Coolier - 新生・東方創想話

華胥の亡霊は遥けき昔日を夢見るか? 4

2004/08/23 06:37:40
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 ―4 たまにいくさ―



全て、見覚えの無い風景だ。


ただ地に伏してぴくりとも動かぬ人々も。

木に寄りかかって静かに眠る少女も。

物も言わずに彼らを見下ろす木も。


私は、それらがどれ一つとして例外無く、もう、終わってしまったモノなのだとわかっている。

聴こえるものなど無く、あたりに満ちるのはただ一つの『静』という言葉。


そんな夢。
涙も出ない、哀しい夢だった。





***





庭園は、月から注ぐ妖しい光と、仄かにそれを照り返す桜の光、
加えて色とりどりの弾幕の光に飾り立てられていた。
時折見える符が失効する際に放つ強い光も交えれば、
傍から見てあたかも夏の夜に狂い咲く花火を描いた一枚の絵に似るだろう。

弾幕戦とは、何時の頃からか幻想郷の住人たちに浸透していた一つの“手段”である。
絶滅種から幻想種までおよそ数え切れぬほどの系の生態をその内に持つこの山奥の狭く広き郷では、
意思と意思のぶつかり合いにおいてこの決闘方法が多く採用されている。
主に人間と人間、人間と人外、人外と人外の三種の組み合わせで行われる此れは、
幻想の郷という危ういながらも安定した不思議な均衡を保ち続けるこの場において、
最早無くてはならない手段にまでなっている。
この郷における生命全体の比率を見るなら、人間種というのはかなり少ない部類に入る。
多くの妖怪は人間を喰らうが、それは食糧というよりは嗜好に拠るところが大きく、
喰らわねば死ぬ、というものでは無いのだ。
私こと西行寺幽々子は亡霊であり、はっきり言えば日がな一日寝ているだけでも、
延々と生き続ける事ができる。いや、死に続ける事ができる、か。
ともかく人妖のバランスというのはそれほどに切実な関係には無く、
妖怪側は概ね人間を蔑み、人間側は妖怪を畏れる。やはりその間に敵対する意思は無い。
一部の力有る人間には妖怪退治を生業とする者もいるけれど、
それは単に、働かざるもの喰うべからずの原理だ。
たまには妖怪退治とかしないと、お飯の食い上げなのである。これこそが切実だ。人間は食わねば死ぬ。
だから調伏される妖怪の方も、いつもは自分の好き放題に生きている所を、
時たまそういった類の人間が現れると、しょうがない、ここは一旦引いてやるか、という態度でいるのだ。
大方においてこういった際に使われるのが、件の弾幕バトルということになる。
双方ともこの決闘において命が失われることは、皆無ではないにしろ大変稀な事だ。
それゆえにこの決闘、人間と人間の軽い諍いや人外同士のメンツの張り合いなどという、
案外くだらない理由で行われることも往々にしてある。
諍い、などといっても、数人で鍋を囲む際に何味噌を入れるか、なんて至極どうでもいいことが多い。
それこそもっと他のことで代用できるような時も、彼氏彼女らは弾幕するのだ。
それは何故か?
解答は単純、毎日が割と平和なこの郷にいるあらゆる知性体が、
この決闘方法がお気に入りだからに決まっている。
未知の相手と会話したら、社交辞令とばかりに弾幕する。
彼氏彼女らは、自己紹介のために弾幕するのである。
そう考えると、弾幕戦に用いられる符・スペルカードというものは、一種の名刺であると言えると思う。
彼氏彼女なんて遠回しに言うまでも無く、
私自身、この弾幕戦というものが気に入っているのだった。

だって、殴り合いとか殺し合いより、華があって綺麗で楽しいわ。
そんな長考の最中も私は、四方より高速で飛来する桜色の弾塊を、
手に持った扇でふわり、と撫でるように扇ぐ。
すると周囲の凶弾は霧消して、後には風がそよぐばかり。


「いい風ですわ、本当に」


私は髪をなびかせそう言うと、酒蓋に向けて微笑した。

すると敵もさるものだ、「ホッホ」なんて楽しげに笑って、
執拗に付けねらっていた妖弾を撃ち落して見せた。


「いやはや、全く大したもんじゃ―――。
 噂とはあてにならんものと思っておったが、
 お嬢さん程の使い手、顕界にもそうはおらなんだぞ!」

「あら、そんなに褒めると殺すわよ」


軽口を叩いて、私は扇を高くかざす。
そのまま強く念じると、扇の先端に蝶の描かれた符が立ち現れ、
その周囲には瞬く間に数え切れぬほどの亡霊の胡蝶が浮かび上がり、
扇を軸にしてはたはたと舞踊りはじめた。

「―――「対岸の誘い」」

幾百幾千の妖蝶は、私が扇を振り下ろすと散弾状に飛び立ち、
私の視界内をちょこまかと高速で飛ぶ酒蓋へ向けて舞う。


「ホ、何とも! 世にも恐ろしい照れ隠しかの!
 酒水「養老乃瀧」!」


舞い飛ぶ蝶の散弾を巧みに躱し、酒蓋も負けじと符を繰り出す。
どこからか酒蓋の呼び寄せた呪符が二度三度強く煌き頭上高くへと消え去ると、
空から滝のような弾幕が私を飲み込まんばかりに襲い掛かってくる。
だが、私はそのどれもが威嚇目的の目くらましと見切り、
弾幕の滝に視界を覆われても微動だにすることなくそれらを見逃す。
轟音と共に降る滝が擬似的な水音を立てる中、
私は正面の弾の壁を見据えて、

「照れ隠しに対して目隠しね。洒落てはいるけれど、
 見え見えなのはいただけない」

と聴こえるように言いながら、
ズン、と弾滝を突き破って飛来した本命と見られる高速弾を、
先ほど振り下ろした時と逆向きに扇を振り上げ吹き散らす。


そのまま暫くは霊蝶と酒滝の応酬が続いた。

「つまらないわ。初撃で見切れてしまっては、もう当たりようが無い」
「ふむ、そうじゃな、これは失敬」

それほど力の入ったスペルではないのだろう。符は単調に幾度も同様の弾幕を吐きつづける。
私は横合いからくるか時折滝を突破してくる弾を吹き消し、散らし、消し去り続けた。
その都度扇を振るい、その数だけ先ほどのように霊蝶の散弾を酒蓋がいると思しき向きへと飛ばしたけれど、

「しかしまぁ、ふむ、つまらん芸を見せるつもりは無いが、
 ひょっとすると万が一、こういう軽い小技にも引っ掛かってくれるか、という希望も無いでもないでな」

老人の声は飄々と聴こえ、一度として手応えは感じられないまま―――

「その読みも見切るまでも無いけど。私の方もたいした芸じゃないし」

程なくして双方の符が燃え尽きて失効し、
先ほどまで轟音を鳴り響かせていた巨大な弾の滝は眼下の桜と土壌を抉るだけ抉って消え、
ずっと遠くまでゆったりと飛び広がっていった幻の蝶たちも、
私の手元で妖しく煌いていた符がその輝きを失うと同時に形を維持するのをやめ、
ふっ、と夜の少し湿った空気に溶け消えていった。


「また引き分け、ね」


今ので何枚目だったかしらなんて思いつつ、
気付かれないように扇を持っていない方の手で懐を探って残りの符の数を確かめる。
普段から私は自分の腕より袖の長い着物を好んで着用するが、
これには袖の内側の手を他人から観測しづらいように、という意図がある。
主にこれによって効果を発揮するのは妖夢のお猪口をくすねて自分の着物の中に隠すとかいう悪戯のためで、
こんな風にこっそりと符の数を確かめたりする為のものではないのだけれど。

ひの、ふの、みの、よ。・・・四枚、かぁ。
思ったよりも頼りない符の枚数に、ちぇっ、と心の中で小さく舌打ちをした。
負ける気はまるでしない。しかし、符の枚数が少なければその分遊び時間が減ってしまう。
それが残念である。一刻よりは二刻、二刻よりは四刻だ。
既に使い減らし四散して風に運ばれていく符を、
名残惜しい気持ちを押し隠しながら横目で追って私は呟いた。


「そろそろ本気を出して欲しいわね。
 いい加減、夜も明けるというものだわ。
 適度にお酒も取ったし、眠くなってきた」


およそ全て嘘である。時刻からすれば、これからが本当の夜とも言える。
お酒なんかまるっきり呑み足りないし、眠気なんて微塵ほども無い。
軽口に大した意味を含ませるつもりも無い。ちょっとした威圧のようなものだ。
本気で意図を伝えようなどとはつゆとも思っていない。


「それはこちらの台詞じゃよ。
 姫さん、さっきからほとんど動いとらんじゃないか」


そんな気持ちから出た言葉だ、まともな受け答えが為されるわけが無い。
にしても、この酒蓋も巫山戯たことを言ってくれる。
初めからこっち、こいつの使ってきたスペルはどれもこちらが動けば動くほど厄介になるタイプのものだ。
私は確かに最近運動不足ではあるけれど、そんな、生きた人間じゃあるまいし。
質量及びエネルギー保存の物理法則なんてみみっちいルールに縛られてはいないのだから、
わざわざダイエット運動など好き好んでしたいとは思わない。食べたら消え、呑んだら失せる。1ガロンも体重が増えたりしない。
スポーツで汗をかくことより、賭け事で冷や汗をかく方が好みだ。
幸か不幸か、もう何百年も両方の体験をしていないようにも思うが。


「それは、眠いからよ」


私が決闘の最中にこうしてどうでもいい挑発の投げ合いをするのも、
全て初手の一撃が思ったような効果を発揮しなかったから、という理由に尽きる。
恐らく向こうも同じ心持ちなのだろう。初っ端の弾幕と比べると、
それ以降の攻撃は些か見た目に拠った小手先のものになってきている。

リポジトリ・オブ・ヒロカワ。聖人の庵。骸なる詠い、その三番手である幻霊。
私は一手目に入魂の一芸を持ってきたつもりである。
二つのスペルがぶつかりあった結果、辺りには妖気が充満して桜の数本が存在ごと消し飛び、
近くで時期外れの花見を楽しんでいた霊たちはたちまちに逃げ去っていってしまった。
自分で導いておいてなんだけれど、見る目の無い、風情のわからない霊たちである。
ここに咲くのは、舞い散る桜よりもずっとずっと美しい、
酒気帯びた典雅なる弾幕の華であるというのに。

まあそれはともかくとして、そうして結局どちらのスペルも不発に終わった今、
私たちは互いに次の決め手を出す機を計っているのだ。

とは言え、小競り合いばかりでは面白みに欠くし、
実力的に見てもいくらかランクを上げて相対するべき相手と言える、だろう。


「それじゃそういうわけで、ぼちぼち真面目に行くわよ。ご老人」


私はにっこりと微笑んで、扇を手首で素早く縦に振る。
ジャッ、という小気味良い音がして扇が閉じ、と同時に扇の先端に黒々とした符が姿を現す。
それは符というよりカードと呼ぶに相応しい西洋風の意匠で飾られていて、
片方の表面にはM・Mとイニシャルのような二文字が大々的に描かれている。
残り四枚の一つ。


「・・・来るかね。そちらがそのつもりなら、
 こっちもそれなりに本気にならねばの」

「どうぞどうぞ。派手にやらなきゃ、楽しくないわ。
 地味なのもたまには良いけど」


そうだ、地味なのも良い。だが、それはたまに、だからだ。
妖夢が睨みを効かせているせいで、ここ何年もの間はなかなか派手な決闘ができなかった。
大抵の侵入者はあの子に真っ二つにされてしまうのだもの。

だから私は今この時が楽しくてしょうがない。
久方ぶりの獲物だ。逃さないし、妖夢にも邪魔されたくない。
私は好戦的な性格ではないけど。ただ、派手好きなのを否定するつもりもまた、ない。


「では、失礼して。先手を打たせてもらうわ。

 霊率「モルトマエストロ」―――」


私は扇を目線の辺りの高さまで振り上げてから、
カードのことを意識せずにたおやかに、ヒュッ、と腰の辺りまで振り下ろした。
扇が、ジャッ、という小気味良い音と共に再びその柄を広げてみせ、
軽い手応えを最後に先端のカードを切り離し、前方へ撃ち放った。
ゆっくりと飛ぶカードは次第に淡く発光しはじめ、軌跡に残った燐光が徐々に朧ながら明瞭な蝶となって、
先を行く指揮者、即ちカード本体を追いかけて舞う。
その様はさながら一つのオーケストラのようだ。
黒光りする符がタキシードを着た指揮者、蝶たちが指揮を受けて音を奏でる演奏者たち。


「死霊率いる死せる大作曲家、か? しかしご大層な名前の割には、随分と控え目な攻撃じゃな。
 こんなとろくさいもん、わしには当たらんぞ」


啖呵を切る酒蓋妖怪に、オーケストラの一団が襲い掛かる。
しかし悲しいかな、荘厳な見た目どおり、そのカードの歩みは牛の如く鈍重である。
ふわふわと儚げに飛翔したカードを難なく回避し、続く光の蝶も躱して、
安全と見たかこちらへ容赦の無い妖気をぶつけて言ってくる。
笑顔のままでそれを受け止め、私は蓋の横を通り過ぎていった蝶たちを見つめる。


「ふむ。嬢ちゃん。蝶を使った攻撃が多いようだがの。
 戦場に向く武器じゃあるまいよ。蝶々は大人しく菜の花にでも留めておくが良かろう
 これでもう終わりではあるまい?」


私はなかなか上手い事を言う蓋だ、と思った。
しかし。


「戦場に咲く菜の花は、戦火に負けない、強い草に育つのよ。まぁ、引っ張られれば抜けるけど。
 そんなことより御老体?」

「ふむ、何かな?」

「後ろ、危ないわ」

「・・・ぬ!」

酒蓋が咄嗟に身を翻す。
すると先ほどまで蓋のいた空間を、ガォン、と空気を削らんばかりの勢いで何かが吹き抜けていった。
何か。言うまでも無く、先ほど私が放ったスペルの一群である。黒のカードと、蝶の塊。

「危な・・・なんじゃ、今のは!」

先だっての牛歩の如き速度とは打って変わった豪速に酒蓋は一人色めき立ち、
すんでのところで回避したカードの行方を追っているようだった。私も倣ってそっちに目を向ける。
私は効果知ってるから、別に見なくてもいいんだけど。
カードは酒蓋から少し離れた辺りで転進し、
それを追う蝶と共に再び酒蓋の居場所へ進路を定めた。その動きは緩慢なものに戻っている。
ゆっくりと近付いてくるこれを、恐る恐る妖怪は三度回避し、
そしてそれらが過ぎ去った後にまたも己へと向く様を見て唸った。
今度は、方向を転換した直後から凄まじい速度を以って酒蓋を打ち砕かんと迫る!


「これは・・・なんとも厄介なものを造りおる!
 お嬢さんには老人を苛める趣味がおありかね!」


霊率「モルトマエストロ」―――。
対象への誘導・追尾性能を持ったカードと、それを追跡して散逸的に飛行する蝶群。
さらに、この蝶は軌跡が生まれるたびに増えるため、
逃げれば逃げるほど群れは膨大になっていく。
二度酒蓋にいなされたカードが、今度こそはと緩やかにカーブして酒蓋を狙う。
その軌跡を描く光が見る間に蝶へと変貌し、いっそたおやかなまでに優雅にカードを追って飛ぶ。
カードのとばっちりを受ける形で対象は蝶弾の群れに襲われる、という形だ。
しかしこれだけでは弱い、と私は思った。
そこで、方向転換の回数が奇数の時、
次の方向転換まで偶数の場合の十倍の速度で飛ぶ、というつくりにした。
そうしたら何だか突き抜けて詐欺みたいな符になってしまったので、
知人には一発芸としてしか使えなくなってしまったのだ。
そこで、折角だから一見さんにご披露を、と考えたのである。


「まあ。わざわざ珍品でお出迎えしたのに、酷い言われようだわ。
 悲しみに袖を涙で濡らすわね。よよよ。えっと、目薬は無いから声だけで我慢してくださる?」

「うぬぅ、なんたる白々しさ・・・やはり只者ではないのう」


またも襲い来た弾幕をすり抜けて酒蓋が言った。
何だか知らないが、妙な事に感心している様子だ。
敬われるのは好きなので、えっへん、と胸を反らして言う。


「ごほん。さ、溜息ついてる暇なんてあるのかしら。
 そのカードが燃え尽きるまでまだ暫くかかるわ」


私自身の使う妖気が少ないため、このスペルは長時間持続させられる。
しかも軌跡が伸びるたびに回避は困難になるのだ。
私は適当にカードを放って、後は相手が逃げ惑う様を静観していれば良いのだから、
手軽で効率的、おまけに幽美。一石三鳥。なんとも素晴らしいスペルだ。
だから反則指定されたんだけど。


「・・・ぬう、きりが無いのか、この符・・・。
 如何にわしが弾除け上手といっても、
 このままでは危ういかもしれんの・・・!」

「そうねぇ、私だってそれには出会いたくないと思うくらい。
 こんなの思いついちゃうんだから、やっぱり天才かしら」


私は半ば勝利を確信してからからと笑う。
ちょっと反則技っぽいのが何だけど。いや、反則技なんだけど。


私が笑っている間も、少し飽きてよそ見している間も、一句浮かべている間も、
酒蓋は延々と襲い来る己の数十倍の丈を持つ巨大な蝶の群れをかわし続ける。
ギュン、ガォン、グァン、ゴォン。金属を殴り付けたような鈍い音が空気中に断続的に響く。
妖怪もたまに行動に余裕が出来たときなどにこちらへ攻撃を仕掛けはするが、
そんな苦し紛れの攻撃が、私に通用する道理もなく、私はそれらを適当にいなして手を振ったり。
そうして半ば以上私が相手を玩具にするような形が続き、カードがとうとう数十度目の旋回に入った時、
思ったよりも粘るので、私は少し酒蓋に声をかけてみた。

「まだ頑張ってるの?そろそろ諦めた方がいいんじゃないかしらー?」

すると、若干疲れは感じられるものの、むしろまだまだこれから、と言わんばかりの強い声が返ってくる。

「嬢さんや、これはまだ続くのかね。
 ・・・まだ増えるのかね。延々と」

唐突な質問である。嘘を言っても構わないが、
残り時間が知れたところでさしたる違いもあるまいと判断して答えた。

「ええ延々と。少なくとも、あと一刻は続くわね。
 いや、それはいくらなんでも嘘だけど、まだ長いわよ」
「何と、それは詐欺か。詐欺ではないのか」

その何か芝居がかった喋り口に違和感を覚える。
狙いはわからないものの、明らかに含みのある喋り方と感じられた。
だが、そうしている間にも蝶群は肥大化と密集を繰り返していく。
圧倒的なまでの弾密度。
ここまでほとんどの弾幕を綽々といなしてきた酒蓋が、とうとうこの蝶塊には掠る様子すら見て取れる。


「恐ろしい事よ。ふむ。
 御霊を荒し和しの区別無く操り、空に腰掛けて符を駆使しなおそのような笑みを浮かべる。
 更に恐らくは、この符とて“切り札”ではなかろう、ということじゃが・・・」


蝶塊を紙一重ですり抜けてなお言う。
確かに、酒蓋の言う通りこの符は数多ある手札の一つ。
切り札とは到底呼べない捨石のようなものだ。
まぁ、切り札にしたところで、たったの一種類などという寒々しい事はないのだが。


「何を置いても恐ろしいのは、わしがお嬢さんを最も恐れるのは。
 ―――これが、お嬢さんの真の能力を一分たりとも利用しておらんと言う、その一点に尽きる」

私の能力。死を操る程度の能力。
私がここまでに用いたのは、確かにその一端である死霊を操る程度の能力だけだ。

一口に言った酒蓋は、すかさず呼び出した符で結界を張ってその身を覆う。
結界は蝶塊の一角をごっそりと消し去ったが、
次に襲い来る蝶の群れを待つまでも無く雲散する。
しかし、蝶塊に呑まれる寸前、酒蓋は切迫した状況にそぐわない落ち着いた声で告げた。


「 慧酔「プラジュニャプロバビリティ」 」


結界を失った符がスペル宣言を受けて強い光を発し、
夜闇を切り裂く閃光は私の視力を奪い去る。
幽霊も目で物を見、耳で音を聞くのである。
失明したりはしないけど、咄嗟に私は目を閉じてしまった。


「あらら、何も見えないわ。
 だけど、見えていなくても関係無い・・・」


蝶群は最早私の手を離れている。
目を閉じる前の光景、あのままであれば酒蓋は蝶の塊をかわすことはできないだろう。
あれが全部当たれば、どんな妖怪でもしばらくはまともに身動きが取れない。
弾幕戦は、相手が自分から負けを認めるか、動けなくなるまで続けるのがルールだ。
だから、このスペルが全部決まったら、それはつまり私の勝ちということ。


夜明けと共にこのちょっと奇妙な夜の事件は幕を閉じ、
平和な彼の世の毎日がまた続き始める。
それは少しだけ残念だけど、仕方なくもあり有難くもあることだ。
いつだって顕界は物騒な世界なのだから、
せめて冥界くらいは平和な世界でないと、バランスが取れない。


私が人を死に誘うのだって、幽幻と顕現の均衡を取るためなのだ。
まぁ、少しばかり無節操に過ぎるきらいはある。
私だって何の考えも無しに死を振りまいてるわけじゃないわ、と言ったら、
考えがあったら殺人じゃないですか、と妖夢に咎められたものだ。


だから私は普段、興味本位で死に誘うのだ。
殺したくて殺すなんて、一番立派な殺人の動機じゃないだろうか。
他の動機で殺すなんて、私には全く理解できないのだし。
それにどうも妖夢は勘違いしてるみたいだけど、
私の能力はただ死に誘っているだけだ。
殺すなんて物騒なこと、酒瓶より重い物を持ったことが無い私には到底できないのだし。
人殺しと呼ばれる謂れなんてない。精々が殺人幇助止まりである。


そんなことまで考えているうちに光は止んでいた。
ゆっくりと、瞼を開けてみる。
まだうっすらとぼやけた視界の中、
そこには、蝶弾の波に飲まれて散々な体になった酒蓋の姿が―――。


「あら?」


無かった。



***



 ―4.4―


ざあ、と風が吹き抜ける、西行寺の屋敷。
先ほどまで、この屋敷の主とその従者がささやかな酒宴を開いていた縁側の一室。
風によってカタカタと音を立てる障子の向こう、
部屋の真中にある簡素だが品の良い卓袱台のあたりの空間に、
突如横一線の筋が入る。筋の両端には赤い可愛げなリボンがついていた。
横線は、閉じていた瞼が開くように歪んで二つに分かれ、
上下二つの歪線の間からは紫色の空間と、
そこに蠢く幾千幾万の名状しがたき妖たちが姿を覗かせる。
歪みはさらに肥大化し、奥にいた妖がこちら側へ顕現しようと身を乗り出した。
が、それらはその望みをかなえる前に歪みの奥に引きずり込まれ、
こちらからはそれらの目が爛々とこちらを凝視する様が垣間見えるだけとなる。


「ふわわ。ん、おいたはいけないわね。無名の妖の分際で」


そうして、紫色の歪みから出てきたのは、歪みを創った歪みの主。
妖しく金に輝く長い髪を持つ一人の少女だった。
歪みと同じような紫色に彩られた道服を身に纏い、長髪の先に赤いリボンを結わえ、
眠たげに欠伸をしながら左手に扇子を持って扇ぐこの少女。
その名を、八雲紫。
百の悪鬼と千の妖怪と万の魔物が跋扈するこの幻想の郷においても、
最高位、あるいは最底辺に位置する大妖怪である。
役目柄あまり他に知られることは無いが、数少ない彼女を知り畏れる者たちはこう呼ぶ。
八つの雲、たなびきし紫。混沌に境を齎す者。秩序の線を吹き消す者。
刹那なりし境に劫の時を生きる妖。虹芒終端。物見ずくゆる紫煙。“終始結界”。
どれもその存在の危険さを十二分に語る二つ名であるが、
そんな怪物は今、片目をこすりながら眠気に耐え、
人様の家の卓袱台の上に立ち、右手に酒瓶を掲げてのほほんと言う。


「ゆゆこー。お酒持ってきたわよーぅ」


何のことは無い。この妖怪少女は、友人であるところの亡霊少女、
当家の主たる西行寺幽々子に、宴の差し入れを持ってきただけなのであった。
が、家の、さらに言うなら部屋の主は今このとき、この屋敷内には存在していない。


「あれ? 酒の匂いがしたから、まだ性懲りも無く宴会してるのかと思ったのに」


紫は残念そうに肩を落とし、そのまま面倒くさそうに卓袱台から降りる。
自分が乗っていた卓に酒瓶を置くと、何かに気付いたように周囲をキョロキョロと見回す。


「変ねー。こんな時間にいないなんて。お酒飲んでるか早寝してるかどっちかじゃない、いつも」


しかしいくら見渡したところで探し相手はいないのである。
紫もその無駄を悟ってか、早々に幽々子を探すのを諦めて、卓袱台を前にしてちょこんと行儀よく座った。
取り立ててすることもないのでと、持ってきた酒を開けようとしたところで、
紫は部屋の隅に敷いてある布団と、その傍らに立ててある酒瓶の存在に気付いた。
正座から四つん這いの姿勢になって、ぺたぺたとそちらへ寄っていく。


「あは。用意が良いわ」


紫はごろんと布団に転がり、横になった勢いのままで傍らの酒瓶を手にとってあおる。
似たもの同士とはよく言ったものである。
だが。


「あれ、なんだ。このお酒」


逆さに持ったままで、紫は酒瓶をふらふらと振りながら言う。


「空じゃないの。
 ・・・空のお酒を立てておくなんて。
 幽々子ったら、人を小馬鹿にしてくれるわね。意地悪なことするわ。
 普段は飲んだら飲みっぱなしで、あの半人の子が片付けるまでは転がしてあるのに」


まったくもう、と呟いてから、紫は酒瓶を適当に放る。
代わりの酒は自分が持ってきたものがあるのだが、
無精の化身のような少女は卓袱台まで這って戻るのを厭い、
足元に畳んであった掛け布団を広げ、もぞもぞと布団に潜っていってしまった。


「はー、ぬくい。夏も近いってのに、やたらと冷えるわ。
 こんなんじゃ、夏も寝てなくちゃいけないじゃない・・・ふわ・・・」


床について数秒、早くも欠伸を始めた金髪の妖怪は、
眠りに至るまでのもう数秒の間に、身の回りに起きているいくつかの異変に気付いていた。
しかし、時既に遅し。


「もう・・・人が寝ようってときに・・・ま、いいか・・・」


梅雨を目前に咲く桜のことも、酒蓋の見当たらない酒瓶のことも、
ぼろぼろになった庭師の少女が庭先を飛んでいることも、
そして、あの妖怪桜が、実に久方ぶりに活気を取り戻しつつあることも。


「眠いし・・また、あと・・・ぐー」


幻想郷一のねぼすけ、すきま妖怪八雲紫には、睡眠に優先する出来事など、殆ど無いのである。


「・・・ZZZ・・・」


紫に放られ、コロコロと転がる酒瓶は空で、
付け加えて言うと、そこに貼られていた筈の一枚の呪符もまた、忽然と姿を消していた。



夏風邪引きました、shinsokkuです。

早くも永夜ネタのSSが。驚きです。
ネタを思いついてすぐ文章に書き記せるっていうのは単純に良い事だなぁとか。
かなり切実なまでに羨ましいです。妄想力が自分には足りない。

毎話見所が置けるくらいのエピソード想像力が無いと、
長編作品は書き続けるのが難しいですね。
というか、初めに気付くべきでしたか。遅いか。遅いな自分。

永夜。
面白いですね。自分如きからこれ以上何か吐かせようとしても、
この一言に勝る賛美の言葉は多分出てこないので、FAで。
面白いです。以上。

さて、今回もこの変に長いだけの文をわざわざ読んで下さった皆様。
本当に、どうもありがとうございました。

なんだか、無駄にまだ長く続きます。
次回、「5 とざしふた」も、お時間が御座いましたら、
どうぞご覧になって下さいまし。

オチのアイディア、誰かもしもう書いちゃってて、
自分が知らないだけ、とかだったら、
何時かそれを知ったとき大変な凹みぶりを見せるだろうな自分、
のshinsokkuでした。
shinsokku
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コメント



0.810簡易評価
10.50Barragejunky削除
相変わらずのかっこいい描写が素敵ですが、それよりなにより。
今回のイチ押しはずばり紫嬢しかいません。
>>「ゆゆこー。お酒持ってきたわよーぅ」
のセリフが拙の心をぐわし鷲掴み。そのまま最後まで離しちゃくれませんでした。セリフやら動作やら何から何までクリティカルにフェイタルなヒットです。
ああちくしょうこの言葉って結構恥ずかしいから使うの気が引けるけどこれは使わずにいられねえ。激萌えた。でもゆかりん、お前一体何しに来たんだよ?
それは次回分かる……のかなあ。どうなんだろう。