幻想郷は人里から少し離れた場所に、その庵はあった。人里を一望できる小高い丘の上
から、里を一望できるようにちょこんと建てられたその庵は、しかしその里に住む者にも
知られていなかった。
そこに住んでいるのは、人ではなかった。いや、正確に言うならば半分は人である。し
かし、月夜の晩には人ならざる者に姿を変える、いわゆる「ライカンスロープ」と呼ばれ
分類される種である。だがその獣人・ワーハクタクは、その万物に通じると評される正に
言葉通り「人知を超えた」知識をもって、自分の半身たる人間を、他の獣・妖怪といった
捕食者達から保護している。人に気づかれぬように、だが人のために、彼女はひっそりと、
里とそこに住む人間の守護をしていた。
或る時満月の夜に狂う妖怪があれば、里の存在を一時的に幻想郷の歴史から消し、その
矛先を逸らした。また或る時里に困りし者在れば、自分の知りうる知識の一部を授け道を
示した。彼女にとって人と里とを護る事は、自分の能力の最高の活かし方であると同時に
自分の生きる全てであった。
人と、そして里と共に何年生きたか、百年から先は既に本人ですら正確なところは覚え
ていない。だがこの里の歴史よりも、そしてこの幻想郷の歴史よりも長く生きていること
は間違いない。
その日も彼女は、いつものように農作業に精を出していた。里の人間がおぼろげに彼女
を知っているせいか、庵の近くに農作物を供えられていることはある。それは大きな感謝
と共に戴くのだが、しかし彼女は里の人間に自分の為の手間を掛けさせることは極力無い
ように努め、自分のことは自分自身で養うことを身上にしている。その英知はこういうと
ころでも生かされており、庵の近く……つまり里の近くの森に滋養に富んだ草・茸・果実
を極自然に育ててはその一部をひっそり食べるというのが彼女である。無論その『作物』
は里の人間も採るが、もちろん慧音はそれを善しとしている。
森の恵みを最大限に活かせるようにする、それが彼女の農作業である。雑草を抜き、成
長期にある木をある程度間引きする。間伐材は自分の庵の補修に使い、雑草も可能な限り
調理する。森の恵みを活かすことはは山の恵みの増大に通じ、巡り巡って水の恵みに通じ
る。里の人間は、その恵みに感謝しつつ生活する。
その日の予定を一通り終わらせた彼女は、先ほどから自分の後を追うようについて来て
いる人影を見つけた。一見里の人間ではない、だが彼女には見覚えがある。それは先日起
こっていた月の異変を解決した2人の亡霊(人なのかはちょいと微妙であるが)の片割れ、
そして自分と同じ半人間である。名前は確か……
「妖夢、だったか」
その声に、人影の正体は反応し振り返った。
「この里に何か用があってきたのか。目的次第によっては早々にお引取り願うが」
「貴殿に用があって推参した。先ずは話を聞いていただきたい」
「ふむ、私の客人とは珍しい。何も無い家であるが、茶ぐらいは出そう」
「余り気遣いなさらず」
妖夢を庵へ案内し、先ほどの森で育てた薬茶を淹れる。
「ふう、美味しいお茶ね。えっと……」
「慧音、上白沢慧音だ。で、わざわざここに来た用というのは。」
「うむ、慧音、実は貴殿の知識を分けて戴きたい。」
そう言うと妖夢は、手元のお茶の残りを一気に飲み干して「少々長くなるが」と加えて
話し始めた。
話の要所はこうであった。
彼女の仕える主人……つまり先の異変を解決したもう1人が、花を満開に咲かせたいと
願った木があった。かつて自分はそのために尽力したが、結局その木は満開になることは
無かった。妖夢の知っている話では、かつて1度だけその木が満開になったことがあると
いう。幻想郷の歴史に明るい慧音であれば、その時の話を詳しく知っているかもしれない。
またその英知を持って、次の春にそれを満開にする方法を授けてもらえるかもしれない。
「……そう思い、自身の役目の合間を縫い、慧音、貴殿を訪ねた次第だ」
話の間も、そして話が終わってからも慧音は目を閉じたまま動かなかった。一分、二分
……目を閉じたまま微動だにしない。
その長い沈黙は、どれぐらいの時間だったのだろう。妖夢には随分長いことのように感
じられた。慧音は数分後、その目と口を開きゆっくりと息を吐いた後こう言った。
「妖夢、貴女の望む答えかはわからないが、一つ昔話をさせてもらいたい」
妖夢はその真剣な眼差しを見て、コクリと首を縦に振った。
「昔……かなり前のことになる。この里に一人の剣士が現れた」
「その剣士もやはり、私を名指しで訪ねてきた。」
「その剣士は私に、こういう願いをしてきた。」
「『貴女の能力を持って、消していただきたい歴史がある』、と」
「それはとある妖怪の存在であった。」
「その妖怪は人の生気を吸い、魂を喰らう恐ろしい存在であった」
「当然、妖怪は危険であると封印されることになった」
「とはいえ、その恐ろしい妖怪を相手に、犠牲が出ないはずは無かった」
「剣士は、その勇敢なる犠牲者に仕えていた者だった」
「『その人の為に、そして幻想郷の未来の為に、その妖怪の存在を消して欲しい』」
「しかし、既に封印されたとはいえ、その強大な存在を完全に消すことは不可能だった」
「その剣士を始めとする一部の者から、その大きすぎる存在は完全に消すことは不可能だ
ったのだ」
「そこで私は、可能な限りでその存在を隠すと同時に、『その封印を解けなくする』未来
を創った」
「……」
「……」
今度は妖夢が沈黙する。慧音もその沈黙を邪魔することは無かった。やがて悠久とも思
える沈黙を打ち破り、妖夢が口を開いた。
「面白い昔話ね。そして、貴殿言いたい事は大体分かった」
「ありがとう、慧音」
「私は昔話をしただけだ、礼をいわれる所以は無い」
「自分にはとても価値のある話だった、だから何か具体的な形で酬いたい」
「……」
「自分は剣士であり庭師だ、だから先ほどの森の手入れなぞ手伝わせていただきたい」
「そう、ではお願いする」
庵を出て森のほうへ歩きながら、慧音は妖夢を見ながら呟いた。
「魂魄……妖夢……」
「ん、何か」
「いや、なんでもない」
『名はともかく、姓は彼女の前で出したことがあったか?』とやや思いつつ、妖夢は森
の木の剪定をしていた。慧音はそれを手伝いつつ、こう思った。
『お礼の形まで一緒とは、やはり血とは濃いものだ……妖忌……』
から、里を一望できるようにちょこんと建てられたその庵は、しかしその里に住む者にも
知られていなかった。
そこに住んでいるのは、人ではなかった。いや、正確に言うならば半分は人である。し
かし、月夜の晩には人ならざる者に姿を変える、いわゆる「ライカンスロープ」と呼ばれ
分類される種である。だがその獣人・ワーハクタクは、その万物に通じると評される正に
言葉通り「人知を超えた」知識をもって、自分の半身たる人間を、他の獣・妖怪といった
捕食者達から保護している。人に気づかれぬように、だが人のために、彼女はひっそりと、
里とそこに住む人間の守護をしていた。
或る時満月の夜に狂う妖怪があれば、里の存在を一時的に幻想郷の歴史から消し、その
矛先を逸らした。また或る時里に困りし者在れば、自分の知りうる知識の一部を授け道を
示した。彼女にとって人と里とを護る事は、自分の能力の最高の活かし方であると同時に
自分の生きる全てであった。
人と、そして里と共に何年生きたか、百年から先は既に本人ですら正確なところは覚え
ていない。だがこの里の歴史よりも、そしてこの幻想郷の歴史よりも長く生きていること
は間違いない。
その日も彼女は、いつものように農作業に精を出していた。里の人間がおぼろげに彼女
を知っているせいか、庵の近くに農作物を供えられていることはある。それは大きな感謝
と共に戴くのだが、しかし彼女は里の人間に自分の為の手間を掛けさせることは極力無い
ように努め、自分のことは自分自身で養うことを身上にしている。その英知はこういうと
ころでも生かされており、庵の近く……つまり里の近くの森に滋養に富んだ草・茸・果実
を極自然に育ててはその一部をひっそり食べるというのが彼女である。無論その『作物』
は里の人間も採るが、もちろん慧音はそれを善しとしている。
森の恵みを最大限に活かせるようにする、それが彼女の農作業である。雑草を抜き、成
長期にある木をある程度間引きする。間伐材は自分の庵の補修に使い、雑草も可能な限り
調理する。森の恵みを活かすことはは山の恵みの増大に通じ、巡り巡って水の恵みに通じ
る。里の人間は、その恵みに感謝しつつ生活する。
その日の予定を一通り終わらせた彼女は、先ほどから自分の後を追うようについて来て
いる人影を見つけた。一見里の人間ではない、だが彼女には見覚えがある。それは先日起
こっていた月の異変を解決した2人の亡霊(人なのかはちょいと微妙であるが)の片割れ、
そして自分と同じ半人間である。名前は確か……
「妖夢、だったか」
その声に、人影の正体は反応し振り返った。
「この里に何か用があってきたのか。目的次第によっては早々にお引取り願うが」
「貴殿に用があって推参した。先ずは話を聞いていただきたい」
「ふむ、私の客人とは珍しい。何も無い家であるが、茶ぐらいは出そう」
「余り気遣いなさらず」
妖夢を庵へ案内し、先ほどの森で育てた薬茶を淹れる。
「ふう、美味しいお茶ね。えっと……」
「慧音、上白沢慧音だ。で、わざわざここに来た用というのは。」
「うむ、慧音、実は貴殿の知識を分けて戴きたい。」
そう言うと妖夢は、手元のお茶の残りを一気に飲み干して「少々長くなるが」と加えて
話し始めた。
話の要所はこうであった。
彼女の仕える主人……つまり先の異変を解決したもう1人が、花を満開に咲かせたいと
願った木があった。かつて自分はそのために尽力したが、結局その木は満開になることは
無かった。妖夢の知っている話では、かつて1度だけその木が満開になったことがあると
いう。幻想郷の歴史に明るい慧音であれば、その時の話を詳しく知っているかもしれない。
またその英知を持って、次の春にそれを満開にする方法を授けてもらえるかもしれない。
「……そう思い、自身の役目の合間を縫い、慧音、貴殿を訪ねた次第だ」
話の間も、そして話が終わってからも慧音は目を閉じたまま動かなかった。一分、二分
……目を閉じたまま微動だにしない。
その長い沈黙は、どれぐらいの時間だったのだろう。妖夢には随分長いことのように感
じられた。慧音は数分後、その目と口を開きゆっくりと息を吐いた後こう言った。
「妖夢、貴女の望む答えかはわからないが、一つ昔話をさせてもらいたい」
妖夢はその真剣な眼差しを見て、コクリと首を縦に振った。
「昔……かなり前のことになる。この里に一人の剣士が現れた」
「その剣士もやはり、私を名指しで訪ねてきた。」
「その剣士は私に、こういう願いをしてきた。」
「『貴女の能力を持って、消していただきたい歴史がある』、と」
「それはとある妖怪の存在であった。」
「その妖怪は人の生気を吸い、魂を喰らう恐ろしい存在であった」
「当然、妖怪は危険であると封印されることになった」
「とはいえ、その恐ろしい妖怪を相手に、犠牲が出ないはずは無かった」
「剣士は、その勇敢なる犠牲者に仕えていた者だった」
「『その人の為に、そして幻想郷の未来の為に、その妖怪の存在を消して欲しい』」
「しかし、既に封印されたとはいえ、その強大な存在を完全に消すことは不可能だった」
「その剣士を始めとする一部の者から、その大きすぎる存在は完全に消すことは不可能だ
ったのだ」
「そこで私は、可能な限りでその存在を隠すと同時に、『その封印を解けなくする』未来
を創った」
「……」
「……」
今度は妖夢が沈黙する。慧音もその沈黙を邪魔することは無かった。やがて悠久とも思
える沈黙を打ち破り、妖夢が口を開いた。
「面白い昔話ね。そして、貴殿言いたい事は大体分かった」
「ありがとう、慧音」
「私は昔話をしただけだ、礼をいわれる所以は無い」
「自分にはとても価値のある話だった、だから何か具体的な形で酬いたい」
「……」
「自分は剣士であり庭師だ、だから先ほどの森の手入れなぞ手伝わせていただきたい」
「そう、ではお願いする」
庵を出て森のほうへ歩きながら、慧音は妖夢を見ながら呟いた。
「魂魄……妖夢……」
「ん、何か」
「いや、なんでもない」
『名はともかく、姓は彼女の前で出したことがあったか?』とやや思いつつ、妖夢は森
の木の剪定をしていた。慧音はそれを手伝いつつ、こう思った。
『お礼の形まで一緒とは、やはり血とは濃いものだ……妖忌……』
自然と共に在る暮らしぶりがいかにも俗世を離れた仙女か森の奥に隠遁する賢者を思わせ、それでいて人間を好いているのがとてもよく伝わってきます。
さすが聖獣。ん? ハクタクって神獣でしたっけ?
まあそこら辺は置いておいて、確かに幻想郷の過去を持つ慧音なら西行妖の件も知っていておかしくはないですね。
着眼点が上手いなあと感じました。
そしてその着眼点から即座に拡散展開していくイメージと執筆速度に脱帽です。一時間半って90分ですよ?
しかもさらにアイディアが二つ、目標が八つとは……
自分も頑張らなくてはと思う次第です。
私はてっきり人里で静かに慎ましく暮らしていると思っていたので新たな見方が生まれた作品でした。
歴史という着眼点は上手いと感じました。
Barragejunkyと同じで1時間半でここまで展開させた話を書けるとは…正直驚きです。
私なんて浮かんで展開するのに四、五時間はかかりますよw
いや、東方に出てくるキャラで悪いやつなんていないんですけどね…。
妖忌がすごくカッコイイ(シブイ)イメージがあったので余計に妖忌に対する愛着がわくSSでした。
あと個人的な意見ですが妖夢が少しカタすぎる感があるかな…と。
たしかに武士っぽい所は妖夢のいいところなんですが^^;