Coolier - 新生・東方創想話

夜の扉

2004/08/25 12:40:08
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 雲のない夜空には月が昇り、淡い光が野山の木々を優しく、そして妖しく照らしている。
 静かな夜だった。
 それは幻想郷においてはひどく珍しいことでもあった。
 ましてや、満月の夜である。
 月の綺麗な晩となれば、宵闇を闊歩する魍魎が跳梁跋扈し、時には夜の眷属が華やかな弾幕遊戯を繰り広げ、其処彼処で木々か薙ぎ倒される音や強大な魔力の塊が轟音を立てていることも決して珍しくないのに、である。
 とにかく、静かすぎる夜だった。

  -1-

 金色の小さな天秤。片方の皿には、金属製の大小の立方体がいくつか乗っており、もう片方の皿には紙が乗せられている。
 白い手が、銀色の匙で紙の上に白い粉を乗せていく。左手に持った瓶の中から、白い粉をひと匙すくっては乗せ、しばしの間。そしてもうひと匙。
 何度か繰り返しているうち、僅かに天秤の針が振れた。
 先ほどより少し長めの間を置いて、再び瓶の中の粉をひと匙。今度は今までよりずっと少ない。
 天秤の皿の上にできた白い小山に、ゆっくりと、雪を降らせるように僅かずつ白い粉を乗せていく。ややあって、再び天秤の針が振れ、銀の匙を持った手の動きを制止した。
 天秤の針はしばらく左右にふらふらと漂い、やがてちょうど真中につけられた赤い矢印を指し示して停止した。
 白い手が銀の匙を机に置く。
「ふう……」
 少女は顔を上げると、まるで今まで呼吸を止めていたかのように大きく息を吐いた。
 暗くはないが、明るくもない部屋。
 机には大きなランプが灯されていたが、部屋はその明かりだけではない何かの光によって、雑然と置かれた有象無象を浮かび上がらせていた。
 床は至る所に豪華な装丁の分厚い本が積み上げられ、何か記号のようなものや謎めいた紋様や覚え書きといった類を、殴り書きという言葉以外で表現できない形で書き留めた紙がところどころに挟まれ、同じようなものが床じゅうに散らばって、足が踏めそうな場所は自分の領土だと主張するに至っている。
 要するに、本来の床はそのような無生物たち──ひょっとすると生きているものもいるかもしれないが──の、無言の領有宣言によって見えなくなっているのである。
 重厚な作りの大きな机には、ぐるぐると螺旋状になったガラス管やら、金属製の筒状の物体やら、色とりどりの液体や粉末が詰まった大小様々な瓶やら、何に使うのか傍目では想像もつかないような器具によって埋め尽くされている。
 壁際はというと、今度は大きな物が目立つ。格子状のやや細長い木箱には、何本かの杖、傘、そして箒。
 本棚はというと、木箱が並べられていたり、先ほどの机にあったよりももっと大きな瓶に入った何かの植物を乾燥させたようなものが並んでいたり、魔法紙の巻物が束になって突っ込まれていたり、まあ要するにこちらも本棚という本来の機能はほぼ失っているに等しかった。床に本が積まれている段階で、本棚が機能していないという事実を告げるに十分な様相ではあるのだが。

 少女は、おもむろに天秤に乗せていた金属の錘を無造作に鷲掴みにすると、机の抽斗に乱暴に投げ込んだ。先ほどまでの慎重な手つきはどこへやら、である。
 もっとも、彼女──この部屋の、そしてこの館の主であるところの魔法使い、霧雨魔理沙にとっては、それくらい大雑把なのが本来の姿である。大体、こういった魔法薬の調合のような作業は不向きな性格だったし、魔理沙自身も好んでやるものではなかった。
 それでも、数少ない知人ですらその事実を知らないのだが、彼女は人一倍の努力家なのである。仕事でやっているわけでもなければ、誰かのためにやっているわけでもない魔法薬の精製作業などに勤しんでいるのも、己の魔力を高めるために必要だからにほかならない。
 魔法使いというのは元来ひどく利己的で、自分自身の事以外には無頓着な者が多い。ここ、魔法の森に居を構えているのも、魔法使いとしての力をつけるためである。
 魔法の森と呼ばれている所以は、もちろんこの森が魔力に満ちているからである。風水で言えば竜脈と呼ばれる、自然の魔力が集まっている場所であり、魔法使いは概してそういった魔力の強い場所に住む事が多いのだ。
 魔法というのは、自然に存在する魔力の素のようなものを純粋な魔力に変換して行使する技である。だから、普段からそういった自然な魔力に身を置くこと自体が、魔法使いとしての腕を磨く道でもあるのだ。魔理沙が触媒も詠唱もなしで強力なマジックミサイルを撃てるのは、もちろん呪符の助けがあるにしても、彼女自身がそうした自然の魔力を殺傷性のある魔力に即座に変換するだけの身体なっているからと言える。
 だが、強い魔力を浴び続けると、普通の人間はもちろん妖怪でも身体を壊してしまう。そのため、様々な魔法薬で耐性をつけて、身体を慣れさせる必要がある。
 さらに、この森には独特の生態系が存在している。それは、塩生植物や高山植物のように特殊な環境でしか育たない植物と同じく、強い魔力が満ちた場所でなければ育たない植物や動物がいるのである。
 特に動物は、危険な魔法生物も時折出没する。中には人間を襲うものもいるらしいが、幸いなことに魔理沙はここに住んでいるにも関わらず襲われた事がないし、仮に襲われたとしても魔法で身を守る事くらいはできる自信があったので、彼女は特に気にかけた事はない。
 そんな背景から、魔法の森には普段からあまり人が寄り付かなかったし、もちろん人じゃない連中も用事もないのに好んで立ち寄ったりはしなかった。
 それは、この森の数少ない建造物のひとつである霧雨邸の主を無駄に刺激して、魔砲が飛んできてはたまったものではないという事情もあるのかもしれないけれど。

  -2-

 魔理沙は額に僅かに浮かんでいた汗を手の甲で拭うと、張り付いていた美しい金髪をかき上げた。
 何時の間にか夜になっていたようだ。
 魔理沙の顔には、ほんの少しだけ疲れたような表情が浮かんでいた。
 少し目を閉じる。
 ややあって目を開けたときには、凛とした気丈そうな眼差しに、なぜか不敵な笑みを浮かべているかのように見える口許、少女だけが持つ独特の生意気さ加減が伺える表情が、尊大さが厭らしくない程度に絶妙なバランスで美しく整った、いつもの魔理沙の顔に戻っていた。

 森の魔力が最も強い場所に建てられている霧雨邸の、そのまた魔力が集中する設計になった場所にある魔法室は冬でも暖かいが、夏はというと快適という言葉とは程遠い。なにしろ、こうした魔法薬の精製のためには材料を煮詰めたり焼いたりすることも少なくないので、部屋には小さいながらも釜もあったし暖炉もあった。
 暖炉は本来の目的である暖を取るために使う事もあるが、それ以外の用途のほうが圧倒的に多かったりもする。昨冬は冬が尋常でないほど長かったため、本来の機能を十分に果たしてくれた。
 今回はどちらも使う必要がなかったものの、この間は一晩中ずっと材料を煮込んでいて大変な思いをしたものだ。思い出すだけでうんざりする。
 それでもやっと秋らしくなってきたようで、一頃に比べると夜は随分過ごしやすくなった。
『その暑っ苦しい黒のエプロンドレスなんて脱げばいいじゃない。』
 顔見知りの神社の娘はそんなことを言ったが、この出で立ちは人間の魔法使いとしての伝統的な装束である。
 ……そのはずである。
 いや、今の人間世界がどうなっているのかは、幻想郷の住人である魔理沙には知る由もない。そういえば、以前にいろいろあって立ち寄った湖の大きな紅い屋敷のメイドは『古風な』と表現していたから、今の人間世界の魔法使い達はもう少し違った格好なのかもしれない。
 いやいや、『古風』という表現から察すれば、やっぱり伝統的な服という解釈が成立する。
 姿形だけを真似ても本質を得る事などできない、と彼女なりに思っている反面、姿形が伴わなければやはり本質ではない、という気もしている。だから、この格好は自身が霧雨魔理沙であるための矜持でもあり、その意味でも脱ぐ事はできなかった。

「…お、月が出てるな。」
 ふと窓の外を見ると、風に揺れる森の木々の上に丸い月が昇っていて、魔法室にも淡い光が射し込んでいた。
 魔理沙は月をじっと見詰めた。
 しばらく、何かに魅入られたかのように月を見つめ続けていた。その横顔からは、何を思っているのか察する事ができない。
 今日も魔法の森は普段と変わらなかった。
 森の外が、いや、幻想郷全体が普段とは違うこの満月の晩も、いつも通り静かだった。

  -3-

「おっと、いけない。さっさと続きをやらないとな。」
 魔理沙は我に返ると、再び机に向かった。
 実際にはそんな長い間月を見つめていたわけではなかったが、魔理沙は随分な時間ぼうっと見続けていたような気がしたのだ。
 机の上には、小さな紙に乗せられた色とりどりの粉の山がいくつも出来上がっていた。魔理沙は白磁の乳鉢と乳棒を取り出すと、順番に粉を混ぜていく。
 最後のひと包みを入れ終わると、今度は雑貨の物置に成り下がっている本棚から瓶をいくつか取り、何か植物の種のようなものをいくつか乳鉢へ放り込む。
 改めて椅子に座り直すと、乳棒で混ぜ始める。
 が、しばらくグリグリと乳棒を動かしていた魔理沙は、秀麗な眉を僅かにひそめた。この間採ってきた時はそうもなかったが、乾燥して水分が抜けて硬くなったらしい。
 今度はガンガンと叩き始めた。
 しばらく、白磁製の鉢が割れないかどうか心配になりそうな勢いで叩いていた魔理沙だったが、どうやらある程度砕けたらしい。音が止み、代わってゴリゴリと磨り潰す音が魔法室に響き始めた。
 無駄なことで躍起になった自分に思わず溜息をつく。
 魔法薬の精製なんて地味で地道な作業めいたものの連続でしかないので、やはり彼女には不向きなのだろう。
 話す人間がいるわけでもなく、いつもと同じく無言で調合作業を進める。ゴリゴリという音と、壁際の大きな時計が針を刻む微かな音だけが魔法室に響く。
 ひどく単調に、故に長く感じられる時間が過ぎていこうとしていた。

 不意に魔法室の扉のノブが回される音が、静かに水をたたえる水面に波を立てるかのように、単調な時間の流れを打ち破った。
 重厚な作りの扉が開き、蝶番が微かに悲鳴を上げる。
 コツ……
 扉の間から小柄な人影が姿を覗かせ、可愛いリボンをあしらった白い木靴が床を鳴らした。
 魔理沙は振り向く事も、顔を上げたりもせず、無言で作業を続けた。
 扉の閉まる音。人の気配──正確には人ではない何かの気配。
 少しの間の後、おもむろに魔理沙が口を開いた。
「……随分と失礼な客なんだな。人の家に来て、ノックも無しなら挨拶も無しか。」
 やはり振り向きもせず、入ってきた人物に声をかける。
「あら、ノックや挨拶をするのがこの家の客の礼儀なの。だとしたら、私より先に誰が客として来たのか、前例を教えて欲しいわね。」
 まるで自動人形のように優雅な動きで歩み寄ると、アリス・マーガトロイドは、悪びれもせずに皮肉な口調で応えた。
 魔理沙と同じ、ややウェーブがかった美しい金髪をカチューシャで留め、胸元を大きなリボンで飾ったフリルブラウスに水色のワンピース。白磁のような白い肌に加えて眉も鼻も薄く、さながらアンティークドールのような印象を与える。
 肩には赤い帽子に赤い民族衣装の人形が、ちょこんと鎮座していた。
「ふふ…そうだな。」
 魔理沙は自嘲めいた笑いを浮かべ、やっと来訪者へ向き直った。
 言われてみれば、客なんて呼べるのは神社の巫女くらいしかいない。それも、いつも同じように勝手に上がりこんできては魔法室を引っ掻き回してくれる。
 どうやら、霧雨邸では客は挨拶もなく勝手に上がりこむのが普通だと知らなかったのは、館の主たる魔理沙だけのようであった。
「悪いが見ての通りで忙しくてな。暇なら、お客に咲夜のところから貰って来た紅茶でも煎れてやるところなんだが。」
 重要なところを省いて魔理沙は言った。
 すなわち、暇であることに加えて、咲夜から貰った紅茶の缶と、ティーセットがどこにあるのか把握していたら、というのが正確な表現のはずである。当然のことながら把握していない。たまに、部屋の中で驚きの大発見があるくらいだから無理もない。
 アリスは僅かに驚きの表情を浮かべ、次に言うべき言葉を失って口を噤んだ。
 意外な魔理沙の言葉である。これがいつもなら、やはり皮肉と挑発を必要以上に多分に含んだ言葉が返ってくるはずだし、実際そうなるものと思っていたからだ。
「…べ、別に客としてあんたにご馳走になりにきたわけじゃないわよ。」
 視線を逸らしてアリスはそう言い返したものの、
「そうか。まあ、そりゃそうだろうな。」
という魔理沙の素直な言葉に、いつもと調子が狂ってしまって今度こそ言葉が出てこなくなった。

 アリスにとっては何だかひどく気まずい数秒の後、
「で、何しに来たんだ?わざわざ出向いてくるなんて珍しいじゃないか。」
と魔理沙が訊ねた。珍しいも何も、初めてである。
 会話の主導権を失っているアリスは、ほんの少しの間逡巡したが、かくもペースを乱されるのは初めてだったのでうまく言葉が見つからない。ましてや、こんなに素直な魔理沙は初めてだったから無理からぬことと言えるだろう。
「…あんたに本を貸してあげようと思って。」
 そうアリスはやっと言った。もちろん、重要な部分は省いて。
(ああもう、台無しじゃない!)
 ここに来るまでの間、いろいろと駆け引きを想定していたのだが、それが全て無駄になってしまった。そもそも、本来の目的は魔理沙に協力してもらう事である。が、以前に撃ち合いまでやったことがある彼女が承諾するとは思えない。その為の交渉材料として持参してきたはずのグリモワール──魔導書のはずだったのだ。
「へえ…意外だな。」
 魔理沙はさして驚いた様子もなく言うと、窓に歩み寄った。
「…満月は人の心を惑わすと言うけど、人じゃないお前も満月の光に当てられたのか?」
 口許に皮肉をたっぷりと湛えた笑みで魔理沙が外連味たっぷりにそう言うと、アリスは表情を強張らせた。その言葉が、もうそれ以上説明も駆け引きも要らなくなったことを如実に示している。
「知ってたのね、月の異変に。」
「…そりゃ分かるさ。仮にも魔法使いなら分からない奴のほうがおかしいぜ。」
 挑発するような魔理沙の言葉に、アリスは観念したように嘆息した。どうやら魔理沙のほうが一枚上手だったようだ。
 素直に負けたと感じる自分自身に、アリスは不思議と嫌気はしなかった。やっぱり月の光に当てられたのかもしれない。そう考える事自体、やっぱりおかしい。
「…短刀直入に言うけど、あの月の調査に付き合ってくれたらグリモワールを貸してあげるわ。」
 アリスは腰に手を当てて、開き直って告げた。

  -4-

 月は巨大な魔力源である。と同時に、妖の者にとってはかけがえのない生命力の源でもある。
 人が太陽の恵みを受けなければ生きられないように、人ではない者の中には月の光なくしては生きられない者もいる。幻想郷にはそういう者も大勢いるのだ。
 太陽と違って満ち欠けする月から受けられる恩恵は、日によって大きくなったり小さくなったりするのだが、その力が極大となるのはもちろん満月の時だ。そして今日は満月である。
 そのはずだった。
 だが、天空に満月はない。満月のように見える月は、ほんの少し、大多数の幻想郷の住人はそれとは気付かない程度の僅かではあったが、満月ではなかった。

 しばらく、ほんの少しだけ欠けた月を見上げていた魔理沙だったが、やがてアリスに視線を戻した。が、何か言う訳でもなく、無言で意味もなく前髪を弄っている。
 グリモワールは魅力的だが、それでも自分が赴かねばならない理由はないし、だいいち面倒だ。魔理沙は月の力を借りる魔法もいくつか心得ていたが、然りとて月が満月でなければ使えないわけではない。それに、満月じゃないと困るという直接的理由もないというのが本音である。
 アリスは満月がないと困るのかもしれない。わざわざ貴重なグリモワールを持参し、嫌っているはずの魔理沙に会いに来たのだから、それなりの理由があるのだろう。
 しびれを切らして、沈黙を破ったのはアリスだ。
「魔理沙、本当ならこうしている時間が惜しいのよ。もう11時近いから、そろそろ月が昇りきってしまうわ。」
 魔理沙はもう一度、僅かに欠けた偽りの満月を見た。確かに、そろそろ真南に差し掛かるようだ。
「そりゃ月は沈むから、朝までに調べられるかどうか──」
 言いかけて、魔理沙は礑と気が付いた。驚きの表情を浮かべてアリスを見返す。
 満月の異変。
 調査のために、魔理沙に協力を頼みに来たアリス。
 時間が惜しい。
 昇りきって、沈んでいく月。
 やっと話が全て分かった。
 アリスも数少ない魔法の森の住人である。その魔法の腕は自分と同程度だと知っているし──アリスは必ず自分のほうが上だと反駁するだろうが──、それだけの魔法が使えれば調査などそんなに苦労しないようにも思える。
 もし、仮に月の異変が誰かの仕業だったとして、その犯人が自分だけでは相手にできないような強大な力の持ち主という事か。いや、調査が前提なのだから仮説に過ぎないはずだし、原因を突き止めてから協力を頼めばいい話だ。
 ではなぜ、アリスが魔理沙にわざわざ協力を頼みに来たのか。
 魔理沙は、少しだけ表情を険しくした。それだけで、アリスも察したのだろう。先ほどまでの苛ついた顔から真面目な表情に戻り、そしてそれ以上は何も言わなかった。
「……本気かよ、私でも使った事はないぜ。」
「私だってないわよ。でも、二人ならできるはずよ。」
「禁呪だぞ、禁呪。咲夜が持ってる力なんかとは別物だ。因果律を変えちまう大魔法だぞ、時間干渉の魔法は。」
「そんなの、大昔に勝手に決められたことよ。この一大事に、そんないつのものかもはっきりしない、化石のような取り決めに従わなくてはならない理由はないわ。」
 アリスは、もう禁忌を破る事は覚悟の上のようだった。
 時間を止める。
 遥かな昔に生み出されたその魔法は、そのあまりに大きな力が悪用される事のないよう、魔法使い達の間で最大級の禁忌とされ、以来封じられて久しい魔法のひとつである。もっとも、長い年月はその知識を再び甦らせるに十分であったし、どのような形の取り決めだったのかの記録もなく、また伝える者もいなかった。
 アリスが魔理沙のところへ来た真意は、夜を止め、月が沈むことを阻止することにあったのである。

「…でも、あの魔法でも際限なく時間を止められるわけじゃない。そんな魔法を支えるだけの膨大な量の魔力を、いったいどこから持って来るんだよ。」
「調査の過程で調達する方法を考えてあるわ。それを魔力源として、夜を止める。」
 そんな大それた方法を提案するだけあって、まったくの思いつきというわけではないようだった。いつも例外なく無計画で出たとこ勝負が常の魔理沙とは違い、アリスは何かしら計画しているようだ。勝負強さでは魔理沙が上だろうが。
 が、流石に即答することもできず、魔理沙はしばらくの間沈黙していた。
「その魔法薬も、今晩が満月だから作業していたんでしょ?見たところ、満月じゃないと精製できないような調合に見えるけど、どうなのかしら。」
 アリスの指摘は大当たりで、実は魔理沙もさっきようやく思い出したのである。図星を突かれて少し癪だったが、この調合の最後の精製過程は、月の満ち欠けに影響されるという点については事実なのだから仕方がない。が、それは魔理沙にとっては割とどうでもいい事柄にすぎなかった。彼女の行動において最大の原動力となる部分に触れるかどうか、それだけが鍵なのである。
 すなわち、知的好奇心というやつだ。
 やがて、魔理沙は含み笑いを漏らすと、本の山の上に無造作に置いてあった帽子を手に取った。
「本を貸してくれるっていう約束は守れよな。」
 そう告げると、人間の魔法使いにとって伝統的な正装、鍔の広い黒の三角帽子を目深にかぶる。机の抽斗を開け、何枚かの符を取ると、ポケットに押し込んだ。それを見たアリスも、やっと表情を崩す。
「暇ってことはないんだけどな──」
 そして、立てかけてあった愛用の箒を手にする。
 何か挑発するような、不敵で自信に満ち溢れた眼差し。
 それでも、どこか年相応の子供が持つ悪戯っぽい表情に彩られた、いつもの魔理沙の笑みが戻った。
「いいぜ、今晩だけなら付き合ってやるよ。」


 南の空に昇る、僅かに欠けた月。
 ふたつの影が魔法の森を翔び出す。
 月の欠片を探して。
 時を止めて。
 夜を止めて。
 偽りの満月を目指して。
 それが永い夜の始まり──

(-了-)
マニュアルにはあまり触れられていない、人間側視点でのプロローグの手前勝手な解釈+α。書き終えてから、意外に以心伝心でいいチームワークを見せてくれそうになってしまった2人に気付きました…皆さんゴメンナサイ。
ネタバレにならないよう気を使ったつもりです。バックストーリーは公開情報ですし、それ以上書いていないので問題ないと思っています。
実は他チームの話も考えていたりしますが…。
本文は何か別のゲームの影響を受けすぎている気もします。

Barragejunkyさんにリスペクト。Barragejunkyさんの作品を読まなかったら、さすがに投稿するまでは至りませんでした。

(8.27追記)
紅魔組のSS掲載に合わせて、書式を改めました。
また、他の作家さんを見習って背景をつけてみることに。…SS投稿は今作が処女作だったもので、投稿時によくわかってませんでした。
MUI
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コメント



0.1750簡易評価
7.70通りすがる程度の能力削除
いい感じのプロローグですね。実際もこんなだったんだろうなぁと思えました。
一言で言えば魔理沙の家にアリスが来て頼みごとをするだけの話なのに
細かく丁寧な状況描写や、魔法や魔力に関しての薀蓄などで
作品の深みが増してて結構読み応えがありました。
(こういうのって、大抵は設定好きさんの小難しい薀蓄の垂れ流しに感じて
個人的についていけなくなりがちだったんですが→魔力や魔法についての記述
この作品の場合はそんな事はありませんでした……なんでだろう。
必要以上に長々と書き連ねてないのと、そんなに小難しくなく解り易かったのと…
あと自分が持ってる原作世界観と大きく外れてなかったからかも)

とまあ、何か分かったような事を述べてますが、
要は自分のお気に入りコンビのやりとりの雰囲気がとても気に入ったのでレスさせて頂きました。はい。
8.60名前が無い程度の能力削除
魔理沙の部屋などの非常に細かい情景描写が気に入りました。でも特に気に入ったのは魔理沙の表情の描写です。文字だけで特徴が良くわかり、素晴らしいと思いました。

ところで、最後のセリフってやっぱり本家の200万ヒット記念トップ絵がモチーフなんですよね?(違ったらすみません)
10.60Barragejunky削除
すごくいいです。ふと点数のところをみると「すごく、イイ」があったので迷わず選択してしまうほどに。
本当は自分もこんなかっちょええアリスが書きたかったのですが、拙の体に流れる駄作書きとしての血がそれを許してくれず、あんな半壊れキャラに……
けどこの作品で作者様が素敵なアリス書いてくれたからいいや。
前のお二人が仰られていますように、描写が上手ですね。原作へと違和感なく繋がっているのは上手いなあ。
他チームのお話も是非読んでみたいです。個人的には中国&パチェ組とか(んなモン無ぇ
拙作なんぞよりはるかに高い完成度の作品でした。
うぅ、どんどん目標にすべき人が増えていく。なんだか拙作を投稿するのが恥ずかしくなってきた今日この頃……
16.無評価MUI削除
コメント下さった方はもちろん、お読み下さった皆さんに感謝致します。少しやり過ぎの感もありましたので、概ね悪くない評価を頂けた事を嬉しく思います。

最後のシーンはご指摘の通り、上海アリス幻樂団様のトップ絵が元にほかなりません。二次創作ですので、原作と開発者様に私なりに敬意を払ったつもりだったのですが、いかがなものでしょうか。
それから、別チームのものも書き始めてみましたので、どうぞよろしくお願い致します。
20.50いち読者削除
 アリスが部屋に入ってきた時のやりとりをはじめとして、ふたりの掛け合いが面白いですね。どちらが会話の主導権を握るでもなく、一進一退の攻防で(ちと違うか)。
 描写に関しても、非常に丁寧でいいですね。地の文が長いのに、滞りなく読むことが出来ました。
 あえて欲を言えば、前半部分、もう少しウィットに富んだ表現があればなお良かったかも知れません。初読の際、いささか説明的ではないかな、という印象を受けたので。
46.80deso削除
文章が自分のツボです。
これはワクワクするプロローグ。
そして、魔理沙が実に魔理沙らしい!
47.100名前が無い程度の能力削除
基本にして、そして丁寧。
この魔理沙とアリスの空気がすごく好きです。