてから別の因幡を起こしにかかる。
これが、彼女の朝である。
全ての因幡を起こし、大団円の朝食を済ませれば、
次に待っているのは怪しげな薬師の手伝い見習いである。
「うどんげ、そこの棚のエプサミリン取って」
「は、はい」
白衣に着替えて部屋に入れば先に実験を始めていた永琳が振り向きもせずに指示を出す。いい加減慣れないとな、なんて思いながら鈴仙は言われたとおりのことをする。
「間違えてトリプサミリンは持ってこないでね、人間ごと幻想になったとある都市の二の舞になりたくなかったら」
「は・・・・・・はい」
いい加減慣れないと、いつかたった一つのドジで幻想郷崩壊、なんて馬鹿らしいことになりかねない。
『ドジっ娘ウサ耳少女が幻想郷転覆か!?』なんて新聞が出回るようなことは断じ避けなければならない。
そう考えながら、意地悪なのか整理のためか似たような名称が並ぶ棚の一角から鈴仙は目当てのものを探し出した。
「言っとくけど、本味醂は持ってこないでね」
「まさかそんな――ってなんでこんなものがここにあるんですか」
ああそういえば一本足りなかったな、なんて妙に冷静な思考が鈴仙に語りかける。
これは彼女にとって一番慣れないことだ。とかく宇宙人の思考は読みがたい(月兎が言えた義理ではないが)。野菜ジュースかと思えば蓋を開ければ蠢きだすようなものから、怪しげな液体と見せかけて健康飲料なんてことは日常茶飯事。
たまにその毒牙にかかるのはもっぱらへにょった耳の持ち主で――
「うどんげ、まだかしら?」
「は、はい、すみませんっ」
無駄な考え事に意識を取られすぎていたようだ。意識を戻してみれば、わざわざ振り返った永琳が鈴仙を見つめている。
自らの師の視線に、彼女は何となく目を逸らした。
「これですね」
「ええ、そうよ。ありがと」
一言礼を言ってから永琳は実験機材に目を戻した。あとは何か用事があるまで基本的に鈴仙は暇である。その時間を活かして、いわば“師の技を盗む”のが最近の鈴仙の日課。
入手経路を問いたくなるような物体をかき混ぜている手元を覗き込み、それがどのようなものかを判断する。
たまに出てくる気まぐれ以外では、永琳から鈴仙に何かを教えるということはあまりない。そこは見習い助手の自主性に任せるのが永琳の教育方針である。
(・・・・・・あれを混ぜたら、煙が出るんだ)
何もすることがないが目と耳はしっかりと働かせて盗み見る。
これはもちろん師の言葉を聞き漏らさないように、というのもあるが、本来は自らの安全性を確保するため。
思考も感覚も変わっているのか、時折永琳は思いもよらない失敗(本人は認めないが)をする。その予兆を見抜き、即座に逃げ出すために鈴仙は集中しているのだ。
逃げる時は鈴仙一人で逃げる、どうせ死んでも生き返る。
「うどんげ」
「はい?」
「そこの棚の――」
こうして陽は落ちていく。
夜、それは戦争である。
「因幡三番隊、食卓到着を確認!」
「てゐ、すぐにお皿の用意!」
台所と食卓のある和室を往復するてゐにてきぱきと指示を出していく鈴仙。もちろん、これは夕食の風景である。
「れ、鈴仙様ぁ! 味醂はどこですか!」
「そこの下にないの!?」
「ありません!」
人型になって年月が経っている因幡達に手伝いをさせながらも自らは包丁で野菜を切り続けている。焦りと疲れか目が血走っている辺り危ない人にしか見えない。
さて、なぜこのような修羅場になっているかというと、
「因幡四番隊、二人ほど足りなかった!」
「ああもうまだ遊んでるの? 探してきて、お願い!」
そう、問題は人型化して年月が経っていない因幡達。
いろいろと気の緩む時期であるため、夕食時には行方不明者が続出するのだ。その問題をさらにややこしくしているのは「夕ご飯ぐらいは皆で食べたいわ」という姫の考えだったりする。もちろん誰も文句を言わないが。
「鈴仙様ぁ・・・・・・味醂・・・・・・」
「ああもう――そうだ、師匠の部屋に確か一本あったはず!」
ちなみに人型になれていない因幡は仲良く他の部屋で人参を食べている。人型化すると何故かグルメになるのもこの修羅場の一因であった。
現在、永遠亭内に生息する因幡の数は・・・・・・てゐですら把握してないという噂だ。
「あ、ありました、味醂がありました!」
「良かったぁ・・・・・これで準備はほぼ――――ってそれ味醂じゃなくてトリプサミリン!」
何はともあれ、夜は更けていく。
「・・・・・・永琳、イナバは?」
「うどんげですか? いつものように縁側で――」
「あぁやっぱり。いつものところでいつものように、ね」
「姫・・・・・・・」
「いいじゃないいいじゃない、可愛いモノは愛でたくなる、ってね」
星の輝きよりも大きく、円い月が空に浮かぶ。
どこも欠けず完全な円を描くそれに、昔の人間は兎を見たという。
太陽とは違いひっそりとだが、それは重要な存在である。
魔法使いはそこから力を得るし、
兎の狂気の元もやはりそこ。
「・・・・・・・・・・・・」
そんな月を、縁側で見上げる鈴仙一人。
普段なら纏わりつく因幡も、今はもう夢の世界へと旅立っている。そんな時間だと
いうこともあるが、彼女の周りには誰もいない。
兎も人も、虫も獣もいない。
月に照らされる世界に、鈴仙がただ一人。
そんな世界に、割り込む影が一つ。
「・・・・・・イナバ?」
背後からかけられた声に、鈴仙は反応しない。
普段ならそんなことはない、自らの“飼い主”である彼女に呼びかけられて返事をしないなどというのは、“ペット”としては間違っている。
だが彼女は返事をしない。
「イナバ?」
もう一度、はっきりと、さっきよりも近くからかけられた声にも反応しない。まるで自らが存在しないかのように――波長をずらしてもいないのに。
その沈黙に、輝夜は小さく溜め息をついて、
「よっと」
覆いかぶさるようにして、鈴仙にもたれかかった。
「・・・・・・なんですか」
小さく、鈴仙が呟いた。感情のこもっていない抑えられた声。
「んー、寒そうだな、と思って」
その言葉通り、輝夜と鈴仙の位置関係はまるで二人羽織をしているかのよう。
鈴仙の背は高いほうだが彼女は縁側に座っている、そんな彼女を輝夜のゆったりとした着物が包み込む。
「・・・・・・寒くはないです」
「まぁいいじゃない、イナバは寂しいと死んじゃうんでしょ?」
「それは迷信です」
「“寂しい”ってことは否定しないのね」
「・・・・・・・・・・・・」
千年単位で生きる姫に、人間よりは長命といえどたかが月兎程度で勝てるはずがない。それが言語を介する勝負なら尚更のことだ。
だから鈴仙は黙りこくる。勝てないのなら、話さなければいい。
だから輝夜も黙りこくる。話したくない時は話さなくていい、そういう考えだから。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
こんなにも月は綺麗なのに、二人は月を見ない。
輝夜が来た時から鈴仙は俯いているし、輝夜は端から鈴仙しか見ていない。
月明かりの下に、月を見ない存在が二人。
「いつも――」
数分して、鈴仙が口を開いた。
「いつも、抱きしめてくれるんですね」
「抱き心地が良いから」
まるで抱き枕に対するような言葉が自然と口をついて出る。そういったところは、ある意味姫らしいといえよう。
鈴仙にとって、それは嫌なことではない。
「いつもいつも――――満月の夜は、抱きしめてくれるんですね」
「いつもいつも――――満月の夜になると寂しそうにしてるイナバが居るからね」
そうやって輝夜は、鈴仙を抱きしめる腕に力を込める。
圧迫感が増すが、それすらも嫌なものではない。
そう、この時間は鈴仙にとって一番落ち着ける時間。
だからこそ――
「なんでこうしてるか、聞かないんですか?」
「ペットのことは飼い主が一番良く知ってるのよ」
そういうことではない、そういうことでは決してない。
「飽きないんですね」
「可愛いモノは飽きないのよ」
ある意味、二人は似たもの同士。
月から逃げた大罪人。
「時々、思うんですよ」
「何を、かしら」
「・・・・・・こんなに幸せでいいのかな、って」
同胞を見捨てた。
故郷を捨てた。
逃げてはいけない時に逃げ、帰るべき時に帰らなかった裏切り者。
その罪の重さは、いったい如何ほどだろうか。
だけどそれは輝夜も同じこと。
「いいのよ、それでいいのよ」
「でも、私は――」
「ペットを幸福にするのは、飼い主の義務よ」
ただそれだけのこと。
邪念も修飾も同情も憐憫もない。
ただそれだけのこと。
「・・・・・・大丈夫よ、うどんげ。あなたの幸せを邪魔する存在は、私がとっちめてやるから」
“イナバ”ではなく“うどんげ”。
輝夜がそう呼ぶ時は、この時間だけ。
懐かしく切ない、この時間。
だから、鈴仙は涙を流した。
綺麗な綺麗な、一筋の涙。
十五夜の月夜に月を見ない存在が二つ。
これは繰り返される儀式。
欠けが存在しない月が出る夜の、二人の儀式。
“飼い主”と“ペット”は――――今日も二人で夜をすごす。
永遠亭はなんとなく暗めになっちゃうことが多いですが、やっぱりこれはこれでGJ
さぁ、早くさとパルとやらを書く作業に(ry
ここのSSでは姫様がうどんげを可愛がるケースが多いですねぇ
トリプサミリンというのがなんのことやら元ネタなど分からなかったですが(ググっても出ませんでした)
姫様がちゃんとカリスマしてるね