紅魔館の夜は実は意外と早い。
それとレミリアの就寝時間が早いのとは関係ないかもしれないが、今日の紅魔館とて例外ではなかった。
「…今日も月が綺麗ね」
今日仕上げた書類をまとめ上げながら、咲夜は廊下の窓から空を見上げる。
そういえばレミリアは夜、あまり外を出歩こうとしない。
なんでも吸血鬼の本能が月の光に反応してうずくのだとか。なのにいざ吸ってみるとお腹がいっぱいで吸血鬼にし損ねるらしい。
そんなことが過去に何回か繰り返されるたびにだんだんとトラウマになり、夜の散歩は嫌いになったとか。
そのことを話してくれたレミリアの表情を思い出し、咲夜の顔にくすりと笑みがこぼれる。
「…と、もうこんな時間。そろそろお嬢様たちの毛布をかけ直しに行かないと。お腹を壊されてしまうわ」
懐から取り出した懐中時計で時間を確認し、少し急ぎ足になる咲夜。
はやくあの可愛らしい吸血姫たちの寝顔を見にいくとしよう。
それが自分の、一日の終わりを告げるたしかなものなんだから…。
紅魔館の夜
「…こんな所にいたんですね。おかげで見つけるのが少し遅れてしまいました」
本当にこんな所にいるなんて意外だった。
毛布をかけ直しに部屋へ入ったときは驚いたものだ。何せこの時間帯に部屋にいないなんて、これまで咲夜が知ってる限りでは2・3回しかないからだ。
「さ、そんな格好で外に出られたらお体を壊してしまいます。早くお屋敷に戻りましょう?」
驚いた後に少しだけ慌てて、それから屋敷中を捜して、結局見つけたのはここ―――中庭だった。
本当に驚いた。
月明かりに照らされたその姿は、姫という名に相応しく、中庭はその雰囲気により吸血姫の独壇場となっていたのだから。
「あれ、咲夜?こんな時間にどうしたの?」
「それはこちらのセリフです。―――妹様」
妹様―――フランドールは視線だけを咲夜に向け、さも当然のように言い放つ。
「だって私たちは夜行性だもん。この時間に外にいたって全然おかしくないじゃない」
「普段はこの時間、とても気持ちよさそうにお眠りになっていますが…少々、お待ちください」
苦笑を浮かべながら咲夜は懐から懐中時計を取り出し、何事かを呟く。
かちり。咲夜の呟きが終わったあと、時を刻む懐中時計から一際高い音が響く。
「せめて風が体を冷やさないように羽織を着てください」
一瞬後には咲夜はフランドールの背後に回っており、フランドール用にあつらえた羽織をフランドールの肩にかけていた。
「便利な魔法だけど、こんなことくらいで力を使わなくていいのに。咲夜だって疲れてるんだから」
ため息を吐きながらも正直に羽織を着てくれるフランドールに「大丈夫です」と笑みを返し、咲夜は先ほどまでのフランドールがやっていたように夜空を見上げる。
「今日は一段と空が綺麗ですね」
「ええ。…だからかな。今日はちょっと寝つきが悪くてね。少し夜の散歩をしていたの」
そうだったのか。どうりで屋敷に気配が感じられなかったはずだ。きっと今さっき帰ってきたところなのだろう。
フランドールが夜の散歩中にやられるとは思わないが、護衛を任されない護衛役の心中も察してほしい。
「そうだ。ねぇ、咲夜。せっかくだから中庭のテラスでお茶にしない?」
散歩中に何があったかはわからないが、フランドールはご機嫌な表情で咲夜を夜のお茶会に誘う。
咲夜は返答に困った。
自分はフランドールたちの従者であり、自分はそのことに誇りを持っている。
だから、いくら主の命令だろうと―――
「ちなみに咲夜って姉様に従えているメイドの一人なんだよね?」
フランドールが突然話題を変えた。
「え、あ…はい」
咲夜もそのテンポに慌ててあわせる。
「なら問題ないじゃん」
フランドールはそんな咲夜の誇りをあっさりと切り捨てた。
「―――はっ?」
「だって咲夜が絶対服従しないといけないのは姉様で、言ってみれば私なんかは部外者でしょ?なら、部外者と姉様の従者が一緒にお茶したところで、誰もなにも咎めないじゃない」
たしかにそうだ。屁理屈的ではあるが、正論ではある。
―――もっとも、たとえ咲夜がレミリアといっしょにお茶をしていようとこの紅魔館ではそれを咎めるものなんて一人もいないだろうが。
「…わかりました。では、少しだけお待ちください。すぐに準備をしてまいります」
断りきれないと諦めたのか、フランドールの理屈に納得したのか、咲夜は懐中時計を取り出して呟き始める。
「あ、まったまった。さっきも言ったでしょ?そんなに慌てなくていいって。ゆっくり準備していいわよ。こういう待ち時間も意外と楽しかったりするのよ?」
…本当に、今日はどうしたのだろうか。
フランドールがここまで丸くなるなんて、咲夜の知っている限り一回あるかないかだ。
「…では、少々時間はかかりますが、御召し物が汚れない程度にくつろいでいてください」
そう言って咲夜は足早にキッチンへ向かった。
きっと魔理沙のおかげだろう。
彼女と出会ってから、フランドールは急速に成長を遂げていた。
それは様々な面。たとえば痛いという感情を知ったとか、楽しいという感情を実感できるようになったとかいう精神面の問題。
性格はきっと地なのだろうが、しかし魔理沙がくれた感情は、フランドールのただの壊すという概念を、人格へと昇格させてくれた。
それは主に悪い方向に進んでいる気もするが、それでも咲夜は嬉しかった。
レミリアもフランドールも、咲夜にとってとても立派なご主人様なのである。
そのご主人様がやっと楽しいという感情を自覚できるようになったのだ。これを喜ばないわけにはいかない。
沸いたお湯をポットの中に入れ、お盆に載せて肩を揺らさないで中庭へと走る。
中庭へと続くドアの前で軽く呼吸を整えてから、ゆっくりとドアを開ける。
「あら、意外と早かったわね。それとも、お茶ってこんなに早く出来るものなの?」
「はい、そうですよ。簡単に出来るから、熱いうちに飲むことができるんです。…さ、早くテラスのイスにお座りくださいな。急がないとお湯が冷めてしまって咲夜が走って戻ってきた意味がなくなってしまいます」
「…にしては呼吸、整ってるわよ?」
「メイドとは、意外と体力があるものなのです」
にこりと微笑み、テーブルの上に置いたティーカップに熱い紅茶を注ぐ。
フランドールのティーカップに角砂糖を一つだけ入れてかき回し、お茶請けに作ってあったクッキーと一緒にフランドールに渡す。
「…咲夜の凡ミス。私、砂糖は一つじゃなくて二つ」
「夜の糖分の過剰摂取は健康によくありません。これで我慢してください」
「ぶ~っ」
健康に悪くても甘いほうがいいといいながらも、フランドールはしぶしぶと紅茶を飲み始めた。
「あ…甘、い?」
フランドールは、自分の予想した味よりも甘い紅茶に戸惑いながら首をかしげる。
そんなフランドールを愉快そうに見つめる咲夜が、くすくすと笑いながらその答えを教える。
「それはいつも使っている物よりも渋みが薄くて甘さが引き立つような葉を使っています。今日届いたばかりなのですが、お口に合いますか?」
「あ、うん。…紅茶って、一つの味しかないのかと思ってた」
クッキーをぽりぽりと食べながら、フランドールは妙なところで感心した。
「ふふ。そういえば妹様はまだ知らなかったですね。実は数年前からずっと紅魔館ではお嬢様のお気に入りの紅茶を使っていたので、多分そのせいで勘違いされていたのでしょう」
ストレートの紅茶を味わいながらフランドールの疑問に答えてやる。
「…あれ?じゃあなんで新しい葉がくるの?」
「お嬢様の紅茶をお飲みになる妹様は、いつも苦そうなお顔をしていますからね。だから咲夜が市場へ出かけて新しい葉を探してまいりました」
「一人で?」
「ええ。この手の作業は一人のほうがかえって効率がいいものですから」
口では事も無げに言っているが、それが途方もない時間を労力を有することだと、フランドールにでもわかった。
飲んでもらう相手の嗜好の把握。
飲み比べるうちに麻痺してくる味覚の修正。
相手に喜んでもらいたいという、強い思い。
「あは、うん。たしかにわかるかもしれない。咲夜が姉様のお気に入りだっていうのも、まんざらじゃないわね」
「…そんな。もったいないお言葉です」
「ううん、謙遜しなくていいのよ。…ところで話は変わるんだけど、なんで咲夜は中庭になんか来たの?」
それは一番最初に聞かれたことだった。
夜の早い紅魔館。きっとフランドールもこの時間なら誰も起きていないと思っていたのだろう。
「あぁ…それは、寝相の悪い二人のお嬢様に毛布をかけ直させてもうために部屋に行ってみれば、妹様がいませんでしたから。メイドとして放っておけない事態なので屋敷中を探し回っていたのです」
「…………どうりで最近きちんと毛布が掛かったまま起きられると思ったら、あれは咲夜のおかげだったのか。うぅ…せっかくきちんと眠れるようになったと思ったんだけど…」
「でも、少しずつ寝相はよくなってきていますよ」
「そ?ありがと」
そこでしばらく会話が途切れる。
紅茶をすする音と、ぽりぽりというクッキーを食べる音。
空を眺めて、風の声を聞き、今このときを確かめる。
「―――咲夜は、私たちのこと何でも知ってるよね」
不意に、フランドールが口を開いた。
「なんでも…ではありませんが、ある程度なら、知っていますね」
たとえばフランドールは眠っているときはうつ伏せの状態が多いとか。
たとえばレミリアは寝言が多く、どれも可愛らしい寝言ばかりであるとか。
「あとは…たとえば、もうやりたくてやりたくてしょうがない妹様…とか」
「…へぇ、気がついてたんだ?」
咲夜の言葉を聞き、がらりとフランドールの雰囲気が変わる。
「…やれやれ。結局こうなるのか。あのまま流せればそのままでいこうとも思ったんだけど…」
だが、弾幕るときのために魔力は温存してあった。
妹様の退屈を凌ぐくらいには、弾幕りあっていけるだろう。
「妹様がその気なら、この咲夜も本気で参りましょう。下克上という言葉を知っていますか?僭越ながら、有言実行をさせていただきたいと思います」
―――瞬間。
テラスにあったテーブルは、フランドールの力によって『壊された』。
「ふっ!」
咲夜は後ろへ飛び、無の空間から取り出したナイフでフランドールを牽制しながら距離を取る。
「―――あは。咲夜、なかなかの機転ね。…姉様が気に入るのも無理はないわね。あは…あはは!気に入ったわ!そうね、あなたは私の魔理沙の次くらいのお気に入りにしてあげるわ!」
「―――恐縮です」
二人は一定の距離を保ったまま、空中へと駆り出した。
フランドールの周りの空間はいびつに歪む凶悪な力の塊に捻じ曲がり、
咲夜の周りには大小さまざまなナイフと、能力によって捻じ曲げられた空間がある。
二人はほぼ同時に、スペルカードを発動させた。
『禁忌「クランベリートラップ!」』
『奇術「幻惑ミスディレクション」!』
二人の夜は、始まったばかりである―――。
すっきりとまとまってスマート、でもそのままじゃ終われない彼女達。
それは血気に逸るではなく、使命に燃えるでもなく、
ただ日常のひとコマにどこまでも気楽な激戦がある、東方の風なのかもしれませんね。
久々のフランドール分、存分に補給させていただきました。
弾幕ごっこが始まるまでの導入も自然でいいですね。
やっぱり他人の書いた紅魔館SSはいいなぁ(笑
そんな彼女の衝動を、華麗に受け止める咲夜。流石は完全で瀟洒な従者。
紅魔館にはいろんな人や人でない存在がいますが、咲夜を中心にして見事にバランスが取れていますよね。
まあ、最後はやっぱり弾幕りますがねw
すっきりとした文で十分背景が感じられました。