※地霊殿のネタバレを多量に含みます。ご注意下さい。
その日、幻想郷は久方振りの晴天に恵まれていた。
暦的に冬と呼ばれる季節に入って以来、ほぼ皆勤賞の勢いで降り続いていた雪も、些か息切れの気配を見せ、
住人たる人妖達は、縁遠くなって久しかった太陽のお出ましに多いに歓喜し、
ついでに狂喜し、果ては乱舞に至り、数名が永遠亭送りとなったとか何とか。
まこと平和な連中である。
「まったく……歩き難いったらありゃしない……」
そんな自然の偉大さを、愚痴という名の呟きで一蹴しつつ、石段をゆっくりと登る少女が一人。
彼女の名は、アリス・マーガトロイド。
元々あまり外を出歩く性質では無い上に、基本的に飛行を移動手段としている彼女にとって、
雪の溶けかかった石段などは、いわば拷問に等しい代物とも感じられているだろう。
なら飛べよ。との突っ込みももっともである。
実際問題、わざわざ徒歩を選ぶ必要性などない。
強いて言うならば、本日ここ……博麗神社を訪れた理由に、些か猜疑的な物が含まれていた為、
ヒューと飛んで目的地でストンと着地する、通称ヒューストン型の訪問を好ましく思わなかったという所だろうか。
もっとも、石段の下までは飛んできたので、大して変わりは無いのだが。
「この忙しい日にもう……」
アリスの愚痴は、依然として止まない。
しかしながら、物事にはいつか終わる時が来る。
……という程大層なものでもないが、博麗神社の石段はそう長いものでもなく、
幸運にもアリスの体力が尽きるよりも先に、終着点たる鳥居をくぐることに成功していた。
連日の降雪は、未だ色濃く影響を残しており、博麗神社ほぼ白一色に染め上げられていた。
そんな中、ただ一つ異彩を放っていたのが、軒下に佇む巫女装束の人物。
巫女服とは名ばかりのロケット袖完備なアレではなく、白の襦袢と緋袴という正統派の装束であったが、
それを身に着けている人物が、日本人的外見からは程遠い輩であったせいか、
良く言えばオリエンタルな雰囲気、悪く言えばコスプレふうぞ……もとい、喫茶からの脱走者というのが実際の印象である。
「(酷いミスマッチね……恥ずかしくないのかしら)」
正直な感想を心の中で述べていると、件のコスプレ巫女が視線を上げた。
刹那、二人の視線が交錯する。
「ごきげんよう、七色の人形遣い。博麗神社へようこそ」
「……ごきげんよう。住人でもないあんたの台詞じゃないわね」
満面の笑みを浮かべて出迎えたのは、隙間妖怪こと八雲紫。
幻想郷の妖怪と言えば真っ先に名の挙がる大物であり、そして今日、アリスを博麗神社へと呼び出した人物だった。
この二人、顔を合わせる機会は何かと多かったりするのだが、純粋な一対一の対面となると皆無に等しかったりする。
必ずと言って良いほど他の誰か……主に二名が、同時に居合わせる事になるというのが理由だが、
今日は数少ない例外に分類される日であった。
「いいの。霊夢が居ない間は、私が巫女さんなの」
「自称、でしょ?」
「……本当は他称でも良いんだけど、霊夢に提案したら、力いっぱい蹴られたわ」
「ま、当然ね。……それで、一体何の用なの? 今日は色々と忙しいんだから、下らない用件なら帰るわよ」
「と、いう事は、魔理沙はもう出立したのね」
「ええ。一時間程前になるかしら。勿論、あの人形も持たせたわ」
ここを訪れるに先立ってアリスは、激励という名の口先八丁をもって魔理沙を送り出していた。
行き先は、地底。
無数の間欠泉の噴出と、それに伴った地霊達の跋扈という、幻想郷を現在進行形で襲っている異変。その調査の為である。
当初、アリスは傍観する姿勢を取っていたのだが、本来真っ先に動き出すであろう霊夢が、一向にその気配を見せない事と、
もっとも身近な人間……魔理沙が、この懸案に対し、やや間違った方面で興味津々であった事から、調査へと赴くように仕向けたのだ。
「そう。本職の貴方のお眼鏡に適ったようで嬉しいわ」
「私としては少し複雑なんだけどね」
この一件にあたってアリスは、殆ど未知の世界とも言える地底の情報を収集すべく、
幻想郷最古参の妖怪である紫へと相談を持ちかけていた。
その際、通信手段の確立について話が及び、明確な返答が出来なかったアリスに対し、紫が溜息混じりに提案した品が、件の人形である。
溜息が出るほど精巧であり、思わず見惚れるまでに美しく、しかも通信手段としての機能をも兼ね備えたその人形は、
専門家を自負するアリスをして『人形革命だッ!』と、感嘆しているのか嫉妬しているのか判別に苦しむ感想を漏らす程の逸品だった。
もっとも、ビームが尻から出るという一点においては、首を傾げざるを得なかったが。
「ま、立ち話も何だし、上がって頂戴」
「……だから、どうして貴方が住人気取りなのよ」
一応突っ込んでは見たものの、居住区域へと淀みなく案内する紫の姿に、殆ど違和感を覚えないのも事実である。
案外、気取りではなく、ただの事実なのかも知れない。
そんな事を考えつつ、アリスは紫の後へと続いた。
◇
居間だった筈の部屋へと足を踏み入れたアリスは、自らの目を怪しみ、訝しみ、疑った。
「何よ、これ……」
彼女が博麗神社を訪れた回数は決して少ないものではなく、故に内部構造に関してもそれなりに把握している。
だが、湯飲みと蜜柑と煎餅の皿くらいしか置かれていた記憶の無い卓袱台には、
金属製の箱状の物体が触手状の線を四方八方へと延ばしつつ鎮座されており、
茶と茶菓子しか入っていないと評判だった箪笥は、難解な題の記された書物の山に、完全に覆い隠されている。
果ては、体育座りをする場所としか認識されていなかった部屋の隅まで、用途の分らぬ様々な道具が無数に転がっている有様である。
エントロピーの増大は自然の摂理、と物理学方面に逃げる事も出来ようが、この変貌は些か性急に過ぎる。
「散らかっているように見えるでしょうけど、これが今のところ一番理想的な状態なの。我慢してね」
「それ、ダメ人間の典型的な言い訳じゃないの……」
身近にダメ人間が一人いるせいか、妙に説得力が感じられる呟きであったが、
当然の如くそれを軽く聞き流した紫は、件の箱状の物体の前へと腰を下ろす。
「ほら、いつまでも突っ立ってないで、適当に落ち着いて頂戴。お茶は……面倒だから自分で淹れて」
「はいはい、お構いなく。……ったく、落ち着く場所も無いじゃないの」
アリスは不満気に呟きつつも、散乱する品々を動かしては、自らの場所を確保して行く。
明らかに手馴れている様子だった。
「さて……最初に伝えておきましょうか。
つい先刻、霊夢も地底へと向かったわ」
「え」
それは、アリスにとっては初耳の情報であり、更には予想外の事実でもあった。
元々、霊夢が動こうとしないから、というのが、魔理沙を送り込んだ理由であったのに、
その前提が覆されてしまったとあっては、心中穏やかではないだろう。
「事後承諾になってしまったけれど、許して頂戴。
私はこの作戦の責任者として、出来うる限りの手段を模索しなければいけなかったのよ」
が、機先を制する形で、紫が頭を下げた為、アリスは抗議の声を上げる機会を失った。
考えてみれば、もっともな話ではある。
未知の世界の調査など、一人よりも二人のほうが良いのは言うまでもなく、
また、それが霊夢であれば、異を唱える必要性など見当たらない。
早い話、動くんなら先に言えよ。という、わかりやすい不満を覚えただけなのである。
「……でも、こんな怪しい依頼、霊夢が良く引き受けたわね」
「だから、今になってようやく伝えられたのよ。
……まあ、お陰で色々と骨を折る羽目になったわ。具体的には、鎖骨と肋骨と尾骶骨を」
「そ、その割には妙に元気そうね」
「慣れてるもの」
紫と霊夢の間にどのようなやり取りが繰り広げられたのかは定かではないが、
使用された言語が肉体言語であったのは確かだろう。
この二人のの関係は、アリスをもってしても今だ理解不能であった。
「で、私を呼んだのはそれを伝える為? ……違うわよね。それだけなら、隙間通信で事足りるもの」
「ええ。こうなった以上、情報源も統一した方が何かと対策を取りやすいと判断したからよ」
「……なるほど。道理ね」
これにより、居間がカオスになっていた理由も、おぼろげながら判明した。
紫はここ博麗神社を、地底遠征隊の作戦本部として運用する心積もりなのだ。
「(で、私はその人員として駆り出された、と)」
不思議と腹は立たなかった。
確かに利用された形とはなっていたが、元々この地底侵入作戦自体が紫の発案したものであり、
それに乗った以上、異議を唱える理由が無いと思ったからだろう。
「一つ、聞いておきたいんだけど」
「何かしら」
「魔理沙と霊夢は、お互いが動いている事を知ってるの?」
「……あ。そういえば言ってなかったわね」
「言ってなかったわねって、そんな大事な事を……」
「平気よ平気。目的は同じなんだし、嫌でも合流する形になるでしょ」
「……だと良いんだけどね」
この時、何故かアリスは、確信に近いものを覚えていた。
すれ違い続けるんだろうな、と。
会話が途切れたのを機に、紫は行動を開始していた。
奇妙な文字列の映し出された箱状の物体を眺めては、手元の文字盤をかちゃかちゃと叩き出し、
ああでもない、こうでもないと独り言を呟きつつ、山積みとなっていた文献へと手を伸ばす。
時折、後ろ手に隙間を展開しては、その中に向けて話しかけたり、何かを放り込んだりと、忙しないことこの上ない。
結果的に放置される形となったアリスであったが、事態が進展を見せるまでは出来る事も無く、
かといって、全身から私忙しいんですオーラを出している紫に話しかける気も起きず、結局は黙して茶を啜る以外に術を持たずにいた。
無論、無断拝借しつつ、自分で淹れたものである。
「(まるで自分の仕事場感覚ね……いえ、強ち間違いでもないのかしら)」
博麗神社は昨夏、大地震の直撃を受け、倒壊の憂き目を見ている。
そして、再建が為された当日に再び倒壊するという離れ業を演じていた。
即ちここは、二度建て直された社という事になるのだが、それを指揮したのが紫である事は既に周知であった。
それならば、神社内部に紫本位の改造が加えられていたと考えても、何ら不思議ではないだろう。
「(って、それじゃあの天人と変わりないじゃないの)」
他者には実力行使を伴った説教をしておきながら、自らの行為は棚に上げる。
実に卑怯であり、実に紫っぽいやり口であるとも言える。
「……何か変な事考えてない?」
「ひゃい!?」
予期せぬ至近距離からの声に驚いたのか、アリスはお約束とばかりに湯飲みを取り落とす。
幸いにも身体には触れなかったものの、零れ落ちた茶が、真新しい畳へと広がっていた。
紛うことなき悲劇である。
「あー、もう、新築なんだから気をつけて欲しいものね。私がマイホームパパだったら、百年戦争が始まってるわよ」
「き、急に顔を近づけるあんたが悪いんでしょ!」
口を開かれた際の距離、推定二寸。
おおよそ、世間話をするような距離感覚ではない。
しかしながら、紫のほうはまったく気にした様子も無く、今は何処からか布巾を取り出しては、畳をぽんぽんと叩いている。
そんな主婦的動作と第一種接近遭遇とのミスマッチが、八雲紫という存在の謎を深めていた。
「そう? ま、良いわ。それよりも貴方は魔理沙と通信を始めて頂戴。そろそろ何か動きがあっても不思議じゃないわ」
「え? あ、ああ、わ、わかったわ。……ふぅ」
今だ収まらぬ動悸を隠しつつ、アリスは一体の人形を手に取った。
紫いわく、魔理沙に持たせた人形は、ゼットンの熱光線にも耐えうる耐熱機構と、絶対零度をも鼻で笑う耐寒性を併せ持ちながら、
戦闘時には大和級の火力を発揮し、寂しい時には小粋なギャグで心に潤いを与えてくれるナイスドールとの事だが、
今、アリスの元にある受信機にあたる人形に、そんな大層な機能は無い。
黒のとんがり帽子に、黒のエプロンドレスの金髪少女という、何処かで見たような造形が印象的な程度である。
これは、魔理沙の声を届けるのだから、魔理沙の姿形を取っているのは極めて自然な事だ。というアリスの意見から、採用されたものだった。
ちなみに、魔理沙の所持している人形は、別にアリスとは似ていなかったりする。
現実は、かくも厳しい。
「ぽちっとな……あー、あー、魔理沙。聞こえてるかしら?」
『ば、馬鹿な! 私は幻聴が聞こえる程に疲弊してるのか? この先が思いやられるぜ……』
魔理沙っぽい人形の口から、魔理沙らしき口調で、魔理沙そのものの声が流れ出す。
当たり前の事の筈なのに、何故か高揚感を覚える光景である。
「奇遇ね。私も少し、今後に不安を感じてるところよ」
『……冗談だ。しかしこの人形、会話まで出来るとは知らなかったぜ。お前の技術力もまだ捨てたもんじゃないな』
「え、あ、そ、それは、その」
『ん? どうした?』
言葉に詰まったアリスは、縋るような視線を側方へと向ける。
が、その先にいた人物……紫からの反応は無い。
いや、意図的に反応しなかった、とでも言うべきだろうか。
「……そ、そう思うなら、少しは感謝しなさい。苦労したんだからね」
『んー、それは役に立つかどうか判断が付いてからにするぜ』
「それで、そっちの様子はどうなの? まだ何事も起きてない?」
『やたら風が強くて不快な事くらいだな。平穏なもんだ』
「そう……何かあったら連絡しなさいよ」
『気が向いたらな』
会話が終わると、アリスは人形から顔を離す。
……と、同時に畳へとへたり込んだ。
「……あー……ううー……うーあー……」
「……自己嫌悪するくらいなら正直に言えば良かったのにねぇ」
「言わないで……もう十分後悔してるから……」
事実の湾曲を責めようとしない紫の余裕が、なおのこと恨めしかった。
あの娘さんったら、人形に関してなら上下左右に出るもののいないと噂のアリスちゃんじゃございませんのこと?
と、ご近所の奥様方にも認識されていた筈の技術力は、実際には紫の片手間仕事以下だったことが判明してしまった訳だが、
それを認めないほどアリスの心が狭いという訳ではなく、すべては魔理沙の意図なき発言が原因である。
少女でありながら天然プレイボーイとの呼び名も、強ち間違いではないのかも知れない。
「さて、と。それじゃ、私も通信してみましょうか」
ごとり、と音を立て卓袱台の上に置かれたのは、丁度手の平に収まる程度の大きさの陰陽玉。
紫はそこに細長い紐を取り付けると、先端部分に繋がっていた耳当てのようなものを装着する。
「何よ、その近未来的な装飾品は」
「ボイチャ用ヘッドセット……って言っても分からないか。ま、遠距離会話をし易くする為の道具とでも思ってくれれば良いわ」
「はいはい。どうせ私は頭の堅い小物妖怪ですからね」
「卑屈ねぇ。誰もそんな事言ってないでしょうに」
苦笑いを浮かべつつ、アリスから視線を外す紫。
そして、徐に口を開く。
「あー、あー、ぐーてんもーげん霊夢」
『……』
「およ? 霊夢? 霊夢ちゃーん?」
『……』
返事は無い。
だが、僅かな息遣いやら、風切り音らしきものは、こちら側にも音として届いていた。
「もしもーし。聞こえてるなら聞こえてる。聞こえてないなら聞こえてないって言いなさーい。言わないと泣くわよー」
「いや、無理でしょ」
『うー……じめついてて気持ち悪いなぁ……暗くて殆ど何も見えないし……』
そこで初めて、霊夢の声が発せられた。
が、それは何ら指向性の感じられない言葉……即ち、独り言の類としか思えないものだった。
「あ……もしかしてあの子、受信スイッチ入れ忘れてるのかしら」
「じゃないの? あんた達の仲が、修復不能なまでに終わってるなら別だけど」
「空恐ろしいこと言わないで。……ん? 何で貴方にも聞こえてるの?」
「なんでって、陰陽玉から直接漏れてるわよ」
「……ふぅ。これだからバルク品は困るわ」
紫は深く溜息を吐くと、ヘッドセットを取り外し、後ろ手に隙間へと放り投げた。
文明の利器、早くも戦線離脱である。
しかし、実のところ、それは些細な問題に過ぎなかったのだ。
『……やっぱ帰ろうかなぁ』
「「え」」
陰陽玉から漏れたのは、決して霊夢の口から発されてはならない台詞。
だが、二人が同時に驚きの声を漏らしたという事実は、それが幻聴の類ではないことを証明していた。
『うん。そうよね……放っておけばいつか魔理沙が行ってくれるだろうし……』
「行ってる! もう行ってるから!」
『もう何もかも博麗の巫女が引き受けるって時代じゃないもんね。いわゆるグローバル化ってやつ?』
「閉鎖空間にグローバリゼーションを求めないでーっ!」
『……あー、でも、今帰ったら文句言われるだろうなぁ。何か理由でも見付けとかないと……』
「理由があったって怒るわよ! 私の尾骶骨に謝りなさい!」
『……よし、決めた。これを無くしちゃったって事にしようっと』
「ちょっ、れ、霊夢っ! 思い直しなさい! この計画の為に、私がどれだけの労力を注ぎ込んだと……」
まるで子供のような理論を展開し始めた霊夢に、すっかり余裕を失った様子の紫が、陰陽玉に噛り付くようにしては声を枯らす。
だが、悲しいかな、霊夢にそれが伝わる事はない。
利便性を求めて導入した筈のデジタル化は、奇しくもその弊害のみを如実に示したのだ。
『とぉりゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ』
霊夢の叫び声が、ドップラー効果を実証するかのように遠ざかって行く。
それの意味するところは、映像が無くとも容易に想像が付いた。
文字通り、霊夢は投げたのだ。
「あ、あ、あ……」
「ゆ、紫……」
ぺしゃり、と卓袱台に突っ伏す紫。
流石に気の毒に思ったのか、アリスが声を掛けんと近づいたその瞬間だった。
『おお? 人間とはめずポウッ!?』
聞き覚えの無い声。
続けて鈍い衝撃音。
最後のマイケルっぽい一声は恐らく……断末魔。
音声状況のみにも関わらず、経緯がほぼ完全に見えてしまったのは何故だろうか。
「……調べるよりも先に、片付いたようね」
「……ええ」
どうやら、対地底の第一戦は、会話どころか、戦闘という認識すら無いままに方が付いたようだ。
名乗る事すら出来なかった被害者には、同情の念を禁じえない。
もっとも、この一撃で終わった程度である事から、どう足掻いても結果は変わらないのだろうが。
『ありゃ……私の遠投力、まだまだ衰えてなかったわね』
「感慨に浸る部分が違うでしょうが! お馬鹿っ!」
『わ!? ゆ、紫っ!?』
そこで初めて、霊夢から指向性のある言葉が放たれた。
「霊夢……今、何をしようとしていたの? というか、迷わず実行したわね?」
『え、な、何で!? こ、これ、会話なんて出来たの!?』
「……少々説明不足だったのは認めましょう。身を挺してデジタル化の波をもたらしてくれた地底妖怪には、感謝してもし切れないわ。
でも……それが貴方の側の言い訳にならない事くらいは分かるわよね?」
『も、もしかして……聞いてた?』
「ええ。一から十まで聞いて、百を知ったというところかしら。そして今は、千を口にしたい心境よ」
『あ、あの、こ、これは、ええと……』
「これは?」
『い、意思疎通の難しさを知らしめる悲劇というか、やっぱり面倒だったというか、その……』
「霊夢」
『……ごめんなさい』
「良くないけどよろしい」
「(霊夢が素直に謝った!?)」
そんな中、アリスは妙な点で驚きを覚えていた。
霊夢とはそれなりに長い付き合いではあったが、謝罪の言葉どころか、自らの非を認めた事例すら、殆ど記憶に無かったからだ。
目の当たりにする機会が訪れるほどに深い関わりを持たなかったというのもあるが、
少なくとも今行われたそれは、特筆に価すべき事項だろう。
『……でも、仕方ないでしょ。目的すら分かんないのに、やる気を出せってのが無茶な話じゃないの?』
「言ったでしょう。私自身も良く分かってないって。だから貴方は、何も考えずに、目の前の敵を撃ち倒しなさい。
そういう意味じゃ、今の一投は良かったわよ。結果オーライとも言うけど」
『本当? なら、この先も投げて良い?』
「……」
『じ、冗談よ。この博麗霊夢、保身……もとい、幻想郷と偉大なる紫様の為に粉骨砕身する所存であります』
「……結構。良き成果を期待するわ」
どこぞの司令官の如き言葉で通信を終える紫。
その面持ちは、決して芳しいものとは言えなかった。
当然である。
「ふぅ……今後が不安になってきたわ」
「そうかしら。 私は案外、何とかなる気がするけど」
「……? どういう意味かしら」
「さあね」
アリスは答えなかった。
◇
それは、最初の通信からおよそ一時間後の事だった。
『おーい! アリスー!』
「はいはい、どうしたの? 何か進展でもあった?」
切迫した様子に聞こえない事もない叫びであったが、至って平静に受けこたえるアリス。
魔理沙の地の声が大きい事。そして、人形の音量調節機能を理解していない事を知っていたからだ。
『今、地下何階だ?』
「は?」
『いや、十階を越えてるなら、そろそろセーブポイントがあってしかるべきかと思ってな』
「……三つ、突っ込んで良い?」
『おう、許可するぜ』
「どうして偉そうなのよ……ええと、まず、ダンジョンだからってセーブポイントが存在するとは限らないでしょ。
そもそも現実にセーブポイントなんて無いわよ。更に言うと、洞窟には本来、階層の概念なんて無いものよ」
『……おかしいな。私の耳には四つ聞こえた気がするぜ。
これはアレか、アリスなりの深謀遠慮あっての事と解釈しても良いのか?」
「う、うるさいわね! 言い間違えよ! わざとよ! ごめんなさいでしたっ!」
『どっちだよ』
正解はどちらでもなく魔理沙のせいなのだが、突っ込まれる事に慣れていないせいか、アリスは気付かない。
もっとも、突っ込みには慣れている時点で、何か間違っているが。
「……用がそれだけなら切るわよ」
『あ、いや、ちょいと待った。実はもう一つ質問がある』
「また下らない用件だったら爆破するわよ」
『こわっ! やっぱり早いうちに投げ捨てておくべきだったか』
「止めなさい。また被害者が出るから」
『……また?』
「おほん……こっちの話よ」
別段、霊夢の存在について触れる事を躊躇った訳ではない。
単に、説明がややこしくなりそうだったからである。
『あー、それでだな、実はさっきから、このダンジョンのボスらしき奴が、私の前に立ってるんだが』
「どうしてそういう事を先に言わないのっ!」
『お前が変な突っ込みとかするから?』
「なんで疑問系なのよ! 大体、最初にボケる魔理沙が悪いんでしょうが!」
『漫才論はとりあえず置いといて、だ。何かこいつの情報は無いか? 出来れば、一発で倒せる弱点とか、そういう都合の良い奴を頼む』
「……ちょっと待ちなさい」
軽く溜息を吐くと、アリスは人形の瞳を覗き込む。
これは魔理沙側の人形の瞳と繋がっており、視覚情報が伝えられているようになっていた。
が、音声のように上手くはいかないのか、今ひとつ不鮮明な映像であり
金髪の少女らしき何者かが、苛立たしげに立っているという程度しか見えないというのが現実だった。
「こんなんじゃ何も分からないってば……まあ、わざわざ待っている辺り、律儀な奴なのかもしれないけど……」
{それはどうかしらね。私の見立てじゃ、貴方に負けないくらい性格歪んでそうよ}
「誰が歪んでるってのよ……ん?」
若干反応が鈍かったのは、余りにも自然に会話へと入り込んできたからだろうか。
それは、紫でもなければ魔理沙でもない、予期せぬ第三者の声。
しかも、特定が容易なほどに聞き覚えのあるものだった。
「……紫? どういう事?」
「あら、言ってなかったかしら。この作戦、私よりも先に立案した奴がいるのよ。
で、アドバイザーとしてくらいなら当日も協力するって言うから、直通回線を繋いでおいたの。ほら、それよ」
「……」
紫は画面から目を離さずに、指先だけを動かして指し示す。
そこには、円筒状に綺麗にカットされた水晶が、淡い光を放っていた。
{……それにしても、相変わらず段取りが悪いのね}
「考えることと、実際に行う事は別問題。今のところはまだ許容範囲内よ」
{境界を操る貴方にとっては便利な言葉でしょうね。何が起こってもその一言で済ませられるもの}
『おーい、一体何が起こってるんだ? 今、紫とパチュリーの声が聞こえた気がしたんだが』
『私を無視してぶつぶつと……本格的に気が触れる前に帰ったほうが身のためよ』
「あーもう! 一斉に喋らないでっ!」
ばこん、と卓袱台が音を立てる。
それを合図に、都会の雑踏の如き不協和音はぴたりと収まっていた。
「……まず、紫。こっちは良いから、あんたは霊夢のサポートに専念してて」
「え、ええ、了解よ」
「次、パチュリー。もう経緯は面倒だから聞かないわ。
ただ、アドバイザーを名乗るなら、それに相応しい仕事をして頂戴」
{あの妖怪に関して調べろと?}
「そういう事。あまり期待はしてないから、程々で良いわ」
{抗弁の余地はあるけど……話が拗れるのも面倒ね。分かったわ}
「で、魔理沙。そういう訳だから、あんたはその妖怪の相手をしなさい。何か分かったら伝えるから、回線はそのままでね」
『お、おう、任せろ』
「あと……誰だか知らないけど、迷惑かけるわね」
『え、ええ。ご丁寧にどうも』
「全員分かったわね? じゃ、カウント始めるわよ」
『『「{……カウント?}」』』
「3、2、1……GO!」
号令と共に、事態は一気に動き出した。
紫はその口を閉ざしては再びモニターの前の人へと戻り、水晶の向こう側からは、ぱらぱらと紙を捲る音のみが聞こえるようになり、
そしてアリスの眼前の人形は、弾幕戦と思わしき爆音を響かせ始める。
当事者でもなければ、作戦の根幹にいたわけでもない。
単なる魔理沙のサポート役でしかなかった筈のアリスが、この場を支配した瞬間だった。
「(……何で、素直に言うこと聞いてるのかしら、私)
ようやく、と言って良いのか、紫がそんな疑問を頭に浮かべた頃だった。
『……ゆかりー……』
お世辞にも景気が良いとは言えない声が、紫の耳へと届いた。
「霊夢? どうしたの?」
『ちょーっと、ピンチかも……』
「……え?」
意外な発言に、紫は慌てて陰陽玉を覗き込む。
そこに映し出されていたのは、アリス達の人形と同様、些か不鮮明な映像。
しかし、僅かに見える人影と、妙に低い視点という二点の報から、状況を推測するのは容易だった。
即ち、何者かとの戦闘によって、地面に落とされたのだ、と。
◇
「あたた……おかしいなぁ、こんな筈じゃないのに……」
腰をさすりつつ、ゆっくりと立ち上がる霊夢。
左程大きなダメージではないのか、目立った外傷らしきものはない。
「弱い。弱いなぁ。というか、やる気そのものが感じられないよ。
人間の癖に、こんな地の底まで潜ってくる度胸はあるってのに……気に入らないねぇ」
その眼前で苛立たしげに吐き捨てたのは、力の勇儀と名乗った鬼。
霊夢が地底へと突入してから初めてとなる、本格的な戦闘行為の相手だった。
「……うっさい。こっちにだって事情ってもんがあるのよ」
『ちょっと、霊夢。事情って何よ。今日はあの日じゃないでしょ?』
「あんたも黙れ! というか、何で知ってるのよ!」
『企業秘密。……で、こんな所で何を手間取ってるのよ』
「その……アミュレット忘れてきちゃったのよ。陰干ししてたらつい……」
『ああ、虫に食われたとか言ってたものね。退魔針は?』
「いや、縫い物に使ってて、そのまま針箱の中に……」
『……仕方のない子ね。趣に欠けるけど、さっさとムソーフイーンで終わらせなさい。今日は手段を選ばずとも良いわ』
「……」
『……霊夢?』
「ス……スペルカードも忘れてたりして……あ、あはは……」
『って、何も持ってきて無いんじゃないの! あほちん!』
この時霊夢には、見えていないにも関わらず、紫の表情が手に取るように理解出来た。
当然だが、それは歓迎できる類の表情とは思われず、戦闘中でなければ、反射的に謝罪してしまう場面であろう。
「あほちんって……そ、その、私って一応、スペルカードルールの提唱者だし、それくらいはハンデの範疇かなーって」
『だからって徒手空拳で何をするつもりなのよ!? アフガン航空相撲!?』
「……法螺を吹くならもう少し信憑性を持たせるこったね。ほんの挨拶代わりで落ちられちゃ、仕掛けた私が悪いみたいじゃないか」
『ほら! 思いっきり馬鹿にされてるじゃないの!』
「そ、そうなのよねぇ。……はぁ、どうしよ」
言い訳がましい言葉は、かえって紫を怒らせる結果となった。
実際のところ、もう少しまともな抗弁も出来たのだが、それで事態が好転するかと言えば話は別だ。
余りにも一方的であったために、相手側に中断されるような弾幕戦を展開したとあっては、
博麗の巫女と名乗るには、余りにも情けない一幕だ。
『あー、そこの貴方』
「あん? ……ああ、さっきから独り言が多いと思ったら、そういう事か。それで、地上の妖怪が何か用かい?」
『……ええと、一分ほど待ってはくれないかしら。そうすれば、鬼たる貴方の期待にお答え出来るかと思いますわ』
「ん。別に構わないよ。このままじゃ私だって欲求不満だ」
鬼の矜持か、それとも突っ込みを入れなかった紫への敬意か、勇儀は左程悩むことなく頷いていた。
『ありがとう、感謝するわ。……さて、霊夢』
「い、言っておくけど、今は本調子じゃないだけよ。右肩に少し違和感があるせいで……」
『岩隈みたいなこと言ってないで、私の話を聞きなさい』
「……何よ」
『脱ぐのよ』
「は?」
大真面目に理解不能な台詞を吐く。
紫がそういう輩である事は、霊夢も重々承知していたが、流石にこの状況下においては辛いものがあった。
公開ストリップを演じて見たところで、一番喜びそうな輩は、この陰陽玉の向こうなのだ。
『おほん……言い方が悪かったかしら。そのロケット袖、取り外して裏返してみろと言ってるの』
「……余計に訳が分からないんだけど。というか、勝手に変な呼び名付けないでよ』
『いいからさっさとする!』
「わ、分かったわよ……」
相変わらず意味不明であったが、今は従う他に術が無いと見たのか、
霊夢は言われた通りに、袖を分離させる。
ともすれば、風に軽く飛ばされる筈のそれは、一直線に地面へと落下した。
「……そういや、冬服にしたって、妙に重かったわよねこれ」
いくら布地を厚くしたところで、そこまで極端な重量感を覚える筈もない。
だとすると、袖そのものに何か仕掛けがあると見るのが常道だろう。
今の今まで気付かなかったのは何故か、という疑問もあろうが、それにはまた別の理由があったりする。
ともかく、そう考えた霊夢は、改めて袖を手に取ると、裏返しては軽く振って見せる。
衣服にしては妙な重さ。そして、何かが擦れるような音が聞こえていた。
『あ、それ冬服だったのね。どうりでカモフラージュの余地があった訳ね』
「一体何を言って……あ」
その時、袖から複数の紙片が、パラパラと零れ落ちる。
福沢諭吉の肖像画だったらなら、それはそれで驚いたろうが、それにしては些か小さく、硬い。
紛れも無きスペルカードである。
「あ、あんた、何時の間にこんな仕掛けを……」
『備えあれば憂い無し。何時まで経っても学習しない霊夢の為に、一肌脱がせて頂きましたわ』
「ぐぅ……」
怒るべき場面なのかも知れない。
だが、その備えが役に立ってしまった以上、霊夢が声を荒げられる訳も無く、
ぐうの音を出す程度の抵抗しか出来ずに居た。
『さ、それを使って、あの鬼を満足させてやりなさい』
「物凄く釈然としないけど……仕方ないか。
ええと、光と闇の網目に、生と死の境界に、夢と現の呪……って、これ全部あんたのカードじゃないの!」
『当たり前でしょう、私が仕込んだんだから』
「そういう問題じゃないっ! こんなものどうしろっていうのよ!」
『一応、結界系に絞っておいたから大丈夫よ。何せ貴方は、私の可愛い一番弟子だもの。
まさかとは思うけれど、私には扱えませーん、なんてスイーツな寝言吐かないわよね?』
「……本気?」
『マジよ』
望む望まざるは別として、紫から稽古を受けたのは事実であったが、
だからといって紫のスペルカードを自在に扱えるかと言えば、当然答えは否だ。
数百年来に渡って付き従っている藍ですら、模倣の粋から脱していないのだから、それが当然である。
だが、紫はやれと言う。
それはまるで出来る事を確信しているかのようだった。
「もう良いかい?」
これ以上待つのは無意味と悟ったのか、酒盃片手に勇儀が口を開く。
『お待たせしたわね。今から、そこの巫女の五割程度の力をお見せするわ』
「五割、か。舐められていると見るべきなのか、それとも期待すべきなのか、どっちかねぇ」
「あー……あんまり期待しないでくれると助かるわ……」
『あ、霊夢。最後の切り札を一枚、リボンの中に仕込んでおいたわ。いざという時は、それを使いなさい』
「……いい。もう聞きたくない。これ以上私に虚無感を与えないで」
「はいはい、お喋りの時間は終了。行くよっ!」
その宣言が、戦闘再開の合図だった。
◇
「ふぅ……」
安堵の色が存分に含まれた溜息を吐きつつ、霊夢は地面へと足を付ける。
「なんだなんだ、やれば出来るんじゃないの。お姉さんびっくりだ」
「誰がお姉さんよ、誰が」
時を同じくして、視線の先で勇儀が身を起す。
何故か、満面の笑みを浮かべて。
結果から言えば、霊夢は勝った。
弾幕戦の申し子と称される彼女と言えど、実際に使用した事もない弾幕で戦闘に望むのは半ばギャンブルのようなものだった。
事実、四重結界は一枚ずつバラバラにしか展開されなかったし、光と闇の網目は光と闇の升目と呼ぶほうが正しく感じられる代物であり、
客観結界に至っては、弾幕の代わりに何処かで見たような狐と猫が吹っ飛んでいく始末であったが、
それでも何とかなってしまった辺りは、博麗の巫女の為せる技とでも言うべきであろうか。
「借り物ってのが少し引っかかるけど……ま、それだけ使えるならこの先も大丈夫かね」
「……あっそ」
満足げに頷く勇儀であったが、霊夢の表情は芳しいとは言いがたい。
そもそも、先に進む事を好ましく思っていないのだから、当然と言えば当然なのだが、
多いに間違った紫の弾幕が評価されてしまった事もまた複雑だった。
「にしても、その球の向こうにいる妖怪、何者だい? あんたのお師匠さんらしいけど」
「……それはあいつが勝手に言ってるだけ。やたら私に関わりたがる、ただの傍迷惑な妖怪よ。
今日にしたって、間欠泉と怨霊がどうとか、なんだか良く分からない理由で放り込まれたの。酷い話でしょ?」
「ふむん、間欠泉ねぇ」
「そうよ。今、地上のそこかしこで温泉ブームが到来してるの。それなのに、何だって私がこんな所に……」
「……いや、多分、その判断は間違ってないね」
地面に胡坐をかいては、なにやら考え込むように腕を組む勇儀。
実に様になる姿だった。
「うぇー……もしかして思い当たりあるの?」
「普通、喜ぶ場面だと思うんだが……まあ、あるよ。多分、地霊殿の連中の仕業だろう」
「そこって、遠い? とても人間には辿り着けない場所だから、諦めるほうが賢明?」
「残念だけど割と近い。……まあ、細かい話はおいおいするとして、一杯付き合う気は無い?
あれだけ使えるんだから、こっちのほうも行ける口なんだろう?」
そう言うと、杯を傾けるような仕草……ではなく、本当に杯を傾けては酒を口へと運んでいた。
弾幕戦の実力と酒の強さに何の関連性があるのか。と言いたい所だが、
二重の意味で疲労が溜まりつつあった霊夢にとって、それは中々に魅力的な提案であった。
「……そうね。ちょいと疲れたし、ご相伴に預からせて貰うわ」
「そう来なくっちゃ。ま、つまみは無いけど我慢してくれ」
「あー、それは大丈夫」
その時、勇儀は初めて気が付いた。
出会ってから今の今まで、霊夢が鞄らしき物を背負ったままだったという事に。
「んしょ……ふぅ。ようやく荷物が片付くわ。ったく、これのせいで……」
愚痴に混ざって、どさり、と音を立てて置かれる鞄。
その中から取り出されたものは、これまた重量感溢れる風呂敷包み。
大きさからして、三段重ね程度の重箱であると見受けられた。
「……参考までに聞くけど、何なんだいそりゃ」
「お弁当。いらないって言うのに、無理矢理持たされたのよ。こっちじゃ人間用の食料が手に入る保障なんて無いからって」
「いや……そりゃ正しい判断だけど……あー……えーと……」
「ん? どしたの?」
「……いや、何でもないよ。そう思う事にする。でなきゃ、やってられん」
「……?」
元より追求する気など無かったのか、霊夢は疑問を浮かべつつも、風呂敷包みを開封しては、お目見えした重箱を展開する。
眼下に映るは、素人目にも凄まじく気合の入った料理の数々。
それらは皆、弁当にありがちな、揺ぎ無く詰め込むというスタイルではなく、
蒲鉾までわざわざ斜めにずらして立てるという、しっかりとした盛り付けが為されていた。
「(……まさか……)」
今思えば、霊夢は戦闘の際、殆ど固定砲台と化していた。
もしやそれは作戦などではなく、単に弁当の型崩れを防ぐ為だったのだろうか。
意図していたかどうかは定かではないが、鬼も舐められたものである。
「また無駄に気合入れちゃってまぁ……海苔弁で十分だって言ってるのに」
「馬鹿っ! 寄さってない海苔弁なんて海苔弁って言えるかっ!」
「……え? なんで私、怒られてるの……?」
「……もう良い。呑もう。ほら、お前も呑め」
自ら酒盃を傾けつつ、何処からか二つ目の酒盃を取り出すと、どくどくと酒を注ぎこむ勇儀。
本人は気付かなかったが、それは世間的に自棄酒と呼ばれるものだった。
「(……ヤバいなぁ。この人間も、その妖怪も……)」
◇
『という訳だから、情報収集がてら、少し頂いてくるわ』
「……まあ、今のうちに休んでおく必要もあるわね。でも、程々にしておきなさいよ」
『はいはい』
「返事は1.3回よ」
『はいは……出来るかっ!』
怒鳴り声を最後に、通信が途切れた事を確認すると、紫は陰陽玉から顔を離しては、大きく伸びをする。
「くぅーっ……ふぃー。まったく、世話の焼ける子ねぇ」
「……」
「この先、本当に大丈夫かしら……もっと布石を打っておくべきだったかもしれないわね」
「……」
「アリス? どうしたのよ、さっきから黙りこくっちゃって」
「……いや……もうカルチャーショックで何が何だか……」
「……?」
疑問符を浮かべる紫を横目に、アリスは深く溜息を吐く。
ここ、博麗神社を訪れてからの数時間で、彼女の中にあった霊夢像は、粉微塵に打ち砕かれていた。
無論、基本的に駄目人間との印象は以前から持っていたが、問題はそのべクトルだ。
決して他者に依存しない。との風評は、一体何処に消えてしまったというのだろう。
甘やかす紫が悪いのか、受け入れてしまう霊夢が悪いのか、それとも両方なのか。
はっきりしているのは、もはや博麗霊夢という存在は、八雲紫なくしては語れそうにないという事である。
「というか……流石にお弁当はどうかと思うわよ」
「……そう? 人間の不便な身体を考えると、無難な方策かと思ったのだけれど」
「だからって、もう少し他にやりようが……」
『おーい、アリスー』
その時、再び魔理沙からの声が届く。
「……ん? どうしたの?」
『どうしたの? じゃないだろ。ダンジョン突破したんで、一応隊長様に報告に上がったって訳だぜ』
「誰よ、隊長様って」
『いや、自覚が無いんならいいや。それよりも、説明してくれ』
「……何を?」
『お前、今何処にいるんだ? さっき、紫やらパチュリーやらの声が聞こえた気がしたけど、あれは幻聴じゃないよな?』
「ああ、そういえば言ってなかったわね」
一段落付いた今において、説明を渋る理由は無く、アリスは再確認の意味も込めて口を開いた。
霊夢も地底へと進攻を始めている事。そのサポートに紫が付いている事。
情報統一の為、自分も博麗神社に来ている事。これにパチュリーも協力している事。等々……。
『……よく分からん』
「でしょうね。正直、私も完全には理解出来てないわ」
『つーか、だ。そもそも私は、何でここにいるんだ?
流石にもう温泉ツアーだとは思っちゃいないけど、目的も知れずにダンジョン進攻なんて気味が悪いぜ。レベル上げでもさせたいのか?』
「……もう言ってもいいか。魔理沙、貴方が為すべきは、幻想郷に湧き出している間欠泉を止める事よ」
『止めるって、なんでまた』
「あんたが自覚してないだけで、これはもう異変と呼べる現象なのよ。放置しておくわけには行かないの」
『んで、原因が地底のどっかにあるってか』
「そういう事。で、霊夢の情報によれば、地霊殿とかいう館が怪しいらしいわね」
『……』
「魔理沙?」
『……なーんか、気が抜けたなぁ。それなら別に、霊夢に任せとけば良いんじゃないのか』
「……霊夢も同じ事言ってたわよ。あんた達、何時の間にそんな他力本願になっちゃったの?」
『あいつがどうかは知らないけど、私は元々平和主義者だぜ』
「……」
世界各国の平和主義者に、謝罪して回る必要があるかもしれない。
そんな益体も無い事を思い浮かべていたアリスの横から、突然にょっきりと手が伸びた。
「そんな平和主義者の貴方に朗報よ」
『ん? 紫か?』
「ええ。永遠の十七歳こと美少女ゆかりんよ。で、たった今入手したばかりのホットな情報があるんだけど、聞きたい?」
『是非聞かせてくれ。前半の寝言に比べれば、何だって有益だろうしな』
気のせいか、紫の顔色に紅いものが混ざる。
照れるくらいなら自重しろ。との感想は、平和主義者のパートナー故か、述べられる事は無かった。
「……おほん。その地霊殿とやらだけど、地獄より切り離された跡地の管理施設のようなものらしいわね。
言わば、冥界における白玉楼と近い感覚かしら」
『……』
「跡地とは即ち遺跡。遺跡には……何が遺されていると思う?」
『不思議だな。全身が活力で満たされてきた気がするぜ』
「それは良かったわ」
『という訳で、アリス。私は使命を果たす為、幻想郷の平和を守る為に地霊殿を目指す事にした。問題無いな?』
「……別に無いけど、少し休んでからにしたほうが良いわ。こんなところで焦っても仕方ないでしょ」
『ん……それもそうだな。妙に熱気が増してきた気がするし、悪くなる前に処理しとくか』
「処理とか言わないで。自傷衝動と加害意識が同時に芽生えてきそうだから」
『冗談だ。んじゃ、また後でな』
「……ふぅ」
通信を終えたアリスは、おもむろに左方へと視線を動かす。
田中邦衛のように口を窄めた紫がいた。
「……」
「……」
「……あんたもお弁当持たせてるんじゃないの」
「はっ、すみません」
言われるよりも早く、頭を下げるアリス。
返す言葉など、謝罪以外に存在する筈も無い。
{もしもーし、聞こえてる?}
「「……?」」
と、その時。傍らの水晶柱がぷるぷると振動すると共に、パチュリーの声が発せられた。
半ば存在を忘れかけていたせいか、二人の反応は些か鈍い。
……が。
{聞いて驚きなさい。さっきの妖怪について分かったわ。橋姫と言って、その名の通り、橋を守る嫉妬狂いの……}
「「遅いわアホッ!!」」
突っ込みだけは、世界記録を目指せる速さだった。
アドバイザー、早速失脚目前である。
◇
ほぼ時を同じくして地底の二人が休息に入った為、当然ながら地上の二人にも時間的余裕が生まれていた。
故に、手を掛けすぎた弁当の副産物を片付ける機会……要するに昼食にでも致しましょうか、と紫が提案したのは必然であり、
それは良い考えで御座いますわね、と奥様風にアリスが同意したのも、また当然の事といえよう。
「……しっかし、天下の隙間妖怪から、お手製の昼食をご馳走になるとは思わなかったわ」
「そう? 料理は結構得意なんだけど」
「イメージの問題よ。……まあ、今なら何となく納得出来るけど」
紫から提された昼食は、残り物と称するには勿体無いと感じるほどの出来栄えだった。
保存を前提にしているためか、やや味付けが濃く感じられはしたものの、鶏肉は精一杯鶏肉の役目を果たしており、
野菜は野菜の本道を踏み外す事なく懸命に生きていた……そんな意味不明な感想が浮かぶ程である。
「あ、そうそう。さっきの話って本当なの?」
「にゅ? 何が?」
「意味ありげなこと魔理沙に言ってたじゃない。遺跡があれば、そこにお宝がある、とか何とか」
「別に虚実は述べたつもりは無いわ。まあ、一般論を語っただけと言えばそれまでだけど」
「……って事は確証がある訳でも無いのね」
半ば出任せであると分かったところで、アリスに紫を攻める気はなかった。
事実として、魔理沙が気力を取り戻したのも理由の一つだが、
何よりもその情報は、アリスにとっても興味深いものだったからだ。
「(地底のお宝、ねぇ……文字通り、掘り出し物でも出てこないかしら)」
そんな会話を交わしつつ、比較的和やかなままに昼食を終えた二人であったが、
後片付けもそこそこに、半ば強制的なシエスタに突入せんとしていた。
腹が膨れれば眠くなるのは、人間も妖怪も変わりない、といったところだろうか。
『アリス! アリスー! アーリースー!』
そんな中、突如として連呼される名前。
「ふあぁ……んー、何よ、アリスアリスうるさいわねぇ……」
アリスは寝ぼけ眼もそのままに、人形へと顔を近づける。
と、何を思ったか、その頭部を平手で、すぱこん、と叩いた。
『うあ? 今、頭を殴られたような気がしたぞ?』
「……あ。そ、それはただのドライアードよ」
『木の精ってか。分かり辛いから止めとこうぜ。……えーと、何だっけ?』
「あんた自身が分からないのに、私が知ってる訳ないでしょ」
『ああ、そうそう、地霊殿とやら、侵入成功したぜ』
「……ちょっと早すぎない?」
『思ったより近かったしな。それに侵入って言っても、普通に正面から入っただけだぜ』
「人気がまったく無いってこと?」
『ああ。真紅に匹敵するな』
「そういう危険なネタは止めなさい! ……でも、それは妙ね」
『んむ』
次第に覚醒を始めた思考で、魔理沙からの情報を分析に入る。
仮にも管理施設であるというのに、人っ子一人居ないというのは、余りにも不自然だ。
魔理沙の事であるし、雑魚の類は数に加えていないだけかもしれないが、それにしても門番の一人くらいいても不思議ではあるまい。
……が、それが悪い事かと言えば、また別の問題だ。
「……」
ちらり、と横目を送ると、卓袱台に突っ伏して寝息を漏らしている紫の姿が見えた。
暢気なもの……とは思わない。
単に、休むべき時とそうでない時を、はっきりと区別しているだけなのだろう。
「(……これって、好機だったりするのかしら)」
この地底行の本題……異変の調査とその解決という名目を忘れた訳ではない。
だが、この弛緩しかけた空気と、魔理沙からの現地情報、そして先程の紫の言葉。
これらを統合すると、ある一つの方向性が見えてくるのも確かである。
それは、良く言えば蒐集家としての本質。悪く言えば魔理沙の影響か。
「……やる?」
『お。まさか、アリスのほうからその言葉が出るとは思わなかったぜ』
「これから先、こんな機会があるとは思えないもの。……半々でどう?」
『いやいや、直接動くのは全部私だぞ? 8対2ってとこが相場だろう』
何が、とはお互いに聞こうともしない辺りは、流石のコンビネーションと言ったところだろうか。
「ふぅん。途中で落盤に巻き込まれてゼロになっても良いの? 火薬量は豊富だし、あながち有り得ない話でも無いわよ?」
『脅迫か! こんな遠距離から、ネチネチと脅すのか! いや、相変わらず良い性格してるぜ』
「お褒めに預かり光栄。で、どうなの?」
『……分かったよ。6対4だ』
「OK。その線で行きましょう」
『ここは譲る振りをしておけばいいか、どうせ黙ってたら気付かないだろうしな……ですか。
いやいや、負けず劣らず良い性格だと思うわよ』
「!?」
瞬間的に、アリスの思考が切り替わる。
まるで噛み付くような勢いで人形に詰め寄ると、その瞳を覗き込む。
『わざわざこんな所まで来るとは……物好きな人間もいたものね』
『ちっ、しくじったぜ。この私としたことが、セコムだか総合警備だかの罠にかかるとはな』
『……? 思っている事と口にしている事がばらばらね。それは意図的なものかしら?』
一見したところ、物腰の柔らかそうな少女と映る。
だが、今魔理沙がいる場所は、今回の異変の黒幕がいるとされる場所、地霊殿だ。
外見的な印象などあてにはならないだろう。
『おーい、アリス。それで、何を聞けば良いんだ? 金庫の暗証番号だっけか?』
「……それは金庫を見つけてからね。とりあえず必要なのは、間欠泉を止める手段よ」
至極普通の受け答え。
だが、それは、自分の中に生じて止まない、不吉な予感を覆い隠す為のものだった。
『……貴方が霧雨魔理沙。そして、その人形の向こう側にいるのが、アリス・マーガトロイドね』
「えっ……」
『お? 自己紹介した覚えは無いんだがな』
『必要ありませんから。私は古明地さとり、この地霊殿の主人を務めています』
刹那、アリスの中にあった漠然とした不安感は、明確な危機を告げるものへと変貌した。
「……んー……どしたのー? おしっこ?」
会話を聞きつけたのか、シエスタの真っ最中であった紫が、むっくりと顔を起す。
「寝惚けてないで手伝いなさい! 少し状況が芳しくないわ」
「……どういう事?」
流石とでも言うべきか、間延びした声は瞬時に影を潜め、表情も真剣なそれへと一変する。
涎の跡が残っていた為、些かビジュアル面に問題は残っていたが、そこを突っ込んでいるほど、今のアリスに余裕は無い。
「聞きたいのはこっちの方よ、あんな奴の住処だったなんて……あの鬼、本当に信用出来るの?」
「ふむ……サトリ、か。確かに少々厄介ね」
モニターを覗き込んでいた紫が、神妙な顔で頷く。
他者の心を読むという危険な能力の持ち主で、地上から追放されたとの曰く付きの妖怪、さとり。
アリスが知っているのだから、紫もまた既知であって当然だろう。
「そうよ。まともにやりあったら、到底勝ち目……ちょい待った」
「ん?」
「……もしかしてそれ、私が見てる映像と同じもの?」
「そうよ。ほら、ケーブル繋がってるでしょ?」
紫が指し示す先には、箱状の物体から伸びる黒い線。
それは、アリスが覗き込んでいる魔理沙人形の背中に、しっかりと接続されていた。
「だったら最初から私にもそれ用意しなさいよ! 何だって会話の度に人形をハグしなきゃいけないの!?」
「え? 好きでやってるんじゃなかったの?」
「やるかっ!」
憤りに身を任せ、人形を力いっぱい放り投げる。
必要以上に重厚に作られたそれは、確かなコントロールをもって、紫の顔面に向けて飛んだ。
「へぶっ」
人形臀部の直撃を貰い、仰け反る紫。
黄金のケツと称されたそれは、人形の姿でも健在だったらしい。
「大体あんた、作戦の成功率上げる為とかどうとか言ってなかった!? それが何で、私の個人的趣味が関わってくるのよ!」
「ご、誤解よ誤解! お互い、やり易いようにするのが一番だと思ったから……」
「それとも何? お前みたいな根暗は人形さんとお話してるのがお似合いだ。とでも言いたいの!?」
「どれだけネガティブ思考なのよ……あ、ちょい待ち」
「まだ話は終わってないっ!」
「ち、違うわ、霊夢から通信なの」
アリスからの追求を避けるかのように指定席へと舞い戻ると、陰陽玉へと顔を近付ける紫。
何の事は無い。
紫の方も、好きでやっているのだ。
『あー、おかーちゃん? 俺俺。俺よ、俺』
「……誰よ、てめぇ……」
モニターに映し出されたのは、紅く上気した顔を、だらしなく歪める霊夢の姿。
それは世間的に、酔っ払いと呼び称されるものだった。
『てめーって言われた……でも泣かない。あたし宇宙さいきょーの巫女さんだもん』
「それは大きく出すぎ……じゃなくて、一体どうしたって言うのよぉ」
『んー、むふー、今ねぇ、みょーに気分いいの。だから、ちゃっちゃとお仕事終わらせてくるね』
「だ、駄目よ、駄目。今の貴方には酒成分過多の兆候が見られるわ! もう少し抜けるまで待つほうが賢明よ!」
『あはは、だいじょびだいじょび。あたしの手にかかりゃー、兎なんてひょいひょい、ってね。ひょっひょっひょっ』
「そんなのとうの昔に終わってるわよっ! 今の自分の使命を思い出しなさい!」
『にゅ? さくら?』
「それはもっと昔!」
『きり?』
「何でどんどん遡っていくのっ!」
『くろすちゃんねる?』
「ああ……もう訳が分からないわ……」」
『むー……おかーちゃん、おつかれ?』
「そうね、色々な意味で疲れたわ。後で肩でも揉んで頂戴」
『おっぱいは?』
「……検討しておくわ」
もはや、おかーちゃん呼ばわりされている事に突っ込む余裕すらなかった。
何故に、休憩する前よりも酷い有様になっていると言うのだろうか。
霊夢が自認する程酒に強くないことは知っていたが、このような状況で我を失うまで呑むとは、流石に想定の範囲外である。
『……あー、もしもし、地上の妖怪さん?』
「あ、貴方ねぇ……」
『いや、その……悪い。まさか、こんなに酒癖悪いとは思わなんだ』
「……まあ、大方あの子も、後先考えずにガブ呑みしてたんでしょう?」
『ああ……それで、どうする? このまま行かせても良いもんかな?』
「……もう良いわ。好きにさせてやって頂戴」
最初に考えた通り、まともに動けるようになるまで待機させるのが、普通の対応だろう。
だが紫はあえて、その逆の決断を下した。
『本当に? 片棒担いでおいて何だけど、この先どうなっても私は責任持てないよ?』
「構わないわ。自分の行動の責任は自分で取る。それくらいは、霊夢も分かってる筈よ」
『……いやはや、本当におかーちゃんだなぁ』
「お黙りなさい」
何故か、否定の言葉は出なかった。
「ね、ねぇ、紫。なんか、音声も映像も途切れちゃったんだけど……」
震える声。
振り向いてみると、先程までの激昂振りは何処へ行ってしまったのか、
今にも泣き出しそうな表情のアリスが、魔理沙人形の衣装をひん剥くという奇行に走っている所だった。
この光景を鴉天狗にでも見られようものならば……恐らくは記事になる事なく闇に葬り去られるであろう、それほどまでに正視に堪えぬ光景である。
「も、もしかして、今放り投げちゃったせいなの? 全部私が悪いの? 生まれてきてごめんなさい?」
「……少し落ち着きなさい」
とりあえず、猟奇的行動を止めさせる。
地の境界を隔てた遥かな遠方との無線通信は、まことデリケートなのだ。
そんな事で回復するなら、何処のプロバイダも苦労はしない。
「だ、だって……切れる直前にさとりの奴、妙なことを口走ってたのよ。
心の奥底に眠る恐怖の記憶で永遠の眠りにつけー。とか何とか……」
「二重表現ね」
「校正はいいから!」
「……まあ、心が読めるって事は、そういう意味でしょうね。
きっと今頃は、魔理沙の深層心理に刻まれた弾幕を展開している筈よ」
「やっぱり……」
「んー、手助けしてあげたい所だけど、ちょいとこっちも入り用なのよねぇ……」
千尋の谷に突き落としてはみたものの、今の霊夢を放置しておくのは、余りにも心もとなかった。
おかーちゃん……もとい、霊夢の保護者としての役目と、地底進攻作戦の責任者としての役目は、
どちらも切り捨てる訳には行かないというのが、紫の考えなのである。
「あんた達の事なんてどうでもいいから、魔理沙を助けなさい!」
「ありゃ。さりげなく爆弾発言ね」
「どうせいざという時には、スキマパワーで解決する気なんでしょ? でも、魔理沙はそうはいかないの。
図太いように見えて実は小心者だし。意外と些細な事で気に病んでたりするし、セロリが大嫌いだし、耳を責められるのに弱いし……」
聞いてもいないのに、延々と魔理沙評を語り出す、人形遣いさん。
このまま放っておけば、エッセイ『私の魔理沙』が上下巻発行されかねない勢いである。
それはそれで面白そうではあったのだが、そうなると対抗して、月刊、『霊夢、成長の記録』も創刊する必要がありそうだった。
ちなみに、創刊号の書き出しは既に決まっている。
「まるで成長していない……」
「何言ってるのよ、してるわよ。もう、私と身長変わらないのよ?」
「あ、いえ、魔理沙じゃなくて、こっちの話よ。うん」
「はあ?」
『おかーちゃーん……ここ、どこー? 暗いよう……』
「うん……こっちの話……」
他人を頼るようになったのは良い傾向だが、頼りすぎるというのは如何なものだろう。
些か、教育方針の誤りを覚える紫であった。
「落ち込んでないで、何か考えてよ! ほら、五秒ルールでも持ち出して介入するとか」
「……そりゃ確かに、三全世界に通ずるルールだけど……」
五秒ルール。
それは、床に食べ物を落とそうが、一斗缶で頭部を殴打しようが、五秒以内であれば大概の事は許されるという、恐ろしいルールである。
無論。だからどうしたと言われれば、いやいやただのトリビアです、と逃げる準備は万端だ。
「あんたが出来ないなら私がやるわよ。この地殻破壊爆弾で、何もかも灰塵に……」
「こらこら。どこぞのネコ型ロボットみたいな思考に走るんじゃないの」
そもそもにして、アリスがここまで動揺する理由が、紫には分からなかった。
確かに通信手段の断絶というのは、歓迎すべき事態ではないが、相手は魔理沙である。
元々、大概の事は一人で切り抜けてきた、あの勇猛な人間が、この程度のトラブルで動揺するとも思えなかったし、
こちら側としても、敵の情報を伝える事くらいしか、介入の余地は無かったはずなのだ。
{分かったわ。そいつの正体は、心を読む妖怪、さとりよ}
対処法は無いと言って良いから、なるべく戦闘を回避する方向で……}
まるで図ったようなタイミングで、アドバイザー参入。
しかし、アリスは元より、紫の心が浮き立つような要素は、皆無であった。
「あー、うん……今回は少し早かったけど、残念ながらもう手遅れよ」
{知ってるわ。こちらでも通信断絶は確認済みだから}
「……貴方、医者から分裂症って診断された経験は無い?」
{失礼ね。人を病人扱いしないで頂戴}
{立派な病人じゃないですか}
またしても、声の主が増える。
紫の明晰な頭脳は、それがパチュリーの使い魔の声であるとの判断を、瞬時に下していた。
{変な突っ込みを入れない。私は今忙しいのよ}
{だから忙しくしてたら駄目ですってば。大人しく寝てて下さい}
「……パチュリー? 貴方、本当に体調崩してるの?」
{気にしないで。大したものじゃないわ}
{実は昨晩辺りから風邪を召されてまして……}
{こらっ!}
好意的に判断するなら、それだけこの計画に際し、熱心に当たっていたと受け取れるだろう。
しかし、少し穿った見方をするだけで、意味合いは大きく変わる。
当然ながら、紫は穿った。
「(はしゃぎすぎて、当日は病欠って……何処の小学生よ……)
何故か、悲しくもないのに涙が溢れて止まらなかった。
ゆかりせんせい、受難の日である。
{あのう、八雲さん}
「……何かしら」
{手前勝手で申し訳無いんですけど、このまま強制的に眠らせてしまってもよろしいでしょうか?}
「そうね。どうせ起きてても役には……げふんげふん」
{……? そちらもお風邪ですか?}
「……あー、了解。こっちの事は気にしないで良いわ。冷やして暖めて水分の抽出を促してしまいなさい」
{化学実験じゃないんですから……でも、ありがとうございます}
{ちょ、ちょっと! 勝手に話を進めないで! 私はまだ何も為しては……ごぴゅっ、ぽっ、きゅう……}
肺に残った最後の空気まで搾り出された……そんな光景を想起させる音が聞こえ、同時にパチュリーの気配も完全に消失した。
恐らくは、病人に対して好ましくない処置が取られたものと思われるが、
そこは物心つかないような時分からの付き合いとされる小悪魔の判断。こちらが口を挟む必要は無いだろう。
断じて、突っ込むと面倒そうだったからではない。
{では、これで失礼しますね。八雲さん達の御武運をお祈りします}
「ええ。お大事に」
医者のような挨拶を最後に、図書館との通信が断絶され、
博麗神社は再び、二人だけの空間……ん? 元々二人か。
まあ、そんな感じの何かに戻ったのである。
「こうなったらジェットモグラを呼び出して……いえ、いっそ遠隔爆破で直接道を作るという手も……」
「……あーもう、仕方ないわね。こっちを使いなさいな」
幻想郷崩壊をも招きかねないアリスを止めるべく、紫は動いた。
ずどん、と迫力溢れる設置音と共に、卓袱台に置かれた物体。
思惑通りとでも言うべきか、それを目の当たりにしたアリスの動きは、ぴたりと止まった。
「……何、これ」
「見れば分かるでしょ。代わりの魔理沙人形よ。貴方を信用してなかった訳じゃないけど、一応予備を用意しておいたの」
「……魔理沙なの? これが?」
アリスの目が、点になっていた。
人形遣いである彼女にとって、魔理沙の外見的特長は、非常に分かりやすく、形としては表現し易い部類との認識があった。
即ち、黒いとんがり帽子の金髪お下げであれば、判別可能である、と。
確かに紫が出した人形は、その二大特徴を満たしている。
が、頭部しか無い上に、極限までデフォルメが化されているのは如何なものだろうか。
少々太ましく、笑顔なのか嘲笑しているのか、よく分からない微妙な表情を浮かべているそれは、見方によっては愛らしいと言えなくもない。
だが、今のアリスが想起したものは、そんな感想などではなく、ある一つの訓示。
「人間でしょ!? 生き急げ!」
「と、突然何を!?」
「……あ、わ、私は一体……?」
良く分からないが、そういうものらしい。
「……ええと、ともかく、通信してみたら? 通信断絶の原因がこちら側だったのなら、それで大丈夫な筈よ」
「え、ええ。……少し嫌なものがあるけど、そんな悠長な事言ってられないものね……」
アリスは二代目魔理沙人形に顔を近付けると、意を決して口を開く。
ビジュアル面の問題など、この際どうでも良い。
今必要な事は、魔理沙の安否の確認以外ないのだ。
「魔理沙! 聞こえる!? 無事なの!?」
『……』
「魔理沙! 魔理沙っ! なんとか言いなさい!」
『……いつもの事だが、魔理沙魔理沙うるさいぜ。もう終わったから、そんなに慌てるな』
「そ、そう、良かった……って、え? 終わった?」
『ああ。ちと気の毒に思えるくらい簡単にな』
「……」
まるで何事も無かったかの如く淡々と言ってのける魔理沙に、アリスは絶句していた。
彼女とて無知ではない。
さとりという妖怪がいかに危険な存在であるかを十分に認識しており、それ故の動揺だったとも言えるのだが、
それならばこの、人形の向こう側から感じられる弛緩した空気は、一体何なのか。
自分の知らぬ間に魔理沙は、穏やかな心のままに激しい怒りにでも目覚めたとでも言うのだろうか。
『はぁ……ちょっと……ふぅ……話が……ひぃ……違うわよ……』
目を凝らしてみれば、息も絶え絶えといった様子で、床に四肢を着くさとりの姿が見える。
どうやら、外見的印象に違わず、体力に自信のある口では無いようだ。
『話って何がだよ。別に約束を交わした覚えは無いぜ』
『そうじゃなくて……ふぅ……貴方、二重人格だったりする?』
『はあ?』
『……何言ってんだこいつ、か。でもそれだと、説明がつかない……』
「ね、ねぇ、こっちにも分かるように話してよ!」
直接その場で相対している訳でもなく、戦闘も見逃していたアリスには、まったく状況が飲み込めずにいた。
分かることと言えば、二人の弾幕戦が魔理沙の圧勝で終わったらしい。との一点のみ。
冷静に状況を分析するならば、それだけで十分であるとも言えるのだが、そこは野次馬的好奇心という名の枷が許してくれそうになかった。
『……私の能力は、他者の心を覗き見る力。それは深層心理に関しても例外じゃないわ。
だから私は、霧雨魔理沙の精神的外傷……トラウマとなっている弾幕を探り当て、それを模倣したの。
しかし現実には……まったく対抗出来なかったわ』
『いや、ま、仕方ないだろ。私が強すぎるんだ』
『言ったでしょう。それでは説明が付かない、と』
「……」
さとりの困惑は、第三者であるアリスにも、共感を得るに容易だった。
魔理沙が心に巨大な棚でも抱えているか、それとも本当に二重人格でもなければ、このような矛盾は発生しない筈なのだ。
『……あ』
「あ、って何よ魔理沙? 何か思い当たったの?」
『い、いや、何でもない。うん。ただの気のせいだ』
『……え? そういや、ゲップが出るくらい対峙してるからなぁ。ある意味トラウマと呼べるかもな。ですって?』
『うあ……』
『効果的だと思わせとけば好都合だったしな、と。……本当に良い性格ね、貴方。旧地獄巡りも、良い経験になると思うわ』
『よ、ようやくお前が怖く思えてきたぜ。おちおち隠し事も出来やしないな』
さとりの呟き……即ち、魔理沙の心境の吐露に、アリスは再び不吉な予感を覚えていた。
聞くべきではない。このまま何事もなかったかのように流すべきだ。
そう訴えかける心を隅へと追いやると、アリスはおもむろに口を開いた。
「……ねぇ、さとりさん。貴方が模倣した弾幕って……誰の?」
『え? 勿論、貴方のものよ。アリス・マーガトロイド』
『やーめーれー!!』
後悔、先に立たずとは、まさにこの事か。
その日、幻想郷は久方振りの晴天に恵まれていた。
暦的に冬と呼ばれる季節に入って以来、ほぼ皆勤賞の勢いで降り続いていた雪も、些か息切れの気配を見せ、
住人たる人妖達は、縁遠くなって久しかった太陽のお出ましに多いに歓喜し、
ついでに狂喜し、果ては乱舞に至り、数名が永遠亭送りとなったとか何とか。
まこと平和な連中である。
「まったく……歩き難いったらありゃしない……」
そんな自然の偉大さを、愚痴という名の呟きで一蹴しつつ、石段をゆっくりと登る少女が一人。
彼女の名は、アリス・マーガトロイド。
元々あまり外を出歩く性質では無い上に、基本的に飛行を移動手段としている彼女にとって、
雪の溶けかかった石段などは、いわば拷問に等しい代物とも感じられているだろう。
なら飛べよ。との突っ込みももっともである。
実際問題、わざわざ徒歩を選ぶ必要性などない。
強いて言うならば、本日ここ……博麗神社を訪れた理由に、些か猜疑的な物が含まれていた為、
ヒューと飛んで目的地でストンと着地する、通称ヒューストン型の訪問を好ましく思わなかったという所だろうか。
もっとも、石段の下までは飛んできたので、大して変わりは無いのだが。
「この忙しい日にもう……」
アリスの愚痴は、依然として止まない。
しかしながら、物事にはいつか終わる時が来る。
……という程大層なものでもないが、博麗神社の石段はそう長いものでもなく、
幸運にもアリスの体力が尽きるよりも先に、終着点たる鳥居をくぐることに成功していた。
連日の降雪は、未だ色濃く影響を残しており、博麗神社ほぼ白一色に染め上げられていた。
そんな中、ただ一つ異彩を放っていたのが、軒下に佇む巫女装束の人物。
巫女服とは名ばかりのロケット袖完備なアレではなく、白の襦袢と緋袴という正統派の装束であったが、
それを身に着けている人物が、日本人的外見からは程遠い輩であったせいか、
良く言えばオリエンタルな雰囲気、悪く言えばコスプレふうぞ……もとい、喫茶からの脱走者というのが実際の印象である。
「(酷いミスマッチね……恥ずかしくないのかしら)」
正直な感想を心の中で述べていると、件のコスプレ巫女が視線を上げた。
刹那、二人の視線が交錯する。
「ごきげんよう、七色の人形遣い。博麗神社へようこそ」
「……ごきげんよう。住人でもないあんたの台詞じゃないわね」
満面の笑みを浮かべて出迎えたのは、隙間妖怪こと八雲紫。
幻想郷の妖怪と言えば真っ先に名の挙がる大物であり、そして今日、アリスを博麗神社へと呼び出した人物だった。
この二人、顔を合わせる機会は何かと多かったりするのだが、純粋な一対一の対面となると皆無に等しかったりする。
必ずと言って良いほど他の誰か……主に二名が、同時に居合わせる事になるというのが理由だが、
今日は数少ない例外に分類される日であった。
「いいの。霊夢が居ない間は、私が巫女さんなの」
「自称、でしょ?」
「……本当は他称でも良いんだけど、霊夢に提案したら、力いっぱい蹴られたわ」
「ま、当然ね。……それで、一体何の用なの? 今日は色々と忙しいんだから、下らない用件なら帰るわよ」
「と、いう事は、魔理沙はもう出立したのね」
「ええ。一時間程前になるかしら。勿論、あの人形も持たせたわ」
ここを訪れるに先立ってアリスは、激励という名の口先八丁をもって魔理沙を送り出していた。
行き先は、地底。
無数の間欠泉の噴出と、それに伴った地霊達の跋扈という、幻想郷を現在進行形で襲っている異変。その調査の為である。
当初、アリスは傍観する姿勢を取っていたのだが、本来真っ先に動き出すであろう霊夢が、一向にその気配を見せない事と、
もっとも身近な人間……魔理沙が、この懸案に対し、やや間違った方面で興味津々であった事から、調査へと赴くように仕向けたのだ。
「そう。本職の貴方のお眼鏡に適ったようで嬉しいわ」
「私としては少し複雑なんだけどね」
この一件にあたってアリスは、殆ど未知の世界とも言える地底の情報を収集すべく、
幻想郷最古参の妖怪である紫へと相談を持ちかけていた。
その際、通信手段の確立について話が及び、明確な返答が出来なかったアリスに対し、紫が溜息混じりに提案した品が、件の人形である。
溜息が出るほど精巧であり、思わず見惚れるまでに美しく、しかも通信手段としての機能をも兼ね備えたその人形は、
専門家を自負するアリスをして『人形革命だッ!』と、感嘆しているのか嫉妬しているのか判別に苦しむ感想を漏らす程の逸品だった。
もっとも、ビームが尻から出るという一点においては、首を傾げざるを得なかったが。
「ま、立ち話も何だし、上がって頂戴」
「……だから、どうして貴方が住人気取りなのよ」
一応突っ込んでは見たものの、居住区域へと淀みなく案内する紫の姿に、殆ど違和感を覚えないのも事実である。
案外、気取りではなく、ただの事実なのかも知れない。
そんな事を考えつつ、アリスは紫の後へと続いた。
◇
居間だった筈の部屋へと足を踏み入れたアリスは、自らの目を怪しみ、訝しみ、疑った。
「何よ、これ……」
彼女が博麗神社を訪れた回数は決して少ないものではなく、故に内部構造に関してもそれなりに把握している。
だが、湯飲みと蜜柑と煎餅の皿くらいしか置かれていた記憶の無い卓袱台には、
金属製の箱状の物体が触手状の線を四方八方へと延ばしつつ鎮座されており、
茶と茶菓子しか入っていないと評判だった箪笥は、難解な題の記された書物の山に、完全に覆い隠されている。
果ては、体育座りをする場所としか認識されていなかった部屋の隅まで、用途の分らぬ様々な道具が無数に転がっている有様である。
エントロピーの増大は自然の摂理、と物理学方面に逃げる事も出来ようが、この変貌は些か性急に過ぎる。
「散らかっているように見えるでしょうけど、これが今のところ一番理想的な状態なの。我慢してね」
「それ、ダメ人間の典型的な言い訳じゃないの……」
身近にダメ人間が一人いるせいか、妙に説得力が感じられる呟きであったが、
当然の如くそれを軽く聞き流した紫は、件の箱状の物体の前へと腰を下ろす。
「ほら、いつまでも突っ立ってないで、適当に落ち着いて頂戴。お茶は……面倒だから自分で淹れて」
「はいはい、お構いなく。……ったく、落ち着く場所も無いじゃないの」
アリスは不満気に呟きつつも、散乱する品々を動かしては、自らの場所を確保して行く。
明らかに手馴れている様子だった。
「さて……最初に伝えておきましょうか。
つい先刻、霊夢も地底へと向かったわ」
「え」
それは、アリスにとっては初耳の情報であり、更には予想外の事実でもあった。
元々、霊夢が動こうとしないから、というのが、魔理沙を送り込んだ理由であったのに、
その前提が覆されてしまったとあっては、心中穏やかではないだろう。
「事後承諾になってしまったけれど、許して頂戴。
私はこの作戦の責任者として、出来うる限りの手段を模索しなければいけなかったのよ」
が、機先を制する形で、紫が頭を下げた為、アリスは抗議の声を上げる機会を失った。
考えてみれば、もっともな話ではある。
未知の世界の調査など、一人よりも二人のほうが良いのは言うまでもなく、
また、それが霊夢であれば、異を唱える必要性など見当たらない。
早い話、動くんなら先に言えよ。という、わかりやすい不満を覚えただけなのである。
「……でも、こんな怪しい依頼、霊夢が良く引き受けたわね」
「だから、今になってようやく伝えられたのよ。
……まあ、お陰で色々と骨を折る羽目になったわ。具体的には、鎖骨と肋骨と尾骶骨を」
「そ、その割には妙に元気そうね」
「慣れてるもの」
紫と霊夢の間にどのようなやり取りが繰り広げられたのかは定かではないが、
使用された言語が肉体言語であったのは確かだろう。
この二人のの関係は、アリスをもってしても今だ理解不能であった。
「で、私を呼んだのはそれを伝える為? ……違うわよね。それだけなら、隙間通信で事足りるもの」
「ええ。こうなった以上、情報源も統一した方が何かと対策を取りやすいと判断したからよ」
「……なるほど。道理ね」
これにより、居間がカオスになっていた理由も、おぼろげながら判明した。
紫はここ博麗神社を、地底遠征隊の作戦本部として運用する心積もりなのだ。
「(で、私はその人員として駆り出された、と)」
不思議と腹は立たなかった。
確かに利用された形とはなっていたが、元々この地底侵入作戦自体が紫の発案したものであり、
それに乗った以上、異議を唱える理由が無いと思ったからだろう。
「一つ、聞いておきたいんだけど」
「何かしら」
「魔理沙と霊夢は、お互いが動いている事を知ってるの?」
「……あ。そういえば言ってなかったわね」
「言ってなかったわねって、そんな大事な事を……」
「平気よ平気。目的は同じなんだし、嫌でも合流する形になるでしょ」
「……だと良いんだけどね」
この時、何故かアリスは、確信に近いものを覚えていた。
すれ違い続けるんだろうな、と。
会話が途切れたのを機に、紫は行動を開始していた。
奇妙な文字列の映し出された箱状の物体を眺めては、手元の文字盤をかちゃかちゃと叩き出し、
ああでもない、こうでもないと独り言を呟きつつ、山積みとなっていた文献へと手を伸ばす。
時折、後ろ手に隙間を展開しては、その中に向けて話しかけたり、何かを放り込んだりと、忙しないことこの上ない。
結果的に放置される形となったアリスであったが、事態が進展を見せるまでは出来る事も無く、
かといって、全身から私忙しいんですオーラを出している紫に話しかける気も起きず、結局は黙して茶を啜る以外に術を持たずにいた。
無論、無断拝借しつつ、自分で淹れたものである。
「(まるで自分の仕事場感覚ね……いえ、強ち間違いでもないのかしら)」
博麗神社は昨夏、大地震の直撃を受け、倒壊の憂き目を見ている。
そして、再建が為された当日に再び倒壊するという離れ業を演じていた。
即ちここは、二度建て直された社という事になるのだが、それを指揮したのが紫である事は既に周知であった。
それならば、神社内部に紫本位の改造が加えられていたと考えても、何ら不思議ではないだろう。
「(って、それじゃあの天人と変わりないじゃないの)」
他者には実力行使を伴った説教をしておきながら、自らの行為は棚に上げる。
実に卑怯であり、実に紫っぽいやり口であるとも言える。
「……何か変な事考えてない?」
「ひゃい!?」
予期せぬ至近距離からの声に驚いたのか、アリスはお約束とばかりに湯飲みを取り落とす。
幸いにも身体には触れなかったものの、零れ落ちた茶が、真新しい畳へと広がっていた。
紛うことなき悲劇である。
「あー、もう、新築なんだから気をつけて欲しいものね。私がマイホームパパだったら、百年戦争が始まってるわよ」
「き、急に顔を近づけるあんたが悪いんでしょ!」
口を開かれた際の距離、推定二寸。
おおよそ、世間話をするような距離感覚ではない。
しかしながら、紫のほうはまったく気にした様子も無く、今は何処からか布巾を取り出しては、畳をぽんぽんと叩いている。
そんな主婦的動作と第一種接近遭遇とのミスマッチが、八雲紫という存在の謎を深めていた。
「そう? ま、良いわ。それよりも貴方は魔理沙と通信を始めて頂戴。そろそろ何か動きがあっても不思議じゃないわ」
「え? あ、ああ、わ、わかったわ。……ふぅ」
今だ収まらぬ動悸を隠しつつ、アリスは一体の人形を手に取った。
紫いわく、魔理沙に持たせた人形は、ゼットンの熱光線にも耐えうる耐熱機構と、絶対零度をも鼻で笑う耐寒性を併せ持ちながら、
戦闘時には大和級の火力を発揮し、寂しい時には小粋なギャグで心に潤いを与えてくれるナイスドールとの事だが、
今、アリスの元にある受信機にあたる人形に、そんな大層な機能は無い。
黒のとんがり帽子に、黒のエプロンドレスの金髪少女という、何処かで見たような造形が印象的な程度である。
これは、魔理沙の声を届けるのだから、魔理沙の姿形を取っているのは極めて自然な事だ。というアリスの意見から、採用されたものだった。
ちなみに、魔理沙の所持している人形は、別にアリスとは似ていなかったりする。
現実は、かくも厳しい。
「ぽちっとな……あー、あー、魔理沙。聞こえてるかしら?」
『ば、馬鹿な! 私は幻聴が聞こえる程に疲弊してるのか? この先が思いやられるぜ……』
魔理沙っぽい人形の口から、魔理沙らしき口調で、魔理沙そのものの声が流れ出す。
当たり前の事の筈なのに、何故か高揚感を覚える光景である。
「奇遇ね。私も少し、今後に不安を感じてるところよ」
『……冗談だ。しかしこの人形、会話まで出来るとは知らなかったぜ。お前の技術力もまだ捨てたもんじゃないな』
「え、あ、そ、それは、その」
『ん? どうした?』
言葉に詰まったアリスは、縋るような視線を側方へと向ける。
が、その先にいた人物……紫からの反応は無い。
いや、意図的に反応しなかった、とでも言うべきだろうか。
「……そ、そう思うなら、少しは感謝しなさい。苦労したんだからね」
『んー、それは役に立つかどうか判断が付いてからにするぜ』
「それで、そっちの様子はどうなの? まだ何事も起きてない?」
『やたら風が強くて不快な事くらいだな。平穏なもんだ』
「そう……何かあったら連絡しなさいよ」
『気が向いたらな』
会話が終わると、アリスは人形から顔を離す。
……と、同時に畳へとへたり込んだ。
「……あー……ううー……うーあー……」
「……自己嫌悪するくらいなら正直に言えば良かったのにねぇ」
「言わないで……もう十分後悔してるから……」
事実の湾曲を責めようとしない紫の余裕が、なおのこと恨めしかった。
あの娘さんったら、人形に関してなら上下左右に出るもののいないと噂のアリスちゃんじゃございませんのこと?
と、ご近所の奥様方にも認識されていた筈の技術力は、実際には紫の片手間仕事以下だったことが判明してしまった訳だが、
それを認めないほどアリスの心が狭いという訳ではなく、すべては魔理沙の意図なき発言が原因である。
少女でありながら天然プレイボーイとの呼び名も、強ち間違いではないのかも知れない。
「さて、と。それじゃ、私も通信してみましょうか」
ごとり、と音を立て卓袱台の上に置かれたのは、丁度手の平に収まる程度の大きさの陰陽玉。
紫はそこに細長い紐を取り付けると、先端部分に繋がっていた耳当てのようなものを装着する。
「何よ、その近未来的な装飾品は」
「ボイチャ用ヘッドセット……って言っても分からないか。ま、遠距離会話をし易くする為の道具とでも思ってくれれば良いわ」
「はいはい。どうせ私は頭の堅い小物妖怪ですからね」
「卑屈ねぇ。誰もそんな事言ってないでしょうに」
苦笑いを浮かべつつ、アリスから視線を外す紫。
そして、徐に口を開く。
「あー、あー、ぐーてんもーげん霊夢」
『……』
「およ? 霊夢? 霊夢ちゃーん?」
『……』
返事は無い。
だが、僅かな息遣いやら、風切り音らしきものは、こちら側にも音として届いていた。
「もしもーし。聞こえてるなら聞こえてる。聞こえてないなら聞こえてないって言いなさーい。言わないと泣くわよー」
「いや、無理でしょ」
『うー……じめついてて気持ち悪いなぁ……暗くて殆ど何も見えないし……』
そこで初めて、霊夢の声が発せられた。
が、それは何ら指向性の感じられない言葉……即ち、独り言の類としか思えないものだった。
「あ……もしかしてあの子、受信スイッチ入れ忘れてるのかしら」
「じゃないの? あんた達の仲が、修復不能なまでに終わってるなら別だけど」
「空恐ろしいこと言わないで。……ん? 何で貴方にも聞こえてるの?」
「なんでって、陰陽玉から直接漏れてるわよ」
「……ふぅ。これだからバルク品は困るわ」
紫は深く溜息を吐くと、ヘッドセットを取り外し、後ろ手に隙間へと放り投げた。
文明の利器、早くも戦線離脱である。
しかし、実のところ、それは些細な問題に過ぎなかったのだ。
『……やっぱ帰ろうかなぁ』
「「え」」
陰陽玉から漏れたのは、決して霊夢の口から発されてはならない台詞。
だが、二人が同時に驚きの声を漏らしたという事実は、それが幻聴の類ではないことを証明していた。
『うん。そうよね……放っておけばいつか魔理沙が行ってくれるだろうし……』
「行ってる! もう行ってるから!」
『もう何もかも博麗の巫女が引き受けるって時代じゃないもんね。いわゆるグローバル化ってやつ?』
「閉鎖空間にグローバリゼーションを求めないでーっ!」
『……あー、でも、今帰ったら文句言われるだろうなぁ。何か理由でも見付けとかないと……』
「理由があったって怒るわよ! 私の尾骶骨に謝りなさい!」
『……よし、決めた。これを無くしちゃったって事にしようっと』
「ちょっ、れ、霊夢っ! 思い直しなさい! この計画の為に、私がどれだけの労力を注ぎ込んだと……」
まるで子供のような理論を展開し始めた霊夢に、すっかり余裕を失った様子の紫が、陰陽玉に噛り付くようにしては声を枯らす。
だが、悲しいかな、霊夢にそれが伝わる事はない。
利便性を求めて導入した筈のデジタル化は、奇しくもその弊害のみを如実に示したのだ。
『とぉりゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ』
霊夢の叫び声が、ドップラー効果を実証するかのように遠ざかって行く。
それの意味するところは、映像が無くとも容易に想像が付いた。
文字通り、霊夢は投げたのだ。
「あ、あ、あ……」
「ゆ、紫……」
ぺしゃり、と卓袱台に突っ伏す紫。
流石に気の毒に思ったのか、アリスが声を掛けんと近づいたその瞬間だった。
『おお? 人間とはめずポウッ!?』
聞き覚えの無い声。
続けて鈍い衝撃音。
最後のマイケルっぽい一声は恐らく……断末魔。
音声状況のみにも関わらず、経緯がほぼ完全に見えてしまったのは何故だろうか。
「……調べるよりも先に、片付いたようね」
「……ええ」
どうやら、対地底の第一戦は、会話どころか、戦闘という認識すら無いままに方が付いたようだ。
名乗る事すら出来なかった被害者には、同情の念を禁じえない。
もっとも、この一撃で終わった程度である事から、どう足掻いても結果は変わらないのだろうが。
『ありゃ……私の遠投力、まだまだ衰えてなかったわね』
「感慨に浸る部分が違うでしょうが! お馬鹿っ!」
『わ!? ゆ、紫っ!?』
そこで初めて、霊夢から指向性のある言葉が放たれた。
「霊夢……今、何をしようとしていたの? というか、迷わず実行したわね?」
『え、な、何で!? こ、これ、会話なんて出来たの!?』
「……少々説明不足だったのは認めましょう。身を挺してデジタル化の波をもたらしてくれた地底妖怪には、感謝してもし切れないわ。
でも……それが貴方の側の言い訳にならない事くらいは分かるわよね?」
『も、もしかして……聞いてた?』
「ええ。一から十まで聞いて、百を知ったというところかしら。そして今は、千を口にしたい心境よ」
『あ、あの、こ、これは、ええと……』
「これは?」
『い、意思疎通の難しさを知らしめる悲劇というか、やっぱり面倒だったというか、その……』
「霊夢」
『……ごめんなさい』
「良くないけどよろしい」
「(霊夢が素直に謝った!?)」
そんな中、アリスは妙な点で驚きを覚えていた。
霊夢とはそれなりに長い付き合いではあったが、謝罪の言葉どころか、自らの非を認めた事例すら、殆ど記憶に無かったからだ。
目の当たりにする機会が訪れるほどに深い関わりを持たなかったというのもあるが、
少なくとも今行われたそれは、特筆に価すべき事項だろう。
『……でも、仕方ないでしょ。目的すら分かんないのに、やる気を出せってのが無茶な話じゃないの?』
「言ったでしょう。私自身も良く分かってないって。だから貴方は、何も考えずに、目の前の敵を撃ち倒しなさい。
そういう意味じゃ、今の一投は良かったわよ。結果オーライとも言うけど」
『本当? なら、この先も投げて良い?』
「……」
『じ、冗談よ。この博麗霊夢、保身……もとい、幻想郷と偉大なる紫様の為に粉骨砕身する所存であります』
「……結構。良き成果を期待するわ」
どこぞの司令官の如き言葉で通信を終える紫。
その面持ちは、決して芳しいものとは言えなかった。
当然である。
「ふぅ……今後が不安になってきたわ」
「そうかしら。 私は案外、何とかなる気がするけど」
「……? どういう意味かしら」
「さあね」
アリスは答えなかった。
◇
それは、最初の通信からおよそ一時間後の事だった。
『おーい! アリスー!』
「はいはい、どうしたの? 何か進展でもあった?」
切迫した様子に聞こえない事もない叫びであったが、至って平静に受けこたえるアリス。
魔理沙の地の声が大きい事。そして、人形の音量調節機能を理解していない事を知っていたからだ。
『今、地下何階だ?』
「は?」
『いや、十階を越えてるなら、そろそろセーブポイントがあってしかるべきかと思ってな』
「……三つ、突っ込んで良い?」
『おう、許可するぜ』
「どうして偉そうなのよ……ええと、まず、ダンジョンだからってセーブポイントが存在するとは限らないでしょ。
そもそも現実にセーブポイントなんて無いわよ。更に言うと、洞窟には本来、階層の概念なんて無いものよ」
『……おかしいな。私の耳には四つ聞こえた気がするぜ。
これはアレか、アリスなりの深謀遠慮あっての事と解釈しても良いのか?」
「う、うるさいわね! 言い間違えよ! わざとよ! ごめんなさいでしたっ!」
『どっちだよ』
正解はどちらでもなく魔理沙のせいなのだが、突っ込まれる事に慣れていないせいか、アリスは気付かない。
もっとも、突っ込みには慣れている時点で、何か間違っているが。
「……用がそれだけなら切るわよ」
『あ、いや、ちょいと待った。実はもう一つ質問がある』
「また下らない用件だったら爆破するわよ」
『こわっ! やっぱり早いうちに投げ捨てておくべきだったか』
「止めなさい。また被害者が出るから」
『……また?』
「おほん……こっちの話よ」
別段、霊夢の存在について触れる事を躊躇った訳ではない。
単に、説明がややこしくなりそうだったからである。
『あー、それでだな、実はさっきから、このダンジョンのボスらしき奴が、私の前に立ってるんだが』
「どうしてそういう事を先に言わないのっ!」
『お前が変な突っ込みとかするから?』
「なんで疑問系なのよ! 大体、最初にボケる魔理沙が悪いんでしょうが!」
『漫才論はとりあえず置いといて、だ。何かこいつの情報は無いか? 出来れば、一発で倒せる弱点とか、そういう都合の良い奴を頼む』
「……ちょっと待ちなさい」
軽く溜息を吐くと、アリスは人形の瞳を覗き込む。
これは魔理沙側の人形の瞳と繋がっており、視覚情報が伝えられているようになっていた。
が、音声のように上手くはいかないのか、今ひとつ不鮮明な映像であり
金髪の少女らしき何者かが、苛立たしげに立っているという程度しか見えないというのが現実だった。
「こんなんじゃ何も分からないってば……まあ、わざわざ待っている辺り、律儀な奴なのかもしれないけど……」
{それはどうかしらね。私の見立てじゃ、貴方に負けないくらい性格歪んでそうよ}
「誰が歪んでるってのよ……ん?」
若干反応が鈍かったのは、余りにも自然に会話へと入り込んできたからだろうか。
それは、紫でもなければ魔理沙でもない、予期せぬ第三者の声。
しかも、特定が容易なほどに聞き覚えのあるものだった。
「……紫? どういう事?」
「あら、言ってなかったかしら。この作戦、私よりも先に立案した奴がいるのよ。
で、アドバイザーとしてくらいなら当日も協力するって言うから、直通回線を繋いでおいたの。ほら、それよ」
「……」
紫は画面から目を離さずに、指先だけを動かして指し示す。
そこには、円筒状に綺麗にカットされた水晶が、淡い光を放っていた。
{……それにしても、相変わらず段取りが悪いのね}
「考えることと、実際に行う事は別問題。今のところはまだ許容範囲内よ」
{境界を操る貴方にとっては便利な言葉でしょうね。何が起こってもその一言で済ませられるもの}
『おーい、一体何が起こってるんだ? 今、紫とパチュリーの声が聞こえた気がしたんだが』
『私を無視してぶつぶつと……本格的に気が触れる前に帰ったほうが身のためよ』
「あーもう! 一斉に喋らないでっ!」
ばこん、と卓袱台が音を立てる。
それを合図に、都会の雑踏の如き不協和音はぴたりと収まっていた。
「……まず、紫。こっちは良いから、あんたは霊夢のサポートに専念してて」
「え、ええ、了解よ」
「次、パチュリー。もう経緯は面倒だから聞かないわ。
ただ、アドバイザーを名乗るなら、それに相応しい仕事をして頂戴」
{あの妖怪に関して調べろと?}
「そういう事。あまり期待はしてないから、程々で良いわ」
{抗弁の余地はあるけど……話が拗れるのも面倒ね。分かったわ}
「で、魔理沙。そういう訳だから、あんたはその妖怪の相手をしなさい。何か分かったら伝えるから、回線はそのままでね」
『お、おう、任せろ』
「あと……誰だか知らないけど、迷惑かけるわね」
『え、ええ。ご丁寧にどうも』
「全員分かったわね? じゃ、カウント始めるわよ」
『『「{……カウント?}」』』
「3、2、1……GO!」
号令と共に、事態は一気に動き出した。
紫はその口を閉ざしては再びモニターの前の人へと戻り、水晶の向こう側からは、ぱらぱらと紙を捲る音のみが聞こえるようになり、
そしてアリスの眼前の人形は、弾幕戦と思わしき爆音を響かせ始める。
当事者でもなければ、作戦の根幹にいたわけでもない。
単なる魔理沙のサポート役でしかなかった筈のアリスが、この場を支配した瞬間だった。
「(……何で、素直に言うこと聞いてるのかしら、私)
ようやく、と言って良いのか、紫がそんな疑問を頭に浮かべた頃だった。
『……ゆかりー……』
お世辞にも景気が良いとは言えない声が、紫の耳へと届いた。
「霊夢? どうしたの?」
『ちょーっと、ピンチかも……』
「……え?」
意外な発言に、紫は慌てて陰陽玉を覗き込む。
そこに映し出されていたのは、アリス達の人形と同様、些か不鮮明な映像。
しかし、僅かに見える人影と、妙に低い視点という二点の報から、状況を推測するのは容易だった。
即ち、何者かとの戦闘によって、地面に落とされたのだ、と。
◇
「あたた……おかしいなぁ、こんな筈じゃないのに……」
腰をさすりつつ、ゆっくりと立ち上がる霊夢。
左程大きなダメージではないのか、目立った外傷らしきものはない。
「弱い。弱いなぁ。というか、やる気そのものが感じられないよ。
人間の癖に、こんな地の底まで潜ってくる度胸はあるってのに……気に入らないねぇ」
その眼前で苛立たしげに吐き捨てたのは、力の勇儀と名乗った鬼。
霊夢が地底へと突入してから初めてとなる、本格的な戦闘行為の相手だった。
「……うっさい。こっちにだって事情ってもんがあるのよ」
『ちょっと、霊夢。事情って何よ。今日はあの日じゃないでしょ?』
「あんたも黙れ! というか、何で知ってるのよ!」
『企業秘密。……で、こんな所で何を手間取ってるのよ』
「その……アミュレット忘れてきちゃったのよ。陰干ししてたらつい……」
『ああ、虫に食われたとか言ってたものね。退魔針は?』
「いや、縫い物に使ってて、そのまま針箱の中に……」
『……仕方のない子ね。趣に欠けるけど、さっさとムソーフイーンで終わらせなさい。今日は手段を選ばずとも良いわ』
「……」
『……霊夢?』
「ス……スペルカードも忘れてたりして……あ、あはは……」
『って、何も持ってきて無いんじゃないの! あほちん!』
この時霊夢には、見えていないにも関わらず、紫の表情が手に取るように理解出来た。
当然だが、それは歓迎できる類の表情とは思われず、戦闘中でなければ、反射的に謝罪してしまう場面であろう。
「あほちんって……そ、その、私って一応、スペルカードルールの提唱者だし、それくらいはハンデの範疇かなーって」
『だからって徒手空拳で何をするつもりなのよ!? アフガン航空相撲!?』
「……法螺を吹くならもう少し信憑性を持たせるこったね。ほんの挨拶代わりで落ちられちゃ、仕掛けた私が悪いみたいじゃないか」
『ほら! 思いっきり馬鹿にされてるじゃないの!』
「そ、そうなのよねぇ。……はぁ、どうしよ」
言い訳がましい言葉は、かえって紫を怒らせる結果となった。
実際のところ、もう少しまともな抗弁も出来たのだが、それで事態が好転するかと言えば話は別だ。
余りにも一方的であったために、相手側に中断されるような弾幕戦を展開したとあっては、
博麗の巫女と名乗るには、余りにも情けない一幕だ。
『あー、そこの貴方』
「あん? ……ああ、さっきから独り言が多いと思ったら、そういう事か。それで、地上の妖怪が何か用かい?」
『……ええと、一分ほど待ってはくれないかしら。そうすれば、鬼たる貴方の期待にお答え出来るかと思いますわ』
「ん。別に構わないよ。このままじゃ私だって欲求不満だ」
鬼の矜持か、それとも突っ込みを入れなかった紫への敬意か、勇儀は左程悩むことなく頷いていた。
『ありがとう、感謝するわ。……さて、霊夢』
「い、言っておくけど、今は本調子じゃないだけよ。右肩に少し違和感があるせいで……」
『岩隈みたいなこと言ってないで、私の話を聞きなさい』
「……何よ」
『脱ぐのよ』
「は?」
大真面目に理解不能な台詞を吐く。
紫がそういう輩である事は、霊夢も重々承知していたが、流石にこの状況下においては辛いものがあった。
公開ストリップを演じて見たところで、一番喜びそうな輩は、この陰陽玉の向こうなのだ。
『おほん……言い方が悪かったかしら。そのロケット袖、取り外して裏返してみろと言ってるの』
「……余計に訳が分からないんだけど。というか、勝手に変な呼び名付けないでよ』
『いいからさっさとする!』
「わ、分かったわよ……」
相変わらず意味不明であったが、今は従う他に術が無いと見たのか、
霊夢は言われた通りに、袖を分離させる。
ともすれば、風に軽く飛ばされる筈のそれは、一直線に地面へと落下した。
「……そういや、冬服にしたって、妙に重かったわよねこれ」
いくら布地を厚くしたところで、そこまで極端な重量感を覚える筈もない。
だとすると、袖そのものに何か仕掛けがあると見るのが常道だろう。
今の今まで気付かなかったのは何故か、という疑問もあろうが、それにはまた別の理由があったりする。
ともかく、そう考えた霊夢は、改めて袖を手に取ると、裏返しては軽く振って見せる。
衣服にしては妙な重さ。そして、何かが擦れるような音が聞こえていた。
『あ、それ冬服だったのね。どうりでカモフラージュの余地があった訳ね』
「一体何を言って……あ」
その時、袖から複数の紙片が、パラパラと零れ落ちる。
福沢諭吉の肖像画だったらなら、それはそれで驚いたろうが、それにしては些か小さく、硬い。
紛れも無きスペルカードである。
「あ、あんた、何時の間にこんな仕掛けを……」
『備えあれば憂い無し。何時まで経っても学習しない霊夢の為に、一肌脱がせて頂きましたわ』
「ぐぅ……」
怒るべき場面なのかも知れない。
だが、その備えが役に立ってしまった以上、霊夢が声を荒げられる訳も無く、
ぐうの音を出す程度の抵抗しか出来ずに居た。
『さ、それを使って、あの鬼を満足させてやりなさい』
「物凄く釈然としないけど……仕方ないか。
ええと、光と闇の網目に、生と死の境界に、夢と現の呪……って、これ全部あんたのカードじゃないの!」
『当たり前でしょう、私が仕込んだんだから』
「そういう問題じゃないっ! こんなものどうしろっていうのよ!」
『一応、結界系に絞っておいたから大丈夫よ。何せ貴方は、私の可愛い一番弟子だもの。
まさかとは思うけれど、私には扱えませーん、なんてスイーツな寝言吐かないわよね?』
「……本気?」
『マジよ』
望む望まざるは別として、紫から稽古を受けたのは事実であったが、
だからといって紫のスペルカードを自在に扱えるかと言えば、当然答えは否だ。
数百年来に渡って付き従っている藍ですら、模倣の粋から脱していないのだから、それが当然である。
だが、紫はやれと言う。
それはまるで出来る事を確信しているかのようだった。
「もう良いかい?」
これ以上待つのは無意味と悟ったのか、酒盃片手に勇儀が口を開く。
『お待たせしたわね。今から、そこの巫女の五割程度の力をお見せするわ』
「五割、か。舐められていると見るべきなのか、それとも期待すべきなのか、どっちかねぇ」
「あー……あんまり期待しないでくれると助かるわ……」
『あ、霊夢。最後の切り札を一枚、リボンの中に仕込んでおいたわ。いざという時は、それを使いなさい』
「……いい。もう聞きたくない。これ以上私に虚無感を与えないで」
「はいはい、お喋りの時間は終了。行くよっ!」
その宣言が、戦闘再開の合図だった。
◇
「ふぅ……」
安堵の色が存分に含まれた溜息を吐きつつ、霊夢は地面へと足を付ける。
「なんだなんだ、やれば出来るんじゃないの。お姉さんびっくりだ」
「誰がお姉さんよ、誰が」
時を同じくして、視線の先で勇儀が身を起す。
何故か、満面の笑みを浮かべて。
結果から言えば、霊夢は勝った。
弾幕戦の申し子と称される彼女と言えど、実際に使用した事もない弾幕で戦闘に望むのは半ばギャンブルのようなものだった。
事実、四重結界は一枚ずつバラバラにしか展開されなかったし、光と闇の網目は光と闇の升目と呼ぶほうが正しく感じられる代物であり、
客観結界に至っては、弾幕の代わりに何処かで見たような狐と猫が吹っ飛んでいく始末であったが、
それでも何とかなってしまった辺りは、博麗の巫女の為せる技とでも言うべきであろうか。
「借り物ってのが少し引っかかるけど……ま、それだけ使えるならこの先も大丈夫かね」
「……あっそ」
満足げに頷く勇儀であったが、霊夢の表情は芳しいとは言いがたい。
そもそも、先に進む事を好ましく思っていないのだから、当然と言えば当然なのだが、
多いに間違った紫の弾幕が評価されてしまった事もまた複雑だった。
「にしても、その球の向こうにいる妖怪、何者だい? あんたのお師匠さんらしいけど」
「……それはあいつが勝手に言ってるだけ。やたら私に関わりたがる、ただの傍迷惑な妖怪よ。
今日にしたって、間欠泉と怨霊がどうとか、なんだか良く分からない理由で放り込まれたの。酷い話でしょ?」
「ふむん、間欠泉ねぇ」
「そうよ。今、地上のそこかしこで温泉ブームが到来してるの。それなのに、何だって私がこんな所に……」
「……いや、多分、その判断は間違ってないね」
地面に胡坐をかいては、なにやら考え込むように腕を組む勇儀。
実に様になる姿だった。
「うぇー……もしかして思い当たりあるの?」
「普通、喜ぶ場面だと思うんだが……まあ、あるよ。多分、地霊殿の連中の仕業だろう」
「そこって、遠い? とても人間には辿り着けない場所だから、諦めるほうが賢明?」
「残念だけど割と近い。……まあ、細かい話はおいおいするとして、一杯付き合う気は無い?
あれだけ使えるんだから、こっちのほうも行ける口なんだろう?」
そう言うと、杯を傾けるような仕草……ではなく、本当に杯を傾けては酒を口へと運んでいた。
弾幕戦の実力と酒の強さに何の関連性があるのか。と言いたい所だが、
二重の意味で疲労が溜まりつつあった霊夢にとって、それは中々に魅力的な提案であった。
「……そうね。ちょいと疲れたし、ご相伴に預からせて貰うわ」
「そう来なくっちゃ。ま、つまみは無いけど我慢してくれ」
「あー、それは大丈夫」
その時、勇儀は初めて気が付いた。
出会ってから今の今まで、霊夢が鞄らしき物を背負ったままだったという事に。
「んしょ……ふぅ。ようやく荷物が片付くわ。ったく、これのせいで……」
愚痴に混ざって、どさり、と音を立てて置かれる鞄。
その中から取り出されたものは、これまた重量感溢れる風呂敷包み。
大きさからして、三段重ね程度の重箱であると見受けられた。
「……参考までに聞くけど、何なんだいそりゃ」
「お弁当。いらないって言うのに、無理矢理持たされたのよ。こっちじゃ人間用の食料が手に入る保障なんて無いからって」
「いや……そりゃ正しい判断だけど……あー……えーと……」
「ん? どしたの?」
「……いや、何でもないよ。そう思う事にする。でなきゃ、やってられん」
「……?」
元より追求する気など無かったのか、霊夢は疑問を浮かべつつも、風呂敷包みを開封しては、お目見えした重箱を展開する。
眼下に映るは、素人目にも凄まじく気合の入った料理の数々。
それらは皆、弁当にありがちな、揺ぎ無く詰め込むというスタイルではなく、
蒲鉾までわざわざ斜めにずらして立てるという、しっかりとした盛り付けが為されていた。
「(……まさか……)」
今思えば、霊夢は戦闘の際、殆ど固定砲台と化していた。
もしやそれは作戦などではなく、単に弁当の型崩れを防ぐ為だったのだろうか。
意図していたかどうかは定かではないが、鬼も舐められたものである。
「また無駄に気合入れちゃってまぁ……海苔弁で十分だって言ってるのに」
「馬鹿っ! 寄さってない海苔弁なんて海苔弁って言えるかっ!」
「……え? なんで私、怒られてるの……?」
「……もう良い。呑もう。ほら、お前も呑め」
自ら酒盃を傾けつつ、何処からか二つ目の酒盃を取り出すと、どくどくと酒を注ぎこむ勇儀。
本人は気付かなかったが、それは世間的に自棄酒と呼ばれるものだった。
「(……ヤバいなぁ。この人間も、その妖怪も……)」
◇
『という訳だから、情報収集がてら、少し頂いてくるわ』
「……まあ、今のうちに休んでおく必要もあるわね。でも、程々にしておきなさいよ」
『はいはい』
「返事は1.3回よ」
『はいは……出来るかっ!』
怒鳴り声を最後に、通信が途切れた事を確認すると、紫は陰陽玉から顔を離しては、大きく伸びをする。
「くぅーっ……ふぃー。まったく、世話の焼ける子ねぇ」
「……」
「この先、本当に大丈夫かしら……もっと布石を打っておくべきだったかもしれないわね」
「……」
「アリス? どうしたのよ、さっきから黙りこくっちゃって」
「……いや……もうカルチャーショックで何が何だか……」
「……?」
疑問符を浮かべる紫を横目に、アリスは深く溜息を吐く。
ここ、博麗神社を訪れてからの数時間で、彼女の中にあった霊夢像は、粉微塵に打ち砕かれていた。
無論、基本的に駄目人間との印象は以前から持っていたが、問題はそのべクトルだ。
決して他者に依存しない。との風評は、一体何処に消えてしまったというのだろう。
甘やかす紫が悪いのか、受け入れてしまう霊夢が悪いのか、それとも両方なのか。
はっきりしているのは、もはや博麗霊夢という存在は、八雲紫なくしては語れそうにないという事である。
「というか……流石にお弁当はどうかと思うわよ」
「……そう? 人間の不便な身体を考えると、無難な方策かと思ったのだけれど」
「だからって、もう少し他にやりようが……」
『おーい、アリスー』
その時、再び魔理沙からの声が届く。
「……ん? どうしたの?」
『どうしたの? じゃないだろ。ダンジョン突破したんで、一応隊長様に報告に上がったって訳だぜ』
「誰よ、隊長様って」
『いや、自覚が無いんならいいや。それよりも、説明してくれ』
「……何を?」
『お前、今何処にいるんだ? さっき、紫やらパチュリーやらの声が聞こえた気がしたけど、あれは幻聴じゃないよな?』
「ああ、そういえば言ってなかったわね」
一段落付いた今において、説明を渋る理由は無く、アリスは再確認の意味も込めて口を開いた。
霊夢も地底へと進攻を始めている事。そのサポートに紫が付いている事。
情報統一の為、自分も博麗神社に来ている事。これにパチュリーも協力している事。等々……。
『……よく分からん』
「でしょうね。正直、私も完全には理解出来てないわ」
『つーか、だ。そもそも私は、何でここにいるんだ?
流石にもう温泉ツアーだとは思っちゃいないけど、目的も知れずにダンジョン進攻なんて気味が悪いぜ。レベル上げでもさせたいのか?』
「……もう言ってもいいか。魔理沙、貴方が為すべきは、幻想郷に湧き出している間欠泉を止める事よ」
『止めるって、なんでまた』
「あんたが自覚してないだけで、これはもう異変と呼べる現象なのよ。放置しておくわけには行かないの」
『んで、原因が地底のどっかにあるってか』
「そういう事。で、霊夢の情報によれば、地霊殿とかいう館が怪しいらしいわね」
『……』
「魔理沙?」
『……なーんか、気が抜けたなぁ。それなら別に、霊夢に任せとけば良いんじゃないのか』
「……霊夢も同じ事言ってたわよ。あんた達、何時の間にそんな他力本願になっちゃったの?」
『あいつがどうかは知らないけど、私は元々平和主義者だぜ』
「……」
世界各国の平和主義者に、謝罪して回る必要があるかもしれない。
そんな益体も無い事を思い浮かべていたアリスの横から、突然にょっきりと手が伸びた。
「そんな平和主義者の貴方に朗報よ」
『ん? 紫か?』
「ええ。永遠の十七歳こと美少女ゆかりんよ。で、たった今入手したばかりのホットな情報があるんだけど、聞きたい?」
『是非聞かせてくれ。前半の寝言に比べれば、何だって有益だろうしな』
気のせいか、紫の顔色に紅いものが混ざる。
照れるくらいなら自重しろ。との感想は、平和主義者のパートナー故か、述べられる事は無かった。
「……おほん。その地霊殿とやらだけど、地獄より切り離された跡地の管理施設のようなものらしいわね。
言わば、冥界における白玉楼と近い感覚かしら」
『……』
「跡地とは即ち遺跡。遺跡には……何が遺されていると思う?」
『不思議だな。全身が活力で満たされてきた気がするぜ』
「それは良かったわ」
『という訳で、アリス。私は使命を果たす為、幻想郷の平和を守る為に地霊殿を目指す事にした。問題無いな?』
「……別に無いけど、少し休んでからにしたほうが良いわ。こんなところで焦っても仕方ないでしょ」
『ん……それもそうだな。妙に熱気が増してきた気がするし、悪くなる前に処理しとくか』
「処理とか言わないで。自傷衝動と加害意識が同時に芽生えてきそうだから」
『冗談だ。んじゃ、また後でな』
「……ふぅ」
通信を終えたアリスは、おもむろに左方へと視線を動かす。
田中邦衛のように口を窄めた紫がいた。
「……」
「……」
「……あんたもお弁当持たせてるんじゃないの」
「はっ、すみません」
言われるよりも早く、頭を下げるアリス。
返す言葉など、謝罪以外に存在する筈も無い。
{もしもーし、聞こえてる?}
「「……?」」
と、その時。傍らの水晶柱がぷるぷると振動すると共に、パチュリーの声が発せられた。
半ば存在を忘れかけていたせいか、二人の反応は些か鈍い。
……が。
{聞いて驚きなさい。さっきの妖怪について分かったわ。橋姫と言って、その名の通り、橋を守る嫉妬狂いの……}
「「遅いわアホッ!!」」
突っ込みだけは、世界記録を目指せる速さだった。
アドバイザー、早速失脚目前である。
◇
ほぼ時を同じくして地底の二人が休息に入った為、当然ながら地上の二人にも時間的余裕が生まれていた。
故に、手を掛けすぎた弁当の副産物を片付ける機会……要するに昼食にでも致しましょうか、と紫が提案したのは必然であり、
それは良い考えで御座いますわね、と奥様風にアリスが同意したのも、また当然の事といえよう。
「……しっかし、天下の隙間妖怪から、お手製の昼食をご馳走になるとは思わなかったわ」
「そう? 料理は結構得意なんだけど」
「イメージの問題よ。……まあ、今なら何となく納得出来るけど」
紫から提された昼食は、残り物と称するには勿体無いと感じるほどの出来栄えだった。
保存を前提にしているためか、やや味付けが濃く感じられはしたものの、鶏肉は精一杯鶏肉の役目を果たしており、
野菜は野菜の本道を踏み外す事なく懸命に生きていた……そんな意味不明な感想が浮かぶ程である。
「あ、そうそう。さっきの話って本当なの?」
「にゅ? 何が?」
「意味ありげなこと魔理沙に言ってたじゃない。遺跡があれば、そこにお宝がある、とか何とか」
「別に虚実は述べたつもりは無いわ。まあ、一般論を語っただけと言えばそれまでだけど」
「……って事は確証がある訳でも無いのね」
半ば出任せであると分かったところで、アリスに紫を攻める気はなかった。
事実として、魔理沙が気力を取り戻したのも理由の一つだが、
何よりもその情報は、アリスにとっても興味深いものだったからだ。
「(地底のお宝、ねぇ……文字通り、掘り出し物でも出てこないかしら)」
そんな会話を交わしつつ、比較的和やかなままに昼食を終えた二人であったが、
後片付けもそこそこに、半ば強制的なシエスタに突入せんとしていた。
腹が膨れれば眠くなるのは、人間も妖怪も変わりない、といったところだろうか。
『アリス! アリスー! アーリースー!』
そんな中、突如として連呼される名前。
「ふあぁ……んー、何よ、アリスアリスうるさいわねぇ……」
アリスは寝ぼけ眼もそのままに、人形へと顔を近づける。
と、何を思ったか、その頭部を平手で、すぱこん、と叩いた。
『うあ? 今、頭を殴られたような気がしたぞ?』
「……あ。そ、それはただのドライアードよ」
『木の精ってか。分かり辛いから止めとこうぜ。……えーと、何だっけ?』
「あんた自身が分からないのに、私が知ってる訳ないでしょ」
『ああ、そうそう、地霊殿とやら、侵入成功したぜ』
「……ちょっと早すぎない?」
『思ったより近かったしな。それに侵入って言っても、普通に正面から入っただけだぜ』
「人気がまったく無いってこと?」
『ああ。真紅に匹敵するな』
「そういう危険なネタは止めなさい! ……でも、それは妙ね」
『んむ』
次第に覚醒を始めた思考で、魔理沙からの情報を分析に入る。
仮にも管理施設であるというのに、人っ子一人居ないというのは、余りにも不自然だ。
魔理沙の事であるし、雑魚の類は数に加えていないだけかもしれないが、それにしても門番の一人くらいいても不思議ではあるまい。
……が、それが悪い事かと言えば、また別の問題だ。
「……」
ちらり、と横目を送ると、卓袱台に突っ伏して寝息を漏らしている紫の姿が見えた。
暢気なもの……とは思わない。
単に、休むべき時とそうでない時を、はっきりと区別しているだけなのだろう。
「(……これって、好機だったりするのかしら)」
この地底行の本題……異変の調査とその解決という名目を忘れた訳ではない。
だが、この弛緩しかけた空気と、魔理沙からの現地情報、そして先程の紫の言葉。
これらを統合すると、ある一つの方向性が見えてくるのも確かである。
それは、良く言えば蒐集家としての本質。悪く言えば魔理沙の影響か。
「……やる?」
『お。まさか、アリスのほうからその言葉が出るとは思わなかったぜ』
「これから先、こんな機会があるとは思えないもの。……半々でどう?」
『いやいや、直接動くのは全部私だぞ? 8対2ってとこが相場だろう』
何が、とはお互いに聞こうともしない辺りは、流石のコンビネーションと言ったところだろうか。
「ふぅん。途中で落盤に巻き込まれてゼロになっても良いの? 火薬量は豊富だし、あながち有り得ない話でも無いわよ?」
『脅迫か! こんな遠距離から、ネチネチと脅すのか! いや、相変わらず良い性格してるぜ』
「お褒めに預かり光栄。で、どうなの?」
『……分かったよ。6対4だ』
「OK。その線で行きましょう」
『ここは譲る振りをしておけばいいか、どうせ黙ってたら気付かないだろうしな……ですか。
いやいや、負けず劣らず良い性格だと思うわよ』
「!?」
瞬間的に、アリスの思考が切り替わる。
まるで噛み付くような勢いで人形に詰め寄ると、その瞳を覗き込む。
『わざわざこんな所まで来るとは……物好きな人間もいたものね』
『ちっ、しくじったぜ。この私としたことが、セコムだか総合警備だかの罠にかかるとはな』
『……? 思っている事と口にしている事がばらばらね。それは意図的なものかしら?』
一見したところ、物腰の柔らかそうな少女と映る。
だが、今魔理沙がいる場所は、今回の異変の黒幕がいるとされる場所、地霊殿だ。
外見的な印象などあてにはならないだろう。
『おーい、アリス。それで、何を聞けば良いんだ? 金庫の暗証番号だっけか?』
「……それは金庫を見つけてからね。とりあえず必要なのは、間欠泉を止める手段よ」
至極普通の受け答え。
だが、それは、自分の中に生じて止まない、不吉な予感を覆い隠す為のものだった。
『……貴方が霧雨魔理沙。そして、その人形の向こう側にいるのが、アリス・マーガトロイドね』
「えっ……」
『お? 自己紹介した覚えは無いんだがな』
『必要ありませんから。私は古明地さとり、この地霊殿の主人を務めています』
刹那、アリスの中にあった漠然とした不安感は、明確な危機を告げるものへと変貌した。
「……んー……どしたのー? おしっこ?」
会話を聞きつけたのか、シエスタの真っ最中であった紫が、むっくりと顔を起す。
「寝惚けてないで手伝いなさい! 少し状況が芳しくないわ」
「……どういう事?」
流石とでも言うべきか、間延びした声は瞬時に影を潜め、表情も真剣なそれへと一変する。
涎の跡が残っていた為、些かビジュアル面に問題は残っていたが、そこを突っ込んでいるほど、今のアリスに余裕は無い。
「聞きたいのはこっちの方よ、あんな奴の住処だったなんて……あの鬼、本当に信用出来るの?」
「ふむ……サトリ、か。確かに少々厄介ね」
モニターを覗き込んでいた紫が、神妙な顔で頷く。
他者の心を読むという危険な能力の持ち主で、地上から追放されたとの曰く付きの妖怪、さとり。
アリスが知っているのだから、紫もまた既知であって当然だろう。
「そうよ。まともにやりあったら、到底勝ち目……ちょい待った」
「ん?」
「……もしかしてそれ、私が見てる映像と同じもの?」
「そうよ。ほら、ケーブル繋がってるでしょ?」
紫が指し示す先には、箱状の物体から伸びる黒い線。
それは、アリスが覗き込んでいる魔理沙人形の背中に、しっかりと接続されていた。
「だったら最初から私にもそれ用意しなさいよ! 何だって会話の度に人形をハグしなきゃいけないの!?」
「え? 好きでやってるんじゃなかったの?」
「やるかっ!」
憤りに身を任せ、人形を力いっぱい放り投げる。
必要以上に重厚に作られたそれは、確かなコントロールをもって、紫の顔面に向けて飛んだ。
「へぶっ」
人形臀部の直撃を貰い、仰け反る紫。
黄金のケツと称されたそれは、人形の姿でも健在だったらしい。
「大体あんた、作戦の成功率上げる為とかどうとか言ってなかった!? それが何で、私の個人的趣味が関わってくるのよ!」
「ご、誤解よ誤解! お互い、やり易いようにするのが一番だと思ったから……」
「それとも何? お前みたいな根暗は人形さんとお話してるのがお似合いだ。とでも言いたいの!?」
「どれだけネガティブ思考なのよ……あ、ちょい待ち」
「まだ話は終わってないっ!」
「ち、違うわ、霊夢から通信なの」
アリスからの追求を避けるかのように指定席へと舞い戻ると、陰陽玉へと顔を近付ける紫。
何の事は無い。
紫の方も、好きでやっているのだ。
『あー、おかーちゃん? 俺俺。俺よ、俺』
「……誰よ、てめぇ……」
モニターに映し出されたのは、紅く上気した顔を、だらしなく歪める霊夢の姿。
それは世間的に、酔っ払いと呼び称されるものだった。
『てめーって言われた……でも泣かない。あたし宇宙さいきょーの巫女さんだもん』
「それは大きく出すぎ……じゃなくて、一体どうしたって言うのよぉ」
『んー、むふー、今ねぇ、みょーに気分いいの。だから、ちゃっちゃとお仕事終わらせてくるね』
「だ、駄目よ、駄目。今の貴方には酒成分過多の兆候が見られるわ! もう少し抜けるまで待つほうが賢明よ!」
『あはは、だいじょびだいじょび。あたしの手にかかりゃー、兎なんてひょいひょい、ってね。ひょっひょっひょっ』
「そんなのとうの昔に終わってるわよっ! 今の自分の使命を思い出しなさい!」
『にゅ? さくら?』
「それはもっと昔!」
『きり?』
「何でどんどん遡っていくのっ!」
『くろすちゃんねる?』
「ああ……もう訳が分からないわ……」」
『むー……おかーちゃん、おつかれ?』
「そうね、色々な意味で疲れたわ。後で肩でも揉んで頂戴」
『おっぱいは?』
「……検討しておくわ」
もはや、おかーちゃん呼ばわりされている事に突っ込む余裕すらなかった。
何故に、休憩する前よりも酷い有様になっていると言うのだろうか。
霊夢が自認する程酒に強くないことは知っていたが、このような状況で我を失うまで呑むとは、流石に想定の範囲外である。
『……あー、もしもし、地上の妖怪さん?』
「あ、貴方ねぇ……」
『いや、その……悪い。まさか、こんなに酒癖悪いとは思わなんだ』
「……まあ、大方あの子も、後先考えずにガブ呑みしてたんでしょう?」
『ああ……それで、どうする? このまま行かせても良いもんかな?』
「……もう良いわ。好きにさせてやって頂戴」
最初に考えた通り、まともに動けるようになるまで待機させるのが、普通の対応だろう。
だが紫はあえて、その逆の決断を下した。
『本当に? 片棒担いでおいて何だけど、この先どうなっても私は責任持てないよ?』
「構わないわ。自分の行動の責任は自分で取る。それくらいは、霊夢も分かってる筈よ」
『……いやはや、本当におかーちゃんだなぁ』
「お黙りなさい」
何故か、否定の言葉は出なかった。
「ね、ねぇ、紫。なんか、音声も映像も途切れちゃったんだけど……」
震える声。
振り向いてみると、先程までの激昂振りは何処へ行ってしまったのか、
今にも泣き出しそうな表情のアリスが、魔理沙人形の衣装をひん剥くという奇行に走っている所だった。
この光景を鴉天狗にでも見られようものならば……恐らくは記事になる事なく闇に葬り去られるであろう、それほどまでに正視に堪えぬ光景である。
「も、もしかして、今放り投げちゃったせいなの? 全部私が悪いの? 生まれてきてごめんなさい?」
「……少し落ち着きなさい」
とりあえず、猟奇的行動を止めさせる。
地の境界を隔てた遥かな遠方との無線通信は、まことデリケートなのだ。
そんな事で回復するなら、何処のプロバイダも苦労はしない。
「だ、だって……切れる直前にさとりの奴、妙なことを口走ってたのよ。
心の奥底に眠る恐怖の記憶で永遠の眠りにつけー。とか何とか……」
「二重表現ね」
「校正はいいから!」
「……まあ、心が読めるって事は、そういう意味でしょうね。
きっと今頃は、魔理沙の深層心理に刻まれた弾幕を展開している筈よ」
「やっぱり……」
「んー、手助けしてあげたい所だけど、ちょいとこっちも入り用なのよねぇ……」
千尋の谷に突き落としてはみたものの、今の霊夢を放置しておくのは、余りにも心もとなかった。
おかーちゃん……もとい、霊夢の保護者としての役目と、地底進攻作戦の責任者としての役目は、
どちらも切り捨てる訳には行かないというのが、紫の考えなのである。
「あんた達の事なんてどうでもいいから、魔理沙を助けなさい!」
「ありゃ。さりげなく爆弾発言ね」
「どうせいざという時には、スキマパワーで解決する気なんでしょ? でも、魔理沙はそうはいかないの。
図太いように見えて実は小心者だし。意外と些細な事で気に病んでたりするし、セロリが大嫌いだし、耳を責められるのに弱いし……」
聞いてもいないのに、延々と魔理沙評を語り出す、人形遣いさん。
このまま放っておけば、エッセイ『私の魔理沙』が上下巻発行されかねない勢いである。
それはそれで面白そうではあったのだが、そうなると対抗して、月刊、『霊夢、成長の記録』も創刊する必要がありそうだった。
ちなみに、創刊号の書き出しは既に決まっている。
「まるで成長していない……」
「何言ってるのよ、してるわよ。もう、私と身長変わらないのよ?」
「あ、いえ、魔理沙じゃなくて、こっちの話よ。うん」
「はあ?」
『おかーちゃーん……ここ、どこー? 暗いよう……』
「うん……こっちの話……」
他人を頼るようになったのは良い傾向だが、頼りすぎるというのは如何なものだろう。
些か、教育方針の誤りを覚える紫であった。
「落ち込んでないで、何か考えてよ! ほら、五秒ルールでも持ち出して介入するとか」
「……そりゃ確かに、三全世界に通ずるルールだけど……」
五秒ルール。
それは、床に食べ物を落とそうが、一斗缶で頭部を殴打しようが、五秒以内であれば大概の事は許されるという、恐ろしいルールである。
無論。だからどうしたと言われれば、いやいやただのトリビアです、と逃げる準備は万端だ。
「あんたが出来ないなら私がやるわよ。この地殻破壊爆弾で、何もかも灰塵に……」
「こらこら。どこぞのネコ型ロボットみたいな思考に走るんじゃないの」
そもそもにして、アリスがここまで動揺する理由が、紫には分からなかった。
確かに通信手段の断絶というのは、歓迎すべき事態ではないが、相手は魔理沙である。
元々、大概の事は一人で切り抜けてきた、あの勇猛な人間が、この程度のトラブルで動揺するとも思えなかったし、
こちら側としても、敵の情報を伝える事くらいしか、介入の余地は無かったはずなのだ。
{分かったわ。そいつの正体は、心を読む妖怪、さとりよ}
対処法は無いと言って良いから、なるべく戦闘を回避する方向で……}
まるで図ったようなタイミングで、アドバイザー参入。
しかし、アリスは元より、紫の心が浮き立つような要素は、皆無であった。
「あー、うん……今回は少し早かったけど、残念ながらもう手遅れよ」
{知ってるわ。こちらでも通信断絶は確認済みだから}
「……貴方、医者から分裂症って診断された経験は無い?」
{失礼ね。人を病人扱いしないで頂戴}
{立派な病人じゃないですか}
またしても、声の主が増える。
紫の明晰な頭脳は、それがパチュリーの使い魔の声であるとの判断を、瞬時に下していた。
{変な突っ込みを入れない。私は今忙しいのよ}
{だから忙しくしてたら駄目ですってば。大人しく寝てて下さい}
「……パチュリー? 貴方、本当に体調崩してるの?」
{気にしないで。大したものじゃないわ}
{実は昨晩辺りから風邪を召されてまして……}
{こらっ!}
好意的に判断するなら、それだけこの計画に際し、熱心に当たっていたと受け取れるだろう。
しかし、少し穿った見方をするだけで、意味合いは大きく変わる。
当然ながら、紫は穿った。
「(はしゃぎすぎて、当日は病欠って……何処の小学生よ……)
何故か、悲しくもないのに涙が溢れて止まらなかった。
ゆかりせんせい、受難の日である。
{あのう、八雲さん}
「……何かしら」
{手前勝手で申し訳無いんですけど、このまま強制的に眠らせてしまってもよろしいでしょうか?}
「そうね。どうせ起きてても役には……げふんげふん」
{……? そちらもお風邪ですか?}
「……あー、了解。こっちの事は気にしないで良いわ。冷やして暖めて水分の抽出を促してしまいなさい」
{化学実験じゃないんですから……でも、ありがとうございます}
{ちょ、ちょっと! 勝手に話を進めないで! 私はまだ何も為しては……ごぴゅっ、ぽっ、きゅう……}
肺に残った最後の空気まで搾り出された……そんな光景を想起させる音が聞こえ、同時にパチュリーの気配も完全に消失した。
恐らくは、病人に対して好ましくない処置が取られたものと思われるが、
そこは物心つかないような時分からの付き合いとされる小悪魔の判断。こちらが口を挟む必要は無いだろう。
断じて、突っ込むと面倒そうだったからではない。
{では、これで失礼しますね。八雲さん達の御武運をお祈りします}
「ええ。お大事に」
医者のような挨拶を最後に、図書館との通信が断絶され、
博麗神社は再び、二人だけの空間……ん? 元々二人か。
まあ、そんな感じの何かに戻ったのである。
「こうなったらジェットモグラを呼び出して……いえ、いっそ遠隔爆破で直接道を作るという手も……」
「……あーもう、仕方ないわね。こっちを使いなさいな」
幻想郷崩壊をも招きかねないアリスを止めるべく、紫は動いた。
ずどん、と迫力溢れる設置音と共に、卓袱台に置かれた物体。
思惑通りとでも言うべきか、それを目の当たりにしたアリスの動きは、ぴたりと止まった。
「……何、これ」
「見れば分かるでしょ。代わりの魔理沙人形よ。貴方を信用してなかった訳じゃないけど、一応予備を用意しておいたの」
「……魔理沙なの? これが?」
アリスの目が、点になっていた。
人形遣いである彼女にとって、魔理沙の外見的特長は、非常に分かりやすく、形としては表現し易い部類との認識があった。
即ち、黒いとんがり帽子の金髪お下げであれば、判別可能である、と。
確かに紫が出した人形は、その二大特徴を満たしている。
が、頭部しか無い上に、極限までデフォルメが化されているのは如何なものだろうか。
少々太ましく、笑顔なのか嘲笑しているのか、よく分からない微妙な表情を浮かべているそれは、見方によっては愛らしいと言えなくもない。
だが、今のアリスが想起したものは、そんな感想などではなく、ある一つの訓示。
「人間でしょ!? 生き急げ!」
「と、突然何を!?」
「……あ、わ、私は一体……?」
良く分からないが、そういうものらしい。
「……ええと、ともかく、通信してみたら? 通信断絶の原因がこちら側だったのなら、それで大丈夫な筈よ」
「え、ええ。……少し嫌なものがあるけど、そんな悠長な事言ってられないものね……」
アリスは二代目魔理沙人形に顔を近付けると、意を決して口を開く。
ビジュアル面の問題など、この際どうでも良い。
今必要な事は、魔理沙の安否の確認以外ないのだ。
「魔理沙! 聞こえる!? 無事なの!?」
『……』
「魔理沙! 魔理沙っ! なんとか言いなさい!」
『……いつもの事だが、魔理沙魔理沙うるさいぜ。もう終わったから、そんなに慌てるな』
「そ、そう、良かった……って、え? 終わった?」
『ああ。ちと気の毒に思えるくらい簡単にな』
「……」
まるで何事も無かったかの如く淡々と言ってのける魔理沙に、アリスは絶句していた。
彼女とて無知ではない。
さとりという妖怪がいかに危険な存在であるかを十分に認識しており、それ故の動揺だったとも言えるのだが、
それならばこの、人形の向こう側から感じられる弛緩した空気は、一体何なのか。
自分の知らぬ間に魔理沙は、穏やかな心のままに激しい怒りにでも目覚めたとでも言うのだろうか。
『はぁ……ちょっと……ふぅ……話が……ひぃ……違うわよ……』
目を凝らしてみれば、息も絶え絶えといった様子で、床に四肢を着くさとりの姿が見える。
どうやら、外見的印象に違わず、体力に自信のある口では無いようだ。
『話って何がだよ。別に約束を交わした覚えは無いぜ』
『そうじゃなくて……ふぅ……貴方、二重人格だったりする?』
『はあ?』
『……何言ってんだこいつ、か。でもそれだと、説明がつかない……』
「ね、ねぇ、こっちにも分かるように話してよ!」
直接その場で相対している訳でもなく、戦闘も見逃していたアリスには、まったく状況が飲み込めずにいた。
分かることと言えば、二人の弾幕戦が魔理沙の圧勝で終わったらしい。との一点のみ。
冷静に状況を分析するならば、それだけで十分であるとも言えるのだが、そこは野次馬的好奇心という名の枷が許してくれそうになかった。
『……私の能力は、他者の心を覗き見る力。それは深層心理に関しても例外じゃないわ。
だから私は、霧雨魔理沙の精神的外傷……トラウマとなっている弾幕を探り当て、それを模倣したの。
しかし現実には……まったく対抗出来なかったわ』
『いや、ま、仕方ないだろ。私が強すぎるんだ』
『言ったでしょう。それでは説明が付かない、と』
「……」
さとりの困惑は、第三者であるアリスにも、共感を得るに容易だった。
魔理沙が心に巨大な棚でも抱えているか、それとも本当に二重人格でもなければ、このような矛盾は発生しない筈なのだ。
『……あ』
「あ、って何よ魔理沙? 何か思い当たったの?」
『い、いや、何でもない。うん。ただの気のせいだ』
『……え? そういや、ゲップが出るくらい対峙してるからなぁ。ある意味トラウマと呼べるかもな。ですって?』
『うあ……』
『効果的だと思わせとけば好都合だったしな、と。……本当に良い性格ね、貴方。旧地獄巡りも、良い経験になると思うわ』
『よ、ようやくお前が怖く思えてきたぜ。おちおち隠し事も出来やしないな』
さとりの呟き……即ち、魔理沙の心境の吐露に、アリスは再び不吉な予感を覚えていた。
聞くべきではない。このまま何事もなかったかのように流すべきだ。
そう訴えかける心を隅へと追いやると、アリスはおもむろに口を開いた。
「……ねぇ、さとりさん。貴方が模倣した弾幕って……誰の?」
『え? 勿論、貴方のものよ。アリス・マーガトロイド』
『やーめーれー!!』
後悔、先に立たずとは、まさにこの事か。
次も楽しみにしています
……不人気じゃないのだわ!!
うん、間違いないね。
では。
ゆっくりしていってね!!!
霊夢の「おかーちゃん」発言に爆笑しながら萌えました。
流石「紅白混ざれば~」の作者さん、相も変わらず楽しいです。
でも最強はアリス隊長でFA。
二人の関係