<1 十六夜は発端を(前)>
「もしもし……ああ、お前か。珍しいね、そっちから連絡遣すって言うのも。
ああ、今人間界から戻って来た所。大変だったわよ、潮の満ち干の管理。
もう、ほんっとに疲れた。…で、用件は?無いなら休ませて貰いたいんだけどな…
え?その関係で人間と妖怪のコンビにボコられたぁ?
そりゃあお前、満月が無いんじゃあ…何、満月の時にやられたの!?
って事は、昨夜か……傷の方は?そう。
……頼み事?私にやれと?
その口ぶりじゃあ、拒否権無さそうだな、上白沢」
幻想郷。
北の外れ。
誰も来ないような所に、一軒の屋敷がある。
何と言うか、武家屋敷のような、そんな静謐さを内包している。
そんな屋敷に、彼女は住んでいた。
「あ~……つーかーれーたぁー……」
畳に大の字になる。
久しぶりの我が家だ。
今日は、ゆっくり休む事にしよう。
……と、思った時だった。
手元に転がしておいた“それ”が、光を放っているのに気付いた。
彼女はそれを拾い上げ、耳に押し当てた。
「……で、人間と妖怪って言うのは?
いや、人間はともかくとして、お前が妖怪にやられるっつーのが分からないから。
……巫女と、境界?
境界って言うと、八雲紫か?…ほれ、金髪で、無駄にリボンが多い…ああ、そうか。
何で知ってるのかって?今こうやって話してるのが、その理由じゃないか。
これ、“携帯電話”っつーモノらしいね。
……彼女のとこから盗った時は単なる便利なガラクタかと思ったけど」
彼女の手には、人間界で言う所の携帯電話が握られていた。
電波ではなく、中に内包された霊気を飛ばして通話をするようになっている。
その為か、キーは2つしか付いていない。
「ふーん、二重の弾幕結界に夢想封印、ねぇ…その夢想、無双の言代なんじゃないの?
封印呪術の最上級だし。…は?だって、神霊なんだろ?
うん、うん。そうそうそう。
あんなのが使えるとは…やっぱり人間ってのは恐ろしいな…
あ、悪い悪い。怪我した体に長電話は毒だったか。
で、頼み事って?……子供達?またか。
はぁ、良いよ良いよ、分かった分かった分かった。後何回言って欲しい?」
髪の色は、夜の闇でも黒と分かる。
眼の色は深く、海の底を連想させた。
全体的に、色合いが暗い。と言うより、黒い。
白いのは、肌だけだろう。
玄武宮水端(くろだけみや・みずは)。
それが、彼女の名だ。
月が機能不全を起こしていたため、昨日まで人間界の潮の満ち干を管理していた。
幻想郷内での異常の影響を人間界に及ぼさないようにするのも、時には必要だからだ。
そして満月が戻り、
月が機能を回復したので幻想郷へ戻って来た矢先の事。
慧音から“電話”がかかって来て、「今日から数日間、子供達の面倒を見てやってくれ」
と言う頼み事を引き受けた。
……今までのやり取りを要約すると、ざっとこんな感じだ。
通話を終えると、水端は懐から掌大の箱を取り出す。
人間界での、数少ない収穫の1つ。
煙草だった。
―口に咥え、マッチで火を点ける。
妖怪の癖に直接火を扱えない彼女には、マッチは必需品だ。
―細長く紫煙を吐き出す。
彼女は、五行の一、水気を操る。
純粋な陰気、北にして黒。
十干の壬、癸。
十二支では子と亥。
八卦なら坎。
味は塩辛い。
その為、全く逆属性になる火気を扱うには、体力と手順を必要とするのだ。
命を削る程度の体力と、気の遠くなる程度の手順を。
―紫煙は、疲れをさらって行くように、空に溶けて行った。
「そう言えば、マッチも残り少なかったんだっけな」
独り、何と無く言ってみる。
確かに、残りは少なかった。
しかしそれは、その為ではなく、
疲れている自分を奮い立たせる為に言ったようでもあった。
「全く、走るのも飛ぶのも、苦手なんだがね……」
吸いきった煙草を携帯用灰皿にねじ込むと、煙草の箱と携帯と共に畳に投げ捨てる。
そして、水端は人間の里を目指して歩き出した。
慧音の頼みと、マッチの為に。
その筈だったのだが。
数刻後、彼女はある事件に巻き込まれる事になる。
「えーっと、人間界を見聞して来た事もあるし、今日はその話でもするかな」
人間の里。
ここの住人には、彼女は「博覧強記な人」で通っていた。
たまに、それもマッチを買う為にだけにしか来ないが、訊けば何でも話してくれる人。
多分、妖怪である事は知らない。
別に水端自身も、人間扱いされる事に不満は無いし、それはそれで楽しくもあったので、
されるに任せている。
「人間界?」
「えーっとな、そう言う所があるんだ。
ここに幻想郷と言う地名が付いてるんだから、
それ以外の地名の所があるのは自明の理だろ?
名前と言うのは、区別の為に付けるんだから。
……まあ、普通に行こうと思っても色々邪魔者がいるし、
行っても得より損の方が多いから、行かない方が無難だわ。
で、そこの人間なんだけど、面白かった」
「どんな所が?」
「色々とちぐはぐなんだ。
科学と言う暴力じみた手段を使って神秘を排除する一方で、
自然と名付けた神秘を守ろうと躍起になったり、
『自分』と言うのは『皆』の中の物だなんて教えておきながら、
個性だ、個性だ、なんて言う。
かと思えば、主義や信仰している物が違うのは個性だとは認められず、
それをやがて“喧嘩”に発展させるし。
そうやって自分勝手なのがあちらの人間なのかなと思って、
試しに豪雨を降らせて見たけど、そしたら皆一致団結すると来た。
ほんと、分かんないって言うか…何と言うか」
強い。
そう。……今も、強い。
それが彼女の、人間に対する最終的な感情だった。
その余りにバラバラな所は、その裏返しなのかもしれない。
この一点において、今でも人間は妖怪を上回っている。
水端は、そう思っていた。
現に、人間界で自分に寝床を貸してくれた女性も。
彼女の言葉は、はっきり言って自分たちと同格、いやそれ以上だろう。
……。
『分からないんだ。何故私は、こんな力を持っているのか。
敬語を使おうとしても無理だから、誤解も多い』
『そんなの、理由は簡単だ。
本来人間と言うモノは、言葉と言うモノは、そう言う物なのよ。
人の心に物を具現化させると言う、人間が生まれながらにして使える魔法なんだ。
今は、科学と言うモノによって魔法は人間界から駆逐され、
言葉もその大半が魔法的効果を失っているけどな。
お前はそれが失われていないから、その効果が現れる。
…昔々の、その昔。まだ、闇が闇として息づいていた頃。
人は歌を聞くと、その歌に詠まれた光景を当然のように想像した。
その歌の光景を、心の中に無意識に具現化していたんだ。
お前の言葉は、その歌と同じなのよ。
歌に敬語と言うモノは元々無いから、お前はそれを話すと言う事が出来ない。
ただ、それだけの事なんだ。
違いと言えば、その言葉が韻を踏まない所と、
明確なカタチを持つ事ぐらいかな』
……。
聞いてくれる人がいる限り、彼女の言葉は具現化する。
苗字がやたら長くて、名前も印象に残った。
えっと……。
「……おい、水端」
「は、はい?」
その言葉に、水端の思考が中断される。
「はい?じゃない。それ、子供に話す事か?」
「あれ、上白沢。傷の方はどうしたんだ?」
「用件が2つ出来た。
その内の1つ。
心配になったから、様子を見に来た」
慧音だ。
服で隠れているが、それでも所々傷痕がある。
いつもの仏頂面がやせ我慢の表情で無いのを確認すると、
「頼んどいてそれは無いだろ。お前はそんなに私を信頼できないの?」
「そうじゃない。そんな事子供に教えて、何を悟らせる気だ?」
「お前の神話ばなしの方がよっぽど分かり辛いと思うんだがな、私は。
……まあ、説明しちゃったらおじゃんだけど、
言い回しじゃなく、それが何を意味してるのかが、さ」
そして、
「それ、子供に話す事か?」
反撃した。
「……くっ」
さすがの慧音も、言葉に詰まる。
「今日は私の勝ちだな」
「勝ちって…。
誰も勝とうとは思ってない」
「口惜しい癖に」
「う……、しかし、勝ち負け以前に、戦いにすらなってないとは思わないのか?」
「はぁ?何言ってるんだ、人生は万事戦いだぞ。
そんな呑気な事言ってると、置いてかれるよ」
「……」
「ちなみに決戦は金曜日な」
「…もう良い、私の負けと言う事にしとく」
「そう。……それは良いけど、さっき、何て言った?」
「は?」
「用件が何たらって」
「ああ、もう1つの方か。…これは個人的な物なんだけど…」
「???」
そう言うと、慧音は水端に耳打ちした。
小さく舌打ちする水端。
「――――――」
「…ちょっと待て。それ、本当に?」
「嘘は吐かん」
「交代、頼める?」
「別に構わない」
「そう。じゃあ、後は頼んだ」
そう言うと、水端は走り出した。
「さて、と……」
その背中を見届けてから、慧音は子供たちに向き直る。
「まあ、外の人間と言うのはとかく分からない所が多いと言う事だ。
……アイツみたいにな」
「巧く締めたわね」
その後ろから、声がした。
もう一度、反転。
視界に、メイド服が入って来た。
「……悪魔の従者か。今日は1人で、何をしに来た」
「いや、食器の補充を」
「…見れば分かる。そうじゃなくて…」
咲夜である。
「なかなか面白い掛け合いだったわ」
「聞いてたのか」
「ええ。面白かったから。
…彼女、何なの?」
「本人曰く、『どじでのろまなカメ』だそうだが」
「……亀?それにしては足が速いようだけど」
「自称だからな。何とでも言える」
「自虐趣味?」
「知らん」
「そう」
「……ところで、何時来たんだ?」
「…34分17秒前よ。コンマ以下も言って欲しい?」
「…。誰かとすれ違わなかったか?」
「…別に、誰とも」
「そうか……」
「何か、あったの?」
「奴が戻ってくれば分かる」
その頃。
水端は、“ある物”を頼りにそこへと走っていた。
―水気の気配と、
水や液体の類に、彼女は敏感なのだ。
―人間界で嫌と言うほど嗅いで来た、あの臭い。
人間や妖怪では感知できない臭いも、
それが水気を持った物から発せられていれば、彼女には普通に感知できる。
彼女は今、その自分の力を呪っていた。
何しろ、着く前から既に分かっているのだ。
―そこで、人が死んでいることに。
そして、そこへ辿り着く。
一軒の家。
扉は閉まっている。
そして、鼻につく、
―血の臭い。
何故だか、煙草が吸いたくなった。
懐に手をやり、舌打ち。
そう言えばと、屋敷に置いて来たのを思い出す。
マッチも無い。
……踏んだり蹴ったりとは、この事か。
「はぁ、これじゃどこかのミステリー小説みたいじゃないか」
周りに誰もいないのを確かめて、水端は扉をゆっくりと開けた。
「で、どうなってたの?」
「首を切られた人間の死体があったのよ」
「ふう、ん……まあそれはそれとして。
それを何で私に聞かせようと言う気になったわけ?咲夜」
「今日も暇そうにしてるだろうから、暇潰しぐらいにはなるかと思って」
「…私、これから昼飯なんだけど」
所変わって、博麗神社。
咲夜と、彼女に連行される形で慧音が訪れていて、
今日は何だか賑やかだった。
「で、その目撃者は?」
「今、そっちで御参りしてる筈よ」
「……え?本当!?」
「賽銭の方は知らないけど」
……そして、もう1人。
「…くっ…取れない…」
賽銭箱に、何処から持ち出したのかハエ取り紙を突っ込んで悪戦苦闘している水端。
中身が空だったおかげで底に張り付いてしまい、取れなくなってしまったのだ。
「…何してるの?」
そんな彼女に、後ろから声。
「賽銭盗んじゃおうかと思ってハエ取り紙突っ込んだら取れなくなった…」
「…ふーん…残念だろうけどそれ、いつも空なの。
誰も御参りなんてしないから。
……あ、1ヶ月くらい前に1人だけいたかしら」
(……1人だけ?)
……。
彼女との出会い。
その時の会話が思い出される。
『何かお探しか?』
『……分かるのか、私が』
『ああ。幻想郷の住人だろう?』
『全てお見通しか…、ご名答』
『私も一度行った事があるからな、幻想郷に。
神社で賽銭をしたら、巫女…確か霊夢とか言ったか、
たいそう喜んでいたのを覚えている。
…今でも、行けるのかな』
『行けるわよ。行こうと思えば』
『で、何を探しているんだ?』
『寝床と、後…話し相手、かな』
『……そうか。なら、付いて来て貰えるか?』
……。
「へえ。良く知ってるな……って、巫女か」
片手を賽銭箱に突っ込んだまま、首だけ動かして後ろを向く。
巫女が、立っていた。
そして、その目つきの意味する所を素早く察知する。
「…まあ、この状況なら、必須よ、ね?」
そして、誤魔化す。
勿論、その効果は無いと、分かっている。
それでもやったのは、「この状況なら必須」だからだ。
つまり、既に分かっているのだ。
―この後、どうなるか。
「―“夢想封印 瞬”!!」
「賽銭荒らしは死刑なんですかぁ~!!」
その叫び声は、弾幕に埋もれて誰の耳にも届かなかった。
「いててて…と言う事は、貴女が博麗霊夢かな?」
「嘘……これ喰らって、無事なの?私は博麗霊夢だけど……」
「無事じゃないよ…喰らったんだから…」
そう言っているし、痛がってもいるが、水端の体に傷は1つも付いていない。
「…結構な御手前でした…つつ…」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないってば…」
霊夢に助け起こされる水端。
立ち上がるなり、笑い出した。
「はははははっ、いやぁ、それにしても良いモノ拝ませてもらったわ」
「別に特別な事をしたつもりは無いんだけど、そう言ってくれるならありがたく」
「そう、なのか?特別じゃない?」
「何が?」
「いや、だってあれ、封印呪術の最上級だし」
「そうなの?」
「…は?そうなのって、それ、神霊なんだろ?」
「まあ、そうだけど。ところで、貴女」
「はい?」
「名前は?」
「『どじでのろまなカメ』……あ、ごめんなさい。
悪かった、悪うございましたから、その札を下ろせ!
…ああもう。名は水端で、姓が玄武宮です」
水端は不機嫌そうな表情をあからさまに作った。
眼は笑っているので、バレバレだ。
「玄武宮…水端?聞いた事無いわね」
「無理も無いわ。こんな所、一度も来た事無いし」
「こんな所とは失礼な」
「ああ、悪い悪い。
なにぶん遠いんでね、物臭な私はここまで来た事が無かった。
ただそれだけの事よ」
「じゃあ、今日はなんで?」
「来ようと思ったからに決まってるじゃないか」
……。
『しかし、何で私を泊めてくれるなんて……』
『泊めようと、思ったからだ。それ以外には、何も』
『そうか。なら、良いんだ』
『なら、とは?』
『他に色々理由を付けられても、私はそれに応えてやれる自信が無い』
『そんな自信は、誰にも無い。
それに、利益と打算で動く人間は、こんな事はしない』
『じゃあ、七夜は何で動くの?』
『……体で、さ。決まっているだろう』
口調こそ味気なかったが、彼女の笑みはとても女性的だった。
……。
似ている。
あいつの癖が移ったのだろうか。
そう思った水端は、思わず噴出してしまった。
「…どうしたの?」
「え、ああ。いや、ちょっと、思い出し笑い」
「……。まあ良いわ、付いて来て」
「…ハエ取り紙は?」
「後で取って貰うから」
「うへぇ」
踵を返す霊夢。
……やっぱり、人間は強い。
水端はそう思いながら、霊夢の後を追った。
「もしもし……ああ、お前か。珍しいね、そっちから連絡遣すって言うのも。
ああ、今人間界から戻って来た所。大変だったわよ、潮の満ち干の管理。
もう、ほんっとに疲れた。…で、用件は?無いなら休ませて貰いたいんだけどな…
え?その関係で人間と妖怪のコンビにボコられたぁ?
そりゃあお前、満月が無いんじゃあ…何、満月の時にやられたの!?
って事は、昨夜か……傷の方は?そう。
……頼み事?私にやれと?
その口ぶりじゃあ、拒否権無さそうだな、上白沢」
幻想郷。
北の外れ。
誰も来ないような所に、一軒の屋敷がある。
何と言うか、武家屋敷のような、そんな静謐さを内包している。
そんな屋敷に、彼女は住んでいた。
「あ~……つーかーれーたぁー……」
畳に大の字になる。
久しぶりの我が家だ。
今日は、ゆっくり休む事にしよう。
……と、思った時だった。
手元に転がしておいた“それ”が、光を放っているのに気付いた。
彼女はそれを拾い上げ、耳に押し当てた。
「……で、人間と妖怪って言うのは?
いや、人間はともかくとして、お前が妖怪にやられるっつーのが分からないから。
……巫女と、境界?
境界って言うと、八雲紫か?…ほれ、金髪で、無駄にリボンが多い…ああ、そうか。
何で知ってるのかって?今こうやって話してるのが、その理由じゃないか。
これ、“携帯電話”っつーモノらしいね。
……彼女のとこから盗った時は単なる便利なガラクタかと思ったけど」
彼女の手には、人間界で言う所の携帯電話が握られていた。
電波ではなく、中に内包された霊気を飛ばして通話をするようになっている。
その為か、キーは2つしか付いていない。
「ふーん、二重の弾幕結界に夢想封印、ねぇ…その夢想、無双の言代なんじゃないの?
封印呪術の最上級だし。…は?だって、神霊なんだろ?
うん、うん。そうそうそう。
あんなのが使えるとは…やっぱり人間ってのは恐ろしいな…
あ、悪い悪い。怪我した体に長電話は毒だったか。
で、頼み事って?……子供達?またか。
はぁ、良いよ良いよ、分かった分かった分かった。後何回言って欲しい?」
髪の色は、夜の闇でも黒と分かる。
眼の色は深く、海の底を連想させた。
全体的に、色合いが暗い。と言うより、黒い。
白いのは、肌だけだろう。
玄武宮水端(くろだけみや・みずは)。
それが、彼女の名だ。
月が機能不全を起こしていたため、昨日まで人間界の潮の満ち干を管理していた。
幻想郷内での異常の影響を人間界に及ぼさないようにするのも、時には必要だからだ。
そして満月が戻り、
月が機能を回復したので幻想郷へ戻って来た矢先の事。
慧音から“電話”がかかって来て、「今日から数日間、子供達の面倒を見てやってくれ」
と言う頼み事を引き受けた。
……今までのやり取りを要約すると、ざっとこんな感じだ。
通話を終えると、水端は懐から掌大の箱を取り出す。
人間界での、数少ない収穫の1つ。
煙草だった。
―口に咥え、マッチで火を点ける。
妖怪の癖に直接火を扱えない彼女には、マッチは必需品だ。
―細長く紫煙を吐き出す。
彼女は、五行の一、水気を操る。
純粋な陰気、北にして黒。
十干の壬、癸。
十二支では子と亥。
八卦なら坎。
味は塩辛い。
その為、全く逆属性になる火気を扱うには、体力と手順を必要とするのだ。
命を削る程度の体力と、気の遠くなる程度の手順を。
―紫煙は、疲れをさらって行くように、空に溶けて行った。
「そう言えば、マッチも残り少なかったんだっけな」
独り、何と無く言ってみる。
確かに、残りは少なかった。
しかしそれは、その為ではなく、
疲れている自分を奮い立たせる為に言ったようでもあった。
「全く、走るのも飛ぶのも、苦手なんだがね……」
吸いきった煙草を携帯用灰皿にねじ込むと、煙草の箱と携帯と共に畳に投げ捨てる。
そして、水端は人間の里を目指して歩き出した。
慧音の頼みと、マッチの為に。
その筈だったのだが。
数刻後、彼女はある事件に巻き込まれる事になる。
「えーっと、人間界を見聞して来た事もあるし、今日はその話でもするかな」
人間の里。
ここの住人には、彼女は「博覧強記な人」で通っていた。
たまに、それもマッチを買う為にだけにしか来ないが、訊けば何でも話してくれる人。
多分、妖怪である事は知らない。
別に水端自身も、人間扱いされる事に不満は無いし、それはそれで楽しくもあったので、
されるに任せている。
「人間界?」
「えーっとな、そう言う所があるんだ。
ここに幻想郷と言う地名が付いてるんだから、
それ以外の地名の所があるのは自明の理だろ?
名前と言うのは、区別の為に付けるんだから。
……まあ、普通に行こうと思っても色々邪魔者がいるし、
行っても得より損の方が多いから、行かない方が無難だわ。
で、そこの人間なんだけど、面白かった」
「どんな所が?」
「色々とちぐはぐなんだ。
科学と言う暴力じみた手段を使って神秘を排除する一方で、
自然と名付けた神秘を守ろうと躍起になったり、
『自分』と言うのは『皆』の中の物だなんて教えておきながら、
個性だ、個性だ、なんて言う。
かと思えば、主義や信仰している物が違うのは個性だとは認められず、
それをやがて“喧嘩”に発展させるし。
そうやって自分勝手なのがあちらの人間なのかなと思って、
試しに豪雨を降らせて見たけど、そしたら皆一致団結すると来た。
ほんと、分かんないって言うか…何と言うか」
強い。
そう。……今も、強い。
それが彼女の、人間に対する最終的な感情だった。
その余りにバラバラな所は、その裏返しなのかもしれない。
この一点において、今でも人間は妖怪を上回っている。
水端は、そう思っていた。
現に、人間界で自分に寝床を貸してくれた女性も。
彼女の言葉は、はっきり言って自分たちと同格、いやそれ以上だろう。
……。
『分からないんだ。何故私は、こんな力を持っているのか。
敬語を使おうとしても無理だから、誤解も多い』
『そんなの、理由は簡単だ。
本来人間と言うモノは、言葉と言うモノは、そう言う物なのよ。
人の心に物を具現化させると言う、人間が生まれながらにして使える魔法なんだ。
今は、科学と言うモノによって魔法は人間界から駆逐され、
言葉もその大半が魔法的効果を失っているけどな。
お前はそれが失われていないから、その効果が現れる。
…昔々の、その昔。まだ、闇が闇として息づいていた頃。
人は歌を聞くと、その歌に詠まれた光景を当然のように想像した。
その歌の光景を、心の中に無意識に具現化していたんだ。
お前の言葉は、その歌と同じなのよ。
歌に敬語と言うモノは元々無いから、お前はそれを話すと言う事が出来ない。
ただ、それだけの事なんだ。
違いと言えば、その言葉が韻を踏まない所と、
明確なカタチを持つ事ぐらいかな』
……。
聞いてくれる人がいる限り、彼女の言葉は具現化する。
苗字がやたら長くて、名前も印象に残った。
えっと……。
「……おい、水端」
「は、はい?」
その言葉に、水端の思考が中断される。
「はい?じゃない。それ、子供に話す事か?」
「あれ、上白沢。傷の方はどうしたんだ?」
「用件が2つ出来た。
その内の1つ。
心配になったから、様子を見に来た」
慧音だ。
服で隠れているが、それでも所々傷痕がある。
いつもの仏頂面がやせ我慢の表情で無いのを確認すると、
「頼んどいてそれは無いだろ。お前はそんなに私を信頼できないの?」
「そうじゃない。そんな事子供に教えて、何を悟らせる気だ?」
「お前の神話ばなしの方がよっぽど分かり辛いと思うんだがな、私は。
……まあ、説明しちゃったらおじゃんだけど、
言い回しじゃなく、それが何を意味してるのかが、さ」
そして、
「それ、子供に話す事か?」
反撃した。
「……くっ」
さすがの慧音も、言葉に詰まる。
「今日は私の勝ちだな」
「勝ちって…。
誰も勝とうとは思ってない」
「口惜しい癖に」
「う……、しかし、勝ち負け以前に、戦いにすらなってないとは思わないのか?」
「はぁ?何言ってるんだ、人生は万事戦いだぞ。
そんな呑気な事言ってると、置いてかれるよ」
「……」
「ちなみに決戦は金曜日な」
「…もう良い、私の負けと言う事にしとく」
「そう。……それは良いけど、さっき、何て言った?」
「は?」
「用件が何たらって」
「ああ、もう1つの方か。…これは個人的な物なんだけど…」
「???」
そう言うと、慧音は水端に耳打ちした。
小さく舌打ちする水端。
「――――――」
「…ちょっと待て。それ、本当に?」
「嘘は吐かん」
「交代、頼める?」
「別に構わない」
「そう。じゃあ、後は頼んだ」
そう言うと、水端は走り出した。
「さて、と……」
その背中を見届けてから、慧音は子供たちに向き直る。
「まあ、外の人間と言うのはとかく分からない所が多いと言う事だ。
……アイツみたいにな」
「巧く締めたわね」
その後ろから、声がした。
もう一度、反転。
視界に、メイド服が入って来た。
「……悪魔の従者か。今日は1人で、何をしに来た」
「いや、食器の補充を」
「…見れば分かる。そうじゃなくて…」
咲夜である。
「なかなか面白い掛け合いだったわ」
「聞いてたのか」
「ええ。面白かったから。
…彼女、何なの?」
「本人曰く、『どじでのろまなカメ』だそうだが」
「……亀?それにしては足が速いようだけど」
「自称だからな。何とでも言える」
「自虐趣味?」
「知らん」
「そう」
「……ところで、何時来たんだ?」
「…34分17秒前よ。コンマ以下も言って欲しい?」
「…。誰かとすれ違わなかったか?」
「…別に、誰とも」
「そうか……」
「何か、あったの?」
「奴が戻ってくれば分かる」
その頃。
水端は、“ある物”を頼りにそこへと走っていた。
―水気の気配と、
水や液体の類に、彼女は敏感なのだ。
―人間界で嫌と言うほど嗅いで来た、あの臭い。
人間や妖怪では感知できない臭いも、
それが水気を持った物から発せられていれば、彼女には普通に感知できる。
彼女は今、その自分の力を呪っていた。
何しろ、着く前から既に分かっているのだ。
―そこで、人が死んでいることに。
そして、そこへ辿り着く。
一軒の家。
扉は閉まっている。
そして、鼻につく、
―血の臭い。
何故だか、煙草が吸いたくなった。
懐に手をやり、舌打ち。
そう言えばと、屋敷に置いて来たのを思い出す。
マッチも無い。
……踏んだり蹴ったりとは、この事か。
「はぁ、これじゃどこかのミステリー小説みたいじゃないか」
周りに誰もいないのを確かめて、水端は扉をゆっくりと開けた。
「で、どうなってたの?」
「首を切られた人間の死体があったのよ」
「ふう、ん……まあそれはそれとして。
それを何で私に聞かせようと言う気になったわけ?咲夜」
「今日も暇そうにしてるだろうから、暇潰しぐらいにはなるかと思って」
「…私、これから昼飯なんだけど」
所変わって、博麗神社。
咲夜と、彼女に連行される形で慧音が訪れていて、
今日は何だか賑やかだった。
「で、その目撃者は?」
「今、そっちで御参りしてる筈よ」
「……え?本当!?」
「賽銭の方は知らないけど」
……そして、もう1人。
「…くっ…取れない…」
賽銭箱に、何処から持ち出したのかハエ取り紙を突っ込んで悪戦苦闘している水端。
中身が空だったおかげで底に張り付いてしまい、取れなくなってしまったのだ。
「…何してるの?」
そんな彼女に、後ろから声。
「賽銭盗んじゃおうかと思ってハエ取り紙突っ込んだら取れなくなった…」
「…ふーん…残念だろうけどそれ、いつも空なの。
誰も御参りなんてしないから。
……あ、1ヶ月くらい前に1人だけいたかしら」
(……1人だけ?)
……。
彼女との出会い。
その時の会話が思い出される。
『何かお探しか?』
『……分かるのか、私が』
『ああ。幻想郷の住人だろう?』
『全てお見通しか…、ご名答』
『私も一度行った事があるからな、幻想郷に。
神社で賽銭をしたら、巫女…確か霊夢とか言ったか、
たいそう喜んでいたのを覚えている。
…今でも、行けるのかな』
『行けるわよ。行こうと思えば』
『で、何を探しているんだ?』
『寝床と、後…話し相手、かな』
『……そうか。なら、付いて来て貰えるか?』
……。
「へえ。良く知ってるな……って、巫女か」
片手を賽銭箱に突っ込んだまま、首だけ動かして後ろを向く。
巫女が、立っていた。
そして、その目つきの意味する所を素早く察知する。
「…まあ、この状況なら、必須よ、ね?」
そして、誤魔化す。
勿論、その効果は無いと、分かっている。
それでもやったのは、「この状況なら必須」だからだ。
つまり、既に分かっているのだ。
―この後、どうなるか。
「―“夢想封印 瞬”!!」
「賽銭荒らしは死刑なんですかぁ~!!」
その叫び声は、弾幕に埋もれて誰の耳にも届かなかった。
「いててて…と言う事は、貴女が博麗霊夢かな?」
「嘘……これ喰らって、無事なの?私は博麗霊夢だけど……」
「無事じゃないよ…喰らったんだから…」
そう言っているし、痛がってもいるが、水端の体に傷は1つも付いていない。
「…結構な御手前でした…つつ…」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないってば…」
霊夢に助け起こされる水端。
立ち上がるなり、笑い出した。
「はははははっ、いやぁ、それにしても良いモノ拝ませてもらったわ」
「別に特別な事をしたつもりは無いんだけど、そう言ってくれるならありがたく」
「そう、なのか?特別じゃない?」
「何が?」
「いや、だってあれ、封印呪術の最上級だし」
「そうなの?」
「…は?そうなのって、それ、神霊なんだろ?」
「まあ、そうだけど。ところで、貴女」
「はい?」
「名前は?」
「『どじでのろまなカメ』……あ、ごめんなさい。
悪かった、悪うございましたから、その札を下ろせ!
…ああもう。名は水端で、姓が玄武宮です」
水端は不機嫌そうな表情をあからさまに作った。
眼は笑っているので、バレバレだ。
「玄武宮…水端?聞いた事無いわね」
「無理も無いわ。こんな所、一度も来た事無いし」
「こんな所とは失礼な」
「ああ、悪い悪い。
なにぶん遠いんでね、物臭な私はここまで来た事が無かった。
ただそれだけの事よ」
「じゃあ、今日はなんで?」
「来ようと思ったからに決まってるじゃないか」
……。
『しかし、何で私を泊めてくれるなんて……』
『泊めようと、思ったからだ。それ以外には、何も』
『そうか。なら、良いんだ』
『なら、とは?』
『他に色々理由を付けられても、私はそれに応えてやれる自信が無い』
『そんな自信は、誰にも無い。
それに、利益と打算で動く人間は、こんな事はしない』
『じゃあ、七夜は何で動くの?』
『……体で、さ。決まっているだろう』
口調こそ味気なかったが、彼女の笑みはとても女性的だった。
……。
似ている。
あいつの癖が移ったのだろうか。
そう思った水端は、思わず噴出してしまった。
「…どうしたの?」
「え、ああ。いや、ちょっと、思い出し笑い」
「……。まあ良いわ、付いて来て」
「…ハエ取り紙は?」
「後で取って貰うから」
「うへぇ」
踵を返す霊夢。
……やっぱり、人間は強い。
水端はそう思いながら、霊夢の後を追った。