※『東方地霊殿』のネタバレ?あります。
※メタ表現多いです。
※作者の『登場人物が⑨になる程度の能力』が発動しています。
「全然足りない」と、八坂神奈子は言った。
それがあまりにも唐突で、おまけに三人で朝食を囲んでいるときのことだったので「おかわりですか?」と東風谷早苗は聞き返した。
「ちがうわよ」
「ちがわないよ。さなえー、おかわりー!」
神奈子の言葉を遮って、洩矢諏訪子が空のお茶碗を早苗に差し出す。
「あっ、マウンテン・オブ・ライス(山盛り)でお願いね!」
「はいはい」
朝っぱらからよく食う奴だ、と話の腰を折られた神奈子が苛つく。
その様子を察した早苗は「足りないって、何のことですか?」と神奈子の話を促した。
「早苗、いまのわたしたちには何が足りていないかわかるかい?」
「えっ?」
まさか質問に質問で返されると思わなかった。
「えっと……信仰、ですか?」
かつて早苗たちは、失われた人々の信仰心を取り戻すため幻想郷へやってきた。当初は現地住民たちとすったもんだしたけれど、いまはそれなりに持ち返しているはずだが。
ところが神奈子は「信仰はおかげさまで十分に回復してるわ」と言う。
「でも惜しい! もっと別のものよ」
そう言われて考える早苗だったが、思い当たる節はない。いまの生活は十分に満ち足りたものだと思う。
「えーい、まだるこいなぁ、神奈子は!」
飯を食いながら話を聞いていた諏訪子が、堪えられず箸を止めて神奈子を野次った。
「神とは勿体ぶったほど有り難がられるものよ」
「いいから結論から言っちゃいなよ!」
「仕方ないわね。――いまのわたしたちに足りていないもの、それは」
そこで神奈子は一呼吸置いて言った。
「『人気』よ」
神奈子の言葉が早苗と諏訪子の脳に届くまで、若干の間があった。
「人気、ですか……」
意味が判らず、神奈子の言葉を復唱する早苗。
「そう、人気。いわゆるアイドルランク」
「いや、いわゆるところがちょっと解らないんですけど。信仰とどこが違うんですか?」
「信仰とは神としての愛され度。人気とはキャラクターとしての愛され度のことよ」
「わぁ、なんてメタメタなことを……」
頭が痛くなるような神奈子の発言に、早苗はうなだれてしまう。
「わたしたちが幻想郷にきてから随分と時が過ぎたわ。信仰は確かに回復したかもしれない。でも、『東方プロジェクトに出演して人気キャラの仲間入り』という目的のほうは、いまいち達成できていないのよ!」
「そんな目的があったんですか……」
早苗としては初耳である。まさに寝耳に水。
「そんなことないんじゃない?」
諏訪子が反論する。
「最近ではわたしたちがメインの同人誌も結構見かけるし、イラストもたくさん描かれてるみたいだよ。まあ、確かに神奈子だけを描いた絵はあまりないかもしれないけど」
「そういうことが言いたいんじゃないの。わたしが問題視しているのは、わたしたち守矢一家が他の東方キャラに比べて、明らかに人気の面で引けを取っているということよ!」
「うっ……」
神奈子の言葉に早苗と諏訪子が息を詰まらせた。その点に関しては、少々思いあたる節があったのだ。
「嗚呼、わたしも『緋想天』に出たかったのにっ!」
神奈子が涙を目に浮かべながら、悔しさを込めて食卓を叩いた。
「八坂さま……」
早苗は知っていた。
再び東方の格闘ゲームが出ると聞いた神奈子が、年甲斐もなく体術の鍛錬をしていたことを。某・彼岸島よろしく御柱を振り回して仮想敵と戦う神奈子の真剣な姿は、早苗の心に焼き付いていた。いろいろと無理のある姿だった。
「早苗も他人事みたいにしてるんじゃないよ」
「はい?」
すっかり哀れみの目をしていた早苗に、神奈子は言う。
「キャラ的にはお前が一番、参戦に近いところにいたのよ。風祝の巫女なんていかにも格ゲー向きじゃないか。ところが風使いのポジションは、すっかり天狗の新聞記者に取られてしまう始末」
「えっと、それは、その……」
「幻想郷に来るまえに、あれほど妖怪に食われないように気をつけろと言い聞かせてたのに、キャラを食われてしまうとはどういうことだい。こりゃ続編が出ても参戦は危ういかも知れないねぇ」
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」
絶望に堪えられず思わず声を張りあげた早苗を、「開発時期の関係とかでしょうがなかったんだよ、たぶん」と励ます諏訪子。きっ、と神奈子を睨みつける。
「こらーっ、神奈子! これ以上早苗をいぢめると、わたしが許さないよ!」
諏訪子の腕のなかでめそめそと泣く早苗を見て、すっかり興奮していた神奈子も落ち着きを取り戻した。
「す、すまないねぇ、べつに早苗を責めるつもりはなかったんだよ。ただ、わたしたちがこのまま出番もなく忘れ去れるのが怖くって……」
忘れ去られる恐怖。
それは、かつて人々の信仰を失いかけ、神としての自らの存在が薄らいでゆく不安と孤独感を味わったことのある神奈子にとって忘れ難いものだった。その気持ちは諏訪子も痛いほどわかる。
「でも、なんだって急にそんなことを言い出したの?」
諏訪子の問いに対し、神奈子は無言で朝刊を差し出した。
早苗のキャラを食った憎き新聞記者(言いがかり)の射命丸文。彼女の発行する文々。新聞の一面には、大きな見出しでこう書かれていた。
――東方プロジェクト最新作、発売決定!!
◆
ひとまず三人は朝食を済ませたあと、緊急の会議を開いた。
「新作に出るということは、すなわち、新キャラとの共演があるということ。それはわたしたちに纏わる新ネタをファンに提供し、二次創作をより活発化させることに他ならないわ」
「そいで、もっともっと人気が出るってことね!」
「ええ、その通りよ」
ごくり、と生唾を飲み込む一同。
これは負けられない。
幻想郷全土を敵にした出演枠を奪い合う椅子取りゲーム、絶対に負けるわけにはいかない。
「だけど、新作に出るためには、人気がなくてはいけないわ」
「あーうー、ジレンマだわね」と、唸る諏訪子。
人気を得るために人気が必要というメビウスの輪。
先程、神奈子がアイドルという言葉を持ち出したが、それも頷ける気がする。
仕事のないアイドルは人気がでない。そして、人気がでないアイドルに仕事はないのだ。
「となると、どうすればいいのでしょうか?」
早苗が神奈子に問いかける。
「人気を得るためには、キャラクターが立ってないといけないと思うの」
キャラクターが立っているというのは独自の特徴を持っていることだと、神奈子は言う。
「ほら、わたしたちって東方ファンの間では『守矢一家』なんて呼ばれてるじゃない? でもそれって、『八雲一家』と被ってると思うのよ」
「しかも、実際、家族ネタはあちらさんのほうが多いですね」
「同じ三対三でも、萌え要素的にこちらが不利かもねー。だってこっちには、おばさんっぽいのが混ざっててもがーっ!?」
諏訪子のほっぺを神奈子が容赦なくつねりあげて、その口を封じた。
「まあ、とにかくわたしたちは神様家族というジャンル以外の、独自の路線を開拓しないといけないわけ」
あー、なんかそのフレーズ聞いたことあるわ、と思う早苗だった。
「なるほど。でも、ちょっと難しそうですね」
ふむ、と神奈子は一考して言った。
「さなえ、かなこ、すわこ、の頭文字をそれぞれ取って『さーかす』――、」
神奈子が名案だとばかりに、ぽんっ、と手を打った。
「『八坂大サーカス』なんてどうかしら」
「ケロちゃんです(ソプラノ)」
「いやいや、お笑い芸人でも始めるつもりですか!?」
しかも一発屋で終わりそうで不吉なネーミングだ。
「いいえ、普通にサーカスよ。巫女による奇跡のマジックショーとか」
「蛙のしめ縄くぐりとかも、面白いかもしれないね!」
「だったら蛇に綱渡りをさせるってのはどうかしら?」
「それいいかもっ! どっちが蛇か綱かわかんなくて楽しそう!」
ああだ、こうだと盛り上がり始めた神奈子と諏訪子。
いけない、このままでは本当にサーカスをやらされるハメになりそうだ、と焦った早苗は「八坂さま、洩矢さま」と、二柱の神に呼びかけた。
「独自の路線を開拓するべきだというご意見は理解できます。サーカスっていうアイデアも幻想郷的に目新しいですし、話題にはなるかもしれません」
でも、奇をてらっただけではだめだと思うんです、と早苗は言う。
「神主さんだって、なにも人気だけで出演者を決めてるわけじゃないと思います。むしろ重視されているのは必然性。新作に出演するには、物語的に必然性がなければいけないんじゃないでしょうか?」
「ふむ、なるほどねぇ」
「さっすが早苗! 良いとこ突くね」
早苗の言葉に、得心した神奈子と諏訪子が頷く。
博麗霊夢は東方プロジェクトの主役として毎回ゲームに出演している。それは、彼女が異変を解決する役割を持つ巫女である、という必然性があるからだ。
魔法使いの霧雨魔理沙も、厄介事に首を突っ込みたがるというその性格から、博麗霊夢に並ぶレギュラー枠を不動のものにしている。
「あっ、でも『文花帖』には出てなかったわねぇ?」
「そうね、たしかあれは射命丸文が主役だったわ」
「またあいつか。ええい、あの忌々しい愛され上手め。もしかしてテングになってんじゃないのかね? ……天狗だけに!」
「神奈子、寒いわよ」
射命丸文が愛され上手かはさておき、彼女の東方プロジェクト出演の多さも『新聞記者』というキャラクターの性質上、異変や事件に関わりやすいという必然性によるものだろう。
「つまりですね……」
と、前置きした早苗は、いままでの話を総括してみた。
「わたしたちが独自の路線を開拓するのなら、来たるべき異変が幻想郷に起きたそのとき、積極的に関わりを持つことができるキャラクターを目指さなければいけないのです!」
「おお~!!」
守矢神社の境内に、神々の感嘆の声と拍手が響いた。
◆
妖怪の山の嶺には、霧の晴れることのない不思議な湖がある。
一年中太陽の日差しを遮るほどの霧が満ちているため、いつも薄ら寒く、ちょっぴり不気味だ。そんな環境のせいか、この湖の辺にはたくさんの妖精たちが棲みついている。
「おーい、かえるーどこだー」
やかましいくらいの大声を出して、地面をきょろきょろと見渡しながら低空飛行をしているこの妖精はチルノ。冷気を操る程度の能力を持った氷の妖精だ。
チルノは、退屈しのぎに蛙を凍らせて遊ぼうと思ったのだけれど、なかなか見つけられないでいた。
チルノが蛙を見つけられないのも無理はない。幻想郷の季節が秋から寒い冬に移り変わりつつあるいま、蛙たちは冬眠をはじめる時期なのだ。チルノはそのことを分かっていなかった。
「かくれてないで、出てこーい!」
蛙をいじめて暇をつぶせないチルノは、徐々にイライラしてきた。
そんなときタイミング悪く「どーしたのー」と、チルノの前に姿を現したのは近所に棲んでいる闇の妖怪・ルーミアだった。
「どーしたもこーしたもないわよ! あんたが近寄ると暗くなって、かえるが見つかりやしないわ!」
チルノは八つ当たりめいた非難をルーミアにぶつけた。
「わたしのせいじゃないよー。冬になったからみんな寝ちゃったのよ」
「じゃあ、春になるまで遊べないってこと!? そんなのあたい、待ち切れないよ。仕方ないから、あんたの凍らせ具合をためさせろー」
「わー、なんでそうなるのよー」
ぴゅーっ、と一目散に逃げ出したルーミアを、「まてーっ」とチルノが追いかける。
「まったく、逃げ足が速いやつね! でも逃がしやしないんだから!」
チルノがルーミアの後ろ姿を目掛けてつららのミサイルを発射した。
「きゃー」
ルーミアが叫び声をあげた、そのときだった。
ぷぴぴぴぴーッ、という甲高い笛の音が響き、上空から飛来した御符がつららミサイルを精確に撃ち墜とした。
「誰よ、あたいのじゃまする奴は!?」
チルノが御符の飛んできた方向を見上げると、東風谷早苗、八坂神奈子、洩矢諏訪子の三人組がそこにはいた。しかし、どこか違和感がある。
「おっ、やっとかえるのお出ましね!」
諏訪子は蛙を模した独特のデザインの帽子を被っている。チルノはそれを見て、蛙の親分かなにかと思った。
「わたしは蛙じゃないわよ」
「かえるじゃなかったら、あんたいったい何者なのよ?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、諏訪子が口元に不敵な笑みを浮かべた。
「わたしは……いいえ、わたしたちは!」
「『守矢一家』改めまして――」
「幻想郷の秩序と治安とラブを守る『守矢警察』よ!」
そう言って諏訪子たちは、いかにも手作りといった警察手帳を突きつけて見得を切った。
しかも三人とも、どう調達したのか知れない警察官の制服を身に着けていて、ビシッと引き締まったオーラを放っている。その姿、まさに正義の権化。
「なによケーサツって? そんなのあたい知らないよ」
「わたしもー」
目のまえの奇妙な三人組に、妖怪の子どもたちがぽかんと間の抜けた表情をする。
「警察っていうのはね、善良な市民の平穏な生活を守るための組織なの。そのためには悪党とも戦ったりしちゃうんだから!」
早苗がそう説明すると、チルノたちは「よくわかんないけどかっこいい!」と喚声をあげた。
「というわけで、氷の妖精さん。あなたを氷害罪で逮捕します」
「なんだって? 悪党ってあたいのことだったのか!?」
あたいはよいこだぞーっ、と逆上したチルノが無数の氷弾を射ち出した。しかし、諏訪子がおもむろに掌をかざすと、氷弾は見えない壁に阻まれるようにして砕け散ってしまった。神の力のまえでは、ちっぽけな妖精の力など塵にも及ばないのである。
「さあ、おとなしくお縄に就きなさーい!」
「しめ縄だけにね!」
「神奈子、寒いわよ」
こりゃいろいろな意味でかなわん、と思ったチルノは慌てて回れ右をして逃げ出した。ところがすぐに何か柔らかいものにぶつかってしまい、チルノが顔を上げると、すぐそこには微笑みを湛えた神奈子の顔があった。
「悪戯な妖精よ、暗いところに閉じ込めて臭い飯をたんとご馳走してあげるわ」
「そんなのやだよぉー!」
神奈子の胸に顔を埋めたチルノが、涙目で悲愴な叫び声をあげた。
「だったらこうよ!」
「ひゃあ!?」
神奈子はチルノを片手で抱えると、空いたほうの手のひらでチルノのお尻をバチーン!バチーン!と叩きはじめた。それはまるで悪さをしでかした子を叱る母親を思わせる姿である。
「八坂さま、板に付きすぎです……」
「神奈子が『緋想天』に出てたらと思うと、ぞっとするね」
元よりそのつもりはないが、八坂さまだけは怒らせないようにしよう、と心に決める早苗であった。
「うわーん、もうルーミアをいぢめないよぅー!」
ぽろぽろと涙をこぼすチルノが心から反省したと判断すると、神奈子はチルノを解放してやった。
「さあ、これに懲りたのならば、もう弱いものいじめをしてはいけないよ?」
涙目でお尻をさするチルノの頭を、優しく撫でてやる神奈子。
チルノは不貞腐れたような表情で「わかった……」と呟いた。
「これにて一件落着ですね」
うんうん、と早苗は満足そうに頷いた。
「さあ、八坂さま、洩矢さま。わたしたちはまたパトロールに戻りましょう」
「りょーかい!」
諏訪子が帽子をなにやらいじると、ケロちゃん帽についたふたつの目玉がサイレンのごとく赤く点灯した。守矢警察を結成するにあたって、ちょっとばかし細工を施したのだ。
「じゃあね、おちびさんたち。心にラブがある限り、守矢警察はあなたたちの味方ですよ」
「あーうー、あーうー、あーぅー、ぁ‐ぅ‐」
ドップラー効果で遠ざかるサイレンの音を聞きながら、その場に残された二匹の妖怪たちは、颯爽とパトロールに向かう守矢警察の後ろ姿にいつまでも手を振っていた。
「さあ、気をとりなおしてかえるをさがすわよ!」
「わたしも手伝ってあげる!」
懲りない妖精たちであった。
◆
迷いの竹林では、ふたりの少女たちが今まさに雌雄を決さんと、人知れず激しい戦いを繰り広げていた。
「ふふ、幻術に幻覚で対抗してくるなんて、味な真似をしてくれるものね……」
紅魔館のメイド長・十六夜咲夜は姿の見えない敵に対して、余裕たっぷりの笑みを見せた。
いや、「姿の見えない」のではない。正確にいえば「姿が見えすぎる」のだ。
咲夜はいま、気の遠くなるほど多くの敵に囲まれている。しかも、その敵は全員とも同じ姿かたち――長い兎の耳とブレザーが特徴的な少女の姿をしていた。
相対する敵の名は鈴仙・優曇華院・イナバ。
「「「あははははっ、余裕があるふりをして見せても無駄。そうしてないと、怖いだけなんでしょう?」」」
竹林に、無数の鈴仙たちの声がこだまする。
狂気を操る程度の能力を持つ鈴仙は、その力を以って咲夜の心を狂気で蝕み、彼女の目に自らの分身を万華鏡のように写し出させているのである。
「あなたが怖いですって?」
鈴仙の言葉を、咲夜が一笑に付した。
「あなた、料理はお得意かしら?」
「「「……えっ?」」」
この状況で突然なんの話だ? と鈴仙は戸惑う。
「料理を作るとき、レシピを見てから食材を揃えるというやり方があるけれど、それでは料理人としてはまだまだ未熟。気まぐれに料理をやってみるような素人さんレベルね。わたしは――本当に料理ができる人間は、食材を見てから夕食のレシピを決めるわ」
淡々と語りながら、手に持ったナイフを弄ぶ咲夜。
そんな彼女を、鈴仙たちは手出しもせずに胡乱な表情で見つめている。状況的には有利な立場にあるにも関わらず、鈴仙は咲夜が放つ異様な雰囲気にすっかり飲まれていた。
「――それと同じように、わたしはどんな相手が敵だろうと怖くない。そいつをどう料理してやるか、すぐに決めるから。食材を怖がる人間なんて、どこにもいないものね」
次の刹那。鈴仙たち一人ひとりの目のまえに、突然ナイフが出現した。
「「「――わっ!?」」」
とっさに身を逸らしてナイフを避ける鈴仙。しかし、ナイフを避けたのはたった一人――本体だけだった。そのうえ動揺した鈴仙は集中を切らせてしまい、咲夜の幻覚が解けてダミーの鈴仙たちが霧散してしまった。
「いけない!」
「本体はそこね!」
精密機械のような動作で咲夜がナイフを投擲した。
が、鈴仙は弾丸を形成して射ち出し、向かってくるナイフを迎え撃った。
「あ、危なかった……」
「思ったよりも出来る子のようね」
鈴仙がナイフを避けようとしていれば、咲夜の時間を操る程度の能力によってナイフに封じ込められた別方向への指向性が解除され、逃げる鈴仙を追撃していただろう。ナイフを射ち墜とす、という選択をした鈴仙は最善策を取ったということになる。
「だけど、それならば今度はこっちが数で押させてもらうわっ!」
またしても突如、咲夜の周囲に鈴仙へと切っ先を向けた無数のナイフが出現した。
「こんのーっ! そんなもの全部壊してやるーっ!!」
殺到するナイフの嵐を、鈴仙は次々と形成させた弾丸で迎撃する。
お互いに弾を避けようともしない珍しい弾幕ごっこだった。
金属と金属がぶつかりはぜる乾いた音が、竹林に鳴り響いていく。
そのときだった。
――ぁ‐ぅ‐、ぁーうー、あーうー、あーうー
弾幕ごっこの音に混じって、珍妙なサイレンの音色が戦うふたりの元に徐々に近づいてきた。
「なんなの、この気の抜けたような音は?」
「……さ、さあ?」
それまで激しい撃ち合いをしていた咲夜と鈴仙も、思わず手を止めて音の正体を探った。
ぷぴぴぴぴーッ!!
「……!?」
けたたましく警笛を吹き鳴らしながら、竹林の陰から東風谷早苗が姿を現した。それに続くように八坂神奈子と、ケロちゃん帽のランプを点灯させた洩矢諏訪子も現れる。
「そこのふたり! すみやかに喧嘩を止めなさーい!」
「あなたたち、たしか守矢神社の……」
「ていうか、なんでみんな警官の格好してるのよ?」
外の世界を知っている咲夜が、三人組の奇妙な姿に困惑する。
「わたしたち、幻想郷の秩序と治安とラブを守る『守矢警察』を結成したんです。というわけで、喧嘩は止めてください」
なにが「というわけで」なのか、まったく理解できない咲夜と鈴仙だったが、とりあえず自分たちの戦いに難癖をつけられたことだけはわかった。
「いや、わたしたち弾幕ごっこしてただけだし」
「幻想郷では弾幕ごっこは合法よ? 法律なんてないけど」
「弾幕ごっこが問題じゃないの!」
ふたりの真っ当な反論を、諏訪子が帽子のランプを停止させつつ制した。
「あなたたちがたったいま撃ち合っていた得物はなに?」
「えっ」
「ナイフと座薬だけど?」
「弾丸ですぅ!」
そこが問題なのよっ、と諏訪子が叫んだ。
「これは立派な銃刀法違反だわ! そんなものを武器に使って、東方プロジェクトがマスコミに『美少女らがナイフや弾丸を敵に浴びせて倒すゲーム』とかなんとか揶揄されて、犯罪報道の叩き台にされたらどうするつもりよー!」
「そんなこじつけあるもんですか!」
難色を示すふたりを見て、守矢警察が無言で頷き合う。
「そっちがその気なら強制連行も止むを得ませんね……」
「おとなしくお縄に就くのよ、しめ縄だけに!」
「神奈子、天丼はよそうよ」
まるで暴走特急のような勢いで勝手に事を進める守矢警察に、とうとう咲夜と鈴仙の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「もーっ、あんたたちいったい何なのよー!」
「レイセン、ここはひとまず呉越同舟といきましょう」
咲夜と鈴仙が挑みかかってくるや否や、神奈子は御柱を召喚し背に装備すると、そのうちの一本をおもむろに引き抜いた。
「『緋想天』に出演できなかったわたしの悲壮を思い知るがよい!」
神奈子は迫るナイフと弾丸を御柱で弾きとばしつつ、その振りを利用してそのまま鈴仙の腹部に横薙ぎの一撃を叩き込む。さらに咲夜が呆気に取られたほんのわずかの間に、流れるような動作で御柱を振り上げ一気に叩き降ろした。それは本当に一瞬の出来事で、咲夜と鈴仙が自慢の能力を使う暇さえもなかった。
「八坂さま、御柱使いこなしすぎです……」
「神奈子が『緋想天』に出てたらと思うと、ぞっとするね」
元よりそのつもりはないが、八坂さまだけは怒らせないようにしよう、とさらに硬く心に決める早苗であった。
「イタタタタ……」
「さすがに神には叶わないわね……」
「あ、生きてた」
口から大量の血を垂れ流した鈴仙と、額から大量の血を垂れ流した咲夜がよろよろと立ち上がった。さすが宇宙人とメイド、体は並みの人間より頑丈のようだ。
「さあ、これに懲りたのならば、もう物騒なものを武器にするんじゃないぞ?」
満身創痍のふたりに、神奈子は厳かにそう告げた。咲夜も鈴仙も、もはや「一番物騒なのはおまえだ」というツッコミを入れる気力さえ残っていなかった。
「で、でも、それじゃあわたしたち、これからなにを武器にして戦えばいいんですか」
「人間のわたしが妖怪たちと互角に渡り合うには、ナイフは必要なのよ」
そんなふたりに、神奈子は背部から御柱を二本引き抜いて、差し出した。
「ならば……武器を丸太に持ちかえろ!!」
神奈子の得体の知れない迫力に圧され、咲夜と鈴仙は無言で御柱を受け取ってしまった。
「またしても一件落着ですね」
うんうん、と早苗は満足そうに頷いた。
「それじゃあパトロール再開です。洩矢さまっ」
「あーうー、あーうー、あーぅー、ぁ‐ぅ‐」
遠ざかっていくサイレンの音を聞きながら、その場に残されたふたりは神奈子に渡された御柱を抱えたまま、守矢警察が消えていった竹林の闇を呆然と見つめ続けていた。
「なんだったのかしら……」
「こっちが聞きたいわ……」
「ところで、さっきの戦い――、」
「ええ、決着がまだついていなかったわね」
そして咲夜と鈴仙は、丸太を使った殴り合いをはじめた。
◆
幻想郷の上空。
守矢一家、もとい守矢警察は下界を見回しながら、パトロールを続けていた。
「あーうー、あーうー、あーうー」
「ねえ、諏訪子。それ、やかましいから止めてくれないかい? そもそもサイレンっていうものは、事件が起こったときに緊急車両が現場に駆けつけやすくするためのものだろう。矢鱈滅多羅に鳴らすんじゃあないよ」
「はー、神奈子は考えが浅いねー。このサイレンはね、わたしたち守矢警察の活動を、幻想郷の皆様にアピールするために鳴らしてるんだよ」
諏訪子が、ふふん、と胸を張る。
守矢警察の目的は、幻想郷の秩序と治安とラブを守ること。そして、そのうちの『ラブ』とは、キャラクターとしての愛され度のことを示していた。
そう、すべては『東方プロジェクトの新作』に出演するため。自分たちが「幻想郷にひとたび異変・事件が起こった際に、その場に居合わせる必然性のあるキャラクター」であることを、アピールするためであった。
「まあ、そいつはよくわかったが、やっぱり煩いものは煩いよ。止めておくれ」
「そこまで言うなら止めるわよ。ちぇ~、結構気に入ってたのに~」
口を尖がらせて、諏訪子はしぶしぶ帽子のサイレンを消した。
「それにしても警察っていうアイデアは良かったわねー。事件があれば、そこに駆けつける義務――必然性があるもの」
「それに、幻想郷の誰もまだ手垢をつけていない新ジャンル。出番が増えて、おまけにキャラも立つ。まさに一石二鳥じゃないか」
「いいえ、八坂さま。幻想郷の平和な日常生活も守れて、一石三鳥ですよ」
守矢警察の面々が、計画の完璧っぷりを自画自賛しているところに、二匹の妖怪がなにやら慌てた様子で飛び込んできた。
「やっとみつけたー」
「さがしたわよ!」
それは、先程湖で別れたばかりのチルノとルーミアだった。
「あなたたちはさっきの事件の!? どうしたの、血相を変えて」
「かくかくで」
「しかじかなの!」
「ええっ!? あのあと蛙を探すために幻想郷中を飛び回っていたら人間の里を通りかかったときに恐ろしい妖怪が暴れているのを見かけて慌ててわたしたちを探しまわっていたですってー!!」
一瞬で事態を把握する早苗。
諏訪子が帽子のサイレンの音を垂れ流していたことで、チルノたちが早苗たちを発見するのが早まって、今回ばかりはそれが吉とでたようだ。
「八坂さま、洩矢さま、里へ急ぎましょう!」
「ええ。諏訪子っ、いまこそスクランブルのときよ!」
「合点承知よ!」
どこまでも広がる幻想郷の空に、守矢警察のサイレンの音が勇ましく響き渡った。
◆
事件現場に急行する守矢警察。
途中まで同行していたチルノとルーミアは、恐ろしい妖怪が暴れているという場所を早苗たちに教えると「こわいよー」といって逃げてしまった。
「ぷぴぴぴぴーッ!! わたしたちは守矢警察です。人間の里で暴れるのは止めなさーい!」
事件現場だという養鶏所に三人が降り立つと、意外なことに、そこにいたのは九尾の妖狐・八雲藍と、その式である化け猫の橙、そして養鶏所を営む中年の村民であった。
「ああ? なんだおまえたちは?」
突如降って湧いた珍妙な格好をした三人組を、藍が訝しげに睨めつけた。
「わたしたちは里で恐ろしい妖怪が暴れているって聞いて駆けつけたんですけど、恐ろしい妖怪ってあなたたちのことだったんですか!?」
早苗が驚くのも無理はない。
八雲藍はとても強い力の持ち主でありながらも、温和な性格であることで有名で、悪行を働くような凶暴な妖怪ではない。また、しばしば人間の里で買い物をしている姿が目撃されていたりして、人間との関係は決して悪いものではなかったはずだ。
ところがいま目のまえの藍は、もともと吊り目気味のまなじりをさらに吊り上げ、敵意を剥き出しにして、怯える養鶏所の主を睨みつけている。明らかに様子がおかしい。
様子がおかしいといえば、藍の傍らにいる橙がなぜだか泣きべそをかいているのも、よくわからない状況のひとつだ。
「暴れているだって? わたしはいま、この男とちょっとおしゃべりしているだけだ」
「そんなの嘘ですよ! だってこのおじさん、明らかに怖がってるじゃないですか」
恐怖に慄くおじさんは、ぶっ壊れたファービーのごとく目を白黒させ口をぱくぱくさせている。
「いったいなにがあったのか……わたしたち守矢警察に詳しくお聞かせください!」
すると藍は「これを見てみろ」と言って、どろっとした液体が滲んで滴る藤編みの籠を早苗に突きつけた。
早苗たちが籠を覗き込むと、たくさんの割れた卵が入っていて中身がぐちょぐちょになっていた。
「……どういうことです、コレ?」
「橙をお使いに行かせたらこのザマだよ」
大きな猫耳と二本のしっぽを震わせて、橙がしゃくりあげながら泣いている。
「まさかあんた、相手が四つ足の汚らわしくて卑しい獣だからって割れた卵を売りつけたんじゃないでしょうね!?」
さらっと酷いことを口走る諏訪子に、おじさんが慌てて弁解する。
「そ、そんなことしてないし思ってもないだよ! 商売は信用が生命線。ましてや、八雲一家のお嬢ちゃんにそんな酷いことするものかい!」
ならば藍はなぜ怒っているのだろうか。わからない。
「ぐすん、ごめんなしゃい……きれいなちょうちょがいたから、ひぐゅ、おいかけてたら、わたし、ころんじゃって……そいで、そいで……」
「泣かなくてもいいのよ、橙。悪いのはあなたでも蝶々でもない、転んだだけで割れてしまうような卵を売っていたこの男よ」
優しく橙の頭を撫でていた藍が、きっ、とおじさんを睨みつけると「おまえの頭もこの卵のように叩き割ってやろうか!」と凄んだ。
「ヒィィィ!?」
腰を抜かしたおじさんを庇うように、守矢警察が藍の目のまえに立ち塞がった。
「ちょっと待ってください! それって完全に言いがかりじゃないですか!」
「これが本当のモンスターペアレンツってやつね、妖怪だけに!」
「神奈子、寒いわよ」
八雲藍の橙に対する過保護っぷりは幻想郷でもかなり有名だが、まさかこれほどのものだったとは。
「なんだと? じゃあおまえたちは、悪いのはうちの橙だっていうのか!?」
「いや、悪いのは全面的にあなたでしょ……」
「わたしたち守矢警察が、正義の名においてあなたをしょっ引いちゃいます!」
「正義だとぉ~?」
早苗の言葉に、藍が噛み付いた。
「おまえたち、『かわいいは正義』という格言を知らないのか!」
「えっ?」
「うちの橙はかわいい! よって、わたしたちこそが正義なのだ!!」
腕組みしてそう言いきる藍には、早苗たちを圧倒するほどの得体の知れない迫力があった。
「そ、そんな……」
あまりのショックに、早苗が崩れ落ちる。
「それじゃあ、わたしたちが信じてきた正義はいったい……」
地面に手をついて茫然自失に陥った早苗。
なにやら旗色が悪くなったと判断したおじさんは「こわいよー」といって、一人だけ逃げてしまった。
「ふん、ザマないな。自らの信じていた正義を見失い、守らんとした者にも見捨てられ……って、しまった逃げられたーっ!!」
慌てて追いかけようとする藍のまえに、両手に鉄輪を構えた諏訪子が躍り出た。
「おっと! あなたの相手はわたしだよ」
「邪魔をするなっ!」
咆哮する藍が掌で印を結ぶと、銃弾のように狐火が放たれ諏訪子の鉄輪を弾きとばした。
「できる!?」
「わたしは八雲紫さまの式神だ。まがりなりにも神と呼ばれる身よ!」
珍しく真剣な顔つきをして藍と対峙する諏訪子のこめかみに、一筋の汗が伝った。八雲藍、やはり強い。
「しゃきっとしなさい、早苗!」
一方では、神奈子が落ち込む早苗を鼓舞していた。
「八坂さま……わたし、正義が何なのか、よくわからなくなってしまいました。教えてください。正義っていったいなんですか!?」
「――良いこと、早苗?」
神奈子は、幼い子に言い聞かせるような優しい口調で諭した。
「正義のまえに立ち塞がるものはね、いつだって悪とは限らないの。ときには、また別の正義と衝突することだってあるわ。そして、そのときが今日という日だったのよ」
「だったら!」
「そう、正義なんてものは本当はどこにもない。正義なんて言葉は、人が自らの行いを正当化するためのものなんだよ。だったらさ、わたしたちは自分たちが正しいと思ったことをやるしかないだろう?」
「八坂さま……」
早苗はゆっくりと立ち上がり、顔をあげた。その瞳に、もう迷いはない。
「わかりました。いまは、思い悩んでる場合じゃないんですね!」
そもそも思い悩むような場面でもない。
「それに『かわいいは正義』っていうのなら、うちの早苗のほうがかわいいもん!」
藍と激しい攻防を繰り広げていた諏訪子が言った。
その言葉に、藍は堪らず手を止めた。
「いいや、うちの橙のほうがかわいい!」
「でも、早苗のほうがもっとかわいい!」
弾幕ごっこを完全に中断し、激しく言い争うふたり。
「な、なにがはじまったんでしょうか?」
「ほら早苗、いまは思い悩んでる場合じゃないんだろ?」
「わぁ、八坂さまなにを!?」
神奈子に手を引かれ、早苗は強引に諏訪子と藍のまえに連れ出されてしまった。
「その目をよ~く見開いて見なさい!」
「どうだ、早苗はかわいいだろう!」
「えっ! えっ? えっ!?」
神奈子と諏訪子の小っ恥ずかしい言葉にうろたえ、顔を真っ赤にする早苗。一昔前の少女漫画なら「まっかっか~」といった類のオノマトペが付加されそうなその姿は、逆に見ているほうを赤面させてしまうくらい可愛らしいものだった。
「ふん……」
しかし、なぜか藍の反応はいたって冷たいものだった。
「確かに世間一般の評価としては、美少女に分類されるやも知れん。だが、わたしから見ればこの娘はもうトウが立っているわ」
「どうして!?」
「それはわたしがロリ狐(コン)だからだッ!!」
守矢警察に衝撃が走った。いけない。この人、ビョーキだ。
「――だけど、まだ奥の手があるわ」
神奈子が不敵に笑う。
「早苗、わたしのとっておきのスペルカードの名前を、大声で叫んでみなさい」
「えっ、八坂さま、なぜいまそんなことを?」
「いいからっ!」
神奈子の勢いに押され、訳のわからないまま早苗はすぅ、と息を吸い込むと大声で叫んだ。
「ま……マウンテン・オブ・フェイしゅ!!」
噛んだ。
藍の狐耳が、ピクッと反応した。
「な、なんの真似だ……?」
「ふふふ、うちの早苗はねぇ、昔っから舌足らずで、いまでも緊張したり興奮したりすると、こうして舌が回らなくなっちゃうんだよ」
「ちびっこいころの早苗は、自分の名前もうまく言えないで『さにゃえ』っていったりしてたんだから!」
神奈子と諏訪子の思いがけない暴露に、藍がぷるぷると打ち震えた。藍のロリ魂(コン)のビートが、身体の震えとなって発現しているのだ。
しかし、早苗としてはたまったものではない。自分の秘密をばらされた早苗は、耳まで真っ赤になって怒鳴った。
「もーおっ、ふたりともなに言ってるんでちゅやー!!」
またしても、噛んだ。
「ピチューン」
その瞬間、何かに被弾した藍は、盛大に鼻血を噴き出しながら、噴射の勢いに押されるようにして後ろ倒れした。藍の身体が地に衝突し、大きな音とともに土煙が舞い上がる。
そして、藍はそのまま二度と起き上がることはなかった。
「勝った……のかしら?」
「やった、強敵・八雲藍をついに討ち取ったわ!」
「これもみんな早苗のお手柄よ。……って、あなた顔どころか全身真っ赤じゃない!」
「ううっ……。鼻血、モロに被っちゃいました」
倒れたままなおも出血を続ける藍の傍らで、守矢警察が勝利の余韻(と鼻血)に浸っていた、そのときだった。
目のまえの景色に、突然亀裂が入った。
◆
割れた景色のスキマから、ぬらり、と滑り落ちるようにしてひとりの女が現われ、早苗たちのまえに音もなく降り立った。
一見すると妙齢だが、ひらひらと可愛らしい少女趣味の服装をしていて、手にはフリルがこれまた幾重にも施された日傘を携えている。そして、口元には胡散臭い微笑みを浮かべていた。
「あら、守矢一家のみなさん、こんにちは」
彼女は八雲紫――幻想郷最凶と恐れられている妖怪で、藍の主ある。
「こ、こんにちは……」
紫に微笑みかけれらた早苗の背筋が、緊張してぴりっと伸びた。彼女のことは苦手だ。何を考えているかわからないだけでなく、こちらの考えを読まれているような、妙な居心地の悪さがある。
神奈子は「なにか用か」とでもいうような無遠慮な視線を紫に送っており、諏訪子は別段興味なしといった態度で口笛を吹きながら視線を空に彷徨わせている。随分と余裕のある態度ではあるが、さっきまで騒いでいたふたりも静かになったことから、神である彼女たちもまた八雲紫のことはあまり得意とはしていないのだろう。
「まったく、帰りが遅いから心配してきてみれば……」
紫は足元に転がっている自分の式を見下ろすと、やれやれといった表情で溜め息をはいた。そしておもむろに宙に線を引くように、つう、と指先を流すと、藍の伏している地面にスキマが生じ、藍の身体はスキマの闇に飲み込まれるように沈んでいった。
「ところでおもしろい格好をしているわね、あなたたち」
紫が、早苗たちに向き直って言った。
「その服装、外の世界の『警察』の真似事かしら」
「あ、あの、えーと……」
「真似事じゃなくて、そのもののつもりよ?」
神奈子がそう応えると、紫は「あら、失礼しました」と悪びれた様子もなく言った。
「あなたたちとは、もっとお話していきたいのだけど……このあと、博麗神社で宴に出席する約束がありますの」
紫は早苗たちの反応をうかがうように、一息ついた。
「そういうわけで、ここで退散させていただきますわね。――橙?」
「はーい!」
紫が呼ぶと、泣き止みすっかり退屈して蟻の巣をほじくって遊んでいた橙が、とたたたーっ、と駆けてきて地面に開いたスキマに飛び込んだ。それに続くように、紫が足を踏み入れる。
「では、みなさん、ご機嫌よう……」
そう残して、紫はズブズブとスキマの闇へと沈み去っていった。
しばしの静寂のあと、神奈子が口を開いた。
「――ねえ、さっきの話、聞いたかい?」
「へっ? なにが?」
「博麗神社で宴に出席するとかなんとか言ってただろう」
「あー」
「それがどうかしましたか?」
いまいちピンときていない早苗と諏訪子に「これはチャンスだよ」と神奈子が言う。
「宴といったら酒が付き物。当然、博麗霊夢も口にするはずよ。でも、二十歳未満の飲酒は法律的にアウツ! そこでわたしたちの出番よ」
「あっ、なるほど!」
諏訪子が、ぽん、手を打った。
「博麗の巫女を逮捕してしまえば、次回作の出演枠がひとつ空席になるってわけね。しかも主役の席が!」
「そういうコト」
「ええっ!?」
神奈子と諏訪子のたくらみに、早苗が驚く。神様のくせに、悪魔的発想である。
「なにぼうっとしてるのよ、早苗」
「えっ」
「主役の巫女枠が空いたら、当然そこに納まるのは早苗、あなたよ」
「わたしですか!?」
「しかも早苗が主役になれば、あなたと関係の深いわたしたちも自ずと共演することになる……はず!」
「そうと決まれば、さっそく出発よー!」
神奈子と、諏訪子、そして諏訪子に手を引かれた早苗は、博麗神社に向けて飛び去っていった。
そして――、
――空間の狭間で守矢一家の話に聞き耳を立てていた八雲紫は、口元を歪めた。
◆
幻想郷の東方にある博麗神社……の、近くの茂み。
暗闇のなかに潜むように、守矢警察の三人が身を屈めて神社の様子をうかがっていた。
ちなみに藍の返り血を浴びてスプラッターなことになっていた早苗も、近くの川で身体を洗い、諏訪子の帽子に入っていた予備の制服に着替えてようやくすっきりした。
「ねーねー、さなえー、あんぱんと牛乳食べるー?」
「わっ、洩矢さま、どこからこんなものを?」
「ふっふっふ、こんなこともあろうかと帽子に仕込んでおいたのよ。刑事の張り込みのお供といえば、あんぱんと牛乳は外せないからねー」
「その帽子、もはやなんでもありですね」
「あ、あと不自然に覗き穴の空いた新聞とかもバッチリ用意してあるわよ!」
「もぐもぐ、あんぱんおいしいです」
張り込みに早くも飽きてきて遊びはじめた諏訪子と、それに付き合う早苗の傍ら、双眼鏡(これもケロちゃん帽から出てきた)で神社を見張っていた神奈子がふたりを制した。
「ふたりとも、なんだか騒がしくなってきたわよ」
「宴もたけなわ、ってところですかね」
神社から複数人の大笑いする声が聞こえる。博麗霊夢も言い逃れできないほどの酒を入れている頃合いに違いない。
「それでは、もう踏み込みますか?」
「ええ、いきましょう」
そう言って三人は頷き合うと、境内に駆け込み、そのまま宴会会場の障子を蹴破った。
「警察だ! 全員手を頭のうしろに組んでその場を動くな!」
こういうシーンの常套句を叫びながら三人が座敷に突入すると、突然の乱入者に驚いた宴の参加者たちは、言わずともその動きを止めた。
早苗がその場をざっと見渡すと、博麗霊夢と八雲紫をはじめとする人妖入り混じったメンバーが揃っていた。霧雨魔理沙、伊吹萃香、射命丸文、アリス・マーガトロイド、そしてパチュリー・ノーレッジや河城にとりといった珍しい顔ぶれもある。いったい、なんの集まりなのだろう?
「こらーっ!」
いち早く硬直から解けた巫女装束の少女――霊夢が、宴の空気と障子を同時に壊しやがった三人組に挑みかかった。
「いったい、なんのつもりなのよ」
「わたしたちは幻想郷の秩序と治安とラブを守る守矢警察です」
「神社からプンプン漂ってくる酒気と犯罪の臭いを嗅ぎつけて、あなたを補導しに……というか引導を渡しにきたのよ!」
「はぁ?」
訳のわからない因縁をつけられた霊夢は困惑顔だ。
他の面子は何事かといった様子で事態を見守っている。ただ、呆気にとられている面々のなかで、八雲紫だけが可笑しそうに微笑を浮かべていた。
「あ、あとそこの魔法使いもついでにしょっ引くわよ」
「りょーかい!」
「うわっ、なんだこりゃ」
諏訪子が放った鉄輪が、戸惑う霊夢と魔理沙の両腕を手錠のように束縛してしまう。有無を言わせない突然の攻撃に、霊夢がいっそう憤った。
「ちょっと待ちなさいよ! なんでわたしたちが捕まらなきゃいけないのよ!?」
「あなたたちが未成年にも関わらずお酒を飲んでいたのは、状況的に明らか。これは紛うことなき違法行為よ」
「ここは幻想郷よ?」
幻想郷は飲酒が咎められるどころか、むしろ推奨されるような世界だ。だが、その主張に対する返しは準備してある。
「東方プロジェクトは外の世界でも発売されるの」
「あー、それなら大丈夫。東方プロジェクトの登場キャラクターはすべて十八歳以上だぜ」
「なにそのロリ系エロゲがソフ倫の審査を煙に巻くような苦しい嘘は!? そもそも飲酒が合法なのは二十歳以上よ!」
「んなモン知るもんですか!」
なにやら言い争いはじめた守矢警察と霊夢、魔理沙たちに萃香が「よくわからないけどやっちまえー」と野次を飛ばした。それまで宴会モードだった文も、面白そうな騒ぎをまえにして愛用の手帖を開き、すっかり仕事モードになっている。残りの面々も完全に他人事といった態度で、誰も守矢警察を止めようとするものはいなかった。
「とにかく、あなたたちのような素行の悪い輩には、東方プロジェクトの主役を務める権利はないわ」
「そうそう、主役にふさわしいのはうちの早苗よ!」
神奈子と諏訪子がそう言ったを聞いて、霊夢はにわかに落ち着きを取り戻すと「なるほどね」と、意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんたたちの魂胆がわかったわ。秩序とか治安とかラブとか偉そうなこと並べたてて、結局は自分たちが新作にしゃしゃり出たいだけなんでしょう。わたしたちを追い出して、出演枠を奪い取ろうというつもりね?」
「本当か? まったくいじましいやつらだぜ」
「ぐっ……」
図星を突かれた神奈子たちは、思わず言いよどんでしまう。
萃香をはじめとする酒の入った連中が、そんな守矢一家の様子を見てどっと笑った。神様のくせに威厳がなさすぎる。
そのとき、それまで比較的おとなしかった早苗が一歩踏み出して「おおむねその通りです」と、半ば開き直ったような態度で言った。
「わたしは――もう、嫌なんです」
「……早苗?」
「わたしはもう、東方ファンから2Pカラーとかルイージ呼ばわりされるのは、まっぴらゴメンなんですよ!」
それは、東風谷早苗の心からの叫びだった。
涙目で霊夢を睨みつけ「博麗霊夢!」と、その名を呼ぶと、早苗は力強く宣言した。
「わたしはあなたを下して、幻想郷の巫女といったら東風谷早苗、と言わしめてみせます!」
「ふーん、面白いこというじゃない」
相対したふたりの巫女が、視線を交錯させ火花を散らした。
「ほら、諏訪子」
神奈子が諏訪子を肘でつついた。
「う、うん!」
空気を察した諏訪子が、霊夢の両腕の自由を奪っていた鉄輪を緩めると、外れた鉄輪が畳に落下して重い音を立てた。それを確認した霊夢が満足げに頷いた。
「さあ、これで心置きなく弾幕ごっこができますね」
「そうね。でも、弾幕は弾幕でも、こんな弾幕はどう?」
おもむろに霊夢は腰を下ろすと、傍らにあった一升瓶とたくさんの御猪口が乗った盆を、叩きつけるように差し出していった。
「どちらかが酔い潰れるまで、お酒を絶え間なく飲み続ける勝負。その名をショットガンというの」
霊夢が挑むような表情で「おもしろそうでしょ?」というと、早苗は無言で霊夢のまえに座った。
それは「受けて立つ」の意思表示だった。
◆
早苗と霊夢は、同時に空になった御猪口を置いた。
ふたりの目のまえの盆には、これで合わせて二十杯の御猪口が乗っており、それぞれが十杯目を飲み干したことになる。
「あんた、早くも顔が赤くなってるわよ。無理しないうちに降参したら?」
「へっちゃらです。さ、次々といきましょう」
酒が波々と注がれた御猪口を手に取り、一気に呷った。
その見事な飲みっぷりを見て、ふたりを取り囲むギャラリーが湧いた。しかし、早苗の保護者である神奈子と諏訪子だけは心配そうにしていた。
「あの子ったら、いままで飲んだこともないのにあんなにとばしちゃって……。ああっ、見ちゃいられないよ!」
「でも、博麗霊夢のほうはいくらか酒が入った状態からのスタートだから、案外いい勝負かもしれないよ」
そう言われれば、霊夢のほうも視線が定まっておらず、だんだんと怪しいことになっている。
御猪口一杯が微量とはいえ、喉を焼き、腹で暴れ、脳を揺さぶるような強い酒を立て続けに飲んでいく。ショットガンの名が示すように、激しい弾幕の思わせるほどの猛攻をふたりは耐えつづけていた。
「ぷはー」
そして、ふたりは十五杯目の御猪口を盆のうえに置いた。
だが、勝負の真っ只中にある早苗は自分が何杯目を飲んだのか、もはや判らなくなっていた。御猪口を数えようとしても、頭がぼんやりとしているうえに、視点がブレてまともに数えることができない。そういえば、目のまえの霊夢が二重に見える。
「ハッ、これは霊符『博麗幻影』? むー、分身するなんてズルイですよぅー」
いけない。早苗がおかしなことを口走りはじめた。
神奈子は居ても立ってもいられなくなり、早苗に駆け寄った。
「もうやめよう、早苗! こんな戦いは不毛だよ!」
「うぅ、八坂さま、止めないでください。大丈夫です、さっき牛乳飲んでますから、胃に膜ができてアルコールには滅法強くなってるはずですぉ」
「神のわたしから言うのもなんだけど、それ、迷信だよ!」
えっ、そうなの? と、別のところで諏訪子がショックを受ける。
「あんたたち、おしゃべりしてないで。じゃんじゃか飲まなきゃショットガンにならないれしょ?」
霊夢が新たな御猪口に手を伸ばしながら言った。しかし、伸ばした手が空を掴んでいることから、霊夢のほうもいっぱいいっぱいの状態のようだ。しかも、呂律も回っていない。
「わかってますよぅ!」
神奈子たちが止める暇もなく、早苗が酒を一気に飲み干した。
ギャラリーの喚声が酔った頭に響いて辛い。まるで金ダライを被った頭を、棒かなにかでガンガン殴られているみたいだ。
「早苗、しちゃむちゃ駄目よっ!」
「むちゃしちゃ駄目、でしょ? 神奈子も落ち着いて!」
そんな神様たちの声も、早苗には届いていなかった。
早苗の意識は、目のまえの霊夢だけに向けられている。
いまの早苗を支えているのは怨念だった。腋出し巫女というキャラの被りっぷり。この赤い巫女にはだけは、絶対に負けるわけにはいかないのだ。
――って、ちょっと赤すぎやしないだろうか?
そう思った瞬間だった。
茹蛸のように顔を真っ赤にした霊夢の身体がくらりと傾き、そのまま、顔面から盆に突っ込むと、御猪口が大きな音をたてて盛大に飛び散った。
「霊夢ーっ!?」
驚いた魔理沙が名前を呼ぶが、霊夢は前のめりに倒れた姿勢のまま、返事がない。ただのしかばねのようだ。
その光景を、虚ろな目をして見つめる早苗。
「――勝った、の?」
酔った頭に、じわじわ勝利の実感が湧き出してきた。
「そうだよ、早苗! あなたが勝ったのよ!」
「さすが『奇跡を起こす程度の能力』は伊達じゃないわね!」
神奈子と諏訪子にもみくちゃにされ、遅れて、宿敵を下した喜びが胸に込み上げてくる。気がつけば、ギャラリーたちも早苗の大健闘に賞賛の喝采をあげてくれていた。
そうだ、自分は勝ったのだ。
もう、博麗霊夢の陰に隠れて2Pカラーとかルイージとか呼ばれる日々とはおさらばだ。
本日をもって、東風谷早苗は『紅に勝りし碧の挑戦者』の栄光を手にしたのである。
感極まった早苗はゆっくりと立ち上がると、両腕を力強く天に掲げながら、気炎を吐き出した。
「I am Gachapin!!(訳・わたしはガチャピン)」
――あっ、ダメだ、こいつ完全に酔っ払ってやがる!
と、誰もが思った瞬間、早苗は糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
◆
「あらあら、これは困ったことになったわね」
そんなとき、ざわめくギャラリーの群から歩み出る者があった。
「むっ、あなたは……」
なにか企み事を含んでそうな微笑を顔に張り付かせているのは、スキマ妖怪・八雲紫である。
「なによ、なんか文句でもあるわけ?」
「いえ、ただ、警察そのものを自称していたあなたたちが、自ら法を犯したのが可笑しくって」
紫は、酔いつぶれて座敷に転がる未成年たちを見て、目を細めて笑った。
「これで博麗霊夢たちを逮捕してしまうのは、いささか道理に合わないとは思いませんか?」
その点は、早苗が勢いに任せて飲酒対決を受けたときから突っ込まれやしないかと心配していたところだ。
「でも、早苗は勝負に勝ったからね」
「どちらにせよ、早苗が次回作の主役っていう約束は守ってもらうわ」
「約束?」
紫は不思議そうな顔をした。
「誰かそんな約束していたかしら、新聞屋さん?」
紫が問いかけると、一部始終の様子を事細かにメモしていた射命丸文は手帖をぱらぱらとめくりながら「あややややや、そんな記録はどこにも見当たりませんねー」と答えた。
「そ、それはそうだけど……」
「雰囲気、というかそこらへんは文脈から判断してさぁ……」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「それに、あなた方はこの宴の趣旨を知っているかしら。この面子が一堂に集まっていた、その意味を?」
そういわれて、神奈子と諏訪子はその場の顔ぶれを見渡してみた。
全体的に、東方プロジェクトにおいて、よく見受けられる顔ぶれ。そこに混ざって、河童の河城にとりもいた。にとりは神奈子たちと同じく『東方風神録』で初登場して以来、ファンの間で絶大な人気を集めたキャラクターである。
「まさか……?」
「そう、お察しの通り、ここにいるのは東方プロジェクトの次回作に出演が決まったメンバー。わたしたちはその打ち合わせも兼ねて、神社に集まっていたの」
その言葉に、神奈子と諏訪子が呆然とする。
すでに次回作の出演者が決まっていたなんて。それでは、いままでの自分たちの努力は、いったいなんだったのだろうか。
「次回作のテーマは『温泉』あたりでいこう、という話までまとまっていますの。そろそろ寒くなってくる季節だしね」
そして、紫は寝転がっている早苗を一瞥して言った。
「御宅のお嬢さんも、風邪を引かないように気をつけてくださいね」
そう言われて神奈子たちが見遣ると、虚ろな表情をした早苗が服をはだけているところだった。
「早苗、なに脱いでるのよ!?」
「うぅ~、なんだか身体がぽっぽして熱いんれしゅぅぅぅ」
「わーっ、とりあえず服を着せてっ!」
そんなあられもない早苗の姿を、ここぞとばかりに文が愛用のカメラで撮影しまくる。
「ちょっ、カメラ止めろ」
「神奈子っ、とりあえずここは早苗を連れて撤退しよう!」
守矢一家は、そそくさと神社を飛び出し、慌てて逃げ帰っていった。
その後ろ姿を見ながら、八雲紫は満足げに微笑んでいた。
幻想郷には、そこに住む者たちの間に暗黙の了解としてのルールが存在している。だが、権力と強制力を持った警察という存在が、その不文律を法という形に具体化してしまうと八雲紫は考えた。
それは、ある面では幻想郷により一層の安寧と秩序をもたらすかもしれない。
しかし一方では、法が定まることによって、力のある妖怪たちが暗躍することを著しく制限してしまうことに繋がるだろう。いまの幻想郷の平和は、紫をはじめとする古い妖怪たちが力を有しているゆえのところが大きい。幻想郷には、外の世界以上に法では縛りきれない混沌たちが転がっているのだ。
……と思わせておいて、実際のところ紫も以前から八雲一家と守矢一家とのキャラ被りを懸念しており、そのライバルを潰しておいた、という説もある。
胡散臭い微笑みを絶やさない八雲紫がなにを考えているのかは、誰にも解らないのである。
◆
幻想郷の上空。
守矢警察、もとい守矢一家はすっかり夜のとばりが降りた下界の様子を見下ろしながら、失意のなか帰路をとっていた。
「あーうー、あーうー、あーうー」
「ねえ、諏訪子。それ、やかましいから止めてくれないかい? もう、警察ごっこは――いや、わたしたちのドリームは終わったんだよ」
「ちがうよー、これはサイレンじゃなくてわたしの泣き声だよ。涙は急に止まらないよぅ……」
「なんだかんだ言って、諏訪子も新作に出演したかったんだねぇ……」
泥酔して文字通り泥のように眠る早苗を背負った神奈子が、疲れの混じった深い溜め息をついた。
「でも、このままでは終われないよ」
「ええ、そうね」
神奈子と諏訪子は、顔を見合わせると無言で頷き合った。
八雲紫は、次回のテーマは『温泉』に決まったと言っていた。
ならば、いまの神奈子たちの胸中のようにボコボコと煮えたぎる灼熱の温泉に、奴らを招待してやろう。
「そうと決まれば諏訪子、さっそく行動するわよ!」
「りょーかい! あのお気楽な連中を、地獄の釜のズンドコに叩き込んでやるんだから!」
どこまでも広がる幻想郷の暗闇に、守矢一家の邪悪な笑い声が響き渡った。
『東方地霊殿』につづく
※メタ表現多いです。
※作者の『登場人物が⑨になる程度の能力』が発動しています。
「全然足りない」と、八坂神奈子は言った。
それがあまりにも唐突で、おまけに三人で朝食を囲んでいるときのことだったので「おかわりですか?」と東風谷早苗は聞き返した。
「ちがうわよ」
「ちがわないよ。さなえー、おかわりー!」
神奈子の言葉を遮って、洩矢諏訪子が空のお茶碗を早苗に差し出す。
「あっ、マウンテン・オブ・ライス(山盛り)でお願いね!」
「はいはい」
朝っぱらからよく食う奴だ、と話の腰を折られた神奈子が苛つく。
その様子を察した早苗は「足りないって、何のことですか?」と神奈子の話を促した。
「早苗、いまのわたしたちには何が足りていないかわかるかい?」
「えっ?」
まさか質問に質問で返されると思わなかった。
「えっと……信仰、ですか?」
かつて早苗たちは、失われた人々の信仰心を取り戻すため幻想郷へやってきた。当初は現地住民たちとすったもんだしたけれど、いまはそれなりに持ち返しているはずだが。
ところが神奈子は「信仰はおかげさまで十分に回復してるわ」と言う。
「でも惜しい! もっと別のものよ」
そう言われて考える早苗だったが、思い当たる節はない。いまの生活は十分に満ち足りたものだと思う。
「えーい、まだるこいなぁ、神奈子は!」
飯を食いながら話を聞いていた諏訪子が、堪えられず箸を止めて神奈子を野次った。
「神とは勿体ぶったほど有り難がられるものよ」
「いいから結論から言っちゃいなよ!」
「仕方ないわね。――いまのわたしたちに足りていないもの、それは」
そこで神奈子は一呼吸置いて言った。
「『人気』よ」
神奈子の言葉が早苗と諏訪子の脳に届くまで、若干の間があった。
「人気、ですか……」
意味が判らず、神奈子の言葉を復唱する早苗。
「そう、人気。いわゆるアイドルランク」
「いや、いわゆるところがちょっと解らないんですけど。信仰とどこが違うんですか?」
「信仰とは神としての愛され度。人気とはキャラクターとしての愛され度のことよ」
「わぁ、なんてメタメタなことを……」
頭が痛くなるような神奈子の発言に、早苗はうなだれてしまう。
「わたしたちが幻想郷にきてから随分と時が過ぎたわ。信仰は確かに回復したかもしれない。でも、『東方プロジェクトに出演して人気キャラの仲間入り』という目的のほうは、いまいち達成できていないのよ!」
「そんな目的があったんですか……」
早苗としては初耳である。まさに寝耳に水。
「そんなことないんじゃない?」
諏訪子が反論する。
「最近ではわたしたちがメインの同人誌も結構見かけるし、イラストもたくさん描かれてるみたいだよ。まあ、確かに神奈子だけを描いた絵はあまりないかもしれないけど」
「そういうことが言いたいんじゃないの。わたしが問題視しているのは、わたしたち守矢一家が他の東方キャラに比べて、明らかに人気の面で引けを取っているということよ!」
「うっ……」
神奈子の言葉に早苗と諏訪子が息を詰まらせた。その点に関しては、少々思いあたる節があったのだ。
「嗚呼、わたしも『緋想天』に出たかったのにっ!」
神奈子が涙を目に浮かべながら、悔しさを込めて食卓を叩いた。
「八坂さま……」
早苗は知っていた。
再び東方の格闘ゲームが出ると聞いた神奈子が、年甲斐もなく体術の鍛錬をしていたことを。某・彼岸島よろしく御柱を振り回して仮想敵と戦う神奈子の真剣な姿は、早苗の心に焼き付いていた。いろいろと無理のある姿だった。
「早苗も他人事みたいにしてるんじゃないよ」
「はい?」
すっかり哀れみの目をしていた早苗に、神奈子は言う。
「キャラ的にはお前が一番、参戦に近いところにいたのよ。風祝の巫女なんていかにも格ゲー向きじゃないか。ところが風使いのポジションは、すっかり天狗の新聞記者に取られてしまう始末」
「えっと、それは、その……」
「幻想郷に来るまえに、あれほど妖怪に食われないように気をつけろと言い聞かせてたのに、キャラを食われてしまうとはどういうことだい。こりゃ続編が出ても参戦は危ういかも知れないねぇ」
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」
絶望に堪えられず思わず声を張りあげた早苗を、「開発時期の関係とかでしょうがなかったんだよ、たぶん」と励ます諏訪子。きっ、と神奈子を睨みつける。
「こらーっ、神奈子! これ以上早苗をいぢめると、わたしが許さないよ!」
諏訪子の腕のなかでめそめそと泣く早苗を見て、すっかり興奮していた神奈子も落ち着きを取り戻した。
「す、すまないねぇ、べつに早苗を責めるつもりはなかったんだよ。ただ、わたしたちがこのまま出番もなく忘れ去れるのが怖くって……」
忘れ去られる恐怖。
それは、かつて人々の信仰を失いかけ、神としての自らの存在が薄らいでゆく不安と孤独感を味わったことのある神奈子にとって忘れ難いものだった。その気持ちは諏訪子も痛いほどわかる。
「でも、なんだって急にそんなことを言い出したの?」
諏訪子の問いに対し、神奈子は無言で朝刊を差し出した。
早苗のキャラを食った憎き新聞記者(言いがかり)の射命丸文。彼女の発行する文々。新聞の一面には、大きな見出しでこう書かれていた。
――東方プロジェクト最新作、発売決定!!
◆
ひとまず三人は朝食を済ませたあと、緊急の会議を開いた。
「新作に出るということは、すなわち、新キャラとの共演があるということ。それはわたしたちに纏わる新ネタをファンに提供し、二次創作をより活発化させることに他ならないわ」
「そいで、もっともっと人気が出るってことね!」
「ええ、その通りよ」
ごくり、と生唾を飲み込む一同。
これは負けられない。
幻想郷全土を敵にした出演枠を奪い合う椅子取りゲーム、絶対に負けるわけにはいかない。
「だけど、新作に出るためには、人気がなくてはいけないわ」
「あーうー、ジレンマだわね」と、唸る諏訪子。
人気を得るために人気が必要というメビウスの輪。
先程、神奈子がアイドルという言葉を持ち出したが、それも頷ける気がする。
仕事のないアイドルは人気がでない。そして、人気がでないアイドルに仕事はないのだ。
「となると、どうすればいいのでしょうか?」
早苗が神奈子に問いかける。
「人気を得るためには、キャラクターが立ってないといけないと思うの」
キャラクターが立っているというのは独自の特徴を持っていることだと、神奈子は言う。
「ほら、わたしたちって東方ファンの間では『守矢一家』なんて呼ばれてるじゃない? でもそれって、『八雲一家』と被ってると思うのよ」
「しかも、実際、家族ネタはあちらさんのほうが多いですね」
「同じ三対三でも、萌え要素的にこちらが不利かもねー。だってこっちには、おばさんっぽいのが混ざっててもがーっ!?」
諏訪子のほっぺを神奈子が容赦なくつねりあげて、その口を封じた。
「まあ、とにかくわたしたちは神様家族というジャンル以外の、独自の路線を開拓しないといけないわけ」
あー、なんかそのフレーズ聞いたことあるわ、と思う早苗だった。
「なるほど。でも、ちょっと難しそうですね」
ふむ、と神奈子は一考して言った。
「さなえ、かなこ、すわこ、の頭文字をそれぞれ取って『さーかす』――、」
神奈子が名案だとばかりに、ぽんっ、と手を打った。
「『八坂大サーカス』なんてどうかしら」
「ケロちゃんです(ソプラノ)」
「いやいや、お笑い芸人でも始めるつもりですか!?」
しかも一発屋で終わりそうで不吉なネーミングだ。
「いいえ、普通にサーカスよ。巫女による奇跡のマジックショーとか」
「蛙のしめ縄くぐりとかも、面白いかもしれないね!」
「だったら蛇に綱渡りをさせるってのはどうかしら?」
「それいいかもっ! どっちが蛇か綱かわかんなくて楽しそう!」
ああだ、こうだと盛り上がり始めた神奈子と諏訪子。
いけない、このままでは本当にサーカスをやらされるハメになりそうだ、と焦った早苗は「八坂さま、洩矢さま」と、二柱の神に呼びかけた。
「独自の路線を開拓するべきだというご意見は理解できます。サーカスっていうアイデアも幻想郷的に目新しいですし、話題にはなるかもしれません」
でも、奇をてらっただけではだめだと思うんです、と早苗は言う。
「神主さんだって、なにも人気だけで出演者を決めてるわけじゃないと思います。むしろ重視されているのは必然性。新作に出演するには、物語的に必然性がなければいけないんじゃないでしょうか?」
「ふむ、なるほどねぇ」
「さっすが早苗! 良いとこ突くね」
早苗の言葉に、得心した神奈子と諏訪子が頷く。
博麗霊夢は東方プロジェクトの主役として毎回ゲームに出演している。それは、彼女が異変を解決する役割を持つ巫女である、という必然性があるからだ。
魔法使いの霧雨魔理沙も、厄介事に首を突っ込みたがるというその性格から、博麗霊夢に並ぶレギュラー枠を不動のものにしている。
「あっ、でも『文花帖』には出てなかったわねぇ?」
「そうね、たしかあれは射命丸文が主役だったわ」
「またあいつか。ええい、あの忌々しい愛され上手め。もしかしてテングになってんじゃないのかね? ……天狗だけに!」
「神奈子、寒いわよ」
射命丸文が愛され上手かはさておき、彼女の東方プロジェクト出演の多さも『新聞記者』というキャラクターの性質上、異変や事件に関わりやすいという必然性によるものだろう。
「つまりですね……」
と、前置きした早苗は、いままでの話を総括してみた。
「わたしたちが独自の路線を開拓するのなら、来たるべき異変が幻想郷に起きたそのとき、積極的に関わりを持つことができるキャラクターを目指さなければいけないのです!」
「おお~!!」
守矢神社の境内に、神々の感嘆の声と拍手が響いた。
◆
妖怪の山の嶺には、霧の晴れることのない不思議な湖がある。
一年中太陽の日差しを遮るほどの霧が満ちているため、いつも薄ら寒く、ちょっぴり不気味だ。そんな環境のせいか、この湖の辺にはたくさんの妖精たちが棲みついている。
「おーい、かえるーどこだー」
やかましいくらいの大声を出して、地面をきょろきょろと見渡しながら低空飛行をしているこの妖精はチルノ。冷気を操る程度の能力を持った氷の妖精だ。
チルノは、退屈しのぎに蛙を凍らせて遊ぼうと思ったのだけれど、なかなか見つけられないでいた。
チルノが蛙を見つけられないのも無理はない。幻想郷の季節が秋から寒い冬に移り変わりつつあるいま、蛙たちは冬眠をはじめる時期なのだ。チルノはそのことを分かっていなかった。
「かくれてないで、出てこーい!」
蛙をいじめて暇をつぶせないチルノは、徐々にイライラしてきた。
そんなときタイミング悪く「どーしたのー」と、チルノの前に姿を現したのは近所に棲んでいる闇の妖怪・ルーミアだった。
「どーしたもこーしたもないわよ! あんたが近寄ると暗くなって、かえるが見つかりやしないわ!」
チルノは八つ当たりめいた非難をルーミアにぶつけた。
「わたしのせいじゃないよー。冬になったからみんな寝ちゃったのよ」
「じゃあ、春になるまで遊べないってこと!? そんなのあたい、待ち切れないよ。仕方ないから、あんたの凍らせ具合をためさせろー」
「わー、なんでそうなるのよー」
ぴゅーっ、と一目散に逃げ出したルーミアを、「まてーっ」とチルノが追いかける。
「まったく、逃げ足が速いやつね! でも逃がしやしないんだから!」
チルノがルーミアの後ろ姿を目掛けてつららのミサイルを発射した。
「きゃー」
ルーミアが叫び声をあげた、そのときだった。
ぷぴぴぴぴーッ、という甲高い笛の音が響き、上空から飛来した御符がつららミサイルを精確に撃ち墜とした。
「誰よ、あたいのじゃまする奴は!?」
チルノが御符の飛んできた方向を見上げると、東風谷早苗、八坂神奈子、洩矢諏訪子の三人組がそこにはいた。しかし、どこか違和感がある。
「おっ、やっとかえるのお出ましね!」
諏訪子は蛙を模した独特のデザインの帽子を被っている。チルノはそれを見て、蛙の親分かなにかと思った。
「わたしは蛙じゃないわよ」
「かえるじゃなかったら、あんたいったい何者なのよ?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、諏訪子が口元に不敵な笑みを浮かべた。
「わたしは……いいえ、わたしたちは!」
「『守矢一家』改めまして――」
「幻想郷の秩序と治安とラブを守る『守矢警察』よ!」
そう言って諏訪子たちは、いかにも手作りといった警察手帳を突きつけて見得を切った。
しかも三人とも、どう調達したのか知れない警察官の制服を身に着けていて、ビシッと引き締まったオーラを放っている。その姿、まさに正義の権化。
「なによケーサツって? そんなのあたい知らないよ」
「わたしもー」
目のまえの奇妙な三人組に、妖怪の子どもたちがぽかんと間の抜けた表情をする。
「警察っていうのはね、善良な市民の平穏な生活を守るための組織なの。そのためには悪党とも戦ったりしちゃうんだから!」
早苗がそう説明すると、チルノたちは「よくわかんないけどかっこいい!」と喚声をあげた。
「というわけで、氷の妖精さん。あなたを氷害罪で逮捕します」
「なんだって? 悪党ってあたいのことだったのか!?」
あたいはよいこだぞーっ、と逆上したチルノが無数の氷弾を射ち出した。しかし、諏訪子がおもむろに掌をかざすと、氷弾は見えない壁に阻まれるようにして砕け散ってしまった。神の力のまえでは、ちっぽけな妖精の力など塵にも及ばないのである。
「さあ、おとなしくお縄に就きなさーい!」
「しめ縄だけにね!」
「神奈子、寒いわよ」
こりゃいろいろな意味でかなわん、と思ったチルノは慌てて回れ右をして逃げ出した。ところがすぐに何か柔らかいものにぶつかってしまい、チルノが顔を上げると、すぐそこには微笑みを湛えた神奈子の顔があった。
「悪戯な妖精よ、暗いところに閉じ込めて臭い飯をたんとご馳走してあげるわ」
「そんなのやだよぉー!」
神奈子の胸に顔を埋めたチルノが、涙目で悲愴な叫び声をあげた。
「だったらこうよ!」
「ひゃあ!?」
神奈子はチルノを片手で抱えると、空いたほうの手のひらでチルノのお尻をバチーン!バチーン!と叩きはじめた。それはまるで悪さをしでかした子を叱る母親を思わせる姿である。
「八坂さま、板に付きすぎです……」
「神奈子が『緋想天』に出てたらと思うと、ぞっとするね」
元よりそのつもりはないが、八坂さまだけは怒らせないようにしよう、と心に決める早苗であった。
「うわーん、もうルーミアをいぢめないよぅー!」
ぽろぽろと涙をこぼすチルノが心から反省したと判断すると、神奈子はチルノを解放してやった。
「さあ、これに懲りたのならば、もう弱いものいじめをしてはいけないよ?」
涙目でお尻をさするチルノの頭を、優しく撫でてやる神奈子。
チルノは不貞腐れたような表情で「わかった……」と呟いた。
「これにて一件落着ですね」
うんうん、と早苗は満足そうに頷いた。
「さあ、八坂さま、洩矢さま。わたしたちはまたパトロールに戻りましょう」
「りょーかい!」
諏訪子が帽子をなにやらいじると、ケロちゃん帽についたふたつの目玉がサイレンのごとく赤く点灯した。守矢警察を結成するにあたって、ちょっとばかし細工を施したのだ。
「じゃあね、おちびさんたち。心にラブがある限り、守矢警察はあなたたちの味方ですよ」
「あーうー、あーうー、あーぅー、ぁ‐ぅ‐」
ドップラー効果で遠ざかるサイレンの音を聞きながら、その場に残された二匹の妖怪たちは、颯爽とパトロールに向かう守矢警察の後ろ姿にいつまでも手を振っていた。
「さあ、気をとりなおしてかえるをさがすわよ!」
「わたしも手伝ってあげる!」
懲りない妖精たちであった。
◆
迷いの竹林では、ふたりの少女たちが今まさに雌雄を決さんと、人知れず激しい戦いを繰り広げていた。
「ふふ、幻術に幻覚で対抗してくるなんて、味な真似をしてくれるものね……」
紅魔館のメイド長・十六夜咲夜は姿の見えない敵に対して、余裕たっぷりの笑みを見せた。
いや、「姿の見えない」のではない。正確にいえば「姿が見えすぎる」のだ。
咲夜はいま、気の遠くなるほど多くの敵に囲まれている。しかも、その敵は全員とも同じ姿かたち――長い兎の耳とブレザーが特徴的な少女の姿をしていた。
相対する敵の名は鈴仙・優曇華院・イナバ。
「「「あははははっ、余裕があるふりをして見せても無駄。そうしてないと、怖いだけなんでしょう?」」」
竹林に、無数の鈴仙たちの声がこだまする。
狂気を操る程度の能力を持つ鈴仙は、その力を以って咲夜の心を狂気で蝕み、彼女の目に自らの分身を万華鏡のように写し出させているのである。
「あなたが怖いですって?」
鈴仙の言葉を、咲夜が一笑に付した。
「あなた、料理はお得意かしら?」
「「「……えっ?」」」
この状況で突然なんの話だ? と鈴仙は戸惑う。
「料理を作るとき、レシピを見てから食材を揃えるというやり方があるけれど、それでは料理人としてはまだまだ未熟。気まぐれに料理をやってみるような素人さんレベルね。わたしは――本当に料理ができる人間は、食材を見てから夕食のレシピを決めるわ」
淡々と語りながら、手に持ったナイフを弄ぶ咲夜。
そんな彼女を、鈴仙たちは手出しもせずに胡乱な表情で見つめている。状況的には有利な立場にあるにも関わらず、鈴仙は咲夜が放つ異様な雰囲気にすっかり飲まれていた。
「――それと同じように、わたしはどんな相手が敵だろうと怖くない。そいつをどう料理してやるか、すぐに決めるから。食材を怖がる人間なんて、どこにもいないものね」
次の刹那。鈴仙たち一人ひとりの目のまえに、突然ナイフが出現した。
「「「――わっ!?」」」
とっさに身を逸らしてナイフを避ける鈴仙。しかし、ナイフを避けたのはたった一人――本体だけだった。そのうえ動揺した鈴仙は集中を切らせてしまい、咲夜の幻覚が解けてダミーの鈴仙たちが霧散してしまった。
「いけない!」
「本体はそこね!」
精密機械のような動作で咲夜がナイフを投擲した。
が、鈴仙は弾丸を形成して射ち出し、向かってくるナイフを迎え撃った。
「あ、危なかった……」
「思ったよりも出来る子のようね」
鈴仙がナイフを避けようとしていれば、咲夜の時間を操る程度の能力によってナイフに封じ込められた別方向への指向性が解除され、逃げる鈴仙を追撃していただろう。ナイフを射ち墜とす、という選択をした鈴仙は最善策を取ったということになる。
「だけど、それならば今度はこっちが数で押させてもらうわっ!」
またしても突如、咲夜の周囲に鈴仙へと切っ先を向けた無数のナイフが出現した。
「こんのーっ! そんなもの全部壊してやるーっ!!」
殺到するナイフの嵐を、鈴仙は次々と形成させた弾丸で迎撃する。
お互いに弾を避けようともしない珍しい弾幕ごっこだった。
金属と金属がぶつかりはぜる乾いた音が、竹林に鳴り響いていく。
そのときだった。
――ぁ‐ぅ‐、ぁーうー、あーうー、あーうー
弾幕ごっこの音に混じって、珍妙なサイレンの音色が戦うふたりの元に徐々に近づいてきた。
「なんなの、この気の抜けたような音は?」
「……さ、さあ?」
それまで激しい撃ち合いをしていた咲夜と鈴仙も、思わず手を止めて音の正体を探った。
ぷぴぴぴぴーッ!!
「……!?」
けたたましく警笛を吹き鳴らしながら、竹林の陰から東風谷早苗が姿を現した。それに続くように八坂神奈子と、ケロちゃん帽のランプを点灯させた洩矢諏訪子も現れる。
「そこのふたり! すみやかに喧嘩を止めなさーい!」
「あなたたち、たしか守矢神社の……」
「ていうか、なんでみんな警官の格好してるのよ?」
外の世界を知っている咲夜が、三人組の奇妙な姿に困惑する。
「わたしたち、幻想郷の秩序と治安とラブを守る『守矢警察』を結成したんです。というわけで、喧嘩は止めてください」
なにが「というわけで」なのか、まったく理解できない咲夜と鈴仙だったが、とりあえず自分たちの戦いに難癖をつけられたことだけはわかった。
「いや、わたしたち弾幕ごっこしてただけだし」
「幻想郷では弾幕ごっこは合法よ? 法律なんてないけど」
「弾幕ごっこが問題じゃないの!」
ふたりの真っ当な反論を、諏訪子が帽子のランプを停止させつつ制した。
「あなたたちがたったいま撃ち合っていた得物はなに?」
「えっ」
「ナイフと座薬だけど?」
「弾丸ですぅ!」
そこが問題なのよっ、と諏訪子が叫んだ。
「これは立派な銃刀法違反だわ! そんなものを武器に使って、東方プロジェクトがマスコミに『美少女らがナイフや弾丸を敵に浴びせて倒すゲーム』とかなんとか揶揄されて、犯罪報道の叩き台にされたらどうするつもりよー!」
「そんなこじつけあるもんですか!」
難色を示すふたりを見て、守矢警察が無言で頷き合う。
「そっちがその気なら強制連行も止むを得ませんね……」
「おとなしくお縄に就くのよ、しめ縄だけに!」
「神奈子、天丼はよそうよ」
まるで暴走特急のような勢いで勝手に事を進める守矢警察に、とうとう咲夜と鈴仙の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「もーっ、あんたたちいったい何なのよー!」
「レイセン、ここはひとまず呉越同舟といきましょう」
咲夜と鈴仙が挑みかかってくるや否や、神奈子は御柱を召喚し背に装備すると、そのうちの一本をおもむろに引き抜いた。
「『緋想天』に出演できなかったわたしの悲壮を思い知るがよい!」
神奈子は迫るナイフと弾丸を御柱で弾きとばしつつ、その振りを利用してそのまま鈴仙の腹部に横薙ぎの一撃を叩き込む。さらに咲夜が呆気に取られたほんのわずかの間に、流れるような動作で御柱を振り上げ一気に叩き降ろした。それは本当に一瞬の出来事で、咲夜と鈴仙が自慢の能力を使う暇さえもなかった。
「八坂さま、御柱使いこなしすぎです……」
「神奈子が『緋想天』に出てたらと思うと、ぞっとするね」
元よりそのつもりはないが、八坂さまだけは怒らせないようにしよう、とさらに硬く心に決める早苗であった。
「イタタタタ……」
「さすがに神には叶わないわね……」
「あ、生きてた」
口から大量の血を垂れ流した鈴仙と、額から大量の血を垂れ流した咲夜がよろよろと立ち上がった。さすが宇宙人とメイド、体は並みの人間より頑丈のようだ。
「さあ、これに懲りたのならば、もう物騒なものを武器にするんじゃないぞ?」
満身創痍のふたりに、神奈子は厳かにそう告げた。咲夜も鈴仙も、もはや「一番物騒なのはおまえだ」というツッコミを入れる気力さえ残っていなかった。
「で、でも、それじゃあわたしたち、これからなにを武器にして戦えばいいんですか」
「人間のわたしが妖怪たちと互角に渡り合うには、ナイフは必要なのよ」
そんなふたりに、神奈子は背部から御柱を二本引き抜いて、差し出した。
「ならば……武器を丸太に持ちかえろ!!」
神奈子の得体の知れない迫力に圧され、咲夜と鈴仙は無言で御柱を受け取ってしまった。
「またしても一件落着ですね」
うんうん、と早苗は満足そうに頷いた。
「それじゃあパトロール再開です。洩矢さまっ」
「あーうー、あーうー、あーぅー、ぁ‐ぅ‐」
遠ざかっていくサイレンの音を聞きながら、その場に残されたふたりは神奈子に渡された御柱を抱えたまま、守矢警察が消えていった竹林の闇を呆然と見つめ続けていた。
「なんだったのかしら……」
「こっちが聞きたいわ……」
「ところで、さっきの戦い――、」
「ええ、決着がまだついていなかったわね」
そして咲夜と鈴仙は、丸太を使った殴り合いをはじめた。
◆
幻想郷の上空。
守矢一家、もとい守矢警察は下界を見回しながら、パトロールを続けていた。
「あーうー、あーうー、あーうー」
「ねえ、諏訪子。それ、やかましいから止めてくれないかい? そもそもサイレンっていうものは、事件が起こったときに緊急車両が現場に駆けつけやすくするためのものだろう。矢鱈滅多羅に鳴らすんじゃあないよ」
「はー、神奈子は考えが浅いねー。このサイレンはね、わたしたち守矢警察の活動を、幻想郷の皆様にアピールするために鳴らしてるんだよ」
諏訪子が、ふふん、と胸を張る。
守矢警察の目的は、幻想郷の秩序と治安とラブを守ること。そして、そのうちの『ラブ』とは、キャラクターとしての愛され度のことを示していた。
そう、すべては『東方プロジェクトの新作』に出演するため。自分たちが「幻想郷にひとたび異変・事件が起こった際に、その場に居合わせる必然性のあるキャラクター」であることを、アピールするためであった。
「まあ、そいつはよくわかったが、やっぱり煩いものは煩いよ。止めておくれ」
「そこまで言うなら止めるわよ。ちぇ~、結構気に入ってたのに~」
口を尖がらせて、諏訪子はしぶしぶ帽子のサイレンを消した。
「それにしても警察っていうアイデアは良かったわねー。事件があれば、そこに駆けつける義務――必然性があるもの」
「それに、幻想郷の誰もまだ手垢をつけていない新ジャンル。出番が増えて、おまけにキャラも立つ。まさに一石二鳥じゃないか」
「いいえ、八坂さま。幻想郷の平和な日常生活も守れて、一石三鳥ですよ」
守矢警察の面々が、計画の完璧っぷりを自画自賛しているところに、二匹の妖怪がなにやら慌てた様子で飛び込んできた。
「やっとみつけたー」
「さがしたわよ!」
それは、先程湖で別れたばかりのチルノとルーミアだった。
「あなたたちはさっきの事件の!? どうしたの、血相を変えて」
「かくかくで」
「しかじかなの!」
「ええっ!? あのあと蛙を探すために幻想郷中を飛び回っていたら人間の里を通りかかったときに恐ろしい妖怪が暴れているのを見かけて慌ててわたしたちを探しまわっていたですってー!!」
一瞬で事態を把握する早苗。
諏訪子が帽子のサイレンの音を垂れ流していたことで、チルノたちが早苗たちを発見するのが早まって、今回ばかりはそれが吉とでたようだ。
「八坂さま、洩矢さま、里へ急ぎましょう!」
「ええ。諏訪子っ、いまこそスクランブルのときよ!」
「合点承知よ!」
どこまでも広がる幻想郷の空に、守矢警察のサイレンの音が勇ましく響き渡った。
◆
事件現場に急行する守矢警察。
途中まで同行していたチルノとルーミアは、恐ろしい妖怪が暴れているという場所を早苗たちに教えると「こわいよー」といって逃げてしまった。
「ぷぴぴぴぴーッ!! わたしたちは守矢警察です。人間の里で暴れるのは止めなさーい!」
事件現場だという養鶏所に三人が降り立つと、意外なことに、そこにいたのは九尾の妖狐・八雲藍と、その式である化け猫の橙、そして養鶏所を営む中年の村民であった。
「ああ? なんだおまえたちは?」
突如降って湧いた珍妙な格好をした三人組を、藍が訝しげに睨めつけた。
「わたしたちは里で恐ろしい妖怪が暴れているって聞いて駆けつけたんですけど、恐ろしい妖怪ってあなたたちのことだったんですか!?」
早苗が驚くのも無理はない。
八雲藍はとても強い力の持ち主でありながらも、温和な性格であることで有名で、悪行を働くような凶暴な妖怪ではない。また、しばしば人間の里で買い物をしている姿が目撃されていたりして、人間との関係は決して悪いものではなかったはずだ。
ところがいま目のまえの藍は、もともと吊り目気味のまなじりをさらに吊り上げ、敵意を剥き出しにして、怯える養鶏所の主を睨みつけている。明らかに様子がおかしい。
様子がおかしいといえば、藍の傍らにいる橙がなぜだか泣きべそをかいているのも、よくわからない状況のひとつだ。
「暴れているだって? わたしはいま、この男とちょっとおしゃべりしているだけだ」
「そんなの嘘ですよ! だってこのおじさん、明らかに怖がってるじゃないですか」
恐怖に慄くおじさんは、ぶっ壊れたファービーのごとく目を白黒させ口をぱくぱくさせている。
「いったいなにがあったのか……わたしたち守矢警察に詳しくお聞かせください!」
すると藍は「これを見てみろ」と言って、どろっとした液体が滲んで滴る藤編みの籠を早苗に突きつけた。
早苗たちが籠を覗き込むと、たくさんの割れた卵が入っていて中身がぐちょぐちょになっていた。
「……どういうことです、コレ?」
「橙をお使いに行かせたらこのザマだよ」
大きな猫耳と二本のしっぽを震わせて、橙がしゃくりあげながら泣いている。
「まさかあんた、相手が四つ足の汚らわしくて卑しい獣だからって割れた卵を売りつけたんじゃないでしょうね!?」
さらっと酷いことを口走る諏訪子に、おじさんが慌てて弁解する。
「そ、そんなことしてないし思ってもないだよ! 商売は信用が生命線。ましてや、八雲一家のお嬢ちゃんにそんな酷いことするものかい!」
ならば藍はなぜ怒っているのだろうか。わからない。
「ぐすん、ごめんなしゃい……きれいなちょうちょがいたから、ひぐゅ、おいかけてたら、わたし、ころんじゃって……そいで、そいで……」
「泣かなくてもいいのよ、橙。悪いのはあなたでも蝶々でもない、転んだだけで割れてしまうような卵を売っていたこの男よ」
優しく橙の頭を撫でていた藍が、きっ、とおじさんを睨みつけると「おまえの頭もこの卵のように叩き割ってやろうか!」と凄んだ。
「ヒィィィ!?」
腰を抜かしたおじさんを庇うように、守矢警察が藍の目のまえに立ち塞がった。
「ちょっと待ってください! それって完全に言いがかりじゃないですか!」
「これが本当のモンスターペアレンツってやつね、妖怪だけに!」
「神奈子、寒いわよ」
八雲藍の橙に対する過保護っぷりは幻想郷でもかなり有名だが、まさかこれほどのものだったとは。
「なんだと? じゃあおまえたちは、悪いのはうちの橙だっていうのか!?」
「いや、悪いのは全面的にあなたでしょ……」
「わたしたち守矢警察が、正義の名においてあなたをしょっ引いちゃいます!」
「正義だとぉ~?」
早苗の言葉に、藍が噛み付いた。
「おまえたち、『かわいいは正義』という格言を知らないのか!」
「えっ?」
「うちの橙はかわいい! よって、わたしたちこそが正義なのだ!!」
腕組みしてそう言いきる藍には、早苗たちを圧倒するほどの得体の知れない迫力があった。
「そ、そんな……」
あまりのショックに、早苗が崩れ落ちる。
「それじゃあ、わたしたちが信じてきた正義はいったい……」
地面に手をついて茫然自失に陥った早苗。
なにやら旗色が悪くなったと判断したおじさんは「こわいよー」といって、一人だけ逃げてしまった。
「ふん、ザマないな。自らの信じていた正義を見失い、守らんとした者にも見捨てられ……って、しまった逃げられたーっ!!」
慌てて追いかけようとする藍のまえに、両手に鉄輪を構えた諏訪子が躍り出た。
「おっと! あなたの相手はわたしだよ」
「邪魔をするなっ!」
咆哮する藍が掌で印を結ぶと、銃弾のように狐火が放たれ諏訪子の鉄輪を弾きとばした。
「できる!?」
「わたしは八雲紫さまの式神だ。まがりなりにも神と呼ばれる身よ!」
珍しく真剣な顔つきをして藍と対峙する諏訪子のこめかみに、一筋の汗が伝った。八雲藍、やはり強い。
「しゃきっとしなさい、早苗!」
一方では、神奈子が落ち込む早苗を鼓舞していた。
「八坂さま……わたし、正義が何なのか、よくわからなくなってしまいました。教えてください。正義っていったいなんですか!?」
「――良いこと、早苗?」
神奈子は、幼い子に言い聞かせるような優しい口調で諭した。
「正義のまえに立ち塞がるものはね、いつだって悪とは限らないの。ときには、また別の正義と衝突することだってあるわ。そして、そのときが今日という日だったのよ」
「だったら!」
「そう、正義なんてものは本当はどこにもない。正義なんて言葉は、人が自らの行いを正当化するためのものなんだよ。だったらさ、わたしたちは自分たちが正しいと思ったことをやるしかないだろう?」
「八坂さま……」
早苗はゆっくりと立ち上がり、顔をあげた。その瞳に、もう迷いはない。
「わかりました。いまは、思い悩んでる場合じゃないんですね!」
そもそも思い悩むような場面でもない。
「それに『かわいいは正義』っていうのなら、うちの早苗のほうがかわいいもん!」
藍と激しい攻防を繰り広げていた諏訪子が言った。
その言葉に、藍は堪らず手を止めた。
「いいや、うちの橙のほうがかわいい!」
「でも、早苗のほうがもっとかわいい!」
弾幕ごっこを完全に中断し、激しく言い争うふたり。
「な、なにがはじまったんでしょうか?」
「ほら早苗、いまは思い悩んでる場合じゃないんだろ?」
「わぁ、八坂さまなにを!?」
神奈子に手を引かれ、早苗は強引に諏訪子と藍のまえに連れ出されてしまった。
「その目をよ~く見開いて見なさい!」
「どうだ、早苗はかわいいだろう!」
「えっ! えっ? えっ!?」
神奈子と諏訪子の小っ恥ずかしい言葉にうろたえ、顔を真っ赤にする早苗。一昔前の少女漫画なら「まっかっか~」といった類のオノマトペが付加されそうなその姿は、逆に見ているほうを赤面させてしまうくらい可愛らしいものだった。
「ふん……」
しかし、なぜか藍の反応はいたって冷たいものだった。
「確かに世間一般の評価としては、美少女に分類されるやも知れん。だが、わたしから見ればこの娘はもうトウが立っているわ」
「どうして!?」
「それはわたしがロリ狐(コン)だからだッ!!」
守矢警察に衝撃が走った。いけない。この人、ビョーキだ。
「――だけど、まだ奥の手があるわ」
神奈子が不敵に笑う。
「早苗、わたしのとっておきのスペルカードの名前を、大声で叫んでみなさい」
「えっ、八坂さま、なぜいまそんなことを?」
「いいからっ!」
神奈子の勢いに押され、訳のわからないまま早苗はすぅ、と息を吸い込むと大声で叫んだ。
「ま……マウンテン・オブ・フェイしゅ!!」
噛んだ。
藍の狐耳が、ピクッと反応した。
「な、なんの真似だ……?」
「ふふふ、うちの早苗はねぇ、昔っから舌足らずで、いまでも緊張したり興奮したりすると、こうして舌が回らなくなっちゃうんだよ」
「ちびっこいころの早苗は、自分の名前もうまく言えないで『さにゃえ』っていったりしてたんだから!」
神奈子と諏訪子の思いがけない暴露に、藍がぷるぷると打ち震えた。藍のロリ魂(コン)のビートが、身体の震えとなって発現しているのだ。
しかし、早苗としてはたまったものではない。自分の秘密をばらされた早苗は、耳まで真っ赤になって怒鳴った。
「もーおっ、ふたりともなに言ってるんでちゅやー!!」
またしても、噛んだ。
「ピチューン」
その瞬間、何かに被弾した藍は、盛大に鼻血を噴き出しながら、噴射の勢いに押されるようにして後ろ倒れした。藍の身体が地に衝突し、大きな音とともに土煙が舞い上がる。
そして、藍はそのまま二度と起き上がることはなかった。
「勝った……のかしら?」
「やった、強敵・八雲藍をついに討ち取ったわ!」
「これもみんな早苗のお手柄よ。……って、あなた顔どころか全身真っ赤じゃない!」
「ううっ……。鼻血、モロに被っちゃいました」
倒れたままなおも出血を続ける藍の傍らで、守矢警察が勝利の余韻(と鼻血)に浸っていた、そのときだった。
目のまえの景色に、突然亀裂が入った。
◆
割れた景色のスキマから、ぬらり、と滑り落ちるようにしてひとりの女が現われ、早苗たちのまえに音もなく降り立った。
一見すると妙齢だが、ひらひらと可愛らしい少女趣味の服装をしていて、手にはフリルがこれまた幾重にも施された日傘を携えている。そして、口元には胡散臭い微笑みを浮かべていた。
「あら、守矢一家のみなさん、こんにちは」
彼女は八雲紫――幻想郷最凶と恐れられている妖怪で、藍の主ある。
「こ、こんにちは……」
紫に微笑みかけれらた早苗の背筋が、緊張してぴりっと伸びた。彼女のことは苦手だ。何を考えているかわからないだけでなく、こちらの考えを読まれているような、妙な居心地の悪さがある。
神奈子は「なにか用か」とでもいうような無遠慮な視線を紫に送っており、諏訪子は別段興味なしといった態度で口笛を吹きながら視線を空に彷徨わせている。随分と余裕のある態度ではあるが、さっきまで騒いでいたふたりも静かになったことから、神である彼女たちもまた八雲紫のことはあまり得意とはしていないのだろう。
「まったく、帰りが遅いから心配してきてみれば……」
紫は足元に転がっている自分の式を見下ろすと、やれやれといった表情で溜め息をはいた。そしておもむろに宙に線を引くように、つう、と指先を流すと、藍の伏している地面にスキマが生じ、藍の身体はスキマの闇に飲み込まれるように沈んでいった。
「ところでおもしろい格好をしているわね、あなたたち」
紫が、早苗たちに向き直って言った。
「その服装、外の世界の『警察』の真似事かしら」
「あ、あの、えーと……」
「真似事じゃなくて、そのもののつもりよ?」
神奈子がそう応えると、紫は「あら、失礼しました」と悪びれた様子もなく言った。
「あなたたちとは、もっとお話していきたいのだけど……このあと、博麗神社で宴に出席する約束がありますの」
紫は早苗たちの反応をうかがうように、一息ついた。
「そういうわけで、ここで退散させていただきますわね。――橙?」
「はーい!」
紫が呼ぶと、泣き止みすっかり退屈して蟻の巣をほじくって遊んでいた橙が、とたたたーっ、と駆けてきて地面に開いたスキマに飛び込んだ。それに続くように、紫が足を踏み入れる。
「では、みなさん、ご機嫌よう……」
そう残して、紫はズブズブとスキマの闇へと沈み去っていった。
しばしの静寂のあと、神奈子が口を開いた。
「――ねえ、さっきの話、聞いたかい?」
「へっ? なにが?」
「博麗神社で宴に出席するとかなんとか言ってただろう」
「あー」
「それがどうかしましたか?」
いまいちピンときていない早苗と諏訪子に「これはチャンスだよ」と神奈子が言う。
「宴といったら酒が付き物。当然、博麗霊夢も口にするはずよ。でも、二十歳未満の飲酒は法律的にアウツ! そこでわたしたちの出番よ」
「あっ、なるほど!」
諏訪子が、ぽん、手を打った。
「博麗の巫女を逮捕してしまえば、次回作の出演枠がひとつ空席になるってわけね。しかも主役の席が!」
「そういうコト」
「ええっ!?」
神奈子と諏訪子のたくらみに、早苗が驚く。神様のくせに、悪魔的発想である。
「なにぼうっとしてるのよ、早苗」
「えっ」
「主役の巫女枠が空いたら、当然そこに納まるのは早苗、あなたよ」
「わたしですか!?」
「しかも早苗が主役になれば、あなたと関係の深いわたしたちも自ずと共演することになる……はず!」
「そうと決まれば、さっそく出発よー!」
神奈子と、諏訪子、そして諏訪子に手を引かれた早苗は、博麗神社に向けて飛び去っていった。
そして――、
――空間の狭間で守矢一家の話に聞き耳を立てていた八雲紫は、口元を歪めた。
◆
幻想郷の東方にある博麗神社……の、近くの茂み。
暗闇のなかに潜むように、守矢警察の三人が身を屈めて神社の様子をうかがっていた。
ちなみに藍の返り血を浴びてスプラッターなことになっていた早苗も、近くの川で身体を洗い、諏訪子の帽子に入っていた予備の制服に着替えてようやくすっきりした。
「ねーねー、さなえー、あんぱんと牛乳食べるー?」
「わっ、洩矢さま、どこからこんなものを?」
「ふっふっふ、こんなこともあろうかと帽子に仕込んでおいたのよ。刑事の張り込みのお供といえば、あんぱんと牛乳は外せないからねー」
「その帽子、もはやなんでもありですね」
「あ、あと不自然に覗き穴の空いた新聞とかもバッチリ用意してあるわよ!」
「もぐもぐ、あんぱんおいしいです」
張り込みに早くも飽きてきて遊びはじめた諏訪子と、それに付き合う早苗の傍ら、双眼鏡(これもケロちゃん帽から出てきた)で神社を見張っていた神奈子がふたりを制した。
「ふたりとも、なんだか騒がしくなってきたわよ」
「宴もたけなわ、ってところですかね」
神社から複数人の大笑いする声が聞こえる。博麗霊夢も言い逃れできないほどの酒を入れている頃合いに違いない。
「それでは、もう踏み込みますか?」
「ええ、いきましょう」
そう言って三人は頷き合うと、境内に駆け込み、そのまま宴会会場の障子を蹴破った。
「警察だ! 全員手を頭のうしろに組んでその場を動くな!」
こういうシーンの常套句を叫びながら三人が座敷に突入すると、突然の乱入者に驚いた宴の参加者たちは、言わずともその動きを止めた。
早苗がその場をざっと見渡すと、博麗霊夢と八雲紫をはじめとする人妖入り混じったメンバーが揃っていた。霧雨魔理沙、伊吹萃香、射命丸文、アリス・マーガトロイド、そしてパチュリー・ノーレッジや河城にとりといった珍しい顔ぶれもある。いったい、なんの集まりなのだろう?
「こらーっ!」
いち早く硬直から解けた巫女装束の少女――霊夢が、宴の空気と障子を同時に壊しやがった三人組に挑みかかった。
「いったい、なんのつもりなのよ」
「わたしたちは幻想郷の秩序と治安とラブを守る守矢警察です」
「神社からプンプン漂ってくる酒気と犯罪の臭いを嗅ぎつけて、あなたを補導しに……というか引導を渡しにきたのよ!」
「はぁ?」
訳のわからない因縁をつけられた霊夢は困惑顔だ。
他の面子は何事かといった様子で事態を見守っている。ただ、呆気にとられている面々のなかで、八雲紫だけが可笑しそうに微笑を浮かべていた。
「あ、あとそこの魔法使いもついでにしょっ引くわよ」
「りょーかい!」
「うわっ、なんだこりゃ」
諏訪子が放った鉄輪が、戸惑う霊夢と魔理沙の両腕を手錠のように束縛してしまう。有無を言わせない突然の攻撃に、霊夢がいっそう憤った。
「ちょっと待ちなさいよ! なんでわたしたちが捕まらなきゃいけないのよ!?」
「あなたたちが未成年にも関わらずお酒を飲んでいたのは、状況的に明らか。これは紛うことなき違法行為よ」
「ここは幻想郷よ?」
幻想郷は飲酒が咎められるどころか、むしろ推奨されるような世界だ。だが、その主張に対する返しは準備してある。
「東方プロジェクトは外の世界でも発売されるの」
「あー、それなら大丈夫。東方プロジェクトの登場キャラクターはすべて十八歳以上だぜ」
「なにそのロリ系エロゲがソフ倫の審査を煙に巻くような苦しい嘘は!? そもそも飲酒が合法なのは二十歳以上よ!」
「んなモン知るもんですか!」
なにやら言い争いはじめた守矢警察と霊夢、魔理沙たちに萃香が「よくわからないけどやっちまえー」と野次を飛ばした。それまで宴会モードだった文も、面白そうな騒ぎをまえにして愛用の手帖を開き、すっかり仕事モードになっている。残りの面々も完全に他人事といった態度で、誰も守矢警察を止めようとするものはいなかった。
「とにかく、あなたたちのような素行の悪い輩には、東方プロジェクトの主役を務める権利はないわ」
「そうそう、主役にふさわしいのはうちの早苗よ!」
神奈子と諏訪子がそう言ったを聞いて、霊夢はにわかに落ち着きを取り戻すと「なるほどね」と、意地の悪い笑みを浮かべた。
「あんたたちの魂胆がわかったわ。秩序とか治安とかラブとか偉そうなこと並べたてて、結局は自分たちが新作にしゃしゃり出たいだけなんでしょう。わたしたちを追い出して、出演枠を奪い取ろうというつもりね?」
「本当か? まったくいじましいやつらだぜ」
「ぐっ……」
図星を突かれた神奈子たちは、思わず言いよどんでしまう。
萃香をはじめとする酒の入った連中が、そんな守矢一家の様子を見てどっと笑った。神様のくせに威厳がなさすぎる。
そのとき、それまで比較的おとなしかった早苗が一歩踏み出して「おおむねその通りです」と、半ば開き直ったような態度で言った。
「わたしは――もう、嫌なんです」
「……早苗?」
「わたしはもう、東方ファンから2Pカラーとかルイージ呼ばわりされるのは、まっぴらゴメンなんですよ!」
それは、東風谷早苗の心からの叫びだった。
涙目で霊夢を睨みつけ「博麗霊夢!」と、その名を呼ぶと、早苗は力強く宣言した。
「わたしはあなたを下して、幻想郷の巫女といったら東風谷早苗、と言わしめてみせます!」
「ふーん、面白いこというじゃない」
相対したふたりの巫女が、視線を交錯させ火花を散らした。
「ほら、諏訪子」
神奈子が諏訪子を肘でつついた。
「う、うん!」
空気を察した諏訪子が、霊夢の両腕の自由を奪っていた鉄輪を緩めると、外れた鉄輪が畳に落下して重い音を立てた。それを確認した霊夢が満足げに頷いた。
「さあ、これで心置きなく弾幕ごっこができますね」
「そうね。でも、弾幕は弾幕でも、こんな弾幕はどう?」
おもむろに霊夢は腰を下ろすと、傍らにあった一升瓶とたくさんの御猪口が乗った盆を、叩きつけるように差し出していった。
「どちらかが酔い潰れるまで、お酒を絶え間なく飲み続ける勝負。その名をショットガンというの」
霊夢が挑むような表情で「おもしろそうでしょ?」というと、早苗は無言で霊夢のまえに座った。
それは「受けて立つ」の意思表示だった。
◆
早苗と霊夢は、同時に空になった御猪口を置いた。
ふたりの目のまえの盆には、これで合わせて二十杯の御猪口が乗っており、それぞれが十杯目を飲み干したことになる。
「あんた、早くも顔が赤くなってるわよ。無理しないうちに降参したら?」
「へっちゃらです。さ、次々といきましょう」
酒が波々と注がれた御猪口を手に取り、一気に呷った。
その見事な飲みっぷりを見て、ふたりを取り囲むギャラリーが湧いた。しかし、早苗の保護者である神奈子と諏訪子だけは心配そうにしていた。
「あの子ったら、いままで飲んだこともないのにあんなにとばしちゃって……。ああっ、見ちゃいられないよ!」
「でも、博麗霊夢のほうはいくらか酒が入った状態からのスタートだから、案外いい勝負かもしれないよ」
そう言われれば、霊夢のほうも視線が定まっておらず、だんだんと怪しいことになっている。
御猪口一杯が微量とはいえ、喉を焼き、腹で暴れ、脳を揺さぶるような強い酒を立て続けに飲んでいく。ショットガンの名が示すように、激しい弾幕の思わせるほどの猛攻をふたりは耐えつづけていた。
「ぷはー」
そして、ふたりは十五杯目の御猪口を盆のうえに置いた。
だが、勝負の真っ只中にある早苗は自分が何杯目を飲んだのか、もはや判らなくなっていた。御猪口を数えようとしても、頭がぼんやりとしているうえに、視点がブレてまともに数えることができない。そういえば、目のまえの霊夢が二重に見える。
「ハッ、これは霊符『博麗幻影』? むー、分身するなんてズルイですよぅー」
いけない。早苗がおかしなことを口走りはじめた。
神奈子は居ても立ってもいられなくなり、早苗に駆け寄った。
「もうやめよう、早苗! こんな戦いは不毛だよ!」
「うぅ、八坂さま、止めないでください。大丈夫です、さっき牛乳飲んでますから、胃に膜ができてアルコールには滅法強くなってるはずですぉ」
「神のわたしから言うのもなんだけど、それ、迷信だよ!」
えっ、そうなの? と、別のところで諏訪子がショックを受ける。
「あんたたち、おしゃべりしてないで。じゃんじゃか飲まなきゃショットガンにならないれしょ?」
霊夢が新たな御猪口に手を伸ばしながら言った。しかし、伸ばした手が空を掴んでいることから、霊夢のほうもいっぱいいっぱいの状態のようだ。しかも、呂律も回っていない。
「わかってますよぅ!」
神奈子たちが止める暇もなく、早苗が酒を一気に飲み干した。
ギャラリーの喚声が酔った頭に響いて辛い。まるで金ダライを被った頭を、棒かなにかでガンガン殴られているみたいだ。
「早苗、しちゃむちゃ駄目よっ!」
「むちゃしちゃ駄目、でしょ? 神奈子も落ち着いて!」
そんな神様たちの声も、早苗には届いていなかった。
早苗の意識は、目のまえの霊夢だけに向けられている。
いまの早苗を支えているのは怨念だった。腋出し巫女というキャラの被りっぷり。この赤い巫女にはだけは、絶対に負けるわけにはいかないのだ。
――って、ちょっと赤すぎやしないだろうか?
そう思った瞬間だった。
茹蛸のように顔を真っ赤にした霊夢の身体がくらりと傾き、そのまま、顔面から盆に突っ込むと、御猪口が大きな音をたてて盛大に飛び散った。
「霊夢ーっ!?」
驚いた魔理沙が名前を呼ぶが、霊夢は前のめりに倒れた姿勢のまま、返事がない。ただのしかばねのようだ。
その光景を、虚ろな目をして見つめる早苗。
「――勝った、の?」
酔った頭に、じわじわ勝利の実感が湧き出してきた。
「そうだよ、早苗! あなたが勝ったのよ!」
「さすが『奇跡を起こす程度の能力』は伊達じゃないわね!」
神奈子と諏訪子にもみくちゃにされ、遅れて、宿敵を下した喜びが胸に込み上げてくる。気がつけば、ギャラリーたちも早苗の大健闘に賞賛の喝采をあげてくれていた。
そうだ、自分は勝ったのだ。
もう、博麗霊夢の陰に隠れて2Pカラーとかルイージとか呼ばれる日々とはおさらばだ。
本日をもって、東風谷早苗は『紅に勝りし碧の挑戦者』の栄光を手にしたのである。
感極まった早苗はゆっくりと立ち上がると、両腕を力強く天に掲げながら、気炎を吐き出した。
「I am Gachapin!!(訳・わたしはガチャピン)」
――あっ、ダメだ、こいつ完全に酔っ払ってやがる!
と、誰もが思った瞬間、早苗は糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
◆
「あらあら、これは困ったことになったわね」
そんなとき、ざわめくギャラリーの群から歩み出る者があった。
「むっ、あなたは……」
なにか企み事を含んでそうな微笑を顔に張り付かせているのは、スキマ妖怪・八雲紫である。
「なによ、なんか文句でもあるわけ?」
「いえ、ただ、警察そのものを自称していたあなたたちが、自ら法を犯したのが可笑しくって」
紫は、酔いつぶれて座敷に転がる未成年たちを見て、目を細めて笑った。
「これで博麗霊夢たちを逮捕してしまうのは、いささか道理に合わないとは思いませんか?」
その点は、早苗が勢いに任せて飲酒対決を受けたときから突っ込まれやしないかと心配していたところだ。
「でも、早苗は勝負に勝ったからね」
「どちらにせよ、早苗が次回作の主役っていう約束は守ってもらうわ」
「約束?」
紫は不思議そうな顔をした。
「誰かそんな約束していたかしら、新聞屋さん?」
紫が問いかけると、一部始終の様子を事細かにメモしていた射命丸文は手帖をぱらぱらとめくりながら「あややややや、そんな記録はどこにも見当たりませんねー」と答えた。
「そ、それはそうだけど……」
「雰囲気、というかそこらへんは文脈から判断してさぁ……」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「それに、あなた方はこの宴の趣旨を知っているかしら。この面子が一堂に集まっていた、その意味を?」
そういわれて、神奈子と諏訪子はその場の顔ぶれを見渡してみた。
全体的に、東方プロジェクトにおいて、よく見受けられる顔ぶれ。そこに混ざって、河童の河城にとりもいた。にとりは神奈子たちと同じく『東方風神録』で初登場して以来、ファンの間で絶大な人気を集めたキャラクターである。
「まさか……?」
「そう、お察しの通り、ここにいるのは東方プロジェクトの次回作に出演が決まったメンバー。わたしたちはその打ち合わせも兼ねて、神社に集まっていたの」
その言葉に、神奈子と諏訪子が呆然とする。
すでに次回作の出演者が決まっていたなんて。それでは、いままでの自分たちの努力は、いったいなんだったのだろうか。
「次回作のテーマは『温泉』あたりでいこう、という話までまとまっていますの。そろそろ寒くなってくる季節だしね」
そして、紫は寝転がっている早苗を一瞥して言った。
「御宅のお嬢さんも、風邪を引かないように気をつけてくださいね」
そう言われて神奈子たちが見遣ると、虚ろな表情をした早苗が服をはだけているところだった。
「早苗、なに脱いでるのよ!?」
「うぅ~、なんだか身体がぽっぽして熱いんれしゅぅぅぅ」
「わーっ、とりあえず服を着せてっ!」
そんなあられもない早苗の姿を、ここぞとばかりに文が愛用のカメラで撮影しまくる。
「ちょっ、カメラ止めろ」
「神奈子っ、とりあえずここは早苗を連れて撤退しよう!」
守矢一家は、そそくさと神社を飛び出し、慌てて逃げ帰っていった。
その後ろ姿を見ながら、八雲紫は満足げに微笑んでいた。
幻想郷には、そこに住む者たちの間に暗黙の了解としてのルールが存在している。だが、権力と強制力を持った警察という存在が、その不文律を法という形に具体化してしまうと八雲紫は考えた。
それは、ある面では幻想郷により一層の安寧と秩序をもたらすかもしれない。
しかし一方では、法が定まることによって、力のある妖怪たちが暗躍することを著しく制限してしまうことに繋がるだろう。いまの幻想郷の平和は、紫をはじめとする古い妖怪たちが力を有しているゆえのところが大きい。幻想郷には、外の世界以上に法では縛りきれない混沌たちが転がっているのだ。
……と思わせておいて、実際のところ紫も以前から八雲一家と守矢一家とのキャラ被りを懸念しており、そのライバルを潰しておいた、という説もある。
胡散臭い微笑みを絶やさない八雲紫がなにを考えているのかは、誰にも解らないのである。
◆
幻想郷の上空。
守矢警察、もとい守矢一家はすっかり夜のとばりが降りた下界の様子を見下ろしながら、失意のなか帰路をとっていた。
「あーうー、あーうー、あーうー」
「ねえ、諏訪子。それ、やかましいから止めてくれないかい? もう、警察ごっこは――いや、わたしたちのドリームは終わったんだよ」
「ちがうよー、これはサイレンじゃなくてわたしの泣き声だよ。涙は急に止まらないよぅ……」
「なんだかんだ言って、諏訪子も新作に出演したかったんだねぇ……」
泥酔して文字通り泥のように眠る早苗を背負った神奈子が、疲れの混じった深い溜め息をついた。
「でも、このままでは終われないよ」
「ええ、そうね」
神奈子と諏訪子は、顔を見合わせると無言で頷き合った。
八雲紫は、次回のテーマは『温泉』に決まったと言っていた。
ならば、いまの神奈子たちの胸中のようにボコボコと煮えたぎる灼熱の温泉に、奴らを招待してやろう。
「そうと決まれば諏訪子、さっそく行動するわよ!」
「りょーかい! あのお気楽な連中を、地獄の釜のズンドコに叩き込んでやるんだから!」
どこまでも広がる幻想郷の暗闇に、守矢一家の邪悪な笑い声が響き渡った。
『東方地霊殿』につづく
神主とかの名前や自分たちの同人誌がでてるなどのネタ、前作などを出さなくても
良いものが書けると思いますが・・・。
ちょっと残念。
ガチャピンは赤の壁を越えた珍しいキャラだもんね……
面白かった
初めにメタ注意とあります。
それを見た上で読みすすめておいて、メタを叩くのは理不尽ではないですか?
作品はとてもよかったです
あのサイレンはいくらですか?
これは私の落ち度です。 申し訳ない。
それを見たのに忘れて書いてしまったようです。
以後気をつけないと・・・・。(汗
異変の発端としてってw
メタ過ぎて……でも面白かった!!あーうー、あーうー、あーぅー、ぁ‐ぅ‐
そういやExtraのエンディングに神奈子は……ゲフンゴフン
この作品はきちんとキャラに対する愛が感じられて良かったです(藍様はアレでしたがフォローもあったのでw)
そしてセリフの『緋想天』を『非想天則』に読み替えてもあまり違和感がないどころかより一層切実になる…
なにはともあれ2作も主人公になれて早苗さん本当に良かった