風見幽香の開花 <オリ設定注意>
<Ⅰ>
遙か遠い昔、そこに花は生えてゐた
その花は大きな花だつた、けれども名前のない花だつた
その花は他の植物よりもほんの少しだけ强い力をもつてゐた
だからなのか、花は心に似たやうなものをもつてゐた
あるひ、花が棲む場所に植物を食む動物がやつてきた
そいつは橫暴にも雜草も竒麗に咲き誇る花々もお構ひなしに食ひ荒らして云つた
花はおほいに悲しんだ、動けぬことを悔い淚も流せぬからだを呪つた
心をもつ自分こそが動かねばならぬとその花は義憤した
自らの種類をなんの分別をなく喰らふあの小汚い動物を我が打倒せねばならぬと感じた
必要なのだ!とその花は何處ともしれぬ造物主に祈つた
願ひは屆けられた
その花は動くことを獲得した、それは本來起こりえぬ進化だつた
花は狂喜し、自らの領域を侵した動物をいつぴき殘らず生氣を吸ひ取り殺した
それからといふもの
花の短い筈だつた一生がレイルを脫線し暴走をはじめた
自らの領域を侵すものは頻繁に現れた
それはまた違ふ動物であつたりそれは鎌をもつた人類であつたり
愛すべき同胞を護る爲にはさらなる必要が强ひられた
それから花は
飛ぶ動物に對抗せねばならぬから長い長い觸手を得た
堅固な鱗や毛皮を貫くためになんでも溶かす酸を得た
大群で押し寄せる害蟲を一網打盡にするために强い毒素を得た
ありとあらゆる障礙を驅逐する爲に長い長い晝と夜を費やして花は進化を續けた
そして遂に
花は人類に對抗せねばならぬから人の形を得た
それはもはや、花とはいへぬたゞひとりの名前のない妖怪の誕生であつた
<Ⅱ>
遠い昔、植物の槪念から外れた嘗ては名前のない花だつた妖怪がゐた
もはや我が領域を侵すものは消え去つた、全て我こそが驅逐せしめた
强い力と人の形を得た妖怪は外の世界へと足を踏み出した
人を喰らつて得た智慧を巧みに使ひながら妖怪はそこらぢゆうに足を運んだ
樣々なものと出會ひ、樣々なものを聞き、樣々な敵と出會ひ、それら全てに勝利した
自分の噂を聞き退治しようとする退魔士がゐたがそれらは自分に叶はなかつた
同じやうな境遇で人の形を得た妖怪がゐたがそれらも自分には叶はなかつた
知略と策謀をもつて自分を陷れようとする人間がゐた、それらも最後には自分には叶はなかつた
もはや妖怪も打ち倒せるものはゐない、さう思つた
それが誇らしく、妖怪は禍々しく微笑んだ
けれども時が巡り
菜の花が咲き、向日葵が搖れ、ススキが月を隱し、それらが全て枯れて果てゝ
何度かそんな間を渡り步いてゐるうちに妖怪の胸になにやら竒妙な感情が蟠るやうになつた
それは寂しさ、あるいは孤獨と呼ばれる類の感情だつた
植物の同胞と話しても拭へぬ喪失感
人間だの妖怪だのゝ雜魚を血祭りに擧げても消え去らぬ寂寥感
どんなに竒麗な空をみてもどんなにたをやかに微笑む花をみても打ち碎けぬ孤獨感
だんだんと時間をかけて耐へられなくなつたそれに妖怪は叫んだ
あゝ!なぜこんなにも苦しく、せつないのか!
妖怪は植物と意思疏通するのに言葉はひらぬ、智識もいらぬ
それはそれまで息をするやうにしてゐた行爲なのだから
進化によつて獲得した人の形は竒しくも「人としての接觸」を精神的欲求として造つてしまつた
妖怪の腦の內に一人の人間を造つてしまつた
その人間が妖怪の心をがんがんと叩くのだ
寂しい、人として寂しい!孤獨だ!このまゝでは死んでしまふ!
とんだ粗惡だ、こんなことであれば進化などせねば善かつた
祈つてみても對抗しようと試みてみても
その感情に對抗する術を妖怪の造物主は與へてはくれなかつた
妖怪の內の人間を殺すことは不可能だつた
それから永い時間、妖怪は泣きながら荒野を彷徨ゐ步ゐた
<Ⅲ>
少し昔、草花の類だつたひどく强い力をもつた寂しがりの妖怪がゐた
その妖怪には名前はなく、また名前を呼ぶものも側にはゐなかつた
妖怪は腦の內で憂鬱を叫ぶ人間を飼ひならせぬまゝ
荒野に自分で拓いた花園で暮らしてゐた
このころ妖怪はかつてのやうに慘虐ではなくなつてゐた
それは月日の流れのせゐではなく、どうにも妖怪の內の人間が叫ぶからであつた
ひどく氣が散る、心が搔き亂される
こんなまゝ戰つたつて殺したつてなんの快樂も得られぬのだ
耳を塞いでも聞こえてくる孤獨の訴へをどうにもできぬまゝ
妖怪は物憂げに花園で倒れ伏してゐた
と――
少し轉寢をしてゐる間に何者かが花園に訪れたらしい
妖怪の橫たはつた脇に丁寧にしたゝまれた手紙が置かれてゐた
宛先はない、たゞ筆者の可憐さを感じさせる字で「恋文」と書かれてゐた
なんだこれは、と警戒しながら開くとこれまた丁寧な字が竝んでゐた
少女文學のやうな詩篇のやうなまどらつこしゐ文體であつた
「突然のお手紙を失禮いたします」
と、傳統的な形式に則つてはじまつたこの手紙は幻想鄕と呼ばれる樂園の設立を傳へる手紙だつた
その間に妖怪の外見を襃め稱へた美辭麗句だとか詩のやうな讀んでるこちらの氣分が變になるやうな文章が當たり前のやうに插入されてをり讀むのにいたく苦勞した
筆者によるところ自らの樂園の住人として妖怪を招きたひらしい
なんとも、馬鹿馬鹿しい話だ
こんなにも危險で慘虐な妖怪を「住人」として歡迎する?
傲慢だ、鼻持ちならぬ高慢さだ
なにより文體が氣に入らぬ
これは讀む人間の爲に練られた文ではなく
自分がいかに感性豐かで智識的魅力に溢れてゐるかを見せ付けるやうに書かれたものだ
こんな者の造つた樂園など碌なものではない
なんなら住人になりにきた、と騙して塵も殘さず破壞してやるのも善いかもしれない
――と、紙片の裡側にまた文が殘つてゐた
<P・S>と添へられた文章の下にこんな言葉があつた
あなたの名前を敎へて頂けますか
私の名前はゆかり、あなたはなんと呼べば宜しいでせう
お返事を期待してをります
・・・・・・名前
なまえ、ナマエ
わからない、知らない、考へたこともない
いままで、さう問うてきた者が居ただらうか?それも憶えてゐない
なんとも不思議な氣分だ
恐怖も暴力も捕食もともわない安穩としたコミニケイション
名前、といふ存在を定義づける爲のひとつの道具
それを氣づかせてくれたこの手紙の主に妖怪は少しだけ感謝の念を憶えた
茫洋としてゐた妖怪の形が少しはつきりとする
頭を抱へて暴れまはつてゐた內の人間が靜止して妖怪と見つめあつた
わたしの名前、それはなにか
なにが善いのか
ほんの瑣細だが妖怪と人の形が明瞭に重なつた氣がした
五感が冱える、視覺が空の色を映し、觸覺が風を感じ取り、嗅覺が、聽覺が花園の芳香を捉へて、囁きを聞く
こゝに在るもの
こゝに感じるもの
風
花
香り
はかなさ
そして自分
嗚呼
こんなにも簡單なことだつたのか
自分はなにを思ひ惱んでゐたのか
私ともあらうものがなんともくだらない事で惱んでゐた
私は私だ、妖怪だ、人ではない、人の形しかもつてゐない
そして必要なのだ、對等に接する者が
近くになければ探せばいゝ
自分と話せる者を、この感情を拂拭できる者を
殺し合ひながらでもいひ、それでなくとも許してやらう
今たつた決まつた名前を引つさげて逢ひにいつてやらう
名前を呼んでくれる者に逢ひに行かう
いつか人里で奪つた日傘を差して洋服を纏ひ
風見幽香は步き出した
<了>
<Ⅰ>
遙か遠い昔、そこに花は生えてゐた
その花は大きな花だつた、けれども名前のない花だつた
その花は他の植物よりもほんの少しだけ强い力をもつてゐた
だからなのか、花は心に似たやうなものをもつてゐた
あるひ、花が棲む場所に植物を食む動物がやつてきた
そいつは橫暴にも雜草も竒麗に咲き誇る花々もお構ひなしに食ひ荒らして云つた
花はおほいに悲しんだ、動けぬことを悔い淚も流せぬからだを呪つた
心をもつ自分こそが動かねばならぬとその花は義憤した
自らの種類をなんの分別をなく喰らふあの小汚い動物を我が打倒せねばならぬと感じた
必要なのだ!とその花は何處ともしれぬ造物主に祈つた
願ひは屆けられた
その花は動くことを獲得した、それは本來起こりえぬ進化だつた
花は狂喜し、自らの領域を侵した動物をいつぴき殘らず生氣を吸ひ取り殺した
それからといふもの
花の短い筈だつた一生がレイルを脫線し暴走をはじめた
自らの領域を侵すものは頻繁に現れた
それはまた違ふ動物であつたりそれは鎌をもつた人類であつたり
愛すべき同胞を護る爲にはさらなる必要が强ひられた
それから花は
飛ぶ動物に對抗せねばならぬから長い長い觸手を得た
堅固な鱗や毛皮を貫くためになんでも溶かす酸を得た
大群で押し寄せる害蟲を一網打盡にするために强い毒素を得た
ありとあらゆる障礙を驅逐する爲に長い長い晝と夜を費やして花は進化を續けた
そして遂に
花は人類に對抗せねばならぬから人の形を得た
それはもはや、花とはいへぬたゞひとりの名前のない妖怪の誕生であつた
<Ⅱ>
遠い昔、植物の槪念から外れた嘗ては名前のない花だつた妖怪がゐた
もはや我が領域を侵すものは消え去つた、全て我こそが驅逐せしめた
强い力と人の形を得た妖怪は外の世界へと足を踏み出した
人を喰らつて得た智慧を巧みに使ひながら妖怪はそこらぢゆうに足を運んだ
樣々なものと出會ひ、樣々なものを聞き、樣々な敵と出會ひ、それら全てに勝利した
自分の噂を聞き退治しようとする退魔士がゐたがそれらは自分に叶はなかつた
同じやうな境遇で人の形を得た妖怪がゐたがそれらも自分には叶はなかつた
知略と策謀をもつて自分を陷れようとする人間がゐた、それらも最後には自分には叶はなかつた
もはや妖怪も打ち倒せるものはゐない、さう思つた
それが誇らしく、妖怪は禍々しく微笑んだ
けれども時が巡り
菜の花が咲き、向日葵が搖れ、ススキが月を隱し、それらが全て枯れて果てゝ
何度かそんな間を渡り步いてゐるうちに妖怪の胸になにやら竒妙な感情が蟠るやうになつた
それは寂しさ、あるいは孤獨と呼ばれる類の感情だつた
植物の同胞と話しても拭へぬ喪失感
人間だの妖怪だのゝ雜魚を血祭りに擧げても消え去らぬ寂寥感
どんなに竒麗な空をみてもどんなにたをやかに微笑む花をみても打ち碎けぬ孤獨感
だんだんと時間をかけて耐へられなくなつたそれに妖怪は叫んだ
あゝ!なぜこんなにも苦しく、せつないのか!
妖怪は植物と意思疏通するのに言葉はひらぬ、智識もいらぬ
それはそれまで息をするやうにしてゐた行爲なのだから
進化によつて獲得した人の形は竒しくも「人としての接觸」を精神的欲求として造つてしまつた
妖怪の腦の內に一人の人間を造つてしまつた
その人間が妖怪の心をがんがんと叩くのだ
寂しい、人として寂しい!孤獨だ!このまゝでは死んでしまふ!
とんだ粗惡だ、こんなことであれば進化などせねば善かつた
祈つてみても對抗しようと試みてみても
その感情に對抗する術を妖怪の造物主は與へてはくれなかつた
妖怪の內の人間を殺すことは不可能だつた
それから永い時間、妖怪は泣きながら荒野を彷徨ゐ步ゐた
<Ⅲ>
少し昔、草花の類だつたひどく强い力をもつた寂しがりの妖怪がゐた
その妖怪には名前はなく、また名前を呼ぶものも側にはゐなかつた
妖怪は腦の內で憂鬱を叫ぶ人間を飼ひならせぬまゝ
荒野に自分で拓いた花園で暮らしてゐた
このころ妖怪はかつてのやうに慘虐ではなくなつてゐた
それは月日の流れのせゐではなく、どうにも妖怪の內の人間が叫ぶからであつた
ひどく氣が散る、心が搔き亂される
こんなまゝ戰つたつて殺したつてなんの快樂も得られぬのだ
耳を塞いでも聞こえてくる孤獨の訴へをどうにもできぬまゝ
妖怪は物憂げに花園で倒れ伏してゐた
と――
少し轉寢をしてゐる間に何者かが花園に訪れたらしい
妖怪の橫たはつた脇に丁寧にしたゝまれた手紙が置かれてゐた
宛先はない、たゞ筆者の可憐さを感じさせる字で「恋文」と書かれてゐた
なんだこれは、と警戒しながら開くとこれまた丁寧な字が竝んでゐた
少女文學のやうな詩篇のやうなまどらつこしゐ文體であつた
「突然のお手紙を失禮いたします」
と、傳統的な形式に則つてはじまつたこの手紙は幻想鄕と呼ばれる樂園の設立を傳へる手紙だつた
その間に妖怪の外見を襃め稱へた美辭麗句だとか詩のやうな讀んでるこちらの氣分が變になるやうな文章が當たり前のやうに插入されてをり讀むのにいたく苦勞した
筆者によるところ自らの樂園の住人として妖怪を招きたひらしい
なんとも、馬鹿馬鹿しい話だ
こんなにも危險で慘虐な妖怪を「住人」として歡迎する?
傲慢だ、鼻持ちならぬ高慢さだ
なにより文體が氣に入らぬ
これは讀む人間の爲に練られた文ではなく
自分がいかに感性豐かで智識的魅力に溢れてゐるかを見せ付けるやうに書かれたものだ
こんな者の造つた樂園など碌なものではない
なんなら住人になりにきた、と騙して塵も殘さず破壞してやるのも善いかもしれない
――と、紙片の裡側にまた文が殘つてゐた
<P・S>と添へられた文章の下にこんな言葉があつた
あなたの名前を敎へて頂けますか
私の名前はゆかり、あなたはなんと呼べば宜しいでせう
お返事を期待してをります
・・・・・・名前
なまえ、ナマエ
わからない、知らない、考へたこともない
いままで、さう問うてきた者が居ただらうか?それも憶えてゐない
なんとも不思議な氣分だ
恐怖も暴力も捕食もともわない安穩としたコミニケイション
名前、といふ存在を定義づける爲のひとつの道具
それを氣づかせてくれたこの手紙の主に妖怪は少しだけ感謝の念を憶えた
茫洋としてゐた妖怪の形が少しはつきりとする
頭を抱へて暴れまはつてゐた內の人間が靜止して妖怪と見つめあつた
わたしの名前、それはなにか
なにが善いのか
ほんの瑣細だが妖怪と人の形が明瞭に重なつた氣がした
五感が冱える、視覺が空の色を映し、觸覺が風を感じ取り、嗅覺が、聽覺が花園の芳香を捉へて、囁きを聞く
こゝに在るもの
こゝに感じるもの
風
花
香り
はかなさ
そして自分
嗚呼
こんなにも簡單なことだつたのか
自分はなにを思ひ惱んでゐたのか
私ともあらうものがなんともくだらない事で惱んでゐた
私は私だ、妖怪だ、人ではない、人の形しかもつてゐない
そして必要なのだ、對等に接する者が
近くになければ探せばいゝ
自分と話せる者を、この感情を拂拭できる者を
殺し合ひながらでもいひ、それでなくとも許してやらう
今たつた決まつた名前を引つさげて逢ひにいつてやらう
名前を呼んでくれる者に逢ひに行かう
いつか人里で奪つた日傘を差して洋服を纏ひ
風見幽香は步き出した
<了>
今後に期待できる作風と言う事で+10点。
ゆかりんが「恋文」を送ってきた所とか。
とても楽しかったです。
>なにより文體が氣に入らぬ
のところで、自虐ギャグかと思って噴きだしてしまいました。
最後から二行目のところまで全裸だったゆうかりんを想像しながら反省します。