Coolier - 新生・東方創想話

華胥の亡霊は遥けき昔日を夢見るか? 6

2004/09/11 04:41:46
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―5.8 ゆめゆめ、わすれることなく―




***


「お嬢様。幽々子お嬢様」


誰かが私を揺すっている。
その言い聞かせるような声音に、私は己が眠っているのだと気付いた。


「こんな所で寝てたら、酒気はともかく妖気に中てられちゃいます。
 起きてくださいな。御寝所までお連れ致しますから」


それは目の前の娘の発する声だった。
長いぼさぼさの白髪と、それに合わせたのか白一色の、
まるで死に装束のような作務衣を着た娘。
誰だろう、と軽い疑問。
だけどそれよりも不可解に感じること。
私の口が、好き勝手に動いて何かを喋っている。


「え、ご自分で覚えてらっしゃらないのですか?
 そんなことー、私に聴かないでくださいよ。
 こちらからご質問させていただきたいくらいです。
 お嬢様、どうしてわたしの工房でお休みになってたんですか?」


目の前の娘の言葉は明瞭に感じ取れる。
だがそれに受け答えているらしい“私”の声は、
私にはどうしても聴こえない。


「だ、だめです。こんな汚い仕事場にお嬢様を寝かしておいたら、
 私が祢巳に叱られちゃいますよー。
 それに、お嬢様だって妖忌さんにお仕置きされちゃいます」


勝手に動いているのは口だけではないようだった。
視点が急に高くなり、と同時にふらり、と揺らぐ。
どうも、立ち眩みを起こしたようだ。


「ああああ、ほら、掴まってくださいって。
 起きたばかりで立ち上がったりするから」


娘は私を気遣って手を差しだし、
よろめきながらも“私”は立ち上がった、ようであった。
実感は無く、しかし空虚と言うに及ぶほど娘の声は遠くない。
奇妙な感覚である。


「いえいえ、お嬢様はそんなこと気にしないでよろしいんですよ。
 私みたいな使用人の名前を覚えていただけているだけで、
 私としてはもう終身勤続を誓っちゃうくらいの感激ですもん」


“私”の口は労いの言葉を走らせたようだ。
嬢、と呼ぶのだからこの娘、“私”の御用使か下女の類であろうか。
屈託の無い笑顔は人の気に暖かみを呼ぶようである。


「あんまり無理なさらないで下さいね。
 最近はお体の調子もよろしいみたいですけど、
 油断は禁物って言いますし」


“私”は大きく頭を振った。私の視界が横に酷くぶれる。
心配ない、という意思表示だろう。
その仕草は他ならぬ己のするものと認識できたが、
鏡面に映し出された像を見るような感覚であった。


「はい?あ、えと、はい、まぁ、一応終わりです、けれど」


唇が開閉し、舌先が蠢き、喉笛が震えるのを感じる。
対応するべき音が聴こえない不可解。
何かを問われた娘はしどろもどろになっている。何を問われたのか?


「う、えと、はい。そうです」


俯き、頬から発した朱が額までを覆う。
問いそのものにというより、問いの持つ意味に赤面したように思えた。
再び喉の震え。口元の歪みは、“私”の表情を私にわからせる。
含み笑いだ。決して嫌味では無いが、不気味なもの。


「うわ!なんてこと、言うんで、す、か・・・」


娘は益々朱に染まる。
旬の苺のような面相だった。
何やらおかしくなって、目を閉じて笑う。

可笑しさが収まり、目を開けようとした。
だが、瞼は須弥の山よりも重くなってしまったようだった。
もう明かない。

だが、私はそうなってようやくもう一対の瞳を知覚した。
そっとそれを押し開くと、何か大きな波に押し流される感覚を受ける。
耐え切れず、私は“私”の中に流し込まれ。
暗転。



***



すみか、書斎に出るのよ、また。


「ああ、魑魅の類ですか?」


ん、あれはどちらかといえば、魂かしら。
私にも操れたから、人間の、なのかな。


「わかりました。では、こちらの霊酒をお持ちください。
 鎮魂でしたら、杯になみなみと注いで、本棚の上か、
 書斎の入り口付近に零れないように置いて下されば、
 三日も経てば澄むと思います」


ありがとう、すみか。本当に助かるわ。
鎮魂くらいなら私にもできるのだけど、あれをやると一月は体調が崩れるから。


「ご自愛くださいね、本当に。
 えと、つまり、飲まないでね、ってことなんですけど」


? 身体に悪いの?


「ああいえ、危険ってわけじゃないです。工業用ではないですし、
 試し飲みましたがアレはむしろ美味しいと思いますよ。でも」


でも?


「単純に、物凄く強いです。この国では最強に近いと思います。
 他国の酒に比してもだいぶ強いくらいですね。
 耐性の無い人は一滴でもふらつくかも」


すみか、ダメ。余計飲みたくなる。


「あう、お嬢様はお酒に強すぎです」


ありがと。でも、あなたや阿々禰姉さんには負けるわ。


「私はまぁ、仕事ですから。
 阿々禰お嬢様は・・・えと、本当に人間ですか?
 私、あの方がお酒で顔色変えるところ、見たこと無いです」


失礼よすみか。私も姉さんも人間。
まぁでも、確かに普通とは違うのかも。
思い当たる節はあるのよ。


「何がです?」


なんていうのかしら、こういう変な、能力?
これ、私だけじゃないみたいだし。
姉さんにはそういう何かがあるのかも、しれない。


「酒気を分解する能力ですか?
 でもそんなの、普通なら皆持っているのですよ」


いえ、そういう具体的なものじゃないわ。
多分、姉さんって、いつもおっとりした人だから。
不変の我を持つ程度、ってところかしらね。


「はー、それはまた、漠然としてます」


でもこんなの、ただの推測だから。あまり気にしないこと。
さて、長々立ち話しちゃったわね。
いい加減寝なきゃ、夜更かしは身体に悪いし。


「あ、お送りしますってば、お嬢様」


いいわよ、平気。というか、途中で見つかったらあなたも共犯だと思われるわ。


「共犯? なんのです?」


こんな時間にあなたと一緒に歩いてる所、
妖忌にでも見つかったらまた酒盛りでもしてたのかって思われるわ。
そうしたら、あなたも一緒くたにお仕置き。それでも?


「あわ、それはちょっと勘弁です。けど、証拠もありませんし・・・」


あら、証拠ならあるわよ。
まだ見てないの、部屋の奥。酒庫のことだけど。


「へ?」


今思い出したのだけれど、五本ばかりいただいたわ。
酒庫の卓に、まだ置きっ放しになってると思うけど。
ほらこれ、庫の鍵。あなたに返しておくわね。


「は・・はあ、どうも・・・」


じゃ、そーゆーことで。
それにしても、神様ももうちょっと強いのを飲んだ方がいいと思うわ。


「って、お、お嬢様!また、また無断で奉納用のお神酒をっっっ!?」


バタン。


***





 ―6 さけやらい―





「―――ッ」


偽りの庭園が割れ、隠れていた本当の桜の苑に入れ替わるわずかな間。
その一瞬の間に、何かを見た、気がする。
幻覚、白昼夢だろうか。境を越えるときに見える走馬灯かもしれない。
それにしては、まるっきり見覚えのないものだったような。


だが、最早それがどんなものだったのか、もう良く思い起こせない。
吹き始めた風に流され、朧であったそれは凄まじい勢いで形を失っていく。

酒、お嬢様、酒師、姉さん? 、―――すみか?

いや、何のことだろうか。


私はそんな幻視のことは忘れ、月光を浴びている標的に目を向けた。
酒蓋はいまだ空に浮いているけれど、
先ほどまでの妖力はどこへやら、力なく上下に浮き沈みしている。
私にはまた、膝を突き苦しむ老人の幻視が見えていた。
荒く息をつくそれを見て、私はちょっとばかりやりすぎたかしら、と思ったけれど、
決闘にやりすぎも何も無いとも思うので、まぁ、彼業彼得ということにする。
先に勝てると思って血気に逸った方の負けというのは戦闘の流れの基本だ。


「まだやるかしら、お爺さん。
 もうお開きにしない?私、用事が出来てしまったわ」


背中と手元、大小二つの扇をはためかせ、私は妖怪に語りかける。
用事。それは妖夢を探すことと、おそらく妖夢が相対しているであろう、
怪異の原因をどうにかすること、だ。

妖夢に任せておけば大抵の怪異は片付いてしまうだろうことは予想に難くなく、
それでは私はこの酒蓋という先鋒の相手を延々とさせられて終わりということになる。
そうなる前に妖夢を探し、最悪、美味しい所だけでも持って行かねば、
久方ぶりの遊びに不満が残ってしまうのだ。
残りの符は一枚のみだが、屋敷に寄って予備を持ってくる時間が惜しい。

まずは妖夢を探さなければ。
そして、もし既に事が終わっているようであれば、
大変残念なことではあるが、今夜は取り敢えず溜めてあるネタでもって、
徹底的に妖夢いじりをすることにしよう、花見でもしながら。


「ぐ―――ぬ」


先ほど見せた芸は本気の一撃だったのだろう。妖怪は苦しげにうめく。
無機物の酒蓋から見える幻視に苦悶の表情が窺える。


「お返事は?降参なら、白旗でも揚げること。
 もし、まだやるつもりなら―――この扇、容赦なく振るいますけど」

「その・・・背中の物体、か? 一体、何なんじゃ、それは・・・。
 そのデカブツを開いた瞬間、わしの作った結界が崩れていったようじゃったが・・・」

「ん、これ?」


問われて、私は背中に大きく開いた“扇”を指差しながらはたはたと揺する。
私の身の丈を軽く越えた高さ、豪奢な屏風と見紛うこと請け合いの横幅を持ったそれは、
しかし決して屏風なんてものじゃなく、歴とした“扇”である。
私の持つ多くの扇の中でもお気に入りの一つだ。

対して、先程私の用いたスペルカード、幽岸「未完の石塔」。
切り札の一つに数えておきながら、私は余りこれを使いたがらない。
これ自体は然程苛烈な弾幕を発するスペルではない。
単純明快なつくりだが、見切られてもまずまずの効果を上げられるという地味なスペル。
自分の作ったものなんだから、特段嫌う理由なんて無いけれど、
地味なだけならまだしも、雅さより悲壮さの方が割増なのは少々問題がある。
賽の河原の水子が積む石の塔を模した弾の柱が、
対象の周辺に無数に立ち現れた後、私の発する不可視の妖弾に打ち壊されて崩れる。
その繰り返しから成る弾幕攻撃である。
悲壮さや悲惨さが滲み出て、聴いていて心持ちの良くなるものじゃないのだ。

これを私は先程、ちょっと本気を出して使った。
同じ符を使うのでも、術者本人の意思次第でその効果の具合は違ってくるものだ。
普段、この効果の違いは弾幕自体の強化改良に用いられる―――

スペルカードとは無地の符に攻撃する意思と式を込めたものである。
予め作り置きすることが多いけれど、即興で作り上げて使うこともできる。
時に、弾幕戦の勝敗は片方の持ち符が尽きることでも決するのだからと、
もしもの為と無地の符をやたら沢山持ち歩く妖怪が結構多いのだけど、
実の所、これはあんまり意味が無いのである。
何故ならスペルカードの使用には何らかの力、魔力なり霊気なり妖気なりを使う必要があるから。
底抜けのエネルギーを持つ者でも、そのエネルギーは自身の活動のためのものなのだから、
使えば使っただけ疲労するのは自明の理。
スペルカードの作成にだって無論のことエネルギーを消費するので、
その場で創りだすよりも、作り置きした物を使う方が効率的で楽なのだ。

―――そうして創っておいた符でも、それ自体は力の塊みたいなものなので、
応用次第で全く別の使い方が出来てしまう。簡単に式を創り直したり、
弾幕では無くしたり、そもそも式を起動させずに使ってしまったり。
私は今しがた、それをしたのである。
それも、本気・・・幻想郷に何時の頃からか浸透していたこの決闘、
ルールブックも無いのに誰もが己の力量に定めている“本気基準”における最高ランク、『月狂』にて。
符に篭った妖気を固めて圧縮し、ばら撒かれる筈だったエネルギーを一点に集中して、
つい、と振るった扇から出た不可視の榴弾は、中の下の『普通』で放たれた符如きは秒殺。
私が大見得を切っているうちに結界の端に辿り着き、
あの妖怪の造った酒気塗れの泡を力任せにブチ割った、という寸法だ。

長々と説明するまでも無く、私が何をしたのか、ということについて、
この酒蓋は既に理解が及んでいるようではあったのだが、どこか腑に落ちぬ、
という表情も苦悶の中に隠れていた。それが何なのか、
私にはわからなかったのだが、成る程、このお飾りが気になっていたのか。


「ふっふっふ、いいでしょう。あげないわよ」

「・・・いや、心配せんでも欲しがりゃせんよ。
 そんな大きい物貰ったところで、下手したらこっちが潰されかねん。
 それより質問に答えて欲しいんじゃが・・・」

「あ、そ。それもそうね。でもこれ、ただの扇よ」

「な・・・」

「嘘じゃないわ。ほら」


喋りながら、手元の扇をぱちん、と閉じる。
と同時に、背後でもばぁん、と扇の閉じるにしては派手な音が鳴った。


「見てのとおりのつくりよ、こう」


ジャッ、と手元の扇を開くと、やはり同時に背後の扇も、バァン、という音と共に開く。
要するに、この手元の扇と背中の扇は、二つで一つの扇なのだ。

「大小対扇、って呼んでいるんだけれどね。
 普段はまぁ、ちょっとかさばるから、こっちの小さい方に隠してあるのよ」

手元の扇には瑞雲が悠然と、背の物には車が精緻に描かれている。
私は小扇を再びパチリと閉じると、少し念を込めながら強く握った。
すると背後で月を大きく遮って佇んでいた大扇がフッと姿を亡くす。
小扇をぱたぱたとゆっくり開くと、雲のみの絵柄の中に車が入ってきていた。

それを見て、いや、目が無いので見えたかどうかは正直不明だが、
どうやら無事見えたらしく、酒蓋は感心したのか呆れたのかわからない溜息をふうとつき言う。


「まぁ、何と言うか、大した細工じゃが、その。
 それは、何か意味あるのか?」


この妖怪、なんていう事を言うのだろう。
意味だなんて、そんなもの。


「あるわけない。でも、格好良いでしょう、決めって感じで。
 荒事には華が付き物。
 私はね、お爺さん。本気を出すときは、必ずこの大扇を広げると決めているのよ」


私自身もやる気が出るしね、宣戦布告みたいなもの。
そう言って大扇を仕舞ったまま、私は小扇ではたはたと顔を煽ぐ。
扇の無実を証明するかのように。

そのときだけ老人の幻視が、幻視であるというのにまるで現視のように明瞭に見えた気がした。

老爺の皺だらけの面相は、『呆れた』という感情一色に染まっていたのだ。
呆け顔を晒した後ややあって、顔を下にした酒蓋はぷるぷると震えだす。
その震え方、その仕草は、何やら急に卑近なものに感じられた。


「あのー、もしもし? 返答はまだかしら?」


気になって声をかけると、俯く幻視がばっ、と顔を振り上げて、


「ッ、は、わはは、わははッ! こいつはおかしい、おかしすぎるわい! 
 はっはっはっはっは!」


大笑。この妖怪は、突然豪快に笑い始めた。
幻視は膝をしきりに叩いて笑い転げ、まるで小さな子供のようにも見える。
私はその様子を見て怪訝そうに眉をひそめ、


「不気味よ。いきなり笑い出すなんて。
 というか、人の顔見て笑うのは物凄い失礼だと思うわ」


少し頬を膨らませて不満を口にする。
この不満には、面白いことがあるなら何で私にも教えてくれないのか、
という微妙な感情も含まれているのである。
概ね何故笑っているのかはわかるから、取り立てて理由を聞きたいとも思わないけれども。

思わないのに、妖怪は笑いを堪えつつ、
辛抱たまらんといった表情(というか雰囲気)のまま喋りだす。


「じゃ、じゃってのお! あれだけ大振りな動作で何かしたんじゃから、
 何ぞか特別な仕掛けのある道具かと思うたら!」


そこでまたぶはは、と一笑い。


「傑作! 傑作じゃよ、お嬢さん! 格好良いでしょう、か!
 おうおう格好いいとも! わっはっは! 
 仮にも決闘の最中に、格好良いから、という理由でそんな邪魔ッ気なものを背負って、
 そこで本当に本気が出て勝っちまうなんてのは、格好良すぎて笑いが止まらんて!」


私は、そりゃあかさばるし張ったら弾幕も躱せなくなるけど、
人のお気に入りに向けて邪魔ッ気なものは無いじゃないの、と思ったのだが、
あんまりこの妖怪が楽しそうに笑うものだから口を挟む気にならなかった。
酒蓋は性懲りも無く笑いながら言い続ける。


「そして何よりも、嬢さんのような変人に真っ向から勝負を挑んで、
 その格好良いだけの巨大な扇に一瞬でも畏怖したこのわしが、一番最高に笑える!」


大傑作じゃぶはははは、と一際高く妖怪は笑い。


「参った! 負けじゃ負け、降参するわい!
 遊び相手にもなれんようでは、勝ち目なんぞどこにも無い!」


ハッキリと、その爽快な笑い方と同じくらい高らかに、彼は自らの敗北を認めた。


「あらあらこれはご丁寧に、どうもお粗末さまでした」


老獪さよりも無邪気さの方が強く感じられる、
本当になんとも心持ちの良い御仁だな、と思う。
そんな態度に邪魔だの変人だのと言われたことを咎めるのも忘れて、
私は喜色満面に敗北宣言を聞き入れた。

微笑みかけた私に、老人の幻視もまたニッカと笑いを返す。
そして―――その笑顔のまま本体の酒蓋ごと、眼下の桜色の絨毯へヒュルルと落ちていった。
ドサッ、という幻聴が聴こえ、木々の合間に見える老体の幻視は力なく横たわっていたが、
暫くもしない内にその姿は消え、小さな点が酒蓋の存在を弱々しく伝えるだけ。
点は微動だにせず、その活動の停止がハッキリと見て取れた。


「あらら、本気出しすぎたかしら」


その一連の動きを見てから、ポツリと私はこう言って、
勝利の凱歌も上げずに庭を見渡す。妖夢の居場所の見当を付けるために。

これを見て何と冷たい反応をするのか、と思われるのは心外である。
あれは脆弱な人間とは理の異なったもの。現象自体に漸近した概念存在だ。
そうでなくとも妖怪である、力尽きて空から落下したくらいで存在の続行が危ぶまれるような柔なもんじゃない。
放っておいたところで問題は無い、というか放っておくより他にしようがないのである。
酒蓋を布団に寝かせて介抱したところで何の意味も・・・。

・・・いや待て、それは。


「傍目にすると、物凄く面白いわ」


心中に、いつも通り諦観を顔に顕わにした妖夢が、
布団から半分だけ姿を出している酒蓋を介抱する情景が浮かんだ。
林檎を剥いて卓に置く妖夢に、この洒落のわかる妖怪はきっとこう言うだろう。
ゴホンゴホン、いつもすまないねぇ、と。
それを受けて妖夢は正にいつもの如く答えるだろう、
いつものことですから、と生真面目に。その声音に、大きな大きな溜息を混ぜながら。
そこまで思い浮かべた辺りで、私は素早く地に降り立ち、
落っこちていた蓋を拾い上げて既に袖の中へ仕舞い込んでいた。
我ながら珍しくなかなかに迅速な行動。
余程にこの思い付きが私は気に入ってしまっていたらしい。


何しろ、想像の発展を引き続けて口元をふにゃふにゃと緩ませていたせいで、
その想像の主役が放つ気配の接近にまるで気付かなかったのだから、相当である。



「―――幽々子様っ!」


背後から響く聴き慣れた幼くも凛とした呼び声に驚き、
反射的に振り向きながら私は声を返した。


「え、妖夢?」


己の口から出たこの言葉には、ほんの少しの安心と多大な落胆の色が含まれている。
他人からどう見えるかは知らないというか気にも留めないけれど、
私の頭は結構回る方である。屍体ではないので本当に頸部が稼動して回転するわけでは勿論無い。
つまり、妖夢が無事でいてくれて嬉しいという感情の発露と共に、
その事実が知らせる状況の残念さが込み上げて、
それが大元の嬉しさを上回ってしまう程度には思考の反応が速いということである。


果たして、私は振り向いた先に佇む親愛なる半分幻の少女を見た。
だが、その様子がどうも先程駆けていった時と違う。
衣服は上下ともあちこち破れたり焦げ付いていて、
穴空きになった長袖から除く白い腕は赤く擦り切れ、
白楼・楼観の二本の剣をそれぞれの手に持ち、
―――何より、傷一つ付いていないその顔の中心に、桜色の瞳が爛々と輝いている。
異常な眼。妖夢は何かに耐えるように、強く歯を食い縛っている。
その異常な色を除けば、妖夢の双眸は先刻の戦士の眼差しを保ったままなのだが。


「妖夢。どうしたの?」


私は心配から、というより警戒心から声をかける。
すると妖夢は、意を決したように唇の戒めを解き、


「すみませんごめんなさい申し訳ありません、不覚を取りました。
 故あって今、私は自分の行動を制御しきれません。
 従って、これから私が取る行為は反逆やそれに類するものではありません!
 違いますからっ、ご承知くださいっ!!」


ひと息に告げた妖夢はそこで一度息継ぎをし、泣きそうに顔を歪めたまま双剣を大きく振り被る。


「どうか、ご機嫌を損ねられませんよう、
 よろしくお願いしますっ!!」


叫び声と共に、白楼剣の切っ先に一枚の符が浮かび上がる。
紛れも無く、それは妖夢のスペルカードだった。


「本当に、怒らないで下さいね!!
 ―――入滅剣、「菩提弔問の一刀」ッ!!!」


彼女の宣言を受け、符は銀色の光を放つ。
瞬間、私の視界は大きさがバラバラな無数の弾で覆い尽くされた。

―――この弾幕、何度か見せてもらったから私は知っている。
つくりを知れば何ほどのことも無いブラフ・スペルなのだ。
この弾の壁は霧が晴れていくように散り散りになる。
壁自体が薄いのでこのときの被弾は稀を通り越して酔狂だが、
霧が晴れ元の位置に妖夢がいないことに気付いて動揺した者は、
頭上から叩き降ろされた楼観剣で一刀のもとに切り伏せられるのだ。
知っていれば、どうということもない―――


記憶の通り弾壁が薄まり始めた。妖夢が本命の攻撃に移るより前に、
私は懐中から再び扇を取り出して念じる。

その刹那、私にとってはお馴染みの奇妙な感覚が広がった。
自分と周囲の物の動きが酷くゆったりしたものに感じられ、
緩慢な世界の中でただ一人妖夢だけが普段と何ら変わる所の無い所作をしてみせる。

妖夢の持つ剣術を操る程度の能力は、刀剣を用いたあらゆる戦技を自在に使いこなすというものだ。
超常の能力としては若干控え目に映るこの力は、
しかし実際の所この幻想の郷に在る多くの人外を凌駕する最強クラスの強大な能力であり、
それを証明するのに相応しい代表格となる技術がこれである。
私も詳しくは知らないのだけれど、何でも優れた武道家は極度に集中した状態にあるとき、
“物の動きが遅く、或いは止まって見える”という境地に達することがあるのだという。
無論これは普通の場合錯覚だ。ただの人間には時の流れを意識することも出来ない。
逆説的に言えば、ただの人間でさえなければ、任意にこの状態を作り出し、
勢いの弱まった時流の中を己が身一つ斬り抜けることも可能、と妖夢はかつて私に語った。

曰く、剣士の得物は刀剣に非ず、身に宿る鋭気を高めれば、天地万物に切断斬裂能わざる無し。
先代庭師にして妖夢の師匠、魂魄妖忌はその言の通りに天地をすら切り倒す武人であり、
その教えを受け継ぎ体現する妖夢には、「斬れないものなど殆ど無い」、のである。
それが世界を律するルールの一翼である『時空』であっても。


妖夢が、大きく口を開いて何かを叫んでいる。発せられた音声が私の耳に届くよりも、
速く強く、且つ軽やかに地を蹴り飛び上がった妖夢は、放物線を描きつつ空中でその身を翻し、
私目掛けて勢い鋭く大刀を振り下ろす―――!


それは、私がゆーっくりとした動きで手の小扇を妖夢へ向けてあおぎ、
私の頭上に現れた大扇が同じようにゆっくりと前方に倒されるのと、ほぼ同じ速度だった。
眼前に突如広がった扇が自分を押し潰さんと圧し掛かってくるのを見て、仰天した妖夢がまた何か叫ぶ。

何処かで誰かが言っていた。
くるまは、きゅうには、とまれない。


「ひゃあああああぁぁぁぁぁっ!?」「ごめんなさいーーーっ!!」


妖夢の声が遅れのせいで前後して聞こえ。


べち。


時流に束の間作られた間断が閉ざされて元の感覚が戻り、
後に残されていたのはぱったりと地に倒れ伏している妖夢と、
彼女をその質量で圧迫している大扇だけだった。


「・・・きゅう」


自爆した妖夢がうつ伏せのまま何か聞き取れないことを呟いたので、
近寄って彼女の顔を横に向けて見てみると、口が半開きのままで妖夢はその大きな瞳をぐるぐる回していた。
どうやら扇にぶつかった衝撃で気絶してしまった様子。
その身のボロボロ加減も手伝ってか、何か大変な目に遭わされた子のような感じに見えた。

全く、ちょっと行動を操作されたからって、私に刃を向けるだなんて。
私は「これは酷いわね」なんて言いつつ、
妖夢に意識が無いのをいいことに彼女の両頬を引っ張ったりして“お仕置き(いたずら)”しながら、
ここまで妖夢を痛めつけた相手の処遇に関して色々と考えを巡らせる。


先刻、酒蓋に教えた通り、妖夢は幻想郷の中でも最強に近い存在である。
その能力も含めてこれは何の世辞も交えない純然たる事実だ。
たった今大変間の抜けた行動で私に敗北を喫したのは、
ひとえに彼女が既に消耗した状態での戦闘だったからであり、
普段の妖夢の『時間割き』であれば私が扇を開いた時点で勝敗が決していただろう。
フェアな戦いとは言えなかったのだ。
いじりネタの一つとしてストックに加えたのは言うまでも無いが。

ともかく、ここにこうした形で妖夢が倒れてしまっているという現実は、
真実最強の剣客である妖夢を下し、あまつさえ操作するような化け物の存在を示している。
一体何者だろうか。冥界の住人でないことは確かだけど、
下界にはまだそんな化け物がいたんだろうか。
永らくここを離れないうちに、そんなものが存在していたのか。


声が聞こえたのは、そんな考えをしているのが面倒になってきた時だった。



「やっぱり、負けちゃったんだ」



妖夢の頬から手を放して立ち上がり、声の聴こえる方、空を見上げる。

そこには、真っ白な少女が月の輝きを背にして、ふわりと浮かんでいた。
白。白皙の肌、肩で切り揃えられた純白の髪、死に装束を思わせる白一色の作務衣。
銀でも灰でもなく、色相の極を端的に表す白色。
彼女はその権化であるかのように白く、顔にどこか歪な笑みを張り付けて私を見ている。
いや、見ているなんてものじゃない。その視線には、あからさまな憎悪が含まれているのだから。

私を睨む彼女は口を歪めて、吐き捨てるようにこう言った。


「ふ、ふふ・・・ふふふ。やっと会えた」


私は彼女に何か答えを返そうとしたけれど、
自分の中に広がった既視感とそれを否定する記憶の二つの波が、
私にまともな言葉を紡ぐ事を許可してくれない。
辛うじて、私はたった一言を告げる。


「―――どなた?」


私の声を聴き、彼女はその歪んだ面相を、更に強い憎しみの歪みに変える。
そして言った。


「私の名は、すみか。今は、そうね、墨染めの花、と書いて墨花よ。

―――はじめまして、そしてお久しぶり、幽々子お嬢様―――」








低血圧も低気圧もぐんにゃり。遅筆さんのshinsokkuです。

大変長らくお待たせしました。
お待たせした言い訳は(中略)ということで、全体的に自分自身の責任です。
実の所、5までは既に書いてあったものに加筆修正、
という形で投稿させて頂いていたので、
比較的早いペースでお目にかけることが可能だったのですね。
つまんない種明かしで申し訳ありません。

独白系も含め、自分の作品ってのは皆様にどのように受け止められているのか。
しかし、可能な限りその意見を聞きたい、感想を書いて欲しい、
というのは自分の我儘に過ぎません。小学生の読書感想文じゃないんだから。
動物的本能的な反射によって出でる感情の篭められた言葉は、
理性と本能の融合体、人間の持つ優れた能力の一つだと考えます。
そして、そういった類の性質を持つ言葉をこそ、
創作者自身は求めて止まないのだと、自分は思うのです。
ですので、自分は読み通してそうした衝動が起きなかった作品に関しては、
失礼かつ残念ですが点数評価のみにさせて頂いています。
その方にとって、心の足りない誉め言葉を書かれた場合、
もしもそれを素直に受け取って喜んでしまえば、それはとても哀しいことだと思うから。

こんな風に長文に記さずとも、
皆様もこれと似たような形のお考えをお持ちで、
すべきときにし、せざるべきときにせず、となさっているかとは思うのですが、
どうにも精神身体の両面において不安定な昨今、
何事にも不信を募らせてしまい、自分でもいけないこと、と感じています。
ほら、読点ばっかりで一文が長いのは、物事をグダグダと格好悪く考える特徴。
あっちに行ってこっちに寄って、すっきりとした直線になれない毎日。
こう書いたら心配してもらえるだろうか、なんて浅ましい考えをするほどに。

鬱々とした文、申し訳ありません。
さて置き、そんな調子ですので次回もまた少々間を置いての投稿となるかと存じます。
あまり期待せずにお待ちください。忘れるくらいが丁度いいかもしれません。
では、恒例のシメを。

皆様、本文既読未読に関わらず、ここまでお読みいただき、
本当に、どうもありがとうございました。
次回、「7 あやしや、かのさくら」まで、暫しのお別れを。

真似っぽくて怒られそうですが、オリキャラ&スペル解説第一弾。

○蓋然の酔いどれ爺 咲花翁

酒蓋の妖怪。花咲じじい。昔話の妖怪。
酒を操る程度の能力を持つ。
純然たる日の本の妖。つまり、因果の逆転がもたらした不可思議。
その性質は、枯れた花が咲くときその場にあること。
好々爺然、かつ少々子供っぽい態度の小さな仕事人。
酒蓋の癖に蓋として使われるのを嫌う。

・酒水「養老乃瀧」
(しゃすい・ようろうのたき。
 居酒屋のあれ。あと、神奈川箱根には酒水の滝という割と観光名所な滝がある。
 結構近くまで寄って見れるので迫力あります)

・宴舞「酒川京の渡し守」
(えんぶ・しゅせんきょうのわたしもり。
 小田原、酒匂川。江戸時代には橋が無く、
 東海道を行く旅行者はここを川越し人の手助けを得て渡った。
 川越し人は船頭ではなく、旅人を肩車して徒歩で渡河する仕事。
 荷物を持つ人と旅人を運ぶ人に分かれることもあり、
 また旅人を御輿の台のようなものに乗せて複数名で運ぶ姿も浮世絵にある)

・慧酔「プラジュニャプロバビリティ」
(えすい。
 プラジュニャ = 般若 ←→ 般若湯(酒の隠語)
 般若=智慧、即ち存在をそのまま知覚する実践智。
大乗仏教の特質を示す悟りの一種。
 probability=蓋然性
 酒“蓋”と“蓋”然で掛詞。
 酒を呑めばまぁ大体において酔う、という蓋然的な智慧も含め)

縦長すぎですね。すみません。
shinsokku
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コメント



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5.60Barragejunky削除
少しずつ張り巡らされていた伏線が、ここに来てなんだかすごいことにっ。
次はいよいよ大ボス対決な雰囲気。
残る一枚の幽々子の手札とは一体?
そして実力未知数な墨花嬢の弾幕は果たして?
ゆかりん、いつまでも寝てたら出番過ぎちゃうぞ?
なんて目の付け所がいくつもあって困ってしまいます。
そんな嵐の前の静けさっぽい今回のお話でしたが、ここでの収穫は妖夢でした。
おのれ魂魄妖夢、生真面目弄られっ子属性のみならず自爆ドジっ子属性までも付随しているとはっ!?
真に侮り難しっ!!
なんかもーいろいろたまりません。ダメです自分。

今回のあとがきを見ると、このように良作を書かれている作者様にもやはり悩みというものは存在するんだなあなんて当たり前なのに忘れていた思いと共に、つい先日の自分と同じく何やら進む道を見失っているのかしらと不安な気持ちに駆られます。
あの時の自分に対し、作者様から寄せられた御言葉は自分を支え、立ち直らせてくれた内の一柱です。
今度は弱輩者ですが私から作者様に一言を。
どうか御自愛の心を忘れずに。
拳禅一如と古人の言にありますように、心と身、どちらかが崩れればもう片方もつられてしまうものです。
くれぐれも無理だけはしないで下さい。焦りは更なる焦りを呼ぶだけですので。
この程度のことしか言えないお馬鹿ですみません。
それでは今回はこの辺で。