Coolier - 新生・東方創想話

向日葵の笑顔 (前篇)

2008/09/21 01:03:05
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お品書き(注意事項)

・本SSは、百合要素を含んでいます。
 その手のお話が苦手な方は、申し訳ありませんがブラウザバックでお戻りください。

・本SSは、拙作 何時も通りの今日、普段通り幸せ 並びに 『いい女』になる条件 (共に作品集57)と
 共通の世界観を有しています。
 ですが、お読み頂かなくても一切の問題は御座いません。










































 ――ぽつりぽつりと雨が降る。

 ――向日葵が好きだった。
 ――幼かった頃、既にどれ程の過去かすらも思い出せない時。
 ――小さな私の小さな力で咲いた向日葵は、誰も彼もに好かれ、私自身の笑みさえも咲かせた。














「まいど~♪」



私はミスティア・ローレライ♪
 今日も夜雀屋台は大繁盛、忙しいったらありゃしない♪
 人間に妖精、妖怪なんでもござれ、と、大丈夫だよ人間さん♪
 此処にいる間は食われやしない♪
 そんな暇があったなら♪
 博麗の巫女がお気に入りの八目鰻をもぐもぐと♪
 ちびっちゃい鬼も大絶賛のお酒をがぶがぶと♪

 損益分岐点も何のその♪
 人件費も広告費もかかっちゃいない我が屋台♪
 利益は勿論、お客様にご返還♪
 寄ってらっしゃい見てらっしゃい♪
 サービスは、何も素敵な歌だけじゃないですわ♪
 さぁさ、次のお客さまはどなたでうわぁ……。


「ぅ、ぅわぁって言った!うわぁって言った!」

 
 嫌な顔をされる事になれていないんだろう、月の兎――うどんげは、私の声に若干涙目だ。
 

「やー……、しょうがないと思うけどね」


 よっこいせと妙に年寄りくさい台詞を口にしながら、地の兎――てゐは、少しばかり不格好な椅子に腰掛ける。

「全くだ。ほら、注文を聞く前に、とりあえず水」

 未だじとーっと涙目で此方を見てくるうどんげに渡すのもどうかと思い、まずはてゐに白塗りのコップを渡す。
 したら、ヤツは連れの背をぽんぽんと叩いて宥めながら、そのまま回しやがった。
 幼い顔に似合わずおっとこまえだね、こりゃ。

「ぅぐぅぐ」

 受け取ったうどんげは、やっぱりまだ落ち着いてなかったけど、てゐの横に座りコップを両手で持ち、水で喉を潤……。
 ちょっと待て!
 『ぅぐぅぐ』だと!?貴様の背格好で!?それはちまっこい子にしか許されない擬音じゃないのかっ!
 いや、私だって鬼じゃない、身長はこの際、不問にしよう。
 だけど!ちくしょう!少なくともB以上ある奴が奏でていいハーモニーじゃない筈だ!

「ルーミアに謝れ!チルノに謝れ!橙に謝れ、そして、私に謝れー!」
「……なんで出された水飲んだだけなのに、鈴仙が謝らないといけないのさ」

 ちら。

「てゐにも謝れ!」
「いやだから。と言うか、どうして私まで……」
「極々一部を除いて幻想郷の皆に謝れ!特にえぷわ」

 激情により理性を失っていた私の口を止めたのは、珍しく必死な顔をした悪戯兎だった。

「言っちゃいけない……そこから先は言っちゃいけない。
能力とかそんなんじゃない。私の生きて来た年月が、その先は『死の先』を告げている」

 あんた言うほど生きてんのかいと思ったが、確かに彼女の言う通りだ。
 私は危うく死後の有罪を確定にする所だった。
 危険を回避せしめたこの幸運に感謝して、明日、お地蔵様に大豆を捧げよう。
 大豆に含まれるイソフラボンはある一部に対して有用な要因の一つとして挙げられ、要するに胸部が微増する可能性があり、
つまりおっぱいが大きくなるかもしれないんだよ!
 大豆なだけに豆知識。大豆なだけに豆知識。大豆な事なので二回言いました。あっはっは。
 ……横回転の西洋人形が物凄い勢いで往復していったよ。なんでだろう。

「――っぷは、美味しい……」

 鳥と兎が人形に目を奪われている隙に、もう一羽の兎は水を飲み終え……。
 だからちょっと待てこら、なんで貴様は水を飲んだだけでそんな煽情的な、横文字にするとィエロチックな表情になるんだ!
 ずるい!もっとやもとい、けしからん!けしからん!

「こいつはサービスだ、取っときな!」
「え、え、ええ?」
「……うん、まぁ、貰える物は貰っときなよ」

 新しいコップを平身低頭で渡す私を、てゐがものっそ半眼で睨んでくる。
 だけど、仕方がないじゃないか。聞きたいものは聞きたい。見たいものは見たい。
 さぁ、最初からもう一度!『ぅぐぅぐ』から――「ところでさ」「え、なに?」

 ……。

「て、てゐ!なに話しかけてんの!聞けなかったじゃないか!」
「やかましい。それとも何、注文聞いてくんないの?」
「へらっしゃー!名物・八目鰻の蒲焼は勿論、ここらじゃ滅多にお目にかかれない鱧なんてのもあるよっ♪」

 公私混同はしない。私はできる女。

「……はも?ほんとに珍しい。随分と久しぶりに聞いたよ」
「いや、知ってる事に驚いた。私も自分で扱うまで知らなかったし。あの慧音先生でさえ思い出すのに時間がかかったし」
「あー……ここらへんじゃ取れないんだっけ。そりゃ聞かないわな」
「みたいだね。何故か先生の連れが『懐かしい』って喜んでくれたけど」
「妹紅か。まだ都の方にいた頃に食べたんだろうねぇ……」

 都?と鸚鵡返しに尋ねると、なんでも、と軽く流された。

「で、なんだってそんな食材が此処にあるのさ」
「んふふ、企業秘密♪」
「……あそ。えーっと、なんだっけ、あぁ、鰻の蒲焼二つお願い」
「えぇ!?ここまで引っ張っといてそれ!?」
「んな出所の知れない怪しい物食えるかっ」
「あ、怪しくないってば!ちゃんと八雲の」
「余計に怪しいわー!」

 美味しいんだけどなぁ、鱧。ちゃんと頑張って料理として出せる様になったのに。
 ちぇ、と軽く舌打ちをしつつ、私はアイスボックス――チルノの氷を突っ込んでる木箱――から鰻を取り出し、
火で氷を溶かしてから俎板の上に乗せた。

「冷凍なんだ?」
「この時期にゃちっちゃいのしか取れないんだよ。だから、冬場に取れたのをね。申し訳ない」
「んや、納得できたからいい。あぁ、それで別のメニューも出してるんだ」
「そーそ。鰻以外で何かないかなぁって悩んでたら、橙からご主人に伝わって――」
「――そのご主人に伝わった。暇だなぁ……」
「橙が随分と頑張ってくれたんだよ。と、もうちょい待ってね。蒸すのにちょいと時間がかかるから」

 くるりと背を向け、軽くハミングしつつ蒸篭へとぶつ切りにした鰻を放り込む。

「んー……もうかりまっか?」
「ぼちぼちでんなぁ」
「そりゃ羨ましい話で」
「どこぞの同盟さんのお陰で精も出ますわ」

 たはは、と微苦笑が返ってきた。んむ?思ったけど、今日のてゐはなんか違和か――。

「そー!きょーはそれで此処にきらのよ!」

 なんぞ呂律の回っていない声が耳に入る。

「わらしたちはー、兎肉を撲滅するひゃめに、此処にきた!」

 『為に』から『此処に』をどうやって繋げばいいんだ。脈絡がなさすぎる。
 月の兎は口だけじゃなくて頭まで回っていない様。
 ぬぅ、酔うとこんなんになるのか、こいつ。

「補完すると、
『兎肉を撲滅する為にとりあえず鳥肉を代案にしたけど、鰻が美味しかったらそっちに歩み寄ってみよう。なので、蒲焼ください』。
って、何時の間にお酒なんて飲んだの、鈴仙!?」

 それをあの台詞から読み取れと言うのは無理がある。ありがと。
 あと、流石に私も歩み寄った先が鰻鍋とかだったらどうかと思うなぁ。
 ……いや、それもありかも。つみれとか。

「あー?さっき、みすてぁにもらったのしか飲んでないよー、ひっく」
「貰ったのって……ミスティア、水だったよね?」
「……わったっしっはとりあたま~~♪」
「てぃっ!」
「かりめろ!?」

 最初に渡したコップが私の頭に直撃した。木製とは言え、結構痛い。

「――うどんげがいけないんだ!水であんな声を出すからっ、お酒ならもっとセクシャルヴォイスを聞けると!」
「……帰ろっか、鈴仙」
「すんませんった!もうすぐ焼きにかかりますんで、少々お待ち下さい!」

 じゅーじゅー。

「ぅっく、そーいえば、みすてぁ」
「その呼ばれ方すると、なんか力が抜けるなぁ。なに?」
「なんで、兎角どぅめー知ってるの?」

 お嬢さん、今更その質問ですかよ。

「思いっきり、天狗の新聞に載ってたじゃないのよ」
「……よめたんだ」

 ふぁきん。屋台とは言え、一国一城の主舐めんな。
 口元をひくつかせながら、鰻を引っ繰り返してタレをハケで塗り広げていく。

「みすてぁ、えらい、かしこい、可愛い!うちの子達のおねーさんになってほしい!」
「……えぇっと」
「自業自得でしょ、目で助けを求めるな――と、言いたい所だけど。
鈴仙、ほら、水飲んで。落ち着いて」
「んぁ、てゐー、ありがと。おねーさんはてゐのそーいうとこ、大好きだぞー」
「……はいはい」

 差し出されたコップをスル―して、うどんげはてゐにハグをかます。
 てゐは慌てず騒がず、手に持つコップに注意しながら、うどんげにされるがまま。
 ……ぁ。違和感の原因に気が付いた。

「鱧も珍しいかもしれないけど。そういうあんたも珍しいね」
「偶にはね。……鈴仙がこんななら、悪戯する第一目的はないし」
「ふーん」
「ま、第二目的の為に、屋台に悪戯してもいいんだけど」
「第二目的?」
「私の楽しみの為」
「そりゃ勘弁」

 早い返しは照れ隠し、貴女の楽しみ差し置いた、第一目的何のため――♪
 流れ出そうになるハミングを、すんでのところで押し留める。
 今は大丈夫だと思うけど、普段のこいつなら此処をどうこうするのもやりかねない。
 それに、此処は屋台だ。お客さんの話は聞けど、余計な詮索はすまい。

 じゅーじゅー。

「あー、褒めといてもらってなんだけど。新聞ちゃんと読んだのは最近になってからなんだ」
「褒めてたのが潰れてるけどね。そうなの?」
「ん。慧音先生が『店を営んでいるなら、色々なアンテナを持っていた方がいい』って」

 そのアンテナの筆頭が文々。新聞なのは聊かの問題がある気もするけど。
 だけど、他の新聞はもっと文字が小さくて、読むのが辛いのだ。
 正直、文々聞でさえ虫眼鏡がないと読み辛いし。

「――ちょい待ち。さっきも言ってたけど、慧音『先生』って、あいつ、遂に妖怪にまで寺子屋開いたの?」
「ん、いや、私が個人的に勉強教えてってお願いしたの。お店やるのに最低限の知識は欲しかったからねー」
「勤勉なこって」
「ほほほ、今では経理の道も歩めますわ」

 そっちは橙のご主人――藍先生に教えてもらったんだけど。

「よく覚えられたね。あぁ、いや、皮肉じゃなしにさ」
「それはそれで失礼だと思うなぁ。確かに苦労したけどね。目的の為だから頑張った」
「目的って……焼き鳥撲滅?」
「そりゃ生涯目的。当座のは――」

 うっかり口に出しそうになった所で。


「こんばんは、ミスチー。と、てゐにうどんげさんもいるんだ」


 暖簾を手でめくり、入ってきたのは蟲の王――リグル・ナイトバグ。

 てゐにしなだれかかっているうどんげの横に座るリグル。
 長方形の鞄を足元に置く彼女に「お疲れさん」と、一日分の労いをしながら、水を差しだす。

「こばわー!」
「……よっす」

 声に反応して体を起こしたうどんげは、メトロノームの様に体を左右に振りながら返事する。
 振り切れていないのは多分、てゐが彼女の肩を軽く握っているからだろう。
 ほんとにかっけなぁ、今日のこいつ。

「で、当座って――」
「どうだったの、今日の新規開拓?」

 てゐの質問をそれとなく潰して、体をリグルに向ける。
 「そこそこだったよ」と疲れた、だけど充実感のある声に、私は「よかったね」と何時もの返事。
 ちらりと視界の隅に悪戯兎を入れると、彼女は肩を竦ませ、水を飲んでいた。
 ……はぐらかしたの気付いてやがるな。

「しんきかいたく?あー、蟲の目覚まひ?」
「うん。最初はなかなか上手くいかなかったんだけど、今は結構利用してもらってるよ」
「へぇ、良かったじゃん」

 そりゃまぁ、「私が朝に起こすよ」って格好いい――らしい――彼女に言われて、
素敵な目覚めよカモンモーニングってテンションで起きたら百一虫大行進だったんだから、上手くいく訳がない。
 「契約内容と違うじゃない!」と言う涙ながらの真っ当な抗議に、しどろもどろになったリグルが返した答えは
「じゃあ、一週間に一度は私が直に起こしに行くから」。
 それだけで利用者は増えていき、直接彼女が起こしに行くのは一週間から二週間、一か月と伸びていったが、
未だ利用者は増えているようだ。酔狂な輩が多いなぁ。

「ぁ、そう言えば。今日はさんざん迷ったけど、そっちにも行ったよ」
「だめー!師匠も姫様もてゐも、みーんな、わらひがおこすのー!」
「鈴仙、えーりんの毒がまわって……」
「あはは、大丈夫だよ。残念だけど、断られちゃったし」

 ばんばんとうどんげに両肩を両拳で叩かれつつも、さらりと返すリグル。
 爽やかに笑ってるけど、そういう態度が周りの子達にきゃーきゃー言われているのがわかって……ないんだろうなぁ。
 ともかく、三人が会話に花を咲かせている内に、私はそろそろ出来上がりそうな先客の蒲焼を仕上げつつ、
新たにリグルの分も用意しに掛る。
 注文は受けていないが、付き合いの長い彼女の好みはとうの昔に把握済みなので、何ら問題なく作業を進められる。

「でもさ、目覚ましのサービスなんてしてると、自分の時間がないんじゃないの?」
「そうでもないよ。蟲達も習性をつければ指示しなくても動いてくれるし、自分の時間はちゃんと作れてるかな」
「いいなぁいいなぁ、わらひ、そーいうの苦手。自分の時間、あんまりない気がする……」

 ひっくり返してタレを塗り、ひっくり返して以下略。

「鈴仙は真面目過ぎるんだよ。もう少し遊ばないと」
「ぅー、ひゃからぁ、遊ぶ時間がないのよぅ」
「そう思い込んでるだけじゃないかな?都合なんてわりと簡単につけられるよ」

 リグルのには甘だれを用意して、と。

「むぐ、でも、遊ぶ友達もいなひし……」
「亭の兎達除くと、ようやっとこの前、白玉楼の庭師と出掛けた位だし。人見知りだもんね、鈴仙」
「そうなんだ。んー、じゃあさ――」

 漸く完成二人前、大きな葉っぱのお皿に乗せて、届け名物鰻のかば

「――今度、私と遊ぼっか?」

 ――やっばぁ!?作るのと歌うのに夢中になってて、リグルの習性忘れてた!
 いきなりの提案に目を白黒させる月の兎と、そういう彼女を苦笑して見守っている地の兎。
 話をつけるなら、後者の方が手っ取り早そうだ。
 問題の二人に気付かれぬ様、ひっそりカウンターに身を乗り出し、てゐに耳打ちする。

「ちょいと、旦那、旦那」
「誰が旦那よ。何?」
「うかうかしてるとバニーさん取られますぜ?」

 私も兎だっての、と突っ込みを入れてから、でもやっぱりバニーさんではない彼女は小さく手を左右に振る。

「鈴仙は人見知りなんだってば。知人程度にゃ気軽に是非の返事もできないの」

 うん、その類の台詞は聞き飽きてる。
 やれ『彼女は門番なの。そんなに簡単に遊べるわけないでしょう』だの。
 やれ『こいつは一人上手なんだ。そんな誘いにゃ乗る訳ないぜ』だの。
 やれ『ルナ姉はそんな尻軽じゃないわよ!』『そーそ、でも、引きしまってる割にやーらかいのー』だの。
 ……彼女達がふふんとその返事をした後、どんな表情になった事か。
 私の忠告を軽く流して、てゐはうどんげの肩を小さく叩き、返事を促した。

「ほら、鈴仙、断るにしても返事はしな――」
「うん、じゃあ、二週間後に迷いの竹林の入口で。って、危ないかな?」
「あるぇー?」

 あー、皆、そんな感じ。『あれ、何時の間にフラグ立てましたか?』みたいな。

「大丈夫。君が待っていてくれるなら、私は迷わないよ」

 なんてジゴロ。歯が浮いて飛び出そうな気障ったらしい台詞をさらっと言える辺り、女泣かせの異名は伊達じゃない。
 更に性質の悪い事に、リグル本人に全然そんな気はなかったりする。
 笑うリグルと頬を朱くして頷くうどんげは、傍から見れば初々しいカップルそのもので。

「あーの日あーの時、出会わなければ♪」
「やかましい!親父、酒だ、酒をよこせ!」

 誰が親父だと歌うのを止めてまで律儀に突っ込み、てゐにお酒入りのコップを渡す。
 受け取るや否や、やってらんないとばかりに酒をかっ喰らう彼女。
 先程までの格好よさは、言うに及ばずかなりランクダウンしていた。

 流石に忍びないと思い、先程出来上がった蒲焼を進呈する。

「ほら、美味しい美味しい蒲焼だよ。嫌な事も忘れられるよー」
「現在進行形で見せつけられてるんだけど。……ぁー、いや、その前に、別に嫌ってわ」

 酒の所為か自棄の所為か口が滑らかになっている兎。
 苦笑しつつ、慰めじゃないけど、と前置きして語りかける。

「うどんげ、ほんとに箱入り兎なんだねぇ」
「どういう意味?」
「私の知る限り、対象者の交友範囲が広いほど、遊ぶ当日までの間隔が短いんだよ」
「例えば?」
「森の人形使いは同じく二週間、騒霊の長女は一週間、紅魔館の門番に至っては当日」
「門番、単に仕事放棄したかっただけじゃないの……?」
「いやいや。門の前で遊んでたし」

 もうちょい詳しく言うと、「対象者が自分で思っている交友範囲」に依る。
 例にあげた人形使いなんかは、同席者の言葉に反して傍目に見れば範囲を広げている様に見えるが、
彼女自身が「狭い」と思っているらしく、二週間と言う間隔になった。
 まぁ、私が勝手に考えた理論だし、間隔のデータも割とあやふやなんだけど。
 ……藍先生が「たかだか数十件程度でデータと言うな」と苦笑している気がした。

「そんな事より、さっさと蒲焼を食べる!冷めても美味しいけど、やっぱり温かい方が美味しいからね」
「あぃあぃ。ん……へぇ、こりゃ確かに美味しいね。酒も進みそうだ」
「でしょ?――うどんげも、お待ちかねの蒲焼出来たよ。食べて食べて」
「うぁー?わ、わ、まってたまってた!いただきまーすっ、熱っ!?」

 猫舌まで標準装備か、こいつ。

「あぁもぉ、鈴仙、水飲んで水」
「ありひゃとー、てゐー」
「抱きつく前に、まず飲んでってば!」
「あはは、仲いいんだね。――ミスチー、私も何時ものを一つ」
「もう出来るから、お酒でも飲みながらちょいとお待ちくださいなー♪」

 どんちゃんどんちゃん。
 
 赤提燈の揺れる下、屋台は今日も大繁盛♪
 幸せ兎に潰れる兎、ほろ酔い気分のお蟲様♪
 さぁさ蒲焼出来ました、さぁさお酒も出しましょう♪
 食べて飲んで、笑って歌って、この夜一夜を楽しみましょう♪





《幕間》

「姫様!どうして私に何の相談もなく、リグルんのお目覚めサービスをお断りになられたのですか!?」
「因幡達はてゐと鈴仙が起こすし、私は好きな時に起きる。必要ないじゃない」
「私がいます!」
「貴女は自分で起きられるでしょう?」
「趣があるではないですか。こう、朝から蟲ぷれ」
「難題‘龍の頸の玉‘」
「げきりんっ!?」

《幕間》





 二枚三枚と葉っぱのお皿が重ねられた頃、遂にうどんげがてゐにもたれつつ静かな寝息を立て始めた。
 支えにされているてゐは、少しこそばゆそうではあるが、決して嫌気な表情ではなく。
 そんな二人を、私とリグルは和みながら眺めていた。

 と。ふわふわとした風の音を前方から感じ、視線を其方に向ける。
 提灯の明かりが届かない闇から現れたのは――


「ミスチー、リグル、こんばんはー」


 ――両手を大きく広げ、運んできた風と同じくふわふわと飛ぶ、闇の妖怪・ルーミアだった。

 その笑顔は、彼女は彼女で『収穫』があった事を告げている。
 リグルの左横の席に着いた途端、身振り手振り付きで話そうとする彼女に、私はしぃと口元に人差し指を当て、
すやすやと眠る兎を視線で見やった。
 彼女は最初、意図に気付かずきょとんとしていたけれど、リグルが体をずらした事で二羽の兎が視界に入り、
合点がいったと私に同じサインを返す。
 それでもやはり話したかったのだろう。隣席のリグル相手にごにょごにょと語り始めた。
 任せて――アイコンタクトで伝えてくるリグルにこくんと頷き、私はルーミアの蒲焼を作り始める。

「……妬いてない?」

 じゅうじゅうと香ばしい音と匂いの中、そんな小さな声が聞こえた。
 顔をあげると、てゐが思わせぶりな笑みで此方を見ている。
 にまにましている『何時もの』表情を鑑みるに、先程の仕返しだろうか。とんだとばっちりだ。

「残念ながら」
「へぇ。私が言うのもなんだけど、今のあいつ、格好いいのに」
「だからだよ」
「こりゃまた難解なリドルだ」
「嘘は言ってないけどねー」

 なんなら月の兎に乙女のハートを覗いて頂きましょうか?
 歌声に乗せて提案する私に、地の兎は首を横に振った。

「起こすのも忍びないし、あんたの言葉に嘘がない程度の事くらい、私にもわかる」
「そうなの?」
「私を誰だと思ってる?」

 申し訳ござんした――けらけらと笑う私に、同じく笑い、嘘吐き兎は水をくぴり。
 ことん、とカウンターに空になったコップを置き、ピンク色のワンピースから財布を取り出し、勘定を渡してくる。
 ひのふのみ、と。

「ちょいと待ってね、お釣りは――」
「生憎と、私の手は塞がっててね」
「へ?って、わぉ、お姫様だっこ」
「楽しませてもらったからね。チップとでも思っといて」
「そりゃどうも」

 うん、今日のあんた、おっとこまえすぎる。
 腕の中ですぅすぅと眠るうどんげを起こさない様に、てゐは静かにリグルとルーミアに別れを告げ、
最後に私に振りかえり――「ご馳走さん。また来るよ」。
 月下のもと、ゆらりとした足取りで帰り道を行く二羽に、私は静かに、だけど精一杯の感謝を込めて口を開く。

「まいどありー♪」

 私の声に合わせて、残った二匹も穏やかな声で見送った。
 小さな私達の声は、危うく静かな風にさえのみ込まれそうだったけど。
 兎のふわふわとした耳の片方がぴんと上がり左右に振れたので、その心配は杞憂に終わったようだ。



「なんで飛んで行かなかったのかなぁ」

 二羽の姿が見えなくなってから。

 出来あがった鰻の蒲焼をもぐもぐと食べながら、ルーミアは不思議そうに首を横に倒す。
 普段から文字どおり地に足を付けない彼女にしてみれば、歩くと言う行為は無駄に思える様だ。
 いや、私も基本的にそうなんだけど。

「そう言う時もあるもんなんだよ。……いいなぁ」

 ほぅ、と溜息をつくリグル。

「風情があるじゃない。……いいよねぇ」

 倣う様に私も溜息をつく。
 対象が違うのだけど、それに気付いているのは私だけだろう。
 ルーミアに至っては未だ最初の質問で詰まっていたし。

「飛んでった方が風の情はあると思うなぁ」

 おや、ごもっとも。

「――そう言えばさ、今日の『収穫』はどうだったの?」

 彼女に私達が各々感じた『風情』を伝えるのは難しいと思い、私は話題をすりかえる。
 リグルに異論はなく、勿論ルーミアも私の質問に飛びついてきた。
 それはそうだろう――彼女はここ暫くずっと、その為に各地を飛び回っているのだから。

 ルーミアはとびきりの笑顔で、嬉しそうに楽しそうに口を開く。

「えへへー、今日もうまくいったよ!」

 目的意識もなくただふらふらと飛んでいた、彼女にできた目的は。


「友達、また一人増えたの!」


 『友達百人出来るかな』。

 彼女がこの目的を立てる過程には、超ド級のホラーにサスペンス、心温まるハートフルストーリーが起こったのだが、
思い出すのが怖いので私の記憶に留めておくだけにする。
 まぁ、要するに、私とルーミアが初めて会った時の話なんだけど。
 いや、ほんと。あんだけ怖かったのは、永い夜に白玉楼の主従と対峙した時以来だった。
 しとしとと降る雨に情緒ある目覚めを促され、重い瞼を開けると暗闇がこんにちは、寝耳に水とばかりに飛び込んできた言葉は
『貴女は食べてもいい鳥類?』、囁きかけられ止まった思考は、がちがちと鳴る自らの歯音で正常に戻り――
「みすちー、ミスチー!」

「た、食べちゃ駄目!」
「へ?駄目だったの?」

 口の周りをどろどろとしたもので汚し、闇の妖怪はあどけなく聞いてくる。
 食べるのが当然だとばかりの返答に、私は頭をくらくらとさせ――気付く。
 彼女は今、ナニを食べてイル?なにで口をヨゴシテイル?
 
 開カレタ口カラ見エルノハ、赤茶色ヲシタ骨ノナイぁ、私じゃないや。

「……なんか怖い事でも思い出したんだろうね。ミスチーは落ち着いて、ルーミアは口拭いて」

 とんとんと私の背を叩きながら、リグルはルーミアに自分のハンカチを渡す。
 何時もは彼女のそういう動作は余りどうとも思っていないが、今ばかりは感謝した。
 ごしごしと乱暴に、言われたとおり口を拭ったルーミアは、此方を向いてぷくっと頬を膨らませる。

「もう、ミスチー!聞いといて上の空にならないでよ!」
「あはは……、ごめん、ルーミア。機嫌直して」
「ふーんだ、もう知らないもんっ」

 言葉と共に、ぷぃっと顔を背けるルーミア。

「で、今日は何所に行って、誰と友達になったの?」
「えとね、えとね、まずは山で天狗の椛って子と仲良くなって――」

 一拍の動作を挟む事もなく、戻ってくる顔。可愛いなぁ、こんちくしょう。

 『目的』ができたルーミアは、毎日あっちに行ったりこっちに行ったり。
 日中は闇と共に飛んでいるから、自然と滅茶苦茶な進路を取る事が多いようだ。
 それでも彼女の友達作りは上手くいっている様で、比較的仲良くなり易い妖精達を手始めに、
今では様々な種族と交友関係を築いていっている。
 彼女の天真爛漫さは種族の差を容易に乗り越えさせ、なんと今日に至っては気難しいと評判の天狗とまで
友達となれたよう。
 尤も、彼女自身は種族と言う括りは気にしていない様で、ふわふわと飛んでは時々闇を散らし、
気が合いそうな者がいれば声をかけているだけとの事。
 
 身振り手振りで、件の天狗と仲良くなった経緯を説明するルーミアは、本当に嬉しそうで、
見ている方まで笑みが浮かぶ。
 と、急に手と口を止め、ルーミアが肩を落とした。

「どうしたの?」
「ぅー……あの子達にも声をかければ良かったぁ」
「あの子達?……あ、うどんげとてゐ?」

 こくりと頷き、ルーミアはしょんぼりと肩を落とした。

「なら、大丈夫だよ。また来るって言ってたし。それで、その天狗の子以外に、今日はもう一人いるんだよね?」

 リグルほどではないが、私だって商売上口は回る。
 相手の不安を和らげ、捉われない過ぎない様、次の話題にへと促した。

「あ、うん。それでね、その後は風が気持ち良かったから、結構な時間ふよふよとさ迷って――」

 飲み干された三つのコップに水を注ぎながら、うんうんと頷く。

「――気付いたら、鈴蘭の丘に着いてたの」

 正反対の場所ですかよ。
 横のリグルが含んだばかりの水を吹いていた。
 私もずっこけそうになったが、カウンターに手を置き、踏みとどまる。

「あ、あのねぇ。そこ――無名の丘――は危ないから、行っちゃ駄目って言ってたでしょ!」
「す、鈴蘭の丘だもん」
「今はほとんど咲いてないでしょ。もう、体は大丈夫なの?」

 じとりと睨む私とリグルに、ルーミアは身を少し引きながら頷く。
 無名の丘――割と最近まで忘れられていたその土地は、ルーミアの言う様に、春には鈴蘭で埋め尽くされる。
 勿論、鈴蘭から出される程度の毒で妖怪のルーミアがどうこうなるとは思わないが、その場所には確か、毒を操る――

「え、ちょっと待って。そこで、ひょっとして友達が出来たの?」
「うんっ、メディスンって言うんだよ」

 無邪気ってすげぇ。

「こ、攻撃されなかった?」
「最初は警戒されてたっぽいけど……メディスンの質問に答えたら、力を散らせてくれたの」
「質問って?」
「『何をしに来たの?』」

 そりゃそーだ。

「私が『仲良くなりにきた』って答えたら、ちょっと悩んでから、『貴女は人間をどう思う?』って」
「その答えもどうかと思わないでもないけど……」
「うん、まぁ。でも、それで合点がいったね」

 苦笑する私に同意を示しながら、リグルはルーミアの返答を口にした。

「『襲う対象』とかそんな感じでしょう?」
「うん。そしたら、メディスンは『じゃあ仲良くなれるわ』って笑ってくれたの」

 私はリグルに視線を送り、それに気づいた彼女と二人、苦笑しながら肩を竦ませる。
 
 メディスン・メランコリー――私自身に面識はないが、毒を操り人間を嫌う生まれたばかりの妖怪と聞いている。
 彼女が聞いているのは人間への感情であったが、ルーミアが答えたのは人間への行動であり、
正確には質問に答えていない。だって、ルーミアは別に人間をどうとも思っていないし。
 だけど、至る行動はさほど変わらないだろうし、何よりルーミアがこんなに嬉しそうなんだから、まぁいいか。

 自分用に作った蒲焼をほうばりながら、その後のルーミアの行動を尋ねる。

「えっと、夕方過ぎ位までメディスンと話してたの。あ、それからね」

「うんうん?」

「帰り際に、明日、声をかけるヒトが見つかったの!」

「今日はかけなかったんだ?」

「なんか、話しかけ難い雰囲気だったの」

「へぇ、ルーミアにはしては珍しいね」

「そっかな?とっても奇麗なヒトだったんだけど、寂しそうだったからかなぁ」

「寂しそう?」

「そう。でも、あのヒトが笑ったら、きっと花が咲いたみたいに素敵だと思うの。絶対友達になってもらわなくちゃ!」

「あはは、そんなに素敵だったんだ。何処で見つけたの?」

「うんっ!えっとね――


――太陽の畑の、向日葵畑で、見つけたんだよ!」





 八目鰻吹いた。





「風見幽香――字名は、四季のフラワーマスター。
花を操る程度の能力を持つ妖怪だが、それよりも本人の出鱈目な妖力・身体能力が取りざたされる事が多い。
花の妖怪と言うよりは自然の権化のような存在で、危険度が桁違いに高い。
いじめっこ――って、ほら、『幻想郷縁起』にも書いてるでしょう!危ない奴なの、凄く!」

 ばしばしと、慧音先生に借りた書物の件のページを叩きながら、私はルーミアに説明する。

「いや、なんか所々に変な説明混じってない?それに、見たのが風見幽香って決まった訳でも……」
「気の所為!――そりゃさ、あっこは日向ぼっこに丁度いいし、妖精もいるだろうけど!
わざわざ夕方にそんな場所にいるのは、あいつ位しかいないじゃない!」
「あー、うん、『向日葵畑の風見幽香』って有名だもんね」
「でしょ!?危なくて怖い奴ってチャンバも走るってもんよ!」

 リグルの横入れに、私は猛然と抗議する。
 彼女の言う事は尤もなのだけど、此方の言葉にも誤りはない筈だ。
 何より、今重要なのは風見幽香が如何に危険な妖怪だと言うのをルーミアに伝える事。
 そうでもしないと、ルーミアは本当に、何時も通り無邪気に声をかけに行ってしまうんだから。
 その結果、すぐさま攻撃されるとは限らないが、そんなのは当の妖怪の機嫌次第で甚だ危なっかしい。

「だから!」――私は、語勢を強めてルーミアに詰め寄る――「行っちゃ駄目!」

 並々ならぬ勢いに押されて、ルーミアは残念そうに、定番の台詞で返事をした。

「そーなのかー」

 そうなんだ。

 しゅんとして肩を落とすルーミアは少し可哀そうだったけど、是も彼女の為なのだ。
 そう思いながら、先程カウンターの上に吹いたものを丁寧に拭き取る。
 ……まぁ、次の話題が見つからないから時間稼ぎなんだけど。
 助けを求める様にリグルをちらりと見ると、彼女の触覚の片方がぴんと伸びをした。

「ね、ルーミア。今度、時間が合う時にでも、皆でお食事会しよっか?」
「みんな?お食事会?」
「そう。私達の他にも、チルノや大ちゃん、橙も誘ってさ」
「レティは?」
「今は無理だよ。残念だけどね」

 唐突な振りだったけど、ルーミアはそれに食い付いた様だ。
 心の中でリグルに礼を述べ、私は空になったコップを拭いたり葉っぱを纏めたりと閉店の準備を進める。
 夜もだいぶん深くなってきた。お客さんも、今日はもう来ないだろう。

「……うん、楽しそう!何を食べるの?」
「皆大好き八目鰻」

 って、こら、コストは私持ちかよ、お嬢さん。

「あ、でも、大ちゃん、湖から此処まで来れないよ?」
「屋台は分解したら動かせるから大丈夫だよ」

 ちょっと待ったらんかい。
 流石に堪らずじと目をリグルに向けると、先程伸ばされた片方の触覚がぺきょりと折れた――『ごめん、許して』。
 小さい溜息を零し、苦笑する。

「んっと、じゃあ、明後日はどう?」
「その日は、確か橙が駄目だっと思うよ」
「藍先生とお仕事だっけ?明日なら皆、大丈夫だった筈だけど?」
「えと、明日は私が駄目。むぅ、明々後日はどうかな?」
「オッケー、それじゃあ、私が明日にでも皆に伝えるよ」

 ルーミアの提案に私は頷き、リグルが連絡役を買って出た。
 つい先程まで沈んだ色を見せていたルーミアだったけど、今ではお食事会の事を考え何時もの笑顔に戻っていて。
 私はもう一度、その当日の損益を考えて溜息を零し、まぁいいやとリグルやルーミアと一緒になって、笑った。








 






 ――ぽつりぽつりと雨が降る。

 ――向日葵が好きだった。
 ――幼かった頃、既にどれ程の過去かすらも思い出せない時。
 ――小さな私の小さな力で咲いた向日葵は、誰も彼もに好かれ、私自身の笑みさえも咲かせた。

 ――だけど。
 ――大きくなった私は、向日葵が、少し嫌いになった。
 ――向日葵は、増え過ぎると他の花とは同じにいられないから。












「ありがとうございました~♪」



 私はミスティア・ローレライ♪
 今日も夜雀屋台は大繁盛、忙しいったらありゃしない♪
 雨が降ろうが槍が降ろうが大繁盛♪
 雨の日はサービスデー、蒲焼一本つけちゃうよ♪
 槍の日もサービスデー、お代は紅い館のお嬢様にご請きゅ――

「こらこら、ミスティア。前者はともかく、後者は止めておけ。メイドが来るぞ」
「先生!いらっしゃいませ!」


 苦笑いと共に暖簾を潜ってきたのは、私の先生……と言うだけではなく、里の守護者――上白沢慧音。


「それに、今日は雨も降ってないぞ?その歌に……」
「雨の日はお客さん減りますからね―。こういう晴れの日に宣伝して、足を伸ばしてもらわないと」
「なるほど、よく考えているな」

 椅子に腰を落ち着かせ、先生は口元に手を当てながら唸り、褒めてくれた。
 因みに、このサービスを思いついたのは文々。新聞の広告欄。
 『雨の日は茶菓子一皿サービス中』――奇特で切羽詰った人間が発行者の射命丸文に頼んだのだろう。
 だけど、確かに良い客引きだなと思い、私の屋台でも倣って実践中なのだ。

「ふむ、それで、成果の方はどうなんだ?」
「まだ始めたばかりなんでどうとも、です。あ、でも、関心は引いてますよ。巫女とかに」

 歌を聞いた途端、いきなり店先で雨乞いを始めた時はどうしようかと思ったが。
 偶々同席していた館の主と香霖堂の店主が止めてくれたので事なきを得たが、次来たら……、と思わないでもない。
 ……他のお客さんの迷惑になる様だったら、鳥目にしてほっぽり出そう。頑張って。

「降っている時にしか来なそうだな」

 ぉう、そっちの可能性もあったか。

「いいんですけどね。霊夢が来る時は何故か何時も以上に繁盛するんで」
「流石は博麗の巫女と言った所か」
「ぁー、それと。『槍の日』も許可を得てます。以前にレミリアが、此処でグングニルぶっぱなした時に」

 『だってこうでもしないと霊夢止められないじゃないのよ!』とじたばた暴れる主を、後からやってきた館の門番が抑えつけ、
門番と一緒にきたメイド長とそう話をつけたのだ。
 当の巫女はグングニルでは完全に止まるには至らなかったが、仕舞いには店主に苦い顔で諫められて席に戻ってきた。

「……知らぬ間に、逞しくなったものだ」
「あはは、美鈴がですか、それとも霊夢?」
「お前が、さ」

 先生は私を見ながら、目を細めて微笑んだ。
 いきなりの言葉に虚を疲れた私は、ぱちくりと目をまたたかせ、真意を探る様にじっと見返す。
 言葉どおりだぞ――くすくすと笑いながら、先生。

「『勉強教えて』と里の入り口まで来た時は目を剥いたが、意外にどうして、お前は良い生徒だな」
「そ、そうですかね。あー、でも、実際、ちっと位は賢くなったと思わないでも」
「ちっとなものか。私の元に初めて持ってきた帳簿を、まだ覚えてるぞ」

 『12月3日。晴れ。お客さん一杯。やった』

「あ、あははぁー……今ではちゃんと、何がどれだけ出たか、どの時間帯が混むか、原価率はどうかなーとかも」
「あるのか、原価率」
「数値的に他の所と比べられないのが痛いですが」

 見ます?と最近の帳簿を引っ張り出そうとすると、首を小さく横に振られた。

「いや、いい。私は数字方面はさほど強くないしな。
しかし、以前と今の帳簿、同じモノが付けた様には見えんだろう。また戻ったりしないようにな」
「ノンじゃあるまいし、大丈夫ですよ」

 ノン――最近知り合った鼠の妖怪。
 頭の賢さが日によって変わる程度の能力。
 地面の中に潜るのが好き。髪の色は翠色。
 一人称は「小生」。女の子なんだけどね。

「それもそうか。――ふふ、本当に努力したものな」
「えと、あー、まぁ……その、こーゆー話題、止めません?とりあえず、水をどうぞ」
「む、ありがとう。――何故だ?」
「こそばゆいと言うか、くすぐったいと言うか。あぁ、同じ意味ですね」
「ふふ、そうだな」

 私のお願いにもう一度微笑み、先生は口を噤んだ。

 じーわじーわと鳴く蝉とじゅうじゅうと八目鰻を焦がす鉄板。
 陽は傾いてきたが、それでも暑さは陰りを見せず、額に汗が浮かぶ。
 アツさを感じているのは、それらだけが原因ではないが。

 汗を近くのタオルで拭い、私は口を開いた。

「……先生、視線が熱いです」
「仕方あるまい。見る以外、他にする事がないのだから」
「あー、それじゃあ、漫画読みます?其方の棚にある奴です。橙が持ってきてくれた物なんですが……」
「まんが?文々。新聞の隅っこに描いてあるようなものか?」
「です。4コマじゃなくてストーリーものですけど。結構面白いですよ」

 普段は私の歌や話でお持て成しするのだが、それが出来ない時の代用品だ。
 ほどほどの大きさのその棚には、漫画の他にも件の新聞や藍先生の数学書、その主の哲学書なんかも並んでいる。
 なに、『本当は近い月の裏側』は数学書に近いんじゃないかだと?馬鹿言うな、私は実際、あの本を読み進めていく内、
「お月様ってやっぱりとーいんだなー」と哲学的思考に陥ったぞ!?

「ほぅ……中々の蔵書数じゃないか」
「大半が借りものですし、漫画が多いですけどね」
「学ぶ姿勢があれば、どんなものでも教科書に変わるものさ」

 どれ、と手を伸ばし、先生は一冊の漫画を手に取る。

「あー、それ、私達のお気に入りなんですよ」
「『私達』?」
「ええ。私、リグル、ルーミア、チルノ、レティ辺りの」
「当の持ち主は?」
「ラスボスが駄目だったようです」
「ふむ……?」

 首を捻る先生だったが、読み進めていけば納得してくれるだろう。

 じーわじーわ、じゅうじゅう、ぺらぺら。

 三つの音を耳に入れながら、皆、今何をしているだろうとふと考えた。
 リグルはこの時間なら、お食事会の連絡を終え、新しいお客さんを探している頃だろう。
 ルーミアは誰かと遊んでるのかな、今日は予定があるみたいだったし。
 チルノ……あぁ、奴はいい。この時期の奴は考えるだけで暑くなる。主に大ちゃんの所為で。
 レティ、彼女は、何所か陽のあたらない場所で静かに眠っているのだろう。
 橙は、明日の準備だろうか。偶のお仕事前でそわそわしていそうだ。

 それぞれの事を考え、私の口に自然と笑みが浮かぶ。と。

「――次の、次の巻はどこだ!?」

 先生の素っ頓狂な声が聞こえてきた。

「棚にありません?じゃあ、誰かが持っていったのかな」
「ぬぁ、続きが気になるぞ!?」
「何巻です?あぁ、主人公たちの因縁がわかる辺りですね、えーと、確か」
「そんな事より!この素敵な角の大妖は今後、どういった関わりを持つんだ!?」

 角ですかよ。

「だーいぶ後の巻で出てきますけどね。基本的に脇役です」
「のぉぉぉぉぉ!?」
「はいはい、もう出来ましたんで、食べて下さいな」

 渋々と本を棚に戻し、皿を受け取る先生。
 長い横髪を片手で抑えながら、湯気が立つ蒲焼にふーふーと風を送り、小さく口に含む。
 正直、色気を感じる。
 同じ性別な筈なのに、食べ方一つでこうも変わるかがっでむ。

「ん……そうだ、先程、漫画を読む前に思ったんだがな」
「はい?」
「付け出しをサービスの一つとして取り入れたらどうだ?」
「なんですか、それ?」
「客が席に着いた時に、注文の前に出す一品だ。普通なら金を取る事が多いが、それをサービスとしてな。
蒲焼という性質上、出来上がるまでに結構時間がかかるだろう?」

 ふむ、と頭の中で整理する。

 歌のサービスは大前提だが、確かにお客さんとしては手持ちぶたさを感じるか。
 先生や昨日の面々となら会話しながら待ってもらえばいいだろう。
 だけど、一見さんや口数の少ないお客さんが来たらどうだろうか。
 今の先生の様に本棚を漁ってもらってもいいのだが、趣味が合わなければそれで仕舞になってしまう。
 だとするならば、何か口に入れる物でも合った方が良いだろう。

「言う通りですね。でも、料金を頂かないとすると、大した物も出せない様な」
「そうだな……例えば、木の実や向日葵の種なんかはどうだ?」
「向日葵……ですか」
「何故、露骨に嫌そうな顔をする」

 いえ、ちょいと。

「この時期、向日葵なら割と何処にでも生えているだろう。コスト的にもそうかからんと思うのだが」
「うーん、でも、美味しいんですか?」
「作り方次第だったと思うが、付け出しとしてなら十分だ。栄養も豊富に含んでいるし」

 そうまで薦められると、試しに出してみたくなる。
 私は幾つかある程度まとまって向日葵が生えている場所を思い浮かべ、交渉できそうかどうか考えた。
 無論、かの畑は最初から考えていない。

「紅魔館の庭園、白玉楼の庭園、うん、是ならいけそうです」
「あてがついたのか。楽しみにしているよ」
「はい、期待で胸をふくらま……いいです。それ以上膨らまさないでください」
「何の話だ、何の!」
「あ、いえいえ。――ところでふと思ったんですが、向日葵が大量に咲いてる場所って、その、一か所位しかないですよね?」

 そうだな、と先生。

「向日葵って今の風物詩じゃないですか。なら、もっと色んな所で沢山咲いてても可笑しくないですよね?それに――」
「種も食用に使えるのに、か」

 こくこく。
 私が先に思い浮かべた二つの庭園の庭師も、花についての知識だけならば、先生よりも上だろう。
 なのに、どちらの庭園でも、それほど多くの向日葵は生えていなかった様に思う。
 
「その通りなんだが、向日葵自体のトクチョウもあってな」
「特長?」
「いや、……難しい所だが、特徴。――繁殖力が強過ぎるんだ。周りの花々の栄養を喰ってしまうほどに」

 あ、と声をあげる。

「それで、太陽の畑の向日葵畑には、他の花が咲いてないんですね」
「む?――恐らくは、そうだろうな」
「なるほど、合点がいきました」

 頷く私に、先生はまた、目を細めた。
 そして、ぽつりとその話題の締めを呟く。
 ……その言葉は、何故か、私の耳によく響いた。



「向日葵自体はただ、其処にあるだけで以前と変わらなく美しい。
だが、集まり過ぎると、それこそ畑と言われる程広くなってしまうと、他と共存はできないのさ」





《幕間》

「ぅー……なんで夕方なのにこんなに暑いのよー」
「チルノちゃん、はい、お水」
「ぅぐぅぐ……ありがと、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
「そー言えば、なんでそこのコップ使わないで、手で掬ってくるの?」
「私も暑いから、チルノちゃんの冷たい舌に触れてほしいの」
「ふーん。あ、じゃ、ぺろぺろって舐めようか?」
「ふふ、チルノちゃんがもう少し大人になったらね」
「むー?」

《幕間》





 じーわじーわ、じゅーじゅー。

 慧音先生が帰った後も、なんだかんだで忙しくなり、気付けば既に夜中もいい頃合いになってきた。
 今、席に座っているのは、昨日と同じ時間帯にきたリグルだけ。
 二人になってから、何時も通り、彼女の『新規開拓』の結果を聞き、顔を綻ばせる。

 結果報告と、それについての感想。
 この二つの行動は、リグルが『蟲のサービス』を始めてからずっと続いている。
 彼女が上手くいったよと笑えば、良かったね、と私も笑い。
 彼女が今日は駄目だったと気落ちしていれば、明日があるさと小さな肩を小さく叩く。
 私達の……いや、少なくとも、私の大切な日課だ。
 なに?『お前は亭主の帰りを待つ女房か』って?
 だぁら、リグルは――「そう言えば」。

 ……私が脳内で一人突っ込みをしようとすると、リグルの嬉しそうな声が聞こえてきた。

 ぽんと手を打ち、にこにこした顔。

「明後日の件、皆、オッケーだってさ」
「だろうね」
「む。知ってたの?」
「だって、私がお客さんに『明後日は休みだよ』って言ってる時、何も言わなかったでしょ?」
「駄目だったら止めてたって?ちぇ、読まれてるなぁ」

 少し拗ねた顔をする彼女に、くすくすと笑みを向ける。
 付き合いは他の誰よりも長いんだ、それ位わかるさね。
 そう言うと、それもそうか、と彼女も笑ってくれた。

「あ、でも、私は少し遅れるかも」
「そうなの?」
「うん。ちょっと何件か、直接起こしに行かないと駄目だから」
「了解。さっさと片付けてきてよね。立案者がいないと、締まらないし」
「わかってる。――最初は、ルーミアを喜ばせる為だったけど、私も「楽しみにしてるしね」」

 読める、読めるぞ。

「もぅ!言葉を被せないでよ!」
「あはは、ごめんって、そんなに怒らないで?」
「ふんだ、「許さないんだからっ」」

 …………。

「みーすーちー!!」
「ごめ、ほんとにごめん!カウンターから身を乗り出さないで!踊り子さんには手を触れないでー!?」
「いつ君が躍ったのさ!?」



 わーわーきゃーきゃーもみもみくちゃくちゃ。



 鉄板の上での攻防戦は非常にスリリングで、暑い。
 椅子に座り、天を見上げて出した私達の結論だ。
 ぜはぜはと息を荒げるまでになっての結論がそれかと、少しばかり悲しくなる。

「あつい……――あー、ルーミア、今日は遅いねー」
「水、どーぞぉ。――うん、どーしたんだろーねー」

 だらりとしたままで口を開くと、だらりとした答えが返ってきた。
 水を勧めているのがリグルな辺り、何かが違う気がしたが、そんな事はどうだってよくなるほど暑いのだ。
 あついあついと言いながら、私は胸元のリボンを解き、リグルはマントを畳んで、各々手団扇で風を呼び込む。

 そうしていると、今までとは違った――だけど、何時も感じている風の音が聞こえてくる。
 前に座るリグルも触覚で此方に流れてくる風に気づいたのだろう、私の顔を見てきた。
 二人して小さく頷き、暖簾を手で押し上げ、風の発生源を迎え入れる。


「「こんばんは、ルーミア!」」


 私達の声に、ルーミアはぱっと顔をあげ、にっこりと笑い――「二人とも、こんばんは!」
 
 ……むぅ。
 動作だけならば、或いは声だけならば、気が付かなかっただろう。
 だけど、両方を見て聞いた私には、彼女を取り巻く翳りが感じ取れてしまった。

 席に着く事を促し、水を出してから、私は口を開いた。

「何かあったの、ルーミア?」
「え?」

 いきなりの質問に、面食らうルーミア。
 でも……闇を操る彼女だけど、自身の心にまで小さな闇――翳りを灯してどうする。
 それに、此処は屋台だ。嫌な事があったのなら、吐きだしてしまえばいい。

 そう思いながら、じっとルーミアの目を見ると。
 何故か、彼女の双眸は横に逸らされた。
 よく見ると頬に汗が流れ――違う、汗は黄色じゃ……あぁん?

「……ルーミア。今日、何処で何をしていたのかを言いなさい」
「あー、えー、ぅー」
「る・う・み・あ?」

 私は今、ものごっつ笑顔だ。
 だってほら、ルーミアの横に座っているリグルも、感化されて笑みを浮かべるほどに。
 違いと言えば、こめかみに青筋を浮かべているか否かであろう。
 浮かべているのはどっちだと?

 決まっているじゃないか。私だ。

「み、ミスチー、怖いよ、怖いって!笑って、ね、君は笑った方が」
「リグル。私は笑っていてよ?」
「なんでお嬢様言葉!?や、笑ってるけど、でもこわ」
「リグル――黙りなさい」
「さ、サー!」

 私、今、物凄くカリスマに溢れている気がする。

「さぁ、ルーミア。包み隠さず、話しなさい」

 なに、『お客さんの話は聞けど、余計な詮索はすまい』じゃなかったのか?
 あっはっは、ルーミアはお客さんじゃなくて友達だ。
 詭弁だと?――黙りなさい。

「ぅー……怒らない?」
「黙っていた方が怒る」
「ぁ、でも否定はしないんだ……」
「リグル!」
「ごめ、いえ、申し訳ございません、ミスチーさん!」

 余計な茶々を入れてくるリグルに視線を叩き込み、黙らせる。
 
 尤も。
 私には既に、ルーミアが何処で何をしていたのか、想像が付いているのだが。
 よくよく考えれば、彼女は昨日の私の言葉に是も非も返していなかった。
 それに、今日は用事があるから駄目と事前に断りも入れていた。
 とどめに、今、頬につけている黄色の花粉――向日葵の、それ。

「行ったんでしょ、太陽の畑の向日葵畑に?」
「うん……」

 申し訳なさそうに呟くルーミアに、私は彼女の期待通り、怒らなかった。
 代わりに、盛大に大きな溜息を吐く。
 余りにもわざとらしく大きかった為、向けられた彼女は更に縮こまった。

「あぅ、だって、ほんとに友達になって欲しくて」
「もういいわよ。呆れてはいるけど、怒ってはないから。それに「ルーミアも無事だしね」」

 …………。

「りーぐーるー!」
「あはは、さっきのお返しだよ」

 ちろりと赤い小さな舌を出して、冗談っぽく言ってくる。
 掴みかかろうとする私だったが、さっきの繰り返しはごめんだとばかりに彼女は席を立ち、手が届かない場所に。
 手の代りにコップを投擲すると、器用に人差し指を突っ込みくるくると回し、威力を減らしやがった。
 睨みつける私に、「効かないよ」とウィンク一つ。畜生、絵になるじゃないか。

 一連の私達のやり取りに、ルーミアは今日初めて翳りのない笑みを浮かべ。
 重い空気がはらわれた事もあって、私達も、彼女に呼応するように、笑った。



「起きてすぐ――お昼位かな――に向日葵畑に向かったの。
でも、その時はまだいなかったから、とりあえずその場を後にして、鈴蘭の丘でメディとお話して。
あ、メディとのお話は楽しかったのよ?
彼女、どんな話をしても興味津々で聞いてくれるから、私も嬉しくなったわ。
楽し過ぎて、気が付くと辺りはもう真っ暗になっていたの。
それで、メディに『またね』って言って別れて、もう一度畑の方に行ったら、今度はいたのよ!
嬉しくなってすぐに声をかけた。『こんばんは、幽香』って。
だけど、幽香はちょっとだけこっちを見て……すぐに、私の方を見なくなったの。
でもね、私も頑張ったんだよ?彼女の視線の方に回り込んで、『ねぇ、遊びましょ』って言ったもの。
幽香はね、それで初めて返事してくれたんだ。すっごく、奇麗な声だったんだよ!」

 傍に置かれた水の存在を忘れたように、ルーミアは風見幽香との初対面を一気に話した。
 自らの言葉と共に浮き沈みする表情は、そのままその時の感情なのだろう。
 幽香の声を語る際に至っては、両手をあらん限りにぴんと広げて『すっごく』を強調。
 私の歌を聞いた時よりも嬉しそうじゃないか、と否が応でも苦笑が浮かんでしまう。

 ――そんな彼女だったから、続く言葉の前に訪れた結果がわかった。彼女は、俯いてしまったから。

「けど、幽香は、『残念だけど、弱いヒトとは遊べないの。花を見ているんだから邪魔しないで』って。
だから、…………今日は諦めたの」

 沈んでいく声に、私とリグルは顔を見合せ、お互いに頭を振った――『しょうがないよね』。

 そう思いつつ、けれど、私は胸中で密かに安堵した。
 けんもほろろな返事をされたとは言え、幽香の虫の居所が良かったのだろう、それだけで済んだのだ。
 仮に、機嫌が悪い時に同じ様な事をすれば、ただでは済まないだろう。
 今こうして元気に話すのも無理だったかもしれないし、最悪……。
 私はまた、頭を振る。
 ルーミアは、私達の前にいる。起こりえない過去の想像で気分を悪くするのは馬鹿らしい。
 ほら、ルーミアだって、元気よく顔をあげたじゃないか。……あ?

「明日、また頑張る!」

 ジョーに鋭いアッパーを撃ち込まれた様に思いっきり仰け反る。言葉の暴力ってあるんだなと実感。

「が、頑張るなぁ!」
「でも、だって、今日もやっぱり、幽香、寂しそうだったんだもん!」
「デモもストもない!」

 両手を伸ばしたままぶんぶんと振って抗議してくるルーミアに、私は態勢を立て戻しながら捲くし立てる。

「昨日は言わなかったけど、いい!?
風見幽香と仲良くなろうなんて難易度ルナティックもいい所なんだよ!ねぇ、リグル!?」

 正直、やっつける方がまだ簡単な気がする。や、それも無理だけどさ。
 
 埒が明かないと、私は、自分の首を横からとんとん叩いている――思考中の癖だ――リグルに援護を求める。
 私と顔を合わせた時からそうしているのだから、何かをずっと考えていたんだろうが、今はルーミアを説得する方が先決。
 リグルもそう思ってくれたんだろう、ルーミアに向き合い、口を開いた。

「ミスチーの言う通り、ルーミア一人じゃ難しいと思うんだ」

 うんう……ん?一人?

「だから、明日は私もついていくよ」

 いいよね?と首を傾げて許可を取るリグルに、ルーミアはきょとんとしてから、言葉の意味を理解して、うんっと笑顔で頷いた。
――って、「ちょっとまったんらんかい!?」

「どうかした、ミスチー?」
「どうしたもこうしたもあるか!リグル、私の言ってた事、聞いてなかったの!?」
「聞いてたよ。でもさ――」

 カウンターから身を乗り出し詰め寄る私に、落ち着いて、と両手でジェスチャー。
 落ち着けるもんか。こっちに言わせれば味方だと思っていた彼女が笑顔で相手側に回ってしまったのだから、裏切られた気分だ。
 戦ならば騙撃は当り前で称賛されてしかるべき、と本棚に置かれている漫画は語っていたが、そも今は戦じゃないし。

「気にいらねぇな!」
「あー、それ、何巻だっけ?」
「多分、七巻」

 じゃなくて。

「こほん。ルーミアの話を聞いて思ったんだけど、風見幽香ってそんなに怖いヒトじゃないのかな、って」
「な……っ!?」
「ミスチーが昨日読んでたのも、人間が書いた書物だから何処まで正確かわかんないでしょ?」

 痛い所をついてくる――口をぱくぱくとしながら、私はそう思った。

「それにさ。私達、実際に本人に会った事ないじゃない?」
「ぅ、ぐ、だからって!皆、風見幽香は危ないって――」
「うん、それも考えてたんだ。私もその話は噂に聞いてたから。だけどね」

 言葉を切り、一拍の間を置く。
 それはきっと、私に続く言葉を考えろと言う事だろう。
 頭の中を整理して――皆の噂と、ルーミアの言葉を混ぜ合わせ――、私は渋々と結論を出した。

「噂が先行し過ぎてる……って言うのね」
「そうだね、大体そんな感じ。
皆、危ないとか怖いとか言ってるけど、何かされたって言うのは、よくよく思い出せば聞いた事ないんだよね」

 悔しいけれど、リグルの言う通りだ。
 不特定多数の『皆』の噂は出所さえはっきりとしていない。
 ただ、漠然と、私やリグルを含めた『皆』がそう思っているだけ。

 『向日葵畑の風見幽香は危ない、怖い』って。

 だけど、ルーミアはそうじゃなかった。
 急激に友達の数を増やしているとは言え、ルーミアは私と出会うまで誰と仲良くする事もなくふわふわと飛んでいたから。
 そんな彼女だから、今まで噂を聞く事もなく、そういうフィルターを通さずに『風見幽香』を感じれたのだろう。

 そして、感じ取ったのは『寂しそう』。
 それはそれで見当違いな気もするが、少なくとも私達の噂よりは好感が持てると言うもの。
 本人が聞いたら激怒しそうだけど。……是も先入観なのかなぁ。

 溜息をつき、頭を振りながら諸手を上げる。

「えーと……?」
「白旗もあげようか?――私の負け負け」
「あ……じゃ、じゃあ、リグルと一緒に幽香のとこに行っていいの!?」
「しょうがないでしょ、理詰めで認めさせられちゃったんだから。
それに、どっちにしろルーミアは駄目って言っても行ったじゃない」
「あ、でも、ごめんなさいって思ってたよ?」

 あぁ、昨日にルーミアが肩を下げてたのは私に対してだったのか。
 今更過ぎる事に気付き、力なく笑った。

「じゃあ、ルーミア、明日、何時位に行こうか?」
「んと、昨日も今日も昼間や夕方にはいなかったから、夜の方がいいかな」
「わかった。夕方位にここ等で待ち合わせにしたら、夜にはつける?」
「うん、ちょっと遠いけど、急げば大丈夫だと思う」

 アバウトだなぁとかちょっとかぁと心の中で突っ込みつつ。
 ルーミアだけでなくリグルも一緒に行くのなら、案外さらっと上手くいくんじゃないかと。
 闇と蟲の妖怪に引っ張られて此処に来る花の妖怪を想像し、そうなったら素敵だな。
 
 ――笑いあうリグルとルーミアを見ながら、私は、そう思った。















 ――ぽつりぽつりと雨が降る。

 ――向日葵が好きだった。
 ――幼かった頃、既にどれ程の過去かすらも思い出せない時。
 ――小さな私の小さな力で咲いた向日葵は、誰も彼もに好かれ、私自身の笑みさえも咲かせた。

 ――だけど。
 ――大きくなった私は、向日葵が、少し嫌いになった。
 ――向日葵は、増え過ぎると他の花とは同じにいられないから。

 ――そんな向日葵が、私と同じ様に思えて。
 ――だから、だろう。
 ――此処にいる時、私は少し、苛立っている。












 「さんきゅーだんけめるしーぼーく♪」



 私はミスティア・ローレライ♪
 今日も夜雀屋台は大繁盛、忙しいったらありゃしない♪
 雨にも負けず風にも負けず、雷にも雪にも負けないんだから――「お客さん、こーい!」

「あ、吠えた」
「吠えたくもなるわよ!今日、お客さん、全然来てくれないんだもん!」
「天気、微妙だもんねぇ」

 内側から暖簾をめくり、空を見上げながらリグル。
 彼女の言う通り、今日は久々に太陽が御隠れ遊びやがって、灰と黒の境目辺りの雲が空を我が物顔で占めている。ふぁきん。
 これで雨が降っていたのならば雨の日サービスの効果もわかるというものなのだが、生憎と何時まで経っても水滴すら
降ってこなかった。
 そんな訳で、一組二組のお客さんが帰ってからは、ルーミアと待ち合わせしているリグルとずっとタイマン。
 ……それはそれで、悪くはないんだけどさ。

「あ、そうだ」
「ん?」
「仕事が早く済めば、準備、私も手伝うからね。必要な物、分解するのにどれ位かかりそう?」

 明日のお食事会の事か。
 前者は受け入れるが後者には苦笑で返す。
 申し入れは嬉しいが、屋台を分解されては堪らない。

「ちっちゃな鉄板があるから、分解する必要はないわよ。
でも、運ぶ物が多くなりそうだから、そっちは手伝って欲しいかな」

 小さいと言えど鉄板だけでも結構な重さなのだ。
 加えて、人数分の食材・飲み物、その他の道具を考えると、一人では文字どおり荷が重い。
 ルーミアにも手伝ってもらった方がいいかも。

 あれやこれやとリストアップしていくうち、私は半笑いを浮かべ、リグルの顔は引き攣った。
 ルーミアはおろか、橙にも手を借りないと辛そうだと言う事が判明したのだ。
 事前に気付いてよかったと胸を撫でおろす。
 因みに、チルノは最初から対象外。手伝ってもらうどころか、運ぶモノが一つ増えそうなだけな気がするし。

「わかってると思うけど、服は汚れてもいいのにしてね?炭とかもあるし」
「何時もので行くつもりだよ。お食事会だから、ちょっと気取ったの着てみたくもないけど」

 大丈夫だよ、と笑う彼女に、私は少しドキリとする。

「……え?気取ったのって、その、ドレスとか?」
「そんなにいいのじゃないよ。普通のワンピース。ドレスなんて持ってないしね」
「だ、だよね。良かった……」

 つい漏れた本音は其れほど大きくなかったので、リグルには届かないでくれた模様。
 首を傾げる彼女に、私は何でもないと同じ部位を振った。
 追及は来ず、代わりに彼女はとんとんと片手で首を叩き、カウンターに乗せた片手で顎を支えながら、口を開く。

「あー、でも、ドレスと言えば、ほらさ、覚えてる?
ずっと前、二人でこっそりと里に入った時に見た、ドレス。
展示用だかなんだかですっごく高かったけど、あれ、良かったよね」
「……ん」
「とは言え、あはは、私には似合わないと思うけど」

 彼女の髪と同じ、鮮やかな緑色を基調とした、シンプルだけど綺麗なドレス。
 里でも珍しい洋服屋の更に珍しいショーケースに入れられたソレは、材質が絹だからだろう、きらきらと光っていて。
 リグルはそれをとても気に入り、その時、暫しの時間ぽかんと見ていた。

 そんな事ないよ、と軽く言おうとした所――「こんにちはー、ミスチー、リグルー」――意気揚々とした声で、
ルーミアが現れた。

「「こんにちは、ルーミア!」」

 挨拶を返す私達に、彼女はにっこりと笑った。
 此方に降りてこない所を鑑みるに、すぐさま向日葵畑に向かいたいのだろう。
 心なしか、頭についているリボンも嬉しそうに踊っている様に見える。

「――じゃあ、行ってくるよ」
「――行ってきまーす」

 ルーミアが急かす前に、リグルは腰をあげた。
 席を立つ彼女と笑顔の彼女を私は小さく手を振りながら、見送る。
 ……頭の中にふと浮かんだ「気をつけてね」の言葉は呑み込んで。

「ん、行ってらっしゃい、二人とも」

 彼女達は、新しい友達を増やそうとしているんだ。
 なのだから、そんな言葉は無粋と言うものだろう。
 薄曇りの空を切り裂く様に飛んでいく緑と黒の放物線を見上げ、私は微笑んだ。



 私は、確かにその時、微笑んだ。





《幕間》

「ん……くぅ…………すぅ」

「ちる、の……。ねえ、さん…………ふゅ……」

「ん…………――ぁ、……夢、か」

「もう一眠り、しよう。今度は、皆も出てくれるといいなぁ」

「………………くぅ」

《幕間》





 夕方頃にルーミアとリグルが此処を離れてから、早数時間。
 空の様子は変わりなくどんよりと曇って……いや、夜の暗さの所為で分かり難いが、少し黒味が増しただろうか。
 畑の方で降っていないといいのだけれど。
 折角、二人が遠出したと言うのに、目的の人物が雨で来ていないのでは話にならない。
 
 彼女達は目的を達せられたのだろうか。それとも、とっくにそんな所は通り越して既に遊んでいたり?
 奥から引っ張り出してきた私専用の椅子に座り、そんな様子を夢想する。

 ……と言うかね。

 考える位しかする事ないんだわ。暇で。もぉ、すっげぇ暇。
 お客さん、来やしねぇ。
 そりゃね、私も二人を見送ってから一、二時間は歌ってたよ?
 んでも流石にそれだけの時間、だーれも来ないと気が滅入るってもんだ。
 そんな時ゃ、頗る声の調子も宜しくなくなる。

 な訳で、カウンターに両肘をついてその上に顎を乗せ、ぼぅとしていた。

 時間なら有り余っている、夢想の続きを展開させよう――そう思った所でふと気付いた。
 彼女達と話しているだろう、風見幽香の明るい表情が思い浮かばない。
 おかしいな。直接に会った事はないけど、『幻想郷縁起』にイラストが描かれていたから容姿は知っているのに。
 筆者のフィルターの所為か少し怖い類であったが、紙面を飾る幽香は笑顔だった。
 だと言うのに、私の頭の中での幽香は何故か寂しげ。
 昨日・一昨日と、ルーミアに聞いた感想の為だろうか。

 凄みのある笑顔の幽香。
 寂しげな表情の幽香。
 どちらが本当の風見幽香なのだろう。
 
 或いは――ルーミアの望む通りだとすれば――花が、向日葵が咲いた様な笑顔の彼女が、真実なのか。
 『向日葵畑の風見幽香』。
 彼女を嬉しそうに語る友達にあてられたのか、その言葉は私の中でも随分と彩りを持つようになったようだ。

 

 あれ…………なんだろう。
 


 何か、違和感を覚えた。
 そもそも何に対して覚えたかもわからない、どうでもいい様な、だけど、確かな違和感。
 原因を探ろうと、長い爪で皮膚を傷つけないよう気を付けながら、こめかみを人差し指で叩く。
 とん、とん――その一定のリズムは、月を隠す雲の様に思考を遮る漠然とした靄を散らさせ、意識を目覚めさせる。

 違和感の元は、多分、ひ――「こんばんは、ミスチー!」――にゃんにゃん。

 …………「って、ひにゃんにゃんってなんだ!なんかいやらいやらでいい響きだぞ!?」

「……はぁ?」
「あ、いやらいやらってのは『いやらしい』って意味だよ?」
「……はぁ」

 暖簾をくぐり怪訝な表情をしているのは、にゃんにゃんと泣く、もとい鳴く、式の式。

「なんでもないなんでもない。こんばんは、橙っ」

 数時間ぶりの来訪者を笑顔で迎え入れる。
 こうなれば些細な考え事は二の次三の次、後で考えればいいや。
 私は橙に席に着くよう視線で促しながら、棚からコップを取り出し水を入れた。

「はい、どーぞ」
「ありがと」
「……あれ、今日は藍先生とお仕事じゃなかったっけ?」

 彼女の好みの甘だれを用意しつつ、そう言えばと尋ねる。
 私だけでなくリグルもそう言っていたのだから、まず間違いなかったと思うのだが。
 首を捻る私に、橙はコップを傾け、ぴちゃぴちゃと舌で水を舐めながら答えてくれた。

「あー、お仕事だったよ。ちゃんと言うと、お仕事の見学。
ちっちゃいのとは言え、結界の補修作業なんて今の私じゃ無理だもん」
「なるほど。見る事で修業せよって感じかな」
「だと思う。実際、私は藍様が作ってくれた結界の中で、じーっと見てただけだし」

 至らない自分に腹を立てているのだろう、橙はぷくりと頬を膨らませた。
 尤も、私は別の事を考えていたけれど。
 愛する式の眼差しを背に受けて、先生、今日の作業は頗る捗ったろうなぁ、と。

 そんな事を考えていると、橙が自棄でも起こした様に、コップのグラスをあおった。
 わぉ、いい飲みっぷり!……って、あんた、水をそんな風に飲んじゃ拙いでしょうが。
 苦笑しながら、彼女の機嫌を直す話を振る。

「やっぱり、藍先生ってすごいんだね。橙を護りながら結界を直してたんでしょ?」
「――うん!しかも、すっごくてきぱき動いて且つ私に説明しながらだったのよ!」

 俯いていた橙だったけど、ぱぁっと顔を輝かせながら。愛い奴め。

「うんうん、どんな説明だったの?」
「えーっと……『不安定な空間を加と減、乗と除を用いて図形化して』云々」
「……云々?」
「……云々」

 先生、愛する式に、先生の式は伝わりきれていません。多分。

「ま、まぁあれよ。『初めと終わりをイメージして、途中を作り上げる』って言う、藍様の何時もの教え!」

 うんうんと誤魔化す橙。けれども、恐らくその予想は間違っていないだろうと私も頷き返す。
 橙が何時もの教えと称したソレは、私自身、何度も藍先生から聞いている。
 屋台経営の為の数式を詰め込んでいた当時、先生は笑いながらよくそう言っていた。

 『ピースのないジグソーパズルみたいですね』と言う私に、『ピースは数であり式であり、知識や記憶さ』と返す先生。
 意外と乙女チックですねぇ、と感想を漏らしたところ、にこやかに頭の上に課題を積み上げてくれた。
 帽子を脱いでいたとは言え十冊乗せられた時点で、このヒトのバランス感覚は異常だと認識。

 ……こほん。
 
 テキストや教科書の問題は答えを求める為にあるものだけど、実際の場では求める答えが出ている場合も多い。
 今の話であれば、初めは綻んだ結界、終わりは綺麗な結界と言った所であろう。途中はその為の補修作業。
 私の場合は、当時の屋台の状態が初め、もっと繁盛させたいというのが終わり。今までの経緯が途中と言える。

 ま、尤も。その途中を作るのが難しいんだけどさ。
 だけど、覚え始めた数や式で頭を焦がし、帳簿を睨めっこしていた私には、とても有難い言葉だった。
 サービス業を続けるのには勿論数字も必要だが、先へのヴィジョンも欠かせないモノだから。

「……ぁ、でも。そんな藍様の腕でも、後から来た紫様から見たら、甘い所があったみたい」

 幻想郷最強の妖獣の所業と言えど、最強の妖怪からすると至らない部分が見えたのだろうか。
 ……『最強』というフレーズが頭に浮かんだ時、ふと別の姿が脳裏にちらついた。
 前者の悠然たる姿と違い、後者は最近のあれやこれやで寂しげな佇まいであったが。

 と思ったら、もう一匹の『最強』が横から万歳ポーズでしゃしゃり出てきた――『あたい、さいきょー!』。

「――や、あんたは、いい」
「へ?」
「あ、こっちの話。で、八雲の紫はなんて?」

 さいきょーさいきょーと囀る氷精を頭の中から追い出しながら。

「うん、『目で見えない、理論上の極微小な綻びが残ってる。是じゃ駄目よ』って」
「うぁ、厳しいねぇ」
「『お仕置きよ。ハグさせなさい』」

 それが言いたかっただけじゃねぇのか、ゆかりん。

「藍先生、ハグさせたの?」
「うぅん。弾幕張って拒否してた」
「ひでぇ!?」
「流れ弾当たって痛かったよー」
「防御結界はどうしたの!?」

 前髪を手でかき分け、被弾の当該箇所を見せてくる橙に思わず突っ込み。
 未だ赤みが残るおでこの中心には、可愛らしい猫の足形がプリントされた絆創膏が貼られていた。
 恐らく、藍先生お手製のものだろう。

 ――答えを聞いてみると何て事はなく、主の戯言にかなりお冠だった――らしい――先生は、
意図せず橙の周りに張っていた結界を解いてしまったそうだ。
 ……橙の言葉には一切含まれていなかったが、きっと先生は顔を赤くしていたんではなかろうか。
 なんでこの界隈にゃ好意を弾幕で示す輩が多いのかね、と私は一人低く笑った。

「それから、『先の作業は少し厄介だから、戻っていなさい』って」
「あ、あぁ、うん。そんで、珍しくヒトリできたんだ」
「ん。……ヒトリと言えば、此処も珍しく誰もいないね。この時間ならリグルとルーミアがいると思っていたんだけど」
「あー、うん。ルーミアの何時ものに、リグルが付き合っててね」
「友達作り?」
「そ」

 なるほど、と頷く橙。
 そんな彼女に、私はふと、少しばかりの悪戯心を覚えた。
 今ならお客さんもいないし、水を吹いてもさして問題はないだろう。

「コップ、もう少しで空になりそうだから、飲み切っちゃって。新しいの注ぎたいから」
「うぅん?別に、そんなに変わる訳じゃ……」
「いいからいいから」

 不思議そうな顔をしながらも、橙は四分の一程に減っているコップの水をこくこくと飲みだす。
 ふふふ、準備は整った。
 私は不敵に笑み、彼女が飲み切る前に言い放つ。

「風見幽香の所に行ってるんだよ」
「ふーん、また珍しい所に行ってるね」
「そうそ……」

 それだけですか。

「ちょ、ちょっと!なにそのリアクション!なんで吹かないの!?」
「えぇ!?」
「風見幽香だよ!?四季のフラワーマスター!最強の妖怪!」
「え、ぁ、最強は紫さ」
「そんな議論をしているんじゃないやぃ!最強の妖怪に私達みたいな普通の妖怪が……ぁー……」

 勝手にヒートアップしそうだったけど、橙の言葉で我に返った。

「橙、そんなのが身近にいるんだもんねぇ……」
「そんなのって言われるのもなんかヤだけど。それに、一緒には住んでないよ?」
「そういう意味じゃないって」

 わかっているとは思ったけど、一応言葉を返す。

 大層驚いてくれると思っていたばっかりに、はふ、と小さい溜息を零し落胆する。
 ネタは悪くなかったが、相手が悪かった。
 是がチルノ相手なら……いや、奴も駄目だ。『さいきょーのあたいなら造作もない事よ!』とか抜かしそう。
 レティ……って、彼女もどうだろう。のんびり屋さんだからなぁ。
 ……だ、大ちゃんなら!それでも大ちゃんなら驚いてくれる筈!
 畜生、親友連にまともな感性を持ってるの、半分以下かよ!リグルも微妙な範囲だし!

 天を仰いで嘆く私に、橙はまぁまぁと慰めの言葉を投げかけ、口を開いた。

「ルーミアが行ったの、太陽の丘だよね?そんな所まで行くようになったんだ。凄いなぁ」
「場所で驚かれてもなぁ」
「いつまでもむくれないでよー」

 それもそうだ。
 苦笑している橙に軽く謝罪し、話を続ける。

「最初は止めたんだけどね。危ないからやめなさいって」
「あはは、なんか想像できるよ。なんか、ミスチーってルーミアのお姉さんっぽいよね」
「そーゆーつもりはないんだけど……」
「私にルーミアを紹介した頃は、まだちょっとだけおっかなびっくりって感じで話してたのにね」
「しょうがないでしょー、会ってからまだ時間経ってなかったんだし、初対面で『食べていい?』って聞かれたんだから」



 ルーミアとの出会いの時。



『貴女は食べてもいい鳥類?』
『た、食べちゃ駄目!』
『えー、でも、他にする事もないしなぁ』
『そんな事ないよ!た、沢山、する事あるよ!』
『楽しくないとヤだし……』
『じゃ、じゃあね――遊ぼ、私を食べるんじゃなくて、私と遊ぼう!』



 腕一本位なら、一二か月我慢すれば元に戻る。
 だけど、暗闇の中、囁きかけてくるこの妖怪は、その程度じゃ満足してくれないだろう。
 それは困る。
 とても、凄く、困る。
 だから――食べられる代わりに私が提示した条件は、遊ぶ事。



『遊ぶって、何するの?』
『う、歌ったり、かくれんぼしたり、お話したり、弾幕張ったり!』
『ふーん……。でも、食べるよりも楽しいのかなぁ』
『楽しい、絶対楽しい!だからね、遊びましょ!?』
『そーなのかー』

 あどけない言葉と共に視界を覆う闇は晴れ、代わりに眼に映ったのは声と同じ雰囲気を持つ少女。
 だったらいけるぜと空元気を出し、私は必死になって様々な遊びを提供して。
 彼女は、その一つ一つに、全力で応えた。

 空が雨雲以外の理由で黒くなってきた頃には、私も彼女も遊び疲れてふらふら状態。
 雨で濡れる草むらに座り、息を整えながら、私は恐る恐るどうだった、と尋ねた。

『うん、楽しかったっ』

 返って来たのは、花の様な笑顔。

『でも、お腹空いたなぁ』

 なんで和やかな一日を一瞬にしてホラーに戻しちゃうかな、こいつは。

『た、食べちゃ駄目だからね!?』
『……だめ?』
『可愛く言っても駄目!』
『えへへ、わかってるよぅ?』

 ほんとかなぁと、疑いの目を向ける私に、ルーミアはほんとほんとと首を上下に動かした。

『遊ぶって、こんなに素敵な事だったのね。知らなかった』
『……そうなの?』
『うん。私、ふわふわ飛んで、時々食べて、極稀に弾幕ごっこして、寝てただけだもん』
『そうなんだ。……友達とかも、いないの?』

 デリケートな質問かな――聞いてから後悔したが、対する彼女は何の感慨もなくこくりと頷く。

『要らなかったもん』

 強がりでも、見栄でもなく。
 ルーミアは単なる事実だとばかりに言った。
 
 だけど、その表情は少しだけ曇って。

『要らなかった、もん』

 二度、同じ事を口にした。
 そこで、私は漸く、彼女の言葉の本当に気が付く。
 ――あぁ、過去形だ。

『えと、でもね、今日、初めて遊んで、それでね』

 途切れ途切れの言葉は、揺らぐ心の表れで。

『友達、欲しくなったわ。――だからね、ね、ミスティア。私と』

 心の動揺は、見上げる視線と重なった。
 ……だから、なんだろう。
 私の目覚めをとびきりの恐怖で塗りつぶした闇が、その時ばかりは薄く、薄くなっていて。

 私は、小さく首を振って、応えた。

『駄目』

 ぴくりと動く肩を見て、私はもう一度、首を横に。

『それじゃ、駄目。ミスティアじゃなくて、ね』

『……え?』

『ミスチー』

 正直、その頃はやっぱり多少怖かったけれど。
 でも、彼女だけでなく、私も全力で遊んで楽しかったから。
 だから、私は、彼女に手を伸ばした。

『ミスチーって呼ぶんだよ。友達わぁ!?』

 伸ばした手はスルーされて。

『みすちー、ミスチーっ!』

 代わりに、ぎゅうっと抱きつかれた。
 突然の事に私はバランスを崩し、抱きつかれたそのままに地面へと背中からダイブ。
 雨で濡れた草々は汗まみれの身体に、少しだけ気持ち良かった。

『わ、こら、くるし』
『ミスチー、ミスチー♪』

 ルーミアの腕の力は思ったよりも強くて、抜け出せそうになく。
 小動物よろしく体と頬を摺り寄せてくる彼女に、私はされるがまま。
 ……うん、ヒトに見られたら、絶対捕食中だと思われるよね、これ。

『でもいい匂いだし頬もすべすべで羨ましいなこんちくしょう!』
『えへへ、ミスチー、ミスチー』
『あぁぁ、胸に胸、耳に息がぁぁぁぁぁ!?』

 はぁぁぁぁぁぁん、とこめかみに青筋を立てながら私。

 そんな感じでキャッキャウフフとしていると、ふいに感じる馴染みの風の流れ。
 優しく穏やかで颯爽とした、その風の主は、勿論、リグル・ナイトバグ。
 見上げて彼女を迎え入れようとすると、飛び込んできたのは、顔を引き攣らせた彼女の表情。

『み、ミスチーが食べられてる……っ』

 あーうん、やっぱりそう思われちゃうよね――なんて考えつつ、否定しようとしたのだが。

『ひ、酷いよミスチー!親友の私に何の相談もなく!しかも、外でだなんて……破廉恥過ぎるよ!』

 何の話だ、お嬢さん。

『リグル、落ち着いて、そうじゃなくて』
『えへへ、ミスチーも柔らかくて気持ちいいよ?』
『あぁもぉ、また誤解されそうな事を!?』
『うわぁぁぁん、私だって偶にしかしないのにー!?』

 頬擦りの事ですだよ?

 まぁともかく。
 この後も素っ頓狂な会話を交えつつ、雨が止んだ朝焼けの頃、皆で濡れた草むらに寝転がった。
 右手を私と握り、左手をリグルと握るルーミアは、嬉しそうに宣言した。

『私、私ね、一杯、たくさん、友達作る!両手の指でも足りないほど、両足の指を加えても足りないほど!』

 私とリグルは、ルーミア越しに視線を交わし。
 互いに微笑みながら、ルーミアに言葉を贈った。

『友達――』『――百人』『『できるかな?』』

『うんっ』



 ――あの日、あの時から。
 目的が出来たルーミアは、毎日あっちに行ったりこっちに行ったり。
 昨日今日に至っては、向日葵畑の風見幽香の所にまで。

 少しばかりの不安はやっぱりあるけれど、昨日も無事だったし、リグルも一緒だし、きっと大丈夫。

「――そだ、ミスチーがお姉さんとするとさ」

 おっとと、いけないけない、今は橙とお話し中だった。

「ぁ、ぅん?」
「リグルは、お兄さんかな?」
「あはは、背も一番高いしねー……ってふざけんなぁ!」

 お前もかブルータス。
 因みに、身長に関して言えば、リグルが一番高く、私が続いて僅差でルーミア。
 ……じゃなくて。

「付き合いの結構長いあんたまでそう言う事を云う!」
「付き合いが長いから、余計にそう思うんだけど。どして、怒ってるの?」
「ぬぐぐ、じゃあ、橙は藍先生がお兄さんっぽいとか言われたらどう思う!?」

 ずぃと詰め寄ると、満面の笑みで返してきやがった。

「藍様は、私のご主人様!」

 三つ指ついてお出迎えするんですね、わかります。

「『貴女様、ご飯にします?お風呂が先ですか?そ・れ・と・も……』かよ!羨ましいなぁ、ぉい!」
「?そんな事言わないよ?」
「だ、だよね」
「行ってらっしゃいのキスしかしてないもん」
「してるのかよっ!?」

 うん、と笑顔で頷く。
 今朝方を思い浮かべながらのそういう表情は、まだ色を知っていない証。
 藍様も喜んでくれたよ、と無邪気に語る橙だけど。
 きっとその現場はスプラッタな事になっていたに違いない。
 だって、藍先生だし。





 と。変化のなかった屋台の外から、此方に向かってくる風を感じる。





 リグルとルーミアが……あれ、でも。
 一つは、間違いなくルーミアのソレ。何時もよりも、元気がないのだけれど。
 もう一つは……知らない。知らないから、わかる。リグルじゃない。

 まさか、風見幽香……?――でも、そんなに強い力は感じない。

 妙な胸騒ぎを覚え、私は橙にちょっとごめんと断りつつ、暖簾をくぐり、外に出た。
 ぴしゃ――頬に水滴が落ちる。屋根の下で気が付かなかったが、雨が降り始めていたらしい。
 片手間に指で拭い、向かってくる風に視線を向ける。

 夜の暗さの所為で、此方に飛んでくる二つの姿を特定しきれない。私は、目を細めた。

 片方はやはり、ルーミア。
 目視して漸く気付いたが、彼女は元気がないんではなく、力が、妖力が弱まっている。
 何故、と疑問に感じるより前に、もう片方に頭が揺さぶられた。

 ルーミアの少し後ろからきているのは、腹話術で使う程度の大きさの人形――「……メディスン・メランコリー?」
 ――と。
 小さな彼女の背におぶられている、リグル――「………………え?」

 細めていた目は、見開かれた。

 背負われているリグルの様子は、まだよくわからない。
 だけど、彼女の愛用のマントが何時もよりも少し重たそうだった。
 どうして……そう考えるよりも先に。



 風が、匂いを運んできた。鉄くさい匂い。



「…………え?」



「――ミスチー、ミスチー、リグルが、リグルがっ」

 ルーミアの声が遠くで聞えた。
 そう感じたのは、私の無意識が聴覚よりも視覚と嗅覚を優先させていたからだろう。
 そして、ルーミア自身の声が小さかったから。
 気が付くと、私は泣いているルーミアに縋りつかれていた。

「どうしよう、ミスチー!リグル、リグルが私を庇って――」

 普段の力ならば、私の身体は前後に揺られていたと思う。
 ルーミアの力は意外と強いのだから。
 そうならなかったのは、彼女の力が、妖力が減少している事の証。

「……え?」

「リグルが、――――うよぅっ」

「え……?」

 雨か、汗か、それとも涙か。
 頬を伝う水滴を気にも留めず、彼女はリグルが――――うと小さく叫んだ。
 代わりに私が拭ってあげよう、そう思い、長い爪で傷つけぬ様、人差し指を曲げ、濡れる頬に触れる。
 指に触れたソレは微かな抵抗を見せ、散った。

 ソレは、雨でも、汗でも、涙でもなく。
 乾いた、血だった。

「え?……あ、……え」

 頭が動き始める。
 ガキ、ガキ、と軋む音を立てながら。
 注された油は、リグルの血。



「リグルが、死んじゃうよぅ」



 ガキガキ、ガキガキ、ガキガキガキガキ――「……ヤ」

「え……?」



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」



 なんで!どうして!?うそ、ヤだ、そんなのウソだ!そんな事あってたまるか、リグルが、リグルが

 しんじゃう、なんて

 嫌イヤいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!

「――――、――――っ!?」

 ルーミアがなにかいっている。
 でも、きこえない。ききたくない。
 わたしはりょうてでみみとあたまをおさえ、さゆうにふる。

 なんで、どうして。

 だれもこたえてくれない。
 だれもおしえてくれない。

 なんで、どうして。

 なにかが、ちいさくわたしのかたをゆさぶる。
 ちいさく、よわよわしく、ゆさぶる。

 なんで、どうして。

 はなにかすかな、いいにおい。
 ゆさぶるちからはよわまって、やがてとすんと、るーみあはわたしにもたれてきた。

 なんで、どうして。

 なんで――りぐるは、たいようのはたけに行ったから。
 どうして――リグルは、ひまわりばたけに行ったから。
 そうして、きっと、そう――風見幽香を怒らせたから。



「――ねぇ、少しは、落ち着いたのかしら」

 

 耳を押さえる手をだらりと下げ――ようとしたら、もたれ掛かってきているルーミアの肩に触れたので、
結局、両手はそこに落ち着かせる。
 取り乱した、いや、今も取り乱している筈なのだが、ともかく、何故だか私の思考は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
 声のした方に視線を向ける。

「……メディスン・メランコリー?」
「落ち着いたみたいね。そう、私はメディスン。毒を操るの」
「……?」
「気分を高揚させる毒を貴女に使っているの。沈んでいたのをあげる為に、少しだけど」

 さらっとえげつない事を言ってくれる。

「安心して?使い続けなければ問題はないそうだから。それと、ルーミアは混乱しているから、少し眠ってもらったわ」
「……クロロホルム?」
「誰があんな程度の低い毒を使うもんですか」

 低いらしい。私にはよくわからないが。

「あんた、そんなに器用だったっけ……?」
「私の事よりも――」
「そうだ、リグルは……リグルは、どうなのっ?」

 覆いかぶさるようにメディスンに背負われている彼女を見つつ。
 なんとか、それだけ吐き出す。
 駆けて行かなかったのは、ルーミアという重しと……私の弱さの所為。

 ぎり、と奥歯を噛む。ふざけるな、私。

 怪我をしているのはリグルだ。痛いのはリグルだ。
 私が今ここで、どれだけ祈ろうが願おうが、その怪我も痛みも消えはしない。
 ならば、出来るだけ早く現状を理解する事こそ、リグルの為。

 私は、リグルとメディスンに視線を向けた。

 ほんの少し、メディスンはどう答えようか躊躇していたように見えるが、それも僅かの間。
 ……その時間でふと気付く。
 血だらけのリグルを背負っているメディスンの妖力も、徐々に減少していっている事に。

 指摘するよりも早く、メディスンは口を開いた。



「……体の外側を、弾幕で貫かれているみたい」



 どくんと疼く胸を、ぎりと奥歯を強く噛み黙らせる。

「でも、細かい事まではわからない。
私の所にルーミアとリグル――でいいのよね?――が来た時には、もうこんな様子だったから。
……いいえ、もう少し酷かったかしら。今は、ルーミアと同じ方法で眠らせているもの」

 二つ、わかった事がある。

 リグルは眠りにより、痛みを感じていない。
 彼女の為にも、そして私の為にも、頗る有難かった。
 彼女が痛みで酷く喘ぐ姿を見たら、私は今よりも平静を保てないだろうから。

 もう一つは、メディスンの妖力が減少し続けている事の理由。
 そりゃそうだ。弱い毒かもしれないが、無名の丘からずっと使い続けているんだから。
 加えて、今はルーミアと私にも使っている。
 しかも、別の毒を。
 リグルに抑えつけらていてわかりにくいが、良く見れば彼女の肩は上下していた。

 一つ、わからない事が出来た。

「……ねぇ、メディスン。あんたは、どうしてこうまでしてくれているの?」

 メディスンは応えてくれた。今度は、躊躇する事無く。

「だって、ルーミアは友達ですもの。友達って、そういうものじゃないの、ミスチー?」

 暫しきょとんとして……私は頷き、次の行動に移る。

 ルーミアを友達と呼び、私を『ミスチー』と呼ぶ彼女。
 メディスンは今、私達の為に力をすり減らしていっている。
 ならば、その負担を少しでも減らしてあげるべきだ。

 彼女も、メディも、私の友達になってくれたのだから。

「橙、ごめん、ちょっと出てきて!」
「え、え、なに、どうかしたの?」
「うん、どうかしたの!早く早く!」

 押し寄せるマイナスの感情を打ち消すように、屋台の中にいる橙に声を張り上げる。
 大きな声を出してしまった為か、んぅ、と小さくもたれ掛かっているルーミアが寝息を立てた。
 意識は落ちているのに、その表情は何所か苦しそうで――だから、私はルーミアの小さな体をぎゅっと抱きしめる。



「みすちー、りぐる……、ゆう、か…………」



 ……ルーミアの表情は、微かに柔らかくなった様な気がした。



 屋台から出てきて、現状のあり様に驚きの声を上げる橙。
 事情を説明してあげたいけど、私自身掴み切れていないし、何よりもリグルを治療する方が優先事項だ。
 寄ってきた橙にルーミアを起こさない様にゆっくりと預け、私は屋台に戻ろうとする。

「どうして、中に戻るの?」
「どうしてって……傷薬とか包帯とか取りに――」
「そんなのじゃ、無理」

 メディは静かに、だけど、きっぱりと言い切った。

「ちょ、ちょっと!そんな言い方ないでしょう!?ミスチーは」
「いいの、橙。リグルの怪我を一番わかっているのは、メディだと思うから」

 橙の、私を思っての叱責にメディは顔を歪ませ――申し訳なさそうに、此方を見つめてくる。
 わかっているよ、メディ。あんたは、単に事実を伝えただけ。
 私は二人に対して無理やり笑みを浮かべ、足を屋台とは反対の方向に、メディの方に向けた。

 近づくたびに、足が重くなる。
 其れほど遠くない筈なのに、何時まで経っても辿り着けない。
 いや、辿り着きたくないんだ。今のリグルを、見たくないから。



 ……は、……はは、あはは、あはははははははっ。



 ふざけるな、ミスティア・ローレライ!
 見たくないだと?リグルを、リグルを見たくないだと!?
 馬鹿言うな!どんな姿だろうが、どれだけ傷を負っていようが、リグルなんだぞ!
 なら、見たくないなどあり得ない!いやさ、かぶりついて見てやろうじゃないか!
 そうだ、仮に苦悶の表情をしていたとしても、中々見れやしないんだ、この機会に一生分見てやろう!

 あはははははははははははははははははははははっっっ。

「……あの、ミスチー?ミスチーさん?」
「……毒の発生源――私だけど――に近づいて、モロに影響を受けてしまっているの」

 前方と後方からじと目が降り注がれるが気にしない。
 私はずんずんと足に力を込めてリグルとメディに近づいていく。
 どうだ、あれほど遠く感じていたのに、もう手を伸ばせば触れられる距離だ。

 触れる前に、一度目を閉じ――見たくないなんて思って、ごめんね――開く。

「毒を弱めた方が」
「メディ、弱めるんじゃなくて」
「……え?」

「私に向けているのを、止めて」

「でも」
「もう、大丈夫だから」
「……うん」

 メディが目を閉じると、ゆっくりと、ゆっくりと、重い、重いモノが胸を満たしていく。
 重力のない筈のソレは、けれど、私の身体全てを覆うようで。
 もう一度、強く強く奥歯を噛み――リグルを、メディの背から奪った。

「ミスチー……背負う位なら、私でも」
「そう言う事は、息を整えてから言ってね」
「……ん」

 深呼吸するメディに、私は微笑みを送る。

 ……受け取ったリグルは、硬くて、重かった。
 どくんっ、とまた胸が疼く。ソレを無視して、私は傷に触れない様、彼女をやんわりと抱きしめる。
 暖かな体温に、口から洩れる吐息に、確かに脈打つ心臓に、涙が出そうになった。

 このままだと背に回す腕の力を強めてしまいそうだったから。
 私はすぐさま、後ろにいる橙に声をかけた。

「橙、やっぱり、包帯とか持ってきて。とりあえず程度だけど治療し」

 ぁ……っ――橙が、私の言葉を遮り、短く叫ぶ。何か思いついた様だ。

「そう、そうだ、ほら、あそこ、えーと、あーもぅ、名前が出てこない!」 

 両手で頭をガシガシと掻……けない代わりに、ルーミアを気にしつつ、天を仰いで橙はうがーっと小さく吠える。
 何がそうで、何所があそこなんだろう――地団駄でさえ踏みかねない彼女と同じ様に、私も天を見上げた。
 ぽたりぽたりと、水滴が落ちてくる。光明なんて浮かびやしない。
 橙も心境的には似通ったものであろう。吠えるのを止め、ぼぅと暗い空を見つめる。

 これで雨雲がなく、月明かり……ぇ……月……?――――っ!



「「――永遠亭!」」



 私と橙の声が、見事にハモる。……お互いに支えているモノが起きていないか確認したのも、シンクロした。

 橙が思い出した通り、私が喝采を上げた通り、其処に行けば、人妖問わず診てくれる薬師・八意永琳がいる。
 私自身に面識はないが、怪我をしているリグルにはつい先日あった筈だ。
 やった、これで、どうにかなる!

 ――橙と頷き合い、私は翼を広げ……「って、何不安そうな顔してるのよ、橙?」

「や、えと、……つけるかな、あっこに」
「何言ってるの!迷いの竹林を抜けたらすぐに……ぁ……」
「うん……。ウチほどじゃないけど、あっこも着くの難しかったような」

 くぅ……ちくしょうっ、畜生!
 やっと光が見えたって言うのに!
 やっと解決策が浮かんだと言うのに!

 『迷いの竹林』――その名前は伊達ではなく、妖怪ですら範疇に入ってしまう。
 そんな場所に、目的地の場所さえ漠然としか知らない私達だけで行くのは愚の骨頂。
 確実に着けるであろう慧音先生の所に行くのも気が引ける。
 私だけならともかく、普段は人里に滅多に近寄らない橙や、人を憎むメディもいるのだから。

 いや、今はそんな事を言っている場合じゃ――「ねぇ、ミスチー?」

「……え、なに、メディ?」

 思考を遮られてしまった所為か、早口で返してしまう。
 けれど、メディは気にした様子もなく、不思議そうに聞いてきた。

「どうして、永遠亭に行こうとするの?」
「どうしてって……だから、永遠亭には、あの八意永琳がいるからじゃない!」
「えーりん?」

 そうだよっ。叫び返そうとした所で、気が付く。

 メディは、毒を、その特性を活かして使った。
 メディは、説明に、『そうだから』と言った。
 メディは、そして、八意永琳を親しみを込めて、呼んだ。

「もしかして、メディ、八意永琳と知り合いで、永遠亭の行き方を知ってるの!?」
「うん。場所も、何度かえーりんに招待されたから」
「――っっったぁぁぁ!」



 今度こそ、ぶわっと翼を広げる。



「メディ、道案内、お願い!」
「え、あ、うんっ」
「橙、ルーミアを抱えたまま」
「もう、飛んでるよ!」

 リグルの腋に左腕を通し、右腕を膝の裏に通す。
 胸に触れそうになった左手を少し焦りつつ下にずらし。
 ぐぃ、と両腕を、リグルを私の身体に近づける。

(勝手に、ごめんね)

 こつんと小さく額に額を当て、心の中で呟く。

「ミスチー!」
「どうしたのっ?」

 橙とメディの声が、少し離れた上空から聞こえてきた。
 風や雨が傷に触れぬ様、簡単な防御陣を組み、私もふわりと浮きあがる。

「何でもない!――急ごうっ」
「うんっ」



「「永遠亭に!!」」





《幕間》

「お姫様だっこ?」
「違うよ。アレは横抱きって言うの」
「でも、えーりんは寝ている輝夜をあぁやってだっこして、『是が本当のお姫様だっこっ』ってしばかれてたわ」
「えー、だけど、紫様は藍様をあぁやって抱き上げて、『怪我をしている時はこうするの』ってどつかれてたよ」
「どうして、どつかれたの?」
「藍様、その時は怪我をしてなかったからかなぁ」

《幕間》





 前方の橙とメディが何やら話しているが、少し離れた私には届かなかった。
 
 ぴし、ぴし。
 急いでいるからだろう、風は刃の様に、小雨は弾幕の様に、私達を攻め立てる。
 ……一人ならともかくリグルを抱えた状態。私の拙い防御陣では、降りかかる全てから守るなど、できない。

 風が身を切る度、雨が頬を打つ度、私は腕に力を込めた。
 リグルのくぐもった、意識のない悲鳴に耐えられそうになかったから。
 毒を解けなんて格好つけるんじゃなかったかな、と一人苦笑する。

「ぅ……く…………」

 目を細める。奥歯を噛む。力を込める。
 そう、意識した。
 目が開く。歯が鳴る。力が抜ける。
 けれど、体は正直だった。

 首を横に小さく振り、再び意思を固める。
 ……と、手の位置をずらした所為か、リグルを抱く腕が、傷口に触れそうになった。
 慌てながらもすぐに数㎝ずらす。

 四肢も胴も、全身を弾幕で貫かれたリグルを抱きながら、それでも尚思う。
 運が良かった、当り所が良かった、と。
 だって、相手は風見幽香。最強を自称し、それに聊かも見劣りをしない力を持っているだろう妖怪。
 相手が本気を出せば、私達普通の妖怪なんて瞬時に葬り去られてしまうだろう。
 そんなのに攻撃されて、だけど、リグルは生きている。

 あぁ、良かった。



「……みす、ちー?」



 ――呼び声に、がつんと頭を殴られた様な感覚。

「……っ。リグル、永遠亭までもう少しだからね。すぐに着くからね」

 震える手に意識を集中させ、心情を悟られないようにする。

「……ん。迷惑掛けて、ご――」
「謝らないで」

 私の心配は杞憂に終わったようだ。
 今のリグルに、人の心情を探る余裕などないと判断した。
 だって、手に幾ら力を込めても、私の全身は震えていたのだから。

「今、謝られると何でも許しちゃう」
「あは……ミスチーは、厳しいなぁ」

 リグルはゆっくりと口を動かす。
 言葉を確かめながら、ゆっくりと。
 その様はどこか儚げで。

「……幽香はさ。ルーミアの、言う通りだったよ」
「え……?」
「なんと、なく、だけど……私も、寂しそうに、感じた」

 切れ切れの言葉。荒い息。

「ルーミアは、昨日と同じで、声をかけたんだ。『こんばんは、幽香』……て。
私も続いたんだけど……幽香は、ちょっとだけこっちを見て、すぐに目を逸らした。
……なんとなく、苛っとしたような、うぅん、悲しそうな、感じがしたよ」

 妬いたのかな。はは、まさかね。

「それから、私も含めて、『遊ぼう』『遊ばない』の押し問答を、少しして……。
『向日葵なんかずっと見てるよりも、遊んだ方が楽しいよ』――ルーミアが、そう言ったんだ。
『私も、君の向日葵が咲いた様な笑顔が見たいな』――こっちは、私」

 もぅ、相変わらず気障な台詞。少しは気後れしてよ。

「その後、ルーミアが、ばっと手を広げてさ。あぁ、何時ものポーズ、だね。
『私もリグルも、向日葵みたいな幽香と遊びたいの』って、おっきな声で言ったんだ。
……あれ、雨、強くなった?」

 あぁ、やっぱり、見えてないんだね。それとも、朧げにしか見えていないのかな。

 ――私は、リグルに降る雨を減らす為、上を向いた。

「そしたらさ。急に、幽香がばっと、振り向いてね。
『そうよ、私は向日葵。だから、貴女達とは遊べないの』、そう言って、弾幕をルーミアに――痛っ――放って。
ほんとに急だったからさ、私も、防御も何も考えないで、ルーミアの」

「もう、いいよ」

「ん……?」
「話すの、辛いでしょ。だったら、無理に、話さないで」
「お見通し、だね」
「当たり、前でしょ」
「ん……。あぁ、でも、ねぇ、ミスチー。幽香は、その時も、何故か寂しそうだったんだ」

 私はもう、目で返すのも、声を出して返事する事もできなかった。
 目はギュッと閉じていたし、口は内側を噛むのに必死だったから。
 そうしないと、涙が止まらなく、叫んでしまいそうだったから。

「幽香と、遊びたかった、なぁ……。
――お言葉に甘え、させてもらうね。少しだけ、お休み。それと」



「ありがとう、ミスチー」



 瞳を閉じ、私の胸元で眠るリグルの一定のリズムを感じ。
 体に当たる雨を振り払う様に、私は、開かれた翼を更に無理やりに広げ、速度を上げた。
 リグルに降る水滴も、少しはマシになっただろう。



 意外と長く話していた為か。それとも、速度を上げた為か。
 濡れた草木を眼下に、天を刺さんとばかりに伸びる竹をかわしながら進んだ私達は、遂に目的地に
――永遠亭に辿り着いた。













                  《後編に続く》
お読み頂きありがとうございます。
後篇も読んで頂けると嬉しいです。

以上
道標
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コメント



0.2880簡易評価
8.60名前が無い程度の能力削除
みすちーを筆頭に1、2面組魅力的過ぎるよ!
りぐるんは……何処まで天然なんだ……GJ…ッ!
9.90名前が無い程度の能力削除
オーケー、後半行ってくる
28.90名前が無い程度の能力削除
後半は!後半は何処だ!
って上か…
32.90名前が無い程度の能力削除
後半次第でものすごい名作になりそうな予感。
行ってきます
44.100名前が無い程度の能力削除
みすちー好きの自分には効果抜群でした。
久しぶりに物語りに引き込まれました。