『そしてメイドは時を刻む』
生まれる前のことは、あまり覚えていない。けれど、生まれた瞬間から、私は私だと理解できていた。
自分の名前も、役割も、力も、何もかも分かる。これからどうすればいいのかも、なんとなく分かる。
お姉ちゃんと、妹がいるのも分かる。すぐ側にいるんだもの。
私たちは、三人で一つ。誰が欠けても、いけない。
そのことは、誰に教えられた訳でもなく、ただ『分かって』いた。
けど、なんで、お母さんがいないんだろう。
名前も、顔も、何もかもが分かるのに、なんでいないの?
お母さんがいないと、寂しいのに。
ねえ、お母さん、私たちの前に姿を見せて。一緒にお話をして。
――お母さん――?
まず最初に異変に気付いたのは、ウルドだった。
弾かれたように顔を上げ、次の瞬間、胸に手を当て、苦しそうに顔をしかめた。
「――これ、は・・・・・っ」
スクルドも気付いたのか、同じように顔をしかめ、胸を押さえている。
「姉上、もしや・・・・・・」
「終わった、みたいね。けれど、これは・・・・・・もしかして」
呟き、しかめ面のまま目を閉じるウルド。
そして、自身が発動した弾幕の中、ウルドは厳かに呟く。
「『戻れ』」
たったそれだけ。その一言で、周囲を飛び交っていた星が消え去った。それと同時に、スクルドのスペルによって被害を受けた眼下の森が、復元され、元の姿に戻った。
――まるで、最初から何事もなかったかのように。
「――なっ!?」
急激に変化した光景に戸惑いを隠せずにうろたえる紫達に、ウルドは申し訳なさそうに目を伏せて言った。
「一方的だけど、説明している暇はないの」
言い終わるが早いか、ウルド素早く虚空に魔法陣を描く。
弾幕を予想し、身構える紫達に、ウルドは笑いかけた。
「異変は解決するわ。それに、もう二度と、この世には現れないでしょう。・・・・・・迷惑をかけて、ごめんなさい」
そう言って、魔法陣の中に身を投じた。
後に残ったスクルドは、ばつが悪そうに頬をかき、
「まあ、その・・・・・・すまぬ」
そう言って頭を下げた後、魔法陣へと足を踏み入れた。そしてスクルドの姿が消えると同時に、役目を果たしたかのように、魔法陣も消える。
後に残された紫達は、急な展開に、ただ呆然としていた。
「どうなってるの?」
「さあ・・・・・・?」
「・・・・・・とりあえず、咲夜のところへ行けば分かるかもしれないわね。急ぎましょう」
レミリアの言葉に、その場にいた全員がとりあえず、といった具合に頷き、未だに首をかしげながらもその場を後にした。
ゆっくりと目を開けたベルが最初に見たのは、覗き込む咲夜とフォルの顔だった。
「あ――っ」
「気がついた?」
「死ぬことはないでしょうけど、流石に心臓に悪いわね」
先ほどの弾幕勝負が嘘のように、優しく微笑む咲夜と、微かに安堵のため息を漏らすフォル。
だが、ベルには、二人が心配する理由がよく分かっていなかった。寝転んでおり、咲夜に膝枕をしてもらっている、という状況すらも把握できていないのでは、無理もない話なのだが。
目を白黒させているベルに、フォルが呆れの混じった声色で説明した。
「覚えてないのなら教えてあげるわ。咲夜が放ったスペルのすぐ後、あなたは気絶したのか、空から落ち始めたのよ。・・・・・・あれには驚いたわ。スペルは狙いを定めていなかったからかすり傷一つ負わせていなかったはずなのにね」
「・・・・・・え?」
ベルは驚いた。本当に狙いを定めて攻撃されたとばかり思っていたのだ。
慌てて咲夜の方を見るベルに、笑いかける。
「私たちのいるこの世界では、弾幕勝負で命までとらないわよ」
「・・・・・・なんで?」
「これはね、弾幕ごっこ。つまり、遊びなのよ。遊びで命の取り合いなんて、馬鹿馬鹿しいでしょう?」
「あそ、び?」
思わぬ言葉に、まともな思考が出来ずに呆然とするベルに、二人は揃って大真面目に頷いた。
慌てて、ナイフが刺さったはずの手を見ると、きちんと手当てがされていた。
再び目を白黒させたベルに、咲夜は幾分口調を強めて言った。
「ベル、私たちの勝ちよ。・・・・・・時間を元に戻しなさい」
「・・・・・・お母さん、なんで、時間を止めたら駄目なの?」
心底疑問に思っているようなベルの言葉に、咲夜は僅かに目を細めて答える。
「私も、色々な時に時間を止めているから、あまり強くは言えないわね。・・・・・・けどね、ベル。この幻想郷の時間を止めたままにしよう、とは絶対に思わないわ。時間は過去から現在を経て未来へ流れる。それがあるべき姿なの」
「・・・・・・」
「それに、例え周囲の時を止めたとしても、私の時は止まらない。・・・・・・今も、体の時は止めているけれど、私の内にある時は、ずっと時を刻む。そしていつか――私は、死ぬでしょうね」
「・・・・・・だから、世界全体の時を止めれば――」
悲痛な声で言いかけたベルの言葉を、遮る。
「ベル、どんな物事にも始まりがあるわ。そして、始まりがある以上、必ず終わりもある。それは、どんなに時を止めても変わらないこと」
「・・・・・・」
「終わりのない生なんて、空虚なものでしかないの。今の、お嬢様との生活は確かに楽しいわ。死ぬまでこの生活が続けばいいとも思っている。けれど、永遠は望まない」
「・・・・・・」
「人も、妖も。生き物のすべては、その終わりがあるからこそ、今を懸命に生きることができるのよ。・・・・・・それが、刹那的なものだったとしても、ね」
ベルは何も言わず、咲夜が紡ぐ言葉を聴いていた。
「だからね、ベル。私は、幻想郷の時を止めることを・・・・・・終わりのない生を、望んではいない。これからも望まない」
咲夜は、きっぱりと言い切った。
昔。人の年月にすれば、一代では到達することができないであろう、昔。幻想郷の端にて、ある契約が行われた。
気まぐれで拾った吸血鬼と、拾われた人間との契約。
それは、ただ言葉で交わされただけのもの。だが当事者にとっては、何よりも強固で、変えがたいもの。
――面白い子ね。・・・・・・そうだわ、私に仕えなさい。これはお願いじゃないわ。命令よ、『十六夜咲夜』
――畏まりました。私のご主人様、レミリア・スカーレット。
その際、拾われた人――咲夜は、レミリアに仕えるため、己の能力を使い、自らの時を止めた。故に、咲夜の身体はそれ以来、まったく変化していない。
しかし、毎日の生活の中で、咲夜は悟っていた。恐らく、レミリアが滅ぶまで、一緒にはいられないと。どうしても先に、自分が滅ぶだろう、と。
それは、変えようのない未来。
だが、咲夜はそれに抗うつもりはなかった。主であるレミリアの力に導かれた未来だから、という理由もあるだろう。しかし、何よりも咲夜自身が、己の能力の限界を知っていたから。
――どれほど時を止めようとも、永久に続くことはないのだから。
――自らの時を止めた『始まり』があるのなら、自らの意思に関係なく時が動き出す『終わり』もあるのだから。
だからこそ、ベルがどれほど力を使って時を止めようとも、それが永遠に続かないことを知っていた。
だが、そのことを告げても、素直に納得しないと踏んだ咲夜は、ベルに言い聞かせるために――自分は望んでいないと言えば、恐らくやめるだろうと考えて――あえて、先ほどのような言い方をしたのだ。
その言葉に、ベルは一瞬、今にも泣きそうな表情を浮かべたが、すぐに、何かを考え込むかのように目を閉じる。
咲夜は無理にうながそうとせず、ベルの言葉を待った。
――やがて、決心したかのように目を開き、咲夜の目の前に両手を差し出した。
その手の中にある物を見て、咲夜は首をかしげながらも、それを手に取る。
――咲夜が常に持ち歩いている物よりも若干小さめで、長針、短針、秒針すべてが、12時で止まっている、銀色の懐中時計。
「これは?」
「・・・・・・鳥籠の、時計。その時間を動かせば、時も動き始めるの。だから・・・・・・」
最後まで言えず、視線を落とすベル。
咲夜は頷き、懐中時計の秒針に触れて――
――――パリンッ、という音が、どこからともなく響いてきた。
それはまるで、流星群のようだったと、その光景を見た者全員が証言する。
咲夜が秒針に触れると、時計の時がゆっくりと動き出し、同時に、幻想郷を覆っていたベルの結界が崩壊した。
人はおろか、妖ですらも余程の力がない限りは不可視の結界の破片が、月光を反射して次第に光を帯び、地上に降り注ぐ。
その光は、地上に到達するまでにすべてが掻き消えている。だが、今にも消えそうな光が降り注ぐその光景は、まさしく幻想的であり、それに見とれている生き物の――否、幻想郷全体の時を、止めているかのようだった。
感嘆の息を漏らし、その光景に見入る咲夜とフォル。
「――お疲れ様です、お母様」
背後から聞こえてきた言葉に、咲夜は我に返って振り向き、目を見張った。
自分に歳も近く、姿かたちも酷似した女性が目の前にいたのだから、無理もない。
その女性は、驚く咲夜に微笑みかけた。
「あなたは?」
「名乗り遅れました。私は長女のウルド、ベルの姉です。そして――」
「わしが三女のスクルドじゃよ。初めまして、というべきかのう、母上」
ウルドの背後から、ひときわ幼い少女が年寄りじみた口調で歩み寄り、丁寧に礼をする。
だが、見知らぬ二人の女性――一人は少女だが――に母親と呼ばれて、咲夜の頭は軽い混乱に陥っていた。
とっさに次の言葉が出てこない咲夜に代わり、フォルが口を開く。
「時の三姉妹勢ぞろい、といったところかしら。・・・・・・まあ、ベルダンディがあなたのことを「お母さん」と呼んでいたんだから、残りの二人に母親扱いされても納得できるものじゃないの?」
そうは言われても、咲夜の心境は複雑だった。ベルやスクルドはともかく、自分とほとんど同い年に見えるウルドにまで母親呼ばわりされたのだから。ましてや、神であるウルドと、時を止めたとはいえ人の咲夜。どちらが年上なのかは、言うまでもないだろう。
「急に歳をとった気分だわ・・・・・・」
額に手を当てて空を仰ぐ咲夜に、ウルドは苦笑を浮かべた。
「そう言えるうちは、お母様も若いですよ。歳をとると、大抵の人は開き直るか、絶対に認めようとしませんから」
「それは慰めかしら?」
「まさか」
にっこりと微笑むウルド。対する咲夜は複雑な表情を浮かべていた。
それを横目に、スクルドはため息をつき、ベルの首根っこを掴み、無理やり立ち上がらせる。
「まったく、迷惑をかけおって・・・・・・帰るぞ」
「・・・・・・うん」
ベルは素直に頷き、未だに浮かび上がっている魔法陣の方へと、スクルドに引きずられるようにして向かっていく。
そして、魔法陣に入ろうとした時、スクルドは振り返り、嬉しそうに笑った。
「もう二度と会うこともないじゃろうが・・・・・・正味の話、会えて嬉しかったわい。達者でのう、母上」
「・・・・・・お母さん、ごめんなさい」
そう言って、二人は魔法陣の中へと消えた。
ウルドはすぐに後を追うことなく、その場に残り、二人に深々とお辞儀をした。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。そして――説得してくれて、ありがとうございます、お母様」
「説得、というより、私は私の考えを言っただけなんだけど」
「けれど、あの子には私たちが言うよりも、お母様がおっしゃった方が素直に聞くみたいなので・・・・・・あの子は力の特性上、始まりと終わりが、あまり理解できないようなんです」
こめかみを押さえ、そっとため息をつくウルド。その表情からは、今まで何度も言い聞かせようとした苦労がにじみ出ていた。それでもこの騒動が起こった、ということは、結局聞き入れられなかったのだろう。
しかし、一旦目を閉じ、そして再び開けた時、ウルドは毅然とした表情を浮かべていた。
「もう、二度とこんなことは起きないでしょう。ご迷惑をおかけするのも、最初で最後です。・・・・・・私たちのような存在が、人の世に降り立つこと自体、許されてはいけないことですから」
「ベルダンディが現れただけで、時の流れが緩やかになったように?」
フォルの問いに、ウルドは真剣な表情で頷く。
「はい。先ほどは三人が集まっていたので、逆に影響を小さくすることができたのですが、一人だけでは、どうしても・・・・・・確かに、私もお母様に会えて嬉しいです。ですが・・・・・・二度と、こんなことはあってはなりませんから」
そう言って、ウルドは僅かに目を伏せる。
「・・・・・・あの子は、もしかしたら・・・・・・本当は、お母様を私たちの世界に連れていきたかったのかもしれません」
「え?」
「私たちの精神の一部は、同調し合っています。本当に一部ですし、互いの考えていることが分かる、というものではありませんが・・・・・・ですから、あの子も一応は、人の世に降りる、ということの意味を理解している筈です。それならば――そう考えていたとしても、不思議ではありません」
「随分と、本人の意思を無視しているわね」
「はい。ですが、お母様はこの地で生きることを、随分前に決めているのを、あの子も気付いたのでしょう。それがどうやっても覆せないのならば・・・・・・それならば、この地で自らも生きるために・・・・・・この地を揺り籠にするために、時を止めにかかった、と、私は思っています」
そこまで言って、ウルドは咲夜の方へと向き直り、真剣な表情を浮かべて、
「ですが、先ほども言ったとおり、二度とこのようなことは起こさせません。・・・・・・それでは、私もここで失礼させてもらいます。お元気で」
深々とお辞儀をした後、魔法陣の方へと向き直り、歩を進めるウルド。
反射的に、咲夜は声をあげた。
「待って」
呼び止められ、振り返ったウルドに、咲夜は手持ちの、何の装飾も施していない銀のナイフを三本投げ渡した。
上手く柄の部分を受け止め、しかし何故ナイフを渡されたのかが分からず、不思議そうに首をかしげるウルドに、咲夜はさっぱりとした笑いを浮かべて言う。
「お土産よ」
「お土産、ですか・・・・・・」
自らに言い聞かせるように反芻した後、その言葉を理解したのか、ウルドは嬉しそうに微笑んだ。
「いいですね。あの子も・・・・・・勿論、私も、大事にします。ありがとうございます、お母様」
深々とお辞儀をし、魔法陣の中に消える。それと同時に、魔法陣も霞のように消え去った。
「――さて、騒動も落ち着いたようだし、私も帰るわ」
完全に消えたのを確認した後、疲れたようにため息をつき、日傘を差すフォル。そして向き直り、そのまま立ち去ろうとした。
咲夜は頷きかけ、ふと、思い出したように、その背に問いかける。
「そう言えば、「本物の私が」と言っていたけれど・・・・・・あなたは、何なの?」
その問いに、フォルは足を止めて振り返り、底の見えない微笑みを浮かべて言った。
「言葉通りの意味よ。私はあなたの主の偽者。同じく運命を操るけれど、私の場合は、ある人物の能力を媒介にしないと、まともに力が発揮できないの。・・・・・・逆に言えば、その媒介さえあれば、あなたの主にも劣らない力を発揮できるわ。あまり使いたくはないけどね」
「何故?」
「面倒だもの」
「・・・・・・え?」
あっけらかんな口調で言われて、咲夜は思わず呆気にとられた。
だが、フォルは大真面目な表情と口調で、言葉を続ける。
「私は真面目な話をしているのよ。この力は、ただ持っているだけでもアドバンテージになるもの、無闇に振るうものではないわ。力を使わずに済むのなら、それに越したことはない。騒動の度にあなた達が動くなら、私が動く理由はないわ。・・・・・・それに、本来私は、あまり積極的に物事に関わりたくはないの。要するに、面倒なのよ」
頬に手を添え、やや疲れの混じったため息を漏らす。
「当事者になるよりも、傍観者であるほうがずっと気が楽なの・・・・・・今回の件に関しては、例外中の例外。あなた達がいつまでたっても気付かずに動こうともしないから、仕方なく、といった具合ね」
そう言って、フォルは紫がいつもしているように、何もない空間に座り――だが、咲夜には、本当に何もない空間に座っているようにも見えた――頬杖をつく。
とても真面目な話をする体勢には見えないが、フォルは、真剣な表情で言葉を続ける。
「それと、もう一つ。本物の私とその周囲に――まあ、とりあえず誰にも私のことは伝えないでほしいの。これはお願いね」
フォルの言葉に、咲夜は眉を寄せた。
その反応も、分からないことではない。偽者のフォルはレミリアのことを知っているのに、何故レミリアはフォルを知ってはならないのか。言葉には出さないが、そう顔に書いていた。
咲夜の無言の問いに、フォルは口元だけで笑う。
「私と、本物の私が出会うとね――
――殺し合いになるから、よ」
告げられた言葉に、咲夜は絶句する。
その様子を見て、ますます楽しそうに微笑み――但し、目はまったく笑っていなかったが――フォルは続ける。
「ドッペルゲンガー、というのを知っているわね?何かしらのことがあって魂が分かれた存在。あれに出会うと、本物は遠くないうちに死ぬ、というもの。不吉を報せるために現れる、回避できない未来の前兆・・・・・・私とレミリアはそれに近いモノと考えていいかもしれないわね。外見が違うから、細かく言及すると違う存在なのだけれど」
「え、ええ。けどそれが・・・・・・?」
「話は最後まで聞きなさい。ドッペルゲンガーの中には、こういう話があるの。本物を殺して、自分がそれに成り代わる、というもの」
「・・・・・・」
「どちらも実存しているもの。けれど、「自分」の居場所は一つ・・・・・・だから、殺しあってその居場所を勝ち取ろうとする。私とレミリアも、似たようなものと思ってくれていいわ。本来、運命を操る存在は二人いてはいけない。・・・・・・けれど、私達の戦いは「どちらが運命を操るに相応しいか、どちらの力が上なのか」そういった理由なんて二の次。「レミリアが残るか、フォルが残るか」結果なんて考えもしない。普段、あなた達が行うような弾幕勝負ではなく、一撃必殺を主体とする殺し合い。周囲を巻き込みながらも、どちらかが完全な塵となるまで戦いは終わらない。そうなる『運命』なのだから」
「あなたは、それを望んではいないのね?」
冷徹な声色で、刃のような瞳で、まるで確認するかのように問う。
返答次第では、黙ってはいない――その目は雄弁に語っていた。
その様子に、フォルは呆れと疲れの混ざった声で答える。
「望んでいるのなら、こんな話はしないわ。言ったでしょう?当事者よりも、傍観者の方が気が楽だ、と。運命を操る者が二人いてはいけないけれど、普段私は、完全に隔離された場所にいるから、その中の運命のみを操る。本物の私は、隔離されていないこの世の運命を操る。互いの力が干渉しあわない現状が、私は気に入っているのよ。私か、本物の私が滅ぶまで、その関係を崩したくはないの。だから、この話はここでおしまい。ウルドが言ったように、もう二度と現れないわ。ここでお別れよ」
そう言って、フォルは座っていた『何か』から腰を上げて降り立ち、日傘を持っていない方の手を天の月にかざして――振り返らずに、言った。
「さようなら、グランドマザークロック(始まりの時を刻む者)」
その言葉と同時に、フォルの身体が無数の蝙蝠に変化し、彼方へと飛び去った。
後に残された咲夜は、フォルが最後に言った言葉を、心の中で反芻していた。
「グランドマザークロック、ね・・・・・・」
もしかしたら、と咲夜は思う。その仇名こそが、ウルド達が自分を母と呼ぶ理由ではないのだろうか、と。
始まりの時を刻む、というのは、過去、現在、未来――そもそも『時間』と言う概念すらない部分から、まず概念すらない未来を現在として刻み、それを過去にすることで、初めて『時間』という定義を生み出すものだ。
無から有は生み出されない。必ず有から有が生み出される。そう考えれば、時も何らかの有から生み出されたことになる。だが、それは人や妖が定めた概念でしかない。それ以前は――この世界は、無から生み出された筈だ。
だから、まず最初に、無から時が生まれ、そこから更に過去、現在、未来と生まれたのではないのだろうか。
過ぎ去った時ならば、確固たる存在を証明できる。何かと比較すればいいのだから。だから最初にウルドが時から生み出された。
今を過ぎようとする時は、刹那にも満たない時間の中であり、自覚することは不可能。だが、不確かな未来から確かな過去へと繋ぐ重要な架け橋であり、だからこそ、ベルダンディが二番目に生み出されたのだろう。
これから過ぎるかもしれない時、というものほど、不確かで曖昧な存在はない。常に変化し続ける未来のことなど誰にも――それこそ、運命を操らない限り分からないのだから。それを証明するために、最後にスクルドが生み出された。
だが、それらは『時』という概念がなければ、生み出されない存在だった。だから、その時を操る自分を母親と呼んだのではないだろうか、と咲夜は思ったのだが、
「――答えのでない問いを考えても、意味がないわね」
自らに言い聞かせるように言って、頭を振った。
時を止めて、ボロボロになった服を素早く着替え、見苦しくないように身なりを整える。
「早く帰って、お嬢様に留守にした経緯を説明しないといけないわね」
呟き、紅魔館の方角へと飛んだ。
咲夜が帰り着いた時、門番を務めていたのは見覚えのあるメイドだった。
メイドは咲夜の姿を認めると、丁寧な仕草でお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、メイド長」
「・・・・・・あなたは、確か、美鈴の部隊の副隊長だったわよね?肝心の美鈴はどこにいったの?」
僅かに眉を吊り上げて問う咲夜に、副隊長のメイドは首をかしげながら答えた。
「1時間程に、お嬢様、妹様、パチュリー様と一緒に外出されました。行き先までは聞いていませんが・・・・・・急用ですか?」
てっきり仕事をサボっているとばかり思っていた咲夜は、その言葉に目を白黒させた。
「お嬢様も?と、いうことは、まだ帰ってきていないのね?」
「はい。用事なら、お伝えしますが・・・・・・どうしますか?」
「いいわ、用事というほどのものではないから。頑張ってね」
「はい」
嬉しそうに笑うメイドに手を振り、館の中に入る。
迷路のような廊下を、しかし咲夜は迷うことなく進み、やがてひときわ大きな扉が見えてくると、その前で立ち止まり、ゆっくりと開けた。
そこは、レミリア達専用の食堂だった。細長いテーブルと、白いテーブルクロスの上に、見事な装飾の施された金色の燭台が等間隔で並んでおり、今も灯り続けるロウソクの火が、優美な雰囲気をかもし出していた。
おかしなところがないかを確認し、続いて台所へと足を運ぶ。主が帰ってきた時、すぐに食事が出来るようにするための配慮であり、咲夜にとっては、日常の光景だった。
時を止めて、食事を載せたワゴンを押しながら、咲夜はふと、ベルのことを思い出した。
数日にも満たない時間しかいなかったが――自分を母親と慕うベルと一緒にいるのは、仕事には支障があったが、それでも嫌なものではなかった。もしかしたら、自分は心のどこかで、それを望んでいたのではないかと思える程度には。
「・・・・・・本当に子供が出来たら、あんな感じに育つのかしら」
呟き、クスリと笑う。
あのまま一緒に過ごし、成長すれば、きっと自分と同じ道を歩ませていただろう。親子二代でレミリアに仕えるという絵を思い浮かべる程度には、咲夜はベルと過ごした日々を気に入っていた。
その、ある程度騒がしくも、悪くはない生活の中から――レミリアに仕えるという絵から、ベルがいなくなった。それだけだ。
咲夜が自ら言ったように、始まりがあれば必ず終わりがある。その終わりが、思ったよりも早かっただけのこと。
終わりがきて、それが回避できないものだと悟れば、さっぱりと諦める。だからこそ、咲夜はベルがいた頃の日常を引きずろうとは思わなかった。
「忘れは、しないけれど」
食事をテーブルに並べながら、ポツリと呟く。
「過去に固執しないことを、レミリア様に教えられたから。だから――」
楽しい思い出も、辛い思い出も。過ぎ去った時を思い出しても、懐かしいとは思わない。そう決めたから。
何よりも、一つの終わりは、同時に一つの始まりだから。ベルを知らなかった生活が終わり、これからは一緒に過ごした日々を思い出として持つ生活が始まるのだから。
外見はほとんど変わらない、けれど、中身は確かに違う生活が。
――その違いが、どんな結果を生むのかは分からないけれど、私はレミリア様の時を刻むメイドであることに変わりないのだから、
「咲夜」
背後から聞こえてきた声に、咲夜は振り返り、主の姿を認めて、微笑む。
「お帰りなさいませ、レミリアお嬢様」
その生活も、決して悪くないでしょうね。咲夜は微かに――自身にさえも聞き取れないほど小さな声で、呟いた。
Being complete, the sophisticated maid cuts the time for the master.
That is harder to change, than what, furthermore important matter therefore work.
生まれる前のことは、あまり覚えていない。けれど、生まれた瞬間から、私は私だと理解できていた。
自分の名前も、役割も、力も、何もかも分かる。これからどうすればいいのかも、なんとなく分かる。
お姉ちゃんと、妹がいるのも分かる。すぐ側にいるんだもの。
私たちは、三人で一つ。誰が欠けても、いけない。
そのことは、誰に教えられた訳でもなく、ただ『分かって』いた。
けど、なんで、お母さんがいないんだろう。
名前も、顔も、何もかもが分かるのに、なんでいないの?
お母さんがいないと、寂しいのに。
ねえ、お母さん、私たちの前に姿を見せて。一緒にお話をして。
――お母さん――?
まず最初に異変に気付いたのは、ウルドだった。
弾かれたように顔を上げ、次の瞬間、胸に手を当て、苦しそうに顔をしかめた。
「――これ、は・・・・・っ」
スクルドも気付いたのか、同じように顔をしかめ、胸を押さえている。
「姉上、もしや・・・・・・」
「終わった、みたいね。けれど、これは・・・・・・もしかして」
呟き、しかめ面のまま目を閉じるウルド。
そして、自身が発動した弾幕の中、ウルドは厳かに呟く。
「『戻れ』」
たったそれだけ。その一言で、周囲を飛び交っていた星が消え去った。それと同時に、スクルドのスペルによって被害を受けた眼下の森が、復元され、元の姿に戻った。
――まるで、最初から何事もなかったかのように。
「――なっ!?」
急激に変化した光景に戸惑いを隠せずにうろたえる紫達に、ウルドは申し訳なさそうに目を伏せて言った。
「一方的だけど、説明している暇はないの」
言い終わるが早いか、ウルド素早く虚空に魔法陣を描く。
弾幕を予想し、身構える紫達に、ウルドは笑いかけた。
「異変は解決するわ。それに、もう二度と、この世には現れないでしょう。・・・・・・迷惑をかけて、ごめんなさい」
そう言って、魔法陣の中に身を投じた。
後に残ったスクルドは、ばつが悪そうに頬をかき、
「まあ、その・・・・・・すまぬ」
そう言って頭を下げた後、魔法陣へと足を踏み入れた。そしてスクルドの姿が消えると同時に、役目を果たしたかのように、魔法陣も消える。
後に残された紫達は、急な展開に、ただ呆然としていた。
「どうなってるの?」
「さあ・・・・・・?」
「・・・・・・とりあえず、咲夜のところへ行けば分かるかもしれないわね。急ぎましょう」
レミリアの言葉に、その場にいた全員がとりあえず、といった具合に頷き、未だに首をかしげながらもその場を後にした。
ゆっくりと目を開けたベルが最初に見たのは、覗き込む咲夜とフォルの顔だった。
「あ――っ」
「気がついた?」
「死ぬことはないでしょうけど、流石に心臓に悪いわね」
先ほどの弾幕勝負が嘘のように、優しく微笑む咲夜と、微かに安堵のため息を漏らすフォル。
だが、ベルには、二人が心配する理由がよく分かっていなかった。寝転んでおり、咲夜に膝枕をしてもらっている、という状況すらも把握できていないのでは、無理もない話なのだが。
目を白黒させているベルに、フォルが呆れの混じった声色で説明した。
「覚えてないのなら教えてあげるわ。咲夜が放ったスペルのすぐ後、あなたは気絶したのか、空から落ち始めたのよ。・・・・・・あれには驚いたわ。スペルは狙いを定めていなかったからかすり傷一つ負わせていなかったはずなのにね」
「・・・・・・え?」
ベルは驚いた。本当に狙いを定めて攻撃されたとばかり思っていたのだ。
慌てて咲夜の方を見るベルに、笑いかける。
「私たちのいるこの世界では、弾幕勝負で命までとらないわよ」
「・・・・・・なんで?」
「これはね、弾幕ごっこ。つまり、遊びなのよ。遊びで命の取り合いなんて、馬鹿馬鹿しいでしょう?」
「あそ、び?」
思わぬ言葉に、まともな思考が出来ずに呆然とするベルに、二人は揃って大真面目に頷いた。
慌てて、ナイフが刺さったはずの手を見ると、きちんと手当てがされていた。
再び目を白黒させたベルに、咲夜は幾分口調を強めて言った。
「ベル、私たちの勝ちよ。・・・・・・時間を元に戻しなさい」
「・・・・・・お母さん、なんで、時間を止めたら駄目なの?」
心底疑問に思っているようなベルの言葉に、咲夜は僅かに目を細めて答える。
「私も、色々な時に時間を止めているから、あまり強くは言えないわね。・・・・・・けどね、ベル。この幻想郷の時間を止めたままにしよう、とは絶対に思わないわ。時間は過去から現在を経て未来へ流れる。それがあるべき姿なの」
「・・・・・・」
「それに、例え周囲の時を止めたとしても、私の時は止まらない。・・・・・・今も、体の時は止めているけれど、私の内にある時は、ずっと時を刻む。そしていつか――私は、死ぬでしょうね」
「・・・・・・だから、世界全体の時を止めれば――」
悲痛な声で言いかけたベルの言葉を、遮る。
「ベル、どんな物事にも始まりがあるわ。そして、始まりがある以上、必ず終わりもある。それは、どんなに時を止めても変わらないこと」
「・・・・・・」
「終わりのない生なんて、空虚なものでしかないの。今の、お嬢様との生活は確かに楽しいわ。死ぬまでこの生活が続けばいいとも思っている。けれど、永遠は望まない」
「・・・・・・」
「人も、妖も。生き物のすべては、その終わりがあるからこそ、今を懸命に生きることができるのよ。・・・・・・それが、刹那的なものだったとしても、ね」
ベルは何も言わず、咲夜が紡ぐ言葉を聴いていた。
「だからね、ベル。私は、幻想郷の時を止めることを・・・・・・終わりのない生を、望んではいない。これからも望まない」
咲夜は、きっぱりと言い切った。
昔。人の年月にすれば、一代では到達することができないであろう、昔。幻想郷の端にて、ある契約が行われた。
気まぐれで拾った吸血鬼と、拾われた人間との契約。
それは、ただ言葉で交わされただけのもの。だが当事者にとっては、何よりも強固で、変えがたいもの。
――面白い子ね。・・・・・・そうだわ、私に仕えなさい。これはお願いじゃないわ。命令よ、『十六夜咲夜』
――畏まりました。私のご主人様、レミリア・スカーレット。
その際、拾われた人――咲夜は、レミリアに仕えるため、己の能力を使い、自らの時を止めた。故に、咲夜の身体はそれ以来、まったく変化していない。
しかし、毎日の生活の中で、咲夜は悟っていた。恐らく、レミリアが滅ぶまで、一緒にはいられないと。どうしても先に、自分が滅ぶだろう、と。
それは、変えようのない未来。
だが、咲夜はそれに抗うつもりはなかった。主であるレミリアの力に導かれた未来だから、という理由もあるだろう。しかし、何よりも咲夜自身が、己の能力の限界を知っていたから。
――どれほど時を止めようとも、永久に続くことはないのだから。
――自らの時を止めた『始まり』があるのなら、自らの意思に関係なく時が動き出す『終わり』もあるのだから。
だからこそ、ベルがどれほど力を使って時を止めようとも、それが永遠に続かないことを知っていた。
だが、そのことを告げても、素直に納得しないと踏んだ咲夜は、ベルに言い聞かせるために――自分は望んでいないと言えば、恐らくやめるだろうと考えて――あえて、先ほどのような言い方をしたのだ。
その言葉に、ベルは一瞬、今にも泣きそうな表情を浮かべたが、すぐに、何かを考え込むかのように目を閉じる。
咲夜は無理にうながそうとせず、ベルの言葉を待った。
――やがて、決心したかのように目を開き、咲夜の目の前に両手を差し出した。
その手の中にある物を見て、咲夜は首をかしげながらも、それを手に取る。
――咲夜が常に持ち歩いている物よりも若干小さめで、長針、短針、秒針すべてが、12時で止まっている、銀色の懐中時計。
「これは?」
「・・・・・・鳥籠の、時計。その時間を動かせば、時も動き始めるの。だから・・・・・・」
最後まで言えず、視線を落とすベル。
咲夜は頷き、懐中時計の秒針に触れて――
――――パリンッ、という音が、どこからともなく響いてきた。
それはまるで、流星群のようだったと、その光景を見た者全員が証言する。
咲夜が秒針に触れると、時計の時がゆっくりと動き出し、同時に、幻想郷を覆っていたベルの結界が崩壊した。
人はおろか、妖ですらも余程の力がない限りは不可視の結界の破片が、月光を反射して次第に光を帯び、地上に降り注ぐ。
その光は、地上に到達するまでにすべてが掻き消えている。だが、今にも消えそうな光が降り注ぐその光景は、まさしく幻想的であり、それに見とれている生き物の――否、幻想郷全体の時を、止めているかのようだった。
感嘆の息を漏らし、その光景に見入る咲夜とフォル。
「――お疲れ様です、お母様」
背後から聞こえてきた言葉に、咲夜は我に返って振り向き、目を見張った。
自分に歳も近く、姿かたちも酷似した女性が目の前にいたのだから、無理もない。
その女性は、驚く咲夜に微笑みかけた。
「あなたは?」
「名乗り遅れました。私は長女のウルド、ベルの姉です。そして――」
「わしが三女のスクルドじゃよ。初めまして、というべきかのう、母上」
ウルドの背後から、ひときわ幼い少女が年寄りじみた口調で歩み寄り、丁寧に礼をする。
だが、見知らぬ二人の女性――一人は少女だが――に母親と呼ばれて、咲夜の頭は軽い混乱に陥っていた。
とっさに次の言葉が出てこない咲夜に代わり、フォルが口を開く。
「時の三姉妹勢ぞろい、といったところかしら。・・・・・・まあ、ベルダンディがあなたのことを「お母さん」と呼んでいたんだから、残りの二人に母親扱いされても納得できるものじゃないの?」
そうは言われても、咲夜の心境は複雑だった。ベルやスクルドはともかく、自分とほとんど同い年に見えるウルドにまで母親呼ばわりされたのだから。ましてや、神であるウルドと、時を止めたとはいえ人の咲夜。どちらが年上なのかは、言うまでもないだろう。
「急に歳をとった気分だわ・・・・・・」
額に手を当てて空を仰ぐ咲夜に、ウルドは苦笑を浮かべた。
「そう言えるうちは、お母様も若いですよ。歳をとると、大抵の人は開き直るか、絶対に認めようとしませんから」
「それは慰めかしら?」
「まさか」
にっこりと微笑むウルド。対する咲夜は複雑な表情を浮かべていた。
それを横目に、スクルドはため息をつき、ベルの首根っこを掴み、無理やり立ち上がらせる。
「まったく、迷惑をかけおって・・・・・・帰るぞ」
「・・・・・・うん」
ベルは素直に頷き、未だに浮かび上がっている魔法陣の方へと、スクルドに引きずられるようにして向かっていく。
そして、魔法陣に入ろうとした時、スクルドは振り返り、嬉しそうに笑った。
「もう二度と会うこともないじゃろうが・・・・・・正味の話、会えて嬉しかったわい。達者でのう、母上」
「・・・・・・お母さん、ごめんなさい」
そう言って、二人は魔法陣の中へと消えた。
ウルドはすぐに後を追うことなく、その場に残り、二人に深々とお辞儀をした。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。そして――説得してくれて、ありがとうございます、お母様」
「説得、というより、私は私の考えを言っただけなんだけど」
「けれど、あの子には私たちが言うよりも、お母様がおっしゃった方が素直に聞くみたいなので・・・・・・あの子は力の特性上、始まりと終わりが、あまり理解できないようなんです」
こめかみを押さえ、そっとため息をつくウルド。その表情からは、今まで何度も言い聞かせようとした苦労がにじみ出ていた。それでもこの騒動が起こった、ということは、結局聞き入れられなかったのだろう。
しかし、一旦目を閉じ、そして再び開けた時、ウルドは毅然とした表情を浮かべていた。
「もう、二度とこんなことは起きないでしょう。ご迷惑をおかけするのも、最初で最後です。・・・・・・私たちのような存在が、人の世に降り立つこと自体、許されてはいけないことですから」
「ベルダンディが現れただけで、時の流れが緩やかになったように?」
フォルの問いに、ウルドは真剣な表情で頷く。
「はい。先ほどは三人が集まっていたので、逆に影響を小さくすることができたのですが、一人だけでは、どうしても・・・・・・確かに、私もお母様に会えて嬉しいです。ですが・・・・・・二度と、こんなことはあってはなりませんから」
そう言って、ウルドは僅かに目を伏せる。
「・・・・・・あの子は、もしかしたら・・・・・・本当は、お母様を私たちの世界に連れていきたかったのかもしれません」
「え?」
「私たちの精神の一部は、同調し合っています。本当に一部ですし、互いの考えていることが分かる、というものではありませんが・・・・・・ですから、あの子も一応は、人の世に降りる、ということの意味を理解している筈です。それならば――そう考えていたとしても、不思議ではありません」
「随分と、本人の意思を無視しているわね」
「はい。ですが、お母様はこの地で生きることを、随分前に決めているのを、あの子も気付いたのでしょう。それがどうやっても覆せないのならば・・・・・・それならば、この地で自らも生きるために・・・・・・この地を揺り籠にするために、時を止めにかかった、と、私は思っています」
そこまで言って、ウルドは咲夜の方へと向き直り、真剣な表情を浮かべて、
「ですが、先ほども言ったとおり、二度とこのようなことは起こさせません。・・・・・・それでは、私もここで失礼させてもらいます。お元気で」
深々とお辞儀をした後、魔法陣の方へと向き直り、歩を進めるウルド。
反射的に、咲夜は声をあげた。
「待って」
呼び止められ、振り返ったウルドに、咲夜は手持ちの、何の装飾も施していない銀のナイフを三本投げ渡した。
上手く柄の部分を受け止め、しかし何故ナイフを渡されたのかが分からず、不思議そうに首をかしげるウルドに、咲夜はさっぱりとした笑いを浮かべて言う。
「お土産よ」
「お土産、ですか・・・・・・」
自らに言い聞かせるように反芻した後、その言葉を理解したのか、ウルドは嬉しそうに微笑んだ。
「いいですね。あの子も・・・・・・勿論、私も、大事にします。ありがとうございます、お母様」
深々とお辞儀をし、魔法陣の中に消える。それと同時に、魔法陣も霞のように消え去った。
「――さて、騒動も落ち着いたようだし、私も帰るわ」
完全に消えたのを確認した後、疲れたようにため息をつき、日傘を差すフォル。そして向き直り、そのまま立ち去ろうとした。
咲夜は頷きかけ、ふと、思い出したように、その背に問いかける。
「そう言えば、「本物の私が」と言っていたけれど・・・・・・あなたは、何なの?」
その問いに、フォルは足を止めて振り返り、底の見えない微笑みを浮かべて言った。
「言葉通りの意味よ。私はあなたの主の偽者。同じく運命を操るけれど、私の場合は、ある人物の能力を媒介にしないと、まともに力が発揮できないの。・・・・・・逆に言えば、その媒介さえあれば、あなたの主にも劣らない力を発揮できるわ。あまり使いたくはないけどね」
「何故?」
「面倒だもの」
「・・・・・・え?」
あっけらかんな口調で言われて、咲夜は思わず呆気にとられた。
だが、フォルは大真面目な表情と口調で、言葉を続ける。
「私は真面目な話をしているのよ。この力は、ただ持っているだけでもアドバンテージになるもの、無闇に振るうものではないわ。力を使わずに済むのなら、それに越したことはない。騒動の度にあなた達が動くなら、私が動く理由はないわ。・・・・・・それに、本来私は、あまり積極的に物事に関わりたくはないの。要するに、面倒なのよ」
頬に手を添え、やや疲れの混じったため息を漏らす。
「当事者になるよりも、傍観者であるほうがずっと気が楽なの・・・・・・今回の件に関しては、例外中の例外。あなた達がいつまでたっても気付かずに動こうともしないから、仕方なく、といった具合ね」
そう言って、フォルは紫がいつもしているように、何もない空間に座り――だが、咲夜には、本当に何もない空間に座っているようにも見えた――頬杖をつく。
とても真面目な話をする体勢には見えないが、フォルは、真剣な表情で言葉を続ける。
「それと、もう一つ。本物の私とその周囲に――まあ、とりあえず誰にも私のことは伝えないでほしいの。これはお願いね」
フォルの言葉に、咲夜は眉を寄せた。
その反応も、分からないことではない。偽者のフォルはレミリアのことを知っているのに、何故レミリアはフォルを知ってはならないのか。言葉には出さないが、そう顔に書いていた。
咲夜の無言の問いに、フォルは口元だけで笑う。
「私と、本物の私が出会うとね――
――殺し合いになるから、よ」
告げられた言葉に、咲夜は絶句する。
その様子を見て、ますます楽しそうに微笑み――但し、目はまったく笑っていなかったが――フォルは続ける。
「ドッペルゲンガー、というのを知っているわね?何かしらのことがあって魂が分かれた存在。あれに出会うと、本物は遠くないうちに死ぬ、というもの。不吉を報せるために現れる、回避できない未来の前兆・・・・・・私とレミリアはそれに近いモノと考えていいかもしれないわね。外見が違うから、細かく言及すると違う存在なのだけれど」
「え、ええ。けどそれが・・・・・・?」
「話は最後まで聞きなさい。ドッペルゲンガーの中には、こういう話があるの。本物を殺して、自分がそれに成り代わる、というもの」
「・・・・・・」
「どちらも実存しているもの。けれど、「自分」の居場所は一つ・・・・・・だから、殺しあってその居場所を勝ち取ろうとする。私とレミリアも、似たようなものと思ってくれていいわ。本来、運命を操る存在は二人いてはいけない。・・・・・・けれど、私達の戦いは「どちらが運命を操るに相応しいか、どちらの力が上なのか」そういった理由なんて二の次。「レミリアが残るか、フォルが残るか」結果なんて考えもしない。普段、あなた達が行うような弾幕勝負ではなく、一撃必殺を主体とする殺し合い。周囲を巻き込みながらも、どちらかが完全な塵となるまで戦いは終わらない。そうなる『運命』なのだから」
「あなたは、それを望んではいないのね?」
冷徹な声色で、刃のような瞳で、まるで確認するかのように問う。
返答次第では、黙ってはいない――その目は雄弁に語っていた。
その様子に、フォルは呆れと疲れの混ざった声で答える。
「望んでいるのなら、こんな話はしないわ。言ったでしょう?当事者よりも、傍観者の方が気が楽だ、と。運命を操る者が二人いてはいけないけれど、普段私は、完全に隔離された場所にいるから、その中の運命のみを操る。本物の私は、隔離されていないこの世の運命を操る。互いの力が干渉しあわない現状が、私は気に入っているのよ。私か、本物の私が滅ぶまで、その関係を崩したくはないの。だから、この話はここでおしまい。ウルドが言ったように、もう二度と現れないわ。ここでお別れよ」
そう言って、フォルは座っていた『何か』から腰を上げて降り立ち、日傘を持っていない方の手を天の月にかざして――振り返らずに、言った。
「さようなら、グランドマザークロック(始まりの時を刻む者)」
その言葉と同時に、フォルの身体が無数の蝙蝠に変化し、彼方へと飛び去った。
後に残された咲夜は、フォルが最後に言った言葉を、心の中で反芻していた。
「グランドマザークロック、ね・・・・・・」
もしかしたら、と咲夜は思う。その仇名こそが、ウルド達が自分を母と呼ぶ理由ではないのだろうか、と。
始まりの時を刻む、というのは、過去、現在、未来――そもそも『時間』と言う概念すらない部分から、まず概念すらない未来を現在として刻み、それを過去にすることで、初めて『時間』という定義を生み出すものだ。
無から有は生み出されない。必ず有から有が生み出される。そう考えれば、時も何らかの有から生み出されたことになる。だが、それは人や妖が定めた概念でしかない。それ以前は――この世界は、無から生み出された筈だ。
だから、まず最初に、無から時が生まれ、そこから更に過去、現在、未来と生まれたのではないのだろうか。
過ぎ去った時ならば、確固たる存在を証明できる。何かと比較すればいいのだから。だから最初にウルドが時から生み出された。
今を過ぎようとする時は、刹那にも満たない時間の中であり、自覚することは不可能。だが、不確かな未来から確かな過去へと繋ぐ重要な架け橋であり、だからこそ、ベルダンディが二番目に生み出されたのだろう。
これから過ぎるかもしれない時、というものほど、不確かで曖昧な存在はない。常に変化し続ける未来のことなど誰にも――それこそ、運命を操らない限り分からないのだから。それを証明するために、最後にスクルドが生み出された。
だが、それらは『時』という概念がなければ、生み出されない存在だった。だから、その時を操る自分を母親と呼んだのではないだろうか、と咲夜は思ったのだが、
「――答えのでない問いを考えても、意味がないわね」
自らに言い聞かせるように言って、頭を振った。
時を止めて、ボロボロになった服を素早く着替え、見苦しくないように身なりを整える。
「早く帰って、お嬢様に留守にした経緯を説明しないといけないわね」
呟き、紅魔館の方角へと飛んだ。
咲夜が帰り着いた時、門番を務めていたのは見覚えのあるメイドだった。
メイドは咲夜の姿を認めると、丁寧な仕草でお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、メイド長」
「・・・・・・あなたは、確か、美鈴の部隊の副隊長だったわよね?肝心の美鈴はどこにいったの?」
僅かに眉を吊り上げて問う咲夜に、副隊長のメイドは首をかしげながら答えた。
「1時間程に、お嬢様、妹様、パチュリー様と一緒に外出されました。行き先までは聞いていませんが・・・・・・急用ですか?」
てっきり仕事をサボっているとばかり思っていた咲夜は、その言葉に目を白黒させた。
「お嬢様も?と、いうことは、まだ帰ってきていないのね?」
「はい。用事なら、お伝えしますが・・・・・・どうしますか?」
「いいわ、用事というほどのものではないから。頑張ってね」
「はい」
嬉しそうに笑うメイドに手を振り、館の中に入る。
迷路のような廊下を、しかし咲夜は迷うことなく進み、やがてひときわ大きな扉が見えてくると、その前で立ち止まり、ゆっくりと開けた。
そこは、レミリア達専用の食堂だった。細長いテーブルと、白いテーブルクロスの上に、見事な装飾の施された金色の燭台が等間隔で並んでおり、今も灯り続けるロウソクの火が、優美な雰囲気をかもし出していた。
おかしなところがないかを確認し、続いて台所へと足を運ぶ。主が帰ってきた時、すぐに食事が出来るようにするための配慮であり、咲夜にとっては、日常の光景だった。
時を止めて、食事を載せたワゴンを押しながら、咲夜はふと、ベルのことを思い出した。
数日にも満たない時間しかいなかったが――自分を母親と慕うベルと一緒にいるのは、仕事には支障があったが、それでも嫌なものではなかった。もしかしたら、自分は心のどこかで、それを望んでいたのではないかと思える程度には。
「・・・・・・本当に子供が出来たら、あんな感じに育つのかしら」
呟き、クスリと笑う。
あのまま一緒に過ごし、成長すれば、きっと自分と同じ道を歩ませていただろう。親子二代でレミリアに仕えるという絵を思い浮かべる程度には、咲夜はベルと過ごした日々を気に入っていた。
その、ある程度騒がしくも、悪くはない生活の中から――レミリアに仕えるという絵から、ベルがいなくなった。それだけだ。
咲夜が自ら言ったように、始まりがあれば必ず終わりがある。その終わりが、思ったよりも早かっただけのこと。
終わりがきて、それが回避できないものだと悟れば、さっぱりと諦める。だからこそ、咲夜はベルがいた頃の日常を引きずろうとは思わなかった。
「忘れは、しないけれど」
食事をテーブルに並べながら、ポツリと呟く。
「過去に固執しないことを、レミリア様に教えられたから。だから――」
楽しい思い出も、辛い思い出も。過ぎ去った時を思い出しても、懐かしいとは思わない。そう決めたから。
何よりも、一つの終わりは、同時に一つの始まりだから。ベルを知らなかった生活が終わり、これからは一緒に過ごした日々を思い出として持つ生活が始まるのだから。
外見はほとんど変わらない、けれど、中身は確かに違う生活が。
――その違いが、どんな結果を生むのかは分からないけれど、私はレミリア様の時を刻むメイドであることに変わりないのだから、
「咲夜」
背後から聞こえてきた声に、咲夜は振り返り、主の姿を認めて、微笑む。
「お帰りなさいませ、レミリアお嬢様」
その生活も、決して悪くないでしょうね。咲夜は微かに――自身にさえも聞き取れないほど小さな声で、呟いた。
Being complete, the sophisticated maid cuts the time for the master.
That is harder to change, than what, furthermore important matter therefore work.
最後まで、本当に楽しく拝読させていただきました。
しめやかにEDテーマが聴こえてくるような、
落ち着いた感触。綺麗にまとまるラストには、
それに加えて母時計の刻むチクタクが聴こえてきますね。
少し崩して書きますと、スクルドがとても良かった。
殺る気満点にはっちゃけてバスバススペルを撃つ様が気持ち良いほどでした。
氏の次なる作品、ひっそりと期待させていただきます。