優しい陽光にひたって漂っているような、ふはふはした心地良い眠りでございまして、目覚めるときも、上等の羊毛で織られた
鏡の中には、それは立派な毛並みの白猫が一匹おりました。
さて、と思ったところに、耳の後ろがかゆくなって、私は後ろ足を器用に使って耳の後ろを掻いて見せたのでありました。その、こちとら生まれつきの猫であります、と言わんばかりの猫っぷりに、我ながら呆れ果て、またひとつ、ふは、とあくびが出たのでありました。さてわたくし阿礼乙女、九代目の転生先に選んだのは猫だったか知らん。そういえば猫は九つの命を持つと申しますれば、阿求は猫に近いのかも知れませぬ。しかし阿礼から数えれば私は十代目のはずですが。と考えても見たのでしたが、つい先日まで筆を執って縁起編纂に明け暮れた記憶が求聞持の魂にしかと刻まれておりまして、やはり稗田阿求は人間であったのであります。そうしますとこれは、宋の荘周、唐の李徴、はたまたロシアのグレゴール・ザムザか知らんとでも言いたくなるような見事な
「あきゅーん」
……。
……いや、これは、無いわ。
なんだか一気に気が萎えてしまいまして、さてもう二度寝でもしてしまおうか知らん、と思ったところに、私の大きな三角の耳が足音を捉えまして、
控えめな
私はまた姿身の前に立ちました。白い毛並みには人間である稗田阿求の名残は無く、猫に変化する不可思議は人間の理解には程遠く、誰が私を阿求と判別できましょう。言葉を伝えようにも、「あきゅー」このザマであります。
幸いであったのは、屋敷では野良、飼い猫かまわず、猫を好きなようにうろつかせてあるので、今さら見知らぬ猫が一匹増えたところで誰も動じないことでありましょうか。しからば、ここは堂々とごはんをいただき、縁側で丸まり、庭で遊ぶ猫ライフを満喫しても誰も文句は言うまい、と、再確認したところで、くう、とお腹が鳴るのでした。
お勝手では炊事役の女中さんが数人、屋敷の者の朝餉に取り掛かっており、土間に置かれた皿にはたくさんの猫たちが群がってごはんを頂戴しているのでありました。皿に盛られたのはあまった白米と煮干を混ぜたのに味噌汁をかけた猫まんまで、普段の私ならいざ知らず、猫の身となった私にはそれの放つ香りが酷く魅力的で、ごちそうを前に不図鼻をひくひくとさせてしまうのでした。
さて、私もご
『チビすけ、新入りかい』
それはひときわ大きく毛並みのつややかな三毛でありまして、どうやら私の書斎に入り浸ってよく膝の上で昼寝などした子でありました。しかし、人間のときですら身体の小さいのを幾らか気にしていたというのに、猫の身となっても自分はチビであるのか、と周りを見回してみると、なるほど、どの猫も今となっては私よりも目線の高いのばかりでありました。それに比べて私は子猫でありました。
『はい。私、あきゅ……いえ、アヤと申します。数えで齢ふたつであります』
なんとなく阿求を名乗るのがはばかられ、私はついとっさに阿彌の名をかたっていました。ごめんなさい、ご先祖様。……まあ、結局私のことなのですが。威風堂々たる三毛さんは、そうかい、と気楽そうに頷くと前足をぺろりと舐めました。
『いいかい、ここの飯を食いたいなら食えばいいが……この家の掟には従うことだ。それを守れるなら食いな』
ひとつ、この家の主は阿求という少女である。彼女に逆らうべからず。
ひとつ、新入りは阿求に挨拶すべし。彼女に頭を撫でられることで新入りの証とみなす。
ひとつ、喧嘩は家の外でせよ。
ひとつ、家に出入りする者、人妖畜生問わず、これを威嚇すべからず。ただし犬はその限りにあらず。
ひとつ、等級をわきまえるべし。等級は五等から一等まで厳密に分かれる。
四等以上の者は縁側で寝てよい。それ未満は庭で寝るべし。
三等以上の者は廊下、女中の部屋で寝てよい。
二等以上の者は阿求の書斎で寝てよい。
一等以上の者は阿求の寝室で寝てよい。
等級はその為す所による得点加算により昇格・降格する。得点加算の条件は以下の通りである……
その後得点加算の条件とそれぞれの得点振り分けを説明されようやくご飯にありつけたのは十分後でありました。阿求に撫でられれば一点加算、鼠を一匹取れば三点加算、柱で爪を研ぐと一点減点、また、爪研ぎの罪から逃げ仰せ、別の者が冤罪で人間から叱られたことが判明した場合、五点減点、階級ごとの所定の位置を破って寝た場合五点減点……といったルールを聞くにつけ、無邪気そうに転がっていた猫たちにもまさに人知れず事情があり、いつも私の膝の上で寝ていたこの三毛も、様々な努力の結果今の地位を持っているのだと知ってしまったのであり、猫の世界も案外世知辛いものであるなあ、としみじみと思ったのでありました。
しかし猫まんまは非常に美味であり、猫らしい幸せを満腔に享受したのでありました。
さて、お腹も膨れたところで屋敷の廊下をうろついておりますと、私の耳はぴこぴこと震えて、向こうから声がするのを捉えたのでした。猫らしいむくむくとした好奇心に任せ、小走りにそちらへ向かうと果たしてそこは玄関であり、女中さんが訪問者に応対しているところでありました。
「御当主に取次ぎをお願いするわ。アポイントもこの通り」
そうして女中さんに薄紅色の封筒を差し出して見せたのは、紅魔館の魔女、パチュリー・ノーレッジでありました。私は封筒に確かに見覚えがあり、そういえば今日は彼女が稗田の資料を閲覧したいと願い出ていたその日でありました。稗田の資料はよほどの物好きでもない限りわざわざ見に来る者はなく、書庫が人であふれる、というような心配も無く、売っても二束三文にもならず盗難の危険もないため、資料を破損する可能性の高い妖怪(凶暴性の高い者、精神的に幼い者、その他)などを除けば基本的にアポイントがない人にも解放しているのでありますが、そこは契約・取引に厳格な魔女の性分でありましょう、わざわざ手紙を寄越したので、私は承諾の意をしたためて返したのでありました。
しかしよくよく見てみると、女中さんはどうも困っているようでした。
「あの、その、申し訳ありません……阿求様が、その……どこにいらっしゃるのか、わからなくて」
「外出したのではないの?」
「いえ、お屋敷のどこかにいらっしゃるはずなんですが……し、しばしお待ちを」
女中さんはパチュリー・ノーレッジにお辞儀をすると取って返し、他の女中さんに「阿求様を探して頂戴」とわめき散らしながら廊下の向こうへと去ってゆきました。
さて、その阿求は今ここでこうして猫をやっているわけでありますが。
「まったく、なんなのかしら」
玄関に取り残されたパチュリー・ノーレッジはため息を吐くと、ちらりとこちらに視線を寄越しました。私は尻尾を振ると、試しに「あきゅう」と鳴いてみました。
「……日本の猫は変わった声で鳴くのね」
うん、やっぱり、無いですよねこれ。
ワールドワイドでありえなさが認められてしまい若干落ち込みましたが、私は気を取り直し、もう一度「あきゅん」と鳴くと彼女に背を向けて歩き、数歩進んだところで振り向いて顔をうかがいました。ついて来て下さい、というメッセージのつもりでしたが、果たして伝わったか知らん、と思っていると、パチュリー・ノーレッジは私をじっと見ると、なにやらあごに手を添えて考え込むようなそぶりを見せ、ぽつりと言ったのでした。
「……猫と人間なら誤差の範囲ね」
私はゆっくり歩いて書庫の扉の前にたどり着くと、そこにお行儀良く座りました。後ろをついてきたパチュリー・ノーレッジは了解したらしく、扉を開いたのでした。まったく、魔女という生き物の頭の回転の速さと順応能力には頭が下がる思いであります。書庫に入るなり、パチュリー・ノーレッジは、ほう、と息を吐きました。感心したのでしょうか、それとも、引きこもりの身でここまで来たので疲れたのでしょうか。私も部屋に身をすべらせると、パチュリー・ノーレッジは戸を閉めました。
「じゃあ、見せてもらうわ」
と、彼女は何故か猫(私ですが)を見て断りました。どうやらさっきのセリフも半ば本気のようでありました。わざわざアポイントを取ってくるのには感心しましたが、この様子を見ると、礼節をわきまえているのかいないのか、よくわかりません。人間にはあずかり知れぬ倫理観で動いているのかもしれません。とりあえず「あきう」と返事すると、それを承諾と解釈したらしく、パチュリー・ノーレッジは書架を物色し始めました。そうして、主に吸血鬼異変以前……紅魔館が幻想郷に移住してくる以前の資料を中心に何冊か選び出すと、備え付けの読書用椅子に座って黙々と読み始めました。さすが動かない大図書館の二つ名を戴いた魔女、読書する様が絵になっておりました。私は手持ち無沙汰になり、ふは、とまたあくびをしました。ほどよく腹が膨れたところに、書庫の中は眠るのにほどよい温度の空気が停滞していたのです。ひときわ私の目を引いたのは魔女の膝の上でした。ローブのふはふはの生地と、魔女の体温で包まれるであろうその場所を夢想するに、まぶたが重くなるのを押さえられませんでした。私は本に没頭する魔女に恐る恐る近付き、ひらりとその膝元に乗りました。パチュリー・ノーレッジはちらと私を一瞥しましたが、特に気にした風でもなく、また文字を追う作業を再開したのでありました。特等席を得た私はそこでころりと丸まり、夢想したとおりのぬくぬくとした感触に包まれてまどろんでゆきました。ちらと、そういえば今の私は五等の新入りチビすけであり、ここで寝ているのを見つかれば大幅な減点をこうむることになる、と考えましたが、魔女の膝の魅力には抗えず、これも役得、と思い、むにゃむにゃと意識の蕩けるのに任せたのでした。
「邪魔するぜ!」
勢いよく扉が開け放たれ、私は魔女の膝からころりと転げ落ちたのでありました。今まで私が太平楽に眠っていたところを見ると、パチュリー・ノーレッジはずっとその姿勢を保ったまま読書をしていたようです。その彼女は、目線だけ動かしてと扉の前の闖入者をにらみました。
「……あんたはどこでも騒がしいのね」
「ああ、騒げるだけ騒ぐのが人間だぜ」
「皆あんたと一緒にするな」
いつも通りむやみに明るい霧雨魔理沙をたしなめたのは、その後ろに控えていたアリス・マーガトロイドでありました。当の霧雨魔理沙はどこ吹く風で、書庫につかつかと踏み入るとさほど広くない書庫をキョロキョロと見回しました。
「うん? 阿求と一緒じゃないのか?」
「ここには私と、これしかいないわよ」
なんか『これ』呼ばわりされました。そこそこ屈辱です。
「なんだそりゃ。せっかく土産話を持ってきたのに」
「もう、そうじゃないでしょ。地底と幻想郷の関係を調べに来たんじゃない……」
「あー、そっちはアリスに任せるぜ。まったく、折角地底の妖怪のことを報告してやろうと思ったのになあ」
私の両耳がぴこんと直立しました。
「ああ……地底の異変については、二人ともご苦労さま」
「今度あんたとスキマにも話を聞かせてもらうわ」
「まあ、そのうち」
私はなにやら話しこむ彼女たちの合間を縫って、霧雨魔理沙の足元にゆくと、彼女の足に身体をすり寄せました。
「おお、なんだこいつ。かわいいな」
「あきう」
「はははそうかそうか。よーしじゃあもうお前でいいや。この魔理沙さんが目撃してきた地底妖怪の話を聞け」
願ったり叶ったりでありました。まだ見ぬ地底の妖怪と聞いて私の好奇心はまたもやむくむくと首をもたげ、幻想郷縁起への加筆・改訂を行おうという意欲が燃え上がるのでした。霧雨魔理沙は書庫の床に座ると手を広げたので、私はひょいとその膝の上に乗りました。彼女は私の頭をひと撫でしました。
「よし、じゃあまずは、怪奇!クモ女の巻だ」
そうして話ながら、霧雨魔理沙は私の喉元をこしょこしょと撫でるのでした。その手触りに気持ちがふはふはしてきたと思うと、今度は耳の横の、ちょうどかゆくて掻きたかったところを撫でてきます。かと思えば背中を撫でさすり、私はいよいよ気分が蕩けていったのでありました。ああ、人間に撫でられるのはこんなに気持ちが良いのか、と、もはや生まれついての猫の気分でいたところ、気がついたときには霧雨魔理沙にお腹を見せ、完全に身を預けておりました。それを発見して一瞬我に返ったのでありますが、その霧雨魔理沙の私のお腹をなでる手つきといったら、私をして一瞬にして脱力せしめ、抵抗の意志を萎えさせるほどであったのであります。霧雨魔理沙が「気持ちいい、気持ちいい」と言いながら執拗に肉球をぷにぷに、ぷにぷにといじり、お腹どころか全身をくまなく撫でさすられ、私はもはや人間であったときの矜持など持たず、一切の辱めを辱めとも思わず人間の手が全身を這う快感におぼれていたのでありまして。
それこそ恥ずかしながら、彼女の地底妖怪談義は一切耳に入らなかったのでありまして、いつしか寝入っていたのでありました。
目を覚ますといつもの寝床でありまして、私はむっくりと身を起こすと、ふは、とあくびをしたのでありました。どうやら朝らしく、床の間の畳を障子越しの日光が暖めておりました。腰まで布団をかぶったままぼうっとしていると、いきなり障子が開け放たれ、あの花瓶を取り替えていた女中さんと目が合いました。私は寝起きの蕩けたあたまで意味もなく「あきゅう」と言ってみたのでありましたが、彼女のほうは私を見るなり目を見開きまして、「阿求様!」と叫んだのでありました。
「いました! 阿求様が見つかりました!」
数分と待たずして、寝室には人が殺到しました。そうして、今までどこにいたのか、怪我はないか、そういえば前見たときより身長が伸びていないか、などと一気に質問攻めに遭い、私はあたまが追いつかずとりあえず思いまぶたをこじ開けようと目をこすり、はて、肌がつるつるしていると思い、よくよく見れば手は今までずっと筆を執ってきた人間の手でありました。
はて、どうやら夢を見ていたか知らん、と思いつつも、皆のわめき散らすところを整理してみますと、やはり昨日私は一日行方不明だったそうで、パチュリー・ノーレッジたち訪問者が来たのも事実のようでありました。
さて、ここはどう申し開きしようか知らん、昨日私は猫をやっていたのです、などという奇天烈発言を披露してしまえば余計混乱するのではないか、と思いあぐねていたところに、「すまない、通してくれ」と人ごみをかき分けかき分け、ひとりの人物が私の床の側に座りました。上白沢慧音でありました。自然と皆静まりました。
「また屋敷を抜け出したのか」
私は縁起の取材のために、家の者には黙って屋敷を抜け出すことがありました。幻想郷危険区域案内を編集するに当たって、実地に赴いて写真を撮り、資料を集めたのですが、そのような場所に私が向かうのは家の者皆が反対していたのでありました。しかしそうして私が何回も抜け出したところ、だんだんその行為については黙認されるようになったのです。しかし。
「夜になっても戻らないから捜索隊が出たぞ。何があった」
今までは夜になる前に帰ったのでした。さてこれは太平楽な猫生を味わっているうちに迷惑をかけていたらしい、と思いまして、しかし、私の口から出たのは次のような言葉でありました。
「申し訳ありません、妖怪の山へ取材に行っていたところ、天狗たちの宴会に誘われまして、断るに断りきれず、夜を明かしてしまいました」
上白沢慧音は私のことをじっと見て、まだ私に含むところのあるのを感じていたようでありましたが、私の事情の方をなんとなく察してくれたらしく、ため息を吐いてゆるく微笑みました。
「まったく。以後こういうことのないように」
そのときの渾身の力のこもった頭突きは、上白沢慧音なりにその場を丸く治めるための優しさだったのだと思います。凄い音がして女中さんたちがドン引きしてましたし。一瞬先代阿彌が三途の川の向こうに見えましたし。
おでこの痛みと引き換えに平安を得た私は、朝餉の後書斎に座っておりました。さて、さっきの私の発言と辻褄を合わせるためにも、射命丸文に情報操作をお願いしなければならぬ、袖の下を用意しておかねば、などと考え考えしておりますと、どこからともなく例の三毛が尻尾をふりふり歩み寄りまして、私の隣に丸まったので、私はその背中に指をすべらせました。ついでに肉球をぷにぷにしてみると、三毛はなんともむずがゆそうにしていましたが、私の好きなようにさせてくれるようでした。ぷにぷに、気持ちいい。これは霧雨魔理沙が病みつきになるのも分かる。
「はあい」
そこに、八雲紫はさも気楽そうに現れたのでした。
「昨日は楽しかったかしら?」
くすくすと笑う彼女に、私は返す言葉も思いつかず、ただ一声「あきう」と鳴いて見せたのでありました。
こwwwwれwwwwはwwww
ていうか文体がすごいな
次回も楽しみにしてますよ
まで読みました。
愛でてみたいですね。
猫が好きな私としては堪らない。
それはそうと、「~か知らん」というのは元々こういう文体なのでしょうか?
「~かしらん」ではないのかな? どうなんでしょ?
少し気になったもので質問させてもらいました。
ぬこ可愛い。にゃーん。
アリスやゆうかりんがどんな反応をするか見たかったなぁ。
ごちそうさまです。
あきゅうかわいいなあきゅう!!1!
…これいいなぁ
>煉獄様
「~かしら」という言い回しは「~か知らぬ」が変化したものらしいのでちょっと時代に逆行してみました。
ここと、ここを起点にした空気の変わりっぷりがいいなぁw
解りました。
誤字とかそういうので報告しないでよかった・・・。(苦笑)
ええい、猫どもめー!
とてもほんわかでござんした。
マジでキュンとした。
文体が良いですね。~か知らん、が多いような気もしますが楽しませてもらいました。
魔理沙に転がされたい!
描写と物語に夢中になっているうちに読み終わってたから。
とりあえずパチュリーに惚れた。
悶え死……カフッ
抱きしめて頬ずりしたくなる可愛さですねこれは。