この話には多数の独自設定が入っています。
それが気になる方はお戻りください。
「小野塚小町、前へ」
教官の声に従い小町は一歩踏み出す。
「もう少し要領よく出来ないものかねえ」
教官が溜息をつきながら小町の訓練結果を読み上げる。
「君は確かに死神としての素養はあるんだが少々不器用だ」
確かに教官が読み上げた成績はあまり芳しくない。
「はい、ありがとうございました」
小町は背を伸ばし、肩を張りよく通る声で返事をした。
自室への帰り路、すっかり宵闇に支配されてしまっている中を小町は歩む。
時折何か考えるように夜空を見上げる。
小町が見上げた夜空は生憎と雲に覆われていて月は見えない。
彼女の心もまた曇りであった。
一応、死神にも研修制度というものがある。
今回の訓練は擬似の魂を用いた渡川訓練であった。
小町は恵まれた体格と死神の能力の素養はあったものの些か不器用であった。
不器用であるなりに頑張るのだが成績は上がらない。
今日もまた自身の不甲斐なさを感じ、彼女の心を曇るのであった。
「はぁ」
小さく溜息をつく。
溜息が白い蒸気になるが、すぐに冬の空気へと霧散していく。
不器用なりに頑張る、でも不器用だから上手くいかない。
上手くいかないなりに、全力で頑張るがそれでも上手くいかない。
小町の心は出口の見えない穴倉に迷い込んだようであった。
若き死神見習いは悩みに悩んでいた。
(なんであたいはこんなに不器用なのかなぁ)
小町は路上の小石を蹴った。
石は放物線を小さく描き飛んでいく。
カチンと音を立てて地面に落ちると、そのままころころと転がっていく。
「はあ」
再び、溜息を吐く。
暗き夜空と沈んだ心。
先の見えない袋小路。
彼女の心の靄が晴れることは有るのだろうか。
その日は雨が降っていた。
小雨が川面に幾つもの波紋を立てている。
雨の振るなか、死神見習い達が横に一列に並んでいる。
その前に教官が立つ。
小町は顔に当たる雨の冷たさを感じながら、眉間に皺を寄せ直立していた。
「今日の訓練は実地訓練である」
教官が声を張り上げる。
実地訓練とは実際の魂を使った、最終試験のようなものである。
小町は目を瞑ると、心の中で、ミスをしないように、間違いを起こさないようにと
心の中で何度も呟く。
大きく深呼吸をした。
緊張で、息が少し荒くなっている。
「各自、連れて行く魂を選別。その上で無事に対岸にまで引き渡すこと」
教官は見習い達を一瞥する。
小町と教官の目が合う。
その目を小町は睨むように見た。
(今日こそ、やってやりますよ!)
心の中で宣言をする。
他の見習い達も緊張しているようであった。
皆何かを考えるように、神妙な面持ちをしている。
「魂の扱いには十分気をつけること。」
小町は拳を握りしめた。
教官は、大きく息を吸うと
「それでははじめ!!」
曇り空の下に響き渡る声で叫んだ。
その声に、見習い達は一斉に走り出す。
見習い達は一様に急いでいた。
それは、運びやすい魂を探すためである。
徳がある者の魂程渡しやすい。
それはつまり、成績の向上に繋がる。
無論、見習いといえど死神である。
漂っている魂を見れば、その者が徳の高い生前であったかはわかる。
しかし、徳の高い人生を送ったものばかりではない。
だから、見習い達は渡しやすい魂にありつくために走るのだ。
あちらこちらで、寄って来る、徳の低い魂を無視する見習い達が居た。
雨の振る中必死に辺りを見渡して、徳の高い魂を探す。
残酷のようだが、それは死神において罪ではない。
徳の高い魂を優先すること、それは仕事の効率化に繋がるばかりではなく
地獄の財政を潤わすことへも繋がる。
「行きます!!」
早くも、見習いの一人が船に魂を乗せ、対岸へと航路についていた。
見るからに、善い生前を送った魂である。
残された見習い達はそれを見てさらに慌てだす。
小町はというと、かなり出遅れていた。
徳の高そうな魂にも出くわしたのだが、他の見習いにもう少しのところで連れて行かれたりと、
不器用故の遅れを何度も繰り返していた。
噴出す汗と雨が混ざり彼女の前髪は額に張り付き、死神の装束を濡らしている。
小町は砂利道を走る。
いつの間にか、辺りには見習いの姿は見えず、徳の高い魂も居なくなっていた。
「つ……」
小町は相当焦っていた。
このままでは、また悪い結果になる。
肩を上下させ、辺りを見回しながら必死に走るが、良い魂は見つからない。
「げほ……」
時々、咳き込む。
雨に降られながら、走り続けているのである。
体躯に恵まれ、体力も平均以上の彼女でも苦しかった。
薄暗く、冷たい川辺を小町は走り続けた。
座り込みたかったが、休んでいる暇は無い。
彼女は必死に必死に、魂を探す。
時折見るからに、徳の低い魂が寄って来る。
(乗っけて行ってくれよ)
(寒いんだ。たすけてよ)
だが、小町は無視をした。
個々の魂より、自分の成績である。
心が痛んだが……それが正しいと教わっていた。
「つっ!」
砂利道に足を取られ、大きく前に転ぶ。
起き上がれなかった。
彼女はこのまま、雨に打たれていたいとすら思った。
情けなかった。
――死神として当たり前のことすら自分には出来ない
そのことが彼女の心を責める。
目に涙浮かんでくる。
情けなくて、悔しくて、悲しくて。
――どうして、あたいには出来ないの?
打ち付けた膝が痛くて、雨が冷たくて、息が苦しくて。
大声で小町は泣きたかった。
いつも、頑張っているのに、全力を出しているのに。
――何で、あたいには
(大丈夫かい)
小町の上の方から声がした。
ゆっくりと顔を上げると魂が浮かんでいた。
(生憎と手は貸せないからね。ほら、この通り)
その言い方が面白くてクスリと笑ってしまう。
(笑った顔の方が可愛いじゃない。ほら、立って)
その魂の言葉は優しかった。
小町は照れくさそうに手をつき立ち上がる。
魂も、嬉しそうに体を揺らす。
打ち付けたところが痛んだが、その様子を見ていると痛みが和らいだ。
(もう、大丈夫みたいね。それじゃあ、頑張ってね)
そういうと魂は、ゆっくりと小町から離れていく。
「待ってください」
その言葉に魂は止まる。
みると、確かに徳が高くは無さそうだが、小町はその魂に暖かさのようなものを感じた。
もし、この魂が声をかけてくれなかったら小町はあのまま、立って居ただろう。
「まだ、船がみつからないのですか」
至極当然の質問をする。
ここに、漂っているということは渡れずに困っているということ。
(ええ、なんだか死神さん達も忙しいようでね)
小町は魂が笑ったような気がした。
今日は、見習いの死神達ばかりである。
そのため、徳の高そうには見えないこの魂は無視されていたのだろう。
小町は一度目を瞑る。
彼女の中で、もう成績のことなどどうでも良くなっていた。
自分の心の曇りを晴らしてくれたこの魂をどうしても渡したかったのだ。
「よし」
小町は小さく呟いた。
彼女の心は決まった。
「乗って行って下さい。私は、その……」
そして、精一杯の笑顔を作る。
「頼りないですが、乗って行っていただきます」
確かに、小町は見習いの、それも成績も余り良くない魂だ。
それでも彼女はその魂のために自身の全力を尽くそうと思った。
魂が体を震わす。
また笑ったように見えた。
(ええ、お願いするわ)
そして小町に近づいてくる。
「頑張ります。小野塚小町、貴方の彼岸航路を案内させていただきます」
そういうと、小町は深く礼をした。
体格の良い彼女が背を伸ばして礼をする姿はとても美しい。
(あらあら、頼りになるわね)
また、魂が体を揺すった。
二人は、川岸に繋がれている船に乗り込んだ。
小町は船が自分に割り当てられた物だと確認すると、櫂を掴む。
「えーと、お金を持ってるはずです。それを私に下さい」
緊張して声が少し上ずっている。
(これね)
そういうと、小町に金を渡す。
やはり、少なかった。
これは対岸に辿りつくまでに時間が掛かる。
小町はそう思ったが微笑んだ。
「はい。確かに受け取りました」
そして、櫂を川面に下ろす。
錨を上げる。
「それじゃあ、行きましょう」
小雨が水面に落ちていく中、ゆっくりと船は進みだした。
対岸は見えない。
対岸までの距離は、魂の生前の行いに比例する。
善き魂は対岸まですぐにたどり着けるし、そうでなければ対岸は遠くなる。
小町は必死に漕ぐ。
船が揺れる。
(揺れるわね)
のんびりと魂が呟く。
「ええ、彼岸の船は魂にとっては乗り心地が悪いんです」
小町は一定のリズムで漕ぎながら、魂に言った。
(ああ、通りで)
納得したように言った。
静かな水面、船の上には沈黙。
雨の振る音のみが響く。
(少し、話させて頂戴。気を紛らわしたいの)
魂は体を揺らす。
小町にはあまり余裕が無かったが、この魂の話が聞きたかった。
「ええ、いいですよ」
小町が微笑むと魂はゆっくりと語りだした。
――私が住んでいたところは貧しいところでね。
――でも、楽しかったわ。
――優しい夫もいたし、息子にも恵まれたわ。
――夫は早くに無くなってしまったけど、
――私は教師をしながら、息子を育てたわ。
――私が働けなくなっても息子夫婦が面倒を見てくれたの。
――孫も出来て幸せだったわ。
――あの土地では、孫が見れるまで生きられる人間なんて本当に一握り。
本当に幸せそうに魂は自分の生前を語った。
小町は、度々、相槌を返しながら魂の言葉に耳を傾けていた。
「それで、どうなったんだい……」
船を進めながら小町がふと振り向いたとき彼女は言葉を失った。
魂が薄くなって……境界が薄れ始めていた。
魂にとって船の乗り心地はとても、悪い。
そのため、魂が疲弊してしまって、対岸にたどり着けないことがある。
(あら、どうしたの?)
のんびりと魂が言った。
小町は喉をならす。
魂の話を聞いた限り、生前はとても皆に愛されながら暮らしていたようだし、
人格者でも有った様だった。
事実、小町は彼女の言葉で慰められた。
ならば、なぜ、もってるお金の量が少なかったのか?
徳が高そうに見えないのか?
小町の脳裏にあることが思い浮かんだ。
「あの、失礼かと思いますが」
小町は気まずそうに一度言葉を切った。
そして魂を見つめる。
「なぜ、貴方は死んだのですか?」
魂は薄くなってしまった体を揺らす。
そして、少し、沈黙すると
(水に自分から入っていって死んだの)
その言葉に小町の血の気が下がる。
(本当に、どうしようもない飢饉でね。家族にこれ以上負担をかけたくなかったの)
魂は笑っているようだったが、反対に小町は真剣な顔つきをしていた。
自殺した魂というのはどれだけ、善き生前であっても渡りきれないことが多い。
それだけ自殺は罪であるのだ。
だが、この魂の行いは罪であるのか?
息子達を愛するが故の行い。
苦しくてどうしようもなくて、それでも家族を優先した故の自殺。
小町は櫂を握り締めると、先程までに増して力をこめて漕ぐ。
絶対にこの魂を送り届ける。
そして、次こそは良い人生を送ってもらう。
水面に音を立てながら船は進む。
(話しすぎたせいかしら。少し疲れたわ)
振り返ると、魂はさらに薄くなっていた。
「気を確かにもってください!」
小町は鳴き声に近い声で魂に呼びかける。
絶対に消させない。
心の中で強く叫ぶ。
(眠くなってきちゃった)
小町は前を向いて必死に漕いでいるが、後ろの方で魂の存在感がなくなり始めたのがわかった。
「絶対に、私が送り届けますから」
櫂を漕ぐ手に血が滲む。
まだ、対岸は見えない
(ねえ、閻魔様に伝えてくれる?)
「そんなこと言わないで下さい!」
小町の目に涙が浮かぶ。
魂ももう自分が対岸にたどり着けない事を理解したようだった。
(あぁ、そうだ。お願いがあるのだけれど)
少し、遠慮がちに魂が言った。
「なんですかっ」
大きな動作で櫂を動かす。
少しでも速く、少しでも速く。
雨を全身に受けながら、小町は目を潤ませながら答える。
(閻魔様に伝えて頂戴。私の家族は何も悪くないのよ、ってね)
その声に小町は振り返る。
少し、魂は体を震わせると、音も無く霧散していく。
小町は漕ぐのをやめる。
雨の振る中死神が一人立つ。
死神は声も無く泣いていたが、涙は船に落ちる前に雨と混ざっていく。
辺りに響くのは、雨が川面を打つ音のみ。
小町は拳を握り締める。
必死に漕いでいたては血が滲んでいる。
しばらくした後、小町は天を仰ぎ見る。
重い曇り空のみがそこにあった。
幻想郷の外れ。
彼岸の季節になると、美しい彼岸花が咲く地に死神がいる。
死神はいつものんびりとしている。
でも、彼女は自殺しようとしている者を見ると、とてもとても怒る。
だから、自殺しようなんて考えないほうが良い。
自殺しようなんて人間は殆どが『考えすぎた馬鹿』だと、彼女も言っていたから。
それが気になる方はお戻りください。
「小野塚小町、前へ」
教官の声に従い小町は一歩踏み出す。
「もう少し要領よく出来ないものかねえ」
教官が溜息をつきながら小町の訓練結果を読み上げる。
「君は確かに死神としての素養はあるんだが少々不器用だ」
確かに教官が読み上げた成績はあまり芳しくない。
「はい、ありがとうございました」
小町は背を伸ばし、肩を張りよく通る声で返事をした。
自室への帰り路、すっかり宵闇に支配されてしまっている中を小町は歩む。
時折何か考えるように夜空を見上げる。
小町が見上げた夜空は生憎と雲に覆われていて月は見えない。
彼女の心もまた曇りであった。
一応、死神にも研修制度というものがある。
今回の訓練は擬似の魂を用いた渡川訓練であった。
小町は恵まれた体格と死神の能力の素養はあったものの些か不器用であった。
不器用であるなりに頑張るのだが成績は上がらない。
今日もまた自身の不甲斐なさを感じ、彼女の心を曇るのであった。
「はぁ」
小さく溜息をつく。
溜息が白い蒸気になるが、すぐに冬の空気へと霧散していく。
不器用なりに頑張る、でも不器用だから上手くいかない。
上手くいかないなりに、全力で頑張るがそれでも上手くいかない。
小町の心は出口の見えない穴倉に迷い込んだようであった。
若き死神見習いは悩みに悩んでいた。
(なんであたいはこんなに不器用なのかなぁ)
小町は路上の小石を蹴った。
石は放物線を小さく描き飛んでいく。
カチンと音を立てて地面に落ちると、そのままころころと転がっていく。
「はあ」
再び、溜息を吐く。
暗き夜空と沈んだ心。
先の見えない袋小路。
彼女の心の靄が晴れることは有るのだろうか。
その日は雨が降っていた。
小雨が川面に幾つもの波紋を立てている。
雨の振るなか、死神見習い達が横に一列に並んでいる。
その前に教官が立つ。
小町は顔に当たる雨の冷たさを感じながら、眉間に皺を寄せ直立していた。
「今日の訓練は実地訓練である」
教官が声を張り上げる。
実地訓練とは実際の魂を使った、最終試験のようなものである。
小町は目を瞑ると、心の中で、ミスをしないように、間違いを起こさないようにと
心の中で何度も呟く。
大きく深呼吸をした。
緊張で、息が少し荒くなっている。
「各自、連れて行く魂を選別。その上で無事に対岸にまで引き渡すこと」
教官は見習い達を一瞥する。
小町と教官の目が合う。
その目を小町は睨むように見た。
(今日こそ、やってやりますよ!)
心の中で宣言をする。
他の見習い達も緊張しているようであった。
皆何かを考えるように、神妙な面持ちをしている。
「魂の扱いには十分気をつけること。」
小町は拳を握りしめた。
教官は、大きく息を吸うと
「それでははじめ!!」
曇り空の下に響き渡る声で叫んだ。
その声に、見習い達は一斉に走り出す。
見習い達は一様に急いでいた。
それは、運びやすい魂を探すためである。
徳がある者の魂程渡しやすい。
それはつまり、成績の向上に繋がる。
無論、見習いといえど死神である。
漂っている魂を見れば、その者が徳の高い生前であったかはわかる。
しかし、徳の高い人生を送ったものばかりではない。
だから、見習い達は渡しやすい魂にありつくために走るのだ。
あちらこちらで、寄って来る、徳の低い魂を無視する見習い達が居た。
雨の振る中必死に辺りを見渡して、徳の高い魂を探す。
残酷のようだが、それは死神において罪ではない。
徳の高い魂を優先すること、それは仕事の効率化に繋がるばかりではなく
地獄の財政を潤わすことへも繋がる。
「行きます!!」
早くも、見習いの一人が船に魂を乗せ、対岸へと航路についていた。
見るからに、善い生前を送った魂である。
残された見習い達はそれを見てさらに慌てだす。
小町はというと、かなり出遅れていた。
徳の高そうな魂にも出くわしたのだが、他の見習いにもう少しのところで連れて行かれたりと、
不器用故の遅れを何度も繰り返していた。
噴出す汗と雨が混ざり彼女の前髪は額に張り付き、死神の装束を濡らしている。
小町は砂利道を走る。
いつの間にか、辺りには見習いの姿は見えず、徳の高い魂も居なくなっていた。
「つ……」
小町は相当焦っていた。
このままでは、また悪い結果になる。
肩を上下させ、辺りを見回しながら必死に走るが、良い魂は見つからない。
「げほ……」
時々、咳き込む。
雨に降られながら、走り続けているのである。
体躯に恵まれ、体力も平均以上の彼女でも苦しかった。
薄暗く、冷たい川辺を小町は走り続けた。
座り込みたかったが、休んでいる暇は無い。
彼女は必死に必死に、魂を探す。
時折見るからに、徳の低い魂が寄って来る。
(乗っけて行ってくれよ)
(寒いんだ。たすけてよ)
だが、小町は無視をした。
個々の魂より、自分の成績である。
心が痛んだが……それが正しいと教わっていた。
「つっ!」
砂利道に足を取られ、大きく前に転ぶ。
起き上がれなかった。
彼女はこのまま、雨に打たれていたいとすら思った。
情けなかった。
――死神として当たり前のことすら自分には出来ない
そのことが彼女の心を責める。
目に涙浮かんでくる。
情けなくて、悔しくて、悲しくて。
――どうして、あたいには出来ないの?
打ち付けた膝が痛くて、雨が冷たくて、息が苦しくて。
大声で小町は泣きたかった。
いつも、頑張っているのに、全力を出しているのに。
――何で、あたいには
(大丈夫かい)
小町の上の方から声がした。
ゆっくりと顔を上げると魂が浮かんでいた。
(生憎と手は貸せないからね。ほら、この通り)
その言い方が面白くてクスリと笑ってしまう。
(笑った顔の方が可愛いじゃない。ほら、立って)
その魂の言葉は優しかった。
小町は照れくさそうに手をつき立ち上がる。
魂も、嬉しそうに体を揺らす。
打ち付けたところが痛んだが、その様子を見ていると痛みが和らいだ。
(もう、大丈夫みたいね。それじゃあ、頑張ってね)
そういうと魂は、ゆっくりと小町から離れていく。
「待ってください」
その言葉に魂は止まる。
みると、確かに徳が高くは無さそうだが、小町はその魂に暖かさのようなものを感じた。
もし、この魂が声をかけてくれなかったら小町はあのまま、立って居ただろう。
「まだ、船がみつからないのですか」
至極当然の質問をする。
ここに、漂っているということは渡れずに困っているということ。
(ええ、なんだか死神さん達も忙しいようでね)
小町は魂が笑ったような気がした。
今日は、見習いの死神達ばかりである。
そのため、徳の高そうには見えないこの魂は無視されていたのだろう。
小町は一度目を瞑る。
彼女の中で、もう成績のことなどどうでも良くなっていた。
自分の心の曇りを晴らしてくれたこの魂をどうしても渡したかったのだ。
「よし」
小町は小さく呟いた。
彼女の心は決まった。
「乗って行って下さい。私は、その……」
そして、精一杯の笑顔を作る。
「頼りないですが、乗って行っていただきます」
確かに、小町は見習いの、それも成績も余り良くない魂だ。
それでも彼女はその魂のために自身の全力を尽くそうと思った。
魂が体を震わす。
また笑ったように見えた。
(ええ、お願いするわ)
そして小町に近づいてくる。
「頑張ります。小野塚小町、貴方の彼岸航路を案内させていただきます」
そういうと、小町は深く礼をした。
体格の良い彼女が背を伸ばして礼をする姿はとても美しい。
(あらあら、頼りになるわね)
また、魂が体を揺すった。
二人は、川岸に繋がれている船に乗り込んだ。
小町は船が自分に割り当てられた物だと確認すると、櫂を掴む。
「えーと、お金を持ってるはずです。それを私に下さい」
緊張して声が少し上ずっている。
(これね)
そういうと、小町に金を渡す。
やはり、少なかった。
これは対岸に辿りつくまでに時間が掛かる。
小町はそう思ったが微笑んだ。
「はい。確かに受け取りました」
そして、櫂を川面に下ろす。
錨を上げる。
「それじゃあ、行きましょう」
小雨が水面に落ちていく中、ゆっくりと船は進みだした。
対岸は見えない。
対岸までの距離は、魂の生前の行いに比例する。
善き魂は対岸まですぐにたどり着けるし、そうでなければ対岸は遠くなる。
小町は必死に漕ぐ。
船が揺れる。
(揺れるわね)
のんびりと魂が呟く。
「ええ、彼岸の船は魂にとっては乗り心地が悪いんです」
小町は一定のリズムで漕ぎながら、魂に言った。
(ああ、通りで)
納得したように言った。
静かな水面、船の上には沈黙。
雨の振る音のみが響く。
(少し、話させて頂戴。気を紛らわしたいの)
魂は体を揺らす。
小町にはあまり余裕が無かったが、この魂の話が聞きたかった。
「ええ、いいですよ」
小町が微笑むと魂はゆっくりと語りだした。
――私が住んでいたところは貧しいところでね。
――でも、楽しかったわ。
――優しい夫もいたし、息子にも恵まれたわ。
――夫は早くに無くなってしまったけど、
――私は教師をしながら、息子を育てたわ。
――私が働けなくなっても息子夫婦が面倒を見てくれたの。
――孫も出来て幸せだったわ。
――あの土地では、孫が見れるまで生きられる人間なんて本当に一握り。
本当に幸せそうに魂は自分の生前を語った。
小町は、度々、相槌を返しながら魂の言葉に耳を傾けていた。
「それで、どうなったんだい……」
船を進めながら小町がふと振り向いたとき彼女は言葉を失った。
魂が薄くなって……境界が薄れ始めていた。
魂にとって船の乗り心地はとても、悪い。
そのため、魂が疲弊してしまって、対岸にたどり着けないことがある。
(あら、どうしたの?)
のんびりと魂が言った。
小町は喉をならす。
魂の話を聞いた限り、生前はとても皆に愛されながら暮らしていたようだし、
人格者でも有った様だった。
事実、小町は彼女の言葉で慰められた。
ならば、なぜ、もってるお金の量が少なかったのか?
徳が高そうに見えないのか?
小町の脳裏にあることが思い浮かんだ。
「あの、失礼かと思いますが」
小町は気まずそうに一度言葉を切った。
そして魂を見つめる。
「なぜ、貴方は死んだのですか?」
魂は薄くなってしまった体を揺らす。
そして、少し、沈黙すると
(水に自分から入っていって死んだの)
その言葉に小町の血の気が下がる。
(本当に、どうしようもない飢饉でね。家族にこれ以上負担をかけたくなかったの)
魂は笑っているようだったが、反対に小町は真剣な顔つきをしていた。
自殺した魂というのはどれだけ、善き生前であっても渡りきれないことが多い。
それだけ自殺は罪であるのだ。
だが、この魂の行いは罪であるのか?
息子達を愛するが故の行い。
苦しくてどうしようもなくて、それでも家族を優先した故の自殺。
小町は櫂を握り締めると、先程までに増して力をこめて漕ぐ。
絶対にこの魂を送り届ける。
そして、次こそは良い人生を送ってもらう。
水面に音を立てながら船は進む。
(話しすぎたせいかしら。少し疲れたわ)
振り返ると、魂はさらに薄くなっていた。
「気を確かにもってください!」
小町は鳴き声に近い声で魂に呼びかける。
絶対に消させない。
心の中で強く叫ぶ。
(眠くなってきちゃった)
小町は前を向いて必死に漕いでいるが、後ろの方で魂の存在感がなくなり始めたのがわかった。
「絶対に、私が送り届けますから」
櫂を漕ぐ手に血が滲む。
まだ、対岸は見えない
(ねえ、閻魔様に伝えてくれる?)
「そんなこと言わないで下さい!」
小町の目に涙が浮かぶ。
魂ももう自分が対岸にたどり着けない事を理解したようだった。
(あぁ、そうだ。お願いがあるのだけれど)
少し、遠慮がちに魂が言った。
「なんですかっ」
大きな動作で櫂を動かす。
少しでも速く、少しでも速く。
雨を全身に受けながら、小町は目を潤ませながら答える。
(閻魔様に伝えて頂戴。私の家族は何も悪くないのよ、ってね)
その声に小町は振り返る。
少し、魂は体を震わせると、音も無く霧散していく。
小町は漕ぐのをやめる。
雨の振る中死神が一人立つ。
死神は声も無く泣いていたが、涙は船に落ちる前に雨と混ざっていく。
辺りに響くのは、雨が川面を打つ音のみ。
小町は拳を握り締める。
必死に漕いでいたては血が滲んでいる。
しばらくした後、小町は天を仰ぎ見る。
重い曇り空のみがそこにあった。
幻想郷の外れ。
彼岸の季節になると、美しい彼岸花が咲く地に死神がいる。
死神はいつものんびりとしている。
でも、彼女は自殺しようとしている者を見ると、とてもとても怒る。
だから、自殺しようなんて考えないほうが良い。
自殺しようなんて人間は殆どが『考えすぎた馬鹿』だと、彼女も言っていたから。
しまうとは・・・。
いかにその罪が重かろうとその魂の行いは閻魔様に届いて欲しいですね。
とても良い話でした、面白かったです。
悪くないのに罪になるってのはやりきれませんよね。
これは前作の以前にあった話でいいんですよね?
現在の小町になるまでのシリーズ化希望!前作の後の話を読みたいです。
悲しいお話でしたが、小町の魅力は十分に伝わりました。
そういう奴には罪が在るかも知れないが本当に可哀想なのは他人の為に自殺をした人なんだよな。
他人の為を思ってやった事が自分への罪になるなんて惨いなぁ。
小町の考えが心に染み入ってくるようで良かったです。
ぜひ続きも読みたいですね。