Coolier - 新生・東方創想話

それは夏草生ゆる日

2008/10/05 22:10:33
最終更新
サイズ
19.16KB
ページ数
1
閲覧数
552
評価数
1/7
POINT
330
Rate
8.88

 この作品は小説版「儚月抄」と設定が異なることがあります。

 それでも構わないという方のみお読みください。




 予備知識

 妹紅は蓬莱の薬が捨てられようとする前に、捨てようとしていた兵隊の隊長の岩笠を富士山の崖から突き落として殺した。
 蓬莱の薬の効果はその前日に咲耶姫から聞かされていた。









































 黒い風が妹紅の髪をなで、木々の間を吹き抜けていく。岩笠を殺した。妹紅はそのことに後悔はなかった。
私の目的はあいつに一矢でも報いること。そのためにこの富士の山まで来たのだ。
そして今、妹紅は壺の蓋を取って呆然としている。これが。

 蓬莱の薬。昨日、咲耶姫から話は聞いていた。人間に永遠の命を与え、不老不死にする。
それだけではなく、どんなに傷ついても、空腹でも、暑かろうが寒かろうが、決して死ぬことがないと。

 これがその薬だというのか。それはまるで灰のようで、だが、輝きを放っていた。
壺一杯に入っているわけではなく少量ある程度。それでも壺の中は光に溢れる。
妹紅は確信した。これは蓬莱の薬に違いない。根拠は無いに等しかったが、嫌でも確信させられた。

 カラスの間の抜けた鳴き声が聞こえる。妹紅は躊躇った。当初の目的は果たされていた。
薬が目的ではない。ただ、この壺を奪ってあいつへの嫌がらせになればよかった・・・だけだった。
だから、この薬をどこか適当な場所へ捨てようと当初は思っていた。
それでも昨日の話が本当ならば、いや、真実に違いない、この薬を私は欲しがった。妹紅の目が薬へと釘づけになって動かない。

 そうだ、ただ捨てるだけならもったいない。それにあいつがまた来ないとも限らない。
それまで私は生き続ければいい。妹紅はそう自分に言い聞かせた。
何を躊躇っている、この薬を飲んで後悔することなどあろうか。
もう一度風が木々の間を抜け、妹紅の顔に吹き付ける。

薬をひとつかみ手に取った。恐る恐る口元に持っていき、一気に全てを飲み込んだ。
特に味もなく、何かが体をめぐるというわけでもない。しかし、逆に何かが自分の体からすうと抜けていくのを感じた。
これで、不老不死の体になったのだろうか。

 富士の山は雲に覆われ、雨粒が山肌を打ち始めた。




 一度自分の屋敷へ帰ろう。来るときは力尽きかけたが、今は蓬莱の薬を飲んだのだ。
そうでなくても下山は上りほど苦しいものではない。来た時と同じ道を今度は逆にたどっていく。
雨が妹紅の体を濡らし、夏だというのに妹紅は寒さに震えた。

無事に下山し、あとは自分の屋敷に戻るだけである。帰り道には富士五湖がある。
寒々しい富士の様子をまた寒々しく映す、その湖。その帰り道でふと水面を覗き込んだ。
理由はなかったかもしれない。
ただ、自分が不老不死になって何か変わったのかもしれない、という期待があったのかもしれない。

 覗きこまなければよかった。そこに映ったのは普通の女の子よりも少し痩せている身体、何かに脅えている顔。
そして、今までは真っ黒のおかっぱの髪が、真っ白になっていた。

 水面の向こうの私は目を見開いた。私を、何か恐ろしいものでも見るかのような目で見つめる。
驚き、というよりも愕然とした目だった。これが私の望んだことだったのか。

私がしたことは間違いだったのではないか。私は水面から離れた。吐き気がする。
あれは確実に蓬莱の薬だった・・・地上のものではない何か。この姿を見た人は私を何と言うのだろう。
いや、もう何でもいい。後悔の念が彼女を押しつぶす。もう屋敷には戻れない。私は、もう私ではない。
 妹紅は走り出した。誰もいない場所へ、自分からも逃げるように、走り続けた。深い、森へ。




 蓬莱の薬が地上のものではない何かとしたら、やはり月のものなのだろうか。
少なくとも、私は不老不死の効果をもたらす薬を聞いたことがない。
髪の毛がいきなり真っ白になる薬というのも聞いたことがない。
そうすると、それをあの翁に渡した輝夜は月の民というのも真になる。

 そして思い出す。輝夜は月に帰ってしまったということを。
そして悟る。輝夜は二度と地上に帰ってこないということを。
最初の決心は一瞬にして崩壊した。私が蓬莱の薬を飲んだのはあいつへの復讐だった。
それが、薬が本物だったことで、逆にあいつへの復讐にすらならず、これからも復讐することなんてできない。

 悔しくて悔しくて、私は涙がこぼれるのを抑えることができなかった。
私がやろうとしていたことも、私の未来も全てあの時に消え去ったのだ。
妹紅の慟哭は永遠にも一瞬にも感じられた。本当は永遠なんて要らなかった。

 とぼとぼと妹紅は当てもなく歩いた。とりあえず、どこか人里につけばいい、そこでしばらくは暮らそう。


 成長しない人間は怪しまれ、疎まれる。妹紅はそのことを嫌というほど思い知った。
最初のうちは怪しまれても何とかごまかしていたが、どうしようもなくなった時、崖から飛び降りて死んだように見せかけ、その里から離れた。
死ぬほどの思いをしたのはこの時が初めてであったが、本当に死ななかった。
しばらくは死んでいるが、ある程度時間がたつと意識を取り戻す。
決して気持ちのいいものではなかったが、こうするより仕方がなかった。
また、ある時は海で溺れ死んだ。だが、どこかに打ち上げられてそこで息を吹き返した。

 何度も同じことを繰り返し、段々と死んだように見せかけるのが面倒臭くなってきた妹紅は、怪しまれる前に里から姿を消して別の里へと移り住んでいった。
そうするためには、人との付き合いからも離れていなくてはならなかった。
自分がいなくなってもいいように。妹紅の存在など始めからなかったかのように装った。

 300年ほどが経った。







 妹紅は今まで繰り返してきたように、またある里から失踪した。
別の里へ行く道中、ふと立ち止まった。
暖かい日だまりの中、柔らかい風に乗って綿毛が彼女の鼻先を通り過ぎて行ったのだった。
 足元を見ればそこにはタンポポが咲いていた。以前にタンポポをじっくり眺めたは何時だっただろうか。
妹紅はタンポポの前で腰をおろした。タンポポの綿毛は、どこか妹紅も知らない遠くの地へ飛んでいく。
綿毛はここにもまた降りてきて、新しい花を咲かせる。

 私は。

 妹紅は行こうとしていた里からも、出てきた里からも遠ざかった。

 それからまた300年ほどが経った。







 妹紅は世間を離れ、山中を彷徨った。時には雑木林、時には竹林。
夜中には妖怪も現れた。妖怪が出ると妹紅は誰かまわず妖怪を殺した。
時に殺されることもあったが、不死身の身体だ、負けることはなかった。
そうして最後にはどんなに強い妖怪だろうが追い詰めていった。

そうでもしなければ私は壊れる。二度と取り戻せなくなる。何かに恐怖しながら私は生きていた。


 私は何のために生きているのか、何度も何度も何度も自分に問いかけた。いつも答えは出ない。
生きている意味がないから死のう、でも死ねない。そうしてまた鬱になっていく。
それは恐怖だった。
でも、もうその繰り返しに段々妹紅は慣れた。慣れてきたらもうそれが恐怖とは感じなくなった。

 ある時、その繰り返しは断ち切られた。
もう死ぬのに飽きた。生きる意味を考えるのにも飽きた。鬱になるのも飽きた。恐怖にも飽きた。何もかもに飽きた。
もう妹紅は薄っぺらな存在ですらなかった。存在しない存在になり果てた。
そのことも別に悲しくもなかった。ここにはただ私がいるだけだ。

 それからまた二百数十年が過ぎて行った。





 上白沢慧音は夜分に竹林を見回っている。
夜は妖怪がよく現れるので、妖怪が人間を襲わないように、慧音は毎日夜に竹林を歩き回り、危険がないかどうか確かめていた。
幻想郷には元々妖怪が多く住んでおり、人間は後からやってきたものだ。
そうした人間に反発を覚えるものや、食おうとする妖怪が今もいる。
見回る慧音も半獣ではあるが、彼女も元々人間であり、人間と妖怪の共存は可能である、と信じていた。


 ある冬の日、幻想郷では珍しく雪が降らない日が何日も続いた。
雪が降る日というのは深々として一層の寒さを感じさせるのだが、雪が降らない日というのもまた異様な雰囲気が感じられて寒さを強調するようである。
とにかく冬は寒いものだ。
竹は葉を散らし、地面には霜が降り始めていた。

 慧音はひっそりとした林を歩いていた。自分の足音以外に聞こえるものはない。
見回りを始めてから長い年月が経ったが、時々人間が迷う程度で妖怪に襲われた痕跡は見たことがない。
特に最近では見回りというよりは散策に近いものになっている。

 空を見上げればもう新月。あと半月でハクタクになる。
毎月のこととはいえ、ハクタクになった時は楽ではない。
たまっていた作業を一気にこなさなければならないのだし、そもそも変身自体があまり気持ちのいいものではない。
少し陰鬱になって溜息を吐く、その息も真っ白に染まり、月明かりに照らされて煌めいた。

 その息の向こうに何か動くものが見えた。

 妖怪、なのだろうか。確証を持てない。
普段ならこの時間にこの竹林を歩く人間はいないはずだが、そのものは人間に見えた。
わからない、とりあえず声を掛けようかと思った。確認はそれからでもいい。

「おい、そこのお前。」

 ものはちらりと慧音を見た。その顔は人間のように見えた。人間らしきものは逃げ出した。
 何だったのだろうか。慧音はそのものを追わなかった。
殺気らしきものを全く感じられない、いや、生気すら感じられなかった。

 明日また、この竹林を見回ろう。人間を狙っているのならばまた来るはずだ。

 その後の見回りは特に異変を感じさせなかった。

 人間を見たのは実に久しぶりだった。何年振りだろう。
その人間が話しかけてきたが、私はそれを無視し、その場から去った。
この竹林に入ってからしばらくはここで生きている。
人里に近いこともあり、昼間はあまり動きまわることができないが、夜になったら食料を探してうろつく。そんな生活だった。
まさか、人間に見つかるとは思わなかったが。今日は偶然に違いない、根拠はないが。


 その次の夜。月はほんの少し姿を見せた。また雪は降らなかった。
 とにかく、行ってみるしかない。
二日連続で見回りをするのはここしばらくなかったが、そんなことも言っていられない。あのものの正体を突き止めねば。
人里を離れて竹林へ向かう。

 いた。そのもの、が。

「人間、なのだな。」

 慧音はそのものに話しかけた。すでに逃げようとしている最中だった。
そのものは逃げることをやめて、慧音を見た。長い白髪を持つ人間の少女だった。
少女は鋭い目つきで慧音を睨んだ。誰をも寄せ付けない、寄り付こうともしない。
少女は慧音の質問に答えず、吐き捨てるように言った。

「私に用が無いなら帰れ。お前とは関わりたくない。」
「そうか。」

 慧音もまた、長い間暮らしてきた妖怪なのだ。
多くの人間を見てきた。その少女のように他人から理解されようと思わない人間も見てきた。
だからこそ、人は他人から理解されなければ生きていけないということもよく知っていた。人間は一人で生きられない。

「私はお前のことをよく知りたいと思っているのだが。」
「要らぬお世話だ。」

 要らぬお世話、か。傷ついている人間は自分の殻にこもろうとし、外を見ることができない。
当たり前だ、外を見ようとしないのだから。それだけの心の余裕がない、そういうことの表れだ。
自分で無理やり外に出るか、それとも誰かが外へ連れ出さなくてはならない。
 ふと慧音は気付いた。少女の服はもう使い物にならないくらい、あちこちが破れて汚れている。それに少女の髪は荒れていて、体も薄汚れている。

「お前、私の家に来ないか。」

 すると、突然少女は慧音に怒鳴った。

「要らぬお世話と言っている!」

 少女は今度こそ慧音から離れていった。

 どうやら私は少女のことをよくわかっていなかったようだ。

 いらいらする。なんなんだ、あいつは。突然私に話しかけてきて、私のことをよく知りたいだと。
ふざけるな、私を誰が理解できるというんだ。
もう600年以上もこの姿のまま過ごしてきた人間を理解できるというのか。

 針のようなものが私の胸を突き刺す。こんな感情になったのは一体何年振りだろう。
いや、そんなことを考えるのはもうやめたはずだ。
すべてに退屈しているはずなのだから。そう思ってこの感情を頭から振り払おうとするが、どうしてもできない。

 いらいらする。




 また、数十年が過ぎた。長い、短い、季節は幾度巡れど決して失われないものがある。
それは過去のしがらみか、未来への恐怖か、現在の生か。
永遠の中の一瞬というのは決して軽いものではない。永遠が一瞬を変え、一瞬が永遠を変える。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、桜が散って、また夏が来た。





 私はあの時に竹林を離れた。それなのに、また今年になって戻ってきた。
私は何を考えているのだろう。この数十年はずっと不安定だった。
いらいらしているかと思えば、突然切なくなって胸が苦しくなる。見えない糸が私を縛り付けて、決して離さない。
そうして私の心臓を揺さぶる。この竹林に帰ってきて、また胸が苦しくなる。

「何を期待しているんだ。」

 最近、独り言が増えた。前は独り言なんて絶対に言わなかった。
落ちる葉に感傷なんて覚えなかった。本当に私はどうしたのだろう。生きるのに疲れたはずなのに。

 あの時とは違い、真夜中だというのにこの竹林は生き生きとその蒼さを映し出して、夏だということを見せつけるかのようだった。
歩くたびに足が地面に埋もれ、ふかふかとした感触を得る。それがなんとなく心地よい。

 突然、足音が聞こえた。私の足音ではない。誰の・・・いや、すぐにわかる。

 その少女を見た時、私は驚かなかった。
いつかはこうなる気がしていた。それには理由も根拠もない、だが確たる自信があった。
いつかはまたこの少女と出会うだろう、と。少女は逃げようとしなかった。
奇妙な再会、私も少女もお互いを見つめたまま、動きもせず言葉も出さず。
竹林に風が流れ、葉は乾いた音を鳴らす。

「お前、私の家に来ないか。」

 あの時と全く同じ言葉をかける。

「・・・ああ。」

 少女は私の家についてきた。




「ほら、これを食べるといい。」

 慧音は焼き魚を差し出した。私はそれを無言で受け取った。
料理されたものを口にするのはもう何百年前のことだろう。
慧音と出会ってからは何度も何度もそういうことに出くわした。
気がついたら、焼き魚に私はがっつき、夢中だった。それをじっと見つめる慧音。
重い沈黙でもなく、心地よい静けさでもない。

焼き魚を食べ終えたら、次に風呂に入った。
わざわざ慧音が焚いてくれたみたいだ。


 湯船に体を浸からせる。温かい。
夏だから風呂に入るなんてこともうんざりしそうなものだが、私の身にしみて心地いい。
体を清め、こうして湯船につかるのはやはりいいものだと実感した。湯気が私の視界を覆った。






「名前は何と言うんだ。」

「・・・妹紅。藤原妹紅。」

「ずいぶんと珍しい名前だな。」

 慧音は私が食べ終わって少ししてから私にいろいろ聞き始めた。私には少し余裕ができた。

「お前『も紅』に染まれ、という意味だって父上が言っていた。」

「藤原の末裔なのか。」

「末裔じゃない。父上は私が藤原の三代目にあたると言っていた。」

「三代目、それは一体どういうことだ。時間が経ちすぎている。」

「私は蓬莱の薬を飲んだんだ。」

「蓬莱の薬・・・かぐや姫伝説で有名なあの薬か。そんな薬が存在したという話を聞いてもないし、そのような文献も見たことがないのだが。」

「でも本当にあった。私はそれで不老不死になったんだ。不老不死だけじゃない、どんなに傷ついても、お腹が減っても、暑くても、寒くても、私は絶対に死ねない体になったんだ。」

「本当、なのか。」

「全部体験した。本当に死ななかった。」

 慧音はぽつりと呟いた。

「蓬莱の人形、か。」




 滴が私の鼻先をうった。
風呂場の天井から落ちてきたのだろう・・・それほどまでに長い時間湯に浸かっていた。
外を見ると、真っ暗な空に星がいくつか瞬いている。

 蓬莱の人形。恐ろしい響き。人形(ひとがた)なのに人形(にんぎょう)。
私は人形。人間ではなく、人形なのだ。
ふと、風呂に入っているのにひんやりとした感覚を覚えた。震えが止まらない。
どうして。

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 私はもうすべてに退屈したはずだった。それなのにあいつが私をおかしくした。
私は人間の世界から離れたんだ。もう戻るつもりはなかった。
人形と言われても何も感じることはなかったはずだ。
私は人間なのか。あの一瞬が私を狂わせた。
私の止まっていた歯車を無理やり動かしておかしな方向へまわし始めたのだ。期待は裏切られ、また傷を生み出す。

 それでも、もう一度歯車を止めればいいだけだ。
こんなにも苦しい思いをするなら、私は、また時を止めればいい。
私には永遠があるのだから。



 風呂から上がったら、慧音がお茶を入れていた。一体、どうして私をこの家に連れてきたのだろう。
慧音は湯呑を私に手渡そうとする。

「新茶だ。この時期は他のどの時期の緑茶とも趣が異なる。」

 私は湯呑を受け取らず、無言で表へ出る扉に手をかけた。
次に起こることも大体予想できた、私はそれに甘えることもできた、でも、それでも振り切りたかった。
慧音が私の手を握る。

「なぜ表へ出ようとするんだ、妹紅!」

 慧音が初めて私の名前を呼んだ。それだけで私の決心は揺らぐ。どうしてここまで。

「いいんだよ、私はこんなところにいてもしょうがないだろ。」

 いいんだよ、私はこんなところにいてもしょうがないだろ。
なら、なぜこんなところに来たのだろう。何を期待していたのだろう。
もうその期待も裏切られていたが。

 突然、私は体の平衡を崩した。だが、それが不安ではなかった。
ふわりとして心地よくていつまでもそうしていたい気分。慧音が私を後ろから抱き寄せていた。

「無理、するな。お前は今までずっと独りだったのだろう。」

 振り切ろうとしても振り切れない。慧音の体温、体の柔らかさ、心臓の鼓動。慧音の全てが背中に感じられる。

「・・・もう慣れた。」

「それでも、もうお前は独りじゃない。私がお前の、妹紅の、かけがえのない存在になる。」

 何を言っている。もう、慧音は、とっくに、私の、特別な存在になって、いるのに。
なんで今更そんなことを・・・。どうにもならなくなって、目から雫をこぼした。
止めようと思っても止められない。せめて涙を隠そうと思って、慧音の胸に顔をうずめようとして、振り返った、時。

 慧音も泣いていた。こらえようとして、それでもこらえきれずに。

 その時、どうしてここに私が来たのか、理解した。
私は慧音に希望を抱いていたのだ。
人形の人形にしか見えない私が人間として生きたいという、たったそれだけのこと。
自分では満たせなかった。
何故かは知らないが、慧音なら必ず私を救い出してくれるのではないかと、希望を抱いたのだ。


 嗚呼、もう900年も昔の話なのだ。蓬莱の薬を飲んで私が涙を流してから、900年経ったのだ。
それでも、あの時と今は違う。私を受け止めてくれる人がいる。だったら、もう一度、思い切り泣こう。




「少しは落ち着いたか。」

「慧音こそ。」

 まだ目は赤く腫れているが、慧音は微笑んだ。

「私が人に涙を見せたのは随分前のことだ。恐らく、ハクタクになって数年後までだったと思う。」

 なぜだか、私は慧音と自分を重ね合わせた。もしかしたら、慧音も私と同じ道をたどってきたのではないか。
慧音も、自分が人間以外の何かになってしまって、悩み、苦しんだのだろう。
だから、慧音は私のことを受け入れようとしてくれたのだろうか。
そして、私も慧音と自分がどこか似ていると無意識のうちに感じていたのだろうか。
慧音、だからこそ私を生身で受け止めようとしたのだ。

「慧音。」

「ああ。」

 もう、答えは出ていた。

「生きたい。」



 数年が経った。



「輝夜・・・。」

「あなたは・・・。」

 これが真実だった。


 どうしてこんなことがあり得るのだろう。
ずっと私は輝夜が月に帰ってしまったものだと思っていた。
二度と私の手の届かぬ場所に行ってしまったのだと思っていた。
蓬莱の薬がそれを証明したはずだった。

 ところがどうだ。
輝夜は今、私のよく知った竹林の中、私の目の前に立っている、従者を一人だけ引き連れて。
手を伸ばせば触れることができるところに立っている。
月の民がなぜこんなところにいるのだ。また何か罪を犯したのか。

 私は驚き、そして、

「ふふ、は、は、ははは、あっははははははは・・・・」

 突然、私は笑い出した。笑いが止まらない。
輝夜が何だろうという顔をして私を見ている。
愉快だ、滑稽だ。
そうだ、輝夜が月の民で、罪を犯して、地上に降りてきて、月に帰る日が来た、なんてことがあるはずがない。

 慧音の言う通り、あれは伝説だ。
月に帰れるはずがないのだ。
輝夜も所詮は、私と同じ、逃げて隠れて過ごしていかなければならなかった人間だっただけの話だ。
蓬莱の薬は何かの拍子にできたに違いない。
あの薬だって今ここにいる輝夜が置いて行ったものなのだから。

 私は一体何を考えていたんだろう。
私が今までずっと苦しんでいたのも、死のうとしていたのも、すべてに退屈したのも、ただの勘違いだったのだ。
そう考えると、今までのことが哀れというよりも滑稽に思えてきた。
どうでもいいことによくもあそこまで真面目に悩んでいたものだ。

 もう今となってしまっては、過去なんて気にならない存在になった。

 900年という年月も、ひと時の悪夢にしか過ぎない。私には永遠があるのだから。


「なぜ、あなたが生きているのかしら。」

 私の笑いがおさまった後、輝夜が吐き出すように言った。

「ああ、蓬莱の薬を飲んだんだ。お前があの翁に渡したつもりの薬だ。あの翁は富士の山に捨てようとした。私がそれを奪ったんだ。」

 輝夜の顔がわずかに歪む。
それはそうだ。まさか、あの時代の人間が生きているとは思わないだろう。
しかも、その人間は恥をかかせた男の娘なのだから。

「輝夜、私が言いたいことがわかるか。」

「なに。」

「私はこれからお前をずっと、殺そうとする。」

「あら、それは私が不老不死だと知っていてのこと?」

 私はその質問に答えなかった。向こうも私が何を求めているのか、わかるだろう。だが、今日は。

「今日はいい。次に会ったときは、必ずお前を殺す。」

「そう・・・。好きになさい。」


 輝夜とその従者は去った。必ず会うだろう。
900年の時を経て、こうして出会うことができたのだから、永遠の時を生きていればなおさらだ。



 もうすぐ、秋の満月がやってくる。それまでに慧音に何を話そうか。私は胸を躍らせ、慧音の住まうところへ向かった。

 里離れた山奥にあるこの地は、本当の蓬莱の地に違いない。
 
 生きているってなんて素晴らしいんだろう。
 それは夏草生ゆる日。蒼い草の葉に映るは己の姿。
コメッド
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.260簡易評価
4.70名前が無い程度の能力削除
岩笠って死んだっけ?
5.無評価コメッド削除
死んでいます。
仮に死んでおらず体が無事だったとしても、生きてはいけないでしょうけれど。