楽園の素敵な巫女は隣に座る普通の黒魔術少女にいった。
「あぁ魔理沙。私、近々人間じゃなくなるみたいだからよろしくね」
なんでもないことのように。人里に買い物に行くから留守番を頼む、そんな軽い感じで巫女はとんでもないことをいった。
きっかけはとても簡単。
異変が起きた時は自ら解決に向っていた霊夢だが、それ以外の時は縁側でお茶を飲んで日がな一日を過ごす。たまに神社の掃除と賽銭箱の中身を覗いては縁側でお茶を嗜む。魔理沙を筆頭に誰かが神社へ来た時は会話とお茶を楽しむ。それが霊夢の日常であった。
しかし、それをあまりよろしく思っていない者がいた。スキマ妖怪の八雲紫である。紫としては今の霊夢について不満はない。だがいつまでたっても修行という修行をしない自堕落な姿を見ると、『未来』の霊夢に不満が残る。かといって修行をするようにいっても素っ気ない言葉と土産の催促しか返ってこない。
そこで紫は考えた。やる気のないなら出させればいいと。お茶とお茶請けに目がない霊夢に紫はこういった。
「霊夢、弾幕勝負をしましょう。貴方が勝ったらこの珍しいお茶と美味しそうなお茶請けは差し上げるけど、どうかしら」
それから紫は毎日神社に足を運び、霊夢は生きがいのために弾幕勝負を受け続けた。
やはり初めはスキマ妖怪に軍配が上がり続けたが数週間、数ヶ月経つ頃には勝負の時間が延び、半年が過ぎると五分五分。そして一年になるかならないかという日、霊夢は紫に勝利した。ただ勝利したのなら問題ではなかったがこの勝負の時、いやその暫く前からスキマ妖怪八雲紫は本気を出していたのだ。元々弾幕ごっこは人間に有利で妖怪に不利な制度である。紫も例外ではない。スキマや妖怪としての身体能力を用いれば結果は変わっていたが、この弾幕ごっこにおいて八雲紫は博麗霊夢に敗北した。
自分の予想通りにことが進んだ、そして何より霊夢の成長に紫は喜んだ。餌として用意していたお茶とお茶請けもあるだけ霊夢に渡し、自分の式神が引くくらいに霊夢にべたべたと抱きつき記念すべき夜を過ごした。
八雲紫の誤算は、博麗霊夢がそれで終わらなかったことである。
怠惰という重石で蓋をしていた箱の中には溢れんばかりの才気が未だに眠っていたのだ。
それからも霊夢は成長し続けた。それまでのように紫と弾幕ごっこをしたわけではない、手をつけていなかった修行に目覚めたわけでもない。
それでも霊夢は成長し続けた。ただ紫との弾幕ごっこが始まる前と同じ生活、自堕落な生活に戻ったというのに。
博麗霊夢は成長し続けた。戻らなかったものは一体なんであっただろうか。
身に宿る霊力は日々多く、大きく、強靭に。
そしてその溢れんばかりに漲る霊力は、霊夢を人間という小さな枠に留めることをよしとしなかった。
「何だよ、霊夢。お前人間をやめるのか」
「人間をやめるわけじゃないわよ。ただ人間でいられなくなっただけ」
「何が違うってんだ。結局人間じゃなくなるだろ」
「そりゃ結果でいえばそうだけど、私は望んで人間をやめるわけじゃないわ」
「じゃあ人間のままでいればいいんじゃないのか」
「私が人間のままでいるためには、体中にお札を巻いて眠り続けるか死ぬしかないらしいわ。紫によると」
「つまりミイラ少女だな」
「まだ死んでないわよ」
こうして霊夢は人を超えた。人という枠に入りきらない存在となった。
それから数十年。
霊夢は博麗の巫女の役目を終え、今は次の巫女が萃香と紫の扱きに耐えながら神社で生活している。霊夢はというと、人里から少し離れた場所にある一軒家で茶飲み暮らしだ。別に神社で生活してもよかったのだが、これも一つのしきたりということで神社から降りてきている。
***
自分が人間でなくなって変わった後は色々とあった。以前の、人間であったときのように頻繁に食べ物を食べなくても平気でいられるようになったし、どこか疲れにくくなった。自分としては人間であるかないかの違いなどその程度でしかなかったが、周囲はそうではないみたいである。
自分が人間でなくなる、と告げるとレミリアは激昂、妖夢は驚き、輝夜は笑い、映姫は説教、神奈子は平然、皆が皆それぞれの反応をし、何だかんだで宴会へと突入。絡んでくるレミリアといいネタが入ったと擦り寄ってくる文を押しのけ、これからもよろしくと嫌な笑いを見せる輝夜や神奈子から逃げ、人間であることに意義があったと怒る映姫に早苗をぶつけつつ霊夢はそれなりに宴会を楽しんだ。
「おめでとう……というべきなのかしら。まさか貴方が人間じゃなくなるなんてね。魔理沙はそのうち人間をやめそうだとは思っていたんだけれど」
「別に祝われることでもなんでもないわ。私はただ普通に生活してるだけだもの。今までも、これからも」
「あら普通に異常なのね。まぁいいわ、お嬢様の相手をしてくれる人が少し長持ちするようになったと思っておきましょう」
「あんたのお嬢様の相手をするためにこうなったんじゃないわ。自分の身内くらい自分でどうにかしなさい」
「あら、私に吸血鬼と同じだけの時間を生きろっていうのかしら。それこそ貴方くらいでないと無理な気もするけれど」
「血を吸ってもらえばいいじゃない。それか薬師に頼んで不老不死。二つも選択肢があるわ」
「いいえ、三択よ。そのまま人として死ぬという選択肢を忘れては困るわ」
「あら、最近のメイドは主人より先に逝くのかしら。川原で石を積まないと」
「きっと死ぬまで迷うわね。私は人としてお嬢様に仕えたいけど、人として仕えるのには限度がある……。あぁ、貴方が羨ましいわ。自分ではどうにもならないことが原因なら諦められるのに」
「じゃああんたもお茶とお茶請けのために頑張るのね」
宴会が終わった後も以前と同じ幻想郷が続く。簡潔にいえば、霊夢一人がどうなろうと幻想郷は変わらない。
霊夢が人間を超えてから数日はわいわいと騒がしかった周りも落ち着く。毎日鬱陶しくも勝負を挑んできた氷の妖精は来なくなったし、大きくなったわねと涙声で擦り寄ってくるスキマ妖怪も簀巻き妖怪にして式神に返してから姿を見ていない。その代わり、余り寄り付かない面子が顔を見せることには少し驚いたが。
「霊夢さん、こんにちは」
「あら、ウサギが何の用かしら。神社に薬草の類は生えてないわよ」
「いえ、今日は師匠から言伝を。『人でなくなるということは大変よ。もし何かあったら訪ねてきなさい』とのことですね」
「あらあら、胡散臭い薬師にしては普通ね。普通に胡散臭いわ」
「う、胡散臭いかは置いといて、多分師匠は心配してるんだと思うんですよ。身近に人でなくなってしまった人がいますから」
「そうね。まぁ何かあったらお願いしましょうか。風邪引いた時とかにでも。胡散臭いけどね」
「あ、あと私からも。えーと、私はですね、今まで霊夢さんは凄い人だなぁと思っていました。でも所詮は人っていう意識もどこかにあったんです。でも、今回霊夢さんが人を超えて私たち妖怪とかと同等のステージに上がってきたことを私は真剣に凄いと感じてるんです。だから、なんというか……これからお互い頑張っていきたいなと思います」
「そうね。お互い頑張っていきましょう」
「な、なんて胡散臭い……」
「この間はどうも。お元気かしら」
「あら万年お花畑じゃない。残念ながら神社に花は咲いてないわよ、少ししか」
「ちょっと、その万年お花畑ってやめてくれないかしら。なんだか凄く頭が悪いみたいじゃない」
「誰から構わず戦いを吹っかける妖怪って頭が悪そうな気がするんだけど」
「まぁ。今日戦う気はなかったんだけど、そんなに戦いたいっていうなら相手になるわよ」
「だめよ。次の子のためにここは綺麗にしとかなきゃならないんだから」
「そう。ならいいわ。私の用件はまた別だしね」
「用件ね、何かしら」
「人を超えた存在と、真剣にシアイがしてみたいのよ。だからまだ戦う気はないわ。今はまだ安定してないでしょうし。でも戦えるようになったら襲うから」
「そんなことより、次の子のために神社に花を咲かせてあげたりしないかしら、っていうかしろ」
「あらまぁ。それもいいわね」
「ちょいとお邪魔するよ」
「神様がそうそう動いてもいいものなのかしら。あぁ、素敵なお賽銭箱ならあそこよ」
「そんな邪険にしなくてもいいじゃない。私としては祝ってるんだし」
「そう。素敵なお賽銭箱ならあそこよ」
「昔から人から人以上の存在になったものは沢山いるわ。だから貴方はさほど特別ではない。ただその数から考えれば貴方はやはり特別ね、おめでとう。貴方は今、人以上神以下妖怪以外の存在。私たちみたいに神となるのかは知らないけど頑張ってね」
「素敵なお賽銭箱ならあそこよ」
「ねぇ、ここのお賽銭箱は柱をぶち込んでも大丈夫なステキ仕様かしら」
それぞれが思うことでもあったのか、足を運ぶモノたちは皆心配そうな、それでいて期待しているという気色で接してくる。霊夢としてはそんな特別なことでもないのだけれど。
神社から降りるための身支度をしながら考える。
実際には身支度といえるほど私物も持っていないからすぐに出ることは出来るのだが。後は次の巫女を紫が連れてきて引継ぎの儀を行えば霊夢は博麗霊夢ではなくなる。それが終われば霊夢はただの霊夢。そのまま博麗を続ければいいという意見もあったが、あくまで博麗の巫女は人であることが望ましい、人と妖怪との間を取り持つことを考えれば。
そういうわけで霊夢は巫女の任を終える。自分が人間でなくなるだろうという話を紫から聞いた時にそうなると理解はしていたし、それほど巫女という職業というか地位というか、兎に角そのようなものに霊夢は興味がない。ただ自分の思うままに過ごすことが出来るのなら。
そう考えながら残りの巫女生をいつも通り過ごしていた霊夢にまた来客があった。
魔理沙である。
魔理沙はいきなり十番勝負を持ちかけてきたが、霊夢はいつものとおりに断った。そんな面倒な勝負よりお茶の方が重要なのだ。しかし今回の魔理沙は意外にしつこく、何度も勝負を持ちかけてくる。勿論霊夢は勝負を断る。魔理沙が珍しいお茶を取り出す。勿論霊夢は勝負を受ける。
勝負自体は簡単な物から難しい物、普段どおりの物からあまりやらない物と多種多様で、暑さ我慢対決は霊夢が早々に負けを認め、将棋では魔理沙が玉だけになり、コイントスはイカサマで霊夢が負け、空飛ぶスピード勝負は意外や魔理沙が敗北した。
そんな対決の最後は、やはり弾幕ごっこ。地面に倒れたまま空を見上げる魔理沙が負けを認め、十番勝負の幕は降りた。結果は霊夢の七勝三敗。
「あー、やっぱり勝てなかったか。惜しかったんだがなぁ」
「確かにちょっと危ない部分はあったわね。何、あの弾けて混ざれ弾幕は……新作っぽかったけど」
「ちょっとこの日のためにアリスたちと、な。折角新作で追い込んでマスパ撃ったってのに、まさか防ぎきられるとは思わなかったぜ」
「私も人でなくなったってことかしらね。紫たちもあれくらいなら避けるわよ、本気だったら」
「ということは天下の霊夢さんは本気だったのか」
「手加減して怪我するのも嫌だし、賞品が貰えなくなったら困るもの」
勝負の後の一杯はまたいつもと違う味がする。そんなことを考えながら霊夢は新たに手に入ったお茶を飲む。初めて飲んだんだから違う味だろ、と魔理沙が隣で突っ込むのは気にしない。
全ての勝負が終わった後、倒れている魔理沙を叩き起こし縁側で一息。お茶請けを要求する人生の敗北者には嫌味と煎餅をプレゼントし、何故こんな勝負を仕掛けてきたのか魔理沙に尋ねたが、答えは返ってこない。それならそれでいいか、ともうすぐ見納めになるだろう縁側からの風景を楽しんでいると、魔理沙はゆっくりと話し始めた。
「もし、もし私がこの勝負で勝つ……いや引き分けでもよかったんだが、そんな感じになれたら、私は人間としてこのまま生きていこうって思ったんだよ。人間の力ってのを信じることにしてな」
「あら、私の時には人間をやめるのかっていってたくせに」
「人は人、私は私だ。勝負の内容に力だけじゃどうにもならないようなのを入れてたのはそういう意味もあったんだぜ。あと私が勝つため」
「そうね。どう考えても我慢勝負なんて私向けじゃないもの」
「私はさ、負けず嫌いなんだよ」
「えぇ、知ってるわ」
「そんでもって努力家なんだ」
「えぇ、それも知ってるわ」
「だから勝つためにはどんなことでもするさ」
「だからってイカサマはどうかしら」
「勝つための努力ってやつだぜ」
「勝つために人間をやめるのね」
「あぁ、負けっぱなしってのは天下の魔理沙さんに似合わないしな」
「そういうものかしら……。ま、ありがと。お茶とかも」
「どういたしまして」
お茶を一杯飲んで魔理沙は帰っていった。やりたいことをやって、いいたいことをいって。
折角出したというのに微妙に残された煎餅を齧りながら霊夢にとって特別で特別でない一日は終わった。
数週間後、新しい博麗の巫女を紫がつれてきた。まだまだ若い、というより子どもだといった方がしっくりくるような年齢の少女である。
しばらくは先輩巫女として作法や人間・妖怪との接し方を教えてから霊夢は神社を後にした。最初、人里にこないかと慧音に誘われたが、自分が人里に住むというのも少々おかしく感じ、萃香にちょいと甘えて家を建ててもらったのはまた別の話。
そんな家に訪れるのはいつもの面々。そして新たな面々。後輩巫女は何故か自分に懐いてしまい、暇があれば話をしてくれとせがむし、家の周辺で活動している妖怪も集まってくるようになった。
「――――――」
「そこで待っててもだめよ。今日はどこにも行く予定がないもの」
「――――――」
「それに草鞋も握り飯もないんだから、あんたには何の得にもならないじゃない」
「――――――」
「そもそも私は空を飛べるんだから送ってもらう必要がないわ」
「先輩、こんにちはー。今日も遊びにきちゃいました」
「――――――」
「……よかったわね。送る相手がやってきてくれたわよ」
「あ、送り犬ちゃんも。こんにちはー」
結局、立地が変わっただけで霊夢の周りは何も変わっていない。一日かけてゆっくりとお茶を飲む間に誰かが尋ねてくる。そんな毎日がずっと続いている。
勿論全く変わっていないというわけではない。色々とあげればきりがないが、一番の変化といえばフランドールが外を出歩くようになったことだろう。しかも昼に。
後輩巫女に興味津々だったフランドールは、年齢と幻想郷入りした年数から常にお姉さんぶっている。しかしフランドールは吸血鬼、後輩巫女とは活動時間が違う。そこでフランドールは自分の活動時間を昼夜逆転させ、ついでに太陽の光も克服することにしたのだ。フランドールの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を元にパチュリーと研究・昇華させることで、紫外線を破壊するというとんでもないことをやってのけた。その紫外線を破壊する膜を全身に張ることでフランドールは太陽の下、日傘もなしに外で遊べるようになった。
ただ外で遊ぶためにそこまでするとは、と思う霊夢ではあるが自分も自分でお茶とお茶請けのためにスキマ妖怪と弾幕ごっこをし続けたことを考えれば同じな気がしないでもない。欲求とは大切だ。
フランドールが外に出ることに難色を示した者もいるが、膜を張り続けている間は力が中級妖怪レベルまで落ちてしまうこと、付き人として美鈴が動く門番をしていること、集まる場所が大抵博麗神社か霊夢の家になっていること、そして何より楽しそうに後輩巫女や妖精・妖怪と遊ぶフランドールの姿をみて考えを改めた。何かあったら霊夢が何とかすると思われもいるらしい。
そういえば、にとりが試験的に紫外線照射装置とやらを作成しようとしていたらしいが、資金と材料的にその計画は頓挫したらしい。これも運命。
「れいむー。今日は来るかな」
「さあね。日課の訓練が終わったらくるんじゃないかしら」
「むー。早く来ないかなー。今日は何をしようかなー」
「子どもは子どもらしく外で遊ぶのが一番ね。そう思わないかしら、起動型門番さん」
「うぅ……。また変な名前が……」
明日はどういう日になるのだろうか。お茶を飲みながら霊夢は考える。
もうそろそろ魔理沙が尋ねてくるかもしれない。前回はいい勝負ができていたことだし、次はどうなることか。
未だ人間のまま、しかし姿形はそのままの咲夜はどうなったのだか。フランドールや美鈴が何事もなく遊びに来ているのだから特に何もおきていないのだろう。
あぁ、そういえば明後日に幽香が遊びにくるといっていたような気がする。四勝一敗二分は切りが悪い、などといわれて襲われてはたまったものではない。後輩巫女に来るようにいっておこう。
幻想郷はいつも通り。そしてお茶がおいしい。
「あぁ魔理沙。私、近々人間じゃなくなるみたいだからよろしくね」
なんでもないことのように。人里に買い物に行くから留守番を頼む、そんな軽い感じで巫女はとんでもないことをいった。
きっかけはとても簡単。
異変が起きた時は自ら解決に向っていた霊夢だが、それ以外の時は縁側でお茶を飲んで日がな一日を過ごす。たまに神社の掃除と賽銭箱の中身を覗いては縁側でお茶を嗜む。魔理沙を筆頭に誰かが神社へ来た時は会話とお茶を楽しむ。それが霊夢の日常であった。
しかし、それをあまりよろしく思っていない者がいた。スキマ妖怪の八雲紫である。紫としては今の霊夢について不満はない。だがいつまでたっても修行という修行をしない自堕落な姿を見ると、『未来』の霊夢に不満が残る。かといって修行をするようにいっても素っ気ない言葉と土産の催促しか返ってこない。
そこで紫は考えた。やる気のないなら出させればいいと。お茶とお茶請けに目がない霊夢に紫はこういった。
「霊夢、弾幕勝負をしましょう。貴方が勝ったらこの珍しいお茶と美味しそうなお茶請けは差し上げるけど、どうかしら」
それから紫は毎日神社に足を運び、霊夢は生きがいのために弾幕勝負を受け続けた。
やはり初めはスキマ妖怪に軍配が上がり続けたが数週間、数ヶ月経つ頃には勝負の時間が延び、半年が過ぎると五分五分。そして一年になるかならないかという日、霊夢は紫に勝利した。ただ勝利したのなら問題ではなかったがこの勝負の時、いやその暫く前からスキマ妖怪八雲紫は本気を出していたのだ。元々弾幕ごっこは人間に有利で妖怪に不利な制度である。紫も例外ではない。スキマや妖怪としての身体能力を用いれば結果は変わっていたが、この弾幕ごっこにおいて八雲紫は博麗霊夢に敗北した。
自分の予想通りにことが進んだ、そして何より霊夢の成長に紫は喜んだ。餌として用意していたお茶とお茶請けもあるだけ霊夢に渡し、自分の式神が引くくらいに霊夢にべたべたと抱きつき記念すべき夜を過ごした。
八雲紫の誤算は、博麗霊夢がそれで終わらなかったことである。
怠惰という重石で蓋をしていた箱の中には溢れんばかりの才気が未だに眠っていたのだ。
それからも霊夢は成長し続けた。それまでのように紫と弾幕ごっこをしたわけではない、手をつけていなかった修行に目覚めたわけでもない。
それでも霊夢は成長し続けた。ただ紫との弾幕ごっこが始まる前と同じ生活、自堕落な生活に戻ったというのに。
博麗霊夢は成長し続けた。戻らなかったものは一体なんであっただろうか。
身に宿る霊力は日々多く、大きく、強靭に。
そしてその溢れんばかりに漲る霊力は、霊夢を人間という小さな枠に留めることをよしとしなかった。
「何だよ、霊夢。お前人間をやめるのか」
「人間をやめるわけじゃないわよ。ただ人間でいられなくなっただけ」
「何が違うってんだ。結局人間じゃなくなるだろ」
「そりゃ結果でいえばそうだけど、私は望んで人間をやめるわけじゃないわ」
「じゃあ人間のままでいればいいんじゃないのか」
「私が人間のままでいるためには、体中にお札を巻いて眠り続けるか死ぬしかないらしいわ。紫によると」
「つまりミイラ少女だな」
「まだ死んでないわよ」
こうして霊夢は人を超えた。人という枠に入りきらない存在となった。
それから数十年。
霊夢は博麗の巫女の役目を終え、今は次の巫女が萃香と紫の扱きに耐えながら神社で生活している。霊夢はというと、人里から少し離れた場所にある一軒家で茶飲み暮らしだ。別に神社で生活してもよかったのだが、これも一つのしきたりということで神社から降りてきている。
***
自分が人間でなくなって変わった後は色々とあった。以前の、人間であったときのように頻繁に食べ物を食べなくても平気でいられるようになったし、どこか疲れにくくなった。自分としては人間であるかないかの違いなどその程度でしかなかったが、周囲はそうではないみたいである。
自分が人間でなくなる、と告げるとレミリアは激昂、妖夢は驚き、輝夜は笑い、映姫は説教、神奈子は平然、皆が皆それぞれの反応をし、何だかんだで宴会へと突入。絡んでくるレミリアといいネタが入ったと擦り寄ってくる文を押しのけ、これからもよろしくと嫌な笑いを見せる輝夜や神奈子から逃げ、人間であることに意義があったと怒る映姫に早苗をぶつけつつ霊夢はそれなりに宴会を楽しんだ。
「おめでとう……というべきなのかしら。まさか貴方が人間じゃなくなるなんてね。魔理沙はそのうち人間をやめそうだとは思っていたんだけれど」
「別に祝われることでもなんでもないわ。私はただ普通に生活してるだけだもの。今までも、これからも」
「あら普通に異常なのね。まぁいいわ、お嬢様の相手をしてくれる人が少し長持ちするようになったと思っておきましょう」
「あんたのお嬢様の相手をするためにこうなったんじゃないわ。自分の身内くらい自分でどうにかしなさい」
「あら、私に吸血鬼と同じだけの時間を生きろっていうのかしら。それこそ貴方くらいでないと無理な気もするけれど」
「血を吸ってもらえばいいじゃない。それか薬師に頼んで不老不死。二つも選択肢があるわ」
「いいえ、三択よ。そのまま人として死ぬという選択肢を忘れては困るわ」
「あら、最近のメイドは主人より先に逝くのかしら。川原で石を積まないと」
「きっと死ぬまで迷うわね。私は人としてお嬢様に仕えたいけど、人として仕えるのには限度がある……。あぁ、貴方が羨ましいわ。自分ではどうにもならないことが原因なら諦められるのに」
「じゃああんたもお茶とお茶請けのために頑張るのね」
宴会が終わった後も以前と同じ幻想郷が続く。簡潔にいえば、霊夢一人がどうなろうと幻想郷は変わらない。
霊夢が人間を超えてから数日はわいわいと騒がしかった周りも落ち着く。毎日鬱陶しくも勝負を挑んできた氷の妖精は来なくなったし、大きくなったわねと涙声で擦り寄ってくるスキマ妖怪も簀巻き妖怪にして式神に返してから姿を見ていない。その代わり、余り寄り付かない面子が顔を見せることには少し驚いたが。
「霊夢さん、こんにちは」
「あら、ウサギが何の用かしら。神社に薬草の類は生えてないわよ」
「いえ、今日は師匠から言伝を。『人でなくなるということは大変よ。もし何かあったら訪ねてきなさい』とのことですね」
「あらあら、胡散臭い薬師にしては普通ね。普通に胡散臭いわ」
「う、胡散臭いかは置いといて、多分師匠は心配してるんだと思うんですよ。身近に人でなくなってしまった人がいますから」
「そうね。まぁ何かあったらお願いしましょうか。風邪引いた時とかにでも。胡散臭いけどね」
「あ、あと私からも。えーと、私はですね、今まで霊夢さんは凄い人だなぁと思っていました。でも所詮は人っていう意識もどこかにあったんです。でも、今回霊夢さんが人を超えて私たち妖怪とかと同等のステージに上がってきたことを私は真剣に凄いと感じてるんです。だから、なんというか……これからお互い頑張っていきたいなと思います」
「そうね。お互い頑張っていきましょう」
「な、なんて胡散臭い……」
「この間はどうも。お元気かしら」
「あら万年お花畑じゃない。残念ながら神社に花は咲いてないわよ、少ししか」
「ちょっと、その万年お花畑ってやめてくれないかしら。なんだか凄く頭が悪いみたいじゃない」
「誰から構わず戦いを吹っかける妖怪って頭が悪そうな気がするんだけど」
「まぁ。今日戦う気はなかったんだけど、そんなに戦いたいっていうなら相手になるわよ」
「だめよ。次の子のためにここは綺麗にしとかなきゃならないんだから」
「そう。ならいいわ。私の用件はまた別だしね」
「用件ね、何かしら」
「人を超えた存在と、真剣にシアイがしてみたいのよ。だからまだ戦う気はないわ。今はまだ安定してないでしょうし。でも戦えるようになったら襲うから」
「そんなことより、次の子のために神社に花を咲かせてあげたりしないかしら、っていうかしろ」
「あらまぁ。それもいいわね」
「ちょいとお邪魔するよ」
「神様がそうそう動いてもいいものなのかしら。あぁ、素敵なお賽銭箱ならあそこよ」
「そんな邪険にしなくてもいいじゃない。私としては祝ってるんだし」
「そう。素敵なお賽銭箱ならあそこよ」
「昔から人から人以上の存在になったものは沢山いるわ。だから貴方はさほど特別ではない。ただその数から考えれば貴方はやはり特別ね、おめでとう。貴方は今、人以上神以下妖怪以外の存在。私たちみたいに神となるのかは知らないけど頑張ってね」
「素敵なお賽銭箱ならあそこよ」
「ねぇ、ここのお賽銭箱は柱をぶち込んでも大丈夫なステキ仕様かしら」
それぞれが思うことでもあったのか、足を運ぶモノたちは皆心配そうな、それでいて期待しているという気色で接してくる。霊夢としてはそんな特別なことでもないのだけれど。
神社から降りるための身支度をしながら考える。
実際には身支度といえるほど私物も持っていないからすぐに出ることは出来るのだが。後は次の巫女を紫が連れてきて引継ぎの儀を行えば霊夢は博麗霊夢ではなくなる。それが終われば霊夢はただの霊夢。そのまま博麗を続ければいいという意見もあったが、あくまで博麗の巫女は人であることが望ましい、人と妖怪との間を取り持つことを考えれば。
そういうわけで霊夢は巫女の任を終える。自分が人間でなくなるだろうという話を紫から聞いた時にそうなると理解はしていたし、それほど巫女という職業というか地位というか、兎に角そのようなものに霊夢は興味がない。ただ自分の思うままに過ごすことが出来るのなら。
そう考えながら残りの巫女生をいつも通り過ごしていた霊夢にまた来客があった。
魔理沙である。
魔理沙はいきなり十番勝負を持ちかけてきたが、霊夢はいつものとおりに断った。そんな面倒な勝負よりお茶の方が重要なのだ。しかし今回の魔理沙は意外にしつこく、何度も勝負を持ちかけてくる。勿論霊夢は勝負を断る。魔理沙が珍しいお茶を取り出す。勿論霊夢は勝負を受ける。
勝負自体は簡単な物から難しい物、普段どおりの物からあまりやらない物と多種多様で、暑さ我慢対決は霊夢が早々に負けを認め、将棋では魔理沙が玉だけになり、コイントスはイカサマで霊夢が負け、空飛ぶスピード勝負は意外や魔理沙が敗北した。
そんな対決の最後は、やはり弾幕ごっこ。地面に倒れたまま空を見上げる魔理沙が負けを認め、十番勝負の幕は降りた。結果は霊夢の七勝三敗。
「あー、やっぱり勝てなかったか。惜しかったんだがなぁ」
「確かにちょっと危ない部分はあったわね。何、あの弾けて混ざれ弾幕は……新作っぽかったけど」
「ちょっとこの日のためにアリスたちと、な。折角新作で追い込んでマスパ撃ったってのに、まさか防ぎきられるとは思わなかったぜ」
「私も人でなくなったってことかしらね。紫たちもあれくらいなら避けるわよ、本気だったら」
「ということは天下の霊夢さんは本気だったのか」
「手加減して怪我するのも嫌だし、賞品が貰えなくなったら困るもの」
勝負の後の一杯はまたいつもと違う味がする。そんなことを考えながら霊夢は新たに手に入ったお茶を飲む。初めて飲んだんだから違う味だろ、と魔理沙が隣で突っ込むのは気にしない。
全ての勝負が終わった後、倒れている魔理沙を叩き起こし縁側で一息。お茶請けを要求する人生の敗北者には嫌味と煎餅をプレゼントし、何故こんな勝負を仕掛けてきたのか魔理沙に尋ねたが、答えは返ってこない。それならそれでいいか、ともうすぐ見納めになるだろう縁側からの風景を楽しんでいると、魔理沙はゆっくりと話し始めた。
「もし、もし私がこの勝負で勝つ……いや引き分けでもよかったんだが、そんな感じになれたら、私は人間としてこのまま生きていこうって思ったんだよ。人間の力ってのを信じることにしてな」
「あら、私の時には人間をやめるのかっていってたくせに」
「人は人、私は私だ。勝負の内容に力だけじゃどうにもならないようなのを入れてたのはそういう意味もあったんだぜ。あと私が勝つため」
「そうね。どう考えても我慢勝負なんて私向けじゃないもの」
「私はさ、負けず嫌いなんだよ」
「えぇ、知ってるわ」
「そんでもって努力家なんだ」
「えぇ、それも知ってるわ」
「だから勝つためにはどんなことでもするさ」
「だからってイカサマはどうかしら」
「勝つための努力ってやつだぜ」
「勝つために人間をやめるのね」
「あぁ、負けっぱなしってのは天下の魔理沙さんに似合わないしな」
「そういうものかしら……。ま、ありがと。お茶とかも」
「どういたしまして」
お茶を一杯飲んで魔理沙は帰っていった。やりたいことをやって、いいたいことをいって。
折角出したというのに微妙に残された煎餅を齧りながら霊夢にとって特別で特別でない一日は終わった。
数週間後、新しい博麗の巫女を紫がつれてきた。まだまだ若い、というより子どもだといった方がしっくりくるような年齢の少女である。
しばらくは先輩巫女として作法や人間・妖怪との接し方を教えてから霊夢は神社を後にした。最初、人里にこないかと慧音に誘われたが、自分が人里に住むというのも少々おかしく感じ、萃香にちょいと甘えて家を建ててもらったのはまた別の話。
そんな家に訪れるのはいつもの面々。そして新たな面々。後輩巫女は何故か自分に懐いてしまい、暇があれば話をしてくれとせがむし、家の周辺で活動している妖怪も集まってくるようになった。
「――――――」
「そこで待っててもだめよ。今日はどこにも行く予定がないもの」
「――――――」
「それに草鞋も握り飯もないんだから、あんたには何の得にもならないじゃない」
「――――――」
「そもそも私は空を飛べるんだから送ってもらう必要がないわ」
「先輩、こんにちはー。今日も遊びにきちゃいました」
「――――――」
「……よかったわね。送る相手がやってきてくれたわよ」
「あ、送り犬ちゃんも。こんにちはー」
結局、立地が変わっただけで霊夢の周りは何も変わっていない。一日かけてゆっくりとお茶を飲む間に誰かが尋ねてくる。そんな毎日がずっと続いている。
勿論全く変わっていないというわけではない。色々とあげればきりがないが、一番の変化といえばフランドールが外を出歩くようになったことだろう。しかも昼に。
後輩巫女に興味津々だったフランドールは、年齢と幻想郷入りした年数から常にお姉さんぶっている。しかしフランドールは吸血鬼、後輩巫女とは活動時間が違う。そこでフランドールは自分の活動時間を昼夜逆転させ、ついでに太陽の光も克服することにしたのだ。フランドールの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を元にパチュリーと研究・昇華させることで、紫外線を破壊するというとんでもないことをやってのけた。その紫外線を破壊する膜を全身に張ることでフランドールは太陽の下、日傘もなしに外で遊べるようになった。
ただ外で遊ぶためにそこまでするとは、と思う霊夢ではあるが自分も自分でお茶とお茶請けのためにスキマ妖怪と弾幕ごっこをし続けたことを考えれば同じな気がしないでもない。欲求とは大切だ。
フランドールが外に出ることに難色を示した者もいるが、膜を張り続けている間は力が中級妖怪レベルまで落ちてしまうこと、付き人として美鈴が動く門番をしていること、集まる場所が大抵博麗神社か霊夢の家になっていること、そして何より楽しそうに後輩巫女や妖精・妖怪と遊ぶフランドールの姿をみて考えを改めた。何かあったら霊夢が何とかすると思われもいるらしい。
そういえば、にとりが試験的に紫外線照射装置とやらを作成しようとしていたらしいが、資金と材料的にその計画は頓挫したらしい。これも運命。
「れいむー。今日は来るかな」
「さあね。日課の訓練が終わったらくるんじゃないかしら」
「むー。早く来ないかなー。今日は何をしようかなー」
「子どもは子どもらしく外で遊ぶのが一番ね。そう思わないかしら、起動型門番さん」
「うぅ……。また変な名前が……」
明日はどういう日になるのだろうか。お茶を飲みながら霊夢は考える。
もうそろそろ魔理沙が尋ねてくるかもしれない。前回はいい勝負ができていたことだし、次はどうなることか。
未だ人間のまま、しかし姿形はそのままの咲夜はどうなったのだか。フランドールや美鈴が何事もなく遊びに来ているのだから特に何もおきていないのだろう。
あぁ、そういえば明後日に幽香が遊びにくるといっていたような気がする。四勝一敗二分は切りが悪い、などといわれて襲われてはたまったものではない。後輩巫女に来るようにいっておこう。
幻想郷はいつも通り。そしてお茶がおいしい。
確かに霊夢が亡くなってしまうSSはあっても死ななくなるSSはあまりないように思うので、とても面白かったです。淡々と受け入れている辺り霊夢らしいと思いました。
ところで巫女辞めた後の霊夢はどんな服を着るんでしょうね。やっぱり腋は見せr
でも、死ぬにくくなったのであって死なないわけでは・・・ないですよね?
殺せば殺せるかな? 殺しても膨大な霊力で復活しちゃうとか?
ともあれ、面白かったです。
↑ おおう!上の方がいうまで霊夢はずっと巫女服だと思ってましたよ。
実際、何を着るんでしょうね?
……というフレーズがつい思い浮かびました。自重します。
重く危なげな空気が漂うテーマを、ほのぼのまったり風味で書ききったところが大変好みでした。
若干文章にぎこちないところもありましたが、そんな些細なことはどうでもいいくらい綺麗なまとめかた。
続編や次回作が出ることを大いに期待しています。
送り犬については送り狼の亜種かと思ってました。
さて本題に戻りますが、こういう感じがいかにも東方臭いなと思わせる見事な一品でした。貴方の次回作を楽しみにさせてもらいますよ。
また書いてくださいな。
はっ!
つまりこれは天子&依玖フラg(ムソーフイーン
しかし例え人間をやめることになっても霊夢は霊夢らしく振舞う、というのがまた自然でいいですね。
服については前神主がパジャマ霊夢描いてたな。腋丸出しだったけど
ってのが思い浮かんだが違ったみたいでした
あぁ、次は魔理沙編だ
ある意味でゲームに近い感覚で読めたのが良かったです。
欲を言えば、勝負事に関して「本気」と「全力」といったような似た意味で捉えられる微妙なニュアンスを用いれば、もっと表現の幅が広がっていた……かもしれません。個人的にですがね。
色即是空でもないですが、あるがままあるがまま
解脱とかの方が近いでしょうか、一種悟ってしまっている風にかかれることが多いキャラですね
一人称に近く、内面描写が多い性か、少し周囲との距離がある気もします霊夢
余計な一言を加えると
動画をみたなどと言うよりは、リプレイを見たといったほうが良いような
素敵な作品をありがとうございました。
そしてこれが一番面白い。
近いイメージでした。