面識のあるメディに、門番の兎達に手短に用件を話してもらい、八意永琳を起こしてもらうよう催促する。
時刻は既に二十四時を越え、深夜と呼んで差し支えない。
こんな時間の来訪者は喜ばれなくて当然だと言うのに、それでも彼女達は私達の様子に感化されたのか、
急いで門を開け、迎え入れてくれた。
永遠亭。月の姫・蓬莱山輝夜と月の薬師・八意永琳が支配する屋敷。
此処に住む兎達――うどんげやてゐ――とは面識があったが、私自身が此処に来るのは初めてだ。
建物自体は外来の紅魔館よりも白玉楼に近いかな、等とちらり思う。
ただ、三つに共通している所もある。其処に住むモノたちの所為か、何所か威圧感があるのだ。
……そう思うのは、私が一介の妖怪だからだろうか。
八意を起こしに先行して走っていった兎の後を、私達は別の兎に導かれ、静かに進む。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても同じ襖、同じ風景。
本当に進むべき道を歩んでいるのかと不安になる。そんなどうしようもない事を考えていると。
「……ぇ?」
突然、本当に突然、メディががくんっと膝をつく。
リグルを抱く私と、ルーミアを背負う橙、そして案内の兎が慌てて駆け寄った。
「メディ、ちょっと、急にどうしたのよ!?」
「だ、大丈夫、メ――ディ!?」
私と橙の声が聞こえているのかどうかさえ、怪しい面持ち。
両手がふさがっている私達の代りに、案内の兎がメディを担ぎあげた。
それでもやっぱり、彼女は目をぱちくりとするばかりで、自分に何が起きたかさえ分かっていない様に思える。
騒然とする場に解答をもたらしたのは、奥からの声。
「力を使い過ぎているのよ、メディ」
どちらかと言えば低い声。だけど、妙な艶が耳に残る。
視線をメディから外し上へとあげると、奥から歩いてくる赤と黒に彩られたモノ。
蓬莱の薬師――そう書いていたのは人間だったか鴉天狗だったか――八意永琳。
「慣れない使い方、だけじゃなくて、かなり長い間使いっぱなしなんじゃないかしら?」
息を飲む。一目でそこまでわかるものなのか。
八意の事はよく知らないが、うどんげが「師匠」と呼ぶ以上、彼女よりも実力者なのだろう。
そして、底が全く見えない佇まい。ひょっとすると、八意も、あの八雲ゆか――
「いけない子ね。ハグさせなさい」
あぁうん、ゆかりんと同じかもしれんね。
「えーりん……うん、確かに、言う通りかも」
「でしょうね。さぁ。ハグ」
「ねぇ、えーりん。貴女は、お医者さんだったの?」
スルー!?とよろめきつつ、薬師はすかさず答えた。
「どういう意味?――四肢を削られていようが、極端に体力が落ちていようが、なんとてでもなるわ」
「毒屋さんだと思ってたの」
「酷っ!?何故そんな誤解が!?」
「えーりん、雑談以外のお勉強の時は、そーいう話ばっかりだったじゃない」
なるほど、合点がいった。
メディの毒は人間のみならず、妖怪にまで効果が及ぶ。勿論、此処の兎達にも。
八意とメディにどういう経緯があって知り合ったかは判らないが、ともかく、八意はメディを永遠亭に招待したほどなのだ。
ふとした拍子にメディが危険な毒を、そうと知らず使う事がない様、事前に教えていたと見るべきだろう。
……そうなると、この薬師は毒を解脱できる術を持っているか、毒が効かない事になるのだが。
彼女の態度を鑑みるに、後者ではないだろうかと漠然と考える。
「言われなき誤解は後で解くとして」
ありまくると思うんだけど。
メディに向けていた視線を、八意は此方に向けてきた。
深い色を宿す瞳は、何を考えているか全く読めない。
視線がぶつかり、少しだけ気後れし――そうになるが、踏みとどまる。
「ふふ……。患者は、その子――リグルでいいのかしら」
何が可笑しいのか。私の目は微かに険しくなった。
「あぁ、勘違いしないで。今のは、貴女に向けたのよ。ミスティア・ローレライ」
「……え?な、なんで私の名前を?」
「天狗の新聞にも載っていたし、一昨日にうちの子達が世話になったでしょう?」
それもそうかな。納得していると、八意は静かな足取りで近づいてきた。
リグルの全身をざっと見渡し、ふむ、と頷く。
容体はどうなんだろう――心配げに八意を見上げると、既に彼女は兎達に指示を飛ばしていた。
「蒲公英、メディを空いている客間に運んで頂戴。出来るだけ丁寧に」
「はい、えーりんさま!」
「菫、橙と背負われている子――ルーミアだったかしら――を別の客間に」
「りょうかいです」
「布団を敷いて休ませてあげて。あぁ、点滴の準備だけはしておいて頂戴な」
八意の言葉が終わるや否や、兎達は各々に与えられた指示に従い、てきぱきと動き出す。
蒲公英と呼ばれた兎は、同じ位の背丈のメディを背負い、右手側に進んでいき。
菫と呼ばれた兎は、橙を手招きし、左手側に進んでいこうとする。
――しかし、何故か橙は首を傾げ、動こうとしなかった。
「橙?……って、あれ?」
「ミスチーも気付いた?左右に分かれた道なんて、見えなかったよね」
「……うん」
道は真っ直ぐしかにしかなかった。
暗くて見えなかった?そんな事はない、確かに、道はそれだけだった筈だ。
だから、恐らく……。
橙も私と同じ様に考えたのだろう、鋭い視線を八意に向ける。
「何を、したの?」
言葉は視線と同等、もしくはそれよりも鋭利。
だと言うのに、あら、と八意は嬉しそうに微笑んだ。
その笑みは、何故だか慈愛めいたものさえ感じさせる。
「主に甘えっぱなしだと聞いていたけど、なかなかどうして」
「聞いていたって……誰に?」
「ふふ、貴女の様子をそんな風に説明できるのは、そう多くないと思うわよ」
きょとんとする橙。彼女の代りに、八意のもったいぶった言い方のお陰で、私が気づいた。
「藍先生……じゃない、多分、八雲の紫」
「へぇ……どうして、八雲の藍じゃないと?」
「先生ならもっと言葉を続けると思うし、橙だってほんとに甘えっぱなしって訳じゃない。
だけど、甘えている事実を知っているモノ。
条件に当てはまりそうなのは、八雲の紫しかいないと思う」
紫様ひどいー!と頬を膨らます橙を尻目――愛でている様にも見える――に、八意はまた笑んだ。
「穴は幾らでもあるけれど、正解は正解よ。
もう一つの方にも答えておきましょうか。道は現れたんではなくて、元から在った。
貴女達が気付かなかっただけ。とは言え、気にしないで」
白玉楼の主従も、白黒魔法使い、七色の人形使いも気付かなかったのだから。
八意はそう言葉を締めくくり、くるりと振り向いた。
左手をあげ、くいくいと人差し指を折り曲げて『ついてこい』とジェスチャー。
不安げに見てくる橙に言葉をかけてから、私はリグルを抱いたまま、後に続く。
「結局、煙に巻かれたけど……今は、従うほかないと思う」
廊下にかけれらた蠟燭の、ぼんやりとした灯りが映しだした八意の影は、またも微笑んだ気がした。
「事情を説明していただけるかしら?」
連れ立って歩いていると、八意がちらりと振り向き、尋ねてきた。
こんな深夜の急患だ。あちらとしては当然の質問であろう。
だけど、咄嗟には答えが出なかった。いや、出せなかった。
ルーミアとメディ、そしてリグルが戻ってきてから、私自身が緊張しっぱなしで碌に状況の整理をしていなかったのだ。
だから、言葉を整理しながらゆっくりと口に出す。自身への確認も含めて。
ルーミアが、太陽の畑の向日葵畑で風見幽香と出会った事。
翌日、ルーミアの誘いが断られた事。
翌々日、つまり今日、ルーミアとリグルが連れ立って現地に行き、会話した事。
……突然に怒りだした風見幽香に、攻撃された事。
そして、太陽の畑から逃げる途中、道すがらの無名の丘でメディと出会い、屋台に戻ってきた事。
出来得る限り客観的に語ったつもりだったが、それでも幾つか主観が入ってしまっているだろう。
風見幽香を語る際、『あの』とつけてしまったのが最たるモノ。
含まれる意味は、『危ない、怖い』。
でも、だ。
それは噂ではなく、事実だったじゃないか。そう、現にリグルは傷つけられている。
私は、一つの事象を無視して、そう風見幽香に結論づ――。
「自業自得ね」
……八意は、冷めた瞳で私を、私の腕で眠るリグルを見やった。
「そんな言い方しなくたって!」
「そうね。でも、こうでも言わないと、貴女自身が事実を認めなかったでしょう?」
「なっ!?」
ねぇ、ミスティア・ローレライ。
八意が先程、橙を見ていた時と同じ様な雰囲気に変わる。
私の名を呼ぶ彼女の声は、ひどく優しくて。
ぎり、と奥歯を噛み、私は彼女の言う事実を認めた。
「危険だとわかっていたのに、手を突っ込んだのはルーミアであり、リグル。だから、自業自得。
……そう言いたいんでしょう?」
「『わかっていた』ではなくて、『思っていた』だけどね。間違いではないわ」
いや、わかっていた、なのだ。
風見幽香はルーミアとの出会いの日、ちゃんと警告をしていたのだから。
それを無視したのは、ルーミアであり、リグルであり、私。
私が、もっと強く止めれば良かったんだ。
そうしていれば、ルーミアが泣く事も、リグルが怪我をする事もなかった。
怪我で済めばいい、もしかしたら、ひょっとしたら、リグルはこのまま――。
「その子の容体だけど」
どくんっ。
ピンポイントな指摘に、心臓だけでなく、私の顎も跳ね上がる。
私よりも随分と背が高い彼女の表情には、見てわかる翳りがあった。
ちらっと見た程度だから断言はできないけれど――前置きをして、八意は口を開く。
私には、彼女の口の動きがとても遅く感じた。
ゆっくりとゆっくりと、耳に入ってくる言葉。頭が理解する現実。
「当たり所が悪かったのね」
うそ、やだ、まさか、そんな……!?
「だから、そんなに血が出ているのよ」
……え?
「血が出てるって、それが『当り所が悪い』結果?」
「そうだけど?」
「え、でも、だって、あの風見幽香の一撃だよ?それを全身に受けたのにっ」
其れだけで済むのか?
其れだけで済んでくれるのか?
しどろもどろの言葉は発音できず、だけど、八意は此方の言わんとする事を理解してくれたようだ。
「全身、と言うか、不自然なまでに外側だけだけど、裂傷ね。
所々が深く切れているから、出血量はほどほど。だからって、どうこうなるものでもないわ」
「じゃ、じゃあ、その、動けなくなるとか、し、死んじゃうとかは?」
「人間ならともかく、ルーミアも含めて、貴女達はナニ?」
貴女達。私とリグルとルーミア。依るモノは各々違うが――「妖、怪」。
「よくできました。じゃあ、人間と貴女達の違いは?」
張りつめていた緊張が、少しずつ解けていく。
「幾つもあ、るけど、八意の問うてる、質問の正解は、がんじょ、うさ」
あぁ、ごめんね、リグル。屋根の下だって言うのに、また、雨を降らして。
「満点よ。だから、その子は」
つまり、リグルは。
「しぬなんて、ない……っ」
ぽろぽろと、ぼろぼろと。
とめどなく流れていく雫を、私にはどうする事もできなかった。
全身に力を入れても、奥歯を噛んでも、どんどんどんどん頬を伝っていく。
伝り落ちた雫はリグルの顔に当り、弾けた。
起こしてしまうだろうか。あぁ、それでも構わない。リグルの声が、聞きたい。
「大体、ね」
何時の間にか傍にいた八意は、ポケットから取り出したのだろうハンカチで、私の目元を拭った。
「その子がどうこうなるほど危険な状態に見えたなら、もっと急いでいたわよ」
微苦笑しながら、拭う事を諦めた八意は、私から優しくリグルを奪う。
両手が自由になった私は、決壊している二つの眼にあてた。
手に触れた雨は、外で降っているソレと違って、とても暖かく感じる。
「因みに、状態が一番拙かったのはメディ。次にこの子。最後に、ルーミア。
まぁ、ルーミアに至っては軽く疲労しているだけの様に思うけど」
「ん……メ、ディは、だいじょうぶ、なの?」
「丸一日寝かしておけば問題ないでしょうね」
あぁ、良かった。心の底から、そう思う。
暫くぐしぐしと両目をこすっていると、八意がゆるりと背を向け、歩きだした。
私がある程度落ち着くまで待っていてくれたのだろう。
八意は先程よりも早く、奥へ奥へと歩いていく。
いや、彼女は本来、この位の歩行速度なのかもしれない。
怪我をしているリグルを抱えているのだから、もっと速いのかも。
今までは、私を気遣って、速度を落としていてくれたんだ。
ずっと緊張し、気が動転していた為か、漸くその思いやりに気が付く。
安堵と共に、私は落ち着きを取り戻した。
……そして、もう一つ、別の感情が湧き上がる。
風見幽香への、怒り。
今思えば、先程のタイミングで八意が『自業自得』と突き放した言い方をしたのは、こういう時の為だったのかもしれない。
『ルーミアやリグルは警告を無視して自分から手を出した』――それは、その通り。
『風見幽香は自分の楽しみを邪魔するモノを振り払っただけ』――まぁ、そうなんだ。
だけれども。
理屈では分かっている。頭も理解している。
それでも、体の奥底から這い出ようともがいているヘドロの様な黒い感情は、消せない。
黒く重く醜いソレは、段々と私を覆っていくよう。
例え、ルーミアやリグルが、そういう感情を風見幽香に向ける事をよしとしなくても。
例え、その思いが理不尽であり、馬鹿げたモノであろうと。
私は今、確実に、風見幽香をにくんで――「ミスティア・ローレライ」――?
八意が突然振り返る。
余りにも合わせた様な呼びかけに、私は一瞬、自身の思考が読まれたかと身構えた。
「な、なに?」
「着いたわよ」
「……え?」
視線を八意の横にずらすと、確かに其処に扉があった。
今まで横を通り過ぎていった襖連と違い、扉。
果てしなく違和感はあったが、怪我人の治療をする場、普通の部屋ではないのだろう。
思惑が外れ、ほっとする。そうだ、心の中を読まれるなんて、そんな――。
「それと」
八意は、一旦言葉を切り、眼を伏せ。
「馬鹿な事は、考えない様にね」
鋭い視線を浴びせながら、言ってくる。
「え、な、なんでっ!?」
小さく叫ぶ私に、八意は肩を落とし苦笑し、首を左右に振る。
……あ。しまった、墓穴を掘った。
苦虫を噛み潰したような表情をしてしまい、私は八意から視線を外す。
「くだらない妖気が溢れていたもの。理由は、現状を考えると一つしかないでしょう?」
そうわかっていて、尚、鎌を掛けてくる。
平時ならこの手の化かし合いも歓迎だが、今は不要だ。……いや。
溢れ出そうな怒りの矛先を向けないよう注意しつつ、私は言い返した。
「くだらないって酷い。そりゃ、私の妖気なんてたかが知れてるんだろうけど」
「そういう意味で言ったんじゃないわ」
「じゃあ、どういう意味?」
「マイナスの感情がくだらないと言ったのよ」
「ふーん、じゃあ、八意にとってはどういう感情がくだらなくないの?」
「プラス、とりわけ、誰かを想う心ね」
「意外とロマンチストなんだ……」
「何かしら、その心底呆れた様な顔は」
「いや、なんでも。それより、着いたんなら早くリグルを治してあげてよ」
「夜な夜な白馬に乗った姫様を想像して何が――それもそうね」
よし、はぐらかせた。
「じゃあ、用意をするから、少しこの子を見ていて頂戴」
両腕で眠るリグルを私に預け、八意は扉を開く。
心配してくれている八意には悪いが、怒りの感情などそう簡単に消せるものじゃない。
この怒りを納める為には、きっと、そう、矛先にせめて一撃は与えないといけないだろう。
それが如何に難しく、馬鹿げた、理不尽な事であろうと、私には他に思いつかない。
「ミスティア・ローレライ」
……八意に名を呼ばれたのは今日、何度目だろう。
その度に、私は隠し事がばれた子供の様に彼女を見上げている気がする。
だから、今も多分、そんな顔をしているんだろう。
「貴女が今、考えるべきは、勝てない相手に理不尽な怒りをぶつける方法ではなくて、
腕の中のその子やルーミアが起きた時に喜ぶ事ではないかしら」
言葉を残し、八意は横開きの扉を閉め、部屋の中に消えていった。
痛々しい傷に触れない様、私はそっとリグルを抱く腕に力を込める。
八意の言う通り、よくよく考えればこの程度の傷、放っておいても治るレベルだ。
傷痕は、それでも何日か残るだろうが、塞がらない訳ではない。
……夜空を必死で駆けてきたルーミアとメディ、傷だらけで呻くリグル。
状況にひどく動転してしまったんだろう。
もちっと冷静になっていれば、あんな騒ぐ事もなかったんだろうなぁ。
現金なもので、こうやって意識してリグルを抱いていると、あれほど滾っていたドス黒い感情は薄れていった。
『リグルやルーミアが起きた時に喜ぶ事』――八意が置いていった台詞を、頭の中で反芻する。
怒りの代わりに私を満たす感情は――。
あぁ、明日――もう今日だけど――のお食事会に、とっておきの鱧も出そう。
ちょいと薄味だからお子様なルーミアやチルノ、橙には合わないかもしれないけれど、リグルや大ちゃんなら
喜んでくれるだろう。
……と、是だけじゃ駄目だ。ちゃんと、ルーミアにも喜んでもらわないと。
そうだ、メディを招待するのを提案してみようか。
丸一日安静にしていないと駄目だそうだけど、なに、お食事会を深夜まで続ければいいだけだし、
弾幕遊びも禁止にすれば問題ない。
そう、きっと、そうすれば、リグルもルーミアも喜んでくれる。
喜んでくれる、筈だ。
――私を満たす感情は、無力感。
わかっている。
リグルやルーミアが、フタリが、『喜んでくれる』事は。
だけど、確実だとわかっているのに、私にソレはできない。
道中のフタリの言葉。フタリの望み。
リグルは私の腕の中で、最後に何を呟いた――『幽香と、遊びたかった、なぁ……』。
ルーミアは眠りの中、誰の名前を零し、微笑んだ――『みすちー、りぐる……、ゆう、か…………』。
だから、つまり、彼女達が望んでいるのは、風見幽香と遊ぶ事。そして、友達になる事。
そんなの、どうこう出来る訳ないじゃないか。私なんかに。
誘い上手で見目麗しいリグルでさえ、断られたんだ。
天真爛漫、可愛らしいルーミアでさえ、見向きもされなかった。
多少、フタリよりも賢いだけで、臆病な私に何が出来るって言うんだ。
「うぅ、ん……」
……力が入ってしまった所為か、腕に横たわるリグルがぴくりと動いた。
ごめんね――零れた言葉には、二つの意味。
汗か雨か、それとも、血によってか。額に張り付いていた前髪が、はらりと動く。
そこにあったのは、黄色い花粉。向日葵の、花粉。
いや、どだい、無理な話なんだろう。
私達、普通の妖怪が、あの風見幽香と、『向日葵畑の風見幽香』と遊ぶなんて。
「……え?」
ガキ、ガキ、と軋む音を立てながら。
「え?」
違和感を覚えた言葉を手探りに、私の頭は動きだす。
「え……」
注された油は、リグルとルーミアと、そして、もう一人の、風見幽香の笑顔。
「……え」
そうして、それは、求める答え。『始まりと終わり』の『終わり』。
「あ……、あ、ぁっ」
ガキ、ガキ、ガ――――――――――ッ!
頭の中の歯車は、軋む事なく、滑らかに噛み合った。
『人間ならともかく、ルーミアも含めて、貴女達はナニ?』
『幽香は、その時も、何故か寂しそうだったんだ』
『妬いたのかな。はは、まさかね』
『そうよ、私は向日葵。だから、貴女達とは遊べないの』
考えろ、ミスティア・ローレライ!
『始まり』は今、『終わり』は提示された!
お前は賢いんだろう、賢くなったんだろう!?
『……体の外側を、弾幕で貫かれているみたい』
『遊ぶって、こんなに素敵な事だったのね。知らなかった』
『流れ弾当たって痛かったよー』
『『向日葵畑の風見幽香は危ない、怖い』って』
違和感、そう、違和感を解釈しろ!
その為のピースを、知識を記憶を攫いだせ!
求める答えへの式は、お前にしか出せないんだ!
『残念だけど、弱いヒトとは遊べないの。花を見ているんだから邪魔しないで』
『向日葵自体はただ、其処にあるだけで以前と変わらなく美しい』
『そんなのは当の妖怪の機嫌次第で甚だ危なっかしい』
『向日葵畑の風見幽香』
――私は今、震えている。カタカタと。
恐怖?墳怒?憎悪?
いや、どれも違う。
是は、歓喜だ。
『とっても奇麗なヒトだったんだけど、寂しそうだったからかなぁ』
『寂しそう?』
『そう。でも、あのヒトが笑ったら、きっと花が咲いたみたいに素敵だと思うの』
『始まり』は二日前から。
『終わり』も二日前からあって。
それを繋ぐ式は、ピースは、条件は――揃った。
風見幽香と遊ぶ、友達になる術が、解った!
「は、あは、あはは、あははははははははっっ」
腹の底から笑いがこみ上がる。
私の結論で間違いはないだろうか。
間違いがないのであれば、それで正しいのならば、風見幽香は――。
後は、あぁ、その条件をクリアするだけだ!
条件は三つ。たった三つだけ。
なるほど、その条件は私自身がルーミアに言った通り、難易度ルナティックだ。
だけど、クリアできない訳じゃない。
訳じゃない……と思う。
カタカタと震える。歓喜ではなく、武者震いで。
大丈夫だよね――両手が塞がっているので、額でリグルについている花粉を取りながら。
塞がっているからだってば。他意はないってば。ほんとほんと。ウソジャナイデスヨー。
……よし、普段の調子が戻ってきた。
「急がないと」
急がないといけない。
風見幽香が、ルーミアやリグルと別れた状態のままでいる事が、一つ目の条件。
時間が経てば経つほど、その確率はどんどん減っていってしまう――「ミスティア・ローレライ」。
「何所に、かしら?……あら」
準備が整ったのだろう、八意が扉の奥から出てきた。
八意は今までと同じ様に私を呼んだけど。
彼女を見上げる私の目は、先程までとは違った。
笑みさえを浮かべ、応える。
「太陽の畑の、風見幽香の所に。
それと、もうフルネームで呼ばなくていいよ」
「……どうしてかしら?」
「私の名前、長いもんね。考える時間を与えるには丁度いい塩梅」
「ふふ。あの時も思ったけど、橙は直感が鋭くて、貴女は頭がいい、賢いわ」
「『かしこい』は止めてくんない?むず痒いから、『さかしい』って言って欲しいな」
「その言葉、本当は『かしこい』よりも上位を意味するんだけど?」
「なんと!?」
「貴女が言いたいのは、『小賢しい』ね」
八意が微笑み、一拍の間が出来る。
「ねぇ、八意。一つだけ、教えて」
「それじゃ、駄目」
「え?」
八意は、私の心境の変化に気付いているのだろう。彼女は、本当の意味で私より遥かに『さかしい』。
「私に何かを求める時は、永琳と呼びなさい」
「……なに、それ?」
「えーりんえーりん、助けてえーりんってね」
さぁ、ミスティア。
「ん。永琳、一つだけ、教えて」
「私が知る事であれば、何なりと」
「私は、あんたや……八雲の紫の――「ししょー!どうかしましたか、師匠!」――られるかな?」
歩いてきた道とは別の方向から、うどんげの叫び声が聞こえてきた。
先程の私の笑い声で起こしてしまったんだろうか。
かなり派手に大声出しちゃったもんなぁ。
質問は届いているようで、八……永琳は私の素っ頓狂な質問に、暫しきょとんとする。
だけど、流石は天才。
すぐに気を取り直し、口を開く。
「それは風見幽香を見立てての事ね?」
「敵わないなぁ」
「一つ、私も確認させて。嘘も誤魔化しも、言葉遊びもいらないわ。それは、何の為?」
私達を微笑みながら眺めつつ、永琳。
こいつ、わかってやがるな。
言葉からもそれは推測できる。彼女は、『確認』と言ったのだから。
「それは、――「れ、鈴仙、寝巻き直して!落ちてる落ちてる!?」――……聞こえた?」
「うどんげ、私は此処よ!カムヒア!ハリーハリー!」
「おぃこら、駄目琳」
ジト目を叩きこむと、少しだけへこたれやがった。
「そんな呼ばれ方、初めて。……あぁ、でも、ちっちゃい子に貶されるのも悪くな」
「お願いだから、なけなしのカリスマを放り出さないで」
「あの子の艶姿を見る為ならば、カリスマなどいらぬわっ!」
「それはまぁ同ぃじゃなくてっ!」
私の叫びに、永琳は目を細め、微笑みながら応える。
……ゆかりんと言い、えーりんと言い、これだもんなぁ。
背筋がぞくりとする感覚を抑えながら、私はその言葉を耳にした。
「そうであるならば、貴女は、例え、私であろうが風見幽香であろうが、負けはしないわ」
多分にリップサービスを盛り込んでの激励であろう。
私が、本気の彼女達に負けない道理など、ある訳がない。
だけど、それで良かった。
条件に、勝ち負けは含まれていないのだから。
「はは、そんな事言うなんて、永琳、やっぱりロマンチストだね」
「そうかしら?信念なのだけど」
「似あわなっ!?」
今度はあっちが視線を叩きこんできやがった。微笑みを浮かべている辺り、すげぇ怖い。
どたどたどた。
二つの足音が近づいてくる。てゐとうどんげだろう。
私と永琳は音の方に視線を向けた。
「はぁはぁ、師匠!なにか――って、ミスティア!?」
「それに、リグル……ぼろぼろだけど、どうかしたのっ?」
目の前の非日常に、二羽は矢継ぎ早に尋ねてくる。
だが、応えるよりも先に、私は叫んでいた。
奇しくも、永琳と同じ事を。
「「寝巻き直ってるー!?」」
あ、やめて、てゐ。
私まだあんたの上司と違って、その視線で悶えれない。
当のうどんげはきょとんとしていた。このらぶりー兎め。
こほん――空咳が、少し蒸し暑い廊下に響く。
「うどんげ、てゐ。
私は今からリグルの手術をするから、ミスティアをルート・ディ・エー・ティ・ティ・オーで外に出してあげなさい」
ディ・エー・ティ・ティ・オー……D・A・T・T・O。
「『脱兎』かよ!?」
逃走経路なんだろうか。
余りにも気の抜けたネーミングセンスに力が抜けそうになる。
ふざけているのかもと思ったので、永琳を睨みつけようとすると、うどんげの声が耳に入った。
「え、あ、でも、そのルートは、師匠と姫様の専用通路で……だから、その」
予想に反して、本当にあるようだ。
しかも、うどんげの様からして易々と部外者が使っていいものではないんだろう。
言いにくい事でもあるのか、ちらちらと永琳を上目遣いで見やる。
助け船を出したのは、彼女の前にすっと立った、てゐ。
「承認が必要だよ。永琳と、姫様の」
なるほど、姫様の手も借りないといけないのか。そりゃ言いにくいわな。
深夜に押しかけて、大騒ぎして、急患まで押しつけて。
これ以上、流石に迷惑をかけられない。
素直に来た道を戻ろう。私は永琳にリグルを預けようと、振り向いた。
「その通りよ。だから」――永琳は、私を見ず、兎達の後ろの襖に視線を向け、頭を垂れた――「承認を頂けますか?」
がらり。
私は勿論、てゐやうどんげまで体の向きを変え、振り返る。
とは言え、其処にいるのが誰かはわかっていた。
ルートの許可を与える者、そして、八意永琳が傅くただ一人の者。
永遠亭の主・蓬莱山輝夜。
蓬莱山は永琳に是非を返さず、静かに此方、と言うよりは……私の方に歩いてくる。
だって、驚きから固まっている私の視線と彼女のソレがかち合ってるもの。
何時からいたの?――そんな簡単な事さえ、口にできない雰囲気。
兎達も口を開きかけたが、蓬莱山に気圧されてか、さっと道を開け、その場で直立不動。
『縁起』や新聞で、彼女の姿は知っていた。
そのどちらにも、彼女は笑みを浮かべ映っている。
正直な所、その楽しげな、或いは朗らかな笑みから、カリスマは感じ取れなかった。
だと言うのに。今、こうして目の前にいる彼女に、私は畏怖を抱かされている。
何かを命じられれば従ってしまいそうな、そんな瞳。
この姿こそが、本当の蓬莱山輝夜なのだろうか。
それでも。私は、自分の意思で蓬莱山と真っ直ぐに向かい合った。
永琳に先を越されたが、まずは私がルートの承認を願うべきだったんだ。
だって、それが必要なのは私なのだから。
何も言わないでいると、てゐやうどんげにまで先を越されかねない。こいつらは、そーいう奴らだから。
「蓬莱山、その、勝手なお願いだけど」
背丈はそれほど大きく変わらないのに、見上げるような感覚を持ちつつ、必死に口を開く。
気がつけば、蓬莱山はもう目の前にいた。
彼女は何も言わず、ただ私の言葉を待ってい……あれ?
その広げられた両手はなんでしょうか?
「急ぐのでしょう、美しい夜雀」
「え、ぁ、うん。うつく……えーと?」
「気にしないで。――早くその子を預けて」
その子、とはリグルの事だろう。
「どの道よりも早く此処を出て」
柔らかく、美しく笑みながら。
「行きなさい、ミスティア・ローレライ」
月の姫君は、私の願いを受け入れてくれた。
「あ、ありがとう、蓬莱山!」
「今更な気もするけれど、寝ている者もいるのだから、もう少し静かに」
「あぅ、ごめんなさい」
「いい子ね。それはそうと、永琳には預けるのに、私には預けてくれないのかしら?」
わたわたと頭を下げると、蓬莱山は、私を早く出発させる為に催促してくれた。
「ぇと、預けたいのはやまやまなんだけど、血……で服が、汚れちゃうんじゃないかなぁって」
永琳の服は黒と赤が基調だった為に目立ちにくい――それでも、申し訳ないが――けど、彼女の服は淡い桃色。
どうやっても喜ばしくないワンポイントをつけてしまう事になるだろう。
毒皿と言う訳ではないが、この際もう一度永琳に預けた方が……。
「そうですよ、姫。さぁ、ミスチー、カマンッ」
うっわ、預けたくねぇ。
いや、だって、あの人なんか荒い息吐いてるよ?
今にもふしゅーふしゅーって擬音が聞こえてきそうだよ?
永琳のアレな様子に半歩後ずさりすると、とん、と蓬莱山にぶつかる。
見上げる……前に、彼女の方が身を屈め、耳元で囁いてきた。
あ、いい匂い。
「永琳には、私が預けて欲しくないの。って、聞いている?」
「聞いてます聞いてます。でも、どうして?」
「どうしてって、別に、その」
……にまぁ。
「……預けるの、預けないの?」
「預けます、姫様!」
「貴女までそう呼ばないでいいわよ。――あぁ、そうだ」
一瞬頬を赤らめた蓬莱山は美しいというよりは可愛らしくて、ご馳走様です。
なんて思っていると、彼女は私に視線を合わせてきた。
黒く綺麗な瞳に見惚れそうになっていると、悪戯っぽい表情を見せて、再び囁く。
「恐らく、だけど。今の貴女なら、ミスティアなら、私にだって、負けはしないわ」
……少し前に、気圧されてたんだけどね。
微笑む輝夜に照れ笑いを返し、広げられた彼女の腕にリグルを預ける。
「ありがと、輝夜!リグルをお願いするよ」
「もぅ、大きな声は出すなと――」
「とりあえず、一番近くの者は起きてしまったようですね」
……え?
「ん、ぅん……みすち、あれ……ここは?」
輝夜の腕の中のリグルが、私を見上げる。
ぼんやりとした色の瞳。普段よりも少し掠れた声。
ざわめく心臓を、笑顔で無理やり黙らせる。
そのままの表情で私は、応えた。
「永遠亭だよ、リグル。それと」
「……ん?」
「行くよ」
「風見幽香と、遊んでくるよ」
声の響きに震えはなかった。
むしろ、楽しみにしている様な感じがして、私自身驚く。
リグルは少しの間、目をぱちくりとさせていたけれど、すぐに笑ってくれた。
「ほんとは、わたしも、いっしょに、いきたいけど。
うん、行って、らっしゃい、みすちー」
少しだけ、永琳と輝夜のリップサービスを信じてみる気になった。
ぶわりっ!
勢いよく両翼を広げる。
そうしないと、私の小さな体から力が溢れ出そうだったから。
「うどんげ、道を間違えないようにね」
「はい、師匠!」
「因幡、夜雀に後れを取らない様に」
「なんとかやってみますよ、姫様」
主達の声に応え、ふわりふわりと二羽は浮かび上がり、屋敷を駆けていく。
私は。
うどんげの促す視線にこくんと頷き。
てゐの挑発する様な指招きに不敵な笑みで返し。
永琳と輝夜に一度ずつ、ぺこりぺこりと頭を下げ。
三度眠りに落ちそうになりながらも見送ってくれているリグルに微笑みを向け。
たんっと板を蹴り、先を行く二羽を追い越しそうなスピードで、翼をはためかせた。
行ってくるよ、リグル、ルーミア!
ルート・ディ・エー・ティ・ティ・オー。
その経路は、滅茶苦茶だった。
いや、『路』と言っていいものかどうか。
幾つかの廊下を右へ左へと曲がり、辿り着いたのは、一室の病室……だったであろう所。
簡素なベッドに点滴台、そして、何かの花が入れられている花瓶。
じっくり観察したわけではないし、ネームプレートが貼ってあった訳でもないが、
それだけあれば病室だったと判断していいだろう。
過去形の理由は、既にその役割が機能していない、期待されていないだろうから。
この部屋は、外側の壁がぶち破られていて、竹林に直通しているのだ。
考えて作られた逃走経路と言うよりは、その場の思いつきで壊したような、そんなお粗末なもの。
清楚な面持ちの在るこの屋敷には全く相容れない、不可思議な部屋。
こんな所が、何故、屋敷の主達の専用通路なのだろうと疑問に思う。
うどんげも同じだったようで、通り過ぎる時、一瞬首を傾げていた。
その中で、てゐだけは興味もないのか、特に何の反応も見せず竹林へと進んでいく。
或いは、彼女だけが、何か知っているのかもしれないが。
どちらにせよ、部外者の私が首を突っ込めるような事ではないだろうと、首を振る。
今、私が考えるべきは、先の条件を満たす方法。
一つ一つのポイントとゴールは見えていると言うのに、至る経緯が果てしなく険しい。
相手が相手なんだ、仕方なしか。
部屋を出て、竹林に突入する。
亭に来た時と同じような空、色合い。
ぱらりぱらりと雨粒が降りかかる。
額に、手に、足に当り弾けるソレに私は顔を顰めさせた。
痛いとか鬱陶しいとかいう訳ではなく、雨の所為で風見幽香が何所かに行ってしまう可能性が浮かんだから。
懸念はそれだけじゃない。
この冷たい水滴は、熱を奪っていく。
それは困る。リグルやルーミアが灯した彼女の熱が冷めていくのは、とても困る。
もし、冷めてしまっているならば、険しい道のりの難易度が更に上がってしまう事とイコールだ。
やっぱり、急がないといけない。
あーだこーだと考えていると、後方から声がかけられた。
「鈴仙、ミスティア、す、ストップ!」
何時の間に追い越していたんだろう。声の主はてゐ。
停止の言葉に、私とうどんげは駆ける勢いを削ぎ、宙に留まった。
私達の速度に合わせようと、かなり無茶をしていたのだろう。てゐは肩を上下させている。
そんなあり様の彼女は珍しい――共に暮らしているうどんげにとっても驚きだった様で、
心配げにてゐの元に駆け寄っていった。
「だ、大丈夫、てゐ?」
「鈴仙、疲れてるだけだから、そんな顔しないで。――ミスティア」
「え、ぁ、何?」
うどんげに寄り添われつつ、てゐは腕を上げ、人差し指で私の更に奥の方を示す。
「真っ直ぐ行けば、もう、竹林から出られる」
「そ、そんなに進んでたの?気が付かなかった……」
「進んでたと言うよりは……うぅん。だけどね、ミスティア」
私の目を真っ直ぐに見ながら。
「私達が一緒に行けるのは、此処まで」
はっきりと、てゐはそう言った。
彼女は少しばかり申し訳なさそうにしているが、私としては十分すぎるほどに面倒を見てもらったと思っている。
だから、礼を言おうと口を開……こうとした所で。
月の兎が異を申し入れてきた。
「ちょっと待ってよ、てゐ!ミスティア、よくわからないけど、あの風見幽香の所に行こうとしているんでしょう?
だったら、私も一緒の方が」
凄いなぁ、風見幽香。箱入り兎にまで知れ渡ってるんだ。
「ふーん、鈴仙はこんなふらふらな私を放っていくんだ。私よりミスティアの方が大事なんだ。ふーん」
「な、何よそれ!?ただ私は、ミスティアが危ない所に行こうとしているからっ」
「……だから、だよ」
ふざけた態度から一転して真剣な瞳を向ける地上の兎に、月の兎はハテナ顔。
だけれども、私にはそのやりとりで十分で。
二人の凸凹な様子に、くすりと笑みを零し、肩を竦めさせる。
てゐがふんっと小さく私に鼻を鳴らし、その後すぐに微苦笑した。
『気付いてやがるな、こいつ』。
「私じゃもうあんたの速さについていけない。鈴仙には行って欲しくない。だから」
一緒に行けるのは、此処まで。
そう続くのがわかっていたから、私は先に口を開く。
ここまでしてくれた彼女に、負い目を感じさせるのは嫌だったから。
「フタリとも、道案内、ありがと!」
「って、話を進めるなぁ!私はまだ行かないとは言ってないもん!」
月兎、意固地になって涙目になる。
隣の地兎に苦笑を向けると、慣れたものですぐにあやしてくれた。
「鈴仙。遠くにヒトリで行っちゃいけないよ。外にはたくさん悪い人がいるからねー」
「だから、あんたは、私を子ども扱いするな!」
「してないってばー。外にゃ嘘吐きも乱暴なヒトもいるんだよ?」
「外じゃなくても嘘吐きはいるじゃないの!それに、私は是でもそこそこ強いんだからっ」
「んー、そうだねー。鈴仙は強い子だもんねー」
「うがぁぁぁぁ!?」
あははーと笑うてゐと地団太を踏むうどんげ。
もう少し見ていたいと思わないではないが、今はそうも言っていられない。
それに、此方にも彼女達についてきてほしくない理由があった。
偶然にも、その理由はうどんげが言っていたのだが。
「ね、うどんげ。私も元から、あんたを、うぅん、あんた達を連れて行けないと思ってたんだ」
「え……?で、でも、私、ほんとに腕は立つよ?そりゃ、ししょ」
「あはは、だから、だよ。私と同じ位なら、一緒に来て欲しかったんだけどね」
私の笑みに、今度は二羽ともハテナ顔。
だけども、そうなんだ。
うどんげもてゐも、強いんだ。少なくとも、私やリグル、ルーミアよりは。
だから、今回に限れば、助太刀を申し訳ないが断らさせてもらおう。
笑う私を見て、てゐが手をひらひらと振りながら、言う。
「なんだかわかんないけど、考えがあるみたいだね。ほら、さっさと行きなよ」
翼を再度広げる私を見て、うどんげが両手を握りながら、言う。
「え、えと、私もよくわかんないけど、そう言う事なら、うん、頑張ってね」
ぶわりっぶわりっ。
「また今度、屋台に来てよ」
両翼を上下に大きく動かしながら。
「輝夜と永琳も連れて。いっぱい、サービスするからさ」
見送ってくれている二羽に、言葉を残し。
「じゃあ、またねっ!」
私は、抑えていた力を解放して、全力で暗い夜空を駆けていった。
《幕間》
「よく寝ている様だけど、麻酔を使ったの?」
「元より消耗していたようなので、少量ですが」
「そ。じゃあ、さっさと始めましょう」
「……えーと」
「貴女をどつかないといけないもの」
「そんな!あの場でリグルんを腕に抱いたのは不可抗りょ」
「そっちじゃないわよ。と言うか、やっぱり気づいていたのね……」
「あ、ぃえ、では、どの件でしょうか」
「貴女は、あの子に、嘘をついたでしょう?」
「嘘、とは?」
「『信念』だと言っていたでしょう?」
「……嘘ではありませんよ」
「じゃあ、真実を伝えていない。貴女が伝えたあの事割は――この世界のシステムなんでしょう?」
「まだ、其処まで断言できませんので」
「どうだか」
「……それと、私が言葉を返したのも、其方ではありません」
「ん?」
「姫様の先程の言い方では、まるで姫様も」
「手を出すわよ」
「お手を煩わせる程、難しい手術ではないですよ」
「だけど、急ぐ。久々に本気の貴女を見れるんでしょう?」
「どうしてそのように?」
「鈴仙にまで道案内を頼んだから。あの子はとても優秀だけど、それでも本気の貴女にはついていけないわ」
「流石です。ですが、だからと言って」
「あら。私はあの子よりも長く、貴女の傍にいるわ。そんなに出来の悪い教え子だったかしら?」
「……私の負けです。姫様、手を御貸し頂けますか?」
「申し出たのは私よ。……それから」
「はい?」
「ふ、二人の時は」
「――では、始めましょう、輝夜」
《幕間》
――ぽつりぽつりと雨が降る。
――向日葵が好きだった。
――幼かった頃、既にどれ程の過去かすらも思い出せない時。
――小さな私の小さな力で咲いた向日葵は、誰も彼もに好かれ、私自身の笑みさえも咲かせた。
――だけど。
――大きくなった私は、向日葵が、少し嫌いになった。
――向日葵は、増え過ぎると他の花とは同じにいられないから。
――そんな向日葵が、私と同じ様に思えて。
――だから、だろう。
――此処にいる時、私は少し、苛立っている。
――少しの苛立ちは、小さな棘の様にちくちくと私を苛み。
――普段ならば構う事もない、か弱いモノ達に手をあげてしまった。
――彼女達は傷つき、血を流し……あぁ、私はやはり、彼女達とは共に居られない。
――ひゅん。風を切る音。
――また、誰か来たのだろうか。
――聞こえてきたのは、声。歌声。
「向日葵ぐるぐる向日葵ぐるぐる~♪」
愛用の日傘を手に携え。
ルーミアと同じ白のブラウス、そしてチェックのワンピースは雨で透け。
リグルと同じ緑の、ショートボブに整えられていたであろう髪はべったりと皮膚にはり付き。
――それでも、風見幽香は此処にいてくれた。
リグルやルーミアが此処を経ってから、もう何時間過ぎただろう。
私が此処に来るまでに、どれ程の時間をかけてしまったんだろう。
空には変わらず雨雲がひしめき、朝を告げる太陽が昇りそうなのかも判らない。
――だけど、幽香は、まだ此処に、太陽の畑の向日葵畑にいてくれた。
勿論、彼女が此処に留まっていたのは、私を待っていた訳じゃない。
その証拠に、此方を振り向いた彼女は、とても冷めた視線を向けてくれた。
あっはっは、こえー、永琳や輝夜と同じ位、もしくは二人以上にこえー。
でも。それで良かった。
細められた目、真一文字に結ばれた口。
愛想の欠片もないその表情に、私は喝采をあげそうになる。
喉から出そうになった喝采を歌に変え、彼女の不機嫌を加速させた。
「向日葵ぐるぐる体当たり~♪ほら、貴女もご一緒に」
そう。条件の一つめは、彼女がルーミアやリグルと別れた状態のままでいる事。
普段の彼女なら見向きもしないであろう、フタリに手を出した精神状態である事。
表情を鑑みるに、彼女は少なからず苛立っているだろうと思う。
つまり、条件の一つめは、クリアした。
「……誰ともわからぬ夜雀と一緒にお遊戯するほど、私は暇ではないの」
「こりゃ失礼。私はミスティア・ローレライ、今日も夜雀屋台は大繁盛♪ってね」
「ミスティア……そう、彼女達の……」
私の名前を聞いた途端、幽香の表情に翳りが入った。
その反応に、私は迷う。喜んでいいのか、焦った方がいいのか。
『彼女達』――リグルやルーミアについて思い出し、変化を見せてくれるのは喜ばしい。
だけど、それで気分を下げてもらうのはいただけない。
彼女には、更に怒ってもらわないといけないのだから。
「そこで人間はスパイシーに焼き上がる~♪」
「ミスティア・ローレライ。貴女のお友達は、今、怪我をしているわ。こんな所にいないで」
「介抱したもん、知ってるよー、向日葵ぐるぐる向日葵ぐるぐる~♪」
「……!だったら、怪我を負わせたのが誰か、教えてあげましょうか」
「――あんたでしょう?」
あちらにしてみれば、此方に動揺を起こさせる最大限の口撃だったのだろう。
だけれど、温い。
笑みを浮かべ、私はカウンターを繰り出す。
「ねぇ、向日葵の様な、風見幽香」
ギンッ。
幽香の瞳に力が籠り、険しくなる。
あぁ、思ったとおりだ。
リグルやルーミアが、彼女から、より平静を奪い取ったのは、向日葵と彼女を結びつけたから。
そして、彼女の二つある思い違いの一つも、是で確定した。
此処でそれを口に出せたら、どれだけ彼女の平静を崩せるだろう。
でも、まだ駄目だ。
挑発めいた、いや、挑発そのものの表情と言葉にも、彼女は睨むだけで何もしてこない。
それじゃ、駄目なんだ。
「仇打ちにでも来たの?止めておきなさい」
まぁ、そう考えるわな。
心の中で同意しつつ、すっと顔を下に向け、苦笑を相手に見られないようにする。
苦笑の理由は彼女の言葉。
冷たい響きに隠された、温かい呼び止め。
ねぇ、幽香。暇じゃないんなら、私なんかさっさとのしちゃえばいいんだよ。
あんたには、きっとその力があるんだから。
それができないあんたは、あぁ、思ったとおり、やっぱり、優しい臆病者。
不穏を感じ取らせる前に、私は顔をあげる。
幽香の顔色が変わる。
険しいだけでなく、此方を危ぶむ様な警戒の色。
どうやら、私は月の主従の笑みを真似られているようだ。
「違う違う。そんなのは考えてないよ」
「じゃあ」
「ま、出来なくもないと思うけどねー」
「……なんですって」
「お優しいあんたにゃ、私を攻撃できないんじゃないのー?」
「私が優しい……?戯言をっ!」
「証拠はあるんだけどねぇ。ま、ともかく」
リードは取らせない。
幽香は他の大妖と同じく、本当なら私よりも遥かに頭が回るんだろう。
立ち直すきっかけを与えない為にも、私は叩きこむ様に挑発を撃ち込んだ。
唇の端を、にぃと吊り上げながら。
「まだ気付かないんだ。――遊びに来てやったんだよ、風見幽香」
シュッ。頬の横を、弾が、弾幕が通り過ぎる。
散々挑発を繰り返した結果が、やっと少し実った。
通り過ぎたソレを横目にちらりと見た後、ゆるりとした動作で幽香に視線を向ける。
彼女は右腕をあげ、その動きに呼応するように、幾つもの妖気の塊が形作られていく。
私が笑ったのが先か、彼女が閉じた拳を広げたのが先か。
風見幽香の、最強の一角を担う妖怪の弾幕が、私に迫りくるっ!
「あはははははははははっ」
「黙りなさい、夜雀っ!」
声を荒げているのはあちらだが、より必死なのは私。
大声で、幽香に届く様に笑っているが、私はそうしつつも弾幕を凝視していた。
向日葵の花を模った大きな弾と、棘を思わせる小さな弾。
当ってまだマシなのは、やっぱり、小さい方だろうか。
どっちにしろ痛いだろうなぁ、弾が届く前に一瞬苦笑し、気を引き締め直す。
真っ直ぐに飛んでくる大弾を身を捻ってかわし。
斜めに向かってくる小弾をじぐざぐに動き避ける。
小弾に関しては、一度避けさえすれば暫く流れに合わせていれば良さそうなのだが。
私はそれをよしとしない。
幽香をもっと怒らせる為、大きく笑いながら、大きく大きく動き回る。
二つ目の条件を提示させる方法を、避けながら考える。
あれだけ手を出しやすい様にしたって言うのに、それでもまだこの弾幕は綺麗だ。
真っ直ぐと斜め――規則的な流れを保っている。
これじゃまだ、駄目なんだよ。
考える時間を稼ぎたかったから、私は一旦、地上すれすれを飛ぶ事にした。
弾幕を避ける為じゃない。
思考中の難しい顔を、幽香に見られたくなかったからだ。
「隠れても、無駄よ!」
「あはは、そりゃまぁ声出して笑ってるんだから、当然じゃない!」
「このっ、向日葵に抱かれて、墜ちなさい!」
それは花の事?
それとも大きい弾の事?
それともそれとも――「あっはっは、89のDに抱き締められるんなら、悪かないけどね!」
「何の話を……っ」
「あははははははははっ」
軽口を飛ばしながら、私自身も勢いよく飛ぶ。
飛んで、避けて、飛んで、かわして、飛んで。
集中力だけは切らさない様に注意しつつ、私は笑いながら考え続けた。
一分か、十分か、一時間……は言い過ぎか。
時間の感覚があやふやなのは、変わらない空と、同じ事を考え続けた所為であろう。
笑い声がそろそろ辛くなってきたんで、ある程度は経っていると思うんだけど。
あっちも少しは疲れてくれていると嬉しいんだけどなぁ。
「この、逃げ回ってばかりで……っ、いい加減――」
痺れを切らしているみたいだから、ある程度は疲れているのかな。
迫りくる弾幕をかわしつつ、自身を鼓舞する為に低く笑い。
私は、流れ弾に注意しつつ、急旋回して上空に身を躍らせた。
うぁ、頭がくらくらするぅ。
「いい加減、出てきてあげたよ」
目を閉じて状態を戻したかったが、あくまで余裕の表情は崩しちゃいけない。
それがはまったのか、急に飛び出て来た私を警戒したのか、幽香は弾幕を放つ手を一旦弛めた。
うんうん、弾幕は止めちゃいけないよ、幽香。
それが、私が思いついた、二つ目の条件を引き出す為の一歩なんだから。
「何を考えているか知らないけれど、」
「――ルーミアはさ」
「は?」
リードは取らせないってば。
私の口から飛び出した単語に、幽香は訳がわからないといった表情を見せる。
しかし、弛んだ面持ちも一瞬。
すぐに顔を険しいものに変え、詰問するように尋ねてきた。
「ルーミア……最初に声をかけてきた、闇の子ね」
「へぇ、よく知ってたね」
「あの子達が名乗っていたもの」
オゥシット。
当然と言えば当然な理由だが、思いつきもしなかったその答えに、私の態勢が少し崩れる。
すると――シュッ――布を、弾幕が裂く音。
散漫になりそうだった意識をかき集めた。
危ない危ない、こんな痛そうなのに当たるのは、予定の二回だけでいい。
「そう、そのルーミア。
あの子はさ、少し前まで、ふわふわ飛んで、時々食べて、極稀に弾幕ごっこして、寝てただけだったんだ」
『それがどうかしたのか』。
幽香は私の口上を、聞く耳持たずと言った風に、再び弾幕を強めようとした。
せっかちさんめ、話は最後まで聞いて欲しい。
もっとも、至る動作は変わらないだろうけど。
「友達と遊ぶ事もなく、ヒトリでね」
ぴくりと、幽香の眉が上がる。
「……それが、どうしたと言うの?」
「別に。勿体なかったと思うけど、ルーミア自身はそう感じていなかったんだから、可哀そうだったとも思わない」
「『少し前』を『勿体ない』と思うんなら、こんな所で油を売ってないで、その子の元に帰ってあげなさいよ」
どこまで優しいんだ、あんたは。
柔らかくなりそうだった笑みを無理やり押し込め、私は、口を開く。
「私がそう思うのは、あんただよ。向日葵の様な、風見幽香」
幽香の周りに作り出されていた弾幕が消える。
弾幕だけじゃない、表情までが、数瞬、掻き消える。
私の言葉を理解し、そして、向けられた視線は――墳怒。
「なん、ですって……」
「ルーミアは、さっきも言った通り、誰かと遊ぶ事も、その楽しさも知らなかった。
でも、幽香、あんたはルーミアとは違う。
あんたは、誰かと遊ぶ事も、その楽しさも知っている。知っていて、それでも、ヒトリだ」
「何を、馬鹿げた事を……」
「馬鹿げた?事実なのに?」
「私の心が、貴女に読めるとでも」
「だったら!ルーミアとリグルがあんたに会いに来た時、何故、あんたは悲しそうな顔をしたんだ!」
博打だなと思いつつ、言葉を叩きこめる。
「妬いたんでしょう?羨ましかったんでしょう?フタリでいる、ルーミアとリグルが!」
首を横に振られれば、済む話だった。
否定されれば、それで終わりだった。
普段の、フタリと会う前の幽香ならば、恐らく、そうしただろう。
だけど。
幽香はそうしなかった。そうできなかった。
ただ、全身に漲り宿る彼女の妖気が、私に対する反応。
あぁ、優しい臆病者。
まだソレを放つ事を躊躇しているの?
だったら、その躊躇いを、消してあげる!
「そうでしょう、そうなんでしょう、幽香!」
なじる様な言葉を叩きながら、企みを気取られない様注意しつつ、ゆっくりゆっくり後退する。
後、5メートル。
幽香が、感情のない――読めない表情で、私を見上げる。
後、4メートル。
瞬間、幽香の顔色が変わる。
後、3メートル。
「ミスティア、」
後、2メートル。
「あはははははは、それと、リグルだけどっ」
後、1メートル……!
「流れだ――!」
ばぁぁん。
あぁ、弾幕が頭に直撃した時って、こんな音がするんだ。
ピチューンじゃないんだなぁ。
鈍い音に遠のきそうになる意識。そんな中、くだらない事を考えた。
だって、この弾に当たるのは、予定した事だったんだから。
目を見開いている幽香に聞こえるよう、わざと大声で。
自身の声で頭が揺られ、更にくらくらとするんだけど。
私は、さも何でもない事の様に乱れた髪と落ちそうになる帽子の位置を戻しながら、畳みかける。
「リグルだけどさ。これ位で、傷ついちゃうんだから、か弱いよねぇ。
それに、そん時撃ったのって、ルーミアに向けた威嚇用だったんでしょ?
あんた、驚いたんじゃない?リグルが突然飛び出てきてさ。
わざわざルーミアの体の輪郭を模ったのに、彼女よりちょいと大きなリグルじゃ当たっちゃうもんね。
お優しい幽香さんの誤算かなぁ」
幽香が放った弾幕は、しかもご丁寧に、少し位ルーミアが反応して動いても当たらない様な間隔だった。
その間隔が、リグルの傷が不自然なまでに体の外側だけだった理由。
嘲る口調とは裏腹に、心の中で思う
あぁ、あんたは本当に優しい臆病者。
「ま――この程度、まぁだ水滴の方が痛い位だよ」
にぃ、と口の端を吊り上げる。
強がりもいい所だ、ほんとはすげぇ痛いんだから。帽子を戻した手で思いっきり摩りたい。
あぁでも摩ったら摩ったでやっぱり痛いかなぁ。
あーぁー、痛い痛いと思ってたら余計に痛くなってきやがったこん畜生!
緩められた、しかも流れ弾で、この威力。
ついでに言うと、私はインパクトの瞬間に全意識を被弾するであろうコメカミへと集中させていた。
橙に借りている幾つかの漫画のどれかに、そうすると一時的にだけど防御力が上がると載っていたのだ。
ありがとう、慧音先生!仰る通り、漫画が教科書に変わりました!漫画の兵士と違って、頭が吹っ飛ぶかと思ったけど!
「この程度……ね」
――私の余裕の表情と台詞が、幽香の冷静さ・賢明さ・優しさを奪った。
幽香は、私に向けて笑む。
ぞくぞくと背筋が騒ぎ立てる類の笑み。
『最強の妖怪』風見幽香の、笑い。
漸く、二つ目の条件がクリアできそうかな。
彼女と違って、見せかけだけの笑みを作りながら、そう思った。
恐ろしい程の妖気が彼女を中心にして渦巻く。
触れただけでばらばらになりそう、なんて碌でもない事を考える。
私は、アレを――「墜ちなさい、夜雀」。
頭を振る。
悲惨なイメージを追い出し、悠然とした態度を取る。
身構えるのは、彼女がソレを放った時だ。
そうして、幽香は右手を広げ、一枚の札を取り出し……え!?
「す、スペルカード!?」
「幻想‘花鳥風月、嘯風弄月‘っ!」
「そうじゃな――!?」
そうじゃない、スペルカードじゃ駄目なんだ!
力をある程度平等にする事がシステムの、スペルカードルールじゃ、意味がないんだ!
私が散々あんたを挑発して、怒らせたのは、あんたに本気の一撃を放って欲しかったから!
それが、条件の二つ目なんだ!
だと言うのに、あんたは、この期に及んで力を抑えて。
それじゃ駄目なんだよ、幽香。
それじゃあ、まだ、あんたを笑わせられない。
あんたの、ルーミアが望んだ、綺麗な、向日葵の様な笑顔は咲かせられない!
硬直は一瞬だった。
叫びにも似た思考も、一瞬の筈だった。
だけど、現実はそうじゃなかった。
ひどくゆっくりと。
私の周囲に、小さな弾幕が張られたのを体が感じる。
ひどくゆっくりと。
視界の隅に、向日葵と同じ色をした丸い弾幕が入ってくる。
ひどくゆっくりと。
幽香を中心にして、その弾幕が回る。
ひどくゆっくりと。
回る黄色い弾幕は、私を直撃するだろうなと予想した。
動かない体と、動き過ぎている頭に、私は納得した。あぁ、私の無意識は、感じているんだ。
死を。
スペルカードを前提にした弾幕ごっこは、危険が少ない。
だけれど、少ないだけで、怪我をする事だってあるし、四肢が持っていかれる可能性だってある。
そう、だから、何のガードもしていない今の状況であれば、そういう結論に思い至っても納得できた。
後、5センチ。
あぁ、こんな事になるなら、屋台の経営なんて無視して。
後、4センチ。
リグルに、買ってあげればよかったなぁ。
後、3センチ。
あは、こんな時でも、思い浮かぶのはリグルなんだ。
後、2センチ。
――弾幕の風圧だろうか。後方からの風を感じる。
後、1センチ。
――右の視界を弾幕が覆う。
後、……。
――左の視界に入るのは、幽香の哀しそうな、何所か泣きそうな顔だった。
痛みは感じなかった。
流れ弾が当った時の様な音もしなかった。
その代わりに、私が感じたのは、私に聞こえたのは。
柔らかい腕の感触と、もっと柔らかい響きの声。
「遅れてごめんね、ミスチー」
あ……はは、さっきとは逆になっちゃったね。
「だ、大丈夫、ミスチーっ?」
大丈夫、じゃないよ、だって、痛くもないのに、涙が溢れそうなんだもの。
「リグル、ルーミア……寝てなくて、いいの?」
フタリは顔を見合せて、すぐに、笑いながら、言った。
「「だって、幽香と、遊んでいるんでしょう?」」
ぐしぐしと両目を拭い、リグルの腕からすっと離れる。
どんだけ永琳頑張ったんだよ、とか。
私、意外と長く粘れてたんだなぁ、とか。
後ろからの風はリグルが運んできてたのか、とか。
色々浮かんだけど、とりあえず。
「うん、来てくれてありがとう、フタリとも!」
此処に来てから、初めて素直な気持ちを口に出した。
と、笑顔の私にフタリは悪戯っぽい笑みを向けてくる。
なんだその笑い方、まるで私の言葉に嘘がある様な――「仲良しこよしと……散りなさいっ」――って!?
空気読め、幽香!うわ、また弾幕が迫ってき……た?
幽香の放った弾幕が、別の、赤と青の弾幕に弾かれる。
「因みにサンニンでもないよ、ミスチー!」
「橙!?え、どういう」
次の弾幕を作ろうとする幽香の前に、無数の青い柱が降り注ぐ。
青……いや、違う。ソレは透明だ。
だけど、ソレは、放った彼女のイメージと重なって、青に見えた。
あぁうん。あんたは、オイしいとこ持ってくよね。
「あたい、さいきょー!」
は、はは、あははははははははは。
「もぅ、何がさいきょーだよ!此処まで私が運んできてあげたんじゃない!」
「だって、この時期は暑いから飛びたくないんだもん!」
「雨降ってるんだから何時もよりは涼しいでしょう!?」
ぐしぐしぐしぐし。
「ちぇん、どうして、チルノを連れて此処に?」
「あ、えと、うどんげとてゐが『私達は断られたから、貴女とチルノに行って欲しい』って」
「それだけで、こんな遠い所まで、来てくれたんだ」
「ミスチーにさ、永遠亭で別れる前にあぶなっかしい雰囲気があったからね。……邪魔だった?」
「冗談。来てくれて、ありがとう」
ぐしぐしぐしぐし。
「チルノ、あんた、湖から離れて大丈夫なの?」
「ふふん、あたいはさいきょーだから大丈夫よ。それに」
「ん?」
「お姉ちゃんに来る前に力貰ったもん」
「え、大ちゃん、そんな事出来るの?どうやって?」
「口と口をくっつけて、ぺろぺろっと妖力を」
「よーしわかった、後で詳しく!」
ほんとは、出来ればヒトリでなんとかしたかった。
んだけど、やっぱり私にゃちょいと厳しそうだ。
うどんげやてゐじゃ強過ぎる。
でも、皆なら、リグル・ルーミア・橙・チルノなら、問題ない。
こんなに勢揃いするなら、いっそレティにも来て欲しいなんて、無理な事を考えた。
リグル、ルーミア、橙、チルノ――「皆、ありがとう」。
チルノは口の端を吊り上げ。
―橙は照れ臭そうに笑み。
――ルーミアは無邪気に笑い。
―――リグルは、優しく微笑んだ。
「皆、今からするのは、下手すると怪我しちゃうかもしれなくて、最悪――」
死んじゃうかもしれない。
そう紡ごうとした口は、長く細い人差し指を押し当てられて黙らされた。
指の先を見上げると、リグルが微笑んだまま、首を横に振る。
お嬢さん、こーいう時は口で塞ぐもんだよ――軽口を咄嗟に叩けない自分に、内心苦笑した。
「命がけの遊び、なんでしょ?」
リグルは私の続く言葉がわかっていたんだろう。
だから、言葉を少しすり替えた。
それだけだと言うのに、私に再び火が灯る。
でも、それは私だけの話だ。
皆……リグルを除くサンニンにも、ちゃんと説明しないといけない。
どうして、私が幽香を怒らせてまで弾幕を撃たせたのかを。
幽香に望んだ行動、つまり、二つ目の条件を。
そして、その先にある三つ目の条件を。
リグルの指をそっと外し、サンニンを視界に入れる――と。
彼女達は、彼女達の笑みで、私を見ていた。
「何時も通りじゃない。ま、最後に立っているのはあたいだけどね!」
……チルノ、毎度そう言ってるけど、防御が下手だから結構な割合で最初に墜ちてるじゃない。
「最強の式の式が、友達を残して逃げる訳にはいかないよ。藍様に怒られちゃう」
あはは、橙になにかあったら、私が怒られるどころじゃないと思うなぁ。
チルノと橙は、言い終えると共に右拳を突き出した。
帽子のつばを左手で引っ張りながら、私も彼女達と同じ様に右拳を突き出す。
――馬鹿、こんな時に、泣かせないでよ、フタリとも。
私と合わせる様に、すっともう一本、腕が添えられる。
「その帽子じゃ、顔にかかる雨は隠せないよ」
偶には格好つけさせてくれてもいいじゃない、リグル。
一瞬拗ねた表情になった自分に対して小さく笑い、すぐに目を開き、伸びてきたもう一本の腕を見つめる。
白のブラウスは雨と土と、浴びた血で汚れていて。
だけど、何の躊躇いもなく、彼女の腕は突き出される。
「んとね、みんな。
ミスチーはさっき、みんなにありがとうって言ったけど、それを本当に伝えなきゃいけなかったのは私なの。
私が、幽香と遊びたいって、友達になりたいって……そう思ったから」
いや、躊躇う筈がないんだ。
彼女が、望んだ事なんだから。
彼女だけが、最初から『向日葵畑の風見幽香』を恐れなかったのだから。
ね、ルーミア。
「それで、リグルは怪我をして、ミスチーもふらふらになって、橙やチルノも――」
あぁ、さっきの皆の笑み、リグルが指で私の口を止めた気持ち、こんな感じなんだろうな。
ルーミア、貴女の言いたい事、伝えたい事、わかってるよ。
だから。
「そんなに長い前口上はいらないって。だって、ただ単にさ」
「遊ぶだけだもんね。それだけ」
「そうそ。ぱっと言っちゃおうよ」
「ほら、ルーミア。誰とどうしたいか、あたいに教えて!」
暖かい水滴が、ルーミアの頬を伝い。
流れ落ちる頃には、笑顔になっていて。
彼女は、こくりと頷き、右手を広げ、言った。
「皆で、幽香と遊びましょう!」
パァンッ!
私達が互いの手を合わせたのと。
幽香がチルノの撃った氷の檻を全て破壊したのと。
そのタイミングは、笑いがこみ上げてくるほどに、同時だった。
「遊ぶ内容は『ごっこ遊び』!――時間がないから、とりあえず私についてきて!」
ちらりと視界に入った幽香は、妖気のリロード中。
彼女の事だからものの数十秒で溜め終わってしまうだろう。
そう思ったから、私は早口で言いつつ、空を上に駆けた。
皆は一瞬顔を見合せ、すぐに空に昇ってくる。
『ごっこ遊び』、ちょいと子供っぽいが、まぁ構うまい。
このテンションなら、きっと何時よりも楽しく遊べる筈だ。
加えて、細かく説明する猶予もないのだから、此方側の皆に共通知識のあるソレは手っ取り早い。
何より、もう一度、幽香に激怒してもらわないといけないのだから。
声を張り上げれば、ぎりぎり地上に届く範囲。
そのポイントまで昇り、私はくるりと振り向く。
リグル、ルーミアが少し手前の左右に。
橙、チルノが更にその手前、同じく左右に。
その遥か下、地上には、妖気を渦巻かせる幽香が立っていた。
私達を見上げる幽香と幽香を見下ろす私の視線が、ぶつかる。
にやりと強がりの笑みを浮かべる。
今しがた破壊した氷よりも冷たい視線を向けてくる。
いいよ、その調子だ。
「幽香ぁ!」
――私は叫びながら、右腕を上に伸ばし、その人差し指で天を指した。
「今、私達は、太陽と共にある!」
……決まった。すげぇ決まった。
「あの、それ、微妙に台詞間違ってない?」
ちっちっち、ルーミア、是は伏線なのだよ。
「小雨だけど降ってるし、太陽、見えてないし」
だぁら伏線なんだってば、リグル!
「あー!それ、嫌いだって言ってるのにー!」
ごめん、橙、この際無視。
喚き立てる皆を黙殺しつつ、私は言葉を続けた。
「いい、幽香。太陽は、私達!
幽香、あんたは何で、私達を見上げる!?
あんたは強いんだから、最強なんだから、見下せばいいんだ!
怖いんでしょう?羨ましいんでしょう!私達が!一緒に遊べる私達が!
ねぇ、向日葵の様な風見幽香!
知ってる?向日葵は、太陽に恋い焦がれるのよ!
だから、向日葵は、自然と太陽の方に向くの!
丁度、今のあんたと私達と同じ様にね!」
よぉっしゃ、噛まずに言い切った!どうよ、豆知識も絡めてのこの啖呵!?
「私、闇の妖怪……」
「単に私達の方が上にいるからだよねぇ」
「もう、昨日も言ったけど、最強は紫様だってば!」
シ、シャラップ!泣くぞこの女郎ども!?
胡乱気な視線をちらちらと投げかけてくるサンニン。
空中で崩れ落ちそうな私に、今までただヒトリ何も言わず聞いていてくれたチルノが振り向く。
あぁ、あんたなら、今の台詞の素晴らしさをわかってくれるよね!?
「向日葵が太陽の方に自然に向くのって、成長しきってない時だけだよ?後は基本的に動かない」
「チルノに諭されたー!?」
「お姉ちゃんが、寝物語に教えてくれたの」
「ピロートォォォォク!?」
「?お昼寝の時だけど?」
「あぁ、そぉだろうね、そうだろうともさ!」
幽香の攻撃に勝るとも劣らない味方の口撃に、私の心は折れそ――!?
此方を振り向いている、幽香に背を向けているチルノに、出鱈目な速さの弾幕が降り注ごうとしていた。
幽香は、私が言葉を向けている時も、妖力を溜めていたんだろう。
でなければ、あんなに器用な弾幕はそう練れない筈だ。
速く、大きく、しかし迫るのを誰にも感じさせない。そんな弾幕。
弾幕に、前方に極端に集中した意識を向けたから。
そこそこに高度差があるにもかかわらず、幽香の口の動きが捉えられた。
その呟きを頭の中で再生したのと、チルノに向かって叫んだのは、ほぼ同時。
『ヒマワリニ、シテアゲル』
「チルノ、危ない!?」
チルノに声が届いたのと、彼女が弾幕に振り向いたのも、ほぼ同時。
私は声を張り出すしかできなくて。
リグルとルーミアは動きだそうとしたけど。
橙が咄嗟に放った、弾く為の弾幕でさえ、届かない。
振り向いたチルノは。
防御陣を展開する余裕もなく。
ただ呆然と、自身に幽香の弾幕が降り注ぐのを、眺めていた。
ぱぁん。
乾いた音が、耳に反響する。……『乾いた』?
私に当った幽香の弾は、流れ弾だったと言うのに、もっと鈍い音をさせていた筈だ。
直撃すると、こんな乾いた音になるんだろうか。
だけど、その割には、チルノが全く動かない。
弾幕に当たっていたなら、多少なりともよろける筈だ。
辛うじて防御陣を作り、防いでいたとしても、その後に呆然としているのはおかしい。
おかしいのはチルノだけじゃない。
幽香も、何が起こったか理解できないと言った風情で立ち尽くしている。
いや……あり得ない事を目の当たりにした様、と言うべきだろう。
彼女の眼は、見開かれている。
起きた不可思議な事象はともかく、幽香の表情には、もっともだと思わないでもない。
一夜のうちに、二度も直撃した筈の弾幕が、ダメージをほとんど与えていない様に思っているだろうから。
いや、私に当ったのは痛かったんだけど。今も小雨が当たるだけで、ずきずきとしてるんだから。
思い出した事により疼きだしたコメカミをさっと摩る。
指に触れた水滴は、思っていたよりもずっと冷たかった。
まるで、雪の様に。
「え……?」
不可思議な事象を、感覚が察知する。
あり得ない事を、頭が理解し始める。
そして、呆然としたまま、両手を広げる。
手に触れて、暫く留まり、溶けてゆく、雪。
私とリグル、ルーミア、橙、そして、幽香までもが、天を見上げる。
視界にちらつくのは、今の時期に降らない、降る筈もない、白い白い雪。
何時の間にか、小雨は、冷たく、だけど、儚く優しい雪に変わっていた。
「………だ」
ヒトリ、下を向いていたチルノが何かを呟いた。
「助けて、くれたんだ」
何か。違う、誰か。誰?わかっているじゃないか。
私達の中で、誰よりものんびりしていて。
寒気を操るのに、言動はどこかほんわかとしていて。
今は、誰も知らない所で眠っている筈の、冬の妖怪。
「レティが、雪の結界で助けてくれんだっ!」
あぁ、奇跡だ、出来過ぎている、あり得ない。でも。
「もう、完璧だ……!」
『ごっこ遊び』の台詞。
だけど、込めた思いは、言葉そのもの。
状況も、状態も、是以上望むモノはない。
リグルもルーミアも、橙もチルノも頷き、幽香に視線を送る。
「幽香、……来いっ!」
幽香が、瞳を閉じる。
この場の音が全て掻き消える。
痛いほどの静寂が、世界を覆う。
「少しだけ――」
静寂が破られる。
この場の全ての存在が震えをあげる。
幽香が、瞳を開く。
「――本気を、出してあげる」
漸く。漸く、二つ目の条件にまで、辿り着けた。
後は、その本気の一撃を――「皆、防御に集中して!」――受け切るだけだ!
幽香が手に携えていた日傘を開いた。
無造作に、その先端を上空の私達に向ける。
途端――大地を揺らす轟音が、鳴り響く!
音にさえ破壊力がある幽香の一撃はまさしく彼女の妖力そのもの。
スぺルカードルールの下での攻撃と違い、其処には一切の技巧が含まれていない様に感じる。
だと言うのに、迫りくる妖砲は美しかった。
妖砲の勢いに、私達をやんわりと包んでいた雪が弾け飛ばされていく!
あはは、あははははは、強い、強過ぎる!
防御陣を展開させていて、なお、その威力に体が吹き飛ばされそうだ!
是が、風見幽香の本気。彼女がヒトリでいる理由。
だけど。
体は揺られているし、碌に動く事も出来ない、反撃なんてできる訳もないけど。
私達は、彼女が『弱い』と言って避けた私達は、誰ヒトリまだ墜ちちゃいない!
ふわり。
幽香がゆっくりと此方に昇ってくる。
大出力の妖砲を放ちながらも、その佇まいは驚くほど軽やか。
歴然とした力の差に、今更ながら舌を巻く。
ふわりふわり。
距離が近づくにつれ、その圧迫感が増す。
気を抜くと、即座に弾き飛ばされてしまいそうだ。
……圧迫感?――!違う、それだけじゃない、威力自体が増しているんだ!
ふわりふわり、ふわり。
「橙、チルノ、気をつけて!」
「うぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「にゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」
畜生、間に合わなかったっ!
前にいた、向かってくる幽香に一番近かったフタリが、絶叫をあげ、地上に落下していく。
駆けよりたいという意思は、妖砲の轟きに押し潰される。
私の前にいるリグルやルーミアも、身動きすら取れない。
ぼふっ。
轟音の中、微妙に間の抜けた音。
多分、フタリが地上に激突した際のモノだと思うのだけど。
激突と言うよりは、何かクッションの上にでも落ちた様な……あ。
向日葵だ。辺り一面に広がる向日葵が、衝撃を吸収したんだ!
そうなってくると……はは、このまま妖砲に晒され続けた方がダメージは大きそうだ。
苦笑を浮かべ、幽香の方に視線を集中させる。
あちらは日傘を向けているので、その表情は見えない。
ねぇ、幽香。あんたは今、どんな顔をしているの?
「フタリ、墜ちた。貴女達も、早く墜ちた方が楽になれるわよ?」
距離はまだ、ほどほどに開いている。けれど、彼女の凛とした声は、はっきりと耳に響く。
ねぇ、幽香。
あんたはほんとに言葉通りって、わかっていたんでしょう?うぅん、わかってない筈がないよね。
あんたは私なんかより、きっとずっと頭がいいんだから。
そんな思いを口にする前に、もう一つの声が耳を打つ。
「墜ちないよ……っ、まだ、墜ちない!」
かなり無理がきているんだろう。
言葉の端々が震えている。
だけど、彼女の震えは、喜びのソレにも聞こえた。
声の主は、ルーミア。
「やっと、やっと、幽香が遊んでくれてるんだもの!まだ、私は遊び足りないもの!」
「……わからないわ。何故、そうまで頑張れるの?」
「何故って……幽香と、貴女と遊んでいるんですもの!」
「だから!……それが、わからないと言っているの。何故、そうまでして、私と」
「誰かと、貴女と遊ぶのに、理由がいるの!?」
まるで、聞き分けのない子供の言い分。
はは、でも、幽香、今の言い合いはあんたの負けだ。
即座に言葉を返せない、日傘に隠されたあんたの表情が見える様だよ。
苛立って、険しくて、怒って……泣きそうな、あんたの顔が。
「……埒が明かないわね。もう、いいわ」
答えを返せないまま、幽香は応えた。
恐らく、それが逃げだとわかりながら。
「貴女も、墜ちなさい」
ふわりふわり、ふわり――ひゅっ。
一瞬にして、間が詰められ。
その分だけ、妖砲の威力は増し。
三番目にリグルが、四番目にルーミアが。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「う、ぁ、まだ、まだぁ……くぅ、あぁぁぁぁぁ!?」
弾き飛ばされ、墜ちていく――「り、リグルっ、ルーミア!」
ぼふ、ぼふんっ。
幽香が妖砲を放ってから、1分か2分。
たったそれだけの時間で、ヨンニンが墜ち。
上空に残ったのは、私と幽香のフタリだけ。
吹き荒れる暴風に、叩きこまれる妖砲に。
両翼はもがれそうで、四肢も吹き飛んでしまいそう。
悠然とした幽香の佇まいに、心さえも折れてしまいそうだ。
支えてくれたのは、墜ちていったルーミアの表情。
悲しそうで、切なそうで、悔しそう。
うん、ルーミア。もっと、遊びたかったんだよね。
でも、大丈夫。私が残ってる。この妖砲が絶えるまで、残ってみせる!
「言っておくけれど」
まるで、私の心を読んだかのように。
「終わりがあると思わないでね。ミスティア・ローレライ」
幽香は、絶望を叩きつけてくる。
支えてくれたのは、続く幽香の言葉。
「最初から言っていたでしょう。貴女達とは遊べないって」
く、は、はは、あははっ!
「それは、あんたが、『向日葵畑の風見幽香』だからっ?」
「……そうよ。私は向日葵。だから、貴女達とは遊べない」
「はは、あはは、あはははははははははっ」
彼女は言葉を切り返したつもりだったんだろう。
私を早く墜とす為に、殊更、無情な響きで。
けれど、彼女の意に反して、私は風に流されそうになる翼をぴんと伸ばした。
「向日葵は、増え過ぎると、他の花といられない」
「その通りよ。だから」
「強くなり過ぎたあんたは、他の妖怪と、私達と、一緒にいられない」
「わかっているじゃない。賢い夜雀」
「だったら、ねぇ、ミスティア・ローレライ。早く、墜ちなさい」
そう告げてくる幽香の表情は、相変わらず見えないけれど。
煩く鳴る風の所為か、今にも弾き飛ばされそうな私自身の所為か。
耳に届いた彼女の声は、震えているように感じた。
「だけど!だけど、ねぇ、風見幽香!」
早く墜としたいなら、近づいてくればいんだよ。
もう、私の全身はふらふらなんだから。
それが出来ないあんたは、あぁ――やっぱり、優しい臆病者。
ゆらりゆらり、ゆらり。
「あんたは、一輪の向日葵であっても、向日葵畑じゃない!」
ゆらり、ゆら……。
「綺麗に美しく咲く向日葵であって、他と一緒にいれない向日葵畑じゃ、ない!」
「だから、寂しそうに、ヒトリでいる必要は、ないんだよ!」
ゆ……。
それが、彼女の、二つの思い違いの一つ。
私達だけでなく、彼女自身が、そう思い込んでいた。
ルーミアただヒトリを、除いて。
そして、もう一つの思い違いは――。
ゆらり、ゆらり。
「だから、何だと言うの」
「だから!」
「それは所詮言葉遊び。事実、弱い貴女達は、私と共にはいられない」
突き付けられた言葉をはぐらかし、幽香は静かに言ってくる。
――もう一つの思い違い、いや、思い違いと彼女に認識させるのは。
彼女の、幽香の本気の一撃を耐えきり、『危なくて怖い』、そう思っている彼女自身を諭す事!
そうして、それが、幽香と遊ぶ、友達になる、最後の条件!!
ゆらり、ゆらり、ひゅっ――「貴女も、もう、墜ちなさいっ」
「ぅ、ぁ、うぁ、ぐ、あぁぁぁぁぁっ」
幽香の跳躍により、すでに彼我の距離はほとんどなくなった。
張り上げなくても声は届くだろう。
とりとめのない事を、心さえ根元から折れて吹き飛ばされそうな妖砲の中、思う。
幽香が私達を避けるのも、わからないでもない。
ふとした拍子に弾幕が飛び交う幻想郷。
思慮深い彼女でも、私達と混じればつい撃ってしまう可能性もあるだろう。
彼女は、それを恐れている。
実際は散々挑発をされてからでしか、弾幕を使わなかったのに。
だから、彼女は、優しい臆病者。
「ぐぁぁ、く、うぅぅぅ、ああああああ!」
悲鳴なんてあげたくない。
痛みによる絶叫なんて聞かせたくない。
でも、あぁ、ちくしょう、無理なのか。
「もう、墜ちなさい。氷の妖精や、猫の妖獣の様に」
ごめんね、フタリとも。折角来てくれたのに、目的を果たせそうにないよ。
「蛍の妖怪や、……宵闇の妖怪の様に!」
ごめんね、リグル、ルーミア。フタリが教えてくれた答えまで、もう少しだったのに。
もう、私も――「もう、誰も、貴女を助けてくれはしない」。
あぁ、翼が委縮する、景色が霞む、意識が、落ちていく。
「さっき、蛍の妖怪が、貴女を颯爽と救いだした様には」
…………『颯爽と』?
「ゆう、か、ねぇ、いま、さっそうと、って、いった?」
「……?そうよ、颯爽と格好良く――」
「は、はは、あは、は……」
あんたも、そう言うんだ。
あんたも、リグルをそう思うんだ。
はは、あはは、あはははははあはははははははははっ!
「それが、どうし」
「って、ふざけんなぁっっっ」
翼が広がる!瞳をこじ開ける!意識を、覚醒させる!
「どいつもこいつも!会ったばかりのあんたまで!」
じりじりと。
「いい!?よぉく聞きなさい、幽香!リグルはっ」
全身にぶちあたる妖砲なんて意に介さず。
「リグルは、私達の中で、二番目に、胸、おっきいんだ!」
じりじり、じりじりと。
「リグルは、ケースの中のドレスに恋い焦がれるほど、女の子なんだ!」
私は、幽香に近づく。私の全力の声を、響かせる為に。
「リグルは、リグルはぁっ」
少しだけ後退する幽香が向ける日傘の先端を。
「格好いいんじゃなくてぇ!」
先端を掴み、私は、咆哮をあげた。
「可愛いんだってばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ」
ばぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっ。
弾かれた手は、体は、妖砲の余韻の所為。
理屈はわからない。
だけど、つまり。
私は、幽香の本気の一撃を、堪えきれたんだ。
「あは、あはは……やった、やったやった、やったぁぁぁぁぁ!」
小躍りすると、体が傾いた。
「へ?ぅわ、わ、わぁぁぁぁ!?」
落下。翼は、よほど傷んでいたのか、開いてくれない。
上空にいる幽香は、動かない。
追撃は、してこないんではなく、できないんだろう。
そりゃそーだ。弱いと思いこんでいたそこらの妖怪の一匹に、一撃を防がれたんだから。
落ちながら、そんな事を考える。
向日葵がクッションになってくれるとは言え、ある程度のダメージは覚悟するべきだろう。
痛いかなぁ、痛いだろうなぁ。
衝撃に身を備えて、眼を瞑る。口を閉じる。
とすんっ。
……思ったよりも、落ちるのは早くて、痛くなかった。
と言うか、硬い筈の地面は、なんか柔らかい。
文字どおり、クッションみたいだ。いい匂いもするし。すりすり。
「あの、ミスチー。くすぐったいんだけど」
……。目を開く。
「りぐ、る?」
微苦笑を浮かべ、私を両腕で抱きながら、彼女は頷いた。
「えと。……聞こえてた?」
「私の名前は聞こえた気がしたけど……内容まではわかんない」
胸をなでおろす。
ちょっと残念だけど、私の本心を知られるのは、もう少し先で良い。
先とは、もっとお金をためて、リグルにドレスを贈れる位になるまで。
今は、それよりも。
「そか。――ね、私はルーミアを起こしてくるから、リグルは橙とチルノを」
「ん!」
ぱっと離れ、向日葵畑にひらりと舞い降りる。
がさがさと向日葵をかき分けながら進むと、ルーミアが倒れていた。
よかった。思っていたよりも、ダメージは少ないみたいだ。
そっと抱きあげ、ぺちぺちと頬を叩き、名を呼ぶ。
「ルーミア、ルーミア、ね、起きて」
「ん……みす、ちー、私は……ぁ……そうか、墜ちちゃったんだ……」
「うん……」
肩を落とし、俯くルーミア。
でも、さ。ルーミアには、そんな顔、似合わないよ。
「だから、今日はこれでおしまい」
「……『今日は』?」
「そう、ほら、言いに行っておいで。次に、幽香と遊ぶ為に」
幽香と、友達になる為に。
「――うん!ありがとう、ミスチー!行ってくる!」
背を押すのは言葉だけで充分だった。
ルーミアは立ち上がり、そのままの勢いで上空の幽香の所に向かう。
あんたも、まだ、そんな元気があったんだねぇ。
ルーミアを見送り、私はリグルに起こされた橙やチルノと合流した。
幽香の元に辿り着いたルーミアは、身振り手振りを交えながら、口を開く。
その声は、幽香に届いているのだろうか。
彼女はまだ、茫然自失としている様に見える。
あぁ、でも、思いさえ伝われば、声は届かなくてもいい。
ルーミアの思いが、幽香の心に伝わりさえすれば。
優しい臆病者の心を、動かす事さえできれば。
「ねぇ、幽香。
私は、貴女の言う通り、弱いわ。
だから、まだヒトリじゃ貴女と遊べないのかもしれない」
――でも、ねぇ、幽香。
「私がもっと強くなったら。
その時は、私と遊んで欲しいの。友達になって欲しいの。
それで、それでね」
「貴女の、きっと、向日葵の様に綺麗な笑顔を、私に見せて!」
ルーミアの声に、思いに。
幽香は答えも、応えも返せず。
ただ、くるりと背を向けた。
気付けば、空はもう晴れていて。
雲は流れ、雨も雪も降っていなくて。
だけど、幽香の下にいた私に、ぽつりと当たる。
ぽつり、ぽつりと温かい水滴が、当たる。
「……此処で上向くと、スカートの中、見ぇぁ痛っ!?」
「変な事言ってないで。そろそろ」
「痛いよぅ、リグル。ん、そろそろ、退散しよう!」
「チルノ、私も疲れてるから、帰りは自分で飛んでいってよね」
「あー……腹減ったぁ…………」
「脈絡な……って、雷神繋がり!?もう『ごっこ遊び』は終わってるんだってば!」
「ならば今こそ覚醒めよ、雷神の右腕を?」
「疑問形!?いや、そもそも訳わかんない!あーもぅ、早く負ぶさってよ!」
それぞれ、帰る準備を整え。
上空にいる、ルーミアに声をかける。
「ルーミア」
「ルーミア!」
「ルーミアっ」
「るーみあ」
「「「「――帰るよ、ルーミア!」」」」
ルーミアは私達ヨンニンの声に振り向き、こくりと頷いて、此方に向かってきた。
そして、ゴニンになった私達は、ロクニン目に――。
「幽香」
「幽香!」
「幽香っ」
「ゆーか」
「幽香――」
一緒に遊んだもうヒトリに手を振り、向日葵畑を、太陽の畑を後にした。
「「「「「――またね、幽香!!」」」」」
――帰り道。
最後まで妖砲を受けていた私が、やっぱり一番体力を消耗していたようで。
ふらふらぁ、ふらふら~と酔っ払いの様な飛び方をしていた。
畜生、橙の背中ですやすや寝息を立ててるチルノが妬ましい。
「大丈夫、ミスチー?」
ルーミアと先を行っていたリグルが、速度を落として私の横に寄り添う。
……大丈夫じゃないんだけどねぇ。
リグルには、リグルにだけはそんな事言いたくないんだよ。
私は無理矢理笑みを浮かべ、誤魔化した。
「あはは、ちょっと疲れてるだけだよ。大丈夫大丈夫」
手をひらひらと振る。
降った手の勢いで、体が傾いた。
ほ、ほんとにやばいんだな、私。
「そっか。ちょっと、なんだね」
ちらりと私を見ながら、リグル。
傾いたの、気付かれてないよね?
冷汗を頬に浮かべながら、私は焦りながら相槌をかえ――。
ちゅ。
…………え?
思っていたよりもずっと近かったリグルの顔。
彼女の顔は、昇った太陽に照らされてか、頗る赤かった。
多分、私の顔は、彼女以上に真っ赤なんだろうけど。
冷たい汗が伝っていた筈の頬は、暖かい感触に支配された。
「え、と」
「――チルノが言ってたよね?こうやって、大ちゃんから力を貰ったって」
「あ。でも、それ、べろちゅ」
「うん。だけど、ミスチーが疲れてるの、『ちょっと』なんでしょ?」
「だから、ほっぺにかるく、と」
ん、と桜色に頬を染めて、リグルが頷く。
えーと。
がっでむ!しっと!
私の馬鹿!鳥頭!ぺちゃぱい!
べろちゅーが!たったあれだけの失言でリグルのべろちゅーがぁ!
失意の中、絶叫を心の内で上げる。
「あ、そ、そんなにヤだった?」
「そんな訳ないじゃん!」
「じゃあ、力、出る?」
おずおずと聞いてくるリグルに。
私は溢れ出そうな血の涙を抑えつつ。
両翼を広げ、彼女に貰った力を示して見せた。
「出るに、決まってるでしょ!」
不思議なものだ。
その出鱈目な方法で、本当に私の全身に力が戻ってきたような錯覚を覚える。
私の様子を見て、リグルが嬉しそうに微笑み、此方も笑い返す。
いいさ、リグル。べろちゅーは、ドレスを贈った夜に頂くとするよ!
何時になるかわからない誓いを朝日に立て、私は力強く翼をはためかせた。
《幕間》
「……なん、だったのよ、一体」
「――わかってる癖に」
「……!?八雲……紫!貴女ね、訳のわからない事をしでかしてくれたのは!」
「こんにちは、風見幽香。で、訳のわからないって、どういう事かしら?」
「だから!雪を降らせたり、彼女達が私の一撃を防いだり」
「あら、貴女の攻撃が防がれたの?手を抜いたんじゃない?」
「ぐ……、抜かない、わよ。抜いてないわ」
「ふーん、それで……。どのみち、私は何もしていない。今までずっと、結界の補修作業をしていたんですもの」
「なん、ですって!?じゃあ、一体、誰が!」
「結界が騒いでいると思ったら、通りで」
「紫!」
「応える義理はないと思うのだけれど――世界が、それを望んだんでしょう」
「はぐらかさないで!」
「酷っ!?はぐらかしてないわよ!」
「――もう、もういいわ。さっさと、貴女も帰りなさい」
「わかっているんでしょう、あの子が、何故、貴女の一撃を受けたのか」
「帰りなさいと、言っているでしょう」
「いえ、貴女にわからない訳がないわ。だって、貴女は賢いんで」
「帰りなさい、八雲紫!」
「せめて顔をこっちに向けて要求しな……そう。わかっていないのは私だったのね」
「……」
「最後に教えてあげる。あの子達、今日の昼位から、あの面子でお食事会をするそうよ」
「…………」
「お酒も入るそうだから、つまみに向日葵の種でも持っていってあげたら?」
「………………」
「歌って、かくれんぼして、お話して、弾幕ごっこしてくれてありがとうって痛!?痛い、痛いってば!」
「うるさい。かえり、なさいよ」
「帰る!帰るから、震える声で弾幕撃たな痛いじゃないの!――じゃあ、御機嫌よう!」
「ごきげん、よぅ」
「――向日葵の様な、風見幽香」
「この……!」
「なによ……やっぱり、さいしょから、みてたんじゃない」
「う、く………………向日葵のようなえがおで、ね…………」
「ふ、ふふ、く、はは、あは、ははは………………………………」
《幕間》
私はミスティア・ローレライ♪
今日はごめんね、夜雀屋台はお休みだ♪
明日にゃ開くよ、此処で待ってて♪
戻ってきたのは既に朝もいい所。
だと言うのに、誰ヒトリ、お食事会を延期しようなんて言いださなかった。
元気だなぁ、私達。
美味しい蒲焼に、旨い酒♪
ほらほらどんどん待ちたくなーる♪
後はたったの二十六時間位さ♪
私はごそごそと今日の準備を進める。
昨日、頭の中でリストアップした通り、結構な物量が必要なようだ。
えっちらおっちら、屋台の外に運び出してはまた中に戻る。
ひゅん、と。
風が鳴り、誰かが来た事を告げる。
リグルやルーミアじゃない。お客さんだろうか。
歌いながら、私は暖簾をくぐった。
私はミスティア・ローレライ♪
今日はごめんね、夜雀屋台はお休みだ♪
明日にゃ開くよ、此処で待ってぅわぁ……。
向日葵のいい匂いが鼻に届く。
鮮やかな緑のショートボブが目に飛び込む。
凛とした、だけど、優しい響きの声が、耳を覆う。
「……帰る」
「って、帰るなぁ!」
「ぅわぁって言った」
「言いたくもなるわよ!目ぇ醒ましたら滅茶苦茶全身が痛んだんだから!」
「…………帰る」
お、思ってたよりもずっと打たれ弱いなぁ、あんた!
「帰るなってば!――あんたみたいなのを、いじめっこなんて言い出した奴は誰なのかしらね」
「いじめっこ?私が?」
「そーそ。ま、そんなんじゃないって、わかったけど」
「あら……。そうね、今朝方だけ考えれば、貴女の方がいじめっこよね」
「ぅ。でも、あれは、あぁ言わないとあんたがわかってくれないと思って」
私はあたふた。
「わかっているけれど」
「で、でしょ!?」
「だからって、その、む、胸までいじめる必要はなかったんじゃない?」
「胸?あー、そういや、触れてたっけか」
「そうよ。その後、私……の、心……を裸にして、いじめたじゃない」
日傘がくるくる。
そー言えなくもない。
あー、だけど、なんかいいやね。
顔を真っ赤にして言われると、こぅぐっとくるものが!
しっかも、『心』の部分は小声って、初心なネンネじゃあるまいし!
あー、もぉ、可愛いじゃねぇか、うっしゃっしゃ!
「ね、リグルもそー思…………は?」
気が付くと。
リグルがぷるぷると震えて。
彼女の少し後ろに立っていた。
「……いつからいたの?」
「私がいじめっこって話が出た時くらいね」
「……いつからきづいていたの?」
「勿論、彼女が来てからすぐに。うふ」
「……どーしてわたしはきづかなかったの?」
「ぁん、私に夢中になっていたからでしょ、ミ・ス・チー♪」
えーと、うん。
あからさまな甘い声でミスチー言うな。
――夢中って言うか、あんた、何かしやがっ――「ミスチーの、ばか……」
「しかも、そうまで私の身も心もぼろぼろにしたのに、『遊び』なんて言ったのよねぇ。酷い、ヒ・ト」
し、シナまでつけて言ってんじゃねぇや!話の前後も狂わせてやがるし!
「は、はめやがったなぁ、てめぇ!」
「やだ、そんな卑猥な言葉でまたイジメル。ミスチーったら、ほんとミダラなんだからぁ」
「そ、そー思う方がえっちなんだと、って、ミダラって使わねぇよ、そんな言葉!」
「うわぁぁぁぁぁぁん、ミスチーのエロスドリ!そんなだから鳴き声も卑猥なんだぁ!?」
「ちが、リグル、リグルが嫌がるからもう、鳴いてな、と言うか、別に卑猥でも、あぁぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉ!」
どたばたどたばた。
真っ赤になって飛び立とうとするリグルになんとか追いすがり、抱きしめて動けなくする。
疲れた、滅茶苦茶疲れた。
あ、でも、いい匂い。それに、やーらかい。
「どの面下げてエロスドリじゃないって否定しているのかしら」
「私も、そー思う……」
「な、何、緑髪タッグで私をイジメルの!?」
卑下した視線を浴びせてくるBとディ、いやいや、リグルと彼女に、抗議する。
「まぁ、とりあえず」
「ミスチー、そろそろ離れて欲しいなぁ、とか」
「ミスティア、その舐めるような目で胸を見るのは、流石に私も引くわ」
無視。
「あんたは、やっぱり、いじめっこだ」
そう言うと、彼女は嬉しそうに目を細めた。
「――まぁ、貴女達に対しては是位にしておいてあげる」
くるりと私達に背を向けながら。
彼女はそう切り出した。
私達、と言う事は。
リグルと顔を見合せ、くすりと同時に破顔する。
「貴女達を仕向けた張本人はもっと……何、笑っているのよ?」
「べーつーにー」
「……もっと、いじめて欲しいの?」
滅相もない。フタリ揃って首を振り、彼女の溜飲を下げた。
すると。
彼女の髪が、少し揺れる。
私達を仕向けた張本人が運んできた風によって。
「ミスチー、リグル、こんにちはー!」
宵闇の妖怪は、何時もの様に手を広げながらやってきた。
私達もすかさず挨拶を返す。
だけど、その声は、多分、彼女の耳に届いていないだろう。
だって、ルーミアは、私達に奥にいる、もう一人に意識を奪われたのだから。
「え、ゆう、か……?」
「……宵闇の妖怪は、太陽の元じゃ目が悪くなるのかしら。他に誰がいるって言うのよ」
無駄だよ、幽香。
そんな遠回しないじめ方じゃ、ルーミアには届かない。
ま、もっとも。
どんな風にいじめても、ルーミアにゃ届かないだろうけど。
「ゆうかだ、ゆうかがいる!なんで、幽香!?こんにちは、幽香!」
「なんでって……それは、その――こら、いきなり抱きついて」
「ゆーか、ゆうか、幽香、幽香っ、幽香!」
「ち、ちょっと!止めなさいよ、そこのフタリ!」
ルーミアのハグ責めに慌てふためく幽香。
「ねぇ、リグル。今日、お仕事大丈夫だったの?」
「あ、うん、二件のうち、遅い方がキャンセル入って。心配してくれて、ありがと」
「えへへ、どう致しまして。じゃあ、準備手伝ってもらっていい?」
「勿論だよ、ミスチー」
「ありがとう、リグル」
「ミスティア・ローレライ!リグル・ナイトバグ!」
割と本気っぽい絶叫な気がする。
しょうがないなぁ。
私はルーミアに声をかけた。
「ルーミア!ね、メディはどうだったの!?」
ぴくりとルーミアが反応し、しょんぼりと肩を下げる。
「やっぱり、まだ、寝てないと駄目だったみたい」
「そっか……」
「うん。起きれたら、今日のお食事会に誘えたのに……」
慰めの言葉をかけるリグルの傍らで、私は幽香にピンと人差し指を上げた。
『貸し一つね』
落ち込むルーミアに抱きつかれながら、幽香は私から視線を逸らした。
『知らないわよ、そんなの』
……あっそ。
「ルーミア!じゃあ、幽香を誘いましょうか!」
「素敵!」
「ミスティア・ローレライ!?」
「ね、幽香、今から湖でお食事会をするの!貴女も来て!」
「お、お食事会なんでしょう!?私、食材は向日葵の種位しか」
墓穴掘りやがった。
「リグル、何か持ってきてる?」
「うぅん」
「ルーミア、服に何か入っている?」
「えーと、永琳特製の滋養強壮剤くらい?」
「あっはっは、食べ物じゃないねぇ」
苦笑を浮かべ、肩を竦めて、幽香に視線を送る。
幽香は、顔に手を当て、首を左右に振った。
「……わかったわよ。行けばいいんでしょう、行けば」
「えへへ、うんっ!」
満面の笑みを浮かべるルーミア。
幽香は一瞬顔を強張らせ、ルーミアの両肩に手を置き、離した。
とん、と小さく背を押す。
一瞬の顔の硬直と、その後の渋面に、私はくすりと笑った。
「だったら、早く其処に向かう準備を済ませましょう」
「ん、ヨンニンですれば、きっとすぐに終わるわ!」
「そうだね、頑張ろう」
「あ、持ってく物はこの紙に書いてあるから、屋台は分解しないでね」
リストアップした紙をリグルとルーミアに手渡し、私も準備に取り掛かる。
と。
「ミスティア、何を笑ったのよ?」
小さな声で、幽香に話しかけられた。
「べっつにぃ」
「…………」
「おーけー、手を降ろして」
前にいるリグルとルーミアに聞こえない様、私も小声で返す。
「無理矢理表情作るのって、しんどくない?」
「……本当に小賢しい夜雀」
「あはは、正しい使い方だね」
減らず口を返すと、幽香はじとりと睨んできて。
表情が崩れるのがわかったから、私は彼女を見ないよう、少し前に出た。
その顔を見るのは、最初に見るべきなのは、私じゃない。
「ルーミアが言ったんですもの。彼女が強くなってから、と」
「そうだね。……でも、その調子じゃ辛くない?」
「元から貴女みたいにころころと表情を変える癖はないけれど。少しね。サポートしなさいよ、ミスティア」
「貸し一つ」
「向日葵の種でどう?」
「願ったり叶ったり」
「そう。――何時になるのかしらね?」
「ん、あぁ。どうかな、大分かかるんじゃない?」
「そうね。きっと、貴女がリグルに想いを告げる位先の話ね」
「ごふっ!?い、何時気付いたぁ!?」
「あれだけ絶叫されたら、誰だって気付くわよ」
「……ちょっと待ちなさいよ。あんた、わかってて、さっき、あんな事」
「当然じゃない、臆病者」
「い、言ってくれるじゃないの、この「優しい臆病者」」
私は笑った。
後ろにいる幽香も、多分。
でも、ルーミアの為にも、幽香の為にも振り向かない。
「でもさ、ルーミア、案外早く強くなるんじゃない?」
「何故?」
「そりゃ、早くあんたに認められたいから。遊びたいから。友達になりたいから」
「……」
「それで、それで――」
「そうね。早くそうなったら」
――素敵ね。
凛とした、静かで、優しい響きで。
幽香は、そう呟いた。
その表情は、見ていないけれど、きっと――。
――――向日葵の様に、綺麗な笑顔。
<了>
それぞれのキャラが立っていて、決める所はきちんと決めてくれる。…けど、やっぱりどこか抜けてる。そんな彼女たちにグッと来ました。
寂しがり屋でいじめっ子なゆうかりんには、何かこうこみ上げてくる物が…これが萌えかっ!?
実においしゅうございました。
…けどなみすちー。煩悩でマスパに耐えきるあたり、君も藍さまとかえーりんと同類だと思うんだ。
この続きを是非とも書いて欲しいです!
キャラが良い。
もう,その一言に尽きます。
良いもの読ませていただきました。ご馳走様。
次回作もお待ちしてます。
ご馳走さまでした!
とても楽しゅう御座いました。
まさか『二体で最強』『それがあ奴等』なネタでくるとはですよ。
やはり此処はオーソドックスにりぐるん→←みすちー←ゆっかさんの爛れる手前の関係を期待したいです。
またみすちーに活躍してもらいたいな。
バカルテットや子供ではなく、妖怪である彼女達らしい姿を描いた氏に感謝を。
もう、何もかも素敵だよ・・・
ありがとうありがとう
ミスティアたちの活躍といい、ドタバタといい、とても面白く読めました。
シリアスなのに所々に笑いが盛り込まれているのも良かったです。
幽香とのやりとりも見入ってしまいました。
これからもこのメンバーには笑いが溢れているのでしょうねぇ。
とても面白い作品でした。
面白かったです!
貴方が神か
心温まる優しい幻想郷を見せてくれてありがとう。
ジゴロリグルや親父みすちーのキャラクターが特に素晴らしかったです。
だが、煩悩でマスパを相殺したのに吹いたw
面白い作品をありがとう!
あとこういうミスチーやゆうかりんも好き。
もっとあなたの書く彼女たちを読みたいので、
もっともっと書いてください。
もっともっと書いてください。
当然、大切なことなので(ry
愛がある作品は見てて気持ちいいです。
機会があれば幕間を膨らませた話とか読んでみたいです。
終始フルスロットルで、文章量のわりにダレない展開に興奮しました。
こんな賢いミスチー見たこと無い!!
主人公してるみすちーと リグルに感動した! 感動した!(
おっぱいお(ry
此度のSS、「起」を書いていた時点で長くなっちゃったかなぁと首を捻り、「承」で頭を抱え、
「転」に至って開き直り、「結」でまた頭が痛くなりました。
書いている本人が「終わらねぇよひゃっはぁ」と仕上げたモノですので、お読み頂いた方にも
同じ様に感じられた方がおられるかと思います。
ですので、それでも最後までお読み頂いた方々に、殊更に感謝を。
以下、コメントに対するレスをば。
>>ミスチー
目指したモノの一つは「強くないけど格好良く」。コメントを拝見する限り、そこそこに表現できたかと嬉しく思います。
強さが足りない部分は賢さと想いでカバー。
も一つは……か、可愛さも目指してたんです。途中まで。「転」の辺りで置いてきたみたい(ケフ。
>>みんな
自分の中での、『現時点』での彼女達を詰め込みました。で、あふれ出ました(特に中核四人と永遠亭組)。
それがお楽しみ頂けたなら、こんなに嬉しい事はありません。
>>煩悩
それもまた想いなのです。想いなのです(二回言いましたが、画面からは目を背けてます)。
>>次
彼女達の続きも書きたいと思いつつ、他の面々(《幕間》やら前作やら違うのやら)も書きたいと頭がメルトダウン。
どうにもこうにも遅筆なので、何時になる事やら(コレ、カキハジメタノ、ニサクメノヨクジツ)。
>>御馳走様
お粗末さまでした。近いうちにまた何か提供できれば、と思います。
>>ネタ
知っている方がいてほっと一安心。もう10年以上前なんですねぇ。
>>妖怪
忘れがちなんですけど、彼女達、体力・生命力的には人間よりも高いんですよね(『求聞史記』によれば)。
腕云々は、これまた別の所から引っ張ってきてしまいましたが。
>>やりとり
今まで是だけ長い戦闘(弾幕)シーンは書いた事がなかったので、四苦八苦しました。
その分、力を込めれたかと思うのですが、至らない部分も多いので、精進しようかと。
>>熱い
「結」は完全に少年誌のノリでした。やりぃ(笑。
>>89 胸部
何所が出所なんでしょうね、この数字。
そして気付く驚愕の事実。私、此方に掲載している話の全てでその手の話題に触れてる。どんだけ好きなんだよ。
>>文章量の割に~
救われました。
他キャラもすごく魅力的に書かれてて素晴らしいの一言に尽きますね
>「気に入らねえな」
7巻という言葉から察するに元ネタはあの神父様?
あの漫画かw 確かにあれは名作だ。
そしてこの作品も名作だと思うのですよ。
長そうだなぁと敬遠していたのがもったいない。
>>59様
物語り上のヒロインですので、そう思って頂けたなら嬉しいです。
ご質問は的中。再度お読み頂く際には、若本さん声のミスチーをお楽しみください(拷問以外の何物でもない。
>>63様
「何かの目的の為に皆が立ち上がる」って展開が大好きなんです。
ですが、目的が目的な為、そう重苦しくもなく……と考えた末、パロディに走りました。こんだけ大真面目にやったのは初めてですが(笑。
1,2ボスを格好良く、でもコミカルに。
幽香の強さと寂しさとやさしさとか、キャラの描き方に愛情を感じました。
コミカルさと本筋のシリアスさの割合も良かったです。
あとあの作品は私もすきなので、いいとこで使っているのでうれしくなっちゃいました。
ごちそうさま。
1,2面ボス大好きな私には最高の物語。もう作者さん愛してる。
しかもミスリグとか大チルとかもうね。
思わず本気で泣いた
本当にいいものを見せてもらいました。
みすちーが本当に愛くるしい。
報われてよかった。
しかしあれだな、本文よりも大チルの方が気になってる俺がいました。
前の話も読んできます!