Coolier - 新生・東方創想話

はじめまして・再会

2008/10/17 12:03:53
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お品書き(注意事項)

・本SSは、百合です。ど百合です。
 その手のお話が苦手な方は、申し訳ありませんがブラウザバックでお戻りください。

・本SSは、拙作 向日葵の笑顔 (作品集60)と共通の世界観を有しています。
 ですが、お読み頂かなくても一切の問題は御座いません。




























 くるくるくるくる、頭を回し。
 きりきりきりきり、音が鳴る。
 じりじりじりじり、出てくる物は。

 一面の白を汚す、黒。

「く、くふ、くふふふふ……」

 すらすらすらすら、白を裂く。
 がりがりがりがり、白を削ぐ。
 ざすざすざすざす、白を刺す。

 一面の白は、ほら、真っ黒。

「くふふ、く、くはははははっ」

 ほら、ほら、ほら、ほら、ほらぁ!



「くはは、くはははははははっぁきゅ!?」



 壊れた笑いをあげていると、衿肩周りを引っ張られ、そのまま倒された。ころん。
 私の頭は引力に引かれ、そのまま下へと落ちていく。ぽふり。
 見上げると、我が家の使用人――名は青と言う――の笑みが其処にあった。にこり。

 いや、にごり、かも。

「阿求様、筆も紙も有限ですよ」

 言葉は軽く窘める程度だが、薄らと開かれた瞼の中の瞳が、彼女の真意を教えてくれる。
 『あんま阿呆な事やってっといてまいますえ、ぁあ?』。
 口の端が微妙なつり上がり方をしている様に見えるのも、私の見間違いではなかろう。

「稗田家の貯蓄も無限と言う訳でもありません。余り意味のな」
「――でもですね、青。最近は、紙も随分と安くなったと言うではなふぎぎぎぎ」
「人の言葉は最後まで聞くものです。それと、私の本意は其処ではないですよ」

 貴女自身が私の言葉を聞いていないではないですか、と言う反論は、頬を目一杯引っ張られているので口に出せない。

 とは言え、彼女の本位とやらをわかっていない訳ではない。
 金銭云々関係なく無駄遣いするな、と諫めているのだろう。
 だが、前述の通り、以前は流通しているとは言いきれなかった紙も、今では極々簡単に手に入る。
 であるのだから、私が一枚や二枚を創作の犠牲にしたとしても、此処まで咎められるのは割に合わない。
 所謂、『勿体ない』精神と言うものであろうか。
 其れ自体は結構な事で、私もとやかく言うつもりはない。
 けれど、人にまでその思想を強いるのはどうであろうか。
 人間、齢を重ねれば説教臭くなると言うが、なるほど、これがそう言ふぎぎぎぎ。

「いひゃい! いひゃいです、青! もう考えませんから!」
「私は力を強めていませんが? そう思うのは、阿求様が良からぬ事を考えていた所為では?」
「いえ、至極妥当な……な、何でもありません! 青はまだまだナウいヤングです!」
「申し訳ありませんが、舶来の言葉はわかりかねます」
「やっぱり年よ――いえ、いえ! 青は永遠の二十七歳ですものね!」

 永遠は要りません、と苦笑しながら、彼女は私の頬を癒す様に軽く撫でる。

「『縁起』の編纂に行き詰まりましたか?」
「……端的に言うと、そうなりますかね」
「だからと言って、物に八つ当たりしていい事でもないですが」
「えーと……ごめんなさい」
「宜しい」

 とりあえず、彼女の手が頬にあるうちは機嫌を損ねてはならない。

 縁起――『幻想郷縁起』。
 御阿礼の子としての初代・阿一が記し始めてから、絶えることなく連綿と受け継がれてきた、文字通り、幻想郷のあらゆるもの
をあまねく拾い上げるべき書物。
 初代から私に至るまで、書き方が一定している訳ではなく、むしろ、各人の思惑に則った様々なアレンジが施されている。
 私の場合ならば、妖怪に特化して書いたり、イラストを付けたり、と言った所だ。
 七代目の阿七は、どちらかと言えば人間の、幻想郷における日常生活、所謂風俗史を強調している様に思える。
 六代目の阿夢は、幻想郷の名所――と言ってもいいものかどうか――をかなり綿密に書き記している。私が『危険区域』とした
様々な場所も、多くは六代目の抜粋だ。しかし、『三途の川で魚釣り。坊主。次回頑張ろう』。随分とアグレッシブな。その後
に続く『件の川の魚は全て幽霊。私が釣れないんだから間違いない』という注釈には、あんた腹いせで書いたんじゃねぇの、と疑
わざるを得ない。
 ――まぁ、各様に、編纂してきた者なりの嗜好が含まれている。

「阿求様が『縁起』を発表されてから、もう一年ほどですか。……続きはいかほどに?」
「神様の項目が、二三増えました。後、現われてから間もない私をパパラッチした鴉天狗に因縁つけて、彼女の知り合いの天狗も
増やしました」
「変な所で度胸がありますね、阿求様」

 腰に手を当て鼻を高くする私に、青は溜息混じりの苦笑で返す。

 鴉天狗・射命丸文とのやり取りは、それだけで一つの記事に出来そうだが、後々私の品位が疑われそうなので、此処では秘す。
 それにしても、彼女の連れてきたわんこ、もとい白狼天狗・犬走椛は素晴らしかった。
 容姿は可憐、礼儀も正しく、あの鴉天狗の知人とは到底思えない。その辺りに探りを入れると、眉根を寄せて困った顔をしてい
たのだが、その表情も素晴らしく、鳴々、いじめたひ……。

「で、他には?」
「以上ですよ?」
「ほうほう。八頁程ですか」
「惜しい! 厄神様の鍵山雛さんは素敵だったので三頁なのです。だから、計九頁」

 いいですよね、ゴスロリ。

「ほうほう。約一年かけて九頁」
「いやいや、青。『縁起』以外にも、八雲の紫と共同製本の『幻想郷移り変わり――如何にしてドロワーズが流行したのか――』
や、覆面で訳した『悪徳よ栄えろ』があるじゃないですか。発禁処分喰らいましたが」
「あはは、あっきゅんのお茶目さん!」
「うふふ、そんなに褒めないでくださいなっ」
「――仕事しろ、阿求ー!」
「そんな! 青だって抗議運動に参加してくれたじゃふぎぎ、ふぎぎぎぎ!?」

 わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。

 彼女は、私の頬が紅になるまで引っ張りやがった。
 上から漏れる恍惚の含み笑いは、流石、抗議運動のリーダーと言うべきであろう。
 処分派のリーダーで里の守護者・上白沢慧音との舌戦――『紅の青』裁判――は今尚記憶に残っている。

 声をあげ如何にその訳書が危険かと訴える慧音先生に対し、青は淡々と書の文学的価値、もしくは人の知る権利を主張した。
 初めの頃は、知識人として有名な先生が優勢であったが、青の奇策により、情勢は一変する。
 彼女は、『どういう箇所が危険なのか』と先生に問い、音読させると言う暴挙に出た。
 クールビューティーが赤面しながら該当の文を読むたび、湧き上がるハラショー、けしからんもっとやれの歓声。
 男性だけでなく女性からも出ていた辺り、もぅ駄目だ、この里。
 一気呵成に畳みこもうとする青の表情は、極上の果実を齧ろうとする様そのもの。
 涙ぐみそうになり、敗北寸前の先生を救ったのは、彼女の愛する寺子屋の生徒達であった。
 『先生をいじめちゃ駄目ー!』。
 憑きモノが落ちた様にうろたえる青。
 そんな状態で、子供達の声援を受けた先生に立ち向かえる訳もなく、結局は前述の通りとなった。
 判決を受け、手を取り合い互いの健闘を称える彼女達。そして、降り注ぐ拍手の雨あられ。

 だが、どうしても思い出せない事がある。
 先生がどの文を読んでいたのか、具体的な表情はどうだったか、だ。
 周りに聞いてみても誰も覚えていないので、ひょっとしたら先生が『喰った』のかもしれない。
 もしくは、物理的に忘れさせたか。あの人、拍手の後、青は元より歓声を上げた全員に頭突きかましてたからなぁ。
 凄く痛かった。

「阿求様」

 再び頬をゆっくりと摩る青が、私を回想から連れ戻す。

「なんですか、青?」
「家にいて『縁起』が捗らないなら、偶には外出して対象と話してきてはどうでしょうか」
「青は私に食われて来いと言うのですね。このどえふぎぎぎぎ!?」
「博麗大結界が出来てから、その様な心配はほとんどなくなったではないですか。
八代目様なんて、結界がない時分から歩き回っていたようですし」
「うぐ……」

 人が避けていた先代を……。

 八代目御阿礼の子・稗田阿弥。彼の人物は、青の言う通り、アグレッシブな方であった。
 それはもー、三途の川を何故か意気揚々と往復していた六代目よりも。
 公式の八代目『縁起』には書かれていないし、彼の方を知る人も残っていないが、書き記されたメモ等により、どれ程破天荒な
性格をしていたのかが窺い知れる。

 『霧の湖を探索。一際大きな力を持つ緑髪の妖精に、お茶の誘いを持ちかけるも断られる。緑茶は苦手だったらしい』。

 誘わないでください。

 『散策していると、猫ばかりの屋敷に辿り着く。狐の妖獣が現れたので、思わずもふもふさせて下さいと頼むも断られた』。

 頼まないでください。

 『所謂迷いの竹林に足を踏み入れる。可愛らしい兎の妖獣達に出会い、暫し戯れるも、首領と思しき美しい兎に追い返された』。

 戯れないでください。

 『珍しく家で大人しくしていると、閻魔様と三途の渡し守殿が来宅。素晴らしきこんとらすとを拝むも、気がつけば三途の川で
惰眠を貪っていた。渡し守殿が一向に帰ってこないので、自分で戻る』。

 戻らないで……あぁ、いえ。

 『山に登る。天狗は姿を現さなかったが、幼い河童と対面。素晴らしき出会いに踊りをもって感謝の念を示す。幾つかの土産物
を頂くも、天気雨により突然、傍の河が氾濫し流される。土産物はほとんど流されたが、一番大事なモノは守れた。よしとしよう』

 えぇと、先代は本当に御阿礼の子なのでしょうか。体力的な意味で。

 斯様に珍事を巻き起こした先代だったが、結果として、御阿礼の子の中で最も長命で、なんと三十まで生きたと言う。
 逞し過ぎる煩悩は運命さえも変えると言うのか。それとも、閻魔様が傍に置く事を嫌がったのか。
 多分、後者かなぁ……。

 アンニュイな気分になり、青の膝枕の元、頭をころころさせて貰う。

「青の膝は気持ちいいですねぇ……」
「お褒めの言葉は嬉しいですが、先程の返答はどうなったのでしょう?」
「……ち。まぁ、考えてみますよ。あぁ、それと」
「何です?」
「青、貴女、少し太りましふぎぁぁぁぁっ!?」

 引っ張っている両手が微かに震えているのは的中の証だろう。殊更痛いし。



「失礼致します、阿求様。お客様がお見え……な、何をやっているのですか、青!」



 可憐な悲鳴を上げ続ける私を救ったのは、しゃっと襖を開けて現れた、これまた我が家の使用人――名を此(この)と言う――
だった。

 青が応える前に、此は俊敏に動き、私を解放する。
 彼女は、多少崩れた物言いをする青と違い、私が畏まってしまうほど礼儀正しく接するのを旨としていた。
 だからであろう、青に突っかかっている場面をよく見かける。
 尤も、どえす、もとい落ち着いた大人である青は、然程気にせず受け流しているようであったが。
 そういう態度がまたも此を刺激し、彼女は事ある度にぷんすか怒っている。ははは、愛い奴め。
 因みに、此も私より年上である。

「いいですか、青。由緒正しき稗田家に仕える身として、貴女は聊か、いえ、目にあまるほど――」

 くどくど。
 此の真下で聞いている私にはその四文字で済まされる説教であったが、矛先の青はどうやら違うようだ。
 『此ってば、怒る姿も可愛らしい』、そんな表情。あんたも駄目だなぁ。

 二人の戯れを見ているのも悪くはなかったのだが。

「ねぇ、此。貴女、目的を忘れていませんか」
「主従としての在り方をまず一から思い出し――阿求様、今、私は青に説いている途中です。口をお出しにならないでください!」
「あ、はい」

 こくんと頷く私。……あれ?

「ね、ねぇねぇ、此。此さん。私に用事があったので」
「粉骨砕身を心がけ、蹇蹇匪躬を当り前とし――阿求様!」
「あ、はい、ごめんなさい」

 拙い、四文字熟語が出てきたのは、此が熱くなり過ぎている証拠だ。

 しゅんとなりつつも私は冷静に現状を把握した。
 打開する為の手段も同時に思いつき、微笑を浮かべる青に視線を送る。
 才女たる彼女は、瞬時に私の思惑を見抜き、両手を広げた。

「此ってば、そんなに顔を真っ赤にして怒っていると、阿求様が怖がってしまいますよ。ねぇ、阿求様」
「うわーん、此がこわいよー」
「失礼な、私は明鏡止水の心境で――あ、ぁ、阿求様、何処へ!?」

 ワザとらしく両目に手を当て、此から離れ、青の広げられた腕にダイブ。
 勢いよく飛び込み過ぎた所為か、弾力ある二つの山に弾かれそうになった。
 ぽよよんと。……くっ。

「青、やはり、貴女、脂肪が増えふぎふぎゃー!?」
「此、ほら、この通り、絶叫をあげて怖がっているじゃないですか」
「阿求様、私が虎視眈々と狙っていた、じゃない、隔靴掻痒の思いであった事を!」

 素直になり過ぎです、此。どちらにせよその言い方ですと一緒じゃないですか。『羨ましい』。



 私達のどたばたを止めたのは、結局、此が私を呼びに来た理由、つまり、私への来客達だった。



「……お前ら、毎日が楽しそうで羨ましいぜ」

 一人は、『普通の魔法使い』こと霧雨魔理沙さん。呆れた視線は止めやがりなさい。

「勝手に此処まで上がってごめんなさい。頼まれていた紅茶プラスアルファを持って来たのだけれど」

 もう一人は、『七色の人形遣い』ことアリス・マーガトロイドさん。毎度ありがとうございます。

 言葉の割に目を泳がせている魔理沙さんと、一直線に此方の瞳を刺す様に見詰めてくるアリスさん。
 言動も性格も、何所か対照的な彼女達は、しかし、其れ故か惹かれあうのだろうか。
 何、そんな事実はないだと。ならば、二人して此処に来る理由があるだろうか、いや、ない。

「パチェに珍しい茶葉を貰って……って、お邪魔だったかしら?」

 ……三角関係ですね。わかります。

「邪魔なんじゃないか? 私は此処の倉庫に用事があるから、お前は先に帰っていいぞ」
「あんたに許可を頂く事でもないけれど。それと、パチェも言っていたでしょう。泥棒行為は止しなさい」
「失敬な。私は報酬として借りていくだけだぜ。
それに、最近はお前とパチュリーが共闘してくるから、あの図書館からは持っていってもいない」

 えぇ、むしろアリパチュですか!?

 主人が意味のない下らない、でも楽しい妄想で頭を回していると、才女二人が率先して動きだした。

「魔理沙さん、では、報酬を得る為に、阿求様にお話を聞かせてやってくださいな」
「アリス様、有難う御座いますわ。早速、幾つかを使わせて頂きますわね」

 青は、私を机の方に戻し、部屋を後に。
 此は、茶葉の入った袋を受け取り、部屋を後に。
 そして、遅ればせながら、私は訪れてくれた二人に頭を下げた。

「我が家へよく来て下さいました。いらっしゃいませ、魔理沙さん、アリスさん」





《幕間》

「あやややや、風が少し騒いできましたねぇ……」
「え、そうなんですか? 私にはわからないのですが」
「そういう能力ですから。千里眼で西の空を見てみなさいな」
「はいっ。んー……黒い雲……がまばらに集まっています……」
「何時頃こっちに来ますかねぇ。ま、とりあえず」
「はい?」
「たなびいているのは誘いの証し! いざ、スカートめくり! とったぁぁぁぁ!?」
「ふ……残像です」
「あへ?」
「……って、わぁぁぁぁ、ごめんなさい、文様! すぐに突き刺した頭の剣を抜きますー!」

《幕間》





「とまぁ、そう言う訳で、オンバシラがエクスパンデッドなんだ」
「なるほど。その後に、あーうーでけろけろな訳ですね。タメになります」
「……何をどう解釈したら、そういう結論に至れるのかしら」

 ねぇ、と傍らの人形に語りかけるアリスさん。
 人形――上海と言う名らしい――はこくりと頷き、主に同意する。
 素人目には人形が意思を持って動作しているようにしか見えないが、当の彼女曰く、彼女の人形達は自立している訳ではな
いそうなので、今のはさしずめ、自らの発言に頷いていると言う事なのだろうか。奥が深い。
 それならば、彼女が目にしていない時、此方が何かアクションを取れば、人形達はリアクションするのだろうか。
 機会があれば試してみよう。服をひんむいたり。

「……何?」
「いえいえ」

 彼女達を迎えてから約三十分。

 私は魔理沙さんに、彼女がつい一月ほど前に向かった山――妖怪の山――の事を教えてもらっていた。
 正確には、妖怪の山に住む者達の事を。
 妖怪について書き記している私だけれど、体があまり丈夫でなく、当然だがスペルカードなど使える訳もない。
 なので、時々、様々な妖怪と直に接する機会の多い魔理沙さんや霊夢さんに頼み、語ってもらう事がある。
 青が言っていた『報酬』とは、それに対する礼だ。霊夢さんの場合は、宴の肴。

 ともすれば脱線しそうになる話だったが、同席者のアリスさんがそれとなく方向を戻してくれる。
 先程の私の妄想はともかくとして、彼女達はいいコンビの様に思えた。
 口よりも先に手が出る魔理沙さんと、手を出す位なら口で丸めこめるアリスさん。
 こういう言い方だと、いいコンビと言うよりは、凸凹コンビと言った方がしっくりきそうだ。
 尤も、それは『動かない大図書館』ことパチュリー・ノーレッジさんを当てはめても成り立ちそうだが。

「――失礼いたします。皆様、紅茶のお代わりはいかがでしょう。お好きな銘柄をご用意させて頂きます」

 微かな音を立てて襖が開き、青が尋ねてきた。

 手を動かすのに忙しかった為に気付かなかったが、ようよう見れば、お客の二人も私のカップも空になりかけている。
 青はそのタイミングを見極めていたのだろう。紅魔館のメイド長の様に特異な能力は有していないが、それでも彼女に引けを取
らない働きをしてくれていると、私は密かに胸を張った。
 五分の一ほど残っていたものを飲み干し、私達は各々に茶葉を告げる。

「そうですね……私はアリスさんが持ってきてくれたものを」
「アールグレイをお願いできるかしら? 少し蒸してきたから、アイスで」
「じゃあ、私はホットでロマンスグレーを頼む」

 噎せた。

「……あんたねぇ。和食派なんだから、知ったかぶりするんじゃないわよ」

 え、マジボケだったのですか!?

「ぐ、さ、最近は、お前やパチュリーが紅茶ばっかり出すからそっちに慣れてきたと思ったんだよ!」

 やっぱり三角関係で合ってるんじゃないですか!

「リゼ、アールグレイ、ロマンスグレーで宜しかったですね?」

 確認しないであげてください!

「此、ロマンスグレーを魔理沙さんに」

「「「あるのかよっ!?」」」

 一斉に突っ込みを入れる私達。魔理沙さんは口から滴る紅茶を拭いてください。

 冗談ですよ、と口に手を当てころころとした笑みを残し、青は私達のカップを回収し襖を閉め、台所に戻っていった。

 ――結局。新しい茶の入ったカップを持ってきたのが、白髪混じりの初老の使用人――名は貝――という落ちをつけやがってく
れました。アリスさんが吹いてた。



 話して飲んで書いて、早一時間。

 山の話を粗方語り終えた魔理沙さんを我が家の倉庫へと案内し、幾つかの書物を『貸す』運びとなった。
 彼女ほどではないと思いたいが、代々の御阿礼の子は菟集癖でもあったのだろう、倉庫には主の私ですら使い道がわからない物
が多々存在している。
 また、使い様がわかっていたとしても、どうに出来ない物もある。それが書物だったりするのだからやりきれない。
 亜細亜圏の言語ならともかく、英語なんて読めません、私。
 中にはそれすらも超越している様な文字で記されている本もある。『いあ いあ はす』までしか読めなかったのとか。

「ところで」

 魔理沙さんが縦横無尽に倉庫を漁っているのを傍目にしながら、アリスさんが私に話しかけてきた。

「あ、はい、なんでしょう?」
「さっき使っていた太いペン……っぽい物って、どうなっているのかしら?」
「あぁ、この筆ですか」

 袖からごそごそと取り出し、アリスさんから見えやすい様に胴部分をつまみ、目の高さにあげる。
 『筆』と呼んだソレは、実際には形状からして一般的な筆とは違う。
 彼女が言う様に、ペンと称される物でもなかった。

「そう、ソレ。羽ペンの類ではない様だし、筆とも違うみたいだし。鉛筆が一番近いかしら」
「えへへぇ、半分正解で、半分間違いです」
「どういう事?」

 くるくるとソレの頭部分を回し、取り出したメモ用の紙にさっと線を引く。

「是はどうですか?」
「その色具合なら、消しゴムで消せそう。やっぱり鉛筆だったの?」
「いいえ、ですから半分正解なんです。頭を反対に回すと……」

 にゅっと出てきた軸先を、またも紙に走らせる。

「今度は羽ペンの様な質感ね。……ふむ、胴体部分に二つのパーツがあるのかしら」
「流石です。尤も、頭以外はいじくった事がないので恐らく、ですが」
「でも、使い方は知っているの?」
「『頭の部分で二つを分ける』んです。私も、遠い昔に聞いた受け売りですが」
「面白いわね。よければ、少し見せて頂けない?」

 どうぞ、と手渡そうとした所で、灰色の、もとい白黒の魔法使いが額の汗を拭いながら戻ってきた。
 彼女が倉庫から出てくるたびに思う。近いうちに掃除しようと。
 私は勿論、使用人が総出で出かかっても二三日かかってしまいそうだが。

「ふぃ~、疲れた疲れた。やっぱ此処は面白いな」
「それはよう御座いました。って、左手二冊は魔導書っぽいですけど、右手に持っているのは料理の本ですか?」
「あぁ、是はアリス用。ほら、お前、こう言うの作るの好きだろう。感謝するよーに」
「……そうね。借りていってもいいかしら? お礼はまた今度、この本の何かで」
「あは、どうぞ。舶来のモノはなかなか食卓に上がらないんですよ」
「おーい、私の分も其処にあるんだろうなぁ?」
「あんた、和食派じゃないの」
「酷いぜ。んじゃ、私達は是で失敬するな」

 軽口を叩きながら、魔理沙さんはすたすたと玄関の方に進んでいく。
 汗まで掻いているのだから何か飲んでいけばいいのに、と口に出そうとした所で。
 彼女のお腹辺りが非常に膨張しているのに気が付いた。

 待てやこら。

「……魔理沙さん、お腹が物凄く不自然なのですが。報酬は、確か一回につき三冊だった筈ですよね」

 ぴくりと彼女の耳が動き、ちらりと此方を見て一言。

「……アリスとの子なんだ」
「アリマリでしたか。って、あるかー!」
「名前も決めてるんだぜ? アリサって、はは、いい名だろう?」

 素適なはにかみ笑顔なんて要りません。あと、アリスさんも若干頬を朱に染めないでください。

 今にも駆け出しそうな彼女に、私がとった策は一つ。
 右手に全身全霊を込め、大きく左足をあげ、体を捻る。
 背面を向けているが、此方を振り向いた魔理沙さんがニヤリと不敵に笑んでいるのが空気で伝わってきた。

「おぉ、あれこそは阿求投法」
「知っているのですか、青」
「初代の阿礼様が蹴鞠時に使用していた技よ。しかし、アレは阿求様自身が封印された筈なのに……!」
「其れほどまでに危険な投げ方だと言うの!?」
「いいえ、此。味方側からは『阿求がいれば大丈夫』と称えられましたが、相手側から『阿求なんて嫌い』とまで言われ」
「……何時からいたのよ、貴女達。それに、蹴鞠って足だけのルールじゃなかったかしら」

 青が頬に冷や汗を流し、此が両手を組み祈り、アリスさんは二人に慄いていた。
 あと、青。人様のトラウマをさり気にばらさない様に。

 捻った勢いをそのままに、
 体全身の回転を右腕に込め、
 ばんっと廊下に左足をつき右腕を振り――放つ!

 迫る弾丸とも呼べる代物に、しかし、魔理沙さんは傲岸不遜とも言える態度を崩さなかった。
 足を大きく広げ、両腕を頭の高さまであげ、両手と、その手に持つ本をひらひらと振る。
 ――しまった、その打法は!?

「出来れば全盛期のお前とやりたかったぜ――ヨッシャァァァァ!」

 勝利を確信した雄たけびと共に、彼女は一切の迷いなく本を振りぬく!

「たふぃっ!?」

 打ち返されたソレが額を直撃し、私は悲鳴をあげて尻もちをついた。

「くぅ……魔理沙様の言う通り、以前の阿求様ならば打ちとれていたものをっ」
「此、涙を拭きなさい。阿求様は敗れました。けれど、ほら、あんなに素晴らしい笑顔をしています」
「打ち取ってどうするのよ。後、魔理沙、どさくさに紛れて逃げようとしない」

 べちんと音がした。額を摩って蹲っているので見えないが、アリスさんが魔理沙さんを倒したのだろう。

 直後、廊下に絶叫が響きわたる。魔理沙さんの、ではなく、私の。

「あぁ! 私の筆が!?」

 私の額に当たったソレは、ものの見事に壊れていた。
 それだけならまだしも、胴と軸先は近くに転がっていたが、肝心の頭の部分が見当たらない。
 額の痛みも忘れて、私は、おろおろと周りを手探りで調べる。

「だ、大事な物だったのか?」

 私と同じ様な体勢で探し始めた、魔理沙さんが尋ねてきた。

「筆は何本もありますが、あぁいう類のは、アレ一本しかないんです……」

 だったら投げるなよ、と言う余りにも正論な意見は、私の気落ちした声により誰も出せなかった様だ。
 このような場面であれば出してくれた方が、気も落ち着くのだが……。
 自分の責任だ、言っても仕方がない。私は頭を振り、再度、廊下と睨めっこを始めた。

 私や魔理沙さんだけでなく、青や此、アリスさんも廊下に手をつき、ばらばらになったソレのパーツ探しを手伝ってくれた。

 数分後、各々が見つけたパーツを持ち寄ったのだが、私には一見して、幾つかが見受けられない事がわかった。
 黒い芯を入れる透明の細い筒、胴と軸先を繋ぎとめるごく小さい捩子、そして、結局、くるくる回す頭の部分も見つけられない
ままだ。
 だけれど、皆が膝をついてまで探してくれたのだから、もうこれ以上は探しようもないだろう。

「あはは……仕方ないですね。諦めます」

 折角の好意を無駄にしたくはなかったので、無理矢理笑みを浮かべようとしたのだが、愛用のソレを失ったショックは思いの他
大きく、ぎここちのないものとなってしまった。
 此が何か語りかけようとしてくれたが、私を気遣った青に止められ、二人して一礼をし、それぞれの仕事に戻っていく。
 私も、残された魔理沙さんとアリスさんに目配せをし、玄関の方に歩を進めた。

 小さく落としてしまった溜息は、二人には聞こえなかったと思う。

「なぁ、アリス。お前、手先器用だろう? 直せないか?」
「……パーツが全てあれば、もしくは、壊れる前に見ていれば、復元もできたかもしれないけれど」
「あはは、二人とも、ありがとうございます。でも、もういいんですよ」

 そも、筆なら他に幾つもある。
 アレに固執する必要もない。
 自分に言い聞かせるように、私は心の中で呟いた。

 それに、申し訳ないけれど、アリスさんには直せないだろうとも思う。

 彼女は確かに、幻想郷屈指の器用さを持っているだろう。
 だけど、アレを復元するとなると重要なのは器用さだけではない。
 必要な資質は、それに加えて、小さいながらもふんだんに使われている技術と知識であろう。

「……あ」

 何かが浮かぶ。誰かの面影を思い出す。

「お前でダメとなると……パチュリーは」
「あそこの図書館なら、或いは資料程度見つかるかもしれないけど。技術はまた別物だし」
「パチュリーも駄目か。……技術?」
「貴女が言っていたじゃない。『私は力、アリスは技、パチュリーは知識だ』って」
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。技術、技術……」

 魔理沙さんは引っかかった何かを逃がさない様に、舌で言葉を転がす。
 私も彼女と同じく、頭の中でその言葉を何度も繰り返した。
 アリスさんが訝しげに私達を見、『ぎじゅつ』という単語がぐにゃぐにゃしてきた辺りで、魔理沙さんと私はぽん、と各々の手
を叩き、声をあげた。

「河童の」

「にとり」

 二人が私を見る。
 アリスさんは、急に大きな声を出した私達に、少し非難めいた視線。
 魔理沙さんは、言葉を繋いだ私に、小さな驚きが籠った視線。

 私自身、自分の口から出た単語に、首を傾げたい思いだ。にとりって、誰。

「……私、お前ににとりの事、話してたっけ?」

 尋ねていると言うよりは、自問に近い響きで魔理沙さんが口を開く。

「山の話をしていたんだから、していても不思議じゃないんじゃない?」

 私が応えるよりも早く、先程も今も傍らで聞いていたアリスさんが漠然とした答えを返す。

 そうだったかな、と首を捻る彼女。
 けれど、さほど自分の質問に固執していなかったようで、その曖昧な情報で納得し、それ以上は聞いてこなかった。
 そんな彼女に、アリスさんが小さく溜息をつき、首を左右に振る。

 ……アリスさんの返答は、だけど、間違っている。
 逐一メモを取っていたから、私は覚えていた。
 魔理沙さんの口から、その名前は一度も出た事がない。

 だとすれば……何故、私は『彼女』の名前を知っているのだろう。

「なんだよ、アリス。そのわざとらしいジェスチャーは」
「夕方に、霊夢と早苗と香霖堂に行く約束をしているの、誰だったかしら?」
「お前だけじゃなかったっけ?」

 上の空だった私の耳に、二人の会話が入ってくる。
 事情を知らない此方にとっては要領の得ないやり取りだったが、一つ、わかった。
 約束しているのは、魔理沙さんだ。
 アリスさんの溜息に当てつける様に、わざとらしくそっぽを向いているし。
 一拍、魔理沙さんは不敵に笑い、アリスさんが苦笑を返し、その後に二人して破顔した。

 ……えーと。

「あの、今のは一体?」

 おずおずと尋ねる私に、魔理沙さんはにっと笑う。

「あいつん家には、此処とはまた違った面白い物が多くてな。今から拝借してくるぜ」
「拝借してどうするのよ。ちゃんと、直してもらうようお願いしなさいな」
「へーへ、わーりましたぁ」

 アリスさんに、んべ、と子供っぽく舌を出しながら、魔理沙さんは私に手を突き出す。

「分野はちと違う気もするが、なに、奴ならなんとかしてくれるだろう」
「え、え、でも」
「あー?」

 そこまでして頂くには――、そう続けようとしたら、彼女は自らの膨らんだ胸を指さしながら一言。

 ……膨らんだ?

「ギブ・アンド・テイク、ってな」
「……お腹ばっかりに目が向いていたわ」
「あ、あはは……」

 魔理沙さん、順調にハタ迷惑な盗賊技能上昇中。
 件のパーツをよこせとばかりに、彼女の指がくいくいと動く。
 しかし、私は首を振って応えた。

「ありがとうございます。ですけど」
「あん?」
「そんなに胸を膨らませているのですから、もう一つ、お願いしてもいいですか?」
「ほんとはまっ平みたいな言い方するなっ」
「むきになってると、真実と言っているも同じよ?」
「うっさい! ちょっと人より大きいからって、馬鹿にして!」
「……ちょっと?」
「むがー!?」

 軽口を叩き合う彼女達の間をすり抜け、私は自室へと小走りで戻った。
 愛用の小物袋を懐に忍ばせ、また足早に廊下に出、台所に向かう。
 向かった先の貯蔵庫で小さな胡瓜を近くにあった風呂敷に包み、其処にいた此に外出の旨を告げ、魔理沙さんとアリスさんの
元へと走った。

 離れる前の話題を未だ引っ張り続けている二人を前にして、私は息を弾ませながら、言う。

「私も、その河童の所に連れて行って下さいっ」

 突然の申し入れに、魔理沙さんはきょとんとし、アリスさんは額に手をあてた。

「……山に行くのよ? 相応の覚悟はしているの?」
「え、ぁ、でも、魔理沙さんについて行くだけですし……」
「ふむ……まぁ、よっぽど性質の悪い天狗に見つからない限り、問題ないかな」

 アリスさんは『性質の悪い』と曖昧な表現をしたが、ようは仕事熱心で実力もある、と言う事だろう。
 天狗ならば、会っても事無く終えれるだろう方が二人ほどいる。
 文さんとは顔見知りだし、椛さんなら、むしろ、会って困らせた……いやいや。

 悪戯な妄想を広げる私に、鼻の頭を人さし指で小さく叩きながら、魔理沙さんが視線を向けてきた。

「構わないが、何でまた?」

 当然の質問に、当然の解答を返す。

「直してもらうようお願いするのは、私だからです。それに――」
「ん?」
「『幻想郷縁起』の話の種を増やしたいですし」

 大真面目に言ってのけると、魔理沙さんは頗る可笑しそうに笑う。

「素直なのは良い事だな、アリス。私も見習わないと」
「それ以上、自分に正直になってどうするのよ」
「酷いぜ」
「……じゃあ、霊夢達と約束しているのは私だけらしいから、そろそろ待ち合わせ場所に向かうわ」
「ん、ありがと」

 悪びれた様子もなく素直に礼を告げられ、向けられたアリスさんは苦笑い。
 私も魔理沙さんに倣い頭を下げると、彼女はくすりと笑い、腰につけているポーチを指でトントンと叩く。
 中に入っているのは、先ほど魔理沙さんに渡された料理の本――『ギブ・アンド・テイクよ』。

 アリスさんの気遣いにもう一度頭を下げ、すたすたと先に玄関に進む魔理沙さんの後を二人して追う。

 と。

 くるりと振り向き、魔理沙さんが親指をくいと自分に向けながら、言った。

「――私は少々荒っぽいぜ?」

 百も承知。

「『派手でなければ魔法じゃない』」
「『弾幕は』」
「『火力だぜ』。ははっ」

 私の言葉を、アリスさんが繋ぎ、魔理沙さんが締め、三人で笑った。





《幕間》

「……遅いっ!」
「ま、まぁまぁ。霊夢さん、お茶でも飲んで落ち着いて……」
「悲しいけれど、お茶は限りなく有限なのよ、早苗!」
「妙な言い回しですが、神社の茶っ葉が切れかけているのはわかりました。でも、ここ、茶店ですよ?」
「がぶがぶ飲むのも悪いもん。……うぅ、咲夜に貰った紅茶の葉もなくなりそうなんだよね」
「シロル……でしたっけ?」
「そうよ。『素晴らしい特級葉が手に入ったの』ってお裾分けしてくれたの」
「あー……シロルって、私も向こうにいた頃、とある漫画に影響されて飲んでみたかったんですけど、見つからなかったんですよ。
知人にパソコンで検索してもらっても、結局、その漫画の台詞しか出てこなかったんですよねぇ。
気拙いったらありゃしませんでした」
「ぱそこん? あぁ、あっちの式だっけ。……何の話?」
「あ、いえいえ」

《幕間》





「ま、魔理沙さんの嘘つきっ。少々どころの話ではないじゃないですか!」
「噛むと喋るぞ! 違った、喋ると噛むぞ!」
「魔理沙さんの嘘つふぎゃぁぁぁぁ!?」

 頭の数センチ横を大木が通り過ぎて行き、髪飾りを掠めた音が耳に入った。とてもこわいデス。

 徒歩の場合、里から山の麓まで行くのにも六七時間以上、体の弱い私であれば、下手をすると半日ほどかかるだろう。
 しかし、箒に跨り空を駆ける魔理沙さんならば、その半分、三時間程で辿り着けると思っていた。
 思っていたが、甘かった。私は彼女を過小評価していたようだ。

 更にその半分、つまり、一時間半程度で麓まで着きやがってくださりました。

 里を出て数分の内は、私にもまだ余裕があった。
 「玄爺よりもはやーい」と稀代の悪女を演じる余裕も残っていたのだが。
 気付けば米粒のような大きさになっている里と、それ程の速度で飛んでいるんだと意識してからがさぁ大変。
 悲鳴をあげれど、「私の箒にブレーキはないんだぜ」と白黒魔法使いは意に介してくれません。
 ええ、そうですね。箒ですもの、付いているわけありませんよね。

「でも速度を落とす事くらいできると思うんですっ」
「此処で落とす訳にはいかないんだよっ」
「なんで、って、あ、樹海だかぴぎゃ」

 姿は見えないが厄神様の雛さんが近くにいるんだろう。多分。舌を噛んでしまった。

 近くに、いや、傍にいるのは雛さんだけではない。
 来訪者が珍しいのか、ふわりふわりと集まってくる妖精達や毛玉達。
 魔理沙さんは、彼女達とその弾幕の隙間を縫うように動きつつ、木々が乱立する樹海を駆け抜ける。

 って、あれ?

「ま、まりひゃさん、なんで攻撃しないんですかっ」
「噛むから話すなって! 二人乗りって、結構難しいんだよ!」
「ち、因みに、どれほどの頻度で人を乗せたりしているんでしょうか!?」
「最近はアリスを乗せた位だな! 飛べない奴となると、うんと昔に香霖を乗せて落とした!」
「ふぎゃぁぁぁぁ!?」

 絶叫が、樹海を木霊する。

 涙目の所為か速度の所為か、木々が地面が単なる緑色に茶色に見えてくる。
 余りにもな恐怖に目を閉じると、まったく別の、ふとした疑問が浮かんできた。
 霧雨魔理沙は、これ程までに速かっただろうか?
 彼女に乗せてもらったのは初めてだし、勿論の事、彼女の全力など知らない。
 けれど、慣れない二人乗りでここまでの速度を自在に扱っている様に思える。
 ならば、一人なら、全力なら、彼女はどれ程速くなるのだろう。
 ひょっとすると……天狗さえも超えているんじゃなかろうか。

 頬を掠めるカマイタチもかくやと言う風を感じながら、そんな事を考えた。

 途端――「ふぎゅっ?」――魔理沙さんの背中に思いっきり頭をぶつける。鼻が、鼻が痛い!?

「速度、落としたぜ」

 落としたって言うか止まったんじゃないですかっ――鼻頭の痛みに声は出なかったが、心の中では叫んでいた。

 彼女の背にそのまま体を預け、両手で鼻を摩る。
 涙目のまま薄らと目を開けると、其処には緑と茶の原色の他に、水色も追加されていた。
 その光景に、背筋を伸ばし、鼻に当てていた手を急いで目にやり、ごしごしと擦る。

 開いた目で見た其処は、美しかった。

 木を彩る葉は深い赤、実る果実はばらばらだと言うのに調和のとれた色彩をしていて、流れる河の水は穏やかで、また透明と言
って差し支えないほどに澄んでいる。

 感嘆の声すらあげられない私を現実に引き戻したのは、何処か真剣みを帯びた魔理沙さんの声だった。

「アリスの言っていた、『性質の悪い天狗』が来そうだぜ」
「……えっ?」
「さっきから、あいつの弾幕も混じっていたからな」

 彼女の不敵な態度に、私は内心おろおろとうろたえる。

 私の予想で正しければ、此方に向かってきているらしい『性質の悪い天狗』は、まず私達を追い返そうとして来る筈だ。
 魔理沙さんの言葉を鑑みるに、彼女はその天狗を、天狗の強さを知っているのだろう。
 だから、彼女は迎え撃つように急に止まった。
 そして、やはりと言うか、彼女の態度には幾ら探そうとも交渉の二文字は浮かんでこない。

 風の勢いが少し強くなる。身構える私の耳に聞こえたのは、特徴的な挨拶だった。

「あやややや、魔理沙さんだけかと思っていたら、なんとまぁ阿求さんまでご一緒でしたか」
「あ、文さん!?」
「はいな、清く正しくがモットーな射命丸文ですよ」

 た、助かった。顔見知りの登場に、ほっと胸を撫で下ろす。

 魔理沙さんと私だけなら、もうすぐ来るであろう件の天狗との一戦は避けられなかっただろう。
 だけど、文さんがいるならば、彼女を通して天狗達に迷惑をかけるような意思がない事を伝えればいい。
 私は魔理沙さんの背からひょこりと顔を出し、彼女に山への来訪の理由を告げようとし――さっと水平に伸ばされた魔理沙さん
の腕に、またもや鼻をぶつける。

「い、痛いです、魔理沙さん! ただでさえそれほど高くないのに!」

 ぎゃあぎゃあと喚く私に、魔理沙さんの真剣な声が届く。

「顔を出すな。私の前方しか、防御陣は張っていない」

 ……え。

 よくよく見ると。
 私がぶつけた彼女の腕は、所々に微かな切り傷が入っていて。
 目を細める文さんの手には、紅葉を模った団扇が握られていた。

 文さんの口元はその団扇で隠されていて、見えない。
 だけど、その頃には私もなんとなく事態を理解していたから、わかった。
 彼女は今、三日月のような笑みを浮かべている。

「あの、ひょっとしてもしかして、『性質の悪い天狗』って……」
「こいつ以外、私に思い当たる節はないな」
「ひぇ!?」

 あげた悲鳴は、有り難くない事実を突き付けられてか、文さんを中心に渦巻く風の唸りを認識してしまったからか。

「あ、あのですね、文さん! 私達は、山に用事があるのではなく、河童の」
「ずれていますねぇ、阿求さん」
「え、え!?」

 諭すように、歌うように、彼女は告げる。

「『山の侵入者に対しては、相手が何であれ全力で追い返されてしまう』。そう記したのは、何方でしょうか」
「私、ですけど! そもそも、だから、私達は」
「是非もなし、ですよ。御阿礼の子」

 普段からは想像もできない冷たい視線を私から外し、続けて魔理沙さんに目を向ける。

「で、貴女はどうして、私が視線を向けていない間に撃ってこなかったんです?」
「正々堂々と出し抜くのがモットーなもんでね」
「くく、……嘘ばっかり。弾幕を使わずに、私から逃げる方法を考えていたんではないですか」
「自意識過剰だぜ」
「それは、私に向けて? それとも、自身へのお言葉ですかねぇ」

 軽口の打ち合いはしかし、魔理沙さんの時間稼ぎのように思えた。
 魔理沙さんと文さんの視線が絡み合い、一瞬、互いに下を向く。
 前者には苦味の表情、後者には愉悦の表情が浮かんでいるに違いない。

 状況はどうしようもなく最悪だ。
 魔理沙さんだけならば、或いは文さんと対等に戦えるのかもしれない。
 しかし、私という枷がある今、彼女は避けるだけならともかく、簡単な攻撃すら碌にできない。
 では何処かに降ろせば、と思わないでもない。
 だが、文さんのターゲットに私も含まれているのだから、その途端、確実に私は撃たれてしまうだろう。

 現状を整理して、思う。あぁ、作られたように絶望的な状況だ。

「ま、そんな事はどうでも宜しい。――そろそろ、いくわよっ」
「阿求、避けるのに集中したいから、悪いが手は放していてくれ! それと、体も箒の真ん中ちょい後ろに!
でも、落ちたら、下の、あの小さい岩が三つほど連なった傍のでかい岩辺りにぶつかっちゃうから、気をつけてな!」
「ひぇぇ、無茶ですよ、魔理沙さぁん!」

 泣き言をあげながらも、私は指示に従った。彼女が墜とされては、元も子もない。

「風の息吹を、大気の唸りをその身に刻みなさい! 『幻想風靡』っ」

 声と共に、文さんの姿が視界から消え……突然に、私の目の前に現れる!

 ――え?

「まずは、一人」

 凄まじい勢いで突き上げられ、箒の丁度真ん中が、大きく上へと曲がる。
 天狗の力と速さをぶつけられても折れないのは、流石、魔法が染みついた魔理沙さんの箒と言えるだろうか。
 それとも、意外に天狗の、少なくとも文さんの力は強くないんだろうか。

 バランスを崩し、箒から手を放してしまった私の頭は、ぼんやりとそんな事を考えた。

 一拍の後。

「ふ、ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「阿求っ! あぁ、人間の阿求が、飛べない阿求が、小さい岩が三つほど連なった傍のでかい岩辺りに落ちてしまう!」
「そう、あの小さい岩が三つほど連なった傍の大きな、付け加えると苔むした岩辺りに落ちるのよ! 是であの子は満身創痍っ」

 死んじゃいますよ馬鹿ぁぁぁぁぁ!

 私の絶叫は、声として出ていたのだろうか。
 落ちていき閉じる両目と意識の中、そんな事すらわからない。
 ただ、落ちていく私を見る彼女達の視線が、更に後方に向けられている事だけは、くっきりと意識できた。

 墜ちる、落ちる、オチル、おちる。



 っとん。



 衝撃は確かにあった。

 その証拠に、地面へとぶつかった背骨と両腿が悲鳴を上げている。
 けれど……墜ちたのは、本当に地面なんだろうか。
 その割には痛みが足りないように思う。

 それとも、さほどの激痛を感じずに三途の川へと旅立ってしまったんだろうか。
 私の仮定が正しければ、なるほど、顔にあたる柔らかい――ふぁきん――モノも納得できた。
 三途の渡し守・小野塚小町さんに抱きあげられているのだろう。



「……ったく。ワザとらしすぎるさね、フタリとも」



 ほら、どことなく砕けた口調と高い声からして……高い声?

 恐る恐る、ゆっくりと目を開ける。
 瞳に映りこんだのは、想起したモノとは違った水色の髪。
 髪型は一緒かな、なんてどうでもいい事が浮かんだ。

 あぁ、この子はまた、綺麗な水色の髪を、こんなにぼさぼさにして。

「なぁ、盟友」
「……にとり、さん」

 凝縮された極度の緊張が解放され、意識が沈んでいく。
 名を呼ばれた彼女の驚いた顔が、網膜に焼きついた。
 そんな気が、する。





《幕間》

「良かったのか、阿求を逃がして?」
「まぁ、私の目的は貴女ですから」
「あー?」
「……貴女は、逃げないんですね」
「はっ、逃がすつもりもないくせに、よく言うぜ」
「こりゃまた、なんでそう思います?」
「どんどん妖力を高めていってる奴が澄ますなよ」
「くくっ、話が早い。……私は先日、あの異変の後、また山に来た貴女を叩きのめしました。そうですよね?」
「ふん、認めてやるぜ」
「だと言うのに、今の貴女は自信に満ちている。そして、それ相応の力を身につけたようにも」
「だから、お前が誰よりも早く、私の元へ来たんだな。その原因を探る為に」
「ええ、その通り。この短期間にそれほどまでの強化、面白そうですから。それに」
「ん?」
「単純に、ネタになりますもの」
「ははっ、素直なのはいい事だ! でもな、期待外れで悪いが、私だけだとそう大きく変わっちゃいないんだぜ」
「自分の力なんてそうそう自覚できないものですよ。どのみち、確かめてみればわかります」
「それもそうか。ま、本当に強くなっちゃいないんだが……やり方は、ちょいと変わったがな」
「……?」
「弾幕は……火力と、愛だぜ!」
「ぶっ!?」

《幕間》





 意識が戻ってきた時に、まず聞こえたのはざーざーという単調な音。
 雨でも降ってきたのだろうか、少し肌寒くも感じる。
 ふらついた頭では、未だ目を開けるのも億劫だが、そうも言ってはいられない。

 開いた目に飛び込んできたのは、またしても水色の髪、そして、青色の双眸。

 よく見れば、髪はぼさぼさで余り手入れされていないように思う。
 少しでも櫛を通せば、きっと今よりもずっと魅力的に見えるのではないだろうか。
 それこそ、傍を流れる河の様に。

 彼女の大きな瞳に、私がはっきりと映っている。

「……って、近すぎませんかっ?」
「おぉぉぉぉ、盟友、起きてたのかい!?」
「あ、はい、おはようございます。……何処にー?」

 声をかけるとほぼ同時、彼女は凄まじい勢いで後退し、近くの木の後ろに回る。

 あっ、と彼女の性格を思い出す。

 彼女達――河童は、妖怪の中では珍しく種族的に人間を友好的に思っている。
 それこそ『盟友』とまで呼んでくれているのだが、その反面と言うべきか、何故かとても人見知りだ。
 とりわけ、彼女はその性格が色濃いんだろう。

 変わらないな、この子は。

「……あれ?」
「め、盟友よ、起きていたんなら、そう言っておくれ。さっきだってしこたま驚かされたのに」
「え、さっき……って、私が文さんに墜とされた時の事ですか?」

 顔の半分を覗かせて、こくりこくりと頷く。

「そうさ。てっきり気を失っていると思っていたのに」
「失う寸前ではありました。や、危うく失うモノすら亡くしていたかも」
「勘弁してくれ」

 苦虫を噛み潰したような表情で言う。
 彼女を『縁起』に加えるならば危険度を『低』にしなくては。
 いや、弾幕すら張らず助けてくれたのだから、『極低』かな――遠目に此方を観察してくる彼女に、そんな事を考えた。

 ふわふわしていた意識が集まり気分もほどほどに落ち着いてきたので、周囲の様子を確認する。

 先程、耳にしたのはやはり間違いなく雨音だったようだ。
 ついぞ前までは晴れていた筈なのに、今はもう空を暗雲が占め、大粒の水滴が弾幕の様に大地に叩きつけられている。
 そんな天気だと言うのに『肌寒い』程度なのは、大きな木の下、紅葉に守られているからだろう。
 尤も、こんな状況がずっと続けば、何れ『寒い』と感じるようになるであろう事は想像に難くないが。

 そう言えば――「お二人は……?」

 私の耳には、雨音しか聞こえない。
 魔理沙さんの弾幕はまず確実に派手な音が鳴るはずだし、文さんの弾幕とて風に関連したものなのだろうから、対戦者に負けず
劣らず音を撒き散らす筈だ。
 まさか、もう既に勝負が終わってしまったんだろうか。

 独り言だった私の言葉に応えてくれたのは、やはりと言うか、にとりさんだった。

「そんなに首を回しても、もう一人の盟友と天狗殿は見えないさね」
「どういう意味ですか?」
「そのまんま。盟友をワザと墜としてから、ちょいと山外れの方に行っちまったよ」

 なるほ……ちょっと待て。

「『ワザと』墜としたんですか? お二人して?」
「でもなけりゃ、フタリしてあんな棒読みで同じこと言うかい」
「ほほーう」

 霧雨魔理沙・射命丸文、ともに危険度『極高』と。

「天狗殿の後ろに哨戒天狗達が控えていたからねぇ。ポーズだけでも、盟友を追い返そうとしてたんさ」
「え、あ、では、魔理沙さんと文さんが共謀して、私を亡き者にしようとしていたんではないのですか?」
「……少なくとも、天狗殿ならそんな面倒な事をせず、単独でやると思うがね」

 魔理沙さんも同じく、かな。

 となると、にとりさんの言う事が正しいのだろう。
 何らかの手段で地面近くに彼女がいるのを察知し、明らかに非戦闘員の私を戦列から遠ざけた。
 文さんの、私に言っていた『満身創痍』の台詞も、彼女の後ろにいたらしい同族に対するアピールだったんだと思う。

 ふむ、納得できた。

「それにしても、もう少しやり方があったような。私はこう見えて繊細なのですから」
「繊細な輩は、そも山のこんな処まで来ないと思うがなぁ」
「聞こえない聞こえない」
「便利な耳だねぇ。あぁそうだ、ともかくさ」
「はい?」

 呼びかけに、両耳にあてた手を外し、私はにとりさんの方に注目する。

「その、なんだ、私達に用があるんだろう、盟友」

 本当に人見知りなんだろう、軽口の応酬をした今でも、彼女は私の視線を何処か恥ずかしげに受けている。
 ……えぇと、はい、私、正直言うとちょいと疼きました。あぁ、いじめたひ。
 碌な事ではないと自覚はしているので、思考を追いやり、話を続ける。

「貴女達、ではなく、貴女に、です。にとりさん」

 魔術において、名前とは非常に重い意味を持つと言う。
 それが故、そのモノを表す真名は隠されている事が多いとも。
 ――何故、今、そんな事を思い出したかと言うと。
 私が彼女の名前を呼ぶたび、彼女は所在なさげに目を泳がせているからだ。
 その様子にこっそりと小さく笑い、そう言えば、と立ち上がりながら、告げる。

「初めまして、にとりさん。私は、稗田阿求と申します。以後、お見知り置きを」

 お辞儀していた態勢を元に戻すと、にとりさんの難しい顔が目に入った。

「『初めまして』だよねぇ、うん。やっぱり、『はじめて』。ありゃ、そうなるとなんで、盟友は私の名を?」

 それは――口を開く前に、彼女は自分の手と手を打ち合わせ、こくりこくりと頷いた。

「あぁ、あの盟友に聞いたんか。それとも、最近来たもう一人の方かな」

 もう一人とは、霊夢さんの事だろう。だけど――。

「まぁ、どっちだっていいや。えぇと、で、盟友よ。私に用ってなんだい?」
「か、軽いですね。あー、用事って言うのは……」

 矢継ぎ早の質問に振り回されているな、そう思いつつ、私は右袖をごそごそと探る。
 此処までのどたばたで忘れかけていたが、当初の目的は壊れた『筆』を直してもらう事だ。
 愛用の、あの不可思議な『筆』を。

 ……あれ、右袖じゃなかったっけ? 

 巾着袋に入れて持ってきたまでは覚えているのだが、何処に仕舞ったのか、思い出せない。
 早々に右側の探索を諦め、左袖に手を突っ込む。
 内袖にでも引っ掛かっているのか、中々、手に感触が返ってこない。

 その代り、という訳でもなかろうが、別の感覚が異常を察知する。

「臭い……鉄の匂い……?」

 察知したのは、嗅覚。臭いの元は……おずおずと近づいてきた、にとりさん?

「どうしたかね、盟友。顔を顰めて」
「えとですね。用事も勿論、大事なんですが」
「あー?」

 手を伸ばせば届く距離。鉄の臭いは更に強くなった。確定。

「つかぬ事をお伺いしますが、昨日、お風呂には入られましたか?」
「いやぁ、入ってないねぇ」
「そうですか。……仮にも女の子が、そんな常識外の事を平然と答えないでください!」

 おぉ!? と急な大声にのけ反る彼女だったが、私はそんな事に構わず、言葉を続けた。

「以前にも言ったではないですか! 元より貴女達は工具に触れる機会が多いのですから、鉄や油の臭いがつきやすいんですよ!
私だって鬼じゃありません、お仕事が終わるたびに入れとは言いませんが、最低二日に一回位は入ってくださいっ」
「あー、うん、確かに言われた事ある気もする。だけどね、盟友」
「なんですかっ」

 じりじりと迫る私にどうどうと手を広げ、にとりさんは落ち着いた口調で返してくる。

「それは、盟友達の常識だろう?」
「なっ!?」
「私には、あぁいや、私達には、私達の常識がある。
今の言葉は私を思っての事だとわかっちゃいるが、そう言う押しつけの考え方は……盟友達の悪い癖さね」
「む……ぅ」
「私達は在るがままに在る。私達の行いの結果、鉄臭いと言うならば、それも受け入れるよ」

 幼い顔に似合わない大人びた表情で、彼女は笑んだ。

 彼女の言う『私達の悪い癖』は、正しくその通り。
 私達人間は、常識という枠組みを必要以上に持ち出し、その中に全てを押しいれようと躍起になる。
 それは、なんと傲慢な事だろう。
 たかだか他に比べて数が多いだけの、弱く小賢しいばかりの私達が、全てを仕舞える訳がないと言うのに。
 彼女は好意的に解釈してくれたが、他の種族すれば、これほどおこがましい事もなかろう。

 ……まぁ、それはともかく。

「実際のところは?」
「いやぁ、同族や天狗殿にもよく言われるんだけど、入るの面倒でねぇ。
けどさ、別にいいじゃん、そんな連日誰と会うわけでもなし、どうせ臭いだってまた付くんだしさぁ。
それに、三日四日入らなくたって、河に潜ればある程度は汚れも落ち……はっ!?」
「ほほーう」
「……ちゃうねん」
「ちゃうねんちゃうわー! やっぱり、貴女が単に不精なだけじゃないですか!」
「ふ、盟友よ。私には、私の常識があ」
「やかましい! 貴女がソレを常識と呼ぶならば、私も私の、人間の常識を持ち出します!」
「人はいつからそこまで傲慢になったーっ!?」



 わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。



 叩いて抓って引っ張り砥いで揉みこんで数分経過。
 感じていた肌寒さもどこへやら、むしろ今は流れる汗もあいまって暑かった。
 水分を含んで重くなった服だけが、少し煩わしい。
 帰って、この泥と雨で汚れた服を見せたら、また青に怒られそうだ。
 いや、青なら褒めるだろうか。怒るのは此の方な気がする。

 対照的な二人を思い出し微笑む私の耳に、啜り泣きの様な声が聞こえてきた。

「うぅ、汚されちゃったよぅ」

 あぁ、やめてください、そう言う方。歯止めが利かなくなる。

「――じゃなくて、そんな大層な事はしていないじゃないですか」
「やかましっ、こちとら盟友に触られるのなんか、実に百数十年ぶりなんさ!」
「……初めてではないんですか」
「なんで残念そう!? あ……」
「初ものはよ、いやいや。……どうしました?」

 じっと見てくる瞳に、非難の色はもう浮かんでいなかった。

「髪、乱れちまったねぇ」

 ……気がしたが、私の思い違いだったようだ。

「何を今更。大体、そんな事を気にするのであれば、元よりもっと身嗜みに気を」
「あぁ、いや、私のじゃなくて。盟友の髪さね」
「え……?」

 苦笑しながらの指摘を受け、髪に両手をあてる。
 けれど、髪が乱れる程度、あれだけどたばたと動いていたのだから当然と言えば当然だろう。
 手櫛でもよかったのだが身嗜み云々と口に出した手前、いつも入れている懐の小物入れから、小型の櫛を取り出す。

 髪に櫛を当てようとした所、別の柔らかいモノに、伸ばされたにとりさんの手に櫛が当たった――「痛っ」。

「にとりさん!? ごめんなさい、気付かなくて……!」
「いや、断りもなく触れようとしたのは私だからね。謝る必要なんてないよ」
「そんな事を言ったら、私だって」

 ――触れまくったじゃないですか。

 伝えようとした言葉は、薄らと視界から消えていく姿に驚き飲み込まれた。

 是が、彼女達の妖術、いや、技術の賜物なのだろうか。
 どういう理屈で姿を隠しているのかさっぱりわからないし、今はもうすっかりと見えなくなってしまった。
 まるで、彼女の存在そのものが、幻想であったかのように。

 まぁ、そんな訳ないんだけど。

「むしろ、謝るのは私さ、盟友。風呂に入っていない私に触れられるのは、そりゃ厭だろうからね」

 いじいじとした空気が、彼女がいるであろう場所に漂っている気がする。

 今度こそ、何を今更、だ。
 先に触れたのは私だし、もう気に留めてすらいない。
 だと言うのに、彼女はじくじくとそんな事で謝罪した。

 私は、彼女のいるであろう場所を断定し、くすくすと笑いながらその辺りに左手を回した。

「そも、姿は消えても、匂いが消せてませんよ」
「ひゅい!?」
「おや、手に柔らかい感触。見えなかったんですから、しょうがないですよね」

 技術と妖術は連動しているのだろうか。
 可愛らしい悲鳴と共に、彼女の姿は再び見えるようになった。
 ぺたんと尻もちをついたのは、私にとって好都合。

「どう考えても狙ったようにしか思えないんだけど! って言うか、早く手をどけてくれないか」
「そのつもりですよ。動かないでくださいね」
「ふぇ?」

 左手を肩に乗せ、右手に持った櫛を後ろ髪にあてる。

 ざっざっ――彼女は普段から、手櫛さえも入れないんだろうか。
 ただ梳いているだけだと言うのに、時々、少しばかり力を込める必要があった。
 なんとも彼女らしいと、今日初めて会った彼女について、そう思う。

「あの時も、貴女の髪は、ぼさぼさでしたものね」

 ……まただ。しかし、確信した。私は彼女をおぼろげながら『記憶』している。

「い、何時の話か知らないけれど。な、なぁ、盟友、離れてくれないか?」
「何故?」
「何故って……盟友に、臭いがついてしまうじゃないか。だから」

 この子は、もぅ。

 言葉の先を聞きたくなかったから、私は彼女が驚き口を噤むよう、動いた。
 そのまま背後から肩を覆うよう両手を回し、私の体は彼女の背に預ける。
 ぴくんと彼女の体全体が反応したのを私の体全体で感じ、故に目論見は成功した。

 つまり、私は彼女を後ろから、抱き締めている。

「めい、ゆう?」
「こうすれば、私がそんな事、もう気にしていないとわかって頂けますか?」
「……ん」

 河の匂い。
 土の匂い。
 鉄の匂い。

 それらすべてが混ぜ合わさったのが、彼女の匂い。あぁ、懐かしい。

 暫し、目を閉じる。彼女もそうしているのだろう、雨音だけが耳に響いた。

「――以前に触れられた百数十年前にも、こうされた気がするよ」
「……そうなのですか?」
「ん。そう言えば、あん時もこんな感じで雨が強くなってきて、河が」

 ちらりと視線を傍の河に投げる彼女。
 その表情に、言いようのない憂いを感じながら、私も追随した。
 此処に来た頃は穏やかだった流れが、雨により激しくなっている。

 このまま降り続ければ、何れ、彼女が思ったようにあの時と同じく――。

「すまない、なんでもないよ、盟友。私の家に行こう。用件もそこで聞こうじゃないか」
「あ、はい。そうだ、私、小さいですけど胡瓜持ってきたんです。後で食べてください……って」
「おぉ、それは有難いねぇ。さっき探していたのはそれかい?」

 一転して笑顔を浮かべる彼女に、私は額に手を当て、謝罪した。

「ごめんなさい。右袖に、入れてきていたんですよ、胡瓜の入った風呂敷」
「あー、墜ちた時に落としたかねぇ。まぁ、仕方ないさ」
「……え?」
「どうかしたかい?」
「『墜ちた時に、落とした』……」

 言葉を繰り返す私に、にとりさんはきょとんとしている。

 説明できないのはもどかしいが、私は私で眩暈を起こしそうだ。
 右袖にもなく、左袖にもない、懐には別の小物入れがあった。
 だとすれば、私は今、あの『筆』を、彼女に会いにきたそもそもの用件を、持っていない事となる。

 いや、正確に言うならば、落としたのだ。彼女の言う通り、墜ちた時に。

 早々に気付いていれば、まだ探せる可能性もあったかもしれない。
 だけど、今の激しい流れでは……。
 自らの迂闊さに情けなくなり、唇を噛む。

「盟友……」

 不穏な空気を感じ取りでもしたのか、にとりさんが声をかけてくる。
 だけど、まだ、胸中までは読まれていない筈だ。
 私は努めて明るい声を出し、河とは反対の方角に歩きだした。

「ごめんなさい、なんでもないです。にとりさんの家は」

 明るい声を、出せていた筈なのだ。

「盟友っ」

 筈なのに、彼女は詰問するように、私を呼んだ。

「『なんでもない』? 嘘をつくな」
「嘘なんて……」
「だったら、手をそこまで、震えるほど強く丸める必要はないだろう?」

 指摘され、顔が歪んだ。
 ……これ以上言い逃れはできないだろう。
 私は手の力を緩め、立ち止る。

「え、と。確かに、なんでもなくはありません。此処にきた用事だったので」
「それが理由だとしたら……何かを、直して欲しかったのかい?」
「そう、ですね。でも、よくよく考えたら、にとりさんならアレよりももっと良い物が作れるでしょうし」

 ――だから、もういいんです。

 押しつけがましい事を言っているのは、自覚している。
 ただ、それも計算の内。
 彼女の意識が、私が落としたモノから離れてくれれば、それでよかった。

 振り向き、微苦笑する私の瞳に飛び込んできたのは、初めてみる彼女の真剣な表情。

「盟友は、その道具を大事に思っていた。そうだね?」
「……え?」
「でもなけりゃ、よっぽどの物好きでもない限り、盟友達がこんな所まで来やしないさ」

 私が応えるよりも早く、彼女は私の否定を打ち消した。

「道具は、それが何であれ、誰かの手に渡った時点でそいつの物になる。
ソレがどう扱われようが、作り手は何も言えないし、少なくとも私は何も言う気はない。
だけどな、盟友」

 言葉を一旦切り、彼女は私の瞳を射抜くように見つめ、言った。

「道具を作る側は、それが何であれ、誰かの手に渡った後でもソイツを大事に思っている。
須らく、作ったモノ達を愛している筈だ。少なくとも、私は愛している。
だからな、盟友」



「だから、もういいんです、なんて、言わないでおくれ。
一度愛したなら、今でもそうやって大事に思っていてくれるなら、もっと、ソイツを使ってやっておくれ」



 にとりさんの瞳が、言葉が、私を貫く。

 あぁ、だけど。

「もう、あの『筆』は河に落としてしまいました……っ」
「『筆』? そんな物を私に直させようとしていたのかい?」
「普通の筆とは違うんです。鉛筆と羽ペンの様な物が一つの筒に入っていて」

 そこまで言ったところで、彼女の丸い目が、更に丸くなった。

「驚いたな。そりゃ、ひょっとして、頭の部分で互換するのかい?」
「貴女がそう言っていたんじゃないですか、そうやって二つを分けると……え、あ、え?」
「なんで盟友が持っているのかは知らないが、そりゃ、恐らく、私がうんと昔、まだ小さい頃に作ったもんだ」



 あ、ぁ、あぁ……っ。



「ほら、さっき、髪を梳いてもらった時に言ったろ? 百数十年前の、盟友以前に私に触れた盟友に、あげたんだよ」



 『記憶』の理由が、やっとわかった。

 名前を知っている訳だ。
 容姿を覚えている訳だ。
 懐かしく、感じる訳だ。

『こうやって、二つを分けるんさ』
『ほお、是は凄い。便利ですね』
『へへへぇ、――を見せてくれたのと、髪を梳いてくれたお礼に、あげるよ、盟友!』

 おぼろげな思い出の彼女は照れくさそうに、けれど、何処か誇らしげに、転生前の私に――先代に、ソレを手渡していた。

 あぁ、彼の方が、山に登り出会った幼い河童とは、彼女だったのだ。
 あぁ、彼の方が、河に流された時に守ったのは、彼女に貰った『筆』だったのだ。
 そして、あぁ、あぁ、私はソレを、失ってしまった……!

「ごめんなさい、にとりさん、ごめんなさい、先代っ」

 膝をつき崩れる私に、懐かしい鉄の匂いが近付いてきた。

「盟友。さっきも言ったが、道具は誰かの手に渡った時点で、ソイツの物になるんだ」

 優しい響きの慰める言葉、だけど、私は首を振る。

「言ったじゃないですか! それでも、貴女は作った物を大事に思っていると!」

 その優しい響きが、余計に私を苛んだ。
 愛しているモノを失ったのは、彼女。失わせたのは、私。
 勝手だとわかっているのに、情けないと思っているのに、嗚咽が止まらない。

 幼子の様に、私は立ちながら、涙を流した。

 小さな溜息が聞こえる。
 そう感じた瞬間、匂いが――河の匂いが、土の匂いが、鉄の匂いが――彼女の匂いが、私を取り巻いた。
 体全体の震えは、彼女の体全体に伝わってしまっているだろう。

 つまり、彼女は私を前から、抱きしめている。


「え……?」
「こうすれば、私がそんな事、もう気にしていないとわかってもらえるんだっけ?」
「にとり、さん……っ、でも、でもっ」

 もう一度、溜息が聞こえた。

「誰かに似ていると思っていたんだ」
「は、い?」
「盟友がさ。なんでか、初めに見た時から、百数十年前の盟友に重なったんだ」
「え?」
「雰囲気も背格好も性格も違うから、勘違いかな、と思い直していたが」
「いたが?」
「はは、変な所で頑固なのは、一緒みたいだね」

 背に回していた腕を外し、落ち着かせるように私の両肩を二三度軽く叩く。
 呆然とする私に微笑みを向け、彼女は河の方に、確かな足取りで歩を進める。
 それがどういう行動であるか、続く言葉にどういう意味があるか、すぐには理解できなかった。

「なぁ、盟友。壊れた『筆』は、そのままで持ってきていたのかい?」
「い、いえ、ばらばらになっていたので、袋に入れてきたんですが」
「そいつぁ、重畳。探しやすいさね」

 意味を理解した時には、もう遅かった。
 彼女は、既に、溢れそうになっている河の傍にまで移動している。
 私がどれだけ走ろうとも、彼女が河に身を任せる方が、確実に早い。

 だから、私は叫んだ。

「にとりさんっ、幾ら河童の貴女でも、無茶過ぎます!」
「はは、私も、似たような事を言ったよ」
「どういう――!?」

 振り向いた彼女の表情は、少し、切なそうだった。

「『盟友よ、無茶だ、来るな』ってね」
「え……『来るな』……?」
「間抜けな話さ。幼いとは言え、河童の私が流されてしまったんだからね」

 思い違いをしていた。

 先代が守ったモノとは、一番大事なモノとは。



 あぁ、『筆』ではなく、あぁ、あぁ、彼女――にとりさんだったのだ!



 私は先代を、初めて、誰よりも、どの御阿礼の子よりも、心の底から誇りに思った。



「だから」

「に、とりさん、でも、でも駄目ですっ」

「だから――今度は、私が盟友の助けをしたいのさ」

 はにかむ彼女に、滲んでいる視界にも構わず、私は駆けた。

「にとりさんっ、危険過ぎます、止めてくださいっ」

 駆けても駆けても、彼女の元に辿り着けない。生来の体力のなさを恨み、この場で役に立たない能力に腹が立つ。

 私の静止に微苦笑を返した彼女は、しかし、一転して自信ありげな笑みを浮かべた。

「見てなよ、盟友。大きくなった私を、そして、河童の技術をっ」



 胸元で揺れる鍵を握りしめ――「アーム・オンっ」



 四方から絡まっている紐を引きちぎり――「ジャケットォ!」



 彼女は、にとりさんは、咆哮をあげた――「パァァァァァジ!!」



 背に持つ緑色のリュックから、腕を模った二本の棒が伸び。



 彼女の普段着をその棒が掴み、上着を上へと、スカートを下へと引っ張る。



 その服の更に奥にあったのは、あぁ、あぁ!





 肩から臀部までを覆うだけの、四肢を一切隠さない、泳ぐ事だけを目的としたような、青い衣装――。





「すくみずっ!?」

 余りの美しさに私は仰け反り、唐突に求聞持の能力でも発動したのか、理解できない単語を叫んだ。
 いや、今、理解する必要などない。私の網膜にはもう、彼女の姿が焼きついた。見た事を忘れない能力、はらしょー。
 私は先代を誇りに思った。私は先代を誇りに思った。あぁ、何度思えば、是が如何に大事な事だと伝えられるのだろうっ。

 いや、いや! 落ち着け、落ち着くんだ、私!
 泳ぐ姿こそが、その衣装の真骨頂ではなかろうかっ。
 青色が水に濡れ紺色に変わる――その様こそを目にしないでどうする!?

 どてどてと足音をならし、ぐるぐると両腕を振りあげ、私は河の、彼女が潜っていった辺りがよく見える場所にまで駆けた。

 なんだか先ほどよりも速く走れたような気がするが、私は一向に気にしないっ。

「にとりさんっ!?」
「ぷはっ!」

 呼びかけに応じた、と言う訳ではないだろう。
 息継ぎの為に顔を出したのだろうか、だが、彼女が入ってからまだそれほど経っていない筈だ。
 紺色に変わったソレを纏う彼女の姿を愛でつつ、頭を捻る。

 疑問の答えは、私に向けて伸ばされた彼女の手の中にあった。

 もう見つけてくれたんですか、ありがとうございます!

「幾らなんでも早すぎる! 泳ぐ姿を私はまだ見ていませんっ」

 ……あれ。

「盟友が墜ちてきた、大きな岩の傍にがっちり引っかかってたさね」

 口に出してしまった私の心を意にも介さず、彼女は嬉しそうに笑んだ。
 その幼いとも表現できる笑顔を、先代は何度も見たのだろう。
 だから、私は思わず、今の感情を零してしまった――「SHIT!」





《幕間》

「だ、大丈夫ですか、文様!?」
「大丈夫ですから、こんな近くで頭に響く大きな声を出さないでくださいな」
「あ、あ、ごめんなさい!」
「だからぁ……。まぁ、実際、天候が崩れてから少しして、一気に白けてしまいまして」
「え、でも、風や雨には文様、強いではないですか」
「思い出したんですよ。生憎と、懐に文花帖を収めたままでして。ほら……って、椛さん?」
「文様、しろ……」
「……今、初めて、貴女に対する日々の行いを改めようかと思いました」
「や、その、冗談ですよ! それで、その、魔理沙さんは?」
「無傷で帰りましたよ」
「……は?」
「あぁ、帰ったと言うか、にとりさんの家の方に行っていましたね」
「そうではなくて! 文様がかすり傷といえども負っているのに、彼女は――!」
「椛さん、数秒前の事を忘れないでくださいな」
「あ、ぇう、わぅん」
「……やり始めた当初は、彼女を象徴するような雨でしたからね。それが優位に働いたのか」
「わん……」
「はてさて。――そう言えば、彼女が面白い事を言っていましたよ。弾幕は火力と愛とね」
「くぅん?」
「もう我慢できません。そーゆー訳で、私と愛を深めましょー、椛すわぁんっ」
「文様の鳥頭ー!」
「おぉぉぉぉ、頭が割れるように痛いっ!?」
「比喩ではなく割れています。って、わぁぁぁぁぁ!?」

《幕間》





「ほんとに、そのままで良かったのかい、盟友?」
「はい、ありがとうございました、にとりさん」

 巾着袋とついでに胡瓜の入った風呂敷を拾い上げた彼女と私は、当初の予定通り、彼女に家に向かった。

 私に温かいお茶とタオルを渡した彼女自身は、髪や服を乾かす事よりも、件の『筆』の修復を急いだ。
 幼い頃に作ったモノだと言うのに、彼女は、足りないパーツを補いつつ、ほぼそのままに直してくれた。
 その手際の良さは、彼女の代わりに青い髪を拭っていた、素人の私から見ても鮮やかに映るほど。

 彼女はその際、もっと使い勝手を良くできるけど、と提案してくれた。

 私が応える前に、彼女は続けた。
 なんでも、芯を削る事もなく、インクに付ける必要もなく、ただそれぞれの胴体を抜き出し交換すればいいらしい。
 なるほど、確かにソレは便利なように思えた。

 けれど、私は首を横に振った。

「おぉい、雨も止んだし、そろそろ戻ろうぜ」

 ――家の外から、魔理沙さんの呼ぶ声がする。

 彼女は、私達よりも早く、にとりさんの家に着いていた。
 文さんと共謀して私を墜とした件について意見すると、彼女はすぃとにとりさんを指差し、彼女がいたからだ、と快活に笑んだ。
 二の句を継ごうとする私と額に手を当てるにとりさんを横目に、彼女は胸元を揺らし、外に出ようとした。

『子供ができると、胸は大き』
『ジャイロボールっ』
『消える魔球っ』

 息の合った私達の妨害に、敢え無く彼女は打ち倒された。やかましい。

「ん、まぁ、もし改良版が欲しければ、また来ておくれ。すぐに作れるさ」
「はい。ですが、もう少し、この『筆』を使いたいんです」
「……そっか。あん時の盟友も、きっと喜ぶよ」

 結局、先代の事は、ただ、河に流された後も生きて天寿を全うした、としか伝えていない。

 にとりさんは『良かった』とだけ呟き、それ以上、何も聞いてこなかった。
 或いは、聞けなかったのかもしれない。
 彼女の今でも小さな背は震え、忙しなく動いていた両手は止まっていたから。
 背を覆っていた私も、また、それ以上、何も言わなかった。
 その場で言葉は無粋だと思ったし、彼女の中の先代は大きくて、きっとまだ私では不釣り合いだろうから。

 何より、私が望む、是からの彼女との駆け引きにおいて、その情報は大きなアドバンテージになるだろうし。

「おーい、阿求! 置いてくぞ!」

 それは困る。いきなり同棲とは、駆け引きの楽しみも薄れてしまうではないか。

「騒がしいねぇ、あの盟友は」

 苦笑するにとりさんに同意を示す頷きを見せ、ふとした疑問が浮かぶ。

 彼女は、魔理沙さんを盟友と呼ぶ。
 彼女は、先代の事を盟友と呼ぶ。
 彼女は、私の事を盟友と呼ぶ。

 はて、魔理沙さんや先代に関しては知らないが、私は彼女に名乗った筈だが。

「じゃあね、盟友」
「もう、にとりさん。お別れの時くらい、名前で呼んでくださいよ」

 決して、可笑しな要求ではない筈だ。
 だと言うのに、彼女は頬に冷や汗を流し、そっぽを向いた。
 視線を合わせようとする意思が全く見えない。

 ……おーい。

「に・と・り・さんっ?」
「いや、なんと言うかだね」
「はい」

 微笑む私と対照的に彼女の横顔が更に引きつったのは、見間違えではなかろう。

 追及から逃れられないと悟ったのだろう、観念した彼女は私の方を向き、あっけらかんと言った。



「私、ヒトの名前覚えるのが苦手でさー」



 ごすりと玄関の壁に頭をぶつけた。頭は痛いが、心はもっと痛い。

「あ、いや、盟友の名前は流石にまだ覚えてるよ?」
「そりゃまぁ、言ってから数時間も経っていませんからねぇ」
「そうそう、聞いた直後なら覚えてる。あくう」
「惜しい、って覚えてないじゃないですか!?」
「あ、あれ? 私の同族と坊さんを助けた盟友と似ていると思っていたんだが」

 誰が猿か。

「だから! 私達を盟友と呼んで、文さんを天狗殿と呼んでいたんですね!」
「……綾山?」
「あぁぁぁぁもぉぉぉぉ!?」
「っかしいなぁ、あの盟友の名前は暫く覚えていた筈なんだけど……」
「それでも暫くなんですかぁ!」

 あっはっは、と笑うにとりさん。開き直んな。

 くらくらする頭を立て直すと、今の彼女の言葉が記憶された。
 思っていた通り、彼女の中で、『あの盟友』と呼ばれた先代の存在はとても大きい。
 なぞる様に同じ行為をしていた筈なのに、私の存在はともかく、名前は掠れているようだし。

 とは言え、口惜しいが、私に先代の様な異常なまでのタフネスはない。
 そもそも、今の彼女が溺れるような事は、万に一つもないだろう。
 命を助けるに等しい、もしくは近いインパクトを与える方法となると……奪う側に回るか。
 ……いやいや。

「まぁまぁ、名前なんて細かい事は気にせず」
「細かくないです!」
「えー、でも、この件に関しては風呂と違って、同族も天狗殿も何も言わんよー?」
「諦めただけじゃないでしょうか……え、同族?」
「あぁ、同族」

 ……。

「あの、にとりさん、お坊さんを手助けた同族のお名前は?」
「覚えている訳ないじゃないか!」
「えーと、続けてつかぬ事をお伺いしますが、今まで、その、同族に限らず、友達の先になられた方はいますか?」
「機械が恋人さっ」
「でも、分解したりするんですよね? 友達と称しつつ蹴るのとどちらが酷いでしょう」

 盟友が虐めるぅ、とワザとらしく両手で顔を覆う彼女。やめてください、逆効果です。

 なんだ、簡単じゃないか。
 彼女に見えないよう、私は俯き口元を手で覆い、くすりと笑った。
 その様を別の事と勘違いしたのだろう、彼女は慌てて、私の傍に寄って来る。

 腕を折り曲げて向けても、届く距離に。

「め、盟友、風邪でも引いたかい?」

 そう、肩に腕を回せる距離に。

「いいえ、違いますよ。尤も、別の病には、少し前にかかりましたが」
「おぉ、同族の作った薬は万病に効くと評判だ」
「薬じゃ治りませんよ」
「わからんさね。って、探しに行きたいから放してくれないか、盟友?」
「放しません。だって、私の薬は、此処にありますから。それと、にとりさん」



 ――私の名前は、阿求です。



 暫しの間。

 ……重なっていた顔を放し、私は、彼女の頬と同じ色を同じ部位に浮かべ、微笑む。

「ね、にとりさん、風邪の熱さではなかったでしょう?」

 気付けば、お互いの顔はもう一色だった。

「あ、きゅう」

 呟きに一定の満足を得る。

「――いい加減、ブレイジングスターかますぞ、こらぁ!」

 と、いけないいけない、忘れてしまう所だった。

 ドアの向こう、若干寂しそうにしているだろう魔理沙さんに大声で返事をし、私は玄関に手をかける。
 開く前に、頬を二度三度両手で軽く叩く。
 からかうのは好きだが、からかわれるのは好きじゃない。

 最後にもう一度振り向き、お別れの挨拶を――「って、にとりさん、近すぎま」



 ――私は、河城にとり。以後、宜しくだよ。



「……薬は、もう要らなかったかい?」
「まさか。……次に会う時、名前を忘れてたらもう一段階上の対応をして頂きますね」
「此処でかな? そいつぁ危険だ、肝に銘じておくよ」

 肩を竦めて、彼女は大げさに言った。
 彼女の『宜しく』という言葉が、どちらの意味かはわからない。
 だけれど、ともかく、彼女は『以後』と先の可能性をくれたのだから、良しとしよう。



 ――玄関を開く。



「では、またです。にとりさん」



「あぁ、またさね。阿求」





 ――――私は微笑み、彼女は笑い、私達は、再会の誓いを交わした。






 ――数日後。

 『縁起』ににとりさんの項目を書いている折、彼女は遊びに来た。
 私のイラストに噛みついてきた彼女だったが、あっさりと『盟友』の二文字を口にしてしまい、一段階上を頂いたのだが。

 それはまた、別のお話。







              


                  <了>
五度目まして。

お話の原点は、「阿求とにとりのお話が書きたい」「にとりの普段着の下は、スク水に相違いない」というものでした。そんな今更。
ですが、「馬鹿な事も貫き通せば格好いい」と聞きます。つまり、このお話は格好いい筈。異論は受け付けます。
……何処で道を間違えたのだらう。まぁいいか。

毎度で申し訳ありませんが、呼称ミス、誤字脱字等あれば、ご指摘お願いいたします。
呼称ミスに関しては、辞書を直したので大丈夫だと思うのですが……。

あと。所謂「使用人A」「使用人B」って言う表現ができないみたいです(今回の長くなった要因)。

以上

08/10/19 誤字訂正。 >>31様、報告ありがとうございます。
道標
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コメント



0.2220簡易評価
9.80名前が無い程度の能力削除
いい話なのにところどころひでえw
12.90名前が無い程度の能力削除
道標たるあなたが道を間違えるとはこれいかにww

いい話でした。幕間も気になってしょうがないw
13.100名前が無い程度の能力削除
阿求さんちはもうダメだ……あと天狗も。

>わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ
レイサナか!レイサナの時と同じだというのか!!
14.100煉獄削除
阿求とにとりのお話。
良い話でしたし、所々に笑いを誘うモノが設けられていて良かったです。
笑いあり、シリアスありで面白かったですよ。
19.80名前が無い程度の能力削除
先代はとんでもない物を残してくれました
スク水(にとりん着)です

ただ、一つ確かめたい
スク水は・・・旧スク水だろうなああ!!!
20.100名前が無い程度の能力削除
>「馬鹿な事も貫き通せば格好いい」
いやいや、『馬鹿は貫き通してこそ格好いい』のだと。
だから道標さんとこの作品「はじめまして・再会」は間違いなく格好いいかと。
まぁ個人的意見にも程があるので華麗にスルーして頂ければ。
取り敢えずにとりん。
ありがとうにとりん。
格好いい上に可愛いぞにとりん。
名前をすぐ忘れたり、お風呂が面倒いトコも愛してるぜにとりん。
阿っきゅんは自重するな良いぞもっと極めろそのセクハラロード。
そして偉大な八代目に惜しむ事無き敬意と羨望を。
にとりんと仲良くなりやがって畜生でも八代目なら一緒に愛してみせる。
悶え滅ぶ位にとりんへの愛情に溢れた「あきゅにと」をどうもありがとうございます。
もし有れば「EX」をお待ちさせて頂きます。
あと幕間の読みが『誰も侵せぬ桃源郷(アルカディア)』としか読めなくなって来ました。
24.80名前が無い程度の能力削除
>『いあ いあ はす』までしか読めなかったのとか。

歴代の稗田の子の蒐集癖、魔理沙より性質が悪いような…
29.100名前が無い程度の能力削除
ああもうあなたのssはいつも最高
31.無評価名前が無い程度の能力削除
>アグレッシブナ
誤字?
35.無評価道標削除
このお話で一番悩んだのは、八代目の性別と阿求の誕生現場。
物語上割とどうでもいい所ですが、そこで一日二日悩んでました。
与太話は置いといて。
お読み頂きありがとうございます。以下、コメントレスをば。

>>9様
感覚的には、ひでぇ話なのにところどころシリアスがある、と言った風に書いていました。オチがオチなので(笑。

>>12様
よくよく考えたら、最初から見当違いの方向を向いていたら間違えるも何もないんですよね。
類義語としては「幹が腐っていたら葉も全うに成長しない」。そんな。

>>13様
永遠亭とかに比べれば……あぁ、あそこはワントップがダメなだけでした(笑。
件の表現は、拙作の本質です。どうかと思わないでもないですが、楽しいんだからしょうがない。

>>煉獄様
作風が固まってきたんだと自覚しました。
良かれ悪しかれなので、何時かはどちらかだけのお話も考えたいのですがががが。

>>19様
旧ですともブラザー。
描写はテンポのために割愛しましたが、今考えれば入れたほうが良かったですね(ケフ。

>>20様
以前のお話で、にとりはちょいとマッドサイエンティストチックに記していたのでそれに準じたのですが、好転したかなと嬉しく思います。
阿求はぷちえす。あぁこれも今更ですねぇ(苦笑。
《幕間》に関してはぁ……一応、そういう意図はなく、って言うか、それは本編なので(笑。

>>24様
ほんとはアルハザードの一文を抜粋したかったのですが、手元になくて断念。
きっと性質は悪いと思います。

>>29様
前作も読んで頂いているのでしょうか。ありがとうございます。
言葉は励みになります。また何れ、何かご用意させて頂きますね。

>>31様
此方でも……。ご指摘、ありがとうございます。見逃していました。
40.90卯月由羽削除
いい話なのに所々ひでぇよw
いや、むしろ素晴らしいと言うべきか。

あっきゅんとにとりん可愛い。
41.90名前が無い程度の能力削除
スク水のとこでwww
54.90Gobou削除
ふ・・・残像です ←これって中学星ネタ?ww