作品集59にある前回のあらすじ)四天王が五人になれば、まとまる物もまとまりません。
秋姉妹が住む神の家。
人里はもとより、妖精、妖怪、幽霊等々からも疎遠であり、虫の鈴の音さえも遠くに聞くところでも、太陽と月だけはその限りではなく、何事もなくその上を横切っていく。
ただ、今は夕暮れ。太陽は半ば隠れて、輝きの薄い月もうっすらと伸びる雲の影に隠れており、神の家はやはりひっそりと佇んでいた。
そんな閑静な家の中、ちゃぶ台の上に並ぶ食事は、一人に丸まる一匹振る舞ったこんがりと焼けた秋刀魚を中心に、茶碗に満たされた透き通ったつゆの中を遊泳しているそうめん。白ごまと輪切りの赤唐辛子をまぶした細長い褐色が数々小鉢の上に横たわる、いわゆるごぼうの煮物。
並べられた五人分の料理を前に、レティ・ホワイトロック、リリーホワイト、風見 幽香、秋 穣子、秋 静葉が各々しっかり手を合わせ、「いただきます」。
目の前の料理に箸をつけてしばらく、無言の時間が過ぎていく。この沈黙を破るのはリリーの底抜けに明るい声。
「おいしい」
続くのは妹と姉。
「いいねぇ、秋刀魚」
「……油の乗りもいいし」
「そうそう、口の中にじゅわっと旨味が広がるのが堪らないのよね」
「……おそうめんの口当たりもいいし」
「余ったそうめんを適当に素うどん風にしただけなのに、それがさっぱりとした味わいで合っているのよね」
「……ごぼうも味が染みてる」
「あと、歯ごたえと辛いのがいい感じよね」
「……今年の秋も楽しみ」
「それ、言えてる」
姉妹の言葉が並ぶに連れ、幽香の表情が綻ぶ。
「喜んで頂いて何よりです。ただ、約一名、感謝の仕方も忘れてしまった薄情者もいるようですけど」
幽香が視線を送った先、そうめんの喉ごしを味わったレティが、その後で答える。
「充分、感謝しているわよ、この恵みをもたらしてくれた幻想郷にね」
レティから吹き込む何とも言えない寒風、幽香の顔には笑みがへばり付いたままで、他三人の目には食卓に見慣れた亀裂が入ったのを見届けた。
レティに笑顔を向ける幽香。
「歪んだ性根だこと。貴女に届けると言ったら喜んで秋刀魚を冷凍してくれた氷精のつめの垢でも飲ませてあげたいわ」
幽香の方など見向きもしないレティ。
「奇遇ね。私は常々貴女に同じ物を飲ませてやろうと思っていたけど、いくらなんでもあの子が可哀相だからやめていたところよ」
二人の空気がさらに悪くする瞬間に穣子が割り込む。
「いい加減にしろ。せっかくの秋刀魚を不味くしてどうする」
続く静葉。
「……そうね、いくら喧嘩するほど仲が良いとは言ってもね」
この一言に、幽香とレティの意識が静葉に向かった。
「静葉様、それには同意しかねます」
「珍しく意見が合うわね」
ただし、答えたのは妹の穣子。
「それが嫌だったら喧嘩すんな」
これには妖怪二名、共に黙った。
それを見計らってリリーが口を挟む。
「そーだよ。穣子も静葉もこれが最後の食事なんだから喧嘩なんてしたらダメ」
すると 幽香は「はあ」と吐息。
「ああ、リリーに言われると弱いわ。そして、私はお引き留め致しませんが、正直、残念でなりません。穣子様からはまだ何もしていただいておりませんのに」
潤んだ熱視線を穣子に流し込む幽香、尤も肝心の穣子は全く動じず。
「今までもそうだけど、これからだって何もしないわよ」
「……ほめてあげたら。この秋刀魚は幽香の功績よ」
「確かにね」
レティが締めた後で、レティは話題を変える。
「で、実際どうするの?本当に今夜中に発つの?」
「もちろん。名月に誘われて出て行くのが一番らしいでしょ」
「……あと虫の音とかにもね」
会話を弾ませる姉妹を前に、幽香の笑顔が陰る。
「中秋を過ぎてから名月を楽しむのはわかりますが、それはここでも楽しめますでしょうに……」
「ごめんねー、私達ってなんだかんだ言っても神だから、秋の催しは人間達と一緒にやらなきゃいけないのよ」
幽香は陰りを消して。
「お気なさらずに。ただ、今年は夜に発たれることに驚いていただけですので」
しおらしく振る舞う幽香を眺める静葉から。
「……ありがとう。幽香も納得してくれているようだし」
「はい」
レティはピリ辛ごぼうを奥歯で噛みながら、随分と大人しい幽香を横目に見る。尤も、ただ見るだけ。
その視線を知ってか知らずか、静葉の言葉は続く。
「……もし、納得くれないようだったなら、わかってくれるまで折檻するつもりだったんだけど……」
「え?あ、いやだ、そんな……」
口籠もった幽香が静葉から目を離した隙に、静葉はレティに。
「……心当たりがあるようだからレティちゃん、折檻お願いね」
その瞬間、幽香が打って変わって胸を張って答える。
「いえ、そんなことはございません!最強の氏子である私の無頼な振る舞いはそのまま静葉様の恥となります!故に、断じて、折檻の必要など全くございません!」
レティも箸を止めて答える。
「他はともかく、幽香のことでダシに使われたくはないな」
静葉に向いていた幽香の瞳が、ぎょろりとレティに向けられる。
「使ってもらえるだけでも光栄と思いなさい。正真正銘のゴミなのですから」
沈黙が訪れる。
「ああ、そう」
「うん、そう」
両名が爆発する前に、素うどん風のつゆで喉を潤した穣子が爆発する。
「あのね!喧嘩したかったらしてもいいけど、したら二人の秋刀魚は私が貰うからね!」
怒鳴られて、幽香とレティは張り詰めた空気が抜けた。
「まあ、幽香なんかの為に秋刀魚が食べられなくなるのはつまらない事この上ないわ」
「そうね、ゴミとじゃれあって食べ逃すなんて最悪でしょうね」
穣子は、多少トゲはあっても素直に聞き入れてくれた二人に満足してから。
「わかってくれて何より。そして姉さん、煽るな!こいつ等の仲が悪いのは昨日今日で始まったことじゃないでしょ!」
きりりと眉を寄せて怒鳴る妹から目をそらす姉。
「……さすがに反省しているわ」
そんな感じで、穣子がきっちり仕切って静かになったところに。
「おかわりー!」
リリーがつゆだけ残ったお茶碗を差し出した。
それから何の波風なく秋刀魚とそうめんを堪能。使い終わった食器を水洗いで済ませた後、外まで見送りに出た妖怪と妖精に見守られて、穣子と静葉は朧月夜を飛翔する。
遠く、小さくなっていく双女神。ついには見えなくなってからリリーが呟く。
「行っちゃった」
感傷を滲ますリリーとは正反対に、レティは至極あっさり。
「そうね、それじゃ寝ましょうか」
すかさず幽香が。
「太るのではなくて」
ただ、レティは取り合わず幽香の隣を横切って。
「聞き流してあげるわ」
先に家に入ったレティを追う幽香は、彼女の背中に一言浴びせる。
「偉そうに」
そんな二人に心配そうな眼差しを向けるリリーが最後に家に入る。
「喧嘩はダメだよぅ」
そうして、夜は更けていく。
山の端、雲の切れ間、そして白む東方。
神の家の屋根の上からそれを見るのは、宵の口でも映える真っ白な衣装で身を包むリリーホワイト。
彼女は手を広げ、正面の朝日の光と同色の、ある意味そのまま溶けて消えてしまう様な淡い白色の光を放つ。
そして、その光をゆっくり消してから、リリーは朝日に向かって飛び立った。
刻限においては昼をとうに回っているが、降りしきる雨が明るさを奪って、全く以って暗い昼下がり。
諸々の生き物が近付かない神の家といえどもさすがに雨はその類ではなく、群生する雑木と一緒に雨に打たれている。今、家にいるのはレティと幽香。レティは開いた戸口の前に立って外を眺め、幽香は部屋の中ごろで茶をすすりながらレティの背中と外の雨模様を眺めている。
「お茶でもどう?」
誘った幽香に、レティは。
「生憎の雨ね」
幽香はレティの向こう側の雨を見詰める。
「……本当ね、静葉様も穣子様も平気かしら」
レティは外を見たまま、幽香に背中を向けたまま。
「平気でしょう。これも秋の風情だとか言って楽しんでいるんじゃないの」
幽香は同意も何もせず。
「リリーも、何も今日出て行くことなかったでしょうに」
「そういう意味では、あの子はやっぱり妖精ね。自分の感情に正直」
幽香がレティの背中に目を移す。
「貴女も行ってしまうの?」
あくまで、レティは雨の流れを目で追うのみ。
「当然よ。穣子と静葉がいないのなら、こんなあばら家に用はないわ」
言い切ってからしばらく、雨音のみが響く。
レティの背中をじぃと見詰める幽香が、その後ろ姿に声をかける。
「神様がいなくなって、見立ての鳥居も飛び立って、見立ての狛犬もすぐに出て行くという。一人残される氏子は、とても寂しい」
レティは首と腰を少し回して、幽香を見た。
「その例えでいったら、貴女も狛犬よ」
幽香の口元が緩んだ。
「ふふ。それなら二人で守っていきましょう」
しかし、レティはくすりともせず。
「長居はしないわ」
それだけ言うと改めて雨を眺めるレティ。そんなつっけんどんなレティに幽香は変わらず微笑みかける。
「そう急がなくてもいいでしょうに。秋の御姉妹様がここにおられずとも、ここには二柱の霊験はあらたか。何者かに静寂を侵される心配はないわ」
後ろから掛けられる言葉がむず痒いのか、後頭部を掻く。答えたのはその後。
「その霊験は秋の訪れと人間達の信仰と共に幻想郷全体に行き渡る。そうなれば、幻想郷に居る何者も、益々私を目に留める事が難しくなる。ならば、この霊験にあずかる身として、私はここから出て行くのが習わし」
「その心は?」
間髪入れない幽香。答えるレティは雲を見上げた。
「私が沸いて出るから冬なのではなく、私が見えるようになるから冬なのよ」
くす、と笑う仕草をわざわざ声に出して伝えた幽香は、言葉に弾むものを織り交ぜて発する。
「それならば尚のこと急がずともいいでしょう」
ふう、と雨音に負けない程度のため息をついて外を見たまま。
「引き止めるのね」
少しの間。
「せっかく二人きりなれたのですもの、貴女とのこの時間を心行くまで楽しみたいわ」
「気色悪いわよ」
まるで裂けるくらいに口の端を引っ張る幽香。それを見ていないレティだが、幽香がそんな風に笑った気配だけは感じ取った。
「あら、貴女を不愉快にする為なら、私はどんなに口が腐るような台詞でも吐いてみせてよ」
会話が途切れる。雨音は続く。
歪む口の上で幽香の双眸が凝視の為に見開かれる。
無表情と言って差し支えないレティは、ただそのまま。
それからゆっくり、二人の言葉は紡がれる。
「ああ、そう」
「うん、そう」
二人の沈黙。
振り返るレティと見詰め合う幽香。
目に見えて大粒になった雨の粒、加えて勢いを増し、打たれる屋根から雨漏りが一つ二つ。
閃く雷光を背に、レティは言う。
「怒らないけど」
「あら残念」
落雷の轟音が響いた。
「幽香は悪趣味よね、他人を怒らせたがるなんて」
「貴女は物好きなのよ、単純に嫌いだからって私を殺しに掛かるところが、特に」
「好かれるとでも」
幽香は、即答するレティの無表情の中にある冷たい冴えを見逃さない。
光、そしてすぐ轟音。
「賢く強い妖怪は概ね我が侭よ、嫌煙と陰口の上であぐらをかく位」
「賢く強い妖怪は概ね謙虚よ、冬場に私を遊ばせておく位にね」
幽香はレティの言い分をはっきりと笑い飛ばした。
「謙虚?はてさて、それは謙虚と呼べるのかしら?」
「知らないわよ、他人の約束事なんて」
レティの調子は変わらない。
「うふふ……」
「気色悪いわね」
小さく笑い声を漏らす幽香を、レティは怪訝に眺める。
「賢いのばかりだと退屈でね、力を錆付かせない為のスペルカードルールもヌルくて仕様がないわ。ぬるくて素晴らしいのはリリーと静葉様と穣子様だけ」
「人間は、ぬるくないとらしくない」
「くふ、くふふ……」
また笑った。
「何よ、さっきから」
幽香は唇の笑みを消して、凝視する瞳を残した。
「貴女、さっきから私を怒らせようとしているのかしら?」
「そう聞こえた?」
幽香は再び笑って。
「どうでしょう?」
ただ、レティも別段表情を崩すことはなく。
「なら、忠告しておくわ。普段の貴女がそうだから、そう聞こえるだけよ」
これ見よがしに鼻を鳴らして自身の笑顔を吹き飛ばした幽香は。
「ふん。なら、私も言っておきましょう。私に対する一番の嫌がらせは、貴女が賢くなる事よ」
「じゃあ、安心させてあげる。『我慢強さ』を『賢さ』に置き換えるのなら、私の『賢さ』なんて高が知れているわ。もちろん、貴女もね」
落雷は相変わらずだが、雨の勢いが気持ち弱まる。
そんな中、笑いのない二人が顔を向かい合わす。
個人的な沈黙を破って、幽香から。
「まあ、いいわ。お茶、飲む?」
「もらうわ」
傍らに置いてある別の湯飲みにお茶を注ぐ幽香、レティはまっすぐ歩いて近付く。
レティは湯飲みを受け取る為に目の前の幽香に、幽香は湯飲みを渡す為に目の前のレティに、手を伸ばした。
互いの手が触れ合う瞬間、レティは湯飲みではなくそれを持つ幽香の手をとり、一気に覆い被さった。
一瞬の後。
レティは幽香と唇と唇を重ね合わせる。
対して、幽香は掌をレティの胸に押し当てる。
熱い。二人は、唇から、胸から、そう感じた。
レティは胸に押し込まれた幽香の掌から熱さを感じ、確信した。熱源は、幽香の掌より溢れる光源、と。
幽香は唇を閉じられない口内が熱いと誤認して、確信した。レティは口移しの寒気で、体内を満たすつもり、と。
間近で見る、互いに目を見開いた二人のアイコンタクト。
『死ね』
雨が止んだのはいいが、残った雲と日の入りの加減で暗いままの麓の村。そこにある一軒の農家でのこと。夕食の用意を母親に任せて、まだ十ばかりの子供が父親に向かって必死に説明する。
「……それで、みんなと一緒に山で遊んでいたら、やたら真っ白い妖精が飛んでいたから捕まえたんだ」
父親はうんうん頷く。
「すると、一緒に遊んでいたお姉ちゃんが言ったんだ、『逃がしてあげよう』って。それで言う通りにして、そしたらもう一人のお姉ちゃんが『大雨になるから帰ろう』って言い出して。でも、もう雨は降ってきて。それでさっきのお姉ちゃん達が『回り道をしよう』って言って……」
「それで、帰りが遅れたのか?」
「う、うん」
子供は萎縮している様子だが、父親に怒鳴る兆候はなく、子供の話に何度も頷いている。母親は作業の片手間に尋ねる。
「で、その女の子達はどこの子だい?」
「みんな知らなかったし、その、帰ってきたら一緒にいなかったんだ。ねぇ、これって妖精を捕まえた所為でお姉ちゃん達が神隠しに遭っちゃったのかな」
「神隠し?ああ、神隠しね……」
子供のはらはら具合とは真逆に、質問されていることに気付いた父親は気のない返事。同じく、母親もなんともない様子。
「ねえ、どうなの?」
「ん?ああ、まあ、妖精の方は、多分、春告精だから心配するこたぁねぇよ。むしろ、すぐに逃がしてよくやった」
「お姉ちゃんは?」
詰め寄られた父親は言葉を良く選んで。
「そっちか。うん、そうだな、途中で帰り道が別々だから別れたんだろう。いいか、もし、そのお姉ちゃん達を見かけたら、うちに呼ぶんだぞ。いいな」
子供は不思議に思った。
「父ちゃん?お姉ちゃん達を知っているの?」
「ん?いや、あーっと……、とにかく呼べ、いいな」
押し切ろうとする父親だが、言葉にこそしないものの子供は全く釈然としない様子。それを察した母親から。
「父ちゃんはね、そのお姉ちゃん達があんたの命の恩人だから持て成そうって言っているのよ。人懐っこい春告精でも、妖精は何をするか分からないし、大雨で危ない目に遭うかもしれなかった所を助けてくれた相手だからね」
父親は母親の言葉にしきりに頷いた。
「そう。そういうことだ。だから、そのお姉ちゃん達を見かけたら絶対連れて来るんだぞ」
「うん、わかった」
子供はそれで納得した。
さて、この子がこの日のこのやりとりを覚えたまま大人になって、将来のこの事を振り返ってみて思い悩むだろう、両親は単純にお礼がしたかっただけなのか、それとも豊穣の抜け駆けをしたかっただけなのか、と。
こうして、幻想郷に秋は訪れる。
秋姉妹が住む神の家。
人里はもとより、妖精、妖怪、幽霊等々からも疎遠であり、虫の鈴の音さえも遠くに聞くところでも、太陽と月だけはその限りではなく、何事もなくその上を横切っていく。
ただ、今は夕暮れ。太陽は半ば隠れて、輝きの薄い月もうっすらと伸びる雲の影に隠れており、神の家はやはりひっそりと佇んでいた。
そんな閑静な家の中、ちゃぶ台の上に並ぶ食事は、一人に丸まる一匹振る舞ったこんがりと焼けた秋刀魚を中心に、茶碗に満たされた透き通ったつゆの中を遊泳しているそうめん。白ごまと輪切りの赤唐辛子をまぶした細長い褐色が数々小鉢の上に横たわる、いわゆるごぼうの煮物。
並べられた五人分の料理を前に、レティ・ホワイトロック、リリーホワイト、風見 幽香、秋 穣子、秋 静葉が各々しっかり手を合わせ、「いただきます」。
目の前の料理に箸をつけてしばらく、無言の時間が過ぎていく。この沈黙を破るのはリリーの底抜けに明るい声。
「おいしい」
続くのは妹と姉。
「いいねぇ、秋刀魚」
「……油の乗りもいいし」
「そうそう、口の中にじゅわっと旨味が広がるのが堪らないのよね」
「……おそうめんの口当たりもいいし」
「余ったそうめんを適当に素うどん風にしただけなのに、それがさっぱりとした味わいで合っているのよね」
「……ごぼうも味が染みてる」
「あと、歯ごたえと辛いのがいい感じよね」
「……今年の秋も楽しみ」
「それ、言えてる」
姉妹の言葉が並ぶに連れ、幽香の表情が綻ぶ。
「喜んで頂いて何よりです。ただ、約一名、感謝の仕方も忘れてしまった薄情者もいるようですけど」
幽香が視線を送った先、そうめんの喉ごしを味わったレティが、その後で答える。
「充分、感謝しているわよ、この恵みをもたらしてくれた幻想郷にね」
レティから吹き込む何とも言えない寒風、幽香の顔には笑みがへばり付いたままで、他三人の目には食卓に見慣れた亀裂が入ったのを見届けた。
レティに笑顔を向ける幽香。
「歪んだ性根だこと。貴女に届けると言ったら喜んで秋刀魚を冷凍してくれた氷精のつめの垢でも飲ませてあげたいわ」
幽香の方など見向きもしないレティ。
「奇遇ね。私は常々貴女に同じ物を飲ませてやろうと思っていたけど、いくらなんでもあの子が可哀相だからやめていたところよ」
二人の空気がさらに悪くする瞬間に穣子が割り込む。
「いい加減にしろ。せっかくの秋刀魚を不味くしてどうする」
続く静葉。
「……そうね、いくら喧嘩するほど仲が良いとは言ってもね」
この一言に、幽香とレティの意識が静葉に向かった。
「静葉様、それには同意しかねます」
「珍しく意見が合うわね」
ただし、答えたのは妹の穣子。
「それが嫌だったら喧嘩すんな」
これには妖怪二名、共に黙った。
それを見計らってリリーが口を挟む。
「そーだよ。穣子も静葉もこれが最後の食事なんだから喧嘩なんてしたらダメ」
すると 幽香は「はあ」と吐息。
「ああ、リリーに言われると弱いわ。そして、私はお引き留め致しませんが、正直、残念でなりません。穣子様からはまだ何もしていただいておりませんのに」
潤んだ熱視線を穣子に流し込む幽香、尤も肝心の穣子は全く動じず。
「今までもそうだけど、これからだって何もしないわよ」
「……ほめてあげたら。この秋刀魚は幽香の功績よ」
「確かにね」
レティが締めた後で、レティは話題を変える。
「で、実際どうするの?本当に今夜中に発つの?」
「もちろん。名月に誘われて出て行くのが一番らしいでしょ」
「……あと虫の音とかにもね」
会話を弾ませる姉妹を前に、幽香の笑顔が陰る。
「中秋を過ぎてから名月を楽しむのはわかりますが、それはここでも楽しめますでしょうに……」
「ごめんねー、私達ってなんだかんだ言っても神だから、秋の催しは人間達と一緒にやらなきゃいけないのよ」
幽香は陰りを消して。
「お気なさらずに。ただ、今年は夜に発たれることに驚いていただけですので」
しおらしく振る舞う幽香を眺める静葉から。
「……ありがとう。幽香も納得してくれているようだし」
「はい」
レティはピリ辛ごぼうを奥歯で噛みながら、随分と大人しい幽香を横目に見る。尤も、ただ見るだけ。
その視線を知ってか知らずか、静葉の言葉は続く。
「……もし、納得くれないようだったなら、わかってくれるまで折檻するつもりだったんだけど……」
「え?あ、いやだ、そんな……」
口籠もった幽香が静葉から目を離した隙に、静葉はレティに。
「……心当たりがあるようだからレティちゃん、折檻お願いね」
その瞬間、幽香が打って変わって胸を張って答える。
「いえ、そんなことはございません!最強の氏子である私の無頼な振る舞いはそのまま静葉様の恥となります!故に、断じて、折檻の必要など全くございません!」
レティも箸を止めて答える。
「他はともかく、幽香のことでダシに使われたくはないな」
静葉に向いていた幽香の瞳が、ぎょろりとレティに向けられる。
「使ってもらえるだけでも光栄と思いなさい。正真正銘のゴミなのですから」
沈黙が訪れる。
「ああ、そう」
「うん、そう」
両名が爆発する前に、素うどん風のつゆで喉を潤した穣子が爆発する。
「あのね!喧嘩したかったらしてもいいけど、したら二人の秋刀魚は私が貰うからね!」
怒鳴られて、幽香とレティは張り詰めた空気が抜けた。
「まあ、幽香なんかの為に秋刀魚が食べられなくなるのはつまらない事この上ないわ」
「そうね、ゴミとじゃれあって食べ逃すなんて最悪でしょうね」
穣子は、多少トゲはあっても素直に聞き入れてくれた二人に満足してから。
「わかってくれて何より。そして姉さん、煽るな!こいつ等の仲が悪いのは昨日今日で始まったことじゃないでしょ!」
きりりと眉を寄せて怒鳴る妹から目をそらす姉。
「……さすがに反省しているわ」
そんな感じで、穣子がきっちり仕切って静かになったところに。
「おかわりー!」
リリーがつゆだけ残ったお茶碗を差し出した。
それから何の波風なく秋刀魚とそうめんを堪能。使い終わった食器を水洗いで済ませた後、外まで見送りに出た妖怪と妖精に見守られて、穣子と静葉は朧月夜を飛翔する。
遠く、小さくなっていく双女神。ついには見えなくなってからリリーが呟く。
「行っちゃった」
感傷を滲ますリリーとは正反対に、レティは至極あっさり。
「そうね、それじゃ寝ましょうか」
すかさず幽香が。
「太るのではなくて」
ただ、レティは取り合わず幽香の隣を横切って。
「聞き流してあげるわ」
先に家に入ったレティを追う幽香は、彼女の背中に一言浴びせる。
「偉そうに」
そんな二人に心配そうな眼差しを向けるリリーが最後に家に入る。
「喧嘩はダメだよぅ」
そうして、夜は更けていく。
山の端、雲の切れ間、そして白む東方。
神の家の屋根の上からそれを見るのは、宵の口でも映える真っ白な衣装で身を包むリリーホワイト。
彼女は手を広げ、正面の朝日の光と同色の、ある意味そのまま溶けて消えてしまう様な淡い白色の光を放つ。
そして、その光をゆっくり消してから、リリーは朝日に向かって飛び立った。
刻限においては昼をとうに回っているが、降りしきる雨が明るさを奪って、全く以って暗い昼下がり。
諸々の生き物が近付かない神の家といえどもさすがに雨はその類ではなく、群生する雑木と一緒に雨に打たれている。今、家にいるのはレティと幽香。レティは開いた戸口の前に立って外を眺め、幽香は部屋の中ごろで茶をすすりながらレティの背中と外の雨模様を眺めている。
「お茶でもどう?」
誘った幽香に、レティは。
「生憎の雨ね」
幽香はレティの向こう側の雨を見詰める。
「……本当ね、静葉様も穣子様も平気かしら」
レティは外を見たまま、幽香に背中を向けたまま。
「平気でしょう。これも秋の風情だとか言って楽しんでいるんじゃないの」
幽香は同意も何もせず。
「リリーも、何も今日出て行くことなかったでしょうに」
「そういう意味では、あの子はやっぱり妖精ね。自分の感情に正直」
幽香がレティの背中に目を移す。
「貴女も行ってしまうの?」
あくまで、レティは雨の流れを目で追うのみ。
「当然よ。穣子と静葉がいないのなら、こんなあばら家に用はないわ」
言い切ってからしばらく、雨音のみが響く。
レティの背中をじぃと見詰める幽香が、その後ろ姿に声をかける。
「神様がいなくなって、見立ての鳥居も飛び立って、見立ての狛犬もすぐに出て行くという。一人残される氏子は、とても寂しい」
レティは首と腰を少し回して、幽香を見た。
「その例えでいったら、貴女も狛犬よ」
幽香の口元が緩んだ。
「ふふ。それなら二人で守っていきましょう」
しかし、レティはくすりともせず。
「長居はしないわ」
それだけ言うと改めて雨を眺めるレティ。そんなつっけんどんなレティに幽香は変わらず微笑みかける。
「そう急がなくてもいいでしょうに。秋の御姉妹様がここにおられずとも、ここには二柱の霊験はあらたか。何者かに静寂を侵される心配はないわ」
後ろから掛けられる言葉がむず痒いのか、後頭部を掻く。答えたのはその後。
「その霊験は秋の訪れと人間達の信仰と共に幻想郷全体に行き渡る。そうなれば、幻想郷に居る何者も、益々私を目に留める事が難しくなる。ならば、この霊験にあずかる身として、私はここから出て行くのが習わし」
「その心は?」
間髪入れない幽香。答えるレティは雲を見上げた。
「私が沸いて出るから冬なのではなく、私が見えるようになるから冬なのよ」
くす、と笑う仕草をわざわざ声に出して伝えた幽香は、言葉に弾むものを織り交ぜて発する。
「それならば尚のこと急がずともいいでしょう」
ふう、と雨音に負けない程度のため息をついて外を見たまま。
「引き止めるのね」
少しの間。
「せっかく二人きりなれたのですもの、貴女とのこの時間を心行くまで楽しみたいわ」
「気色悪いわよ」
まるで裂けるくらいに口の端を引っ張る幽香。それを見ていないレティだが、幽香がそんな風に笑った気配だけは感じ取った。
「あら、貴女を不愉快にする為なら、私はどんなに口が腐るような台詞でも吐いてみせてよ」
会話が途切れる。雨音は続く。
歪む口の上で幽香の双眸が凝視の為に見開かれる。
無表情と言って差し支えないレティは、ただそのまま。
それからゆっくり、二人の言葉は紡がれる。
「ああ、そう」
「うん、そう」
二人の沈黙。
振り返るレティと見詰め合う幽香。
目に見えて大粒になった雨の粒、加えて勢いを増し、打たれる屋根から雨漏りが一つ二つ。
閃く雷光を背に、レティは言う。
「怒らないけど」
「あら残念」
落雷の轟音が響いた。
「幽香は悪趣味よね、他人を怒らせたがるなんて」
「貴女は物好きなのよ、単純に嫌いだからって私を殺しに掛かるところが、特に」
「好かれるとでも」
幽香は、即答するレティの無表情の中にある冷たい冴えを見逃さない。
光、そしてすぐ轟音。
「賢く強い妖怪は概ね我が侭よ、嫌煙と陰口の上であぐらをかく位」
「賢く強い妖怪は概ね謙虚よ、冬場に私を遊ばせておく位にね」
幽香はレティの言い分をはっきりと笑い飛ばした。
「謙虚?はてさて、それは謙虚と呼べるのかしら?」
「知らないわよ、他人の約束事なんて」
レティの調子は変わらない。
「うふふ……」
「気色悪いわね」
小さく笑い声を漏らす幽香を、レティは怪訝に眺める。
「賢いのばかりだと退屈でね、力を錆付かせない為のスペルカードルールもヌルくて仕様がないわ。ぬるくて素晴らしいのはリリーと静葉様と穣子様だけ」
「人間は、ぬるくないとらしくない」
「くふ、くふふ……」
また笑った。
「何よ、さっきから」
幽香は唇の笑みを消して、凝視する瞳を残した。
「貴女、さっきから私を怒らせようとしているのかしら?」
「そう聞こえた?」
幽香は再び笑って。
「どうでしょう?」
ただ、レティも別段表情を崩すことはなく。
「なら、忠告しておくわ。普段の貴女がそうだから、そう聞こえるだけよ」
これ見よがしに鼻を鳴らして自身の笑顔を吹き飛ばした幽香は。
「ふん。なら、私も言っておきましょう。私に対する一番の嫌がらせは、貴女が賢くなる事よ」
「じゃあ、安心させてあげる。『我慢強さ』を『賢さ』に置き換えるのなら、私の『賢さ』なんて高が知れているわ。もちろん、貴女もね」
落雷は相変わらずだが、雨の勢いが気持ち弱まる。
そんな中、笑いのない二人が顔を向かい合わす。
個人的な沈黙を破って、幽香から。
「まあ、いいわ。お茶、飲む?」
「もらうわ」
傍らに置いてある別の湯飲みにお茶を注ぐ幽香、レティはまっすぐ歩いて近付く。
レティは湯飲みを受け取る為に目の前の幽香に、幽香は湯飲みを渡す為に目の前のレティに、手を伸ばした。
互いの手が触れ合う瞬間、レティは湯飲みではなくそれを持つ幽香の手をとり、一気に覆い被さった。
一瞬の後。
レティは幽香と唇と唇を重ね合わせる。
対して、幽香は掌をレティの胸に押し当てる。
熱い。二人は、唇から、胸から、そう感じた。
レティは胸に押し込まれた幽香の掌から熱さを感じ、確信した。熱源は、幽香の掌より溢れる光源、と。
幽香は唇を閉じられない口内が熱いと誤認して、確信した。レティは口移しの寒気で、体内を満たすつもり、と。
間近で見る、互いに目を見開いた二人のアイコンタクト。
『死ね』
雨が止んだのはいいが、残った雲と日の入りの加減で暗いままの麓の村。そこにある一軒の農家でのこと。夕食の用意を母親に任せて、まだ十ばかりの子供が父親に向かって必死に説明する。
「……それで、みんなと一緒に山で遊んでいたら、やたら真っ白い妖精が飛んでいたから捕まえたんだ」
父親はうんうん頷く。
「すると、一緒に遊んでいたお姉ちゃんが言ったんだ、『逃がしてあげよう』って。それで言う通りにして、そしたらもう一人のお姉ちゃんが『大雨になるから帰ろう』って言い出して。でも、もう雨は降ってきて。それでさっきのお姉ちゃん達が『回り道をしよう』って言って……」
「それで、帰りが遅れたのか?」
「う、うん」
子供は萎縮している様子だが、父親に怒鳴る兆候はなく、子供の話に何度も頷いている。母親は作業の片手間に尋ねる。
「で、その女の子達はどこの子だい?」
「みんな知らなかったし、その、帰ってきたら一緒にいなかったんだ。ねぇ、これって妖精を捕まえた所為でお姉ちゃん達が神隠しに遭っちゃったのかな」
「神隠し?ああ、神隠しね……」
子供のはらはら具合とは真逆に、質問されていることに気付いた父親は気のない返事。同じく、母親もなんともない様子。
「ねえ、どうなの?」
「ん?ああ、まあ、妖精の方は、多分、春告精だから心配するこたぁねぇよ。むしろ、すぐに逃がしてよくやった」
「お姉ちゃんは?」
詰め寄られた父親は言葉を良く選んで。
「そっちか。うん、そうだな、途中で帰り道が別々だから別れたんだろう。いいか、もし、そのお姉ちゃん達を見かけたら、うちに呼ぶんだぞ。いいな」
子供は不思議に思った。
「父ちゃん?お姉ちゃん達を知っているの?」
「ん?いや、あーっと……、とにかく呼べ、いいな」
押し切ろうとする父親だが、言葉にこそしないものの子供は全く釈然としない様子。それを察した母親から。
「父ちゃんはね、そのお姉ちゃん達があんたの命の恩人だから持て成そうって言っているのよ。人懐っこい春告精でも、妖精は何をするか分からないし、大雨で危ない目に遭うかもしれなかった所を助けてくれた相手だからね」
父親は母親の言葉にしきりに頷いた。
「そう。そういうことだ。だから、そのお姉ちゃん達を見かけたら絶対連れて来るんだぞ」
「うん、わかった」
子供はそれで納得した。
さて、この子がこの日のこのやりとりを覚えたまま大人になって、将来のこの事を振り返ってみて思い悩むだろう、両親は単純にお礼がしたかっただけなのか、それとも豊穣の抜け駆けをしたかっただけなのか、と。
こうして、幻想郷に秋は訪れる。
秋刀魚が食べたくなりました。
ゆうかりんかわいいよ。
また冬にお会いしましょう。