※ このお話は、同作品集内の『リベンジ?』の後日談として作りました。
押さえておくべき点はただ一つ、「紫が霊夢に過保護になった」なのですが、前作を読んで頂いた方が今作を読みやすいと思います。
不親切な設定で大変申し訳なく思います…なんとか前作を読んでいなくても理解できるように仕上げたつもりです…
『私は一向に構わんッ!!』と思っていただける方はそのまま下へお進みください。
「ふぅ、お茶が美味しいわねぇ。最近本当に平和だわ」
ここは相も変わらず博麗神社の縁側。お日様もポカポカしていてとてもいい気持ち。
「あなたもそう思うでしょ?」
「にゃー」
返事をするのは、先日の異変からここで飼うこととなった地獄の火焔猫、お燐である。
飼うといっても神社にいる間は餌を提供するというだけの関係で、私はこいつが再び厄介事を起こさないかを監視をしているのだ。
こいつにとっても意外とここの居心地がいいようで、結構頻繁に神社にやってくる。
気付けば私の後をちょこちょことついてきたり、寝ている私のお腹の上で丸くなっていたりするが、今は私の膝の上でまどろんでいる。
「はぁ、本当に気持ちいい。気が抜けてしまいそうなくらいだわ…」
「にゃー…」
お燐も相当いい気分の様で、顔が緩みきっている。放っておくとこのまま寝てしまいそうだ。かく言う私も相当眠いのだけれどね…
だが、そんな平和な時間は許さん、と言わんばかりの轟音が境内から鳴り響いた。
「きゃあっ!! 何、何なの!?」
「に゛ゃっ!?」
突然の爆音に、私もお燐もさっと身構える。
どうやら何かが墜落したようで、境内は未だにもうもうと土煙を上げている。
私は警戒しながらそれを注視していると、その中でゆらりと揺れる影があった。それは動いていて、どうやら人影のようだ。
「この神社に白昼堂々と奇襲を仕掛けるとは…愚か者か、あるいは……」
「フー!」
相当の実力者という事になるわね…お燐も毛を逆立てて威嚇している。
私は一層警戒を高めると、影は奇声を上げながら縁側へ、つまり私の方向へ突進してきた。一体何者!?
「れーーーいーーーむぅーーーー!!」
「…正体が判ればどうということも無いわね」
「にゃあ」
「む、折角来てやったっていうのに随分な物言いだな」
影の正体は顔馴染みの魔法使い、魔理沙だった。こいつがおかしな行動をとるのは今に始まったことじゃないし、警戒して損したわ。
猫の表情は分からないが、お燐もどことなく呆れた様子だ。
「何で貴女が墜落して来たのか、一応聞いてもいいかしら?」
「そんなの、今日はたまたまそんな気分だったから、ってだけだぜ」
「…聞くだけ無駄だったわね」
「にゃー…」
「何か馬鹿にされた気分なんだけど…?」
「そんなことないわよ? ね、お燐?」
「にゃー」
「むぅ、なんか納得いかない…」
私はあれだけ派手に墜落していて、怪我一つしていない貴女に納得がいかないけどね。
お燐はどうでもよくなったのか、縁側で再び丸くなっている。どうやら話に関わる気はないようだ。
「それで何しに来たのかしら? まさか境内を荒らしに来ただけ、なんて言わないでしょうね?」
「これは不可抗力ってやつだぜ。今日は霊夢にちょっと聞きたい事があるんだよ」
何が不可抗力か。相変わらず訳のわからない理由をほざきやがるわね。
しかしこれだけ荒らしておいて、掃除するのは私というのはいかなる理不尽だろうか? だが、それをいまさら魔理沙に言ったところでこいつの奇行を止められるとは私には到底思えない。結局、いつもの事と流すしかないのだが、最近それに慣れてしまっているような気がする。
私は何だかんだで魔理沙に甘いのかも知れない。まあ長年の付き合いだし、慣れってやつね。
「はぁ…それで、何が聞きたいのよ」
「実はな、紫の事なんだよ」
魔理沙の口から出てきたのは、意外な人物の名前だった。
まさか魔理沙から紫のことで相談されるなんて、夢にも思わなかったわ。
「紫? あいつがどうしたのよ?」
「いやな、最近のあいつの様子、どんな感じだ?」
「あいつの様子って…相変わらず胡散臭いわよ。ねぇ、お燐?」
「にゃー」
「それはそうなんだけどさ。そうじゃなくて、最近の紫に変わった様子は無いか?」
最近の紫…?
あいつが変わってるのはいつものことだと思うけど、魔理沙が聞きたいのはどうもそういうことじゃなさそうね。
「紫ねえ……あ、そういえば…」
「何か思い当たるのか?」
「なんかねぇ、最近のあいつってやけに私に優しいのよ」
「…それっていつからだ?」
「前に魔理沙に言われた悪戯をあいつに仕掛けた日から…だと思うわ」
以前、紫の悪戯に報復を考えた私に、魔理沙がその方法を提案してくれてそれを実行したことがある。しかしそれは、紫の迫真の演技に私が逆にからかわれるという結果に終わってしまったのだ。今思えば、それ以来あいつの悪戯はめっきり姿を消したような気がする。
いや、それどころか妙に私の世話を焼こうとするのだ。
事あるごとに私の家に押しかけて、やれ食事はきちんと取っているかだの、やれ具合は悪くないかだの、やれ一人でお風呂は入れるか、一人で眠れるかだの…挙句の果てには私の入浴中にお風呂場に侵入してきたり、布団に侵入してきたりと……いや、以前とさほど行動は変わらないけど、あの日から頻度は激増したような気がする。
「時期的には一致するな…それでどうだ? あれ以来なにか悪戯されたか?」
「それがねぇ、何もされないのよ。その点ではあれは成功だったのでしょうね」
「そうか…」
「魔理沙の聞きたい事ってそれだけ?」
「いや、本当に聞きたい事は別にあるんだ」
「なんだ、だったら早く本題に入りなさいな」
「というかこれはもはや嘆願に近いものだぜ…」
「どうしたの、あなたらしくないわよ? いつもみたいにスパッと言っちゃいなさい」
「なら言うぞ…霊夢、折り入って頼みがある」
「なあに?」
「あいつの対処法を教えて下さい!!」
「ふぇ?」
突如頭を下げたかと思うと、魔理沙は妙なことを口走った。こいつは何を言っているのだろう?
あいつ…っていうのは紫のことでしょうね、話の流れから考えて。それの対処法を教えてくれとは一体どういうことなのだろうか?
「お願いします、霊夢さん…いや、霊夢先生!」
「ちょ、ちょっと魔理沙、いきなり何を言っているの?」
「…駄目なのか?」
「そんな捨てられた子犬みたいな目で見つめないで。
私が言ってるのは、貴女の発言の意味が分からないってことよ」
「ああ、そういうことか」
「何があったの? 貴女が紫について聞きたがるなんて…」
「実はな…最近、あいつの悪戯による被害が増えてるんだよ。それも各所で」
「被害ですって?」
「というかあいつにからかわれる事が増えたんだ。以前はこんな事無かったのに…」
「何でそんな事に…?」
私が被害を受けなくなって、ようやく幻想郷も平和になったと思っていたのに、いつの間にか拡大していたなんて…
「ここだけの話、あいつによる悪戯が拡大し始めた時期と、あの日は一致するんだ」
「ふぅん、妙な偶然もあるものね。それがどうかしたの?」
「…まだ分からないのか、霊夢?」
「何のことよ?」
「あの日以来、お前は悪戯されなくなったと言ったな?」
「そうねぇ、本当に平和だわ」
「そして、私はあの日以来周囲に被害が拡大していると言ったよな?」
「言ったわね…要領を得ないわ。言いたい事があるならハッキリ言いなさい」
「じゃあ言うぞ。紫はお前に悪戯しなくなった分、その鬱憤を周囲に向けてるんだよ」
「へー、災難ねぇ」
「…それだけ?」
「他に何を言えっての?」
他の人が被害を受けているのか知らないが、私に害は無いのだ。これ重要ね。
前の報復に関しては完全な私事だったが、他人が悪戯されているからって私に何の関係があるだろう。
「そもそも紫自身の問題でしょ? 止めて欲しければ直接あいつに言いなさいよ」
「それが無駄だってことは霊夢が一番よく知ってるだろ?」
「まあね」
「だから対処法を知りたいんじゃないか。霊夢ほど経験豊富なら、対処法の一つや二つ持ってるだろー? それを教えてくれよー」
「なんとも不名誉な経験豊富ね。ていうか、貴女は何をされたの?」
「この前は寝てる間に額に『大往生』って書かれた。何故だかあの時は異様に技の解説をしたくなったぜ」
「…『肉』って書かれなかっただけましじゃない?」
「あ、それはもうやられた」
「書かれたの…」
「平仮名だったけどな。あの時は出会う人みんなにバックドロップしかけちまってなぁ……いやぁ、いろんな人が悲惨な目に遭ったぜ。特にパチュリー」
ミ○ト君なところに妙なこだわりを感じるわね。
きっと漢字だった場合は異様に牛丼が食べたくなるのでしょう。そしてピンチの時にはパワーアップ。
「そんなの対処法って言われても、消せばいいだけの話じゃない?」
「それが不思議な事に、丸一日経たないと消えないんだよ」
「じゃあ家から出なければ…」
「この私にじっとしてろって言うのか?」
魔理沙の性格上そんな事は到底不可能だろう。紫もそれを理解しているからこそ魔理沙に狙いを定めているのかも知れない。
むむ…思ったより厄介ね。いくら魔理沙よりキャリアが長いとはいえ、あいつに対抗する手段なんて…
「残念だけど、私には何もできないわ。そもそも私ではあいつに勝てない」
「そんな…」
「でも私よりも遥かに経験豊富な人…藍だったら何か手立てを知ってるかもしれないわ」
「藍か……確かにそうかも知れないな。よし、早速行って聞いてみるぜ! じゃあな、霊夢」
「えぇ、行ってらっしゃい……多分結果は一緒でしょうけどね」
藍なら私よりも紫についてよく知っている。そう、あいつに関しては諦める他ないのだということも…
頑張れ魔理沙。これからも私の代わりに尊い犠牲となり続けて頂戴。それにしても、魔理沙はマヨヒガがどこにあるのか知っているのかしら?
「ま、いいか。これでようやく落ち着けるわね」
「にゃあ」
縁側に座りなおすと、お燐が私の膝によじよじと登って来て、また丸くなった。そんなに居心地がいいのだろうか?
「ねぇ、そんなに私の膝は気持ち良いの?」
「にゃー」
多分今のは肯定の鳴き声なのだろう。まあ別に邪魔だという訳でもないし、害も無いから放っておこう。
お茶に口をつけると、もうすっかり冷めていた。
「はぁ…淹れなおさないと。でも、紫はどうして私に悪戯しなくなったのかしら?」
あいつの事だからいつもの気まぐれなんだろうけど…それで周囲が被害を受けるとなるとなんだか私が悪いみたいに聞こえるわね。
「そんなこと考えてても仕方ないか。お茶淹れてくるからちょっと退いてね。それとも貴女も飲む?」
「にゃー…」
「冗談よ。貴女は文字通り猫舌でしょうしね」
さて行こうか、と立ち上がった私を異様な気配が襲う。
これは先ほどの魔理沙の気配とは明らかに違うもので、さらに言えば人間のそれとは遠くかけ離れた気配だ。
再び緊迫した空気が博麗神社を包み、私とお燐は即座に戦闘態勢をとった。今度は一体何者だというのか…!?
「霊夢…少しお時間よろしいですか~…?」
「…今度も正体が判ってしまえばどうということも無かったわね。何の用かしら、妖夢」
「聞いて下さい、霊夢…実は最近…」
「紫に悪戯されて困ってるって言うんでしょ?」
「…何故それを?」
「ついさっき魔理沙が来て同じこと言ってたわ。それで、貴女は何をされたの?」
「そうなのよ! 聞いてよ霊夢!」
「ちょ、近いって! 聞くからとりあえず落ち着きなさい」
「あ、すいません。コホン、紫様が私に何をしたかというと、主に刀に対する悪戯なの」
「刀に…? どんな?」
「始まりは突然だったわ。ある日、私の刀が二つとも接着剤で固められて抜くことすらできなくなったの」
「…地味な嫌がらせね」
「それはまだいいわ。ある時は私の刀を別の物にすり替えられたりもしたのよ」
「へぇ、例えば?」
「…バナナ」
「ばなな?」
「ええ、私はそうとも気付かずにしばらくの間バナナを携えていたの」
「…なんですと?」
いやいや、それはさすがにおかしいでしょ。それは気付きましょうよ、妖夢。
いくらなんでもバナナと刀を間違えるなんて…一文字しか合ってないし、そういう問題でもないし。
「紫様曰く、私の認識能力を弄ったらしく、私にはそれが愛刀に思えたの。幽々子様にそれを食されるまで全く気付かなかったわ」
「…さすが紫。悪戯に力注いでるわね」
「幽々子様が、『妖夢ったら、美味しそうな物持ってるわね』と言って私の刀を食べ始めたときは心臓が止まるかと思ったわよ…」
妖夢にしてみれば、幽々子がバリバリと刀を貪っているように見えたのか。
とんでもなくシュールな映像が思い浮かんだけど、当事者である妖夢にとっては堪ったものじゃないわね。
「そして昨夜はとうとう私に実害が…」
「まだあるの…?」
「そんな手の込んだことはされなかったけれど……ただ、深夜の森に一人放り出されただけよ」
「なんだ、そんなこと?」
「そんなことじゃない! あぁ…私がどれだけ恐ろしい思いをしたか…」
「…そういえば貴女って、お化け苦手だったわね」
「自分を奮い立たせるために何度『さんぽ』を歌ったことか…あの歌には励まされるわ、いやホント」
『私はーげーんきー!』と大声で歌いながら真夜中の森を一人闊歩する妖夢を想像する…
涙目になりながらも、必死で笑顔を作ろうとしている様がありありと想像できるわね。
「それはいいとして、貴女も紫の対処法を聞きに来たの?」
「そうなのよ…なにかいい知恵はないですか、霊夢先生?」
「私なんかに聞くより、あなたの主人の方がよっぽどあいつについて知ってるんじゃない?」
「幽々子様は…駄目だわ」
「どうしてよ?」
「どうせ、『あら、楽しくっていいじゃない』とか言うに決まってるもの」
「そんなこと聞いてみないと…」
「ていうか言われたわ」
むぅ、実践済みか。じゃあ…
「藍には聞いてみたの?」
「もう既に。曰く『妖夢…紫様に抵抗すること、それはとても真っ当な考えだ。けどな、世の中にはどうにもならないことって、あるんだぞ?』らしいわよ」
今頃魔理沙も全く同じ台詞を聞かされていることでしょうね。無事にマヨヒガにたどり着いていればの話だけど。
それにしてもさすが藍ね。それほどの境地に達した人物の言葉というのは、何と深いのでしょう…
「あの人の、あんな煤けた笑顔は初めて見たわ。それに、すごく遠い目をしてた」
「そう…でもね、妖夢。藍の言葉は真実よ」
「え…ということは?」
「あいつに対抗する手段は……ない」
「そ…そんな……霊夢ならもしかしたら、って思ってたのに…」
その理由は推して測るべし、ね。まったく…嫌な認識を持たれたものだわ。
藍ですらあれほどの境地にいるというのに、それよりも経験の浅い私がどうしてあいつの対処法を持っていると思うのだろうか?
「ねぇ、どうして私なら何かあるって思ったの?」
「え…っと、それは…なんと言うか…」
「なに? 私に言いづらいことなの?」
「そういう訳ではないのだけど…敢えて言うならば、雰囲気ね」
「雰囲気?」
「ええ。霊夢は紫様の悪戯にも堪えていなかったような気がしたから、何か秘策でも持ってるのかなぁ…なんて思って」
私が? あいつの悪戯に?
そんなことある訳が無い。現にあいつに報復まで考え、実行したというのに…
「残念だけど、それは大きな勘違いよ」
「そう…悪戯を受ける霊夢の態度があまりにも自然だったから…」
「それも勘違い。大人しく諦めなさいな」
そして私の代わりに犠牲となるがいいわ。
残念ね、妖夢。私には何もできないけれど、せめて哀れんであげる。
「そうなの…はぁ、憂鬱だなぁ…」
「なに? あいつの悪戯って言っても、そんなに深刻になるようなことかしら?」
「そう言えるところが私たちとは違うと思うんだけど…それはもういいわ。
実は昨夜の私の行動を紫様は全て見ていたらしくて…『妖夢ったらからかい甲斐があって面白いわぁ。よーし、妖夢の為にこれからもゆかりん頑張っちゃうからね!』なんて言葉を残されて……私はこれからどうしたらいいの…?」
これは本気でへこんでるわねぇ…そんなに一人肝試しがきつかったのかしら?
でもなんだろう、この気持ちは。今の妖夢の言葉…紫の台詞を聞いた時、胸がチクリと痛んだ…
「…まぁ、今度紫に会ったら一応言ってみるわよ」
「本当!? あぁ、助かるわ…」
「あまり期待はしないでよ? なにせ相手はあの紫なんだから」
「わかってるわ。とにかくお願いするわ、霊夢。貴女だけが頼りなんだから」
「はいはい」
「それでは霊夢、私はこれで。話を聞いてくれてありがとう。少し気が楽になったわ」
「気にしなくていいから。またね」
「はい、さようなら」
私だけが頼り…か。妖夢にしてみれば大袈裟なんかじゃないのね。相変わらずの苦労人ねぇ…
しかしなんだというのか。さっきから胸の奥の辺りがどうにもスッキリしない。ムカムカしてモヤモヤして…気分が悪いことこの上ない。
「にゃあ?」
「…どうしたの、お燐?」
「にゃー」
お燐は鳴き声をあげて、私の足に体を擦りつけている。
「…もしかして、私を心配してくれてるの?」
「にゃー」
「そう…大丈夫。私は何ともないわ」
「にゃあ」
そう言うと、お燐は私から離れて縁側に戻り、丸くなった。
私のこの気持ちを感じ取ったのだろうか…彼女のおかげで少し気が楽になった気がした。
冷めたお茶は、やっぱり美味しくなかった。
~ ~ ~
その夜、晩御飯を食べ終えた私は昼間の様に縁側に出て晩酌をしていた。
お燐も私に付き合ってくれるようで、お椀に注いだお酒をピチャピチャと舐めている。
「…ねぇ、猫のままで飲みにくくないの?」
「にゃー」
「…貴女がいいなら私は別に気にしないけど…」
どうやらお燐はお酒が飲めればそれでいいらしい。
酒好きな上に温泉好きな猫ってどうなのかしら、と思うこともあったが、まぁ妖怪だしね。基本何でもありなんだろう。
お酒を口に含み、よく味わいながらそれを飲み下す。
「ふぅ…やっぱり一日の締めにはお酒ね。この一杯の為に生きてる、って感じだわ」
「にゃー」
少しオヤジ臭かったかも知れないが気にしない。
お燐は私のちょっとした言葉にも相槌を打ってくれる。一人で飲むお酒もいいが、二人で飲むというのもまた違った趣があっていいものだ。
「最近本当に何も無いわねぇ。何も無さ過ぎて張り合いがないくらいだわ」
「にゃあ」
「…あんたの事も含めて言ってるのよ?」
「にゃー…」
平和ってことなんでしょうけどね。
勿論それが悪い事とは言わない。それどころか、むしろ喜ばしいことなのだろう。
「だけど何も刺激が無いのもちょっと……前はこんな事なかったのに、な~んか足りない気がするのよねぇ」
「にゃあ?」
「何が足りないんだろう……わかんないなぁ。ま、大したことじゃないでしょ。
そういえば妖夢は大丈夫かな。今頃紫の餌食になってたりしないかしら?」
分からないと言えば紫だ。最近妙に大人しいと思ったら、まさか他の人に飛び火していたなんて思いもしなかった。
あの一件でもう悪戯に懲りたのかと思っていたがどうやらそんなことはなくて、むしろ悪化するぐらいの勢いの様な気がする。
「でも、どうして私をからかわなくなったのかしら…? そればかりか別の意味で纏わりつくようになったし」
世話を焼いてくる紫…これはハッキリ言って気色悪いの一言に尽きる。
今まで散々私をからかってきたというのに、今では一変して事あるごとに抱きついてきたりするのだ。慣れてはきたものの、初めのうちは何か裏があるのではないかと勘ぐり続けていて、おちおち気も休まらない日々が続いたりした。
「そのうち大きなしっぺ返しが来そうだわ…あの紫だもの、あり得ると思わない?」
「………」
「…どうしたの、黙りこんじゃって?」
私が尋ねても、お燐は返事をしてくれない。どうしてしまったのだろうか?
「ねぇ、おり…」
「あら、晩酌してたの? 私も混ぜてちょうだいな」
「…紫か」
「………」
「あ、お燐。どこ行くの?」
紫が現れるのと同時に、お燐はどこかに行ってしまった。
本当にどうしてしまったというのだろう…?
「猫なんて気まぐれなんだから、いちいち気にしてたらキリが無いわよ。そんなことより、私にもお酒ちょうだい?」
「はぁ…まあいいわ、はい」
「ん、ありがと」
余ったコップに酒を注いで紫に渡してやる。
紫はいつも以上にニコニコとしていて、随分と機嫌が良さそうだ。
「…なんか気味悪いくらいの笑顔ね。何かあったの?」
「気味悪いだなんて…酷いわ、霊夢…ヨヨヨ……」
「ええい、鬱陶しい。それより何があったのよ」
「ん~…何かあったって訳でもないんだけどねぇ。まあ強いて言うなら面白い遊びを見つけたってとこかしら?」
面白い遊び? それってもしかして…
「妖夢のこと?」
「なんだ、知ってたの?」
「昼間にちょっと聞いただけよ」
「ならもっと聞いてみる? 妖夢ったら、本当にいいリアクションしてくれるのよ」
紫は本当に愉快と言わんばかりの顔をしている。
本当に楽しそうに妖夢の事を語る紫に…なぜだか、また胸が痛んだ。
「あの子の刀をすり替えたって話はもう聞いた?」
「…バナナにって話でしょ」
「そうそれよ。私が気付けないようにしてあげたんだけどね、妖夢は朝の鍛錬で必ず素振りをするのよ」
「…それで?」
「それがもう可笑しくって! あの子ってば真剣な顔して小一時間バナナを振り続けたのよ。いや~、傍から見たら滑稽で滑稽で…!
幽々子に食べられちゃった時に私が真相を教えてあげると、あの子顔真っ赤にして怒り始めたのよ。あれは楽しかったわぁ」
「そう…」
「あら、面白くなかった? じゃあねえ、次は妖夢一人肝試しのお話してあげる」
「…それも知ってるわ」
「ふふ、でも実際に見たわけじゃないでしょ?
あの子必死に自分を励ましてたのよ。『怖くない…怖くなんてないぞ…』って言いながらね。それで私がちょっと傍で物音たててやると『ひゃっ!?』って驚くのよ。
それで腰を抜かしちゃって、泣きそうになりながら座り込むあの子の姿…あぁ、可愛かったわぁ…」
可愛かった…その言葉を聞いた時、この心の靄は私を覆い尽くして…そして私は何も考えられなくなった。
今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られるが、紫の舌は止まることを知らない。私に動く暇さえ与えてくれない。
「可愛い反応してくれるといえば魔理沙も結構なものね。いやぁ、身近にこんなに楽しいことがあるなんて思わなかったわ」
もう止めて欲しい。何故だかわからないけど、これ以上こいつの話は聞きたくない。
「もっと色んな人に試してみようかしら?
皆がどんな可愛い一面を持っているのか…ふふ、楽しみだわ」
もう嫌…もう…
「そうだ、今度は…」
「………て」
「何か言った? 霊夢」
「…めて」
「なぁに? 聞こえないわよ」
「もうやめてよ!」
「きゃっ! ど、どうしたのよいきなり」
「どうして私がそんな話聞かされなきゃいけないの!?
私はあんたが誰に何したかなんて興味ないのよ! もう止めて、聞いていて不快だわ」
「霊夢…」
あぁ…私は何故こんな事を言っているのだろう。
いつもだったら下らない話と笑って、紫を嗜めて終わるはずなのに…どうして今日はそれが出来ないのだろう…?
でも、思いとは裏腹に私の言葉は止まらなかった。
「そんなに悪戯するのが楽しいんだったら、私の所になんか来てないでさっさと別の標的でも見つけたらいいじゃない。
私はあんたの与太話を聞いていられるほど暇でもないし、まして聞こうとも思わない。こんなの、迷惑でしかないわ…」
「…霊夢、どうしたの?」
「何がよ…?」
「貴女ちょっと変よ?」
そんなこと私が一番理解してる。
どうしてこんな事を言っているのかも分からないし、どうしてこんなにイライラしてムカムカするのかも分からない。
だから自分が変だと理解していても、私はどうしたらいいかが分からない。
「そんなこと…」
「いいえ、今日の貴女はおかしいわ。何かあったの?」
「…何もないわよ」
「私はこれでも貴女の事をよく分かっているつもりよ。本当に何があったの?」
私のことを分かっているですって…? 私にも分からない私のことを、分かっている…?
なんて適当な事を言うやつだろう。そんな言葉は私の神経を逆撫でするだけだというのに……あぁ、本当に腹が立つ。
「ねぇ…」
「五月蝿い、しつこい。何もないって言ってるでしょ」
「……霊夢…」
「これ以上問い詰めるようなら我慢の限界だわ。帰ってちょうだい」
「………」
「聞こえなかったの? 帰って。今は貴女の顔なんて見たくないのよ」
「…わかったわ。今日は大人しく帰るとするわ」
「そう、早く帰りなさい」
「…また来るわね」
「ふんっ…」
紫はスキマに潜り、自分の住み家へ戻ったようだ。
しかし、去り際に見せた紫の悲しそうな顔が、今までで一番私の心を締め付けた…
「…何だっていうのよ、この変な感じは…!」
もうお酒を飲むという気分ではなくなってしまった。
この説明のつかない苛立ちは今なお私を苦しめていて、私自身が何に苛立っているのかも分からないから、それがまた私を苦しめる。
もう何が何だか分からない。原因が分かれば手立ても打てるというのに、今の私ではそれすらできない。
「もういや……こんな時はさっさと寝るに限るわ」
そう思い晩酌の後片付けをしようとしたら、紫の使っていたコップが目に入った。
まだ中身の残るそれは、私にさっきの紫の悲しげな表情を思い出させた…
「…なによ、あいつが悪いんじゃない。色んな人に迷惑かけて…楽しいだなんて…」
私はどうしてもそのコップに触りたくなかった。だからそれを置きっぱなしにして私は居間へ戻ることにした。
ポツンと残されたコップが、月明かりを反射してキラリと光った。
~ ~ ~
後片付けをするために台所へと向かう。その際には居間を通らなければならないのだが、そこには…
「おや、お姉さん。話は終わったのかい?」
「お燐…猫の姿じゃないのは久しぶりに見たわ」
「そう? 私はちょくちょくこの姿になってるよ。なにせこっちじゃないと死体を運べない…」
「…今、不穏な言葉が聞こえた気がしたけど?」
「いやいやお姉さん、気の所為だって。あたいは何も言っちゃいないよ?」
「はぁ…まあ異変を起こさないならいいわ」
「お、やっぱり話が分かるねぇ。お姉さんのそういうところ、あたいは大好きだよ」
「…お調子者ね」
今は誰とも話をしたくない気分だったが、こいつと話していると何故だか自然と気が紛れてきた。
私の心に巣食う靄が少し晴れていくような気がして、ちょっとは救われる。
「だけどねぇ、お姉さん?」
「何よ」
「今のお姉さんはちょっと好きになれないかなぁ。何をそんなに苛立ってるんだい?」
…こいつまでそんなことを言うのか。
今日は厄日だ。少しだけ晴れた靄が、より深く濃くなって戻ってくるのが実感できる。
「お姉さんとあの人の会話は聞こえてたよ」
「…盗み聞きは感心しないわ」
「聞こえちゃったんだから仕様が無い。で、どうしてだい?」
「五月蝿いわね…」
どうして、なんてことが分かれば私だって苦労しない。
分からないことは答えられないし、それを掘り下げられるのはとても忌々しい事だ。
「ははぁ…お姉さんは自分の気持ちが分からないんだね?」
「…何のことよ」
「惚けたって無駄だよ。あたいにはお姉さんの今の気持ちが良く理解できる」
お燐はいきなり私の心の正中を見抜いた。だから私は一瞬言葉に詰まってしまった。
やっと絞り出した言葉はにべもなく彼女に否定され、私は再びどうしようもない苛立ちを感じてしまう。
「…あんたに私の何が分かるって言うのよ?」
「分かるさ。あたいも昔お姉さんみたいな経験したことがあるからね」
「えっ…?」
「まぁ…ちょっと状況は違うけどね。だからあたいは今のお姉さんが抱える気持ちの正体が良く分かるんだよ」
「…何だって言うのよ」
お燐に私と同じような経験がある…?
今の私には自分がどんな状況下にあるのかも分からない。だけど、お燐はそれをすべて理解していると言う。
もしかしたら話を聞いたら気が晴れるかも知れない。私はその一心で、お燐の言葉を促した。
「簡単だよ。お姉さんは寂しいのさ」
「さみ…し…い?」
「そう、寂しい。今まで構ってくれてた相手の心が、他所の誰かに向いてしまっていることが気に食わないんだよ」
「それって、紫のこと…? どうして私があいつのことで寂しがらないといけないの?」
お燐の言葉は意味が分からない。だけど寂しいという言葉は、意外なほどストンとこの胸に落ち着いた。
「どうしてって…分からないの?」
「さっぱりね」
「ふーん…そうかそうか…」
お燐は今のやり取りで何かを納得した様子だ。
一体なんだというのだろうか…
「なに一人で納得してるのよ?」
「いやいや、何でもないよ。気にしないでね」
「…まぁ、いいわ。それより、私みたいな経験したことがあるって言ってたけど…」
「あぁそのこと? あたいの場合は単純だよ。
さとり様って、あたいを含めて沢山ペットを飼っていらっしゃるんだ。だから当然あたいだけに構っていられない。
大好きなさとり様が他の奴を可愛がってるのを見ると…どうしようもなく寂しくなったり苛ついちゃったりしたものさ。
ほら、今のお姉さんみたいだろ?」
「…よく分からないわ」
お燐が寂しいと言った気持ちは分かるような気がする。だけど、私にはそれを紫に当てはめて考えることがどうしても出来ない。
私と紫、お燐とさとり…何がどう似ていると言うのだろう…
「分からないか…それもお姉さんらしいね。それで、今の気分を紛らわす方法も分からないんだろ?」
「…そう…ね。貴女は知ってるの?」
「簡単だよ」
そう言うとお燐は立ち上がり、私の方へ近づいてきた。
「何するの?」
「お姉さんの気を紛らわすのさ。じっとしててね?」
「え…きゃっ!」
お燐が私の目の前まで来たかと思うと、突然目の前が真っ暗になった。それに、ちょっと息苦しい。
だけど柔らかな感触と温もりが私を包んでくれて、そんなこと気にならないくらいに気持ち良い…
「…突然抱きしめないでよ。びっくりするじゃない」
「でも、嫌じゃないでしょ? あたいが寂しい時、さとり様にこうやって抱きしめられると、すごく幸せな気分になれるんだ」
「だからって…」
「嫌ならやめるけど?」
「…ううん、やめなくていい…」
確かにお燐の言う通りだ。じんわりと相手の体温が伝わってきて、それが何とも心地良い。
その優しい暖かさは、私の凝り固まった歪な心を少しずつ解してくれる…
「なら良かった。あたいもお姉さんを放したくないよ」
「…どうしてよ?」
「ねぇお姉さん、何であたいがさっきあの場を離れたか分かる?」
「…気まぐれだったんでしょ?」
「残念、不正解だよ。正解は、あたいも寂しかったからさ」
「貴女も…?」
「あたいが傍にいるのに、お姉さんがあの人の話なんて始めるから…ちょっと寂しかった。それに、お姉さんがあの人と話す姿は見たくなかった」
「えっと…」
つまり、どういうこと?
お燐の言葉は、私には今一つ要領を得ないように感じられて少し混乱してしまった。
「お姉さんは鈍いねぇ。ま、今の自分の気持ちも分からない様じゃそんなもんか」
「む、なんか馬鹿にされたような気がする」
「そんなことないさ………だからこそ付け入る隙があるんだからね」
「今何か言った?」
「いーや、何も言ってないよ」
そうだろうか? 何かを呟いたような気がしたのだけど…
お燐の態度は白々しいことこの上ないが、確認が取れないとあればこれ以上の追及は無意味だ。
「ところでお姉さん、大分気が紛れたんじゃないかい?」
「えぇ…そうね…」
「どうする、まだ続ける?」
「…うん、もうちょっとだけ…」
「もうちょっとと言わず、お姉さんが望む限りね…」
いつの間にか、自分でも気付かないうちに私の両の手はお燐の背中に回されていた。
我ながら子供っぽい行動だと思ったが、今はもっとこの温もりを感じていたい。この訳のわからないモヤモヤを忘れていたい。それだけだった…
「ねぇお姉さん」
しばらく無言で抱き合っていると、突如お燐が口を開いた。
「どうしたの?」
「あたいと一緒に地霊殿で住まないかい?」
「はい?」
こいつはいきなり何を言い出すのだろうか?
あまりに予想外な発言に、私の思考は一時停止を余儀なくされた。
「さとり様もお空も、お姉さんのことはむしろ気に入ってるし問題ないよ」
「いや、あのね…」
「それにこのままここに居ても、お姉さんはきっとその気持ちを抱えたままになっちゃうよ? 地霊殿ならそんなこと簡単に忘れられるって」
「それは…」
「地底ならあたいがわざわざ地上に来る必要もないし、お姉さんも私の監視が楽にできるんじゃないかな? これって一石二鳥?
あ、人にはちょっとしんどい環境かも知れないけど、まぁお姉さんなら大丈夫だよね」
このモヤモヤを抱えたまま…それがどれだけ辛いことかは、この身で既に知った。
それが忘れられるというのはハッキリ言って魅力的な提案だ。地底も面白そうなやつが多そうだし…悪くないのかも…
そこまで考えて、ある言葉が私の脳裏に甦った。
『…また来るわね』
紛れも無い再会の約束。それと同時に甦るのは、あいつの悲しそうな顔…
私がここから居なくなると、その約束は果たされることは無い。その時、あいつはどんな顔をするのだろうか…
「…悪いけど、貴女の提案は受け入れられないわ」
「ありゃ、理由を聞いてもいい?」
「私は博麗の巫女だから。ここを離れるなんてこと、考えられないし有り得ないわ」
「ふーん…ちょっと心が揺らいでたのに、そんなこと言うんだね」
「そんなこと…!」
「無いって言うつもり? 嘘はいけないよ、お姉さん」
「嘘なんて吐いてないわ」
「へぇ…本当に?」
「本当よ」
「動悸が激しくなってるよ。それに、どうして目を合わさないの?」
「う………!」
口ではどうとでも言えるけど、体ばっかりは嘘をつけない。
抱き合ったままでは分が悪いと思い離れようとするけれども、お燐の力には敵わず離れることができなかった。
「ねぇお姉さん、今の提案はあたいなりに本気なんだ。だから、そんな嘘の理由を並べ立てられても納得できない」
「…じゃあ、どうすればいいのよ」
「本当のことを言えばいいのさ。
お姉さんはどうして一緒に来れないの? あたいのことが嫌いなのかい?」
「そんなことない…貴女のことはむしろ…」
「好きって言ってくれるのかい? 嬉しいねぇ。じゃあどうして来れないんだい?」
「それは……」
とても言葉にできるものじゃない。私の頭にはあいつの顔が残っているだけだ。
これが理由になるのだろうか…分からない……これでお燐が納得するのかも分からない…でも、他に何も思いつかない。
「一人…謝らないといけない奴がいるの…」
「それはあの人?」
「うん……」
「どうして、謝らないといけないの?」
「酷いこと言っちゃった…なんであんなこと言ったのか自分でも分からないけど…
それであいつ、すごく悲しそうな顔してたの。あいつのあんな顔…初めて見た」
「そうだねぇ、私もお姉さんにあんなこと言われたらへこんじゃうよ」
「それに……」
「うん?」
「あいつ…『また来るわね』って言ったの。ここに、また来るって…
だから、私はここにいてあいつが来るのを待たないと」
「…それがお姉さんの、本当の理由なんだね?」
「多分……そう」
私が言い終わると、お燐はふっと抱きしめる力を弱めて私を解放した。
今のが正解だったのだろうか?
「お燐…?」
「そんなこと言われたんじゃお姉さんを連れていけないよ。あーあ、ふられちゃったなぁ」
「ちょ…なに言い出すのよ!」
「冗談だって。さて、あたいはちょっと外に出るとしようかね」
「…どこに行くの?」
「ただの散歩だよ。月夜の散歩ってのも、情緒があって良いものさ」
「そう…」
「それに、このままだとお邪魔だからね」
「何のこと?」
「分からなければさっきの縁側に出るといいよ。ついでにお酒も一緒に持っていくといいかもしれないね」
「だから何を言ってるの?」
「さぁね。それじゃ、行ってきます」
「あ、ちょっと……!」
結局お燐は謎の言葉を残したまま散歩に行ってしまった。
なんだというのだろうか…?
「縁側…って言ってたわね。とりあえず行ってみましょうか」
お燐の言葉に従い外に出てみると、先ほどよりも月が高い位置に昇っていた。
変化と言えばそれくらいで、特に変わった何かがあるようには見受けられない。
「なによ、何にも無いじゃないの。お燐ったら、訳の分からないこと言って……ん?」
確かに見た目の変化は何もない。しかし、妙な違和感があった。
そう、誰かがこちらを見ているような、有り体に言えば視線を感じるのだ。しかし誰の姿も見当たらない。
視線は感じる、しかし姿は見えない。その状況から導き出せる解はそれほど多くない。まさか…
「…紫? もしかしているの?」
私の問いかけに目の前の空間がビクッ、と揺れ動いた。その後はなんだかプルプル震えている。
どうやら紫で間違いなさそうだ。だけど出てくるのを躊躇っているみたい。あんなこと言った後じゃ当然か…
「紫、出てきてちょうだい。話したい事があるの」
「は…はぁ~い、霊夢。ご…ご機嫌麗しゅうございますか…?」
ようやく出てきたと思ったら、紫はやけに謙った挨拶をしてきた。
さっきの私ってそんなに怖かったのかしら…?
「とりあえずこっちに来て座りなさい。話はそれからよ」
「は…はい。只今参りますぅ~」
「…普通に話しなさいよ」
「…わかったわ」
私の傍に腰かけた紫はようやく謙った喋り方を止めてくれた。
さて、どんな言葉から始めるのが適当なのかしら…?
「ねぇ紫…」
「な…何かしら?」
「…もう怒ってないから、そんなに怯えないでよ」
「へ? そ…そうなの?」
「そうよ……話っていうのもそれに関する事なんだけどね」
私の返事を受けて、ようやく紫は警戒心を解いた。
「それで…どんな話なの?」
「…そうね、回りくどいのは好きじゃないからハッキリ言うわ」
「………」
紫は固唾を飲んで私の言葉を待っている。
先程のやり取りが余程尾を引いているようで、紫の表情はとても不安げで、頼りない。
こんな顔をしている紫は…なぜか見たくない。だから私は言うのだ。
「ごめんなさい、紫」
「………ふぇ? れいむ…?」
どうやら紫は驚きのあまり呆けてしまっているようだ。こいつにとって一番予想外な言葉だったのだろう。
「私、貴女を傷つけてしまったわ…貴女を悲しませた……本当に、ごめんなさい…」
「霊夢……」
「なんであんなこと言ったのか自分でも分からないけど…ただ、せめて謝らせて」
これが私にできる精一杯だ。謝っても私が紫を傷つけたという事実は変わらない。
もしかしたら紫は私を許さないかも知れない。だけど、それも仕方がない…私はそれだけのことをしたのだから。
だから私にできることと言えば、こうやって頭を下げることしかない。
「ごめんなさい、紫……」
「霊夢…頭をあげて? もういいから…ね?」
頭上から降り注ぐのは、満点の星空と紫の優しげな声だった。
「紫……」
「私も配慮が足りなかったわ。いきなりあんな話されても、楽しいわけないものね。
私の方こそごめんなさい、霊夢。貴女に不快な思いをさせてしまったわ」
「ちがう…違うのよ、紫」
「何が違うの?」
「いつもの私だったら一緒に笑ってあげられたはずなの。
だけど、貴女が魔理沙や妖夢の事を楽しげに話しているのを見ていたら…どうしようもなくイライラしてしまって…」
「…それ、本当なの?」
「うん…イライラして、胸がムカムカして、それでついあんなこと…」
「私が別の子たちの事を可愛いとか言ったから?」
「多分そうだと思う…お燐は私が寂しがってるとか言ってたけど…」
なんでその程度のことであんなに気分が悪くなったのか、それは今でもさっぱり分からない。
お燐に言わせてみれば寂しかったのだろうが、そんなこと言われてもピンとこない。
「そう……ねぇ、霊夢。今でもまだムカムカする?」
「ちょっとだけ…」
「じゃあ、ちょっとだけ試してもいいかしら?」
「何を試すの?」
「私が霊夢をスッキリさせられるかどうかをよ」
「そんな方法があるの?」
今の気分はとにかくよろしくない。それを解消する方法を持っているのなら是非ともお願いしたいところだ。
「えぇ。もしこれが成功すれば私としても確認できるからね。一石二鳥の方法よ」
「確認…? 変な言葉を遣うわね」
「気にしないの。それで、どうするの? やってみる?」
「お願いするわ」
「そう。じゃあ霊夢は目を閉じてじっとしててね?」
言われた通り、大人しく目を閉じてみる。当然私には何も見えなくなり、それだけに妙に緊張してきてしまった。
一体紫は何をしようとしているのだろうかと考えていると、甘い香りと柔らかな感触が私を包んだ。
甘い香りはともかく、この感触はさっきも体験したものだ。ゆっくりと目を開けてみると艶やかな金糸が目についた。私の頬にかかって少しくすぐったい。
考えるまでもない。私は紫に真正面から抱きしめられているのだ。
いやぁ、今日はよく抱きしめられる日だなぁ…なんて惚けた考えが私の頭をよぎった。
「ちょっと紫、いきなりなに…」
「しっ! 静かにしなさい」
紫を問いただそうとしたら遮られた。有無を言わさないその語気に、私は黙って従うことにした。
すると、紫が何事か呟いた。私には一瞬何を言っているのか分からなかった。
だって…
貴女が一番可愛いわよ、霊夢…
こんな事を言われたのだから…
「うきゃあああぁああぁあぁぁあぁ!!」
私は奇声を上げながら紫を突き飛ばした。いや、それも仕方のないこと。
いきなりなんてことを言い出すのかこいつは…! それに、耳元であんなに優しく……ヤバ…絶対に顔真っ赤だ、私…
「いたたた…もう、いきなり酷いじゃない霊夢」
「う…五月蝿い!! そっちこそいきなり何言ってんのよ!? 心臓止まるかと思ったわ!!」
「あら、それはごめんなさい。それで、どうかしら?」
「何がどうかしら、よ! 心底ビックリしたわ!!」
「そっちじゃなくて、まだムカムカする?」
「誤魔化してんじゃない…わ…よ? あれ?」
言われてみれば、さっきまで私の心を覆い尽くしていた靄は綺麗さっぱり晴れていた。
これはいかなる魔法だろうか? どうやったらあんなに深く濃いモヤモヤを…?
「まだ駄目なの?」
「ううん…なんでかしら、凄くスッキリした。ねぇ紫、どんな力を使ったの?」
「力? 私は何もやってないわよ」
「嘘ばっかり。私に何かしたんでしょう? 怒らないから言ってごらんなさい」
「だから本当に何もしてないって…ただ貴女に囁いただけよ?」
「ささやい…思い出させるんじゃない!」
「ちょっと霊夢、顔真っ赤よ。大丈夫なの?」
「大丈夫なわけあるか!」
ああ恥ずかしい…あんなこと言われたの初めてだわ…
「まぁそれはいいとして」
「良くない!」
「いいの。話が進まないでしょう。
ともかく、私の試みは見事成功を収めたと考えていいのね?」
「…悔しいけどね」
「ふむふむ、成程ねぇ…」
紫は一人で何かを納得した様子だ。そういえば何かを確認するとも言ってたっけ。
それで納得できたということは、何かが紫の思った通りだったということね。
「ねぇ紫、一体何を確認したの?」
「え? う~ん…私の口から言うものじゃないわ。霊夢が自分で気付かないと意味が無いことよ」
「私が自分で? 何を?」
「だから、それを自分で考えないと意味が無いのよ」
紫は一体何を言っているのだろう? 分からない事を気付けとは無理な話ではないだろうか?
「むぅ……まぁいいわ。それはともかく、ありがとう紫」
「急にどうしたの?」
「私の気を紛らわすためにあんなこと言ったのよね? おかげで本当にスッキリしたわ」
「………はぁ~~~……」
「な…何よ、その反応は?」
「いいえ、何でもないわ……今はそれで満足しといてあげる」
「…なんか含みのある言い方ね」
「気にしないでちょうだい」
紫はまたしても私には分からない言葉を放つ。だけどいいか。
今はこうして、ちゃんと仲直りできたのだからそれでいいのだ。よし!
「紫、飲み直しましょう」
「コップが一つしかないようだけど?」
「あんたのコップはそこに飲み残しのやつがあるじゃない」
「…これってさっきからずっと片付けずに置いてた奴じゃないの? 私にそんなので飲めって?」
「細かいやつねぇ…いいわ、新しいの持ってきてあげるからちょっと待ってなさい」
「お願いね」
ポツンと残されたコップは、月明かりを反射して優しげな光を放った。
~ ~ ~
「ふぅ…お茶が美味しいわねぇ」
「にゃー」
ここは相も変わらず博麗神社の縁側。ぽかぽか暖かい日差しに包まれながら、私はお茶を楽しんでいる。
お燐も相変わらず私の膝の上に陣取って気持ち良さそうだ。
「れーーーいーーーむぅーーーー!!」
「そしてやっぱり平和は長続きしないのね…」
「にゃー…」
突如として境内に降り注いだ流星は言うまでもなく魔理沙だ。もう突っ込む気力も湧かない。
お燐も騒がしいのは勘弁と言わんばかりに、気だるそうにどこかへ行ってしまった。
「おいおい聞いてくれよ霊夢!」
「その前にちょっと落ち着いたら? はい、お茶よ」
「お、サンキュー。それで聞いてくれよ、霊夢」
「はいはい、今度はどうしたの?」
「それがさぁ、紫の事なんだよ」
「…また何かされたの?」
「いや、何もされないんだ」
「だったらいいじゃない。何が問題なの?」
「お前なぁ…これまで最低週一で悪戯されてたのにそれがパッタリ止んだんだよ。
私は何か裏があるんじゃないかと思ってオチオチ夜も眠れやしないぜ…」
「あぁ…それなら多分大丈夫よ」
「へ? どういうことだ?」
「霊夢~…聞いてよ~…」
今度は妖夢だ。憔悴しきっているようで、目の下には隈が出来ているのが窺える。
「妖夢か。貴女はどうしたの?」
「今度は紫様が…」
「何もしてこない、って言うんでしょ?」
「…何故それを?」
「お前もなのか、妖夢?」
「…ということは、貴女も?」
「モチのロンだぜ!」
「あぁ……」
「「同士よ!!」」
訳の分からないところで意気投合する二人。何をやってるんだか…
というか妖夢、貴女意外と元気残ってるわね。
「それで霊夢。多分大丈夫とはどういう意味だ?」
「ああその話だったわね。多分紫はもう貴女たちに悪戯はしないわ」
「えぇ!? 霊夢、それは本当なの!?」
「そうだぜ霊夢! そんなことしたら、あいつ鬱憤が溜まって死んじまうんじゃないのか?」
「心配しなくてもちゃんと捌け口はあるわよ」
「え…それは一体?」
「私よ。紫自身が『これからは霊夢に集中することにするわ』って言ってたもの」
「ええ!? それでは霊夢の体と精神とその他色々なあれやこれやが…」
「それが一番平和だという結論に至ったのよ」
「おい霊夢。本当にそれでいいのかよ?」
「そうね…思うところが無いわけじゃないけど、きっとこれでいいのよ…」
またあんなことになっても厄介だしね……正直あのムカムカは二度と味わいたくない。
「おおぉぉ…仏じゃ、仏様がおられる……
おい妖夢! 今日は宴だ! 霊夢権現様を奉る準備をせい! 私は人を集める!」
「合点承知!」
「そんな大袈裟な…」
「それでは霊夢権現様。私どもは宴の準備があります故、これにて御免。 おい行くぞ、妖夢!」
「分かっています。霊夢権現様、飛びきりの料理を用意しますから楽しみにしてて下さいね!」
その訳の分からない呼び方を止めなさいと言おうと思ったが、彼女たちはもうとっくに見えなくなってしまっている。
そして訳の分からないまま宴会が決まってしまった。恐らく会場はここだろう。
「はぁ…後片付けするのは私なのに勝手な事言って…」
湯呑に口をつけてお茶を啜るが、思わず顔をしかめる。
今のやり取りの間にお茶がすっかり冷めてしまっていた。
「淹れなおさないと…面倒ねぇ」
言葉とは裏腹に、私の顔には自然と笑みが零れる。
なんだかんだ言って宴会が楽しみなのか、それとも今日の日差しがとても気持ちいいからなのか……まぁ理由はどうでもいいか。
冷めたお茶は、それでも美味しかった。
◇ ◇ ◇
~おまけ~
「はぁいお燐ちゃん、今日は」
「にゃー」
「…人の姿になりなさいな。何を言ってるのか分からないわ」
「……ふぅ…やれやれ、あたいに何か用かい、紫さん?」
「紫で構わないわよ」
「なら、あたいのこともお燐って呼んでおくれ」
「じゃあお燐、あの夜…貴女が霊夢を説得してくれた…と判断していいの?」
「説得…とはまた違うけどねぇ。あたいはただ、お姉さんがいつも通りのお姉さんに戻って欲しかっただけさ」
「なんでそんな事を…? 貴女だって霊夢が…その、好きなんでしょ?」
「そうだね、あたいはお姉さんのことが大好きさ」
「だったら何だってわざわざ…あの時の霊夢だったら簡単に陥落できたでしょうに…」
「分かってないねぇ。あたいはいつものお姉さんが好きなのさ。あんなお姉さんは好きになれない、それだけだよ」
「そう…」
「でも、だからと言ってお姉さんを諦めたわけじゃないからね?
お姉さんはまだ自分の気持ちが何なのかすら分かってないんだ。これからが肝心だよ?」
「…分かってるわよ」
「それならいいさ。そんなことより、今日は宴会になるみたいだね」
「そうねぇ。急いで藍に……あ」
「どうしたんだい?」
「あの子に悪戯したの忘れてた…早く解いてあげないと」
「また別の人に手ぇ出したのかい? 懲りてないねぇ…」
「藍は私の家族だもの。きっと霊夢だって大目に見てくれるわ」
「どうだかね……あんまり甘えてると、あたいがお姉さんを掻っ攫っちゃうよ?」
「むむむ……!」
れいりんの雰囲気とゆかれいむの雰囲気が両方味わえてよかったっすwww
ニヤニヤしてる俺自重しろwwwwwww
寂しくて妬ましくて当り散らすけどその感情が何故生まれるか理解できない鈍感霊夢萌え
ところでさっきからおにぎりが砂糖の味しかしないんですが……
パルパル
(【紫→霊】←燐に萌え尽きた結果がこれだよ!!!)
↑
信者補正
でも正直紫の悪戯ネタはお腹いっぱいだったりする
そしてオチで吹いた
メインの三人も良かったけどみょんにノリがいい妖夢もかわいかった。
とっても甘かったです!