Coolier - 新生・東方創想話

はくたく記

2008/10/16 23:47:48
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はくたく 【白澤】

(1)大陸に伝来する聖獣のこと。
徳の高い為政者の治世に姿を現すとされる。
人の歴史を識り、一万千五百二十種の妖怪鬼神についての知識を持つ。
一説には八百年生きると言われている。

(2)英知――

〔民間伝承より〕知識や教え方が優れているだけでなく、道を説くことのできる偉人。

(3)――者

歴史狂を指して揶揄する言葉。説教臭く、聞く人も居ない様子。
転じて、つまらない話をする人。





そこで筆を止めると、椅子にかけたまま、煙草に火をつけた。
カビ臭い部屋の中、一瞬だけ炎が燃え上がり、
ジジッと音がして煙草は文字通りの煙を吐き出す。
わたしは火をつけた煙草に口をつけることなく、その煙を眺めていた。
昇り、糸を結び、やがて明り取りの天窓から顔を覗かせる満月の光に溶けていく。

煙を生み出し、燃え尽きた灰が床へと落ちる。

昇る煙と落ちる灰。

その営みを眺め終えると、再びペンを握り、この頁にもう一つだけ書き加えた。





(4)――記

既に散逸してしまった物語。
アジアの島国の口伝にその名を残すのみである。





◆ ◆ ◆





「では、今日はこれまで。やってくるように、と言っておいた課題はやってきたかな?」

「「はーい」」

広い教室に子供たちの威勢の良い声が響き渡る。
教師、慧音の講義は今日も今日とて大盛況だ。

「よろしい。では、帰りに私の机の上に提出していくように」

ようやく開放された、子供たちの歓声。
放課後という楽園へはばたくための最後の切符が次々と教壇の机上に積まれていく。
教室を出て行く生徒たちを満足げに見送る慧音。
嵐のような生徒たちが去った教室をぼんやりと眺め、
いつの時代も子供と言うものは変わらないな、そう思いながら感慨に浸る。
暫く人気の無くなった教室で佇んでいると、若い女性が廊下から教室を覗き込み、
慧音の姿を確認すると床をコツコツと響かせながらやってきた。

「教頭~! やっぱりここでしたか。上白沢教頭。久々の講義、どうでした?」

「ふむ、やっぱり私はココに立つと元気になるね。無理を通してもらってすまないな」

「いえいえ、けいねセンセーの頼みだもの。聞かないわけにはいかないです」

「なんだかそれだと職権乱用みたいだな」

慧音は自分の立場を皮肉って軽く笑う。
人里の人口増加に備えて寺子屋を学校に改築したのは大分前のことだ。
広い教室に沢山の子供たち、
当初は慧音と手伝いの妹紅で切り盛りしていた学校、
慧音先生を見習って教師を志す人間が増え、
今では何人かの教師が慧音の代わりに学校を運営している。
慧音は形式上、学校を代表する者、
校長という立場で学校の運営にだけ気を配っていればいいはずなのだが、
やはり自分も率先して教えたいと希望し、運営は別の人間に任せ、
自らは教頭という肩書きを名乗り、学校に携わっていた。
そして今日、久しぶりに上白沢慧音教頭による授業が行われたのだった。

「それにしても……懐かしいですね。私がまだ子供の頃は年に数度でしたから」

「ああ、そうだったな」

「うんうん、数年ぶりの授業。感動しました。慧音先生もまだまだ現役ですねっ」

慧音は教え子だった教師の言葉に胸がチクリと痛くなった。

「あ~、うん。そのことなんだが、実は……」

上白沢慧音が行う授業は今日が最後だと宣言する。前々から決めていたのだ。
既に学校には話を通してあった。あくまでも内密に、と言うことだったのだが、
目の前の元教え子を見たらどうしても言わずには居られなかった。
そう……なんですか、とがっくり肩を落とし、意気消沈する教師。
慧音は教師の頭にポンと手を乗せて撫でる。慰めの言葉は要らなかった。
半べその教師は頭に乗せられた手の温かさに気がつき、無言でその優しさを享受する。
そうやってしばらくすると、教師はありがとうございましたと言いその場を去る。
立ち去る教師を生徒と同じように見送ると、慧音は机の上に積まれた課題に目を移す。
一人では持ちきれない量の山がそこにはあった。
さっきの教師に手伝って貰えば良かったと軽くため息をつき、
慧音はとりあえず自分が持てる量の課題を小脇に抱え、教室を出る。

しっかりとした足取りで校舎の一角に設けてある教頭室へと向かう。
あっという間に人気の無くなった長い長い回廊をゆっくり歩いていく。
屋根と簡単な柵作りの廊下から庭を覗くと見事な薄桃色の花が池を覆い尽くしていた。

『花の名前は蓮華と言う』

いつか子供たちに話した言葉をふと思い出し、
その花に視線を奪われた。

大きい葉の中央には水玉が蓄えられている。
蓮香を運ぶ南の風、しっとりと汗ばむ陽気。
季節を告げる昆虫がニィニィと鳴いている。

もうすぐ暑い夏がやってくる。

感慨深く、蓮華を眺める。
迫り来る季節の予感は誰にも平等にやってくるのだ。
それは、自分にも、そして、妹紅にも。

やがて慧音は脇に抱えていた課題の重みを思い出し、回廊を歩き出す。
土と木の香りが一段と強くなり、校舎の離れに入ったことを嗅覚が伝える。

慧音の希望でココだけは昔の佇まいをしていた。
突き当たりには『けいねセンセーのお部屋』と
教え子手作りのネームプレートが掲げられている部屋。
教頭室。もう一つの慧音の居場所。
重量感のある引き戸を開け、中へ足を踏み出す。
土間作りの室内、天井にはしっかりとした梁が通っており、
部屋の中央には囲炉裏が備え付けてあった。
片隅には背の低い、使い古した机が置いてある。
土間から畳に腰掛け、ドサドサと課題の束を降ろす。
靴を脱いで上にあがり、障子を開けて外の光を取り込む。
部屋に日が差し、太陽の光が井草を焦がす。

慧音は帽子を壁にかけて、ごろんと畳の上に横になった。
井草の香り、太陽の温もり、その両方を味わいながら、
んっ……と身体を伸ばすと勢いをつけて起き上がり、机の前に正座する。
机の上においてある眼鏡をかけると赤ペンを握り、
生徒たちのやってきた課題を採点するのだった。
妹紅がやってくる前に、少しでもコレを片付けておかなければならない。
何て言ったって『今日』は特別な日なのだ。



部屋に差し込む日の光が長くなってきた頃、
ガラガラとぶっきらぼうに引き戸が開く音がした。
その気配に部屋の温度が僅かに上昇する。

「おーい、けーねはいる、はいるよ?」

居ることが分かっているのにそんなことを言いながら慧音の部屋に入ってくる妹紅。
チラリと振り返ると、おそらく入ってきたときもそうだったのだろう、足で引き戸を閉めている。
慧音も彼女を待っていたのだった。

「よ。ほら、教室に子供等の課題置きっぱなしだっただろ? ついでに持って来ておいたよ」

「ああ、そこに置いておいてくれ、すまないな、もこー」

課題に目を通しながら後ろの妹紅に声をかけた。

「なに、良いよ別に。ついでだったんだしさ」

妹紅は両手に抱えた課題の山を降ろして畳に腰掛ける。
それよりも、と付け加えて靴を履いたまま膝立ちをして慧音の傍までやってくる。

「どうだったよ、ひっさびさの授業だったんでしょ?」

「ん、そうだな……やっぱり教え子は可愛いな。もこ先生?」

「うぐ……そのことは歴史の彼方に追いやってくれ……」

慧音と妹紅で学校を切り盛りしていた頃、
あまりの忙しさに見かねてしばらく妹紅も教師を務めたことがあった。
その素晴らしさに慧音も思わず藤原妹紅という人物の才能を認めざるを得なかった。

曰く、

『もこは半日で教師という職業の存在意義を跡形も無く燃やしつくし、三日で人をダメにする』

生徒から総バッシングを受けた妹紅は泣きながら走り去り、
一週間程たったある日、神社の軒下で泣き疲れて眠ってるところを子供たちに保護された。
それ以来、子供の面倒は見るものの、慧音のように教壇に立つことは無くなったのだ。
反面教師な妹紅が起こした奇妙な事件は今でも語り草になっている。

「まぁ、課題を出した手前、私もコレの採点をがんばらないとな」

「可愛い教え子のために今日もがんばるけーね先生、っと」

「……? 何書いてるんだ、もこー」

「へへ、よし、ホラ、けーね。今日の分の日記。これでこの日記帳もいっぱいだ!」

慧音の背中におぶさるようにして、開いた日記帳を見せる。
妹紅が綴った歴史書が慧音の視界を覆った。
瞳をまあるく開き、妹紅の思い出を眺める慧音。
一瞬だけ驚き、やがて優しい表情で背中の妹紅に語りかける。

「妹紅。……有難う」

「な、なんだよ、急に。……照れるよ!」

慧音は目の前の日記帳を手に取り、
机に置くと、背中から回されている妹紅の手を握った。

「いや、なに……前の約束をずっと守ってくれているからさ」

慧音から離れて照れ隠しに頭をポリポリと掻く妹紅。

「いやぁ……なんだか習慣になっちゃっててさ、書かないと一日が終わらないんだよ」

「そうか。ふふ、そういうことにしておこうか」

慧音は立ち上がり、妹紅の日記帳を小さな本棚におさめる。

「む……新しい日記帳が無いな……」

本棚の下の引き出しを開けた慧音は、
代わりに新品の日記帳を取り出そうとして在庫が切れているのに気が付いた。

「いいって、いいって。どうせ今日の分は終わったんだ。明日で良いよ」

それに……と妹紅が付け加える。

「今日は特別な日なんだ。きっと明日書く日記は素敵なものになるよ」

何だ、知っていたのか、と慧音は少しがっかりする。
毎年繰り返していることなのだから妹紅が知らないわけがなかったのだ。

「……」

妹紅は静かに瞼を閉じ、慧音の次の言葉を待っていた。
最初にソレをやったときの妹紅の驚いた顔は今でも慧音の心の中に深く刻み込まれている。
いつしか、それが習慣となり、今では約束事のようになってしまっていた。
期待に目を閉じる妹紅は、
まるで初めてのキスを待つ少女のように、頬を蓮華色に染めている。
母親と娘、姉と妹、教師と教え子。慧音と妹紅の関係は常に一定の距離を保っていた。
しかし、年に一度、この日だけは、
そんな境界線を飛び越えてみても許されるんじゃないか、と。
この場に居もしない隙間妖怪に伺いを立てるように、コホン、と咳払いをして妹紅に近づく。

コツン。

と、額を合わせ優しく囁く。

「妹紅、私とデートをしよう」

途端、妹紅の顔がパァっと蓮華のように綻び、満面の笑みが零れる。
妹紅の笑顔を見て、慧音は、須臾の幸福を噛みしめていた。





◇ ◇ ◇





「もこもこー」

蝉の声に混じり、何処かで私を呼ぶ声がする。
学校の庭にある木の上、巨大な枝をベッドに私は午後の怠惰な時間を過ごしていた。
初夏、ココは木陰で涼しいけど、枝は堅く、長く寝ているものだからお尻が痛い。

「もこー」

きっと気のせいじゃないその声は、助けを求める声だった。
どうせいつものやつだなと瞼を閉じたまま考える。
ゆらゆらと南風に揺れる木陰。
その隙間を通り抜けてくる太陽の光が、瞼越しに光の弾幕を生んでいた。

声はもこもこ言いながら私の居る木の下まで迫っている。
流石にこの木の下でもこもこ鳴かれるのは初夏の蝉よりもタチが悪い。
おまけに座り心地の悪さも加わり、お尻の痛みも限界に来ていた。
私は今日も午後の昼寝を諦め、声に付き合ってやることにした。

「あ、もこーきた! あのね、もこー」

木の枝から飛び降りると足の裏に軽い痺れが走る。
軋んだ膝のバネを伸ばしながらなんでもないというように立ち上がると、
目の前に小さな女の子がいた。
いつも皆に無視され、遊びの輪から外れてしまっている女の子。

「せめて妹紅お姉ちゃんと呼びなさい」

まずは、一番大事なことをこの娘に伝える。
女の子はきょとんとした顔で私を見つめるとその意味を理解したようだ。

「わかった、もこー、それでね」

わかってなかった。私の一番伝えたかったことにお構いなしな少女。
もう何度目になるのだろう、もこーも、このお願いも。

「わかったわかった、逃げちゃったんだろ? みすちー」

「ううん、居なくなっちゃったの。みすちー」

逃げたのを否定し、居なくなったと言い張る少女。
居なくなったのは、みすちーと名前のついた小さな鳥だ。
この娘は学校で飼っているみすちーの世話をしている。
人間の友人を作ることができなかった娘が、
唯一対等の友達として接することのできる相手。
今日もおっかなびっくり鳥かごを掃除しようとしたのだろう、
その隙を狙って見事、みすちーは大空へ羽ばたいたワケ。
私は良く似た名前の夜雀を思い出したが、別にアレほど迷惑なわけでもない。

「だから探して欲しいんだろ?」

「うん、探してほしいの」

私は、今降りてきた木を見上げ、呟く。

「木の上……だな」

直感だ。
鳥かごの中の狭い世界しか知らなかった鳥が目指すのは大空と相場が決まっている。
羽ばたいてはみたものの、
限りなくどこまでも続く大空に怖くなって尻込みをする。
結果、鳥かごの中の鳥が落ち着くのは
霄と土の境界に申し訳程度に設置されていた鳥の巣箱。
この娘が作った小さな鳥の巣箱だった。
私はみすちーを追いかけ、今しがた寝床にしていた木の、更に上を目指す。
コブに足をかけ、枝を掴み、上へ上へと登っていく。
全く……怖くなるなら最初から大空に興味を抱かなければ良いのに……。
ぶつくさ文句を言っていても仕方が無い、鳥にそこまで考えることを期待するのは無理だろう。
枝葉が細くなり、私の体重を支えるのにぎりぎりな場所に巣箱はあった。
不恰好に開けられた丸い穴から中を覗くと縮こまっているみすちーの羽が見える。
私は落ちないように足場をもう一度確認し、
安定するポジションを見つけるとその穴に手を伸ばし、
むんずとみすちーをつかみ出した。
突然強引に外へとつかみ出されたみすちーは、当然のごとくぴーぴっちゅんと泣き喚く。

「お、わわ!」

バタバタと私の手から逃げようとするみすちーに一瞬バランスをとり損なう。

「もこー! もこー、大丈夫ー!?」

下から私を心配する声、
全く……あっちでもこっちでも煩いったらありゃしない。まずは片方を黙らせよう。
ぴーぴっちゅんぴーちゅんと手の中で激しく暴れるみすちーをがっしりと掴み、
顔の前まで持ってくる。

「……友達に迷惑かけるなよ。 怖いんだったら最初から逃げるな……!」

と半ば独り言のように言い聞かせると胸元に突っ込む。
暴れていたみすちーは狭い空間に安心したのか急におとなしくなった。
両手も自由になり、霄と土の境界から下界と戻る。
地面に足がつくと、少女に無事と保護成功を知らせるVサイン。

「もこー大丈夫だった……! よかった」

「おい、鳥かごは?」

「あ、うん。ハイ」

胸元を鳥かごの入り口にくっつけてみすちーを入れてやる。
少女はほっとした様子で私と、鳥かごの中に居るみすちーを眺める。
みすちーは私たちにはお構いなしに、鳥かごの宿り木でうつらうつらしていた。

「しかしまた、よく逃げるなぁ、この鳥は」

これで何度目だろう。途中から数えるのもめんどくさくなった。
ほぼ日課……な気がする。

「帰っておいでねって私が鳥かごの玄関を開けてあげたの」

少女は大胆にも犯行を自白した。
……逃がしちゃってたのなら毎日起こるわけだ。
にしても、帰ってくるワケがないのに。

「お前なぁ……!」

「みすちーは逃げたんじゃないの。みすちーね、そらを飛びたいって言うの。
狭い鳥かごの中だと、匂いも、風も、大気も、生命も感じられないよって泣くの」

妙に説得力のある少女の言葉に、私は怒る気が失せた。
たどたどしい言葉だけど、それはある意味真理だ。
安心、安全な場所では生物の生きる為の感覚が鈍っていく。
みすちーは純粋に生物としての本能に従い生きている。
穏やかに時の流れる幻想の郷でも、
小さな鳥にさえ命の作法は受け継がれている。
そんな、些細なことに生命を感じて嬉しくなった。

「ありがとうもこー。バイバイ」

パタパタと駆けていく少女。
柔らかい夏風に、ふわり、と甘酸っぱい香りがした。



……少女と別れて暫くしてから気がついた。


なんであの娘はみすちーの言っていることがわかるんだ?



どうしても名前を思い出すことのできない少女。
でも、確かにあの娘とけーねが一緒のところを見た気がする。
はっきりと思い出せるのはまだあどけなさの残る横顔、
向日葵のような笑顔で笑う、蒼い髪の少女は、一体誰だったんだろう。



……少女と別れて暫くしてから気がついた。


そもそも、この学校で生き物を飼っている人なんて誰一人いないことに。



当たり前のように毎日繰り返されている、と勘違いしていた。
そうだった。……あの木の、いつも私が昼寝している場所。
あの場所よりも高く登ったことなんて、今まで一度も無かった。

暖かい風に揺れる木々がふいにざわめく。
長い廊下を歩いている私の後ろから、見えない何かがパタパタ駆けてくる。
奇妙な気配はそのまま私の横をきゃっきゃと駆け抜け、空へと昇って行った。

誰かの走馬灯か、残留した思念か、それとも一緒に居たいという願いか。

……幻想郷でも幻想になったものは、もう見えない。

『何か』が昇っていった空は蒼く。まるで少女の髪のよう。
流れる雲が蒼い髪を梳き、彼女の後姿をより一層際立たせている。

ゴトン、と焦げて朽ち果てた鳥の巣箱が目の前に落ちてきた。

はてさて……夏の怪談にはまだちょっと早いな、と思いながら巣箱を見つめていると、
どうにも、ある人物のことが思い浮かんでしょうがない。
同じ蒼色の髪を持つアイツ、
今日は久しぶりに自分で授業するんだって張り切ってたっけ。
不恰好な巣箱とけーねの帽子がダブって見え、笑いを堪えながら廊下を歩く。





◇ ◇ ◇





『……そんなわけで、わたしは少女の幻想を見送った。見送りながらぼんやり考える。
生きること、に鈍感になった生物は、生物としては成り立たないんじゃないか、
そう考えたとき、わたしは自分が生きることに対して鈍感になってしまっていることに気がつき、
少しだけ悲しくなった。向日葵のように笑うあの娘の名前、いつか思い出せることを信じよう』

今日の分の日記を書き、途中で筆を止めて悩む。
日記帳もあと一行でその役目を終えるところまで来ていた。
どうせなら、新しい日記帳の1ページ目にはこれから起こることを書きたい。
ハスの花が綺麗に咲く池の横のベンチに腰掛けながら、締めの一文節を捏ね繰り回す。
日記、なんてものは勢いで書くもの。
その日起こったことをありのままに、自分の言葉で綴るもの。
なもんだから、真剣に考えれば考えるほど、
気の利いた締めの一文なんて浮かんでくるワケが無かった。

「ふへぇ……」

深くため息をつき、足元の小石を軽く蹴り飛ばす。
と、小石はポチャンとたぷたぷな音を響かせて池の中へと吸い込まれていった。

水を湛えたまぬけな音を聞いているうちに、
私の鬱々とした気持ちは一緒に池へと沈んでいってしまったようだ。
そうだ、今頃子供たちに出した課題の採点で、
眉間に皺のよっている状態のけーねでも書いて締め括ろう。
懐に日記帳をしまいこむと、まずはけーねが今日、授業を行っていた教室へ向かう。

ガラガラ、と人気の無くなった教室の戸を開くと、
机の上には少量の課題がそのまま放置されていた。
けーねのヤツ、私が来るの知っててわざと忘れたのか……。
私のことなら何でもお見通し、と言いはるけーねに、
何だこのやろーと食って掛かったこともあったけど、
改めてこうしてみると、けーねの言っていたことはやっぱり正しかったんだなって感じる。
いや……私が単純なダケ、か。
長年生きてきても、この思慮の浅はかさだけはどうにもならなかった。
モノを熟考すると言うのが苦手なのに、
よく日記なんか続けていられるなぁ、なんて自分でも不思議に思う。
深く考えるのは暇人のすること。

……けーねのやる授業で一番大嫌いなのは、『哲学』だった。
消し残っている黒板の字を見ると、
まさに私の嫌いな『哲学』の授業をしていたことがわかる。
哲学、なんてのは有限の生の中、
逃れられない死から現実逃避するために暇な人間が作り出した幻想だ。

逃避を糧にした幻想には、意味が無い。

このままでは頭の中でけーねのやる嫌いな授業ランキングがドンドン発表されていきそうなので、
机の上に散乱している課題を簡単に整えると、両手に抱えて教室を出た。
教室を出れば授業のコトなんて気にするまでも無い。
前が見えないことなんてお構いなしにずかずかと廊下に足音を響かせる。
どうせけーねの居る場所なんて、教室以外には一箇所しかない。
何百回も通いなれた道だ。今更見えなくたって何の問題も無かった。
吹き抜けの廊下を歩き、建物の造りが変わる。太陽が若干西に沈み始めている。
私は、廊下の突き当たりの部屋の扉を、片足でぶっきらぼうに開けた。
……やっぱり居た。

「おーい、けーねはいる、はいるよ?」

居るのを確認してから声をかける。無駄に韻を踏んだけーねへの呼びかけだ。
けーねはチラリ、と私の方を振り返ると、また目の前の机に視線を戻す。
私は足で扉を閉めながらけーねに話しかけた。

「よ。ほら、教室に子供等の課題置きっぱなしだっただろ? ついでに持って来ておいたよ」

「ああ、そこに置いて、おいてくれ、すまないな、もこー」

けーねは私の方を向くことなく、労いの言葉を放つ。
一見冷たいようにも思えるけど、かけた言葉の調子そのままに、
同じように韻を踏んで返答しているけーね。
私の為に無理やり紡いだ言葉にちょっとだけ嬉しくなる。

「なに、良いよ別に。ついでだったんだしさ」

両手に抱えた課題を畳の上に降ろして、膝立ちでけーねの背後まで歩く。
それよりも……。

「どうだったよ、ひっさびさの授業だったんでしょ?」

けーね先生の久々の授業、とってはめんどくさいだけだけど、
上白沢慧音を慕っている子供たちからしてみれば、
それはそれは楽しい授業だったのだろう。
まぁ、それでも放課後の魅力には敵わなかった。

「ん、そうだな……やっぱり教え子は可愛いな。もこー先生?」

「うぐ……そのことは歴史の彼方に追いやってくれ……」

過去の、忘れたくても忘れられない、
できれば忘れて欲しい記憶が蘇る、それはもう、不死鳥のように。
私のトラウマを刺激して喜ぶのは悪い癖だ。
けーねにいつも言っているのだけど、一向に直る気配が無い。

「まぁ、課題を出した手前、私もコレの採点をがんばらないとな」

私を傷つけたと思ったのだろうか、唐突に話題を変えるけーね。
シュル、シュル、と紙の上を滑らす音は、丸を描く音。
あくまでも視線は机の上の課題だった。

「可愛い教え子のために今日もがんばるけーね先生、っと」

私も負けじと筆を走らせる。
もうこの際、今のけーねで良いや。

「……? 何書いてるんだ、もこー」

音に気が付いたのか、けーねが問いかけた。
その問いかけを待っていたのだ。

「へへ、よし、ホラ、けーね。今日の分の日記。これでこの日記帳もいっぱいだ!」

けーねの背中におぶさって、日記帳を開いて見せた。
教え子の課題よりも、私の日記を先に見て欲しかった。
嫉妬かなぁ、なんて思いながらドキドキしていた。
高鳴る胸の鼓動がけーねの背中ごしに伝わってしまわないかと心配なくらいに。

「もこー、……ありがとう」

けーねが私の手を握り、なんだかしらないけどありがとうと言っている。
褒められる謂れは無い。ただ、日課になっている日記帳を見せただけなのに。
照れるとけーねに言い訳をすると、そうか、そういうことにしておこうか、
なんて笑いを堪えるように言われてしまった。
……だからお見通しなんだよな、けーねには。
私の為に新しい日記帳を探すけーねに明日で良いと言うと、目の前まで行き、
今日は特別な日なんだから、なんて言ってやる。
もう何回も繰り返してきた『特別な日』。私もけーねも忘れるわけが無かった。

瞼を閉じてけーねからの言葉を待つ。
心なしか、胸のドキドキ言う音が外に漏れているような気がする。
胸が脈打つ度に頭に甘い痺れが走り、思考を絡め取っていく。
顔は火照り、身体から発する熱で口の中は乾ききっていた。
けーねが次に言う言葉は既に知っているハズなのに、
どうしてこう、毎回毎回緊張してしまうのだろう。

きっと何かの病気だ。
前に一度、永琳に診てもらったことがあった。
その時に変な薬でも飲まされたに違いない。
でなければ、いつもと変わらないけーねと一緒の時間に、
こんなにも胸が高鳴ることなんて無いはずなのだ。

コツン、と額にけーねの温もりを感じる。

「もこー。……私と、デートしよう」

瞼を開くと視界一杯にけーねの顔。真剣に私を見つめている。
歴史を識る、深い深い瞳の中に、驚いた私の顔が映っていた。

当然、力いっぱい頷く。

けーねの瞳の中の少女が笑うと、
真剣な眼差しで私を見つめていたけーねも笑う。

今日は、上白沢慧音の誕生日。

一年に一度の特別な日。





◇ ◇ ◇





『Beautiful day of Haku-taku』










その日は、とてもステキな一日だった。


けーねと待ち合わせ。
太陽が山に隠れる頃、人里と森の境界にけーねは立っていた。
いつもの帽子は頭になく、髪を後ろで纏めている。
けーねの教え子も好んでこの髪型にすることが多い。ポニーテールとやらだ。
深い藍染のジーンズと、白いワイシャツ姿のけーねは、
男っぽさを意識したのだろう、いつもと同じ配色なのに纏う雰囲気がいつもと全然違った。

別人のようだなと茶化すと、私を見てけーねも同じコトを言う。

確かに、ヒラヒラするスカートは鬱陶しいし、
花飾りのついた帽子は視界の半分を覆い隠していて、歩くのに邪魔だ。
フリフリのブラウスは汗でべったりしてて気持ち悪いし、
見様見真似でしてみた化粧とやらにも自信が無い。

今回のコレはけーねの要望だった。

たまには女らしい私を見てみたい、
だとか言うので幻想郷を駆けずり回り、どうにかソレっぽく見える格好をしてきた。
あと三日間は天狗の新聞の一面を飾るのは間違いない。
見る人が見れば、男女の逢引のようだ、と言うのだろう。
だってこれは、正真正銘のデートなんだし、デートと言えば逢引なのだ。
別に誰にどう思われようがかまわない。
私にとっては、けーねと一緒にいるこの瞬間こそが幸せなのだから。

けーねが手を差し出し、私は手を差し伸べる。

横に並び、腕を組んで人里へと歩き出す。
歩き出せば風が優しく私たちの髪を梳く。昼間の暑さが嘘のようだった。
見上げれば帽子の縁から顔を覗かせる、まだ昇ったばかりの満月。

私たちの行く先を、柔らかい月明かりが照らしている。

見上げたついでにけーねの横顔を伺うと、
凛とした表情でさっきまでの私と同じように空を見上げていた。
星と、月とを見比べて今の時間を測っているようだ。
けーねは私がジッと見ているのに気がつくと、耳元でさぁ、行こうと囁き、大股で歩く。
いくら男っぽい服装、身の振りをしていても、性まではごまかせない。
相変わらず組んだ腕は細く、白い。
いささか頼りない、けどずっと頼ってきたその腕に、ぎゅっとしがみ付いた。


はじめに向かったのは喫茶店。繰り返すけど、これはデートだ。
カランカランと鈴を鳴らし店に入ると、店員が目を丸くして私たちを見つめている。
当然だ。この喫茶店はけーねの教え子の開いてる店だったからだ。
おやおや、逢引ですかと茶化す店主に、けーねは臆することなくそうだ、と言い放つと、
勿論ストローは二つでとVサインをし、大きめのグラスにピーチジュースを注文した。
店のライトに照らされる、大分近いけーねの顔。
私の中の炎が暴走している。意識して無いのに体温がどんどん上がっている。
この熱がけーねに伝わってしまわないかと心配だったけど、
けーねは涼しい顔で髪をかきあげると、ストローに口をつけた。
大好物だった桃のジュース、ちっとも味なんかわからなかった。


今時はブティック、なんて表現をするお店。
ショーウィンドウに展示されているフリフリが沢山ついた洋服をぽけーっと眺める私。
人里に根を下ろして生活しているけーねは慣れたもので、
私を試着室に連れ込み、いつのまにか持ってきた大量の洋服を次々に着せていく。
いや、だから私はけーねの着せ替え人形じゃないんだけど。……なんてことは言えず。
目を爛々を輝かせながら次の服を着せようとしているけーねを黙って見つめるのだった。
いい加減うんざりしてきた頃、満足したけーねと一緒に店を出る。
やっぱりいつもの格好が一番だな、なんて言ってる。
……だったら最初からこんな格好を指定しないで欲しい。


活動写真、と言うのはもう大分古い言い回しらしい。
大きな劇場で見るのは人ではなく、銀幕。
仁義と任侠、ちょっぴり喜劇の物語は、けーね一押しとのことだった。
しかし、どうにも、慣れない人間の撃つ弾幕は直線的でいけない。
芸術的ではないし、あのスピードだと避けようにも避けられない。
そのくせ当たったら大抵はそこで負け、だ。
あんな弾幕ごっこなんてちっとも楽しくなさそうなんだけど、どうなんだろう。
退屈な弾幕ごっこに欠伸が止まらなくなってきた頃、物語はいよいよクライマックス。
主人公が何気なく放ったその言葉で、この退屈な物語の印象はガラリと変わった。
黄昏刻の一瞬、太陽が地に沈むその一瞬は、この世界で最も美しく、物語を彩るらしい。
とても単純で、当たり前で、素晴らしいことだった。
デートと言うからにはもうちょっと甘い、
ラブロマンス的なものを期待していたけど、これはコレで良いかななんて思った。
けーねはなんか感動して私の手をぎゅっと握ったまま涙をボロボロ流していた。
面白かったけどアレのドコに感動する場面があったのか、甚だ疑問だ。


映画を見終わる頃にはもう大分夜も暮れていた。
あちらこちらで明日の準備のために店仕舞いをしている。
街並みを照らす灯りが次々に消えていく中を、私とけーねは腕を組んで歩く。
消えゆく光に、確かな温もり。光は消えても、この温かさだけは消えない。
一つ、また一つ。
明りに呼応するかのように、伝わる鼓動が早鐘を打っていた。


学校は、私たちのデートスポットとして然るべき場所だった。
それこそ数え切れないくらいの思い出が、この校舎には詰まっている。
色々なことがあったなぁ、なんて思い出話に華を咲かせながら、
話題は尽きることなく、なんてことは無い教室を歩いて回る。
けーねの部屋へ続く廊下で私は昼間のことを思い出し、聞いてみた。
けーねは瞳を閉じて少し考えた後、そんな少女のことは知らないなと答えた。
でも私は確かに、けーねとあの少女が一緒だったところを見た……気がする。
当の本人に否定されると、私の思い過ごしだったような気がしてならない。
だけど……あの顔は、いつかどこかで……。


私の思考を遮るように、ガラガラと音を立てて、
けーねの部屋の扉が開かれた。





◇ ◇ ◇





「ん~、……やっぱりいつもの格好が一番落ち着くなぁ」

「……あのさ、けーね。お前の服が綺麗にたたんで箪笥の中に入ってるのは良いんだけど。
なんで私の服まで入ってるんだ?」

このフリフリの洋服を調達するときに何処かに置いて来てしまった一張羅の服。
私の知らない間にけーねに回収されていたらしい。
アイロンがけまでしたのだろうか、皺一つ無く綺麗に畳まれてでてきた。

「当然だろう。それとももこーはずっとそのままの格好で居たいのか? 私は別にかまわないぞ」

「もう聞かない」

フリフリを脱ぎ捨てて、けーねから渡された服に袖を通す。
きつくもなく、ゆるくもなく、木綿の安っぽい、馴染んだ感触が心地良い。
ようやく普段の自分に戻った気がする。

「今日の私たちはきっと幻想郷中の噂になるな」

いつもの出で立ちに、まだポニーテールなけーねが、
髪をほどきながらくくっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「別に噂になろうが、どうしようがどうでもいいんだけどね」

「こうでもしないと一生もこーの女らしい姿を見れない気がしてな」

……けーねに頼まれなかったら多分、永遠にあんな姿はしなかっただろう。

「あはは、そうかもしれないね。私としても誕生日プレゼントに悩んでいたところだし」

「だろう?」

プレゼント代わりで、しかも一年に一回のお願いなら、安いものだと
恥を承知で引き受けたのだった。





◇ ◇ ◇




けーねの手料理で簡単に夕食をすませ、談笑する。

「ああ、そうだ。もこー、さっきも言ってたろ」

「ん。……あぁ、もこもこ少女のこと?」

「自分で言うな、自分で……。その女の子について、もうちょっとわかる事は無いのか?
特徴とか分かれば、私の教え子だったなら確実に分かるんだがな」

流石のけーね。教え子の顔は全て覚えているらしい。
さっきは私の説明不足だったのだろう。
「もこもこ言う女の子が消えた」
……確かにコレじゃ分かるはずも無いか。

「えっと……。ああ、そうだ。小鳥を飼っていたよ。そいつの巣箱がこれまた不恰好でさぁ」

「ふむ。小鳥、か」

「そそ、確か名前はみすちー」

「……」

「どしたのけーね。なんか顔色悪いけど……」

「……なんでもない」

「みすちーって名前の鳥を飼ってる子、やっぱり居ただろ?」

「ああ……そうだな。大分、昔の子だ」

けーねは静かに語る。

「ふーん。やっぱり私の思い過ごしじゃなかったのね。良かった良かった」

思考を覆っていた霧が晴れてすっきりした。
あの子供はけーねの教え子に間違いない。
『何で子供の姿で現れたのか』という一番大きな疑問が残るけど、
それは聞かないほうが良さそうだった。
考えてみれば、きっと幸薄い子だったのだろう。
そんな教え子のことを話して、愉快なわけが無い。
軽率だったなぁと私は心の中でけーねに謝った。





◇ ◇ ◇





「さて……いつまでもここでこうしていても仕方ない。もこー、外に出よう」

けーねは窓から漏れる月明かりに、身体を晒し、夜空を眺めると私に言った。
そうだ。まだけーねの素敵な一日は終わらない。二次会ってヤツだ。
こうやって畳の上にごろ寝してるだけで終わっちゃあ、つまらない。

「うぇ、またさっきのカッコするの?」

来た時のことを思い出し、少し背筋が寒くなる。
あんなカッコは一度だけで良い。

「もこーがそうしたいならすればいい」

「い、いい。いいよ。あ、勿論コレは否定の意味でのいいだからな!」

力一杯、過剰に否定する。

「そうか。時間も無いし、行こう」

あっさりと引き下がる意外に素直なけーねの反応。
何か急かされているような気がする。

「あ、うん」

時は既に夜更けも回り、月が沈み始めている。
今日と言う日が終わるまで、もう間もない。
大切な一日だからこそ、一分一秒を惜しんで時間を気にしているのだろう。
こざっぱりしている部屋の扉を閉めて、けーねの後を追う。

……季節外れの、濃厚な桜の香りが鼻につく。





◆ ◆ ◆





「山中異界と言ってな、古来より、山は異界の象徴として扱われてきた。
故に、異界とは地続きである。なんて常識がまかり通っていたんだな」

「っていうか実際に地続きじゃないか。地獄も、冥界も」

「幻想郷ではその常識に違いはないな。
けど、ココにこの国特有の可笑しさがある。
島国なのに、異界がひしめき合っているんだ。
一つや二つ、海の向こうや結界の中にでも引っ越したくなるさ」

歩きながら何故かけーね先生の授業が始まっていた。
急いでいたはずなのに、けーねの言葉に耳を傾け、のんびり人里の外れを歩く。
相変わらず、辺りには桜の匂いが漂っている。

「なぁ、けーね。さっきから何か匂わない?」

我慢できずに私はけーねにたずねた。

「ん。やっぱり汗臭いか? だから着替えたんだが……」

「いや、そうじゃなくってさ。なんかこう……ずっと桜の匂いがする」

けーねは鼻をスンと鳴らし、辺りの匂いを嗅ぐ。

「ふむ。もこーよりも匂いに敏感なハズなんだがなぁ……」

気が付いていないようだった。

「まぁ、良いや。コレが異変だったら巫女が何とかするはずだし」

「……きっと、もこーは敏感なんだなぁ」

さしたる意味も無く褒められた。
意味も無く褒められると居心地が悪い。
私は居心地の悪さをごまかすために再び話題を変えた。

「ところでけーね、私たちは一体ドコに歩いてるの?」

「ああ、そのことか。もう見えてるだろう」

「見えてる……って永遠亭のある竹林だよね。ココ?」

「ああ、ココから先はもこーの方が慣れてるだろ。
実を言うとな、私には真っ暗でドコをどう歩いて良いのか分からないんだ。
多分、勘だとあっちの方角だと思うんだが……」

と言いながら永遠亭の方を指差した。
……違う違う。全然違う。

「出た。遭難者の決まり文句。……んでもまぁ、私のほうが慣れてるっていうのは本当だよなぁ」

「だったら案内してくれ。この竹林で一番素敵な場所に……!」

……そんなの決まってる。
いつもとは逆に、けーねの手を引くと私は迷うことなくその道を進む。





◆ ◆ ◆





普段からこういった道を歩きなれていないから体力を消耗するんだ。
手を引きながらブツブツと文句を言う。
けーねはすまんな、なんて息切れしながら、私の手を握り後ろを歩いていた。

しばらく藪の道を進むと視界が開ける。
竹もココだけは侵すことの無い小さな広場。

「ほれ、着いたよ」

沈みかけている満月は光を次の朝へと託したようだ。
白く、ぼんやりとして輝きを失いかけている。
朝焼けが近い。

「……正解だ。間に合ったな……」

「全く。いつまで教師ヅラして……ッ!?」

「もこー……お前は生きることには鈍感でも、やっぱり『死』には敏感なんだなぁ……」

『逃避を糧にした幻想には、意味が無い』

ずっと目をそらし続けてきた、一つの幻想が、終わりを迎えようとしていた。

弱々しく言葉を放つけーねの方を振り返った瞬間、全てを悟った。

思い返せば、兆候はあった。

眼鏡をかけないとモノが見えづらくなったと言ったこと。

あまり、重いモノを持てなくなってしまっていたこと。

そして何より、満月なのに、けーねがそのままなこと。

全てを悟ってしまった。

そうだ……いつか誰かが言っていた。

白澤は八百年生きると。

けーねと出会ってから何百回こうして過ごしたかを考えれば、

今日がその日であっても不思議ではなかった。

けーねの顔に浮かぶのは、死相。

そして、その周りを包むのは、濃厚な、桜の……死の匂い。

……上白沢慧音の身体が崩れ落ちる。

私は倒れるけーねの頭を抱えてその場に座り込んだ。

「ふふ……膝枕だな、コレじゃ。……最期に、どうしてもココに来たかった。覚えてる?」

「忘れるわけ無いじゃない! ココはけーねと私が初めて出会った場所だ!!」

「……そう、だったな。なぁ、もこー……私は、大分前に、この日が来ることが分かっていた。
何より、自分のことだ……覚悟はできていた。ただ……」

一つ、心残りなのは、私のこと。

自分の生命の灯火が消えようとしているその時に、けーねは私の心配をしていた。
けーねの頬に、涙が零れ落ちる。

「色々……考えていた。もこー……最期のお願い、聞いてくれるか?」

「う……ぐ、ぐすっ……聞く。聞くよ」

涙は意に反して留まることが無く、泣いてもいないけーねを濡らしている。

「……そうか。この時の為に、力を取っておいたんだ……もこー……良く聞いてくれ。
お前の、悲しみは……私が貰って逝く……」

けーねの唇が私への最後のお願いを紡ぐ。
その一言は、私を絶望の底へと突き落とした。


『妹紅と私の出会いを無かったことにする』


頭が真っ白になる、言葉の意味が分からなかった。
一言一句を心に刻み、意味を反芻する。
けーねの言葉を理解したとき、再び思考が弾けた。

「ひ、ぐ……嫌だ! 嫌だ嫌嫌嫌!!!」

力の限り叫んだ。
けーねのお願いを聞いてしまったら、私は……私は……。

「言うと思った……いつからだったかなぁ……未来の歴史が視えるようになったのは。
……いつか、きっと……お前は心の底から笑える親友と再び巡り合える」

「嫌だ! そんなのいらない! 私にはけーねだけなんだ……!! 忘れたくないよ!!」

「大丈夫……その時は私も一緒だから……きっと、思い出せる……だから……沢山の出会いを……」

「ひっく……うぅ、あ゛……あ゛」

嗚咽が言葉を紡がせなかった。
駄々をこねる幼児のように、泣きながら首を横にふることしかできなかった。
けーねは私の頬を優しく撫でて子供を諭す様に語る。
瞳は、既に私を見つめてはいなかった。
私の遥か後ろ、山と山の狭間に沈む月と、輝きを失いつつある星を眺めているようだった。

黄昏刻とは真逆の彼誰刻、世界が妖艶な紫色に染まり、物語が煌く、儚い瞬間。
けーねの歴史は朝と夜との境界の中、最後のページへ辿り着く。

「……もうすぐ夜明けだ。も……こ。……わら……って――」

それっきりだった。
頬を撫でていた手がガクリと力を失い、地面へと落ちる。

「う゛ぁ……、あああ、あああああああぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」

けーねの身体が冷たくなっていく。
私の力で温めても温めても、無慈悲に体温が低下していく。

私は泣いた。

頬を伝う涙は熱く、ぽたぽたと慧音の身体に落ちていく。

私は泣いた。

せめて、この涙が少しでも彼女を温めてあげられるように。

私は泣いた。

辛くない別れなんて無い、そのことを知りながら、
上白沢は私が悲しくならないようにと、自らの最期の力を使ったのだった。

私は泣いた。

気が付けば、名前も知らない少女が横たわっていた。

私は、思い出せない誰かの為に、再び泣いた。





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――夜が暮れた。









泣きつかれて眠ってしまっていたみたいだ……。
自分がなんで泣いていたか、なんて理由はもう覚えていない。
ああ、瞼が腫れぼったい。

朝の静謐な空気に身体を振るわせる。
初夏とはいえ、朝はやっぱり肌寒い。
ふと、気が付くと目の前には、
名前も分からない、奇妙な獣が横たわっていた。
今までに見たことの無いその獣は、完全に息絶えているようだった。
頭に生えた二本の角の片方には、可愛いリボンが結ばれている。
野生……じゃないな。

この獣の為に私は泣いていたのだろうか。

まさか?

ただ、このままにしておくのも可愛そうなので、
簡単に穴を掘って埋めてあげた。
ココは竹林の中でもちょうど広場になっているところだ。
墓を掘るには御誂え向きだった。





◆ ◆ ◆





「行くのね」

「……ああ。なんだかそうしなきゃいけない気がする」

竹林の入り口、竹に寄りかかるようにしていた輝夜が私に声をかけた。
何度も何度も、殺し合い、情を通わせた仲。
友人……と言うには程遠い絆の、私の知り合い。

「なぁ……一つだけ教えてくれないか、輝夜」

「なぁに?」

「竹林で獣を埋めてあげたときから……なんだか胸が苦しい」

「……」

「病気……じゃないよな。この気持ちは一体何なんだろう?」

「それは……」

輝夜は寄りかかっていた竹から身体を離し、目の前に立つ。
暫くの間、空を仰ぎ見るようにして、やがて私の方へと振り返る。

「……その答えは、教えてあげないわ。貴女がいつか、自分で辿り着くもの。
答えを見つけたら、またいらっしゃい。
その時は、貴女が出会った友人のこと、月が昇るまで語り明かしましょう」

満月よりもまぶしい笑顔をしてそう言った。
輝夜の横を通り過ぎ、振り返ることなく歩き出す。





◆ ◆ ◆





ふと思い出し、人里に立ち寄ると、一直線に文房具屋を目指す。

どうも何かが足りない。

ポケットに僅かに残っていた小銭をはたいて、

ペンと厚い日記帳を購入し、再び旅路へと戻る。

道中、気になって仕方が無かった。

荷袋の中で踊っている真っ白な日記帳。



コレを、出会いで埋め尽くそうと思う。


……記すんだ。


これからの私の歴史を。



誰に教わったのかも思い出せない。

そもそも教わったのかさえ定かじゃない。

夏はまだ始まったばかり、揺らめく陽炎が行く道をくねらせる。

空は高く、遠く、圧倒的な存在感の入道雲が蒼一色の空に白を彩る。

それが誰かの背中に見えて、足を止めると、手を前に差し出してみた。

私の知らない私はいつもこうやって、誰かに引っ張られていたような気がする。

やがて行き着く先の無い手をぶっきらぼうに懐に突っ込むと、再び足を踏み出す。

空と大地の境界、あの果ての、果てを目指して。

なにがあるかもわからない。だれと出会うかもわからない。

タダ一つ。この胸を満たすのは、幸せだった日々の欠片。

……ずっと、言いたくて言い出せなかった言葉を風に乗せる。

私の言葉が名前も知らない大切な誰かに届きますように。

『ありがとう。さようなら』

世界の隙間から吹く初夏の風は私の願いを聞き届けるように、

ざぁ、とざわめくと、幻想の郷を駆け抜けていった。


















◆ ◆ ◆



















目の前の少女が手を差し伸べる。

「私の名前は、上白沢慧音。よろしくな」

私も彼女へと手を伸ばす。

結ばれる手。

まだあどけなさの残る、向日葵のような満面の笑顔。

私は、彼女と同じように笑ってるだろうか?

太陽が熱と光の弾幕を生み、

夏風が柔らかく私たちを包む。

暑く、熱い私よりも更に温かい彼女の手。

数えることもしなくなった何百回目かの夏の終わりに、

私は上白沢慧音と出会った――。
一つの結末。一つの始まり。

もこ語り。
沙月
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コメント



0.1890簡易評価
1.100煉獄削除
時代的には今の幻想郷よりも未来の話・・・になるのかな?
妹紅と慧音のある日の日常でもあり、二人が一緒にいられた日でもある・・・。
慧音は妹紅と過ごした記憶を持っていくことに何を思っていたんでしょうね?
また、妹紅にとってはその思い出が何よりも大切であったのに。
しんみりとする話でしたが、面白かったです。

えっと質問ですが。
「もこー」とか「けーね」と使っていたのは話に合わせて?使っていたのでしょうか?
気になったものですから。(苦笑)
2.100シリアス大好き削除
これも又一つの幻想的な物語の一つかな
どうか長い月日の果てに再開した二人の先に幸あれ
14.100奈々樹削除
ぐいぐいと引き込まれてしまいました。
こんなにしんみり出来るお話は久しぶりです。

日常の二人がいい味出してます。
デートのところではにやにやさせていただきました。
幻想の少女は昔の慧音であり未来の慧音でもあるんですよね?
「死」は終わりであると同時に始まりでもある。
妹紅が記す新たな日記帳もやがてまた彼女との日々でいっぱいになるのでしょう。

素敵な物語をありがとうございました。
22.100名前が無い程度の能力削除
ちょっと長いけど面白かったです。

涙をながすたびに妹紅の慧音への認識が変わっていくのが切なく、
素敵な演出でした。
二人の幸せを祈ります。
23.60名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
ただ、「はたして慧音がこんなことするだろうか」と思ったので60で。
29.90名前が無い程度の能力削除
輝夜に能力が効いてなかったのは彼女の能力による物、ですかね?
30.無評価境月沙月削除
「なぁ、お前。なんで泣いてるんだ?」

「ぐす……お姉ちゃん、だあれ?」

「もこーだよ、もこー」

「もこもこ……?」

「妹紅、……まぁ、良いや」





◇ ◇ ◇





輝夜が妹紅を見送ってから最初の十五夜。
輝夜は既に幻想郷に居ない人のことを想い、静かに酒を呷る。
一匹の兎が、輝夜の目の前まで来てオドオドと話しかけた。

「あのぅ……姫さま。どうしてハクタクは、あの娘に自分のことを忘れさせたのでしょう?」

この兎は、妹紅と慧音の一部始終を見ていた。
そのやりとりがどうにも兎の頭じゃ腑に落ちないようでたまらず輝夜に聞いたのだった。

「……簡単なことよ。『藤原妹紅と上白沢慧音の出会い』は無かった。
無かったことなのに、何かを妹紅に残せたなら、それは確かにけーねの生きた証なのよ」

「生きた、証……」

杯に満月を浮かべながら、輝夜は静かに答えた。
慧音のことを近しい者が呼ぶ名で呼んでいることに、兎は気が付かなかった。
生きた証の意味について、考えを廻らせていたからだ。

「いつまでも、自分のことを忘れないでいてくれる、……永遠の魂に刻まれた証」

「それが、薬に頼ることなく、須臾を永遠にする術、です」

輝夜の背後にいた永琳が一言添える。

「ああ、そうだ、思い出したわ……永琳。
蓬莱山輝夜が、月の姫として命じます。
私の友、上白沢慧音から託された書を厳重に管理し、
二度と他の人の目に触れることの無いよう、
藤原妹紅の歴史の秘密を永遠亭の奥深くに封じてしまいなさい。
……彼女が全てを思い出し、再び私たちの前に姿を現すその日まで」

「詔、確かに承りましたわ、姫さま」

二人の会話を聞いていた兎は、
その日が訪れることを切に願うのだった。





◆ ◆ ◆










生命は巡る。魂は廻る。

廻り、巡って、いつか、再び。

それは、

幸せだった物語。

それは、

永久に続く物語。

紡ぐ、

私と貴女の物語。
33.100名前が無い程度の能力削除
慧音=元々白澤説ですか。
もこ記の人でこれはその続きってことですよね
追記で前回の問いに対する解答もされていてスッキリしました。
面白い物語をありがとうございます。
39.100名前が無い程度の能力削除
泣く直前です。
41.100名前が無い程度の能力削除
泣いた。
44.100irusu削除
妹紅と慧音の別れ悲しすぎる。
45.90名前が無い程度の能力削除
おもしろかったです
52.100名前が無い程度の能力削除
イイネ