二人の少女が対峙する。
片や銀髪の小柄な剣士、片や金髪黒服の楽士。
一見、奇妙とも思えるこの組み合わせ。
しかし、その間にはシンと張りつめた静かな緊張感が漂っていた。
しばしの沈黙。
周りの空気ですら、二人を気遣っているかのようにひめやかにその様子を見つめている。
そして、意を決したように金髪の少女が動きを見せた…次の瞬間、
「……っ!!」
少女、ルナサは凄まじいまでの衝撃を受けた。
――これは…何ということだろうか。
自分だって、それなりに自信を持っていたし、少なくとも良い勝負くらいはできるはずだと思っていたのに。
完全に思いあがりだった。
一体、この領域に達するのにどれほどの苦労を重ねてきたというのだ。
こちらを見つめる無垢な青の瞳に、もはや畏怖の念すら覚えてしまう。
「負けたわ、妖夢」
「え?」
伏し目がちに呟く。
ひとえに自らの主君を喜ばせたいという心が、彼女の力量をここまで引き上げてきたのだろう。
私の妹たちへの思いも、まだまだ足りていないのかもしれない。
そして、そんな彼女への畏敬と称賛の意を込め、自分の気持ちを率直な言葉で伝える――
「……このお味噌汁、すごく…美味しい」
「は、はぁ。ありがとうございます」
味噌汁一杯で妙に感激している様子の客人に、その製作者はと言えば当惑するばかりだった。
『ルナみょんでご飯』
白玉楼を囲む、広大な庭園の一角。
手頃な大きさの庭石の一つに、リリカは気の抜けたような顔で座っていた。
猫背で頬杖をつき、左腕をだらしなく垂らしている姿は、少女として少々相応しくないように思える。
「リーリカッ。なにしてるのー?」
「んー? そだねぇ、強いていうなら空気の観察?」
「それはそれは有意義ね」
そんな具合のリリカに親しげに話しかけたのは彼女の下の姉、メルランだ。
相も変わらずニコニコと上機嫌なようで、口調からもどこか浮ついた調子が伺える。
というか、さっきまで池の鯉に餌をやってはキャッキャとはしゃいでいた筈なのだが。
「…メル姉、エサ袋は?」
妖夢から手渡された鯉用のエサ袋が、メルランの手から消えていた。
能力で浮かばせている、というわけでもなさそうだ。
「捨てちゃったよ。もう全部あげちゃったから」
「全部、あげたの?」
「うん」
一拍。すぅ、と大きく息を吸い込んで、
「アホぉぉかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「わ! び、びっくりするじゃないの。いきなり大声を……って、ちょっと!?」
ふわふわと姉を引き、飛び急ぐ。
規模は小さいながらも、緋色に染められた橋を二つ備えた趣のある人工の池。
しかし、池の表面には、これでもかとばかりに大量の餌がぶちまけられていた。
その情景は、チラと見るのも躊躇われるほどの無残な状態。
「うわぁ。マジでやっちゃったよ、この人」
「え? わたし、何かいけないことでもした?」
この状況を見て、なおもすっとぼけたことをぬかす。
言うまでもないが、素である。
「あのねぇ。幽々子とかメル姉じゃないんだから、たくさん食わせりゃいいってもんじゃないのよ!
ほら、池見てみなさいな。こんなに汚くしちゃってさぁ」
「…あー、言われてみれば」
「ハァ。もう、どうすんのよコレ。こんな所見つかったりしたら…いや、何とか隠し通してしらばっくれれば」
このピンチを脱出すべく、リリカが偽装の方法を考えていると、
「呼んだかしら~」
「……うっぎゃぁー! 出たぁー!?」
計ったように出た。南無。
「あら。こんにちわ、幽々子!」
「ええ、こんにちわ」
「あ、あっはは、こんちわー」
呑気に挨拶を交わす二人。
何故か、何もしていないリリカが冷や汗をかいてしまっている。
そして当然、池の惨状に気づかないわけも無く。
「…あらあらまあまあ、随分と大サービスしてくれたのね」
「えっ、とこれは何て言うかその、成り行きといいますか、ね」
「成り行き、というと?」
「そ、それは…」
この三女は、自分の姉たちを騙し弄ぶことを至極の喜びとしている。
これだけ聞くと何だか不穏な物言いだが、勘違いなされぬよう。
そして、それを実行できるだけの悪知恵と実行力、巧みな話術を持ち合わせているのだ。
しかし、今リリカの返答を大様と待っている亡霊嬢、幽々子に対してリリカは滅法弱かった。
彼女の持つ独特の空気、とでも言うのだろうか。
人格としての好き嫌いは別としても、苦手な人物であることは間違いなかった。
「あ、違うの! コレ、わたしがやったのよ。リリカを怒らないであげて!」
「まぁ、そうなんだけど…」
「うふふ、姉妹仲が良いのね」
問い詰めるような顔から一転、扇子に隠した口元に優雅に笑みを浮かべる。
「冗談よ。怒ってなんかいないわ」
「へ?」
「だってそうでしょう? この池の手入れを誰がするのか、ということよ」
そう、寛大な白玉楼の当主はこのくらいで癇癪を起こすようなことはしないのだ。
ましてや庭のあらゆる管理は、庭師である妖夢に一任している。
詰まるところ、今日の妖夢のフリー時間がそれはもう短くなる、というだけの話。
「なぁんだ。なら大丈夫ね」
「そうよ。気に病むことはないわ」
「「あっははは!」」
「……妖夢。何ていうか、色々とゴメン」
ホロリ、従者の不遇を思い密かに涙する。
やはりこのおとぼけ亡霊(+騒霊)は苦手だと、改めて思うリリカであった。
ここで、あー、とわざとらしく幽々子。
「ところで、貴女のお姉さんのことなのだけどね」
「んン? 何よ?」
目薬の涙を流すリリカに問う。
「演奏が終わって、その後雑談をしていく、というのは一向に構わないのだけど…」
チラリと屋敷の縁側、ルナサと妖夢の方を見やる。
彼女には珍しく、少し困った、というよりは呆れたような表情。
「かれこれ話し始めて一時間は立つんじゃない? さすがに、お稽古の予定が詰まってしまうのよねぇ」
そういえば、と今更思い出す。
今回は、昼飯前のちょっとした暇つぶしのために呼び出された、ハズだった。
ひょんなことから妖夢が呟いた和食の話に、ルナサがとびつくまでは。
見れば、いつになく熱く語っている風のルナサ。
聞かされている方はと言えば、少し弱り顔のようだ。
「あー…ごめん。ルナ姉ってば、音楽と料理のことになると妙に白熱しちゃうんだよね」
「ふぅん。あの子が白熱、ねぇ」
「お料理大好きだものね~、姉さんは。
この前だって、分量のアドバイスしてもらおっかなーって思って呼んだら、そのまま全部一人でやっちゃったのよ」
実際、三人の中でもルナサの腕前は抜群だった。
メルランは下手ではないものの、大味。
自分好みの味付けをするし、どちらかというと見た目の楽しさにこだわるタイプ。タコさんウインナーとか。
リリカは、かなり適当。出来合いのお惣菜なんかが出てきたりする。
「だよねぇ。料理に関しては、そうそう勝てる人いないんじゃないかなぁ」
「あら、それを言うなら、うちの妖夢だって中々のものよ?」
と、幽々子。
「ちょっと頼りない所もあるけど、私を満足させられるような美味しいご飯を作る料理の腕は確かよ。
貴女たちのお姉さんにも、きっと負けてないんじゃないかしら」
「え~。それでも、姉さんには敵わないと思うわ~」
あーだこーだと張り合う二人。
お互い、身内の味というものを良く知っているだけに、得心いかないといった感じだ。
と、ここでいつもの如くリリカが閃いた。
「あ。だったらさ、こうしない?」
「ごめんなさい。お邪魔しちゃったみたいで」
「いえ、私も楽しかったですよ」
礼儀正しく頭を下げる。
ここ、幻想郷においては稀に見る律儀なやりとりである。
「そうよ! 楽しけりゃ万事全て全部オールおっけーなのよ!」
「…あなたが言うな。さっきの件、忘れたとは言わせないわよ。大体、少し考えれば分かることで―――」
「え、えっと! それじゃぁまたね、妖夢~!」
「あっ、こら、待ちなさい!」
次の言葉を継がせる間もなく、スタコラサッサと逃げ去っていく。
ルナサのお小言に捕まったが最後、延々と鬱な言葉を聞かされるはめになるのだ。
メル姉の素早い判断は上策だろう、とリリカは思う。
「全く、反省ってものが無いんだから」
「ま、まあ、そうご立腹なさらずに。お客人に仕事を任せた私も悪かったのですし」
「そうは言ってもね」
「まぁ、妖夢がそう言ってくれてるんだから、甘えちゃいなよ」
「…あのね、あなただって止められたでしょうに。それを黙って見ているなんて」
「おやおやー? 私に怒るのはお門違いってものだよ。何にも悪いことなんてしてもん。
それに、一時間近くもかわいーい妹たちを放っておいて、暴走トークってた人が言えた義理じゃないと思うんだけどなー」
「ぅ。それは……」
「ははっ。じゃ、私も先帰ってるからね」
「ちょ、ちょっと!」
挑発、カウンター、一撃離脱。
さすがはリリカ。メルランにはできないことを平然とやってのける。
「…ああ、もう」
「仲、いいんですね」
「小生意気なだけよ。言うことなんてちっとも聞きやしない」
「あはは。…でも、ちょっと羨ましいかなぁ」
「え?」
つとめて爽やかな笑みのまま、
「だって、自分の妹たちと一緒に過ごせるんですよね? 楽しそうでいいですよ」
「………」
「あ。だからって、今の生活に不満があるとか、そういうのは全然ないですよ?
何より幽々子様の傍にお仕えすることができるのが、私の一番の幸せですから」
「……そう」
真っ直ぐな彼女だからこそ、今の言葉に嘘偽りは無いのだろう。
一目見れば、幽々子と妖夢が君主と従者、寧ろそれ以上の固い絆で結ばれていることは明らかだ。
ただ、そこに僅かばかりの寂寥を感じた。
「不満。食費については?」
「え、それは少し不満かも、しれないです…」
「まあ、普通はね」
「あ、今のは幽々子様には言わないでくださいよ!?」
「さあ、どうしようかしら?」
「えー!? そんなぁ、ルナサさーん……」
意地の悪そうに、くすりと微笑む。
彼女にしては滅多に口にしないような冗談。
友人というよりはもう一人、世話のかかる妹ができたような、そんな心地をルナサは覚えた。
***
「よーむー。ごはんまーだー?」
「あ、はい、ただいま」
時は日の入り。
剣術指南に庭の手入れ、その他雑用諸々をようやく終えたと思えば、次は食事の用意である。
半人前の半霊、妖夢に暇という言葉は全くの無縁であった。
もとより、暇があっても無益に時間を消費してしまうことの方が多いのだが。
竹箒を大雑把に立て掛け、夕飯の所へと急ぐ。
タッタッと軽やかな足音が、むやみに長い廊下の軋む床に反響する。
台所の戸が開く。少し眩しげな外の光と共に、緑の少女が息せき切らせてやってきた。
先ずは、白玉楼ご自慢の大釜の様子を見る。
あらかじめ準備しておいた米は、ふっくらと炊き上がっていた。いいタイミングだ。
炊き立てを漆の茶碗にたんまりと(それはもうたんまりと)よそい、一品料理をそれぞれ丁寧に盛り付けていく。
今晩の主菜はフナの煮付け。甘辛くて、冷めてもおいしく頂けるのは嬉しいところ。
料理を盆にのせたら、すぐさま主人のいる居間へ。
開け切った戸の前に着くや、一息整えて、
「幽々子様。只今、お持ちしました」
「ええ、入って」
失礼します、と居間に入ると、既に膳についていて待ちかねた様子。
人生一番のお楽しみタイムを前に、うきうき気分をこらえきれないようだ。
ゆるませた頬からは、カリスマが微塵も感じられないほどで。
「待ちかねたわぁ」
「は。本日は少々、味付けを変えてみました。お口に合いますかどうか…」
聞くが早いか、合掌もそこそこに早速煮付けをパクつく。
もぐもぐと咀嚼して一言。
「うん、とても美味しい」
「…ありがとうございます!」
良かった、と素直に安堵する。
返ってきた言葉は至極ありふれたものではあったが、妖夢にとってはその一言だけで十分だった。
…それにしても、と妖夢は思う。
いつ見ても、とんでもないハイペースだ。
パッと見は上品に、丁寧に食べているような印象を受けるのだが、驚くべきはその速さ。
口に物を入れたと思えば、その次の瞬間には、箸は次の獲物めがけて突撃している。
例えるならば、それは休まること無き怒涛の猛攻。
さすがはエンゲル係数を大崩壊させる程度の能力者と言えよう。
「でも」
「え?」
「たまには洋食も食べてみたいなぁ、と思ったりしちゃうのよ」
「ヨウショク、ですか?」
聞きなれない単語に一瞬何かと思ったが、すぐにピンときた。
要は、西洋風の趣向が盛り込まれた料理のことだ。はんばぁぐ、なんかは良く耳にする。
「そう、洋食。西行寺家の当主たるもの、異国の食文化を学ぶというのも必要なことだと思わない?」
「は、はぁ」
あれこれ理由付けをするが、結局は自分の食欲を満たしたいがためなのだろう。
いつもの気まぐれだろうし、それは別に構わないのだが。
これは困った、と妖夢は困惑する。
「でも私、和食しか作れませんよ?」
少しくだけた口調になって返す。
魂魄妖夢、花も恥じらう○○歳。生まれてこの方、ごはん党である。
むろん、料理の経験値もその方面に偏ってしまっているわけで。
「それは分かっているわ。そこで、よ」
ズビシと空いた方の指で指して、
「プリズムリバーの長女さん、あの子をお招きすることにしたの」
「ルナサさんを?」
「まぁ、あとの二人も来るでしょうけどね。で、明日のお昼を作ってもらうわ」
納得。彼女なら、そういうことも得意なはずだ。
「つまり、明日の昼食の用意は要らないってことですね」
「ノンノン。寧ろその逆よ」
訳が分からない。
頭に疑問符を浮かべる妖夢に、大層楽しそうに命令を下す。
「あなたには明日、ルナサ・プリズムリバーとのお料理対決をしてもらうのよ!」
「………えぇぇぇ!?」
本日二度目の叫びと、湯呑を置く音が同時に鳴り渡る。
驚く従者と、おかわりー、と呑気な主君。
今日も今日とて、幻想郷は安泰平和である。
「……と、まァ、こういうわけで」
「何がこういうわけで、よ」
夕食後。夜陰の閑寂に包まれる騒霊屋敷。
暖色の灯りに照らされる中、リビングでくつろぐルナサにリリカが話を持ちかけた。
件の、料理対決の話である。
「またそうやって、人の知らない所で話を進める」
「だって、そんなこと言ったって仕方ないじゃないの。あの場を収めるには、ああでも言うしか無かったんだから」
「パフぺフー(そうそう)」
横槍ならぬ横ペットを入れてくるメルランをジトと睨む。誰のせいだと。
「幽々子も幽々子よ。リリカの言葉を借りるなら、どうでもいいじゃん、ってものじゃない」
「あはは。ま、これも依頼のうちだと思って諦めたら?」
「……ふぅ。確かにそうね。大したことじゃないし、やるわ」
「およ? やけに潔いじゃん。さては、裏でもあんの?」
「…ないわよ」
「…ホントにぃ~?」
「ほ、ほんとだってば」
少し夜風にあたってくる、と言い足早に部屋を出るルナサ。
よほど焦ったのか、読みかけていた本が右手にぶらさがったままだ。
「……メル姉、どう思う?」
「どう思う、って言われてもねぇ~」
トランペットと一緒になって、ふよふよと浮かぶ。
お腹いっぱいになったら、しばらく空中遊泳と洒落込むのが彼女の日課。
気持ち良くなって、そのまま眠ってしまうこともままあるが。
「ちょっと釣り針垂らしてみただけで、フィッシュオン!よ。絶対何か隠してるって」
「こんなに気の早いお魚さんも他にいないかもね」
「真面目に考えろよー」
宙をくるりと掻いて、人差し指で天井の向こうの空を示す。
「いいじゃないの。姉さんだって、秘密にしときたい事くらいあるわ」
「えー」
「不満かな?」
「何て言うか、秘め事みたいなのも私の担当だと思うんだ」
「あはっ、ナニソレ~」
ケタケタ笑うメルランに、何よー、と口を尖らすリリカ。
本人はいたって真剣なのだ。
「夢想家っていうのかしら? リリカって意外とロマンチストなトコあるよね」
「意外とは失敬な。夢ぇ無くしたら音楽家は終わりだよ」
「そう? わたしはぐるぐるへの渦巻く情熱だけで頑張れるわよ~」
「だろーねー」
嘆息をつき、やれやれと倦怠感を露わにする。
目の前でモクモクと湯気を立てる紅茶を啜る、食後の一杯。
まだ冷めきっていなかったのか、チロと舐めた程度でカップを置いた。
「それに妖夢のお料理、食べてみたいじゃない! 食べ比べもしてみたいし~」
「……メル姉さぁ。要は、自分がご飯食べたいだけじゃないの?」
「え。」
「…やっぱり」
よ、夜風にあたってくるわね~、と言ってそそくさと部屋を出るメルラン。
動揺していたせいか、ドアの角に思い切り頭をぶつけてもんどりうった。
こんな所でも息がピッタリだ。
「何かどうでも良くなってきたかも」
一人残されたソファの上で、遠慮なく口を開けて大きな欠伸。
窓の外、夜のとばりに佇む木々が、そよいだ風に吹かれてサワサワと気持ちよさそうに揺らぐ。
とりあえず、今のうちに隠しておいたプリンをこっそり食べてしまおうと、リリカは立ち上がった。
***
閑散とした空気が辺りを支配する。
それこそ、天壌無窮まで続くかと思わせるような果てしなく伸びる石段の外れ、
春ともなればその身に満開の笑顔を咲かせる桜の木々も、今は不気味な笑みでもって訪れる者を黄泉の国へと誘うのみ。
死と生の曖昧な狭間の空間、小さな剣士は微動だにせず、その真っ直ぐな瞳をただ一点へと向けていた。
そのうちに、彼女の待ち人と思われる影が三つ、階段を介せずフワフワと現れた。
友人の姿を見つけた黒い少女が、や、と控え目に手をあげる。
「お待ちしておりました、プリズムリバー楽団の皆様」
「うん。わざわざありがとね」
「ごっくろぉぉぉぉぉお腹空いた~」
「お? これはもしや、敵情視察ってやつ?」
「…あなたたち、いっぺんに喋ったら何言ってるか分からないでしょう」
開口一番、ぎゃーぎゃーと姦しい。
妖夢のことも忘れて口喧嘩を始めてしまった。
「あ、あのう」
「え? あ、ああ、ごめん」
「人の話はしっかり聞こうねー」
「大事なことよね~」
「……この…!」
「あ、あの! それで、今日の催しについてなんですが」
堪らず話を切り出す妖夢。こんな調子では日が暮れてしまう。
「ああ、重ね重ねごめんなさい。貴女にまで迷惑かけて…」
「大丈夫ですよ。こういうのは慣れてますので」
妹たちに振り回されっぱなしのルナサ同様、妖夢もまた幻想郷きっての苦労人の一人なのだ。
多少の無茶は二人とも既に慣れっこであった。
「ねぇねぇ、結構待ってくれてたみたいだけど、お庭のお仕事はいいの?」
「ええと、実は待っていたというか、待たされていたという感じで…」
「待たされた?」
不思議そうに首を傾げるメルランに言うことには、幽々子が今、会場の準備をしているとのことだった。
あの亡霊嬢が、自ら会場の設置を申し出たのだという。
「会場って…?」
「それだけ幽々子も力入れてるってことか。これは報酬も期待できるかもよ!」
「ぐるぐる~。頭に付けてるぐるぐるのやつ~」
「いや、それはない」
「…勝手なことばかり言って」
と、困り顔。作るのはルナサだというのに。
「でも、ルナサさん次第では分かりませんよ? 気まぐれなお方ですから」
「やった! ぐるぐるぐるぐるぅ」
「だってさ。姉さん、いつもの如くやっちゃいな!」
「うぅ、妖夢まで…」
昨日のお返しです、とばかりに微笑む。
三つの笑顔と一人の糸目。
ヒュウと吹き抜けた一陣の風が、四人四色、とりどりの音を優しく撫ぜて虚空に消えた。
「いらっしゃ~い。待ってたわ~」
「「「……………」」」
「すご~い!」
白玉楼に到着した御一行を待っていたのは、主人自らのお出迎えだった。
普段ならば、自分からは全く動こうとしないこの当主、その気概や良し…と、言いたいところだが、
「ゆ、幽々子様! 何の冗談ですか、これは!?」
「ぜんぶ私が建てたのよ。偉いでしょ~」
さらりと三女のセリフをパクりながら、えっへんと胸を張る。
庭園にはそこらかしこに乱雑にぶっさされた看板の大群。
内容も『おいでませ、死後の世界』とか『うぇるかむ とぅ しらたまろう』だとか胡散臭いことこの上ない。
「偉くないです! こんなに庭を荒らして、誰が整備すると思ってるんですか!?」
「んーとぉ、妖夢でしょ?」
「妖夢だね」
「妖夢ね。しらたま~」
「………」
…ああ、なるほど。この色々とすっとんだお嬢様は、私を苛めたくてワザとやってるんだ。
そうでなければ、屋敷の中の隅々にまで態々手の込んだ装飾をするわけがない。
なんですか、あの床に思いっきりぶちまけられた白玉は。だからしらたまろうなんですか、そうですか。
食に情熱を傾けるものとして、食べ物で遊ぶのはいただけないですよ。
というか、私の仕事が増えるのは別にいいとして、こんな調子じゃ幽々子様の将来が心配でなりません。
もう少ししっかりしていただかないと、私だって………、
「…妖夢」
肩にポンと置かれた手で現実に戻される。
放心状態の妖夢に慰めの言葉をかけたのはルナサ。同情というよりは、共感するといった方が相応しい表情。
ガシッと手を取り合い、共に涙する。ここに真の友情が誕生した瞬間だった。
「あー、エヘンっ。それはともかく、早速対決の決まり事を説明してもらおうかしら。お腹も空いたし」
「同感~」
「……決まり事、ですか」
それじゃあ私が、と即座に手を挙げるリリカ。
相変わらず手早い。
「ルールは至ってシンプルだよ。ルナ姉と妖夢が作ったランチを、私ら三人が評価して、支持を多く獲得したほうが勝ち」
「評価のきじゅ――」
「シャラップ! 説明は最後まで聞く!」
「ご、ごめん」
一喝されて落ち込むルナサ。なまじ間違ったことは言っていないだけに反論のしようもない。
「採点は一人一票、品数、量は問わないよ。旨いと思わせりゃそれで勝ち。以上、他に質問は?」
「はいはーい!」
「はい…、って何でメル姉が手ぇ挙げてんのさ」
「早めに頼むわ~」
「私に言うなよ」
「あら、奇遇ね。私もそう思っていたところなの。手際の良さも、料理では大切なことじゃなくて?
だから私に早くごはんを食べさせ…ゲフンゲフン。出来るだけ手短にお願いするわ」
「…だ、そうで」
さしものリリカも呆れた風に、そう伝える。
料理人サイドも、今更どれだけの無茶を言われようが全く驚かないわけだが。
「もう質問ないね? じゃ…始め!」
「…え?」
「ほらほら、行った行ったァ~」
「わあ!?」
「メルラン、ふ、服が伸びる――」
リリカが手を叩いたと同時、頭の整理もつかない二人を、あっという間に引っ張っていってしまった。
後に残るのは嵐でも通り過ぎたような静けさ。
「よーむぅー、負けたらキッツイお仕置きも待ってるわよ~」
「…ところでさ」
「ん、なにかしら?」
にこやかに物騒なことを叫ぶ幽々子に問う。
「ルナ姉が勝ったら、別途で報酬とかってでるわけ?」
いかにも悪だくみでもしていそうな面持ちで、にまりと笑う。
「あらあら、随分と抜け目が無いことね」
「姉さんたちがあんな感じだから、私がしっかりしなきゃ駄目なのよ。そこんところさ」
「別に私は構わないのだけれど…」
視線を外してから、少し言葉を濁して、
「ヒイキしちゃいけないわよ? 何せ人数的には一対二なんですもの」
「そこは問題ないよ。仮にこっちがルナ姉びいき、そっちが妖夢びいきしたとして、判定はメル姉に委ねられるわけだし。
音楽、ぐるぐる、ご飯! その辺に、妥協を許さないヒトだっていうのは私が良く知ってる」
「……私が言うのも何だけど、妙に説得力あるわねぇ」
「でしょ」
感心した風に頬に手をやるお得意様に向かって、さらに続ける。
「それで、その報酬なんだけど」
「ええ。何でもいってちょうだい」
「お米一年分、でどう?」
「………!!」
な、なんだってー! この時、幽々子に電流走る。
「いやー、実は最近、健康に気ぃ遣っててさぁ。ご飯食、って何か体に良さそうじゃん?」
…この娘、一体何とふざけたことをぬかしているのか。
騒霊に健康もクソもあるのか。いや、寧ろ問題はそこではないだろう。
お米一年分だと…?
私にとってのお米の大切さというものを、まるで分かっていない。
たかだか一時の健康ブームの為に、はいどうぞ、とあげられるような代物ではないのだ。
…ああ、なるほど。この腹黒い娘は、私を飢え成仏させたくてワザと言っているのか。
そうやって、果てはこの白玉楼までも乗っ取ってしまおうという算段なのか。
ならば、こちらにも考えがあるというもの………、
「だったら、もうワンパターンでも特典を付けちゃおうかしら」
「へ?」
「貴女のお姉さんが勝てばお米、そして妖夢が勝ったらピーマンをプレゼントするわ。食べきれないほどに」
「………!!」
この時、リリカの背後にジオンガ落ちる。
…この亡霊嬢、正気か。
ピーマンと言えば、私がこの世の中で一番嫌いなものの一つではないか。
苦味、色、香り、どれをとっても史上最低最悪の野菜だろう。ピーマン農家の人、ごめんね。
それを食べきれないほど進呈何かされてみろ、毎日あの恐ろしいピーマン料理を味わうはめになる。
…ああ、なるほど。この何考えてるか分からない人は、私をピーマン漬けにして苛めたくて言っているのか。
妖夢弄りだけでは、飽き足らなくなったのか。だけど、黙って従うリリカ様じゃないわよ。
いいわ、その勝負、受けてたってやろうじゃないの!
「分かった。じゃ、そういう方向で決まりだね。約束は守ってよ?」
「貴女こそ、しっかり食べなきゃ大きくなれないわよ?」
「えへ、えへへへへへ」
「くす、うふふふふふ」
真っ黒な笑いと、オーラを露わにする両者。狂気の沙汰ほど面白いもの。
全ての運命は二人の料理人、そしてメルランに託されたのであった。
ちなみに、ぶちまけた白玉は幽々子様がおいしく頂きました。
「妖夢、足もとのソレ…お鍋とってくれる?」
「あ、はいはい」
カチャカチャと擦れて鳴る調理道具、パタパタと忙しそうな足音。
こちらは既にそれぞれの準備を始めていた。
ぱっと見には分かりづらい黒の生地、赤い三日月のマークがプリントされたエプロンを着たルナサ。
妖夢はそれと対照的、真っ白のシンプルな物。
「さてと。始めようかな」
「用意が早いのね」
「えへへ、すみません。実は、フライングしちゃったんです」
「…フライング?」
視線を遣った先には大きな羽釜。
カマドから蓋まで、所々に煤が付いているのは、長く使われてきた証拠だろう。
頑固親父、そんなイメージもどことなく浮かんできそうだ。
「あ、お釜」
「はい。少々時間が掛かるので、お米の吸水を先にさせてもらってます」
「おこげって作れるの?」
「え? それはまぁ」
「…いいなぁ」
プリズムリバー邸には、生憎とこのような立派な釜は無い。
加えて、家での食事と言えば洋食が基本であり、メルランとリリカもそちらの方が好みなようだった。
だから、お米をいつでも食べられるというのは、ルナサにとって大いに羨ましいことであって。
西洋人の霊、ルナサは白いご飯もこよなく愛する騒霊なのであった。
「…私も始めよ」
ご飯に惹かれた気持ちを取り直して、各種調理器具と材料を取り出す。
手に馴染んだ包丁や食材は持ち込みである。
「ところで」
「ん?」
「ルナサさんは何を作るおつもりなんですか? 食材からはちょっと想像つかないんですが…」
まな板の上で、早速捌かれているのは引き締まった鶏のもも肉。
その他にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、ブロッコリーなどの野菜からバターに牛乳、お酒まで。
妖夢にとってはいささか見慣れない組み合わせだった。
「汁物の類を、ね」
「汁物…。それがメインとなると、豚汁みたいなものでしょうか?」
「…ま、後のお楽しみってことで」
「ああ、それもそうですね」
その会話を境にして、しばし黙って調理に取り組みだす二人。
元々ルナサは話すのがあまり得意では無いし、妖夢も料理をする時はいつも一人。
けれども、台所に淡々と流れる温和な静けさは、決して不自然でも寂しいものでも無かった。
調理は進む。
こちらは妖夢サイド、和食調理場。
いつもの刀を包丁に持ちかえ、油の乗った鮭を一瞬で鮮やかに…とはいかないものの、丁寧に切り身にしていく。
切り終えた身の皮の部分にお酢をペタリ、しばらく置く。こうすれば、魚が色よく綺麗に焼き上がる。
その間にも、別の品の調理にも着手する。
一汁一菜バランスの取れた献立を用意するには、当然それだけ多くの調理を効率よく行う必要があるのだ。
一人呟くように確認をとる。
「ええと、ほうれん草は漬けたし、ご飯はやってる。
必要なものもあらかた切った。魚、お豆腐、鰹節……あれ、鰹節? ………あっ!」
穏やかな空気流れる室内に突如響いた大声に、ルナサが思わず縮こまってしまう。
鍋の中に、何やら牛乳らしきものを加える途中だったようで、少し入れすぎてしまったようだ。
「な、何、どうしたの…?」
「あ、すみません! お味噌汁用の削り節のダシをとるのをすっかり忘れていて」
「削り節。養殖が広まったとかいう、カツオの?」
「そうですそうです。本当なら、鍋に二十分ほど付けておかないといけないんですが。しまったなぁ…」
今からでも遅くはないだろうが、調理時間の兼ね合いを考えると少しもったいない気もする。
全ての料理を、できる限り熱々で出したほうが美味しいに決まっているし、迅速に頼むとのお達しも出ているのだ。
「…ちょっとした小技があるんだけど、試してみる?」
「小技?」
「うん」
返答も待たずして妖夢の側に歩み寄る。
手近にあったボウルに、こんもり盛られた削り節をひと握りほど。
白くて細い繊細そうな指からサラサラ滑り落ちた。
そこに水を加えた所で、火を出してそのまま加熱していく。
なんとなく面倒に思ったのか、空中加熱。
「これはみょん…妙な光景ですね」
「……みょんって言った」
「い、言ってないですよ!?」
そうこうする間にポコポコと泡が出始める。
ここで素早く火からあげて、どこからともなく取り出したるは大きめの竹の茶こし。
読んで字の如く、主としてお茶を漉すために使う道具である。
そうして網の部分に削り節を流し込み、受ける為のボウルを用意して豪快に、
「お、おぉ? おおおおお」
しぼる。
みょんな奇声を聞きながら更にしぼっていくと、濃い団栗色の汁がとれた。
指先に軽く浸して舐めるとホッとした顔でボソッと一言。
「できた」
「もういいんですか?」
「…どうぞ」
勧められるままに一口。
「おお、ちゃんと味がでてますね。薄めれば丁度良さそうだ」
「採用かしら?」
「ええ、ありがとうございます、助かりました!」
「どういたしまして」
ぶっきらぼうに返されたお礼の言葉には、どことなく気恥ずかしさがほの見える。
それじゃあ私も、と鍋の様子見に戻るルナサ。
「物知りですよね、ルナサさんって。この前は山の天気がどうとか」
「…えーっと、トロみはこんなものかしら」
「あれ、もしかして照れてます?」
「…あのね」
今日はみょんに意地の悪い妖夢に、弱った様子で線目を向けた。
リリカに変なことでも吹き込まれたのだろうか、というと彼女の方が妹のようだが。
味噌汁と同時進行で鮭の調理。十分に塩を振ってから遠火の強火で焼き上げる。
「大したことは知らないわよ。他愛も無い豆知識程度」
「豆知識結構じゃないですか。現に今、役に立ちましたし」
「うーん…」
「一体どこから情報が入ってくるんですか?」
「…本とか人づてとか。あぁ、メルランとリリカも色々教えてくれるわね」
「あの妹さんたちから?」
失礼ながら、さぞや意外といった風に言う。
彼女たちの演奏が素晴らしいという事は知っているが、その性質はどちらかというと天真爛漫で大雑把なように思えた。
聡明なルナサが、活発ながら世の中を知らない妹たちを指導する、そんなイメージ。
そもそも、幻想郷の住人なんて大半が呑気で大様と生きている、と思わないこともないが。
「メルランは積極的で何にでも刺激されるし、リリカも世渡り上手って感じだから。
私の知らない所で色んなこと吸収してるんだと思う。もちろん、まだまだ子供っぽい所ばっかり目立つのは確かだけどね」
「なるほど」
「そっちだって、ご主人から学んだことって案外多いんじゃないかな」
「…そうですね。ノンシャランではありますけど、それだけ度量も広いお方です。
私も幽々子様に影響されて、多少は融通が利くようになった…と自分でも思います」
「初めて会った時は凄かったものね。アポなしで来ただけで、いきなりブッタ切るって。
幽々子がいなかったら、危うく刀の錆にでもされてるところだった」
「う、面目ない…」
炒められた肉や野菜が楽しそうにカラカラと音を立てる。
そこに白ワインが飛び込むと熟成した香りと共に、フライパンの上はより一層騒がしく活気づいた。
「まぁ、それはいいとして」
「はい?」
「…それってそういう料理なの? 魚から煙出てるわよ、真っ黒い」
「………うわぁぁぁ、忘れてたぁぁぁ!?」
何とも手遅れ感漂う煙を噴き出す鮭を目の前に、慌てふためくばかりの半人前の従者。
せわしないわねぇ、などと思いつつも、どことなくその姿が自分に重なってしまった威厳のない長女。
能力で使い終えた道具を器用に洗いながらも、より妖夢に親近感を覚えてしまうルナサだった。
こちらは食べるだけの美味しい役回り、もとい審査員の控える屋敷の一室。
多人数の来訪用にと広めの間取りだが、やけに真新しい様子で、あまり使われている部屋では無さそうだ。
「はい、王手飛車取り」
「む、むむむむむむむ!」
「うふふ。もう投了しちゃいなさいな」
「むぅ~、まだよ~、たかがメインカメラをやられただけなんだから~」
暇つぶしの将棋対決。
必殺の王様巻き込み三回転半式囲いとやらも、幽々子の素早い攻めにあっさりと崩れ去ったようだ。
というか、まんま穴熊なのだが。
「ありゃ? あんたらまだやってたの」
これまた暇つぶしで、そこらをぶらぶらしていたリリカが帰ってきた。
「直に終わりそうよ」
「うー、まだだー。このめるぽの魂、やらせはせん、やらせはせんぞ~」
「どうでもいいけどさ、ルナ姉たちご飯できたって」
「「マジで!?」」
ひゃっほーう!とか甲高い声を発しながら、疾風の速度で座布団やらお膳やらを持ってくる両人。
その様はまさに食に飢えた野生のケモノのようであった、とリリカ・プリズムリバーは後に語る。
拍子でふっとばされた将棋盤と駒たちが、部屋の片隅に空しく転がっていた。
「ほらほら、リリカも立ってないで座りなさいよ!」
「お行儀悪いわぁ」
「…へーい」
ここでどうこうツッコんだところで、収集がつかなくなるのは火を見るより明らかである。
リリカにとってメルラン+幽々子=イデの無限力にも等しい。
勝てない戦はしない、勝てる戦は姉さんにやらせる。いかなる状況下においても、彼女は常に狡猾たり得るのだ。
「お待たせ致しました」
「…これまた準備万端ね」
襖を開けて入ってきたお料理組としばらくぶりのご対面。
エプロンを着けたまま、両の手はお盆で塞がってしまっている。
「姉さんお久~」
「え…。お、お久?」
「気にしないでいいよルナ姉。お腹空いて頭も空になってんのよ」
「ひどーい」
「さあさ、お喋りはあとあと。さっそくお昼にしましょう」
「その前に涎拭いてください幽々子様」
今まさに宴会でも行われているかのように、ごたごたと喧しくなる。
幽霊娘五人集まれば凄く姦しい。
「それでは私の作品から。皆様のお口に合えば幸いです」
「…はい、どうぞ」
二人でかかって、次々と並べられていく色彩も豊かな品の数々。
湯気立つふっくらごはんにシジミと豆腐の味噌汁、鰹節の乗ったほうれんそうのお浸し。
そして主菜である鮭の塩焼き。淡い黄丹がシンプルながら華やかに食卓を引き立てるはずなのだが、
「ほうほう、これはお見事。実に大ぶりな魚ですなー、って待てやゴルァァ!! なによこのダークマタ―は!?」
リリカのそれは真っ黒であった。
白く艶やかなご飯とのコントラストが良く映える…わきゃあない。
「ごめん、ちょっとだけ焦がしてしまって。捨てるのも勿体ないし」
「ちょっとじゃなくて丸焦げ! 勿体ないからってお客にこんな暗黒物質食わせるってか、あー!?」
「リリカ。人数分しか用意してなかったそうよ。悪いけどそれで我慢してくれる?」
「うぇぇ、ルナ姉までぇ」
うな垂れるリリカを尻目に、第一目標の選定を始めることにした次女。
特にもの珍しいものも無いが、味噌汁一つとってもルナサやメルラン達がいつも作るものとは、見た目からして違うというのが分かる。
同じ料理でも、人によってはこうも性格が変わってしまうものなのだろうか。
料理の一つ一つにあれこれと興味を走らせては、迷いあぐねてアッチヘ行ったりソッチへ行ったりと落ち着かない。
「んっんー。…惑い箸は嫌い箸と言ってね。あまり好まれるものではないのよ?」
先ほどまでのおふざけぶりはどこへやら、隣の幽々子がひそひそと注意を促す。
妖夢に見つかったら煩いんだから気を付けなさい、といった含みだ。
本人はと言うと、さすがに慣れた手つきで鮭を一切れポイと口に放り込んでいた。
「でも、どの子から食べてあげればいいのか分かんないわ~」
「そんなの貴女の好きなように食べればいいのよ。無理して形式ばる必要なんてないのだからね」
「むーん」
今一度、膳の上にまじまじと目を遣った。
するとどうだろう、緑の映える美味しそうなお浸しと目が合った気がした。
メルランがそう思ったのだからきっと本当に合ったのだろう、うん。
ゆっくりした動作で皿を手に取り、タレと絡めてパクリと一口。
しっかりとだしが染みた柔らかなほうれん草、咀嚼する度に、鰹と醤油の香ばしさと甘みが口一杯に広がる。
「おいひー」
「……! そうですか。良かった」
美味しいと無邪気な笑みを漏らしたメルランに、妖夢の顔も思わずホッと綻んだ。
何せリリカはイジケ虫状態、主人の方は何も語らず黙々と食べていて、感想というものが全く聞けていなかった。
これで調子が出てきたのか、さあ、お次はと味噌汁の椀に手をかける。
三女を説得していたルナサも、メルランの反応を密かに見ている。
お椀の底に沈殿した味噌をぐるぐる混ぜる。一緒に豆腐やら何やら回りだして楽しくなってきた。
ぐーるぐーる。たっぷりぐるぐるできて満足満足。
「…いや、飲もうよ」
ルナサに冷静に突っ込まれて、ズズーとすすった。
「あ、すご。何かこう、味に深みがあるわ」
「貴女もそう思った?」
「うんうんっ。ベースがしっかりしてるって感じかな? 正直言っちゃうと姉さんのやつよりずっと美味しいわね~」
「……分かってた事とはいえ、実の妹から言われるとショック…」
「ル、ルナサさんっ。 後で教えますからそんなに気を落とさず…」
最後はメインの鮭の魚。
柔らかくも引き締まった身を解してご飯に乗っける。熱々ご飯と一緒にいただきます。
お米と塩加減の丁度いい鮭が実にマッチして、これはもう美味しくないわけがないですとも、ええ本当に。
「わたしは今、声高々にして言いたいわ。みんな、日本人ならお米を食べなさーいってね!」
「普段食わないくせに、なに言ってんのさ」
リリカが機嫌悪そうに口をはさんできた。
「あら? 好き嫌いせず食べなきゃ駄目よ~。まだお魚さん残ってるじゃないの~」
「やだよ。こんなモン食べたら病気になっちゃうよ、私。カワユイ妹がどうなってもいいわけ?」
「…仕方ないわね。リリカの言うことも尤もだし、ここは私が」
「いえ、そもそも失敗したのは私ですから、責任をとって私が食させていただき――」
「待ちなさい、貴女たち」
今の今まで沈黙を保っていた幽々子のいきなりの一声に、その場の誰もが動きを止めた。
語調こそ丁寧で優雅なものであったが、その奥にひしひしと感じる決意は、誰にも有無を言わせないものであった。
そう、彼女は妖々夢ラストボス、西行寺幽々子、西行寺幽々子なのだ。
いざという時に発揮されるカリスマ性は、他のラスボスの会のメンバーたちにも引けをとるものではない。
幽霊のように音も無く立ち上がる。
そのまま流れるように黒い鮭の塩焼きだったものの前へ。
「幽々子様、まさか…。いけません! 仮にも西行寺家の当主ともあろうお方がそのような…」
「お黙りなさい妖夢」
「……っ!」
「女にはね、やらなければいけない時があるのよ。私の勇姿、その目にしかと刻みつけておきなさい」
「は、はいっ!」
キッと相手を睨みつけ、一呼吸。
そしてかけらの躊躇いも無くソレを自らの口へと放りこんだ。
「うっ」
「幽々子様!?」
倒れこもうとした幽々子を、妖夢がしっかりと受け止める。
「さすがね妖夢。焦がしていてもこんなに美味しいだなんて」
「すみません、私の腕が未熟だったばかりに…」
「いいのよ。これも主君としての務め。ああ、妖夢、時が見えるわ」
「え、え!? ゆ、幽々子様!?」
「さようなら。後のことは貴女に任せ…る……わ……。がくっ」
「そ、そんな、魚くらいで嘘でしょう? 起きてくださいよ幽々子様。幽々子様……ゆゆこさまぁぁぁぁぁ!!」
信頼する従者に看取られながら、尊い霊の命の灯がここに消えた。
だが、彼女の魂はこれからも幻想郷に語り継がれ、生き続けていくことだろう。
魚くらいで成仏した伝説の亡霊として……。
「……ルナ姉」
「…何?」
「私これからは、好き嫌いせずに何でも食べるよ」
「……あぁ。そうね、頑張って」
「……ルナ姉」
「…何?」
「そろそろこっちの番だから、お鍋あっため直した方がいいんじゃない?」
「……あぁ。そうね、行ってくる」
「あははっ、幽々子たちって面白いわね~!」
無響の室内にメルランの笑い声ばかりが響く。
幽々子に抱きついて大泣きする妖夢が、彼女の胸の中で必死に笑いをこらえている主君に気付いたのは、これよりいささか先の話であった。
***
白玉楼、縁側。
緑茶を啜りながら、のほほんと空を見上げる。
朝から代り映えしなく能天気な空には、鳥の一羽でも飛んでいるわけはなく、餅みたいな幽霊たちが手持ちぶさたに浮かんでいるだけだった。
餅とか言ったらお腹まで空いてきた。
「ここにももっと風情が欲しいわねぇ。そう思うでしょ、ゆあきん?」
呼ばれて飛び出て何とやら。
突然、機嫌を損ねてしまったかのように空にヒビが入ったと思えば、そのスキマから紫色の衣を纏ったヒトが現れた。
言葉にはし難いような、何とも不思議な雰囲気を漂わせる妙齢の女性である。
「その呼び方は止めてって前から言ってるでしょう」
「私は好きよ~、ゆあきんって。音が綺麗」
「貴女の好みなんて聞いてないのだけど」
ごめん遊ばせ、とそこらに浮かぶ魂をのけて幽々子の隣に腰かけた。
どうやら前もって用意されていたらしい緑茶を受取る。
その挙動の一つ一つに、見る者に対する妖艶で危うい魅力さえ感じさせる。
「それで、今日は何の用事で来たの?」
「別に何も。暇だったから遊びにきただけの事よ」
「暇だったから、友人の行動を一日中こっそり観察していた、と。紫も趣味悪いわぁ」
「そうかしら? 面白そうなことしてたから覗き見る、妖怪らしい実に奔放で単純な行動原理じゃないの」
「また屁理屈こねて。そんなこと言ってると、ゆかりんとゆうかりんの境界も分からなくなるわよ?」
「誰でも分かるからご心配なさらず」
親しげに語らう。
お茶を飲むタイミングがシンクロして幽々子が吹き出しそうになったが、とどまった。
「ところで料理はもういいの? 楽隊の長女さんのクリームシチュー、とても美味しそうだったけど?」
「そうそれ! そのことなんだけど、聞いてよゆあき~ん」
「聞いてあげないわよ?」
死んだふりで妖夢を見事に騙せたのはよかった。
が、マジ泣きまでした妖夢は主君の蘇生に喜び勇んで抱きついてくる…のではなく、真っ赤になって怒り狂ったわけで。
結果、これ以上は飯抜きの刑。楽しみにしていたルナサの料理もこれでパァである。
「ねー。ヒドイでしょ妖夢ったら。自分はシチュー食べるのに」
「ま、幽々子の三文芝居すら見抜けなかった妖夢にも落度はあるわねぇ。そもそも魚で成仏って」
「でしょ」
尤もらしいことを言ってはいるが、当然ひどいのは幽々子の方である。
紫もまた、度々遊びに来ては常習的に妖夢弄りをしている身分、あまり強いことは言えないというだけのこと。
屋敷の中の方からドタバタ騒がしい声が聞こえてきた。
はしゃぐ声二つに、それをなだめる声が二つ。どちらもどちらで騒々しい。
はっきりとは聞こえないが、まさに友達の家状態。
「あの子まで浮かれちゃって、楽しそうね。騒霊の居る所っていつもこうなのかしら」
「ほんとね。毎日しちゅーが食べられるなんて羨ましい限りだわ」
「…もう、一言謝って食べてくれば?」
ボケ連発のおとぼけ友人に、かの大妖怪も防戦一方である。
こいつはそのうち、幻想郷中のシチューでも集め出すんじゃなかろうか。
「ふーん、あの長女さんも案外おちゃめな所あるのね。ニンジンがハートマーク」
ごくごく小さなスキマで様子を覗き見る。
「ん? ニンジンの形がハートだったの?」
「そうだけど。それがどうかした?」
「……そう」
空に向かってそう呟いた亡霊嬢の顔は嬉しそうで、どこか哀しそうでもあった。
「…ちょっとだけお話してもいい?」
「どうぞ」
「割と最近、上の妹さんが話してくれたことなのだけど。ルナサって、妖夢に似てすこぉしお堅い子じゃない?」
「あまり話した機会は無いのだけど。そんな雰囲気は確かにあるわね」
「料理に関してもそれは同じみたい。基本に忠実に、良く言えば確実な、悪く言うと面白みに欠ける作品になるわけね」
「そうね」
「でも、そんな彼女がたまぁに遊び心溢れた料理を作ることがあるらしいの。例えば、シチューやカレーのニンジンを可愛らしい形にしてみたりだとか」
「察するに、そんな時には決まって何か、特別な感情を持って調理に臨んでいるってことかしら」
「その通ぉりぃ」
少しおどけた様子で答える。
「聞けば、あの子たちにとっての、とある大切な人が好きだったらしいのよ」
「だった、ね」
「その辺りの話はまぁ……私も良くは知らないけれど」
この読めない亡霊嬢のこと、本当に知らないかどうかは当人にしか分からないわけではあるが。
「そのことを忘れてしまわないように。少し大袈裟に言ってしまえば、ハートマークの人参は彼女にとっての絆みたいなものらしいわ」
「とどのつまり、ルナサは妖夢に特別な感情を抱いているってことでFA?」
「語弊がある言い方ね~。まぁ、これだって、あくまでメルランの推測に過ぎないのだけどね。
それだけ、妖夢と友人としての繋がりを深めたいって思ったことへの表れなのかなぁっていう話。あの子たちあれで案外気が合いそうだし」
「ふぅん」
「あれ、つまらなかった?」
「四十点」
「素直じゃないわねぇ」
幽々子が笑う。
ふわふわ飛び回っていた幽霊たちも、心なしか笑っているように見える。
「…ふぅ。また中が騒がしくなってきし、お暇するわ」
「えー、早いわねー。シチュー食べていけばいいのに」
「勝手に食べてなさい。貴女こそ、こんな所で油売っていていいの?」
「どうして?」
「お米、かけてるんでしょ? 審査員の貴女が居なかったら、赤い子に良い様にされてしまうわよ」
「……!! ゆ、ゆあきん。それを早く言いなさいよぉ!?」
「コラ、ゆあきんじゃないって何度…」
私のお米米*米ー、と一目散。話を聞く気も無いらしい。
我ながら本当に変な友人、略して変人を持ったものだ、と紫は思う。
「まぁ、そこが面白いのだけど」
一人ごちながらスキマを開いた。
と、呪いのようにシチューの連呼を聞いたせいか、自分までお腹が空いてきてしまった。
「さてと。今日の夕飯は何を作らせましょうか。…いや、たまには、ね。フフフ……」
さぞや楽しそうな笑みを残してスキマへと消えていく。
刻は昼過ぎ、おばけたちにはお休みの時間。
それでも屋敷からの喧噪は更に大きく、お屋敷全体を包みこんで、暫く止むことは無かった。
その晩、隙間妖怪の式が、自ら包丁を手にする主人を見て大変驚いたというのも、また先の話である。
片や銀髪の小柄な剣士、片や金髪黒服の楽士。
一見、奇妙とも思えるこの組み合わせ。
しかし、その間にはシンと張りつめた静かな緊張感が漂っていた。
しばしの沈黙。
周りの空気ですら、二人を気遣っているかのようにひめやかにその様子を見つめている。
そして、意を決したように金髪の少女が動きを見せた…次の瞬間、
「……っ!!」
少女、ルナサは凄まじいまでの衝撃を受けた。
――これは…何ということだろうか。
自分だって、それなりに自信を持っていたし、少なくとも良い勝負くらいはできるはずだと思っていたのに。
完全に思いあがりだった。
一体、この領域に達するのにどれほどの苦労を重ねてきたというのだ。
こちらを見つめる無垢な青の瞳に、もはや畏怖の念すら覚えてしまう。
「負けたわ、妖夢」
「え?」
伏し目がちに呟く。
ひとえに自らの主君を喜ばせたいという心が、彼女の力量をここまで引き上げてきたのだろう。
私の妹たちへの思いも、まだまだ足りていないのかもしれない。
そして、そんな彼女への畏敬と称賛の意を込め、自分の気持ちを率直な言葉で伝える――
「……このお味噌汁、すごく…美味しい」
「は、はぁ。ありがとうございます」
味噌汁一杯で妙に感激している様子の客人に、その製作者はと言えば当惑するばかりだった。
『ルナみょんでご飯』
白玉楼を囲む、広大な庭園の一角。
手頃な大きさの庭石の一つに、リリカは気の抜けたような顔で座っていた。
猫背で頬杖をつき、左腕をだらしなく垂らしている姿は、少女として少々相応しくないように思える。
「リーリカッ。なにしてるのー?」
「んー? そだねぇ、強いていうなら空気の観察?」
「それはそれは有意義ね」
そんな具合のリリカに親しげに話しかけたのは彼女の下の姉、メルランだ。
相も変わらずニコニコと上機嫌なようで、口調からもどこか浮ついた調子が伺える。
というか、さっきまで池の鯉に餌をやってはキャッキャとはしゃいでいた筈なのだが。
「…メル姉、エサ袋は?」
妖夢から手渡された鯉用のエサ袋が、メルランの手から消えていた。
能力で浮かばせている、というわけでもなさそうだ。
「捨てちゃったよ。もう全部あげちゃったから」
「全部、あげたの?」
「うん」
一拍。すぅ、と大きく息を吸い込んで、
「アホぉぉかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「わ! び、びっくりするじゃないの。いきなり大声を……って、ちょっと!?」
ふわふわと姉を引き、飛び急ぐ。
規模は小さいながらも、緋色に染められた橋を二つ備えた趣のある人工の池。
しかし、池の表面には、これでもかとばかりに大量の餌がぶちまけられていた。
その情景は、チラと見るのも躊躇われるほどの無残な状態。
「うわぁ。マジでやっちゃったよ、この人」
「え? わたし、何かいけないことでもした?」
この状況を見て、なおもすっとぼけたことをぬかす。
言うまでもないが、素である。
「あのねぇ。幽々子とかメル姉じゃないんだから、たくさん食わせりゃいいってもんじゃないのよ!
ほら、池見てみなさいな。こんなに汚くしちゃってさぁ」
「…あー、言われてみれば」
「ハァ。もう、どうすんのよコレ。こんな所見つかったりしたら…いや、何とか隠し通してしらばっくれれば」
このピンチを脱出すべく、リリカが偽装の方法を考えていると、
「呼んだかしら~」
「……うっぎゃぁー! 出たぁー!?」
計ったように出た。南無。
「あら。こんにちわ、幽々子!」
「ええ、こんにちわ」
「あ、あっはは、こんちわー」
呑気に挨拶を交わす二人。
何故か、何もしていないリリカが冷や汗をかいてしまっている。
そして当然、池の惨状に気づかないわけも無く。
「…あらあらまあまあ、随分と大サービスしてくれたのね」
「えっ、とこれは何て言うかその、成り行きといいますか、ね」
「成り行き、というと?」
「そ、それは…」
この三女は、自分の姉たちを騙し弄ぶことを至極の喜びとしている。
これだけ聞くと何だか不穏な物言いだが、勘違いなされぬよう。
そして、それを実行できるだけの悪知恵と実行力、巧みな話術を持ち合わせているのだ。
しかし、今リリカの返答を大様と待っている亡霊嬢、幽々子に対してリリカは滅法弱かった。
彼女の持つ独特の空気、とでも言うのだろうか。
人格としての好き嫌いは別としても、苦手な人物であることは間違いなかった。
「あ、違うの! コレ、わたしがやったのよ。リリカを怒らないであげて!」
「まぁ、そうなんだけど…」
「うふふ、姉妹仲が良いのね」
問い詰めるような顔から一転、扇子に隠した口元に優雅に笑みを浮かべる。
「冗談よ。怒ってなんかいないわ」
「へ?」
「だってそうでしょう? この池の手入れを誰がするのか、ということよ」
そう、寛大な白玉楼の当主はこのくらいで癇癪を起こすようなことはしないのだ。
ましてや庭のあらゆる管理は、庭師である妖夢に一任している。
詰まるところ、今日の妖夢のフリー時間がそれはもう短くなる、というだけの話。
「なぁんだ。なら大丈夫ね」
「そうよ。気に病むことはないわ」
「「あっははは!」」
「……妖夢。何ていうか、色々とゴメン」
ホロリ、従者の不遇を思い密かに涙する。
やはりこのおとぼけ亡霊(+騒霊)は苦手だと、改めて思うリリカであった。
ここで、あー、とわざとらしく幽々子。
「ところで、貴女のお姉さんのことなのだけどね」
「んン? 何よ?」
目薬の涙を流すリリカに問う。
「演奏が終わって、その後雑談をしていく、というのは一向に構わないのだけど…」
チラリと屋敷の縁側、ルナサと妖夢の方を見やる。
彼女には珍しく、少し困った、というよりは呆れたような表情。
「かれこれ話し始めて一時間は立つんじゃない? さすがに、お稽古の予定が詰まってしまうのよねぇ」
そういえば、と今更思い出す。
今回は、昼飯前のちょっとした暇つぶしのために呼び出された、ハズだった。
ひょんなことから妖夢が呟いた和食の話に、ルナサがとびつくまでは。
見れば、いつになく熱く語っている風のルナサ。
聞かされている方はと言えば、少し弱り顔のようだ。
「あー…ごめん。ルナ姉ってば、音楽と料理のことになると妙に白熱しちゃうんだよね」
「ふぅん。あの子が白熱、ねぇ」
「お料理大好きだものね~、姉さんは。
この前だって、分量のアドバイスしてもらおっかなーって思って呼んだら、そのまま全部一人でやっちゃったのよ」
実際、三人の中でもルナサの腕前は抜群だった。
メルランは下手ではないものの、大味。
自分好みの味付けをするし、どちらかというと見た目の楽しさにこだわるタイプ。タコさんウインナーとか。
リリカは、かなり適当。出来合いのお惣菜なんかが出てきたりする。
「だよねぇ。料理に関しては、そうそう勝てる人いないんじゃないかなぁ」
「あら、それを言うなら、うちの妖夢だって中々のものよ?」
と、幽々子。
「ちょっと頼りない所もあるけど、私を満足させられるような美味しいご飯を作る料理の腕は確かよ。
貴女たちのお姉さんにも、きっと負けてないんじゃないかしら」
「え~。それでも、姉さんには敵わないと思うわ~」
あーだこーだと張り合う二人。
お互い、身内の味というものを良く知っているだけに、得心いかないといった感じだ。
と、ここでいつもの如くリリカが閃いた。
「あ。だったらさ、こうしない?」
「ごめんなさい。お邪魔しちゃったみたいで」
「いえ、私も楽しかったですよ」
礼儀正しく頭を下げる。
ここ、幻想郷においては稀に見る律儀なやりとりである。
「そうよ! 楽しけりゃ万事全て全部オールおっけーなのよ!」
「…あなたが言うな。さっきの件、忘れたとは言わせないわよ。大体、少し考えれば分かることで―――」
「え、えっと! それじゃぁまたね、妖夢~!」
「あっ、こら、待ちなさい!」
次の言葉を継がせる間もなく、スタコラサッサと逃げ去っていく。
ルナサのお小言に捕まったが最後、延々と鬱な言葉を聞かされるはめになるのだ。
メル姉の素早い判断は上策だろう、とリリカは思う。
「全く、反省ってものが無いんだから」
「ま、まあ、そうご立腹なさらずに。お客人に仕事を任せた私も悪かったのですし」
「そうは言ってもね」
「まぁ、妖夢がそう言ってくれてるんだから、甘えちゃいなよ」
「…あのね、あなただって止められたでしょうに。それを黙って見ているなんて」
「おやおやー? 私に怒るのはお門違いってものだよ。何にも悪いことなんてしてもん。
それに、一時間近くもかわいーい妹たちを放っておいて、暴走トークってた人が言えた義理じゃないと思うんだけどなー」
「ぅ。それは……」
「ははっ。じゃ、私も先帰ってるからね」
「ちょ、ちょっと!」
挑発、カウンター、一撃離脱。
さすがはリリカ。メルランにはできないことを平然とやってのける。
「…ああ、もう」
「仲、いいんですね」
「小生意気なだけよ。言うことなんてちっとも聞きやしない」
「あはは。…でも、ちょっと羨ましいかなぁ」
「え?」
つとめて爽やかな笑みのまま、
「だって、自分の妹たちと一緒に過ごせるんですよね? 楽しそうでいいですよ」
「………」
「あ。だからって、今の生活に不満があるとか、そういうのは全然ないですよ?
何より幽々子様の傍にお仕えすることができるのが、私の一番の幸せですから」
「……そう」
真っ直ぐな彼女だからこそ、今の言葉に嘘偽りは無いのだろう。
一目見れば、幽々子と妖夢が君主と従者、寧ろそれ以上の固い絆で結ばれていることは明らかだ。
ただ、そこに僅かばかりの寂寥を感じた。
「不満。食費については?」
「え、それは少し不満かも、しれないです…」
「まあ、普通はね」
「あ、今のは幽々子様には言わないでくださいよ!?」
「さあ、どうしようかしら?」
「えー!? そんなぁ、ルナサさーん……」
意地の悪そうに、くすりと微笑む。
彼女にしては滅多に口にしないような冗談。
友人というよりはもう一人、世話のかかる妹ができたような、そんな心地をルナサは覚えた。
***
「よーむー。ごはんまーだー?」
「あ、はい、ただいま」
時は日の入り。
剣術指南に庭の手入れ、その他雑用諸々をようやく終えたと思えば、次は食事の用意である。
半人前の半霊、妖夢に暇という言葉は全くの無縁であった。
もとより、暇があっても無益に時間を消費してしまうことの方が多いのだが。
竹箒を大雑把に立て掛け、夕飯の所へと急ぐ。
タッタッと軽やかな足音が、むやみに長い廊下の軋む床に反響する。
台所の戸が開く。少し眩しげな外の光と共に、緑の少女が息せき切らせてやってきた。
先ずは、白玉楼ご自慢の大釜の様子を見る。
あらかじめ準備しておいた米は、ふっくらと炊き上がっていた。いいタイミングだ。
炊き立てを漆の茶碗にたんまりと(それはもうたんまりと)よそい、一品料理をそれぞれ丁寧に盛り付けていく。
今晩の主菜はフナの煮付け。甘辛くて、冷めてもおいしく頂けるのは嬉しいところ。
料理を盆にのせたら、すぐさま主人のいる居間へ。
開け切った戸の前に着くや、一息整えて、
「幽々子様。只今、お持ちしました」
「ええ、入って」
失礼します、と居間に入ると、既に膳についていて待ちかねた様子。
人生一番のお楽しみタイムを前に、うきうき気分をこらえきれないようだ。
ゆるませた頬からは、カリスマが微塵も感じられないほどで。
「待ちかねたわぁ」
「は。本日は少々、味付けを変えてみました。お口に合いますかどうか…」
聞くが早いか、合掌もそこそこに早速煮付けをパクつく。
もぐもぐと咀嚼して一言。
「うん、とても美味しい」
「…ありがとうございます!」
良かった、と素直に安堵する。
返ってきた言葉は至極ありふれたものではあったが、妖夢にとってはその一言だけで十分だった。
…それにしても、と妖夢は思う。
いつ見ても、とんでもないハイペースだ。
パッと見は上品に、丁寧に食べているような印象を受けるのだが、驚くべきはその速さ。
口に物を入れたと思えば、その次の瞬間には、箸は次の獲物めがけて突撃している。
例えるならば、それは休まること無き怒涛の猛攻。
さすがはエンゲル係数を大崩壊させる程度の能力者と言えよう。
「でも」
「え?」
「たまには洋食も食べてみたいなぁ、と思ったりしちゃうのよ」
「ヨウショク、ですか?」
聞きなれない単語に一瞬何かと思ったが、すぐにピンときた。
要は、西洋風の趣向が盛り込まれた料理のことだ。はんばぁぐ、なんかは良く耳にする。
「そう、洋食。西行寺家の当主たるもの、異国の食文化を学ぶというのも必要なことだと思わない?」
「は、はぁ」
あれこれ理由付けをするが、結局は自分の食欲を満たしたいがためなのだろう。
いつもの気まぐれだろうし、それは別に構わないのだが。
これは困った、と妖夢は困惑する。
「でも私、和食しか作れませんよ?」
少しくだけた口調になって返す。
魂魄妖夢、花も恥じらう○○歳。生まれてこの方、ごはん党である。
むろん、料理の経験値もその方面に偏ってしまっているわけで。
「それは分かっているわ。そこで、よ」
ズビシと空いた方の指で指して、
「プリズムリバーの長女さん、あの子をお招きすることにしたの」
「ルナサさんを?」
「まぁ、あとの二人も来るでしょうけどね。で、明日のお昼を作ってもらうわ」
納得。彼女なら、そういうことも得意なはずだ。
「つまり、明日の昼食の用意は要らないってことですね」
「ノンノン。寧ろその逆よ」
訳が分からない。
頭に疑問符を浮かべる妖夢に、大層楽しそうに命令を下す。
「あなたには明日、ルナサ・プリズムリバーとのお料理対決をしてもらうのよ!」
「………えぇぇぇ!?」
本日二度目の叫びと、湯呑を置く音が同時に鳴り渡る。
驚く従者と、おかわりー、と呑気な主君。
今日も今日とて、幻想郷は安泰平和である。
「……と、まァ、こういうわけで」
「何がこういうわけで、よ」
夕食後。夜陰の閑寂に包まれる騒霊屋敷。
暖色の灯りに照らされる中、リビングでくつろぐルナサにリリカが話を持ちかけた。
件の、料理対決の話である。
「またそうやって、人の知らない所で話を進める」
「だって、そんなこと言ったって仕方ないじゃないの。あの場を収めるには、ああでも言うしか無かったんだから」
「パフぺフー(そうそう)」
横槍ならぬ横ペットを入れてくるメルランをジトと睨む。誰のせいだと。
「幽々子も幽々子よ。リリカの言葉を借りるなら、どうでもいいじゃん、ってものじゃない」
「あはは。ま、これも依頼のうちだと思って諦めたら?」
「……ふぅ。確かにそうね。大したことじゃないし、やるわ」
「およ? やけに潔いじゃん。さては、裏でもあんの?」
「…ないわよ」
「…ホントにぃ~?」
「ほ、ほんとだってば」
少し夜風にあたってくる、と言い足早に部屋を出るルナサ。
よほど焦ったのか、読みかけていた本が右手にぶらさがったままだ。
「……メル姉、どう思う?」
「どう思う、って言われてもねぇ~」
トランペットと一緒になって、ふよふよと浮かぶ。
お腹いっぱいになったら、しばらく空中遊泳と洒落込むのが彼女の日課。
気持ち良くなって、そのまま眠ってしまうこともままあるが。
「ちょっと釣り針垂らしてみただけで、フィッシュオン!よ。絶対何か隠してるって」
「こんなに気の早いお魚さんも他にいないかもね」
「真面目に考えろよー」
宙をくるりと掻いて、人差し指で天井の向こうの空を示す。
「いいじゃないの。姉さんだって、秘密にしときたい事くらいあるわ」
「えー」
「不満かな?」
「何て言うか、秘め事みたいなのも私の担当だと思うんだ」
「あはっ、ナニソレ~」
ケタケタ笑うメルランに、何よー、と口を尖らすリリカ。
本人はいたって真剣なのだ。
「夢想家っていうのかしら? リリカって意外とロマンチストなトコあるよね」
「意外とは失敬な。夢ぇ無くしたら音楽家は終わりだよ」
「そう? わたしはぐるぐるへの渦巻く情熱だけで頑張れるわよ~」
「だろーねー」
嘆息をつき、やれやれと倦怠感を露わにする。
目の前でモクモクと湯気を立てる紅茶を啜る、食後の一杯。
まだ冷めきっていなかったのか、チロと舐めた程度でカップを置いた。
「それに妖夢のお料理、食べてみたいじゃない! 食べ比べもしてみたいし~」
「……メル姉さぁ。要は、自分がご飯食べたいだけじゃないの?」
「え。」
「…やっぱり」
よ、夜風にあたってくるわね~、と言ってそそくさと部屋を出るメルラン。
動揺していたせいか、ドアの角に思い切り頭をぶつけてもんどりうった。
こんな所でも息がピッタリだ。
「何かどうでも良くなってきたかも」
一人残されたソファの上で、遠慮なく口を開けて大きな欠伸。
窓の外、夜のとばりに佇む木々が、そよいだ風に吹かれてサワサワと気持ちよさそうに揺らぐ。
とりあえず、今のうちに隠しておいたプリンをこっそり食べてしまおうと、リリカは立ち上がった。
***
閑散とした空気が辺りを支配する。
それこそ、天壌無窮まで続くかと思わせるような果てしなく伸びる石段の外れ、
春ともなればその身に満開の笑顔を咲かせる桜の木々も、今は不気味な笑みでもって訪れる者を黄泉の国へと誘うのみ。
死と生の曖昧な狭間の空間、小さな剣士は微動だにせず、その真っ直ぐな瞳をただ一点へと向けていた。
そのうちに、彼女の待ち人と思われる影が三つ、階段を介せずフワフワと現れた。
友人の姿を見つけた黒い少女が、や、と控え目に手をあげる。
「お待ちしておりました、プリズムリバー楽団の皆様」
「うん。わざわざありがとね」
「ごっくろぉぉぉぉぉお腹空いた~」
「お? これはもしや、敵情視察ってやつ?」
「…あなたたち、いっぺんに喋ったら何言ってるか分からないでしょう」
開口一番、ぎゃーぎゃーと姦しい。
妖夢のことも忘れて口喧嘩を始めてしまった。
「あ、あのう」
「え? あ、ああ、ごめん」
「人の話はしっかり聞こうねー」
「大事なことよね~」
「……この…!」
「あ、あの! それで、今日の催しについてなんですが」
堪らず話を切り出す妖夢。こんな調子では日が暮れてしまう。
「ああ、重ね重ねごめんなさい。貴女にまで迷惑かけて…」
「大丈夫ですよ。こういうのは慣れてますので」
妹たちに振り回されっぱなしのルナサ同様、妖夢もまた幻想郷きっての苦労人の一人なのだ。
多少の無茶は二人とも既に慣れっこであった。
「ねぇねぇ、結構待ってくれてたみたいだけど、お庭のお仕事はいいの?」
「ええと、実は待っていたというか、待たされていたという感じで…」
「待たされた?」
不思議そうに首を傾げるメルランに言うことには、幽々子が今、会場の準備をしているとのことだった。
あの亡霊嬢が、自ら会場の設置を申し出たのだという。
「会場って…?」
「それだけ幽々子も力入れてるってことか。これは報酬も期待できるかもよ!」
「ぐるぐる~。頭に付けてるぐるぐるのやつ~」
「いや、それはない」
「…勝手なことばかり言って」
と、困り顔。作るのはルナサだというのに。
「でも、ルナサさん次第では分かりませんよ? 気まぐれなお方ですから」
「やった! ぐるぐるぐるぐるぅ」
「だってさ。姉さん、いつもの如くやっちゃいな!」
「うぅ、妖夢まで…」
昨日のお返しです、とばかりに微笑む。
三つの笑顔と一人の糸目。
ヒュウと吹き抜けた一陣の風が、四人四色、とりどりの音を優しく撫ぜて虚空に消えた。
「いらっしゃ~い。待ってたわ~」
「「「……………」」」
「すご~い!」
白玉楼に到着した御一行を待っていたのは、主人自らのお出迎えだった。
普段ならば、自分からは全く動こうとしないこの当主、その気概や良し…と、言いたいところだが、
「ゆ、幽々子様! 何の冗談ですか、これは!?」
「ぜんぶ私が建てたのよ。偉いでしょ~」
さらりと三女のセリフをパクりながら、えっへんと胸を張る。
庭園にはそこらかしこに乱雑にぶっさされた看板の大群。
内容も『おいでませ、死後の世界』とか『うぇるかむ とぅ しらたまろう』だとか胡散臭いことこの上ない。
「偉くないです! こんなに庭を荒らして、誰が整備すると思ってるんですか!?」
「んーとぉ、妖夢でしょ?」
「妖夢だね」
「妖夢ね。しらたま~」
「………」
…ああ、なるほど。この色々とすっとんだお嬢様は、私を苛めたくてワザとやってるんだ。
そうでなければ、屋敷の中の隅々にまで態々手の込んだ装飾をするわけがない。
なんですか、あの床に思いっきりぶちまけられた白玉は。だからしらたまろうなんですか、そうですか。
食に情熱を傾けるものとして、食べ物で遊ぶのはいただけないですよ。
というか、私の仕事が増えるのは別にいいとして、こんな調子じゃ幽々子様の将来が心配でなりません。
もう少ししっかりしていただかないと、私だって………、
「…妖夢」
肩にポンと置かれた手で現実に戻される。
放心状態の妖夢に慰めの言葉をかけたのはルナサ。同情というよりは、共感するといった方が相応しい表情。
ガシッと手を取り合い、共に涙する。ここに真の友情が誕生した瞬間だった。
「あー、エヘンっ。それはともかく、早速対決の決まり事を説明してもらおうかしら。お腹も空いたし」
「同感~」
「……決まり事、ですか」
それじゃあ私が、と即座に手を挙げるリリカ。
相変わらず手早い。
「ルールは至ってシンプルだよ。ルナ姉と妖夢が作ったランチを、私ら三人が評価して、支持を多く獲得したほうが勝ち」
「評価のきじゅ――」
「シャラップ! 説明は最後まで聞く!」
「ご、ごめん」
一喝されて落ち込むルナサ。なまじ間違ったことは言っていないだけに反論のしようもない。
「採点は一人一票、品数、量は問わないよ。旨いと思わせりゃそれで勝ち。以上、他に質問は?」
「はいはーい!」
「はい…、って何でメル姉が手ぇ挙げてんのさ」
「早めに頼むわ~」
「私に言うなよ」
「あら、奇遇ね。私もそう思っていたところなの。手際の良さも、料理では大切なことじゃなくて?
だから私に早くごはんを食べさせ…ゲフンゲフン。出来るだけ手短にお願いするわ」
「…だ、そうで」
さしものリリカも呆れた風に、そう伝える。
料理人サイドも、今更どれだけの無茶を言われようが全く驚かないわけだが。
「もう質問ないね? じゃ…始め!」
「…え?」
「ほらほら、行った行ったァ~」
「わあ!?」
「メルラン、ふ、服が伸びる――」
リリカが手を叩いたと同時、頭の整理もつかない二人を、あっという間に引っ張っていってしまった。
後に残るのは嵐でも通り過ぎたような静けさ。
「よーむぅー、負けたらキッツイお仕置きも待ってるわよ~」
「…ところでさ」
「ん、なにかしら?」
にこやかに物騒なことを叫ぶ幽々子に問う。
「ルナ姉が勝ったら、別途で報酬とかってでるわけ?」
いかにも悪だくみでもしていそうな面持ちで、にまりと笑う。
「あらあら、随分と抜け目が無いことね」
「姉さんたちがあんな感じだから、私がしっかりしなきゃ駄目なのよ。そこんところさ」
「別に私は構わないのだけれど…」
視線を外してから、少し言葉を濁して、
「ヒイキしちゃいけないわよ? 何せ人数的には一対二なんですもの」
「そこは問題ないよ。仮にこっちがルナ姉びいき、そっちが妖夢びいきしたとして、判定はメル姉に委ねられるわけだし。
音楽、ぐるぐる、ご飯! その辺に、妥協を許さないヒトだっていうのは私が良く知ってる」
「……私が言うのも何だけど、妙に説得力あるわねぇ」
「でしょ」
感心した風に頬に手をやるお得意様に向かって、さらに続ける。
「それで、その報酬なんだけど」
「ええ。何でもいってちょうだい」
「お米一年分、でどう?」
「………!!」
な、なんだってー! この時、幽々子に電流走る。
「いやー、実は最近、健康に気ぃ遣っててさぁ。ご飯食、って何か体に良さそうじゃん?」
…この娘、一体何とふざけたことをぬかしているのか。
騒霊に健康もクソもあるのか。いや、寧ろ問題はそこではないだろう。
お米一年分だと…?
私にとってのお米の大切さというものを、まるで分かっていない。
たかだか一時の健康ブームの為に、はいどうぞ、とあげられるような代物ではないのだ。
…ああ、なるほど。この腹黒い娘は、私を飢え成仏させたくてワザと言っているのか。
そうやって、果てはこの白玉楼までも乗っ取ってしまおうという算段なのか。
ならば、こちらにも考えがあるというもの………、
「だったら、もうワンパターンでも特典を付けちゃおうかしら」
「へ?」
「貴女のお姉さんが勝てばお米、そして妖夢が勝ったらピーマンをプレゼントするわ。食べきれないほどに」
「………!!」
この時、リリカの背後にジオンガ落ちる。
…この亡霊嬢、正気か。
ピーマンと言えば、私がこの世の中で一番嫌いなものの一つではないか。
苦味、色、香り、どれをとっても史上最低最悪の野菜だろう。ピーマン農家の人、ごめんね。
それを食べきれないほど進呈何かされてみろ、毎日あの恐ろしいピーマン料理を味わうはめになる。
…ああ、なるほど。この何考えてるか分からない人は、私をピーマン漬けにして苛めたくて言っているのか。
妖夢弄りだけでは、飽き足らなくなったのか。だけど、黙って従うリリカ様じゃないわよ。
いいわ、その勝負、受けてたってやろうじゃないの!
「分かった。じゃ、そういう方向で決まりだね。約束は守ってよ?」
「貴女こそ、しっかり食べなきゃ大きくなれないわよ?」
「えへ、えへへへへへ」
「くす、うふふふふふ」
真っ黒な笑いと、オーラを露わにする両者。狂気の沙汰ほど面白いもの。
全ての運命は二人の料理人、そしてメルランに託されたのであった。
ちなみに、ぶちまけた白玉は幽々子様がおいしく頂きました。
「妖夢、足もとのソレ…お鍋とってくれる?」
「あ、はいはい」
カチャカチャと擦れて鳴る調理道具、パタパタと忙しそうな足音。
こちらは既にそれぞれの準備を始めていた。
ぱっと見には分かりづらい黒の生地、赤い三日月のマークがプリントされたエプロンを着たルナサ。
妖夢はそれと対照的、真っ白のシンプルな物。
「さてと。始めようかな」
「用意が早いのね」
「えへへ、すみません。実は、フライングしちゃったんです」
「…フライング?」
視線を遣った先には大きな羽釜。
カマドから蓋まで、所々に煤が付いているのは、長く使われてきた証拠だろう。
頑固親父、そんなイメージもどことなく浮かんできそうだ。
「あ、お釜」
「はい。少々時間が掛かるので、お米の吸水を先にさせてもらってます」
「おこげって作れるの?」
「え? それはまぁ」
「…いいなぁ」
プリズムリバー邸には、生憎とこのような立派な釜は無い。
加えて、家での食事と言えば洋食が基本であり、メルランとリリカもそちらの方が好みなようだった。
だから、お米をいつでも食べられるというのは、ルナサにとって大いに羨ましいことであって。
西洋人の霊、ルナサは白いご飯もこよなく愛する騒霊なのであった。
「…私も始めよ」
ご飯に惹かれた気持ちを取り直して、各種調理器具と材料を取り出す。
手に馴染んだ包丁や食材は持ち込みである。
「ところで」
「ん?」
「ルナサさんは何を作るおつもりなんですか? 食材からはちょっと想像つかないんですが…」
まな板の上で、早速捌かれているのは引き締まった鶏のもも肉。
その他にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、ブロッコリーなどの野菜からバターに牛乳、お酒まで。
妖夢にとってはいささか見慣れない組み合わせだった。
「汁物の類を、ね」
「汁物…。それがメインとなると、豚汁みたいなものでしょうか?」
「…ま、後のお楽しみってことで」
「ああ、それもそうですね」
その会話を境にして、しばし黙って調理に取り組みだす二人。
元々ルナサは話すのがあまり得意では無いし、妖夢も料理をする時はいつも一人。
けれども、台所に淡々と流れる温和な静けさは、決して不自然でも寂しいものでも無かった。
調理は進む。
こちらは妖夢サイド、和食調理場。
いつもの刀を包丁に持ちかえ、油の乗った鮭を一瞬で鮮やかに…とはいかないものの、丁寧に切り身にしていく。
切り終えた身の皮の部分にお酢をペタリ、しばらく置く。こうすれば、魚が色よく綺麗に焼き上がる。
その間にも、別の品の調理にも着手する。
一汁一菜バランスの取れた献立を用意するには、当然それだけ多くの調理を効率よく行う必要があるのだ。
一人呟くように確認をとる。
「ええと、ほうれん草は漬けたし、ご飯はやってる。
必要なものもあらかた切った。魚、お豆腐、鰹節……あれ、鰹節? ………あっ!」
穏やかな空気流れる室内に突如響いた大声に、ルナサが思わず縮こまってしまう。
鍋の中に、何やら牛乳らしきものを加える途中だったようで、少し入れすぎてしまったようだ。
「な、何、どうしたの…?」
「あ、すみません! お味噌汁用の削り節のダシをとるのをすっかり忘れていて」
「削り節。養殖が広まったとかいう、カツオの?」
「そうですそうです。本当なら、鍋に二十分ほど付けておかないといけないんですが。しまったなぁ…」
今からでも遅くはないだろうが、調理時間の兼ね合いを考えると少しもったいない気もする。
全ての料理を、できる限り熱々で出したほうが美味しいに決まっているし、迅速に頼むとのお達しも出ているのだ。
「…ちょっとした小技があるんだけど、試してみる?」
「小技?」
「うん」
返答も待たずして妖夢の側に歩み寄る。
手近にあったボウルに、こんもり盛られた削り節をひと握りほど。
白くて細い繊細そうな指からサラサラ滑り落ちた。
そこに水を加えた所で、火を出してそのまま加熱していく。
なんとなく面倒に思ったのか、空中加熱。
「これはみょん…妙な光景ですね」
「……みょんって言った」
「い、言ってないですよ!?」
そうこうする間にポコポコと泡が出始める。
ここで素早く火からあげて、どこからともなく取り出したるは大きめの竹の茶こし。
読んで字の如く、主としてお茶を漉すために使う道具である。
そうして網の部分に削り節を流し込み、受ける為のボウルを用意して豪快に、
「お、おぉ? おおおおお」
しぼる。
みょんな奇声を聞きながら更にしぼっていくと、濃い団栗色の汁がとれた。
指先に軽く浸して舐めるとホッとした顔でボソッと一言。
「できた」
「もういいんですか?」
「…どうぞ」
勧められるままに一口。
「おお、ちゃんと味がでてますね。薄めれば丁度良さそうだ」
「採用かしら?」
「ええ、ありがとうございます、助かりました!」
「どういたしまして」
ぶっきらぼうに返されたお礼の言葉には、どことなく気恥ずかしさがほの見える。
それじゃあ私も、と鍋の様子見に戻るルナサ。
「物知りですよね、ルナサさんって。この前は山の天気がどうとか」
「…えーっと、トロみはこんなものかしら」
「あれ、もしかして照れてます?」
「…あのね」
今日はみょんに意地の悪い妖夢に、弱った様子で線目を向けた。
リリカに変なことでも吹き込まれたのだろうか、というと彼女の方が妹のようだが。
味噌汁と同時進行で鮭の調理。十分に塩を振ってから遠火の強火で焼き上げる。
「大したことは知らないわよ。他愛も無い豆知識程度」
「豆知識結構じゃないですか。現に今、役に立ちましたし」
「うーん…」
「一体どこから情報が入ってくるんですか?」
「…本とか人づてとか。あぁ、メルランとリリカも色々教えてくれるわね」
「あの妹さんたちから?」
失礼ながら、さぞや意外といった風に言う。
彼女たちの演奏が素晴らしいという事は知っているが、その性質はどちらかというと天真爛漫で大雑把なように思えた。
聡明なルナサが、活発ながら世の中を知らない妹たちを指導する、そんなイメージ。
そもそも、幻想郷の住人なんて大半が呑気で大様と生きている、と思わないこともないが。
「メルランは積極的で何にでも刺激されるし、リリカも世渡り上手って感じだから。
私の知らない所で色んなこと吸収してるんだと思う。もちろん、まだまだ子供っぽい所ばっかり目立つのは確かだけどね」
「なるほど」
「そっちだって、ご主人から学んだことって案外多いんじゃないかな」
「…そうですね。ノンシャランではありますけど、それだけ度量も広いお方です。
私も幽々子様に影響されて、多少は融通が利くようになった…と自分でも思います」
「初めて会った時は凄かったものね。アポなしで来ただけで、いきなりブッタ切るって。
幽々子がいなかったら、危うく刀の錆にでもされてるところだった」
「う、面目ない…」
炒められた肉や野菜が楽しそうにカラカラと音を立てる。
そこに白ワインが飛び込むと熟成した香りと共に、フライパンの上はより一層騒がしく活気づいた。
「まぁ、それはいいとして」
「はい?」
「…それってそういう料理なの? 魚から煙出てるわよ、真っ黒い」
「………うわぁぁぁ、忘れてたぁぁぁ!?」
何とも手遅れ感漂う煙を噴き出す鮭を目の前に、慌てふためくばかりの半人前の従者。
せわしないわねぇ、などと思いつつも、どことなくその姿が自分に重なってしまった威厳のない長女。
能力で使い終えた道具を器用に洗いながらも、より妖夢に親近感を覚えてしまうルナサだった。
こちらは食べるだけの美味しい役回り、もとい審査員の控える屋敷の一室。
多人数の来訪用にと広めの間取りだが、やけに真新しい様子で、あまり使われている部屋では無さそうだ。
「はい、王手飛車取り」
「む、むむむむむむむ!」
「うふふ。もう投了しちゃいなさいな」
「むぅ~、まだよ~、たかがメインカメラをやられただけなんだから~」
暇つぶしの将棋対決。
必殺の王様巻き込み三回転半式囲いとやらも、幽々子の素早い攻めにあっさりと崩れ去ったようだ。
というか、まんま穴熊なのだが。
「ありゃ? あんたらまだやってたの」
これまた暇つぶしで、そこらをぶらぶらしていたリリカが帰ってきた。
「直に終わりそうよ」
「うー、まだだー。このめるぽの魂、やらせはせん、やらせはせんぞ~」
「どうでもいいけどさ、ルナ姉たちご飯できたって」
「「マジで!?」」
ひゃっほーう!とか甲高い声を発しながら、疾風の速度で座布団やらお膳やらを持ってくる両人。
その様はまさに食に飢えた野生のケモノのようであった、とリリカ・プリズムリバーは後に語る。
拍子でふっとばされた将棋盤と駒たちが、部屋の片隅に空しく転がっていた。
「ほらほら、リリカも立ってないで座りなさいよ!」
「お行儀悪いわぁ」
「…へーい」
ここでどうこうツッコんだところで、収集がつかなくなるのは火を見るより明らかである。
リリカにとってメルラン+幽々子=イデの無限力にも等しい。
勝てない戦はしない、勝てる戦は姉さんにやらせる。いかなる状況下においても、彼女は常に狡猾たり得るのだ。
「お待たせ致しました」
「…これまた準備万端ね」
襖を開けて入ってきたお料理組としばらくぶりのご対面。
エプロンを着けたまま、両の手はお盆で塞がってしまっている。
「姉さんお久~」
「え…。お、お久?」
「気にしないでいいよルナ姉。お腹空いて頭も空になってんのよ」
「ひどーい」
「さあさ、お喋りはあとあと。さっそくお昼にしましょう」
「その前に涎拭いてください幽々子様」
今まさに宴会でも行われているかのように、ごたごたと喧しくなる。
幽霊娘五人集まれば凄く姦しい。
「それでは私の作品から。皆様のお口に合えば幸いです」
「…はい、どうぞ」
二人でかかって、次々と並べられていく色彩も豊かな品の数々。
湯気立つふっくらごはんにシジミと豆腐の味噌汁、鰹節の乗ったほうれんそうのお浸し。
そして主菜である鮭の塩焼き。淡い黄丹がシンプルながら華やかに食卓を引き立てるはずなのだが、
「ほうほう、これはお見事。実に大ぶりな魚ですなー、って待てやゴルァァ!! なによこのダークマタ―は!?」
リリカのそれは真っ黒であった。
白く艶やかなご飯とのコントラストが良く映える…わきゃあない。
「ごめん、ちょっとだけ焦がしてしまって。捨てるのも勿体ないし」
「ちょっとじゃなくて丸焦げ! 勿体ないからってお客にこんな暗黒物質食わせるってか、あー!?」
「リリカ。人数分しか用意してなかったそうよ。悪いけどそれで我慢してくれる?」
「うぇぇ、ルナ姉までぇ」
うな垂れるリリカを尻目に、第一目標の選定を始めることにした次女。
特にもの珍しいものも無いが、味噌汁一つとってもルナサやメルラン達がいつも作るものとは、見た目からして違うというのが分かる。
同じ料理でも、人によってはこうも性格が変わってしまうものなのだろうか。
料理の一つ一つにあれこれと興味を走らせては、迷いあぐねてアッチヘ行ったりソッチへ行ったりと落ち着かない。
「んっんー。…惑い箸は嫌い箸と言ってね。あまり好まれるものではないのよ?」
先ほどまでのおふざけぶりはどこへやら、隣の幽々子がひそひそと注意を促す。
妖夢に見つかったら煩いんだから気を付けなさい、といった含みだ。
本人はと言うと、さすがに慣れた手つきで鮭を一切れポイと口に放り込んでいた。
「でも、どの子から食べてあげればいいのか分かんないわ~」
「そんなの貴女の好きなように食べればいいのよ。無理して形式ばる必要なんてないのだからね」
「むーん」
今一度、膳の上にまじまじと目を遣った。
するとどうだろう、緑の映える美味しそうなお浸しと目が合った気がした。
メルランがそう思ったのだからきっと本当に合ったのだろう、うん。
ゆっくりした動作で皿を手に取り、タレと絡めてパクリと一口。
しっかりとだしが染みた柔らかなほうれん草、咀嚼する度に、鰹と醤油の香ばしさと甘みが口一杯に広がる。
「おいひー」
「……! そうですか。良かった」
美味しいと無邪気な笑みを漏らしたメルランに、妖夢の顔も思わずホッと綻んだ。
何せリリカはイジケ虫状態、主人の方は何も語らず黙々と食べていて、感想というものが全く聞けていなかった。
これで調子が出てきたのか、さあ、お次はと味噌汁の椀に手をかける。
三女を説得していたルナサも、メルランの反応を密かに見ている。
お椀の底に沈殿した味噌をぐるぐる混ぜる。一緒に豆腐やら何やら回りだして楽しくなってきた。
ぐーるぐーる。たっぷりぐるぐるできて満足満足。
「…いや、飲もうよ」
ルナサに冷静に突っ込まれて、ズズーとすすった。
「あ、すご。何かこう、味に深みがあるわ」
「貴女もそう思った?」
「うんうんっ。ベースがしっかりしてるって感じかな? 正直言っちゃうと姉さんのやつよりずっと美味しいわね~」
「……分かってた事とはいえ、実の妹から言われるとショック…」
「ル、ルナサさんっ。 後で教えますからそんなに気を落とさず…」
最後はメインの鮭の魚。
柔らかくも引き締まった身を解してご飯に乗っける。熱々ご飯と一緒にいただきます。
お米と塩加減の丁度いい鮭が実にマッチして、これはもう美味しくないわけがないですとも、ええ本当に。
「わたしは今、声高々にして言いたいわ。みんな、日本人ならお米を食べなさーいってね!」
「普段食わないくせに、なに言ってんのさ」
リリカが機嫌悪そうに口をはさんできた。
「あら? 好き嫌いせず食べなきゃ駄目よ~。まだお魚さん残ってるじゃないの~」
「やだよ。こんなモン食べたら病気になっちゃうよ、私。カワユイ妹がどうなってもいいわけ?」
「…仕方ないわね。リリカの言うことも尤もだし、ここは私が」
「いえ、そもそも失敗したのは私ですから、責任をとって私が食させていただき――」
「待ちなさい、貴女たち」
今の今まで沈黙を保っていた幽々子のいきなりの一声に、その場の誰もが動きを止めた。
語調こそ丁寧で優雅なものであったが、その奥にひしひしと感じる決意は、誰にも有無を言わせないものであった。
そう、彼女は妖々夢ラストボス、西行寺幽々子、西行寺幽々子なのだ。
いざという時に発揮されるカリスマ性は、他のラスボスの会のメンバーたちにも引けをとるものではない。
幽霊のように音も無く立ち上がる。
そのまま流れるように黒い鮭の塩焼きだったものの前へ。
「幽々子様、まさか…。いけません! 仮にも西行寺家の当主ともあろうお方がそのような…」
「お黙りなさい妖夢」
「……っ!」
「女にはね、やらなければいけない時があるのよ。私の勇姿、その目にしかと刻みつけておきなさい」
「は、はいっ!」
キッと相手を睨みつけ、一呼吸。
そしてかけらの躊躇いも無くソレを自らの口へと放りこんだ。
「うっ」
「幽々子様!?」
倒れこもうとした幽々子を、妖夢がしっかりと受け止める。
「さすがね妖夢。焦がしていてもこんなに美味しいだなんて」
「すみません、私の腕が未熟だったばかりに…」
「いいのよ。これも主君としての務め。ああ、妖夢、時が見えるわ」
「え、え!? ゆ、幽々子様!?」
「さようなら。後のことは貴女に任せ…る……わ……。がくっ」
「そ、そんな、魚くらいで嘘でしょう? 起きてくださいよ幽々子様。幽々子様……ゆゆこさまぁぁぁぁぁ!!」
信頼する従者に看取られながら、尊い霊の命の灯がここに消えた。
だが、彼女の魂はこれからも幻想郷に語り継がれ、生き続けていくことだろう。
魚くらいで成仏した伝説の亡霊として……。
「……ルナ姉」
「…何?」
「私これからは、好き嫌いせずに何でも食べるよ」
「……あぁ。そうね、頑張って」
「……ルナ姉」
「…何?」
「そろそろこっちの番だから、お鍋あっため直した方がいいんじゃない?」
「……あぁ。そうね、行ってくる」
「あははっ、幽々子たちって面白いわね~!」
無響の室内にメルランの笑い声ばかりが響く。
幽々子に抱きついて大泣きする妖夢が、彼女の胸の中で必死に笑いをこらえている主君に気付いたのは、これよりいささか先の話であった。
***
白玉楼、縁側。
緑茶を啜りながら、のほほんと空を見上げる。
朝から代り映えしなく能天気な空には、鳥の一羽でも飛んでいるわけはなく、餅みたいな幽霊たちが手持ちぶさたに浮かんでいるだけだった。
餅とか言ったらお腹まで空いてきた。
「ここにももっと風情が欲しいわねぇ。そう思うでしょ、ゆあきん?」
呼ばれて飛び出て何とやら。
突然、機嫌を損ねてしまったかのように空にヒビが入ったと思えば、そのスキマから紫色の衣を纏ったヒトが現れた。
言葉にはし難いような、何とも不思議な雰囲気を漂わせる妙齢の女性である。
「その呼び方は止めてって前から言ってるでしょう」
「私は好きよ~、ゆあきんって。音が綺麗」
「貴女の好みなんて聞いてないのだけど」
ごめん遊ばせ、とそこらに浮かぶ魂をのけて幽々子の隣に腰かけた。
どうやら前もって用意されていたらしい緑茶を受取る。
その挙動の一つ一つに、見る者に対する妖艶で危うい魅力さえ感じさせる。
「それで、今日は何の用事で来たの?」
「別に何も。暇だったから遊びにきただけの事よ」
「暇だったから、友人の行動を一日中こっそり観察していた、と。紫も趣味悪いわぁ」
「そうかしら? 面白そうなことしてたから覗き見る、妖怪らしい実に奔放で単純な行動原理じゃないの」
「また屁理屈こねて。そんなこと言ってると、ゆかりんとゆうかりんの境界も分からなくなるわよ?」
「誰でも分かるからご心配なさらず」
親しげに語らう。
お茶を飲むタイミングがシンクロして幽々子が吹き出しそうになったが、とどまった。
「ところで料理はもういいの? 楽隊の長女さんのクリームシチュー、とても美味しそうだったけど?」
「そうそれ! そのことなんだけど、聞いてよゆあき~ん」
「聞いてあげないわよ?」
死んだふりで妖夢を見事に騙せたのはよかった。
が、マジ泣きまでした妖夢は主君の蘇生に喜び勇んで抱きついてくる…のではなく、真っ赤になって怒り狂ったわけで。
結果、これ以上は飯抜きの刑。楽しみにしていたルナサの料理もこれでパァである。
「ねー。ヒドイでしょ妖夢ったら。自分はシチュー食べるのに」
「ま、幽々子の三文芝居すら見抜けなかった妖夢にも落度はあるわねぇ。そもそも魚で成仏って」
「でしょ」
尤もらしいことを言ってはいるが、当然ひどいのは幽々子の方である。
紫もまた、度々遊びに来ては常習的に妖夢弄りをしている身分、あまり強いことは言えないというだけのこと。
屋敷の中の方からドタバタ騒がしい声が聞こえてきた。
はしゃぐ声二つに、それをなだめる声が二つ。どちらもどちらで騒々しい。
はっきりとは聞こえないが、まさに友達の家状態。
「あの子まで浮かれちゃって、楽しそうね。騒霊の居る所っていつもこうなのかしら」
「ほんとね。毎日しちゅーが食べられるなんて羨ましい限りだわ」
「…もう、一言謝って食べてくれば?」
ボケ連発のおとぼけ友人に、かの大妖怪も防戦一方である。
こいつはそのうち、幻想郷中のシチューでも集め出すんじゃなかろうか。
「ふーん、あの長女さんも案外おちゃめな所あるのね。ニンジンがハートマーク」
ごくごく小さなスキマで様子を覗き見る。
「ん? ニンジンの形がハートだったの?」
「そうだけど。それがどうかした?」
「……そう」
空に向かってそう呟いた亡霊嬢の顔は嬉しそうで、どこか哀しそうでもあった。
「…ちょっとだけお話してもいい?」
「どうぞ」
「割と最近、上の妹さんが話してくれたことなのだけど。ルナサって、妖夢に似てすこぉしお堅い子じゃない?」
「あまり話した機会は無いのだけど。そんな雰囲気は確かにあるわね」
「料理に関してもそれは同じみたい。基本に忠実に、良く言えば確実な、悪く言うと面白みに欠ける作品になるわけね」
「そうね」
「でも、そんな彼女がたまぁに遊び心溢れた料理を作ることがあるらしいの。例えば、シチューやカレーのニンジンを可愛らしい形にしてみたりだとか」
「察するに、そんな時には決まって何か、特別な感情を持って調理に臨んでいるってことかしら」
「その通ぉりぃ」
少しおどけた様子で答える。
「聞けば、あの子たちにとっての、とある大切な人が好きだったらしいのよ」
「だった、ね」
「その辺りの話はまぁ……私も良くは知らないけれど」
この読めない亡霊嬢のこと、本当に知らないかどうかは当人にしか分からないわけではあるが。
「そのことを忘れてしまわないように。少し大袈裟に言ってしまえば、ハートマークの人参は彼女にとっての絆みたいなものらしいわ」
「とどのつまり、ルナサは妖夢に特別な感情を抱いているってことでFA?」
「語弊がある言い方ね~。まぁ、これだって、あくまでメルランの推測に過ぎないのだけどね。
それだけ、妖夢と友人としての繋がりを深めたいって思ったことへの表れなのかなぁっていう話。あの子たちあれで案外気が合いそうだし」
「ふぅん」
「あれ、つまらなかった?」
「四十点」
「素直じゃないわねぇ」
幽々子が笑う。
ふわふわ飛び回っていた幽霊たちも、心なしか笑っているように見える。
「…ふぅ。また中が騒がしくなってきし、お暇するわ」
「えー、早いわねー。シチュー食べていけばいいのに」
「勝手に食べてなさい。貴女こそ、こんな所で油売っていていいの?」
「どうして?」
「お米、かけてるんでしょ? 審査員の貴女が居なかったら、赤い子に良い様にされてしまうわよ」
「……!! ゆ、ゆあきん。それを早く言いなさいよぉ!?」
「コラ、ゆあきんじゃないって何度…」
私のお米米*米ー、と一目散。話を聞く気も無いらしい。
我ながら本当に変な友人、略して変人を持ったものだ、と紫は思う。
「まぁ、そこが面白いのだけど」
一人ごちながらスキマを開いた。
と、呪いのようにシチューの連呼を聞いたせいか、自分までお腹が空いてきてしまった。
「さてと。今日の夕飯は何を作らせましょうか。…いや、たまには、ね。フフフ……」
さぞや楽しそうな笑みを残してスキマへと消えていく。
刻は昼過ぎ、おばけたちにはお休みの時間。
それでも屋敷からの喧噪は更に大きく、お屋敷全体を包みこんで、暫く止むことは無かった。
その晩、隙間妖怪の式が、自ら包丁を手にする主人を見て大変驚いたというのも、また先の話である。
話全体をもっと上手く纏められれば、さらに化けるんじゃないかなと思う。
上手く言えなくてごめん。
実は自分、東方知り始めたころ本気でゆかりんとゆうかりんをごっちゃにしてたんだ……
それにしてもルナサいい子だよルナサ、みょん可愛いよみょん
彼女を嫁にしようと誓った
>4さん
話に一貫性が無いですよね、なんて自分でいうのはいけないことなのでしょうが。
偏に私の技量不足です。もっと読者様を楽しませられるものを書いてみたい……。
>6さん
パロネタ入れ過ぎたのは正直反省していたり。
実は当方、麻雀初心者だなんて口が裂けても言えませんね。
>7さん
絶対、料理うまいと思うのですよ、ええ。
>11さん
先ずは神主さんの許可をとりませんと。
以上、コメントありがとうございますー。励みになりますです。
虹川姉妹はすきなのに、いかんせん数が少ないから困る…
兎にも角にもめるぽの奔放さがたまらない
ありがとうございます
素敵にフリーダムでゴーイングマイウェイなメルランは殺人的な可愛さですよね