『Extra 存在証明者と因果を絶つ者』
――時は、少し遡る。
幻想郷より遥か北西にある、同じく結界によって外界と隔てられた空間。
そこには一本の、天まで届くのでは、と思われる程の巨大な樹がそびえ立っていた。三本しかない根によって三つの大地を繋ぎとめており、結界内の世界を構築する樹――ユグドラシルである。
その内の一本の根元に、一際大きな泉がある。そこでは毎日にように、一部の住人達によって会合が開かれているのだが、今は人気もなく、静かだった。
その泉の水面に浮かぶ、様々な装飾の施された、一つの机と三つの椅子。その中の一つに少女は腰かけ、退屈そうに頬杖をついていた。
「暇・・・・・・じゃのう」
少女――スクルドはそう言ってため息を漏らす。
実を言えば、ユグドラシルに水を与える、という日課を終わらせた後は、ほぼ毎日が暇なのだが、それでも二人の姉――長女はともかく次女は、どう見ても自分より精神年齢が幼いので姉と呼んだことはないが――がいて、共にお茶を楽しんだり、外界やこの世界の運命を見たりしており、それで結構退屈が紛れていた。
だが、この日に限って、何故か二人ともいない。こういう時に備えて、遥か昔に外界から大量の本を買い込んでいたのだが、間の悪いことに、つい最近、すべて読み終えてしまっていた。
「・・・・・・新しい本でも買いにいこうかのう・・・・・・」
呟き、しかしスクルドは考え直した。会合を開く一部の者達によって張られた結界はかなり強力であり、三人揃ってならともかく、一人で抜けるにはかなりの労力を要する。それ以前に、自身の力のこともあり、あまり外界に出歩きたくはなかった。前に本の買い出しに出た際にも、それが原因でちょっとした騒動が起こったのだ。
結局、姉――ウルドの力でどうにか収まったのだが、もう二度と出るものか、と思う程に、スクルドは懲りていた。だからこそ、三人で『外界には出ない』という誓いを交わしたのだ。
「外界と言えば・・・・・・オーディンが言うておったか。遥か東方の地は面白いと・・・・・・見に行くことができぬ身に語られても困る話じゃが・・・・・・」
ふむ、と頷き、大きく背伸び。
「・・・・・・前に、懐かしい気が感じられたのも東方の地・・・・・・さてはて、わしの思うことが正しいならば、東方には随分と、神の力を持つ者が多いようじゃのう。・・・・・・まあ――」
わしには関係ないか、と呟き、スクルドは軽く両腕を広げた。そして目を閉じ、何かを握るようにして――目を開けた瞬間、その手にはティーポットとカップが、まるで手品か魔法を行ったかのように存在していた。
満足したかのように頷き、ポットの中身をカップに注ぐスクルド。
辺りに漂い始めたハーブの匂いに微笑み、しかしすぐその表情を打ち消し、険しい表情で考え込む。
「しかし、あやつめ。何があったか知らぬが、このところ妙に切羽詰っておるようじゃし・・・・・・しきりに外界の様子を気にしておる。戻り次第、釘を刺しておくべきかのう」
呟き、カップに注がれたお茶を飲もうとして、
「スクルド!!」
だが、突然背後から大声で呼びかけられ、その動きが止まった。
カップを机に置き、背後を振り返るスクルド。その視線の先には、焦燥を浮かべたウルドが立っていた。余程急いでいたのか、肩で息をしている。
「姉上、何事じゃ?」
胡乱げに問うスクルドに、ウルドはそのままの表情で答える。
「ベルが外界に降りたわ」
告げられた言葉に、スクルドの顔から表情が抜け落ちた。
「・・・・・・随分と急じゃのう。そろそろ釘を刺そうかと思っておったところじゃが・・・・・・何故じゃ?」
「分からない。けど、あの子が降りた場所には、もう既に影響が出始めているわ」
「まったく、面倒なことじゃて・・・・・・で、あやつは一体どこに降りたんじゃ?」
「・・・・・・東方の地に、ここと同じように結界に守られた空間があるの。そこよ」
「東方?」
その単語に、スクルドは反応した。
「知っているの?」
妹の気配の変化を敏感に感じ取ったウルドの問いに、しかしスクルドは首を振る。
「いや、知らぬ。知らぬが・・・・・・しかし、操作せずとも機会が舞い込んでくるとはのう・・・・・・」
「え?」
「なんでもないわい。それより、行かねばならぬのじゃろう?」
「え、ええ。この場を離れることは、既にオーディンには報せてあるわ。急ぐわよ」
「うむ」
頷くスクルドに、しかしウルドは心配そうに付け加えた。
「それと、現地の人と極力交戦しないようにね。喧嘩を売っても駄目よ。あなた、そういう部分に関しては問題児だって自覚あるのかしら」
「分かっておるわい」
「・・・・・・本当に?」
「わしはそこまで子供ではないわ」
念を押すように言われて、スクルドは辟易して頷く。ウルドはまだ何か言いたそうだったが、時間が惜しいのか、即座に転移系の術式を完成させ、間髪いれずに、浮かび上がった魔法陣に入り込んだ。
それを見届け、席を立ってその魔法陣へと足を向けながら、スクルドは小さな声で呟いた。
「姉上も肝心なところで抜けておるわ・・・・・・戦いと遊びは違う、というところがのう」
そう言うスクルドの顔には、心から楽しそうな笑みが浮かんでいた。
――果たして、ウルドの心配は、見事に的中することになる。
――時と場所を戻し、魔法の森上空。
「そのスペル、潰させてもらうわよ。神罰『幼きデーモンロード』」
スペルカードを手にレミリアが宣告すると同時に、つい先ほどまでスクルドが放っていた弾幕を飲み込む勢いで、無数の巨大なレーザーが展開された。
それを見て、スクルドは、ふむ、と頷き、素早くスペルカードを中断、回避に移る。
触れただけでも、並の妖怪なら消し飛ぶほどの威力を秘めたレーザーの合間を、しかしスクルドは臆することなく縫うように回避しながら、上空を目指す。
「・・・・・・ふむ。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』・・・・・・じゃったか」
呟き、ニヤリと笑う。
その言葉通り、ようやくレーザーの嵐から抜け出したスクルドを待ち構えていたのは、フランドールと慧音だった。
「ここに来るのは読めていた!終符『幻想天皇』!!」
「いっくよー!禁弾『スターボウブレイク』!!」
レミリアに比べれば威力、大きさ共に劣るが数の多いレーザーと、七色に輝く光弾が一斉に放たれる。
だが、スクルドは臆することなく、その弾幕の中へと突入した。
「待ち構えておるのは知っておったわ!」
楽しそうに笑いながら、スクルドは回避に専念する。
自身の体をいくつもの弾やレーザーが掠めながらも、それをまったく気にせず、まるで踊っているような優雅ささえ感じさせる動きで、しかも着実に二人への距離を詰めていく。
そして、ある程度距離が詰まったところで、スクルドはスペルカードを取りだした。
「この距離でかわせるかのう?刺絶――」
「させません!」
「はあっ!!」
スペルカードを発動させようとしたスクルドを、真横から、美鈴と妖夢が強襲する。
流石にこれは読めなかったのか、スクルドは一瞬躊躇ったが、素早くカードを仕舞い、美鈴の蹴りと妖夢の横なぎの一閃を、寸前のところで回避した。
だが、慧音とフランドールが展開する弾幕の中、美鈴と妖夢は臆することなく、後退し、弾幕密度の低い場所へと逃げ込んだスクルドを追撃する。
その攻撃は正確無比であり、しかも二人は互いの攻撃後に生まれる隙をカバーしあうようにして攻撃を入れ替え、体勢を立て直す暇すら与えない。
接近戦は分が悪いと感じたのか、美鈴と妖夢が決定打を叩き込む前に素早く距離をとり、今度は地上目掛けて一気に空を翔る。
だが、地上付近でスクルドを待ち構えていたのは、無数に張り巡らされた蜘蛛の巣にも等しい罠だった。
「・・・・・・むっ?」
異変を感じたのか、急停止し、体勢を立て直すスクルド。だが、時既に遅し。
「あなたは蜘蛛の糸に絡めとられた、哀れな獲物・・・・・・」
微かに嘲りさえ含まれる笑い声が聞こえてきたのは、スクルドの真後ろから。
反射的に振り返ったスクルドは、しかしそこに誰もいないのを確認し、眉根を寄せる。
「・・・・・・どう言う――?」
呟きかけたスクルドは、しかし次の瞬間、自分が目にした光景に、思わず感嘆の息を漏らした。
わずか一瞬の間に、スクルドを無数の光線が取り囲んでいた。――そう、まるで、蜘蛛の巣のように。
「・・・・・・なるほどのう、今までのは攻撃は、すべて布石ということか」
納得したところで、脱出する手立てはない。
あらゆる角度を封じられ、身動きがとれなくなったスクルド目掛けて、容赦なく追い討ちがかかる。
「亡郷『亡我郷 -自尽-』」
「火符『アグニシャイン上級』!」
「魍魎『二重黒死蝶』」
その巣を突き抜けて、薙ぎ払うかのような5本のレーザーが、何もかもを焼き尽くす炎が、死に誘う蝶とナイフが、スクルド目掛けて殺到する。
どう見ても、回避する手立てはない。だが、スクルドは楽しそうに笑っていた。
「なかなかやりおるわ・・・・・・これなら、わしも、存分に楽しめそうじゃ」
迫り来る弾幕を目前に、スクルドは一枚のカードを取り出し、厳かに呟く。
「結界『現在と未来の狭間』」
確実に仕留められると思っていた紫にとって、目の前の光景は信じがたいものだった。――否、紫だけではなく、ウルド以外の全員が、あまりの光景に絶句していた。
三人のスペルカードによって崩壊し、霧散した蜘蛛の巣。そこから現れたのは、腕組みし、まったくの無傷で浮かぶスクルドの姿だったからだ。
「もう終わりかのう?」
「・・・・・・当たったはず、なのに――!」
「当たっておらぬわ」
そう言って笑うスクルドの瞳は、いつの間にか、紅く染まっていた。
それを見て、ウルドは軽くため息をつき、レミリアに囁く。
「気をつけて、あの子、気分が高揚すると目が紅くなるのよ」
「と、言うことは、私たちはあの子を本気にさせたのかしら?」
「本気ならあの程度では終わらないわ・・・・・・もう一つ、あの子が無傷なのは結界の効果だけど、あなた達が持つスペルカード、というモノでは、絶対に壊せない。少なくともきっかけがなければ」
「・・・・・・どういうこと?」
「もし、あなた達の中で壊せるとすれば――」
ウルドから告げられた名前に、レミリアは眉根を寄せた。
「・・・・・・何故?」
「試してみれば分かるわ。その子なら、十分きっかけになる」
そう告げて離れようとするウルドに、レミリアは眉根を寄せたまま聞いた。
「何故、そんなことを私に?結果的に、あなたの妹を危険な目にあわせることになるわよ?」
レミリアの問いに、ウルドは様々な感情の入り混じった笑みを浮かべて、
「・・・・・・どうしてでしょうね」
そう答え、その場を離れた。
その場から動かず、まるで次の手を待ち構えるかのように浮かぶスクルドを視界に納めながら、レミリアはしばらくの間考え込み、すぐ側に降りてきた慧音とフランドールに話しかける。
「・・・・・・慧音、フラン。ちょっと耳を貸してね」
「うん」
「妙案でも浮かんだか?」
「場合によってはそうなるわね。その前に、確証がほしいの。・・・・・・協力してくれるわね?」
真摯な表情で言うレミリアに、フランはすぐに頷き、慧音は僅かに眉根を寄せたが、やがて頷く。
そっと耳打ちし、頷く二人。そして三人は一斉にスクルド目掛けて空を駆けた。
「いくわよ・・・・・・獄符『千本の針の山』!」
「禁忌『クランベリートラップ』!」
「野符『GHQクライシス』!!」
スクルド目掛けて三人から展開された弾幕を見ながら、ウルドは目を細めた。
先ほどのレミリアの言葉が、耳から離れない。
「・・・・・・私は――」
呟き、スクルドへと目を向ける。
笑いながら、避けようともせずに弾幕を待ち構えるスクルド。
その笑顔――いささか物騒な笑みではあったが、間違いなく楽しそうな笑みを浮かべているスクルドを見て、ウルドはそっと目を伏せた。
「――もしかしたら、あの子が久しぶりに遊ぶ姿を、眺めたいだけなのかもしれない」
ウルドが知っている、スクルドの能力を考えれば、結界を張らずとも簡単に回避できる筈なのだ。
未来を読むことのできる力――それすらも副産物でしかないのだが――を使えば、どんなに激しい弾幕であろうと、展開される場所が分かるスクルドにとって、回避すること自体は簡単だった。今までも――おそらくこれからも、どれ程激しい戦いになろうとも、スクルドは体に傷一つつけないままに戦い終えるだろう。
だからこそ、スクルドはここに来るまで、何もかもがつまらない、といった表情を浮かべていたことが多かった。未来を読む身にとって、既に確定した結果を繰り返し見ることが、どれほどつまらないことなのか。ウルドは正面から尋ねたことはなかったが、それでもなんとなく、その気持ちは理解していた。
そして何よりも。最近は開き直りにも似た気持ちで日常を送っているが、昔はその能力故に、すべてを終焉へと導く宿命を生まれながらに背負わされたことに対する苦悩も、ウルドには自分のことのように理解できていた。
だからこそ、ウルドは止めない。止められない。
――あの子が楽しそうに笑う姿を見るのは、何百年ぶりかしら。
多少遊びがすぎる気がするけれど、とウルドは呟き、どこからか取り出したマフラーを首に巻く。
口元が隠れる程度に巻いた後、別人のように目を鋭く細めて、呟いた。
「だけどもし、遊びという枠を越えるつもりなら・・・・・・本気を出すようなら、その時は、私も黙ってはいないわよ」
三人がほぼ同時に発動し、展開された弾幕は、しかしスクルドには一発も当たらなかった。
回避しているわけでもない。ただ立っているだけだというのに――三人とも狙って攻撃した筈なのに、スクルドにはかすり傷一つ負わせられなかった。まるで、すり抜けたかのように。
その様子に、慧音とフランドールは驚いていたが、レミリアは口元だけで笑みを浮かべ、満足そうに頷く。
「・・・・・・そういうことね」
「どういうことだ?」
「スクルドは存在と未来を司る。彼女は自分の周囲の時間を進めているのよ。どんなに激しい攻撃も、正常な時間から自分の周囲を切り離し、その部分だけ数秒程進めれば、自分に当たらず通過するという未来になる。・・・・・・違うかしら?」
「かわす方法については、当たっておるわい。じゃが、分かったところで、これを突破できるかのう?」
スクルドの問いかけに、しかしレミリアは答えず、代わりに手招きで美鈴を呼ぶ。
「どうしましたか?レミリア様」
呼ばれた理由が分からないのか、首をかしげながら飛んできた美鈴に、レミリアは命令する。
「美鈴。私の意のままに動く手足となりなさい」
「え?」
「詳しく説明する暇はないわ。私の定めし運命に従いなさい、美鈴」
「・・・・・・分かりました」
頷き、美鈴はレミリアの正面に立ち、構える。
スクルドは僅かに首をかしげていたが、思い直したのか、一枚のカードを取り出す。
「次はわしの番じゃな。狂波『エリヴァーガル』」
宣告と同時に、スクルドを中心に十一もの光線が、全方向に放たれた。
それは決して速くはない。だが直線に進むかと思われた次の瞬間、そのすべてが折れ曲がる。
「――なっ」
それは、誰が漏らした声なのか。
しかも、スクルドの放った光線の変化は一度では終わらず、曲がったそばから再び軌道を変えていた。――まるで、荒れ狂う波のように。
そのまったく軌道の読めない攻撃に、ほぼ全員が困惑し、回避に徹するしかなかった。
だが、冷静に攻撃を見切り、反撃の機会を伺う者が二名。
「行くわよ」
「いいですよ」
美鈴と妖夢である。この攻撃は、直前まで動きが読めない。故に、視野が広ければ広い程それが仇となり、余計に困惑する。だが逆に言えば、素早く反応することさえできれば、自分に向かってくるもののみを見切ればいいのだ。己の周囲のみを見渡す、限定的な視野と反射神経がモノを言う。
その点、二人ともどちらかといえば接近戦型であり、遠くよりも近くを見ることを重点に置いている。反射神経も、他の者に比べれば群を抜いていた。
まず美鈴が、光線の合間を縫うように肉薄し、そのすぐ後を妖夢が続く。
「・・・・・・矢張りおぬしらのような型相手に、このスペルは通じぬか」
ある程度は予期していたのか、二人の攻撃範囲に入る前にスペルを中断し、素早く距離をとろうとした。
だが、スクルドは知らない。二人――特に妖夢の攻撃範囲の広さは、直線限定ながらも、他の者達の中でも圧倒的だということに。
「二百由旬の一閃!」
叫ぶと同時に、一瞬にしてスクルドとの間合いを詰めた。
「はっ!」
その常識を超えた速度に、スクルドは反応できない。
妖夢は、その隙を見逃さない。スクルドの周囲に張られた結界を、楼観剣、白楼剣で断ちにかかる。
――一閃。
白楼剣による薙ぎ払いによって、結界に僅かな綻びが生じた。
――一閃。
腰を重心に体をひねり、続けざまに、楼観剣による袈裟切りによって、その僅かな綻びを正確に切り結ぶ。
刹那にも満たない時間の中、結界に決定的な綻びを生じさせた妖夢は、そのままの勢いでスクルドを追い越し――直後、美鈴が躍り出た。
「――破っ!」
己の掌に気を集中させ、必殺の一撃を繰り出す。
それは正確に、妖夢が生じさせた綻びを突き――スクルドが張った結界は、呆気なく崩壊した。
「っ!?」
こうもあっさり破られるとは思わなかったのか――それとも、二人の攻撃速度に反応できなかったのか――、驚きのあまり、動きが止まるスクルド。
そして、その隙を見逃す程、この場にいる人物は甘くなかった。
「紅符『スカーレットマイスタ』!」
「禁弾『カタディオプトリック』!」
「虚史『幻想郷伝説』!!」
上空からは、レミリア、フランドール、慧音が。
「日符『ロイヤルフレア』!!」
「華霊『バタフライディルージョン』」
「結界『生と死の境界』」
地上付近からは、パチュリー、幽々子、紫が、まるで示し合わせたかのように、それぞれのスペルを放つ。しかも互いの火線をずらしており、流れ弾が双方に当たらないように配慮していたあたりは、流石と言うべきなのか。
迫り来る弾幕に――そう呼べるかどうかはともかく――スクルドは両腕を交差させ、何かを呟いて――
――スクルドの周辺で、各々のスペルが干渉、反発しあい、大爆発を起こした。
それを見て、いつの間にかレミリアの側にきていた美鈴が真っ青な顔色で、恐る恐る、といった様子で聞いた。
「レ、レミリア様・・・・・・やりすぎでは?」
「大丈夫よ。多分」
あっさりと答えられ、美鈴は心配そうに、未だに小規模な爆発を起こしている地点を見た後、ふと、思い出したように、
「そう言えば、レミリア様。あの時なんであんなことを言ったんですか?」
「簡単なことよ。スクルドの能力は、時間を進めるのではなく、存在を操る力。その彼女が張った結界は、私たちのスペルカードが生み出した、弾幕という『存在』では干渉すらできない・・・・・・けれど、既に存在している、刀や生身を武器とする攻撃には弱いのよ。彼女が操れない存在ならば、あの結界に干渉できる」
「あ。だから、私に「手足になれ」とおっしゃったんですか?」
「そういうことよ。だから、この中で結界に干渉できるのは、あなたと庭師くらい。だからあなた達の運命を操ったのよ。初撃で結界を壊してくれると思ったから、あなた達が攻撃した直後に一気に畳み掛けるよう、5人に報せていたわ」
納得したように頷く美鈴。が、すぐに何かに気付いたのか、首をかしげた。
「・・・・・・あれ、けどそれって、もし攻撃力が足りずに壊れなかったら、妖夢ちゃんはともかく私は・・・・・・」
「・・・・・・」
美鈴の言葉に、レミリアは無言でそっぽを向いた。
その様子に、美鈴の顔色は真っ青を通り越して真っ白になる。
「レ、レミリア様・・・・・・?」
「無事だったでしょ。だったら、その話はここでおしまい」
手をパンッ、と叩き、強引にその話を打ち切るレミリア。だが、その表情はかすかに強張っていた。
そうこうしているうちに、全員がレミリアの元へと集まり始めた。
「これでまだ動くなら、正真正銘の化け物だな」
「とにかく、これで終わ――」
やれやれ、と肩をすくめた紫が言いかけて、
――――突如として、哄笑が響き渡った。
ギクリとして、恐る恐る、といった様子で、笑い声が響いてきた方へと目を向けて――全員が絶句する。
そこにいたのは、まったくの無傷で立つスクルドの姿――だが、その身に青い甲冑を纏い、手には見事な装飾の施された槍が握られていた。
絶句し、固まるレミリア達に、スクルドは喉の奥で笑いながら、呟くように言った。
「まったく、まさかあの結界をあっさりと破られるとはのう・・・・・・これだから、本当に、東方という地は面白いわい!」
「・・・・・・どういう体をしているんだ、こいつは!」
「ちょっと待って!その鎧は・・・・・・本で読んだことがある、戦乙女のものよ!!」
悲鳴に近い声に、スクルドは物騒な笑みを浮かべて答える。
「何を驚いておる。元々ノルン、というのはわしら三人だけを指す言葉ではない。外界の人間達に運命を届ける妖精や小人等もそう呼ばれておる。・・・・・・そしてその中には、戦乙女と兼業する者もいる」
「・・・・・・まさか!?」
「そう。そして、わしはその元締めというわけじゃ。未来と存在を司り、不死不滅だった筈の神々に、死と滅びを定めし者。主神でさえも、わしの定めし未来には逆らえぬ」
言い終えるとほぼ同時に、風もないのに、スクルドの髪がざわりと揺れ――突然、パチュリーが咳き込んだ。
「パチュリー様、大丈夫ですか!?」
「パチェ!?なんでこんな時に喘息が・・・・・・」
「・・・・・・あの子の力よ」
スクルドが漏らした言葉に、全員が目線だけで「どういうこと?」と問いかける。
全員の視線を一身にうけ、それでもスクルドをまっすぐ見据えながら、ウルドは言葉を続ける。
「ベルが時を止めたように、あの子も時を進めることが出来る。存在を操る力もそうだけど、時間を進める力を使って、周辺の時を進めている。・・・・・・普通の人なら、この空間の中では1時間も保たないわ」
「ここに普通の人はいないわ。半人なら二人いるけど」
「とにかく。美鈴、パチェをこの場から避難させて」
「はい」
頷き、美鈴はパチュリーの元へと飛んだ。
だが、ウルドはレミリアに対して、意外なことを口にした。
「あなたと、妹も離れていなさい」
「えー?」
「何故かしら?」
不満そうに頬を膨らますフランドールと、片方の眉を上げるレミリアに、ウルドはそっと耳打ちした。
告げられた内容に、フランは不満そうに唸りながらも、割と素直に美鈴の方へと飛び、レミリアも、
「・・・・・・なるほどね。確かにそれは、私とフランには辛いわ」
あっさりと頷いて、フランの後を追うように、その場から離れた。
突然の戦線離脱に、成り行きがわからず呆気にとられる残りの4人の隣に、ウルドは立った。
「私も参戦するわ。・・・・・・流石に、本気になったあの子相手にあなた達では辛いでしょうから」
「成り行きが分からないんだが・・・・・・あの悪魔は何故離脱した?」
「ようやく本気ということね。楽しくなりそう」
「幽々子様、そんなこと言っている場合ではありませんよ」
「あの槍だけでも、かなりの力を感じるわよ」
全員が全員、まったく違うことを言っているが、その表情に焦燥は浮かんでいなかった。
その余裕さえ感じられる様子に、ウルドは可笑しそうに微笑み、答えた。
「あの子が本気になると、必ず同じ攻撃パターンでくるのよ。・・・・・・最も、それを最後まで回避しきれた者を見たことがないのだけど、必ず氷、炎、水と炎でくるわ。吸血鬼に水は辛いでしょう?」
「それは納得できたが・・・・・・あの槍はなんだ?」
「心配しなくても、使ってこないわ。あれはあくまで接近戦になった場合にのみ使うモノ。――昔、異教の神が地上に遣わした、神の代理人。それを貫いた、神殺しの槍。・・・・・・あれを持つだけで、自身に向けられる能力による干渉は、一切通じなくなる。つまり、あなた達が使うスペルカードが一切通じないのよ」
「・・・・・・つまり、私たちは普通の攻撃しかできないわけなのね?・・・・・・つまらないわね、こういうことは、互いが派手にいかないと面白くないのに」
拗ねたように頬を膨らませる幽々子に、ウルドは苦笑を浮かべた。
「けれど、あの子に通じないだけで、攻撃を打ち消すことはできるわ。――最も、あの子の攻撃力を上回ることが出来れば、だけど」
「――作戦会議は終わったかのう」
感情というものを一切排した声で、スクルドは問う。
見ると、声だけではなく、その顔からも、表情というものが抜け落ちていた。
そして、無表情のまま、スクルドは一枚のカードを取り出す。
「おぬしらに見せてくれよう。神々を黄昏へと導く、極寒の地獄を」
――凍獄『フィムブルヴェド』――
スクルドが宣告すると同時に、周囲の景色が一変した。
夜空を覆い隠す雲が現れ、そこから次々に、大小さまざまな大きさの氷が降り注ぐ。
速度も言うほどではなく、ただ単に降り注ぐだけの氷の弾。勿論そんなものに当たるわけがなく、難なくそれを回避する5人。
だが、最初に異変に気付いたのは、紫と妖夢だった。
「ゆ、幽々子・・・・・・」
「どうしたの?紫」
「さ、寒い・・・・・・!」
「え?」
「幽々子様、空気がどんどん冷えていきます・・・・・・!」
冬には眠りにつく紫と、半袖の妖夢。この場にいる誰よりも寒さには敏感だった。
その証拠に、時間が経つにつれて、空気中の水分さえも凍り始めたのか、至る所に小さな氷が現れ、雲から降り注ぐ氷と同じように落ち始めた。
最早、数えるどころか見ることさえも空しくなるほどの氷弾が、5人に向かって降り注ぐ。
「――けれど、私だって負けてはいないわよ。桜符『完全なる墨染の桜 -開花-』」
幽々子が扇を開くと同時に、その背後に巨大な扇が現れ――春の騒動の際、霊夢達に対して放った切り札ともいうべきスペルである――降り注ぐ氷弾に対抗するかのように、妖弾が、蝶が、舞う。
それらは氷に命中すると同時に、『死』に誘い、打ち砕きながらスクルド目掛けて空を舞った。
だが――そのすべてが、スクルドの振った槍によって打ち消されて通じず、そして低下し続ける気温を止めることは出来なかった。
零度以下まで下がった空気は、その中に含まれる水分をも凍らせる。
人も、妖も、呼吸をしなければいけない。その冷えた空気と目に見えない氷を吸い込んだ、幽々子とウルド以外の3人が、苦しそうに喉と胸を押さえ始めた。
幽々子は3人を心配そうに見やったが、自らの能力では、どうしようもないことも知っていた。だから、一刻も早くスクルドを倒そうと躍起になるが、思うようにいかない。
珍しく焦りの表情を浮かべた幽々子の代わりにその空気を打ち破ったのは、ウルドだった。
「結界『天流星群』」
いつの間にか取り出したカードを掲げるとほぼ同時に、スクルドと5人の間を、無数の星が通過した。しかもそれだけに留まらず、通過した星々は5人を守るように周囲を飛び交い始め、幽々子が打ち漏らした氷弾のみを迎撃する。幽々子の放った弾はそのまま通過させているのに、である。
常識では考えられない事態に、しかし4人は気にしなかった。相手が神だからなのか、それどころではないからなのか。
――同時に、低下していた空気の温度が、元に戻った。
「即興だったけれど、うまくいってよかったわ」
胸をなでおろし、安堵のため息をつくウルド。
だが、スクルドは攻撃の手を緩めない。
「人の世に生まれし者が、この気温差に、神々の地をも焼き尽くす炎の地獄に、耐えられるかのう?」
――終焉『ラグナロク』――
宣言と同時に、降り注いでいた氷が、周囲の空気が、空が――そのすべてが、炎の朱色に包まれた。それに伴い、零度以下まで下がっていた気温が、一気に上昇し始める。しかもその空気は、ウルドが張った結界を乗り越え、5人にまで届いた。
うだるような暑さに、まず最初に紫が音をあげた。
「・・・・・・真夏でも、こんなに暑くならないわよ・・・・・・」
「結界を張ってあったから大丈夫だとは思うけれど・・・・・・気温差が激しいと、それだけで火傷を負うわ。気をつけて」
ウルドが忠告するとほぼ同時に、周囲に浮かんでいたすべての炎が、スクルドの元へと集まり始め、彼女を中心に渦を巻く。
炎の渦の中心に佇むスクルドは、鼻を鳴らした。
「・・・・・・これをただ放つ、というのも芸がないのう・・・・・・『象れ』、ヨルムンガント」
炎に命令すると同時に、スクルドを中心に渦巻いていた炎に変化が起こった。
今までバラバラに周囲を回っていたそれらが、次第に集まり、巨大な炎の塊へと変化し――唐突に、とぐろを巻き始めた。
そして、先端と思われる炎の塊が真っ二つに割れ、僅かに開いた隙間から、巨大な牙が顔を覗かせる。
あまりに常識を逸した光景に言葉も出ない4人を尻目に、スクルドは己の手を天にかざし、
「行け」
振り下ろすと同時に、炎が象った巨大な蛇が、5人を飲み込まんばかりに顎を大きく開き、空を走った。
先ほどよりも倍の速度で空を走る蛇。それが近づくにつれ、まず焼け付くような暑さが5人に襲い掛かる。
その熱は、十分な距離をとっているレミリア達にも伝わる程だ。より近くにいる5人は暑さにやられ、動きが鈍っていた。
「くっ!未来『高天原』!!」
「幽曲『リポジトリ・オブ・ヒロカワ -神霊-』」
蛇の突進を止めるため、慧音は持ち合わせた中で最後にして最強のスペルを。幽々子は相手に対して集中的に蝶弾を放つスペルを放った。
だが、それらすべては、蛇に飲み込まれて霧散し、止めるどころか動きを鈍らせることすらもできなかった。
「無駄じゃよ。神々をも焼き滅ぼした炎に、そんなモノが――」
僅かに嘲りさえ含まれるスクルドの声を、ウルドが遮る。
「過去『アカシックレコード‐因果消滅の巻‐』」
先ほどと同様、いつの間にかその手持っている本を開いた瞬間、周囲を飛び交っていた星々が消え――同時に、蛇を象っていた炎が大きく揺れ始め、次の瞬間、崩壊する。
バラバラに分かれ、それでもしつこく降り注ごうとした炎の群れは、ウルドが手を払うと同時に、見当違いの方向へと進路を変え、5人にはまったく当たらなかった。
「――姉上」
「無駄よ、スクルド。この人達とあなたが放つ攻撃が交わる『運命』を、どんなに『存在』させようとも、私が能力を使えばまったく無効になる――あなたなら分かるはずよ。因果を絶つのも、私の能力の副産物である、ということに」
そう言って、ウルドは目を鋭く細めた。
「スクルド、引きなさい。あなたが本気を出した時点で、既に遊びの領域を超えているわ――私は、遊ぶことは目を瞑るけど、戦いまで黙認する気はないわよ」
だが、スクルドは一枚のカードを取り出し、それを発動させることで、その返答をした――つまり、拒否。
――創世『ノアの大洪水伝説‐異伝‐』――
スクルドが宣言して、数秒後、
――ポツリ、ポツリと雨が降り始めた。
見上げれば、月を覆い隠すほどの雨雲が空一面に広がっていた。そして時間が経てば経つ程雨脚が強まり、やがて土砂降りとなる。
「この服お気に入りなんだけど・・・・・・」
「幽々子様、そんなこと言っている場合では・・・・・・」
「これは普通の雨みたいね。何の力も感じられないわ」
「・・・・・・」
てっきり弾幕を予想していた4人は、拍子抜けしたのか首をかしげていたが、
「・・・・・・下を見てみなさい」
ウルドの言葉に、4人は一斉に下を見て、
「「「「・・・・・・え?」」」」
全員が素っ頓狂な声を上げた。
目にした光景。それは、地上を覆い隠す程にまであふれかえった水と、その中で燃え続ける炎だった。
そして――水弾が、炎が、先ほどまで展開されていた弾幕とは段違いの速さで、5人目がけて一気に飛翔する。
特に水弾は、まるで高圧で発射されたレーザーのようだった。おまけに振り続ける雨によって、余計に位置が特定しにくくなっている。妖夢でさえも完全にはかわしきれず、無数の傷を負っていた。
「うわっ!?」
慧音は、迫り来る水弾をかわそうと横に移動した直後、飛んできた炎に危うく当たりそうになり、肝を冷やした。他の4人も、短時間のうちに、ほぼ同じ経験を何度もしていた。
それでも5人は諦めず、対空弾幕のようなレーザーと炎をかわし続ける。
その、決して諦めない表情に、ウルドは微笑む。
――やっぱり、ここにいる者達は、今まで見てきた者達とは違う。諦めることを知らないのかしら。
自身も激しい攻撃に晒されながらも、ウルドは考えることをやめない。
――だから、ここまで耐えることができた。あの子もここまで楽しむことができた。・・・・・・だけど、この攻撃は全員が倒れるまで延々と続けられる。
すっ、と目を細め、両腕を顔の前で交差する。
――けれど、私は惜しいと感じてしまった。彼女たちが倒れるのが惜しいと。――何故かは分からないけれど。
飛んできた炎を、僅かに身を裁いて回避する。
直感――いわゆる勘は大事だ、とウルドは思っていた。それこそが、本来神々にはなく、人や妖にあるモノであり、誰にも覆せない歴然とした差なのだ。
だからこそ、それを持つことの意味を、ウルドは重要視する。
故に、ウルドは、自らが感じたことを疑わない。直感を信じて起こす行動にも、一切の迷いはない。
――だからこそ、私のスペル、耐えられるはず・・・・・・あの子の力を打ち消し、この場を切り抜けるためには、これしか思いつかなかったから。理不尽でしょうけど、ごめんなさいね。
「・・・・・・この国の言葉に、こういうものがあるの・・・・・・『喧嘩両成敗』と」
「「「「「・・・・・・は?」」」」」
その言葉に、全員が――スクルドさえも、素っ頓狂な声をあげたが、ウルドは気にせずに続けた。
「私も付き合ってあげるから、全員頭を冷やしなさい」
――始原『ウルダルブルンヌル‐星光乱舞‐』――
カードすらもない、見た目は何も媒介としないウルドのスペルが、静かに発動する。
瞬間、土砂降りの雨が、地上から放たれた水のレーザーと炎の嵐が――すべての景色が、消え去った
代わりに9人――何故か離れている筈のレミリア達も巻き込まれていたが――が見た光景。それは、無数の光が煌く世界。
自分がどこにいるのかも理解できていない者達が多い中、スクルドが顔を真っ青にして唸る。
「姉上、まさかここは――」
「擬似的な宇宙空間。私たちがいつもいる泉を媒介にしたわ。――この意味が分かるわね、スクルド?」
絶句し、言葉も出ないスクルドに、ウルドは冷淡に告げる。
「あなたが本気になるのなら、それを止めるには私も本気になる必要があるわ。――宇宙の子宮、生命の泉とも呼ばれる泉。その秘めた力を使えば、もう一つの、本物に限りなく近い宇宙空間を創ることもできる――私も付き合ってあげるから、頭を冷やしなさい、スクルド」
と、そこで当然反論する者がいた。紫は首をかしげながら聞く。
「・・・・・・なんで私たちまで?」
「喧嘩両成敗。私はそう言ったはずよ。発動した以上、異論があっても止められないし、認めるわけにはいかないから、そのつもりでかわして頂戴」
「はっ!?」
全員が悲鳴に近い声をあげるが、時既に遅し。
周囲で煌いていた星が、次々に光の帯を残して飛び交いはじめ――その帯から、無数の星型の弾が現れ、一斉に降り注いだ。
動きはそれほど速くはない。だが数が異常なまでに多く、また動きが変則的であり、当たる、という直前まで、まったく軌道が読めない。スクルドが放った『エリヴァーガル』の光線とて、ここまで変化はしなかった。
回避する者、星を破壊して凌ぐ者。思い思いの行動を取るのを横目に、ウルドはため息と共に呟いた。
「お願いですから、早く決着をつけてください、お母様――」
――時は、少し遡る。
幻想郷より遥か北西にある、同じく結界によって外界と隔てられた空間。
そこには一本の、天まで届くのでは、と思われる程の巨大な樹がそびえ立っていた。三本しかない根によって三つの大地を繋ぎとめており、結界内の世界を構築する樹――ユグドラシルである。
その内の一本の根元に、一際大きな泉がある。そこでは毎日にように、一部の住人達によって会合が開かれているのだが、今は人気もなく、静かだった。
その泉の水面に浮かぶ、様々な装飾の施された、一つの机と三つの椅子。その中の一つに少女は腰かけ、退屈そうに頬杖をついていた。
「暇・・・・・・じゃのう」
少女――スクルドはそう言ってため息を漏らす。
実を言えば、ユグドラシルに水を与える、という日課を終わらせた後は、ほぼ毎日が暇なのだが、それでも二人の姉――長女はともかく次女は、どう見ても自分より精神年齢が幼いので姉と呼んだことはないが――がいて、共にお茶を楽しんだり、外界やこの世界の運命を見たりしており、それで結構退屈が紛れていた。
だが、この日に限って、何故か二人ともいない。こういう時に備えて、遥か昔に外界から大量の本を買い込んでいたのだが、間の悪いことに、つい最近、すべて読み終えてしまっていた。
「・・・・・・新しい本でも買いにいこうかのう・・・・・・」
呟き、しかしスクルドは考え直した。会合を開く一部の者達によって張られた結界はかなり強力であり、三人揃ってならともかく、一人で抜けるにはかなりの労力を要する。それ以前に、自身の力のこともあり、あまり外界に出歩きたくはなかった。前に本の買い出しに出た際にも、それが原因でちょっとした騒動が起こったのだ。
結局、姉――ウルドの力でどうにか収まったのだが、もう二度と出るものか、と思う程に、スクルドは懲りていた。だからこそ、三人で『外界には出ない』という誓いを交わしたのだ。
「外界と言えば・・・・・・オーディンが言うておったか。遥か東方の地は面白いと・・・・・・見に行くことができぬ身に語られても困る話じゃが・・・・・・」
ふむ、と頷き、大きく背伸び。
「・・・・・・前に、懐かしい気が感じられたのも東方の地・・・・・・さてはて、わしの思うことが正しいならば、東方には随分と、神の力を持つ者が多いようじゃのう。・・・・・・まあ――」
わしには関係ないか、と呟き、スクルドは軽く両腕を広げた。そして目を閉じ、何かを握るようにして――目を開けた瞬間、その手にはティーポットとカップが、まるで手品か魔法を行ったかのように存在していた。
満足したかのように頷き、ポットの中身をカップに注ぐスクルド。
辺りに漂い始めたハーブの匂いに微笑み、しかしすぐその表情を打ち消し、険しい表情で考え込む。
「しかし、あやつめ。何があったか知らぬが、このところ妙に切羽詰っておるようじゃし・・・・・・しきりに外界の様子を気にしておる。戻り次第、釘を刺しておくべきかのう」
呟き、カップに注がれたお茶を飲もうとして、
「スクルド!!」
だが、突然背後から大声で呼びかけられ、その動きが止まった。
カップを机に置き、背後を振り返るスクルド。その視線の先には、焦燥を浮かべたウルドが立っていた。余程急いでいたのか、肩で息をしている。
「姉上、何事じゃ?」
胡乱げに問うスクルドに、ウルドはそのままの表情で答える。
「ベルが外界に降りたわ」
告げられた言葉に、スクルドの顔から表情が抜け落ちた。
「・・・・・・随分と急じゃのう。そろそろ釘を刺そうかと思っておったところじゃが・・・・・・何故じゃ?」
「分からない。けど、あの子が降りた場所には、もう既に影響が出始めているわ」
「まったく、面倒なことじゃて・・・・・・で、あやつは一体どこに降りたんじゃ?」
「・・・・・・東方の地に、ここと同じように結界に守られた空間があるの。そこよ」
「東方?」
その単語に、スクルドは反応した。
「知っているの?」
妹の気配の変化を敏感に感じ取ったウルドの問いに、しかしスクルドは首を振る。
「いや、知らぬ。知らぬが・・・・・・しかし、操作せずとも機会が舞い込んでくるとはのう・・・・・・」
「え?」
「なんでもないわい。それより、行かねばならぬのじゃろう?」
「え、ええ。この場を離れることは、既にオーディンには報せてあるわ。急ぐわよ」
「うむ」
頷くスクルドに、しかしウルドは心配そうに付け加えた。
「それと、現地の人と極力交戦しないようにね。喧嘩を売っても駄目よ。あなた、そういう部分に関しては問題児だって自覚あるのかしら」
「分かっておるわい」
「・・・・・・本当に?」
「わしはそこまで子供ではないわ」
念を押すように言われて、スクルドは辟易して頷く。ウルドはまだ何か言いたそうだったが、時間が惜しいのか、即座に転移系の術式を完成させ、間髪いれずに、浮かび上がった魔法陣に入り込んだ。
それを見届け、席を立ってその魔法陣へと足を向けながら、スクルドは小さな声で呟いた。
「姉上も肝心なところで抜けておるわ・・・・・・戦いと遊びは違う、というところがのう」
そう言うスクルドの顔には、心から楽しそうな笑みが浮かんでいた。
――果たして、ウルドの心配は、見事に的中することになる。
――時と場所を戻し、魔法の森上空。
「そのスペル、潰させてもらうわよ。神罰『幼きデーモンロード』」
スペルカードを手にレミリアが宣告すると同時に、つい先ほどまでスクルドが放っていた弾幕を飲み込む勢いで、無数の巨大なレーザーが展開された。
それを見て、スクルドは、ふむ、と頷き、素早くスペルカードを中断、回避に移る。
触れただけでも、並の妖怪なら消し飛ぶほどの威力を秘めたレーザーの合間を、しかしスクルドは臆することなく縫うように回避しながら、上空を目指す。
「・・・・・・ふむ。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』・・・・・・じゃったか」
呟き、ニヤリと笑う。
その言葉通り、ようやくレーザーの嵐から抜け出したスクルドを待ち構えていたのは、フランドールと慧音だった。
「ここに来るのは読めていた!終符『幻想天皇』!!」
「いっくよー!禁弾『スターボウブレイク』!!」
レミリアに比べれば威力、大きさ共に劣るが数の多いレーザーと、七色に輝く光弾が一斉に放たれる。
だが、スクルドは臆することなく、その弾幕の中へと突入した。
「待ち構えておるのは知っておったわ!」
楽しそうに笑いながら、スクルドは回避に専念する。
自身の体をいくつもの弾やレーザーが掠めながらも、それをまったく気にせず、まるで踊っているような優雅ささえ感じさせる動きで、しかも着実に二人への距離を詰めていく。
そして、ある程度距離が詰まったところで、スクルドはスペルカードを取りだした。
「この距離でかわせるかのう?刺絶――」
「させません!」
「はあっ!!」
スペルカードを発動させようとしたスクルドを、真横から、美鈴と妖夢が強襲する。
流石にこれは読めなかったのか、スクルドは一瞬躊躇ったが、素早くカードを仕舞い、美鈴の蹴りと妖夢の横なぎの一閃を、寸前のところで回避した。
だが、慧音とフランドールが展開する弾幕の中、美鈴と妖夢は臆することなく、後退し、弾幕密度の低い場所へと逃げ込んだスクルドを追撃する。
その攻撃は正確無比であり、しかも二人は互いの攻撃後に生まれる隙をカバーしあうようにして攻撃を入れ替え、体勢を立て直す暇すら与えない。
接近戦は分が悪いと感じたのか、美鈴と妖夢が決定打を叩き込む前に素早く距離をとり、今度は地上目掛けて一気に空を翔る。
だが、地上付近でスクルドを待ち構えていたのは、無数に張り巡らされた蜘蛛の巣にも等しい罠だった。
「・・・・・・むっ?」
異変を感じたのか、急停止し、体勢を立て直すスクルド。だが、時既に遅し。
「あなたは蜘蛛の糸に絡めとられた、哀れな獲物・・・・・・」
微かに嘲りさえ含まれる笑い声が聞こえてきたのは、スクルドの真後ろから。
反射的に振り返ったスクルドは、しかしそこに誰もいないのを確認し、眉根を寄せる。
「・・・・・・どう言う――?」
呟きかけたスクルドは、しかし次の瞬間、自分が目にした光景に、思わず感嘆の息を漏らした。
わずか一瞬の間に、スクルドを無数の光線が取り囲んでいた。――そう、まるで、蜘蛛の巣のように。
「・・・・・・なるほどのう、今までのは攻撃は、すべて布石ということか」
納得したところで、脱出する手立てはない。
あらゆる角度を封じられ、身動きがとれなくなったスクルド目掛けて、容赦なく追い討ちがかかる。
「亡郷『亡我郷 -自尽-』」
「火符『アグニシャイン上級』!」
「魍魎『二重黒死蝶』」
その巣を突き抜けて、薙ぎ払うかのような5本のレーザーが、何もかもを焼き尽くす炎が、死に誘う蝶とナイフが、スクルド目掛けて殺到する。
どう見ても、回避する手立てはない。だが、スクルドは楽しそうに笑っていた。
「なかなかやりおるわ・・・・・・これなら、わしも、存分に楽しめそうじゃ」
迫り来る弾幕を目前に、スクルドは一枚のカードを取り出し、厳かに呟く。
「結界『現在と未来の狭間』」
確実に仕留められると思っていた紫にとって、目の前の光景は信じがたいものだった。――否、紫だけではなく、ウルド以外の全員が、あまりの光景に絶句していた。
三人のスペルカードによって崩壊し、霧散した蜘蛛の巣。そこから現れたのは、腕組みし、まったくの無傷で浮かぶスクルドの姿だったからだ。
「もう終わりかのう?」
「・・・・・・当たったはず、なのに――!」
「当たっておらぬわ」
そう言って笑うスクルドの瞳は、いつの間にか、紅く染まっていた。
それを見て、ウルドは軽くため息をつき、レミリアに囁く。
「気をつけて、あの子、気分が高揚すると目が紅くなるのよ」
「と、言うことは、私たちはあの子を本気にさせたのかしら?」
「本気ならあの程度では終わらないわ・・・・・・もう一つ、あの子が無傷なのは結界の効果だけど、あなた達が持つスペルカード、というモノでは、絶対に壊せない。少なくともきっかけがなければ」
「・・・・・・どういうこと?」
「もし、あなた達の中で壊せるとすれば――」
ウルドから告げられた名前に、レミリアは眉根を寄せた。
「・・・・・・何故?」
「試してみれば分かるわ。その子なら、十分きっかけになる」
そう告げて離れようとするウルドに、レミリアは眉根を寄せたまま聞いた。
「何故、そんなことを私に?結果的に、あなたの妹を危険な目にあわせることになるわよ?」
レミリアの問いに、ウルドは様々な感情の入り混じった笑みを浮かべて、
「・・・・・・どうしてでしょうね」
そう答え、その場を離れた。
その場から動かず、まるで次の手を待ち構えるかのように浮かぶスクルドを視界に納めながら、レミリアはしばらくの間考え込み、すぐ側に降りてきた慧音とフランドールに話しかける。
「・・・・・・慧音、フラン。ちょっと耳を貸してね」
「うん」
「妙案でも浮かんだか?」
「場合によってはそうなるわね。その前に、確証がほしいの。・・・・・・協力してくれるわね?」
真摯な表情で言うレミリアに、フランはすぐに頷き、慧音は僅かに眉根を寄せたが、やがて頷く。
そっと耳打ちし、頷く二人。そして三人は一斉にスクルド目掛けて空を駆けた。
「いくわよ・・・・・・獄符『千本の針の山』!」
「禁忌『クランベリートラップ』!」
「野符『GHQクライシス』!!」
スクルド目掛けて三人から展開された弾幕を見ながら、ウルドは目を細めた。
先ほどのレミリアの言葉が、耳から離れない。
「・・・・・・私は――」
呟き、スクルドへと目を向ける。
笑いながら、避けようともせずに弾幕を待ち構えるスクルド。
その笑顔――いささか物騒な笑みではあったが、間違いなく楽しそうな笑みを浮かべているスクルドを見て、ウルドはそっと目を伏せた。
「――もしかしたら、あの子が久しぶりに遊ぶ姿を、眺めたいだけなのかもしれない」
ウルドが知っている、スクルドの能力を考えれば、結界を張らずとも簡単に回避できる筈なのだ。
未来を読むことのできる力――それすらも副産物でしかないのだが――を使えば、どんなに激しい弾幕であろうと、展開される場所が分かるスクルドにとって、回避すること自体は簡単だった。今までも――おそらくこれからも、どれ程激しい戦いになろうとも、スクルドは体に傷一つつけないままに戦い終えるだろう。
だからこそ、スクルドはここに来るまで、何もかもがつまらない、といった表情を浮かべていたことが多かった。未来を読む身にとって、既に確定した結果を繰り返し見ることが、どれほどつまらないことなのか。ウルドは正面から尋ねたことはなかったが、それでもなんとなく、その気持ちは理解していた。
そして何よりも。最近は開き直りにも似た気持ちで日常を送っているが、昔はその能力故に、すべてを終焉へと導く宿命を生まれながらに背負わされたことに対する苦悩も、ウルドには自分のことのように理解できていた。
だからこそ、ウルドは止めない。止められない。
――あの子が楽しそうに笑う姿を見るのは、何百年ぶりかしら。
多少遊びがすぎる気がするけれど、とウルドは呟き、どこからか取り出したマフラーを首に巻く。
口元が隠れる程度に巻いた後、別人のように目を鋭く細めて、呟いた。
「だけどもし、遊びという枠を越えるつもりなら・・・・・・本気を出すようなら、その時は、私も黙ってはいないわよ」
三人がほぼ同時に発動し、展開された弾幕は、しかしスクルドには一発も当たらなかった。
回避しているわけでもない。ただ立っているだけだというのに――三人とも狙って攻撃した筈なのに、スクルドにはかすり傷一つ負わせられなかった。まるで、すり抜けたかのように。
その様子に、慧音とフランドールは驚いていたが、レミリアは口元だけで笑みを浮かべ、満足そうに頷く。
「・・・・・・そういうことね」
「どういうことだ?」
「スクルドは存在と未来を司る。彼女は自分の周囲の時間を進めているのよ。どんなに激しい攻撃も、正常な時間から自分の周囲を切り離し、その部分だけ数秒程進めれば、自分に当たらず通過するという未来になる。・・・・・・違うかしら?」
「かわす方法については、当たっておるわい。じゃが、分かったところで、これを突破できるかのう?」
スクルドの問いかけに、しかしレミリアは答えず、代わりに手招きで美鈴を呼ぶ。
「どうしましたか?レミリア様」
呼ばれた理由が分からないのか、首をかしげながら飛んできた美鈴に、レミリアは命令する。
「美鈴。私の意のままに動く手足となりなさい」
「え?」
「詳しく説明する暇はないわ。私の定めし運命に従いなさい、美鈴」
「・・・・・・分かりました」
頷き、美鈴はレミリアの正面に立ち、構える。
スクルドは僅かに首をかしげていたが、思い直したのか、一枚のカードを取り出す。
「次はわしの番じゃな。狂波『エリヴァーガル』」
宣告と同時に、スクルドを中心に十一もの光線が、全方向に放たれた。
それは決して速くはない。だが直線に進むかと思われた次の瞬間、そのすべてが折れ曲がる。
「――なっ」
それは、誰が漏らした声なのか。
しかも、スクルドの放った光線の変化は一度では終わらず、曲がったそばから再び軌道を変えていた。――まるで、荒れ狂う波のように。
そのまったく軌道の読めない攻撃に、ほぼ全員が困惑し、回避に徹するしかなかった。
だが、冷静に攻撃を見切り、反撃の機会を伺う者が二名。
「行くわよ」
「いいですよ」
美鈴と妖夢である。この攻撃は、直前まで動きが読めない。故に、視野が広ければ広い程それが仇となり、余計に困惑する。だが逆に言えば、素早く反応することさえできれば、自分に向かってくるもののみを見切ればいいのだ。己の周囲のみを見渡す、限定的な視野と反射神経がモノを言う。
その点、二人ともどちらかといえば接近戦型であり、遠くよりも近くを見ることを重点に置いている。反射神経も、他の者に比べれば群を抜いていた。
まず美鈴が、光線の合間を縫うように肉薄し、そのすぐ後を妖夢が続く。
「・・・・・・矢張りおぬしらのような型相手に、このスペルは通じぬか」
ある程度は予期していたのか、二人の攻撃範囲に入る前にスペルを中断し、素早く距離をとろうとした。
だが、スクルドは知らない。二人――特に妖夢の攻撃範囲の広さは、直線限定ながらも、他の者達の中でも圧倒的だということに。
「二百由旬の一閃!」
叫ぶと同時に、一瞬にしてスクルドとの間合いを詰めた。
「はっ!」
その常識を超えた速度に、スクルドは反応できない。
妖夢は、その隙を見逃さない。スクルドの周囲に張られた結界を、楼観剣、白楼剣で断ちにかかる。
――一閃。
白楼剣による薙ぎ払いによって、結界に僅かな綻びが生じた。
――一閃。
腰を重心に体をひねり、続けざまに、楼観剣による袈裟切りによって、その僅かな綻びを正確に切り結ぶ。
刹那にも満たない時間の中、結界に決定的な綻びを生じさせた妖夢は、そのままの勢いでスクルドを追い越し――直後、美鈴が躍り出た。
「――破っ!」
己の掌に気を集中させ、必殺の一撃を繰り出す。
それは正確に、妖夢が生じさせた綻びを突き――スクルドが張った結界は、呆気なく崩壊した。
「っ!?」
こうもあっさり破られるとは思わなかったのか――それとも、二人の攻撃速度に反応できなかったのか――、驚きのあまり、動きが止まるスクルド。
そして、その隙を見逃す程、この場にいる人物は甘くなかった。
「紅符『スカーレットマイスタ』!」
「禁弾『カタディオプトリック』!」
「虚史『幻想郷伝説』!!」
上空からは、レミリア、フランドール、慧音が。
「日符『ロイヤルフレア』!!」
「華霊『バタフライディルージョン』」
「結界『生と死の境界』」
地上付近からは、パチュリー、幽々子、紫が、まるで示し合わせたかのように、それぞれのスペルを放つ。しかも互いの火線をずらしており、流れ弾が双方に当たらないように配慮していたあたりは、流石と言うべきなのか。
迫り来る弾幕に――そう呼べるかどうかはともかく――スクルドは両腕を交差させ、何かを呟いて――
――スクルドの周辺で、各々のスペルが干渉、反発しあい、大爆発を起こした。
それを見て、いつの間にかレミリアの側にきていた美鈴が真っ青な顔色で、恐る恐る、といった様子で聞いた。
「レ、レミリア様・・・・・・やりすぎでは?」
「大丈夫よ。多分」
あっさりと答えられ、美鈴は心配そうに、未だに小規模な爆発を起こしている地点を見た後、ふと、思い出したように、
「そう言えば、レミリア様。あの時なんであんなことを言ったんですか?」
「簡単なことよ。スクルドの能力は、時間を進めるのではなく、存在を操る力。その彼女が張った結界は、私たちのスペルカードが生み出した、弾幕という『存在』では干渉すらできない・・・・・・けれど、既に存在している、刀や生身を武器とする攻撃には弱いのよ。彼女が操れない存在ならば、あの結界に干渉できる」
「あ。だから、私に「手足になれ」とおっしゃったんですか?」
「そういうことよ。だから、この中で結界に干渉できるのは、あなたと庭師くらい。だからあなた達の運命を操ったのよ。初撃で結界を壊してくれると思ったから、あなた達が攻撃した直後に一気に畳み掛けるよう、5人に報せていたわ」
納得したように頷く美鈴。が、すぐに何かに気付いたのか、首をかしげた。
「・・・・・・あれ、けどそれって、もし攻撃力が足りずに壊れなかったら、妖夢ちゃんはともかく私は・・・・・・」
「・・・・・・」
美鈴の言葉に、レミリアは無言でそっぽを向いた。
その様子に、美鈴の顔色は真っ青を通り越して真っ白になる。
「レ、レミリア様・・・・・・?」
「無事だったでしょ。だったら、その話はここでおしまい」
手をパンッ、と叩き、強引にその話を打ち切るレミリア。だが、その表情はかすかに強張っていた。
そうこうしているうちに、全員がレミリアの元へと集まり始めた。
「これでまだ動くなら、正真正銘の化け物だな」
「とにかく、これで終わ――」
やれやれ、と肩をすくめた紫が言いかけて、
――――突如として、哄笑が響き渡った。
ギクリとして、恐る恐る、といった様子で、笑い声が響いてきた方へと目を向けて――全員が絶句する。
そこにいたのは、まったくの無傷で立つスクルドの姿――だが、その身に青い甲冑を纏い、手には見事な装飾の施された槍が握られていた。
絶句し、固まるレミリア達に、スクルドは喉の奥で笑いながら、呟くように言った。
「まったく、まさかあの結界をあっさりと破られるとはのう・・・・・・これだから、本当に、東方という地は面白いわい!」
「・・・・・・どういう体をしているんだ、こいつは!」
「ちょっと待って!その鎧は・・・・・・本で読んだことがある、戦乙女のものよ!!」
悲鳴に近い声に、スクルドは物騒な笑みを浮かべて答える。
「何を驚いておる。元々ノルン、というのはわしら三人だけを指す言葉ではない。外界の人間達に運命を届ける妖精や小人等もそう呼ばれておる。・・・・・・そしてその中には、戦乙女と兼業する者もいる」
「・・・・・・まさか!?」
「そう。そして、わしはその元締めというわけじゃ。未来と存在を司り、不死不滅だった筈の神々に、死と滅びを定めし者。主神でさえも、わしの定めし未来には逆らえぬ」
言い終えるとほぼ同時に、風もないのに、スクルドの髪がざわりと揺れ――突然、パチュリーが咳き込んだ。
「パチュリー様、大丈夫ですか!?」
「パチェ!?なんでこんな時に喘息が・・・・・・」
「・・・・・・あの子の力よ」
スクルドが漏らした言葉に、全員が目線だけで「どういうこと?」と問いかける。
全員の視線を一身にうけ、それでもスクルドをまっすぐ見据えながら、ウルドは言葉を続ける。
「ベルが時を止めたように、あの子も時を進めることが出来る。存在を操る力もそうだけど、時間を進める力を使って、周辺の時を進めている。・・・・・・普通の人なら、この空間の中では1時間も保たないわ」
「ここに普通の人はいないわ。半人なら二人いるけど」
「とにかく。美鈴、パチェをこの場から避難させて」
「はい」
頷き、美鈴はパチュリーの元へと飛んだ。
だが、ウルドはレミリアに対して、意外なことを口にした。
「あなたと、妹も離れていなさい」
「えー?」
「何故かしら?」
不満そうに頬を膨らますフランドールと、片方の眉を上げるレミリアに、ウルドはそっと耳打ちした。
告げられた内容に、フランは不満そうに唸りながらも、割と素直に美鈴の方へと飛び、レミリアも、
「・・・・・・なるほどね。確かにそれは、私とフランには辛いわ」
あっさりと頷いて、フランの後を追うように、その場から離れた。
突然の戦線離脱に、成り行きがわからず呆気にとられる残りの4人の隣に、ウルドは立った。
「私も参戦するわ。・・・・・・流石に、本気になったあの子相手にあなた達では辛いでしょうから」
「成り行きが分からないんだが・・・・・・あの悪魔は何故離脱した?」
「ようやく本気ということね。楽しくなりそう」
「幽々子様、そんなこと言っている場合ではありませんよ」
「あの槍だけでも、かなりの力を感じるわよ」
全員が全員、まったく違うことを言っているが、その表情に焦燥は浮かんでいなかった。
その余裕さえ感じられる様子に、ウルドは可笑しそうに微笑み、答えた。
「あの子が本気になると、必ず同じ攻撃パターンでくるのよ。・・・・・・最も、それを最後まで回避しきれた者を見たことがないのだけど、必ず氷、炎、水と炎でくるわ。吸血鬼に水は辛いでしょう?」
「それは納得できたが・・・・・・あの槍はなんだ?」
「心配しなくても、使ってこないわ。あれはあくまで接近戦になった場合にのみ使うモノ。――昔、異教の神が地上に遣わした、神の代理人。それを貫いた、神殺しの槍。・・・・・・あれを持つだけで、自身に向けられる能力による干渉は、一切通じなくなる。つまり、あなた達が使うスペルカードが一切通じないのよ」
「・・・・・・つまり、私たちは普通の攻撃しかできないわけなのね?・・・・・・つまらないわね、こういうことは、互いが派手にいかないと面白くないのに」
拗ねたように頬を膨らませる幽々子に、ウルドは苦笑を浮かべた。
「けれど、あの子に通じないだけで、攻撃を打ち消すことはできるわ。――最も、あの子の攻撃力を上回ることが出来れば、だけど」
「――作戦会議は終わったかのう」
感情というものを一切排した声で、スクルドは問う。
見ると、声だけではなく、その顔からも、表情というものが抜け落ちていた。
そして、無表情のまま、スクルドは一枚のカードを取り出す。
「おぬしらに見せてくれよう。神々を黄昏へと導く、極寒の地獄を」
――凍獄『フィムブルヴェド』――
スクルドが宣告すると同時に、周囲の景色が一変した。
夜空を覆い隠す雲が現れ、そこから次々に、大小さまざまな大きさの氷が降り注ぐ。
速度も言うほどではなく、ただ単に降り注ぐだけの氷の弾。勿論そんなものに当たるわけがなく、難なくそれを回避する5人。
だが、最初に異変に気付いたのは、紫と妖夢だった。
「ゆ、幽々子・・・・・・」
「どうしたの?紫」
「さ、寒い・・・・・・!」
「え?」
「幽々子様、空気がどんどん冷えていきます・・・・・・!」
冬には眠りにつく紫と、半袖の妖夢。この場にいる誰よりも寒さには敏感だった。
その証拠に、時間が経つにつれて、空気中の水分さえも凍り始めたのか、至る所に小さな氷が現れ、雲から降り注ぐ氷と同じように落ち始めた。
最早、数えるどころか見ることさえも空しくなるほどの氷弾が、5人に向かって降り注ぐ。
「――けれど、私だって負けてはいないわよ。桜符『完全なる墨染の桜 -開花-』」
幽々子が扇を開くと同時に、その背後に巨大な扇が現れ――春の騒動の際、霊夢達に対して放った切り札ともいうべきスペルである――降り注ぐ氷弾に対抗するかのように、妖弾が、蝶が、舞う。
それらは氷に命中すると同時に、『死』に誘い、打ち砕きながらスクルド目掛けて空を舞った。
だが――そのすべてが、スクルドの振った槍によって打ち消されて通じず、そして低下し続ける気温を止めることは出来なかった。
零度以下まで下がった空気は、その中に含まれる水分をも凍らせる。
人も、妖も、呼吸をしなければいけない。その冷えた空気と目に見えない氷を吸い込んだ、幽々子とウルド以外の3人が、苦しそうに喉と胸を押さえ始めた。
幽々子は3人を心配そうに見やったが、自らの能力では、どうしようもないことも知っていた。だから、一刻も早くスクルドを倒そうと躍起になるが、思うようにいかない。
珍しく焦りの表情を浮かべた幽々子の代わりにその空気を打ち破ったのは、ウルドだった。
「結界『天流星群』」
いつの間にか取り出したカードを掲げるとほぼ同時に、スクルドと5人の間を、無数の星が通過した。しかもそれだけに留まらず、通過した星々は5人を守るように周囲を飛び交い始め、幽々子が打ち漏らした氷弾のみを迎撃する。幽々子の放った弾はそのまま通過させているのに、である。
常識では考えられない事態に、しかし4人は気にしなかった。相手が神だからなのか、それどころではないからなのか。
――同時に、低下していた空気の温度が、元に戻った。
「即興だったけれど、うまくいってよかったわ」
胸をなでおろし、安堵のため息をつくウルド。
だが、スクルドは攻撃の手を緩めない。
「人の世に生まれし者が、この気温差に、神々の地をも焼き尽くす炎の地獄に、耐えられるかのう?」
――終焉『ラグナロク』――
宣言と同時に、降り注いでいた氷が、周囲の空気が、空が――そのすべてが、炎の朱色に包まれた。それに伴い、零度以下まで下がっていた気温が、一気に上昇し始める。しかもその空気は、ウルドが張った結界を乗り越え、5人にまで届いた。
うだるような暑さに、まず最初に紫が音をあげた。
「・・・・・・真夏でも、こんなに暑くならないわよ・・・・・・」
「結界を張ってあったから大丈夫だとは思うけれど・・・・・・気温差が激しいと、それだけで火傷を負うわ。気をつけて」
ウルドが忠告するとほぼ同時に、周囲に浮かんでいたすべての炎が、スクルドの元へと集まり始め、彼女を中心に渦を巻く。
炎の渦の中心に佇むスクルドは、鼻を鳴らした。
「・・・・・・これをただ放つ、というのも芸がないのう・・・・・・『象れ』、ヨルムンガント」
炎に命令すると同時に、スクルドを中心に渦巻いていた炎に変化が起こった。
今までバラバラに周囲を回っていたそれらが、次第に集まり、巨大な炎の塊へと変化し――唐突に、とぐろを巻き始めた。
そして、先端と思われる炎の塊が真っ二つに割れ、僅かに開いた隙間から、巨大な牙が顔を覗かせる。
あまりに常識を逸した光景に言葉も出ない4人を尻目に、スクルドは己の手を天にかざし、
「行け」
振り下ろすと同時に、炎が象った巨大な蛇が、5人を飲み込まんばかりに顎を大きく開き、空を走った。
先ほどよりも倍の速度で空を走る蛇。それが近づくにつれ、まず焼け付くような暑さが5人に襲い掛かる。
その熱は、十分な距離をとっているレミリア達にも伝わる程だ。より近くにいる5人は暑さにやられ、動きが鈍っていた。
「くっ!未来『高天原』!!」
「幽曲『リポジトリ・オブ・ヒロカワ -神霊-』」
蛇の突進を止めるため、慧音は持ち合わせた中で最後にして最強のスペルを。幽々子は相手に対して集中的に蝶弾を放つスペルを放った。
だが、それらすべては、蛇に飲み込まれて霧散し、止めるどころか動きを鈍らせることすらもできなかった。
「無駄じゃよ。神々をも焼き滅ぼした炎に、そんなモノが――」
僅かに嘲りさえ含まれるスクルドの声を、ウルドが遮る。
「過去『アカシックレコード‐因果消滅の巻‐』」
先ほどと同様、いつの間にかその手持っている本を開いた瞬間、周囲を飛び交っていた星々が消え――同時に、蛇を象っていた炎が大きく揺れ始め、次の瞬間、崩壊する。
バラバラに分かれ、それでもしつこく降り注ごうとした炎の群れは、ウルドが手を払うと同時に、見当違いの方向へと進路を変え、5人にはまったく当たらなかった。
「――姉上」
「無駄よ、スクルド。この人達とあなたが放つ攻撃が交わる『運命』を、どんなに『存在』させようとも、私が能力を使えばまったく無効になる――あなたなら分かるはずよ。因果を絶つのも、私の能力の副産物である、ということに」
そう言って、ウルドは目を鋭く細めた。
「スクルド、引きなさい。あなたが本気を出した時点で、既に遊びの領域を超えているわ――私は、遊ぶことは目を瞑るけど、戦いまで黙認する気はないわよ」
だが、スクルドは一枚のカードを取り出し、それを発動させることで、その返答をした――つまり、拒否。
――創世『ノアの大洪水伝説‐異伝‐』――
スクルドが宣言して、数秒後、
――ポツリ、ポツリと雨が降り始めた。
見上げれば、月を覆い隠すほどの雨雲が空一面に広がっていた。そして時間が経てば経つ程雨脚が強まり、やがて土砂降りとなる。
「この服お気に入りなんだけど・・・・・・」
「幽々子様、そんなこと言っている場合では・・・・・・」
「これは普通の雨みたいね。何の力も感じられないわ」
「・・・・・・」
てっきり弾幕を予想していた4人は、拍子抜けしたのか首をかしげていたが、
「・・・・・・下を見てみなさい」
ウルドの言葉に、4人は一斉に下を見て、
「「「「・・・・・・え?」」」」
全員が素っ頓狂な声を上げた。
目にした光景。それは、地上を覆い隠す程にまであふれかえった水と、その中で燃え続ける炎だった。
そして――水弾が、炎が、先ほどまで展開されていた弾幕とは段違いの速さで、5人目がけて一気に飛翔する。
特に水弾は、まるで高圧で発射されたレーザーのようだった。おまけに振り続ける雨によって、余計に位置が特定しにくくなっている。妖夢でさえも完全にはかわしきれず、無数の傷を負っていた。
「うわっ!?」
慧音は、迫り来る水弾をかわそうと横に移動した直後、飛んできた炎に危うく当たりそうになり、肝を冷やした。他の4人も、短時間のうちに、ほぼ同じ経験を何度もしていた。
それでも5人は諦めず、対空弾幕のようなレーザーと炎をかわし続ける。
その、決して諦めない表情に、ウルドは微笑む。
――やっぱり、ここにいる者達は、今まで見てきた者達とは違う。諦めることを知らないのかしら。
自身も激しい攻撃に晒されながらも、ウルドは考えることをやめない。
――だから、ここまで耐えることができた。あの子もここまで楽しむことができた。・・・・・・だけど、この攻撃は全員が倒れるまで延々と続けられる。
すっ、と目を細め、両腕を顔の前で交差する。
――けれど、私は惜しいと感じてしまった。彼女たちが倒れるのが惜しいと。――何故かは分からないけれど。
飛んできた炎を、僅かに身を裁いて回避する。
直感――いわゆる勘は大事だ、とウルドは思っていた。それこそが、本来神々にはなく、人や妖にあるモノであり、誰にも覆せない歴然とした差なのだ。
だからこそ、それを持つことの意味を、ウルドは重要視する。
故に、ウルドは、自らが感じたことを疑わない。直感を信じて起こす行動にも、一切の迷いはない。
――だからこそ、私のスペル、耐えられるはず・・・・・・あの子の力を打ち消し、この場を切り抜けるためには、これしか思いつかなかったから。理不尽でしょうけど、ごめんなさいね。
「・・・・・・この国の言葉に、こういうものがあるの・・・・・・『喧嘩両成敗』と」
「「「「「・・・・・・は?」」」」」
その言葉に、全員が――スクルドさえも、素っ頓狂な声をあげたが、ウルドは気にせずに続けた。
「私も付き合ってあげるから、全員頭を冷やしなさい」
――始原『ウルダルブルンヌル‐星光乱舞‐』――
カードすらもない、見た目は何も媒介としないウルドのスペルが、静かに発動する。
瞬間、土砂降りの雨が、地上から放たれた水のレーザーと炎の嵐が――すべての景色が、消え去った
代わりに9人――何故か離れている筈のレミリア達も巻き込まれていたが――が見た光景。それは、無数の光が煌く世界。
自分がどこにいるのかも理解できていない者達が多い中、スクルドが顔を真っ青にして唸る。
「姉上、まさかここは――」
「擬似的な宇宙空間。私たちがいつもいる泉を媒介にしたわ。――この意味が分かるわね、スクルド?」
絶句し、言葉も出ないスクルドに、ウルドは冷淡に告げる。
「あなたが本気になるのなら、それを止めるには私も本気になる必要があるわ。――宇宙の子宮、生命の泉とも呼ばれる泉。その秘めた力を使えば、もう一つの、本物に限りなく近い宇宙空間を創ることもできる――私も付き合ってあげるから、頭を冷やしなさい、スクルド」
と、そこで当然反論する者がいた。紫は首をかしげながら聞く。
「・・・・・・なんで私たちまで?」
「喧嘩両成敗。私はそう言ったはずよ。発動した以上、異論があっても止められないし、認めるわけにはいかないから、そのつもりでかわして頂戴」
「はっ!?」
全員が悲鳴に近い声をあげるが、時既に遅し。
周囲で煌いていた星が、次々に光の帯を残して飛び交いはじめ――その帯から、無数の星型の弾が現れ、一斉に降り注いだ。
動きはそれほど速くはない。だが数が異常なまでに多く、また動きが変則的であり、当たる、という直前まで、まったく軌道が読めない。スクルドが放った『エリヴァーガル』の光線とて、ここまで変化はしなかった。
回避する者、星を破壊して凌ぐ者。思い思いの行動を取るのを横目に、ウルドはため息と共に呟いた。
「お願いですから、早く決着をつけてください、お母様――」